アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「南北会談」と「朝鮮学校無償化排除」

2018年04月30日 | 朝鮮と日本

     

 韓国と朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の歴史的な南北会談が行われた27日、朝鮮学校を高校無償化制度から排除している日本政府(安倍政権)に対する損害賠償請求訴訟の判決が名古屋地裁でありました。

  判決(福田千恵子裁判長)は、政府の差別政策を「裁量内」と追認し、原告(朝鮮学校卒業生10人)の請求を棄却する不当判決でした(写真左=朝鮮新報より)。

 同様の訴訟は全国5カ所で起こされており、これまで大阪地裁(2017年7月28日)では原告が勝訴しましたが、広島地裁(同7月19日)、東京地裁(同9月13日)で原告が敗訴しており、不当判決は今回で3回目です。残る福岡地裁判決が注目されます。

  朝鮮学校を高校無償化から排除することは憲法に反する差別・人権侵害であることはこれまでも繰り返し述べてきました(例えば2017・9・26、2018・4・24ブログ参照)。ここでは別の角度から考えます。それは、日本のメディアが今回の判決をほとんど報道しなかったことです。

  判決当日(27日)のテレビで、私が見た限り(NHK,民放、報道ステーションなど)、このニュースを報じたものは皆無でした。
 翌28日付の主要各紙(東京新聞以外は西日本版)の扱いは以下の通りです。
〇朝日新聞 第3社会面 ベタ(1段見出し)
〇東京新聞 第2社会面 ベタ
〇毎日新聞 なし
〇読売新聞 なし
〇中国新聞 第2社会面 3段
〇琉球新報・沖縄タイムス・「しんぶん赤旗」 なし

 当日の主要なニュースはいうまでもなく「南北会談」であり、それを大きく報道するのは当然です。またこの日は、財務省の「福田次官セクハラ認定」会見(南北会談にぶつけたと思えるタイミング)などのニュースもありました。しかしそれにしても、「無償化排除判決」のこの扱いは問題です。

 たんに扱いが不十分なだけではありません。そこには「無償化排除」問題に対する基本的な認識の不十分さ・誤りがあると言わざるをえません。それ自体の重大さが分かっていないとともに、この問題が「南北会談」との関連でとらえられていないからです。

 「南北会談」と「朝鮮学校無償化排除」は密接な関係があります。

 第1に、いずれも根底には日本の朝鮮侵略・植民地支配があることです。

 朝鮮半島の分断・朝鮮戦争(1950年~)の歴史的元凶が日本の植民地支配であることは言うまでもありませんが、朝鮮学校も、「在日朝鮮人が(日本の植民地支配で-引用者)奪われた言語、文化、歴史をとり戻すために、日本各地に『寺子屋』のような『国語(朝鮮語)講習所』を作り、それが徐々に学校へと発展していった」(田中宏一橋大名誉教授、梶井陟著『都立朝鮮人学校の日本人教師』岩波現代文庫の解説)ものであることを日本人は銘記する必要があります。

 第2に、安倍政権の朝鮮敵視政策との関連です。

 安倍首相は今回の「南北会談」「板門店宣言」に対し、トランプ米大統領と歩調を合わせるために一応「評価できる」としていますが、同時に「引き続き圧力をかけ続ける必要がある」(27日)と、朝鮮敵視政策を改めようとしていません。その口実に「拉致問題」を政治利用していることもこれまで通りです。

 一方、安倍政権が朝鮮学校を無償化から排除しているのも、「拉致問題や朝鮮総連との関係」(2012年12月の下村博文文科相=当時の会見)が口実です。今回の名古屋地裁判決ではこの点について、「下村文科相の発言などから、拉致問題との関係で(無償化制度)適用は相当ではないとの考えもあったと認めるのが相当」(28日付中国新聞=共同)と、その政治的意図を認定しています(にもかかわらず原告敗訴としたのはきわめて不当)。

 「南北会談」と「朝鮮学校無償化排除」は、その歴史的根源において、また日本政府(安倍政権)の朝鮮敵視政策において通底しているのです。

 私たち日本人は、朝鮮を侵略・植民地支配した加害の歴史を反省するなら、また、在日朝鮮人に対する差別をやめる・やめさせる責任を自覚するなら、南北朝鮮の対話、非核化、平和的統一を応援・支援すると同時に、朝鮮学校の無償化排除を直ちにやめさせ、廃止された自治体援助も復活させる必要があります。

 しかし、日本のメディアにその視点はありません。第三者的な南北会談報道とともに、名古屋地裁判決の無視・軽視がそれを示しています。

 「朝鮮高級学校への高校無償化適用問題は、単に朝鮮学校の生徒や保護者のみの問題ではなく、朝鮮学校をめぐる日本社会の問題であり、日本人自身の問題でもある」(朴三石朝鮮大教授『知っていますか、朝鮮学校』岩波ブックレット)のです。

 さらに、朝鮮学校をめぐる問題だけでなく、朝鮮半島の現在・未来も、日本人の歴史観と歴史的責任が問われている「日本人自身の問題」であることを、私たちは肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。


「朝鮮半島の非核化」日本は何をすべきか

2018年04月28日 | 朝鮮と日本

     

     

 韓国と朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の歴史的な首脳会談(27日)に対し、日本のメディアや「識者」からは、「金正恩委員長のパフォーマンス」「融和ムードをアピール」「米朝会談の前哨戦」などのコメントが聞かれます。どれも的を外れていると言わざるをえません。

  もちろん、今後の展開は予断を許しませんが、27日の両首脳の言動、共同宣言の「板門店宣言」は、「パフォーマンス」でも「ムード」でも「前哨戦」でもなく、それ自体、歴史的な画期となる大きな意味を持っています。

 私は生中継を見ながら、厳しい歴史と現在の困難な政治状況の中でここに至った両首脳・両国に、あらためて朝鮮民族の英知をみる思いでした。

  問題は、日本、私たち日本人です。

  私たちはこの日の出来事を、第三者的・評論家的立場で眺め、論評することは許されません。その意味は2つあります。

  1つは、朝鮮半島の分断・苦悩の歴史と現状は、日本の侵略・植民地支配が発端・元凶だということです(21日のブログ参照)。

  もう1つは、「朝鮮半島の非核化」に対する日本(日本人)の責任です。

  メディアの論評には、「板門店宣言」が「北朝鮮の非核化」ではなく「朝鮮半島の非核化」としている点が問題だとし、また「非核化」のプロセスが述べられていないので「不十分」だとするものが少なくありません。
 しかし、「北朝鮮の非核化」ではなく「朝鮮半島の非核化」としたことにこそ、逆に「宣言」の優れた特徴があると言えます。

 「北朝鮮の非核化」と「朝鮮半島の非核化」ではまったく意味が異なります。

 「朝鮮半島の非核化」には当然「北朝鮮の非核化」が含まれますが、「北朝鮮の非核化」だけを問題にする場合は韓国にあるアメリカの核兵器は撤去されないことになります。アメリカや安倍首相が「北朝鮮の非核化」は要求しても「朝鮮半島の非核化」は口にしないのはそのためです。

  しかし、朝鮮半島にとって、また東アジア、世界の平和にとって必要なのは、「板門店宣言」の通り、「北朝鮮の非核化」にとどまらない「朝鮮半島の非核化」です。

 この違いはきわめて重要です。そして、この点にこそ日本(日本人)の責任と役割があります。「朝鮮半島の非核化」はけっして”他人事“ではありません。日本は当事者のひとりとしてその実現に積極的な役割を果たさねばなりません。 

 そのために日本がすべきことは、主に2つあると思います。

 1つは、核兵器禁止条約の批准です。

  「南北首脳会談」と時を同じくしてジュネーブではNPT(核不拡散条約)準備会合が行われています。昨年核兵器禁止条約が採択されて初めての会合ですが、日本から出席した被爆者(日本被団協事務局次長・児玉三智子さん)の訴えにもかかわらず、アメリカは「核抑止力」論への固執を露わにしました。そのアメリカに追随して核兵器禁止条約に背を向け続けているのが日本(安倍政権)です。

 自国が持つ大量の核兵器には手を付けず、朝鮮に「非核化」を迫るアメリカの姿は核超大国の傲慢・横暴そのものです。それが「朝鮮半島の非核化」に逆行していることは明らかです。

 日本がすべきことは、朝鮮にだけ「非核化」を求めるのではなく、アメリカをはじめすべての核保有国に核兵器の放棄を求めることです。その具体的な意思表示が核兵器禁止条約の批准です。

 もう1つは、日米軍事同盟(安保条約)の解消です。

 朝鮮半島の平和と安定を脅かしている元凶はアメリカの大国主義的東アジア戦略です。そのアメリカに日米軍事同盟で目下の同盟国として追随しているのが日本です。戦争法(安保法制)制定以後、自衛隊は米韓合同軍事演習にも公然と参加するようになりました。そこには過去の朝鮮侵略・植民地支配の反省はまったくありません。

 「核抑止力」論とともに、「軍事同盟抑止力」論に固執する限り、軍拡競争は止まりません。沖縄をはじめ在日米軍基地が被害をまき散らしている日米軍事同盟=安保条約は国内的にも市民生活を脅かすものでしかありません。

 朝鮮半島が歴史的段階に入ろうとしている今こそ、日本は「安保タブー」を打破して日米軍事同盟を根本的に見直し、それを解消(安保条約を廃棄)し、「非同盟・中立の日本」へ向かうべきです。
 それが朝鮮半島の非核化・平和に対する日本、日本人の歴史的な責任ではないでしょうか。


目取真俊氏が語る「沖縄と天皇制」

2018年04月26日 | 沖縄と天皇制

     

 先の明仁天皇・美智子皇后の沖縄訪問(3月27日~30日)は、「本土」メディアはもちろん沖縄県紙(琉球新報、沖縄タイムス)も、「乗松聡子の眼」(4月4日付琉球新報)などごく一部を除き、「賛美」一色でしたが、25日付の琉球新報に的を射た論評が載りました。目取真俊氏(作家)のコラム「季刊 目取真俊」(第13回)です。要点を抜粋します(丸カッコ、太字は私)。

 <裕仁天皇が死去し、沖縄戦の体験者も少なくなっていくなかで、「慰霊の旅」や「沖縄への思い」を前面に出した明仁天皇の度重なる来沖が、県民の反発を鎮静化する効果をあげたのは事実だ。しかし、それによって昭和天皇の戦争責任問題が深められたわけでもなければ、天皇制が持つ問題が解決されたわけでもない>

 <サイパン島やペリリュー島まで足を運んだ明仁天皇も、韓国を訪れることはできていない。近代日本のアジア侵略と植民地支配、戦争による加害の問題の中心にある天皇制に対し、被害を受けた側はその深さを忘れることはない>

<沖縄にとっても忘れてすまされるものではない。1879年に武力による威嚇のもと琉球国が滅ぼされ、日本国に併合された(いわゆる「琉球処分」)。それは日本の帝国主義的なアジア侵略の先駆けであったが、そういう被害の側面と同時に沖縄は、日本への同化が進むとともにアジア侵略の一翼を担った加害の側面を持つ。被害と加害の二重性を持つ独自の位置から、沖縄と天皇制、アジア諸国との関係を問い直す作業が常に必要だ>

 <明仁天皇が来沖した3月27日は、「琉球処分」が行われた日だった。また、与那国島に訪問した28日(写真中)は、陸上自衛隊沿岸監視隊が発足して2年の記念日だった。同日は慶良間諸島の渡嘉敷島で強制集団死(いわゆる「集団自決」)が起こった日でもあり、このような日程の組み方はただの偶然ではあり得ない>

 <明仁・美智子夫妻が初めて先島地域を訪れたのは2004年の1月。その3カ月後、辺野古では海底ボーリング調査の工事が始まり、陸上と海上で激しい抗議行動が取り組まれた。この頃から自衛隊の南西方面重視や島嶼防衛の強化が言われ出す。(2004年12月の「新防衛計画大綱」閣議決定、05年1月の防衛庁「南西諸島有事」方針、同8月の「大江・岩波沖縄戦裁判」にふれて)明仁・美智子夫妻が最初に先島地域を訪れてからの14年間とは、辺野古新基地建設が強行されると同時に、先島地域への自衛隊配備が着々と実現されていった時期でもあった。沖縄戦の犠牲者に対する慰霊の裏で、中国に対抗するために沖縄のさらなる軍事要塞化が進められていたのだ

 <それは沖縄が今でも、日本=ヤマトゥの利益のために戦争の前面に立たされ、いざとなれば切り捨てられる「捨て石」の位置に置かれていることを意味する>

 天皇・皇后の度重なる沖縄訪問・アジア地域への「慰霊の旅」の背景、政治的意図、歴史的意味への見事な照射です。

 そして、目取真氏がこの論考を締めくくっている次の一文に、胸を衝かれました。

 <天皇が何度も来たから自分たちも一人前の「日本人」として扱われていると考えるなら愚かなことだ

  沖縄県民に向けての一文ですが、この意味をかみしめなければならないのは、ヤマトゥである私たち「本土」の人間ではないでしょうか。なぜなら、この言葉の背景には、明治以降の日本による沖縄差別・植民地支配、天皇制による「同化政策」の歴史があるからです。

 目取真氏は別の所でこう語っています。

 <沖縄はもともと、天皇制、天皇家とは無縁な島だったはずです。…それが「琉球処分」により日本の植民地として領土の中に組み込まれ…日本への同化が進められます。…国家神道の下に統合されていきます。…同化教育=皇民化教育を推し進め、沖縄人を天皇のために命を捧げる臣民へと変えていったのです。
 しかし、そうやって懸命に日本人になろうとしても、沖縄人はしょせん「二等国民」として差別されていました。その差別から脱するために、より立派な日本人になろうと努め、戦場に駆り出された学徒兵は命を投げ出します。父もそのひとりだったのです>

 <日本に「併合」されて以降の沖縄人は差別への恐怖心を植えつけられます。そして差別から逃れようとあがき、みずから「琉球的なるもの」を否定して、立派な日本人になろうと努力し続けたのです。
 一見、沖縄人がみずから進んで行ったかのように見えるヤマトゥへの同化の裏には、そのような差別と脅迫=強制の構図があったことを見なければなりません。差別がもたらす暴力とそれへの恐怖心に支えられて同化教育=皇民化教育は進められていったのです>(目取真俊氏『沖縄「戦後」ゼロ年』生活人新書2011年)

  私たちはこの指摘を胸に刻まねばなりません。

  そして今、「象徴天皇制」の下で繰り返された天皇・皇后の「沖縄訪問」は、天皇自らが行っている今日の「同化政策」と言えるのではないでしょうか。

 さらに、天皇による「同化政策」は、沖縄だけでなく、「本土」の日本人に対しても行われているのではないでしょうか。天皇の「公的行為」による「国家への同化」として(写真右は25日の「春の園遊会」)。

 

 

 


「4・24(阪神)教育闘争」は日本人に何を問いかけているか

2018年04月24日 | 朝鮮と日本

     

 今日は「4・24(阪神)教育闘争」から70周年です。
 「4・24教育闘争」とは何でしょうか。

  「連合軍総司令部(GHQ)の指示により、文部省(当時)は1948年1月24日、各都道府県宛に『朝鮮人設立学校の取り扱いに関する文部省学校教育局長通ちょう』(第1次閉鎖令)を通達。従わない場合は学校を閉鎖するよう指示した。
 同胞らは各地で抗議活動を広げ、48年4月24日、兵庫では県知事に閉鎖令を撤回させた。
 しかしその夜、GHQが『非常事態宣言』を発令し、いわゆる『朝鮮人狩り』が始まった。大阪の同胞たちは26日、府庁前で3~4万人規模の集会を行い、朝鮮人弾圧と閉鎖令の撤回を訴えた。大阪市警は放水・暴行で取り締まり、射撃まで行った。大勢の同胞らが不正に検挙されただけでなく、警察が発砲した銃弾によって、当時16歳の金太一少年が犠牲となった。
 民族教育を守るための同胞たちの闘いは、閉鎖令の撤回を勝ち取った4月24日の兵庫での闘いに象徴的な意味を込め『4・24教育闘争』と呼ばれるようになった」(3月30日付朝鮮新報。写真左は弾圧される朝鮮学校=1950・12・21の中日新聞、朝鮮新報より)

 GHQ(実質はアメリカ)と日本による暴力的な民族(教育)弾圧に対する朝鮮人の闘いの象徴が「4・24教育闘争」です。
 それは日本人にとって、戦後の朝鮮人差別・弾圧の象徴的な加害の歴史なのです。

 しかも、決して70年前の「過去のこと」ではありません。文字通り今日的な問題です。

 第1に、「4・24」は今日の朝鮮半島の分断、アメリカの朝鮮戦略と密接に結びついています。

 「神戸に敷かれた『非常事態』宣言は、占領軍が朝鮮人問題を治安問題とみなして『直接介入』に踏みきったことを物語っている。アイケルバーガー(弾圧した米占領第8軍の司令官-引用者)は、『朝鮮人と日本人の赤(共産主義者-引用者)』の存在…などの理由で、日本の治安状況に深刻な危機意識を抱いていた。とりわけ、五月一〇日の単独選挙(アメリカが支配する南朝鮮の-引用者)を控え、占領軍は在日朝鮮人の抗議行動が単独選挙に対する南朝鮮での反対運動と結びつくことを極度に恐れていた。おりしも、四月三日、大阪の在日朝鮮人にゆかりの深い済州島で単独選挙に反対する武装蜂起があり…在日朝鮮人の民族運動は東アジアの国際冷戦のただ中におかれ、占領軍と日本政府の一体となった攻撃にさらされる」(水野直樹・文京沫『在日朝鮮人-歴史と現在』岩波新書)

 

 「4・3済州島人民蜂起」―「4・24阪神教育闘争」―「5・10南単独選挙」―「8・15大韓民国発足」―「9・9朝鮮民主主義人民共和国発足」は一連のものであり、朝鮮戦争(50・6・25)へとつながっていきました。

 「4・24教育闘争」は、日本がアメリカに従属し、朝鮮半島の分断、朝鮮戦争に密接に関係したことを示す歴史的事件でもあるのです。

  第2に、朝鮮民族教育に対する日本政府の差別・弾圧はまさに現在進行形だということです。

 その典型は、安倍政権が「高校無償化制度」から朝鮮学校だけを排除していることと、地方自治体に圧力をかけ(文科省通知)、朝鮮学校への補助金を打ち切らせていることです。

 「全国に60余ある朝鮮学校が所在する28都道府県のうち、学校への補助金を予算に計上したのは12道府県にとどまり、残りの16都府県はこの10年の間に交付をやめていた。…影響したとみられるのは文部科学省が16年3月、28都道府県知事あてに出した通知だ」(21日付朝日新聞社説)

  朝鮮学校は、「朝鮮半島が日本国に植民地支配された当時に、朝鮮民族の民族的文化を維持・継承・発展させることを阻害されたことによって喪失ないし停滞した文化的尊厳と固有の文化の回復を図るため」(2016年4月18日、埼玉弁護士会会長声明)、朝鮮の人たちが自主的に始めたものです。私たち日本人はこのことを肝に銘じる必要があります。

 朝鮮学校への補助・支援は、植民地支配した日本(人)の当然の責務であり、せめてもの償いです。にもかかわらず逆に朝鮮学校だけ無償化から排除するなど言語道断です。

 無償化排除に対しては朝鮮学校卒業生らが提訴した裁判が全国で行われています(写真中、右)。折しも今月27日には名古屋地裁で判決が言い渡されます。

  安倍政権による無償化制度からの朝鮮学校排除を直ちに止めさせ、地方自治体の補助を復活させねばなりません。それが「4・24」の歴史から今日本人がくみ取るべき教訓・責任ではないでしょうか。

  


再考すべき権力に対する”オフレコ取材“

2018年04月23日 | 安倍政権とメディア

     

 福田淳一財務次官はセクハラの事実を認めて謝罪し、麻生財務相は責任をとって直ちに辞任すべきです。同時に今回の事件を企業・社会からセクハラを一掃する契機にすべきです。

 ここでは今回浮上したもう1つの問題を考えます。それは日本のメディアの権力取材についてです。

 女性記者から福田氏によるセクハラ被害を訴えられた時、テレビ朝日はそれを報道もせず、福田氏・財務省に抗議もせずに握りつぶしました。「二次被害が心配された」(篠塚浩報道局長の19日の会見)からだといいますが、それだけでしょうか。

 日本民間放送労働組合連合会が18日出した「声明」は、「放送現場で働く多くの女性は、取材先や制作現場内での関係悪化を恐れ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されても、うまく受け流すことを暗に求められてきた」(21日付朝日新聞)と指摘しています。

 テレ朝の当初の握りつぶしも、「取材先との関係悪化」を恐れたことが理由の1つだったとみて間違いないでしょう。財務省(官僚トップの次官)とコトを構えれば今後の取材、とりわけ個別取材がやりにくくなる、という心配です(テレ朝以外にも福田氏からセクハラを受けた記者がいながらいまだに”沈黙”しているメディアがある可能性もあります)。

 政治家や「高級」官僚に対する個別取材(個別の会食などを含む)は、公式会見では述べられない「事実」を聞き出す、いわゆる「オフレコ取材」として日本のメディアの常とう手段になっています。今回の問題をめぐる論評・コメントでも、この取材方法に対する問題提起は見当たりません。

 しかし、私はこうした「権力に対するオフレコ取材」は見直すべきだと考えます。ただし、念のために付言すれば、こうした取材方法がセクハラを生んだという意味では決してありません。セクハラはセクハラ独自の問題です。また、この取材方法は個々の記者の問題ではなく、メディア=報道各社の社としての方針、あるいはメディア界の「慣習・伝統」の問題です。
 見直すべきだと考える主な理由は次の通りです。

     国家権力(閣僚、政治家、官僚)とメディア(記者)の癒着を生みやすい。

 ②    その具体化として、「オフレコ情報」をもらう代わりに何らかの「見返り」(報道・追及の手控えなど)を与える「ギブ・アンド・テイク」の関係に陥りやすい(今回のテレ朝の初期の対応はこの一種)。

 ③    公私混同(仕事としての取材・被取材と仕事を離れた私的生活の混同)を生じやすい。

     本来、公式の会見で明らかにされるべき事実・情報が隠ぺいされ、メディア側も「スクープ」狙いでそれを黙認することで、記者会見を形骸化する(とくに警察情報はそれが常態化している)。

 ⑤    現場の取材記者への過重な負担(本来の記者活動の制約や私生活の犠牲)

 こうしたメディア(記者)との個別的関係を巧みに利用したのが、田中角栄元首相でした。「オフレコ取材」の1つとして、「夜討ち朝駆け」がありますが、田中は私邸に記者用の部屋を設け、食事を出すなどして番記者を手なずけました。田中派番の記者が同派の大番頭・金丸信(元防衛庁長官)邸を「朝駆け」したときのことをこう述懐しています。

 「一人で金丸邸を訪ねた。…お手伝いさんが玄関脇の部屋に案内してくれた。そこにはすでに五、六人の田中派担当の記者がテーブルを囲んで座っていた。…椅子に座って出されたお茶をすすっていると…そのうちに温かいソバが出てきた。朝食を用意してくれていたようだ」(田中良紹・元TBSディレクター『裏支配―今明かされる田中角栄の真実』廣済堂出版)

 「オフレコ取材」は権力が隠そうとしている「事実」を掘り起こすためだと善意に考えている記者も少なくないでしょう。しかし、それには逆に大きな危険がはらまれていることを見落とすことはできません。

 「本来ジャーナリズムは、情報源を明らかにして報道するのが原則である。…情報源を隠すことで情報操作を容易にしてしまう。政治家をはじめ社会的な有力者が、匿名による観測気球的な発言で世論やライバルの反応を探り、問題になっても発言不明の形で責任追及を免れる。政治家や官僚が好きなオフレコ会見も、責任は取らずに発言の効果だけを利用できるもので、悪用されている。無責任なジャーナリズムほど匿名報道に傾く、というぐらいに考えてよい」(原寿雄・元共同通信編集主幹『ジャーナリズムの可能性』岩波新書)

 「オフレコ取材」と深く関連している「記者クラブ制度」、「番記者制度」も見直すべきです。

 真のスクープは、他社を出し抜いて権力に接近することではなく、地道な調査報道によって「権力の監視役」としての使命を果たす中でこそ生まれます。
 かつて竹下登政権を退陣に追い込んだ、日本のメディア史上特筆すべきリクルート事件のスクープ(1988年、朝日新聞)は、神奈川県警が捜査を放棄した未公開株譲渡問題を「自分たちで追及しよう」と始めた朝日新聞横浜支局の調査報道が生んだものでした。

 現場の記者の熱意とエネルギーは、時間を度外視した権力への個別的接近・オフレコ取材ではなく、調査報道や、「権力を監視する記者」としての自己研鑽(問題意識を深める勉強など)にこそ振り向けられるべきではないでしょうか。


「朝鮮戦争終結」に水を差す安倍首相

2018年04月21日 | 朝鮮と日本

    

 
 4月27日に行われる韓国・文在寅大統領と朝鮮民主主義人民共和国・金正恩委員長の会談で、朝鮮戦争(1950年~53年休戦)の終結(終戦宣言・平和協定締結)に向けた動きが一気に加速しそうです。

  金委員長は一貫して「朝鮮戦争の休戦協定を平和協定へ」と主張してきましたが、トランプ米大統領が17日(米時間)、「朝鮮戦争はまだ終わっておらず今も続いている。南北は終戦に向けて協議する予定で、私も賛成している」と応じました。

 これを受けて文大統領も19日、「終戦宣言を経て平和協定の締結へと進まねばならない」と言明しました(写真中)。

  「平和協定締結」は2007年の「南北会談」を前にした韓国・廬武鉉大統領と米・ブッシュ大統領の会談でも「一致」したことがありますが、中国が難色を示して進展しなかったと言われます。
 その中国も今回は、「朝鮮半島が戦争状態を早く終息させ平和を構築することを支持する」(20日、華春螢報道官)と賛意を示しています。

 これで「朝鮮戦争休戦協定」当事国4カ国がいずれも「終戦宣言・平和協定」に賛同したことになります。きわめて重要な前進です。

 そんな中で取り残され、逆に「終戦宣言・平和協定」に水を差す言動をしているのが、日本の安倍首相です。

 今回の「日米首脳会談」で安倍氏が口を極めたのは「拉致問題」でした。会談後の共同記者会見(日本時間19日)でも、「拉致問題」を「なによりも重要」とし、「北朝鮮が新たな道を歩むなら不幸な過去を清算することができる」などと朝鮮敵視を強調しました。

 そもそも安倍氏が「拉致問題」を強調するのは、「森友・加計問題」さらに「財務省問題」などで政権発足以来最悪となっている「支持率」を少しでも回復しようという政治的思惑にからです。

 「安倍首相が拉致問題を唯一強調する背景には、自身がこの問題に対する強硬姿勢を強調し、政治的に急成長したためだ。…(小泉内閣の官房副長官時代―引用者)拉致問題に対する強硬論を主導した安倍首相は政治的スターになり、2006年には52歳で戦後最年少の首相になった。安倍首相はその後も北朝鮮に対する圧迫を主導して、拉致問題への言及を常に欠かさなかった」(20日付ハンギョレ新聞=韓国)

  前田朗・東京造形大教授は「拉致問題」には「国外移送目的誘拐罪」の側面があるが、日本軍が「多数の朝鮮女性を『慰安婦』という名の性奴隷とした」ことも「国外移送目的誘拐罪」にかかわる、としてこう指摘しています。
 「多数の朝鮮女性を国外移送した事実がありながら、被害者が朝鮮人であれば捜査も立件もせず、今日に至るもなお責任を認めようとしない。…『拉致疑惑』をタテに日朝国交正常化を妨げ、遅延させることは…日本国家が犯した膨大な国外移送目的誘拐罪の免責を図ることである」(「世界」2001年4月号)
 「慰安婦」とともに、「朝鮮人強制連行」もこれに加えるべきでしょう。

 安倍氏が一貫して「慰安婦」や「強制連行」の責任・犯罪性を認めない一方で「拉致問題」を強調するのは、自らの保身を図る政治利用とともに、日本が朝鮮に対して犯した歴史的犯罪の隠ぺいを図るものと言えます。

 日本は、朝鮮戦争の「終結宣言・平和協定」を対岸視できる立場ではありません。

 そもそも朝鮮半島の分断(朝鮮戦争の背景)の元凶は、明治以降の日本の朝鮮侵略・植民地支配です。
 朝鮮戦争自体にも、日本はアメリカの後方基地として、また元日本軍兵士が「機雷除去」に参戦する形で直接かかわりました。
 さらに、「朝鮮戦争特需」によって日本の大企業は”死の商人“として今日の基盤を築きました。
 アメリカの傀儡である「朝鮮戦争国連軍司令部」は現在も首都・東京の横田基地にあります。

 朝鮮半島の平和・統一に逆行・妨害する歴史修正主義者・安倍首相は1日も早く退陣させる必要があります。
 同時に、朝鮮半島に対する日本の歴史的加害責任を銘記し、朝鮮戦争の「終結宣言・平和協定」を、”当事者“の一員として凝視・支持するのは、私たち「日本国民」の責任でもあります。


安倍・麻生両氏の責任回避は祖父譲り

2018年04月19日 | 安倍政権と歴史認識

     

 財務省の福田事務次官の「辞任」は当然ですが、責任をとってやめるべき筆頭は麻生太郎財務相(副首相)です。

  麻生氏は「福田に人権はないのか」などとセクハラ加害者の福田氏をかばい続け、世論の強い批判の中でこれ以上逃げられないと思うと、官僚(福田氏)の首を斬って、任命権者である自分は何の責任も取らずに逃げ通す。これは佐川国税庁長官のときとまったく同じです。「森友文書」の改ざんでも最大の責任があるのは麻生氏であることは言うまでもありません。

  財務省でこれほど不祥事が続発しているにもかかわらず、その最高責任者(任命権者)である麻生財務相が何の責任もとらず涼しい顔をしているのは極めて異常で醜悪な事態です。

  真っ先に責任をとらねばならない者が部下(官僚)に責任を押し付けて知らん顔をしているといえば、「森友・加計疑惑」の張本人である安倍晋三首相もその典型です。

  この無責任コンビ、安倍氏と麻生氏が親友であり、安倍内閣の「ナンバー1・2」であることは決して偶然ではありません。なぜなら、両氏の無責任は、その「歴史観」、さらに「ルーツ」と無関係ではないからです。

  安倍、麻生両氏が「歴史修正主義者」として日本の朝鮮・中国侵略、植民地政策を擁護・美化し続けていることは周知の事実です。麻生氏は朝鮮植民政策の「創始改名」を公然と擁護したことさえあります(2003年)。

  「森友問題」にも関係が深い改憲右翼団体・「日本会議」を支持する国会議員グループ「日本会議議連」の役員に、安倍、麻生両氏がともに「特別顧問」として名を連ねている(2014年4月現在。俵義文著『日本会議の全貌』花伝社)ことも偶然ではありません。

  こうした両氏の「歴史観」は、その「ルーツ」と無関係ではありません。

  安倍氏の祖父は岸信介元首相。麻生氏の祖父は吉田茂元首相。ともに「元首相の孫」という世襲性も共通しています。

  岸が東条英機内閣の商工大臣として侵略戦争を推進し、A級戦犯「容疑者」として巣鴨プリズンに入獄しながら、アメリカの冷戦戦略によって「釈放」されたことは周知の事実です。
 岸は東条内閣の閣僚になる前から、「満州国総務庁次長」として満州侵略の先頭に立ってきました。

 吉田はどうでしょうか。吉田は「臣・茂」として天皇裕仁に忠実で、戦後アメリカ(GHQ)にも従順に、対米従属のサンフランシスコ体制を築いた人物として知られていますが、戦前・戦中の足跡も見落とすことはできません。

 もともと中国侵略論者であった吉田が、その本領を発揮したのは、中国侵略の端緒を切った田中義一内閣(1927年4月~29年7月)の外務事務次官に就任してからでした。

 陸軍出身の田中義一は、中国侵略を「帝国の天賦の権利」(『帝国国防方針案』)と公言する根っからの侵略主義者。その田中を天皇裕仁が首相に据えたのが1927年4月でした。

 「山東出兵(1927年5月)という中国への軍事介入によって昭和時代の幕が切って落とされ、それが大陸政策の主唱者であった田中義一政権によって断行されたことは象徴的な事件であった。さらに、張作霖爆殺事件(1928年6月)は、日本陸軍による中国東北部の事実上直接支配への第一歩、その延長上に中国東北部の軍事占領という歴史が積み重ねられていった」(纐纈厚山口大名誉教授『侵略戦争』ちくま新書)

 その田中に乞われて外務次官に就任し、田中義一内閣の中国侵略を支えたのが吉田茂だったのです。

  岸信介と吉田茂は、ともに侵略戦争を推進した責任がありながら、なんの責任もとることもなく、逆に首相のイスに座った人物です。そしてともに対米追随のサンフランシスコ体制・日米安保体制を確立する中心になったという点でも共通しています。まさに、侵略戦争・植民政策美化、戦後「戦犯・売国政治」を体現してきたのが岸と吉田でした。

  その二人をともに祖父にもつ安倍、麻生両氏が、現在「首相」と「副首相」であることは偶然ではありません。
 両氏が自らの責任を回避し、権力の座にしがみついている姿は、それぞれの祖父から受け継ぎ学んだものと言えるでしょう。

 そしてそれは、天皇裕仁の戦争責任を不問にし、侵略戦争・植民地政策への無反省を続けている戦後日本の政治・社会を象徴しているとも言えるのではないでしょうか。


熊本地震2年・「復興妨害五輪」の弊害あらわ

2018年04月17日 | オリンピックと政治

     

 観測史上初めて震度7を2度観測し、死者267人(直接死50人、関連死217人)、住宅被害20万棟以上を出した熊本・大分地震から14日で2年になりました。

 いまなお約3万8000人が仮設住宅などの仮住まいを余儀なくされており、生活再建の基盤である住宅建設は遅々として進んでいません(写真左は益城町で損壊した家の修理=昨年5月撮影)。
 その大きな原因は「東京オリンピック」(2020年)優先の安倍政権にあります。

 「仮設住宅の入居期限は原則2年。(熊本)県の調査では、入居者の6割が自宅再建が間に合わないなどの理由で期限延長を望んでいる。災害公営住宅は12市町村で計1735戸の整備計画があるが、業者の人手不足などの影響で着工が遅れている」(14日付朝日新聞)

 「業者の人手不足」は、ただでさえ労働人口が減少している上に、東京五輪のための建設工事に人手がとられているからです。もちろん熊本・大分だけでなく、東日本大震災の被災地も同じ影響を受けています。

 安倍首相は東京五輪を「復興五輪」と称していますが、実際は「復興」どころか「復興妨害五輪」である、と鵜飼哲氏(一橋大教員)は指摘します。

 「福島第一原発事故は全然終わっていないにも関わらず、『アンダー・コントロール』という世紀の大ウソによって招致されたのが、2020年の東京オリンピックです。原発事故だけではありません。津波で破壊された東北の三陸沿岸地域の復興も、遅々として進んでいません。オリンピックのために資材も人件費も高騰し、大変な困難に直面しています。今年(2016年)4月に地震に見舞われた熊本でも、同様な状況があると聞いています。

 東京へのオリンピック招致とは、首都の再開発を、被災地の復興よりも優先するということです。それなのにあろうことか、2020年東京オリンピックは『復興五輪』と銘打たれているのです。これは『集団的自衛権』の行使を『積極的平和主義』と呼んで、戦争を平和と言いくるめる、安倍政権の言葉の使い方とまったく同じです。現実は『復興妨害五輪』であって『復興五輪』どころではありません。まさに正反対なのです」(2016年12月11日の講演、『オリンピック・ファシズムを迎え撃つために』コラボ玉造より)

 「オリンピックのための資材・人件費高騰」は、住宅建設を遅らせているだけでなく、被災地の自治体財政を圧迫しています。

 熊本県は震災後、就学児童のいる家庭に学用品や給食費を補助する「就学援助」の所得制限を引き上げる「特例制度」を設けました。大きな犠牲を出した益城町は県内最多の805人がこれを利用してきました。その「特例」が打ち切られます。「復旧復興に大変なお金がかかるため」(益城町教育課長、15日のNHKニュース、写真中)です。児童を抱える被災家庭にとっては新たな大きな負担です。
 「復興妨害五輪」の弊害はこういうところにも表れています。

 安倍政権は「東京五輪」の「基本方針」(「2020年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会の準備及び運営に関する施策の推進を図るための基本方針」2015年11月27日閣議決定)で、こううたっています。

 「この機会を国全体で最大限いかし、『復興五輪』として、東日本大震災からの復興の後押しとなるような被災地と連携した取組を進めるとともに、被災地が復興を成し遂げつつある姿を世界に発信する。…オールジャパンで…大会を国民総参加による日本全体の祭典とし、北海道から沖縄まで、全国津々浦々にまで、大会の成果を行き渡らせ(る)」

 「被災地と連携した取組」として「基本方針」が具体的に挙げているのは、「被災地を駆け抜ける聖火リレー、被災地での大会イベントの開催や事前キャンペーンの実施、被災地の子どもたちの大会への招待等」です。

 「つまり、復興の代わりに、五輪によって復興のイメージだけを作為しようとしているのです。現実の復興を先取りし、演出し、祝賀する祭典。現実には『復興妨害五輪』なのに『復興五輪』であると言い募ることは、現実の復興をイメージで置き換えることにほかなりません。今から『復興したことにする』、そのためにオリンピックを強行する」(鵜飼氏、前掲)

 アスリートたちの渾身の競技は感動的です。しかし、それは安倍政権が目論む「復興妨害五輪」とはまったく無関係です。ここにあるのは安倍政権によるスポーツ(オリンピック)の政治利用です。

 福島原発事故の被害を隠蔽し、復興をイメージで置き換える「復興妨害五輪」を、「国民総参加による日本全体の祭典」にしようとする安倍政権の戦略(国策)に乗せられるわけにはいきません。




無謀な米シリア攻撃に加担する日米軍事同盟

2018年04月16日 | 日米同盟と安倍政権

     

 アメリカ・トランプ政権と英仏のシリア攻撃(14日、巡航ミサイル「トマホーク」など100発以上発射)は、シリアが化学兵器を使ったという「証拠」がなんら示されない中で強行された、まさに「無責任な武力行使」(15日付朝日新聞社説)にほかなりません。絶対に容認できません。

 化学兵器使用については、国際機関(OPCW化学兵器禁止機構)が14日にシリア入りし、今後の調査についてシリア政府と打ち合わせをしている状況です(写真右)。

  仮にシリアが化学兵器を使ったとしても、空爆という武力行使が事態解決に沿うどころか逆に内戦・混迷を深めることは明白です。

 まして、トランプ氏の「国内世論を意識した場当たり的な対応が、混乱を拡大させると言わざるを得ない」(「15日付日経新聞社説」)事態は言語道断です。

  認定NPO法人・難民支援協会(東京)の石川えり代表理事が、米国のシリア攻撃によって「(内戦が)泥沼化、長期化して『平和な故郷に帰りたい』という難民たちの切実な願いが遠のくことを心配している」(15日付琉球新報)と危惧するのは当然です。

  銘記しなければならないのは、この無謀な米国のシリア攻撃と日本が無関係ではないことです。

  安倍首相はいつものように即座に、「米英仏の決意を支持する」(15日)と表明し、対米追従ぶりを露わにしました。

 しかし、日本の関与はこれだけではありません。

  「米英仏3カ国がシリアへの攻撃を開始したことを受け、米軍嘉手納基地では14日午後、弾道ミサイル観測能力を持つ電子偵察機RC135Sコブラボールの離陸が確認されるなど、緊張感が高まりつつある。嘉手納基地内の警戒レベルは…シリア情勢の緊迫化が進むに連れて、引き上げられる可能性もある」(15日付琉球新報)

  アメリカの武力行使が世界のどこで行われようと、日本は無関係ではいられません。というより、米国の武力行使との共犯性は否定できません。なぜなら、在日米軍基地が武力行使に直接かかわるからです。

 その実態は「本土」では可視化されにくいですが、米軍基地が集中し軍事植民地状態になっている沖縄ではそれが目に見えるのです。

  こうしてアメリカの武力行使に日本が巻き込まれる(加担する)元凶が、日米軍事同盟(安保条約)であることは言うまでもありません。

  同じく米軍基地がある国でも、今回日本政府(安倍首相)と対照的な態度をとったのがイタリアでした。

  「イタリアのジェンティローニ首相は14日、米英仏のシリア攻撃を受け受けて声明を出し、『イタリア国内からシリア攻撃は行われるべきではない』と述べ、今回の作戦に関しイタリア国内の米軍基地の使用を認めない方針を明らかにした。…ジェンティローニ氏はイタリアは米国のパートナーであるとしつつ、今回の軍事作戦には参加しないと強調。シリア問題は外交努力で解決すべきだとの立場を改めて示した」(15日付琉球新報=共同電)

  アジア・太平洋戦争で同じ「三国同盟」のメンバーでありながら、日本とイタリアの姿勢の違いは歴然です。ちなみに、イタリアは敗戦の教訓から、戦後、王制を廃止しました。この点でも日本との違いが際立っています。

  シリア攻撃は来月の朝鮮民主主義人民共和国とアメリカの「首脳会談」とも無関係ではありません。

 日本は一日も早く、日米軍事同盟を解消(日米安保条約を廃棄)して、自主的な平和外交へ舵を切らねばなりません。東アジアの平和・安定のためにもそれは急務です。


「ちびっこ相撲」女児排除と貴乃花の「国体」論

2018年04月14日 | 天皇制と日本社会

     

 大相撲の女人禁制は天皇制・皇室典範の女性差別と密接な関係にあると先に書きましたが(4月7日のブログ参照)、それを証明するような事実がまた明らかになりました。

  静岡市で8日行われた大相撲春巡業で、力士が土俵上で小学生らに稽古をつける「ちびっこ相撲」(写真左)から、女児が排除されたのです。静岡だけではありません。宝塚市(6日)でも、長野県(10、11日)でも同様のことが起こっています。

 いずれも日本相撲協会から「女子を土俵に上げるのは遠慮してほしい」(13日付琉球新報)という「要請」があったからです。昨年までは女子も土俵に上がっていましたが、今年から禁止されました。

 これについて日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)はこう述べています。
 「女の子が万一けがをして顔に傷がついたりするようなことがあっては困るということで、巡業部で検討して昨年9~10月ごろに決めた。安全確保がすべてで女人禁制とは関係ない」(13日付読売新聞)

 「けが」はとってつけた口実でしょう。「けが」があるとすれば女子だけではありません。「顔に傷」云々にいたっては逆に女性差別と言わねばなりません。「ちびっこ相撲」からの女児排除が「女人禁制」の一環があることは疑いようがありません。

 ここで注目されるのは、「巡業部で検討して昨年9~10月ごろ決めた」ということです。当時の巡業部長はだれだったか。貴乃花親方です(今年3月辞任)。今年から「ちびっこ相撲」で女児を排除するという相撲協会の決定は、貴乃花が中心に決めたものだということです。

 この貴乃花の決定は、大相撲は「国体」=天皇制を支えるものだという彼の大相撲・天皇制観と無関係ではないでしょう。

 貴乃花は常々、後援会など内輪の集まりでは、天皇制を支える大相撲の精神をうたった「角道の精華」(かつての力士研修所の教材)を賛美し、「『角道の精華』にウソをつくことなく、国体を担っていける大相撲角界の精華を」などと語っていました(写真中)。

 昨年の「貴ノ岩暴行事件」で貴乃花のこうした「思想」があらためてクローズアップされました。中島岳志東京工業大教授はこう指摘していました。

 「彼(貴乃花)の発する言動の中には、極端なナショナリズムが見え隠れする。『週刊朝日』」12月22日号の『貴乃花親方の逆襲』では、支援者に送ったメールが紹介されているが、そこでは相撲協会を『国体を担う団体』と位置づけ、『日本を取り戻すことのみ』が『私の大義であり大道』だと述べている。九州場所の千秋楽打ち上げでも『日本国体を担う相撲道の精神』という言葉を使ってスピーチを行っている。
 『国体』とは、日本という国を『万世一系の天皇』によって支えられてきた特殊な国柄と捉えるもので…貴乃花親方は繰り返し天皇に言及し、力士は『陛下の御守護をいたす』ことに『天命』があると述べていることから、意識的に『国体』という言葉を使っていることがわかる」(2017年12月26日付東京新聞夕刊)

 昨年は、天皇の「退位特例法」(6月9日成立)論議の中で、安倍首相らの「女帝」を認めない皇室典範の「皇統男系主義」があらためて強調された時です。9月3日には秋篠宮の長女・眞子氏の「婚約会見」が行われ、女性皇族のあり方が話題になりました。

 皇室をめぐるこうした動きの中で、天皇主義者の貴乃花巡業部長が、「女人禁制」の「伝統」を固守するため、地方巡業の「ちびっこ相撲」から女児を排除することを決めた、と考えてもけっして不自然ではないでしょう。

 貴乃花ほどであからさまではありませんが、日本相撲協会が天皇制と密接な関係にあることは周知の事実です。昨年の「暴行事件」の中で、八角理事長(写真右の中央)が力士に対する「講話」(11月28日)で、「日本の国技といわれる相撲、日本の文化そして誇りを背負っているんです」と述べ、「日本の国技を背負う力士であるという認識」を強調したのも、貴乃花が言う「国体を担う相撲道」と大同小異でしょう。

 今回の「女性は土俵から下りてください」アナウンス(4日、舞鶴巡業)、「ちびっこ相撲」からの女児排除であらためて明らかになったのは、大相撲の女性排除(差別)の実態(伝統)であり、それが天皇制と深く結びついたものだということです。

 そうした女性排除・差別が、私的な宗教観にとどまらず、日本相撲協会という公益法人の正式な運営方針になっているところに、無意識のうちに「(象徴)天皇制」が根を張っている日本社会の問題性があると言えるでしょう。