アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

朝鮮・パレスチナ・日本・国民国家・差別

2018年12月31日 | 朝鮮と日本

     

 今年の締めくくりとして、これまで紹介しようと思いながらできなかった2つの論考を取り上げます。

 ☆「パレスチナに学ぶ」田浪亜央江・広島市立大准教授(中国新聞文化面コラム「緑地帯」に連載=8月18日付~29日付)

  「100万人近いパレスチナ人が難民となり、その社会が崩壊した『ナクバ(破局)』の年から、今年で70年になる」という書き出しで始まります。そもそもこの事実を知っていた日本人が何人いたでしょうか。中東は日本人にとっては遠い地域です。実際の距離以上に、意識・認識の面ではさらに。
 田浪さんは自らの経験をもとにその距離を縮める重要な示唆を与えてくれました。感銘を受けた主な部分を抜粋します。

< パレスチナ問題に強く関心を持ちながらも、それだけではどうしても「人ごと」だったのだが、住んでいた地が一方的に「ユダヤ人の国」(イスラエル-引用者)となったせいでマイノリティ-として差別されるようになった彼らの境遇は、朝鮮半島の植民地化を背景に日本で暮らすようになった在日朝鮮人の立場と重なってくる。
 日本国家によって一方的に「日本人」扱いされ、徴兵までされながら、戦後はまたもや一方的に日本国籍を奪われ、恩給などの権利から遠ざけられた人々。この国に住む私たちは、人ごとのようにイスラエルを批判しているばかりでは済まないのである。
 そのことに気付いた時、日本でパレスチナ問題を研究する足場を見いだしたような気がした。

 日本の敗戦をもって、その前後で歴史を断絶して捉えてしまうと、植民地の記憶は切り捨てられ、在日朝鮮人の存在も見えにくくなってしまう。
 原爆を投下したのは米国だが、朝鮮人の被爆に乏しい関心しか寄せてこなかったのは戦後の日本社会だ。
 死者たちを「国民」という観念にくくり付け、「今日の繁栄」のために彼らの死があったかのように語ることは、国家による死者の利用でしかない。 

 中東を研究していると、西欧起源の国民国家というあり方に疑念を持たざるを得なくなる。さまざまな宗教を信じる人々がこの地域で共存していた時、現在のような国境は存在しなかった。
 中東は、西欧近代が他の地域に押し付けてきた国民国家の枠組みに対する抵抗の最前線であり、あり得たかもしれないさまざまな歴史の可能性を示唆してくれる場所なのである。 >

 ☆「在日朝鮮人人権問題への視座」 金昌宣・在日本朝鮮人人権協会副会長(在日本朝鮮人人権協会発行「人権と生活」第47号・今年12月)

 高校教育無償化から朝鮮学校を排除している差別に対し、つい「同じ人間なのに…」と思い言ってしまいがちですが、それは危険だ、と金氏は指摘します。

 < 朝鮮学校「無償化」除外について考えるとき、なにより重要なことは「何故、日本に朝鮮学校があるのか」という「始まりの問題」である。いうまでもなく、朝鮮学校は日本の植民地統治の結果、日本に存在することになった。
 だから、朝鮮学校/民族教育の保障は本来、日本の歴史的・法的・道義的責務である。と同時に、あらゆる人々に等しく保障されるべき基本的人権(普遍的権利)であり、それはまた、人としての尊厳にかかわる問題である。

 差別と平等を考えるときに重要なことは、同じ人間なのに差別されていること以上に、異なっているのに尊重されないことである。
 
「平等(対等)な関係」であることを示すために(悪気のあるなしではなく)、「同じ人間じゃないか」「わたしたちはちっとも変わらない」と一挙に「同じ人間」へとワープすることの危険な陥穽。「同一性」(同じ人間)を前提にした平等論、差別反対論は人間の多様性を見落とす危険がある。
 かくも平等が問題になるのは人間が多様な存在だからである。「違い」への尊重なき共生(同じ人間=”日本人“と変わらない)は虚構である。

 在日朝鮮人の権利とは何か。日本人と同じ権利を得ること、「あなたたち(日本人)が持っている権利を、わたしたち(朝鮮人)も得ること」なのか。それで差別はなくなり平等になるのか。差別する側の権利を得ることが平等になることなのか。

 人権や権利、差別を語るとき、普遍の物差しによって見落とされがちな、個別的で、具体的で、日常的な問題に目を向け、それ固有の根源的、構造的、歴史的な起点へと視野を広げ、概念と理論を常に検証し、再構築し、実践していくことが重要である。 >

 2018年の歓迎すべきビッグニュースは、南北朝鮮の3度にわたる首脳会談と共同宣言でした。そして、嫌悪すべきことは、安倍政権の朝鮮学校排除・差別とそれを相次いで是認した司法の判決でした。
 朝鮮半島情勢、在日朝鮮人に対する差別は、私たち「日本人」自身の問題・責任です。
 2019年を朝鮮半島の平和実現(朝鮮戦争終結)、在日朝鮮人差別打破の年にしましょう。

 「アリの一言」をお読みいただき誠にありがとうございました。巨大な壁に少しでも穴を開けるよう、来年もできることをやっていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
 最後にもう1つ、書き残した言葉を記して、今年の締めくくりにします。
 「希望には二人の娘がいる。『怒り』と『勇気』である」(月刊「イオ」12月号で中村一成氏が引用した英国の映画監督ケン・ローチ氏の言葉)


日曜日記33・ある憲法研究者の悲劇・残された命・決戦の年

2018年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 ☆ある憲法研究者の悲劇 

 28日NHK総合「事件の涙」は、今年9月の「九州大元院生放火自殺事件」の背景をリポートした。九大院生寮が放火され焼け跡から元院生(46)の遺体が発見された。元院生の放火・自殺と断定された。事件のニューはうっすら記憶にあったが、こんな背景があったとは…。

  元院生(番組では「K」)は京都の染物屋の長男に生まれたが、家業が倒産し、進学のため15歳でやむなく陸上自衛隊工科学校に入った。手当が支給されるからだ。21歳で九大に合格した。家庭の事情で普通高校に行けなかった自分の過去から、「何か社会に貢献したい」と憲法学の研究を志し、大学院まで進んだ。

  飲食店でのバイトを掛け持ちし、生活費と研究費を賄った。しかし当時国は「国際競争力」をつけるとして大学院生倍増政策をとり、卒業後は就職難を極めた。4つの学校で非常勤講師を掛け持ちし憲法を教えた。若者になんとか憲法を身近に捉えてもらおうと講義を工夫した。しかし収入は4つ合わせても月15万前後にすぎなかった。

 その非常勤講師も「雇い止め」に遭った。借金がかさんだ。700万円を超える奨学金の返済も迫られた。院生時代から居住していた寮からの退去催促が致命的だった。

 Kは最期の授業で学生らにこう語った。「スペシャリティになること。代えられない唯一の人間になること」

 私の父はやはり家庭の事情で進学できず、働きながら勉強できるとの教師の甘言で大久野島の陸軍毒ガス工場に勤めた。私は小さいころから母に「お父ちゃんは進学したくてもできなかったんだから…」と言われて育った。父は8年前、肺がんで他界した。

 大学時代の同級生Mは、大学院(哲学)まで進んだが就職できず、非常勤講師を掛け持ちした。寂しさ・不安からか酒の量が増え、肝硬変で亡くなった。35歳だった。ある種の自殺ではなかったかと思い、力になれなかった自分の無力を悔やんだ。もう30年も前のことだ。

 勉強したくても進学したくても、貧困がそれを妨げる。社会のため人々のためにと志して勉学・研究してもそれを生かせない。生活できない。やがて経済第1主義の社会で、「自己責任」の声に圧迫され、若くして死に追いやられる。
 この国は、戦前から今も、何も変わってはいない。

 ☆私的墓碑銘―残された命

  今年、3人の友人が他界した。大学の先輩Sさん、後輩のY君、職場の部下だったS君だ。Sさんは私より1つ上だが、Y君は3つ下、S君は6つも下だ。いずれも病死。「人生100歳時代」などと言うが、身の回りでは私より若い人が相次いで亡くなった。
 そういえば、母の主治医の先生は、「100歳時代などというのは政府が年金支給を遅らせるための宣伝だ。100歳時代などありえない」と雑談で話していた。

 いつ死んでもおかしくない。これまで以上にそう思うようになった。いまのこの命は、生かされている、残された命だとつくづく思う。

 この先何年生きられるか分からないが、そう長くないことは確かだろう。残された命をどう使うか。これまで以上に考え大切に使っていかねば、と思う。Sさん、Y君、S君を偲びながら…。

 ☆来年は決戦の年

 八重山諸島への自衛隊増強、辺野古新基地など沖縄の軍事植民地強化の阻止、朝鮮戦争の終戦・南北朝鮮平和統一へ向けた運動など、来年は「沖縄」「朝鮮」にとってきわめて重要な年になる。

 そんな中でも、特別な意味を持つのが「(象徴)天皇制」をめぐるたたかいだ。5月1日の「退位」を中心に、「新元号」・「明仁天皇在位30年」、新天皇即位にまつわる行事、東京オリ・パラ(2020年)と一体となった天皇・国威高揚、そして「天皇元首化」の改憲策動と、天皇制をめぐるキャンペーンの嵐が吹き荒れる。

 ほかのニュースでは「民主的」なことを言うキャスターや「学者・文化人」も「天皇・皇室」となると敬語を使い、「親愛の情」を示し、「平和天皇」像に加担する。その状況も戦前から変わってはいない。

 「アリの一言」は、「沖縄」「朝鮮」はもとよりだが、「天皇制」問題にこれまで以上に注力しようと思う。
 来年は「天皇制」との決戦の年だ。


秋篠宮の「代替案」と「象徴天皇制」

2018年12月29日 | 天皇制と憲法

  

 25日付の朝日新聞は1面トップで、秋篠宮が「大嘗祭」についての「代替案」を宮内庁長官に示していたという独自記事を掲載しました。

 「天皇の代替わりに伴う皇室行事『大嘗祭』への公費支出について、秋篠宮さまが宗教色が強いとして宮内庁に疑義を呈した際、代替案として、宮中の『神嘉殿』を活用して費用を抑え、それを天皇家の私費で賄うという具体案を示していたことがわかった」

 秋篠宮が「誕生日会見」(11月22日、報道は30日)で「大嘗祭」への公費支出に疑問を呈した問題の続報です。記事は、「今回の会見がお気持ちを示すぎりぎりのタイミングだったのでは」という「関係者」の声で終わっているように、秋篠宮を擁護する意図がうかがえます。

 政府が発表した「大嘗祭」の関係予算(公費)は27億1900万円で、前回(1990年)を4億7000万円も上回っています。新たに造られる大嘗宮の設営関連だけで19億7000万円。使用後は解体・撤去されます。

 朝日の記事は、「神嘉殿は国中の神々をまつる神殿で、収穫に感謝する毎年の新嘗祭が行われる場」で、秋篠宮の代替案は、「これを使い、天皇家の私的な積立金のうち数億円で賄える範囲で実施を、という提案だった」としています。

 秋篠宮の会見ついてはすでに書きましたが(12月1日、11日のブログ参照)、今回の「代替案」をめぐる報道は、「象徴天皇制」について改めて考えさせるものと言えます。問題点を整理してみましょう。

    「大嘗祭」が宗教(皇室神道)行事であることは秋篠宮(皇室自身)の一連の発言でも明確。したがってそれに公費を支出することは明らかに憲法違反である。

②    「大嘗祭は公費でなく私費で身の丈に合ったものに」という秋篠宮の考え・発言はそれ自体妥当である。

③    しかし、秋篠宮の発言は閣議決定に異議を唱えたものであり、政治的発言であることは否定できない。

    皇族とりわけ来年には皇位継承順位1位の「皇嗣」になる秋篠宮が公の会見で政治的発言を行ったことは、内容の如何にかかわらず、憲法上問題である。

 ここまでは先の会見に関して述べたことです。今回あらためて考えたいのは、公費支出の閣議決定がなされる前に秋篠宮が宮内庁長官に示した「代替案」がなぜ検討もされなかったのか、なぜ安倍政権は秋篠宮の「代替案」を歯牙にもかけず門前払いしたのかということです。

 秋篠宮の「代替案」は理論上も、経済的実利上もまっとうな意見です。政府は大嘗祭の主体である皇室の意見を尊重するなら、また少しでも無駄な支出は抑える気があるなら、秋篠宮の代替案を採用してしかるべきでしょう。少なくとも十分検討すべきです。
 しかし安倍政権は門前払いした。なぜなのか。

 それは、安倍政権にとっては、「大嘗祭」に公費を支出すること自体が目的だということではないでしょうか。はじめに公費支出ありきなのです。

 安倍政権が「大嘗祭」(皇室の宗教行事)に公費を支出する狙いは、大きく言って2つあるでしょう。

 1つは、宮中祭祀を利用して憲法の「政教分離」の原則(第20条)をなし崩しにすること。

 もう1つは、天皇(皇室)は憲法の規定をも超越する特別な存在だと印象付けることです。

 この2点は、「大嘗祭」に公費支出する結果として生じる問題ではなく、逆に、これが目的であくまでも「大嘗祭」への公費支出を強行しようとしているのです。その安倍政権の狙いが今回の秋篠宮の会見発言・代替案をめぐる動きで明らかになったのではないでしょうか。

 安倍政権のこの狙いは、もちろん「大嘗祭」だけの問題ではありません。それは憲法の「政教分離」「主権在民」の基本原則を切り崩し、「天皇元首化」(自民党改憲草案)に道を開き、国家権力の支配強化を図ることに他なりません。 

 それはまた、「靖国神社公式参拝」や、先の「防衛大綱・中期防」に示された日米軍事同盟(安保体制)強化とも一体不可分です。

 こうした国家戦略を「皇位継承」の儀式を利用して推し進めようとする。ここに国家権力が「象徴天皇制」を必要としている(政治利用する)根本的理由があるのではないでしょうか。


キャッシュレスと天皇制

2018年12月27日 | 天皇・天皇制

  

 来年の「在位30年」「退位」へ向けて、メディアの「明仁天皇賛美」「元号」キャンペーンが強まっている中、天皇制の維持・強化を図る勢力の思惑に逆行する現象が、それとは意識されないうちに進行しています。キャッシュレスの普及です。

 通信各社の競争もあり、レジでスマホやカードで決済するキャッシュレスが広がっています。それがなぜ天皇制の維持・強化に逆行するのか。日本の紙幣が天皇制と深く関係しているからです。

 日本で紙幣に最初に肖像が印刷されたのは1881年(明治14年)の「神功皇后」(写真中)です。
 「神功皇后」は、「神のお告げで朝鮮を攻め、新羅(シルラ)を降伏させ、百済(ペクチェ)や高句麗(コグリョ)を服従させたという『三韓征伐』の立役者として、『古事記』や『日本書紀』に出てくる伝説上の人物」(中塚明氏『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2003年)です。

 以後、紙幣に印刷された人物は次の面々です(年代順)。

菅原道真、武内宿禰、和気清麻呂、藤原鎌足、聖徳太子、日本武尊、二宮尊徳、(以後、敗戦後)板垣退助、岩倉具視、高橋是清、伊藤博文、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、紫式部(絵)、樋口一葉、野口英世。

 「神功皇后」を入れて18人。このうち3人が天皇・皇族(神功皇后、聖徳太子、日本武尊)、天皇の忠臣とされる伝説上の人物(武内宿禰)を入れて4人(22%)が直接天皇にかかわる人物です。岩倉具視、伊藤博文が明治政府で天皇制国家建設の中心的役割を果たしたことは言うまでもありません。

 特筆すべきは福沢諭吉です。福沢が初めて紙幣に登場したのは1984年。同時に紙幣になった新渡戸稲造(5千円札)、夏目漱石(千円札)は2004年にそれぞれ樋口一葉、野口英世に代わりましたが、福沢だけは残りました。

 なぜ福沢だけ残ったのか。一説には当時の小泉純一郎首相、塩川正十郎官房長官がともに慶應大学卒業だったからといわれていますが、もっと深い意味・背景があったでしょう。1984年は中曽根首相(当時)が現職の首相として敗戦後初めて靖国神社を参拝した年であり、2004年は小泉首相が同じく首相として靖国参拝を強行し大きな問題になった年です。

 福沢が強烈な天皇制論者であり、それを著わした「帝室論」などを教科書に小泉信三が明仁皇太子(当時)に帝王学を教授したことはこの間みてきた通りです。

 同時に福沢は、「脱亜入欧」に基づくアジア蔑視・朝鮮侵略の急先鋒でもありました。

 「わたしたちが有難がり、大切に財布に収める日本国・最高紙幣の貌、福澤諭吉。しかしその本性は、一言でいえば朝鮮併合から現在のヘイトスピーチにまで日本に一貫する、朝鮮蔑視思想の本元であり、今も多くの人を苦しめ続け、解決されぬままの朝鮮半島と日本との関係に、精神的影響を及ぼした人物であった」「問題なのは、征韓を是とした明治維新から一五〇年経った今も、日本政府があえて福澤を経済の貌にしている、その恥なき見識である」(朴才暎=随筆家、在日総合誌「抗路」7月号)。

 福沢だけでなく「神功皇后」や伊藤博文も含め、歴代日本紙幣は朝鮮侵略美化の役割も果たしてきました。「天皇制」と「朝鮮蔑視・侵略」は表裏の関係です。
 福沢が日本紙幣最高額の”顔“として居続けていることは、「天皇制」「朝鮮蔑視」の2つの面において、「日本国家」の本性を表し、無意識のうちに「日本人」に大きな影響を及ぼしています。

 その「福沢」を市民からだんだん遠ざけているのがキャッシュレスの普及です。福沢を1万円札に刷り込んでいる国家権力の意図を無意識のうちにくじいていて痛快です。資本主義経済の「発展」と国家戦略の矛盾と言えるかもしれません。

 しかし、私たちはそうした偶発的な流れではなく、意識的・自覚的に福沢の本性と国家権力の思惑を批判し、天皇制・朝鮮蔑視反対の立場に立って、福沢を紙幣から追放する必要があります。

 


明仁天皇が影響を受けた4人の人物

2018年12月25日 | 天皇制と憲法

     
  来年5月1日の「退位」へ向けて、メディアは競うように明仁天皇賛美の特集を組んでいます。この傾向はさらに強まるでしょう。
 先日の「最後の会見」も含め彼の言動の特徴は、憲法の規定を無視して「象徴天皇制」のあり方を自ら考え行動した独断専行ですが、その根底には4人の人物の強い影響があります。

  1人目は、明仁12歳(1946年)から家庭教師となったアメリカ人のエリザベス・グレイ・バイニング夫人です(写真左)。

  夫人はたんなる家庭教師ではなく、明仁が成人し即位したのちも、美智子皇后とともに生涯親交を深めました。
 少年期、何事につけ侍従たちの顔色をうかがう依頼心の強かった皇太子明仁に対し、夫人が最も重視した教育方針は「自立」でした。後年、夫人は牛島秀彦氏(東海女子大教授=当時)のインタビューに答えてこう述べています。

 「私は皇太子殿下にいつも『自ら考えなさい』と言い…ご自分で決定して行動なさるように言いました。殿下はそのことを実践していらっしゃいますので、大変うれしく思います」(牛島秀彦著『ノンフィクション天皇明仁』河出文庫1990年)

  夫人が最後の授業で黒板に書いた言葉は、「Think for yourself」だったといいます(22日放送TBS「報道特集」)

  2人目は、明仁15歳(1949年)に「東宮御教育常時参与」となった小泉信三(写真中)です。

 福沢諭吉を信奉し自らも慶應義塾塾長となった小泉が、福沢の『帝室論』で皇太子明仁に「帝王学」を教え込みました(17日のブログ参照)。
 小泉が明仁と正田美智子の結婚にも深く関与し、その実現のために報道機関に圧力をかけたことも見過ごせません。

  3人目は、バイニング夫人、小泉信三ほど深いかわりはありませんが、無視できない影響を与えた、イギリス首相(当時)チャーチルです。

  明仁皇太子は19歳の時(1953年)、父・裕仁天皇の名代として英エリザベス女王の戴冠式に参列しました。戦犯・裕仁への英国民の怒り・反発を避けるための名代で、明仁にとって初の外国公式訪問でしたが、英国民、メディアの強い反発・批判は明仁皇太子にも向けられました。
 その状況をなんとかしようと、チャーチルは明仁を私邸に招き、労働組合の代表や「反日メディア」代表も呼んで昼食会を開催しました。そこでチャーチルは予定になかったスピーチでこう述べ、明仁に英国流の立憲君主制を教えました。

 「英国には、君主は君臨すれども統治せずという格言があり、もし君主が間違ったことをすれば、それは政府の責任であります」(吉田伸弥著『天皇への道』講談社文庫2016年)

  帰国した明仁皇太子は会見で、「大いに知見を広め貴重な体験を得たことは、私にとって大きな収穫でした」と述べています(23日放送NHK「天皇・運命の物語」)

  そして4人目は、メディアは取り上げませんが、ある意味で最も影響を与えた人物、父・裕仁天皇です。

  明仁天皇は65歳の誕生日会見(1998年12月18日)で、「昭和の時代と比べて天皇としての活動の在り方も変わってきたようだが」との記者の質問にこう答えています。

 「天皇の活動の在り方は、時代とともに急激に変わるものではありませんが、時代とともに変わっていく部分もあることは事実です。私は、昭和天皇のお気持ちを引き継ぎ、国と社会の要請、国民の期待にこたえ、国民と心を共にするよう努めつつ、天皇の務めを果たしていきたいと考えています」
 「昭和天皇のことは、いつも深く念頭に置き、私も、このような時には『昭和天皇はどう考えていらっしゃるだろうか』というようなことを考えながら、天皇の務めを果たしております」(宮内庁HPより)

 興味深いのは、以上の4人が1つに結びつくことです。バイニング夫人を家庭教師に望んだのは裕仁であり、夫人と小泉信三は意気投合し相談しながら皇太子明仁に英国流の立憲君主制を教育しました。

 「天皇(制)の危機を察知した天皇(裕仁-引用者)自身の要請で、戦勝国アメリカからやってきた絶対平和主義を信奉するクエイカー教徒の家庭教師E・G・ヴァイニングが理想とする王室は、イギリスの場合であった。これは、皇太子の教育参与(主任)になった小泉信三の意見でもあり(注・小泉が明仁を教えた教科書は福沢の『帝室論』とともにハロルド・ニコルソンの『ジョージ五世伝』でした-引用者)、ヴァイニング・小泉の息は合っていた」(牛島秀彦氏、前掲書)

  明仁天皇が目指した「象徴天皇制」は、イギリス流の立憲君主制です。明治政府がモデルにしたのもイギリスの立憲君主制でした。それは福沢諭吉の「脱亜入欧」(アジア蔑視)とも不可分です。さらに明仁天皇の念頭には常に、父・裕仁が実践した絶対主義的天皇制がありました。

  重要なのは、こうして明仁天皇が「主権在民」とは相いれない立憲君主制を志向してきたことに対し、「民主陣営」の側から異議を唱え、批判する声が出てこなかった(あるいは微弱だった)ことです。
 明仁天皇の独断専行、国家権力によるその政治利用を許してきた責任は、メディアはもちろん、「民主的学者・知識人」そして「主権者・国民」の側にもあることを銘記する必要があります。




「明仁天皇最後の会見」の10の問題点

2018年12月24日 | 天皇制と憲法

  

 23日報道された明仁天皇の最後の記者会見(誕生日会見。実施は20日)をメディアはこぞって最大限に賛美し、「感動した」などの「国民」の声(だけ)を報じました。

 しかし、会見内容を分析すると、そうした「賛美」とはまったく逆に、多くの問題を含むきわめて政治的な重大発言であることが分かります。
 問題点は少なくとも10あります(こうした政治的発言を行うこと自体、憲法第4条に抵触しますが、ここでは発言内容の問題に絞ります。引用した発言はすべて宮内庁のHPからです)。

     日本が戦場にならなければ「平和」なのか

 「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています

 メディアが大きく取り上げた言葉ですが、「平成」すなわち1989年~2018年に、世界で紛争・戦争が絶えなかったことは周知の事実です。にもかかわらず「平成」を「戦争のない時代」と言うのは、日本が戦場にならなかったという意味でしょう。自分の国が戦場にならなければ「戦争のない時代」なのでしょうか。あまりにも自国中心の閉鎖的利己的考えではないでしょうか。

     日本の戦争加担(参戦)は棚上げするのか

 「本土」が戦場にならなくても、日本はアメリカの戦争に加担してきました。米軍の後方基地になった朝鮮戦争やベトナム戦争は「昭和」のことですが、日本も資金提供し自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣した湾岸戦争は1991年(平成3年)のことです。その後、自衛隊の海外派兵は常態化しています。
 また、沖縄などで多発している軍事基地被害は、間接的な戦争被害ではないでしょうか。
 こうした事実を棚上げして「平成」を「戦争のない時代」というのは、戦争加担の加害責任にほうかむりするものです。

 ③    「戦後」は「平和と繁栄」か

 「我が国は国際社会の中で…平和と繁栄を築いてきました」「我が国の戦後の平和と繁栄が…築かれた

 「平成」だけでなく「昭和」も含めて「戦後」は「平和と繁栄」の時代だというわけです。ここでは朝鮮戦争やベトナム戦争への加担は完全に捨象されています。また、「繁栄」という言葉によって、深刻な貧困や格差拡大も隠ぺいされています。「戦後」を「平和と繁栄」と賛美するのは戦後政権の座に座り続けてきた自民党政治を美化するものです。

 ④    「沖縄」に「心を寄せていく」は本当か

 「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました」「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていく

 「先の大戦」で沖縄を「本土防衛」のための捨て石にしたのは他ならぬ明仁の父・裕仁です。敗戦後、「国体(天皇制)護持」のため沖縄をアメリカに売り渡したのも裕仁です(「沖縄メッセージ」)。
 にもかかわらず、明仁天皇は「11回の沖縄訪問」でただの一度も県民に謝罪したことはありません。沖縄に「心を寄せる」というなら、今日に続く沖縄の「苦難」の元凶である裕仁天皇の所業について、子として、皇位を引き継いだ者として、まず謝罪することが出発点ではないでしょうか。

     サ体制(サンフランシスコ「講和」条約・日米安保条約)が肯定できるのか

 「その年(1952年・明仁18歳-引用者)にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に各国大公使を迎えたことを覚えています

 こう述べてサ条約と日米安保条約によるサンフランシスコ体制を肯定しました。しかし、サ条約によって在日朝鮮人や台湾人は「外国人」として切り捨てられました。日米安保条約が米軍基地・沖縄の「苦難」の根源であることは言うまでもありません。サ体制を肯定してどうして「沖縄に心を寄せる」でしょうか。

 ⑥  アジア激戦地巡りは 「慰霊の旅」か

  「戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません

 メディアが天皇の「平和」への意思を示すものとして美化するいわゆる「慰霊の旅」です。しかし、天皇・皇后が東南アジアの激戦地を訪れて「慰霊」したのは、戦死した「日本兵」です。
 それぞれの激戦地では多くの住民が犠牲になりました。「慰霊」というなら、戦争加害国としてまず日本が被害を与えた現地の人々の墓碑を訪れ、謝罪するのが先ではないでしょうか。しかし天皇・皇后が加害国として現地で謝罪したことはありません。
 たとえば、フィリピンには「死の行進」で悪名高いバターン捕虜収容所がありましたが、天皇・皇后がそこを訪れることはありませんでした。

     日本に住む外国籍の人々は視界にあるのか

 「国民皆の努力によって…平和と繁栄を築いてきました」「我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず…

 明仁天皇は「国民」という言葉を多用します。しかし、敗戦後、日本の復興に貢献したのは、「国民」すなわち日本国籍のある人間だけではありません。在日朝鮮人をはじめ、外国籍の人々も、日本で働き、税金を納めてきました。そうした在日外国人は天皇の視界に入っているのでしょうか?
 天皇が「国民」という場合、「日本人」を念頭に置いていると思われますが、そうした「国民」の強調は、「単一民族国家」思想を流布するものと言わねばなりません(これは第1条をはじめ現憲法の欠陥でもあります)。

 ⑧    天皇の交代で「時代」を区分するのは正当か

来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります」「新しい時代において、天皇となる皇太子と…」

 天皇の交代がなぜ「新しい時代」の始まりなのでしょうか。なぜ天皇の交代で「時代」を区分するのでしょうか。天皇にはなんの政治的権限もありません。天皇によって「時代」が区分されるというのは戦前の絶対主義的天皇制・皇国史観の名残ではないでしょうか。

     なぜ「退位」と言わず「譲位」と言うのか

 「来年春の私の譲位の日も近づいてきています」「来年春に私は譲位し…」

 天皇は「退位」と言わず「譲位」と言います。「退位」と「譲位」では意味が大きく違います。「譲位」とは天皇が自らの意思で天皇の位を皇太子に譲ることです。それは「主権在民」の憲法原則とは相いれません。だから法律名は「退位」であり、政府も「退位」と言わざるをえません。全国紙で「譲位」と言っているのは産経新聞だけです。
 この違いにいち早く気付き、「退位」はおかしい、「譲位」と言うべきだと強硬に主張したのは美智子皇后です。明仁天皇はここでも美智子皇后にならって「譲位」という言葉を使っています。それが「主権在民」の憲法に反する発想であることは明白です。

 ⑩    天皇が「象徴」の在り方を自分で考え、実行していいのか

 「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日まで過ごしてきました」「天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は…日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います

 ここに「平成流」ともてはやされる明仁天皇の言動の根本的問題があります。すなわち彼は、憲法の「象徴天皇制」とはどうあるべきかを自分で考え行動してきたし、それを誇示さえしているのです。
 しかし、それは憲法の規定を逸脱するものです。何の政治的権限もない天皇が憲法(「象徴天皇制」)の解釈を自分流に行い、それに基づいて行動することは、憲法前文、第1条、3条、4条、第7条(主権在民、政治的権能、内閣の助言と承認、国事行為)に明白に反します。 
 にもかかわらず、明仁天皇はそれをやってきた。結果、「公的行為」とか「象徴としての行為」などという脱法的言葉を生み、天皇の独断専行を許してきました。その行きついた果てが「生前退位」の「ビデオメッセージ」です。
 しかも明仁天皇は、そうした憲法無視の「平成流」を皇太子や秋篠宮に引き継がせようとしているのです

 以上10の問題点を見てきましたが、まとめて言えば、明仁天皇が行ってきたことは、戦争・植民地支配の加害責任の棚上げ・隠ぺいであり、自民党政治の美化であり、対米従属のサ体制・日米安保条約の肯定であり、「天皇君主化」に通じる天皇の独断専行です。今回の会見はその集大成といえるでしょう。

 重要なのは、こうした明仁天皇・美智子皇后の言動が、「天皇崇拝」とともに「正しいこと」とされ、日本人の考え方・思想に大きな影響をあたえていることです。
 ここに国家権力にとっての「象徴天皇制」の存在価値があり、だからこそ廃止しなければならない理由があります。


日曜日記32・小選挙区制仕掛け人・歴史的カレンダー・「今年の漢字」隠れ1位

2018年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

☆小選挙区制の仕掛け人

  22日のNHKスペシャルは「スクープ・小選挙区制の舞台裏」と銘打っていたが、目新しいものはなかった。後藤田正晴、小沢一郎、森喜朗という面々が暗躍したことは周知の事実だ。ただ、久しぶりに名前を聞いた人物が果たした役割を再認識できた。労働組合(と一応言っておこう)初代会長の山岸章だ。
  山岸は社会党(当時)救済の意図で(と言われている)「二大政党制」を提唱・画策した。結果は、救済どころか、まもなく社会党は消滅した。

  小選挙区制は膨大な死票を生む非民主性と同時に、有権者の多様な意思(「少数派」)を切り捨てる最悪の選挙制度だ。制度導入以来、投票率が激減していることもそれを証明している。今日の自民党独裁、野党衰退、政治空洞化を生んでいる元凶だ。

  それを小沢や森だけでなく、連合の会長が推進したことに、労働運動にとどまらない日本社会の病巣がある。
 そして重要なのは、いまも連合は小選挙区制の下での「二大政党制」へ向けて、「野党共闘」などで立憲民主党に圧力をかけ続けていることだ。

  ☆歴史的希少カレンダー

  カレンダーの交代が迫ってきた。毎年予定書き込み式の同じカレンダーを使っているが、来年のカレンダーには例年にない特徴がある。手元にあるほかのカレンダー(おそらく来年のほとんどすべてのカレンダー)も同じだ。

  そう、元号表示がないことだ。言うまでもなく来年年5月1日で「改元」するためだ。前回の「改元」は天皇裕仁の死去によるものだったからこうした現象は起こらなかった。「生前退位」という憲法・皇室典範にもない奇策が起こしたことだ。
 元号を廃止しない限り”元号表示のないカレンダー“を見ることはおそらくこの先ないだろう。歴史的に希少なカレンダーだ。

 それにしても、元号のない、西暦1本のカレンダーのなんとスッキリしていることか。元号が天皇制と一体不可分だという政治的意味のほかに、生活上いかに不便なものか、あらためて分かる。早く元号のない社会をつくりたい。

  ☆「今年の漢字」隠れ1位

   「今年の漢字」の1位は「災」(2万858票)だったが、2位は「平」(1万6117票)、3位は「終」(1万1013票)で、2位と3位を合わせると優に1位を超える。
 「平」にはオリンピックがあった「平昌」の意味もあるが、多くは「平成」だろう、「終」は「平成の終わり」の意味だろう、と新聞は報じた。おそらくそうだろうと思う。

 つまり、2位と3位に分散したが、「平成の終わり」こそ断トツの“今年の言葉”だったことになる。多大な犠牲を出した「災害」よりも「平成」が終わることになった(まだ終わってもいない)ことの方が印象的(重要)だと考える「日本人」が絶対多数だということだ。

  この現実を直視しなければならない。「草の根天皇制」「無意識の天皇イデオロギー」がいかに根深いか。
 「元号・天皇制」廃止へ向けたたたかいの真価が問われる「2019年」が、いよいよやってくる。


辺野古声明「七人委員会」に問う-知識人の責務とは?

2018年12月22日 | 日米安保・沖縄

     

 安倍政権による辺野古新基地建設の土砂投入強行に対し、「世界平和アピール七人委員会」が17日、抗議の「声明」を発表しました。安倍政権に対する抗議・批判はもちろん評価されますが、その内容には疑問を禁じ得ません。

  「声明」の全文を転記します(「七人委員会」HPより)

       沖縄県民の意思を無視し、対話を拒否する政府を許容してはいけない

  世界平和アピール七人委員会 武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 高村薫 島薗進

  政府は、沖縄県民の意思を無視して、玉城デニー知事の度重なる対話要請に真摯に向き合わず、対話を拒否し、辺野古の恒久基地化をめざし、埋め立て計画区域への土砂投入強行を始めました。
 安倍政権の度重なる暴力的行動は、日本国憲法に書かれている「国政は、国民の厳粛な信託による」とする人類普遍の原理に違反し、平和のうちに生存する権利を否定するものです。政治には倫理とヒューマニティが必要です。
 世界平和アピール七人委員会は、19世紀に琉球王国を滅亡させ、20世紀に沖縄戦において県民に多大な犠牲を強いたことに続く、21世紀の琉球処分を認めるわけにいきません。私たちは、沖縄県民の側に立ちます。
 国民一人一人が他人事と思うことなく、現状を直視し、発言されることを求めます。

 疑問は、最後の「私たちは、沖縄県民の側に立ちます。国民一人一人が他人事と思うことなく」です(「21世紀の琉球処分」という規定にも違和感がありますが、それは見解の相違としてここでは触れません)。

 「沖縄県民の側に立ち」「国民一人一人が他人事と思うことなく」とは、具体的にはどうすることですか? 表題にあるように政府に「対話」を求めるということですか?
 しかし、「対話」は手段であって、それ自体が自己目的ではないはずです。安倍政権に「新基地建設はやめろ」というだけでは何も前進しないことは周知の事実です。

 先のブログで私は、「沖縄だけの問題ではない」で止まっているメディアの論調は偽善だと書きましたが(16日のブログ)、「七人委員会」の声明は、そうしたメディアの論調とどれほどの違いがあるのでしょうか。

 繰り返しますが、いま問われているのは「沖縄県民の側に立つ」具体的な行動・選択です。

 A=「はやり日米安保条約には賛成なので、沖縄の基地は本土に引き取る」
 B=「米軍基地の存在自体を否定し、日米安保条約の廃棄をめざす」

 「七人委員会」はどちらを主張するのですか?それともこれ以外に選択の道があると考えるなら、それを示してください。

 A・Bどちらを主張するのかと言いましたが、「七人委員会」にはぜひBを主張していただきたい。なぜなら、政党のみならず、いまや「学者・識者」の間からも「日米安保条約反対・廃棄」の声が聞かれなくなっているからです。

 かつての識者は日米安保条約を正面から批判し、その廃棄を主張しました。

 たとえば、都留重人元一橋大学長は、大田昌秀元沖縄県知事の「基地撤去の主張は…県民大衆が、過去二十数年、いな近代沖縄百年の生活実感をとおして打ち出した心からの叫びであり、それはまた未来にわたって人間的な生き方を希求してやまない切実な願望でもある」(『沖縄のこころ』岩波新書1972年)という言葉を引き、「沖縄の主張は、米軍基地の撤去であり、従って日米安保の解消を目指しての再検討である」と明言しました(『日米安保解消への道』岩波新書1996年)。

 さらに都留氏は、「代理署名」を拒否した大田知事が敗訴した最高裁判決(1996年8月28日)が、「日米安保条約6条の履行が公益」だとしたことを批判し、「日米安保の見直しにまでゆくのでなければ、『公益』の概念そのものの掘り下げはできない」と断言しました(同)。

 日米安保条約による米軍と自衛隊の一体化は都留氏が主張した当時より格段にすすみ、日米安保の危険性・違憲性はますます顕著です。にもかかわらず、それに反比例するかのように、「日米安保条約反対・廃棄」の声が「学者・識者」からも聞こえなくなっているのは、いったいどうしてでしょうか。

 「七人委員会」は日本を代表する良心的識者と言っても過言ではないでしょう。そうであれば、抽象的スローガンにとどまらず、いまこそ踏み込んで、日米安保条約の廃棄を主張していただきたい。それが「世界平和をアピール」する「学者・識者」の責務ではないでしょうか。


「防衛大綱・中期防」のターゲットは沖縄

2018年12月20日 | 日米安保・沖縄

     

 安倍政権が18日閣議決定した「新防衛大綱・中期防衛力整備計画」。護衛艦「いずも」(写真中)の空母化、宇宙軍拡、アメリカの言い値で巨額の兵器を購入する「FMS」(「対外有償軍事援助」)、ツケ回しの「後年度負担」方式、5年間で27兆4700億円という巨費など、重要問題が山積です。

 その中でも、最大の問題は、沖縄(本島・離島)がターゲットにされ、前線基地化の危険がますます高まることです。

 ①    「日本版海兵隊」(水陸機動団)の増設・配備…「中期防」は「1個水陸機動連隊の新編等により強化された水陸機動団が…抑止力・対処力の強化を図る」と明記しています。その水陸機動団(写真右)の配備先に沖縄が検討されています。

 「水陸機動団をなぜ拡充しなければならないのか。海兵隊のグアム移転に伴って沖縄に残る第31海兵遠征隊は約2千人となり、沖縄常駐ではなく東南アジアを巡回するため、水陸機動団がその穴を埋める。残る米軍の司令部要員が水陸機動団も含めて指揮することになるのだろう
 水陸機動団の配備先にはいろいろな考え方はあると思うが、仮に沖縄に置くなら辺野古新基地ができた後に、自衛隊と共同使用することも考えられる」(井筒高雄ベテランズ・フォー・ピース・ジャパン代表、19日付沖縄タイムス)

 「(水陸機動団の)配備先は明記していないが、これまでも沖縄の米軍キャンプ・ハンセンに新部隊を配置する案が取りざたされている」(19日付琉球新報)

 ②    「海上輸送部隊」の創設…「中期防」は「平時から有事までのあらゆる段階において、(陸自・海自の-引用者)統合運用の下、自衛隊の部隊等の迅速な機動・展開を行い得るよう、共同の部隊として海上輸送部隊1個群を新編する」としています。

 「海上輸送部隊は防衛相の直轄部隊となり、防衛省が新たに導入する中・小型の輸送機で離島間の輸送を担う。大型輸送艦が入港できる港湾施設がない島しょ部でも物資を円滑に運べるようにする」(19日付琉球新報)

 ③    新型ミサイル「島しょ防衛用高速滑空弾」配備…「中期防」は「引き続き…南西地域の島嶼部隊の態勢を強化する。さらに、島嶼部等に対する侵攻に対処し得るよう、島嶼防衛用高速滑空弾部隊の新編に向け、必要な措置を講ずる」と明記しています。

 「長距離で新型の地対地ミサイルとなる『高速滑空弾』は防衛省が本年度から研究開発を進めており、2026年度に実用化される見通し。…運用部隊が沖縄に配備されることが予想される」(同琉球新報)

 「島嶼防衛用滑空弾は、石垣島や宮古島に配備される地対艦、地対空ミサイル部隊と合わせて運用されるだろう。…そうなれば当然、攻撃対象になる可能性も高くなる。滑空弾など、相手の射程圏外から攻撃でき、敵基地攻撃能力とされるスタンドオフミサイル能力の向上に関しては、憲法上の制約も含め国会で議論がほとんど深まっていない」(前出井筒高雄氏)

  今回の「大綱・中期防」の特徴は、5年前倒しで作成されたことをはじめ、安倍政権が米トランプ政権のいいなりになって、巨額の兵器を購入するとともに、自衛隊と米軍との一体化・肩代わりをさらに格段に強めようとすることです。それが最も集中的に表れているのが、沖縄・南西諸島にほかなりません。

 「防衛力の”南西シフト“は顕著になっている。岩屋毅防衛相は『日本の守りの最前線は南西地域だ。抑止力を減退させるわけにはいかない』と強調している」(同琉球新報)

  基地の共同使用をはじめ、いまや自衛隊と米軍は一体です。宮古、石垣など離島への自衛隊配備・強化を阻止することは、辺野古新基地阻止と一体不可分の、喫緊の課題です。


「平成最後の〇〇」と言うのはやめよう

2018年12月18日 | 天皇制とメディア

     

 「平成最後の年賀状」「平成最後の芥川賞」…年末が近づくにつれ、こうした言い回しが増えてきました。新聞やテレビは競うように「平成回顧」特集を行っています。来年5月1日へ向けて、「平成最後の〇〇」はますます巷に流布されるでしょう。

 ついつい言ってしまいそうなこの「平成最後の〇〇」ですが、その意味・影響はけっして軽視できません。なぜならそれは無意識のうちに、「主権在民」「政教分離」の憲法原則に反する「元号」・天皇制の温存・強化に同調することになるからです。

 あらためて、「元号」「改元」とは何かを確認しておきましょう。

 「元号」はもともと、「皇帝は時間をも制する」との考えで中国・前漢の武帝の時代に考案されたものです。本家本元の中国は清の滅亡とともに元号制度も廃止しました。しかし、日本は明治政府の近代天皇制の下で温存・強化されてきました。

 「中国文化圏にあった東アジアでは、皇帝も元号も、すべてが滅亡し、唯一、日本だけに残ったことになります。…元号が歴史年を記録するためのものではなく、皇帝の支配力を強めるためのものだということが、ここでもはっきりしています」(佐藤文明氏『「日の丸」「君が代」「元号」考』緑風出版)

 天皇の代替わりごとに新しい元号を決める「一世一元制」は明治政府によってつくられたものです。提案したのは岩倉具視。大日本帝国憲法とともに制定された皇室典範(1889年2月11日)第12条と登極令(1909年2月11日発布)第2、第3条で規定されました。

 「一世一元制には、明治天皇による親政と維新政府の正統性を、国際社会と国内に向けて宣言する目的があった」(高木博志氏『天皇・皇室辞典』岩波書店)

 敗戦後、「主権在民」「政教分離」の新憲法のもとで、「元号」の法的根拠だった皇室典範はGHQによって廃止されました。しかし、日本政府は天皇制の存続とともに、「元号制」を温存することに腐心し、新たな法律をつくって合法化する機会をうかがいました。

  それに呼応して、「国家神道」の総元締めである「神社本庁」(1946年1月発足)が「元号法制化」を求める「国民運動」を展開。自民党を中心とする国会議員によって「神道政治連盟」が結成され(1968年10月)、制定を強行したのが、「元号法」(1978年6月6日成立)です。

 かつて「昭和」から「平成」への「改元」(1989年1月7日)に際し、「皇位継承」とともに「元号」の一大キャンペーンが展開されました。これに対し歴史家の井上清は「元号をやめて国際紀年(西暦)を使おう」と呼びかけました。井上はこう指摘しました。

  「主権在民の日本国憲法の象徴天皇制から、大日本帝国憲法時代の万世一系の現人神元首への、思想的、精神的、宗教的な完全移行がいまわれわれの目前で進行している。この移行は、旧天皇制が日本国民を強力無比に統合したのと同じように、新天皇の権威のもとに国民を強力に統合されたならば、国民はどこへつれて行かれるのか。そこには軍国主義・帝国主義・侵略戦争以外のどんな道もない」(『元号制批判―やめよう元号を』明石書店1989年)

  それから「30年」。
 いまや日本共産党の機関紙にも「元号」表記が復活(2017年4月1日付から)するなど、「元号」・天皇制を批判する政党、「識者」、メディアは影を潜める中、天皇の超法規的「公的行為」は常態化し、天皇が直接「国民」に訴える2回の「ビデオメッセージ」も批判されるどころか称賛さえされ、自衛隊の「被災地活動」・天皇の「被災地訪問」を契機に天皇と自衛隊は急接近。「天皇元首化」を第1条に明記した自民党の憲法改定草案(2012年4月)が国会に提出される寸前まできました。

 一方、軍事費は膨張の一途をたどり、自衛隊と米軍と一体化は急速に進み、戦争法(安保法)によって日本は戦争をする国(集団的自衛権行使)になりました。沖縄は新たな前線基地にされようとしています。

 これらはすべてリンクしています。井上清の指摘が決して杞憂ではないことを証明しているのではないでしょうか。

 そんな中での「改元」です。なにげなく口にする「平成最後の〇〇」が、無意識のうちに国家権力の「元号」・天皇制キャンペーンに加担することになることを銘記する必要があります。
 私たち一人ひとりの日常生活から、「元号」を使わない、口にしない習慣をつくり、「元号」・天皇制廃止へ向かおうではありませんか。