アリの一言 

オキナワ、天皇制、朝鮮半島の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

天皇・皇后訪比③ 「慰霊の旅」は安倍改憲の先取り

2016年02月04日 | 天皇制と人権・民主主義

  

 安倍首相は3日の衆院予算委員会で、憲法9条の改憲を改めて明言しました。その“理屈”は、「7割の憲法学者が自衛隊に憲法違反の疑いを持っている状況をかえる」。つまり、憲法違反の状況(自衛隊)を憲法に従って変えるのではなく、逆に憲法を憲法違反の状況(自衛隊)に合わせようとする、まさに立憲主義の逆転です。

 この逆立ちした改憲手法は、9条だけではありません。「天皇制」や「政教分離」に関しても着々と進行しています。天皇・皇后による「慰霊の旅」は、まさにその1つなのです。

 ① 現行憲法にはない「公的行為」の拡大

 そもそも、天皇・皇后による「皇室外交」は、現行憲法上天皇が許されている「国事行為」には含まれていません。そのため憲法にはない「公的行為」とされています。

 「天皇を外交上元首として扱ったり、さらには制度化されていないいわゆる天皇の『公的行為』の拡大によって天皇の政治性、権威性をさらに高めようとする試みが行われている。その例としては、1947年以来の国会開会式への出席と『お言葉』の朗読、50年以来の植樹祭や国民体育大会への出席、52年以来の全国戦没者追悼式への出席、52年以来の大臣等におよる『内奏』、64年以来の生存者叙勲、戦没者叙勲、そのほかオリンピック等への公式出席や、たび重なる『皇室外交』などをあげることができる。多くの憲法学者が違憲とするこのような『公的行為』の拡大が天皇の権威性を高めるための巧みな政治的演出であることは言うまでもない」(舟越耿一氏、『天皇制と民主主義』)

 そこで、自民党はどうしようとしているのか。「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日決定)で「天皇の国事行為」を定めた第6条に新たに次の1項を付け加えます。
 「天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う
 その趣旨を、自民党の「日本国憲法改正草案Q&A」はこう説明します。
 「天皇の行為には公的な性格を持つものがあります。しかし、こうした公的な性格を持つ行為は、現行憲法上何ら位置づけがなされていません。そこで、こうした公的行為について、憲法上明確な規定を設けるべきであると考えました

 ② 「慰霊」で「国の宗教活動」に道を開く危険

 国立歴史民俗博物館の新谷尚紀教授は、「同じ日本語でも慰霊と追悼とはその意味内容が異なる点に注意しなければならない」として、こう解説しています。
 「追悼は通常死と異常死の両方ともに該当する語であるが、慰霊は事故死や戦闘死など異常死の場合が主である。・・・戦闘死の場合には招魂慰霊による積極的意味づけがなされ社祠(ほこら-引用者)が設営されるなどして戦死者は霊的存在として祭祀の対象となりうる。つまり死者が神として祀り上げられる可能性があるという点が特徴的である」(「民俗学からみる慰霊と追悼」)

 「慰霊」は、きわめて宗教性が高く、神社・神道との関連性が強い、という指摘です。

 ちなみに、8月15日の政府主催「全国戦没者追悼式」で、壇上にある標柱の文字は、開始(1963年)から1974年までは「全国戦没者追悼之標」でしたが、75年から「全国戦没者之霊」に変わりました。75年とは三木首相(当時)が戦後初めて首相として靖国神社を参拝(「私的参拝」)した年です。これには、自民党が狙った靖国神社の国家護持(靖国神社法案)が挫折し、「国家護持をあきらめた右派勢力は・・・靖国神社への『公人の参拝』を制度化しようと方向転換した」(若宮啓文氏『戦後70年・保守のアジア観』)背景があります。こうした右派勢力の策動と、標柱の文字が「霊」に変わったのはけっして無関係ではないでしょう。

 天皇・皇后の「慰霊の旅」は、現行憲法の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(第20条2項)という規定に抵触する可能性があるのです。

 そこで、自民党はどうしようとしているか。「改憲草案」で上記の現行第20条2項に次の一文を加えます。
 「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない
 「Q&A」はこう解説します。「これにより、地鎮祭に当たって公費から玉串料を支出するなどの問題が現実に解決されます

 天皇・皇后の「慰霊の旅」が、自民「改憲草案」の「社会的儀礼」の例とされる可能性は小さくないでしょう。

 ③ 「天皇元首」化の先取り

 今回の訪比でも天皇・皇后は「国賓」であり、天皇はフィリピン儀仗兵を閲兵さえしました(写真左)。「両陛下が我が国にお越しくださったという事実そのものが、両国間の友好関係の深さを明確に物語っております」(1月27日晩さん会でのアキノ大統領あいさつ)と、天皇はまさに「日本の元首」として扱われたのです。

 現行憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」を、自民党改憲案はこう変えます。
 「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」

 「Q&A」はこう明言します。
 「元首とは、英語でHead of Stateであり、国の第一人者を意味します。明治憲法には、天皇が元首であるとの規定が存在していました。また、外交儀礼上でも、天皇は元首として扱われています。したがって、我が国において、天皇が元首であることは紛れもない事実です」

 「元首」となった天皇が「象徴」するものを、「日本国民統合」(現行憲法)だけでなく、「日本国及び日本国民統合」に変えようとしていることも見過ごせません。

 こうして、天皇・皇后の「慰霊の旅」は、安倍首相(写真右は天皇を出迎える30日の羽田空港)が目論む改憲の先取り、地ならしとして、政治利用される危険性が高いのです
 現行憲法の「象徴天皇制」に対する賛否のいかんにかかわらず、改憲と連動したこうした「天皇の政治利用」を許すことはできません。

☆「天皇・皇后訪比」についての計4回のブログ(1月23日、2月1日、2日、4日)に、乗松聡子氏(「ピース・フィロソフィー・センター」代表)が質量ともに大幅に肉付けしてくださったものが、共著の形で英文オンラインジャーナル『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に掲載されました。乗松さんに深く感謝し、お知らせいたします
http://apjjf.org/2016/05/Kihara.html