アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

衆院選結果・重大なメディアの責任

2021年11月01日 | メディアと日本の政治・社会

    

 31日投開票の衆院選は、自民党が単独で過半数(233)を超えて安定多数(244)以上を維持し、自・公で絶対安定多数(261)を確保する結果となりました。いつ自民と連立してもおかしくない日本維新が大きく議席を増やしたことも軽視できません。

 検証しなければならないポイントはいくつかありますが、全体的特徴としてまず指摘しなければならないのは、メディアが果たした重大な否定的役割です。

 今回の選挙に対する自民党の戦略は、コロナ対策や東京五輪強行などで支持率を大きく落とした菅義偉首相を降ろし、岸田文雄首相で目先を変える擬似政権交代を演出することでした。そして選挙で苦戦が予想される議員を新入閣大臣にし、地金が表れないうちに、予定を前倒しして早々に選挙を行うことでした。

 結果は、その思惑通りになったと言わねばなりません。

 大臣ポストの効果が典型的に表れたのが、沖縄4区です。
 接戦が予想された同区で、自民党の西銘恒三郎氏が当選しました。西銘氏は岸田内閣で初入閣し、「沖縄北方担当相」に就任しました(写真右)。

 西銘氏はこの肩書をフルに使いました。選挙区内の与那国町では選挙期間中の10月28日、役場の前で「大臣就任激励会」を開くという、選挙違反まがいのことまで行われました。西銘氏は自身のツイッターで、「与那国島で大臣就任激励会に出席」と書き込みました(10月29日の朝日新聞デジタル)。

 広島3区も同様です。河井克行元法相の買収事件で自民党にとって逆風のはずの同区で、自民党が推薦した公明・斉藤哲夫氏が圧勝。斉藤氏は岸田内閣で国交相に就任。豪雨災害の爪痕が残る広島で、斉藤氏は「私が(防災の―引用者)国の責任者だ」(10月27日付中国新聞)と強調し、国交相の肩書を書いた名刺をばらまきました(写真中)。

 大臣就任を利用したこうした選挙活動は、大臣ポストの党利党略的利用にほかなりません。

 しかしこうした自民党戦略は、強力な援軍なくしては奏功しなかったでしょう。その援軍がメディアでした。

 メディアは総裁選から岸田内閣成立まで、自民党の報道に終始しました。総理・総裁の交代であたかも自民党の政策・路線が変わるかのような幻想を与え、自民党の擬似政権交代戦術に加担しました。また、衆院解散で「1週間内閣」になることが分かっていながら、「新大臣」をクローズアップする報道に終始しました。それは沖縄県紙も例外ではありませんでした。

 こうした報道が、選挙区での具体的な効果以外にも、全国的に有権者の関心を自民党へ向け、逆風を和らげる役割を果たしたことは間違いありません。

 それは「不偏不党」どころか、自民党を大きく利する偏向報道と言わねばなりません。国家権力に迎合する日本のメディアの劣化を象徴的に示すものです。

 今回の選挙は、そうしたメディアの報道が重大な政治的結果を招くことを示したものです。メディアは猛省しなければなりません。

 


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「自民総裁選報道」は日本メディアの歴史的汚点

2021年09月30日 | メディアと日本の政治・社会

    

 自民党総裁選の投開票が29日行われ、NHKや民放は例外なく、午後1時から2時間半、その一部始終を延々と生中継しました。菅義偉首相の退陣表明(9月3日)以降、約1カ月にわたって繰り広げられた異常な「総裁選報道」の締めくくりを象徴する光景でした。新聞各紙は30日付で1面トップはじめ多くの紙面を割くでしょう(写真は各局の生中継)。

 日本のメディアの「総裁選報道」は、ジャーナリズムの原則を大きく逸脱しているばかりか、政治的にきわめて重大な役割を果たしました。それは日本メディアの歴史的汚点というべきものであり、けっして終わったことにはできません。

 「総裁選報道」がなぜ異常で政治的に重大なのか。改めて要約すれば次の3点です。

 ① 総裁選はあくまでも自民党の党内問題・派閥抗争であり、自民党員以外の一般市民にはなんの関係もない。特定政党の派閥抗争に多大の公共電波と紙面を使うことは、市民の立場に立つ報道とはまったく無縁である。

 ② メディアは「政策論争」なるものを演出したが、同じ自民党幹部の間で基本的政策の違いなどあろうはずがない。まして4人とも安倍・菅政権を支えてきた連中。にもかかわらず「新たな政策」が展開されるかのように報じることは、虚偽報道であるとともに、安倍・菅政権の失政・悪政を隠ぺいし、自民党を助けるものでしかない。

 ③ 本来の政治戦は衆院選である。それを間近に控え、自民党という特定政党の報道に狂奔することは、総選挙へ向けた自民党の広報活動に等しく、自民党への追従以外のなにものでもない。とりわけここに、今回の「総裁選報道」の歴史的汚点たるゆえんがある。

 ②に関し、菅首相は28日の記者会見で、「総理が1年で代わることはどうなのか」との質問を受け、「1つの政党(自民党)だから外交方針は変わらない」と答えました。これが自民党の本音であり、総裁選候補者らはもちろん、メディア関係者も百も承知のことです。にもかかわらず、「政策論争」を演出するのは、きわめて悪質なフェイク報道と言わねばなりません。

 「一般市民にはなんの関係もない」と言うと、必ずメディアから返ってくるのは、「自民党総裁はイコール総理大臣であり、総裁選は事実上次の首相を選ぶもので、一般市民にも大きく関係する」という「反論」(言い訳)です。

 しかしこの「反論」は正当ではありません。なぜなら、首班指名は国会が行うものであり、自民党が第1党だからといって自民党総裁=首相とメディアが断定するのは、国会の権能を無視したメディアの越権・横暴にほかならないからです。これは原理原則論です。

 さらに、今回の総裁選の場合、この原理原則論に現実論が重なります。
 衆院議員の任期は10月21日までです。つまりたとえ4日に開かれる臨時国会で岸田文雄氏が首相に指名されるとしても、その任期はたかだか半月。「自民党総裁は次期総理」といっても“半月総理”にすぎないのです(総選挙まで継続するとしても”1カ月総理”)。

 日本のメディアの「自民党総裁選報道」の異常性・政治的重大性に弁解の余地はありません。

 これでいいのか、現場の記者(とりわけ若手・中堅記者)、心あるメディア関係者は、惰性や組織の縛りから離れ、「総裁選報道」の実態を自己検証する必要があります。

 一方市民は、テレビや新聞が垂れ流す異常な報道を唯々諾々と受け入れるのではなく、異議を申し立て・批判の声を上げる必要があります。

 日本のメディアが抱える問題はヤマほどありますが、市民と心あるメディア関係者が協力して、その根深い病巣にメスを入れ、一歩一歩、メディアの再生(新生)をはかっていきたいものです。


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事実を偽るNHKの古関裕而美化は何を意味するか

2020年10月22日 | メディアと日本の政治・社会

    
 NHKの看板番組・朝ドラの「エール」が作曲家の故・古関裕而をモデルにしている問題については以前書きましたが(5月19日、9月27日のブログ参照)、話の展開が戦中から敗戦後に移ってきた先週から今週にかけ、問題性がいっそう目立ってきました。それは、事実を偽って古関を美化していることです。

 「エール」では、古関をモデルにした主人公が、自ら作った軍歌の数々(たとえば「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」)が若者を戦場に駆り立てたことへの自責の念に苦しみ、1年半以上にわたって作曲活動が行えず、1947年7月に菊田一夫(役名は異なる)と知り合い、「戦争孤児」を励ます「鐘の鳴る丘」の主題歌で復活する、という展開になっています。

 これは事実に反しています。

 古関の自叙伝の「年譜」にはこう書かれています。
 「昭和20年 10月 NHK連続ラジオ・ドラマ「山から来た男」で、終戦後初めて菊田(一夫)氏とコンビを組む」(古関裕而著『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝』集英社文庫)

 古関はすでに1937年には菊田一夫と知り合っています。そして、敗戦から2カ月後には早くもラジオドラマの主題歌を書いているのです。1年半以上自責の念で作曲できなかったという事実はまったくありません。
 「鐘の鳴る丘」が47年7月から始まったのは事実ですが、敗戦からそれまでに古関は実に32曲の作曲を行いレコード化されています(刑部芳則著『古関裕而』中公新書より)。

 古関自身、敗戦直後の様子をこう記しています。

 「終戦後、初めての仕事が菊田一夫さんとの仕事であった。これもなにかの縁なのだろうか。それからの私の音楽は、菊田さんの行くところへとついて行く。まるで、拍車をかけて走る二輪車が、留まるところを知らずに走っているようだった。よくもあれだけ多くの仕事をかかえていたものだと思う。健康な体にも感謝したい」(前掲『古関裕而自伝』)
 ここには、失意どころか、戦争協力に対する反省すらうかがえません。

 「エール」はあくまでもドラマ・フィクションでありドキュメンタリーではないといわれるかもしれません。しかし、「エール」が多くの部分で古関の経歴・足跡にしたがって作れていることは確かです。しかも、軍歌をはじめ作曲した曲名や歌詞は実物です。つまり「エール」は大筋事実の中に虚偽を織り交ぜてつくられているもので、それだけに一層罪が深いと言わざるをえません。

 古関裕而という一作曲家にそれほどこだわる必要はない、と思われるかもしれませんが、決して軽視できない理由があります。

 第1に、古関の美化は侵略戦争・植民地支配の日本の加害責任棚上げと通底します。戦争に積極的に協力した古関が敗戦後は「日本の復興・平和のため」に貢献したというストーリーは、戦争・植民地支配責任をとらないまま「戦後復興」にまい進した日本の姿の投影といえるでしょう。

 「エール」の主人公が、脚色されている中でも、日本の若者を戦場に駆り立てたことには「自責の念」をもったと描きながら、自分の曲がアジアを侵略し殺戮した“行進曲”になったことの責任を微塵も感じていないのは、日本の姿を端的に示しています。

 こうしたストーリーは、安倍・菅政権の下で、朝鮮半島の戦時強制動員(「徴用工」)問題の責任回避が続けられていることと無関係ではないでしょう。

 第2に、古関と自衛隊の関係です。
 古関は敗戦後、数々の自衛隊歌を作曲し、それらは今も隊内で演奏され歌われています。自衛隊創設20年を記念して作られた隊歌「栄光の旗の下に」(写真右)、「この国は」、「君のその手で」、「聞け堂々の足音を」、海上自衛隊の隊歌「海をゆく」などはみな古関の作曲です(「ウィキペディア」より)。

 憲法違反の軍隊である自衛隊は、歴史的にも組織的にも旧帝国軍隊を引き継ぐものです。古関が帝国軍隊の軍歌に続いて自衛隊の多くの軍歌を作曲している事実は、たんに古関の戦争加担への無反省を示すだけでなく、自衛隊の本質、日本軍隊の連続性を象徴するものといえるでしょう。

 自衛隊は日米軍事同盟の下、米、英、豪、印などとの合同訓練を繰り返し、実戦体制を強化しています。隊内では士気を鼓舞するために古関の曲が歌われ演奏されています。その古関を事実を偽って美化することは黙過できません。

 しかもNHKは広島局による朝鮮人差別が大きな問題になっている最中です。「公共放送局」としての責任が改めて厳しく問われます。


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渡辺恒雄氏の黒い「自画像」と日本のメディア

2020年08月10日 | メディアと日本の政治・社会

    
 9日夜のNHKスペシャルは「渡辺恒雄 戦争と政治~戦後日本の自画像」と題し、読売新聞の政治部記者から同社社長をへて、94歳の現在も主筆として同紙を統制している渡辺恒雄氏に対する数回に及ぶインタビューを流しました(写真左。写真はすべて同番組から)。

 渡辺氏が戦後の保守政権(1955年の保守合同以降は自民党)と深く癒着し、憲法改悪、日米軍事同盟(安保体制)強化の旗振り役を務めてきたことは周知の事実で、あらためて取り上げるまでもないほどですが(日曜夜ゴールデンタイムに放送されるNスぺには問題番組が多い)、やはり見過ごせないいくつかの問題について述べます。

 第1に、自民党と右翼の深い関係です。

 1960年の安保改定に際し、岸信介首相(当時。安倍晋三氏の祖父)は自民党内派閥領袖らの協力を取り付けるため、安保改定後は退陣し大野伴睦に政権を委譲するとする「密約書」を交わしました。その立会人になって「密約書」を保管していたのは、戦時中に「児玉機関」と称して軍部と癒着し巨利を得た大物右翼・フィクサーの児玉誉士夫です(写真右)。

 その児玉のもとへ「密約書」の確認に行ったのが、当時読売新聞の記者でありながら大野の側近となっていた渡辺氏でした(写真中の左が大野伴睦、右が渡辺氏)。番組で渡辺氏はそのことをなんの恥じらいもなく誇示し、インタビュア(大越健介氏)も感心して聞き入るばかりでした。

 2に、天皇タブーです。

 番組はタイトルが示すように、渡辺氏や歴代自民党首相らの戦争体験がいかに戦後政治に影を落としているかを強調しようとしたものです。渡辺氏も自分は「反戦主義者」だとし軍部の「戦争責任」をさかんに批判してみせました。それは同氏の権力への接近・癒着の言い訳でもありました。NHKはそれをただ垂れ流しただけでなく、インタビュアは「戦争体験が戦後政治の安全弁として機能した」とまで言って美化しました。

 こうして渡辺氏とNHKは一体となって「戦争責任」を何度も口にしたのですが、それは東条英機ら「軍部」に向けられるだけで、肝心の最大戦争責任者についてはついに一言も触れませんでした。言うまでもなく天皇・裕仁です。裕仁抜きの「戦争責任」とはいったい何でしょうか。渡辺氏とNHKの裕仁擁護、天皇制タブーが浮き彫りになっていました。

 3に、渡辺氏の影響力は過去の話ではないことです。

 渡辺氏は今も読売新聞の主筆として同社の論調・編集を統制しています。その読売は最大の発行部数(巨人軍に負うところ大ですが)の新聞として、日本のメディア界に大きな影響力を持っています。渡辺氏自身も、安倍首相はじめ現在も政界中枢に深く食い込んでいます。ここに自民党政権と癒着し、権力の旗振り役を務めている読売新聞の犯罪的体質の根源があるのです。

 4に、日本のメディア全体の権力との癒着・堕落です。

 渡辺氏によって可視化されているメディアと権力の癒着は、けっして渡辺氏(読売新聞・グループ)だけのものではありません。
 渡辺氏は鳩山一郎に取り入るために鳩山邸に日参し、四つん這いになって孫たち(鳩山由紀夫、邦夫)を背中に乗せて遊んでやったことを自慢げに話しました。これほど醜悪な真似をした記者は当時でも珍しかったでしょうが、なんとかして自民党政治家に接近し取り入ろうとしたのは渡辺氏だけではありません。新聞記者から政治家に転身した自民党議員も珍しくありません。

 問題なのは、そうした新聞記者(とりわけ政治部記者)の権力(自民党)への接近、癒着が、過去の話ではないということです。番記者制度がその温床です。記者が「有力議員」の自宅を朝晩訪れる「夜討ち朝駆け」の悪習はいまだに続けられています。記者(新聞社)は「政治家の懐に入らないと情報はとれない」と言いますが、それは旧態依然とした錯覚、言い訳にすぎません。そうやって記者は情報(「特ダネ」)を取ったつもりでも、結局政治家・政権に都合よく利用されているのです。それを典型的に示しているのが渡辺氏の「自画像」にほかなりません。

 記者はこうした政治家・権力への接近・癒着をキッパリ断ち切らねばなりません。そうでなければ、公正な政治報道、政権を正面から追及する報道(調査報道)・論説は望むべくもなく、メディアの再生はありえません。


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異常な「女優逮捕」報道の陰で見過ごされているもの

2019年11月19日 | メディアと日本の政治・社会

    

 日本のメディア(とりわけテレビメディア)の腐敗ぶりは今さら言うまでもないし、言うもむなしいですが、はやり言わずにはおられません。このかんの「沢尻エリカ容疑者逮捕」報道の異常ぶりはまさに目を覆うばかりです。

 例えば、18日夕方のテレビニュースは、大相撲放送のNHKを除き、TBS系、テレビ朝日系、フジテレビ系のどこにチャンネルを合わせても、出てくるのはこの話ばかり。内容はこれまでの繰り返しで新味がないかどうでもいいようなことにもかかわらず、長い時間を割く。報道のセオリーからも逸脱しています。NHKも夜7時のニュースでは他の重要ニュースをおしのけて3番目に取り上げました(写真)。テレビニュースのワイドショー化・スポーツ新聞化も極まれりです。

 問題は、それがただ異常なだけでなく、きわめて犯罪的な役割を果たしていることです。この無意味な「報道」の陰で、本当に目を向けねばならない重要ニュースが後景に追いやられているからです。

 「沢尻逮捕」報道が始まったのは今月16日からですが、当日は「大嘗祭」の一環である「大饗の儀」が行われ、安倍首相も出席して徳仁天皇に「祝辞」を述べました。14~15日の「大嘗宮の儀」とともに、政教分離、主権在民の憲法原則に反する「大嘗祭」、ひいては「象徴天皇制」そのものを抜本的に問い直さねばならないときでした。

 さらに、安倍首相の「桜を見る会」私物化問題は、前夜祭の会計の不明瞭さに疑惑が広がり、政治資金規正法違反の疑いが濃厚になってきています。安倍氏は18日、前夜祭会計について、「地元後援会には領収書や明細は残されていない」と耳を疑うような釈明をしました。疑惑は深まるばかりです。
 ところがNHKや民放は、このニュースよりも「沢尻逮捕」を優先して報じたのです。それが窮地に立っている安倍氏への助け舟になることを果たして自覚しているのでしょうか。

 また共同通信は16日、日米安保条約によって駐留する米軍の費用を日本が負担するいわゆる「思いやり予算」(2019年度予算1974億円)について、トランプ政権が5倍に増やすよう要求した問題を配信しました。日米安保の本質を示す重要なニュースですが、テレビでは「沢尻問題」の陰でほとんど報じられていません。

 報道(メディア)の役割は、言うまでもなく権力の監視です。その立場から主権者である市民の「知る権利」に応えることです。女優の犯罪・スキャンダルを興味本位に掘り返すことではありません。

 安倍政権が異常な長期政権となり世論調査で高い「支持率」が示されるのはなぜなのか。憲法の諸原則に反する「象徴天皇制」や、平和と人権に逆行する軍事同盟(日米安保)に「大きな支持」が寄せられているのはなぜなのか。韓国、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に対する嫌悪感が市民から払しょくされないのはなぜなのか。
 いずれも、真実が知らされていないからです。歴史が知らされていないからです。そこに日本の報道機関の根本的な責任・犯罪的役割があることを、メディアは自らに突きつける必要があります。


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いま岸信介を美化するNHKの政治性

2015年07月21日 | メディアと日本の政治・社会

         

 安倍政権が戦争法案の衆院通過を強行(16日)した翌々日の18日夜、NHKスペシャルは「戦後70年・日本の肖像」シリーズで、「“豊かさ”の吉田茂と“自立”の岸信介・・・」と題した番組を放送しました(右写真2枚は同番組から)。

 吉田茂の問題はさておき、岸信介の「日米安保改定」も「憲法改正」論も日本の「自立」を目指したものだとし、「岸によって日米安保は明らかに良くなった」(コメンテーターの田原総一朗氏)などとしました。これは重要な事実にはまったく触れずに岸を不当に美化するものであり、見過ごすことはできません。
 NHKが触れなかった岸の実像をいくつかあげます。

 アメリカ・CIAのエージェント

 そもそもA級戦犯容疑だった岸がなぜ、不起訴で釈放されたのか。
 「起訴された指導者たちに優るとも劣らない政治的役割を担った岸が、なぜ不起訴、釈放になったのかという問題は、岸自身が戦後日本に重きをなし、首相にまで登りつめた人物であるだけに、なおのこと注目され続けた」(原彬久氏、『岸信介』)

 太平洋戦争を始めた東条英機内閣において岸は商工大臣の要職にありました。起訴・不起訴の分岐点と言われた開戦決定の「御前会議」(1941年12月1日)にも岸は出席しています。なのになぜ、岸は無罪放免になったのでしょうか。

 「占領軍当局は、A級戦犯容疑者の岸を巣鴨で尋問したあと、この戦前の超国家主義者が戦後日本における共産主義の急激な拡大を阻止するために、役立つことに気がついた。岸が児玉誉士夫、笹川良一と同じ拘置所に留置されたのは、おそらくそのためであろう。三人はそれぞれ絞首刑を免れることと引き換えに親米的な特殊任務を担った。岸は政界において、児玉は右翼運動と政界のフィクサーとして、笹川は政府公認の競艇収益を世界中にばらまく『国際的な慈善家』として」(ジョン・G・ロバーツ、グレン・デイビス『軍隊なき占領』)

 岸が政治の表舞台に復活するのは、「公職追放解除」のたまものでしたが、それは昭和天皇の意向にそったもの(もちろん憲法違反)でした。

 「天皇からダレスに渡った伝言の、『陛下がアメリカと日本のためになるもっとも有益な結果を招来し、かつ、友好関係を助成する手段となるのは、パージの緩和だろうと考えておられます』は、ただちに実行された」(工藤美代子氏『絢爛たる悪運 岸信介伝』)

 岸の追放解除が1952年で54年にはすでに鳩山一郎内閣の党幹事長。55年の自民党結成(保守合同)をへて57年には早くも岸内閣誕生。まさに異例のスピードで権力の頂点に上り詰めた岸ですが、その裏には一貫して米・CIAの支援がありました。

 「共産勢力の伸張に抗するアメリカ政府は、鳩山政権下での民主党岸幹事長以来、彼が政権を取ったのちもマッカーサー大使や(ハリー・F)カーンを通じてCIAからの資金援助を維持していたことが・・・明らかになった」(『絢爛たる悪運 岸信介伝』)

 右翼・反共謀略組織を育成

 右翼の黒幕・児玉誉士夫(ロッキード事件で逮捕)と盟友だった岸は、右翼・暴力団とも深い関係にあり、反共謀略組織の育成に力を注いできました。

 「三年間の首相在任中・・・岸の指導の下で、右翼が大きく復活し、道徳再武装運動や文鮮明の統一教会といった疑似宗教団体が栄え、CIA資金が自民党の金庫に流れた」(『軍隊なき占領』)

 岸が右翼・暴力団を育成してきた“成果”が表れたのが、日米安保改定反対闘争(1960年)における国民弾圧です。

 「政府自民党は至急右翼陣営に大動員を号令することになった。ところが右翼陣営を総結集したところで、警官の不足分を補う二万人にはるかにおよばなかった。暴力団の組織力がここで買われることになった。・・・直ちに檄文が関東地方の親分筋に配られた。・・・この時、親分衆の間をまわって根回ししたのが児玉誉士夫だった」(竹森久朝氏『見えざる政府 児玉誉士夫とその黒い人脈』)

 さらに岸は、「日本郷友連盟や祖国防衛同志会など、民主主義の粉砕と天皇の政権復帰を擁護する極右団体の顧問もつとめた」(『軍隊なき占領』)

 このほか岸には、韓国軍事政権(当時)との関係、ODA、中東原油をめぐる暗躍など、その“黒い経歴”は枚挙にいとまがありません。

 岸こそは戦後一貫してアメリカの意を体し、資金的にも人脈的にもアメリカに操られ、アメリカの意向にそった政策(警職法、日米安保改定はその代表)を遂行し、さらに黒い地下組織とつながった対米従属の超右翼政治家です。
 そして、その対米従属性、反共・右翼組織(たとえば統一教会など)との密接な関係を引き継いでいるのが、孫の安倍晋三氏にほかなりません。

 安倍政権が岸にならって戦争法案の衆院通過を強行した直後に、そして同法の廃案をめぐって新たな攻防が始まるまさにそのときに、「公共放送」であるNHKが、岸の実像を隠ぺいし、岸と自民党を美化したことは、言語道断と言わねばなりません。


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NHKから一晩で「ホロコースト」が消えた

2015年01月20日 | メディアと日本の政治・社会

          

 間違い探しではありませんが、上の左端の写真と、中央の写真は、いずれも安倍首相のイスラエルでの同じ演説を伝えるNHKニュースですが、どこか違いがあります。どこでしょう?

 一目瞭然ですね。左は「ホロコースト記念館視察」と説明がありますが、それが右では「ユダヤ人追悼施設視察」になっています。下のテロップも、「ホロコーストを二度と繰り返してはならない」が「このような悲劇を二度と繰り返さないとの決意」に変わっています。
 左の映像は19日夜7時からの「ニュース7」、右は20日朝7時からの「おはよう日本」です。そうです。同じNHKのニュースで、一晩(12時間)にして、「ホロコースト」が消えたのです。

 映像だけではありません。夜の「ニュース7」では次のように読み上げられました。
 「イスラエルを訪れている安倍総理大臣は日本時間の19日夕方、エルサレムにあるホロコースト記念館、『ヤド・ヴァシェム』を訪れました。記念館には、第2次世界大戦中600万人ものユダヤ人がナチス・ドイツによって虐殺された歴史を人々の記憶にとどめ犠牲者を追悼しようと、強制収容所に送られた人たちの体験談や写真などが展示されています」
 しかし「おはよう日本」では、「安倍総理大臣は大量虐殺されたユダヤ人を追悼する施設を訪れ・・・」と言うだけで、「ホロコースト」の言葉も、記念館の説明もありませんでした。

 これは明らかな意図をもって「ホロコースト」をアナウンスと画面から消したと考えざるをえません。
 籾井勝人会長(写真右)の指示なのか、それとも政府・自民党からの圧力なのか。

 NHKがニュース用語を政治的にチェック・統制していることは間違いありません。それが明るみに出たのが、昨年、英紙「ザ・タイムズ」(10月17日付)が暴露したNHKの内部文書「オレンジブック」です。
 これについては「ピース・フィロソフィー・センター」(乗松聡子代表)のサイトに和訳と詳しい訳注が載っています(http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/12/nhk-japanese-tranlsation-of-times.html

 それによるとNHKは、「従軍慰安婦」(戦時性奴隷)について、「従来の『いわゆる慰安婦』は使わない。原則として、従軍慰安婦についての説明はしない。『強制された』『性奴隷』などは使わない」とし、「慰安婦とよばれる人々」「慰安婦として知られる人々」という用語を使うよう指示しています。

 また日本帝国陸軍による「南京大虐殺」についても、「大虐殺」の用語は使わず、「南京事件と呼ばなければならない」と規定しています。
 その他、「靖国神社」「尖閣諸島」などについても、政府・自民党の見解に沿った言い回しをするよう細かく指示しています。

 「ザ・タイムズ」紙は「これらの規制は、日本の保守国家主義的首相である安倍晋三氏の政権の立場を反映しているように見える」と指摘しています。

 NHKについては最近も、バラエティ番組に出演するお笑いコンビの爆笑問題が、事前の打ち合わせでNHKスタッフから、「政治家のネタは全部だめ」と言われたことが明らかになりました(爆笑問題の田中裕二さんが今月7日未明のTBSラジオ番組で暴露)。

 籾井会長は安倍首相の意向でNHK会長に据えられた人物。戦時性奴隷の使用を擁護する一方、政権の意向に沿った報道を公言してはばかりません。
 安倍―籾井ラインでNHKの右傾化はますます進行しています。今回の「ホロコースト」削除は、その1つの表れと言えるでしょう。

 パリの「風刺画」事件で「表現の自由」があらためてクローズアップされていますが、NHKに対する政権からの圧力、あるいは「自主規制」も、「表現・報道の自由」「国民の知る権利」の視点から同じように重視し、注視していかねばなりません。


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