アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

武漢に軍用機を飛ばそうとした安倍首相

2020年01月30日 | 自衛隊・軍隊

    

 29日朝、中国・武漢から206人が政府のチャーター機(全日空機)で帰国したのに続き、30日未明、第2便(全日空機)のチャーター機が武漢に到着、同日中に約200人が帰国する予定です。帰国希望者は650人近くいたにもかかわらず、移送機の派遣をめぐって中国側との交渉が難航した背景には、安倍首相の驚くべき妄動がありました。

 「政府は当初、チャーター機2機、政府専用機2機を28日朝に出発させ、希望者約650人を一度に帰国させる案を検討した。関係者によると、中国の当局はチャーター機に乗り込む日本人や家族の出国管理を厳格に行いたいとして、今回1機だけを許可。…中国側は政府専用機の使用にも難色を示した。専用機は航空自衛隊が運航を担うため中国にとっては軍用機扱い。空自幹部は『武漢は日中戦争で日本軍に占領された経緯がある。中国は簡単に許可は出さない』と語る」(29日付沖縄タイムス)

 29日午前のJNNニュース(TBS系)も次のように伝えました。

 「当初の政府案は、チャーター機2機と政府専用機2機、合計4機を活用。日本政府が提示したスケジュールは、チャーター機①15:30武漢空港発、チャーター機②17:30、政府専用機①18:30、政府専用機②19:30。防衛省幹部は、安倍首相がチャーター機の派遣表明をした翌日、首相官邸などから政府専用機派遣準備の打診を受けたと明かした

 安倍首相が武漢の日本人移送を表明(26日夕)した時から、自衛隊機を使うのではないかと予測しましたが、案の定でした。
 航空自衛隊が運航を担う航空機は、中国にとってだけでなく、だれが見ても軍用機です。それを病気感染防止の移送(を口実)に他国に派遣するなど非常識も甚だしいと言わねばなりません。

 たとえば、「韓国政府は…武漢に足止めされている韓国人の帰国のため、30~31日の両日間、チャーター機(大韓航空機)4機を投入することにした」(29日付ハンギョレ新聞日本語電子版)といいます。徴兵制を強いている韓国でさえ、軍用機の使用は控えています。これが常識です。

 自衛隊管轄の軍用機を飛ばそうとした安倍首相の妄動は、たんに非常識なだけでなく、折々の災難に乗じて自衛隊を使ってその“市民権”を拡大しようとする軍事志向の表れに他なりません。

 また上記記事によれば、政府は武漢が帝国日本軍によって侵略・占領された地であることを承知しながら軍用機を派遣しようとしたことになります。侵略戦争への反省のカケラもないと言わねばなりません。

 今回のことは、「国民」の生命擁護、平和に逆行する安倍政権の本質を示すとともに、自衛隊という軍隊の存在自体が日本市民の安全、アジアの平和・友好に反することを改めて示していると言えるでしょう。自衛隊が政府専用機を管轄している実態は直ちに改めさせなければなりません。


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聖火リレーの原形・皇室神社結んだ「聖矛継走」

2020年01月28日 | 五輪と政治・社会・メディア

   
 1月24日、陸上自衛隊松島基地(宮城県)の上空に、航空自衛隊ブルーインパルスが描いた五輪マークが浮かびました(写真左)。東京五輪の聖火がギリシャから届く「聖火到着式」(3月20日)の予行演習です。

 3月20日に到着した聖火は東北各県を一巡し、同26日、福島県のJビレッジから全国を回ります。安倍政権は「復興五輪」を演出するため、「聖火リレーのスタートは福島Jビレッジ」としていますが、聖火リレーの実質的なスタートは自衛隊松島基地です。

 ギリシャからの到着空港を民間の仙台空港ではなくあえて自衛隊基地にしたのは森喜朗・五輪組織委会長(元首相)です(12月23日のブログ参照)(https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20191223)。東京五輪を自衛隊アピールの場にしようとする森氏、安倍首相の思惑が松島基地における「聖火到達式」に表れています。

 一方、聖火リレーはもう1つ隠された思惑、天皇制との関係がありますが(同ブログ参照)、それに関して注目すべき記事がありました。今年1月1日、産経新聞が元日紙面の企画として掲載した「聖火リレー」の特集です。その中で同紙は、「聖火リレーの原形とされる」として、「聖矛継走」をクローズアップしています(写真右)。

 同紙によれば、「神武天皇即位」から2600年になる「皇紀2600年」の記念行事として、「1040年東京五輪」が誘致されました。国民的盛り上がりに欠けていたため、大会を盛り上げる目的で「聖火リレー」が計画されました。

 同大会は開催が見送られ(帝国日本の侵略戦争のため―引用者)、「聖火リレー」もとりやめになりましたが、「聖火への思いはむしろ燃え上がり、各地で聖火リレーの『模倣』が盛んに行われ」ました。その中で出てきたのが「伊勢神宮から明治神宮へ『御神火』をつなぐ計画」です。
 政府の指導で「火」は「矛」に変わったものの、矛を持つ若者が隊列を組んで駆け巡りました。これが「聖矛継走」です。

 そのコースは、伊勢神宮(三重県伊勢市)→結城神社(津市)→熱田神宮(名古屋市)→三嶋大社(静岡県三島市)→鶴岡八幡宮(鎌倉市)→靖国神社(東京都千代田区)→明治神宮(渋谷区)。

 産経新聞の記事は以上ですが、当時、帝国政府が「聖火」の「火」を「矛」に変えたのは、戦争の武器、あるいは「竹やり」を暗示したものではないでしょうか。

 「聖矛継走」のコースは、今回の「聖火リレー」でもほとんど踏襲されています。「聖矛継走」が「聖火リレーの原形」とされるのは、たんに全国をリレーしたというだけでなく、皇室ゆかりの神社を巡ったこと政治的意味があると言えるでしょう。

 それから14年後に行われた「1964年東京五輪」。終点は明治神宮ではなく、天皇裕仁が名誉会長として待ち構える東京・国立競技場でした。上空では航空自衛隊のブルーインパルスが「五輪」を描きました。

 さらにそれから56年後の「2020年東京五輪」。「聖火リレー」は自衛隊基地を事実上の出発点とし、「聖矛継走」のコースだった皇室ゆかりの神社を含めて全国を回り、天皇徳仁が裕仁と同じ名誉会長として待つ国立競技場に到着します(7月24日)。この日も上空にはブルーインパルスが飛ぶ予定です。

 1940年―1964年―2020年。3つの「聖火リレー」は、天皇、軍隊(自衛隊)、そして「国民統合」という3本の黒い糸でつながっていると言えるでしょう。


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「海自潜水艦に初の女性乗組員」が意味するもの

2020年01月27日 | 自衛隊・軍隊

    
 今月22日、広島県呉市の海上自衛隊潜水艦教育訓練隊に初めて女性自衛官(竹之内里咲3等海尉=26)が入校しました。5カ月間潜水艦任務の教育を受け、実習を経て約1年半後に潜水艦の幹部自衛官として配属されます。

 これまで女性の潜水艦乗務は「プライバシーが確保できない」などの理由で認められていませんでした。長期間、狭い艦内で寝起きを共にする実態から、プライバシー侵害は想像に難くありません。
 その性別制限を防衛省は2018年12月に撤廃しました。これはどういう意味をもっているでしょうか。

 第1に、これまで女性の乗務を制限していた主な理由である「プライバシー確保」。その問題がどう解決されたのか、一切報道はありません。潜水艦の特徴からその抜本的解決は不可能でしょう。
 すなわち防衛省は、「プライバシーが確保できない」ことを承知の上で女性自衛官を潜水艦に送り込むのです。これは政府による公然としたセクハラ、女性の人権侵害と言わねばなりません。
 職場におけるセクハラは後を絶ちませんが、その際たるものが軍隊です。それは米国防省が発表している米軍内調査で証明されています。女性の潜水艦乗務はその不安・危険を増幅させるものです。

 第2に、防衛省が性別制限を撤廃した、せざるをえなかった主な理由は、自衛官の「成り手不足」です。NHKはじめメディアを動員して自衛隊の「災害救助」の姿を印象付けようと図り、全国の学校に対する募集活動を強化しても、自衛官の成り手不足は解消しない。これは軍隊である自衛隊が敬遠されているということであり、きわめて健全な現象です。

 第3に、そうした成り手不足とは裏腹に、自衛隊の活動範囲・内容は拡大する一方です。そのため人員確保にはなりふり構ってはいられないということでしょう。
 自衛隊の活動範囲・内容の拡大は、安倍政権による戦争法(安保法制)の強行(2015年9月19日成立)による集団的自衛権行使、米軍との一体化が拍車をかけていることは明白です。
 高島辰彦・潜水艦隊司令官は入校式で、「目まぐるしく変化する国際情勢の下で、潜水艦部隊には重要な任務が与えられている」と訓示しましたが、「目まぐるしく変化」しているのは米軍との一体化・共同作戦です。
 こうした自衛隊の拡大・強化の根源が日米軍事同盟=安保条約であることは言うまでもありません。

 軍隊は人権侵害の巣窟です。日米軍事同盟の強化による自衛隊(日本軍)の活動範囲・内容の拡大は、人権侵害をいっそう強め、自衛官(日本兵)確保のためにはあらゆる手段がとられる。それが軍国主義です。「女性初の潜水艦乗組員」はその表れと見る必要があるのではないでしょうか。


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日曜日記85・国会「召集」と無意識の天皇制・ユース五輪の「混成チーム」・解体工事延期

2020年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

☆国会「召集」という無意識の天皇制

 20日、通常国会が始まった。それを国会が「召集」されたという(表記する)。「招集」ではない。後者は間違いとされる。違いは何か。「召集」は「召集令状」など、主体が天皇の場合だけの特別な天皇制用語だ。「国会召集」とは「天皇が国会(議員)を集めた」という意味にほかならない。

 憲法第7条の「天皇の国事行為」の2番目に「国会を召集すること」とあるから、憲法を改正して天皇条項を削除するまでは、憲法違反とは言えない。しかし、その天皇制用語を当たり前のように使うかどうかは別問題だ。

 国会は「主権在民」の原則に基づく「国権の最高機関」(憲法41条)だ。それを天皇が「召集」するのはおかしい。憲法第7条がおかしいのだ。これまで無意識に(その意味を知っていながら)「国会召集」と言ってきた(表記してきた)自分の不明を恥じる。
 メディアに再考を求めるのは到底無理だろうが、少なくとも自分が使わないことはできる。これからは「国会召集」とは言わない。「国会開会」で十分だ。

 こうした天皇制用語はほかにもある。以前書いた「恩赦」もそうだ。「天覧相撲」などもその類。ほかにもあるだろう。日常用語による無意識の(隠れた)天皇制・天皇主権の名残を、意識的に抽出し排除したい。

☆見習うべきユース五輪の「混成チーム」方式

 22日、東京オリ・パラの報道洪水の陰で目立たなかったが、スイス・ローザンヌで行われていた冬季ユース五輪(原則15~18歳)が閉会した。注目した(初めて知った)のは、ユース五輪では国別チームだけでなく国境を超えた混成チームが認められていることだ。

 詳しいルールや経過は知らないが、素晴らしいことだ。朝鮮半島の「北」と「南」だけではない。日本の選手も他の国の選手と1つのチームになる。それで十分選手の力は発揮され、大会は成功した。当たり前のことだ。国別に対抗する必要はなどまったくない。

 それが「大人」の五輪になると、「国家」が前面に出る。国家主義発揚の場として政治利用される。「ユース」にできることが「大人」にできない道理はないだろう。ユース五輪に見習って「大人」の五輪にも混成チーム方式を導入すべきだ。そしてやがては「国家対抗」ではないオリ・パラ大会を実現すべきだ。

☆広島「旧陸軍被服支廠」解体工事延期の朗報

 24日の報道によれば、広島県(湯崎英彦知事)が新年度から強行しようとしていた「旧陸軍被服支廠」解体工事(18日のブログ参照)が、当面見送られることになった。最近珍しい朗報だ。

 県は解体方針自体を断念したわけではないので、過大評価はできないが、新年度からの解体工事を阻止したのは、保存運動の先頭に立っている市民グループとパブコメなどに寄せられた県内外の世論の成果だ。

 安倍長期政権下、日本の政治・経済・社会の腐敗は深化する一方だが、それに抗うのはやはり市民の力だ。

 敗戦から75年。戦争の何を、どのように遺し、何を学び、後世に引き継いでいくか―。「旧被服支廠」問題を引き続き注視しつつ、そのことを考えていきたい。


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沖縄戦75年・危険な島田知事、荒井警察部長の美化

2020年01月25日 | 沖縄・メディア

  
 23日付の琉球新報、沖縄タイムスは、沖縄戦当時の島田叡(あきら)県知事(写真中)、荒井退造警察部長を描いた映画「島守の塔」(五十嵐匠監督)の「製作を応援する会沖縄」が22日結成されたと大きく報じました(沖縄タイムスは1面、写真左)。

 結成式で五十嵐監督は「島田さん、荒井さんの偉人伝を作るつもりは全くない」(23日付琉球新報)と述べていますが、「極限状態の沖縄戦で、人間は他人を思うことができるのかということがテーマだ」(同)としており、島田知事や荒井部長が美化させるのは必至でしょう。琉球新報も島田知事を「沖縄戦当時、食糧確保や疎開に尽力したとされる」と好意的に紹介しています。

 かつて島田知事と荒井部長を描いたテレビドラマが放送されたこともあり(2013年8月TBS系)、両氏を「偉人」とする見方は「本土」でも少なくありません。

 しかし、これは事実に反した評価・美化であり、「本土」の帝国日本政府が任命した知事、県警部長(中央官僚)が沖縄戦で果たした歴史的役割に対する評価を誤らせるものです。

 『沖縄戦を知る事典』(吉浜忍・林博史・吉川由紀編、吉川弘文館2019年、この項P70~73林博史氏執筆)から抜粋します。

< 内務省は「軍の司令官らと協調してやってくれる知事」として島田叡を選んだ(当時の警保局長の証言)。沖縄県民を犠牲にしようとする軍に対して県民を守ろうとするのではなく、軍の要求にこたえる知事として選ばれたのである。

 知事のきわめて重大な行為の一つが、鉄血勤皇隊への学徒の動員である。第32軍司令官、沖縄連隊区司令官(徴兵業務を担当)、沖縄県知事の三者による覚書がある。14歳から17歳までの学徒の名簿を作成して、県知事を通じて軍に提出し、その名簿を基に軍が学徒を鉄血勤皇隊に軍人として防衛召集し、戦闘に参加させることが取り決められていた。県知事は本来兵士に召集される義務のない学徒を軍に提供した。いくつかの史料からこれは島田知事によるものと考えられる

 45年4月27日、市町村長会議が県庁壕で開催された。この会議で(島田は―引用者)米軍が住民まで皆殺しにすると恐怖を煽り、住民にも一人残らず竹やりなどを持って戦うように指示していた。>

 以前(2013年)、琉球大学で行われたシンポジウムで、郷土史研究家の川満彰氏(名護市教育委員会)が、島田知事についてこう述べたことがあります。
 「陸軍中野学校出身者の離島残置謀者(離島に残って諜報活動を行う日本兵)に(偽装のための)教員免許を公布したのは島田叡だ。その戦争責任はどうするのか」(2013年10月25日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20131025

 島田叡と荒井退造は「本土」政府・大本営に忠実に従って沖縄戦を遂行する官僚として送り込まれ、事実その通り行動したのです。その島田、荒井を評価・美化することは、誤りであるだけでなくきわめて危険な意味を持ちます。

「今日、有事(戦時)法制を考えるとき、地域の戦争体制を作るのは自衛隊というより警察を含めた行政機関である。沖縄の戦時体制を作った行政・警察を美化することはこの問題から人々の目をそらせることになりかねない」(林博史氏、前掲『沖縄戦を知る事典』)

 沖縄戦から75年。事実を正確に掘り起こし、教訓を導くことが改めて重要になっているいま、島田、荒井を美化することはまさにそれに逆行するものと言わねばなりません。

 さらに重大なのは、この「映画『島守の塔』製作を応援する会沖縄」の「呼びかけ人」47人に、琉球新報、沖縄タイムス、琉球放送、沖縄テレビ、琉球朝日放送など、沖縄メディアの代表が揃って名を連ねていることです。沖縄メディアの見識が問われます。その責任はきわめて重いと言わざるをえません。


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「朝鮮学校無償化排除」提訴から7年

2020年01月23日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

      

 7年前の2013年1月24日、日本の現代史で忘れてはならない裁判が始まりました。高校無償化制度から朝鮮高校(全国10校)が排除された差別・人権侵害に対し、愛知朝鮮高校と大阪朝鮮高校の生徒・卒業生たちが、提訴に踏み切ったのです。

 つづいて、同年8月1日に広島朝鮮学校、12月19日に九州朝鮮高校、14年2月17日には東京朝鮮高校が提訴し、全国5つの裁判所で争われてきました。

 裁判は現在、大阪、東京が敗訴決定(19年8月27日最高裁上告棄却)、愛知が19年10月3日二審敗訴(名古屋高裁)で最高裁に上告中、広島(広島高裁)、九州(福岡高裁)で控訴審継続中です。

 朝鮮学校の生徒・卒業生たちが提訴に踏み切らざるを得なかった、無償化排除の経過を振り返りましょう。

 2010・2・21 「高校無償化法」成立(2010・3・31)直前、民主党政権の中井洽・拉致担当相が「拉致問題」を理由に朝鮮学校を除外するよう川端文科相に要請。
 同・2・24 鳩山由紀夫首相が朝鮮高校の除外を示唆。
 同・11・5 文科省が「検討会議」の報告(同8月)をもとに「支援金支給規程」を公布。
 同・11  朝鮮高校が「規程」に基づいて申請書類を提出。
 同・11・24 申請直後の「延坪島砲撃事件」(11月23日)を理由に、菅直人首相が朝鮮学校が提出した申請の審査凍結を指示。
 2011・8・29 菅首相が退陣前に審査凍結解除を指示し審査再開。
  以後  「産経新聞」などが「朝鮮学校無償化反対」キャンペーン。
 2012・12・26 第2次安倍晋三内閣成立。
 同・12・28 下村博文文科相が朝鮮学校の無償化排除を表明。
 2013・1・24 愛知、大阪の朝鮮学校生徒・卒業生が提訴。

 朝鮮学校無償化排除は、「拉致問題」「延坪島砲撃事件」という子どもたちには何の関係・責任もない政治問題を口実に、民主党政権がストップをかけ、安倍政権がここぞとばかりに政権発足2日目に決定した差別政策です。

 親、教師たちは当初から不退転でたたかう決意でしたが、提訴は「不安や迷い」を乗り越えての決断でした。

 「『朝鮮学校の誇りと存在をかけて裁判はするべきだ』という合意は保護者や生徒、卒業生を含む学校関係者の間で、比較的早期にできていた。しかしながら、いざ、本当に提訴となると、『裁判に訴えたところで、朝鮮学校の主張を裁判所が聞くだろうか』『裁判に負けてしまったら、朝鮮学校はどうなるのだろうか』という不安、また、まだ将来がある子どもたちが原告となることで、『将来に影響はでないのか』『親の仕事に影響はないのか』、さらに排外主義が広まる日本で原告たちの安全をどう保障するのか等々、様々な不安と迷いが出された。

 そして、何よりも、本来ならば、日本社会や大人たちが解決すべき問題に、若い生徒・卒業生たちを巻き込むことへの強い抵抗もあった。それまでにも、生徒たちは部活動や自分の時間を削って、何度も街頭にたち、無償化適用を訴えてきた。これ以上、かれらの貴重な時間を無償化適用運動のために使わせていいのだろうかと、保護者たちや支援者たちは悩んだのである。

 これら不安や迷いが全て払拭されたわけではない。しかし、原告たちは『自分たちの権利は自分たちで守る』と提訴を決断したのだった」(山本かほりさん・愛知県立大学、在日総合誌「抗路」2015年9月号)

 そもそも多くの朝鮮の人々が日本に住むようになった主要な原因は、日本の植民地支配です。その在日の人たちが子どもたちに民族教育=自国の言語・歴史・文化を学んでほしいと私財を投げうってつくったのが朝鮮学校です。

 それに対し日本政府は尊重・援助するどころか、逆に無償化から排除するという露骨な差別で攻撃し、日本の司法がそれに追随しています。朝鮮の人々に対する日本(政治・司法・社会)の二重三重の差別・人権侵害が「高校無償化排除」の本質です。

 その解決、差別政策をやめさせることは、まさに私たち日本人の責任です。提訴から7年の今、そのことを改めて肝に銘じなければなりません。


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「東京五輪」の国家主義に抗う

2020年01月21日 | 五輪とメディア・政治...

  
 20日の施政方針演説で安倍晋三首相は、自身や自身が任命した元閣僚らの数々の疑惑には一切口をつぐみ、「東京五輪の成功」を前面に出しました。これは「東京五輪」の政治利用にほかなりません。警戒すべきは、「東京五輪」が国家主義、偏狭ナショナリズムの高揚に利用されようとしていることです。
 そのことに警鐘を鳴らし、抗うことを主張している最近の注目される発言を2つ紹介します。

 1つは、作家の星野智幸氏が、上野千鶴子氏との対談で述べていることです(1日付中国新聞=写真中)。

 星野氏は昨年のラグビーW杯を振り返り、ラグビーチームが国籍にかかわらず編成できる多国籍チームだったことを評価しながら、こう述べています。
 「多様性を実現したラグビー日本代表も、日本という記号を消費するための道具とされ、東京五輪の前哨戦のように扱われるのには複雑な思いです」

 上野氏が「『日本勝った』『日本すごい』とナショナルなアイデンティティーに回収されてしまう」と応答したのを受け、星野氏はさらにこう続けました。

 「スポーツを取り込もうとする政治にあらがう理想型は女子サッカーです。昨年のワールドカップで優勝した米国代表のラピノー選手は、政治利用を狙ったトランプ大統領に強烈な異議を突き付けた。…レズビアンの彼女は、多様性の生きた見本として自分を見せている。スポーツがナショナリズムに加担しにくい状況をつくり、兵士の心身の形成に密接に関わってきた近代スポーツから脱皮しようとしている。五輪に風穴をあけ違う文化に変え得るのは、女子サッカーなどの女子スポーツだと思います

 もう1つは、「個人」として「東京五輪」に向かう重要性を強調した、将基面貴巳(しょうぎめん・たかし)(ニュージーランド・オタゴ大教授)のインタビュー記事(8日付沖縄タイムス=写真右)です。抜粋します。

五輪は、ナショナリズムを世界中にまき散らすという大きな問題をはらんでいます。日本の選手は日の丸を身に着け、優勝すれば君が代を歌う

 昨年、天皇の代替わりに伴う「即位礼正殿の儀」などの行事を通じて、国家の持つ「神社性」が顕在化しました。国民はその映像を見て、無自覚に「感情共同体」に参加してしまう。そうした「何となく愛国」は非常に危険です。

 国家に強くコミットしているわけではないのに、素朴に「日本はすごい」と感じる傾向を、私は「ぬくぬくナショナリズム」と呼んでいます。「日本を愛するのは当たり前」と思考停止に陥れば、同調圧力がのさばって中立的な人たちまでもが敵視されるようになる。…「ぬくぬく」では、為政者に簡単に操作されてしまいます。

 重要なのは「他人はともかく自分は」という態度です。愛国的かどうかは個人の問題であるべきです。他人に義務として押し付ければ、非寛容な社会になってしまう。

 五輪も日本代表かどうかにこだわらず、選手個人が努力の結果、秀でた能力を発揮する場として楽しめば良いのではないでしょうか。将来は国旗も国歌も関係なく、気づいたら「あのメダリストはどこどこの国の人だったんだ」となればいいですね。>

 たいへん共感できる主張です。「国旗・国歌」「愛国」を強制している筆頭が安倍首相であり、森喜朗五輪組織委会長です。「思考停止」こそ大敵です。
 「将来」は、「国旗も国歌も関係ない」だけでなく、そもそも「国家」という人を隔てる権力バリアがない社会にしたいものです。


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日本の皇族にも「皇室離脱」の自由はある

2020年01月20日 | 天皇・天皇制

   

 イギリスのハリー王子夫妻の「公務引退」表明問題は、王室の称号を使わない事実上の「王室離脱」という形で決着しました。エリザベス女王も、「2人が幸せで平和な新たな生活を築くことを願う」(18日)と述べて容認しました。

 先のブログで「日本の皇室も英王子を見習ってはどうか」(11日)と書きましたが、今回の問題は日本の皇室・天皇制の今後を考える上で他山の石になりうるでしょう。

 朝日新聞は12日付で「皇族の『人権』」と題する1ページ特集を組みました。その中で、「日本の皇族には現在、個人の生き方の自由やプライバシーはあると思いますか?」というアンケート調査を載せています。その結果は―。

・制限されている現状があり、一般国民と同じレベルに保障されるべきだ…44・5
・制限されている現状があり、ある程度改善すべきだ…30・1
・制限されているが、このままでいい…19・2
・自由やプライバシーはある…6・2
 (回答者1164人。朝日新聞デジタルによる調査、2019年12月4日~20年1月6日実施)

 朝日新聞デジタルのアンケートですから、比較的意識が高いかもしれませんが、それにしても、約45%の人が「一般国民と同じレベルに保障されるべきだ」と答え、「ある程度改善すべき」と加えると約75%の人が、現状に問題があり皇族にも自由・プライバシーを保障すべきだと答えていることは注目されます。

 さらに、「どの点について、皇族にもっと個人の自由が認められるべきだと思いますか?」(3つまで選択)との問いに対しては―。
 ①皇室を離れる自由…48・2
 ②子どもを持つかなど、家族のあり方を選ぶ自由…45・4
 ③婚姻の自由…33・8
の順となっています。

 先のブログでも述べましたが、憲法上、天皇以外の皇族から「皇室離脱の自由」をはじめ基本的人権を制限・剥奪する根拠は何もありません。

 高見勝利・上智大名誉教授(憲法学)は、「天皇については…職業選択や政治参加などの権利は認められないと解されています」としながら、「実はそのほかの皇族については、現行法上は一般国民と明確に区別する規定はほとんどありません」とし、「あるのは『皇室典範』で男女平等や結婚、皇室離脱などに制限をかけた規定と、一部の財政法ぐらい」(12日付朝日新聞特集)と述べています。

 「皇室典範」による「皇室離脱の制限」とは、第11条第2項が、「親王(皇太子及び皇太孫を除く)…は、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」としていることを指していると思われます。これによって「天皇、皇太子、皇太孫には離脱権はない」(12日付朝日新聞特集)とする向きもあります。

 しかし、この「制限」はあくまでも皇室典範によるものであり、憲法に天皇以外の皇族を縛る規定は何もありません(「世襲」の規定はあってもそれで「皇太子及び皇太孫」の皇室離脱を禁じるのは無理です)。
 旧皇室典範が大日本帝国憲法と同格とされた戦前とは違い、現憲法下で皇室典範が憲法を超えることができないことは言うまでもありません。

 皇族も「人」である以上、「一般国民と同じレベル」の自由・人権が保障されるべきなのは当然です。
 では、天皇は例外でいいのでしょうか。天皇は「神」ではありません。「人」です。「人」から自由・人権を制度的に(憲法によって)奪っている天皇制を存続させることが果たして妥当なのか、許されるのか―。「皇族の人権」をめぐる議論はそこまで射程に入れるべきです。


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日曜日記84・安保条約と沖縄県知事・震災と「声」の力

2020年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

☆日米安保条約と沖縄県知事

 1月16日、日米安保条約の改定(60年安保)から60年を迎えた。この日、沖縄の玉城デニー知事は県庁内で記者会見した。
 「知事は安保条約の存在意義を『これまでわが国および、東アジアにおける平和と安定の維持に寄与してきた』と総体的に評価した」(17日付沖縄タイムス)

 沖縄・日本に米軍基地があるのはいうまでもなく日米安保条約があるためだ。八重山諸島で強化されている自衛隊のミサイル基地化も安保条約による自衛隊と米軍と一体化の過程に他ならない。東アジアにおけるアメリカの覇権主義と日米安保は切っても切れない関係だ。その日米安保条約に対して、玉城氏のような認識で、どうして米軍基地や自衛隊基地の害悪とたたかえるだろうか。朝鮮半島の平和・民主勢力と連帯できるだろうか。

 自民党の県知事が日米安保条約を礼賛するのは分かる(いい悪いは別にして)。しかし、玉城氏は「沖縄の平和・民主勢力」を標榜する「オール沖縄」の知事だ。その知事が安保条約を賛美する。玉城氏だけではない。翁長雄志前知事もそうだった。
 この一事だけをもってしても、玉城氏や翁長氏は沖縄の県知事にはふさわしくない。

 日米軍事同盟解消=日米安保条約廃棄(第10条によって現実的に可能)は、日本の焦眉の課題だ。「世論調査」では8割近い「国民」が安保条約を支持していると言われるが、その内容・実態が広く知られれば、「世論」は変わる。劇的に変わり得る。変えなければならない。

 沖縄県知事にはその先頭に立ってもらいたい。少なくとも、沖縄の「平和・民主勢力」には、安保条約に反対する人を知事に擁立してもらいたい。「本土」で安保条約廃棄へ向けた活動を私なりに続けていく決意を新たにしつつ、そう切望する。

☆震災と「声」の力

 17日、阪神・淡路大震災から25年。NHKラジオ深夜便は特集を行い、「災害時におけるラジオの役割」について語り合っていた。
 携帯・スマホの電波が届かなくなっても、ラジオは届く。避難情報・生きるための身近な生活情報はラジオの重要な役割だ。

 それに加えて、番組を聴きながら思った。メール・SNSにはないものがラジオにはある。それは「声」の力ではないだろうか。仮にテレビが使えるとしても、「声」の力ではテレビはラジオに及ばない。

 人の「声」には温もりがある。人を励ます力がある。肉声とはよく言ったものだ。人の肉声が、必要な情報とともに、被災者に安心感と温かさを届け、生きることを励ます。それがラジオの特性ではないだろうか。それは「大事なものは目に見えない」にもつながる気がする。

 災害時だけではないだろう。SNS・ネット社会は、人の「声」の温もりを消し去った。人の手による文字の温もり(肉筆)も奪い去った。そのことが、現代社会の殺伐とした乾燥化と無縁ではないように思う。

昨日(18日)のブログは、午前と午後は別のものになりました。午後から差し替えました。午前中の「震災の陰に性被害―表出する性差別構造」について、引用した共同配信記事に「事実誤認」があると正井礼子さん(記事で紹介されたNPO法人代表理事)からご指摘を受けたためです。後半の「報告書」に関する部分に誤りはありません。この問題は、別の機会にあらためて考えたいと思います。


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軍都・広島の歴史抹消に通じる「旧陸軍被服支廠」解体

2020年01月18日 | 戦争の被害と加害

       

 被爆建物といえば原爆ドーム、という知名度に比べ、「旧陸軍被服支廠」(4棟、広島市南区。廠は作業所)の存在を知っている人はどのくらいいるでしょうか。その貴重な戦争被爆遺構が風前の灯です。

 4棟のうち3棟を所有している広島県(湯崎英彦知事)が、維持費の財政負担を理由に、2棟を解体する方針を明らかにしています。残り1棟に対しても湯崎知事は抜本的な耐震化を行わないとしており、老朽化によって喪失する恐れが小さくありません。また、残る1棟を所有する国も解体の意向といいます。

 この問題は広島県ではそれなりに知られていますが、それでもその重大性は十分周知されているとは言えないでしょう。その本質を指摘したものとして、高田真氏(アーキウォーク広島代表)の論稿(14日付中国新聞)が注目されます。要旨を紹介します。

 <この倉庫群(旧陸軍被服支廠4棟)は1913年に建設された。陸軍の一大拠点だった広島市内の巨大な軍施設は被爆時あるいは戦後に大半が失われ、ついに旧糧秣(兵士の食糧と軍馬のまぐさ)支廠の一部と、この倉庫群を残すだけとなった。軍需工場の遺構は全国的に見てもわずかで、希少価値は増すばかりだ。

 この倉庫群のポイントは4棟が並ぶ巨大な空間があることで、被爆の実相とともに広島の近代史を体現している点にある。その点で原爆ドームに匹敵する存在価値があるとも言える。

 歴史を学ぶ時に書物や映像から得られる知識だけでは不十分で、その場所に身を置き五感から得られる実感がとても大切だ。このかけがえのない遺産を目先の状況だけで処分することは、後世の人が実感を得る貴重な機会を永遠に奪うことになる。歴史が教科書の中だけのものになると、後世の人から「広島は軍都だったと書いてあるが、想像がつかない。本当なのか」とい言われかねない。>

 「旧陸軍被服支廠」は、広島が軍都だったことを象徴する遺構です。それは4棟揃った倉庫群でこそ意味があります。その半分(やがて全部の恐れ)を解体することは、広島が軍都であった歴史の抹消に通じます。

 広島に原爆が投下されたのは、広島が帝国日本有数の軍都だったからです。そこに広島の加害性があります。そのことを抜きに被爆の被害性だけを強調するのは、公正でないばかりか非核・平和へ向かう運動にとってもマイナスです。

 広島が軍都であった歴史の抹消は許されません。したがって「旧陸軍被服支廠」は4棟そろって保存する必要があります。

 高田氏は最後にこう強調しています。
 「私たち市民も、今回の解体問題の本質的な原因が一人一人の無関心にあることを自覚すべきであり、この問題を県だけに押し付けるべきではない。倉庫群の価値を広く共有し、皆で力を合わせて残す方法を探していけば、必ず道は開けると信じている」

 歴史の抹消、とりわけ加害の歴史の抹消は、「市民の無関心」によって引き起こされます。「旧陸軍被服支廠」解体問題はその警鐘でもあるのではないでしょうか。


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