アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「日米安保肯定」に立って「首脳会談・辺野古」を批判できるか

2015年04月30日 | 日米安保・沖縄

         

 28日の日米首脳会談とそれに先立つ「日米防衛協力指針(ガイドライン)」改定に対し、本土の多くの新聞・メディアが「懸念」を示し「批判」しています(「読売」「産経」は論外)。

 「『積極的平和主義』のもと、国際社会での日本の軍事的な役割は拡大され、海外の紛争から一定の距離を置いてきた平和主義は大幅な変更を迫られる。・・・戦後日本の歩みを踏み外すような針路転換である」(「朝日」28日付社説)

 「これは自衛隊が米軍に世界規模で協力するという約束である。・・・自衛隊の海外での活動は飛躍的に拡大し、日米安保体制は極東の範囲を超えて世界に広がる」(「毎日」28日付社説)

 「自衛隊が海外で武力の行使をする恐れが高まる。戦後日本の『専守防衛』政策は根本から覆る」(東京新聞28日付社説)

 これらの分析・指摘はその通りです。問題は、ではどうすべきなのか、この歴史的な段階において日本はどのような「針路」をとるべきかです。
 しかしこの肝心な点について、各紙に明確な主張は見られません。「国内の合意もないまま・・・あまりにも強引すぎる」(「朝日」同)、「国民を置き去りにした安保政策であってはならない」(「毎日」同)、「あまりにも乱暴な進め方だ。・・・慎重な検討が必要だ」(「東京」同)と、いずれも手続き論に終始しています。

 なぜそうなるのか。それは、日本のメディアがあまねく、日米軍事同盟=安保条約を肯定する立場に立っているからです。だから新「ガイドライン」が「従来の安保条約の枠を超える」とは指摘できても、その根源である日米安保条約を廃棄すべきだとは言えないのです。だから安倍首相が「日米同盟の歴史に新たな1ページを開く」と誇示しても、それを批判することができないのです。

 では、沖縄の2つの県紙、琉球新報と沖縄タイムスはどうでしょうか。
 新報は「沖縄利用許されない―普天間即時閉鎖こそ解決策」(29日付社説)、「人権と民主主義の無視だ」(30日付社説)、タイムスも「日米『辺野古』再確認―露骨な切り捨ての論理」(30日付社説)と、いずれも日米間で「辺野古移設が唯一の解決策」(安倍首相)だと再確認したことを厳しく批判しています。
 批判は当然です。今回の日米会談は、沖縄県内外の市民の声に耳を貸そうとしない日米両政府の姿をあらためて浮き彫りにしました。

 しかし同時に問題なのは、新報もタイムスも、本土メディアと同様、日米軍事同盟=安保条約を廃棄するという根本問題にはまったく触れていないことです。それどころか、「日米同盟強化をうたえばうたうほど、よって立つ基盤のもろさが目立つ。まさに砂上の楼閣だ」(同新報社説)と、日米軍事同盟の存在を容認・肯定する立場から、その基盤が揺るがないために、辺野古新基地建設は強行してはならないと主張しています。

 この立場で一貫しているのが、翁長雄志知事にほかなりません。
 翁長氏は29日急きょ記者会見し(写真右)、日米首脳会談で「辺野古移設」が再確認されたことを批判するとともに、「『(辺野古が)唯一の解決策』という言葉は日米同盟、日米安保体制を揺るがしかねないと思っている」「私は日米安全保障体制は重要だと理解をしている」「県民のことを考えないで推し進めることは大変残念であり、日米安保体制にとっても良くない」(30日付琉球新報)と繰り返し、日米安保=軍事同盟を容認、いや積極的に肯定したうえでの「辺野古新基地反対」であることを改めて示しました。

 これでいいのでしょうか。
 今回の日米首脳会談、「ガイドライン」改定は、対米追随の軍事同盟=安保条約が、アメリカの戦争に日本が参戦するためのものにほかならず、日本・アジア・世界の平和と安全を脅かすものであることを改めて浮き彫りにしたのではなかったでしょうか。いまこそ安保条約廃棄の世論を大きくすべきときです。

 にもかかわらず、その日米軍事同盟=安保条約を肯定し、逆にその「重要性」を強調する立場に立って、果たして辺野古新基地建設を阻止することができるでしょうか。辺野古だけでなく、嘉手納をはじめ沖縄から、日本から、米軍基地を撤去することができるでしょうか。
 「辺野古新基地」の根源は日米軍事同盟=安保条約なのですから。


「4・28」と「4・29」と沖縄

2015年04月28日 | 戦争・天皇

        

 きょう「4・28」は、サンフランシスコ「講和」条約と日米安保条約発効の日(1952年)です。
 安倍政権はこの日を「主権回復の日」と称し、2年前、天皇・皇后出席の下で「記念式典」を強行しました(写真中)。
 しかし沖縄にとってこの日は「屈辱の日」。今日も、午前中の辺野古での集会(写真左)に続き、各地で抗議集会が計画されています。

 そんな「4・28」に、安倍首相とオバマ米大統領の「首脳会談」がおこなわれ、日米軍事同盟のいっそうの拡大・強化が確認されるのは、偶然とは思えないほど象徴的なことです。

 ところで、「4・28」の翌日、あす「4・29」は何の日でしょう?カレンダーでは「昭和の日」ですが、なぜこの日が「昭和の日」なのか。それが昭和天皇(天皇裕仁)の誕生日だったからだからだと知る人は多くないかもしれません。

 「4・28」(「講和」条約・日米安保)と「4・29」(昭和天皇)。実はこの2つには深い関係があります。とりわけ沖縄にとって重大な意味があることを見逃すことはできません。

 サンフランシスコ「講和」条約は、第3条で「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)」を「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下に置く」として、沖縄を切り捨て、アメリカの統治下に置きました。それが沖縄の苦難の根源であり、条約発効のこの日は沖縄にとってはまさに「屈辱の日」なのです。

 同時に日米安保条約によって、対米従属の軍事同盟体制が確立しました。本土もけっして「主権を回復」したわけではありません。沖縄はその中でもさらに差別され、もっとも軍事同盟の危険にさらされることになりました。

 この沖縄切り捨て、対米従属の日米軍事同盟の“陰の主役”が、天皇裕仁にほかなりません。

 それを示す1つの証拠は、「天皇メッセージ」(1947年9月20日)です。天皇裕仁は宮内庁御用掛の寺崎英成を通じ、GHQの政治顧問シーボルトに、「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望している」と伝えたのです。「天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立」つ、と。

 「天皇メッセージ」は進藤栄一氏(筑波大名誉教授)によって存在が初めて明らかになりました(「世界」1979年4月号)。進藤氏は28日付の琉球新報で、あらためてこう指摘しています。

 「天皇は・・・基本的に戦前体制を維持しながら米国にすり寄って日米同盟の中で新日本を築き上げようとした。日米同盟基軸路線だ。天皇メッセージは、そのための道具として沖縄を差し出しますよ、と提案したもので、天皇制を守るために沖縄を『捨て石』にする考え方だ
 「(天皇メッセージの狙いは天皇制の存続か、との質問に)もっと直接的だ。戦争責任から逃れることだ

 天皇裕仁のこの狙いが表面化したのは、天皇メッセージだけではありません。天皇メッセージの4カ月前、マッカーサーとの第4回会談(1947年5月6日)で、天皇裕仁はこう述べました。

 「日本の安全保障を図る為には、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを執ることを要するのでありまして、此の為元帥の御支援を期待して居ります」(『日本占領(3)』)。

 この考えに基づき、天皇裕仁は当時の吉田茂内閣の公式な外交とは別に、天皇による「二重外交」を執拗に繰り広げ(もちろん「象徴天皇」を逸脱した明白な憲法違反)、ついに対米従属の「講和」条約と日米安保条約の締結を実現したのです(豊下楢彦氏『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―』参照)。

 天皇裕仁の狙いは敗戦直後のマッカーサーとの第1回会談(1945年9月27日、写真右)から一貫していました。天皇とマッカーサーの会談の意味を豊下楢彦氏はこう指摘します。

  「占領の円滑な遂行のための『政治的道具』としての天皇の『権威』を利用しようとするマッカーサーの意図と、戦争責任を回避して天皇制の存続をはかるためにマッカーサーの『権力』への全面協力に活路を求めようとする天皇の意図との“相互確認”がおこなわれた」(前書)

 天皇裕仁こそ、沖縄切り捨て、従属的日米軍事同盟体制確立の張本人だったのです。

 2年前の「主権回復の日式典」で、安倍首相が、天皇裕仁が1946年に詠んだ歌をあえて紹介し、「多くの国民と心は同じだった」と賛美し、「天皇陛下万歳」で締めくくったのは、けっして偶然ではありません。

 「4・28」といえば「沖縄屈辱の日」。そして、「対米従属の日米軍事同盟体制確立の日」。そのいずれも、戦争責任を回避して天皇制維持を図った天皇裕仁の意図が貫かれていたことを忘れてはなりません。

 ところで、偶然といえば、「4・28」と「4・29」が1日違いなのは、はたして偶然でしょうか。日本国憲法の公布(1946年11月3日)を明治天皇の誕生日(明治節)と同じ日にしたことを思えば、偶然とは言えないような気がします。

 さらに、今日「4・28」に「春の褒章」が発表されたのは、偶然でしょうか。「褒章」は明治天皇の詔勅(1875年)に端を発する勲章制度の一環。天皇制維持の手段にほかならないのです。
 


「建白書」・「選挙公約」に反する翁長知事の対米「書簡」

2015年04月25日 | 戦争・天皇

      

 沖縄選出の玉城デニー衆院議員(生活)が22、23両日、ワシントンを訪れて米議会関係者と会い、翁長雄志知事の「書簡」を手渡しました。5月訪米予定の翁長氏の「露払い役になる」(玉城氏、17日付沖縄タイムス)目的でした。

 しかし結果は、「辺野古見直しに同意する意見はなかった」(玉城氏)とし、「帰沖後に翁長知事に米国の厳しい現状を報告する方針」(25日付沖縄タイムス)だといわれます。

 ところで、玉城氏が米国議員などに手渡した翁長氏の「書簡」とは、いったいどのような内容だったのでしょうか。

 その全文が琉球新報(4月18日付)に掲載されました。たいへん重大な問題を含んでいます。同紙から、翁長氏の「書簡」全文を転記します。

 「戦後70年間、沖縄は多くの基地を負担し、日米の安全保障に貢献してきました。しかしながら人口増加と経済成長を続ける中で、米軍基地は沖縄発展の阻害要因となっており、今後も国土面積のわずか0・6%の沖縄に米軍専用施設の74%を集中させ続けることは不可能な状態です。
 このまま辺野古の埋め立てを強行するようであれば、県民の怒りは日米両政府、在沖米軍へ矛先が向かうことになります。
 沖縄県としては日本の安全保障は日本国民全体で考えるべきであることから、普天間飛行場の辺野古移設に反対し、県外移設することを求めております
 貴殿におかれましても、われわれの考えにご理解を賜り、ご協力をお願い申し上げます。」(太字は私)

 沖縄の基地が「日米の安全保障に貢献」してきたなど、いかにも「日米安保体制が重要だというのは十二分に理解している」(5日の菅官房長官との会談)という翁長氏らしい評価で、けっして賛同することはできませんが、その問題は別途考えるとして、ここでは重大な事実の歪曲を指摘しなければなりません。

 それは沖縄県が普天間基地の「県外移設」を求めていると言い切り、それへの「理解と協力」を求めていることです。
 いったいいつから普天間基地の「県外移設」が沖縄県の考えになったのでしょうか。

 翁長氏はこれまで再三にわたり、41全市町村長連名の「建白書」(2013年1月28日)が沖縄の民意だと言ってきました。「建白書」こそ「オール沖縄」の旗印のはずです。その「建白書」は、普天間基地について何と言っているでしょうか。

 「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」

 これが「建白書」です。「県外移設」と「県内移設断念」は、本土の人間には同じように聞こえるかもしれませんが、大変大きな違いがあります。「県外移設」とは、沖縄県以外の本土に基地を移せ、ということです。沖縄の運動において、この言葉をスローガンに掲げることは特別の意味を持ちます(桃原一彦氏「県外移設論の理解必要」2014年9月29日付沖縄タイムス参照)。

 「建白書」はその「県外移設」の立場ではありません。「県内移設を断念」せよ、とは、普天間の代替基地をどこにするかという「移設」論ではなく、無条件に閉鎖・撤去せよ、ということです。

 この違いは極めて重要です。先日も引用した沖縄タイムスの県民世論調査(21日付)の結果をもう一度紹介します。

 普天間飛行場について「どのような解決方法が望ましいと思いますか」という質問に対し、県民の答えはこうでした。
   名護市辺野古の新基地建設     18・7%
   県外への移設              18・3%
   国外への移設              25・6%
   無条件の閉鎖・撤去          32・4%
   その他・答えない             5・0%

 沖縄県民は「県外移設」と「無条件閉鎖・撤去」を区別したうえで、ダブルスコアに近い差で「無条件閉鎖・撤去」を選択しているのです。

 翁長氏が対米「書簡」で「県外移設」が沖縄県の意思であるかのように言うのは、「建白書」に反するだけでなく、県民多数の意思にも背くものです。

 さらにそれは、翁長氏自身の選挙公約にも反します。「建白書で大同団結し、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念、オスプレイ配備撤回を強く求める」(知事選政策「基本的な認識」)。これが翁長氏の公約だったからです。
 翁長氏の「建白書」「選挙公約」違反は、けっして許されるものではありません。それは辺野古新基地建設を阻止するこれからのたたかいにも重大な影響を及ぼします。

 同時に指摘しなければならないのは、こうした翁長氏の重大な誤りに対し、それを指摘する県政与党の議員・政党会派が皆無だということです。
 とりわけ問題なのは、日本共産党です。共産党は昨年の総選挙政策(11月26日発表)でも「普天間基地の無条件撤去を求めます」と明記したように、「無条件撤去」が党是です。本土へ基地を移す「県外移設」論の意味を熟知したうえで、それには絶対反対のはずです。「建白書」は「県外移設」ではなく「県内移設断念」だから共産党も賛成・賛美することができるのです。

 その重大なポイントである、「県外移設」を勝手に対米的に公言した翁長氏の暴走、独断専行に対し、共産党はなぜ一言も異議申し立てをしないのでしょうか。「建白書」や「選挙公約」に反する翁長氏の言動を、なぜ正そうとしないのでしょうか
 翁長氏自身はもちろん、翁長氏を無批判に賛美する共産党など翁長県政与党の姿勢、責任もきびしく問われなければなりません。

 


「辺野古世論調査」の2つの死角

2015年04月23日 | 沖縄・辺野古

         

 安倍首相と翁長沖縄県知事の会談(4月17日)直後、いくつかの新聞、テレビが、世論調査を発表しました。
 「普天間飛行場の辺野古移設についての安倍政権の対応」について、朝日新聞(21日付)では全国の55%が「評価しない」、毎日新聞(20日付)では53%が「反対」、沖縄タイムス(21日付、琉球放送と合同調査)では県民の72%が「評価しない」という結果です。
 辺野古新基地建設に反対する沖縄の民意を無視して工事を強行する安倍政権への批判が大きく、また前回調査よりも増えているのは当然です。

 しかし同時に、これらの世論調査には、世論をミスリードする重大な問題も含まれています。詳しく調査している「朝日」と沖縄タイムスの調査から、見逃すことができない“死角”を検証します。

 ①「朝日」はなぜ、普天間の「無条件封鎖・撤去」を聞かないのか

 「朝日」の調査で、「普天間の辺野古移設」への賛否は、全国で賛成30%に対し、反対41%(朝日は全国と沖縄と分けて調査しており、沖縄では賛成22%反対63%)。
 「反対」が多いことを明らかにしたうえで、「朝日」はこう聞いています。「普天間飛行場の移設問題を、どのように解決するのが最も望ましいと思いますか(択一)」。
 結果(全国)は、「沖縄県内に移設する」27%、「本土に移設する」15%、「国外に移設する」45%(沖縄県では順に、15%、20%、59%)です。

 この設問はきわめて問題だと言わざるを得ません。なぜなら、「普天間飛行場の移設問題」という前提で、移設先を選択させるのは、米軍と歴代政府の土俵に他ならないからです。「移設問題」だという前提に立てば、辺野古に代わる「移設先」が問われることになります。
 普天間基地は「移設問題」ではありません。世界一危険な基地は、無条件に撤去されるべきものです。世論調査でもその点が問われなければなりません。

 そこはさすがに沖縄タイムスです。同紙の調査では、「普天間飛行場の解決方法」として、「辺野古新基地建設」18・7%、「県外移設」18・3%、「国外移設」25・6%に対し、「無条件閉鎖・撤去」が32・4%と最も多いのです。これが沖縄の最大の民意です。それを覆い隠すような「世論調査」は、真の解決策を見えなくさせるものです。

 ②「翁長支持70%」の虚実―なぜ「取り消し・撤回」を聞かないのか

 「朝日」調査で「翁長知事を支持しますか」との質問に、70%の県民が「支持する」と答えています(回答は沖縄だけ)。また、沖縄タイムスの「翁長知事の姿勢を評価しますか」との問いには、72・1%が「評価する」と回答しています。
 これをもって、翁長氏が7割の県民から「支持」されているかのように言う向きがありますが、それはけっして正確ではありません。なぜなら、これらの調査にはいずれも、翁長氏の何を、どんな姿勢を「支持」するのかが明確にされていないからです。

 安倍首相や菅官房長官との会談でみせた翁長氏の姿勢には、2つの側面があります。
 1つは、沖縄に基地がおかれている不当性、差別性を歴史的に明らかにしながら、辺野古新基地を拒否する側面です。この面だけとり出せば、私でも「支持する」と答えます。

 しかし、翁長氏の姿勢には、もう1つの重大な側面があります。それは、辺野古で日々作業が強行されているにもかかわわず、「岩礁破砕許可の取り消し」「埋め立て承認の撤回」という「知事権限」をあくまでも行使しようとせず、政府と水面下の「話し合い」を進めようとしている側面です。

 翁長氏は22日、農水相に「審査請求に対する弁明書」を提出した後の記者会見で、「(農水相の)裁決までどれくらいかかるか分からない中で現場は工事が進む。裁決を待たずに知事が何らかのアクションを取ることはあるか」と質問され、こう答えました。「今それ(裁決が出る)までにどうだこうだというのは差し控えたい」(23日付琉球新報)。知事権限を行使しようとしない姿勢は変わっていません。

 辺野古の問題で翁長氏の評価を問うなら、この2つの側面の両方を問わねばなりません。しかし、「朝日」も沖縄タイムスも、他の調査も、事実上前者の面だけの評価を問う形になっています。その結果としての「翁長支持」は虚像にすぎないと言わざるを得ません。
 辺野古新基地反対の全国的な世論を高めていくことはもちろん重要です。しかしそのためにも、そしてなにより工事の進行を現実的に止めるためにも、翁長氏に「承認取り消し・撤回」という権限の行使を求めることは喫緊の課題です。

 「朝日」も沖縄タイムスも(地元紙なら特に)、他のメディアも、辺野古の世論調査には次の項目を加えるべきです。
 「辺野古新基地建設工事を止めるために、翁長知事は選挙で公約した『承認の取り消し・撤回』を早急に行うべきだという意見がありますが、あなたはそれに賛成ですか、反対ですか」


NHKスペシャル「日本人と象徴天皇」の“表と裏”

2015年04月21日 | 戦争・天皇

         

 NHKは18日、19日の2夜連続で、NHKスペシャル「日本人と象徴天皇」を放送しました。「戦後70年・ニッポンの肖像」企画の第1弾です。
 番組はいくつかの重要な歴史的事実を明らかにする一方、肝心な点はあえて触れようとしなかったり、隠そうとしました。その“表と裏”は―。

①昭和天皇の戦争責任回避と「象徴天皇の誕生」

 番組では1945年6月の米ギャラップ世論調査「戦後、天皇をどうすべきか」が紹介されました(写真中)。それは、「殺害する=36%」をトップに、圧倒的多数の米国民が昭和天皇の戦争責任追及を望んでいることを示すものでした。
 しかし、連合国軍総司令官マッカーサーは占領政策遂行のために昭和天皇の戦争責任を不問にし、「象徴天皇」として天皇制を残しました。
 番組は「新たに発見された資料」として、昭和天皇が側近に「極秘だ」として、マッカーサーから退位しないでほしいと言われた、と語ったという「稲田メモ」なるものを紹介しました。
 「象徴天皇」を国民に印象付ける「全国巡幸」も、GHQの指示だったとするなど、「象徴天皇」はその「誕生」から「定着」まで、一貫してマッカーサー・GHQの意向・指示だったとしました。
 その一方、昭和天皇(日本)が必死に戦争責任追及を回避しようとしたことには触れず、「(巡幸で)戦争の傷の深さを自覚した」(コメンテーター・保阪正康氏)、「(天皇は)国民の心を支えてくれる存在だった」(NHK司会者)などと昭和天皇を美化しました。

②昭和天皇とサ体制・「沖縄メッセージ」

 番組は、日本国憲法に「象徴天皇」が明記された後、マッカーサーが日本との早期単独講和を目指していた時、昭和天皇が芦田均外相(当時)を呼び、「日本としては結局アメリカと同調すべき」と指示した(「芦田日記」)こと、さらに、マッカーサーとの会見(1947年5月6日)で、「日本の安全保障を図るためには米国がイニシアチブを執ることを要するのでありまして、そのために元帥の御支援を期待しております」(「昭和天皇・マッカーサー会見」より)と述べたことを紹介しました。

 さらに番組は、昭和天皇がGHQに対し、「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する」とするメッセージ(「沖縄メッセージ」1947年9月20日付、写真右)を送ったことも紹介しました。

 こうした史実は、昭和天皇が憲法の「象徴天皇」の権限を逸脱し、政治・外交の根本問題に積極的に介入・指示していたことを示しています。それが今日の沖縄の軍事植民地状態を作り出したサンフランシスコ条約・日米安保体制の根源です。

 ところが番組は、「象徴」を逸脱した昭和天皇のこうした憲法違反には一言も触れず、さらに「天皇の沖縄メッセージ」についても、「長期租借という措置で日本に主権を残したという面もあり、難しい問題だ」(コメンテーター・御厨貴東大名誉教授)として、その売国的重大性を事実上免罪しました。

③天皇明仁への手放しの賛美

 昭和天皇については、否定できない事実を紹介しつつその評価をあいまいにする一方、現明仁天皇については、「沖縄に心を寄せ続けるという自らの誓いを実践されている」「イデオロギーや偏りが一切ない中立性をつくりあげた」(御厨氏)など、手放しで賛美しました。

 以上のように、NHKの「日本人と象徴天皇」が触れようとしなかった問題が、少なくとも2つあります。

 1つは、現在の「象徴天皇制」は、昭和天皇の戦争責任回避、さらに象徴を逸脱した日米軍事同盟路線推進の延長線上にあり、それらの問題と切り離すことはできないということです。
 とりわけ沖縄にとっては、今まさに焦点の辺野古新基地建設はじめ、米軍基地、日米軍事同盟の犠牲を差別的に負わされている現実が、「象徴天皇」の昭和天皇によってもたらされた事実をあいまいにすることはできません。
 保阪氏は現天皇を、「過去、現在、未来の連続性の中に自分を位置付けている」と賛美しましたが、それならなおさら、昭和天皇から引き継いだ「過去」の責任から逃げることは許されません。

 もう1つは、たとえ天皇明仁が主観的に「中立性」を保ちたいと考えているとしても、「象徴天皇」は常に国家権力が政治的に利用する対象だということです。その典型的な例が、2013年4月28日、安倍政権が沖縄県民の批判・抗議を無視して強行した「主権回復の日」式典に、天皇・皇后を出席させたことです。

 敗戦70年。「象徴天皇」の「過去・現在・未来」は、NHKとは別の視点から、私たち自身が考えなければならない問題です。


翁長知事「大義名分見えぬので反対させていただく」とは?

2015年04月18日 | 沖縄・辺野古

         

 安倍首相と翁長沖縄県知事の初めての会談が17日、首相官邸で行われました。「知事、強く対峙 決意揺るぎなく」(18日付琉球新報)、「民意背に『拒否』断言」(同沖縄タイムス)など、翁長氏賛美にあふれています。
 しかし、この日の翁長氏の発言を吟味すれば、評価できないどころか、菅官房長官との会談(5日)同様、ますます危険な方向へ向かっていると言わざるをえません。

 ①またしても“秘密会談”
 会談は約35分。公開されたのは冒頭の6分だけで、大半が菅氏との会談同様、非公開の“密室会談”となりました。ここで何が話されたのか。
 会談後の記者会見で翁長氏は、「それ(冒頭発言)を終わってからのやりとりは、ざっくばらんにいろいろ話し合いをさせてもらった」(18日付琉球新報)と述べました。内容の一部は会見で紹介されましたが、「ざっくばらん」な話し合いの全容は明らかにされていません。
 「県幹部によると、会談の事前調整で県は会談を全部公開するよう求めた」(18日付沖縄タイムス)といいますが、それならなぜ「非公開」で合意したのか。「ざっくばらん」な内容をすべて明らかにする必要があります。

 ②「造らせない」といいながら首相に「英断を期待」とは?
 翁長氏の「私は絶対に辺野古への新基地は造らせない」(配布された「冒頭発言」、琉球新報)という発言が大きく取り上げられています。ところが非公開の話し合いの中では、翁長は安倍首相にこう要求したと述べています。「辺野古への移設作業を中止するよう求めた。総理の英断を期待している、と」(琉球新報)。
 「英断を期待」するとは、どうか作業を中止(断念ではありません)してくださいと配慮を求めることです。それは「知事のあらゆる権限を行使して造らせない」(翁長氏の選挙公約)とはまったく違う姿勢です。安倍首相に「英断を期待」して辺野古新基地建設が阻止できるでしょうか。

 ③「造らせない」も“前提条件”付き
 しかも翁長氏の「造らせない」発言には、前置きがありました。それは、「このまま政府が地元県民の理解を得ることなしに、辺野古埋め立てを強行するようであれば」(「冒頭発言」)。
 新基地断固反対の民意は明白であり、その民意に背を向けて安倍政権が埋め立て作業を強行していることも天下周知のことです。にもかかわらず、いったい政府にどのような「地元県民の理解」を得よというのでしょうか。

 ④「大義名分が見えないから反対させてもらう」とは?
 「造らせない」に前提条件を付けた翁長氏の本音が、図らずも表れたのが、会談後の記者会見です。
 「きょうの会談を受け、今後の基地や辺野古への対応に何か変化はあるか」という記者の質問に、翁長氏はこう答えました。
 「私たちからすると、まだ大義名分も見えてこないので、やっぱり反対させていただくということは県民はじめ私もしっかり持っていると思う」(琉球新報)
 驚くべき発言です。「反対させていただく」という卑屈な姿勢もさることながら、「まだ大義名分も見えてこないので反対」だとはいったいどういうことでしょうか。それは、「大義名分」が見えてくれば「反対」は取り下げる、ということではないのですか。

 ⑤「話し合い」は「大義名分」を探すためなのか
 そもそも、翁長氏も安倍政権も、そしてすべてのメディアも、「話し合いが大切だ」といいますが、何を話し合うというのでしょうか。「話し合い」とは妥協点(落としどころ)をさぐるためのものです。たしかに、あくまでも新基地を建設しようとする側には、「妥協」の余地はあるでしょう。
 例えば、岡本行夫氏(元沖縄問題担当首相補佐官)は安倍・翁長会談後も、「政府は、辺野古移設は時限的なものだという展望も示すべきだ」(18日付朝日新聞)と、持論の「時限使用」論を、妥協点として提案しています。
 しかし、新基地は絶対造らせない側にどんな「妥協」がありうるでしょうか。ありえません。何年という期限をつけようが、日米地位協定「見直し」というアメを付けようが、基地使用料を付けようが、基地が新たに造られることに変わりはないのです。基地は造るか、造らせないかのどちらかです。
 だからもともと安倍政権との「話し合い」など無駄であり、必要ありません。まさに「あらゆる知事権限を行使して造らせない」以外にないのです。それこそが知事選の公約であり、県民の意思だったはずです。
 にもかかわらず、翁長氏が「権限行使」を避けて安倍政権との「話し合い」に固執するのは、「反対」の旗を降ろすための「大義名分」を探すためではないのでしょうか。

 ⑥知事選から5カ月。進んだのは埋め立て作業だけ。なぜ「錦の御旗」を引きずり降ろさないのか
 知事選挙(11月16日)からちょうど5カ月が過ぎました。このかん何が進展したでしょうか。進んだのは政府の埋め立て作業だけ、工事の既成事実化だけです。新基地を阻止するための権限行使を翁長氏は何も行っていません。
 安倍首相との会談で翁長氏は、「政府は・・・前知事が埋め立てを承認したことを錦の御旗として辺野古移設を進めている」と述べました。その通りです。ではなぜ翁長氏はその「錦の御旗」を引きずり降ろさないのでしょうか。埋め立て承認を、「瑕疵があれば取り消す。瑕疵がなくても撤回する」というのが選挙公約だったはずです。

 「妥協」の「大義名分」を探るような「話し合い」ではなく、知事権限を行使して直ちに「埋め立て承認」という「錦の御旗」を引きずり降ろす。それこそが翁長氏がやるべきこと、いや、翁長氏にやらせるべきことではないでしょうか。
 


菅氏との会談から10日、翁長知事は何をしたのか

2015年04月16日 | 沖縄・辺野古

      

 全国のメディアが大騒ぎした「菅官房長官・翁長沖縄県知事会談」(5日)からきのうで10日。この間、辺野古埋め立てへ向けた安倍政権・沖縄防衛局の工事作業は着々と進行しています。沖縄県民の声に耳を貸そうとしない安倍政権の強権ぶりがあらためて浮き彫りになっています。
 これに対し、新基地建設を阻止する市民の非暴力の運動も、厳しい状況の中で、連日続けられています。

 ところが、肝心の翁長知事は、菅氏との会談後、一体何をしたのでしょうか。何もしていません。「辺野古」に関することは、見解表明を含め、まったく何もしていないのです。何もしないどころか、明らかな後退姿勢が見られます。

 会談後の9日、防衛局の調査報告でも、同局が設置したコンクリートブロックによって94群体のサンゴが損傷していることが明らかになりました。深刻な事態は進行しているのです。
 これについて市民や環境団体からは、「県が岩礁破砕を取り消す根拠は十分ある。取り消しの段階に来ている」(ダイビングチーム・レインボーの牧志治代表、10日付琉球新報)と、早急に「岩礁破砕許可取り消し」を求める声が上がりました。

 しかし翁長氏はそうした声に耳を貸そうとはしませんでした。県が行ったのは、米軍に申し入れていた調査要求の回答はどうなっているか、外務省に照会しただけです(11日)。
 制限区域内での調査要求は3月11日に一度米軍から拒否されており、県は3月19日に外務省に改めて米軍との調整を求めていました。通常2週間程度で回答があるはずですが、いまだに米軍からの回答はありません。しかし県は、「米側の許可決定を一定期間待つ方針だ」(15日付琉球新報)と、拱手傍観の姿勢です。

 一方で、県のさらに驚くべき動きが報じられています。
 「調査のための制限区域内への立ち入り申請に対する米軍回答を待つ県は、許可が得られるか見通しが立たないとして、防衛局に大型コンクリートブロック周辺や、下部の写真撮影など詳細な調査を依頼する検討を始めた」(16日付沖縄タイムス)というのです。
 防衛局が投入したコンクリートブロックで破損したサンゴの状況を、防衛局に調べてもらおうというのです。これではまるで、犯罪者に犯罪捜査を頼むようなものです。

 なぜこんな戯画的なことが起こるのか。それは翁長知事が「承認取り消し・撤回」という知事権限をあくまでも行使しようとしないからです。

 翁長氏に一刻も早い「承認取り消し・撤回」を求める県内外の声はけっして小さくありません。
 例えば、沖縄の市民グループ「ニュー・ウェーブ・トゥ・ホープ」(宮島玲子・城間えり子共同代表)は、13日県庁を訪れ、「埋め立て承認撤回」の決断などを求める320枚のカード(2月集計分と合わせ計560枚)を提出し、翁長氏に「決断」を求めました(写真右)。
 宮島玲子さんは、「ぜひ知事にカード一枚一枚に目を通してもらい、一日でも早く承認撤回を表明してほしい」(14日付琉球新報)と訴えています。

 しかし、翁長氏はこれにも応えようとはしていません。翁長氏が明らかにしているのは、「5月の訪米」と、その前後に「安倍首相と会談したい」ということだけです。それまでは何もしないつもりでしょうか、これまでのように。
 何度も繰り返しますが、翁長氏が「承認撤回」しない限り、埋め立て工事は進行し、新基地建設の既成事実化は進んでしまうのです。

 「菅・翁長会談」は、「アメリカに向けた安倍政権のアリバイづくり」だと言われましたが、このままでは、「会談は有権者に向けた翁長氏のアリバイづくり」でもあった、と言わざるをえません。 


「在外被爆者アンケート」から見える植民地支配の歴史と現実

2015年04月14日 | 原爆・平和

          

 中国新聞(4月11日付)に、「被爆70年」に合わせて同社が行った「在外被爆者アンケート」の結果が特集記事とともに掲載されました(アンケートは昨年10月~今年2月、韓国と北米<アメリカ、カナダ>、南米<ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ>の計6カ国で実施、416人が回答。北朝鮮の被爆者は調査すらされていません)

 この中で、日本の在外被爆者援護策について、「行き届いている」という人は全体で12.3%しかなく、「ある程度評価できる」42.8%、「不足している」38.7%を合わせて81.5%の人が十分でないと指摘しています。不十分な点として最も多い(42.8%、複数回答)のが、「医療費補助の上限」です。
 こうして全体的に在外被爆者への対策の遅れ、日本の被爆者との差別的状況が示されていますが、とくに注目されるのは、韓国の被爆者と、北米・南米の被爆者の回答に、際立って違う点があることです。

                            韓国(191人) 全体(416人) 北米(181人) 南米(44人)
・この1年の健康状態・・・病気がち        74.3%    44.5%    18.2%   22.7%
・日本の在外被爆者援護策・・・不足している  55.0%    38.7%    26.5%   18.2%
・被爆体験を語ったり伝えたことがない     46.1%     34.4%    23.2%   29.5%
・「ない」理由(複数回答)・・・差別が心配    26.1%    19.6%      9.5%     7.7%
・原爆投下の是非(複数回答)
    ・・・日本が始めた戦争の結果である   42.9%    29.6%    19.9%   11.4%

 この結果から分かるのは、差別的に援護が遅れている在外被爆者の中でも、韓国の被爆者はとりわけきびしい状態に置かれていること。韓国の半数近くの被爆者はこれまで自らの被爆体験を語ったり伝えたりしたことがなく、その理由として「自分や家族への差別が心配」を挙げている人が多いこと。そして、原爆投下を日本の侵略戦争の結果ととらえている人が半数近くにのぼり際立って多いことです。ただし、原爆投下については、「どんな理由であれ投下すべきでなかった」という回答も、韓国被爆者が74.9%で北米(65.2%)や南米(61.4%)よりも多いことを見逃すことはできません。

 こうした韓国被爆者に特徴的な回答について、川野徳幸・広島大平和科学研究センター教授が記事でこう指摘しています。
 「北米や南米では、被爆体験は被爆の瞬間と、その後の苦労を重ねた70年間だろう。だが韓国の被爆者には、植民地支配という『前史』がある。8月6日あるいは8月9日が始まりではない。
 なぜ日本にいて被爆させられたのか、という問い。長い間、日本政府の無責任さと韓国政府の無関心のはざまで援護を受けられずにいた歴史的な背景。両方を踏まえてアンケートを読むべきだ」

 韓国原爆被害者協会の推定では、韓国人被爆者は広島で5万人、長崎で2万人。被爆死者(1945年末までに)は広島3万人、長崎1万人。帰国した被爆者は2万3000人、日本残留が7000人にのぼると言われています(高實康稔・長崎大名誉教授、『21世紀のグローバル・ファシズム』所在の論稿)。。
 しかし、日本政府も広島県・市も長崎県・市も本格的に朝鮮人被爆者の実態調査を行ったことがありません。

 朝鮮人被爆の事実が十分知られていないこと自体が問題ですが、「それにもまして問題なのは」として、高實氏はこう指摘します。
 「朝鮮人被爆者は日本の朝鮮侵略の犠牲者に他ならないという歴史認識が足りないことです。すなわち、朝鮮の植民地支配と強制連行政策の結果として、多数の朝鮮人が原爆被爆したという因果関係をまず深く認識する必要があります」(同書)

 高實氏は朝鮮人の強制連行は、「募集」「官斡旋」「国民徴用」の3段階で行われ、その背景には三菱重工などの軍需産業の要請があったことを指摘し、こう強調します。
 「軍需産業こそが朝鮮人の強制連行と原爆被爆を強いた元凶である」(同)

 日本政府も広島県・市も長崎県・市も朝鮮人被爆の実態を調査しようとしない中、私費を投じて調査し資料館まで造った故・岡正治氏(「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」代表。写真右は同会が建てた追悼碑)の言葉を、高實氏が紹介しています。

 「日本人被爆者は侵略戦争をした国の国民という立場を免れないが、朝鮮人被爆者には一切戦争責任がなく、原爆地獄にまで叩き込まれた完全な被害者である」(同)

 被曝70年、敗戦70年に、日本人一人ひとりが噛みしめなければならない言葉です。  
     


「辺野古新基地」で本土の日本人が考えるべきことは

2015年04月11日 | 沖縄・辺野古

         

 5日の菅官房長官と翁長沖縄県知事の会談に対し、本土の全国紙は、「国民全体で受け止めたい」(6日付朝日新聞社説)、「本土の人々の無関心にも向けられていた」(7日付毎日新聞社説)など、私たち本土の日本人の問題でもあると指摘しました。

 その通りです。ではいったい本土の日本人はどう「受け止め」るべきなのか。
 「沖縄からの苦言にとことん耳を傾けるところからやり直すべきだろう。そのためにまず、辺野古で進める作業を中止すること」(朝日社説、同)
 「辺野古移設の現行計画を白紙に戻し、米政府と再交渉すべきだと考えるが、政府にはまず移設作業を中断し、沖縄とよく話し合い、主張に耳を傾けること」(毎日社説、同)
 肝心な問題はどこにもなく、当たり障りのない「入口」論に終始しています。作業を中止・中断(取りやめではありません)して、何をどう「話し合い」、どう「再交渉」すべきなのか。

 一方、沖縄を永年取材しているというテレビキャスターは、現地からこう言いました。「沖縄の歴史を踏まえた思いやりが必要ではないか」(4日「報道特集」)

 本土の日本人に必要なのは、沖縄への「思いやり」(それこそ「上から目線」)でしょうか。そうではなく、私たち自身の問題として、自らの責任を果たすことでしょう。

 本土の日本人は、「辺野古新基地」問題で何を考え、どう行動すべきなのか。
 メディアが避けて通っているこの問題で、2人の識者の主張が注目されました。

 1人は寺島実郎氏(日本総合研究所理事長)(写真中)。寺島氏は那覇市の講演で、こう述べました。
 「辺野古は全体解の中でしか絶対解決しない。日本の米軍基地全体の使用目的と在り方を全面的に議論しないといけない」「日米安保の本質を考える時期にきている」(9日付沖縄タイムス)

 もう1人は、古関彰一氏(獨協大名誉教授)(写真右)です。
 
 「日本本土の『平和と安全』を守るための米軍基地が、沖縄にとっては『暴力と危険』をもたらしています。しかも、沖縄に過剰な負担を強いるその構図に、本土の側は無関心なままです。・・・沖縄を差別し、その声を無視し続けてきたという歴史認識を持った上で、日本の安全保障の在り方を根本から考え直すべきではないでしょうか」(10日付沖縄タイムス「識者インタビュー」)

 安倍政権が「辺野古が唯一の解決策」と繰り返す口実は、「日米同盟の抑止力」(5日の会談で菅氏)です。「辺野古新基地」はまさに日米軍事同盟(日米安保条約)による「日本の米軍基地全体」の一環です。
 その日米軍事同盟は、間もなく行われる「日米防衛協力指針(ガイドライン)」の改定によって、日米の軍事協力を「全く新たな水準に引き上げ、宇宙やサイバー空間など新たな領域に入っていく」(カーター米国防長官、6日の演説)まで深化されようとしています。

  「辺野古問題」で本土の日本人がやらねばならないことは、「日本の安全保障の在り方を根本から考え直す」ことです。そしてその結果として、アメリカに追従して「戦争をする国」になろうとしている日米軍事同盟(日米安保)を解消し、いかなる軍事同盟にも加わず、「平和的手段による安全保障」の道を歩むための一歩を踏み出すことではないでしょうか。
 日本のメディアが「辺野古」をどうすべきなのかで踏み込んだ主張ができないのは、いずれも「日米安保肯定」の立場に立っているからです。

 「日本国民全体で負担する中で、日本の安全保障や日米安保体制、日米同盟をしっかりやってほしい」(5日の会談で翁長氏)という日米軍事同盟・安保肯定論が何をもたらすのか。私たち自身の問題として考えねばなりません。


天皇皇后のパラオ訪問ー「戦争責任・謝罪」なき「追悼」

2015年04月09日 | 戦争・天皇

    

 天皇と皇后のパラオ訪問(8~9日)は、NHKが連日トップニュースで長時間報じているほか、報道ステーションなど民放でも大きく扱いました。その論調は例外なく、「両陛下のお気持ちを私たちもよく考える必要がある」(古館キャスター、写真左)など、「平和を願う慰霊の旅」として賛美・絶賛するものです。
 しかし、天皇・皇后のパラオ訪問は、はたしてそのように評価できるものでしょうか。美化された映像・報道の裏で、重大な問題が不問に付されていると言わざるをえません。

 天皇は8日の晩さん会でのスピーチでこう述べました。
 「先の戦争においては貴国を含むこの地域において日米の熾烈な戦闘が行なわれ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧めるなど、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした」

 日本軍はパラオ住民の「安全に配慮」したが「犠牲者」が出たのは「痛ましい」と、まるで他人事のようです。しかし、パラオ住民が犠牲になったのは、戦争に巻き込まれたからにほかなりません。その戦争の最高責任者は誰だったのか。言うまでもなく、現天皇の父である昭和天皇です。

 天皇はパラオの犠牲者を「日本軍約1万人、米軍約1700人」と述べましたが、住民の犠牲者の数には触れませんでした。犠牲になったのはもちろ兵士だけではありません。ペリリュー島とともに激戦地となったアンガウル島のもようは、こう記録されています。

 「もともとアンガウル島民は七五〇人ほどいた。このほかの住民として日本人二六〇〇人朝鮮人五〇〇人ほどが住んでいた。日本人はパラオ本島へ移され、島民の老人と婦女子も同様だった。健康な男子は軍夫として残されたのであり、それが約一八〇人ほどだったらしい」(『図説 玉砕の戦場』太平洋戦争研究会編、河出書房新社)
 パラオにいた「日本人」の中には多くの「沖縄人」がいました。

 昭和天皇と「パラオの激戦」との間には、たんに戦争の最高責任者であったというだけではない特別な関係がありました。中川州男ペリリュー島守備隊長以下日本軍の「徹底抗戦」の背景に、天皇の異例の“後押し”があったのです。

  「中川守備隊長は毎日、ペリリュー本島のパラオ地区集団司令部へ戦況を無線で報告した。それが大本営へ転電された。大本営はつとめてそれらを公表し、そのつど新聞紙上を飾った。太平洋戦争としては珍しく同時進行の大本営発表がおこなわれたわけである。
 ついには天皇も、『今日のペリリューはどうか』と側近に尋ねるほど、高い関心をもって見守られた。戦闘中に守備隊に対する“御嘉尚(ごかしょう)”は11回におよんだという。1回や2回というケースは少なくないが、11回とは異例だった。御嘉尚とは、『よくやった満足だ』という天皇のおほめの言葉である。こういう場合は万難を排して部隊に伝達されたのである」(前掲『図説 玉砕の戦場』)

 結果、膨大な死者を出しました。昭和天皇はペリリュー島の「徹底抗戦」を11回もほめちぎり、それに新聞も一役買って、日本全体の「戦意高揚」を図ったのです。

 天皇とパラオ住民の特別の関係はまだあります。
 パラオは、太平洋戦争敗戦までの約30年間、日本が統治し、「日本語」や「天皇制」の教育を行いました。
 「当時の日本語教育などは『未開な現地住民を文明化し、支配を受け入れるようにすること』が目的。『国民』にも日本人を『一等』とし、沖縄と朝鮮半島出身者を『二等』、現地住民を『三等』とする暗黙の了解があった」(8日付琉球新報)
 天皇制による「皇民化」政策は、パラオの現地住民を「三等国民」とする露骨な差別支配を行なっていたのです。「沖縄・朝鮮人」が「二等国民」とされていたことも忘れることはできません。
 今回の訪問で天皇・皇后はパラオの住民と「懇談」しました。しかし、現地住民の女性(83)は、「『私たちは一番下だから会えないんでしょう』と寂しそうにつぶやいた」(琉球新報、同)といいます。

 天皇・皇后のパラオ訪問が、まるで他人事のようになった根源は、実は出発前に天皇が行ったスピーチ(羽田空港)に表れていました。天皇はこう述べました。
 「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ人となった人たちが深く偲ばれます」
 耳を疑う発言です。南島で戦死した兵士は、「祖国を守る」ために戦地へ行ったのか。そうではありません。日本帝国主義の侵略戦争のために、その戦線を守るために派兵され、玉砕したのです。侵略戦争を「祖国防衛戦争」であったかのようにいい、戦争責任を棚上げすることは許されません。

 裕仁天皇の長男であり、父から「天皇制」について折に触れて教育を受けた明仁天皇が、天皇の侵略戦争の責任、現地住民や沖縄、朝鮮人への差別に目をそむけ、多大の犠牲を生じさせたことに「謝罪」の言葉もないまま、慰霊碑に供花しても、それは真の追悼とはいえないのではないでしょうか。