アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「朝鮮人強制労働」だけでない佐渡金山の汚点「遊女・無宿人」

2024年07月31日 | メディアと日本の政治・社会
  

 ユネスコが世界文化遺産登録を決めた「佐渡島(さど)の金山」。最大の問題は植民地支配下の朝鮮人強制動員・強制労働ですが、「金山」の汚点はそれだけではありません。

 朝日新聞の田玉恵美論説委員が「遊女や無宿人はどこへ 世界遺産めざす佐渡金山が置き去りにしたもの」と題してレポートしています(27日付朝日新聞デジタル「多事奏論」)。以下抜粋します。

< 鉱山労働者がたくさんいた相川地域(現佐渡市)には江戸時代から幕府公認の遊郭がつくられ、戦後まで営業が続いた。多いときには10軒を超える店が立ち並んだという。

 働いた女性たちの多くは地元の出身だった。江戸から来た佐渡奉行は「佐渡で安いものは女と魚」と書き残した。13歳で客を取った、虐待されて死んだ。そんな記録も数多く見つかっている。

 柳平さん(柳平則子さん=元相川郷土博物館館長)らは、50年ほど前からこの街の遊女について調べ、郷土博物館で紹介してきた。この鉱山町を語る上で、避けることはできないテーマだと考えていたからだ。

 ところが今年5月に郷土博物館がリニューアルオープンすると、遊女にかかわる展示はなくなった

 なぜなのか。佐渡市の担当者は、「江戸時代については市内に新設された別の展示施設が担当し、こちらでは明治以降について説明をすることですみ分けることになった」のだという。

 だが、江戸時代を担当している新しい展示施設でもいまのところ、遊女の説明は見当たらない

 置き去りにされた人たちは、他にもいる。

 江戸時代に江戸や大坂、長崎から佐渡へ強制的に送り込まれた若者らだ。その数は、幕末までの約100年間でおよそ2千人にのぼった。

 家族から勘当されるなどして戸籍から除外され「無宿人」と呼ばれたが、なんら罪を犯していない人たちも含まれていた

 (無宿人たちは)常時200人ほどが暮らしていた。逃亡を防ぐために竹矢来で周囲が囲われ、外出の自由はない。外に出られたのは年に1度だったという。

 重労働であるうえ、狭く暗い坑内は不衛生で、粉じんが舞って空気が悪い。坑内火災などの事故もあり、短命な人が多かったという。逃亡を図って死罪になった人も少なくない。

 幕府の目的は、厄介者を追い払って都市部の治安を改善することだった。佐渡に送り込み、いつも人手不足で困っている水替作業をやらせればちょうどいい――。そんなふうに考えた幕府の駒として、多くの人たちが都合良く利用された

 江戸時代を生きた人たちの労働事情に詳しい戸森麻衣子さん(東京農業大非常勤講師)は、「罪を犯したわけでもない人たちまでがおよそ10年にもわたって拘束され、衣食代とわずかな小遣い銭だけで過酷な労働に従事させられた。後に解放された人もいたがわずかで、10年たたないうちに多くの人が亡くなりました。これは当時の日本中を見渡しても、ほぼ佐渡鉱山だけで起きたことです」という。>

 「置き去りにされた遊女・無宿人」と朝鮮人の強制動員・強制労働の共通点は、社会的弱者の人権が踏みにじられ、国家権力(幕府・帝国日本政府)の都合のいいように利用されたことです。

 そしてもう1つの重要な共通点は、現在の日本政府・新潟県が、その人権蹂躙・差別の事実・歴史の隠ぺいを図っていることです。けっして過去の問題ではありません。

 このような人権侵害の歴史と隠ぺいの経過をもつ「世界遺産登録」は、「日本の宝」(岸田首相、27日)どころか「日本の恥」と言わねばなりません。

 なお、田玉記者は以前、丹念な取材で政府・新潟県が朝鮮人強制動員の資料を隠ぺいしている実態も暴きました(6月10日のブログ参照)。このような調査報道が他の記者にも広がることを期待します。

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五輪の陰で「核拡大抑止」強化、またも「スポーツ・ウォッシング」

2024年07月30日 | メディアと日本の政治・社会
   

 パリ五輪で「日本の金メダル第1号」が生まれた28日、日本ではたいへんなことが起こっていました。
 日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)と、「核拡大抑止」に関する初の閣僚会合が都内で相次いで開かれたのです(写真右)。

 「2プラス2」では、米軍が新たに発足させる「統合軍司令部」が、自衛隊が発足させる「統合作戦司令部」と連携して作戦立案を行うことを確認。事実上米軍が自衛隊を指揮する臨戦態勢の確立です。

 日本が米国の核戦力に依存する「核拡大抑止」は、2010年から実務レベルで協議されてきましたが、今回それを閣僚協議に“格上げ”しました。それは、「日本側からの要請」(28日付朝日新聞デジタル)でした。

 広島県原爆被害者団体協議会(被団協)理事長の佐久間邦彦氏が「核兵器をなくする動きを真っ向から無視している」(29日付京都新聞=共同)と厳しく批判したのは当然です。

 さらに「2プラス2」では、アメリカのウクライナ軍事支援によるミサイル不足を補うため、日本から地対空誘導弾パトリオットを売却することを確認。「殺傷能力がある武器の輸出は初めて」(同共同配信)です。

 このように日米軍事同盟強化・戦争国家化、核兵器廃絶にとって二重三重に重大で危険な動きが28日に一気に強行されたのです。

 当然メディアは大きく報道して警鐘を鳴らさねばなりません。
 ところが、28日のNHKをはじめとするテレビニュース、そして29日付の新聞各紙が大々的に報じたのはそれではなく、「パリ五輪」の方でした(写真左・中)。

 「2プラス2」「核拡大抑止」閣僚会合がなぜこの時期に行われたのか。報道を見る限り必然的理由はありません。メディアが五輪報道に明け暮れ、熱狂を煽っている今こそ、被爆者らからの反発が必至なことは済ませておこう。そういう政治的思惑があったのではないでしょうか。

 これが「スポーツ・ウォッシング」です。

 「スポーツ・ウォッシング」とは、「人気のあるスポーツ・イベントなどで一般大衆が熱狂するなか、それを利用して権力者(政府)が自分たちに不都合な事実を覆い隠すこと」(スポーツ文化評論家・玉木正之氏、小林信也との編著『真夏の甲子園はいらない』岩波ブックレット2023年)です。

 「スポーツ・ウォッシング」はもちろん今回だけではありません。
 サッカーW杯(2022年11月20日~12月18日)の最中に、岸田政権が敵基地攻撃能力の保持などを盛り込んだ「軍拡(安保)3文書」を閣議決定した(22年12月16日)のはその典型です。

 権力者の「スポーツ・ウォッシング」が可能なのは、言うまでもなく「一般大衆の熱狂」をつくるメディアの報道があるからです。
 五輪やW杯の過剰・異常報道は、スポーツの本来の意味を喪失させるだけでなく、国家主義を煽り、さらに悪政を隠す「スポーツ・ウォッシング」の役割を果たしていることを、報道の受け手である市民は知る必要があります。


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「佐渡金山世界遺産」日本メディアの3つの根本欠陥

2024年07月29日 | メディアと日本の政治・社会
   

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産委員会が27日、ついに「佐渡島(さど)の金山」の世界文化遺産登録を決めました。日本のメディアは「佐渡金山、世界遺産に 韓国も同意、負の歴史展示へ」(28日付琉球新報見出し、記事は共同配信)「金色の祝賀ムード 新潟」(同京都新聞の見出し、同)など「祝賀」を前面に肯定的に報じています。

 こうした印象付けは事態の本質を誤らせます。記事(論調)の内容にはさらに重大な欠陥があります。

 第1に、根幹である「朝鮮人強制動員・労働」問題をあいまいにしていることです。

 登録に「同意」したのは韓国政府(尹錫悦政権)であり、野党や市民団体はきびしく批判しています。最大野党(共に民主党)は「(日本側が)強制性を最後まで認めていない」とした上で、尹政権を「日本の歴史歪曲を容認した」と批判。元徴用工訴訟で原告らを支援する「民族問題研究所」も、「強制動員を否定する日本政府の歴史否定論を何の批判もなく容認した」と尹政権を批判しました(27日付朝日新聞デジタル)。

 「金山」の世界遺産登録でユネスコが一貫して指摘してきたのは「朝鮮人強制労働」問題の扱いでした。しかし日本政府は2021年の「政府答弁書」で「条約上の『強制労働』には該当しない」と強弁して以降、その見解を変えていません。登録が決まった委員会でも、日本は「金山の全体の歴史に関する説明・展示戦略を強化すべく引き続き努力する」と述べただけです(28日付共同配信記事)。

 強制動員・労働問題は何も解決しておらず、韓国野党や「民族問題研究所」の批判はまったく正当です。しかし日本のメディアはこの根本問題を直視していません。

 第2に、反対しているのは韓国だという論調でこれを「外交問題」にしていることです。

 「強制労働があったとして登録に慎重な姿勢を示してきた韓国」「韓国側が不信感を高めてきた」(28日付共同)などと繰り返す一方、反対してきた(している)日本の市民(団体)、識者の存在にはほとんど触れていません。

 こうして強制労働問題は日本と韓国の「外交問題」だという図式を作り上げています。これは閣僚の靖国神社参拝を批判しているのは中国(だけ)だとして「中国との外交問題」と描いているのと同じ図式です。

 こうした報道は、植民地支配・侵略戦争の加害責任問題を日本の市民が自分の問題として捉えることを阻害(妨害)するもので、きわめて悪質と言わねばなりません。

 第3に、尹政権以降の日韓関係を「きわめて良好」と評価する論調の危険性です。

 「首相周辺」は「今回の登録は首脳(岸田首相と尹大統領)の良好な関係のたまものだ」と強調(28日付共同)し、メディア自身も「元徴用工問題の解決策合意で急速に改善した日韓関係」(同)と書いています。こうした論調は今回の登録に限らず、尹政権発足以降の日本メディアの特徴です。

 しかし、尹政権によって変わったのは、文在寅前政権と違い、日本政府の歴史改ざん(元徴用工問題など)に異を唱えなくなったことです。
 それを「良好な関係」と言い切る日本のメディアは、植民地支配の加害責任を隠蔽する日本政府と同じ立場に立っていると言わざるをえません。

 さらに、尹政権以降の日韓両政府の「良好な関係」は、アメリカによる日米軍事同盟と韓米軍事同盟の一体化と表裏一体です。今回の「金山」登録への韓国政府の賛同も、強まっている日韓米軍事一体化と密接に結びついています。

 登録が決まった翌日の28日、防衛省で日韓米3国の防衛相会談が行われ、共同訓練開催などを盛り込んだ覚書が交わされたことは、きわめて象徴的です(写真右)。

 こうした日韓関係を「良好」と評価する日本のメディアは、日韓米3国の軍事一体化を後押しする役割を果たしていると言っても過言ではありません。

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日曜日記312・「白旗を掲げましょう」の素晴らしさ

2024年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム
  20日、「平和のための京都の戦争展」関連企画として、「アジア・太平洋戦争における兵士のトラウマ」を考える講演会が京都市内であった。

 講師の中村江里・上智大准教授の話は大変貴重だったが、それは別の機会に振り返ることにし、ここではその場で報告された「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」関西の藤岡美千代さん(65)の発言を記したい。

 藤岡さんの父親は毎晩酒を浴びた。酔っては家族に暴力を振るった。寝ている藤岡さんと兄を起こし、「起立!お父ちゃんと一緒に死のう」。子どもらの姿が見えないと、「悪い奴につかまっている」「軍隊の足音が聞こえる」。

 貧困のため小学校にも行けなかった。父は藤岡さんが9歳のとき自死した。声を上げて喜んだ。これで暴力から逃れられる。

「兵士のトラウマ」は家族を犠牲にし、暴力・虐待の連鎖を起こす。それはけっして過去の問題ではない。現在の、そしてこれからの問題だ。

 藤岡さんが自分の体験を公の場で語り、この問題に正面から取り組む転機になったのは、黒井秋夫さん(75)(「家族会・市民の会」代表)との出会いだった。

 同じく父親の「兵士のトラウマ」に苦しんだ黒井さんは、18年東京・武蔵村山市で「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げていた。現在の「家族会・市民の会」の前身だ。

 藤岡さんは報告の最後に、壇上で垂れ幕を示した。その言葉が胸を打った。

戦争はしません 白旗を掲げましょう 話し合い和解しましょう」(写真)

 「家族会・市民の会」の中心スローガンだ。「ウクライナ」がすぐ脳裏に浮かんだ。

 黒井さんはこう話している。

「「戦争のない世界」をめざす行動は、初めから最後まで、戦争や暴力と無縁でなければなりません。戦争や暴力を少しでも肯定すること、つまり、戦争をするどちらかに肩入れがあってはなりません。「戦争のない世界」をめざす人たちが、白旗を掲げる人たちが世界の多数になる時、「戦争のない世界」が実現するでしょう」(「会」の報告冊子より)

 これが父親の「戦争トラウマ」に苦しみ続けてきた黒井さんや藤岡さんらがたどり着いた結論だ。

 「白旗」はけっして降伏の印でも弱さの表れでもない。逆だ。それは「戦争のない世界」を実現するための、力強い“武器なきたたかい”の旗印だ。

 当ブログは前身の「私の沖縄日記」(第1回は2012年11月26日)から通算して今回で3000回になりました。これまでお読みいただき、ほんとうにありがとうございます。今後も体力の続く限り書き続けるつもりです。
 自分を励ますつもりで、好きな茨木のり子の詩(1955年発表)を記します。

    小さな渦巻         茨木のり子

 ひとりの人間の真摯な仕事は
 おもいもかけない遠いところで
 小さな小さな渦巻をつくる

 それは風に運ばれる種子よりも自由に
 すきな進路をとり
 すきなところに花を咲かせる

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「やまゆり園事件」と優生思想と戦争

2024年07月27日 | 事件と政治・社会・メディア
   

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件から8年の26日、「事件が私たちに問いかけていることは何か」を考える講演会が京都市東九条でありました。講師は藤井渉・日本福祉大准教授(障害者福祉、東九条在住)。

 藤井氏の話でとくに印象的だったのは、事件と優生思想と戦争の関係です。

 裁判で植松聖死刑囚は「意思疎通がとれない障害者は不幸を生む」と述べました。事件後SNSにも「先天的障害者は社会のお荷物」などの書き込みがありました。

 藤井氏は「障害を、後天性と先天性で区別し、役立つかどうかで差別化するという認識は、まさに戦時期に強く見られたもの」と指摘し、以下のように論述しました。

 役立つかどうかによる差別化を制度化したものが「徴兵検査」である。それによって「甲乙丙丁」の4種に序列化され、「最下位」の「丁種」とされたのが障害者だった。

 障害者でも戦力になりえる者(例えばマッサージ師として空母に乗船させられた視覚障害者)は保護し、そうでない者は「自宅監置」などで隔離・排除された。「監置」された障害者が空襲でどのくらい犠牲になったのかの調査・研究はすすんでいない。

 1940年に「国民優生法」が制定された。それが「国民体力法」とセットだったことが重要だ。「国民体力法」によって学校では「林間学校」や「知能検査」が制度化された。

 同じ40年、ナチス・ドイツでは「T 4作戦」が実施され、1年余で障害者20万人以上が精神病院などで殺害された(T4とは実施本部があった地名)。ナチスはその蛮行を正当化するために優生学を利用した。

 優生思想はもともと約100年前に(ドイツではなく)イギリスとアメリカを拠点に世界的にまん延した。「社会的価値・コスト」という視点から「優秀ならざる者の剪除(せんじょ=切って取り除く)」が主張された。

 「徴兵検査」はまさにその優生思想にもとづくものだったが、優生学を日本にもたらしたのは福祉の研究者だった。海野幸徳著『社会事業とは何ぞ』はその代表である。

 戦後、「優生保護法」が議員立法で制定され(1948年)、入所施設では不妊手術が強制された。それが憲法違反と断定されたのは先日(7月3日)のことである。

 藤井氏はこう問題提起しました。

「戦争で人が序列化され、障害者が差別化されてきたこと。ナチスが障害者を「慈悲」などとして殺害したこと。戦後は福祉現場で障害者に優生手術が行われてきたこと。そして、福祉の元職員が「善いこと」だとして19人を殺害したこと。これらに重なるものは何だろうか?」

 あらためて振り返ってみれば、事件が起きたのは、安倍晋三政権が集団的自衛権を容認する戦争法(安保関連法)を強行成立(15年9月19日)させた10カ月後でした。

 障害者の序列化・差別化・排除と戦争を推進する政治(国家)の政策、そしてそれを容認する社会(市民)の空気―その関連性・親和性にあらためて目を向けなければならないと痛感します。



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「日本選手」とは?「国籍」で分類する五輪の国家主義

2024年07月26日 | 五輪と国家・政治・社会
   

 田中美南(女子サッカー)、笹生優花(ゴルフ)、張本智和(卓球)、大坂なおみ(テニス)―この4選手の共通点な何でしょうか?
 答えは、パリ五輪の「日本選手団」の中で親(一方あるいは両方)が外国人(外国籍)の選手です。

 パリ五輪の「日本選手団」は404 人ですが、そのうち、上記の4人を含め、親が外国人(外国籍)の選手は、私の集計では31人(7・7%)にのぼります(名前や出生地からの判断なので実際はもっと多いかもしれません)。

 親が外国人(外国籍)ということは本人も外国籍であったけれど、五輪へ向けて日本国籍を取得した選手も少なくありません。笹生優花選手(写真中)は前回の東京五輪には母の国であるフィリピンの代表として出場し、21年に日本国籍を取得しました。

 「日本選手」とは「日本国籍を持つ選手」のことです。「日本選手」として五輪に出場するためには日本国籍が必要なのです。それは、五輪憲章が「出場する競技者は、参加申請を行うNOC(各国の五輪協会)の国の国民でなければならない」(規則41「競技者の国籍」)と規定しているからです。

 しかし、五輪は本来「国家」のものではなく「個人」のものだという建前です。五輪憲章の「オリンピズムの根本原則」は、「スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人は…いかなる種類の差別も受けることなく、スポーツをすることへのアクセスが保証されなければならない」とうたっています。

 競技者を「国籍」で分類することは「オリンピズムの根本原則」にも反しており、国家が五輪を「国威発揚・国力誇示」に利用する国家主義の根幹です。

 この点で、日本人が忘れてならないのが、孫基禎(ソン・ギジョン)選手の「日の丸抹消事件」(1936年)です。

 ヒトラーがナチスドイツの「国力誇示」に最大限利用した第11回ベルリン五輪(1936年)。日本は植民地支配していた朝鮮から孫選手をマラソンに出場させました。孫選手は見事優勝しましたが、表彰式では「日の丸」が揚げられ、「君が代」が流されました。その模様を報じた「東亜日報」は表彰台の孫選手の写真から胸の「日の丸」を消して朝鮮民族としての抗議の意思を示しました(写真右)。
 孫選手は後に、「「日の丸」が上がり「君が代」が演奏されることがわかっていたら、私はベルリンオリンピックで走らなかっただろう」と語っています(自伝『私の祖国、私のマラソン』1983年)。

 ベルリン五輪はヒトラーだけでなく、天皇裕仁を頂点とする帝国日本が国威発揚と植民地支配強化に最大限政治利用した場でもあったのです。(2019・7・30、20・3・5のブログ参照)

 オリンピックを続けるなら、少なくとも国家主義を一掃すべきです。アスリートを「国籍」で分類することなく、したがって表彰式での「国旗掲揚」「国歌演奏」も廃止し、あくまでも個人と団体が競い合う場にしなければなりません。


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米国だけではない、都知事選にみる日本の選挙の危機

2024年07月25日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
 

 アメリカの大統領選挙は、政策論争そっちのけで、バイデン・ハリス陣営とトランプ陣営の非難合戦の様相です。「民主政治の危機」と言われています。

 これはけっしてアメリカだけの現象ではありません。日本の(国政)選挙も重大な危機に瀕しています。先の東京都知事選はそれを端的に示す場となりました。

 蓮舫氏をしのいで165万票以上を獲得し2位となった石丸伸二氏。陣営の選対事務局長を務めた藤川晋之助氏(70)が朝日新聞のインタビューに答えてその躍進の“秘密”を明かしています。藤川氏は自民党議員秘書を経て大阪市議、後に選挙プランナーとして民主党・小沢グループや日本維新の選挙をサポートしてきました。

< 街頭演説を200回超やったが、特徴的なのは、細かい政策を全く言わないことだった。…政治の現場を知る人たちからは「中身がない」と批判ばっかりだった。だが、彼はそれを含めてわかってやっている。

 彼は「長い時間演説し、政策を主張したって、今までの政治家は政策や公約を守ったことあるのか」と言う。有権者が本気になって政策を見て、「この政策こそ必要だ」として投票するような選挙に、今は全くなっていない。

 (民主党政権から安倍晋三政権をへて)自民党にも立憲民主党も投票したくないという層が確実に存在するようになった。

 本来なら政策で勝負するけれど、政策で勝負しても全然意味がない。今までの有識者、政界の人たち、マスコミも含めてそういう政治のムードを作ってきてしまった。そこを直感的に理解した石丸氏だからこそ、ユーチューバーとして無党派層にアプローチするという本領を発揮できた選挙だった。>(12日付朝日新聞デジタルより。写真左は石丸氏の街宣)

 こうした指摘は藤川氏だけではありません。自民党政権を厳しく批判する作家の黒川創氏もこう述べています。

「若い世代は、当初から「政策」に期待など抱かず、SNS中心のゲーム感覚で候補者を応援したりもする。ただし、この種の政治行動で特徴的なのは、「政策」への賛否をめぐる議論の空白を、候補者の「キャラ」への推し(心酔)が埋めていくことである」(24日付京都新聞夕刊)

 「政策」への不信・無関心。「政策の空白」をうめる候補者の「キャラ」への「推し」。それがSNSで加速・拡散される。確かにこれは日米共通の、あるいは欧州を含むいわゆる「民主政治」全体の現象であり危機でしょう。

 ではどうするのか。藤川氏も黒川氏もその点は言及していませんが、この「政策離れ」は克服し、「政策で勝負する」選挙に変えていかねばなりません。

 そのカギは多様な意見・政策・思想が政治(国会の議席)に反映されるしくみに変えることです。制度的には小選挙区制を廃止して全面的な比例代表制にすることです。

 「政策離れ」の背景には藤川氏が指摘するように、「今まで政策や公約を守ったことがない」政治家・政党への不信がありますが、されに根源的には、自民党から立憲まで、あるいは共産党も含め、政策的な違いが(ほとんど)なくなって政治(国会)が翼賛化している問題があります。

 政治がマジョリティー中心で、マイノリティーの声が無視されているのです。アメリカやイギリスの「二大政党制」はその典型です。
 政治にマイノリティーの声を生かす。それこそが本当の「民主政治」ではないでしょうか。



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報道されない独「平和少女像」撤去へ日本政府圧力

2024年07月24日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任
   

 韓国の市民団体がドイツ・ベルリン市に設置した「平和の少女像」(写真左=ハンギョレ新聞より)が撤去の危機に瀕しています。撤去へ圧力をかけ続けたのは日本政府(自民党政権)です(写真中は撤去に反対する韓国・ドイツ市民=2020年)。

 最新の状況をハンギョレ新聞(22日付日本語版デジタル)はこう報じています。

「ドイツ・ベルリンの平和の少女像を管轄する行政区であるミッテ区が、少女像を建てた市民団体「コリア協議会」に対し、今年9月までに像を撤去しなければ過料を科すとの方針を直接伝えてきたことが21日に分かった。ミッテ区では市民社会と区議会が何度も少女像存置決議をあげるなどの努力がなされてきたが、区は従来の方針を守るとの立場であるため、対立は強まるとみられる」

 不可解なのは、同区長があくまでも「少女像」を撤去させようとしている一方、「来年4月までにミッテ区内にすべての戦時性暴力の被害者のためのシンボルを設置する」としていることです。
 コリア協議会のハン・ジョンファ代表は、「少女像の意味は消し去り、すべての被害者のための記念碑を設置するということ自体が矛盾」(同上ハンギョレ新聞)だと語っています。

 区長はなぜこうした矛盾した行動をとるのか。とにかく「少女像」を撤去することが日本政府の再三の要請だからです。

 日本政府がいかに圧力をかけてきたか、表面化した主なものだけでも次の通りです。

▶2020年9月28日 「少女像」をベルリン市ミッテ区に設置(公共敷地に設置は初)
▶ 同 9月29日 加藤勝信官房長官(当時)が会見で「撤去へあらゆるアプローチをする」と表明
▶ 同  10月1日 茂木外相(当時)がドイツ外相に撤去要求
▶2022年4月28日 岸田首相が来日したショルツ独首相に撤去を要求
▶2024年5月16日 上川外相が来日したベルリン市長に撤去を要求
(20・10・10、同10・15、同12・5、22・5・19、24・5・30のブログ参照)

 そして今回のミッテ区の過料通達は、「今月12日に岸田首相がドイツを訪問してショルツ首相と首脳会談(写真右)を行う前に」(同上ハンギョレ新聞)行われたものとみられます。

 一連の日本政府の策動が許されないことは言うまでもありません。同時に(あるいはそれ以上に)問題なのは、こうした経過を日本のメディアがほとんど報道しないことです。結果、ほとんどの日本市民はこの事実を知らないでしょう。

 日本政府が「少女像」の撤去に執念を燃やすのは、「少女像」が戦時性暴力の被害者、とりわけ帝国日本軍による性奴隷(「慰安婦」)の被害を象徴しその罪を告発するものだからです。

 安倍晋三元首相をはじめ歴史修正(改ざん)主義者らはその歴史的事実を隠ぺいし加害責任にほうかむりするため、「少女像」を目の敵にし、世界各地で撤去へ圧力をかけてきました。

 こうした事実、その意味を報道しないメディアは、日本政府と同じ立場に立っていると言わざるをえません。そして、「知らない」日本市民は無意識のまま、歴史修正主義者らに取り込まれているのです。

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「徴兵」と「自衛隊員不足」と「マイナンバー」

2024年07月23日 | 国家と戦争
   

「14日、ウクライナの首都キーウ郊外で、軍事警察が通りすがりの男性たちを捕まえた。遠くにいた男性たちは近くの商店や別の道に逃れた。――ロイター通信が報じたこのような「路上徴兵」の場面は、ロシアの侵攻を受けているウクライナが直面する兵力不足現象を端的に示している」(18日付ハンギョレ新聞日本語電子版)

 ウクライナでは5月に動員法が「改正」され、徴兵の下限年齢が27歳から25歳に引き下げられました。さらに、16歳~60歳の男性の個人情報を軍に登録することが義務付けられました。

 ウクライナ調査会社の世論調査では、この動員法「改正」を「支持しない」人は52%にのぼっています(20日のNHKニュース)。

「戦争に対する国民の不満も高まっている。男性たちは徴兵を逃れようと賄賂を渡して国外に逃れ、キーウでは約20万人の男性が徴兵官を避けるアプリを使っていると、BBCなどが最近報道した」(同ハンギョレ新聞)

 「兵力不足」はもちろんウクライナだけではありません。ロシアでもイスラエルでも深刻な問題になっています。
 膨大な死亡による兵力の不足、それを補う兵力確保、そのための徴兵強化、それは戦争当事国の宿命です。

 戦争当事国では(今のところ)ありませんが、深刻な「兵力不足」に陥っているのが自衛隊です。

 防衛省が8日発表した2023年度の自衛官の採用状況によれば、1万9598人の募集に対し採用は9959人。採用率50・8%は過去最低でした。「自衛隊は約24万7千人の定数に対し実数が約2万人不足している状態」(8日付朝日新聞デジタル)です。

 自民党・防衛族からは、「防衛力の抜本的強化と言っても人がいないと、骨太筋肉質の自衛隊ではなく…人的有事だ」(佐藤正久参院議員・元陸上自衛官、5月9日の参院外交防衛委員会=6月16日付朝日新聞デジタル)との声が上がっています。

 危機感を強めた防衛省は8日、省内に「人的基盤の抜本的強化に関する検討委員会」(委員長・鬼木誠防衛副大臣)を設置し、8月下旬に報告書を公表するとしています。

 少子化の中でますます困難になっている自衛官の確保。岸田政権が閣議決定した「軍拡(安保)3文書」でも「人的基盤の強化」が掲げられており、「(自衛官)募集能力の一層の強化を図る」としています。

 そこで想起されるのが「マイナンバーカード」です。自民党政権が普及に躍起になっている「マイナンバーカード」は、自衛隊の「兵力不足」と果たして無関係でしょうか。

 自衛官の「募集能力の一層の強化」のためには、所得や家族構成、病歴・健康状態を含め、「国民」の「個人情報」を細部にわたって全面的に把握する必要がある。この先なんらかの形で「徴兵制」を導入する場合はなおのこと。それが「マイナンバーカード」の一元的普及を図る政府の思惑ではないでしょうか。

 岸田自民党政権は「ウクライナはあすの日本かもしれない」とさかんに喧伝して大軍拡を図っています。その論法によれば、「国を守る」自衛隊員(兵力)不足を補うためになんらかの形での「国民動員」(実質的徴兵)を図ってくる危険性がないとは言い切れないでしょう。

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体操・宮田選手辞退の根源は五輪の国家主義

2024年07月22日 | 五輪と国家・政治・社会
   

 体操の宮田笙子選手(19)(写真中=朝日新聞デジタルより)が「飲酒・喫煙」でパリ五輪の出場を辞退しました。これは宮田選手の「不祥事」の問題ではなく、アスリートを不当に抑圧しているオリンピックの国家主義に根本的な問題があります。

 2つの問題を考えたいと思います。

 1つは、宮田選手はなぜ「飲酒・喫煙」したのかです。

 宮田選手は「規則の重みをすごく理解していて、自分の行為に対して真摯に向き合う姿勢が印象的だった」(19日記者会見した日本体操協会の西村賢二専務理事)といいます。「規則違反」を百も承知でなぜ行ったのか。

 「設定された目標に対して、数々のプレッシャーがあり、そのような行為に及んでしまった」と宮田選手は述べていると西村氏は言います。藤田直志協会会長も会見で、「日本代表選手はプレッシャーに日々さらされている」と述べました。

 宮田選手の辞退について、常見陽平・千葉商科大准教授(働き方評論家)は、「そもそも男女問わず、アスリートが飲酒、喫煙しないという点が大間違いである。ストレス、恐怖心、プレッシャーと向き合うため、あるいは純粋に味が好きなど様々な理由から、飲酒や喫煙をするアスリートは日本代表クラスでも存在する」とコメントしています(19日付朝日新聞デジタル)。

 「飲酒・喫煙」の背景に「日本代表選手」としての「数々のプレッシャー」があることを注視しなければなりません。

 もう1つは、日本体操協会の過剰な「行動規範」です。

 日本体操協会は「代表選手に対し、20歳以上であっても代表活動中の飲酒を禁じ、喫煙も原則的に禁止とする行動規範を策定」(21日付朝日新聞デジタル)しています。
 20歳以上の飲酒・喫煙は法律で認められているにもかかわらず、それを「行動規範」で禁止するのは個人の権利の侵害ではないでしょうか。まして上記のように、ストレスフルなアスリートに対してです。

 おそらくこの種の権利侵害はほかにもあるでしょう。また体操協会だけでなく各種のスポーツ団体・協会において同様の「行動規範」(規制)はあるでしょう。そうした協会の権利侵害は高校野球など学校の部活における過剰な規制・規律と無関係ではないでしょう。

 体操協会はなぜこのような過剰な「行動規範」を設けているのか。「日本代表選手」として好成績をあげるため、あるいは「日本代表」としての道徳的規範を示すためでしょう。そこにあるのは、オリンピックは「日本」を代表して出場するのであり、メダルを獲ることが「日本」の名誉だという五輪の国家主義にほかなりません。

 宮田選手の「辞退」について京都新聞運動部長の万代憲司氏はこう論評しています。

「日本代表という「十字架」は背負った者でしか分からない。1964年の東京大会マラソン代表・円谷幸吉さんを自死させてしまった事実を、今こそ思い起こしたい」(20日付京都新聞)

 円谷幸吉氏(写真右)は自衛隊体育学校の1期生で、自衛隊の方針として東京五輪に出場しました。

 そもそも「スポーツ」の語源は、「日常の義務から離れ憂さを晴らす行為」だといわれます。「非日常の没頭空間を作ることで、苦しみから解放され憂さを晴らすためにスポーツが行われるようになったのではないか」(為末大氏・元五輪陸上選手「なぜ人類はスポーツを求めるのか」、季刊誌「世界思想」2024年春号・特集スポーツ所収)。

 このスポーツの原点に立ち返り、市民のためのスポーツ普及を図るべきです。
 それとは対極にあるスポーツの政治利用、国家主義にまみれたオリンピックは廃止すべきです。

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