アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

危うい被爆地メディアの自衛隊報道

2014年08月30日 | 自衛隊・軍隊

PhotoPhoto_2 今日(30日)の「花子とアン」(NHK朝ドラ)で、戦時中のラジオ局幹部が豪語しました。「われわれ(ラジオ局)は国民に国策への協力を促す立場にある」。

 その言葉が決して過去のことではない、と思わせることが、同日尾道市でありました。

 「瀬戸内水軍まつりin尾道」で、航空自衛隊の曲技飛行隊「ブルーインパルス」(青い衝撃)によるアクロバット飛行が行われたのです(写真左はウィキペディアから)。

 それ自体、自衛隊の国民浸透戦略の一環として絶対に軽視できません。が、さらに驚くべきことがありました。
 地元・尾道市のコミュニティ放送「エフエムおのみち」が、なんとこれを特別番組として生中継したのです。

 中継は、まつりのメーン会場などをつなぐ3元中継。「ブルーインパルスを通して航空自衛隊を知っていただき、みなさんに夢と感動を与える」などという、会場に流される観客向けの現役自衛隊パイロットによる解説を約25分間、そのまま放送するという念の入れようです。
 「エフエムおのみち」のは、「ラジオを片手に華麗な飛行を楽しんでもらいたい」(28日付中国新聞)、「ブルーインパルスを応援しよう」(当日の放送)とまで言っています。

 「エフエムおのみち」だけではありません。
 中国新聞が6月に「自衛官になる」と題して海上自衛隊呉教育隊をルポした連載は、あまりにも無批判に自衛隊を賛美するものだと、この「日記」にも書きました。その取材記者の顔写真付き感想記事が、29日付の「オピニオン」欄に載りました。

 記事のタイトルは「海自 頼もしき若手たち」。記者は集団的自衛権行使容認の閣議決定や、土砂災害での自衛隊活動にふれ、「多様化する任務とこれから向き合うことになる若い隊員たち。厳しい現実も受け止めながら、成長していくのだろう」とエールを送っています。

 集団的自衛権行使容認によって、自衛隊は“戦争をする軍隊”へ本格的に大きく変貌しようとしています。
 それだけに隊員確保も含め、政府・防衛省は自衛隊に対する国民の違和感を払拭し、批判をかわすことに躍起になっています。

 日本のメディアは今、自衛隊をどう報道するのか、その本質をどう伝えるのか、大きな責務に直面しています。
 とりわけ「被爆地・平和都市」広島のメディアの責任は重大です。
 しかしその現状は、あまりにもお粗末で、危険なものだと言わざるをえません。

 沖縄はどうでしょうか。

 沖縄県内で自衛官募集の業務を一部受託実施する市町村が35、全41市町村の85%と過去最高に上っていることが報じられました(沖縄タイムス8月4日付)。

 沖縄でも自衛隊の八重山諸島への増強とともに、県民浸透作戦が確実に進行しています。
 県内メディアが自衛隊への批判精神を堅持することができるかどうか。米軍基地問題とともに、自衛隊の増強・強化に対する県民の監視・批判が不可欠です。

 <気になるニュース>

 見過ごせない自衛隊の宇宙進出


 「宇宙から画像収集強化 防衛省方針 JAXAと協力推進」(29日付中国新聞、2面2段)。
 「防衛省は28日、宇宙からの画像収集能力の強化や、弾道ミサイルの発射や兆候を早期に探知するための技術開発、宇宙監視部隊の創設などを柱とする新たな宇宙開発利用に関する基本方針を決定した」

 中国新聞はこう”客観報道”しています。
 しかしこれは聞き流すことができない、きわめて重大な動きです。自衛隊が宇宙に進出し、宇宙軍を創るという計画にほかならないのですから。

 防衛省の発表を無批判に垂れ流すこうした報道が、防衛省戦略の広報にほかならないことを、メディアは強く自覚すべきです。


映画「トークバック」―私たちは「呼応」しているか

2014年08月28日 | 映画

PhotoPhoto_2 24日福山市内の劇場で、ドキュメント映画「トークバック~沈黙を破る女たち」の上映と、坂上香監督(写真右)らのトーク、会場との質疑応答がありました。

 坂上監督の前作「ライファーズ~終身刑を超えて」(2004)に衝撃を受けたので、今回は内容にほとんど予備知識を持たず見に行きました。
 そして、この映画が投げ掛けているもののあまりの大きさと多さに、またしても圧倒されました。
 「1回見ただけでは分かりにくいかもしれません。ぜひリピーターに」という坂上さんの言葉もあり、翌25日、もう一度見ました。それでもなお、奥の深い映画です。

 サンフランシスコに、元受刑者らによる女性だけの劇団があります。HIV陽性者、薬物依存者、性暴力被害者、人種など、さまざまな差別を複合的に受け、自分を否定し、家族に隠し、絶望の淵に生きていた彼女たちが、劇団で、自分を語り、体で表現し、観客に訴えることで、再生されていきます。
 その姿を十数年にわたって追った映画です。

 彼女たちは「沈黙を破った」のです。そして「万華鏡のような」多面的な自分を発見し、「今までの人生に後悔はない。クスリも含めて。目下成長中」とまで言い切れるほど、自分を肯定できるようになりました。

 この映画は、さまざまな差別に苦しむ人たちだけの映画ではもちろんありません。「HIVだけじゃない。人生は課題が山積み」というラスト近くの言葉で、これは私たち一人ひとりに生き方を問う映画であることにはっきり気づきます。

 沈黙を破って自分を、自分の過去を語ること。それが「トークバック」です。

 しかし、この言葉の意味はそれだけではありません。なぜ彼女たちは「沈黙を破る」ことができたのか。

 パンフレット(写真左)で精神科医の山登敬之氏が言っています。
 「どのような立場であれ困難を抱えて生きる者たちにとって、みずから語ること、仲間を持つこと、互いに信じ合うことがいかに重要であるか。それを知っていたからこそ、坂上香は共鳴したのではないか」

 沈黙を破って、辛い過去と苦しい思いを語ることができるのは、そこに仲間がいるからです。信じ合える仲間、魂の叫びを受け止めてくれる仲間がいるからです。

 そう、「トークバック」には、「声を上げる」と同時に、「呼応しあう」という意味があるのです。
 いくら「声」を上げても、それに「呼応」する人たちがいなければ、人間の「再生」はありません。

 映画を見ながら、沖縄のことが浮かんできました。
 沖縄の人たちは、懸命に「声」を上げ続けています。
 その「声」に、本土の私たちは「呼応」しているでしょうか。
 私たちは、沖縄の人たちの「仲間」になりえているでしょうか。

 沖縄の「声」に本土が「呼応」すれば、きっと沖縄は「再生」するでしょう。
 「トークバック」の彼女たちがそうであったように。

 <気になるニュース>

 自衛隊富士山麓実弾演習に1日で3億5000万円。そして・・・


Photo_3  24日富士山麓で自衛隊の実弾演習(「富士総合火力演習」)が行われました。
 1日に使った火薬は約44トン。自衛隊員2300人、戦車・装甲車80両を動員。かかった費用は3億5000万円。それが数時間で文字通り煙となって消えてしまいました。この金はもちろん、私たちの血税です。
 その金と人手を、そっくり広島の被災地に向けたらどうなのか!

 これだけでも怒り心頭ですが、さらに驚いたことがあります。
 この“軍事ショー”に、なんと6000人もの「観客」が集まったというのです。
 
 それだけの「一般市民」が、富士山麓にわざわざ自衛隊の実弾演習を見に行く。
 この「日本の現実」に、どう向き合えばいいのか・・・。


相馬「かえる新聞」にこめた思い

2014年08月26日 | 原発・放射能

PhotoPhoto_2 福山市には「広島・福山から福島・相馬を想う会」という会があります。
 市内の「カフェ・ポレポレ」では、2011・3・11の震災直後から、毎月「震災復興応援ライブ」が行われています。
 このライブは、出演するミュージシャンが500円募金して演奏し、相馬市・南相馬市を応援するプロジェクトに全額寄付するというユニークなものです。
 継続した支援活動の大切さ、音楽の力を改めて痛感します。

 その「想う会」が、広く市民とともに相馬に想いを馳せようと、さる17日、市内のショッピングモールで「相馬盆唄・盆踊り大会」を開催しました(写真左)。

 一般参加者は多くはありませんでしたが、取り巻いて見ている人たちは結構いました。私は久しぶりに盆踊りの輪の中に入りました。

 会場で、思わぬ収穫がありました。「そうま・かえる新聞」という「コミュニティ・ペーパー」のバックナンバーがいただけたことです。

 「そうま・かえる新聞」は2011年12月の相馬市でのライブをきっかけに準備号が作られ、翌12年2月に創刊。以後、2カ月に1回発行されています。
 編集スタッフは全員別に本業がありますが、とても“素人”の編集とは思えない、内容の豊かさとビジュアルの美しさに驚嘆します。
 発行部数は約2万部にものぼり、希望者には無償で送付されるほか、ライブ会場などで配布されています。

 毎号掲載の「相馬市・南相馬市放射線レベル測定値」など、原発・放射能情報はもちろん、ミュージシャンの活動紹介、全国のアーティストとの交流などが特徴です。
 「方言のなぞなぞ」コーナーがあるのは、「ふるさと」と「言葉」の関係を改めて考えさせられます。沖縄で「ウチナーグチ」の普及運動が広がっていることを思い起こしました。

 「そうま・かえる新聞」の題字下にはこうあります。

 「子どもたちに明るい未来を手渡すため、わたしたちは生き方を『変える』。
 いのちを何よりも大切に『考える』。
 まちをゲンキに『変える』。」


 「そうま・かえる新聞」の「かえる」は、ただふるさとへ「帰る」だけではないのです。生き方を「変える」。そして、社会を「変える」。

 被災者のみなさんとともに、この「かえる」を胸に刻みたいものです。

 ※「そうま・かえる新聞」の問い合わせは、同編集部 e-mail = somakaeru@yahoo.co.jp
   来る10月12日、初の「そうま・かえる新聞」主催ライブが南相馬市で開催されます。

 <見過ごせない報道状況>

 NHK、本土大手紙はなぜ「8・23辺野古県民大集会」を報道しないのか


823 さる23日、沖縄・辺野古のキャンプ・シュワブ前では、当初の予定を2倍近く上回る3600人の市民の参加で、「止めよう辺野古新基地建設!8・23県民大集会」が行われました。

 沖縄の琉球新報、沖縄タイムスが号外発行も含め、大々的に報道したことは言うまでもありません。
 私は琉球新報HPのライブ中継のおかげで、福山にいながら「参加」することができました。
 沖縄の民意を知る重要な県民集会でした。

 ところが、「公共放送」たるNHKは、当日の夜から翌日に至るまで、このニュースを1秒も報じませんでした。民放は当日深夜から翌日朝にかけてニュースで取り上げました。

 本土の大手紙は、「朝日」(西日本版)が、翌日の第2社会面で「辺野古怒りの人波」の3段見出しで、写真付54行の記事を載せました。
 しかし、「毎日」「読売」には全くありませんでした。中国新聞や山陽新聞も報じませんでした。

 本土の人間が沖縄の差別的現状に対して、いつまでも傍観者的なのは、本土メディアに大きな責任がある、とは再三指摘されていることですが、今回も改めてそれが証明されました。

 メディアの社会的責任とは何か。繰り返し問い続けなければなりません。


「自衛隊の災害救助活動」に思う

2014年08月23日 | 自衛隊・軍隊

PhotoPhoto_2 広島市安佐南・北区を襲った土石流事故は、大惨事となりました。行方不明者の一刻も早い救出と、復旧が望まれます。

 その中で、警察、消防とともに、自衛隊の活動が連日大きく報道されています。現場の自衛隊員の活動には敬意を表します。

 しかし、こうした自衛隊の災害救助活動とその報道を見るにつけ、強く感じるものがあります。

 偏った自衛隊中心報道・・・1つは、テレビ(特にNHK)の報道が、自衛隊中心に偏っていることです。例えば、上記写真2枚はいずれもテレビ報道からですが、テロップには「自衛隊」の文字が頻繁に出てきます。

 実際に救助にあたっているのは、警察1700人、自衛隊650人、消防280人といわれています。自衛隊は全体の約4分の1ですが、まるで自衛隊中心に救助が行われているような印象を与えます。「夜通し救助や捜索」を行っているのはもちろん自衛隊だけではありません。

 こうした偏った報道が、自衛隊への誤った印象を与えます。
 新たに海上自衛隊呉地方総監に就任した伊藤俊幸海将は新聞のインタビューで、「(災害支援などで)自衛隊反対を叫びにくい時代になった」(中国新聞8月14日付)と豪語していますが、その背景にこうした報道の偏りがあることは明らかです。

 武器開発に比べ遅れている災害救助技術・・・救助活動は人海戦術によるところが多いといわれています。私は門外漢ですから、災害救助技術の現状は知りません。ですからあくまでも印象ですが、日本の災害救助の方法・手段の開発は遅れているのではないでしょうか。とりわけ武器開発と比べて。
 5兆円を超える日本の軍事費。オスプレイや無人戦闘機を購入したり開発したりする財源・技術があるなら、それを災害救助の技術開発に回すべきです。

 自衛隊の災害救助隊への改組は急務・・・災害救助技術の開発と不可分なのが、自衛隊の改組です。
 「3・11」にしても今回の災害にしても、被災者が救援活動を行う自衛隊に感謝するのは、警察、消防以外に災害救助にあたる組織が自衛隊しかないからです。

 しかし、いうまでもなく自衛隊は軍隊です。「本分」は戦闘・戦争です。その自衛隊が災害救助活動にあたることから、国民の間に自衛隊という軍隊を「支持」し、「反対を叫びにくい」状況がつくられているのです。
 これが歴代自民党政権の狡猾なやり方です。

 地球温暖化に伴う気象異常は今後ますます進み、災害の多発が懸念されます。
 今こそ、憲法違反の軍隊である自衛隊を、災害救助隊に改組すべきです。

 それは市民の願いであるとともに、災害救助の使命感に燃えて自衛隊に入隊する多くの隊員の本意に沿うことにもなるでしょう。

 <気になるニュース>

 異常に高い日本のギャンブル依存症。どうなる「沖縄のカジノ」


 中国新聞(21日付)によれば、「ギャンブル依存症の疑いがある人が、国内に500万人以上いる」とする推計を厚生労働省の研究班が初めて発表しました。
 「成人の約5%に上り、世界のほとんどの国が1%前後にとどまるのに比べ日本は非常に高い割合と警告している」

 「政府はカジノを中心とする統合型リゾート施設の導入に向け、準備作業を加速させているが、(研究班の)樋口代表は『ギャンブルには必ず負の側面がある』と慎重な議論を求めている」

 沖縄の仲井真弘多知事は沖縄にカジノを誘致することに躍起になっています。
 万一沖縄にカジノができれば、いまでも多いと言われている沖縄のギャンブル依存症はさらに高まり、同時に沖縄の観光は大きく変質していくでしょう。

 11月の県知事選では、辺野古新基地とともに、カジノ問題も大きな争点です。
 立候補が取りざたされている翁長雄志那覇市長の「カジノ問題」に対する見解・政策を聞きたいものです。

 前回の「日記」で、二松学舎の創設者を「三島中洲」とすべきところを「三島三洲」としてしまい、読者からご指摘を受けました。お詫びするとともに、ご指摘に感謝いたします。


沖縄尚学勝利の副産物―たかが校歌、されど校歌

2014年08月21日 | 沖縄

PhotoPhoto_2 20日の甲子園で、沖縄代表の沖縄尚学が東東京代表の二松学舎大付属に勝ちました。

 沖縄尚学を応援していた私としては、うれしい結果でした。
 試合終了後の校歌を聞きながら、沖縄尚学の勝利には“副産物”があると思いました。二松学舎の校歌が甲子園、全国に流れずにすんだことです。

 1回戦で二松学舎が勝ったとき、たまたま同校校歌の字幕を見て驚きました。
 「平和の御国 栄えん花と靖国の桜は匂ふ 窓染めて ああ緑こき 大皇居 仰ぎて 清きこの学舎」

 「御国」「靖国」「大皇居」・・・まるで軍歌か戦前の校歌のようですが、これが現代の高校の校歌なのです。
 作詞は「校歌制定委員会」といいますから、集団討議でつくられたものです。「国家」「天皇」に対する思いがあふれています。

 二松学舎は明治10年に漢学者の三島中洲が作った漢学塾が発祥。「儒教道徳」が建学の精神だといわれます。三島は皇居の東宮御用掛、宮中顧問官を歴任。歴代舎長の中には吉田茂元首相も名を連ねています。

 もちろん生徒たちには何の責任もありません。逆に、ことあるごとにこのような校歌を歌わされる二松学舎の生徒たちこそ、いい迷惑、犠牲者というべきでしょう。

  沖縄にいたときある学習会で、沖縄民間教育研究所の黒潮武敬さん(元音楽教師)が、「学校の音楽教育でも皇民化・軍国主義化が進んでいる」と警鐘を鳴らしていました。

 「戦前の学校の校歌は国(天皇)への忠誠心を求めるものが少なくなかった。戦後、多くは廃止されたが、今も残っているものがある」と黒潮さん。二松学舎高校の校歌はその類でしょう。
 
 たかが校歌、されど校歌、です。
 「音楽による皇民化・軍国主義化」の動きを軽視することはできません。

 <見過ごせないニュース>

 自衛隊出身知事の「全体の利益」とは


 宮城県の村井嘉浩知事は18日の記者会見で、沖縄・辺野古で安倍政権が県民多数意思を無視して強行しているボーリング調査について、「ベースにあるのは全体の利益のためだ。沖縄県民のみなさんにも協力していただければ」「私は全体の利益を優先してやってきた」と述べました。

 沖縄県民の苦難に寄り添うどころか、背後から鉄砲を撃って安倍政権・防衛省を援護するような村井知事の発言に、驚きと怒りを禁じえません。

 がしかし、村井氏の経歴を見れば、さもあらん。村井氏は防衛大学から陸上自衛隊幹部候補生学校を卒業し、陸上自衛隊東北方面航空隊に配属された生え抜きの自衛隊幹部だった人物です。
 その後、松下政経塾をへて、自民党宮城県議に。2009年日本で初の防衛大・自衛隊出身知事となりました。

 村井氏のいう「全体の利益」とは、「国家の利益」にほかならないでしょう。
 このような自衛隊出身の「政治家」が増えることに危機感を持たざるをえません。
 村井氏を知事に持ったことは、震災被災者にとっても二重の不幸というべきです。


あれから1年。今あらためて『はだしのゲン』を

2014年08月19日 | 戦争・遺跡

1Photo 故・中沢啓治さんの『はだしのゲン』に対し、松江市教育委員会が、特定人物(ネット右翼)の「抗議」を口実に、学校図書館で閲覧制限をしようとして、16日で丸1年がたちました。

 同日付の中国新聞に、「図書館運営6割見直し 本選び 学校が独自基準」という見出しの記事が載りました。
市教委の「閲覧制限」要請をきっかけに、松江市内の小中学校の61%(27校)が、「図書館運営に関する再検討」を行ったという、同紙の独自調査報道です。

 「再検討」の大半は、学校独自の「図書館選書基準」を検討・制定するというものです。
 その「基準」がどのような内容かは報じられていません。確かなことは、市教委の「閲覧制限」要請が波紋を広げていることです。そして「独自基準」づくりが必ずしも悪いとはいえませんが、これまで問題がなかったことを見直そうというのですから、その動向は要注意です。

 あれから1年を機に、『「はだしのゲン」創作の真実』(大村克巳著、2013.11)という本を読みました(写真右は同著から)。

 妻の中澤ミサヨさんはインタビューで、「閲覧制限」問題について、「それはもう、ショックですね。・・・『はだしのゲン』はもう四十年も続いていますから。呆気にとられました」と驚き、怒り、こう語っています。

 「主人は常々、戦争というものはきれいなものじゃない、とっても残酷で悲惨でむごたらしいものだと言っておりました。原爆ももちろん、同じですよね。それでその様子を子どもたちにどのように伝えたらいいかということで、熱心に文献や資料を色々なところから引っ張り出して読み込んだ上で、セーブしてセーブしてこれなら大丈夫だろう、とか、これくらいは描かなければきちんと伝わらないだろう、とか、悩みに悩んだ上で、描いた作品なんです」

 ミサヨさんはさらにこう述べています。

 「夫は『ゲン』の中で人間愛を描いているんです。こんなむごい境遇にあっても家族や他人同士が助け合って生きている、という人間愛なんです。ですから、すべての登場人物が皆、味があるし、深みがあると思うんです。
 ですから、首を切るシーンだけを取りだして、子どもたちに悪影響を与えるというような判断をするというのは、どこか違うんじゃないかと思います。私はそれだけ、夫が遺したこの作品に自信を持っていますから」

 貧しい時代から夫を支え、仕事のアシスタントとしても文字通りパートナーだったミサヨさん。『はだしのゲン』は中沢啓治さんとミサヨさんの二人三脚で生み出された愛と勇気の物語だったのです。原爆と戦争に対する満身の怒りから生まれた、愛と勇気です。

 今、日本で、世界で、あらためて『はだしのゲン』は読まれるべき作品だと確信します。

 <気になる報道>

              「悠仁」中心の報道が意味するもの


Photo_2 16日に秋篠宮一家が、都内のデパートで行われた「対馬丸展示会」を訪れた、というニュースを、NHKと民放1社で見ました。
 おやっ、と思うことがありました。報道の中心が、一緒に行った姉2人を差し置いて、秋篠宮夫婦さえも越えて、長男「悠仁」を中心としたものだったのです(「悠仁さまは・・・」など)。

 これはいったい何を意味しているでしょうか。
 天皇家はやはり男系でなければならない、女帝は好ましくない、という筋の意図が働いているとは言えないでしょうか。
 今後、「悠仁」を中心とした報道が増えてくるのは間違いないと思います。

 それにしても不思議なのは、こうした「悠仁」中心の報道が、NHKだけでなく民放でもまったく同じように行われたことです。
 そこには宮内庁の意図が働いたのでしょうか。それとも「自主的に」一致したのでしょうか。
 どちらにしても不気味なことです。


ヒロシマ・オキナワ「伝承者」をどう育成するか

2014年08月16日 | 戦争と平和

PhotoPhoto_2 きのうは69回目の敗戦記念日(朝鮮の人たちにとっては解放記念日)。来年は70周年の大きな節目です。
 戦争体験者が年々減少していく中、それをどう受け継いでいくか。待ったなしの課題です。

 そんな中で注目されるのが、広島市が行っている「伝承者育成事業」です。

 被爆体験を戦後世代が継承し、実際の体験者に代わって「語り部」となっていく。その伝承者を市の事業として、3年かけて育成していこうという取り組みです。

 2012年度から始まり、初年度の応募者は46人。順調にいけば今年度中に「伝承者」として認定されます。昨年度は54人、今年度は44人の応募がありました。県外からの応募もOKです。

 初年度に多くの被爆者の体験を聴き、2年目にその中から自分が体験を引き継ぎたいと思う人を決め、その人からマンツーマンで体験を継承。3年目に認定の検定を受けるという仕組みです。
 そのもようはNHKドラマ「かたりべさん」でも紹介されました(写真左)。

 現在は修学旅行生への「語り部」に限られていますが、広島市では「それ以外にも活動の場が広げられないか検討したい」(平和推進課)としています。
 
 伝承者を目指す人たちが悩むのは、はやり、実際に体験しない者がどれだけ体験者に代われるかということ。
 でも、市民は温かく見守り、期待しています。

 先日の中国新聞に、「『伝承者』育成 心強い」という呉市の81歳の女性の投書が掲載されました。
 伝承者が、「被爆者が原体験を語るのには及ばない。その溝をどう埋めればいいのか」と悩んでいることに対し、女性はこう述べています。
 「時代背景を知らない今の人には、言い尽くせないいらだちもあると思う。だが、体験者の気持ちに寄り添って聞く心があるからこその謙虚さだろう」「この悲劇に未来の子たちを二度と遭わせたくないからこそ、語り継いでほしいと伝承者に期待を高めている」

 体験者の継承が焦眉の課題であることは、オキナワもヒロシマと同じです。
 沖縄でももちろん、体験の「伝承」は行われています。ただ、広島と違い、行政が事業として取り組むという点は遅れているのではないでしょうか。
 
 「官制」の伝承には問題が生じる恐れもありますが、それは市民の主体的参加・自治で克服できるはずです。

 「沖縄戦70年」を目前に、市民が「伝承者」をどう育成していくか。広島の取り組みも参考に、具体化が期待されます。

 そしてもちろん、私たち一人ひとりがどういう「伝承者」になっていくかが、私たち自身の課題であることを忘れてはならないでしょう。

 <注目の記事>

 広島生まれ・在住の琉球方言研究者の「思い」


 Photo_3                     「島言葉の復権―奥底の思い伝えるために」というインタビュー記事が中国新聞(8月13日付)に掲載されました。
 語っているのは、広島市生まれ・在住の生塩(おしお)睦子さん。
 広島大卒業後、琉球大に1年留学したのがきっかけで、故仲宗根政善氏に師事。とくに伊江島方言を研究し、伊江村名誉村民に。
 「心の奥底の思いを表現するのは島言葉(シマクトゥバ)しかない」と言う生塩さん。
 「米軍基地の重圧が今なお続きますが、言葉という文化の根っこは枯れていませんね」と聞かれ(同紙論説副主幹)に、こう答えます。
 「伊江島に『スィマパンク ナーティティ』という言い伝えがあります。スィマパンクは海のカマキリと呼ばれる小動物。小さき者にも得手がある、ばかにするな、とでも意訳しましょうか。そんな命もいとおしむ心を方言は育ててきたと思います」


「原爆資料館生みの親」はなぜ知られていないのか

2014年08月14日 | 戦争・遺跡

PhotoPhoto_2 「長岡省吾」という名前を知っていますか?

 私は新広島(フジテレビ系)で6日放送された「ヒロシマを遺した男-原爆資料館秘話」を見るまで知りませんでした。

 長岡さんは広島原爆資料館の生みの親にして、初代館長です。
 当時広島理科大学(現広島大)で教鞭をとっていた長岡さんは、被爆翌日の8月7日朝、大竹市から広島市へ入りました。
 「石の専門家」だった長岡さんは、腰かけた花崗岩が溶けてとんがっていたことから、これがただならぬ爆弾による被災であることを直感し、この日から被爆地に通い詰め、「大切な資料」である石をひたすらリュックに詰めて持ち帰りました。

 残留放射能を心配して石を家に置くことに反対した妻を、「(被爆の実態を)世界中に知らせる貴重な証拠だ」と説得して振り切りました。

 長岡さんが集めた資料をもとに、1955年原爆資料館が設立。長岡さんは初代館長に任命されました。長岡さんは館長就任後も、資料収集を続けるとともに、修学旅行生が資料館を訪れるよう、みずから全国の学校に働きかけました。

 長岡さんは集めた約6700点の資料の中から約1700点を資料館に寄付しました。しかし、寄贈者として長岡さんの名前が残っているのは、わずか約20点に過ぎません(写真右)。
 長岡さんは名を残すことなく、文字通り献身的な活動で、被爆の実態を世界に知らせるべく、資料館の創設・普及に力を尽くしたのです。

 そして自身も原爆症に冒され、吐血を繰り返しながら、1973年、71歳で死去しました。

 世界中にその名が知られ、修学旅行だけでなく、広島を訪れる外国人の多くが訪れる原爆資料館は、こうして長岡さんによって創られ、広められたのです。長岡さんこそほんとうの科学者であり、社会活動家と言えるでしょう。

 ところが、原爆資料館のパンフには長岡さんの名前はまったく出てきません。それどころか、同館の資料室にも長岡さんに関する資料はほとんど残されていないといいます。名前を知らない人が多いのも無理はありません。

 教科書に書かれてもいいほど、資料館・広島にとって恩人とも言える長岡さんの名前が、これほど不当に埋もれているのはなぜでしょうか。

 長岡さんの偉業は、資料館の創設・普及だけではなかったのです。
 1954年のビキニ環礁における水爆実験をきっかけに、原水爆禁止の世論が日本中に広がりました。アメリカは日本の反核世論を鎮静化させるため、正力松太郎や中曽根康弘らを使い、「原子力の平和利用」キャンペーンを大々的に展開しました。
 
 そのための有力な場となったのが、「原子力平和利用博覧会」です。1955年、諜報機関であるアメリカ文化センターなどが暗躍し、その博覧会をこともあろうに被爆地・広島で開催しました。主催者には、広島県、広島市とともに、広島大学、中国新聞も名を連ねました。

 博覧会の会場となったのが原爆資料館でした。期間中、資料館の資料は小さな公民館に移されました。
 博覧会には22日間に11万人が訪れました。その「成功」に乗じ、正力らは、博覧会終了後も、資料館を「原子力平和利用普及」のための施設にするよう求めてきました。

 この企てに体を張って抵抗したのが、長岡さんだったのです。
 「長岡館長はカンカンに怒って(正力らの要求を)拒否」しました。「被爆からまだ10年しかたっていないのに、“原子力で豊かな生活を”などとどうして言えるのか。私が館長をしている間は絶対にさせない。ここには亡くなった人たちの魂がある」

 長岡さんは原爆資料館を創っただけでなく、反核世論を敵視する米日政府のたくらみからも資料館を守ったのです。

 長岡さんの名前と業績が不当に知られず埋もれているのは、その反権力の信念と行動のためではないでしょうか。

 社会的正義は、名もない人たちの知られざる献身によって守られてきたし、今もそんな人たちによって守られている。
 沖縄・辺野古沖に埋め立てのブイ設置が強行された今日、辺野古や高江でたたかい続けている人たちに思いをはせながら、あらためてそう痛感します。


2つのドキュメント-対照的なNHKの「明」と「暗」

2014年08月12日 | 自衛隊・軍隊

NhkNhk_2 9日午後11時からのNHKEテレ・ETV特集「“戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開」は、貴重なドキュメンタリーでした。

 太平洋戦争末期の集団学童疎開で、最後まで取り残された肢体不自由児の都立光明特別支援学校(世田谷区)。

 当初校庭に防空壕を掘って避難していましたが、松本保平校長の文字通り献身的活動で長野県への疎開が実現し、寸前のところで大空襲を免れました。

 番組は、残されていた貴重なフィルムや当時の生徒の証言をもとに、戦争で障がい者が最も犠牲になること、その中で、教師(松本校長)の子どもたちへの愛情と勇気が、逆境を切り開き、戦後の障がい児教育の礎を築いた(1979年の肢体不自由児の義務教育化など)ことを、感動的に教えてくれました。

 集団学童疎開が、決して子どもたちの安全を考えて行われたものではなく、「将来の国防力の培養を図る学童の戦闘配置」(1934年6月閣議決定「学童疎開促進要綱」)に他ならなかったこと、だからこそ「虚弱児等は集団疎開に適さない」とされたことを、私たちは忘れてはなりません。
 これが戦争の本質なのです。

 戦後、松本校長がテレビ番組で、「戦闘機1機分の予算があれば特別学校が10から15はできる」と語っていたのは、今日にもそっくりあてはまるまさに卓見です。

 NHKも8月にはいい番組をやるんだと思いながら(ETV特集はいい番組が多いです)、翌10日午後9時からのNHKスペシャル「60年目の自衛隊」(写真右)にも期待しました。
 その期待は見事に裏切られ、NHKに対する幻想は一掃されました。

 少しはジャーナリスティックな視点で、今日の自衛隊の実態を追ったのかと思いきや、全編、自衛隊幹部(久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校長や佐世保基地元海将)のインタビューと幹部候補学校の訓練の紹介です。

 幹部候補生学校では「史実をもとに戦史授業」が行われているとか、イラク派遣ではいかに現地の人に感謝されたかなど、まさに自衛隊のPRフィルムそのもの。

 集団的自衛権行使容認の閣議決定に対しても、「国を守る責務を果たすのみ」という隊員たちの“勇ましい”声を集めています。

 実際は逆に、集団的自衛権行使容認で自衛隊員と家族の中に不安が広がり、市民の中から自衛隊の存在を問い直す声が高まりつつある中、NHKが率先してその鎮静化に努めている姿がありありです。

 あまりにも対照的な2つの番組でした。
 この「明」と「暗」がNHKの姿です。そして、「明」は深夜のEテレで、「暗」はゴールデンタイムに総合テレビで放送するのが、NHKの実態です。

 「明」を称賛し、「暗」を批判する視聴者の声を強めねばなりません。

 <注目のニュース>

 「閣僚の顔見たら抑えられない気持ちに」


 「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です」
 9日の長崎平和祈念式典で、被爆者の城台(じょうだい)美弥子さん(75)は、「平和のへの誓い」でこう主張しました。

 ところが10日付中国新聞によれば、このくだりは当初の原稿にはありませんでした。
 「日本が戦争への道に進もうとすることに対し、被爆者の怒りを伝えなければと特別な思いで臨んだ」城台さんが、「会場で安倍晋三首相ら閣僚の顔を見たら、いま言わなければという抑えられない気持ちになった」と、挿入したものです。

 城台さんの「抑えられない気持ち」を共有したいと思います。


「原爆・戦争」を継承し、世界に発信する新たな力

2014年08月09日 | 戦争と平和

Photo_3Photo_4  「広島原爆の日」の2日後、「長崎原爆の日」の1日前の8月8日は「福山空襲の日」です。

 米軍B29爆撃機91機による空襲(焼夷弾)で、福山市街地の約80%が焼失、死者354人、重軽傷者864人の市民が犠牲になりました。

 この日、台風の影響による激しい雨の中、「市民平和のつどい」がおこなわれました。
 市内の小中学生らによる「音楽祭」に続き、原爆被害者、福山空襲体験者(写真左)、大学生、高校生によるリレートークがありました。
 
 福山市立大学の大庭三枝准教授と学生たちは、原爆やその後の台風などにも負けず生き続けている平和公園内のアオギリを題材に、紙芝居『被爆アオギリ物語・そばにいるよ~いっしょにあるいていこう~』を日本語、英語、仏語の3カ国語で作成しました(写真右)。

 そしてフランスでこれを日本語で発表。「日本語が分からいフランスの学生たちが涙を流して聴いていました。それを見て、思いは伝わっていると実感しました」(学生)。
 すると今度は、紙芝居に感動したフランスの学生たちが、その内容を自分たちのアクションで再現しました。

 それは平和教育を、ただ戦争体験を受け止めるだけでなく、「感じ取ることと表現することの双方向活動」ととらえ、「命や平和の大切さを伝え、その先にある『希望』や『未来』を自分のこととして感じられる平和教材を目指す」(大庭さん)という試みです。

 市内盈進高校の小川千尋さん、箱田麻実さんは、「ユース非核特使」として国連本部で活動したの経験を発表しました。

 二人は英語の長文のプレゼンをすべて暗誦で再現しました。
 「ある人は核の完全撤廃は不可能だと言うでしょう。・・・しかし、存在している核の半分でも世界から取り除くことは可能なのです。そうでしょう?」と述べたとき、国連本部の会場から声がかかりました。「Yes!」。
 「たったその一言で、ヒロシマの心が伝わったと思いました。そう思った瞬間、感動で涙が止まりませんでした」

 福山市立大学と盈進高校の実践は、原爆・戦争体験を受け継ぎ、それを世界に発信し、さまざまな違いを乗り越えて、各国の若者たちと共感し合っている姿を示しています。

 そこにあるのは、「人と人がつながることで、必ず希望が生まれる」(小川さん、箱田さん)という確信です。

 来年で被爆・敗戦70年。その継承は多くの課題に直面しています。雨の中とはいえ、この日の参加者のあまりの少なさもその表れの1つです。

 しかし多くの問題を抱えながら、若い世代によって、新たな道が切り開かれつつあることも事実です。
 そこに「希望」と「未来」があると実感しました。

 <重大ニュース>

 沖縄・辺野古に呉から自衛艦派遣を検討


 琉球新報(7日付)によれば、安倍政権は沖縄・辺野古埋め立て・新基地建設強行のため、海上自衛隊呉基地所属の掃海母艦「ぶんご」を派遣することを検討しています。

 同紙社説(8日付)から。
 「移設反対派の市民を武力で恫喝する狙いであることは明らかだ。政府は沖縄を、軍が市民を威嚇してよい地域と見なすということだ。・・・『銃剣とブルドーザー』で無理やり土地を接収し、基地を造った米軍占領統治下と何が違うのか。・・・『琉球処分』の際、明治政府は官吏と軍人を差し向け、併合に反対する市民を逮捕、拷問した。住民に軍を対峙させようとする今の政府の姿はそれと二重写しになる」

 本土のメディア、特に呉基地がある広島のメディアは、この真偽を確かめ、直ちに報道すべきです。