アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

郷土の誇り・大田堯さんと「子ども図書館」

2014年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

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 大田堯(たかし)さん(96)といえば、「日本子どもを守る会」の会長を務めるなど、民主教育の先駆者として知られています。その大田さんが、同じ広島県三原市の出身だと知って驚きました(埼玉県在住)。三原は保守的な小さな市ですから。

さらに大田さんが私財を提供して造った子どもたちのための図書館が三原市内にあると聞いてまたびっくり。行ってみなければと思っていましたが、先日やっと実現できました。

 JR山陽本線三原駅の隣、本郷駅の真向かいにある「ほんごう子ども図書館」です。地元産の木材を使い、外観も内部も木のぬくもりに包まれた心落ち着く空間です(敷地60坪、建物40坪)。土地は大田さんの提供です。(写真右は館内に飾られた大田さんの写真)
 図書は絵本中心に約6000冊。公設民営という全国でも珍しい形態で、会員の会費と市の補助で運営され、スタッフはすべてボランティアです。

 ここはただ本を読むだけではありません。「定期おはなし会」はじめ、ミニコンサートなど催しも多彩。普通の図書館は静かさを求められますが、ここは母親たちの会話、子どもたちのはしゃぐ声もオーケー。親と子のたまり場なのです。
 「学校帰りの子どもたちが立ち寄って宿題をしていきますよ」と、この日受付当番の森恵子さんが笑顔で教えてくれました。

 設立は2001年7月。今年で13年です。創設の動機は、「IT革命」の中で子どもたちが「遊び」を奪われていくことへの大田さんの危機感でした。

「遊びの喪失は、人が人として育つ源泉を断たれたに等しいものだ。『子ども虐待』『いじめ』『学級崩壊』『学力低下』、思春期の『問題行動』は、遊びを奪われている子どもたちの悲鳴のように、私には思える」

 「子どもたちを自然の中で遊ばせたい」と、大田さんは図書館の近くに「冒険の広場」(子どもたちが「なんじゃもんじゃ」と命名)も設けました。

さらに、大田さんは中国東北部山地の興隆市に同様の子ども図書館を提供しました。ここは日中戦争で日本軍が「三光作戦」によって壊滅的な被害を与えた地域です。

大田さんはこれまで何度か沖縄を訪れ、鉄血勤皇隊(沖縄師範学校)の歴史などから、戦前戦中の「皇国教学」の問題性を指摘しています。
 また、日本帝国の植民地に対する「同化政策」を「魂を奪い取るたくらみ」だと厳しく指弾しています。

 いまちょうど「大田堯自撰集成」(全4巻、藤原書店)が順次発行されています。その「あとがき」で大田さんはこう書いています。

「私が『自撰集成』の発刊を決意したのは、与党多数、第二次安倍政権成立が明らかとなって以来の危機感によるものです。…上からの同化、同調を受け入れ、政権を下支えする国民(ピープル)一般の教育の観念を何とかしなくてはという、自戒を込めた思いです」

 子どもたちとふるさとに注ぐ温かいまなざし。権力者への妥協のない厳しい視線。 郷土の素晴らしい先輩に少しでもつながりたいと、さっそく会員に加えていただきました。

 <気になるニュース>

 「拉致再調査」…「大誤報」の責任は?


安倍首相は29日、北朝鮮が拉致問題の再調査を約束したと発表しました。今後の推移が注目されます。
 ところで、その1日前、28日のテレビニュースや29日の朝刊では、すべての大手メディアが「拉致問題再調査、日朝合意できず」と報じました。まるで逆だったわけです。大誤報です。

 翌日には各メディアは何もなかったように「再調査合意」を大々的に伝えたわけですが、大誤報の責任はどう考えているのでしょうか。

誤報の原因は、政府・外務省のリークをそのまま報道したことです。つまり政府の情報操作に踊らされたのです。


 政府・権力はこうして平気でウソをつき、メディアを操るのだということを、改めて肝に銘じなけばなりません。


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広島大「慰安婦」授業への「産経」攻撃に危機感

2014年05月29日 | 天皇制と戦争

HpPhoto 広島大学でいま、重大な事態が起こっています。
 「従軍慰安婦」(性奴隷)にかかわる授業に対し、産経新聞が攻撃を加えてきたのです。

 28日には学問の自由と大学の自治を守るため、同校の教職員組合主催の緊急集会が開かれました(残念ながら行くことはできませんでした)。

 ことの発端は今月21日付の産経新聞1面連載記事(写真右)です。それは、「いつから日本の大学は韓国の政治的主張の発信基地に成り下がってしまったのか」という、「広島大学で韓国籍の男性准教授の講義を受けた男子学生(19)」の言葉で始まります。

 4月28日の同准教授の「演劇と映画」と題する講義で、元「慰安婦」の証言をもとにした韓国のドキュメンタリー映画「終わらない戦争」が教材にされたことに、男子学生が不快感をもったという記事です。

 記事はその男子学生の感想を唯一の「ニュースソース」とし、「映像を見せられた」「観賞するしかなかった」などと、まるで学生たちがいやいや映画を押し付けられたように描いて授業に干渉し、准教授を攻撃するもので、きわめて稚拙で政治的なものです。

 しかしこの記事によって、広島大には「抗議の電話」が殺到。国会では日本維新の会の衆院議員が文科省に見解を求め、「在特会」は同准教授の「講義阻止」を広言しているといいます。

 一方、日本科学者会議広島支部幹事会は23日、「『産経新聞』報道を契機とする言論への圧力を許さず、学問の自由を守ろう」と題する声明を発表しました。

 声明はこう指摘しています。
 「かつてドイツでは、政権獲得前のナチス党が、その青年組織に告発させる形で意に沿わない学説をもつ大学教授をつるし上げさせ、言論を委縮させていった歴史がある。その忌まわしい歴史を彷彿とさせる本件にたいして、われわれが拱手傍観しているようなことがあれば、特定の政治的主張をもつ報道機関がその意に沿わない講義のひとつひとつを論評し、特定の政治的主張をもつ外部のものが大学教育に介入してくるきっかけを与えることになる」

 そして声明は、広島大当局に「毅然とした姿勢」をとること求めるとともに、「広島大学内外のすべての大学人」に、「ともに学問の自由を守る行動をとるよう」訴えています。

 以上のような経過自体問題ですが、私がさらに危機感を持つのは、この重大事態に対し、NHKなど放送メディアはもとより、中国新聞までが、一切報道していないことです。
 報道の価値なしとの判断なら、その鈍感さは致命的であり、もしもそれが同じ報道機関としての「遠慮」「かばいあい」だとすれば、ことはさらに重大です。

 声明の指摘をまつまでもなく、言論・学問の自由への攻撃は、戦争への道です。「従軍慰安婦」の歴史の歪曲とも合わせ、大学人のみならず、絶対に拱手傍観してはならない事態です。


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広島から沖縄へ―小冊子が問う「平和とは?」

2014年05月27日 | 国家と戦争

PhotoPhoto_2 「福山ばら祭」の一環として、「一箱古本市」が17日、市内の繁華街でありました。
 古本市自体は出店も少なく、期待外れでしたが、1冊、興味深い本を見つけました。

 「ヒロシマ モナムール」と題したB6版41㌻の小冊子(500円)です。表紙に「広島に住み、広島を愛するひとの、平和な瞬間と想い」とあります。

 出版したのは「しおまち書房」という、自費出版(リトルプレス)やコンテンツ制作など「『言葉と表現』を設計する小さな事務所」(同冊子)。
 編集者の久保浩志さん(46、写真左)は、こう記しています。「この本には声高な主張はありませんが、さまざまな影を今でも落とし続ける惨禍があった『広島』という街で、普通に過ごしていることの大切さを、再認識して、発信したかったのです」

 6歳から69歳までの広島在住者が、「日常生活の中で『平和』を感じる瞬間」をダンボール・アートで描いたものが紹介されています。
 「平和」とは? 「みんなを あいする こと」(6歳、女性)、「すきなものを もつこと」(69歳、男性)

 この中に、久保さん自身が描いたアートがあります。右の写真です。「あたりまえに きづくこと」。その説明文を読んで驚きました。この花と蝶の場所は、なんと沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」の庭だというのです。

 久保さんは「3・11」をきっかけに初めて沖縄を訪れることを思い立ちました。2泊3日、レンタカーで読谷の戦跡から摩文仁へ。「資料館」に展示された遺品に衝撃を受けました。

 「資料館を出ました。夏の沖縄です。晴天がまぶしい。そして、目の前に美しい花壇がありました。近づくと、偶然にも、つがいの蝶が飛んでいました。花壇のある場所の地下、ほの暗い洞窟で命を落として行った生徒たち。こんな美しい景色を彼女たちは見ることができなかったのだろう・・・ふと思いました。すべての人が日常の中にじぶんの大切な風景を見つけ、それをいとおしく思うなら、きっと争うことの意味はなくなる。そのことを願ってやみません」(同冊子)

 花壇の静かさは、けっして沖縄の「日常」ではありません。沖縄は「あたりまえ」の状態には置かれていません。
 でも、「3・11」で沖縄を初めて訪れ、戦跡をめぐり、花壇の下に眠る「ひめゆり学徒隊」に想いを馳せた久保さんに、同じく「3・11」を契機に沖縄移住を決めた者として、親近感と尊敬の念を禁じえませんでした。

 「平和とは何か?」。それをキーワードに、広島と沖縄を結ぼうとしている人が、ここにもいたのです。

 <注目のニュース>

 歴史的な「樋口判決」

 関西電力大飯原発運転差し止め判決(21日、福井地裁、樋口英明裁判長)の意義については改めて言うまでもありませんが、判決文自体の格調の高さは特筆すべきです。例えば--。

 「原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。
 自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範囲に奪われる事態を招く可能性があるのは、原発事故以外に想定しにくい。
 原子力発電技術の危険性の本質と被害の大きさは、福島原発事故で明らかになった。
 具体的危険性が万が一でもあるかが判断の対象とされるべきで、福島原発事故後に、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するのに等しい」

 原発問題にとどまらず、憲法とは何か、司法とは何かを考えさせる、画期的な判決文です。
 かつて自衛隊を違憲と断じた歴史的な「伊達判決」のように、「樋口判決」として歴史に残すべきです。
 まだ読んでいない人は22日付各紙掲載の要旨をぜひ。


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「美味しんぼ」から考えるべきこと

2014年05月24日 | 被ばく

PhotoPhoto_2 生まれて初めて「ビックコミックスピリッツ」(6月2日号)を買いました。「美味しんぼ」の「福島の真実」編を読むのはこの最終回が最初で最後です。
 したがって作品全体の評価はできません。ただ、最終回と同時掲載された13人の識者・専門家の賛否両論、3自治体の批判を読んでの感想です。

 「鼻血」と被ばくの因果関係についての見解は分かれても、一致点も少なくないと思いました。
 ①「福島」を一色に描くのでなく、地域を区別し特徴を見る必要がある。
 ②内部被曝については未だ解明されていないことが多く、確定的なことは言えない。
 ③健康被害調査はじめ実態の調査・解明こそ政府の責任。
 ④政府の「問題なし」には、原発再稼働、被災者補償軽減、東京五輪開催の思惑がある。
 ⑤自主的避難者に対して、国の責任で支援する必要がある。

 13人の識者の投稿の中で、特に印象に残ったのは、青木理さん(ジャーナリスト)の言葉です。
 「問題の本質が原発事故にあることを忘れてはいけない。未曾有の巨大人災が撒き散らした悪影響を脇に置き、表現だけを批判するのは、ただの言葉狩りにすぎません」

 実はこの言葉よりも、もっと胸に迫った言葉がありました。それは作品の中での主人公父子の会話です。
 「今の福島に住み続けて良いのか、われわれは外部の人間だが、自分たちの意見を言わねばなるまい。」(海原雄山)
 「自分たちの意見を言わないことは、東電と国の無責任な対応で苦しんでいる福島の人たちに嘘をつくことになる。」(山岡士郎)

 おそらくこれがこの作品全体を貫く作者(雁屋哲氏)の想いでしょう。その想いから取材し描かれた作品だから、仮にいくつかの不十分点があるとしても、私はこの作品に好感を持ちます。

 この言葉は、私たちに大きな問題提起をしています。「福島原発問題」は日本に住む私たち全員の問題です。しかしどこかに、「それは被災地・被災者の問題」という意識はないでしょうか。そして、やっかいな問題だから、できるだけかかわらないようにしよう、という潜在意識はないでしょうか。
 雁屋さんはそんな「庶民」を叱咤しているのではないでしょうか。「自分たちの意見を言わねば」ならないと。

 自分たち自身の問題でありながら、それが見えなくさせられ、ひとごとのように思わされ、思考停止に追い込められる。
 「福島原発問題」のこの構図は、そう、「沖縄問題」とまったく同じなのです。

 私たちは権力が作り上げるこの構図を打ち破らなければなりません。

 もう一つ、忘れられない言葉があります。19日のテレビニュースで、子どもを被ばくから守るお母さんたちのグループのおひとりの言葉です。
 「怖いのは、風評ではなく、風化です」

 <注目された番組>

 「ダウンウィンダーズ」


Nhk 23日夜8時からNHKプライムSで、「ダウンウィンダーズ~核被害に揺れるアメリカ~」という番組がありました(全国放送でしょうか?)。「ダウンウィンダーズ」とは「風下住民」という意味です。

 ネバダ核実験場とハンフォード核施設(長崎原爆のプルトニウムを製造した施設)周辺の住民が次々がんで死亡している実態が明らかにされました(写真の赤は放射能汚染地域)。

 父ががんに犯された息子は言います。「ロシアの核兵器を恐れていたが、自分の国(アメリカ)から攻撃された。恐ろしいのはロシアではなく自分の国だった」

 ユタ州で被ばくしがんを発症した女性は、広島・長崎を訪れ、「目が覚めた」と言います。「学校で『原爆投下は正しかった』と教えられてきたことは間違いでした。私たちダウンウィンダーズと広島・長崎の被爆者はつながっている」。

 「ダウンウィンダーズ」。初めて聞いた言葉でした。もう忘れません。アメリカには今も日々苦しみ、たたかい続けている被ばく者たち・「ダウンウィンダーズ」がいることを。


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沖縄出身青年が広島で遺骨・遺品収集

2014年05月22日 | 沖縄と差別

PhotoPhoto_2 戦時中、広島市沖の似島(にのしま)には被爆者らが運び込まれた臨時野戦病院がありました。戦後69年たったいま、この島で単身、自費を投じて、戦死者の遺骨や遺品を発掘している一人の青年がいます。

 その人は、嘉陽礼文(かよう・れぶん)さん。広島大学大学院博士課程(解剖学)2年。専門とは無関係、まったくのボランティア。出身は沖縄です。(写真右。NHKニュースから)

 嘉陽さんの活動が20日の中国新聞、21日のNHKニュースで相次いで取り上げられました。
 嘉陽さんが広島で被爆者らの遺骨・遺品を収集する背景には、親族の沖縄戦の体験があります。
 嘉陽さんの祖父は弟とおいを、祖母はいとこを沖縄戦で亡くしました。その遺骨はいまだに発見されていません。嘉陽さんは小さい時から祖母に沖縄戦の話を聞いて育ちました。

 私が嘉陽さんの名前を知ったのは今回が初めてではありません。2月18日の中国新聞で、嘉陽さんが原爆ドーム近くの元安川に沈んでいるドームの破片を引き揚げ、広大医学部資料館に展示するほか、海外の大学などに寄贈する活動をしていることを知りました。これもすべて自費です。

 なんと素晴らしい人なんだろう。苗字から沖縄出身に違いない。そう思いながら、広大の資料館に引き揚げられたドームの破片を見に行きました(写真左)。残念ながら嘉陽さんに会うことはできませんでした。

 そして今回、連絡先を知ることができました。何か手伝わせてもらえないかと思いましたが、今回は実務的に無理でした。
 嘉陽さんは、沖縄の壕で遺骨収集に協力している本土の人間がいることを見て、「いつか私にできることを」と思い続けていたと言います。

 「本土防衛」の「捨て石」になった沖縄戦。その犠牲者の遺骨・遺品の収集を、本土の人間が手伝うのは当たり前のことです。
 嘉陽さんは逆です。犠牲になった沖縄の青年が、自費を投じて自ら、本土の被爆者らの遺骨・遺品、被爆遺跡を発掘しているのです。
 こんな青年が、沖縄出身者にはいるのです。

 戦争を風化させないため。沖縄と本土の架け橋に。嘉陽さん自身はそんな理屈ではないと言うかもしれません。
 でも私たち本土の人間は、この36歳の沖縄の青年のこころと行動を、しっかり見つめなければなりません。
 そして、自分に問わねばなりません。「いま私にできること」は何?

 遺骨・遺品収集が終了する7月に、嘉陽さんに会えるのが楽しみです。


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「福山ばら祭」というなら「アンネのバラ」を

2014年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 晴天に恵まれた17、18両日、福山市最大のイベント「ばら祭」が開催され、約81万人がばら公園を中心に咲き誇る約300種類のばらを満喫しました。

 ばらは1945年8月8日の福山空襲の焼け跡に市民が苗木を植えたことから戦後復興のシンボルとなり、85年市花に制定。現在市内各所に約85万本生育していると言われ、市では来年「100万本のバラ」を目指しています。

 「ばら祭」ですぐに浮かんだのは、市郊外の「ホロコースト記念館」にある「アンネのバラ」です。アンネ・フランクがばら好きだったことから、父オットー・フランクの友人のベルギー人が「アンネ・フランクの形見」と名づけた新種のバラを贈呈。1972年、オットー氏から同記念館に贈られ、全国に広まった経緯があります。

 同記念館の、小学生から高校生までのボランティアグループ「スモール・ハンズ」が、接ぎ木で増やした苗木を希望する学校や団体に贈呈し、アンネのことを多くの人々に知ってもらう活動を続けています。

 17日、記念館を訪れました(3回目)。市内の賑わいとは対照的に、記念館には訪れる人もなく、「アンネの形見のバラ」は庭で静かに、黄色とオレンジの満開の花を咲かせていました(写真左)。

 せっかくの「ばら祭」なら、「アンネのバラ」をもっと多くの人に知ってもらっては?
 そう思って副館長の吉田明生さんに聞くと、「ばら公園にも『アンネのバラ』はありますよ」とのこと。おおよその場所を聞いて、さっそくばら公園へ行ってみました。

 ありました、ありました。北口ゲート近くの花壇に。見えにくい、「アンネのバラ」の小さな立札とともに(写真右)。

 しかし81万人の参加者のうち、何人がここに「アンネのバラ」があることを知っていたでしょうか。駅前などで「ばら祭」の案内パンフレットが配布され、会場図とともにいくつかのばらが写真付きで紹介されていましたが、「アンネのバラ」の文字はまったくありませんでした。

 以前にも書きましたが、被爆地・広島県、空襲を受けた福山市に、「ホロコースト記念館」があることは、たいへん意味のあることです。アンネの本が破られなくても、多くの人に訪れてほしい場所です。

 ホロコースト記念館は福山の代表的な観光・学習スポットになるし、そうすべきです。
 それにしては告知・PRが足りなさすぎます。たんなる市当局の認識不足なのか。それとももしかして意図的にPRを抑えているのか、とさえ思ってしまいます。

 「ばら祭」は「アンネのバラ」、そして「ホロコースト記念館」を多くの人に知ってもらう絶好の機会です。
 少なくとも配布されるパンフには写真と花壇の場所を明示すべきです。

 風化の危機にある戦争の記憶と記録。貴重な記念館、資料館を今日にどう生かしていくか。
 広島と沖縄の共通の課題がここにもあります。

 <気になる記事>

 「集団的自衛権行使」会見のその夜、首相と大手マスコミ幹部が高級すし店へ

 「しんぶん赤旗」(5月18日付)によれば、安倍首相は、「集団的自衛権行使」へ舵を切る会見を行った15日夜、都内の高級すし店で、大手マスコミ各社の幹部と会食しました。

 同紙によれば、そのメンバーは、NHK解説委員、「読売」論説委員長、日本テレビ報道局長、「朝日」編集委員、「毎日」特別編集委員、時事通信社解説委員ら。

 会食費用は、まさか割り勘ではないでしょう。こういう時のために「官房機密費」はあるはずです。

 翌日の「朝日」や「毎日」は「集団的自衛権行使」に批判的な論調を載せました。表で「批判」しながら、裏では高級すし店で会食。これが日本の大手メディアの実態です。

 首相と大手マスコミ幹部の会食はもちろんこの日だけではありません。随時行われている年中行事です。彼らは「これも取材の一環」と弁明するでしょう(弁明もしないほど麻痺していれば救いようがありませんが)。
 
 しかし、権力とメディアのこうした距離感(親密性)は、権力に取り込まれる大手メディアの腐敗体質の表れであることを、肝に銘じるべきです。


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5・15に「琉球共和社会憲法試案」を再読する

2014年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 5月15日は、沖縄が「復帰」して42年でした。
 今から33年前のこの日、「復帰」から9年たった1981年の5月15日、沖縄で1つの「憲法草案」が起草されました。「琉球共和社会憲法C私(試)案」(以下、草案)です。
 「日本国憲法」とりわけ「9条」の下に復帰できると期待した沖縄県民の願いが、無残に踏みにじられたことから、自主的な憲法が構想されたのです。(昨年7月3日の「日記」参照)。

 起草したのは川満信一氏(詩人、当時沖縄タイムス編集委員。右写真)です 奇しくも安倍首相が「集団的自衛権行使」へ向けた記者会見を行ったこの日、草案を読み直しました。その理念こそ、沖縄のみならず今の日本に必要だと思ったからです。

 草案の基本理念は何よりもそのタイトルに表れています。「琉球共和社会憲法」。「共和国憲法」ではありません。「歴史的反省と悲願のうえにたって・・・国家を廃絶することを高らかに宣言」(第1条)しているのです。

 草案は「核」についても、「核物質および核エネルギーの移入、使用、実験および核廃棄物の貯蔵、廃棄などについてはこんご最低限五十年間は一切禁止する」(第15条)と、先進的に明記しています。

 今特に学びたいのは、「外交」(第16条)です。
 「琉球共和社会は世界に開かれることを基本姿勢とする。いかなる国や地域に対しても門戸を閉ざしてはならない。ただし軍事に関する外交は一切禁止する。
 軍事協定は結ばない。平和的な文化交流と交易関係を可能な限り深めることとする」

 起草者の川満さんが先日の沖縄タイムス(5月1日付)のインタビューでこう述べています。
 「(9条を守って「平和」を維持することについて)それは日米安保体制の下では仮の平和であり、世界の矛盾に立ち向かえない」
 「沖縄では沖縄戦というしたたかな歴史体験を基礎に、社会や経済、あらゆる問題を考えるうえでの世界観を作らなくてはならない」

 「世界観を作らなくてはならない」のは、沖縄だけではありません。いいえ、本土のわれわれこそ、早急に作らなければなりません。

 そう思っている時、中国新聞(5月14日付)掲載の広井良典氏(千葉大教授)の「論考」に引き付けられました(おそらく共同配信)。
 「『米国信仰』脱却今こそ」と題し、広井さんはこう述べています。
 「振り返れば、戦後の日本人の意識を根底で規定したのは『限りない経済成長』と『米国』という二つの“信仰”だったのではないか。・・・こうした信仰を相対化していく作業こそが、日本にとっての中心的課題と思われる」

 「米国信仰」から脱却し、新たな「世界観」を作る。その作業を早急に、草の根から広げていく必要があります。
 日米軍事同盟(安保条約)と解釈改憲によって、日本がほんとうに「戦争をする国」になる前に。
 
 <気になる記事>

 「世論調査」をどう受け止めるか


 「集団的自衛権の世論調査 各社で違い」という見出しの朝日新聞(14日付)によると、集団的自衛権行使について、「朝日」は「賛成」27%、反対56%。一方「産経」は賛成(「全面的に使えるようにすべきだ」と「必要最小限度で使えるようにすべきだ」合わせ)71・4%、反対(「使えるようにすべきではない」)25・5%。

 国の重大問題について、大手メディアの世論調査にこれほど違いがあるのです。「朝日」の記事は、「世論調査の回答は、質問の順番や文章などに影響される」と書いています。「産経」の質問項目を見ると、確かにその通りだと思います。

 メディアの「世論調査」結果がまるで「国民世論」の表象であるかのように受け止められ、政治家はその結果を基に政策を推進する傾向があります。
 しかし、「世論調査」はきわめて不明確、不安定なものであることが、この記事によってもあらためて示されています。
 「世論調査」を鵜呑みにし、確定的なものとみるのは大変危険です。
 「日米安保条約支持8割」という「世論調査」結果も、質問の仕方で大きく変わるでしょう。


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沖縄と岩国-深い関係があるけれど・・・

2014年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

                                       Kc130Photo                        5日の米軍岩国基地公開では、「瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネット」のフィールドワークもありました。飛び入りで、久米慶典さん(同顧問)の説明を聞かせていただきました。   

 「4・29反戦・平和市民の集い」(福山市)での大月純子さん(ピースリング広島・呉・岩国)の話と合わせ、岩国基地の実態、沖縄との関連が少しずつ分かってきました。

 岩国基地の面積は約792㌶(東京ドームの約170倍)。これは在日米軍基地の3番目の広さです。1番広いのは、断トツで沖縄の嘉手納基地(1995㌶、岩国の2・5倍)。2番は三沢基地(青森、1578㌶)です。 
 岩国基地に駐留する米軍兵士は約2780人。ここは米軍と自衛隊が共存しており、駐留航空機は日米両軍合わせて約160機にものぼります。

 岩国と沖縄にはいくつかの共通点があります。

 第1に、米軍の「殴り込み部隊」といわれる海兵隊が駐留しているのは、日本では沖縄と岩国だけです。

 第2に、海の埋め立てによる米軍基地拡張です。
 沖縄の辺野古沖埋め立て・新基地建設がいま重大な局面を迎えていますが、岩国ではすでに1997年からの工事で沖合が埋め立てられ、滑走路が移設されました(右写真のピンクの部分)。この時も、貴重な自然の藻場が破壊されました。
 
 滑走路移設工事によって大型の岸壁が造られました。オスプレイが岩国に搬入されたのはその岸壁があるからです。
 まさに「辺野古のテストケースが岩国の沖合移設工事」(大月さん)と言えます。

 岩国の住民は「沖合移転で騒音は大幅に減少する」と言われましたが、それがウソだと分かり、いま騒音訴訟でたたかっています。
 沖合埋め立てに続き、さらに愛宕山の自然をつぶし、基地関連施設を造成する工事が計画されています。
 
 いったん基地拡張を認めれば際限なく住民の生活は脅かされる。それが岩国基地の教訓です。

 第3に、この夏、米軍の空中給油機KC‐130(写真左)が15機、普天間基地から岩国基地に移されます。日米政府はこれを「沖縄の負担軽減」と称していますが、実際は「オスプレイと訓練空域がぶつかっているので、オスプレイの訓練の邪魔にならないよう岩国に持ってくるだけ」(伊波洋一さん)。

 岩国基地には、2017年ころまでに厚木から自衛隊第5空母航空団が移駐することが決まっています。さらに、米軍がF35を配備する計画もあります。
 相次ぐ増強計画によって、「岩国基地は極東最強の米軍基地になってしまう」(久米さん)と懸念されています。「普天間問題は岩国基地整備の“目くらまし”ではないか」との識者の指摘さえあります。

 こうした事態の深刻さに反し、岩国基地に反対する市民・県民の運動はけっして活発とは言えないようです。
 例えば、現在全国で基地爆音訴訟が6基地7団体、約3万6000人によってたたかわれていますが、岩国基地の訴訟は最後の6番目、2009年にやっと始まりました(嘉手納は4番目=1982年、普天間は5番目=2002年)。

 なぜ岩国の反基地闘争は遅れているのか。私のこれからの勉強課題です。

 ただ、1つ言えるのは、岩国と沖縄は多くの共通点・関連があるにもかかわらず、情報とたたかいの交流が少ないのではないか、ということです。
 沖縄と岩国の市民、平和グループが、交流を深め、手をつなぎ、たたかいの輪を広げていけば、“共通の敵”に対する大きな対抗の力になることは間違いありません。

 <気になる論調>

 「カギは公明党」か?!

 「集団的自衛権行使容認」について、「カギは同じ与党・公明党が握っている」という論調があります。あるというより、大手メディアはそれ一色です。
 これは事実に反した、きわめて危険な論調です。

 そもそも「与党・公明党」の役割は何か。それは自民党を「数」で助けるだけではありません。自民党の強硬姿勢にさも「ブレーキ」をかけるように見せながら、結局は、何の歯止めにもならない「確認事項」などによって、自民党の狙い通りの結論に導くことです。

 公明党の「反対」がまるで国民の反対であるかのように描き、その公明党が最終的に了承したのだから国民の反対も収まったようにみせる。それが公明党の役割です。これを俗に「ガス抜き」と言います。「与党・公明党」がこれまで行ってきたことは全て、例外なく、これです。

 公明党や、自民党の一部に見られる「集団的自衛権行使容認」への躊躇は、国民、市民の強い反対があるからにほかなりません。全国各地の地道な市民の運動があるから、「反対」ポーズを取らざるをえないのです。
 
 本当にカギを握っているのは、草の根の市民の世論であり、運動です。
 それを見ようとせず、報道しようとせず、「政局報道」に終始する。それが日本の大手メディアのどうしようもない病根です。


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「死の商人」(JFE)城下町に暮らす人々

2014年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

JfeJfe_2  「JFE西日本フェスタ」というお祭りが11日、福山市内でありました。広大な敷地に約100のテントが立ち並び、メーンステージでは人気タレントのショー。約7万人が集まったといいます。

 JFEとは旧日本鋼管。日本最大の鉄鋼メーカーの1つです。フェスタは三十数年続いており、出店は市内各企業のみならず、社会福祉協議会、海上保安庁、消防、警察など公的機関、さらに中国新聞まで。文字通り福山市の官民総ぐるみです。「企業城下町」の姿を見せつけられる思いでした。

 これだけで終わるのなら、資本主義社会の一断面と思うだけですが、見過ごせないのは、このフェスタとタイアップして、「ふれあい防衛展」なるものが開催されたことです。

 「防衛展」はJFEの敷地内の岸壁に、自衛隊の訓練支援艦「くろべ」を横付けし、市民に公開するもの。JFE正門からシャトルバスが観客をピストン輸送します。艦上では市民が大砲に触り、子どもが自衛隊装備に乗せられ、制服を着て日章旗の前で自衛官に敬礼。先週岩国の米軍基地で見たおぞましい光景の再現です。

 しかし、このJFEフェスタの光景には、岩国の米軍基地にはない根深い問題があります。
 それは、JFEが日本有数の兵器産業、すなわち「死の商人」だということです。この日市民が試乗した訓練艦「くろべ」自体、日本鋼管時代にJFEが製造したものです。

 JFEは現在造船部門を切り離し、旧石川島播磨、日立造船と共同出資してJMU(ジャパンマリンユナイテッド)を設立しています。その会社案内は、「我が国の海上自衛隊の根幹をなす多数の艦艇を建造」と臆面もなく誇示しています。

 兵器産業が主催するフェスタに官民総ぐるみで集い、自衛隊と「ふれあい」、“楽しい一日”を過ごす。武器・軍隊、そして「死の商人」が、無自覚、無批判なまま、市民の日常に浸透している姿に、慄然としました。

 土屋知紀福山市議(共産党)によれば、JFEフェスタでの「防衛展」は今年で15回目。主催は福山防衛協会ですが、商工会議所から案内がきます。防衛協会事務局も商工会議所総務課と一体です。しかし、こうした市ぐるみの“自衛隊浸透作戦”に対し、これまで市民や議員から問題が指摘されたことはないといいます。

 ごう音とともに生活の安全と生命が暴力的に脅かされる「基地の町」沖縄。
 兵器産業と軍隊が「笑顔」で生活に浸透する「“死の商人”城下町」福山。

 そこには、「軍事大国・日本」の対照的な2つの顔があります。

 <気になるニュース>

 「集団的自衛権」という用語の落とし穴

 12日のNHKニュース。「集団的自衛権行使」についての説明に唖然としました。
 それは他国の紛争に加わる「権利」を得ることだと言うのです。「権利」とは驚きです。実際は、日米軍事同盟(日米安保)によって、アメリカの戦争に参戦する「義務」を負うことにほかなりません。
 「権利」と「義務」では正反対です。
 しかし、ここでハタと気づきました。「権利」という言葉は別にこのNHK解説委員の発想ではなく、そもそも「集団的自衛権」という言葉自体が「権利」だと言っているのです。「権利」なら獲得するのは悪くない、という印象を与えてしまいます。
 政治用語はすべからく、権力の都合のいいように命名されます。「自衛権」しかり。「秘密保護法」しかり。「行財政改革」しかり。
 事実をごまかすこうした権力用語を、市民の側かわ言い直す必要があります。例えば、「集団的自衛権」は「対米追随参戦義務」に。
 本来こうした市民の立場からの用語変換はメディアが行うべきです。が、日本の大手メディアにはそれは望むべくもありません。
 政治用語の正確化、市民化。それは重要な課題です。


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「伊豆大島暫定憲法」から学ぶもの

2014年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2今朝(10日)のNHKニュースで、たいへん興味深いレポートがありました(写真は同テレビから)。
 「大島暫定憲法」(正式には「大島大誓言」)を知っていますか?私は知りませんでした。

 敗戦直後の1946年1月、GHQは伊豆大島(東京都)に対し突然、「日本国からの分離」を通達。島民たちは「大島共和国」の樹立に向け、自主的に「憲法」を作った、というのです。

 詳しく知りたくてネットで調べたら、雑誌「望星」(東海大学、2000年10月号)に、フリーライター・岡村青さんの優れたレポートがありました。題して、「幻の平和憲法『大島大誓言』の背景を探る 五十三日間の『大島共和国』独立構想」。以下は、岡村さんのレポートからです。

 1946年1月29日、GHQから突如「監督はするが統治するのは島民自身」と通達された大島の島民は、「不安と混迷」の中、就任したばかりの柳瀬善之助村長を先頭に、早くも2月には「自治体制の確立」に向かい作業を開始しました。まず着手したのが、「憲法」の制定です。

 島民の代表者たちは、「いずれも沈痛の想を心中に秘め、拳で涙を押し拭いながら真剣に熟議を遂げた」結果、わずか2カ月足らずの「三月前半ごろ」、「大島暫定憲法」が作成されました。
 それは「近く大島憲章を制定」するまでの暫定的なものですが、短いながらも、「第一章統治権」「第二章議会」「第三章執政」と、主権在民、三権分立が明記されています。

 中でも圧巻は「前文」にあたる部分です。そこにはこうあります。「吾等ハ・・・同義ノ心ニ徹シ万邦和平ノ一端ヲ負荷シ茲(ここ)ニ島民相互厳ニ誓フ」。世界平和の一端を担おうという島民の決意が高らかに宣言されているのです。

 しかし、大島の分離は東京都の要求で3月22日に撤回され、「大島共和国」は53日間の幻に終わりました。

 岡村さんはレポートをこう締めくくっています。「(暫定憲法が)一部の学者や知識人たちによらない、大島島民自身の知恵と創意によって創り得たところに大いなる意義と示唆があろう」

 私は「大島暫定憲法」から、2つのことを思いました。
 1つは、岡村さんと同じく、日本民衆の草の根民主主義の素晴らしい歴史です。平和・民主の暫定憲法が、GHQや日本政府という国家権力から独立した、民衆の自治によって創られたことは、今の日本にとってきわめて大きな教訓です。

 もう1つは、沖縄です。戦後日本から切り離された沖縄は、大島と違い、「復帰」までに27年かかりました。その「復帰」の実態も周知の通りです。そして今、沖縄では「独立」「自己決定」「自主権」さらに「沖縄権利章典」などの構想が広がっています。

 沖縄が日本から「分離」するとすれば、どのような社会を目指すのか。「琉球共和社会」をつくるとすればどのような「憲法」を掲げるのか。
 大島の島民が草の根から「暫定憲法」を作ったように、沖縄でも今、草の根の憲法論議が必要なのではないでしょうか。「日本国憲法」について、あるいは「沖縄の憲法」について。
 それは、切り離されて「不安と混迷」の中にあった大島島民とは違い、自らの意思で本土の国家権力から「自立」し、新しい社会を目指す「希望と確信」の沖縄として。

 (5月5日の朝日新聞によれば、「大島暫定憲法」の原本と制定過程のメモが所在不明になっているとか。見つかればいいのですが・・・。)

 <私の介護メモ>

 試行錯誤のセカンドオピニオン


 セカンドオピニオンは患者(家族)の当然の権利とは思いながら、かかりつけの医師にその旨を告げ、紹介状を書いてもらうのは、やはりある種の勇気がいります。

 その壁を乗り越えて、8日、新しい病院へ母を連れていきました。

 結果、これまで知り得なかったことが分かりました(たんなるレビー小体型認知症とは断定しにくい)。約1時間かけて念入りに診察してくださった医師に感謝です。処方してもらった薬も、いまのところ母に合っているようです。

  しかし、母は新しい病院へ行くことを喜んではいません。
 病院を連れまわすより、静かな毎日を過ごさせてやることの方が本人のためかもしれない、との思いは消えません。

 薬と医者(病院)にどうつきあうか。模索と試行錯誤は続きます。


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