アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「3・1朝鮮独立運動」から100年、いま日本人が学ぶべきもの

2019年02月28日 | 朝鮮と日本

     

 あすは朝鮮民衆が日本の植民地支配に抗して決起した「3・1朝鮮独立運動」から100年です。朝鮮半島が新たな情勢を迎えようとしているいま、そして安倍政権が沖縄(琉球)の意思を踏みにじり、また在日朝鮮人への差別政策(高校無償化からの排除など)を続けているいま、「3・1運動」から私たち日本人がくみとるべき歴史的教訓はきわめて大きいものがあります。

  1910年、武力を背景に朝鮮を「併合」した帝国日本は、天皇直属の総督が三権をすべて掌握する独裁者となり、憲兵(武断)政治で朝鮮人民を徹底的に弾圧しました。また、「土地調査事業」(1910~18)、「会社令」(1910)などで朝鮮の土地、産業を強奪しました。
 こうした日本の植民地支配に抗して民衆が蜂起したのが「3・1運動」です。(写真左は当時のようす。中は「独立宣言」を起草した人たちの像がある「3・1公園」、右は総督府跡=いずれもハンギョレ新聞電子版より)

  「1919年3月1日から始まり、およそ1年もの間朝鮮全土をおおった3・1運動は、ひとりの英雄的な指導者によって象徴されるような質のものではない。多くの無名の人々の、もちこたえてきた独立への意志が、ひとつに合流した民衆運動であった」(梶村秀樹著『朝鮮史』講談社現代新書)

  「日本は独立を願う朝鮮民衆の闘いを鎮圧するため憲兵、警察、軍隊など総動員し、全国各地で流血的な虐殺を強行した。日本による公式集計によっても、死者7500名、負傷者1万6000名、検挙者4万6000名を数える。失敗に終わったとはいえ、3・1人民蜂起は民族史上において特筆されるべき輝かしい愛国闘争であり、以後、朝鮮における民族解放運動の歴史的な転換点となった」(金昌宣著『加害と被害の論理』朝鮮青年社)

  運動の出発点であり象徴になったのが、33人の民族代表によって作成された「独立宣言」でした。

  「3・1独立宣言」の重要な特徴は、それが「決して日本の植民地支配に対する糾弾の宣言ではなく、日本と共にアジアの平和のために努力しようではないかという呼びかけである」(中塚明・奈良女子大名誉教授、2月8日都内の講演で。2月12日付朝鮮新報)ことです。

  <日本は、朝鮮との開国の条約(江華島条約)を丙子年(1876年)に結び、その後も様々な条約を結んだが、そこに書かれた約束を破ってきた。しかし、そのことをわたしたちは、いま非難しようとは思わない…わたしたちは、彼らが、わたしたちの作り上げてきた社会の基礎とこれまで受け継いできた民族の大切な歴史や文化の財産とを、馬鹿にして見下しているからといって、そのことを責めようとはしない。わたしたちは、自分たち自身を立派で確かな存在にしていこうとしていることに忙しいのであって、ほかの人をあれこれ恨む暇はない。…いま、わたしたちが行わなければならないのは、よりよい自分を作り上げていくことだけである。(中略)

 いま、わが朝鮮を独立させることは、朝鮮人が当然得られるはずの繁栄を得るというだけでなく、行うべきでない政治を行い、道義を見失った日本を正しい道に連れ戻して、東アジアをささえるための役割を果たさせようということであり、同時に、そのことによって中国が感じている不安や恐怖をなくさせようするためでもある。つまり、朝鮮の独立はつまらない感情から求めているわけではないのである。>(「3・1独立宣言」より。「3・1独立運動100周年キャンペーン実行委員会」が朴慶植『三・一独立運動』平凡社などを参考に訳したもの)

  「3・1宣言」のこうした民族自決思想、国際的視点は、ロシア革命(1917年)やウィルソン米大統領の民族自決宣言(1918年)の影響を受けたものと言われており、今日の朝鮮人民運動に引き継がれています。

  私が「宣言」を読んでとりわけ感銘をうけたのは、次の個所です。

  <ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。これまでの歴史のなかで、絶えることなしにずっと、磨かれ、大切に育てられてきた、人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる。新しい春が世界にめぐってきたのであり、すべてのものがよみがえるのである。>(同)

  これは日本の植民地支配に対する非暴力の抵抗宣言であるだけでなく、一切の武力・軍事力による抑圧・支配の拒絶であり、「人間を大切にする精神」でこそ「新しい文明・人類の歴史」はつくられるという、崇高な思想・理念です。

  それから100年。核兵器と軍事同盟による支配が世界を覆っているいま、そして日米軍事同盟(安保条約)によって沖縄が軍事植民地化され、自衛隊が米軍との従属的一体化を強めているいま、わたしたちは、日本の朝鮮植民地支配の加害責任を胸に刻むとともに、「3・1宣言」のこうした思想・理念に学び、その実現へ向かって努力する歴史的責任があるのではないでしょうか。


沖縄県民投票・「本土」がやるべきことは何か

2019年02月26日 | 沖縄・辺野古

     

 24日の沖縄県民投票の結果は、ほぼ予想通りです。そして、25日付各紙の論調(社説・論評)も予想通りです。「政府は工事を中断して沖縄と話し合え」「今度は本土が考える番だ」。

 議論はここで止まっています。これまでもこの繰り返しでした。これでは何も変わりません。安倍政権は「民意は尊重する」と厚顔無恥にも言いながら新基地建設を進める。沖縄では「また沖縄の民意は無視された」と失望(絶望)感が漂う。「本土」ではメディアも「市民」もまもなく関心は「沖縄」から「新天皇・新元号」へ移っていく。

 この壁を打ち破って、議論を前にすすめなければなりません。

 沖縄の「民意」が「これ以上沖縄に基地をつくることは許さない」であることはすでに明確です。それに対し安倍政権はこう“反論”します。「基地は日米同盟の抑止力にとって欠かせない。辺野古でなければ危険な普天間基地を固定化するのか。そうでないなら代案を示せ」。

 沖縄の基地に反対するなら、安倍政権の“反論”(居直り)に答える道は2つです。

 =確かに日米同盟は重要だ。ただ沖縄の基地負担は過重だ。だから基地は沖縄ではなく「本土」に造る(引き取る)べきだ(県外移設論)。

 =普天間基地は即時無条件に閉鎖・撤去し、それに代わる基地はどこにも造らせない。「軍事同盟による抑止力」がそもそも根本的な誤りだ。軍事同盟は平和への逆行以外の何ものでもない。日米軍事同盟(安保条約)は廃棄すべきだ。

 (このほか、Aに類するものとして、代替基地は日本以外に造るべきだとの意見=国外移設論もありますが、法的にも道義的にも論外でありここでは除きます)

 しかし、「本土」のメディアや国政野党は、AともBとも自分の見解(立場)を明らかにしていません。

 メディアや野党が「日米安保=軍事同盟支持」であることは明白です。その立場から「辺野古新基地に反対」するなら、「基地は本土で引き取る」と言うしかないのです。言うべきです。

 しかしメディアや野党、あるいは「本土市民」は、「本土の世論」を考慮して、あるいは自分の近くに基地ができるのを嫌い、「基地は本土へ」とは言わない。だから「話し合いを」で止まる。安倍政権に「対案を示せ」と言われても答えられない。本音を隠して「沖縄に寄り添う」ようにみせる。こんな欺瞞・偽善があるでしょうか。

 日米安保支持の立場に立ちながら、「辺野古では抑止力にならない」(一部の「外交問題グループ」や「識者」の主張)と言っても、それは無力(欺瞞)です。軍事同盟の当の米軍や日米政府が「いや、沖縄に必要なのだ」と言えばそれまでだからです。

 「沖縄の基地問題」「日本の基地問題」を解決する道は、Bしかありません。

 しかし県民投票翌日(25日)の各紙(「朝日」「毎日」「東京」)の社説や、「識者」のコメント(沖縄県紙も含め)の中で、日米安保条約の問題を指摘したものは皆無です。1つもありません。

 逆に、日米安保支持の「識者」からはこんなコメントがあります。
 「今回の県民投票で示された辺野古移設反対の民意は、沖縄全体の基地負担から見ればささやかな要望だ。それを無視することは、安保や米軍基地全体への反発につながりかねない」(野添文彬・沖縄国際大准教授、25日付朝日新聞)(翁長雄志前知事が生前何度も言っていたことです)

 この指摘は反面教師です。必要なのは「沖縄全体の基地負担」をなくすることであり、そのためには「安保や米軍基地全体」の是非を問い直さねばならないのです。

 繰り返します。本当に「今度は本土が考える番だ」と言うなら(思うなら)、やるべきことは日米軍事同盟=安保条約の是非を問い直すことです。


「在位30年式典」明仁天皇の危険な発言

2019年02月25日 | 天皇・天皇制

     

 24日の「在位30年記念式典」で明仁天皇が「国民に向けて」行った発言は、「平和への思いと国民への感謝」などというメディアの最大級の賛辞とは逆に、これまでの発言と比べてもかなり踏み込んだ、憲法を逸脱した危険な発言と言わねばなりません。

 明仁天皇は「平成の30年間、日本は…近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました」と述べました。これは、湾岸戦争への加担や在日米軍基地による間接的参戦などを一切捨象して平成を「平和の時代」と描くもので、昨年12月の「誕生日会見」と共通する意図的な粉飾です(2018年12月24日のブログ参照)。

 加えて、今回これまで以上に踏み込んだと思われるのは、次の発言です。

 「これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした」(宮内庁HPより)

 注目されるのは次の2点です。

  「国の組織の同意と支持のもと

 憲法第3条こう明記しています。「天皇の国事に関するすべての行為には内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」
 憲法(第6条、第7条)が定める「国事行為」がその対象であることはいうまでもありませんが、いわゆる「公的行為」(憲法を逸脱したものですが、百歩譲ってそれを認めるとしても)にも第3条が適用されるのは憲法学の定説です。 天皇の言動は、プライベートなものを除き、すべて「内閣の助言と承認を必要」とするのであって、天皇が自主的に勝手に行えるものではありません。

 それを明仁天皇は、「国の組織の同意と支持のもと」に行ってきたと述べました。「助言と承認」と「同意と支持」では意味が大きく異なります。後者の方に天皇の主体性が生じることは明らかです。「内閣」と「天皇」の立場の逆転ともいえます。「内閣」を「国の組織」と言い換えたところにも、「内閣」には従わないという意思がうかがえます。

  「統合の象徴

 明仁天皇は自分を「日本人」の「統合の象徴」だと強調しました。確かに憲法第1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」としています。しかし、そこから「統合の象徴」を切り取って強調したのは今回の大きな特徴です。たとえば、2016年8月8日のいわゆる「退位メッセージ」には「象徴」という言葉が8回使われていますが、「国民統合の象徴」という言葉は1回しかありません。

 「統合」は「統治」と近似した言葉であり、そこにはたんなる観念的(文化的)象徴ではなく、「国民」を束ねて統治するという政治的意味がうかがえます。

 ①と②を合わせると、明仁天皇が内閣を超越して直接「国民」を束ねる天皇でありたいと思っていること、それが「あるべき象徴天皇」だと考えていることが分かります。その「象徴天皇像」を自分は追求してきたし、皇位を継ぐ者にもそれを引き継いでもらいたい、という願望です。

 明仁天皇が描くこうした「象徴天皇制」は、憲法を逸脱(無視)した「君主制」にほかなりません。

 もう1つ付け加えます。それは「今日この機会に、日本が苦しみと悲しみのさ中にあった時、少なからぬ関心を寄せられた諸外国の方々にも、お礼の気持ちを述べたく思います」と言っていることです。
 韓国の文喜相国会議長が元「慰安婦」(戦時性奴隷)問題で天皇に謝罪を求めた発言が念頭にあったのではないでしょうか。
 これが文発言に対する応答であったかどうかはともかく、明仁天皇が「諸外国」に対して発したのが、日本(裕仁天皇)の加害責任に対する「謝罪」ではなく、「お礼の気持ち」だったことは確かです。


日曜日記40・皇太子に「内奏」・予算委の「さん」・安全対策か身体拘束か

2019年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 ☆「皇太子に内奏」とは驚いた

  安倍首相は21日、皇居へ行って明仁天皇に「国内外の諸情勢について内奏」(テレビニュース)した。「内奏」は絶対主義天皇制(大日本帝国憲法)の名残だ。「臣下が天皇に上申することを奏といい、正式でない形で奏することを内奏」(岩波『天皇・皇室辞典』)という。「上奏」の前段階だ。

 それが「主権在民」の日本国憲法下で公然と行われ、メディアもなんの疑いもなく「内奏」と報じる。あきれ果てるが、首相による「内奏」は敗戦後も今日まで常態化している。もちろん安倍も例外ではない。

 ところがこの日はなんと、天皇だけでなく徳仁皇太子にも「内奏」したという。皇太子への「内奏」など前代未聞だ。5月のトランプとの会見などについて報告したのだろう。

 天皇だけでなく皇太子にまで拡大した「内奏」。憲法の「主権在民」に反するこの行為を黙って見過ごすことはできない。

 ☆衆院予算委「くん」から「さん」へ

  衆院予算委の中継を見ていて気付いたが、野田聖子委員長は質問者を指名するとき、「〇〇さん」と言っている。委員長の指名は「〇〇くん」が通例だ。今でも本会議はじめ他の委員会では「くん」だ。それが衆院予算委で「さん」に変わったのは、委員長が女性の野田氏になったからだろう。野田氏の意向と推測する。

  この変化は注目される。聞こえがいいし、国会が少し一般社会に近づいたように感じる。些細なことだが女性議員が委員長ポストに就いた効果の1つではないか。

  そもそも「国権の最高機関」である国会は、男性本意社会の代表的な場所だ。30年ほど前の話だが、国会担当記者だったころ、ある女性議員から聞いたことがある。女性議員が増えるまでは(今でも少ないが)、議事堂内には「女性用トイレ」はなかった。男性と同じトイレを使わざるをえずたいへん困惑したと。

  国会、地方議会を問わず、女性議員が男性議員と同じくらいの比率にならないと、この国の男尊女卑は変わらないのではないか。

 ☆「安全対策」か「身体拘束」か

  母がグループホームで車椅子から立ち上がろうとして転倒し、額をすりむいだ。けがはたいしたことなかったが、今後もありうることなので、椅子から落ちないように、飛行機のようなシートベルトをつけようとした。

 ところが施設ではそれは認められないという。「身体拘束」になるとの行政からの通達があるという。ではどうやって多動による転倒を防ぐのか。施設側は「薬(抗神経剤)はどうか」という。それは断った。今でさえ薬漬けだ。これ以上の薬(まして活力を抑える薬)はクオリティオブライフに反する。
 「この程度のベルトは身体拘束とは言えないし、家族が希望していることだ」と言ってもダメだ。解決策はまだ見いだせていない。

 「身体拘束」が人権侵害であることは百も承知だ。だが、どこまでが「安全対策」でどこからが「身体拘束」なのか。薬物以外に多動や徘徊を防ぐ方法があるのか…。実際問題になると理論で割り切れない課題は多い。 

 介護の現場が抱えている問題は千差万別、多事多様だ。そこで献身的に働いている介護(福祉)職員さんには頭が下がる。待遇(給与)をもっと改善する必要がある。家族がお世話になっているとそれを痛感する。


新天皇初会見がトランプ―天皇制と日米安保の相互利用

2019年02月23日 | 天皇制と日米安保

     

  安倍首相は20日のトランプ大統領との電話会談で、5月26日のトランプ訪日を確認しました。5月1日に即位する新天皇が最初に会見する国賓がトランプ大統領ということになります(写真右は2017年11月6日)。

  これは安倍首相の演出(企て)だと思われますが、その真偽はともかく、きわめて象徴的なことであることは確かです。それは、天皇制と日米安保(軍事同盟)の双方がお互いに利用し合って「国民」への浸透を図ることになるからです。安倍首相にとっては、参院選に向けた政治的パフォーマンスでもあります。

  天皇制護持派にとっては、新天皇の”初仕事“がアメリカ大統領との会見であれば、かっこうのお披露目となるでしょう。
 一方日米軍事同盟は、トランプ氏による巨額兵器の売り込み、自衛隊の米軍への従属的一体化など、本来きびしい批判を受けるべきところ、新天皇が笑顔でトランプ氏を迎え入れることで、日米同盟の危険性は後景に追いやられるでしょう。ここに天皇(制)が果たすきわめて政治的役割があります。

  私たちはいま、「天皇制」と「日米同盟」の密接な関係を想起する必要があります。天皇裕仁が天皇制(「国体」)護持のため、沖縄をアメリカに献上し、日米軍事同盟の軌道を引いたことはこれまで折に触れて書いてきました。ここでは「天皇制」と「日米同盟」が日本の「国民」の意識・思考にどうような影響を与えているかを、『天皇とアメリカ』(吉見俊哉氏とテッサ・モーリス-スズキ氏の対談、集英社新書2010年)を参考に考えます(以下、抜粋。太字は引用者)。

 吉見 戦後冷戦体制のなかで、日本はアメリカと癒着することにメリットがあった。そのメリットのひとつは間違いなく経済発展ですね。もうひとつは、自らは軍事要塞化することなく、そうした役割は韓国や台湾、沖縄にまかせながら平和主義を信奉し続けることができた。それからもうひとつ、これがいちばん大きいかもしれませんが、アメリカの傘の下に入ることによって日本は過去を忘れることができたのだと思います。…かつて自分たちが侵略し、収奪し、そして虐殺したアジアを記憶の外に追いやることができた

 テッサ 現行憲法の平和条項と天皇制はセットとして存在しています。…憲法九条を変え「フツ―の国」にするんだという議論がでたら、「それなら天皇制はどうする?」という提起があって当然だと思います。

 吉見 天皇の存在を根底から否定する議論は、右翼を刺激しますから、メディアも気軽に流すことができない。それで世論を醸成できない。…そうすると、人々の発想のなかから共和制議論ということがなかなか生まれなくなってくる。想像力の縮減ですね

 テッサ 想像力の欠如こそ、危険なのです。おそらく現在の天皇制に関する議論、憲法に関する議論で、難しい問題はあるのですが、最も大きな問題のひとつは想像力の欠如ではないかと感じます。

 テッサ 想像力そのものが制度的に構造化されてしまって、自分は自由に想像しているつもりでも、「アメリカと天皇」という枠組みのなかでしか、働かなくなってきているように思います。

 吉見 我々の歴史的想像力を枠付けてきたポスト帝国主義的な作用の仕組み、すなわち「天皇とアメリカ」という構図が、何を排除してきたのかということをきっちり見つめなければいけません。慰安婦の問題もそうですし、在日の問題もそうでしょう。…この構図のなかでは何が見えなくなってきたのかを、今の時点ではっきりさせておく必要があります。

 「天皇制」も「日米安保条約=日米同盟」も、「世論調査」では約8割の「国民」が支持しているとされています。その数字が近似しているのも象徴的ですが、それは「天皇とアメリカ」という構図の中で、想像力が奪われている、いや、自ら想像力を放棄している結果ではないのか。それを自らに問いかけてみる必要があるのではないでしょうか。


「天皇は謝罪を」発言への論評を避けている日本メディア

2019年02月21日 | 天皇制とメディア

     
 韓国の文喜相国会議長が明仁天皇に元「慰安婦」(戦時性奴隷)への「謝罪」を求めた発言(7日の米メディアインタビュー)に対し、安倍政権が「謝罪と撤回」を要求していることについて、文氏は「謝罪すべき側がせず、私に謝罪を求めているのは盗っ人たけだけしい」(18日、韓国メディアインタビュー)と反論しました。

 文氏は同時に、「日本を代表する首相や天皇の誠意ある措置が必要」「現職の首相が1番目、2番目が天皇になる」(19日付共同配信)と繰り返しましたが、これは妥当ではありません。天皇は「日本を代表する」立場ではありません。
  しかし、「盗っ人たけだけしい」発言はその通りです。表現に対する好嫌はあっても、謝罪すべき日本側が逆に文氏に謝罪を求めるのは本末転倒です。

 菅義偉官房長官は18日の記者会見で、「不適切な発言を繰り返しており、憤りを禁じ得ない」と批判しあらためて「謝罪と撤回」を要求しました。
 しかし、菅氏は文発言のどこが、なぜ「不適切」なのかを説明していません。それは最初の文発言の時から一貫しており、今回の問題の大きなポイントです。

  明仁天皇を「戦争犯罪の主犯の息子」として元「慰安婦」の人たちへの謝罪を求めた文発言が、なぜ「不適切」なのか。それを述べなければ議論はかみ合いません。しかし、安倍晋三首相も菅官房長官もそれには口をつぐんでいます。「選挙を控えて、支持層の結集を狙う安倍政権が”過剰反応“している」(20日付ハンギョレ新聞)と言われるゆえんです。

  口をつぐんでいるのは安倍政権だけではありません。日本のメディアも同じです。

  文氏の最初のインタビューが配信された8日以降、この問題を社説で取り上げたのは全国紙(朝日、毎日、読売、日経、産経+東京)の中で産経(13日付)だけです(その問題性については14日のブログ参照)。他紙は社説はもちろん、まとまった論評記事も掲載していません。これはきわめて不可解です。

  産経は17日の社説でも「日本の立憲君主であり、日本国と国民統合の象徴である昭和天皇と天皇陛下に対して、これほどひどい暴言はない」と、天皇を「君主」とする立場から文発言を批判しました。
 NHKは19日夜の「時論公論」で解説委員が、「憲法上の天皇の地位をわきまえないもの」と批判しました。その意味は不明ですが、産経と同類と推測されます。

 また、元「慰安婦」への「謝罪」は政治的関与を禁じた憲法に抵触するという指摘も一部にあるようです。しかし、明仁天皇は2002年12月19日の誕生日会見で、いわゆる「拉致問題」について、美智子皇后が「驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません」(同年10月19日の誕生日の文書回答)と述べたことについて、「皇后が述べている『なぜ自分たちが自分たち共同社会の出来事としてこの人々の不在をもっと強く意識し続けられなかったのだろうか』という思いは、私にも非常に分かります」と同調しました。
 さらに、それは「政治的発言では」という記者の質問に対し、「これまでも1年を振り返っての記者会見で言及している」と、問題はないとする考えを示しました。

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)批判に直結する「拉致問題」につては発言し被害者に同情しても、「慰安婦問題」には発言できないと言うのでしょうか。まして「慰安婦問題」は「拉致問題」と違い、「皇位」を継承した裕仁天皇の戦争犯罪に直結する問題であり、「戦時下の女性人権の問題」(20日付ハンギョレ新聞)です。「謝罪」は当然でしょう。

 日本のメディアは、文発言をどうみるのか。安倍政権と同じく「不適切」とみるなら、どこが、なぜ「不適切」なのか。明確に論評・主張すべきです。そうでなければ議論は建設的に前進しません。ただ「国の象徴」に対して「非礼だ」(「産経」)というのでは、「天皇タブー」以外の何ものでもありません。


「新天皇」の信任問う国民投票を

2019年02月19日 | 天皇・天皇制

     

  「5月1日に新天皇即位」が当たり前のように言われています。安倍政権は「皇位継承」儀式の準備をすすめ、メディアは「天皇・元号」キャンペーンを繰り返し展開しています。
  しかし、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。「象徴天皇制」は言うまでもなく日本国憲法に定められている制度です。その憲法第1条はこう規定しています。

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく

 天皇の「地位」は無条件なものではありません。「主権の存する日本国民の総意に基づく」必要があるのです。そうであれば、天皇になろうとしている人物(今回の場合は徳仁皇太子)が新たに天皇の地位につくには、「国民の総意(意思)」を確かめる必要があるのではないでしょうか。それなしに自動的に天皇になるのは憲法1条に反すると言わねばなりません。

 これはけっして突飛な考えではありません。歴史学者の色川大吉氏(東京経済大教授=当時)は、明仁皇太子が新天皇になろうとしていた時、こう指摘していました。

 「皇室典範によると、皇太子が即日践祚して位につくことになっていますが、厳密にいうと、憲法第一条によって本当は主権者たる国民の信任を得なければならないのです。…つまり、国民の総意に基づかなければ日本国の天皇になれない。このことは、先頃文化勲章をもらった桑原武夫(天皇護持派の)が、1969年に『朝日新聞』に書いた「憲法第一章について」という文章の中で触れています。「第一章によれば、主権者たる日本国民の総意に基づかなければならないので、当然、新しい天皇の践祚にあたっては、国民議会(衆議院)の議決を経て天皇に就任するという手続きを踏まねばならないであろう」と言っています。…憲法学会でこういうことが議論にならないのは不可解です」(色川大吉氏「天皇制イデオロギーと民衆のメンタリティー」、『沖縄・天皇制への逆光』社会評論社1988年所収)

 憲法学者の小林直樹氏(東大教授=当時)も次のように主張していました。

 「日本国憲法は、象徴としての天皇の地位を、主権者たる国民の『総意』にかかわらしめた。憲法学の通説が述べてきたとおり、憲法一条のその規定からすれば、国民の意思いかんによって天皇制の廃止も存続も自由に決められるのである」
 「象徴天皇制の廃止は、要するに戦後天皇が大幅に国政上の権限を切り落としてきた道筋をもう一歩進めて、政治的象徴から文化的象徴へ切り換えることにほかならない。こういう意味での変革の是非については、合理的な仕方で―天皇即位の時期はたぶん好適だと思われるが―民意に問う方法が考えられるべきであろう。天皇および皇室じたいにとっても、この方式はプラスでこそあれ、マイナスを意味することにはならないとおもう。民意に基づかない象徴などは、どっちみち事実上も論理上も、ナンセンスだからである。また、そのためには、憲法の改正は必要ではなく、さし当たり国民投票法の制定をもって足りるはずである」(小林直樹氏「現代天皇制論序説」、「法律時報」1976年4月号所収。太字は原文では傍点)

 40年ほど前にはこうした「天皇制廃止」についての論考も発表されていたのです。それがいま、まったく影を潜めているのは、時代の右傾化とともに、学者・知識人の無力化を示すものと言わざるをえません。

 ともかく、「新天皇」には「主権者・国民」の信任が必要です。桑原武夫氏は「衆議院の議決を経て」と言っていましたが、「翼賛議会」(とりわけ天皇制に関して)の「議決」が「国民」の民意を示すものとは言えないでしょう。
 天皇制の是非についての議論を大いに広め、「新天皇」の信任を問う国民投票を実施すべきです。


嘉手納オスプレイ拠点化の動き、玉城知事はなぜ抗議・反対しないのか

2019年02月18日 | 沖縄と日米安保

    

 「県民投票」一色になっている観がある沖縄で、嘉手納基地をめぐって危険な動きが進行しています。
 米軍機の中でも最も危険(事故率最悪)な特殊作戦機CV22オスプレイが嘉手納を拠点基地にしようとしているのです。

 危険な動きが表面化したのは今月4日、CV22 オスプレイ4機(横田基地配備)が突然嘉手納に飛来したことから。「2018年6月以来2度目で、同10月に横田基地へ正式配備されて以降初めて」(5日付琉球新報、写真左)

 その時は嘉手納の米軍第18航空団は「暫定配備」としていました。ところが、嘉手納基地を拠点とする米空軍353特殊作戦群は8日、沖縄タイムスの取材に対し、「第353特殊作戦群の一員として、嘉手納基地で定期的に訓練をする」と明言したのです(9日付沖縄タイムス)。米空軍がCV22オスプレイについて「嘉手納基地で定期的に訓練するとの方針を公言したのは初めて」(同)

 これと歩調を合わせるように、米軍が嘉手納基地の駐機場を拡張する工事に着手したことが13日判明しました。「拡張後は、CV22オスプレイの訓練拠点となる恐れがある」(14日付沖縄タイムス、写真中)。

 こうした米軍の動きに対し、地元嘉手納町をはじめ周辺自治体から直ちに抗議の声が上がったのは当然です。
 「CV22の事故発生率の高さや騒音激化を懸念し、嘉手納での運用に反対してきた沖縄市。嘉手納町、北谷町でつくる『嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(三連協)』の首長からは一斉に反発の声が上がった」(5日付沖縄タイムス)
 嘉手納町議会は14日、臨時総会を開き、「CV22オスプレイの嘉手納基地訓練拠点化につながる一切の動きを看過できない」とし、抗議する決議案と意見書案を全会一致で可決しました。

 住民の不安、怒りは高まっており、沖縄の前線基地化の危険がいっそう強まる点からも、嘉手納基地のオスプレイ拠点化は絶対に阻止しなければなりません。

 ところが玉城デニー知事は、CV22の飛来が報じられた5日以降も、同機の飛来・訓練拠点化の動きに対し明確な抗議・反対の表明を行っていません。

 玉城氏は7日には東京で岩屋防衛相に会っています。この場で岩屋氏は「CV22の飛来は『一時的な訪問』と強調」(9日付沖縄タイムス)しました。これに対し玉城氏は、「嘉手納基地での…CV22オスプレイの飛来…なども挙げ『県民の不安が高まっている』と述べ、対応を求めた」(8日付沖縄タイムス)にすぎません。

 玉城氏は13日に就任後初の所信表明演説を行いましたが(写真右)、「沖縄の過重な基地負担の軽減」とはいうものの、CV22オスプレイの拠点化はもちろん、嘉手納基地の拡大・強化については一言も言及しませんでした。宮古、石垣など八重山諸島への自衛隊配備・基地強化についても全く触れませんでした。

 言うまでもなく沖縄の「基地問題」は辺野古だけではありません。危険な動きを強めている嘉手納基地、そして重大な局面を迎えている自衛隊基地強化に対し、「基地負担の軽減」を公約した玉城氏が沈黙(暗黙の容認)を続けることは許されません。

 沖縄タイムスや琉球新報が、CV22オスプレイの嘉手納拠点化について玉城氏が抗議・反対声明を出していないことを問題視していない(批判的な報道・論評をしていない)ことも不可解と言わざるをえません。


日曜日記39・「自衛隊募集」論議・「虐待死」と「指導死」・元「慰安婦」金福童さんの遺言

2019年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「自衛隊募集」論議の倒錯

 安倍首相が「自治体の6割以上が自衛隊募集の協力を拒否している」(後に訂正)ことを改憲の口実にし、野党や一部メディアは「それはウソだ。9割は協力している」と反論。安倍のウソはもちろん言語道断だ。しかし、この議論は倒錯している。

 問題の本質は、どのくらいの自治体が自衛隊の募集に「協力している」かではなく、政府・防衛省が自治体を使って(自治体が把握している個人情報を使って)、自衛隊員の募集を行い、自治体がそれに協力している(させられている)実態にこそある。なぜなら、自衛隊は憲法違反の軍隊だからだ。

 この本質を棚上げして募集の実態がどうのこうのというのは本末転倒だ。いや、「自衛隊合憲」を前提にしているだけに、逆に安倍の思うツボだ。

 安倍のファッショ性に目を奪われ、本質論議が忘れられている現象はこれだけではない。
 集団的自衛権を容認する「戦争法」(安保法制)はもちろん憲法違反だが、「戦争法」が廃止されれば自衛隊の違憲性が解消されるわけではない。「戦争法」の前から自衛隊は違憲の軍隊だ。
 安倍の改憲に対して「天皇は護憲」も間違いだ。明仁天皇も数々の憲法無視(違反)を犯している。安倍と比較して天皇が「護憲派」であるというのは「左翼」に特徴的な大きな誤謬だ。
 憲法、日米安保、自衛隊の本質論議を忘れてはいけない。

 ☆「虐待死」と「指導死」

 千葉県野田市の事件をはじめ親による虐待死(殺人)が後を絶たない。痛ましい限りだ。
 しかし、個々の事件を後追いし児童相談所の体制などを問題にするだけでは解決しない。安倍政権(国家)が「防止体制」強化に乗り出したのは逆に危険ですらある。

 「虐待死」のニュースに接するたびに想起されるのは「指導死」だ。学校の教師あるいは部活の顧問が「指導」と称して生徒を精神的に追い詰め、自死に至らしめる。親が「しつけ」を口実に虐待するのと通底する。
 親の「虐待死」が体罰によることが多いのに対し、教師の「指導死」は精神的打撃を主にするといわれている。しかし、「親」「教師」という絶対的権力者・権威者がその“地位〝を利用して加害に及ぶことは共通している。職場の「上司」による「パワハラ死」も同じだ。

 「『指導死』親の会」代表の山田優美子さんは、「子ども(野球部顧問のハラスメントによって自死した二男)に、自分にも(教師の暴力・暴言を許さない)人権があるともっと教えておくべきだった」と悔やんでおられた(昨年12月14日NHKラジオ)

 「子ども」「児童・生徒」「社員」には「親」「教師」「上司」の暴言・暴力を許さない人権がある。そのことをこの国に徹底させる必要がある。
 この国の「長いものには巻かれろ」式の権力・権威への沈黙・屈服は、構造的差別である近代天皇制とけっして無関係ではない。

 ☆元「慰安婦」金福童さんの遺言

  旧天皇制軍隊の性奴隷(「慰安婦」)の1人、金福童さんが1月28日逝去された。享年93。金さんは、「想像を絶する性暴力によって心身に深い傷を負いながらも、被害者の尊厳と女性の人権回復のために身を投じ、最期の瞬間まで死力を尽くした」(2月6日朝鮮新報電子版)。

 金さんが生前に訴えたことは数多い。その中でも「慰安婦」問題とともに特筆すべきは朝鮮学校に対する日本(政府)の差別への怒りと、朝鮮学校への支援だ。 

 「私の命が絶えるまでは、支援金を送るから。全財産を投じて支援するから、朝鮮学校の生徒たち、一生懸命勉強してこの国が統一して平和の道が開かれるまで、立派な人間になりなさい」(2018年11月、入院中の病床で=前掲朝鮮新報より) 

 「過去の歴史を考えると、むしろ日本政府から優待されるべき彼女・彼らが、今なお差別を受けている状況を見ると胸が痛い。日本政府がすべての過去に対し謝罪し、心を入れ替え、私たちの同胞である在日朝鮮人に対する差別をなくしてもらいたい」(2013年5月、大阪の証言集会で=同)

  「日本軍『慰安婦』問題の解決のため最後までたたかってほしい。在日朝鮮学校の支援を任せるから熱心にやってほしい」(19年1月28日、息をひきとる約5時間前、病床で=同)。

  金さんの遺言を真正面から受け止める責任が、われわれ「日本人」にはある。


詩人・尹東柱は福岡の獄中で最期に何を叫んだのか

2019年02月16日 | 朝鮮と日本

     

 74年前(1945年)の今日2月16日、福岡刑務所で一人の朝鮮人詩人が獄死しました。名は尹東柱(ユン・ドンジュ)。27歳の若さでした(写真左、中は10日放送のEテレより)。

  安倍政権のファッショ的強権政治の下、そして「代替わり」を前に天皇キャンペーンが繰り返されているいま、天皇制帝国日本によって事実上殺された青年の詩と人生を振り返ることは、私たち日本人にとって特別の意味があると思います。

  尹東柱は1917年12月30日、日本の植民地支配に抵抗した朝鮮の人々が入植した国境近くの北間島(中国吉林省)で生まれました。42年(25歳)、日本に留学。4月に東京の立教大に入学し、同10月に京都の同志社大に転学。翌43年7月、下鴨警察に逮捕されます。容疑は「独立運動」。44年3月、京都地裁で「治安維持法違反」で懲役2年の判決を受け、福岡刑務所に投獄されましたが、1年もたたないうちに帰らぬ人となりました。
 「病死」とされていますが、「拷問」あるいは「薬物人体実験」で殺されたという説もあり、真相は分かっていません。

  尹東柱は「独立運動」をしたわけではありません。それどころか、彼の作品は一見、政治性とはかけ離れています。代表作の「序詩」を『尹東柱詩集 空と風と星と詩』(金時鐘編訳、岩波文庫2012年初版)から転記します。

   序詩

 死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が 風にかすれて泣いている。  (1941・11・20)

 他の作品も、自らの生き方を自省したものが主で、政治的なもの、まして「日本・天皇制」を直接批判したものは皆無と思われます。それがなぜ「治安維持法違反」なのか。

 在日詩人の金時鐘氏は前掲岩波文庫の「解説」でこう指摘しています(写真右は季刊誌「抗路」2016年12月号より)。

 「たしかに尹東柱の詩作品は、時節や時代の状況からははずれているノンポリの作品です。ですがその時、その場で息づいていた人たちと、それを書いている人との言いようのない悲しみやいとおしさ、やさしさが体温を伴って沁みてくる作品ばかりです。それはそのまま詩人が生きていた時代の日の射さない、暗がりの素顔を浮かび上がらせている意志的な反証ともなっているものです。あの極限の軍国主義時代、こぞって戦争賛美や皇威発揚になだれを打っていた時代、同調する気配の微塵もない詩を、それも差し止められている言葉(日本が使用を禁じていたハングル―引用者)でこつこつと書いていたということは、逆にすぐれて政治的なことであり、植民地統治を強いている側に通じる言葉(日本語―同)を自ら断つ、反皇国臣民的行為の決意をともなっていたものです。ですので尹東柱の詩は、時節とは無縁の心情のやさしい詩であったがために、治安維持法に抵触するだけの必然を却ってかかえていた詩でもあったのでした」

  暴圧的皇民化政策の中で、圧政に支配されない精神の自立を求め、自国の言葉で書き続けた。それが「治安維持法違反」とされたのです。皇民化政策・他民族支配の本質がここに表れているのではないでしょうか。

 その尹東柱の詩と生涯が現在の私たちに問いかけているものは何でしょうか。

 「非命の詩人・尹東柱から教わったことは、顧みられない者への愛です。記憶されているかぎり、人は死にません。生き残っている者に出来ることがあるとすれば、そのように生きとおした人、圧しひしぐ暴圧のさ中で、なお生きることの意味を自己に問いつづけた死者の記憶を、自分の心に蘇らせていくことです。そして、その死者の生涯を損ねた人たちが、日本でも朝鮮でも、そのまま時の為政者の側に鞍替えしていったことを改めて思い起こし、その同類が今も権勢者の側で顕在であることを忘れないことです」(金時鐘氏、前掲書「解説」)

  ひごろ穏やかだった尹東柱が、息を引き取る直前、獄中で大きな叫び声をあげました。看守はその声を聞きましたが、朝鮮語だったため意味は分かりませんでした。いまもナゾです。

 尹東柱は最期にいったい何を叫んだのでしょうか。帝国日本への恨みでしょうか。祖国への希望でしょうか。家族への想いでしょうか。それとも、後世の私たちへの激励でしょうか。