今年の締めくくりとして、これまで紹介しようと思いながらできなかった2つの論考を取り上げます。
☆「パレスチナに学ぶ」田浪亜央江・広島市立大准教授(中国新聞文化面コラム「緑地帯」に連載=8月18日付~29日付)
「100万人近いパレスチナ人が難民となり、その社会が崩壊した『ナクバ(破局)』の年から、今年で70年になる」という書き出しで始まります。そもそもこの事実を知っていた日本人が何人いたでしょうか。中東は日本人にとっては遠い地域です。実際の距離以上に、意識・認識の面ではさらに。
田浪さんは自らの経験をもとにその距離を縮める重要な示唆を与えてくれました。感銘を受けた主な部分を抜粋します。
< パレスチナ問題に強く関心を持ちながらも、それだけではどうしても「人ごと」だったのだが、住んでいた地が一方的に「ユダヤ人の国」(イスラエル-引用者)となったせいでマイノリティ-として差別されるようになった彼らの境遇は、朝鮮半島の植民地化を背景に日本で暮らすようになった在日朝鮮人の立場と重なってくる。
日本国家によって一方的に「日本人」扱いされ、徴兵までされながら、戦後はまたもや一方的に日本国籍を奪われ、恩給などの権利から遠ざけられた人々。この国に住む私たちは、人ごとのようにイスラエルを批判しているばかりでは済まないのである。
そのことに気付いた時、日本でパレスチナ問題を研究する足場を見いだしたような気がした。
日本の敗戦をもって、その前後で歴史を断絶して捉えてしまうと、植民地の記憶は切り捨てられ、在日朝鮮人の存在も見えにくくなってしまう。
原爆を投下したのは米国だが、朝鮮人の被爆に乏しい関心しか寄せてこなかったのは戦後の日本社会だ。
死者たちを「国民」という観念にくくり付け、「今日の繁栄」のために彼らの死があったかのように語ることは、国家による死者の利用でしかない。
中東を研究していると、西欧起源の国民国家というあり方に疑念を持たざるを得なくなる。さまざまな宗教を信じる人々がこの地域で共存していた時、現在のような国境は存在しなかった。
中東は、西欧近代が他の地域に押し付けてきた国民国家の枠組みに対する抵抗の最前線であり、あり得たかもしれないさまざまな歴史の可能性を示唆してくれる場所なのである。 >
☆「在日朝鮮人人権問題への視座」 金昌宣・在日本朝鮮人人権協会副会長(在日本朝鮮人人権協会発行「人権と生活」第47号・今年12月)
高校教育無償化から朝鮮学校を排除している差別に対し、つい「同じ人間なのに…」と思い言ってしまいがちですが、それは危険だ、と金氏は指摘します。
< 朝鮮学校「無償化」除外について考えるとき、なにより重要なことは「何故、日本に朝鮮学校があるのか」という「始まりの問題」である。いうまでもなく、朝鮮学校は日本の植民地統治の結果、日本に存在することになった。
だから、朝鮮学校/民族教育の保障は本来、日本の歴史的・法的・道義的責務である。と同時に、あらゆる人々に等しく保障されるべき基本的人権(普遍的権利)であり、それはまた、人としての尊厳にかかわる問題である。
差別と平等を考えるときに重要なことは、同じ人間なのに差別されていること以上に、異なっているのに尊重されないことである。
「平等(対等)な関係」であることを示すために(悪気のあるなしではなく)、「同じ人間じゃないか」「わたしたちはちっとも変わらない」と一挙に「同じ人間」へとワープすることの危険な陥穽。「同一性」(同じ人間)を前提にした平等論、差別反対論は人間の多様性を見落とす危険がある。
かくも平等が問題になるのは人間が多様な存在だからである。「違い」への尊重なき共生(同じ人間=”日本人“と変わらない)は虚構である。
在日朝鮮人の権利とは何か。日本人と同じ権利を得ること、「あなたたち(日本人)が持っている権利を、わたしたち(朝鮮人)も得ること」なのか。それで差別はなくなり平等になるのか。差別する側の権利を得ることが平等になることなのか。
人権や権利、差別を語るとき、普遍の物差しによって見落とされがちな、個別的で、具体的で、日常的な問題に目を向け、それ固有の根源的、構造的、歴史的な起点へと視野を広げ、概念と理論を常に検証し、再構築し、実践していくことが重要である。 >
2018年の歓迎すべきビッグニュースは、南北朝鮮の3度にわたる首脳会談と共同宣言でした。そして、嫌悪すべきことは、安倍政権の朝鮮学校排除・差別とそれを相次いで是認した司法の判決でした。
朝鮮半島情勢、在日朝鮮人に対する差別は、私たち「日本人」自身の問題・責任です。
2019年を朝鮮半島の平和実現(朝鮮戦争終結)、在日朝鮮人差別打破の年にしましょう。
※「アリの一言」をお読みいただき誠にありがとうございました。巨大な壁に少しでも穴を開けるよう、来年もできることをやっていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
最後にもう1つ、書き残した言葉を記して、今年の締めくくりにします。
「希望には二人の娘がいる。『怒り』と『勇気』である」(月刊「イオ」12月号で中村一成氏が引用した英国の映画監督ケン・ローチ氏の言葉)