アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「野嵩ゲートの攻防」はつばぜり合い

2013年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_3  「抗議活動を妨害したい一心で、米軍はゲート前をたいへん危険な状態にしてしまった」。29日、普天間飛行場野嵩ゲート前で、赤嶺和伸さんが説明してくれました(写真左)。 
 22日夜の新フェンス設置に伴い、バリケードの位置が約1㍍前に移動。それによってゲート入口の横断歩道の停止線がなくなってしまったのです。ゲートから出てくる米軍の車両は、新フェンスで視界を遮られたまま、停止線のない横断歩道に入ることになります。「ここはスクールゾーン。小・中・高生が通学するところ。たいへん危険だ。米軍は沖縄の子どもたちの安全などまったく考えていない」。赤嶺さんたちは怒りを新たに、市教育委員会にも米軍に働きかけるよう申し入れています。新フェンス設置強行以来、野嵩ゲートは1週間閉まったままでした(30日開門)。連日の抗議活動への刺激を避けたのか、市民に顔向けができなかったのか。「野嵩ゲートを1週間封鎖した」。赤嶺さんは皮肉まじりで米軍の動きに注目しています。
 この日もフェンスに抗議の赤いテープを張る女性たちの姿がありました(写真右)。しかしこのテープは1週間もちません。毎週土、日に剥ぎ取られるからです。取るのは米軍ではありません。「オスプレイ配備支持」グループです。平日に張っては、土日に剥がされる。その繰り返しです。
 入口から少し離れた所にある市民広場に新しい看板が立てられました。「禁止事項」に次の項目が付け足されました。「米軍への抗議行動としての駐車場使用、凧揚げ、風船での抗議行動」。看板を立てたのは宜野湾市役所です。もともと日米安保賛成の保守系・佐喜眞淳市長。オスプレイ・基地に対する態度は、米軍と住民世論との間で揺れ続けています。
 野嵩ゲートの攻防は、まさに一進一退の持久戦です。米軍も防衛省も、市民の反対世論・行動を注視しています。米軍が空軍仕様オスプレイの嘉手納基地配備を躊躇しているのは、海兵隊仕様オスプレイの配備に反対しているここ普天間の野嵩・大山ゲートでの抗議行動を見ているからです。
 市民の粘り強い不屈の”武器なきたたかい”が、世界最強の米軍とつばぜり合いを演じる。そんな現代史がいま、沖縄の普天間で、辺野古で、高江で、繰り広げられています。

 <今日の注目記事>(31日付琉球新報1面トップ)※沖縄タイムスも1面

 ☆<防衛省 オスプレイ「違反なし」 調査不十分認める 県指摘、一部検証できず>
 「防衛省は30日、米軍オスプレイをめぐり県が日米間で合意した運用ルールや安全確保策に違反すると指摘していた318件の飛行について、『合意違反の確証は得られていない』とする検証結果まとめ、県に提出した。米側の説明を基に県側の主張を退けた形だが、一方では県が指摘した違反のうち、普天間飛行場の周辺以外については写真がなく、事実上検証できないとも説明。『合意違反が絶対ないということも言い過ぎだ』として、調査の不十分さも事実上認めている」
 ※「写真がない」とはよくも言えるものです。県はちゃんと違反飛行の写真を撮っています。防衛省はまったく米軍のいいなりです。その一方で「絶対ないともいえない」とは、まさに、米軍と沖縄の間で世論の動向をうかがっているのです。


それでも勝利の歌声は野嵩に響く

2013年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 Photo_4Photo_5                                               参院選の翌日、沖縄防衛局が市民の目を避けるように、夜陰に紛れて新フェンス設置を強行した普天間飛行場野嵩ゲート。毎週月曜日は夕方6時から7時まで、「ゲート前でゴスペルを歌う会」がおこなわれます。あの日もいつも通り歌って帰った人々は、「翌日の新聞を見てびっくり」。怒りを新たに、「フェンスに負けずに平和の歌を歌っていこう」と、29日も約50人が集いました。
 いつもはゲート前の芝生の小さなスペースで歌いますが、新しいフェンスによって追い出され、この日初めて歩道の両端に列をつくって歌う形に。それが防衛省の狙いの一つだったのでしょう。主催者は歩道の中央を一般歩行者用に空け、さらに2人が灯光棒を持って誘導するなど、通行のじゃまにならないよう細心の注意が払われていました。
 キリスト教徒の人たちが中心ですが、仏教関係者も、私のような無宗教者ももちろん自由に参加できます。子どもも、障がい者も。この日初めて参加した人が8人いました。その中に根本雄三さん(62)・照子さん(64)夫婦の姿がありました(写真右)。24日埼玉県から1週間の予定で来沖。足が不自由な雄三さんは歩行もままなりませんが、照子さんと杖に支えられながら。ペアで仕立てたサマーウエア―が素敵です。初参加者として照子さんがあいさつしました。「沖縄に基地を押し付けて申し訳ありません。何もできないことを申し訳なく思っています。みなさんと少しでも一緒に何かできたらと思って夏休みを使ってやってきました。みんなで頑張りましょう」。照子さんは最後にもう一度言いました。「基地を押し付けてごめんなさい」
 最初の歌は「勝利をのぞみ(WE SHALL OVERCOME)」。
 ? 手をたずさえて たがいにすすまん 勝利のときまで ああ、希望にあふれて われらはすすまん
 最後の歌はよく知られた「沖縄を返せ」。終わりの「沖縄を返せ 沖縄を返せ」は歌詞が変わります。
 ? 普天間を返せ 沖縄に返せ
 野嵩ゲート前はウチナーンチュウとヤマトンチュウの連帯の場。たたかう人々がつながる場。卑劣な妨害などものともせず、歌声は響きます。勝利のときまで。

 <今日の注目記事>(30日沖縄タイムス1面から)

 ☆<オスプレイきょう岩国着 追加12機 1週間整備>
 「米軍普天間飛行場に追加配備されるオスプレイ12機を積んだ民間輸送船「グリーン・リッジ」が30日、岩国基地(山口県)に到着する。昨年7月に続く第2弾は、約1週間の機体整備や試験飛行を経て8月上旬に普天間に移動する見通し。配備後はCH46ヘリからの機種更新が終わり、24機体制の運用が本格化する。・・・県や市町村は昨年12月、318件の(日米合意)違反を指摘したが、確認作業をしている日本政府から、まだ回答は来ていない」


いま、教師に求められているものは?

2013年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_5Photo_7  「原発・放射能」の講演で来沖された市川章人さん(65、京都、写真左端)、そして市川さんを招いた沖縄民間教育研究所所長の長堂登志子さん(62、同右端。中央は加藤彰彦沖縄大学長)を見ていて、いま教師に求められているものは何だろうかと、改めて考えさせられました。
 二人には多くの共通点があります。市川さんは高校、長堂さんは小学校という違いはありますが、ともに30数年間教育現場にいたこと。そしてその間、一貫して視線は常に児童・生徒に向いていたことです。それは既成(管理)の枠を超えた独創的な教育実践と無関係ではありません。誰も注目しなかった「原発・放射能」問題をチェルノブイリ事故の以前から教えてきた市川さん。その先見性は多くの同僚教師に影響を広め、「3・11」以降まさに真価を発揮しています。勉強にあまり熱心でなかった生徒たちが卒業時、「市川先生の授業で事実を知ることの大切さがわかった」と感想をのべ、担任を驚かせました。
 長堂さんはこの半年間沖縄大学で非常勤講師として未来の教師たちに生活科を教えてきました。その中で、フォトジャーナリストの中村梧郎さんをゲスト講師に招くなど、基地・戦争、平和の問題も積極的に教えてきました。それに対し、「生活科でなぜ?」という疑問(批判)の声もごく一部で聞こえましたが、長堂さんは信念を貫きました。半年後の学生たちの感想は、「こんな授業を受けることができてよかった」で満ちていました。
 目線を「上」ではなく「下」に持ち続ければ、だれがなんと言おうと、当の生徒たちは分かってくれる。応えてくれる。二人の実践はそれをはっきり示しています。
 もう1つの大きな共通点は、二人とも永年教職員組合活動の中心にいたことです。教師と組合活動の両輪(もちろんそれに私生活)。それは心身にたいへんな負担となり体調を壊す。でも病院へ行く時間もない。たまに行くと医者から「しばらく休みなさい」と言われ、「休めないんです」と答えて医者をあきれさせる。それも二人の共通点でした。そんな苦労をしながら続けてきた組合活動が、やがて同僚教師を、さらには校長までも変えていく。それは”本業”の教師としてのしっかりした実践とそれによる信頼があるから。それが二人の共通点です。
 教師と組合活動の両輪は、2つの重荷であるように見えて、実はお互いを助け合う、まさに車の両輪なのではないでしょうか。生徒に目を向けた教育を行おうと思えば組合で頑張らざるをえない。また組合でたたかうことが生徒を見る目を鍛える。二人を見ていてそう思います。そして、それは教師だけではないのではないでしょうか。どんな職業でも、その社会的使命を果たそうとすれば、自分の生活防衛も含め、組合活動でたたかうことは不可欠なのではないでしょうか。それがまた”本業”への意欲をかりたてる。その車の両輪が機能しなくなっているのが今の日本ではないでしょうか。組合組織率の急激な低下、労働組合ナショナルセンターの右傾化が、今の日本の危機的状況を生み出した根源ではないか。市川さんと長堂さんを見ていて、そんなことも考えました。
 市川さんが「教師としての自分を支えてくれた」という言葉があります。「教えるとは希望を語ること。学ぶとは誠実を胸に刻むこと」(ルイ・アラゴン)
 (写真右は沖縄戦当時の識名壕を調べる市川さんと長堂さん)

 <今日の注目記事>(29日付琉球新報1面トップ)※沖縄タイムスは社会面トップ

 ☆<追加配備許さず オスプレイあす岩国へ 山口で1200人抗議集会>
 「米軍普天間飛行場に追加配備される垂直離着陸輸送機MVオスプレイ12機の搬入が30日予定されている山口県岩国市で28日、オスプレイの追加配備に抗議する市民集会が開かれた。市民ら1200人が集まり、『世界一危険なオスプレイを新たに追加配備するという暴挙を絶対に許すわけにはいかない』とのアピール文を採択し、追加配備への反対を強く訴えた。岩国への搬入後、8月上旬にも普天間に移動する計画だ。・・・岩国市内の五つの市民団体でつくる実行委員会の桑原清委員長は『政府の安全宣言はすでに破綻している。岩国にも沖縄にもオスプレイはいらない』と強調した」
 ※オスプレイも基地も、沖縄にも岩国にも、日本中、世界中、どこにもいらないのです。


「子どもとともに原発・放射能の真実を」市川氏講演

2013年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 Photo_5                                       Photo_4         「3・11」から2年4カ月。今こそ「原発・放射能の正確な理解のために-子どもたちのためにできることは何か」を考えようという講演会が26日(沖縄市)と27日(那覇市)にありました(主催・沖縄民間教育研究所)。講師は元京都府立高校教諭(現非常勤講師・京大原子物理専攻)の市川章人さん(65=写真左)。市川さんは以前から一貫して原発・放射能の危険を生徒に教えてきました。「3・11」以降はその「わかりやすい話」が評判になり、各地から講演依頼が相次ぎ、今回が212回目。のべ9000人以上の市民に語りかけてきました。
 市川さんの特徴は、難しい問題を子どもにもわかるように解説すること。図やグラフ、写真を駆使するのはもちろん、「文科省の新副読本は放射線安全神話を振りまく”服毒本”」など印象に残る言葉づかいにも工夫しています。
 市川さんが特に強調するのは、「今後何十年と放射能汚染と立ち向かっていかなければならない子どもたちに必要なのは、科学的な認識であり、様々な情報を批判的に吟味する方法を学ぶこと。多様な意見の存在を認めたうえで、判断できること」。通常の授業は必ずしも熱心でなかった生徒たちも市川さんの「原発・放射能」授業のあとに、「僕たちはいままでだまされていたのか」「もっと知りたい」と目を輝かせました。数多くの実践にもとづき、「真実こそ力。子どもたちは希望」と確信をもって言い切ります。永年教職員組合の活動にも取り組んできた市川さん。子どもたちへの愛と情熱にあふれる講演です。
 参加者もこれに応えました。「原発問題は大人と子どもをつなぐ最高のテーマだと思う」(元石油精製会社勤務の男性)、「僕たちも積極的に参加していきたい」(琉大学生)、「小規模でいいからこういう学習会をいろんな所へ拡大してほしい」(南城市の女性)、「先生の熱い話に涙が出てきました。大人としての決意を新たにしました」(原発避難の母親)など、多くの感想・意見が交わされました。
 原発再稼働を許さないとともに、放射能汚染とのたたかいも、「風化」どころかこの先何年、何十年も続く。それを支える力は「真実」。その輪を広げるのは、熱い思いでつながった大人と子どものスクラム。久しぶりに元気が出た講演会でした。

 <今日の注目記事>(28日付沖縄タイムス第2社会面)

 ☆<意見書「利害対象広げて」 普天間移設 市民団体訴え 週明け県要請を検討>
 「米軍普天間飛行場移設の埋め立て申請に対する意見書のうち、県が『利害関係人』と認めたのが全体の1割に満たないという見通しが明らかになり、意見書提出を呼び掛けてきた環境・市民団体から『門戸を狭めず幅広く意見を審査すべきだ』との声が相次いだ。週明けにも県に要請する動きも出ている。・・・沖縄環境ネットワークの真喜志好一世話人は、意見書で『このままの自然を子孫に渡すことが現代に生きる私の責務』と利害関係を記す。『県は事前に対象を狭めないと言っていた。利害関係を表明している人は該当者とし、できる限り間口は広げるべきだ』と求める」


「あえて、批評」の勇気と見識

2013年07月27日 | インポート

PhotoPhoto_2 「へいわってなにかな/ぼくはかんがえたよ/おともだちとなかよくし/かぞくがげんき/えがおであそぶ・・・せんそうは、おそろしい/「ドドーン、ドカーン」/ばくだんがおちてくるこわいおと・・・ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ・・・へいわなかぞく/へいわながっこう/へいわなよなぐにじま/へいわなおきなわ/へいわなせかい/へいわってすてきだね/これからもずっとへいわがつづくように/ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」
 今年の「沖縄慰霊の日」(6・23)の県主催式典で、与那国島の小学校1年生が読み上げた詩「へいわってすてきだね」の一部です。感動的な詩として大きな反響を呼びました。
 ところがこれに対し、ちょうど1カ月後の今月23日付沖縄タイムスの文化欄コラム(唐獅子)で、「あえて、批評を!」と題し、次のような文章が掲載されました。「私はあの式典での朗読に、指導者の”影”を強く感じた。その指導者とは単に教師のみを指すのではなく、式典の企画者・主催者、もっといえば大人全体も意味している」。寄稿者は浦崎浩實さんという映画批評・劇評家。浦崎さんは続けます。「児童が平和について考えることは大切だろう。しかし長じてもどう向き合うか、かなり難しいテーマであり、ましてやそれを詩で表現するのは難易度が高い。そのことを大人たちはどこまで自覚しているか」「私は(この詩を)無批判にたたえる大人たちの方が不気味だ。平和とは守り抜く強い決意が必要なほど獲得困難なものだと私は考える。だから当該児童を表現者とみなして、あえて言う。『へいわってすてきだね』とのことばを紡いだのなら、これからもその言葉の真の意味を問い続けてほしい。表現とはそういうものだ」
 この批評をどう思いますか?確かに1年生にしては”出来すぎ”で、指導が入ったかもしれないが、それでもいいではないか、素晴らし詩なのだから、その意をくめば、と思う人もいるでしょう。1年生にそこまで「表現者」としての責任を求めるのは酷だとの意見もあるかもしれません。
 私は浦崎さんがどういう方かまったく知りません。でも、この批評には同感です。素晴らしい批評だと思います。「表現の過程で指導を受け、書き換えていくと、自分の思いと出来上がった作品とに乖離が生まれる。『表現者』であれば必ずそこで傷を受ける。幼くとも必ずそういう表現者はいる。優先されるべきは児童生徒の自立性のはずだ」。これが浦崎さんの基本的立場だからです。そして「あえて」批評した背景には、「沖縄では批評が育ちにくい」という指摘に対する問題提起があるからです。
 沖縄のみならず、表現者は自立した個人として尊重されなければならない。それが子どもであっても。そして「美しい」言葉の裏にある真実を見抜かなければならない。そう教えてくれた浦崎さんの勇気ある批評に拍手を送ります。

 <今日の注目記事>(27日付沖縄タイムス1面トップ、関連2面)

 ☆<辺野古埋め立て 県に3500通 意見9割は対象外 「利害関係」該当せず>
「米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立て申請をめぐり、県内外から寄せられた『利害関係人』による意見約3500通のうち、県が利害があると認める意見は1割に満たない見通しであることが26日までに分かった。埋め立てに伴い、経済活動や日常生活に実態的な利益・不利益が生じることを『利害』と捉え、名護市外から寄せられた意見の大半は利害関係人に該当しないとみている。ただ埋め立て区域周辺で日常的に活動する自然保護団体など判断の難しいケースもあり、来週以降、慎重に審査を進める」
 この記事が正確だとすれば、まったく言語道断の話です。環境保護や基地反対の意見がなぜ「利害関係なし」なのか。またく理解できません。名護市住民以外は対象外というならなぜ県内各地で申請書の縦覧を行ったのか。仲井真県政の姿勢が問われています。


小さな島の大きなたたかい・与那国町長選

2013年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 日本の最西端、面積約29?、人口約1500人の与那国島。この遠くて小さな島で、いま日本の平和を左右すると言っても過言ではない大きなたたかいが行われています。自衛隊誘致をめぐる攻防です。
 誘致派と反対派が激突する一騎打ちの町長選挙が、8月6日告示、11日投票で行われます。誘致派は防衛省から「迷惑料」10億円をかすめ取ろうとして失敗したにもかかわらず厚顔無恥に出馬する現町長。反対派を代表して立候補するのは地元農家に生まれ町役場職員も務めた崎原正吉さん(65=写真)。その崎原さんを励まし勝利を勝ち取ろうという集いが25日夜、那覇市内で、「与那国の人々を支える会」の呼びかけで行われました。
 与那国の自衛隊誘致には国の軍拡政策の醜悪さが典型的に表れています。発端は2007年6月24日。アメリカの掃海艇が突然入港し上陸しようとしました。これに対し島のおじい、おばあら100人以上が座り込みで抗議。しばらく上陸を阻止し、米軍を驚かせました。その年、突然、与那国防衛協会がつくられ自衛隊誘致運動が始まったのです。彼らは秘密裏に「誘致賛成署名」なるものを集め、町議会で「誘致決議文」(防衛協会の趣意書そのまま)を上げ、町長、町議会議長、防衛協会長3者連名で、町の公印を勝手に押した請願書を持って防衛省に誘致要請を行いました。こうしたやり方はかつて宮古島で行われた手法と瓜二つ。裏で仕掛け人が指南していたと言われます。今回現職町長は防衛省と土地賃貸の仮契約を交わしましたが、それも地権者(南牧場)の意向を無視して強行という横暴ぶりです。
 これに対し、誘致反対派は07年以来、住民に事実を知らせる活動を中心に粘り強く運動を続けています。最新のビラ(写真)では、「自衛隊誘致で産業、自然、与那国島伝統がこわされる 島の平和なくらしを守ろう 憲法が生きる与那国島へ」「変えよう住民無視の今の町政 つくろう新しい町政 子・孫にほこれる与那国島に」と訴えています。
 与那国島への自衛隊配備は「島しょ防衛」を掲げる安倍内閣の当面の懸案。それは石垣島への海兵隊機能を持つ1000人規模の自衛隊増派、さらに那覇空港の自衛隊機1・5倍化へと連動します。事態は与那国だけの問題ではありません。
 反対派のみなさんの合言葉があります。この日も壁に張り出されていました。「ばんた どうなんちま かていらりぬん(私たちの与那国島を捨てるわけにはいかない)」

 <今日の注目記事>(26日付沖縄タイムス社会面見開き)

 ☆<猛毒「埋めるとは」 沖縄市・ダイオキシン検出 憤るサッカー関係者
    地元住民、米軍に不信感>(社会面トップ)
 「米軍嘉手納基地跡の沖縄市サッカー場から、ダイオキシン類の中で最も毒性が強く、枯れ葉剤被害の主因となった物質が検出された。サッカー場は少年たちにも利用されており、25日夜集まった地域のサッカー監督らは不安を募らせた。周辺住民も『猛毒を埋めるなんて』と憤った」
 ☆<「国は徹底調査を」 責任果たさぬ米軍 地位協定 地元にしわ寄せ>(第2社会面)
「沖縄市サッカー場地中にあったドラム缶から猛毒のダイオキシン類が検出された問題は、かつて米軍嘉手納基地として土地を使っていた米軍が当事者責任を果たさないまま、返還後に発覚した有害物質への対応に日本政府と地元自治体が追われるという構図をあらためて浮き上がらせた」


杖を手に沖縄戦語り継ぐ元学徒隊員

2013年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 稲福マサさん(86=写真右中央)は当時、昭和高等女学校の18歳。「お国のために戦う」ことを疑わず、「ナイチンゲールにあこがれた」「軍国少女」でした。反対する親にウソをついてまで学徒隊(「でいご隊」=校章がデイゴの葉)に加わりました。
 そんなマサさんと一緒に、沖縄戦ででいご隊がたどった跡を一緒に巡りマサさんの話を聴く平和ガイド学習(教職員ピースガイド実行委主催)が20日ありました。主に教職員が対象でしたが、参加させていただきました。
 識名壕(本島・識名園近くの洞窟=写真左)での数カ月。外は爆撃、中は負傷兵の血と汚物とうめき声。マサさんは九死に一生をえますが、身代わりのように2人の学友が爆撃で亡くなりました。マサさんは「いつか家族に遺骨を」との思いで必死で2人の遺体を近くの松の木の下に埋めました。それでもマツさんは特攻隊機が米軍艦隊に突撃するのを見るたびに喝采をおくり「勝利を疑わなかった」といいます。根っからの「軍国少女」だったマサさんが、「だまされた」と気づいたのは終戦になって。「特攻隊の突入は人が死ぬこと。それを喜んだなんて・・・」と当時の異常な心理状態を悔やみます。何度も寸前のところで命拾いしたマサさんは、生きて親の元に帰り「親を悲しませずにすんだ」ことにほっとします。心の中にはいつも、学徒隊志願に反対した両親がいたのです。「軍国主義教育」の悲惨さ、残酷さがあらためて胸に迫ります。
 マサさんは杖をつき、痛む足を引きずりながら、「元気なうちは(ガイドを)続ける」と言います。マサさんのように現地を一緒に巡る体験者は極めて少数になっています。ひめゆり学徒隊も現地ガイドをとりやめざるを得ませんでした。一緒に回ったベテランガイドもマサさんの話に新たな発見があったように、体験者から引き継がなければならないことはまだまだたくさんあります。壕の保存も重要です。識名壕に移る前にマサさんたちがいたナゲーラ壕の前はいま建設現場となっており、まもなく壕が見えなくなろうとしています。壕は放置されたままです。
 体験者を引き継ぎ、語り継ぐ自主的な平和ガイド活動の大切さ、それを支援し、壕などの戦跡を保存する公的責任・活動の必要性を痛感しました。

 <今日の注目記事>(25日付沖縄タイムス1面トップ、社会面トップ)
               ※琉球新報も1、2、社会面で

 ☆<ダイオキシンは最強毒 沖縄市のドラム缶から検出 研究者「枯れ葉剤だ」
    防衛局 否定も肯定もせず>
 「米軍嘉手納基地跡の沖縄市サッカー場からドラム缶が見つかった問題で、沖縄防衛局は24日、ドラム缶の付着物と付近の水たまりからダイオキシン類のうち最も毒性が強い物質が検出されたと発表した。米軍が枯れ葉剤としてベトナム戦争で使った除草剤に高濃度で含まれ、奇形などの深刻な被害をもたらいた物質。研究者は『枯れ葉剤があった証明だ』と断定するが、防衛局は『否定も肯定もできない』と説明している。・・・物質は『2・3・7・8-TCDD』と呼ばれるダイオキシン類で、『最強の毒物』といわれる。・・・ダイオキシン類の分析と処理が専門で、ベトナムで被害調査をした愛媛大学の本田克久教授は『ベトナムと沖縄市でデータは共通点が多い。「2・3・7・8」の高濃度汚染は枯れ葉剤被害の典型。通常の除草剤ではこれほどの濃度にならない』と指摘した」


「野嵩フェンス強行」より「ロイヤルベビー」か!

2013年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

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Photo_3 参院選が終わるのを待ち構えて、22日夜沖縄防衛局が強行した普天間飛行場野嵩ゲートのフェンス増設強行。防衛局は「米軍の交通の安全確保のため」と言っていますが、大ウソです。私は先日その場所に行きました。そこはゲート入口からかなり離れている所で、入口に通じる道路との間にはすでにフェンスがあります。今回フェンス増設で入れなくした空間は、オスプレイ配備に反対する住民たちが水分を摂ったり、約1㍍四方の手作り机を置き、県外から初めて来た人たちなどとの交流の場になっていた場所です。そこから住民たちを追い出したのです。住民運動の妨害、来月予定されているオスプレイ追加配備への抗議行動の事前弾圧が狙いであることは明白です。
 それを参院選が終わるやいなや、夜中に抜き打ち的に強行したことは、安倍改憲内閣のこれからの強圧政治を象徴的に示すものです。けっして沖縄だけの問題ではありません。住民たちは22日夜も、23日朝も、警察に排除・妨害されながらも、怒りの抗議行動を続けました(写真左=琉球朝日放送から)。
 安倍内閣の暴挙それ自体がもちろん大問題です。ですが、さらに問題なのは、ことの重大性がどれだけ本土の人たちに伝わっているかです。
 NHKは23日正午と夜7時の全国ニュースでは「野嵩フェンス強行設置」にはまったく触れませんでした。正午のトップニュースは何だったか。イギリス皇室の男子誕生です(写真右)。夜のニュースでも「ロイヤルベビー」を大きく取り上げました。さすがに沖縄ローカルニュースではNHKも野嵩の事態を伝えましたが、沖縄以外の全国放送を見ている人にはまったく伝わっていません。
 「ロイヤルベビー」の過剰報道は、「開かれた皇室」(NHKのコメント)に誘導するものです。無意識のうちに日本の天皇制を刷り込む役割を果たします。本土の人びとは、野嵩ゲートの事態の代わりに、「開かれた皇室」を注入されているのです。
 これが「沖縄と本土の温度差」といわれるものの正体です。それは「温度差」などではありません。日本人にとって、人間にとって大切な情報が奪われ、知らなければならない事実が隠されているということです。奪われているのは本土の国民です。本土のみなさん、せめて時々、ネットや図書館で沖縄の新聞を読んでください。それは自分自身のためです。

 <今日の注目記事>(24日付沖縄タイムス1面トップ、社会面トップ)

 ☆<ドラム缶からダイオキシン 沖縄市サッカー場 
                     環境基準超す 「枯れ葉剤」断定できず>
 「米軍嘉手納基地跡地の沖縄市サッカー場の地中から枯れ葉剤などを製造していた米化学品メーカーの社名が記されたドラム缶が見つかった問題で、ドラム缶の付着物や周辺土壌を採取した沖縄防衛局の調査で環境基準を超えるダイオキシンが検出されたことが23日、分かった。枯れ葉剤を構成する複数の成分で検出されていない成分もあり、政府関係者は『ダイオキシン検出をもって現時点で枯れ葉剤と断定できない』としている」
 やっぱりか。枯れ葉剤かどうかの確定はこれからですが、基準を超えるダイオキシンが検出されたこと自体大問題です。ダイオキシンは発がん性をもつ猛毒です。基地の跡地はこれほど汚染されているのです。日本政府はここに限らず、すべての基地跡地土壌の徹底検査を行うとともに、米軍に化学薬品使用・廃棄のデータを提出させなければなりません。


いま響く、中村文子さんの「草の根」の教え

2013年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 参院選から一夜明け、テレビで安倍首相や石破自民党幹事長の顔を見るたびに、暗い気持ちになっていた22日、偶然ある番組に出会いました。「草の根は叫び続ける~中村文子 1フィートの反戦~」(琉球放送)。先日亡くなった「1フィートの会」事務局長で沖縄平和運動の中心人物の1人だった中村文子さん(享年99)の活動を追ったドキュメントで、10年前に放送されたものの再放送です。
 中村さんの活動の原点は、「軍国教師」として教え子を戦場に送ったことへの後悔と贖罪です。市民の募金でアメリカからフィルムを少しずつ買い集めて編集する「1フィート運動」は、初上映の1984年5月以来、沖縄戦の継承に大きな役割を果たしてきました。苦しい資金事情の中でその活動を支えてきたのが中村さんです。
 中村さんには「大きな影響を受けた2人の人」がいました。1人は国連軍縮総会で知り合ったイギリスのノーベル賞受賞者、ノエル・ベーカー氏。その言葉、「人間が造ったもので壊せないものはない。核もミサイルも。壊すための強力なハンマーは世論である」。もう1人は恩師でもある初代沖縄県知事の屋良朝苗氏。「沖縄の硬い壁を削るためには、刃先が太い刃物でなければならない」。「鈍角のたたかい」の教えです。これが中村さんの「草の根のたたかい」を支えてきました。
 中村さんは1978年に有事立法が自民党政府によって初めて国会に上程された時に、自宅の床の間に憲法9条の掛け軸を掛け、平和への誓いを新たにしました(写真左)。そして番組が放送された2003年、有事法制が成立。中村さんはさらなるたたかいを決意します。この時の防衛庁長官が石破茂現自民党幹事長でした。
 中村さんの教え子のうち5人がひめゆり学徒隊となり、うち2人が帰らぬ人となりました。中村さんはひめゆり記念館で2人の写真をさすりながら、涙で話しかけます。「春子、清子、見ててや。子どもや孫は絶対あなたたちと同じ目には遭わせないからね。しっかり見ててよ」(写真右)
 番組は中村さんの次の言葉で終わります。「沖縄から基地を取り払うのを見届けて、あの世で教え子たちに”昔の沖縄に戻したよ”と報告したい。それはたやすいことではない。草の根から大きな声を上げなければ」
 中村さんは思い半ばで教え子たちのもとへ行きました。憲法9条がかつてなく危ないこの時に。参院選の翌日の再放送は、見えない力の引き合わせでしょうか。中村さんの声が聞こえてくるようです。「落ち込んでいるヒマはないよ。いまこそ草の根の、鈍角のたたかいを強めなければ」。

 <今日の注目記事>(23日付琉球新報1面トップ、社会面トップ)

 ☆<普天間基地・野嵩ゲート 防衛省が鉄柵設置 オスプレイ抗議防止か>(1面)
 「日米両政府は22日の日米合同委員会で、米軍普天間飛行場の第3ゲート(宜野湾市野嵩)にフェンス(境界柵)を設置することを承認した。垂直離着陸輸送機MVオスプレイ初配備をめぐり、昨年9月に配備に反対する住民らが座り込みなどで第3ゲートを封鎖し、飛行場から市内への出入りができなくなったのを受け、米軍が日本政府に対し柵の設置を要請していた。防衛省は22日午後8時ごろ、工事に着手。ゲート前で抗議行動をしてきた住民らが反発し、作業員ともみ合うなど現場は度々、騒然となった」
 ☆<選挙翌日「だまし討ち」 市民ら激しく抵抗>(社会面)
 「『工事を止めろ』『だまし討ちだ』。オスプレイ配備に反対する住民らの怒号が上がる一方、工事作業の音が響き渡った。着工は21日投開票の参院選の翌日だった。『これが負担の軽減か。増強拡大だ』などと工事に反対し、声を張り上げる市民数十人と警察数十人、工事関係者が激しくもみ合うなど、現場は23日午前0時半現在も緊迫した状況が続いている」
 朝刊で初めて知りました。まさに夜陰に紛れただまし討ち。安倍内閣が早くも牙をむいてきています。


暗黒政治に一条の光・・・沖縄・糸数さんの勝利

2013年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 予想していたこととはいえ、参院選の結果には暗たんたる思いです。圧勝した安倍・自民党の改憲・強権政治はますます加速し、日本は暗黒社会への道を突き進むでしょう。
 そんな中、自民党候補との一騎打ちを制した沖縄選挙区・糸数慶子さんの勝利は、まさに暗黒政治の中の一筋の光です。その意義は歴史的です。糸数さんの当選は、日本の根幹にかかわる安倍内閣の2つの野望にストップをかけたのです。
 一つは米軍普天間飛行場の辺野古移設です。県民は自民党候補の「県外移設」のごまかしを見破り、中央と沖縄の自民党の「ねじれ」に審判を下しました。自民党候補の選対本部長だった仲井真知事はこの結果を厳粛に受け止め、辺野古沖埋め立てを承認すべきではありません。県民の意思は三たび、四たび明確に示されたのです。アメリカの言いなりになって基地負担を続け、米戦略に加担する安倍・自民党の安保政策に、沖縄は「ノー」と言い続けているのです。
 もう一つは憲法改悪です。自民党候補は辺野古移設を隠そうとしたのと対照的に、「国防軍」設置を含め憲法改定をはっきり掲げました。糸数さんとの政策の違いは鮮明でした。沖縄では憲法問題が最大の争点だったのです。そして県民は糸数さんに軍配を上げた。沖縄戦で県民の4人に1人が殺され今なお傷が癒えない沖縄は、憲法改定、とりわけ9条の改悪をはっきり拒否したのです。
 沖縄は1972年にアメリカの支配から日本国憲法に「復帰」できると期待しました。しかし、それは裏切られ、沖縄は憲法9条のラチ外に置かれ続けています。まるで憲法に見放されたように。それでも沖縄の人々はその憲法を、9条を守ったのです。日本人の多くが沖縄の現実に目を向けようとしなくても、沖縄の人々は日本の憲法を守ってくれたのです。このことを、本土の人間は真剣に考えなければなりません。
 自民党圧勝にマスメディアは犯罪的な役割を果たしました。一貫して「衆参のねじれ解消が争点」だと口をそろえて自民・公明を後押し、選挙後はまたしても、「野党連合が焦点」と、政策抜きの政局劇に目を移させようとしています。その腐敗ぶりはますます極まっている気がします。沖縄の選挙結果は、そうした本土のマスメディアとは一線を画す県紙の存在と無関係ではないと思います。
 とは言っても、安倍・自民党を圧勝させたのは、やはり日本の有権者です。基地や安保、憲法のことよりも「自分の生活が第一」という、ひと任せの利己主義が、強い者になびき、「政治の安定」を選んだのです。
 日本の民主主義は沖縄のおかげで首の皮一枚つながりました。でも孤立無援は辛すぎる。首の皮はいつまでもつか分かりません。本土の人間が、早く目を覚まして、沖縄の人々と一緒にたたかわなければ、この国はほんとうに暗闇になってしまいます。