「安倍晋三国葬」は強行されましたが、多くの人々が反対の声を上げ、集会・デモに参加したことは貴重な成果です。27日当日はNHKでさえそれなりに反対の声・行動を報じました。市民の力以外のなにものでもありません。
この成果を今後に繋げていく必要があります。次の問題は、「国葬」そのものの是非です。
「安倍国葬」に反対する主な理由は次の点でした。①国葬には法的根拠がない②政府が野党や国会に諮らず一方的に決定した③16億円6千万円の税金使用④安倍政治の評価⑤安倍氏と旧統一教会の関係⑥弔意を強要することになり憲法の思想・信条・良心の自由に反する。
このうち④⑤は引き続き徹底的に追及しなければなりません。①~③については、「安倍国葬」に出席した日本維新や国民民主でさえ検討する必要があるとしており、来月3日開会の臨時国会で議論になります。
では仮に、何らかの「法的根拠」がつくられ、国会に諮ることがルール化されれば、「国葬」は認められるでしょうか。
けっしてそうではありません。なぜなら、⑥の問題は最後まで残るからです。⑥こそ「国葬」の最大問題、「国葬」が憲法違反である根拠です。さらにそれは、国家権力による「国民」の一元的統合・支配という重大な政治的問題を伴います。
「国葬問題」を研究している宮間純一・中央大教授(写真右)はこう述べています。
< 日本の国葬は過去、天皇制を補完する儀式で、国民を一つにまとめる統合のための装置でした。天皇が「この人はよくやった。国に尽くしてくれた。そういう人が亡くなったから私は悲しいんだ」とし、国民みんなでこれを共有しようという場が国葬でした。一つの模範像を示し、「みんなこれに倣え、これが国民の鑑なんだ」とする意味もあった。
全体主義の国家や戦前の日本のような天皇制国家だと国葬は機能しますが、現在の日本では、機能しない。
(今後も国葬は必要か、との問いに) 私はいらないと思います。今の社会になじまないし、目的もよくわからない。結果的に生まれるのは分断だけだっていうのが実証されたわけですから。
もし日本が将来的に戦争に陥るといった危機的な状況に陥ることがあった場合、そのときにすごい人気のある政治家とかが出て、その人を国民全員でまつろうっていうようなことにならないとも限らない。
こういうのが一番怖い。下から湧き上がってきて権力者をほめたたえる構造ができて、それが悪用される可能性は排除できない。このままの状態で国葬を残しておくのは私は危険だと思う。
国葬は大多数が望んでその人を送り出そうという意思がなければ成立しません。でも、一つの価値観を国家が共有することは今の日本社会に必要なんでしょうか。>(28日付朝日新聞デジタル=抜粋)
多くの点で賛同します。宮間氏は「もし日本が将来的に戦争に陥る場合」と言っていますが、それはけっして「将来的」なことではないでしょう。きわめて近いうちに到来すると考えざるをえません。すでに自民党政権は日米軍事同盟(安保条約)のもとで、着々と戦時体制を敷いてきています。
「国葬」は、憲法に反し、「国民」を思想的・政治的に「一つにまとめて」統制・統治する戦時体制を支える危険性がきわめて大きいものです。自衛隊で始まって自衛隊で終わり、天皇制が色濃く反映した「安倍国葬」はすでにその危険性を示したのではないでしょうか。
「国葬」は、対象がだれであろうと、いかなる手続きをとろうと、絶対に容認できません。「安倍国葬反対」から「あらゆる国葬反対」へ運動を広げていく必要があります。