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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記44・山中伸弥氏と「盗骨」・白鵬に“物言い“・小中学生「五輪ボランティア」の狙い

2019年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

☆山中伸弥氏と「盗骨」責任

 28日、ノーベル賞受賞者の山中伸弥氏(京都大学教授)らが「元号に関する懇談会」のメンバーに起用されると報じられた。その山中氏は25日、那覇市内で講演し、「ビジョンを見失わない大切さ」(26日付琉球新報)などを説いた。

 京都大学といえば、かつて今帰仁村の百按司(むむじゃな)墓から琉球人の遺骨を持ち出し、いまだに返そうとしていないこと(「盗骨」)に対し、松島泰勝氏らが京都地裁に提訴し、裁判中だ(3月23日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20190323)。

 京都大の教授として、とりわけ医学に関係する教授として、山中氏も京大の「盗骨」問題に無関係と言えないことは明白だ。しかし、山中氏は那覇での講演でそのことについては一言も触れなかった(もし触れていれば琉球新報が報じないわけがない)。

 山中氏が京大の「盗骨」問題を知らないのだとすれば、不勉強・無責任も甚だしい。仮に知っていてあえて何も言わなかったのだとしたら、沖縄(琉球)に対し、これほど不誠実なことはない。 

 山中氏は「元号に関する懇談会」メンバーになる前に、足元の「京大の盗骨」に関して自らの責任を果たすべきではないか。

 ☆白鵬に“物言い“がついた訳

 24日、大相撲春場所は白鵬の優勝で終わった。その白鵬に横綱審議委員会から”物言い“がついたことはあまり知られていない(報じられていない)。
 横審が問題にしたのは、白鵬が優勝インタビューの直後、場内の観客に呼びかけて「三本締め」を行ったことだ。

 なぜ横審は白鵬の「三本締め」にクレームをつけたのか。聞いた唯一のテレビニュースによると、「千秋楽には”神送り”の儀式がある。それが行われる前にああした行動をするのは、優勝横綱であっても許されることではない」(概略)というのが横審の言い分だ。
 「神送り」とは、場所開催中土俵に降りていた「神」が、千秋楽に帰ってゆくのを見送る土俵上の儀式、とされている。

このことは、大相撲が「神事」であることを改めて示している。
 相撲は神道と密接な関係にある。天皇が大相撲を観に行くのは決して趣味だから(だけ)ではない。大相撲が神道と関係が深いからだ。そこから「相撲は国技」という言葉も生まれる。

 多くの「大相撲ファン」はそんなことは知らず、またどうでもよく、競技(あるいはスポーツ)として楽しんでいるのだろう。それはそれでいいのだが、ここにも「無意識の天皇制」があることは知っておく必要がある。政府や相撲協会、横審はその点を踏まえて大相撲を「国技」と称しているのだから。

 ☆小中学生に「五輪ボランティア」をやらせる狙い

 先週のテレビニュースで、きわめて重大な問題を耳にした。メモをし損ねたので後日図書館で新聞を調べたが、どの新聞も報じていなかった。
 東京オリ・パラ組織委員会(森喜朗会長)は、全国の小中学校に「オリ・パラ」でのボランティアを推進するよう要請した(「協定を結んだ」だったかもしれない)。
 小中学生に何をやらせるのか。いくつか挙げられていた中に、なんと「国旗の掲揚」があったのだ。
「表彰式」はじめ「オリ・パラ」では「日の丸」が掲揚される機会が多いだろう。それを小中学生にやらせようというのだ

 森はかつて「リオ五輪結団式」でアスリートに「君が代」斉唱を強要したことがあるが、今度は小中学生に「日の丸」を掲揚させようとする。あまりにも露骨だ。
 「東京オリ・パラ」は、新天皇のお披露目はじめ、天皇制・国家主義の一大アピールの場になる。その狙いがますます鮮明になってきている。

 そうした国家権力の狙いに目を向けず、政府がふりまく「オリ・パラ」キャンペーンに乗ってお祭り騒ぎをすることは許されない。
 ここにも「市民」の「無意識の責任」がある。


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広河隆一性暴力事件「検証委員会」はなぜ被害者の声を聴かないのか

2019年03月30日 | 差別・人権

     

 写真誌「DAYS JAPAN」の発行・編集人だった広河隆一氏の性暴力事件について、同誌最終号(同誌は休刊)に「広河隆一性暴力報道を受けて 検証委員会報告」が掲載されました。当初の予定(約束)を1カ月延ばしての発行ですが、その内容には根本的な問題があると言わざるをえません。

 そもそも、今回の「報告」は検証委員会としての「最終報告」ではなく、「中間報告」ですらありません。
 冒頭、最終号発行人兼編集人・川島進氏は、「最終報告に至るまでの十分な時間を確保できなかった」ので今回の「報告」は「経過報告」にすぎず、「検証終了後の最終報告は…DAYSJAPAN誌上では行うことはできない」「最終報告はホームページ上で公表していく予定」だとしています。
 「報告」で検証委員会(金子雅臣委員長)も、「諸々勘案の上、本誌面上で、正式な意味での『検証委員会としての中間報告』という形式をとることは控えざるを得なかった」と述べています。

 しかし、「週刊文春」で報道されてからでも3カ月、当初の予定を1カ月延ばしてまで発行した最終号が、「最終報告」はおろか「中間報告」ですらないとは、いったいこれまで何をしてきたのでしょうか。

 しかも「最終報告」はいつになるかもわからず(その予定すら述べられておらず)、その公表も誌面ではなくホームページ上とは。同社は今回の事件の重大性を本当に認識しているのでしょうか。

 同社および検証委員会の認識を疑わせるのはそれだけではありません。

 今回の「報告」のタイトルは冒頭書いたように、「広河隆一性暴力報道を受けて」です。「性暴力事件を受けて」ではありません。これでは問題は広河氏の性暴力自体ではなくその「報道」だということになります。
 これは広河氏が一貫して被害者を被害者と言わず、「告発した人」「取材を受けた人」などと称して自らの加害性を隠ぺいしようとしていることと通底するのではないでしょうか。

 さらに、決定的で根本的な問題は、検証委員会が肝心の被害女性らの声をまったく聴取していないことです。結果、「報告」には被害者の証言は皆無です。

 「報告」にあるのは広河氏に対する「ヒアリング」とそれに対する調査担当者のコメントだけです。これでは、いくら調査担当者のコメントをつけようと、「報告」が広河氏の弁明の場になっていることは否めません。

 第2部(性暴力を考える)の編集を担当した林美子氏(元朝日新聞記者・「メディアで働く女性ネットワーク」代表世話人)は同誌で、「取材者としては、広河氏から被害を受けた方にも、その内容を記事にするかどうかはともかく直接話をうかがいたいと強く思った。被害者の思いをすべての出発点にする必要があると感じていた」と述べていますが、これが当然の感覚ではないでしょうか。

 林氏は、「人を介して数人の方にお願いしたが、残念ながら実現しなかった」とし、「長年、広河氏と事実上一体だった企業及び雑誌としてのDAYSJAPANへの不信感と、突然現れた最終号の編集体制を信頼できない思いがあることが推察された」と述べています。 

 林氏の「推察」が正当かどうかは別にして、検証委員会の「報告」には被害者からの聴取を試みたという記述はまったくありません。
 というより、検証委員会は始めから被害者の声を聴くつもりはなかったのではないでしょうか。
 委員長の金子氏は、広河事件についての雑誌の対談で、こう述べています。 

 「日本の場合、とにかく加害者に語らせないですよね。それどころか、告発者探しをして、被害者にマイクを突き付けてしまう。…男性に語らせないといけない。なぜこんなことをしたのか語らせる状況にきてはじめて、この人を訴えてもよいのだということが女性に伝わるんです」(「世界」3月号)

 これはきわめて奇異で重大な発言です。問題は言うまでもなく、性暴力(同意なき性交渉)があったかどうかの事実です。その事実があれば被害者が加害者を訴えるのは当然です。ところが金子氏は、男が「なぜこんなことをしたのか語らせる状況にきてはじめて」被害者が加害者を「訴えてもよい」のだと言います。本末転倒も甚だしいと言わねばなりません。

 しかも、広河事件の場合、被害者はすでに週刊誌上で告発をしています。「告発者探し」「マイクを突きつける」云々も該当しません。

 このような考えを持つ金子氏が委員長になった検証委員会の「報告」が被害者抜きになったのは当然かもしれません。逆に、被害者抜きの「報告」にするために、金子氏を検証委員会の委員長に据えたと言えるかもしれません。

 同誌にコラムを連載している斎藤美奈子氏(文芸評論家)は、「広河事件の背後に見えるもうひとつの闇」と題した最終号のコラム(写真右)で、「謝罪文と検証予告が載った前号の後」、当時の編集長と2人の編集部員が「最終号で徹底検証、徹底報告すべき」と主張したにもかかわらず「会社側が了承せず」、3人は「やむなく退社に至ったと聞く」「早々に検証に乗り出した弁護士の解任も不信の念を抱かせる」と述べています。そして、こう結んでいます。「この期に及んで事実の解明と公表を、まさか経営陣が拒んでいるのか」。

 「検証」のはずの最終号「検証委員会報告」は、「広河事件」の”闇“をいっそう深めるものになったと言わざるをえません。


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南西諸島へ自衛隊配備強行、「オール沖縄」はなぜ反対運動をしないのか

2019年03月28日 | 日米安保・沖縄

     

 安倍政権は26日、住民の反対を押し切って、宮古島に新設された駐屯地に自衛隊警備部隊(約380人)を配備しました。
 「1972年の沖縄の日本復帰後、自衛隊施設新設は2016年3月の陸自与那国駐屯地(沿岸監視160人)に続いて2度目。…防衛省は、石垣島でも部隊配備に向け駐屯地建設に着手しており、同省が『防衛の空白地帯』とする南西諸島の防衛強化の動きが進んでいる」(27日付琉球新報。写真右は26日付同紙より)

  岩屋防衛相は同日の記者会見で、「日本の守りの最前線は南西地域だ」(27日付産経新聞)とあらためて強調しました。

 「南西諸島の自衛隊の配備は地域的な制海・制空権を握るためのものだが、逆に言えば相手の標的になってしまうのは確実だ。政府は住民運動を押しつぶして自衛隊の配備を進めるが…沖縄戦のように、自衛隊が配備されることで沖縄が攻撃に巻き込まれることになる」(小西誠氏=軍事ジャーナリスト・元航空自衛官、27日付沖縄タイムス)

 南西諸島への自衛隊配備は、日米安保条約の下、自衛隊と米軍の一体化の深化を象徴的に示すものでもあります。

 「従来の日米安保条約は米軍が基地の提供を受けて日本を守るという『盾と矛』のような役割分担(という建前―引用者)だったが、今や『矛と矛』という形になりつつある。防衛省が『自衛隊の空白地帯を埋める』ということは、日米の軍事一体化と裏腹の関係にある」(前田哲男氏=軍事評論家、26日付琉球新報)

 まさに今沖縄は、自衛隊(日本軍)の駐屯によってアメリカが行う戦争の前線基地にされ、沖縄戦再来の危機にさらされているのです。

 ところがこの重大事態に際し、「辺野古新基地反対」を公約して当選した玉城デニー知事は沈黙を続けています。
 「宮古島市への陸上自衛隊配備について、県は是非を明確にすることを避けてきた」(27日付琉球新報)

 「是非を明確に」しないとは、現在の事態の黙認、すなわち安倍政権による強権的な自衛隊配備を容認していることにほかなりません。

 これは玉城県政になってからではありません。翁長雄志前知事時代からであることを改めて想起する必要があります。
 そして、翁長氏や玉城氏を推す「オール沖縄」陣営もまた、両氏と歩調を合わせるように、自衛隊配備問題に沈黙を続けています。

 「(「是非を明確に示すことを避けてきた」ことは―引用者)翁長県政時から県議会で野党などから追及される論点の一つとなってきた。…知事選に臨むに当たり、保守政治家として自衛隊に理解を示す翁長雄志前知事を革新勢力が支援するために、配備問題は棚上げされてきた側面がある」(27日付琉球新報)

 これは重大なことです。米軍と一体化した自衛隊が「矛」となって積極的に参戦し、沖縄が前線基地にされようとしているとき、「平和・民主主義・自治」を標榜する「オール沖縄」陣営が沈黙し、事実上容認していることは、きわめて不可解であり、歴史的な汚点と言わねばなりません。

 「オール沖縄」は「辺野古新基地阻止」と同様、「南西諸島への自衛隊配備反対」の運動を直ちに始める必要があります。
 それとも、「オール沖縄」陣営の「オール沖縄」の中には宮古、石垣、与那国、伊江島などの離島は入っていないのでしょうか。


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「琉球併合」と元号

2019年03月26日 | 沖縄と天皇

     

 「1879年3月(27日)、政府の強硬な処分案をうけた松田(道之)は、軍隊(300人余)と警官(160人余)をひきいて三度(目の)来島し、首里城内で尚泰王代理の今帰仁王子に、琉球藩を廃し沖縄県を設置する廃藩置県=廃琉置県を通達した」(新城俊昭著『沖縄から見える歴史風景』編集工房東洋企画、カッコ内は引用者)

  いわゆる「琉球処分」といわれる「琉球併合」=植民地化の仕上げです(写真左)。それから140年。私たち日本人が「琉球併合」の歴史から学ばねばならないことは多々ありますが、今年の「3・27」にあたって特に銘記したいのは、日本の元号が「琉球併合」に果たした役割です。

  天皇制明治政府の「琉球併合」へ向けた具体的な動きは1872年から始まりました。琉球王国を明治天皇が任命する「琉球藩」とし、明治政府の直轄にしたのです。
 その3年後の1875年7月10日、明治政府は松田道之(写真中)を「処分官」として琉球に派遣し、4項目の命令を言い渡しました。

  「第一に、中国との関係をいっさい断ち、明治元号を使用すること、第二に、若手の役人を(東京へ)つかわし、新制度や学問を勉強させること、第三に、法律や政治制度を日本の府県制度にならってあらためること、第四に、これらの改革を混乱なく実施するため、鎮台分営(軍事施設)を設置すること」(新城俊昭著前掲書)

  琉球を植民地化する具体的な命令であり、その第1に「明治元号を使用すること」が明記されていることに留意する必要があります。
 この項目は実際の文書ではこうなっています。
 「管内一般に明治の年号を奉じ年中の儀礼等布告通遵奉為致候事」
 これについて歴史家の遠山茂樹はこう解説しています。

 「『年中の儀礼』とは、新年・紀元節・天長節(明治天皇誕生日―引用者)の儀礼である。ここに『年号を奉』ずることの意義が端的に語られている。すなわち元号を用い、皇室の儀礼にしたがうことは、天皇の支配への服属の表明なのである」(遠山茂樹「元号法制化の本質」、永原慶二・松島栄一編『元号問題の本質』白石書店1979年所収)

  これが皇民化政策であり、その遂行の最大の手段が「元号の使用」だったのです。

  「琉球併合」だけではありません。「朝鮮併合」=植民地化にあたっても、「朝鮮の児童に…『皇国臣民の誓詞』の唱和と『皇紀及皇国年号の使用』の励行が強制」(遠山、前掲書)されました。

 「他民族の信仰・慣習の一切を否認し、民族の言語と歴史を学ぶことを禁止した、同化政策・皇民化政策の苛酷さ、間さを象徴するものが、皇紀(「神武天皇の即位」を紀元とする計算法―引用者)と元号の使用の強制であった
 このことは、沖縄・台湾・朝鮮の人にかぎられることではない。本土ないし内地の人民ひとりびとりを、政治的に支配するだけでなく、思想・信仰の内面にまでふみこんで支配する天皇制の特質的機能のシンボルが、元号の本質なのである」(遠山、同)

 「琉球併合」=植民地化の「シンボル」となった元号。その「元号の本質」が果たしている機能は、けっして過去のことではありません。「元号法」(1979年)によって「一世一元」が法制化されていることに元号の現代的意味がはっきり示されています。 

 安倍政権とメディアによる「平成・改元」キャンペーンの嵐の中、「琉球併合」はじめ明治以降元号が果たした歴史的役割を振り返り、今に通じる「元号の本質」をつかむことはとりわけ重要です。


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元宮内庁参与が嘆いた明仁天皇「生前退位」の違憲性

2019年03月25日 | 天皇・天皇制

     

 23日夜放送されたNHKの特番「天皇運命の物語 第3話 象徴 果て無き道」は、明仁天皇・美智子皇后の「被災地訪問」や「慰霊の旅」を「平成流の象徴天皇」として美化する、相も変わらぬ天皇(制)賛美番組でした。が、その中で、おそらくNHKの制作者は意識しなかっただろうと思われる重大な「証言」がありました。
 明仁天皇の「生前退位」が憲法上きわめて重大な問題であることを嘆いた元宮内庁参与の証言です。

 語ったのは三谷太一郎氏(東大名誉教授・日本政治外交史、写真中・右)。証言したのは、三谷氏が宮内庁参与として他の2人の参与(湯浅利夫元宮内庁長官、栗山尚一元外務省事務次官)とともに出席した2010年7月22日の参与会議のもようです。出席者はほかに明仁天皇、美智子皇后、羽毛田信吾宮内庁長官(当時)、川島裕侍従長(同)の計7人。

 参与会議の冒頭、明仁天皇が突然、こう発言しました。
 「80歳までは象徴の務めを果たすが、その後は皇太子に譲位したい」

 天皇の口から「生前退位(明仁天皇に言わせれば「譲位」)」の意向が初めて口外された瞬間でした。出席者(天皇以外の6人)は仰天し、会議は「凍りついたような雰囲気」になったといいます。

 議論の末、三谷氏らは、明仁天皇が天皇の地位にとどまり、「象徴としての務め」を皇太子に任せて、「象徴の地位と象徴の務めを切り離すこと」を提案しました。「地位と任務の分離」論です。天皇以外の6人はこの「分離論」で一致しました。
 しかし、明仁天皇は譲らず、「生前退位」の意向を押し切りました。

 帰りの車の中で、三谷氏は苦悩の中、こう思ったといいます。
 「戦後の日本国憲法が当面した最大の問題だな

 三谷氏の証言は以上ですが、注目されるのは最後の三谷氏のつぶやきです。政治外交史を熟知している三谷氏が、なぜ「戦後の日本国憲法が当面した最大の問題」と頭を抱えたのか。
 三谷氏自身の言葉でその説明はありませんでした(さすがにNHKは放送しなかった)が、それは天皇の「生前退位」が日本国憲法に抵触する「戦後最大の問題」、いわば“戦後最大の憲法違反”だからではないでしょうか。

 憲法はもちろん皇室典範も「生前退位」などまったく想定していません。というより、皇室典範(第4条)は「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」として、「皇位継承」は天皇が死去した時だと明記しています。
 三谷氏の苦悩は、明仁天皇の「生前退位」の意向が憲法や皇室典範に反することが明白で、周囲がすべて反対しているにもかかわらず、明仁天皇が断固として譲ろうとしないことにあるのは明らかでしょう。

 その後の経過は周知の通りです。明仁天皇の意向通りの「特別立法」が安倍政権によって国会に提案され、日本共産党を含む全会一致で可決・成立し、「生前退位」が現実になりました。

 ”戦後最大の憲法違反“を明仁天皇が望み、政府がそれに従い、国会が全会一致でそれを容認した。「主権者」である私たちは、この事実を肝に銘じなければなりません。

 


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日曜日記43・朝日「改元」社説の落とし穴・イチローと「国民栄誉賞」

2019年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

☆朝日新聞「改元」社説の落とし穴

 21日付朝日新聞は、<「改元」を考える 時はだれのものなのか>と題した大型社説を掲載した。
 「朝日新聞を含む多くのメディアは『平成最後』や『平成30年間』といった表現をよく使っている。…でも、ちょっと立ち止まって考えてみたい。『平成』といった元号による時の区切りに、どんな意味があるのだろうか」「歴史を振り返れば、多くの権力は、時を『統治の道具』として利用してきた。日本の元号も…」と、その限りではまともなことを言っている。

 しかし、全体の趣旨は、「人間には個々が抱く時の感覚がある」「もちろん元号という日本独自の時の呼び方があってもいい。ただ同時に、多種多様な時の流れを心得る、しなやかで複眼的な思考を大切にしたい。時を過ごし、刻む自由はいつも、自分だけのものだから」、つまり「個人の自由」だということだ。

 もちろん「時の刻み」は「個人の自由」だ。しかし明治以降の日本政府は、これを「自由」とせず国家が統制してきた。大日本帝国憲法下のように露骨ではないが、現行憲法下でも変わっていない。
 それを典型的に示しているのが、「元号法」(1979年)だ。同法は「天皇主権」を示す「一世一元」を法律に明記した。これは「元号」の国家機構化であり、事実上の強制だ。「元号法」の批判なくして「個人の自由」は語れない。

 ところが「朝日」の社説は、「元号法が成立した際…」とこれをスルーしている。政府(国家権力)による「元号」の事実上の強制に対する批判を抜きに「個人の自由」を唱えることは、現状肯定以外のなにものでもない。
 いかにも自社の報道を自己検証しているような形で「正論」を吐きながら、現状肯定(国家権力への迎合)するのはタチが悪い。「産経」や「読売」のように正面から「元号」を賛美する方が分かりやすい。

 「元号」に限ったことではない。また「朝日」に限ったことでもない。「沖縄」をめぐる各メディア、政党の言説もそうだ。いかにも政府を批判しているように「正論」を唱えながら、実際は国家権力の横暴を容認し、暴政を軟着陸させている。そんな”グレーソーン言説”こそ注意しなければならない。

 ☆イチローと「国民栄誉賞」

 21日イチローが現役引退を表明した。安倍政権は間違いなく「イチローに国民栄誉賞を」と言いだすだろう。イチローにはこれを拒否してもらいたい。
 これまでもイチローに国民栄誉賞をという話はあったが、彼は断ってきた。それは現役続行の意図からだったと思う。引退を表明した今となってはどうだろうか。

 1977年に始まった「国民栄誉賞」は時の政府の人気取りであり、文化・「国民」の国家取り込みにほかならない。特に、スポーツの取り込みは顕著だ。羽生弓弦まで27人の受賞者のうち半数近い12人(組)がスポーツ選手だ。

 国家による「表彰」は「国民統治」の手段の1つだ。天皇による「叙勲」が典型であり、日本国憲法はそれを容認している。
 イチローがあらためて国民栄誉賞を拒否したとき、彼は本当の「ヒーロー」になると思う。

 ☆イチローの至言

 22日午前0時からの引退会見で、イチローは印象深い言葉をいくつも発した。
 その中で特に共感したのは、「もちろん人より頑張ってきたとはとても言えないけれど、自分なりに頑張ってきたとははっきり言える」という言葉だ。謙虚であると同時に、強い自信にあふれた言葉だ。

 イチローは現役選手引退の言葉としてこれを発したのだが、”人生の引退“にも言えることではないだろうか。

 人より頑張ったとは言えないけれど、いや、人と比べることなく、「自分なりに頑張る」、そして「自分なりに頑張った」といえる人生。
 人生の残りの時間は多くはないだろうが、そんな境地にははるかに遠い。やりたいこと、やらねばならないことはまだまだ山積し、むしろ増えている。

 「自分なりに頑張った」、だから「後悔などあろうはずがない」。そう言って人生を引退したいものだ。


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「盗骨」にみる植民地主義と“京大関係者”の責任

2019年03月23日 | 差別・人権

     

 21日付の琉球新報(社会面トップ)は、「台湾大の遺骨返還」の見出しで、「昭和初期に旧帝国大学の人類学者らによって沖縄から持ち出された遺骨63体が20日までに、保管されていた台湾の国立台湾大学から沖縄側に返還された」と報じました。

 同時にその横で、前田朗東京造形大教授が19日、国連人権理事会の本会議で、日本の旧帝大がいまだに沖縄に遺骨を返還していない問題を報告し、「琉球の人々は(日本人から)差別の対象とされてきた」と指摘したニュースを載せました。「琉球人骨問題が国連人権理事会本会議で報告されたのは初めて」(同琉球新報)です。

  アイヌ民族の人骨が掘り返され、北海道大学、大阪大学などに研究資料として持ち去られた問題は以前から知っていました。しかし、琉球民族も同様の被害に遭い、しかも返還に関してはアイヌの場合よりも苦しい状態に置かれていることを知ったのは一昨年くらいからで、さらにそのことの重大な意味が分かったのはつい最近です。不明を恥じねばなりません。

  問題の重大な意味を教えてくれたのは、『大学による盗骨―研究利用され続ける琉球人・アイヌ遺骨』(松島泰勝・木村朗編著、耕文社・2019年2月)です。

 「盗骨」した旧帝大の中でも、最も責任が重く悪質なのが京都大学(写真中)です。

  発端は今からちょうど90年前の1929年、京大医学部の足立文太郎教授が金関丈夫助教授に「琉球人骨の採集」を命じ、金関が今帰仁村の百按司(むむじゃな)墓から遺骨を持ち出した(盗んだ)ことに始まります。

  しかし、これは遠い過去の話ではありません。京大は盗んだ琉球人骨を返還しないだけでなく、松島泰勝氏(龍谷大教授)らの再三の返還要求を一蹴したばかりか、保管に関する情報の公開もせず、何度も京大に足を運んだ松島氏らと会おうともせずに門前払いし続けたのです。

 松島氏らはやむをえず「琉球人遺骨の返還を求めて」京大を提訴し(2018年12月4日、京都地裁)、今月8日に第1回口頭弁論が行われました。京大は「違法性はない」とする答弁書を提出し、「全面的に争う姿勢」(6日付琉球新報)です。

 これはたんに遺骨が盗まれたという窃盗事件ではありません。

 「遺骨返還問題は、日本植民地主義の『学問』によるレイシズムを浮き彫りにした。…第二次大戦後、日本国憲法の下で自らの植民地主義を清算することなく、継承した経済学や人類学。返還要求を前に、先住民の声を圧殺しようとする現在の学問の権威主義。日本の学問にはレイシズムが貫かれている。そのことを自覚できないレイシズムである」(前田朗氏、前掲『大学による盗骨』)

  問題の根は広く深いのですが、ここで問いたいのは、京大、そして京大に関係する人々・組織の責任です。

  京大大学院教育学研究科教授の駒込武氏は、前掲書の書評で、こう述べています。
 「評者(駒込氏)自身、松島氏らによる遺骨返還要求を何度もはねつけてきた京都大学に籍を置く『研究者』である。心と体の大半を『狂っている』世界の側に置いている。…決して他人事ではない。だからこそ京都大学の中にあって京都大学執行部の責任を問わねばならないと痛感させられた。
 本書の読者のネットワークが京都大学を取り囲み、内部からの動きがこれに呼応して植民地主義的な無責任の厚い壁を突き崩す事態を夢見たい」(10日付琉球新報)

  私は1973年4月から78年3月まで文学部の学生として京大に在籍していました。そして、差別や国家権力とたたかう(としている)グループ・組織にも入っていました。しかし、恥ずかしながら、京大の「盗骨」問題はまったく知りませんでした。このことの責任を自覚しなければならないと思っています。

  京大には職員組合も、共産党の組織もあります。それらの組織がこの問題に取り組んでいる(取り組んだことがある)ということも聞いたことがありません。それらのいわゆる「民主的組織」の責任も免れません。

  このブログを読んでいただいている方の中には、私の友人知人も含め、京大の卒業生・関係者が少なからずいらっしゃると思います。どうかまず、『大学による盗骨』を一読してみてください。
 そして、「厚い壁を突き崩す」ために何をすべきか、一緒に考えませんか。


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「天皇退位」を理由に安倍首相に「協議」を求めた玉城知事

2019年03月21日 | 沖縄と天皇

     

 19日のブログで「玉城知事の3つの問題行動」を書きましたが、その日、また新たな問題行動(発言)が出ました。

 玉城氏は19日、官邸で安倍首相と会談し、「辺野古の新基地建設を中止し1カ月程度の協議の場を設けるよう要請」(20日付琉球新報)しましたが、その場で、「上告中の辺野古海域の岩礁破砕を巡る訴訟を取り下げる考えを伝えた」(同)のです。
 安倍氏は「1カ月程度の協議」を拒否しました。にもかかわらず、「会談後、玉城知事の指示を受けて県は上告取り下げの準備に入った」(同琉球新報)。

 それだけではありません。

 沖縄県が行った「埋立承認撤回」(2018年8月31日)に対し、安倍政権がその効力を停止した(沖縄防衛局の不服審査請求を国交相が認めるという茶番)ことに対し、県は「効力停止は違法」として提訴する方針でしたが、玉城氏はその提訴も「政府の対応次第で検討する」(同琉球新報)と、取りやめる考えを示唆したのです。

 安倍政権の横暴を追及し、県の主張の正当性をアピールして辺野古新基地阻止の世論を喚起する重要な場(裁判)を自ら放棄し、さらに今後も放棄する考えを示したもので、ここには安倍政権との対決姿勢はまったく見られません。

 これだけでも重大ですが、玉城氏の問題発言はこれにとどまりませんでした。

 19日昼のJNNニュース(TBS系)によれば(新聞や他のニュースでは報じられていません)、玉城氏は安倍氏にこう言いました。

 「天皇陛下の退位もあり、1カ月くらい話し合いの時間をもらえないだろうか」

 「話し合い」を要求する理由(の1つ)に、「天皇の退位」を挙げたのです。これは見逃すことができない重大発言です。

 第1に、「天皇の退位」が特別な意味を持つかのような発言で、安倍政権や天皇主義者らの天皇(制)賛美キャンペーンに加担するものです。

 第2に、「天皇の退位」を理由に辺野古新基地建設をめぐる「協議」を要請(政治的要求)することは、その目的の如何にかかわらず、憲法が禁じている「天皇の政治利用」に当たると言わざるをえません。

 そして第3に、沖縄にとっての天皇(制)の意味をまったく理解しないもので、沖縄の苦難の歴史・現状に対する背信と言わねばなりません。

 沖縄が今日軍事植民地状態に置かれている根源は、敗戦直後からのアメリカ統治とそれを条約化した日米安保条約ですが、そのいずれの元凶も天皇裕仁でした。
 裕仁は天皇制(国体)の維持と引か代えに沖縄を売り渡し(1947年9月19日の「天皇メッセージ」)、サンフランシスコ「講和」条約で沖縄を切り離して引き続きアメリカの統治下に置き、同時に安保条約を締結する交渉を、吉田茂首相(当時)の頭越しに行いました。
 基地問題をはじめ沖縄の今日の苦悩に最も大きな責めを負わねばならないのは天皇裕仁です。

 そしてその長男である天皇明仁は、父・裕仁が沖縄に対して犯した罪には一切言及せず、一言の謝罪もなく、沖縄を再三訪れていかにも沖縄に寄り添っているかのように見せ、ついに裕仁の罪を不問にしたまま天皇の座を去り、裕仁の孫に引き継ごうとしているのです。

 そんな「天皇の退位」を、どうして「国民」が、とりわけ沖縄の人々が祝わねばならないのでしょうか。

 「天皇の退位」(「新天皇の即位」)を特別視する考えを安倍首相に伝えた玉城氏の発言は、それだけで沖縄の知事としての資質が問われるものです。

 


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沖縄・玉城知事の3つの問題行動

2019年03月19日 | 沖縄と日米安保

     
 辺野古新基地建設へ向け安倍政権が25日にも新たな区域への土砂投入を強行しようとしています。この重大な局面で、「辺野古新基地阻止」を最大(唯一)の公約にして当選した玉城デニー知事に、「県民投票」以降、公約実行を疑わせる問題行動が目につきます。

 ①   「3・16県民大会」に不参加

 1万人(主催者発表)が集まって辺野古新基地阻止への意思を改めて示した「3・16県民大会」(「オール沖縄会議」主催)。その場に玉城知事の姿はありませんでした(謝花喜一郎副知事が「あいさつ文」を代読=写真中)

 玉城氏が県民大会に出席しなかった理由は、「下地島空港ターミナル完成式典に参加するために宮古島に出張」(17日付琉球新報)していたこととされています。
 しかし、下地島空港の完成式典も県民大会も以前から日程は決まっていたこと。宮古島へ副知事を代理として派遣すればいい話です。

 空港の完成式典というセレモニーと、「県民投票」後の初の「県民大会」と、辺野古新基地阻止にとってどちらが重要か、言うまでもないでしょう。
 玉城氏は「辺野古新基地阻止の県民大会」よりも「空港の完成式典」を優先したのです。あるいは「出張」を口実に「県民大会」をあえて欠席したと言えるかもしれません。

 ②    埋め立て土砂搬入のための本部港使用を黙認(昨日のブログ参照)

 本部港の管理責任者は玉城知事です。安倍政権が25日にも新たな区域への土砂投入を強行しようとしているいま、本部町が本部港の使用を許可しようとしていることに対し、玉城氏が沈黙し、黙認しようとしていることは、公約に対する重大な背信と言わねばなりません。

 ③   「県民投票」後の安倍首相との会談で「日米安保体制の維持」を進言

 玉城氏は今月1日、「県民投票」の結果を伝えるため、上京して安倍首相と会談しました(写真右)。この席で玉城氏はこう発言しました。

 「沖縄の課題を取り除くことは、安定的な日米安全保障体制を維持することにもつながる」(2日付沖縄タイムス「知事と首相のやりとり要旨」)

 安倍政権が辺野古新基地建設をファッショ的に強行しようとしている根源は、いうまでもなく「日米安保体制」=日米軍事同盟です。その日米安保を支持し「安定的な維持」を進言することは、安倍政権と同じ土俵に上がることであり、沖縄の基地問題と正面からたたかえないことは明白です。

 玉城氏が日米安保支持者であることは自明で、安倍氏との会談ではその本音を表したものとも言えますが、「県民投票」で「反対」票を投じた人の中には日米安保・軍事同盟に反対する人も少なくなかったはずです。日米安保に対する見解の違いを超えて「辺野古新基地反対」の1点で意思表示したのが「県民投票」だったのではないでしょうか。

 その報告にあたって、「日米安保体制の安定的な維持」を自ら安倍首相に表明・進言するのは、知事としての越権行為であり、新基地阻止・基地撤去に逆行するものと言わねばなりません。

 知事当選からやがて半年。公約に対する玉城氏の後退姿勢は早くも明らかです。
 問題は玉城氏だけではありません。こうした玉城氏の問題行動・発言に対し、玉城氏を当選させた「オール沖縄」陣営、そして琉球新報、沖縄タイムスが明確な異議・批判の声を出していないのは、重大な責任放棄ではないでしょうか。


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「オール沖縄」はなぜ「本部港使用許可」を阻止しないのか

2019年03月18日 | 沖縄・辺野古

     

 辺野古新基地反対の沖縄「県民大会」(「オール沖縄会議」主催)が16日行われました(写真左)。
 壇上での若者の発言が注目され、運動の新たな芽生えが期待されます。

 しかし、「埋め立てを中止し辺野古への新基地建設を即時、断念すること」(大会決議)を求めた県民大会としては、きわめて不可解なことがありました。それは、埋め立て用の土砂を海上から搬入するための本部港の使用が許可されようとしていることに対し、大会決議はもちろん、発言者のだれも言及し反対しなかったことです(17日付琉球新報、沖縄タイムスの報道の限り)。

 これはきわめて不可解であり重大です。本部港の使用問題はいま、きわめて危険な局面にあるからです。

  「防衛省は8日、名護市辺野古の新基地建設に使う埋め立て土砂を運搬するため、委託業者が本部町(平良武康町長)に本部港塩川地区の4月からの使用について許可申請したことを明らかにした。町は4月1日にも使用を認めるとみられる。防衛省は現在使用している名護市安和の民間桟橋に加え、本部港も使うことで現在進めている辺野古埋め立て作業を加速する狙いがある」(9日付沖縄タイムス=写真中)

 「本部町は…新たな申請があれば、4月以降、許可する方針を固めた」(7日付沖縄タイムス)

 「(本部)町は『条例や審査基準に照らして問題がなければ許可する』としている。港の使用は4月以降となる見通し」(9日付琉球新報)

 このまま手をこまねいていれば、4月1日以降本部港から埋め立て用土砂が搬入されるのは必至です。

 この重大事態に対し、「オール沖縄」陣営が「本部港使用阻止」へ向けて声を上げていないのはきわめて不可解です。なぜなら、本部港の管理責任者は県知事つまり「オール沖縄」陣営が支持する玉城デニー知事だからです。

 港湾法によれば、港湾管理者は自治体の長(知事)です。県は「岸壁使用許可などの一部権限を町に移譲」(9日付沖縄タイムス)しているにすぎません。平良町長が玉城知事の意向に反して「使用許可」を出すことは考えられません。

 事実、昨年9~10月、防衛省の委託を受けた運搬業者が使用許可を申請した際、「町は県と協議した上で、台風被害を理由に…不受理とした」(7日付沖縄タイムス)のです。

 玉城知事が「埋め立て土砂搬入のための本部港使用は認められない」と言明すれば、本部港使用は阻止できます。
 玉城氏はなぜそれを表明しないのか。
 「オール沖縄」陣営はなぜ玉城氏に「本部港の使用は認めるな」と要求しないのでしょうか。


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