アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

高江ヘリパッドー遂に「公約違反」をあらわにした翁長知事

2016年11月29日 | 生態系・自然環境

    

 ついに翁長知事の公約違反があらわになりました。
 29日の琉球新報、沖縄タイムスは、いずれも1面トップに「知事、ヘリパッド容認」の大見出しで、翁長氏が高江のヘリパッド建設容認を表明(28日の記者会見)したことを大きく報じました(写真左)。
 社会面では現地・高江で反対運動を続けている住民たちの、「公約違反だ」「心が折れそう」「怒りが収まらない」などの声を伝えています。

 ヘリパッド建設をめぐる翁長氏の公約違反については、このブログでは再三指摘してきましたが(例えば今月17日参照)、記者会見でそれが露呈し、県紙が大きく報じたことの意味は重く、翁長氏と県政与党(「オール沖縄」陣営)の責任があらためて問われることになります。

 28日の記者会見の該当部分を抜粋します。(29日付琉球新報「一問一答」より)

 翁長 「北部訓練場は過半返還が予定されている」
 記者 「北部訓練場は地元が求める形での返還の進め方ではない」
 翁長 「北部訓練場なども苦渋の選択の最たるものだ。…現実には高江に、新しいヘリパッドが6カ所も造られ、環境影響評価などもされないままオスプレイが飛び交って、状況は大変厳しい
 記者 「知事選の公約会見では高江のヘリパッド建設に反対した。『苦渋の選択』は後退では」
 翁長 「オスプレイの全面撤回があればヘリパッドも運用しにくいのではないか。…オスプレイの配備撤回で物事は収れんされるのではないか

 この期に及んでもなお「オスプレイの配備撤回」を隠れ蓑にしようというわけですが、自身認めているように、オスプレイはすでに連日高江の上空を飛び交い騒音被害をまき散らしています。その現実を放置したまま、口で「配備撤回」と言ったからといってそれで物事が「収れん」するはずがないことは誰でもわかることです。「苦渋の選択」(保守政治家の言い訳の決まり文句)などという修辞でことを重大さを隠蔽することはできません。

 はっきりさせておかねばならないことは、「苦渋の選択」であろうとなんであろうと、ヘリパッド(新基地)建設を容認することは、翁長氏の重大な公約違反だということです。
 翁長氏は2年前の知事選でこう公約したのです。

 「オスプレイの配備撤回を求めているなかで、連動しており、高江のヘリパッドは当然反対していく」(2014年10月21日、知事選の政策発表記者会見)

 仲井真前知事が「やらない」と言った「辺野古埋立承認」をやったのが公約違反だったように、「当然反対していく」と言った高江のヘリパッド建設を翁長氏が「容認」したことも紛れもない公約違反であり、県民に対する重大な裏切り行為です。絶対に許されるものではありません。

 29日の県紙には数人の「識者談話」が掲載されましたが、その中から屋富祖昌子さん(元琉大助教授=昆虫分類学)の談話を琉球新報から全文転載して紹介します(太字は引用者)。

 <湿潤な環境に恵まれた亜熱帯照葉樹林は、地球上どこを探してもやんばる以外にない。国は環境保全に最大限配慮すると声高に叫ぶが、一度切り開いた森は二度と元には戻れず、後は少しずつ環境が蝕まれていく姿を見届けるしかない。世界に誇るべきこの貴重な森を、翁長雄志知事は軍事・戦争のために放棄したのだ。問われるべき責任はあまりにも大きい
 ヘリパッド建設に先駆け、県は辺野古の陸上工事も容認した。年末の完成に向け、工事は急ピッチで進められることになり、環境への負荷も想像を絶する。北部はこうして軍事拠点となってしまうのではないか。
 知事は前知事と同じように「いい正月」を迎えるのだろう。2013年の年末に県民が見た悪夢が再びよみがえった。これで知事は「自ら進んで米軍に基地を差し出した沖縄県知事」として歴史に刻まれることになる。知事を信じて闘ってきた人々への裏切り行為は断じて許されない。

 (次回ー12月1日予定ー翁長会見の問題点をさらに指摘します)


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「象徴天皇制」の下で見過ごされてきた〝首相の憲法違反”

2016年11月28日 | 天皇制と憲法

    

 23日午後、トランプ次期米大統領との「会談」やAPEC首脳会議などから帰国した安倍首相が、休む間もなく向かったのは、皇居でした。何のためか。当日の「首相動静」にこう記されています。

 「6時46分、皇居。帰国の記帳。新嘗祭神嘉殿の儀に参列

 11月23日はなぜ「勤労感謝の日」なのか。この日は、天皇がその年の新穀の収穫に感謝し「神」に供える「新嘗祭(にいなめさい)」で、「日本に農業が始まった日」とされているからです。

 「新嘗祭」の起源は、皇祖神とされる天照大神が、皇孫に稲穂を授けたこととされています。「新嘗祭は、この(天照大神のー引用者)恩恵に対し、皇孫にあたる天皇自らが、五穀豊穣の感謝を神々に奉告する祭り」(『神道としきたり事典』PHP研究所)なのです。
 つまり「新嘗祭」は神社(皇室)神道の中心的な宗教行事であり、「宮中恒例祭祀で最も重要な祭典」(三橋健氏『神道の本』西東社)です。

 「新嘗祭」の当日、天皇は夕方から翌日の午前1時ごろまで(最近は短縮されていると言われますが詳細は不明)、神主の装束で新穀を「神」に供え自らも食するなど行事を取り仕切ります(写真左、中)。

 これに安倍首相が参列したことは、きわめて重大です。

 第1に、「宮中祭祀」は明白な宗教行事であることから、その位置づけは天皇の「私的行為」とされています。それに行政府の長である首相が参列することは、天皇の私的宗教行為があたかも「公的行為」であるかのような印象を与え、憲法上の「天皇の公的行為」をあいまいにし、天皇の「公務」の範囲をなし崩し的に拡大するものです。

 第2に、「新嘗祭」への参列は安倍首相が私的に行ったことではありません。内閣総理大臣として公的に行ったことです。これは国によるのあらゆる宗教活動を禁じた憲法の「政教分離の原則」(第20条)に反する明白な憲法違反です。

 いずれの意味においても、首相の「新嘗祭」参列は日本国憲法に照らして絶対に許されるものではありません。

 重要なのは、「新嘗祭」への参列は安倍首相だけではなく、戦後綿々と続いている「首相の恒例行事」だということです(朝日新聞の縮刷版では少なくとも1980から記録があります)。
 「民主党政権」においても例外ではありませんでした。2009年は鳩山由紀夫首相、10年は菅直人首相、11年は野田佳彦首相がそれぞれ参列しています。

 さらに重大なのは、このことが国会やメディアで問題にされたことがない(私の記憶の限りで)ことです。「政教分離」に反する明白な〝首相の憲法違反”が、問題にされることもなく見過ごされ、毎年続けられているのです。

 そこには天皇(皇室)に関することは憲法上問題があろうが無条件で是認する、メディア、政界、日本社会の「天皇タブー」があると言わざるをえません。
 「象徴天皇制」を抜本的に見直さなければならない理由がここにもあります。


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トランプ勝利<番外>世論調査はなぜ外れたか

2016年11月26日 | 日米関係とメディア

    

 「クリントン優勢」というアメリカ大手メディア世論調査がすべて外れたのはなぜか。
 「隠れトランプ派」が数字に表れなかったなど、さまざま言われていますが、日本にも通じる興味深い指摘を2つ紹介します。

 1つは、BS-TBSの「外国人記者は見た+」という番組の「トランプ氏勝利の真相」の回(20日夜)で、ニューヨークタイムス特派員はじめ複数の外国人記者が要旨次のように発言したことです。

 世論調査が外れたのは、地方新聞(地方総局に相当か)が次々つぶれたことが大きい。
 もともと世論調査の生の数字と実際に取材した実感との間には乖離がある。これまではそれを地方新聞の取材によって修正してきた。それが地方新聞がつぶれたためにできなかった。
 アメリカでは「メディアを信頼している」という人の割合が年々大きく減少しているグラフも示されました(写真右)。

 もう1つは、中国新聞に相次いで載った「識者評論」。
 前田幸男東大教授は、「統計理論に基づく世論調査は不確実性を織り込んで議論すべきであるにもっかわらず、評論家や大手メディアが丁寧に解説しなかったこと」(18日付)がミスリードの原因の1つだと指摘します。「専門家は有権者が自分たちと同じ物差しでトランプ氏を見ていると楽観していたのだろう

 会田弘継青山学院大教授は、世論調査や評論家の予測が外れたのは「プロの敗北」であり、「そこにこそ『トランプ現象』の本質がある」(17日付)と言います。
 「インテリと呼ばれる自分たちは、いかに下層中産階級である『普通の働く人たち』のものの考え方(価値観)を知らずに来たか。そこには高等教育を受けたリベラル(進歩派)と呼ばれる者の『おごり』がある
 「下層中産階級は経済的な抑圧だけでなく、文化的な抑圧も受けていると感じている。エリートは抑圧に無自覚だ。トランプ氏当選は白人下層中産階級による一種の『反動革命』である。トランプ氏が彼らを操ったように見えて、実は彼らが同氏を使って激しい異議申し立てをしたのだ」

 関連して、フランスの学者エマニエル・トッド氏も、白人大卒外の層のトランプ支持が多かった(写真中)ことを示し、今回の結果は「教育格差が生んだ非教育階級による一種の革命」だと言います(25日放送の「報道ステーション」)

 以上の指摘に共通しているのは、世論調査や評論家の予想が外れた根底には、「メディア」や「専門家」が現実から遊離し、独善に陥っている実態があるということです。

 日本はどうでしょうか。
 安倍首相が強権的に悪政を推し進めるのは、大手メディアの世論調査が「高い内閣支持率」を示しているからにほかなりません。世論調査の結果が政治を動かしていると言っても過言ではないでしょう。
 ではその世論調査は、はたしてどれだけ実態を反映しているでしょうか。電話調査の生の数字を実際の取材で修正することは行われているでしょうか。「エリート」の学者・評論家・新聞記者は、どれだけ「下層中産階級」の生活・声を知っているでしょうか。

 「普通の働く人たち」から遊離した虚構の「世論」を利用して国家権力が政治を動かす危険を凝視する必要があります。


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「オール沖縄」は高江を見捨てた翁長氏を見逃すのか

2016年11月24日 | 生態系・自然環境

    

 23日の沖縄タイムスの記事には、一瞬目を疑いました。「知事、普天間と嘉手納視察」の大見出しの横に「就任後、公務で初」。(写真左)
 なんと、米軍普天間基地や嘉手納基地を「知事が公務で視察するのは、2014年12月の就任後初めて」だというのです。

 焦点中の焦点の普天間基地。沖縄のみならず東アジアで最大の米軍基地・嘉手納。いやしくも「基地負担の軽減」を1枚看板にして当選した翁長氏が、就任して2年にもなるのに普天間、嘉手納を1度も視察していなかったとは。ありえないことです。

 タイムスの記事によれば、「知事は視察後、…県外の人に沖縄の基地の実情を理解してもらうために『現場を見てもらうのは有効な方法で、ぜひ足を運んでもらいたい』と言及した」とか。よくも言えたものです。真っ先に行かねばならない自分は2年間も行かないでおいて、県外の人に「ぜひ足を運んでもらいたい」とは。

 琉球新報や沖縄タイムスが問題にしないことをいいことに、翁長氏にはほかにも〝ありえないこと”があるのではないか、と考えてみると、やはりありました。
 翁長氏は就任以来、東村高江のヘリパッド建設現場にただの1度も「足を運んで」いないのです。
 普天間と嘉手納には就任2年でやっと行きましたが、高江にはまだ行っていません。行こうともしていません。あれほど反対住民と機動隊がせめぎあい、「土人・シナ人」発言が全国で問題になっているにもかかわらず、肝心の沖縄県知事は1度も現場を見てもいないのです。

 翁長氏は21日に稲田防衛相をたずね、「オスプレイの配備撤回を要請」(22日付琉球新報)すると同時に、「(高江のー引用者)4カ所のヘリパッドについて『本格的な運用開始前にオスプレイを対象としたアセスの再実施をしてもらいたい』」(同)と要請しました。

 おかしいではないですか。オスプレイの「配備撤回」と「オスプレイを対象としたアセスの再実施」がどうして両立するのですか。本気で「配備撤回」を求めるなら、「オスプレイを対象としたアセス」など論外ではありませんか。

 翁長氏には本気で「オスプレイ配備撤回」を求める気などないのです。「アセスの再実施要求」は、いかにも反対しているかのようなポーズを示すためのスタンドプレイに他なりません。

 「今さら何をアセスか。既に児童が学校に行けないなどの被害が出ている。お茶を濁している暇があれば、ヘリパッド反対の態度を表明すべきだ」「知事は高江を実質的に見捨てているのと一緒だ」(12日付琉球新報)

 現地で反対行動を続けている作家の目取真俊さんのこの言葉が、翁長氏の実体を射抜いています。

 「1999年から(ヘリパッド建設にー引用者)反対してきた東村高江に住む住民からは『高江は見捨てられたのか』…『高江は捨て石なのかな。なんでこんなに県は動かないんだろう』」(24日付琉球新報)という「不満の声」が上がっているといいます。当然です。

 翁長氏は高江に行こうとしない一方、菅官房長官とは笑顔で会い(10月8日、写真右)、ヘリパッド完成を前提にした北部訓練場の「年内一部返還」を「大歓迎」(10月9日付琉球新報)し、菅氏を安心させました。翁長氏が高江を「見捨てている」ことは歴然としています。

 「『オール沖縄とは一体何なのか』との批判も地元では渦巻く」(24日付琉球新報)といいます。
 高江を「捨て石」にしている翁長氏をこのまま許すのか。見て見ぬ振りをするのか。「オール沖縄」(県政与党、市民)が問われています。

 ※今回が前身の「私の沖縄日記」から通算して900回になります。今後ともよろしくお願いいたします。


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南スーダン、宮古島・・・そして私たち

2016年11月22日 | 沖縄・米軍・自衛隊

    

 「不安で胸が張り裂けそう」
 息子が南スーダンに出発する光景をテレビニュースで見ながら、母親(66)は辛かった。
 9月ごろ、「11月から長期出張に行く」と聞いた。
 家で南スーダン情勢への不安を口にするようになると、テレビが片づけられ、新聞購読も止められた。「理由は聞いていないけれど、私を不安にさせないために、現地の情勢を見せたくなかったんだと思う」
 不安は募る。「殺されたり、相手を殺したりするようなことになったらと思うと、やりきれない。
(21日付朝日新聞より)

 青森市に住む女性(43)は、両親、娘3人と夫を見送った。
 出発前夜に家族で鍋を囲んだ。子どもたちは夫の似顔絵に日本と南スーダンの国旗をあしらい、「パパ、がんばってね」と書いた手紙を渡した。
 10歳の長女は、あどけない笑顔で、「さみしいけど、お仕事がんばってほしい」
(21日付毎日新聞より)

 同じ20日。沖縄・宮古島では「11・20宮古島平和集会」が行われ、約300人が集い、集会後デモをしました。
 安倍政権が宮古島に強行しようとしている陸上自衛隊配備。反対を続けている「てぃだぬふぁ島の子平和な未来をつくる会」共同代表の石嶺香織さんは、陸自配備によって、①水道水源の汚染②水量の不足という「二つの水の問題」が起こる危険性を指摘したうえで、こう訴えました(写真右)。

 宮古島が戦場になることを、想像できていない人はいますか?
 ミサイルを配備することは、戦場になることを意味します。このミサイルを、たった一度でも撃てばどうなると思いますか?攻撃されます。
 ミサイルは車載式です。トラックに載せて島中どこでも走り回ります。どこが戦場になるか分からない。基地予定地だけの問題じゃないんです。

 「てぃだぬふぁ」はこの一年、基地配備を止めるために子育てや家事や仕事の時間を割いて、活動を続けてきました。子供たちにゆっくり絵本を読み聞かせしてあげる時間もなくなりました。
 奪われていくものと戦う(奪われないように戦うー引用者)ということは、どれだけ不毛なのでしょうか。本当は、育むもの、作り上げるもの、積み上げていくもののためにエネルギーを使っていきたい。
 しかしそれでもなぜ、奪われていくもの、戦争につながることと戦っているかと言えば、戦争のまえでは全てが消え去るからです。育んだものも、作り上げたものも、積み上げたものも、一瞬にして失うからです。命も、文化も、土地も、水も。

 戦後多くの母親が、戦争に反対していれば良かった、子供が戦場に行くのを見送らずに、どんなことをしてでも止めれば良かった、一緒に逃げれば良かったと言っています。それは、心からの後悔、死ぬまで解放されることのない後悔ではないでしょうか。
 しかし、戦争になる前に、みな戦争が始まるとは思っていなかったはずです。今と同じように。
 想像力を働かせなかったのです。なぜ人間に想像力が与えられたのか。危険を予測して命を守るためです。

 子供たちの未来がいかに奪われないようにするか、そのことに時間を使うのはもうやめにしませんか? 子供たちの未来をいかに作るかに、私たちのエネルギーを注ぎませんか?
 そのために、宮古島市民は戦争につながる全てのものに、NOと言わなければいけない。声を大にして、きっぱりと基地を断りましょう。

 私は、子供たちに絵本を読み聞かせしてあげる平和な夜を、取り戻したいと思います。
 そして、高江にも、辺野古にも、普天間にも、石垣島にも、与那国島にも、沖縄の全ての場所に、平和な夜を取り戻しましょう。
(「ピース・フィロソフィ・センター」サイトより。写真右=芹川剛志氏提供も。http://peacephilosophy.blogspot.jp/

 「南スーダン」、「宮古島」、「高江」、「辺野古」・・・私たちはどれだけ自分のこととして考えているでしょうか。
 私たちにいま問われているのは、戦争法によって戦後初めて人を殺し、殺される可能性が大きい「戦地」(南スーダンの現状)に赴く兵士(自衛隊員)とそれを見送る家族、逃げ場のないふるさとの島が戦場になろうとしている沖縄の人々、その「想い」にどれだけ近づくことができるか。そのための「想像力」ではないでしょうか。

 


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「普天間爆音訴訟判決」の根本問題は何か

2016年11月21日 | 沖縄と日米安保

    

 命を縮める騒音をまき散らす米軍機の飛行差し止めと損害賠償を求め、住民3417人が提訴した「第2次普天間爆音訴訟」の判決(17日、那覇地裁・藤倉徹也裁判長)は、騒音や低周波音が「日常生活の妨害」や「健康上の悪影響」をもたらすことを認め、被告の国に総額24億5826万円の損害賠償を命じました。しかし、肝心の「飛行差し止め請求」は却下しました。

 この判決から私たちは何をくみとるべきでしょうか。

 判決が「飛行差し止め請求」を却下した根拠は、「1993年、厚木・横田基地訴訟で最高裁が提示した『第三者行為論』。訴訟の当事者は国民であり、第三者である米軍の行為を国は止める権限を有しないという論理」(18日付沖縄タイムス社説)でした。

 では「第三者行為論」の根源は何でしょうか。それは判決文自体に明記されています。

 「日米安保条約及び日米地位協定によれば、本件飛行場の管理運営の権限は、全てアメリカ合衆国に委ねられており、被告(国)は、本件飛行場における合衆国軍隊の航空機の運航等を規制し制限することのできる立場にはないと評価せざるを得ない。よって、本件差止請求は、被告に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものであるから…判断するまでもなく(却下)」

 ここに米軍基地をめぐるアメリカと日本政府と日本国民の関係がはっきり表れています。憲法が保障する国民の基本的人権が米軍基地によって侵害されても、日本政府は米軍基地になんの権限もないから、裁判で政府を訴えても無駄、というわけです。「日本は米国の属国である」(島田善次原告団長、17日付琉球新報)とはこういうことです。

 重要なのは、このように日本をアメリカの属国にしている法的根拠が、「日米安保条約及び日米地位協定」であることを判決自体が誇示していることです。

 判決に対し弁護団(新垣勉弁護団長)は、「民主主義国家としてあるまじき事態で、司法の自己否定である」とし、「日米両国政府に対し…『静かな夜』を実現させるよう強く求める」という「弁護団声明」を出しました。それは当然の主張ですが、ただ司法を批判したり日米政府に要求しているだけではいつまでたっても事態は変わりません。

 今回の判決は、米軍基地被害をなくするには、「第三者行為論」の根拠であり、そもそも米軍基地が存在する根拠であり、日本を属国にしている日米安保条約(地位協定の法的根拠も安保条約)自体を廃棄する以外にないことを、改めて示したのではないでしょうか。

 しかし、「本土」の新聞やテレビは、相変わらず「日米安保条約」については口をつぐんでいます。全国紙は判決に対する社説すらありませんでした。
 一方、沖縄タイムスの社説にも「日米安保条約」の文字はありませんでした。琉球新報の社説(18日付)は「本判決は結果的に日米安保条約を上位に、基本的人権を保障する憲法を下位に置いた」と正当に指摘しながら、そこまで言いながら、日米安保条約を「廃棄すべきだ」という主張は見られませんでした。

 日米安保条約がどんなに住民・市民のいのちと暮らしを侵害し、平和と基本的人権の憲法に反しているか。今回の判決のように身近で具体的な問題に即して明らかにしていく必要があります。そうでなければ、いつまでたっても「日米安保支持8割」という「世論調査」の虚構は崩せないでしょう。

 
 


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トランプ氏を絶賛した安倍氏、それを賛美するメディアは日本の恥

2016年11月19日 | 日米関係とメディア

    

 安倍首相とトランプ次期米大統領との「会談」(日本時間18日)は、異例・異常づくめでした。

 第1の異常さは、トランプ氏が一切の取材を拒否したことです。報道陣は会談場所となったトランプ氏の私邸があるトランプタワーから締め出され、通りをはさんだ向こう側に待機せざるをえませんでした(写真中)。

 この種の会談では少なくとも冒頭に写真撮影(頭撮り)が行われるのが普通ですが、トランプ氏をそれも拒否しました。そのため、日本政府は「内閣広報室提供」として10枚の写真を配布しました。

 トランプ氏の取材拒否の背景に、選挙中からのメディア敵視があるのは間違いないでしょう。アメリカのメディアは取材拒否に抗議し、その意思を示すために主要なテレビ局はトランプ氏側から提供された写真は一切使わなかったといいます。

 ところが日本のメディアはどうでしょうか。取材拒否に抗議するどころか、「内閣広報室提供」の写真をフルに使い、安倍氏とトランプファミリーの〝和やかさ”をあれこれ「解説」する始末です(写真右)。

 アメリカと日本のメディアの違いは明瞭です。権力と対峙すべきメディアの姿勢としてどちらが妥当か、言うまでもないでしょう。

 第2の異常さは、トランプ氏も安倍氏も「会談」の内容を一切明らかにしなかったことです。

 「非公式な会談だから」(安倍氏)というのは言い訳になりません。たとえ「非公式」でも「公的」な首脳会談です。決して「私的」な訪問ではありません。あくまでも「トランプ氏の外交デビュー」(NHKニュース)なのです。90分間も話し合っておいて、その内容を一切明らかにしないなどということが許されるものではありません。

 トランプ氏は当初、「会談」後に「声明」を出すとしていましたが、それも取りやめました。

 安倍氏はトランプ氏を「信頼できる指導者だと確信した」と述べましたが、なぜ「信頼できる」のか、なぜそう「確信」したのか。安倍氏はその根拠を明らかにする必要があります。米軍経費やTPPなどについての会談内容を一切明らかにしないままで、「信頼できる」と強調するのは、デマゴギー(虚偽の宣伝)以外の何ものでもありません。

 ところがこれに対しても、日本のメディアは、「非公式という位置づけで…具体的な内容は『差し控えたい』と説明を避けた。…首相がトランプ氏の発言内容を公表しなかったこと自体は理解できる」(19日付朝日新聞社説)などと、批判するどころか「理解」しているのです。

 そもそも日本のメディアが「霧中に踏み出した一歩」(19日付毎日新聞社説)などとこぞって賛美する今回の「安倍・トランプ会談」とは何だったのでしょうか。

 選挙中のトランプ氏の「日米同盟見直し」示唆発言にびっくり仰天した安倍氏が、日米同盟(安保条約による軍事同盟)を維持するために、50万円のゴルフクラブを土産にトランプ氏のもとにはせ参じ、「信頼できる指導者」と媚びを売っただけではありませんか。

 トランプ氏はわが意を得たりとばかりに、さっそくフェイスブックに安倍晋三総理に我が家に立ち寄ってもらったことをうれしく思う。グレートな友情の始まりだ」と書きました。国内外の不人気を少しでも挽回しようと、安倍氏を利用したことは明白です。それが「外交デビュー」に安倍氏を選んだトランプ氏の「ディール(取引)」だったのです。

 核兵器使用、移民排斥、女性蔑視・差別はじめ数々の暴言で批判を浴びているトランプ氏に真っ先に会いに行き、「信頼できると」と世界に向かって公言したことは、安倍氏個人の問題にとどまらず、日本の恥です。
 それを無批判に賛美する日本のメディアは、恥の上塗りと言わねばなりません。


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当選から2年、翁長知事の3大公約違反

2016年11月17日 | 沖縄・翁長・辺野古

     

 沖縄県知事選で翁長雄志氏が当選して16日で丸2年でした。
 琉球新報は「国と厳しく対峙」、沖縄タイムスは「知事選の公約を順守」と、いずれも同日の紙面で翁長氏を高く評価しました。

 これは事実でしょうか。
 重要な3つの問題で、翁長氏の「公約」と実際にやったことを比べてみましょう。
  
 ① 辺野古新基地…「選挙に勝って取り消し。その上で撤回」⇒「取り消し」に10カ月。「撤回」は明言せず

 翁長氏は出馬の記者会見(2014年9月13日、写真左)で、「辺野古新基地建設をどうやって阻止するのか」との質問にこう答えました。

 「まずは知事選に勝って、承認そのものを取り消す。その上で、承認撤回のあり方をみんなで力をあわせて考えたい」(2014年9月14日付しんぶん「赤旗」)

 これによって、仲井真前知事の埋立承認は知事選後直ちに取り消され、さらに撤回もされる、と思うのが普通でしょう。そもそも、翁長氏と共産党、社民党、社大党などとの間で結ばれた「沖縄県知事選に臨む基本姿勢および組織協定」(2014年9月13日)では、「新しい知事は埋め立て承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせません」と明記しているのです。

 ところが、翁長氏が埋立承認を「取り消し」たのは、知事就任(2014年12月10日)からなんと10カ月もあとの2015年10月13日です。第三者委員会から「承認に法的瑕疵がある」との報告書(15年7月16日)を受け取ってからもなお、安倍政権と「集中協議」(8月10日~9月9日、写真右)なる密室協議を1カ月にわたって行い、「取り消し」を引き延ばしました。安倍政権が戦争法(安保法制)を強行(9月19日成立)する間、「辺野古」が争点になるのを避けるのに手を貸したわけです。
 「撤回」についてはいまだに実行の明言すら行っていません。

 ② 高江ヘリパッド…「当然反対していく」⇒「大変歓迎」

 翁長氏は知事選出馬にあたっての「政策発表」記者会見(2014年10月21日、写真中)で、高江のヘリパッド建設に対する政策についての質問に、こう答えました。

 「オスプレイの配備撤回を求めているなかで、連動しており、高江のヘリパッドは当然反対していく」(琉球新報の動画より)

 ところが翁長氏はこの2年間、県議会や記者会見での度重なる質問にも頑として「高江ヘリパッド反対」を明言せず、事実上「容認」したまま今に至っています。

 それどころか、菅官房長官が「ヘリパッド完成」を前提に北部訓練場を年内に部分返還すると述べた(10月8日)のに対し、翁長氏は「大変歓迎しながら承った」(10月9日付琉球新報)と手放しで喜んだのです。

 「反対」から事実上の「容認」、さらには「大変歓迎」へ。これが公約違反でなくてなんでしょう。
 「公約を変えたのはなぜなのか」(10月10日付沖縄タイムス、平安名純代記者)。翁長氏は明確に説明する責任があります。

 ③ 戦争法(安保法制)…「憲法9条を守り、解釈改憲に反対」⇒「反対」せず

 基地問題だけではありません。上記の「基本姿勢および組織協定」には、「憲法9条を守り、県民のくらしのい中に憲法を生かします。解釈改憲に反対し、特定秘密保護法の廃止を求めます」と明記されています。

 安倍政権が強行した戦争法(安保法制)が憲法9条に反する「解釈改憲」であることは言うまでもありません(少なくとも「オール沖縄」陣営にとっては)。「協定」に従えば、当然これに反対すべきです。共産党が県議会で何度も翁長氏に「反対」を明言するよう質問したのも当然です。

 ところが翁長氏は、戦争法への「反対」表明を一貫して避けました。それどころか答弁を知事公室長にやらせ、自らまともに質問に答えようともしませんでした。

 これが翁長氏の〝公約違反の2年間”です。


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「土人」発言・サンフランシスコ条約・天皇裕仁

2016年11月15日 | 沖縄と天皇

    

 高江ヘリパッド建設に反対する住民に対する機動隊員の「土人」発言を、「差別だと断じることは到底できない」(8日の参院内閣委員会)と言い放った鶴保庸介沖縄担当相に対し、比屋根照夫琉大名誉教授がこう批判しています。

 「近代日本の沖縄政策は併合・包摂・排除を基調としたものであった。…併合し、排除するということは内地化することであり、優劣化することを意味した。言い換えれば抑圧の支配体系を構築することであった。そのためにも国内において日本人と差別化する必要があった。政府の沖縄調査も『土人』の視点で沖縄をとらえた。その結果、明治時代、ジャーナリズムが沖縄呼称を『琉奴』・『琉堅』・『琉獣』と記述した事実を鶴保大臣は知っているのか」(13日付琉球新報)

 鶴保氏のみならず日本人皆が知らねばならない事実です。
 同時に重要なのは、「排除・抑圧の支配体系」は近代史にとどまらず、現代史に受け継がれ、今現在も継続していることです。

 それが国の基本方針として確立されたのが、サンフランシスコ講和条約(1952年4月28日発効)にほかなりません。日本はサ条約で沖縄を切り捨て、アメリカの支配下に投げ入れたのです。

 「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)…を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われず且つ可決されるまで、合衆国は…行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」(第3条)

 実際は「信託統治」の提案はなされず、アメリカがそのまま直接統治することになりましたが、注目する必要があるのは、「信託統治」です。

 「信託統治」とは、「まだ十分に自立しうる能力をもっていない人民の居住する地域を施政権者が統治する制度」(『国際政治経済辞典』東京書籍)です。
 日米両政府がサ条約で沖縄を「信託統治」下のおくとしたのは、両政府が沖縄を「十分に自立しうる能力をもっていない人民の居住する地域」、つまり文化的に遅れた地域と見做したということです。ここに「土人」発言の現代史における原点があると言わざるをえません。

 事実、サ条約の検討過程で、政府内からも次のような意見があったといわれます。
 「(外務省の作業部局はー引用者)沖縄についても、本来は『文化の程度の著しく低い地方の民度を向上発達させることを主眼とする』ところの信託統治制度をなぜ沖縄に施行せねばならないのか『理由を発見し難い』と断じ、本土への返還を主張した」(楢下豊彦氏『昭和天皇の戦後日本』岩波書店)

 外務省内にも異論があったにもかかわらずサ条約に「信託統治」が明記され、アメリカの統治下に置かれたのはなぜか。昭和天皇・裕仁の意向が貫かれたからです。

 天皇裕仁は吉田茂首相(当時)の頭越しにアメリカと「講和条約」について話をすすめる「二重外交」を繰り広げ、吉田もそれに従わざるをえませんでした。

 「(1951年8月27日の天皇に対する「内奏」でー引用者)吉田はまず沖縄について、米国の『戦略的な目的』を最優先におき、それに『支障をきたさない範囲』で日本の要望を出していくとの立場を明確に伝えた。これは言うまでもなく、1947年9月の『沖縄メッセージ』において昭和天皇が求めたものに他ならない」(楢下氏、同前)

 1947年9月19日、天皇裕仁は宮内庁御用掛の寺崎英成を通じ、連合国最高司令官(マッカーサー)と米国国務長官に次のような「メッセージ」を送りました。

 「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである」(『昭和天皇実録』東京書籍より)

 沖縄の米軍基地問題の元凶は言うまでもなく、サ条約と日米安保条約です。それは天皇裕仁が「国体=天皇制」を守るために一貫して沖縄を「捨て石」にしてきた産物です。その根底には「皇土(本土)=神の国」ではない沖縄(琉球)に対する裕仁の根深い蔑視・差別があります。

 それが今日の「沖縄差別」の根源であり、「土人」発言の最大の問題もここにあることを見逃すことはできません。


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トランプ勝利<下>日本を覆う「日米軍事同盟タブー」

2016年11月14日 | 日米安保体制と平和・民主主義

    

 「米軍基地負担」など「日米同盟」に関するトランプ氏の発言が今後どう修正・変化するかは不透明です。しかし確かなことは、今回の米大統領選を契機に日本の私たちが考えるべき最大の問題は、今後の日米関係のあり方、言い換えれば日米軍事同盟(日米安保条約体制)の再検討ではないでしょうか。

 「世界の警察官になるべきではない」という米大統領が誕生することは、たとえそれが今後撤回・修正されるとしても、日米軍事同盟にとっては最大の「危機」でしょう。
 安倍首相が電話でトランプ氏に直ちに、「日米同盟は普遍的価値で結ばれたゆるぎない同盟だ。さらに強固にしていきたい」(9日)と述べたのは、その「ゆるぎ」を恐れたからにほかなりません。

 では、日本のメディアは、「トランプ勝利」を受けて日米(軍事)同盟をどう再検討しようとしているでしょうか。10日の各紙の社説を見てみましょう。

 朝日新聞…「米国の役割とは何か。同盟国や世界との協働がいかに米国と世界の利益になるか。…日本など同盟国は次期政権と緊密な関係づくりを急ぎ、ねばり強く国際協調の重みを説明していく必要がある」

 毎日新聞…「第二次世界大戦後の世界は冷戦とソ連崩壊を経て米一極支配の時代に入り、米国の理念に基づいて国際秩序が形成されてきた。…『米国を再び偉大な国に』をスローガンにするのはいいが、同盟国との関係や国際協調を粗末にして『偉大な国』であり続けることはできない」

 読売新聞…「何よりも懸念されるのは、同盟国を軽視するトランプ氏の不安定な外交・安保政策だ。…米主導の国際秩序をこれ以上揺るがしてはならないだろう。…日本は、新政権の方針を慎重に見極めながら、同盟の新たな在り方を検討すべきである

 日経新聞…「日本の安全保障が米軍に依存しているのは事実であり、ある程度の負担増はやむを得ない。日本の防衛力強化も避けて通れない道だ。…国連平和維持活動(PKO)など世界平和への協力に日本も汗を流すなどして日米の絆を深めるのが現実的だ」

 産経新聞…「より重要なのは、東シナ海の尖閣諸島の危機を抱える日本として、自らの防衛努力を強める覚悟を持つことである。(安倍首相の言葉を引いてー引用者)決意のみならず、具体的な防衛力の強化策を講じることが不可欠といえよう」

 読売、日経、産経はいかにも率直に安倍政権の考えを代弁しています。稲田防衛相も述べたように、彼らはトランプの発言を奇貨として、日本の軍事力(自衛隊)の一層の強化を図り日米軍事同盟をさらに強固にしようとしています。

 朝日、毎日はさすがにそうストレートには言いませんが、共通しているのは、「アメリカ中心の世界秩序」の維持(「世界の警察官」の継続)であり、そのための同盟国・日本との「協働」です。

 こうして日本の主要メディアはすべて、強弱の差はあっても、トランプ政権下での日米軍事同盟の維持・強化を主張しています。その点で安倍首相との違いはありません。

 メディアだけではありません。新聞やテレビに登場するいわゆる「学者・識者」も、「日米関係を見直す好機」(田岡俊次氏、14日付沖縄タイムス)とは言っても、日米軍事同盟を廃棄すべきだと主張する人は、私が見た限り、1人もいません。逆に、リベラルと見られている学者からも、「国際関係を維持していくには…これまで日本は米国依存だったが、今後は責任ある同盟国として対応していくべきだ」(西崎文子東大教授、10日付中国新聞=共同)などの論調が出ています。

 政党はどうでしょうか。
 民進党の蓮舫代表は「トランプ勝利」で、「日米関係の重要性は不変だ」「安定した日米同盟を引き続き維持し、経済関係の連携を図りたい」(10日付共同)との「談話」を発表しました。

 政党で唯一日米安保条約に「反対」の日本共産党はどうでしょうか。志位和夫委員長は「談話」(10日付「赤旗」)で、「アメリカ社会の矛盾と行き詰まり」や「グローバル資本主義の深い矛盾」を指摘しながら、「新大統領として、今後どのような政策を提示するのか、注視していきたい」と言うだけで、「日米(軍事)同盟」の言葉(まして見直し・廃棄)は一言もありません。

 こうして日本は、メディアも「学者・識者」も政党も、日米軍事同盟(安保条約体制)を維持・推進・黙認する点で、すべて1つの傘の中にすっぽり入っています。「トランプ政権誕生」でもそれは変わりません。変えようとしていません。

 それでいいのでしょうか。
 「日米同盟の普遍的価値」とは何ですか。日米軍事同盟に縛られていて、中国、北朝鮮と良好な関係が築けますか。「軍事同盟」で平和がつくれるでしょうか。

 いま必要なのは、日本を覆っている「日米軍事同盟(安保条約体制)タブー」を打ち破って、「非同盟・中立の日本」を構想し議論することではないでしょうか。


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