goo blog サービス終了のお知らせ 

アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日本政府の圧力はね返しドイツに新たな「平和少女像」

2025年03月08日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題
  「国際女性デー」の今日、ドイツに「平和の少女像」(モデルは帝国日本の戦時性奴隷=「慰安婦」)が2体、新たに設置されます(1日付ハンギョレ新聞)。

 1体は、2年前にヘッセン州・カッセル大学から当局によって撤去されたもの。2年ぶりに同大学近くの教会に再設置されます。
 もう1体は、ケルン市のナチス記録センター前に新たに設置されます。

 日本(人)とは関係ないように思われるかもしれませんが、そうではありません。なぜなら、ドイツにある「少女像」は各地で政府や自治体によって撤去の圧力を受けてきていますが、その背景には日本政府の撤去圧力があるからです。

「ベルリン(ミッテ区)に設置された少女像を含め、ドイツに建てられた少女像は、日本政府の圧力などで常に撤去の危機にさらされていた。そのため、少女像の設置をめぐって政府当局と闘ってきたドイツの市民団体にとって、今年に入って初めて建てられる2体の少女像の持つ意味は格別だ」(1日付ハンギョレ新聞日本語電子版)

 日本政府による「少女像」撤去圧力は、安倍晋三政権から岸田文雄政権に至るまで歴代自民党政権が執拗に行ってきました(2024年7月24日のブログ参照。写真はベルリン・ミッテ区に設置された「少女像」)。

 その不当な攻撃をはね返して設置をかちとってきている「少女像」は、ただ帝国日本の戦争犯罪だけを追及するものではありません。カッセルの再設置を勝ち取ったドイツ市民団体代表はこう話しています。

少女像は日本の戦争犯罪に限らず、すべての女性に対する暴力に反対する象徴だということを伝えるプロジェクトを、1年間教会と共におこなっていく」(同ハンギョレ新聞)

 自民党政権による「少女像」撤去圧力は、第1に、帝国日本の戦時性奴隷(「慰安婦」)の戦争犯罪隠ぺいを図るものです。安倍晋三首相(当時)が韓国・朴槿恵大統領(同)と強行した「慰安婦問題合意」(2015年12月28日)は、明文化されていませんが、以後「少女像」をどこにも建てさせない口頭合意が行われたとされています(「合意」を担当した当時の外相は岸田文雄氏)。

 「少女像」撤去圧力は第2に、戦争・軍隊における性暴力に反対する世界の市民への敵対です。それは沖縄で絶えることのない米軍による性暴力・性犯罪を野放しにしている日本政府の姿勢とけっして無関係ではありません。

 トランプ大統領はまた日米安保条約の「片務性」に不満を述べましたが(6日)、安保条約があるために沖縄を中心に全国に米軍基地が張り巡らされ(「全土基地方式」)、米軍による性暴力や騒音、水資源汚染など、日本市民は甚大な犠牲を日々被っています。

 「少女像」に対する自民党政権の一貫した攻撃は、こうした日米安保条約の害悪を隠ぺいして米軍基地を容認する自民党政権の対米追随ともけっして無関係ではありません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「戦時性奴隷訴訟」韓国高裁判決はなぜ画期的なのか

2023年11月25日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題
   

 帝国日本の戦時性奴隷(いわゆる「慰安婦」)の被害者・遺族ら16人が日本政府に謝罪・賠償を求めた訴訟で、ソウル高裁が23日、日本政府に1人当たり2億㌆(約2300万円)の慰謝料支払いを命じました。日本政府は裁判にも出席していないので、判決は確定する見通しです。

 原告被害者でご存命なのは李容沫(イ・ヨンス)さん(95)(写真左=ハンギョレ新聞電子版より)一人になっています。李容沫さんは判決が読み上げられると「車椅子からぱっと立ち上がった。両手を合わせて裁判長に向かってしきりに頭を下げ、涙を流した」(24日付ハンギョレ新聞日本語電子版)。

 この判決は、「歴史的・法的に意味が大きい」(ハンギョレ新聞「社説」)画期的な判決です。何が画期的なのでしょうか。

 最大の争点は、国際法の「主権免除」の解釈でした。「主権免除」とは、主権国家は外国の裁判権に服さないという「法理」です。日本政府はこれを盾に出廷すら拒否してきました。1審判決はそれを認め原告の訴えを却下しました。2審判決はそれを覆したのです。

「高裁は、原告らは誘引や拉致などで動員され、軍人との性行為を強要されたとし、当時の日本が加盟していた国際条約や日本刑法に反する不法行為だと指摘。ある国民が自国内で被った不法行為を巡っては、加害国の主権免除を認めない国際慣習法が存在するとの見解を示した」(24日付共同配信)

 ハンギョレ新聞はもっと具体的に報じています。

「二審は日本政府の行為の違法性も認めた。二審は「日本国の前身である日本帝国も日本国の現行憲法第98条2項に則り、日本国が締結した条約と国際法規を順守する義務がある」とし、「『陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ陸戦条約)』、『婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約』、『奴隷条約』、『強制労働に関する条約』などに違反している」と述べた。続けて「日本帝国の公務員が過去に刑法第226条で禁止する『国外移送目的の略取・誘引・売買』行為をおこなっただけでなく、日本帝国政府はこれを積極的に助長したりほう助したりした」と説明した」

 今回の判決の画期的な意味は、戦時性奴隷制度がさまざまな国際条約や国内法に違反する不法(違法)行為、政府の組織的犯罪行為であると断定したことです。それが韓国司法の結論です。

 原告弁護団は、「返還請求権の差し押さえ」ではなく「日本政府の直接の謝罪と責任ある賠償を求める」としています(24日付ハンギョレ新聞)。
 不法行為を犯し刑が確定すれば、償わねばならないのは当然です。日本政府は控訴しない以上直ちに判決に従って謝罪・賠償しなければなりません。

 李容沫さんは2審の結審(2020年11月11日)で証言し、最後にこう述べました。

日本は私たち被害者が生きているときに謝罪・賠償しなければ、永遠に戦犯国家として残るでしょう」(2020年11月12日付ハンギョレ新聞)。

 日本政府に謝罪・賠償させることは、戦犯国家・日本の「国民」である私たちの責任です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国連報告者が日韓「慰安婦」合意改正を勧告した意味

2023年09月18日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題
   

 15日の韓国ハンギョレ新聞(日本語電子版)が注目すべき記事を掲載しました。安倍晋三政権が戦時性奴隷(「慰安婦」)問題を棚上げするため韓国・パク・クネ(朴槿恵)政権(当時)と行った「慰安婦」合意(2015年12月28日)に対し、国連特別報告者が13日、「国際基準に則って改正することを勧告する」とした報告書を発表したのです(以下、記事から抜粋)。

< 国連の真実・正義・賠償・再発防止の促進に関する特別報告者のファビアン・サルビオリ氏(写真右)は、ジュネーブの国連事務所で開かれた第54回国連人権理事会会議で、韓国訪問報告書を発表した。サルビオリ氏は昨年6月8日から15日まで韓国を訪問し、慰安婦被害者など過去事に関連する人物や団体に会って意見を聞き、韓国の人権状況を調べた。

 サルビオリ氏は報告書で、「慰安婦」合意に関して、「国連人権機関は、この合意が国際人権基準に合わない点に懸念を表明し、被害者の観点を考慮するよう求めた経緯がある」とし「国連拷問防止委員会も、この合意が補償と賠償を提供できない点に憂慮を示した」と指摘した。さらに「第2次世界大戦における(日本軍)性奴隷制の生存被害者が、国際基準に則って真実・正義に符合する賠償と再発防止措置を保障されるよう、合意を改正することを勧告する」と明らかにした。>

 「慰安婦」合意は、安倍政権とパク・クネ政権の間で、被害者(サバイバー)の頭越しに行われた政治決着で、公式文書すら存在していません。安倍首相の下で実際に「合意」に動いたのは岸田文雄氏(当時外相)です。

 「合意」は日本の法的・政治的・道義的責任を完全に回避し、「10憶円提供」で決着を図ったもの。安倍政権はこれによって性奴隷問題を「最終的かつ不可逆的に」棚上げしようとしました。

 しかし、韓国では被害者自身はもちろん、支援する団体など広範な市民団体が批判し、「合意」廃棄の世論が高まっています。ユン・ソンニョル(尹錫悦)政権は世論に反し、「合意」に固執する日本政府と足並みをそろえています。

 そんな中での今回の国連特別報告者による勧告は、きわめて重要な意味を持ちます。とりわけ、「この合意が補償と賠償を提供できない点」が最大の問題だと指摘し、「国際基準に合わせて」改正するよう求めている点が注目されます。

 問題は日本です。サルビオリ氏の勧告は直接的には韓国政府に対するものですが、その内容が日本政府にも該当することは言うまでもありません。私たちはこのニュースを自分事と捉える必要があります。

 ところが日本のメディアは、このニュースを一切報じていません(もし見逃がしていればあまりにも小さな扱いだから)。この背景には、日本のメディア自身が、さらに与野党を含め、そろってこの「合意」を評価している問題があります。

 安倍政権の戦略に基づく「慰安婦」合意を評価・支持する政党、メディアは、その人権感覚が「国際基準」に達していないことを自覚・自省しなければなりません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドイツの大学から「少女像」を撤去させた日本政府の恥

2023年03月21日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題
   

 ドイツ中部のヘッセン州にあるカッセル大学が9日、戦時性奴隷(「日本軍慰安婦」)を象徴する「平和の少女像」を、夜陰に紛れて急きょ撤去した問題。18日付のハンギョレ新聞に「現地レポ」が掲載されました。的確に現地の状況と問題の本質を突いているので、長くなりますが、抜粋します(写真左・中も)。

< 日本軍性奴隷として連れられた素足の少女が消えた場所には、「自由が撤去された」「記憶をなくすことは加害者に勝利をもたらすこと」と書かれたプラカードが置かれているだけだった。

 世界女性デーの翌9日、ドイツ中部ヘッセン州カッセル市にあるカッセル大学は、学生の自治空間の前庭に設置された「平和の少女像」を奇襲撤去した。同大学の学生自治会が昨年7月、韓国およびドイツの市民団体であるコリア協議会に要請し、学生会館の前に建てた像だった。

 この少女像には「ヌジン」(NÛZÎN)という名前が付けられた。クルド語で「新しい人生」という意味だ。「慰安婦」被害者を象徴する少女像の名前をクルド語で付けた理由は、戦時性暴力が韓日両国関係を越える普遍的かつ国際的な人権と植民地主義の問題であることを強調して表示するためだった。

 15日午後4時、カッセル大学学生会館前の少女像があった空地で、カッセル大学の学生とドイツ市民ら100人が集まった。集会には、ドイツ左翼党に所属のハイデ・ショイヒパシュケビツ・ヘッセン州議会議員も参加し、「日本政府は、自分たちの植民地主義的な歴史を再確認したくないので、少女像がそこに建てられていることを好まなかった」として「大学は少女像を本来の場所に戻しておきなさい」といった。

 カッセル大学が学生との連絡・協議の代わりに奇襲撤去という「無理な方法」を取った背景には、現地の日本外交当局の圧力があったものと推定される。カッセル大学の元職・現職の学生自治会とコリア協議会の説明によれば、昨年7月8日に少女像が設置された後、日本の在フランクフルト総領事をはじめ、日本の右翼と市民らが大学総長と副総長など総長団に様々な方式で「少女像をなくせ」という荒々しい圧力を加えたとみられる

 カッセル大学の少女像の運命は、今後はどれだけ多くの学生と市民が存続を要求するかにかかっている。現地の市民と学生たちは「少女像守り」という名前で今後、毎週水曜日に少女像があった場所でデモを続ける計画だ。>

 日本の政府と右翼勢力の「荒々しい圧力」については、韓国で被害者支援の活動を続けている「正義記憶連帯」が10日、報道資料として次のように報告しました。

少女像が設置されてから3日後にドイツ・フランクフルトの日本総領事がカッセル大学総長と面会し、「少女像が反日感情を助長し、カッセル地域の平和を危険にさらす恐れがある」と主張し撤去を要請しており、その後も大学の業務に支障をきたすほど訪問を繰り返した。また、大学側は日本の極右勢力からの悪質な手紙とメールにも悩まされてきた」(13日付ハンギョレ新聞)

 ドイツの「少女像」に対する日本政府の撤去圧力はこれが初めてではありません。

 2020年9月、ミュンヘン市ミッテ区に「少女像」が設置されました。ドイツでは3基目ですが、公共の場に設置されたのは初めてです。日本政府(菅義偉政権)はあらゆるルートで繰り返し撤去の圧力をかけました。そのため区はいったんの「少女像」の撤去を決めました。
 これに対し、市民は裁判所に撤去命令無効の仮処分を申請し、同年12月、撤去決定をはね返して存続をかちとりました(写真右=ハンギョレ新聞より、2020年12月5日のブログ参照)。

 「現地ルポ」が伝えている通り、「少女像」はたんに日本の戦時性暴力を告発するだけでなく、現在も続く世界の戦時性暴力を許さず、平和を願う市民の思いを象徴するものです。

 それを目の敵にし、撤去させるために繰り返し政治的圧力をかける日本政府と右翼勢力。それは、たんに自民党政権の歴史改ざん策動であるだけでなく、暴力容認・人権無視の日本政府の国際的醜態を示すものにほかなりません。

 重大なのは、日本のメディアがこの問題をほとんど報じていないことです。そのため、一連の事実を知らない日本人は少なくないでしょう。
 日本の市民が当然知らなければならないことを知らせていない。それはメディアとしての根本的欠陥であり責任放棄です。結果、自民党政権の恥ずべき国際的暴挙に加担していることを、メディアは肝に銘じなければなりません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ウクライナ」の陰で「少女像」撤去要求した岸田首相

2022年05月19日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題
   
 4月28日、ドイツのショルツ首相が就任後初めて訪日した際、岸田文雄首相が会談で、ドイツの市民団体がベルリン市に設置した日本軍性奴隷(「慰安婦」)を象徴する「少女像」の撤去を要求していたことが分かりました。

 岸田・ショルツ会談については当時、「安保協議新設」「ロシアへの対抗措置」で合意(4月29日付中国新聞=共同)と報じられただけで、「少女像撤去」については明らかにされていませんでした。

 報じたのは11日付の産経新聞。
「岸田首相は…会談で「慰安婦像が引き続き設置されているのは残念だ。日本の立場とは全く違う」と伝え、像撤去への協力を求めた。首相が像撤去を直接要請するのは異例だ。政府関係者は「これまでもさまざまなレベルで撤去を働きかけてきたが、首相が伝えれば強いメッセージになる」と期待を寄せる」
 ただ、「会談で像撤去を訴えた首相に対し、ショルツ氏の反応は芳しいものではなかった」とも。

 日本軍性奴隷被害者の1人、イ・ヨンス(李容洙)さんは、17日までに共同通信や韓国メディアのインタビューに答え、「少女像」は「(史実を)記録するためにある」として、「岸田氏が4月、ドイツのショルツ首相にベルリン市の少女像の撤去を要請したことを非難」(18日付琉球新報=共同)しました。12日付ハンギョレ新聞が産経新聞の報道を紹介していました。

 ベルリン市ミッテ区の「少女像」(写真左)は、2020年9月28日に現地市民団体「コリア協議会」「ベルリン日本女性の集い」「ドイツ地域文化運動団体」などが協力して設置したもの。日本政府は設置直後から、菅義偉政権の加藤勝信官房長官(当時)、茂木敏充外相(同)らがドイツ政府・ベルリン市に撤去の圧力を加えました(2020年10月10日のブログ参照)。

 そのためミッテ区はいったん「撤去」の命令を下しましたが、市民団体がドイツ行政裁判所に提訴し(写真中)、区は改めて「存続」を決定した経緯があります。

 こうした経緯にもかかわらず、岸田首相が自ら撤去を要求したことは、自民党政権の執拗な歴史改ざん姿勢を示すものです(背景に安倍晋三氏の圧力があると推測されます)。

 しかも撤去要求が、「ウクライナ情勢」に乗じてドイツとの「安保連携強化」を確認した会談で行われたことは、特別の意味があると言えます。

 ロシアの「ウクライナ侵攻」に対し、岸田政権はアメリカなどNATO(北大西洋条約機構)諸国と足並みをそろえ、「国際法違反」「人道主義違反」などと批判していますが、旧日本軍の戦時性奴隷こそ「国際法」「人道主義」を踏みにじるものです。

 ベルリン市に「少女像」が設置されたのも、単に過去の歴史問題ではありません。

日本軍慰安婦問題は、国家主義や女性の身体に対する統制、民族浄化などの形を変えて絶えず起きている国家による性暴力の一例だ。少女像は文化的記念物ではなく、世界各地で行われている戦時性被害の証拠(である)」(「少女像」の除幕式に寄せられたドイツの女性人権団体「メディア・モンディアル」のメッセージ。2020年9月30日付ハンギョレ新聞)

 その「少女像」撤去へ首相自ら執拗に圧力をかけることは、日本政府(自民党政権)が口にする「自由・民主主義」「国際法・人道主義尊重」がいかにまやかしであるかを端的に示すものです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民「歴史戦」強調の中で「慰安婦・日韓合意」6年

2021年12月30日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題

    
 来年度予算案の閣議決定(24日)に先立ち、自民党は「予算編成大綱」を発表しました。その中に次のような記述があります。
「歴史戦」やALPS(東電福島原発―引用者)処理水の取扱いといった重要課題への対応を含め、わが国への理解と信頼を強固にするため、わが国の領土・主権・歴史等に関する情報収集や調査・研究を強化するとともに…戦略的対外発信を一層強化する

 予算編成方針で「歴史戦」が強調されるのはきわめて異例です。それは、「元慰安婦や元徴用工を巡る韓国との歴史問題を念頭に」(2日付共同配信記事)おいたものだと報じられています。

 この異例の「予算編成大綱」を作成した責任者は、政調会長の高市早苗氏です。
 日本軍性奴隷(「慰安婦」)や強制動員(「徴用工」)をめぐる歴史の隠ぺい・歪曲を図る「戦略的発信」の重視が自民党の来年度の方針なのです。

 そんな中で、12月28日を迎えました。6年前(2015年)のこの日、「慰安婦問題」をめぐる「日韓合意」が発表されました。日本側の当事者は、安倍晋三政権で外相を務めた岸田文雄現首相です(写真中)。

 韓国では元「慰安婦」のサバイバーが日本政府に謝罪と賠償を求めて提訴し、韓国の司法はサバイバーの訴えを認める判決を下しました。しかし、日本政府は法廷に出ることすらせず無視し続けています。その“根拠”にしているのが「日韓合意」です。

 「合意」の最大の問題は、日韓両政府の政治的思惑から、肝心の被害者・サバイバーを無視し、謝罪もなく、賠償でもないわずかな金で、「慰安婦」問題を「最終的かつ不可逆的に」なきものにしようとし、運動の象徴である「少女像」(写真左)の撤去まで要求したことです。戦時性暴力に反対する国際世論にも逆行する恥ずべき「合意」です。(2020年6月8日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20200608

 重要なのは、この問題に対する韓国市民と日本市民の受け止めの落差です。

 「合意」は安倍首相とパク・クネ(朴槿恵)大統領によってなされたものですが(写真右)、パク大統領は翌2016年10月、収賄事件で弾劾裁判にかけられ、17年2月に罷免されました。失脚の背景には、「日韓合意」に対するサバイバーや支援団体をはじめとする韓国市民の批判があったといわれています。

 一方日本では、自民党はもとより日本共産党を含む全ての政党、すべてのメディア、さらに「慰安婦問題」に取り組んできた一部の「識者」まで、「日韓合意」を支持しています。その結果、安倍氏はこの問題で責任を追及されることもなく、その後も政権の座に居座り、退陣後も岸田政権を操っています。

 一昨日の28日、韓国ではソウルの「少女像」の前で、複数の市民団体によって「日韓合意の破棄を求める抗議集会」が行われました。
「学生団体のメンバーらは「合意は、おばあさん(元慰安婦の女性ら)の意思とは無関係に、韓日政府が密室で結んだ拙速で売国的な合意だった」と批判。別の団体も「韓日合意を破棄せよ」とシュプレヒコールを上げた」(29日付琉球新報=共同)

 日本はどうでしょうか。どれほどの日本市民が「日韓合意」の問題点を、その存在自体を知っているでしょうか。

 帝国日本の戦時性奴隷制度の犯罪的歴史にほうかむりし、安倍晋三元首相をはじめとする歴史修正主義者らの「歴史戦」を許しているのは、与野党の政治家、メディア、そして日本市民自身であることを直視する必要があります。

2021年の「アリの一言」は今日までです。お読みいただき、ありがとうございました。
 2022年も、1日1日を大切にし、自分のできることをやっていこうと思っています。
 今後とも、よろしくお願いいたします。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南京事件と戦時性暴力と沖縄

2021年12月14日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題

     

 日本帝国陸軍による南京事件(1937年12月13日の南京陥落前から翌年まで)で特筆すべきは30万人以上ともいわれる大量虐殺とともに、膨大な性暴力(強姦)が行われたことです。

 南京事件で市民の保護に活動したジョン・ラーベ(ドイツ・シーメンス社中国駐在員)は、中国本社宛ての書簡で、「日本軍部隊は南京で数週間にわたり掠奪を繰り返し、およそ二万人の婦女子を強姦」したと報告しています(吉見義明氏「南京事件前後における軍慰安所の設置と運営」、『現代歴史学と南京事件』笠原十九司・吉田裕編・柏書房2006年所収)。

 こうした事態に対し日本軍なりの“対策”として打ち出したのが、「軍慰安所」すなわち戦時性奴隷制度の本格展開でした。
「このような不法行為(掠奪・強姦など―引用者)に慌てた中支那方面軍の指示により、「軍慰安婦」制度(軍性奴隷制度)が、1937年12月から、本格的につくりはじめられた」(吉見氏、写真左は1938年1月に南京につくられた「慰安所」、前掲書より))

 南京陥落直前の同年12月11日、中支那方面軍は上海派遣軍に「軍慰安所」つくるよう指示。19日、上海派遣軍は「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼」(南京戦史編集委員会『南京戦史資料集』偕行社1989年)。その方面に詳しいと見られていた参謀部第二課の長勇中佐にその段取りを任せました(以上、吉見氏前掲論稿より)。

 長勇とは言うまでもなく、沖縄第32軍の参謀長。牛島満司令官につぐナンバー2だった人物です(写真中)。長は沖縄着任(1944年7月)後、さっそく「慰安所」の設置にとりかかりました。

「日本軍は沖縄県知事・泉守紀(島田叡の前任知事―引用者)に対して兵隊のために慰安所を新設するよう要請するが、知事は軍の申し入れを拒否した。沖縄人や「慰安婦」をさげすむ日本軍の身勝手なふるまいに、知事は不快感を示していたのだ。
 反撃に出た日本軍副官は遊郭の女性たちを集めて兵隊の志気を鼓舞するよう命じ、結果的に500人ほどの遊女が慰安所に送られたという」(宮城晴美氏「軍事的に支配された沖縄女性の「性」」、『沖縄にみる性暴力と軍事主義』御茶の水書房2017年所収)

 結果、沖縄には約130の「慰安所」がつくられ、強制連行された朝鮮人や遊郭の女性が性奴隷とされ、国体(天皇制)護持の「捨て石作戦」に巻き込まれました(写真右は宮古島の「慰安所」跡に建てられた「アリランの碑」)。

 軍が「慰安所」をつくった目的の1つは、強姦の防止でしたが、それは達成されないどころか、逆効果でした。

「軍慰安所開設後も強姦等はなくならなかった。松井石根中支那方面軍司令官は1938年2月7日になっても「軍の諸不始末」、つまり掠奪・強姦・放火などの防止について注意する訓示を各部隊長に対してしなければならないほどであった」
「強姦がなくならない原因をみると、軍慰安所制度をつくるなど、将兵の性欲・欲望を肥大化させたため、軍紀風紀が乱れていったという問題が考えられる」(吉見氏、前掲論稿)

 戦争と戦時性暴力は一体不可分です。軍がつくった性奴隷(「慰安婦」)制度は、戦場での性暴力に拍車をかけました。帝国日本軍は侵略した東アジア各地でその加害行為を繰り返しました。日本国内では地上戦の戦場となった沖縄で住民と朝鮮人女性が犠牲になりました。

 その歴史は、米軍基地が集中する沖縄で、軍隊による性暴力事件が絶えない現実として、今に繋がっています。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇裕仁を叱った朝鮮人元「日本軍性奴隷」ぺ・ポンギさん

2021年11月23日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題

     

 帝国日本軍の性奴隷(「慰安婦」)の存在が日本で広く知られるようになったのは、韓国のキム・ハクスン(金学順)さんが実名で名乗り出た記者会見(1991年8月14日)からですが、その16年前の1975年、すでに朝鮮人性奴隷の存在が明らかになっていました。沖縄のペ・ポンギ(裴奉奇)さん(1914~91)です(写真左。写真右はぺさんの遺品=wam発行『軍隊は女性を守らない』より)。

 今年はぺさんの30年忌にあたり、沖縄では20日、追悼シンポジウム(沖縄恨之碑の会主催)が開催されました。それに先立ち、琉球新報、沖縄タイムスで追悼の連載、論稿が掲載されました。いずれも重要な論稿ですが、それらが触れていないことで、ぺさんを追悼する上で欠かせないことを、3点書きます。

 第1に、ぺさんが天皇裕仁を厳しく叱責(批判)していたことです。

 日本政府・軍によって性奴隷にされたぺさんは、戦後も沖縄で貧困と差別の塗炭の苦しみの中で生きざるをえませんでした。そんなぺさんに救いの手を指し述べたのが、朝鮮総連沖縄本部のキム・ヒョノク(金賢玉)さん(写真中の右。左はぺさん)、キム・スソプ(金洙燮)さん夫婦でした。

 キム・ヒョノクさんの回想によれば、ぺさんは天皇裕仁の死(1989年1月7日)を聞いたとき、「いっぺんに怒って」、こう言いました。「なんで謝りもせんで逝きよったんか
「どうすればよかったの?」「そりゃあ謝ってほしいさ」。「謝ってどうするの?」「補償もせんといかんよ」(キム・ヒョノクさんの証言映像=在日本朝鮮人人権協会制作より)

 日本軍性奴隷制度の最大の責任者は天皇裕仁です。しかしその責任は隠ぺいされてきました。2000年に故松井やよりさんらが中心となって市民による「女性国際戦犯法廷」が東京で開かれ、翌年裕仁に「有罪判決」が下されました。安倍晋三官房副長官(当時)らはNHKへ圧力をかけそのドキュメント番組を妨害しました。今に至っても天皇裕仁の責任は棚上げされたままです。

 性奴隷のサバイバーだったぺさんが、「戦犯法廷」から25年も前に裕仁に怒りをぶつけていた事実は記録に残される必要があります。

 第2に、ぺさんが名乗り出ざるを得なかった理由です。

 ぺさんはキム・ハクスンさんと違い、日本政府を告発するために自らすすんで名乗り出たわけではありません。特別在留許可を得るためにやむをえず行ったことです。それはサンフランシスコ「講和」条約(1951年)締結に伴って在日朝鮮人が「外国人」とされ、憲法上の諸権利をはく奪されたからです。

 在日朝鮮人に対するこの不当な差別政策の元凶は、天皇裕仁が最後の勅令として発した「外国人登録令」(憲法施行前日の1947年5月2日)です。この点でも裕仁の責任はきわめて重大です。

 第3に、名乗り出たぺさんの存在がほとんど無視されたのはなぜかという問題です。

 ぺさんが名乗り出ても、日本はもちろん、韓国でもほとんど無視されました。なぜか。それはぺさんの告白が最初に掲載されたのが、朝鮮総連系とされる「朝鮮新報」だったからだと言われています(2013年6月の沖縄シンポジウムでの金美恵さんの話)

 そうだとすれば、そこにも日本の植民地支配を根源とする「南北対立」が反映していたことになります。この点は事実関係を含め、さらに究明される必要があります。

<訂正>22日の「ヘイト企業「フジ住宅」断罪判決とその限界」で、第2次安倍政権の発足を「2013年12月」と書きましたが、「2012年12月」の誤りでした。申し訳ありません。(22日午後5時修正)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記168・中村敦夫さんの手紙「楽しい俗世との闘い」

2021年10月24日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題

☆中村敦夫さんの手紙「楽しい俗世との闘い」

 俳優で作家、演出家、そして環境活動家の中村敦夫さん(「木枯らし紋次郎」)(81)とは、夕刊紙の記者時代、中村さんが参院選に出馬する際に知り合った。もう20年以上前になる。

 意気投合し、今日まで年に数回手紙を交換するお付き合いをさせていただいている。先日、中村さんの記事が中国新聞(9月27日付=共同)に載った感想に、手術・治療のことを付記して送ったら、さっそく返信を頂戴した。その一部―。

< 私自身、自分の晩年を、「戦場の散歩」と呼んでいます。どこから弾が飛んでくるか分からない時間に入っているからです。

仏教では、生死は同一のものであり、人間は「空」の世界を泳いでいるに過ぎません。
最終的には、すべて「空」が引き受けてくれるわけですから、人間は気楽なもんです。

一番楽しいのは、俗世の悪と闘い続けることです。結果なぞ気にすることなく、毎日、ぬけぬけと進めば楽しい限りでしょう。人生、最高のゲームだと思います。>

 その言葉通り、中村さんは俗世の悪と闘い続けている。メディアへの出演の他、東電原発事故を告発する一人朗読劇「線量計が鳴る」(作・出演)を5年前から始め、全国で公演してきた(上演100回を目前にコロナで中断)。

 先月は、俳人・杉田久女の生涯を描いた俳句朗読劇「翔べ久女よ!天空の果てまで」を制作し、久女ゆかりの北九州市で、女優の中井貴恵さんと二人舞台で演じ、「近代俳句における家元制度」を告発した。

 中村さんは「気楽なもんです」と言うが、その闘いは自らにはたいへん厳しい。無所属で参院議員になり、「盗聴法」などの悪法に孤軍奮闘で立ち向かい、「環境会議」を立ち上げたときから、その生きざまを見てきた。

 手紙は、重くならないように配慮されながら、同時に、珠玉の真理に貫かれていると思う。「生死は同一」「すべては「空(くう)」が引き受けてくれる」「毎日、ぬけぬけと進めば楽しい限り」

 心が軽くなった。生ある限り「俗世の悪」と楽しく闘い続けよう、ぬけぬけと。

☆一喜一憂せず(抗がん剤治療13日目)

 1週間目くらいから倦怠感、胃のむかつきが出てきた。それがきのうあたりから軽くなってきた。「必ず出る」と言われた手足のシビレ、皮膚の荒れはまだ出ていない。なにより、むかつきが吐き気までには至らず、ものが食べられていることで助かっている。

 副作用の表れ方には個人差があるようだ。一喜一憂せず、自然体を心掛けよう。

 きのう治療開始後初の通院で血液検査したが、異常なかった。ほっとした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「8・14」で日本人が忘れてならない2つのこと

2021年08月14日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題

    

 8月には「記念日」がいくつかあります。「8・6」「8・9」「8・15」。しかし、これらと同じように、いいえこれら以上に、日本人にとって重要な「記念日」があります。それは「8・14」です。その意味は2つあります。

①「敗戦記念日」

  「敗戦(終戦)記念日」といえば「8・15」と思っている(思わされている)日本人が多いですが、それは危険な誤りです。「8・15」は天皇裕仁が「終戦詔書」を読み上げた日にすぎません(「玉音放送」)。それを「終戦の日」とするのは、「国体」(天皇制)温存と裕仁の戦争責任の隠ぺいという国家権力の2つの思惑のためです(2020年8月15日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20200815)

 日本がポツダム宣言を受諾し世界に通知したのは1945年8月14日です。「8・14」こそ、日本帝国主義の侵略戦争・植民地支配が破綻した日として記憶すべき日です。

②「日本軍「慰安婦」告発の日」

 「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私が、こうしてぴんぴん生きている」

 日本軍「慰安婦」(戦時性奴隷)の被害者・金学順(キム・ハクスン)さんがソウルで記者会見し、初めて実名で名乗り出て日本政府を告発した日、それが30年前、1991年8月14日です(写真左、中)。

 ハクスンさんの勇気ある告発を契機に、韓国、中国、フィリピン、台湾、東チモール、マレーシア、インドネシア、オランダ、そして日本から性奴隷の被害者が相次いで名乗り出ました。

 ハクスンさんの告発は、日本軍「慰安婦」の事実を白日の下にするとともに、世界中の戦時性暴力とのたたかいの発端になった、まさに歴史的な出来事でした。「8・14」はその重要な記念日です(写真右はソウルの「平和の少女像」前で開かれた先週の水曜デモ=ハンギョレ新聞より)。

 ハクスンさんは名乗り出たいきさつをこう話しています。

「1990年ごろ、日本政府が「慰安婦」を連れ歩いたのは民間業者だと言っているというニュースを聞いて、私がここに生きているのに、なんでこんなことを言うのか、日本の政府はウソを言っていると思いました。私はそれを許すことができませんでした。私はとにかく日本政府に事実を認めさせなければいけないと思いました。

 私はこの時、朝鮮を植民地として支配をし、日本が起こした戦争に朝鮮人を引っ張っていき、巻き込んでおきながら、その責任をとらないということは、私は許されないと思いました」(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動のチラシより)

 ハクスンさんの告発のきっかけは、「日本政府のウソ」だったのです。

 ハクスンさんはその年の12月、日本政府を相手に裁判を起こします。その時の記者会見ではこう述べています。

一生、涙のなかで生きてきました。こんなことを金で補償できるでしょうか。私を17歳のときに戻してください」(『「慰安婦」問題と未来の責任』大月書店2017年より)

 日本軍「慰安婦」問題の核心が、被害者の尊厳回復であることを、この言葉が端的に示しているのではないでしょうか。

 それから30年。日本社会はハクスンさんの告発を正面から受け止めてきたでしょうか。

 「日本政府のウソ」は改まるどころか、安倍晋三政権以降エスカレートする一方です。日本人はどれだけこの問題を自分のことと受け止め、政府の過ちを批判してきたでしょうか。

 「敗戦の日」と「日本軍「慰安婦」告発の日」。これが同じ「8・14」なのはたんなる偶然ではない気がします。この日を、日本人が自分の国の侵略戦争・植民地支配の歴史に向き合い、加害の責任を償う決意を新たにする「記念日」にしたいものです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする