アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

難民選手を失格させた五輪の「政治的」とは何なのか

2024年08月12日 | 五輪とメディア・政治...
   

 9日のパリ五輪で、ブレイキン女子に出場した難民選手団のアフガニスタン出身・マニジャ・タラシュ選手がIOC(国際オリンピック委員会)から警告を受け、失格になりました。「演技中に「FREE AFGHAN WOMEN(アフガニスタンの女性を解放しろ)」と書かれたケープを広げた。五輪憲章は大会期間中に選手らが試合会場などで政治的なメッセージを送ったり、ジェスチャーを行なったりすることを認めていない」(10日付朝日新聞デジタル、写真左)からです。

「(タラシュ選手は)ダンスを始めると頭のバンダナをとり去った。女性は全身を覆うブルカの着用を求められるアフガンの状況に抵抗するかのように黒髪をあらわにした。さらに黒いスエットシャツを脱ぐ。現れた水色のマントには英語で「アフガニスタン女性を解放せよ」と書かれていた」(11日付京都新聞=共同)

 これが「政治的メッセージ」だというのです。いったいどこが、何が「政治的」だというのでしょうか。

 「アフガニスタン女性を解放せよ」。それは確かにタリバン政権に対する抗議です。しかし特定の政治思想ではありません。服装の自由、教育を受ける権利の保障はじめ、「女性解放」の要求はきわめて当然な普遍的主張です。

 それを「政治的」というなら、侵略戦争・植民地支配の旗頭となった「日の丸」をまとって会場を回る日本人選手の行為は「政治的」ではないのでしょうか。私にはこちらの方がほど「政治的」に見えます。

 ブレイキンはもともとストリートパフォーマンスです。女子で優勝したAMI選手は11日のNHKインタビューでこう述べています。

「ブレイキンは自己表現です。ほかのスポーツのように勝ち負けが決まるものではありません。オリンピック競技になったと聞いた時、ブレイキンの良さがオリンピックでつぶされるのではないかと不安でした」(写真右)

 AMI選手は信頼できる身近な人たちの存在で不安を払しょくしたと言いますが、今回のタラシュ選手に対する処分はAMI選手の当初の不安が杞憂でなかったことを示しているのではないでしょうか。

 IOCは今回の五輪にロシアの国としての出場を認めない一方、イスラエルの出場を認めています。これはきわめて「政治的」な二重基準です。

 広島市が「平和式典」(6日)にロシア、ベラルーシを招待せず、イスラエルを招待したことに対し「二重基準」という批判が巻き起こりましたが、同じことをIOCはやっているのです。

 ところがそれに対する批判がメディアではほとんど見られません。どういうことでしょうか。これこそメディアの「二重基準」であり、メディアとオリンピックの腐れ縁を示す「政治的」な現象ではないでしょうか。

 オリンピック自体がきわめて「政治的」なイベントなのです。その根底には大国中心の国家主義と商業主義があります。それがアスリートを抑圧し、本来のスポーツの良さを減滅させています。そんなオリンピックは廃止すべきです。

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また「五輪報道」で沖縄の重大事態隠ぺい

2022年02月14日 | 五輪とメディア・政治...

    
 沖縄県の在日米軍那覇軍港で8日から13日まで大規模な軍事訓練が強行されました。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイやCH53E大型輸送ヘリなどが投入されました。
 「県と那覇市は「大規模な訓練は断じて容認できない」として訓練中止を申し入れたが、米軍は中止要請の受け入れを拒否」(8日付琉球新報)しました。日本政府は沖縄県の申し入れを、「米軍に中止を申し入れることは難しい」(小野功雄沖縄防衛局長)と一蹴しました。

 訓練は夜間にも及びました。抗議行動を行った市民に対し、銃を構える米兵もいました(写真中、9日付沖縄タイムス)。
 今回の訓練は、那覇軍港の「使用条件」を定めた「5・15メモ」(1972年)にも違反しています。「米軍や国からは、事前に県や市への通知も説明もなかった」(同沖縄タイムス)のです。

 沖縄の人々、県、那覇市の強い抗議を無視し、使用規定にも反して強行された今回の米軍の訓練は、対米従属の日米安保条約の危険な実態を如実に示したものです。

 また今回の大規模訓練は、対中国戦略から沖縄をミサイル基地化し、再び戦場にしようとする日米両政府の動きが強まっていることと無関係ではありません。

 沖縄の県紙はこの重大事態を、「即刻中止を求める」(9日付琉球新報社説)、「今でも過重な基地負担に苦しむ県民には到底受け入れられない」(9日付沖縄タイムス社説)など、連日大きく報道しました。

 これに対し、「本土」のメディアはどうだったでしょうか。

 この間、この問題を社説で取り上げた全国紙はありません。東京新聞、中国新聞などの地方紙も同様です。記事自体もきわめて小さな扱いでした。

 対照的に連日大きな扱いだったのが「北京五輪」でした。新聞・テレビはメダルの獲得を中心とする「五輪報道」に明け暮れていました。
 沖縄での日米安保体制の重大事態が、「五輪(メダル競争)報道」の陰に隠されたのです。

 これは今回だけのことではありません。

 2004年8月13日、在沖米海兵隊の大型輸送ヘリCH-53Dが墜落しました。堕ちた場所は、普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学(1号館)です。
 ヘリは炎上し、搭乗員3人が負傷。米軍は直ちに現場を封鎖し、沖縄県警の現場検証さえ排除したのです(写真右。前泊博盛編著『日米地位協定入門』創元社より)。
 軍用ヘリが大学構内に墜落・炎上し、放射能防護服を着た米兵が日本の警察を排除して現場処理をしたという驚くべき事件でした。

 ところが、「本土」の報道はきわめて小さな扱いでした。大きなスペースをとったのは、「アテネ五輪」の開会式だったのです。

 米軍基地(専用施設)の7割が集中している「構造的差別」によって、沖縄が軍事植民地状態に置かれているのは、米日政府の戦略と、「本土」の日本人の無関心のためです。その無関心を作り出している大きな責任が、「本土」のメディアにあることを改めて指摘せずにはいられません。

 「五輪報道」狂奔中にも、沖縄では日米軍事同盟(安保体制)の強化によって、米軍、自衛隊によるミサイル基地化、戦場化が進行しています。


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福島「聖火リレー」に隠された安倍政権の思惑

2020年03月28日 | 五輪とメディア・政治...

     
 東京五輪の「延期」により「聖火リレー」も「延期」になりました。「聖火」はしばらく福島に置かれます。26日にスタートするはずだった「聖火リレー」(実質的起点は20日の自衛隊松島基地=写真右)が福島Jビレッジを出発点にしようとしたのは、「復興五輪」を演出する安倍晋三首相と森喜朗組織委会長の策略でしたが、福島の「聖火リレー」には、さらに安倍政権の隠れた思惑がありました。

 それは、東電福島原発(写真左)や今も生々しく残る原発事故の爪痕(写真中)をあえて避け、原発事故の深刻さ、安倍政権の無為無策を隠蔽しようとしたことです。

 「双葉町に限らず、あちこちの町や村に、汚染土などを詰め込んだ保管袋が積み上がる。聖火リレーのコースからは目に入りづらい光景だ。住民には『復興のアピールはパフォーマンスにすぎない』とも映る」(3月11日付朝日新聞社説)

 「南相馬市出身の会社員菅野奈央さん(25)は『聖火リレーのコースは新しい施設やきれいな風景ばかり強調されて、福島はもう元通りになったと思われるのではないか。お金をかけた上っ面だけのアピールならかえって迷惑だ』と訴える」(3月11日付中国新聞)

 この仕組まれた「聖火リレーコース」は、昨年末の福島県知事定例会見(12月23日)ですでに問題になっていました。

 「まず朝日新聞の記者が質問した。『12市町村のルートを実際に歩いてみたが、僕らが日頃見ている浜通りの風景とはだいぶ違う。聖火ランナーが通るルートから原発も除染廃棄物を詰め込んだフレコンバッグの山も見えない。朽ち果てた家も空き地になった市街地も見えない。知事は日頃「福島の光も影も見てもらう」と発言しているが、このルートが福島の今を伝える手段として最適だと思いますか。知事の言う「影」はどこにあるのでしょうか』」
 「河北新報記者が『私もルートを見ると「光」だけで「影」はどこにもない』『「光」が何で、「影」が何で、このルートを通じて何を発信しているのか』などと質問した」
 内堀雅雄知事は、「今回のルートについては…組織委員会とも相談しながら、総合的に決定(したと答えた)」。
(「今、憲法を考える会・通信」3月2日号、会津放射能情報センター・片岡輝美氏のレポートより)

 汚染水の処理はもちろん、除染廃棄物についても、安倍政権は最終処分の方針・見通しもないまま「中間貯蔵」の名目で引き続き福島に犠牲を押し付けようとしています。まさに現在進行形の重大な問題です。安倍首相はそれを「聖火」で隠そうとしたのです。

 五輪の「聖火リレー」がベルリン大会(1936年)のヒトラーによる国威誇示、軍事利用目的から始まったことはすでに書きましたが(21日のブログ参照)、東京五輪において東電原発事故の爪痕を隠蔽するように設定された安倍首相・森会長による「聖火リレー」は、今日における悪質な政治利用にほかなりません。

 このほか全国の「聖火リレー」には、伊勢神宮、熱田神宮をはじめ天皇・神道関連施設を軒並み回り、天皇制と関連付けようとする思惑もあります(19年12月23日、20年1月28日のブログ参照)。

 もし来年東京五輪が強行されるなら、「聖火リレー」はそのまま復活するとみられます。「国民」を巻き込んだ一大キャンペーンとしてわれる「聖火リレー」で、政権(国家権力)は何を目論んでいるのか、その狙いを見抜く必要があります。


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今こそ「五輪」の廃止含めた抜本的見直しを

2020年03月26日 | 五輪とメディア・政治...

    
 安倍政権とIOCは24日やっと東京五輪(パラリンピックを含む)の「1年延期」を決めました。諸外国やアスリートからの批判が高まってきたためです。しかし、「延期」では問題の解決になりません。現在の五輪は、「廃止」を含め抜本的に見直すべきです。

 「延長」に至る経過の中で、五輪の本質的問題が改めて浮き彫りになりました。

 第1に、五輪の政治利用です。東京五輪は招致(2013年9月)の時から安倍晋三首相と森喜朗組織委会長の政治利用の標的になっています。
 今回、安倍氏の最大の狙いは「中止」の回避でした。「政権にとって五輪開催は政治的遺産(レガシー)と位置付けられ、中止回避は『最優先の課題』(関係者)」(25日付共同配信)だったからです。

 「延長」を2年でなく1年としたのも、「首相の自民党総裁3期目の任期満了は2021年9月末。『2年延期』で22年夏の五輪となれば首相の退任後となる」(25日付毎日新聞)からです。そこには、東京五輪を政権の“業績”にし、あわよくば総裁4選、そして安倍政権のさらなる続行を狙う思惑があります。

 第2に、五輪の商業主義です。IOCはコロナ感染の広がりにもかかわらず数日前まで頑強に「予定通り開催」にこだわりました。収入減を避けるためです。
 「IOCの強硬な姿勢は異様にも映る。背景には巨額の協賛金を払うテレビ局や企業への配慮や、中止による大幅な減収への懸念が考えられる」(19日付沖縄タイムス=共同)
 そのIOCが「延期」に踏み切った背景にも、「IOCの収入源の一つで、五輪大会への影響力がある米テレビ局NBCが、延期を受け入れる意向を打ち出したのも大きかった」(25日付朝日新聞)といわれています。

 第3に、巨額の税金投入です。中止でなく「延期」することによってさらに巨額の追加費用が必要になります。大会組織委関係者は、「1年程度の延期で追加費用は3000億円」(25日付毎日新聞)と試算しています。

 そもそも「組織委は大会経費の上限を総額1兆3500億円(予備費を除く)と設定したが、会計検査院は関連経費を含めれば3兆円を超えると指摘」(同毎日新聞)しています。
 
 東京都の幹部は、「延長」によって都が負担することになる追加費用は「1千億円はくだらないのではないか」(25日付朝日新聞)とみています。「大会招致時に、都の負担として明確に示されたのは新しい会場の整備費1538億円のみ」だったにもかかわらず、すでに「都はこの4年間、関連経費を含めると大会予算計1兆3700億円を計上」(同)しています。「延期」はこれにさらに「1千億円」以上追加することになるのです。

 それでなくても新型コロナ対策で財政出動が求められているとき、五輪にこれだけの巨費(税金)を投じることが妥当かどうかは明らかでしょう。

 第4に、招致問題です。五輪にこうした巨額の費用がかかることから、招致に名乗りを上げる都市(国)は減少の一途をたどっています。今回、IOCが「中止」を回避したかったのも、「中止になれば、五輪の開催費高騰に伴う立候補都市のさらなる減少を招く恐れがある」(25日付共同配信)と考えたからだとも報じられています。

 招致をめぐってはIOC委員への賄賂も後を絶ちません。武田恒和JOC会長(当時)もその疑惑で会長の座を降りた(19年1月)ことは記憶に新しいところです。

 こうした諸問題のほか、商業主義とあいまって各国のメダル至上主義が強まり、五輪が「憲章」の精神にも反して国家間の競争、国威発揚、国民統合の舞台となっていることは周知の事実です(日本の場合、これに天皇制が絡みます)。

 記録や勝利に向けて努力・健闘するアスリートの姿、フェアプレーの試合は感動的です。だからこそ、アスリートの努力が生かされ、スポーツの素晴らしさが発揮される場を、国家の壁を越えて(壊して)、新たにつくる必要があるのではないでしょうか。現在の五輪がその場になりえないことは明白です。


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東京五輪・「聖火リレー」と自衛隊・軍隊

2020年03月21日 | 五輪とメディア・政治...

    
 20日、東京五輪の「聖火」がギリシャから日本へ運ばれました。到着したのは自衛隊基地、宮城県の松島基地(東松島市、写真左)です。

 民間の仙台空港ではなく、あえて自衛隊基地に「聖火」を降ろしたのは、森喜朗五輪組織委会長(元首相)の意向です。森氏は自衛隊基地が、「不屈の精神を示す象徴的な場所…一番理想的」(2018年7月31日付産経新聞)と言って松島基地に決めました。

 「聖火到着式」では森氏のあいさつ(写真中)などに続き、上空で自衛隊のブルーインパルスが「五輪」を描きました(写真右)。1964年の東京オリンピック開会式の再現です。

 安倍政権は「復興五輪」を演出するため、「聖火リレー」のスタートは福島のJビレッジ(3月26日)だとしていますが、実質的には20日の松島基地がスタートです。「聖火」はこの日から宮城、岩手、福島の東北3県を回ります。
 「聖火リレー」の起点を自衛隊基地にしたことは、東京五輪を利用して自衛隊(日本軍)の存在をアピールし社会に浸透させようとする安倍首相、森会長の思惑を象徴するものです。

 安倍政権は「2020年東京五輪」の開催が決まった直後に「防衛省・自衛隊2020年東京オリンピック・パラリンピック特別行動員会」を組織し、2013年9月に第1回会合を開きました。冒頭、小野寺五典防衛相(当時)はこうあいさつしました。

 「1964年の東京オリンピックでは開会式でブルーインパルスが五輪マークを東京の空に大きく描き、音楽隊がオリンピック・マーチやファンファーレを演奏し、防大生が選手団入場に各国のプラカードを掲げ、三宅選手や円谷選手のような自衛官の選手が活躍した。2020年のオリンピックでも、防衛省・自衛隊がオリンピックで果たす役割は大きい。…これからも日本の安全保障のために全力で働き、しっかりと、われわれも大会の成功に向けて努力していきたい」(渡邉陽子著『オリンピックと自衛隊』並木書房2016年より)

 防衛省・自衛隊が東京五輪を「日本の安全保障」すなわち「国防」の延長線上に位置づけ、自身の存在をアピールする場にしようとしていることは明らかです。

 松島基地を事実上の起点として始まった「聖火リレー」。その起源はナチス政権下のベルリン大会(1936年)です。ヒトラーは、「聖火」でギリシャとベルリンを結ぶことにより、「ギリシャ文明の正当な継承者はドイツだと世界にアピールする国威発揚の意図があった」(15日付琉球新報=共同)といわれています。

 ベルリン大会で「聖火リレー」のコースを決め、準備を整えたのはドイツ軍でした。そして、「大会後の第2次世界大戦でドイツ軍は聖火(リレー)のルートを逆にたどり、各国に侵攻。リレーが軍事利用されたとの指摘も出(た)」(同)のです。

 「ヒトラー政権下でオリンピックを政治・軍事に利用したという批判も大きかったが、軍隊の協力による大会運営の成果があったことも事実である。ベルリン大会以降、オリンピックにおける軍隊の果たす役割が大幅に増えたことがその証明ともいえるだろう」(前掲『オリンピックと自衛隊』)

 ベルリン大会と今回の東京大会では「聖火リレー」の方式は異なります。もちろん露骨な軍事利用は見られません。しかし、今回の「聖火リレー」にも決して見過ごすことができない政治利用が隠されています。それについては後日書きます。


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感染コントロール不能・それでも東京五輪を強行するのか

2020年02月22日 | 五輪とメディア・政治...

  

 新型コロナウイルス感染は各地に拡大しています。感染経路が特定できない「市中感染」の様相です。各地の催しが中止され、施設が休館を余儀なくされています。
 そんな中、言うまでもなく最大のイベントである東京オリ・パラについて、安倍政権が延期・中止に向けた議論さえ行わずこのまま強行しようとしていることはきわめて異常・重大です。

 加藤勝信厚労相は20日、各地のイベント主催者に「開催の必要性の再検討」、すなわち中止の検討を要請しました。ところがその会見の中で、「今夏の東京五輪・パラリンピックについては『国内の感染状況を見ながら適切なメッセージを発信したい』と述べた」(21日付琉球新報=共同配信)にすぎませんでした。イベント再検討の要請についても、「明確な基準を示さなかった理由について『一概に言えないことがあってこういう表現にした』と説明」(同)しました。
 東京五輪中止に議論が及ぶのを避けようとしたことは明白です。

 ウイルスの感染防止より東京五輪を優先するこうした日本政府・安倍政権の姿勢について、外国のメディア・識者からは厳しい批判が出ています。

 「(クルーズ船を巡り)船内で乗客乗員を待機させた日本政府の対応に各国から厳しい批判が寄せられている。…外国メディアは、安倍政権が東京五輪への影響を恐れるあまり、方策を間違えたとの見方を伝えた」「台湾の専門家は『感染コントロールの基本的認識すらないようだ』とし、感染者が相次ぐ事態を『人災』と断定した」「韓国の京郷新聞は…クルーズ船の感染者数を国内の集計に含めないことについて、『安倍晋三首相の最大の関心事は、東京五輪が影響を受けないよう日本国内の感染者数を抑制することにある』と指弾した」(21日付琉球新報=共同配信)

 ロイター通信は20日、「安倍首相にとって栄誉あるものになるはずだったオリンピック・イヤーは汚された」とし、東京五輪への影響は必至という見方を伝えました。

 日本の専門家からも、五輪開催についての懸念が表明されています。

 医師の高橋央氏は、「大勢が一堂に集まるのだから、平和の祭典が感染の大舞台になる可能性がある」と警鐘を鳴らしました(16日放送「バンキシャ」=日テレ)。
 岡田晴恵白鴎大教授(元国立感染症研究所研究員)も、「(東京五輪への影響は)見通せない」(17日放送「Nスタ」=YBS)と懸念を示しました。

 こうした指摘がある一方、日本のメディアによる東京五輪への影響報道、安倍政権の五輪最優先姿勢への批判は、外国メディアにくらべきわめて微弱と言わざるをえません。それは、スポーツ新聞を抱える主要全国紙が東京五輪の協賛団体となっていることと無関係ではないでしょう。日本のメディアの見識がここでも問われています。

 安倍政権が新型ウイルスの感染防止に失敗したことは明白です。アメリカCDC(疾病対策センタ)の指摘や、クルーズ船に調査に入った岩田健太郎教授(神戸大)の報告でもそれは明らかです(岩田氏はその後解任)。まさに「感染コントロールの基本認識すらない」政権と言わざるをえません。そのような政権に感染が拡大している中でオリンピック・パラリンピックを行う資格などありません。

 もともと東京五輪は、安倍氏が福島東電原発の汚染水を「アンダー・コントロール」と国際的な大ウソをついて誘致したものです。それがいま新型ウイルスをアンダー・コントロールできずに開催困難になっていることはきわめて皮肉・象徴的と言わざるをえません。

 安倍政権は政治的思惑を捨て東京五輪をきっぱり断念すべきです。その決定を早く行うべきです。それがアスリートやボランティアのためでもあります。

 


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「東京五輪」の国家主義に抗う

2020年01月21日 | 五輪とメディア・政治...

  
 20日の施政方針演説で安倍晋三首相は、自身や自身が任命した元閣僚らの数々の疑惑には一切口をつぐみ、「東京五輪の成功」を前面に出しました。これは「東京五輪」の政治利用にほかなりません。警戒すべきは、「東京五輪」が国家主義、偏狭ナショナリズムの高揚に利用されようとしていることです。
 そのことに警鐘を鳴らし、抗うことを主張している最近の注目される発言を2つ紹介します。

 1つは、作家の星野智幸氏が、上野千鶴子氏との対談で述べていることです(1日付中国新聞=写真中)。

 星野氏は昨年のラグビーW杯を振り返り、ラグビーチームが国籍にかかわらず編成できる多国籍チームだったことを評価しながら、こう述べています。
 「多様性を実現したラグビー日本代表も、日本という記号を消費するための道具とされ、東京五輪の前哨戦のように扱われるのには複雑な思いです」

 上野氏が「『日本勝った』『日本すごい』とナショナルなアイデンティティーに回収されてしまう」と応答したのを受け、星野氏はさらにこう続けました。

 「スポーツを取り込もうとする政治にあらがう理想型は女子サッカーです。昨年のワールドカップで優勝した米国代表のラピノー選手は、政治利用を狙ったトランプ大統領に強烈な異議を突き付けた。…レズビアンの彼女は、多様性の生きた見本として自分を見せている。スポーツがナショナリズムに加担しにくい状況をつくり、兵士の心身の形成に密接に関わってきた近代スポーツから脱皮しようとしている。五輪に風穴をあけ違う文化に変え得るのは、女子サッカーなどの女子スポーツだと思います

 もう1つは、「個人」として「東京五輪」に向かう重要性を強調した、将基面貴巳(しょうぎめん・たかし)(ニュージーランド・オタゴ大教授)のインタビュー記事(8日付沖縄タイムス=写真右)です。抜粋します。

五輪は、ナショナリズムを世界中にまき散らすという大きな問題をはらんでいます。日本の選手は日の丸を身に着け、優勝すれば君が代を歌う

 昨年、天皇の代替わりに伴う「即位礼正殿の儀」などの行事を通じて、国家の持つ「神社性」が顕在化しました。国民はその映像を見て、無自覚に「感情共同体」に参加してしまう。そうした「何となく愛国」は非常に危険です。

 国家に強くコミットしているわけではないのに、素朴に「日本はすごい」と感じる傾向を、私は「ぬくぬくナショナリズム」と呼んでいます。「日本を愛するのは当たり前」と思考停止に陥れば、同調圧力がのさばって中立的な人たちまでもが敵視されるようになる。…「ぬくぬく」では、為政者に簡単に操作されてしまいます。

 重要なのは「他人はともかく自分は」という態度です。愛国的かどうかは個人の問題であるべきです。他人に義務として押し付ければ、非寛容な社会になってしまう。

 五輪も日本代表かどうかにこだわらず、選手個人が努力の結果、秀でた能力を発揮する場として楽しめば良いのではないでしょうか。将来は国旗も国歌も関係なく、気づいたら「あのメダリストはどこどこの国の人だったんだ」となればいいですね。>

 たいへん共感できる主張です。「国旗・国歌」「愛国」を強制している筆頭が安倍首相であり、森喜朗五輪組織委会長です。「思考停止」こそ大敵です。
 「将来」は、「国旗も国歌も関係ない」だけでなく、そもそも「国家」という人を隔てる権力バリアがない社会にしたいものです。


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「聖火リレー」に隠された3つの意図

2019年06月03日 | 五輪とメディア・政治...

     

 1日コースの概要が発表された東京オリンピック・パラリンピック(以後、東京五輪)の「聖火リレー」について、各都道府県からは「平和の火」(琉球新報)などと一斉に歓迎の声があがっています。しかし、はたしてそれは喜んで評価できるものでしょうか。

 今回の「聖火リレー」は、「原則100日以内」とするIOCの内規に反し、121日間という長期にわたり、費用は「100億円」(2日付朝日新聞)という異例・異常な計画です。そこには重大な政治的思惑が隠されています。

  第1に、東京五輪と自衛隊の結合です(4月16日のブログ参照)。

  組織委員会が発表した「聖火リレー」は3月26日の福島県・Jビレッジを出発点としていますが、事実上の出発点は、航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)です。
 なぜなら、ギリシャで採火された聖火が空路日本に到着するのが自衛隊松島基地だからです。民間の仙台空港ではなく自衛隊基地にしたのは、組織委員会の森喜朗会長(元首相、写真中)が「一番理想的」といって決めたものです。
 松島基地に到着した「聖火」は、宮城、岩手、福島の順で東北被災3県を回った後に、3月26日福島で改めて「出発式」が行われるのです。

 第2に、コースに伊勢神宮を組み入れ、東京五輪と天皇制が直接結合されることです。

 今回のリレーコースが異例・異常なのは、日数や費用だけではありません。「組織委関係者によると普段、火気厳禁な歴史的建造物の中に聖火ランナーが入ることも検討されている。…美しい日本の風景を聖火とマッチングさせ世界に配信する、前代未聞の試み」(2日付日刊スポーツ)だということです。その「歴史的建造物」とは「寺社仏閣など」(同)で、眼目は伊勢神宮(4月8日)です。

 ただしその狙いは「美しい日本の風景」の発信ではなく、国家神道の”聖地”であり、先の天皇の退位でもあらためてクルーズアップされた伊勢神宮を通して、皇室・天皇制を世界に発信することにあります。

 第3に、沖縄の首里城(5月2日)と北海道(白老町)のアイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(6月14日)がコースに含まれたことです。

 首里城は明治天皇制政府が武力で琉球を併合(1879年)したまさにその現場です。また、明治政府はそれより早く、維新の翌年(1869年)にアイヌ民族の土地を侵略し、「開拓使」を置いて「蝦夷地」を「北海道」と改称しました。
 今回の「聖火コース」には、南の琉球民族、北のアイヌ民族という日本が侵略・併合した2つの民族の象徴的な場所を通るのです。

 かつて明治政府は小学唱歌・「蛍の光」の4番の歌詞で、「千島のおくも、おきなわも、やしまのうちの、まもりなり…」と歌わせ、アイヌ、琉球の侵略を既成事実化しようとしましたが、今回の「聖火リレー」はそれを想起させます。

 結局、東京五輪の「聖火リレー」は、「復興五輪」の名で福島・東電原発事故の被害・影響の隠ぺいを図るだけでなく、「日本の領土」=国家を強く意識させ、その「統合」の「象徴」としての天皇(制)を世界にアピールするものである、と言えるのではないでしょうか。

<お知らせ 『象徴天皇制を考えるⅡ』ご予約案内>

 『「象徴天皇制」を考えるⅡ その過去、現在、そして未来』を自費出版します。  前回(2017年11月)出版したものの続編で、17年6月から今年5月7日までの「アリの一言」の中から天皇制に関するものを拾いました(前書きと資料1点=明仁天皇の生前退位ビデオメッセージ)。印刷部数の目安のため、以下の要項で予約を募集します。  
 〇本の体裁=B6判、モノクロ、ソフトカバー、233ページ(1テーマ見開き、計110テーマ)
  〇価格=1冊1000円(送料込み)
  〇本の発送=7月上~中旬予定
  〇代金のお支払い=振込先を本に同封しますので、お手元に届いた後にお振込みください(2冊以上の場合は1000円×冊数)
  〇予約締切=ご予約は6月6日で締め切ります。予約数以上に印刷しますので、後日のご購読お申し込みも可能です(部数のある限り)
  〇予約お申込み=件名に「本予約」とお書きのうえ、お名前、ご住所(お送り先)郵便番号、部数を以下のEメールアドレスにご送信ください。  Eメールアドレス:satoru-kihara@alto.ocn.ne.jp
 全くつたない内容ですが、何かの参考になれば幸いです。よろしくお願いいたします。

 


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東京五輪・お祭り騒ぎの陰で“死の建設現場”

2019年05月25日 | 五輪とメディア・政治...

     

 「2020年東京五輪の準備状況を監督する国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会と大会組織委員会などとの第8回合同会議が21日、東京都内で始まり、調整委のコーツ委員長は冒頭のあいさつで、競技会場建設について『称賛すべき準備状況』と述べた」(21日配信共同通信)

 はたしてそうでしょうか。

 < 五輪「建設環境に問題」 労組の国際組織 改善求め文書
   月に28日労働 頭上に資材  やめた男性「命いくつあっても…」 >

 この見出しで朝日新聞(16日付)は、東京五輪関連施設建設現場の苛酷で無法な実態を報じました。

 「2020年東京五輪・パラリンピックをめぐり、関連施設の建設現場の労働環境に様々な問題があるとして、労働組合の国際組織が大会組織委員会や東京都、日本スポーツ振興センター(JSC)に改善を求める報告書を送った。『惨事にならないようすぐに対策をとるべきだ』としている」(同朝日新聞)

 この「労組の国際組織」は国際建設林業労働組合連盟(BWI)。約130カ国・地域が加盟し、リオや平昌など過去の五輪でも労働状況の改善を訴えてきました。

 「BWIは16年から東京大会の労働環境について調査。今年2月には、新国立競技場や選手村の建設現場で働く労働者ら約40人から聞き取りをした。報告書では、月に26日や28日働いている例がある▽つるされた資材の下で作業をしている▽通報窓口が機能していない、などの問題点を指摘。『頭上をコンクリートがブラブラしている状態で怖い』といった現場の声にも触れ、組織委や都、JSCに対し、建設現場のBWIとの共同査察を提案した」(同)

 毎日新聞(17日付)には、「BWIの報告書の主な指摘」として次のような内容が載っています。

 ・聞き取り調査をした作業員のほぼ半数が雇用契約でなく、請負契約のため、法的な保護が手薄
 ・選手村で28日間、新国立競技場で月26日間、勤務した作業員がいた
 ・作業員の中には安全器具を自腹で購入した者がいた
 ・薄暗い中での作業の改善を求める労組からの通報をJSCが受理しなかった
 ・外国人技能実習生に資材運搬など単純作業ばかりを強いる

 「昨年10月、20代の大工の男性は、選手村の工事現場に初めて入って驚いた。頭上30㍍ほどに、コンクリートの巨大な板がぶら下がっていた(労働安全衛生法違反―引用者)という。…『落ちたら下敷きになる』。恐怖心がこみ上げた。…当時、工事が1カ月遅れていたといい、『14日間で』と頼まれた仕事を9日間で仕上げるようにも言われた。
 結局、男性と同僚たちは選手村の仕事を1カ月でやめた。『命がいくつあっても足りない』と男性は言う。『ほかの職人も「できない」と言うべきだが、たてつくと次の仕事がもらえなくなるから言えない』」(同上朝日新聞)

 さらに重大なのは、こうした実態を隠すための情報統制が強化されていることです。

 「BWIは、過度な情報統制にも言及した。17年に新国立競技場の建設工事に従事していた建設会社の男性社員が自殺した後、建設現場では写真を撮ることも禁じられ、問題があっても労働者が証拠を集めることもできないと指摘。労働者は、報復で失職することを恐れ、問題提起もできず、『問題が覆い隠される可能性がある』と懸念を示した」(同)

 大会組織委(会長・森喜朗元首相)も東京都(小池百合子知事)もJSCも、BWIの報告・提案に対し、いまだに何の応答もしていません。

 福島東電原発事故・放射能の「アンダー・コントロール」という安倍首相の大ウソで始まり、誘致をめぐる贈収賄疑惑も晴れぬまま、「国威発揚」「政権浮揚」「新天皇お披露目」「3・11隠ぺい」「自衛隊アピール」など数々の政治的思惑のため、無理に無理をかさねて突っ走っている東京五輪。その陰で建設労働者の人権を踏みにじり(とりわけ外国人労働者)、生命を危険にさらしている実態があることを、日本人は知らねばなりません。

 社会的弱者の人権蹂躙・差別・犠牲から目をそらし、その実態を知ろうともせず、政府(国家)とメディアのキャンペーンに踊らされ、お祭り騒ぎに興じる国民性から、日本人は脱却しなければなりません。


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「ライバルに薬物」・元凶は安倍首相の「東京五輪」政治利用

2018年01月13日 | 五輪とメディア・政治...

     

 カヌーの日本代表候補がライバルに禁止薬物を混入させた問題は、けっして許されることではありませんが、選手個人の責任ですませることはできません。それは大きな問題の氷山の一角だからです。カヌー協会の代表はスポーツ庁を訪れ謝罪しましたが(11日、写真左)、問題は安倍政権自体にあります。

 問題が発覚した直後、元五輪代表のスキー選手が、「オリンピックに出場できないと選手の価値がないと思われる状況を改める必要がある」という趣旨のコメントをしていましたが、本質を突いていると思います。

 「カヌーに限らず、地元開催の五輪出場という目標は競技者の大きな原動力になっている。同時に一段と激しい競争や重圧も生んでいる」(9日、朝日新聞デジタル)。薬物を入れた選手もある意味でその「激しい競争や重圧」の犠牲者といえるではないでしょうか。

 この「激しい競争・重圧」をつくりだしている元凶は、安倍晋三首相です。

 そもそも東京五輪は、安倍氏が誘致のプレゼンで、「フクシマについて、お案じの向きには私から保証いたします。状況は、統御されています(アンダー・コントロール)」(2013年9月7日。官邸HPより)という福島原発事故の実態を隠ぺいする国際的な大ウソと(写真中)、不透明な資金が絡む誘致活動で強引に実現したものです。その安倍氏の狙いは、以後の経過を見れば明らかです。

 安倍政権は2015年11月27日の閣議で、東京五輪の「準備及び運営に関する基本方針」を決定しました。その中で、「今回の大会の意義」としてこう記しています。

 「自信を失いかけてきた日本を再興し、成熟社会における先進的な取組を世界に示す契機としなければならない」

 何をもって日本が「自信を失いかけてきた」と言っているのか意味不明ですが、安倍氏が東京五輪で国威発揚を図ろうとしていることは明らかです。

 そのうえで「基本方針」は、「メダル獲得へ向けた競技力の強化」という項目を立て、「過去最高の金メダル数を獲得するなど優秀な成績を収める」と強調しています。

 安倍氏の「金メダル」へのこだわりについては、次のような話もあります。誘致プレゼンから約5カ月後のことです。

 「二〇一四年一月二八日、組織委員会の森喜朗会長が首相官邸を訪ねた時、安倍晋三首相は森会長に、次のように話したという。『ロンドンオリンピックでは日本より人口が少ないイギリスが二九個の金メダルを獲得した。東京大会で日本選手団にはそれ以上の金メダルを獲ってほしい』 これに対して森会長は、そのためには強化費がもっと必要だと訴え、安倍首相は、政府としても選手強化に取り組む考えを示したという」(小川勝著『東京オリンピック「問題」の核心は何か』集英社新書)

 こうした安倍氏の「金メダル至上主義」が選手たちに「激しい重圧」をもたらしているのは明らかでしょう。安倍氏の「金メダル至上主義」は「国威発揚」と一体です。

 東京五輪誘致決定後、安倍氏は国会の施政方針演説で、「日本を取り戻す。…日本は変えられる」(15年2月12日)、「世界の中心で輝く日本」(16年1月22日)と、相次いで大国指向を強調してきました。
 そして、「積極的平和主義」の名で戦争法(安保法制)を強行し(15年7月)、東京五輪対策を口実に「共謀罪」を強行しました(17年6月)。
 安倍氏がこうした政治戦略推進のてこに東京五輪を利用してきたことは明白です。

 また、安倍氏の後ろ盾の森組織委員会会長(元首相)が、「五輪壮行会」(16年7月3日)で、「国歌も歌えないような選手は日本の代表ではない」と、選手たちに「君が代」(国家主義)を強要したことも忘れられません。

 オリンピック憲章は、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(第6章第1項)と明記し、国家による政治利用を厳しく禁じています。安倍氏の五輪戦略がこれに反していることは明らかです。

 東京五輪を利用して国威発揚、大国指向、偏狭ナショナリズムを推進する安倍首相や森会長、それに同調して金メダル獲得を煽るメディア、さらにそれに期待する「市民の世論」が、選手たちに「激しい重圧」を加え、スポーツ・五輪の本来の在り方を歪めていることを銘記する必要があるのではないでしょうか。


☆お知らせ・お礼

 過日お知らせしました自費出版『「象徴天皇制」を考える』に多数のご注文をいただき、誠にありがとうございました。完売いたしました。ご注文と合わせて多くの激励をいただき、たいへん力づけられています。深くお礼申し上げます。
 来年には『「象徴天皇制」を考えるⅡ』を出したいと考えています。またご購読いただければ幸いです。
 今後とも「アリの一言」をよろしくお願いいたします。


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