アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「自衛隊・安保条約肯定」に立った「安保法制反対」の違和感

2016年03月31日 | 日米同盟・日米安保

  

 安倍政権と自民、公明両党が、昨年末憲法(53条)を踏みにじって臨時国会召集要求を握りつぶしたのに続き、今度は野党が提出している戦争(安保)法制廃止法案を審議すらしないというのは、多数のおごり、国民無視も甚だしく、絶対に許されるものではありません。

 29日施行された戦争法制は、あらためて国民的議論を巻き起こし、廃止しなければなりません。

 その際、見過ごすことができないのは、「戦争法制反対」や「安倍政権批判」の論調の中に、自衛隊や日米軍事同盟(日米安保条約)を肯定するものが少なくないことです。

 例えば、「『違憲』の法制、正す論議を」と題した29日付の朝日新聞社説は、「幅広い国民の合意を欠く『違憲』法制は正さねばならない」としながら、「法制の中身を仕分けし、少なくとも違憲の部分は廃止する必要がある」「問題は…自衛隊の海外活動に一定の歯止めをかけてきた『9条の縛りを緩めてしまったことだ」といいます。これは自衛隊・安保条約自体を肯定したうえで、憲法9条は「自衛隊の海外活動」の「一定の歯止め」にすぎず、安保法制の「違憲」性も部分的なものだという立場です。

 「安保法施行 思考停止せずに議論を」という29日付の毎日新聞社説はもっと露骨に、「日米同盟は重要だ」と言い切ったうえで、日米防衛協力の新ガイドラインも評価し、「だが、同盟強化一辺倒では、国際秩序の大きな構造変化に対応できないだろう」として、「外交と防衛のバランス」を点検する「議論」を求めているにすぎません。

 しかし、戦争法制は「国民の合意を欠く」から違憲なのではなく、また従来の「政府見解」を変えたから「立憲主義」に反するのでもありません。憲法の9条や前文に照らせば、自衛隊という軍隊そのもの、他国との軍事同盟である日米安保条約自体が違憲です。戦争法制は「違憲の部分」があるのではなく、丸ごと違憲なのです。

 憲法学者の横田耕一氏は、「『安保法制』に反対する運動に関していくつかの『違和感』を持たざるをえない」として、こう述べています。
 「現在の反対運動のなかでは…反対論の依拠する出発点は『72年内閣法制局見解』にあるようで、それからの逸脱が『立憲主義に反する』として問題視されている。したがって、そこでは自衛隊や日米安保条約は合憲であることが前提とされている。過去の『解釈改憲』は『立憲主義に反しない』ようである。
 けれども、『72年見解』等は、憲法前文の趣旨が示す『武力によらない安全保障』から『(個別的自衛権の行使を含む)武装による平和保障』への質的転換を意味するものであるから、『安保法制』は『72年見解』の延長線上にある量的変化と見做すべきものである(『周辺事態』から『重要影響事態』への改変が量的変化であるように)」(「靖国・天皇制問題情報センター通信」2015年11月号)

 違憲性は「量的変化」(「安保法制」「重要影響事態」)ではなく「質的転換」(「72年法制局見解」「周辺事態」)に表れ、そこにこそ着目すべきだという指摘です。
 憲法違反の自衛隊・日米安保を肯定しながら、「日米同盟の強化」を前面に出してくる安倍政権の戦争法制や米軍基地強化と正面からたたかうことができるでしょうか。
 戦争法制廃止へ向けた議論・運動の中で、いまあらためて、自衛隊・日米安保自体の違憲性を問い直す必要があるのではないでしょうか。

 そんな中、「シールズ琉球」の元山仁士郎さんの記事(写真右)が目を引きました。
 「元山さんは…自衛隊配備に多額の予算が付けられていることを批判した上で『沖縄は3人に1人が貧困状態だと言われる。防衛予算額をより多く貧困家庭や待機児童、福祉などの予算に充てるようにするべきではないか』と語った」(29日付琉球新報)

 「防衛予算を福祉に」。いまや日本共産党からも聞かれることが少なくなったこの言葉が、若い元山さんから聞かれたことがうれしく、そして頼もしくてなりません。
 軍事費タブー、安保条約・自衛隊タブーを打ち破って、その違憲性を根本から問い直す学習・議論が、若い人たちの間で広がることを願ってやみません。


高江・反対住民排除に手を貸す翁長氏

2016年03月29日 | 沖縄・安倍政権・翁長知事

   

 「高江ヘリパッド」に関する翁長知事の背信行為は、建設容認だけではありません。重大なのは、安倍政権(国家権力)による強権的な反対住民排除に協力しようとしていることです。

 23日の「第1回和解後協議」で、菅官房長官は翁長氏に対し、ヘリパッド建設に反対している住民(写真左ー2013年撮影)の車両撤去に協力を求めました(写真中)。これに対し、翁長氏はこう答えました。

 「県としても今日までの口頭の指導で道路法に違反しているのでどくように話しているが、法律の内容で強制的に執行することは、全国的に難しいところだが、いずれにしろ文書指導をしていきたいという話はした」(24日付琉球新報)

 この点について会談後の記者会見で、「北部訓練場のヘリパッド新設が反対運動などで進んでいない。県は排除に協力する姿勢か」との質問に、菅氏は、翁長氏が「オスプレイ」の問題を出しながらも、「適宜協力する」(同琉球新報)と述べたことを明らかにしています。

 27日の中谷防衛相との会談でも中谷氏から同様の要請があり、翁長氏は「会談後、違法駐車に対しては新たに文書で指導する考えを記者団に示した」(28日付琉球新報)といいます。

 安倍政権は辺野古の代執行訴訟で「和解」(4日)が成立して以降、高江のヘリパッド強行の動きをいちだんと強めています。翁長県政幹部も、政府が「辺野古を止めている間、北部訓練場に全勢力を注いできている」(18日付琉球新報)と認めています。「和解」による「辺野古埋め立て工事」の一時中止が手放しで喜べないことはこのことからも明らかです。

 政府・防衛局はこれまで県に対して「任意の要請」という形で反対住民の車両撤去を求めていましたが、14日には防衛局職員がゲート前に出向き、直接撤去を迫るとともに、監視カメラを設置しました。さらに17日には行政手続法に基づいく文書で県に撤去を要求しました。

 菅氏や中谷氏の「協力要請」はこうした流れの中で行われたものです。それに対して翁長氏は、これまでの「口頭」から今後は「文書」で反対住民に撤去を求めると答え、政府への協力姿勢をさらに強めることを約束したのです。

 反対住民・市民を実力で排除しようとするのは辺野古でも日常的に行われていることです。県公安委員長の任免権を持つ知事は、県警の「過剰警備」をやめさせるべきですが、翁長氏は一貫して傍観してきました。それはいわば政府への「消極的協力」ですが、高江住民に対しては「積極的協力」の姿勢をとろうとしているのです。

 沖縄防衛局は高江の反対運動に打撃を与えるため、「通行妨害」を口実に国が住民を訴えるという言語道断の手段(スラップ訴訟、2008年11月)まで使いました。反対運動を抑えるためには国家権力は手段を選びません。
 その国家権力の実力排除に、翁長氏は手を貸そうとしているのです。


オスプレイでなければ「高江ヘリパッド」は許されるのか

2016年03月28日 | 沖縄・安倍政権・翁長知事

   

 27日の会談で中谷防衛相が東村高江のヘリパッド(離着陸帯)の建設への「協力」を求めたのに対し、翁長知事は「オスプレイが運用される限り、建設計画は容認しない考えを示した」(28日付琉球新報)といいます。

  これは正確ではありません。なぜなら、会談後の会見で翁長氏の真意を確かめるため記者が「『高江でのオスプレイの運用を止めるべきだ』か、『オスプレイが運用される限り、ヘリパッドを造るべきではない(琉球新報の記事ー引用者)』か。どちらか」と聞いたのに対し、翁長氏はこう答えたのです。
 「両方、その意味ではこれから一つの考え方として議論する必要があるだろうし、それにまた限らないとも思う」(28日付琉球新報「一問一答」)
 質問の前者(「高江でのオスプレイの運用を止めるべきだ」)であれば、高江ヘリパッド建設自体には反対せず、建設後にオスプレイの運用について協議することになります。これは「高江ヘリパッド容認」論にほかならず、翁長氏はそれを否定していないのです。

 さらに根本的に重要なことは、仮にオスプレイが運用されなければ、高江ヘリパッド建設は容認されていいのか、ということです。
 オスプレイ撤去の必要性は言うまでもありませんが、高江のヘリパッド建設が許されないのはそれがオスプレイの基地になるからだけではありません。オスプレイが運用されようとされまいと、高江ヘリパッド建設は絶対容認できるものではありません。

 第1に、「高江ヘリパッド」は新たな軍事基地建設にほかならないからです。
 SACO(日米特別行動委員会)は「米軍北部訓練場の過半の返還」の条件として高江の7個所(のちに6個所)のヘリパッド建設を要求しました。翁長氏は中谷氏との会談で「SACO合意の着実な実施は県も求めている」(28日付琉球新報)と改めて表明しました。しかし、そもそも北部訓練場は無条件に返還されるべきであり、引き換えに新たな基地(ヘリパッド)を要求すること自体認められるものではありません。

 第2に、ヘリパッド建設は、高江住民の命と「健康で文化的な生活」(憲法25条)を脅かす憲法違反の暴挙だからです。
 墜落の危険や日常的な爆音被害がオスプレイだけのものでないのは言うまでもありません。たとえば、沖縄国際大学に墜落(2004年8月13日)した米軍ヘリはCH53D型機でした。キャンプハンセンに落ちた(2013年8月5日)米軍ヘリはHH60型機でした。オスプレイに限らず、軍事基地がある限り、住民は生命と健康の危機にさらされるのです。

 第3に、高江ヘリパッドと進入路の建設はやんばるの森(写真左)の貴重な自然を破壊するからです。
 WWFジャパン(世界自然保護基金ジャパン)によれば、ヘリパッド建設予定地とその周辺には4000種を超える野生生物が記録されています。その中にはノグチゲラ、ヤンバルクイナなどそこだけに生息する固有種、絶滅の恐れのある種が数多く含まれています。「ヘリパッドの建設と軍用機による訓練は、自然破壊と野生生物へきわめて大きい影響をおよぼす…世界の非常識」(WWF「米軍北部訓練場のヘリパッド建設の中止を求める」2007年6月14日)なのです。

 そうです。「高江ヘリパッド」と「辺野古新基地」はまったく同じ構図、同じ根っこなのです。高江のやんばるの森は辺野古の大浦湾であり、高江の北部訓練場は辺野古の普天間基地にほかなりません。オスプレイのいかんにかかわらず「辺野古新基地」は反対であるのと同様に、オスプレイが運用されようとされまいと「高江ヘリパッド」には反対しなければなりません。
 「辺野古新基地反対」と「高江ヘリパッド建設反対」はまさに一体なのです。

 ところが翁長氏は「オスプレイ撤去」というだけで高江ヘリパッド自体には反対しない、いいえむしろ容認し、「着実な実施」を求めているのです。このようなダブルスタンダードはけっして許されるものではありません。

 「高江」に対する翁長氏の許されざる言動はこれだけではありません。それについては明日書きます。


今に続く大相撲と天皇制の深い関係

2016年03月26日 | 天皇制と日本社会

  

 大相撲春場所はあす千秋楽を迎え、琴奨菊の優勝も横綱昇進もなくなりました。
 1月の初場所で琴奨菊が優勝したときは、「日本出身力士として10年ぶり」と大騒ぎされました。

 その初場所初日の1月10日、奇妙な光景をテレビの中継で見ました。
 大相撲の結びの一番では、行司の木村庄之助が「この相撲一番にて本日の打ち止め」と言うのがしきたりです。ところがこの日、庄之助は「…本日の結び」と言ったのです。「打ち止め」ではなく「結び」。なぜこの日に限り決まり文句が変わったのか。

 理由は、この日が天皇・皇后のいわゆる「天覧相撲」だったからです(写真中)。
 「天覧相撲」だとなぜ「打ち止め」が「結び」になるのか。アナウンサーは何やら「説明」していましたが意味不明でした。後で調べても分かりませんでした。確かなことは、「天覧相撲」では特別の言葉が使われる、ということです。

 大相撲と天皇制はきわめて密接な関係にあります。その一端を挙げてみます。

 ★「天皇賜杯」と「御下賜金」…優勝力士に優勝杯(「天皇賜杯」)(写真右)を贈る習わしができたのは1926年、ときの皇太子(後の昭和天皇)が観戦し、相撲協会に渡した金(「御下賜金」)で製作したのが始まりです。さらにこれを機に東京と大阪に分かれていた相撲協会が合併し、「大日本相撲協会」が設立しました。天皇裕仁の観戦と資金提供が今日の相撲協会の原型をつくったのです。

 ★土俵の屋根と伊勢神宮…現在の土俵の屋根(屋形、写真左)の様式は神明造といいますが、それまでの入母屋造(法隆寺金堂など)から変わったのは、1931年、裕仁の「天覧夏場所」からです。神明造は天照大神を祀る伊勢神宮・神明社の様式です。
 「賜杯の製作が…相撲協会合併の決定的な契機になったこともあり、天皇とのより強い結びつきを示し、国技の地位を盤石にする意向がなかったとは言えまい。そのために、皇室ゆかりの伊勢神宮の形にならったということは十分に考えられる」(内館牧子氏、『女はなぜ土俵にあがれないのか』)

 ★「国策」推進の一環…戦前・戦中の大相撲は天皇制大日本帝国の「国策」推進の道具でした。新田一郎氏の『相撲の歴史』によれば、当時相撲協会の会長・理事長には軍人が就くのが習わしでした。『武道としての相撲と国策』(藤生安太郎衆院議員著)では、相撲を素材として「日本民族の優秀性」を説き、「聖戦遂行」「国民総動員」の「国策」に沿った「相撲道」の振興が説かれました。台湾、満州には植民政策の一環として「相撲の普及と標準化」が図られました。
 「ナショナリズムの高揚が相撲人気の活況と連動するという現象は、明治末期と共通するが、この、昭和十年代の相撲ブームの場合には、それが単なる社会現象としてでなく、『国策』の一環として演出されたものという性格を強く併せ持っていた点に特色がある」(新田氏、同著)

 「賜杯」や「屋形」さらに冒頭の行司の言葉など、大相撲は天皇制との深い関係の歴史を今も受け継いでいます。天皇制が無意識のうちに日常生活に入り込んでいる例です。
 今日の大相撲は、「ナショナリズム」や「国策」とどうかかわっているのでしょうか。


「和解の舞台裏」ー安倍政権と裁判長が極秘に接触?!

2016年03月25日 | 沖縄・翁長・辺野古

  

 24日の沖縄タイムスや中国新聞に、「辺野古和解の舞台裏 菅氏主導 極秘の調整 訴訟不利で急旋回」(中国新聞)の見出しで、共同通信配信の記事が掲載されました。
 「和解」は安倍政権と福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長(写真中)が事前に極秘裏に接触した結果決まったなど、重大な内容が含まれています。要点を転載します。

<安倍政権が和解を受け入れた背景には、代執行訴訟の形勢が不利となった「誤算」があった。

 「何らかの対応を考えてほしい。和解案のA案がベースだろうか
 2月2日、首相官邸の執務室。安倍晋三首相は、国の訴訟を所管する法務省の定塚誠訟務局長らを前に切り出した。福岡高裁那覇支部が提示した二つの和解案のうち、A案は「根本案」と呼ばれる。県が辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しを撤回する代わりに、政府が米国と移設後30年以内の「返還」などを交渉する根本的解決を目指す内容だ。

 1月29日、高裁支部が代執行訴訟について、今後も裁判で争うなら「国が勝ち続ける保証はない」と和解勧告を示した

 これ以降(2月12日の菅官房長官・岸田外相・中谷防衛相らの協議ー引用者)、菅氏は関与する人数を絞る。外務、防衛両省の官僚は排除した。「政府が和解に動いていると分かれば、沖縄県が和解に応じなくなる恐れがあった」と周辺は読み解く。岸田、中谷両氏に加え、定塚氏がメンバーに残った

 菅氏らは和解勧告や裁判所の訴訟指揮を分析。その結果、国が訴訟をいったん取り下げて県と再協議する暫定的な解決案(B案)の受け入れに傾く。関係者は「定塚氏は高裁支部の多見谷寿郎裁判長と連絡をとっていたとみられる」と証言する

 「沖縄は本当に乗ってくるのか。裁判をうまく乗り切れるなら時間がかかってもかまわない」。2月下旬、首相はB案を軸とする菅氏の対応を追認する。

 高裁支部が最終的に示した和解条項はB案を修正したものだった。再訴訟になった場合、判決に従うとともに「その後の(判決の)趣旨に従って互いに協力して誠実に対応することを相互に確約する」(第9項ー引用者)と明記した。
 これを根拠に菅氏は再訴訟に勝てば、辺野古移設に司法のお墨付きを得て辺野古移設を推進できるとのシナリオを描く

 最後に残ったハードルは、米側の説得だった。和解を決めた3月4日の数日前、首相に近い谷内正太郎国家安全保障局長や、外務省の森健良北米局長をワシントンに派遣。一時帰国していたケネディ駐日大使が「安倍首相は約束を守る」と口添えし、移設の行方を不安視する米政府内の声を抑えた。>

 この記事で明らかにされているのは次の点です。
 ①「和解」は代執行訴訟で敗訴が濃厚だった安倍政権の窮地を救った。
 ②菅氏らは多見谷裁判長と水面下で接触した結果、「和解案」の受け入れを決定した。
 ③和解条項に第9項を追加し辺野古移設の「司法のお墨付き」にしようと考えた。
 ④安倍首相の念頭には「抜本案」(A案)がある。
 ⑤米政府は「辺野古移設」という安倍政権の約束を再確認して「和解」を了承した。

 「和解」が誰を利するものか、第9項がどういう意味を持っているか、あらためて浮き彫りになっています。

 さらに、同じ24日の沖縄タイムスの社説は、定塚訟務局長が「和解後協議」の「作業部会」に加わることに関連して、こう書いています。

 「定塚局長は、行政代執行訴訟の国側代理人で、行政訴訟のエキスパート。和解条項の案文や和解受け入れに深く関わった当事者だ。しかも、和解を勧告した福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長と定塚氏は、成田空港に隣接する農地の明け渡しを求めた『成田訴訟』を千葉地裁、東京高裁の裁判官として手がけた過去がある。多見谷氏が福岡高裁那覇支部に異動になったのは昨年10月30日のことである

 共同通信の配信と沖縄タイムスの社説を総合すれば、「和解案」は、「成田訴訟」でともに市民の反対運動を抑えた旧知の仲である定塚局長と多谷見裁判長の水面下の合作だった。多見谷氏の異動はそのためだった可能性もある、ということになります。

 これが事実なら、たんに多見谷氏の責任にとどまらず、司法の堕落、安倍政権下での「三権分立」の蹂躙として、きわめて重大です。


和解後協議ー「第9項」の〝不一致”棚上げは許されない

2016年03月24日 | 沖縄・翁長・辺野古

  

 辺野古新基地建設をめぐる安倍政権と翁長知事の「和解」後初の協議が23日首相官邸で行われましたが、最も危惧されたことが早くも現実になろうとしています。和解条項の最重要項目である第9項について、双方の「解釈の不一致」が棚上げされたまま、協議を進める(時間稼ぎをする)レールが敷かれようとしているのです。

 和解条項第9項は、「原告および利害関係人と被告は、是正の指示の取消訴訟判決確定後は、直ちに、同判決に従い、同主文およびそれを導く理由の趣旨に沿った手続を実施するとともに、その後も同趣旨に従ってお互いに協力し誠実に対応することを確約する」としています。
 これは「是正指示取消訴訟」で国が「勝訴」した場合、その後の「埋立承認撤回」などの知事権限もすべて封じて新基地建設を強行しようとするものです。
 まさに、「この9項にこそ、『工事中止』を見せ金としつつ、安倍官邸が和解にかけた新基地工事強行戦略の秘策が隠されている」(仲宗根勇元裁判官、22日付沖縄タイムス)のです。

 このとんでもない「和解」を受け入れたことについて翁長氏は、「今回の和解は、代執行訴訟と関与取り消し訴訟2件の和解だ」(町田優知事公室長、3月8日県議会答弁)として、その後の知事権限行使は縛られないという、政府とは異なる「解釈」で追及をかわそうとしています。

 はたして「第9項」の真相はどうなのか。政府と県の「解釈」を擦り合わせ、「不一致」をなくすことこそ「和解後協議」の最大の焦点でなければならないでしょう。

 ところが、協議後の記者会見で「その話は出たか」との記者の質問に、翁長氏はこう答えたのです。

 「きょうはこの件はまったくない。和解に関するものは作業部会をつくることと、メンバーを特定したということだ」「そこでその話(和解条項の解釈)もするということなので、そこ(作業部会)で練った後で議論が出てくるのではないかと思っている」(24日付琉球新報)

 「作業部会」なるものをつくって、そこで「和解条項の解釈」について話し合うというのです。

 ところが一方、菅官房長官は同じく協議後の記者会見で、「和解条項9項の解釈を政府と県が擦り合わせるか」との質問にこう答えています。

 「そういうことはないだろう。明快に書いてあるわけだから、それに基づいてお互いに判断する。それに尽きるだろうと思う」(24日付琉球新報)

 菅氏は「9項の解釈」について県との擦り合わせはしないというのです。菅氏の言明と翁長氏の会見は明らかに食い違っています。会見で述べたことが本当なら、翁長氏は直ちに菅氏に抗議し発言を撤回させるべきでしょう。
 そうでなければ、翁長氏の発言は「第9項」を受け入れた責任追及から逃れるための方便だということになります。

 「協議の〝土台”である和解条項の認識のずれを引きずったままの話し合いの先に、『円満解決』は見通せない」(24日付沖縄タイムス)のはあまりにも当然です(そもそも「円満解決」などありえないことは後日述べます)。
 
 辺野古新基地阻止にとってきわめて重大な意味をもつ「和解条項第9項」。安倍政権と翁長氏がその「解釈不一致」を放置し棚上げしたまま「協議」を続けることは絶対に許されません。
 


「米兵暴行事件抗議集会」-翁長知事はなぜ参加しないのか

2016年03月22日 | 沖縄・翁長・辺野古

  

 米兵女性暴行事件に抗議する沖縄県民の緊急集会(21日、辺野古)は、予想を大幅に上回る2500人(主催者発表)の参加で、大きな力を示しました。

 集会では、「米海軍兵による性暴力を許さない緊急抗議集会決議」が大きな拍手で確認されました。「決議」は、「もはや再発防止策や綱紀粛正などの実効性のない対策ではこのような事件は防げない。すべてが基地があるが故に起こる事件・事故であり、抜本的対策は米兵の沖縄からの撤退と基地の撤去以外にない」と強調しています。

 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代共同代表(写真右)は、「新基地建設は当然反対だが、もはや基地の存続自体を拒否する声を出していこう」(22日付琉球新報)と訴えました。
 「ヘリ基地反対協議会」の安次富浩共同代表も、「根本的な解決は沖縄にある米軍基地を全てなくすことだ。そういう運動をみんなでつくっていこう」(同)と呼びかけました。
 参加者のプラカードにも、「全基地撤去」の文字が目につきました(写真中)。

 いっこうになくならない「米兵犯罪」に対し、「綱紀粛正」などのびぼう策ではなく、全基地撤去という根本策を求める声が、辺野古新基地反対とあわせて強まっているのことを、抗議集会ははっきり示しました。

 その画期的な県民集会に、翁長雄志知事の姿はどこにもありませんでした。
 参加しなかったばかりか、「メッセージ」すら寄越しませんでした。
 
 この日の「知事日程」は、新聞発表されていません。ということは「公務」はなかったということです。県民が怒りのこぶしを挙げているときに、翁長氏はいったいどこで何をしていたのでしょうか。
 米軍の「謝罪」(14日)に対し、翁長氏は「強い憤りを覚えている」(15日付琉球新報)と言いました。その言葉がまことなら、県民集会に参加する、少なくとも「メッセージ」を送るのが当然ではありませんか。あの「憤り」は何だったのですか。

 「普天間返還」約束のきっかけとなった1995年の「米兵少女暴行事件」。その抗議に8万5000人(主催者発表)が集まった県民総決起大会で、大田昌秀知事(当時)は挨拶の冒頭でこう述べました。「行政を預かる者として、本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかったことを心の底からおわびしたい」。翁長氏とのなんという違いでしょう。

 翁長氏の〝現場嫌い”は今に始まったことではありません。「辺野古は最重要」と口ではいいながら、知事就任以来1年3カ月余、「辺野古」には1度も行っていません。「高江」はもちろんです。辺野古や高江の現場でたたかっている人たちがいくら「翁長知事を支える」と言っても、翁長氏の顔は現場には向いていないのです。

 翁長氏が21日の集会に参加もせずメッセージも送らなかったのは、たんに〝現場嫌い”だからではないでしょう。県民の声が高まっている「全基地撤去」は当然日米安保条約=軍事同盟廃棄につながります。日米安保堅持が持論の翁長氏は、その根本において相入れないのです。

 すべての米軍基地撤去を望む人たち、団体、政党・会派が、日米安保堅持の翁長氏を「支持」し続けるのは、大きな錯誤と言わねばなりません。


「米軍暴行事件」の怒りは、全基地撤去=日米安保廃棄へ

2016年03月21日 | 日米安保・沖縄

  

 13日那覇市で起こった米兵による女性暴行事件。琉球新報、沖縄タイムスは連日大きく報道し、今日21日午後から抗議の県民集会が開かれます。

 一方、本土の新聞は、岩国基地をエリアとする中国新聞でさえ第1報は社会面ベタ記事。以後もいずれもベタで2本短い記事が載っただけです。
 沖縄と本土のこの違いにはあらためて愕然とします。この事件を私たちはどう捉えたらいいでしょうか。

 事件に関する論調で気になることが2つあります。

 1つは、今回の被害者が本土の観光客だったことから、「女性の人権蹂躙」を批判すると同時に、「本県の基幹産業である観光産業にも影響を及ぼしかねず、極めて遺憾」(翁長雄志知事、15日付沖縄タイムス)、「事件によって沖縄観光のイメージダウンにつながらないか懸念も募る」(16日付沖縄タイムス社説)など、「沖縄観光」への影響と関連付ける論調です。

 この「観光打撃」論に対し、乗松聡子さん(「ジャパン・フォーカス」エディター)は、「もし被害者が『観光客』でなかったらどう言っていたのか。…レイプはレイプ(合意のない性行為)だからいけないのだ。他の理由などない。本質からそれる議論は犯罪そのものを希釈する」(19日付沖縄タイムス、写真右)と批判しています。まったく同感です。

 さらに、被害者が観光客であったことから、「今回の事件が沖縄だけの問題ではなく、日本全体の問題だと国民が考えるきっかけとなることを望む」という沖縄の識者の声もあります。本土の無関心に対する切なる声ですが、観光客として被害者になる可能性があるから「日本全体の問題」と考えるというのは、やはり違うでしょう。沖縄へ観光に行こが行くまいが、沖縄の基地問題は「日本全体の問題」なのです。

 もう1つは、事件への怒りが、問題の核心へ届いていないことです。

 乗松さんは、「米軍の性犯罪は米軍がいる限りなくならない。すぐ全面撤退できないなら短期的には犯罪を減少させるための規則厳格化は必要だが、目標自体を『米軍完全撤退』に置かない限り再発を想定していることと同じだ。『安保』と女性の人権は到底両立などできないという根本に立ち返りたい」(前出)と主張しています。
 同じく海外識者のキャロル・ミラーさん(米平和団体会長)も、「こうした事件が二度と起きないようにする最も効果的な方法は、沖縄からすべての米軍を撤退させることである」(20日付沖縄タイムス)と指摘しています。
 ステファニー・オートリバーさん(国際人権弁護士)も、「沖縄で米兵による性犯罪をなくす唯一の解決法は、沖縄から米軍基地を撤去し、沖縄の人々に土地を返すことだ」(21日付沖縄タイムス)と強調しています。

 いずれもきわめて正当で、貴重な主張です。
 ところが、この正当な主張が、沖縄の声としてあまり聞こえてこないのはどうしたことでしょうか。

 琉球新報は社説(15日付)で、「大規模な在沖基地縮小、米兵の大幅な削減以外には女性の人権を守る術はない」とし、基地の全面撤去ではなく、「大幅縮小」にとどめています。
 翁長知事に至っては、事件後も「沖縄は戦後70年にわたり、悲惨な事件・事故に耐えながら日米安保体制を支えてきた。子や孫に対する責任があり、絶対に許せない」(15日付沖縄タイムス)と述べ、なおも「日米安保体制を支え」続ける姿勢を示しています。

 そんな中、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(高里鈴代、糸数慶子共同代表、写真中)が15日、5項目の「抗議声明」を出し、その最後に「沖縄の全基地、軍隊の撤退」を盛り込んだことはきわめて重要で注目されます。

 「沖縄の全基地、軍隊の撤退」は、日米安保条約(軍事同盟)の廃棄なくしては不可能です。
 そして、「米軍の性犯罪は米軍がいる限りなくならない」のは本土ももちろん同じです。
 米兵の性犯罪を根絶する核心は、基地の全面撤去=日米安保条約の廃棄です。その世論を沖縄で、そして本土で広げていくことが、今回の事件を「日本全体の問題」ととらえることではないでしょうか。


「隠される内部被曝」ー矢ケ崎克馬さん怒りの告発

2016年03月19日 | 東日本大震災・東電福島原発

  

 琉球新報(3月16、17、18日)に矢ケ崎克馬さん(琉球大名誉教授、写真)の「隠される内部被曝―福島原発事故の実相」が掲載されました。たいへん重要な内容なので、ポイントを紹介します。

事実を歪曲する日本政府・・・①政府はモニタリングポストの値を正式汚染データとしているが、確認測定を行った結果(2011年秋)、発表データは実際の汚染の平均54%しか示していないことが明らかになった(写真中)。
 ②土壌の汚染は空間線量で示すべきだが、政府は臓器ごとに被曝線量を分割する「実効線量」(架空の線量)に置き換えるなどして実際の3割程度にしている。この背景には国際原子力産業集団の意図が働いている。
 ③悲しいことにすでに福島県の小児甲状腺がんは163人に広がっている。科学的見地からは紛れもなく放射線が起因と証明されているが、福島県健康調査検討委員会は「関連性は確認されていない」と言い続けている。

チェルノブイリ原発事故(1986年、以下チ)対応との多くの違い・・・①放射能放出量は福島の方が2倍から4倍多い。チが100万kw1基の爆発に対し、福は4基、合計281万kwが関与。
 ②チは事故の7カ月後に石棺を構築して一切の放射性物質の漏えいを防止したが、福島は5年たつ今も空中・水中に放出し続けている
 ③チは5年後に住民保護法ができ、年間5㍉シーベルト以上の区域では住居も生産も禁止された。健康対策、子どもの保養など、膨大な予算を国家が支出して住民を保護している。日本は年間20㍉シーベルト基準で住民帰還を強力に促している。チが居住を禁止している年間5㍉シーベルト以上の汚染域には100万人規模が生活を続けている。
 ④チでは汚染地に汚染のない食べ物を現物支給したが、福島では「食べて応援」の大合唱とともに、行政が子どもたちの給食に「地産地消」を断行させた

★「風評被害」と農家の人権・・・「風評被害」とは、放射線被害を心の問題にはぐらかす手段の用語だ。「精神的ストレスが病気を生む」論理は、核時代を貫く犠牲隠しの手段である。
 安全な食べ物を供給することが農業生産の使命である。健康を害する可能性のある放射能汚染された食べ物を、自らの意に反して生産させられるほど酷な人権侵害はない

★「放射能公害」と認識し、全市民対象の早急な施策を・・・深刻な放射線公害が意図的に無視されている。日本市民は放射能公害として事態を認識すべきである。放射能公害から市民を守り、被害者を政府・行政の責任において速やかに保護する必要がある。
 避難者だけでなく全市民を対象にした次の行政施策を提起する。①避難・移住の権利を認め国が保障する②健康被害の全国調査の速やかな実施③放射能に弱い人々を保護する予防医学的防護の実施④甲状腺検診の全国実施⑤放射性物資の移入移出を防止する⑥加害企業としての東電の社会的責任を明確にする

★<エピソード>内部被曝を隠すNHK・・・2011年7月2日のNHK「週刊ニュース深読み」に出演依頼があった。私(矢ケ崎氏)は日本の小児がんの死亡率が1945年の原爆投下後5年で3倍に跳ね上がっていることを示すデータをフリップにしてもらった。内部被曝の被害を世界で初めて明らかにしたデータである。
 ところが当日スタジオに入ると私の足元にあるはずのフリップがない。近くの職員に「すぐ持ってきてください」と頼んだが、渡せないという返事。開始30秒前であり、私はそのまま番組に出演するしかなかった。後日、経緯を文書で説明するよう求めたが、応じてもらえなかった。

 内部被曝と「風評被害」「食べて応援」と農家の「人権侵害」・・・たいへん考えさせられる問題です。
 矢ケ崎さんは別のところでこうも言っています。

 「肝心なことは政府や東電の規準に従順に従うとき、農民は基本的人権が破壊されることです。『食べて応援』と全国の消費者を内部被曝させる汚染拡大の道に引き込みます。被曝を受け入れて支援しようとすることは権力支配の下で犠牲を共有することとなります命を大切にすることが共通の合言葉となった時、初めて汚染地内外で、全人格を貫く連帯が生まれます」(沖縄県民間教育研究所機関誌「共育者」2016年2月号)

 「基地問題」にも通じる言葉として、かみしめたいと思います。


「3・11」と天皇④ 憲法にない「公的行為」の拡大で「権威」強化

2016年03月17日 | 震災・天皇

  

 「この大災害についての天皇陛下のお気持ちは、三月十六日に放映されたお言葉に尽きて(いる)」(「文芸春秋」2011年5月号)。
 川島裕侍従長(当時)がそう言うように、同日の「ビデオメッセージ」(写真左)はきわめて大きな意味を持っています。

 「災害に際し、天皇陛下が映像で国民にメッセージを発したのは今回が初めて」(2011年3月17日付朝日新聞)。いいえ、災害に限らず、「天皇のビデオメッセージ」は前代未聞です。それだけにたんに「3・11」との関係にとどまらず、天皇制そのものにかかわる歴史的な出来事だったと言えるでしょう。
 
 日本国憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と、天皇がなし得る行為を厳格に定めています。
 そしてその「国事行為」は、第6条の「内閣総理大臣の任命」「最高裁長官の任命」と、第7条の10項目を合わせた12項目に限定されています。

 しかし天皇は実際にはそれ以外の公的な活動を頻繁に行っています。国会開会式での「おことば」や、国体・植樹祭などへの出席、先のフィリピン訪問などの皇室外交はその一例です。それらは「国事行為」ではなく、憲法にはない「公的行為」として容認(黙認)され慣習化しています。
 今回の「ビデオメッセージ」はその「公的行為」の一種だと考える以外にありません。
 また、東北3県はじめ各地への訪問(「巡幸」)、さらに「3・11」以後頻繁に行われた専門家からの意見聴取(「内奏」)も「公的行為」の範ちゅうです。

 「公的行為」には「違憲」「合憲」(第7条第10項の「儀式」の一環とみなす)の両説あります。私は「違憲」だと考えていますが、それはひとまず置くとしても、重要なのは次の指摘です。

 「いまここで大事なことは、学説がどのようなものであれ、また、どの説が有力であれ、政府の承認の下に、現に天皇は・・・これら公的な行為を行っているという事実である。この結果、天皇が国民の前に公的資格で登場する場面は、きわめて広汎なものとなっている。そしてそれらはそれぞれに天皇の権威を高めることに役立っている」(横田耕一氏、『憲法と天皇制』)

 ここで見落としてならないのは、たとえ「合憲説」をとるとしても、「もちろん、こうした行為(「公的行為」―引用者)も・・・内閣の直接または間接の(宮内庁を通じて)補佐の下に、内閣が責任を負うかたちで行われる必要がある」(佐藤幸治氏、『日本国憲法論』)ことです。「公的行為」といえども、「内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う」(憲法第3条)ことから逸脱することは許されないということです。

 「3・11ビデオメッセージ」は、「内閣の助言と承認」を得ていたでしょうか。
 とてもそうは考えられません。川島前侍従長によれば、「ビデオメッセージ」発表に至る経過はこうです(「文芸春秋」2011年5月号より)。

 2011年3月15日。天皇は、「このような未曾有な時にあたり、御自身のお気持ちを国民に伝えたいとお考えになり・・・ビデオ収録による放映を行われることをお決めになった」。「陛下は・・・お言葉の作成を進められた」。翌16日。「お言葉の草稿も午前中には完成した。午後二時頃、ビデオ収録の時間を午後三時にセット。・・・午後三時、ビデオ収録開始。・・・ビデオは午後四時半テレビ各局で一斉に放映された」

 この経過を見る限り、「内閣の助言と承認」を得ているとは考えられません。たしかに「放映の決定」は宮内庁長官と川島氏に「相談の上」なされたとしていますが、宮内庁がかかわったのもこの時だけです。
 「3・11ビデオメッセージ」は、発案から原稿作成・収録・放映まで、一貫して天皇明仁の“自発的”意思と行動によって行われたものだったのです。

 これはこれまでの「公的行為」にもない、そして(「公的行為合憲説」も含め)憲法が規定している「内閣の助言とい承認」を逸脱した、天皇の独断専行と言わざるをえません。

 仮に「内閣の助言と承認」に基づくものだったとしたら、それはそれで新たな問題を生じます。大災害という「未曾有な時」(緊急事態)に際し、政権が天皇の「権威」によって「国民」を鎮静化し統制しようとする新たな「天皇の政治利用」だからです。

 しかも「メッセージ」は手続きだけでなく内容にも多くの問題があります。「自衛隊」と「原発」については先に見てきたとおりですが、それ以外に、「メッセージ」の問題個所を2つ挙げます。

 「海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています」

 「海外の論調」を紹介する形をとりながら「日本人」の“美徳”を誇示しているのです。ここには同じ「3・11」の被災者でありながら外国人は視野に入っていません。

 「今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き・・・これを被災地の人々のお伝えします」

 「各国の元首」から天皇に電報が届き、それを天皇が「被災地の人々」に伝える。これは天皇こそが日本の「元首」であると言っていることにほかなりません。

 以上、「3・11」の「天皇ビデオメッセージ」は、これまでの「公的行為」の枠をも超え、「元首」としての天皇の「権威」を高め、「国民統合」のいっそうの機能強化を図る重大な転機だったのです。

 その後も、憲法に反する「公的行為」によって天皇の「権威」を高めようとする動きは強まっています。
 それは、戦争法制による自衛隊の増強・暴走、日米軍事同盟の強化と一体不可分です。

 ※このシリーズはいったん終わりますが、「天皇・天皇制」の動向はさらに注視していきます。