アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

ジェノサイドへの沈黙は歴史の忘却―岡真理氏・駒込武氏指摘

2023年10月31日 | 日本人の歴史認識
   

 「歴史の忘却に抗して―パレスチナにおけるジェノサイドを見すえながら、危機の時代における人文知の役割を問う―」と題した緊急学習会が27日夜、京都大学で行われました。岡真理氏(早稲田大教授、写真左)、駒込武氏(京都大教授、写真中)らが講演・発言しました。

 岡氏は、イスラエル市民に対する殺傷、人質は戦争犯罪だが、ハマス(ハマース)はなぜ敢えてそれを行わざるを得なかったのかとして、イスラエルによるパレスチナ占領、それを後押しした欧米諸国の歴史的責任を指摘しました(23日のブログ参照)。

 そのうえで、歴史的経過を踏まえないでハマスを「テロ集団」と断じる報道によって「何が忘却されているのか?」としてこう述べました、

「忘却されているのは、イスラエルが入植者植民地主義国家であり、ユダヤ人至上主義のアパルトヘイト国家であること。そして、ハマースはイスラエルの占領から祖国の解放を目指す民族解放運動だということ」

 そして、「現在進行中のイスラエルによるジェノサイドに対して沈黙することはイスラエルと共犯だ」と指摘。とりわけ、「日本の市民が沈黙することは、自らの歴史の忘却にほかならない」とし、沈黙によって忘却されるものを次のように述べました。

第1に、植民地支配・占領の歴史において、日本は朝鮮・台湾の人々の抵抗に対し、どのような暴力を行使してきたのか。

 第2に、南アフリカのアパルトヘイトに対し、日本はどのような姿勢をとってきたのか。

 第3に、惨事の衝撃(関東大震災)による流言飛語やそれに便乗した当局の言説に煽られ、メディアもそれに共犯し、いかなる集団虐殺をもたらしたのか。

 そして第4に、核兵器によるジェノサイドを経験した国として、今、広島と長崎に核爆弾を投下した国(アメリカ)が、武器をイスラエルに供与してジェノサイドを行っていることに対する責任である」

 続いて登壇した駒込氏は、帝国日本の植民地支配下の台湾で起きた霧社事件(1930年)とガザの事態の共通性に触れたうえで、次のように述べました(霧社事件については後日のブログで取り上げます)。

「占領(植民地化)は、長期間にわたって継続する構造的な暴力である。占領者はむき出しの暴力を行使する。一方、時に被占領者による対抗的暴力が噴出すると、占領者はそれを口実にさらなるジェノサイドを行う。

 大切なことは、歴史の忘却に抗して、根源的な暴力としての構造的な暴力の歴史を透視し、可視化すること。そこに人文知の役割がある」

 「沈黙」は「歴史の忘却」である―両氏の指摘はイスラエルによるジェノサイドについて述べたものですが、社会・世界のあらゆる出来事について言えることでしょう。
 歴史、とりわけ自国の歴史はけっして忘却してはならない。その前に正しい歴史を学ばねばならない。そして不正義に対して沈黙してはならない、と痛感します。

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「国際社会の分断」という報道が隠ぺいするもの

2023年10月30日 | 国家と戦争
   

 国連総会は27日、ガザ情勢をめぐる緊急特別会合で、「人道的休戦」を求める決議案を採択しました。「停戦」ではなく「休戦」としているのは妥協の産物ですが、それでもまず戦闘、イスラエルの空爆・地上侵攻を止めることが最優先のいま、決議の持つ意味はきわめて大きなものがあります。

 採決の結果は、賛成121カ国(アラブ諸国、中国、ロシア、フランスなど)、反対14カ国(アメリカ、イスラエルなど)、棄権44カ国(日本、イギリスなど)。

 これを28日のNHK ニュースは、「国際社会の分断が浮き彫りになりました」と繰り返し報じました。このコメントは重大な(意図的な)誤りです。

 正しくは、「アメリカとイスラエルの好戦的姿勢が浮き彫りになりました」と言うべきです。少なくとも「アメリカとイスラエルの休戦に反対する姿勢が浮き彫りになりました」と。

 「分断」と言ったのは意見が分かれている状態を客観的に述べたもの、という言い訳は通用しません。なぜなら、「分断」は「どっちもどっち」に通じるからです。

 パレスチナの事態で「どっちもどっち」論は誤りです。「イスラエルが行っていることはジェノサイドに他ならない」(岡真理氏)からです。
 「分断」という言葉で「どっちもどっち」と印象付けることは、イスラエルのジェノサイドを隠ぺいする犯罪的な誤りです。

 今回の国連総会決議についてのNHK はじめ日本のメディアのもう1つの重大な誤りは、棄権した日本政府の責任をまったく追及していないことです。
 
 「ガザ人道危機 休戦こそが国際意思だ」と題した朝日新聞の社説(29日付)も、「日米を含む主要国は、そのリスクを深く認識すべきだ」というだけで、日本政府に的を当てた批判は行っていません。

 戦争を止める(停戦・休戦)か止めないかに「棄権」という態度がありうるでしょうか。止めることに賛成しないことは、止めないことと同じではないでしょうか。

 日本政府が「棄権」した理由は報じられていませんが、これまでの政府の見解から、決議が「ハマスのテロ」を批判していないからということだと推察されます。そうだとすれば、それは二重の誤りです。ハマスを一方的に「テロ集団」と断じるのはパレスチナをめぐる歴史的経過を捨象するものだからです。

 日本が「棄権」したのは軍事同盟を結んでいるアメリカに追従したものです。アメリカ、イスラエルと一緒に「反対」するのはあまりに露骨で国内外の批判が必至なので「棄権」でお茶を濁したのです。ガザの現状を目の当たりにして、「休戦・停戦」に賛成しない政府を持っていることは国際的な恥辱です。

 繰り返し主張する必要があります。今必要なのは一刻も早くガザに対する攻撃を止めさせること、戦闘・戦争の即時停戦(休戦)です。
 

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日曜日記273・映画「月」が突き付けるもの

2023年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム
 映画「月」(石井裕也監督・脚本、河村光庸企画、宮沢りえ、磯村勇斗主演)は一筋縄ではいかない映画だ。

 原作は、相模原市の「津久井やまゆり園事件」(2016年)をモデルにした辺見庸の同名小説。原作を読んでいないので、あくまで映画の感想を書く。

 障がいとは? 障がい者の生きる権利とは? 重度障害施設の実態・苦難はもちろん、先天性疾患、出生前診断、作家の使命と限界、生きる意味・価値とは? さらには「宗教者」の腐敗した私生活などなど、これでもかと重いテーマが盛られている。
 これほど人の、社会の暗部を見せなくても…とも思ったが、これが世の中の現実だから仕方がないと合点した。

 映画(石井監督)が訴えたかったのは、だれもが内に持っている「世の中の役にたたない者」に対する差別だろう。犯行数週間前の夜、施設の事務室で行われた宮沢りえと磯村勇斗(植松死刑囚がモデル)の応酬は圧巻で、この映画のクライマックスだ。だれもが「自分はどうなんだ?」と思わずにはいられないだろう。

 その中の磯村の「僕はリスクを覚悟でやるんですよ」の言葉が重く響いた。“お前はいつも安全な所に身を置いてものを言っているだけじゃないか”と言われている気がした。

 この映画が問いかけているのは「差別」だけではない。施設の女性職員(二階堂ふみ)の言葉、「社会に都合が悪いものは隠ぺいされるんです」は全体を貫く。

 映画の結末には疑問が残る。これから観る人のために詳しくは述べないが、宮沢りえと夫(オダギリジョー)の「幸せ」「生きる意味」を事件と対比させようとしたのだろうが、「社会の評価」「成功」が「生きる意味」なのか? そうは思わない。それともあれは逆説的問題提起か?

 映画の重度障がい者役を演じた6人は俳優ではない実際の障がい者だ(22日付朝日新聞デジタル)。和歌山県有田市の障がい者就労支援事業所を通じて出演依頼があったという。

 その中のひとり、田又一志さん(49)は、「映画を見て、何を感じ、どう捉えるかは人それぞれ」と言う。「それでも(田又さんは)願う。『障害に少しでも関心をもってほしい』」(同朝日新聞デジタル)

 「やまゆり園事件」が衝撃的だったのは残虐性のためだけではない。根底にある優生思想。その優生思想に自分も少なからず染まっているのではないか、という思いを誰しも禁じ得なかったからではないか。映画の中で夫が言っていた。「出生前診断で胎児に異常があると分かると、96%が中絶するそうだよ」

 差別とは何か。優生思想とは何か。自分はそれにどう向き合っているのか。日本社会に生きるすべての者が問われている。

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イスラエルを支持するゼレンスキー氏の「二重基準」

2023年10月28日 | 国家と戦争
   

 パレスチナ・ガザ地区に対する無差別空爆で市民・子どもたちを虐殺(ジェノサイド)しているイスラエルへの国際的批判が強まっています。同時に、イスラエルを支持・支援しているアメリカや欧州諸国へも批判の矛先が向いています。

 その一方、同じくイスラエルを支持していても批判の対象になっていない(報道されていない)のがウクライナのゼレンスキー大統領です。

 ゼレンスキー氏は7日、ハマスの攻撃の直後に、「テロが二度と、生命を奪ったりすることがないようにしなければならない。イスラエルの自衛権は、疑う余地がない」と声明を出し、歴史的経過を無視してハマスを一方的に「テロ」と非難し、イスラエルへの支持を表明しました。同日夜のビデオ演説でもイスラエルへの共感を表明しました。

 翌8日にはイスラエルのネタニヤフ首相と緊急の電話協議を行い、改めて「連帯」を伝えました(以上の事実は25日付朝日新聞デジタルより)。

 さらに、イスラエルが地上侵攻の意図を明確にした後の11日、ゼレンスキー氏は訪れていたNATO(北大西洋条約機構)本部でこう述べました。

「重要なのは団結だ。可能なら各国指導者がイスラエルに行って支援することを勧める」(13日付朝日新聞デジタル)

 ゼレンスキー氏の度重なるイスラエル支持表明について、朝日新聞はこう論評しています。

「ゼレンスキー氏が今回、イスラエル寄りの姿勢を示したのは、米国や英国、ドイツといった支援を続ける国々のウクライナへの注意や関心が低下することを恐れた可能性がある。また、攻撃を受けているという立ち位置が同じであると強調することで、イスラエルを敵に回すよりも、将来的な軍事支援の可能性を残しておいた方が現実的だとゼレンスキー氏が判断したのではないかとの見方がある」(25日付朝日新聞デジタル)

 イスラエルへの支持をめぐって、アメリカの「二重基準(ダブルスタンダード)」が露わになっています。

「米国は、ロシアの侵略に対するウクライナの抵抗を、人権や民主主義を守る闘いと位置付けてきた。…しかしいま、子どもを含むガザ住民を空爆で殺傷しているイスラエルを支持し、地上侵攻も容認する状況に陥っている」(21日付朝日新聞デジタル)。これがアメリカ・バイデン大統領の「二重基準」です。

 アメリカはじめNATO諸国の軍事支援に依存し、イスラエルを支持すると繰り返し表明しているゼレンスキー氏も、バイデン氏と同じ「二重基準」に陥っていると言わざるをえません。

 国連のグテレス事務総長は、「パレスチナ人は56年間(イスラエルによる)息の詰まる占領下に置かれてきた」とし、ガザに対するイスラエルの攻撃を「明確な国際人道法違反」と断じ、「即時停戦」を要求しました(24日)。これは事実で正当な主張です。

 これに対し、イスラエル(コーヘン外相)は「自分を破滅させようとする相手とどう停戦できるのか」と反発しました。盗人猛々しいとはこのことです。

 パレスチナでもウクライナでも、国家間の戦争の犠牲になっているのは市民であり子どもたちです。これ以上の人権侵害はありません。アメリカやNATO諸国の「二重基準」に追従することなく「人権と民主主義を守る」という主張を一貫させるには、いずれの戦争においても「即時停戦」の立場に立つことです。


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「ALPS洗浄で作業員が汚染廃液浴びる」が示すこと

2023年10月27日 | 原発・放射能と政治・社会
   

「福島第一原発で作業員が汚染廃液を浴びる ALPSの配管洗浄で飛散」

 25日深夜、朝日新聞デジタルがこんな見出しのニュースを流しました。記事の概要は次の通り。

< 東京電力は25日、福島第一原発の汚染水から大半の放射性物質を除去する「多核種除去設備(ALPS=アルプス)」の配管を洗浄していた20~40代の男性作業員5人が、配管を洗った廃液を防護服の上から浴びたと発表した。

 このうち4人に体の汚染を確認した。除染したが、うち2人は股間付近や両腕の表面で原発を出る基準濃度(1平方センチあたり4ベクレル)を下回らなかったため病院へ搬送する。

 東電によると、協力企業の作業員5人は汚染水が通る配管に硝酸液を流して洗浄していたところ、廃液をタンクに流すためのホースが抜けて、約100ミリリットルの廃液が飛び散った。うち1人は全面マスクの汚染があり、ベータ線の被曝線量が5ミリシーベルト以上になったことを知らせる線量計のアラームが鳴ったという。>

 短い記事ですが、けっして見過ごすことができない多くの問題を示しています。

 ①ALPSは先端技術のように喧伝されているが、その洗浄という重要工程は手作業で行われていること②その作業は「協力企業」すなわち下請け以下の企業が請け負っていること③原発事故で被曝の被害を受けるのは常に末端作業員であること④今回は「基準濃度」を超える重大な被曝であったため病院へ搬送されたが、被曝は日常茶飯事に起こっていると予想されること、などです。

 総じて、ALPSを通した汚染水の海洋放出の危険性は、放出先の海水の汚染だけでなく、放出以前の段階にもあるということです。

 同時に重大なのは、ほとんどのメディアが今回の重大事故を無視したかきわめて小さな扱いで済ませたことです(写真左・中は25日昼のTBS系ニュース)。NHKに至って は25日、事故を報じるどころか「検査で処理水の安全性が示された」という政府・東電の発表をいつも通り垂れ流しました(写真右)。

 こうしたメディアの実態は、原発事故を軽視する宿痾(政府の原発推進政策への追従)であるとともに、汚染水の海洋放出へのマイナスイメージを避ける政府・東電への忖度と言わざるをえません。

 今回の被曝事故は、ALPSを使った汚染水の海洋放出を直ちにやめ、地下貯蔵など他の方策を検討・実施することの必要性・緊急性をあらためて示しています。

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「戦争と国家」―褒章を辞退した城山三郎と辻井喬

2023年10月26日 | 国家と戦争
  
 

 谷村新司氏の紫綬褒章受章から勲章制度の問題を先日書きました(20日のブログ参照)。勲章・褒章を辞退(拒否)した代表例として、作家の大江健三郎と城山三郎(写真中)がいることも何度か書いてきました(3月16日のブログ参照)

 その城山三郎の次女の井上紀子さん(64)が、朝日新聞のインタビューに答え、「父はなぜ褒章を辞退したのか」を語っています(24日付朝日新聞デジタル)。以下、抜粋です。

<「僕は、戦争で国家に裏切られたという思いがある。だから国家がくれるものを、ありがとうございます、と素直に受け取る気にはなれないんだよ」。そう言っていました。

 いわゆる皇国少年だった父は終戦の3カ月前、17歳の時に志願して海軍特別幹部練習生として入隊したのですが、理不尽なしごきにあい、軍隊と戦争の実態を目の当たりにしたのです。

 父の作品の根底に流れているのは、国家や組織に翻弄される個人、権力や体制にあらがう人々の生き方です。>

 城山三郎は大江健三郎の文化勲章辞退に感激し、自らも紫綬褒章を辞退しました。当時こう述べていました。

言論、表現の仕事に携わるものは、いつも権力に対して距離を置くべきだ。権力からアメをもらっていては、権力にモノを言えるわけがない」(1994年10月15日付朝日新聞夕刊)

 この精神・思想の背景には「戦争と国家」に対する自身の体験に基づく厳しい批判があったことが、井上さんの話で分かります。

 やはり同じ思いで褒章を辞退した作家に辻井喬(1927 ~2013 本名・堤清二、元セゾングループ代表)(写真右)がいます。

 栗原俊雄氏(毎日新聞記者)はかつて辻井にインタビューし、その真意を聞いています。栗原氏はこう書いています。

<辻井が褒章を断ったのは、当時、それが昭和天皇の国事行為として行われることが大きな理由だった。それは辻井の国家観、戦争責任観と直接に結びついている。「戦争でいったいどれほど多くの人が亡くなったか。昭和は、敗戦とともに終わるべきだった。昭和天皇は退位すべきだった?そうです

 「天皇は代替わりしましたが、それでも受け取りませんか?」と聞くと、辻井は「うーん」とうなり、数秒考えて答えた。「自分の国でも、時には批判しなければならないこともあります。でも勲章をもらったらできない。批判する自由は持っていたいですから」。城山三郎にも通底する、文学者の矜持である。>(栗原俊雄著『勲章 知られざる素顔』岩波新書2011年)

 「戦争と国家」―その犠牲になるのは常に市井の市民です。
 戦争体験を風化させない、再び戦争をさせない、そのために「国家」に対する「批判の自由」を堅持する、だから「国家」に取り込まれない―ガザやウクライナの事態を目の当たりにするにつけ、メディアの責任を痛感するにつけ、城山や辻井の言葉が重く響きます。

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加速する自衛隊の日米・日米韓合同訓練

2023年10月25日 | 自衛隊・日米安保
   

 昨日のブログで、自衛隊機がイスラエルに飛んだのは自衛隊の存在をアピールする政治的思惑だと書きましたが、それはたんなるアピールではなく、この間の自衛隊の重大な行動と表裏一体です。

朝鮮半島南端で初の日米韓3軍合同空中訓練(22日)

 航空自衛隊は22日、朝鮮半島南端で、米軍、韓国軍と初の合同空中訓練を強行しました。8月の3カ国首脳会談(米国・キャンプデービット、写真中)の合意に基づくもので、日米韓3カ国軍事同盟化へ大きく踏み出したことになります。

 米軍からは核兵器搭載が可能なB52戦略爆撃機、自衛隊からF2戦闘機、韓国軍はF15戦闘機が参加。「聯合ニュースによると、(自衛隊と韓国軍機が)B52 を護衛しながら飛行する訓練を実施した」(23日付京都新聞=共同)もの(写真左)。自衛隊はついに核兵器を搭載する米軍機を護衛することを想定するに至っているのです。

 韓国の市民団体「平和と統一を開く人々」は22日、「3カ国の空中訓練は日本の自衛隊の朝鮮半島領内での訓練参加に向けた手順であり、日本の朝鮮半島問題への介入と干渉を容認するとともに、自衛隊の朝鮮半島再侵奪を招く危険性がある」と批判しました(23日付ハンギョレ新聞日本語電子版)

陸上自衛隊と米海兵隊が最大規模の共同訓練(14~31日)、沖縄に陸自オスプレイが初飛来(19日)

 自衛隊機がイスラエルに飛び立ったのと同じ14日、陸自と米海兵隊の最大規模の共同訓練「レゾリュート・ドラゴン」が開始されました(31日まで)。沖縄と北海道で実施され、「自衛隊約5千人、米軍約1400人が参加。先島諸島では、石垣島に約80人、与那国島に約50人の米軍が派遣」(24日付朝日新聞デジタル)されました。

 19日には沖縄住民の強い反対・抗議を押し切って陸自オスプレイが初飛来。民間機が離発着する新石垣空港に着陸しました(写真右)。

 24日には沖縄での訓練の模様が報道陣に公開されました。敵基地攻撃を想定し、陸自の車両型「12式地対艦誘導弾」、それを守る車両型「中距離地対空誘導弾」などが参加。
「有事にあたり、敵の艦艇や航空機に対し、自衛隊が米軍の支援を受けながら前面に出て、相手を撃退する構図が浮かぶ」(24日付朝日新聞デジタル)

「(石垣市の)山里節子さん(86)は「島に基地をつくり、日米が一体となって訓練をしている。標的にされると思うと、たまらなく怖い。パレスチナ自治区ガザもそうだが、戦争になれば弱い立場の人が一番犠牲になる」と話した」(同)

 自衛隊と米軍の一体化の深化、さらに日米韓3軍合同の進行は、すでに戦時体制と言っても過言ではない状況を呈しています。

 さらに深刻なのは、こうした自衛隊・日米軍事同盟(安保条約)の危険な実態を、「本土」メディアがまったく問題にしていないばかりか、野党第1党の立憲民主はじめ、ほとんどの政党・勢力が容認・同調・黙過していることです。

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自衛隊機はなぜイスラエルに飛んだのか

2023年10月24日 | 自衛隊・軍隊・メディア
   

 21日午前3時すぎ、イスラエルから退避した日本人60人、韓国人18人ら計83人が羽田空港に到着しました。乗っていたのは航空自衛隊のKC767輸送機です。なぜ自衛隊機なのでしょうか。経過を振り返ってみましょう。

13日 松野博一官房長官は「邦人退避の(民間)チャーター機を14日にイスラエルに派遣する」と発表。

同日 上川陽子外相が木原稔防衛相に、自衛隊法84条の4に基づき自衛隊機による邦人輸送を要請。

同日 木原防衛相がKC767輸送機1機とC2 輸送機2機の計3機の派遣を命令。

14日 チャーター機1機と自衛隊機3機がそれぞれ出発。

15日 チャーター機は日本人8人を乗せてアラブ首長国連邦のドバイに到着。

20日 KC767機が83人をヨルダンに輸送。

 以上の経過から少なくとも2つの不可解なことが浮かんできます。

 1つは、自衛隊機と民間のチャーター機の派遣が同日に決定され、同日に出発していることです。それならわざわざ自衛隊機を飛ばす必要性はないでしょう。
 もう1つは、チャーター機の方が自衛隊機よりも5日も早く避難民を退避させていることです。自衛隊機がなぜ手間取ったのか事情は分かりません。

 「自衛隊機の派遣は戦闘が激化し、チャーター機の運航が困難になるなど不測の事態に備えるため」(14日付京都新聞=共同)と報じられていますが、少なくとも今回の退避はチャーター機でよかったし、チャーター機の方が迅速だったわけです。

 不可解さは、派遣された自衛隊員の実態を見るとさらに深まります。

 松野官房長官は13日の会見で、「(チャーター機)利用予定者は明言せず」、一方で「ガザには少数の邦人が滞在中」と述べていました(14日付京都新聞=共同)。
 にもかかわらず、「自衛隊はイスラエル退避のため、統合任務部隊を編成している。空自と陸上自衛隊で計約420人。空自は輸送機を運用し、陸自は移動する邦人の支援や関係機関との調整に当たっている」(22日付京都新聞=共同)。あまりにも過剰な派遣人数・態勢ではないでしょうか。戦争に行くわけではないのです。

 植村秀樹・流通経済大教授(安全保障論)は、今回の自衛隊派遣は「危機に乗じた政治的アピールでしかない」「危機を利用して自衛隊に経験を積ませ、自衛隊を活用するのが当たり前だと国民に見せたいという政府の思惑が透ける」(22日付京都新聞=共同)と指摘しています。

 一方、産経新聞は18日付の社説で、政府の自衛隊派遣は「韓国と比べ遅くはないか」と題し、「邦人退避のために働く自衛隊員や現地の外交官らへの期待は大きい」と述べています。韓国は軍の輸送機が13日にはイスラエルに到着し、14日夜には日本人と配偶者51人を同乗させてソウル空軍基地に帰着していました。

 木原防衛相が長崎の衆院補選応援演説で「(自民候補を)応援していただくことが、自衛隊のご苦労に報いることになる」と述べたのは、自衛隊機がイスラエルへ出発した翌日の15日です。

 植村氏が指摘する通り、今回の自衛隊派遣は「自衛隊を活用するのが当たり前だと国民に見せる」ため、さらには韓国軍への対抗意識だったと言えるのではないでしょうか(写真はすべて防衛省がメディアに提供した今回の自衛隊機による輸送のもよう=朝日新聞デジタルより)。

 自然災害に乗じた「災害出動」は自衛隊を「国民」に浸透させる政府の常套手段ですが、パレスチナの危機的な重大事態をも自衛隊のアピールに利用しようとする政治的思惑は醜悪としか言いようがありません。



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岡真理氏が解明する「ガザの事態」の根源

2023年10月23日 | 国家と戦争
   

 20日夜、緊急学習会「ガザとは何か」が京都市内で行われました。講師は岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)(写真右は岡氏=左端とガザの実態を訴えた女性)。

 岡氏は「日本のメディアはガザの事態を10月7日(ハマスの攻撃)からしか見ていない」とし、重要な「4つの視点」を挙げました(以下、講演から)。

 ①現在、ガザで起きていることは、イスラエルによる「ジェノサイド(大量殺りく)」にほかならない。
 日本のメディアは「地上戦」ばかり取り沙汰しているが、今起こっていることがすでにジェノサイドである。

 ②日本の主流メディアは、問題の歴史的文脈を捨象した報道によってこのジェノサイドに加担している。
 メディアは「憎しみ・暴力の連鎖」と言うが、そうではない。「どっちもどっち」ではない

 ③歴史的文脈とは何か? イスラエルは、入植型植民地国家、アパルトヘイト国家である。
 メディアはこのことを隠ぺいしている。

 ④イスラエルの犯罪を裁かない、Justiceをめぐる国際社会の「二重基準」が、ジェノサイドを可能にしている。「二重基準」は、アメリカにとって都合がいいか悪いかだ。

 ガザとは何か?

 ガザは1967年以来、50年以上イスラエルの軍事占領下にあり、2007年に完全封鎖された。これは「集団懲罰」であり、国際法違反だ。経済基盤は破壊され、住民の多くが極度の貧困状態にある。繰り返される攻撃で、社会インフラは破壊された。

 封鎖下のガザに対して繰り返されるイスラエルの攻撃

〇2008~09年  22日間  犠牲者・1400人超
〇2012年11月  8日間  犠牲者・140人超
〇2014年7・8月  51日間  2200人超(人口比では日本の15万人に相当)、白リン弾も使用
〇2021年5月  15日間  256人

 ガザの住民は、1948年のイスラエル建国にともなう民族浄化によって、暴力的に故郷を追われて難民となった人たち。人口は現在約230万人。65%が24歳以下で、40%が14歳以下。平均年齢は18歳。イチゴはじめ農産物の生産がさかんだったが、イスラエルの輸出規制によって衰退。

 主流メディアが明らかにしたがらない歴史的文脈=問題の根源は、なぜガザの人々が「難民」となったのかである。

 欧米社会は「ホロコースト後」も反ユダヤ主義という歴史的宿痾を克服することができなかった。そこでヨーロッパのユダヤ人は、帝国(米英)の力を背景に、パレスチナに自分たちの国を創った(入植)。それがイスラエルだ。

 国際社会(欧米諸国)は、ヨーロッパ・キリスト教社会における歴史的ユダヤ差別と近代の反ユダヤ主義、ホロコーストを、パレスチナ人を犠牲にすることであがなったのだ。

 ハマース(岡氏の表記)とは何か?

 1967年、東エルサレム、ヨルダン川西岸地域、ガザがイスラエルに占領された。1987年の第1次インティファーダ(パレスチナ人の抗議運動)でハマースが誕生した。

 2006年、パレスチナ民族評議会選挙で、ハマースが民主的に勝利し、統一政府がつくられた。しかしアメリカはこれを承認せず、クーデターを画策し、ガザは内戦状態になり、パレスチナは分裂した。

 ハマースは、占領された祖国の解放を目指す民族解放運動組織であり、今回の奇襲攻撃の本質は、占領下の人々による占領軍に対する抵抗(抵抗権の行使)である。

 ガザは<世界最大の野外「監獄」>と言われるが、その意味は、たんに封鎖によって物が入ってこないということではない。生殺与奪の権利を占領者が握っているということだ。
 そのガザを世界が見捨ててきた政治問題を人道問題にすり替えてはならない
 
 岡氏はある宗教家(マンスール・アル=ハッラージュ)の言葉で講演を締めくくりました。

「地獄とは、人々が苦しんでいるところのことではない。人が苦しんでいるのを、誰も見ようとしないところのことだ」

 不勉強による無知、何もしない(不作為)ことの犯罪性・共犯性を突き付けられました。「どっちもどっち」ではない。歴史を学ぶこと、歴史的視点で現実を見ることの重要性をあらためて痛感します。

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日曜日記272・「燃えあがる女性記者たち」にあって私に無いもの

2023年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム
  「燃えあがる女性記者たち」は評判通り、素晴らしい映画だった。

 インド・カースト制度最下層「ダリド」の女性たちが2002年、女性たちだけでインド北部の地方都市に週刊新聞(「カバル・ラハリヤ」)を立ち上げた。大手紙が取り上げない性犯罪、汚職、貧困などを、バスで現場に向かい、時に命の危険も顧みず、取材・報道した。そして市民の信頼をかちとっていった。

 紙媒体の限界を思い、2016年からデジタル動画配信への転換を図った。スマホなど触ったこともない記者たちだった。家庭では女性への差別と闘いながら仕事を続けた。
 ユーチューブの再生回数は16年の出発時は数千回だったが、4年後には1憶5千万回を超えた。各地に支局をつることもできた。

 ジャーナリズムとは何か。社会を変える力はどこにあるのか。その原点をあらためて考えさせられる。4年間密着して制作した監督のリントゥ・トーマス、スシュミト・ゴーシュ夫妻は、「社会は変えられると、希望を持ってもらえると思う」と話している(2日付京都新聞)。

 日本人が、とりわけ日本の記者・ジャーナリストが学ぶべきことは多い。それぞれが観てそれぞれが考えるべきだ。

 私も考えた。彼女たちにあって、私に無いものは何だろう? 彼女たちとの決定的な違いは何だろう?

 それは社会の中での立ち位置だと思う。彼女たちはカースト制という身分制度によって、さらに女性というジェンダーによって二重に過酷な差別を受けている。差別からの脱出、社会を変えることは文字通り死活問題なのだ。

 一方私は、日本に住む日本人、男、「高学歴」、現役時代は正社員、というマジョリティの側に一貫していた。今もいる。決して経済的には裕福ではなく、「社会的地位」もないが、マジョリティであることは変わらない。

 日本の記者・ジャーナリストの多くは、私と同じ立ち位置だ。加えて、彼らは私よりもはるかに高収入であり、「〇〇新聞社」という肩書の属性が加わる。

 この立ち位置・属性の違いは決定的だ。差別される側と差別する側。社会を変えなければ人間らしく生きていけない者と、変えなくても安穏として生きていける者。

 しかしこの属性を変えることはできない。では何ができる? 差別・人権侵害を受けている人たちの苦悩に想像力を働かせ、差別を許さない理性と感性を鍛えることはできる。しなければならない。

 映画の中心人物、ミラー(32)が最後に自問自答する。

「次世代の人たちはいつか私たちに問う。報道が抑圧された過渡期のインドで、あなたたちは何をしていたの?」―「私たちは、胸を張ってこう答えられる。権力の座にある人に責任を問い続けた。社会の声となって、もろい民主主義を支えた」

 「侵略戦争・植民地支配の反省もしないまま大軍拡・戦争国家化が進んだ2000年代はじめの日本で、あなたは何をしていたの?」―。そう問われて、胸を張って答えられる何かが、私にあるだろうか。

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