アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「安倍国葬反対」から「国葬自体反対」へ

2022年09月30日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 「安倍晋三国葬」は強行されましたが、多くの人々が反対の声を上げ、集会・デモに参加したことは貴重な成果です。27日当日はNHKでさえそれなりに反対の声・行動を報じました。市民の力以外のなにものでもありません。

 この成果を今後に繋げていく必要があります。次の問題は、「国葬」そのものの是非です。

 「安倍国葬」に反対する主な理由は次の点でした。①国葬には法的根拠がない②政府が野党や国会に諮らず一方的に決定した③16億円6千万円の税金使用④安倍政治の評価⑤安倍氏と旧統一教会の関係⑥弔意を強要することになり憲法の思想・信条・良心の自由に反する。

 このうち④⑤は引き続き徹底的に追及しなければなりません。①~③については、「安倍国葬」に出席した日本維新や国民民主でさえ検討する必要があるとしており、来月3日開会の臨時国会で議論になります。
 では仮に、何らかの「法的根拠」がつくられ、国会に諮ることがルール化されれば、「国葬」は認められるでしょうか。

 けっしてそうではありません。なぜなら、⑥の問題は最後まで残るからです。⑥こそ「国葬」の最大問題、「国葬」が憲法違反である根拠です。さらにそれは、国家権力による「国民」の一元的統合・支配という重大な政治的問題を伴います。

 「国葬問題」を研究している宮間純一・中央大教授(写真右)はこう述べています。

< 日本の国葬は過去、天皇制を補完する儀式で、国民を一つにまとめる統合のための装置でした。天皇が「この人はよくやった。国に尽くしてくれた。そういう人が亡くなったから私は悲しいんだ」とし、国民みんなでこれを共有しようという場が国葬でした。一つの模範像を示し、「みんなこれに倣え、これが国民の鑑なんだ」とする意味もあった。

 全体主義の国家や戦前の日本のような天皇制国家だと国葬は機能しますが、現在の日本では、機能しない。

 (今後も国葬は必要か、との問いに) 私はいらないと思います。今の社会になじまないし、目的もよくわからない。結果的に生まれるのは分断だけだっていうのが実証されたわけですから。

 もし日本が将来的に戦争に陥るといった危機的な状況に陥ることがあった場合、そのときにすごい人気のある政治家とかが出て、その人を国民全員でまつろうっていうようなことにならないとも限らない。

 こういうのが一番怖い。下から湧き上がってきて権力者をほめたたえる構造ができて、それが悪用される可能性は排除できない。このままの状態で国葬を残しておくのは私は危険だと思う

 国葬は大多数が望んでその人を送り出そうという意思がなければ成立しません。でも、一つの価値観を国家が共有することは今の日本社会に必要なんでしょうか。>(28日付朝日新聞デジタル=抜粋)

 多くの点で賛同します。宮間氏は「もし日本が将来的に戦争に陥る場合」と言っていますが、それはけっして「将来的」なことではないでしょう。きわめて近いうちに到来すると考えざるをえません。すでに自民党政権は日米軍事同盟(安保条約)のもとで、着々と戦時体制を敷いてきています。

 「国葬」は、憲法に反し、「国民」を思想的・政治的に「一つにまとめて」統制・統治する戦時体制を支える危険性がきわめて大きいものです。自衛隊で始まって自衛隊で終わり、天皇制が色濃く反映した「安倍国葬」はすでにその危険性を示したのではないでしょうか。

 「国葬」は、対象がだれであろうと、いかなる手続きをとろうと、絶対に容認できません。「安倍国葬反対」から「あらゆる国葬反対」へ運動を広げていく必要があります。

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「安倍国葬」が示した象徴天皇制の反憲法的実態

2022年09月29日 | 天皇制と憲法
   

 27日強行された「安倍晋三国葬」には、皇族から皇嗣・秋篠宮夫妻など7人が参列・供花しました(写真左・中)。天皇は参列せず、使いを送り拝礼しました。皇后、上皇夫妻も同様でした。

 天皇・皇族のこうした「国葬」へのかかわりは、象徴天皇制の反憲法的実態を2つの面からあぶり出しました。

 1つは、政権による天皇・皇族の政治利用です。

 岸田政権が皇嗣はじめ皇族を参列させ、天皇らに使いを出させたのは、国民多数の反対を押し切って強行した「安倍国葬」への“権威付け”を図ったもので、明らかな政治利用です。

 宮内庁幹部は「国葬を閣議決定している以上…皇族はそれを前提に行動するしかできない」(9月4日付共同配信)と述べていますが、けっしてそうではありません。

 憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と規定しています。政府は「国葬」は「憲法の定める国事行為」ではないと言明しています。ということは、政府は閣議決定によって天皇・皇族を「国葬」に関わらせることはできないのです。

 高嶋伸欣・琉球大名誉教授はこう指摘しています。
国葬のような国事行為に属さない行事に、皇室がどこまで参加するのかなどの規則や法整備がされていない。そのため、今回のような露骨な政治利用に組み込まれてしまっている」(28日付沖縄タイムス)

 その通りです。ただそれは、「規則や法整備」が必要だということではなく、「国事行為に属さない行事」すなわち政府が「公的活動」と称しているものは、憲法上認めることはできないということです。

 もう1つの問題は、天皇・皇族に対する露骨な特権的扱いが、「国葬」という国の行事で公然と行われたことです。

 天皇の使いは「勅使」と紹介されました。「勅使」とは天皇の意思を伝える使者のことで、「勅令」などとともに天皇主権の大日本帝国憲法時代の用語です。

 岸田首相と衆参議長、最高裁長官4人の弔辞は、口をそろえて「従1位大勲位の安倍晋三君」という言葉で始まりました。ふだん使わない用語を意識的に統一して使っていることは明らかです。「国葬」の対象者を天皇が与えた勲位で形容することで、天皇の“君臨”を示したものと言えます。

 天皇、皇后、上皇、上皇后の使いは、一礼してそのまま退場しました(写真右)。その間、場内は全員起立したままでした。

 天皇はなぜ「国葬」に参列しなかったのでしょうか。宮内庁は「慣例に従った」としています。慣例とは何か。宮内庁幹部は、「戦後廃止された旧皇室喪儀(そうぎ)令に倣っている」と言っています(17日付朝日新聞デジタル)。

 旧皇室喪儀令は1926年10月、大正天皇が亡くなる2カ月前に作られた皇室の喪儀(葬儀)に関する法令で、天皇や皇后の参列は、先代の天皇や皇太后の葬儀に限るとされています。

 敗戦によって廃止されたはずの皇室喪儀令が、実際は生きているのです。
 現憲法下でも天皇・皇室に関しては戦前の帝国憲法下の法令・慣習が生きている例は少なくありません。「皇位継承」を「男系男子」に限っている露骨な差別法令である「皇室典範」はその代表例ですが、「皇室喪儀令」もその1つであることが「安倍国葬」で明らかになりました。

 憲法は「法の下の平等」(第14条)を規定しています。にもかかわらず皇族が特別扱いされ、天皇はまるで「君主」であるかのように扱われ、大日本帝国憲法下の法令がいまも生き続けている。

 「安倍国葬」があぶり出したのは、象徴天皇制が憲法の民主的原則とは相いれない、国家権力による統治のための制度だということです。


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自衛隊で始まって自衛隊で終わった「安倍国葬」

2022年09月28日 | 自衛隊・軍隊・メディア
      

 多数の反対を押し切って岸田文雄政権が強行した27日の「安倍晋三国葬」。午後2時前から4時過ぎまで、NHKはじめ民放各局(テレビ東京除く)が特番を組みました。その中継を見ていると、この「国葬」の主役は自衛隊だと思わざるをえませんでした(写真は左から①~⑥)。

自宅前 午後1時半、安倍氏の遺骨が渋谷区の自宅を出発。自宅前には多数の儀仗兵が整列し、頭を下げました(写真①)

立ち寄り 遺骨と昭恵氏を乗せた「日の丸」を掲げた車は、会場へ向かう途中で寄り道。向かった先は防衛省でした。庁舎の前で多数の自衛官が出迎える中、車はゆっくり通過(写真②)。防衛省に寄ったのは「遺族の希望」(中継キャスター)だとか。

遺骨先導 2時前、遺骨を抱いた昭恵氏が武道館に到着。出迎えた岸田首相と共に館内へ。2人を先導したのは、自衛隊の儀仗隊長でした(写真③)。

弔砲 武道館へ到着と同時に、自衛隊による弔砲が19発(写真④)。弔砲は階級によって11発~21発まで6段階あり、19発は「皇族・国家元首・大統領」の21発に次いで2番目(首相、副大統領など)。

遺骨を祭壇へ 昭恵氏から遺骨を受け取って祭壇へ置いたのも3人の儀仗兵でした(写真⑤)。

演奏 会場で「君が代」などを演奏したのは、陸上自衛隊中央音楽隊(防衛相直轄)。

儀仗隊大挙入場 2時10分、銃剣を携えた儀仗隊が大挙して入場(写真⑥)。異様な光景です。それを待っていたように、黙とうが行われました。

遺骨見送り 6時すぎ、「国葬」が終わり、遺骨が武道館から自宅へ戻る際、「花は咲く」を演奏したのは海上自衛隊音楽隊でした(この中継はなかったのでテレビが報じた「予定表」から)。

1390人 この日「安倍国葬」に動員された自衛隊員は、約1390人とされています。

 まさに自衛隊で始まって自衛隊で終わった「安倍国葬」でした。それは、安倍氏と自衛隊のただならぬ関係を象徴しています。

 安倍氏が首相になって(第1次安倍政権)真っ先に行ったのは、教育基本法改悪(2006年12月)と防衛庁の防衛省への“昇格”(07年1月)でした。

 第2次安倍政権ではさらに拍車がかかり、「防衛装備移転(武器輸出)三原則」の閣議決定(14年4月)、憲法違反の集団的自衛権行使を容認する政府見解決定(同7月)、それを法制化した戦争法(安保法制)強行(15年9月)。

 政権期間を通じてアメリカの兵器を爆買いし、軍事費はうなぎ上り。憲法違反の軍隊である自衛隊を憲法に明記する憲法「改正」をライフワークとしたのは周知の事実です。

 自衛隊にとって安倍氏はまさに守護神だったのです。

 しかし、上記のもようを、ただ安倍氏と自衛隊の親密な関係の表れとして済ませることはできません。なぜなら、これは安倍氏の私的葬儀ではなく、国が多額の税金を使って行った「国葬」だからです(7月の私的葬儀でも儀仗隊が動員されたことも大問題ですが)。

 自衛隊は「国葬」の場を最大限利用してその存在をアピールし、政府は「国葬」によって自衛隊をいっそう社会に浸透させようとしたのです。

 1943年6月5日、東条英機内閣は連合艦隊司令長官・山本五十六の「国葬」を行いました。目的は戦意高揚。それから79年。ウクライナ戦争の中、年末までに「国家安全保障戦略」など安保関連3文書が改定されます。
 自衛隊が取り仕切った「安倍国葬」は、日本人に新たな“戦意高揚”を促しているように思えてなりません。



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NHK・字幕捏造問題の根源とメディアの根本的欠陥

2022年09月27日 | 人権・民主主義
   

 NHKがBSⅠスペシャル「河瀨直美が見つめた東京五輪」(昨年12月26日放送)で東京五輪反対デモ参加者の字幕を捏造した問題で、放送倫理・番組向上機構(BPO)が「重大な放送倫理違反があった」と認定(9日)したことについて、NHKの林理恵メディア総局長(専務理事)は21日の記者会見でこう述べました。

「取材、編集、試写の各段階に問題があり、デモや社会運動に関する関心が薄く、取材相手への配慮や誠意を欠いていたという指摘を真摯に受け止めている」(21日付朝日新聞デジタル、写真中)

 BPOの指摘はどういうものだったか。9日の記者会見で、高田昌幸委員長代行(東京都市大学教授)はこう述べていました。

「一番印象に残っているのは、ヒアリングの際に現場スタッフの方のほぼ全員がデモとか、いわゆる社会的活動に関心がないということを、あっけらかんと語っていたことだ。もともと関心がない、だから深く考えなかったと繰り返していた。放送番組を作る側の感度、意識の低さというか、そういう部分も今回の問題の背景にあったのではないかと思う」(BPOのHPより)

 驚くべきことです。いやしくも報道機関、しかも公共放送といわれるメディアで、「現場スタッフのほぼ全員がデモとか、いわゆる社会的活動に関心がない」。それで報道の仕事ができると思っているのでしょうか。

 しかもそれを「あっけらかんと」語り、報道責任者の専務理事も、「指摘を真摯に受け止める」と認めたのです。

 高田委員長代行は「そういう部分も今回の問題の背景にあった」と控えめに述べていますが、これこそ今回の問題の核心ではないでしょうか。これはメディアとしての根本的欠陥です。これではデモの意味も、政府が強行する東京五輪に反対することの意味も分かるはずがありません。デモ参加者を冒涜する捏造を行っても、良心の痛みなど感じないでしょう。

 そしてNHKのこの根本的欠陥は、この件に限らず、同局が政府(国家権力)と癒着し、そのプロパガンダ機関になりさがっている根幹的理由ではないでしょうか。

 問題は、「デモとか、いわゆる社会的活動に関心がない」のはNHKだけなのか、ということです。

 たとえば、「安倍国葬」を前にした19日、東京・代々木公園で反対集会が開催され、台風の雨風が吹き荒れる中、市民1万3千人(主催者発表)が集い、横断幕やプラカードを持って渋谷や原宿をデモ行進しました(写真右)。時期といい内容といい規模といい、きわめて重要な出来事です。

 この集会・デモをメディアはどう扱ったでしょうか。

 NHKをはじめ、翌日(20日)付の新聞も、産経、読売、日経はもとより、朝日、毎日も1行も報じませんでした(大阪本社版)。中国新聞は第2社会面ベタ、沖縄タイムスは第2社会面2段、琉球新報はなし。東京新聞だけが1面トップで大きく報じました。

 「デモや社会活動の関心がない」のはけっしてNHKだけではないのです。

 日本のメディアの編集幹部の視線・関心は、政府や主要政党の動向に向いています。市民の生活や活動など眼中にありません。その編集方針に従って現場の記者は取材し記事を書きます。結果、記事・報道は市民の視点・関心から遠くかけ離れたものとなり、それが政治離れ、無関心、政治変革へのあきらめを生み助長します。

 これこそ、対米追従・新自由主義の自民党長期政権を支えている日本のメディアの根本的欠陥です。


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「安倍国葬」と若者とファシズム

2022年09月26日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 「安倍国葬」(27日)に対しては各種世論調査で「反対」が過半数ですが、それでも40%近くが「賛成」しています。とりわけ若年層では賛否が逆転し、例えば朝日新聞の世論調査(8月末)では、18~29歳で「賛成」64%、「反対」30%です。

 さまざまな違憲性が指摘され、(旧)統一教会との関係がこれほど問題になっているにもかかわらず、「賛成」がかなりの部分を占めている現実は、何を示しているでしょうか。注目される2人の指摘から考えます。

 1人は、防衛大卒から時事通信の記者をへて、現在フリーライターの松田小牧氏(1987年生まれ)。なぜ若者に「国葬賛成」が多いのかについてこう述べています。

< 民主党政権で日本が揺れた時期から強いリーダーが出てきて、親戚のおじさんみたいな雰囲気なのに、世界の要人と渡り合ってすごい―。そんな思いで「国葬ぐらい、いいじゃない」となる。

 若者の間では、仲間内で政治の話をすると「イタい」と思われ、浮いてしまうような風潮もあります。若者は政権を批判しても得られるものがない。むしろデメリットばかりで、批判をしても世の中は変わらない、とも思っている。

 給料があがらず、人口減少が進んでいく中で、これから社会が豊かになるとは思えない。そんな状況で国葬に反対して何が変わるのか、と。いまの若者たちは、デモをしてもこの社会を変えられるとは思っていないんです。>(20日付朝日新聞デジタルのインタビュー=抜粋)

 もう1人は、慶応大法学部教授(政治思想史)の傍ら音楽評論家でもある片山杜秀氏(1963年生まれ)。「国葬」についてこう考察しています。

< 死者をあがめることで国が団結する、というような「未熟な近代」のような精神を日本は克服してきたはずだが、そこに回帰しているように思う。

 政治家に権威を求めるムードは国民の間にもある。国が下り坂になり、自信を失った国民は「日本はすごい」と思わせてくれる強いリーダーを支持するようになった。

 結果責任より、主要国の首脳と何十回会ったといった「頑張る姿」の方が評価され、カリスマ性を高める。国民が政権のパフォーマンスに拍手喝采し、不都合な事実から目を背けるのはファシズムの特徴だ

 安倍氏が国葬にふさわしいか否かは、事の本質ではない。

 誰かを権威に祭り上げて国民を束ねるのは民主的でない、という戦後民主主義の着地点を見失っていないか。
 本来、政治家は権威を背負わなくてもいい。課題に対処し、失敗すれば責任を取ればいいだけの話。そうした理性を取り戻せるかファシズムに流されるか岐路にあると言える。>(17日付中国新聞のインタビュー=抜粋)

 もちろん、松田氏が指摘するような若者たちばかりではないでしょう。しかし、この問題に限らず、政治・社会に対する意識の世代間ギャップは感じざるをえません。
 同時に松田氏が指摘する政治変革への諦めは、けっして若者だけでなく、30代以上にも広がっているのではないでしょうか。

 それが、片山氏が指摘する「ファシズムの特徴」を形成し、根を広げている。社会不安がファシズムの土台となり、そこに軍事主義、ナショナリズムがプロパガンダによって上乗せされ、きわめて危険な「岐路」に立っています。

 「安倍国葬」はそうした日本の「岐路」をあぶり出したのではないでしょうか。

 どうすれば「ファシズムの流れ」に抗い、理性を取り戻すことができるのか。即答できません。諦めずに考え続けるしかありません。

 

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日曜日記216・報道特集・金平氏は山口敬之性暴力事件の自己検証を

2022年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム
 
 24日のTBS報道特集で、永年キャスターを務めてきた金平茂紀氏がレギュラーから降りる挨拶をおこなった。

 報道特集は日本の報道番組としては傑出している。金平氏も並みのジャーナリストではないと思う。だからこそ、言わねばならない。かつて番組で公言した重要な約束がまだ果たされていない、このままうやむやにすることは許されない、と。

 フリージャーナリストの伊藤詩織さんが2015年4月、性暴力に遭った。伊藤さんは実名で告発し、法廷闘争をたたかった。結果、東京地裁は2019年12月18日、伊藤さんの訴えを認めて加害者に損害賠償を命じる判決を下した(今年1月に東京高裁でも同様の判決があり、7月7日上告棄却で判決は確定)。

 加害者は元TBS記者の山口敬之氏(事件当時ワシントン支局長)。金平氏は事件当時TBSの執行役員で、山口氏の上司だった。事件はTBSにとっても金平氏にとっても文字通り他人事ではない。

 東京地裁判決から3日後、2019年12月21日の報道特集の冒頭、金平キャスターは、判決を「画期的な出来事」としたうえでこう述べた。
「今日は残念ながらできないが、いつの日か(この問題を)取り上げたい」

 報道特集・金平氏がこの事件をどういう視点で「取り上げ」るのか注視してきた。しかし、今日に至るも取り上げられていない。

 山口氏による性暴力事件は、大手メディアの記者がその立場を利用してフリージャーナリストに被害を及ぼしたという点でも、メディアとして絶対にあいまいにしてはならない事件だ。メディア全体の中に巣くうジェンダー・性差別の氷山の一角でもある。

 さらに山口氏は、自身が公言しているように、安倍晋三元首相ときわめて親密な関係にあった。刑事事件としての起訴を免れたのも政権との関係が取り沙汰された。事件を検証することは、安倍元首相と記者(メディア)の癒着を明らかにするうえでも重要だ。

 あらゆる点から、報道特集にはこの事件を自己検証する責任がある。番組で公約したことを実行しなければならない。

 金平氏はレギュラーキャスターは降りたが、特任キャスターとして番組には関わり続けるという。今からでも遅くない(実際は遅いが)、公約通り、山口敬之性暴力事件を自己検証し、報道特集で放送すべきだ。

 一部に、金平氏は社内で検証を主張したが上層部が退けたとも言われている。もしそれが事実なら、そのことも含めて、金平氏は真相・経緯を明らかにすべきだ。
 仮にそれでTBSを去らねばならなくなるとしても、自身の言明に反してこのまま事件にフタをしてTBSに留まることと、どちらがジャーナリストとしてとるべき道であるかは、自明ではないだろうか。


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ウクライナ停戦・和平に必要な途上国の視点

2022年09月24日 | 国家と戦争
   

 日本のメディア(おそらく欧米メディアも同様)のウクライナ報道は、ウクライナの反撃、ロシアの予備兵動員など、一進一退の戦況報道に終始しています。なぜ停戦・和平へ向けた報道・論評がないのでしょうか。

 注目されるのは、現在行われている国連総会におけるいわゆる途上国の視点・主張です。

「20日からの国連総会一般討論演説で…欧米のウクライナ支援に対して発展途上国を中心に「特別扱い」との不満が渦巻き、ロシア非難は国連の舞台で求心力を失いつつある(21日付沖縄タイムス=共同配信)

 欧米諸国が国連総会でのゼレンスキー大統領のビデオ演説を要求したのに対し、「アフリカの外交官は「ほかにも訪米できない首脳はいる。なぜ外相ではいけないのか」と不快感を隠さない。「ウクライナにだけ特例を許すのは二重基準だ。欧米はやり過ぎている」」(同)

 一般討論演説でブラジルのボルソナーロ大統領は、「我々は(ロシアの)外交的、経済的な孤立化には反対する。…我々は、国際法に反する一方的かつ選択的な(ロシアへの)制裁が最善の方法だとは思わない」(21日付朝日新聞デジタル)と主張しました(写真右)。

 また、トルコのエルドアン大統領は、「戦争に勝利はないし、公正な和平プロセスに敗者はない。いま必要なのは、解決に向けた対話と外交であること強調したい」と述べ、和平調停に引き続き意欲を示しました。

 このほか、アルゼンチンのフェルナンデス大統領も20日の演説で、「平和は対話によってのみ生まれる」と主張。メキシコの外相は「ウクライナ和平案」を提示し、カタールセネガルなどの政府代表も「早期の和平・停戦」を訴えました。

 こうした途上国の視点・主張は、ロシアの軍事侵攻直後から一貫しています。
 たとえば、今年3月1日、国連総会緊急特別会合で南アフリカの代表はこう演説していました。

「われわれは、平和はグローバルな対話のための諸機関、とりわけ国連の枠組みの中で行われる外交と対話を通じて最もよく築かれるものであることを強調する。(中略)
 われわれはさらに、すべての紛争が同じ注意を払われてはいないことにも憂慮をもって言及する。実際、ウクライナにこれほどの注意が集中している一方、安保理の懸案になっている長期にわたる紛争がいくつもあり、解決されないまま続いている。他の長期紛争―そのなかでは国連憲章と人権が蹂躙されている―に対しても同等の関心を注ぐことが必要である」(「世界」臨時増刊「ウクライナ侵略戦争」所収)

 同じく同日の緊急特別会合で、キューバ代表もこう演説しました。

「われわれはロシアとウクライナの交渉の開始を歓迎する。戦争でなく、対話と交渉が、紛争解決の唯一の手段である。
 キューバは目下のヨーロッパにおける危機が平和的手段で解決され、全当事者の安全と主権、地域および国際の平和、安定と安全が保証されるよう、真剣、建設的、かつ現実的な外交的解決を行うことを主張しつづける」(同)

 こうした途上国の主張・活動が報じられることはほとんどありません。
 NHKなど日本のメディアは、途上国はロシアとの政治・経済的関係が深いからだとコメントしていますが、それは「早期和平」論に対する中傷・冒涜に他なりません。

 途上国が、ウクライナの「特別扱い」を批判するのは、アメリカをはじめとするNATO、G7諸国の武器供与などのウクライナ支援が、停戦・和平に逆行し、他の長期紛争や食糧・貧困問題の解決をも遅らせるからです。

 ウクライナ・欧米諸国対ロシアという二極対立・軍事ブロック対立・新冷戦構造ではなく、途上国の中立的視点・主張こそ、戦争・紛争の早期終結・和平のカギを握っています。


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「沖縄にシェルター」切迫するミサイル戦場化の危機

2022年09月23日 | 沖縄・米軍・自衛隊
   

 「先島に避難シェルター 政府検討 有事を想定」(16日付沖縄タイムス1面トップ)
 この記事(共同配信)が沖縄で大きな波紋を広げています。21日には県庁前広場で「避難シェルターいらない! ミサイル基地いらない!緊急集会」が開催され、約100人が参加しました(写真右=沖縄タイムスより)。

 記事の概要はこうでした(抜粋、太字は私)。

< 政府が、台湾海峡や南西諸島での有事を想定し、先島諸島などで住民用の避難シェルターの整備を検討していることが分かった。年末までに改定する「国家安全保障戦略」で国民保護の対応策充実を明記する方向。

 内閣官房は2023年度予算概算要求で、武力攻撃に耐えられるシェルターの仕様に関する調査費を計上。

 シェルター候補地として、石垣市など複数の自治体が浮上。弾道ミサイル攻撃に備え、地上設置型、地下埋設型の防空施設をつくる案が検討されている。

 政府が秘密裏に、日本全国にシェルターを整備した際の総経費を試算したところ、高額化が避けられないと判断。緊迫化する台湾情勢を念頭に、当面は先島諸島を優先させる方向となった。>

 沖縄の市民でつくる「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」は20日、県庁で会見し、シェルター設置計画に抗議しました。
 同会は、「沖縄が戦場になることを前提とした計画であり、沖縄が『捨て石』にされた沖縄戦と重なる」と指摘。石原昌家共同代表(沖国大名誉教授)は、「シェルターの装備は軍と行政と住民が『共生共死』を強いられた沖縄戦と同じ流れで、77年前の教訓から何も学んでおらず怒りを感じる」(21日付琉球新報同)と指弾しました。

 沖縄が「捨て石」にされようとしているのは同じですが、77年前と違うのは、米軍と自衛隊のミサイル基地化によってミサイル戦の戦場にされようとしていることです(写真中は自衛隊の12式地対艦ミサイル)。

 小西誠氏(軍事ジャーナリスト)はこう指摘しています。

「自衛隊の長射程の対艦・対地ミサイル配備、米軍の中距離ミサイル配備が、米中露日の激しいミサイル軍拡競争を引き起こすことは不可避だ。
 事態は、東アジア全域を巻き込む、ミサイル戦争の危機になりかねない。しかも重大なことに、このミサイル戦場とされる琉球列島は、台湾有事・対中国戦争の「攻撃的ミサイル発射基地」として位置付けられつつある」(20日付沖縄タイムス)

 ミサイルの戦場でシェルターなど役に立たないことは明らかです。「シェルター設置の検討」は「国民保護」のポーズであり、沖縄そして全国をミサイル戦場にすることの下地づくりに他なりません。

「私たちの喫緊の課題は、今や中国へのミサイル攻撃の拠点―「台湾有事」下の「中国本土攻撃基地」として位置付けられた、琉球列島への各種のミサイル配備を断固拒み、日中の平和外交の推進を強く押し進めるということだ」(小西氏、同)

 これが沖縄だけの課題でないことは言うまでもありません。
 沖縄は常に真っ先に日本による犠牲を被ってきました。琉球併合(1879年)の15年後に日清戦争(1894年)が起こり、「天皇制護持」のための沖縄戦の2か月後に広島・長崎に原爆が投下され、天皇裕仁の「沖縄メッセージ」(1947年)の4年後に日米軍事同盟(安保条約)が締結されました。沖縄の人々のたたかいは、日本の危機への警鐘です。

 沖縄を米軍と自衛隊のミサイル基地にしてはならない。それは日本全体の喫緊の課題です。


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「安倍国葬」メディアは不参加の表明を

2022年09月22日 | 人権・民主主義
   

 岸田政権は「安倍国葬」(27日)の「案内状」を送った基準について、「元首相の過去の葬儀を踏まえた」(内閣府担当者)として、∇海外の要人∇立法・行政・司法関係者∇地方公共団体代表∇各界代表∇遺族や遺族関係者∇報道関係者、だと明らかにしました(16日付朝日新聞デジタル)

 「報道関係者」が含まれていることに唖然としました。
 過去の元首相の葬儀でもそうだったということですから、これまで気づかなかったのは迂闊でした。

 この場合の「報道関係者」は取材者ではありません。「案内状」の送り先、すなわち招待者です。
「元首相」という最高権力者だった人物の死を悼んで国家(政府)が行う政治的儀式(自民党との合同葬も同様)に、権力の監視者であるべき「報道関係者」を招待するのは、国家によるメディアの取り込みです。それに応じて列席するのは、国家権力との癒着にほかなりません。

 とりわけ「安倍国葬」への出席がメディアとしてあるまじきことであるのは言うまでもありません。さまざまな点で憲法上疑義があるうえ、旧統一教会の反社会的行為を助長させると多くの法律家や学者が指摘し、メディアもそう主張してきました。

 たとえば、朝日新聞は社説で、「数々の疑問に答えず、社会に亀裂と不信を残したまま、既成事実を積み重ねるつもりなのか。岸田首相は、国民から厳しい目が注がれていることを自覚し、立ち止まるべきだ」(8月28日付)、「このままでは、国葬とは名ばかりで、社会に亀裂を残したままの実施になりかねない」(9日付)と繰り返し中止を主張してきました。

 毎日新聞も社説で、「首相は国葬への批判を「謙虚に受け止める」と強調した。そうであるならば、国民の合意を得る努力を尽くさなければならない。このまま強行するのでは無責任だ」(9日付)と書いてきました。

 こうした自らの主張に照らしても、「安倍国葬」への列席はありえません。

 メディアが憲法遵守・民主主義を標榜するのであれば、自らの紙面(1面)や報道番組の中で、「安倍国葬」へは社として出席しないと公式に表明すべきです。

 産経新聞、読売新聞、日経新聞など国家権力と一体化しているメディアはなんのためらいもなく参列するでしょう。他のメディアも同じ選択をするなら、日本のメディアの大政翼賛化を白日の下にさらすことになります。

 問われているのはメディアだけではありません。国会議員、地方議員、地方自治体首長、「各界」から、誰が「安倍国葬」に参列するのか。それは所属政党や支持政党の問題ではありません。憲法・民主主義を遵守するのかどうか、カルト集団の反社会的行為を許さない立場に立つのかどうかの問題です。

 「安倍国葬」に対する態度(出欠席・賛否)は、個人・団体の真価が表れる試金石です。

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NHKが報じない英王室批判・離脱の広がり

2022年09月21日 | 天皇制とメディア・「文化人」
   

 英エリザベス女王の国葬が行われた19日、NHKは午後7時のニュースを1時間15分に拡大したのに続き、8時15分から55分まで生中継、さらにニュースウオッチ9で詳しく報じるなど、異常な力の入れようでした(記者らが喪に服していたことは言うまでもありません=写真右)。

 その内容は女王の賛美一色。NHKがこれほど力を入れて女王・英王室を美化する底流には、日本の皇室・天皇制擁護があります。
 しかし、NHKの報道とは違い、英国内でも国葬に対する抗議活動があり、英連邦諸国やかつて植民地支配された国々からは女王・君主制に対する批判、離脱の動きが強まっています。

 英連邦の中で、カリブ海の島国やカナダで君主制から離脱して共和国に移行する動きが強まっていることは先に見ましたが(10日のブログ)、それ以外にも次のような動向があります。

◎ロンドンで国葬・王制に反対する市民の抗議活動

 NHKの中継は「涙で女王に別れを惜しむ市民」ばかりが映されましたが、市民はけっして一色ではありません。16日のニュースでは、ロンドン警視庁が「国葬を前に王政反対の抗議活動も強制的な排除は行わない方針」を決めたと報じました(写真左)。

 当然のことですが、それをわざわざ確認しなければならないのは、ロンドン市内でも国葬・王制反対の抗議活動が起こっていることを示しています。国葬当日どのような抗議活動があったのか知りたいところですが、NHKがそれを報じることはありませんでした。

◎オーストラリアで国王廃止の議論と世論が増加

「女王の死去を受け、英国王を国家元首とする立憲君主制を取るオーストラリアで、国王を廃止する議論に注目が集まっている。

 1990年代に「英国の影響から完全に抜け出るべきだ」などとして共和制への移行が議論されたが、この時は国民投票(99年)で立憲君主制の維持が決まった(共和制賛成45%、反対55%)。

 5月の総選挙で政権を握った労働党は、共和制への移行を党是として掲げている。アルバニージー首相も共和制支持派として知られ、自身の就任宣誓式でも女王への忠誠は誓わなかった。

 公共放送ABCが5月に発表した世論調査では、共和制移行に賛成が43%で、16年の36%、19年の39%からじわじわと上昇している」(10日付朝日新聞デジタルから抜粋)

◎「支配の象徴」英王室の冠のダイヤ返還求める声が再燃

「女王の死去を受けて、英国の植民地だったインドで英王室の冠に飾られているダイヤモンド「コイヌール」(写真中)の返還を求める声がネット上を中心に再燃している。ツイッターでは「インドから奪取された」「早く返還を」と求める声が強まった。

 英国の慈善団体によると、コイヌールは「おそらく南インド中央部の鉱山で産出された」という。イランやアフガニスタンの王族が所有していたこともあり、「支配の象徴」とされてきた。

 このダイヤをめぐっては、1947年に独立したインドのほか、パキスタンなど近隣国がたびたび返還を求めてきたが、英政府は後ろ向きな姿勢を見せてきた。キャメロン元首相は2010年に返還について問われた際、「一つのものに応じれば、大英博物館は空っぽになるだろう」と答えた」(18日付朝日新聞デジタルから抜粋)

◎「私は追悼できない」アフリカで消えぬ被支配の記憶

「英国が数多くの地域を植民地として支配してきたアフリカ大陸からは、過去の植民地支配や弾圧への憤りが数多く発信されている。

 弁護士を名乗るケニア人女性はツイッターで9日、52~60年の独立闘争に対する英国の弾圧に触れた上で、「私たちの祖父母はほとんどが弾圧された」「私は追悼することができない」と投稿した。

 同じく英国に支配された歴史を持つ南アフリカでは、第2野党が9日、「我々はエリザベス女王の死を悼まない」とする声明を発表。「女王として在位していた70年間、彼女は英国が世界中で侵略した現地の人々に対して、彼女の一族が行った残虐行為を一度も認めることはなかった」などと批判した」(19日付朝日新聞デジタルから抜粋)

 植民地支配した地の文化財略奪といい、侵略・植民地支配の責任棚上げといい、英国と日本の共通点は少なくありません。天皇・君主制を美化・擁護するメディア・「識者」らの報道・言説とは逆に、植民地支配の責任追及、君主制からの離脱の動きは広がっています。日本でも「象徴天皇制」の再検討・廃止へ向けて議論を広げていく必要があります。

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