アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

当事者能力疑う菅首相と安倍晋三再々復活の悪夢

2020年11月09日 | 日本の政治と政党

    
 日本学術会議攻撃問題での菅義偉首相の答弁の混迷ぶりは目を覆うばかりです。菅首相の当事者能力を疑わざるをえません。
 そもそも今回の「任命拒否」は、警察官僚出身の杉田和博官房副長官が黒幕で、その筋書きは菅氏が首相に就任する前から書かれていました。ではだれがそのシナリオを書いたのか。だれが杉田氏を動かしたのか。それができるのは杉田氏を一貫して重用してきた安倍晋三首相(当時)しかいないのではないでしょうか。

 今回の「任命拒否」で表面化した学術会議攻撃は、安倍晋三氏が年来の思惑を実行に移したものと考えるのが妥当でしょう。

 安倍氏は少なくとも「東京五輪」までは首相の座に居座りたかった。それが想定外の病気再発で辞任せざるをえなくなった。そこで安倍氏が事実上の領袖である最大派閥・細川派はじめ安倍政権を支えた自民党勢力は、急きょ菅氏を後任に据えた。それは菅氏が安倍路線を忠実に継承するだけでなく、いつでも首を挿げ替えられる人物だからではないでしょうか。
 菅氏は急きょマウンドに立たされたリリーフ投手で、本命政権はそのあとにくる。それは安倍政権の3度目の復活―そんなシナリオがあるように思えてなりません。

 そう思う根拠はいくつかあります。

 第1に、安倍氏自身が意欲満々なことです。

 安倍氏は9月16日に首相を辞任して以降、靖国神社を2回参拝(9月19日、10月19日)し歴史修正主義者の面目を躍如とする一方、自民保守系グループのパーティー・会合に3度出席しています。
 今月1~3日には地元・山口県に入り、支援者に「薬が効き、非常に速いスピードで回復している」(4日付地方紙各紙=共同配信、写真中)と「回復」を誇示しました。
 2日には山口県庁を訪れ、公務中にもかかわらず集めた約500人の職員を前にこう述べました。「今後は山口出身の国会議員として地方創生に全力で取り組む。憲法改正などやり残した仕事もしたい」(3日付中国新聞)

 第2に、自民党内で安倍氏待望論が早くも出ていることです。

 衆院議員会館の安倍事務所には、「助言を求める議員や旧知の官僚らが続々と訪れる」(4日付共同)状況です。
 2日の後援会会合では、「参加者から首相への「再々登板」を望む意見が出たという。党内にも伊藤博文は4度、桂太郎は3度(いずれも長州藩出身―引用者)首相になったとして「可能性は十分ある」と見る向きもある」(同、共同)

 第3に、安倍氏の後見役を自他とも認じる森喜朗元首相(東京五輪組織委会長)の言明です。

 自民党政権の御用雑誌月刊「Hanada」(11月号)は安倍首相退陣直後に「ありがとう!安倍晋三総理」という特集を組みました。この中で、森氏はこう述べています。

 「今回、余力をもって辞められたことは逆によかった、と私は思っています。安倍さんはまだ若いんだし。私は図々しく八十三歳まで生きて…安倍さんの方が私よりよほど長くやれますよ。三度目があってもぜんぜんおかしくない」(写真右も同誌より)

 3度目の安倍政権。こんな悪夢はありません。それを文字通り幻に終わらせるためにも、来る総選挙で自民党を政権政党の場から引きずり下ろすことが必要です。


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米大統領選と日本政治の前途

2020年10月01日 | 日本の政治と政党

    
 9月30日午前10時(日本時間)から行われた米大統領選のトランプ大統領(共和党)とバイデン前副大統領(民主党)の「討論会」を中継で見ました(写真左)。ルール無視の中傷合戦。あきれるばかりでした。

 しかし、私たちにとって重要なのは、この大統領選をめぐる米政治の劣化・退化はけっして対岸の火事ではないことです。

 トランプ氏とバイデン氏の「討論会」の醜態は、両氏とりわけトランプ氏の資質・人間性によるものだけでなく、構造的な問題です。たとえかみ合った討論が行われたとしても、そもそもこの選挙にアメリカ政治の根本的転換は期待できません。それは両氏、というより共和党と民主党の間に、政策上の根本的違いはないからです。

 どちらが政権を執ろうと、アメリカの覇権主義・大国主義、核戦略は変わりません。日本との関係では、日米安保=軍事同盟強化による日本の軍事分担、基地負担(辺野古をはじめ)、米軍駐留経費(「おもいやり予算」)の負担要求、米国本位の貿易圧力などは変わりません。それはこれまでのオバマ(民主)、クリントン(民主)、レーガン(共和)、ニクソン(共和)の歴代大統領を振りかえるだけで明らかです。

 その根源は、2大政党制(保守2大政党制)というアメリカの政治制度にあります。この制度の下では、少数政党は絶対に政権に参画できません。結果、民主と共和の間で政権たらい回しが繰り返されます。

 重要なのは、こうしたアメリカの保守2大政党制に倣って、その道を突き進もうとしているのが日本だということです。

 2大政党制をつくる選挙制度が小選挙区制です。すでにその軌道は敷かれています。次に行われようとしているのは、自民党(公明党はその補完物)という1極に「対抗する」という名目での野党の1本化(統合)です。それが「野党共闘」という名で進行していることです。

 現在日本で行われている(さらに進行しようとしている)「野党共闘」とは、野党第1党(立憲民主党)への他の野党の糾合にほかなりません。菅義偉氏を選出した先の国会の首班指名で、日本共産党はじめほとんどの野党が枝野幸男氏に投票したのはその表れです。

 もう1つ、知らない間に既成事実化されようとしている重大問題があります。それは国会運営をめぐる与野党協議が、自民党と立憲民主党の2党間協議になっていることです。これまではそうではありませんでした。各党の国対委員長が集まって協議していました。それがいつの間にか2党だけの協議(談合)で国会運営(開会・閉会日程はじめ)が決まるようになりました(写真中)。これは国会運営上不当であり、異常です。それが既成事実になろうとしている。これは日本版2大政党制の前兆にほかなりません。

 政策二の次のこうした「野党共闘」(「野党統合」)、そしてその根源である小選挙区制。その陰の仕掛け人は、いずれも小沢一郎氏(写真右)です。共産党が小沢氏と接近するようになって同党の「野党共闘」路線も変質してきました。

 問題は、こうした2大政党制に対抗し、別の道を主張する論調(学者・識者)がすっかり鳴りを潜めていることです。日本のメディアは程度の差はあれ、すべて小選挙区制賛美・2大政党制推進です。

 かつて(特に1970~80年代)はそうではありませんでした。2大政党制に対抗する政治制度の主張がありました。それは多党制であり、それを保障する選挙制度が比例代表制です。少数でも多様な意見・思想・政策の政党が国会内で一定の勢力をしめ、それが国政に反映する。政党間共闘は政策の一致による共闘となり、少数政党の政策も生かされる。それが多党制であり、比例代表制です。故・岡野加保留氏(元明治大学長)らを中心に主張され、日本共産党の政策も基本的にそうでした。それがいまやすっかり姿を消しています。

 このままでいいのか。アメリカ流の保守2大政党制でいいのか。原点に立ち戻って考える必要があります。米大統領選の醜態、アメリカの混迷が私たちに示しているのはそのことではないでしょうか。


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「感染防止」名目に国会議員が“休業”する愚挙

2020年04月14日 | 日本の政治と政党

    
 市民がコロナ感染に戦々恐々とし、「休業要請」を指定された店舗関係者が廃業の危機に四苦八苦している中、安倍晋三首相が自宅でペットと戯れているツイッター(写真中)が批判を浴びています。本来、コロナ危機の先頭に立つべき者の、あまりにも無神経・無自覚な振る舞いです。

 この醜態は安倍氏だけではありません。本来、コロナ対策の先頭に立つべき者たちが、「感染防止」の名の下にそろって“休業”しようとしているのです。それは国会議員たちです。

 自民党の森山裕国対委員長と立憲民主党の安住淳国対委員長は13日会談し、「登院する国会議員を最低7割、極力8割削減する」(NHKニュース)として、開催する委員会を削減し、出席する議員も定足数ギリギリの人数に抑えることで合意しました(写真右)。国会審議の“自粛”であり、国会議員の“休業”です。
 翼賛化している国会の委員会は開いても開かなくても変わらない、と自ら認めたブラックユーモアかもしれませんが、主権在民、議会制民主主義の立場から、けっして容認することはできません。

 「外出自粛」も「不要不急の」という前提がつき、「休業要請」も業種が選別されているように、なんでも「自粛」「休業」していいものではありません。緊急時でも機能させなければならない仕事・職業があります。国会・国会議員はその筆頭ではないでしょうか。
 なぜなら、本来、現場の状況をリアルタイムに掌握し、感染防止、医療崩壊防止、そして市民の生活と営業・仕事を守る先頭に立つべきなのが国会議員だからです。
 また、緊急事態宣言を口実にした、安倍政権(国家)の権力乱用を監視するのも、本来国会の重要な役割です。

 さらに、国会が審議すべき市民生活や国の重要問題が「コロナ対策」だけでないことは言うまでもありません。米軍や自衛隊の動向監視、原発・被災地対策などはその代表です。こうした重要問題はいま、エアポケット状態です。

 国会議員の“休業”は、こうした本来の任務から逃避し、「国権の最高機関」(憲法第41条)としての国会の役割を自ら放棄することにほかなりません。

 この委員会審議“自粛”、国会議員“休業”という愚挙が、自民党と立憲民主党の“二大政党”の協議(談合)で決められた重大性にも改めて警鐘を鳴らさねばなりません。

 自民・立憲の談合国会運営の弊害については、これまで再三指摘してきました。コロナ対策の超党派協議会に、障がい者を代表して参加を希望した木村英子参院議員(れいわ)の申し入れを拒否し排除したのも、森山氏と安住氏です。

 与野党「二大政党」の協議で国会運営を決めることが議会制民主主義に反していることは言うまでもありません。そもそも、一部の政党間協議で国会運営が決められるという国会ルールはどこにもありません。国会運営を決める正式な機関は議院運営委員会です。「二大政党」の談合で国会運営を決めるのは、憲法や国会法を無視した暴挙です。国会運営を私物化する自民、立憲民主の罪はきわめて重大です。

 同時に、この2党の談合に唯々諾々と従う他の政党の責任もきわめて重いといわねばなりません。

 かつて(70年代~80年代)、「共産党を除く」政党間協議で国会運営が決められていたころ、日本共産党は国会の機関でない政党間協議の結果を国会に押し付けるものだと厳しく批判してきました。正当な批判です。そうした声が共産党からまったく出なくなったのは、いったいどういうわけでしょうか。

 緊急事態宣言下で進行する民主主義の後退・危機に対し、厳しい監視の目を怠ることはできません。


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「桜」の陰で進行する政治の翼賛化

2019年12月10日 | 日本の政治と政党

    

 「桜を見る会」をめぐる疑惑追及のため会期延長を要求した野党を振り切って、安倍・自民党は9日、疑惑にフタをしたまま国会を閉じました。政界は「与野党激突」の様相のように見えます。はたしてそうでしょうか。

  たしかに「桜を見る会」問題では野党は安倍政権と対峙しています。疑惑は徹底的に追及される必要があります。しかし、あえて言いますが、「桜を見る会」問題は政治の中心課題ではありません。たとえそれが安倍政権の命取りになるとしてもです。

  戦後、自民党政権は数々の事件・疑獄にまみれてきました。造船疑獄、ロッキード疑獄、リクルート事件…それらの重大性は「モリ・カケ」「桜」の比ではありません。文字通り政権の命取りになった事件・疑獄もありました。
 しかし、政権が代わって日本の政治が良くなったかといえば、答えはノーです。首相は代わっても、自民党政治は変わりません。首をすげ替えるだけです。たとえ安倍政権が倒れても、それだけで日本の政治は変わりません。

 野党が「桜」の追及に一点集中し、メディアがその報道に終始している間に、政府提出の法案はスイスイ通過・成立しました。そして、ほんとうに国会で議論されなければならな重要問題はなんら本質的議論のないまま、国会は終了しました。
 今国会で議論すべきだった重要課題は、少なくとも3つありました。

  第1に、沖縄の自衛隊増強、「本土」のイージス・アショア配備に代表される自衛隊(日本軍)の増強。さらに中東派遣。安保法制下における米軍と自衛隊の一体化の強化。すなわち日米安保のいっそうの危険性(8日行われた自衛隊と米軍の共同訓練の名称が「ヤマザクラ」とはなんとも皮肉です)。

  第2に、「徴用工(強制動員)」問題の真の解決。被害者への謝罪と賠償。根本問題である日本の植民地支配責任の明確化。朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)敵視の克服と正確な情勢分析。在日朝鮮人・学校に対する差別一掃。朝鮮半島(「北朝鮮」ではなく)の非核化・平和実現へ向けた日本の責任。

  そして第3に、「天皇代替わり」儀式の違憲性。「象徴天皇制」と憲法の基本原理との矛盾。廃止を含めた天皇制の今後の方向性。

  しかし、以上の3つの問題については、まったくといっていいほど議論されませんでした(報道から)。なぜでしょうか。この3つの重要問題について与野党間に基本的な理念・政策の違いがないからです。日本共産党の座標軸も大きく「右」に動いています。政治の根本課題において政党は大政翼賛化し、その度合いはますます強まっていると言わねばなりません。
  野党が「桜」に一点集中しているのも、他の課題では政府・自民党を追及し対案を提示することができないことの反映でもあります。

 ここに日本の政治・社会の根本的病巣があります。上記3つの課題について、政府・自民党と真に対決する理念・政策を提示しなければなりません。野党にその力・意思がない中、市民(学者・識者、ジャーナリスト、市民運動、市井の個人)の役割がますます重要です。

 政治を変えるのは理念・政策の論議と転換です。低劣な不祥事の追及や野党の合従連衡で政治は変わりません。


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代表選にみる民進党の無責任とメディアの愚

2016年09月12日 | 日本の政治と政党

    

 民進党の代表選告示(2日)前後から、メディアはこの報道に連日大きなスペースをさいています。これはきわめて異常な状況だと言わねばなりません。
 あるテレビニュースは終盤の情勢を、「政策の違いがあまりないので盛り上がっていない」と報じましたが、盛り上がらないのは当然です。

 なぜなら、代表選はあくまでも民進党の党内人事にすぎないからです。

 同じ政党に属している以上、個人的な見解の違いはあるとしても、対外的に主張する政策に基本的な違いがないのは当たり前です。もし違いがあれば、それは党内不一致であり、政党としての体をなしません。

 仮に党の政策を変更したいなら、まず党内で論議したうえで党としての政策転換を対外的に明確にすべきです。それが党内民主主義です。それをしないうちに勝手に「政策の違い」を打ち出す方がどうかしています。

 民進党の代表選に選挙権があるのは、所属議員、党員・サポーターだけです。しょせんは党内人事であり、党外の者には関係ありません。それをまるで政治の大問題のように大きく報道するのは、世間の注目を集めたいという民進党のメディア戦略に手を貸すことにほかなりません(もちろんそれは、「自民党総裁選」についても同様です)。

 前原誠司氏は「旧民主党政権に多くの人が失望した。土下座する先頭には、戦犯である私こそがふさわしい」(2日の記者会見=3日付共同)と言いました。自ら「戦犯」と自認しながら、責任をとるどころか逆にそれを口実にトップの座に着こうなどとは、いかにも「日本的」な妄言と言わねばなりません。そこには民主党政権の反省はかけらも見えません。それは前原氏だけでなく、同じ「戦犯」の蓮舫も、玉木雄一郎氏も同じです。

 前原氏は立候補表明の記者会見(8月26日)で、民主党政権について「『小沢』対『反小沢』という深刻な亀裂をもたらしたのは大きな反省点だ」と述べました(2日付中国新聞=共同)。ところが今回の党首選にあたっても、「ちらつくのは旧民主党代表を務めた小沢一郎・現生活の党共同代表の影だ」(同共同)と言われています。「民進党内の小沢系の支持を受ける狙い」が前原氏にはあり、玉木氏の立候補も「最終盤で小沢氏に近い議員が推薦人集めを後押しした」というのです。
 これでは民主党政権の反省どころか、その二の舞いではありませんか。

 民進党が今やるべきことは、党首選で各自が勝手なことを言い合ってマスコミの注目を集めようとすることではなく、「旧民主党政権に多くの人が失望した」のはなぜなのかを、党として責任をもって分析・反省し、国民の前に示すことです。
 それを民進党に要求するのがメディアの責任ではないでしょうか。
 その際、党の体質とともに、いやそれ以上に、民主党政権のどのような政策が多くの人の「失望」を招いたのか、沖縄・安保政策をはじめ全般的にメスを入れることが必要です。

 だれが党首になるかという党内人事の報道に明け暮れるのでなく、自民党政権とたたかうために野党に求められている政策は何かを市民の視点で追求することです。
 メディアが「政局報道」から「政策報道」に転換しない限り、この国の政治はいつまでたっても変わらないでしょう。
 


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都知事選・野党はなぜ「宇都宮氏擁立」で協議しないのか

2016年07月02日 | 日本の政治と政党

    

 東京都知事選(14日告示、31日投開票)の候補者をめぐって、与野党ともに混迷を深めています。
 舛添要一、猪瀬直樹と2代にわたってカネで失脚した知事を推薦・支持した自民党は、その責任をとって今回は候補者を見送ってしかるべきですが、性懲りもなく小池百合子元防衛相や増田寛也元総務相を軸に人選を急いでいます。

 一方、民進、共産、社民、生活の4党は、参院選1人区同様、都知事選でも「統一候補」を立てることで一致しました。ところが、その人選をめぐって伝わってくるのは、自党の国会議員から候補者を決めようとする民進党の動きばかりです。

 これはきわめて奇異で不可解な現象だと言わねばなりません。

 なぜなら、前回(2年前)の都知事選に立候補し、98万2594票を獲得して舛添氏に次ぐ第2位だった宇都宮健児氏(写真中)が、いち早く出馬の意向を示しているからです。
 野党4党はなぜ宇都宮氏を擁立しないのでしょうか。なぜ宇都宮氏の擁立へ向けて4党間で政策協議を行わないのでしょうか。

 元日弁連会長の宇都宮氏は、多重債務問題はじめ一貫して庶民の立場に立ってきた弁護士です。カネで失脚した舛添氏の後任としてはまさにうってつけ。反原発の姿勢も明快です。

 宇都宮氏が前回の知事選で掲げた「5つの基本政策」は次の通りでした。
 ①世界一、働きやすく、くらしやすい希望のまち東京をつくる②地域経済を活性化し、環境重視・防災減災重視のまち東京をつくる③原発事故被害者の支援に取り組み、原発再稼働・原発輸出を認めず、「脱原発都市東京」を実現する④教育現場への押し付けをなくし、すべての子どもたちが生き生きと学べる学校をつくる⑤安倍政権の暴走ストップし、憲法を生かし、アジアに平和を発信する東京をつくる。

 素晴らしい政策です。これにその後強行された戦争法(安保法制)の廃止を加えれば、今すぐ使える政策ではないでしょうか。しかも、この内容なら、民進党も含め、4野党はすべて賛同できるはずです。

 宇都宮氏はその人柄に加え、前回選挙の政策、得票実績などどれをとっても直ちに予定候補者として活動できる人物です。そして何より本人にその意思があります。
 そんな絶好の人物を、なぜ4野党は無視するのでしょうか。

 考えられることは1つです。前回の選挙では政党としては日本共産党だけが支持したことから、「共産党色」の強い人物として民進党などが難色をしめしていることです。

 そうだとすれば、あまりにも皮相で有権者に背を向けた考えだと言わねばなりません。政党としては共産党(それに沖縄社大党)だけでも、宇都宮氏には広範な市民・識者・文化人の支持・推薦が寄せられました。とくに「反原発」でたたかっている人びとの期待・支持は絶大でした。それを「政党色」で色分けして排除するのは、政党のエゴ以外のなにものでもありません。

 そもそも、選挙は政策です。前回の政策に基本的に異論がないなら、それをたたき台に、4野党と市民が一緒になって協議し、さらに素晴らしい新たな政策を練り直せばいいではありませんか。

 にもかかわらず、宇都宮氏を無視して4野党がやっていることは何でしょうか。民進党は自党の国会議員を候補者にすべく奔走し、他の3野党はそんな民進党の動きを座視しているだけです。民進党が決めた人物(民進党議員)に、共産、社民、生活の3党は同意するということでしょうか。

 これでは結局、民進党の候補者に共産、社民、生活の3党が相乗りすることにほかなりません。これが「野党共闘」といえるでしょうか。

 かつて東京都知事選では、松本清張氏や中野好夫氏ら文化・知識人を中心に、社会党、共産党も加わった「明るい革新都政をつくる会」がつくられ、そこで政策を協議し、無党派の美濃部亮吉氏を擁立して画期的な革新都政を実現しました(1967年4月15日)。

 「共闘」とは、まず政策の一致ありきです。そのうえで、候補者は特定の政党に属さない無党派の人物であるべきです。共産党もかつてはその原則を維持していたではありませんか。
 いま民進党を中心に行われている都知事選の「野党共闘」なるものは、真の「共闘」とは似て非なるものと言わねばなりません。

 民進、共産、社民、生活の4党は、出馬の意向を表明している無党派の宇都宮氏を軸にただちに政策協議を行い、広範な市民とともに、ほんとうの「共闘」の姿を示すべきです。


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北海道補選ー民進党の驚くべき「選挙総括」

2016年04月26日 | 日本の政治と政党

   

 24日投開票された衆院北海道5区補選。池田真紀氏(民進、共産、社民、生活推薦)が自民党の和田義明氏に12,325票差で敗れた結果に対し、25日、民進党の枝野幹事長は「戦術レベルでブラッシュアップできるところはないか検証したい」、蓮舫代表代行は「知名度を浸透させる手段としては無党派はやはり限界がある」、安住国対委員長は「無所属で共闘したときの限界がはっきりした」とそれぞれ述べました。

 つまりは、今後「野党共闘」によって候補者を1本化した場合、候補者は「無党派」にするべきではない、「政党公認」を明確にするべきだ、というのです。

 これはきわめて奇異な、そして重大な「選挙総括」だと言わねばなりません。

 第1に、今回池田氏が善戦したのは、「シールズ」などの若者をはじめ、無党派市民が大きな力になったことは、民進党幹部も含めだれも否定できない事実です。「政党が前面に出ない」選挙戦術にこだわったのは民進党自身ではありませんか。にもかかわらず、「無党派・無所属では限界がある」とはいったいどういうことでしょうか。

 第2に、蓮舫氏らは具体的な政党名は挙げていませんが、「民進党公認」を念頭においていることは明白です。民進党が「共産党公認候補」を推薦・支持することは考えられません。
 ということは、「共闘」する他の野党に対し、「民進党公認候補」を推薦・支持せよ、ということにほかなりません。そして、無党派の若者たち・市民にも「民進党候補」を応援させようという考えです。これが「野党第1党」の横暴でなくてなんでしょうか。
 民進党の横暴は今回の選挙でも見られました。投票日の前日(23日)にはじめて札幌駅前で野党幹部が顔をそろえましたが、それは民進党衆院議員の垂れ幕が並ぶ選挙カーの上に他の野党幹部を乗せて行われたものでした(写真右=24日付しんぶん「赤旗」より)。次の「共闘選挙」ではこうした光景をはじめからつくろうというわけです。

 第3に、民進党のやり方は政党間の共闘原則に真っ向から反するということです。異なる理念・政策を持つ政党同士が「共闘」して候補者を1本化する場合、政策の一致点を協議し、合意内容を「政策協定」として確認することは、政党政治のイロハです。
 ところが、民進党はその「共通政策」「政策協定」の作成に一貫してそっぽを向いているのです。

 「今後の共闘には懸念も多い。…4党(民進、共産、社民、生活ー引用者)による共通政策策定も民進党が難色を示し『共闘で何をやろうとしているのかが全く見えない』(社民党幹部)と不満もくすぶる」(24日付中国新聞=共同配信)

 民進党自身が理念・政策の一致しない烏合の衆だということは、言い訳にはなりません。

 政策の一致・政策協定を棚上げし、ただ数合わせのために他の野党と組み、「公認候補」を無党派の市民たちに応援させ、党所属議員の数を増やそうする民進党の考えは、公党として決して許されることではありません。
 それは同時に、安倍政権打倒、戦争法廃止の世論と運動に冷水をかけるにほかならないことを、民進党幹部は肝に銘じるべきです。


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