アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日本政府はかつて五輪応援で旭日旗不使用を呼び掛けていた

2019年09月30日 | 安倍政権と歴史認識

     

 東京五輪・パラリンピック組織委員会(会長・森喜朗元首相、写真右の中央)が旭日旗の持ち込みを許可し、安倍政権(菅義偉官房長官ら)がそれを追認している問題については、以前書きましたが(9月14日のブログ参照)、政府はその後も「(旭日旗は)今の日本人にとっても大事な一種の伝統的なものという位置付けだ。いろいろクレームを付けられるべきではない」(18日、外務省・大鷹正人外務報道官記者会見)などと繰り返しています。
 ところがその政府の言い分とは裏腹に、かつて日本政府自身が五輪の応援で旭日旗を使わないよう呼び掛けていた事実があります。

 2008年7月31日、北京五輪を目前にして、在北京日本大使館は、「北京五輪期間中に訪れる日本人応援客への注意事項に関する説明会を開き、会場への横断幕やスローガンの持ち込みが禁止されることを明らかにした」(2008年8月1日付日経新聞)ということがありました。

  その説明会は口頭での説明ではなく、「安全の手引き」という文書によるものでした。その「手引き」にはこう書かれていました。

 「中国では競技場やイベント会場で政治・民族・宗教的なスローガンや侮辱的な内容を含む旗や横断幕等を掲げることは禁じられています。また、過去の歴史を容易に想起させるもの(例えば「旭日旗」)を掲げるとトラブルを生じる可能性があります」(9月19日付「しんぶん赤旗」より)

  この「赤旗」の記事は、当時北京五輪を取材したスポーツ部記者の署名記事で、信頼がおけます。

  北京五輪で旗や横断幕を規制したのは主催国の中国ですが、その説明にあたり「過去の歴史を容易に想起させるもの」の例として「旭日旗」を挙げたのは日本大使館(日本政府)です。「過去の歴史」が何を意味するか「手引き」」にはさすがに書かれていなかったようですが、日本による侵略戦争・植民地支配の歴史であることは自明でしょう(写真中)。

 2008年北京五輪の時は旭日旗を「過去の歴史を容易に想起させるもの」の代表例として挙げながら、2020年東京五輪では「日本国内で広く使用されており、政治的宣伝とはならない」(組織委員会)、「伝統的なもの。クレームを付けられるべきではない」(大鷹外務報道官)と言って旭日旗の持ち込み・使用を容認する。二枚舌も甚だしいと言わねばなりません。

 2008年当時の政権は、安倍晋三氏が突然政権を放り出したあとを継いだ福田康夫政権です。福田氏は安倍氏と同じ福田派(現町村派)で、安倍氏の先輩にあたります。安倍氏が福田政権のことは知らないという言い逃れは通用しません。安倍氏は11年前の福田政権のこの「手引き」についてどう釈明するつもりでしょうか。

 安倍政権が東京五輪であくまでも旭日旗の持ち込み・使用許可を強行しようとしているのは、侵略戦争・植民地支配への無反省・開き直りの露骨な証明であるとともに、旭日旗を隊旗としている自衛隊(海上自衛艦旗、陸上自衛隊旗)、さらには天皇制を誇示し、改憲へつなげようとする意図があります。五輪への旭日旗の持ち込み・使用は絶対に容認することができません。


日曜日記68・W杯と国歌・「赤旗」はなぜ激減しているのか

2019年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

☆W杯と国歌 

 ラグビーW杯にそれほど興味はないが、28日の「日本×アイルランド」戦は観た。勝敗はともかく、興味深かったのは、アイルランドチームだ。
 ラグビーに限らず、サッカー、野球など団体競技の国際試合(W杯)では試合前に「国歌斉唱」が行われる。しかしアイルランドチームが歌ったのは「国歌」ではない。チームのための特別の歌だ。このチームはアイルランド共和国と北アイルランド(イギリス領)の混成チームだからだ。「国境」を超えた混成チームによる、チームの歌。なんとも心地いい。

  一方、日本の「君が代」。日本チームにはラグビーのために日本に帰化した選手が少なくない。その選手たちも「君が代」が流れている間、口を動かしていた。NHKのアナウンサーによれば、彼らには「君が代の意味」が教えられたそうだ。「さざれ石の…」が「チームの団結力」の大切さに通じると教えられたそうだ。選手の中には韓国出身の選手もいる。 

 「君が代」の本質は言うまでもなく天皇賛美であり、「日の丸・旭日旗」とともに侵略戦争・植民地支配・皇民化政策のテコになった。今も天皇制・国家主義を鼓舞する道具になっている。そんな本質・歴史は教えられるはずもないだろ。誤った意味を教えられ、口パクしているのが日本チームだ。アイルランドチームとなんと対照的なことか。試合は日本の「歴史的勝利」だったが、試合前の「国歌」をめぐる光景では、迷うことなくアイルランドに軍配をあげる。

 ラグビーに限らず国際試合(W杯)における「国歌斉唱」は廃止すべきだ。どうしても歌が必要なら、アイルランドチームにならって「チームの歌」にしてはどうか。そうすれば応援にもっと力が入る。少なくとも私は。

 ☆「赤旗」はなぜ激減しているのか

 24日付地方各紙(共同配信)によれば、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が激減している。8月1日現在、日刊紙と日曜版を合わせた部数が100万部を割ったと共産党が公表した。最盛期(1980年)の約355万部の3分の1以下だ。志位和夫委員長も「率直に言って危機的だ」(9月17日の7中総)と認めているという。

  なぜ「赤旗」(党勢)が激減しているのか。共産党がどう自己分析しているかは分からない(記事にはない)が、私には当然の現象に思える。昔から独自の味で売ってきた老舗が、味を変え、まずくなったのではなじみの客も離れていくのは自然の成り行きだろう。

 「革新三目標」を掲げて民主連合政府の樹立を目指していた70年代の共産党は生きいきしていた。「三目標」の中には「日米安保条約廃棄」が明確に掲げられていた。「違憲の自衛隊は改組」「軍事費削って福祉・教育へ」の政策も強調されていた。天皇制にははっきり反対していた。「右転落」した野党の「共産党を除く」密室協議を批判し、主張・政策を堅持した。

 今はどうだろう。日米安保廃棄は公式には降ろしていないが、強調されることはなくなった。演説で「自衛隊違憲」を強調した幹部は降格された。天皇が臨席する国会開会式には出席し天皇に頭を下げた。天皇の「生前退位」の特例法に賛成し、天皇即位の国会賀詞にも賛成した。朝鮮民主主義人民共和国のロケット発射実験を「挑発」と批判し経済制裁に賛成している。「野党共闘」を最優先して党の独自政策は封印し、すでに活動を始めていた予定候補さえ降ろす…挙げればきりがない。

 老舗の味が大きく変わり、まずくなっていることは歴然だ。これでは客は離れ、廃業の危機も杞憂ではないだろう。これでいいのか。このままでいいのか。共産党員は真剣に考えるべきではないだろうか。


ヘイトスピーチ告発する記者への攻撃は許せない

2019年09月28日 | ヘイトクライム・差別

     

 25日付の沖縄タイムスに、こんな記事が載りました。
 ことし4月の神奈川県川崎市議選に出馬して落選した佐久間吾一氏(「在特会」の後継団体「日本第一党」最高顧問)が、選挙前の2月11日(「建国の日」―引用者)、公的施設で行った講演の中で、「いわゆるコリアン系の方が日本鋼管(現JFEスチール)の土地を占領」「革命の橋頭保になった」「闘いが今も続いている」などと演説。

 これを取材した神奈川新聞の石橋保記者は署名記事で、「悪意に満ちたデマによる敵視と誹謗中傷」と批判した。佐久間氏はこの記述には根拠がないとして2月25日に提訴。その第1回口頭弁論が9月24日、横浜地裁川崎支部で行われた。

 石橋記者側は佐久間氏の演説について、「在日コリアンが社会秩序を破壊する目的で違法に土地を占拠しているとの印象を与える」として、批判記事は的確な論評だと述べた。
 JFEは取材(沖縄タイムス)に対し、「不法占拠とは考えていない。話し合いで解決したい」と述べている。

 25日の神奈川新聞電子版(「カナロコ」)では裁判のもようをこう報じています。
 「石橋記者側は『佐久間氏の発言は事実に反している』と指摘。『そうした発言は在日コリアンを敵とみなし、在日コリアンを傷つける差別の扇動である』とした上で、『記事は、佐久間氏の言動が人権侵害に当たるとの意見ないし論評の域を出ていない』と反論した」(写真左は報告する石橋記者。同「カナロコ」より)。

  25日付の沖縄タイムスによれば、佐久間氏が「コリアン系が占拠」と言った地域は、「元は荒れ地だった。隣に工場を構えていた旧日本鋼管が戦前、朝鮮半島出身者の労働者らを住まわせたという話が伝わる。戦後にかけ、在日コリアンのコミュニティができた」(阿部岳編集委員、写真中)という地域です。

 佐久間氏がやり玉に挙げた地域は、朝鮮半島から日本(旧日本鋼管)へ動員された人々が住んだ(住まわされた)地域です。「占拠」どころか、日本による強制動員の歴史を示すものであり、佐久間氏の発言が事実を逆に描く暴言であることは明らかです。

  石橋氏は一貫してヘイトスピーチ・差別を許さない立場で、在日朝鮮・韓国人らの権利を擁護する記事を書いている優れた記者です。石橋氏に対する攻撃は、報道に対する不当な攻撃であるだけでなく、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムに対する批判への攻撃であり、けん制です。

 元徴用工(強制動員)問題以来、安倍政権の対韓強硬姿勢は目に余り、それと歩調を合わせるように「嫌韓報道」が相次いでいますが、佐久間氏(「日本第一党」)による石橋記者攻撃はその一環といえるでしょう。

 また川崎市は全国に先駆けて、差別禁止条例にヘイトスピーチに対する刑事罰を盛りこんだ差別禁止条例案を12月議会で審議・制定しようとしている市です。石橋記者に対する攻撃はそれとも無関係ではないでしょう。

  石橋氏は、「原告は反差別の声を上げると面倒だという萎縮効果を狙っている。個人だけでもメディアだけでもなく、差別に反対する全ての人たちに対する攻撃だ」(25日付沖縄タイムス)と述べています。
 石橋氏とともに、横浜地裁に正当な判決を要求したいと思います。


グレタさんの国連演説と日本社会

2019年09月26日 | 公害・原発・環境問題

     

 スウェーデンのグレタ・トゥンベリさん(16)が23日(現地時間)、ニューヨークの国連「気候行動サミット」で、涙を流しながら行った演説は、胸を突くものでした。

 「私たちはあなたたちを注意深く見ている。それが、私のメッセージだ。
 …あなたたちは空っぽの言葉で、私の夢と子ども時代を奪い去った。人々は苦しみ、死にかけ、生態系全体が崩壊しかけている。私たちは絶滅にさしかかっているのに、あなたたちが話すのは金のことと、永遠の経済成長というおとぎ話だけだ。何ということだ。
 …10年間で(温室効果ガスの)排出量を半減するというよくある考え方では、(気温上昇を)1・5度に抑えられる可能性は50%しかなく、人類が制御できない不可逆的な連鎖反応を引き起こす恐れがある。…50%の危険性は私たちは全く受け入れられない。私たちはその結果と共に生きていかなければならない。
 …あなたたちには失望した。しかし若者たちはあなたたちの裏切り行為に気付き始めている。全ての未来世代の目はあなたたちに注がれている。私たちを失望させる選択をすれば、決して許さない。あなたたちを逃がさない。まさに今、ここに私たちは一線を引く。世界は目を覚ましつつある。変化が訪れようとしている。あなたたちが好むと好まざるとにかかわらず。」(25日付沖縄タイムス「グレタさん演説全文」=共同より)

 この「あななたち」とは直接的にはサミットに参加している各国首脳らでしょう。しかし、それは、私たち「おとな」全員に向けられた告発・指弾ではないでしょうか。

 とりわけ日本(人)は深刻に受け止めなければなりません。グレタさんは「2050年までに温室効果ガス実質ゼロ」というIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)の目標を、「よくも従来通りの取り組みと技術的な解決策で何とかなるなんて装うことができたものだ」と痛烈に批判しました。しかし日本政府は経済界の圧力によってそのIPCCの目標からさえ後退しているのです。

 サミットには日本政府から小泉進次郎環境相が、「日本の取り組みがよく理解されていない。積極的に発信する」と大言壮語して出席しましたが、演説さえ行いませんでした。「こうした日本の実情に、環境団体は『「手ぶらで」サミットに参加した』と手厳しい」(25日付沖縄タイムス=共同)声が出ているのは当然です。

 「私たちは絶滅にさしかかっているのに、あなたたちが話すのは金のことと、永遠の経済成長というおとぎ話だけだ
 このグレタさんの言葉がとりわけ胸に迫りました。これは地球温暖化・環境問題だけではないでしょう。各国首脳だけの問題でもないでしょう。

 例えば、中東情勢についても日本のメディアは判で押したように、「日本経済、私たちの暮らしへの影響は…」、日韓貿易問題も、「日本経済にとっては…」と報じます。消費税の増税も、「増税前後の生活防衛策は…」に集中しています。
 世界情勢も国内政治も、それがどういう意味をもっているのか、その根源は何か、平和・人権擁護の立場からどうすべきか、という本質論議は棚上げして、自分(家族)の生活にとっての損得の基準でものごとを見る。そんなメディアの報道が蔓延し、それを望む市民意識でおおわれているのが、日本という国・社会ではないでしょうか。 

 そんな価値観、生き方は、「けっして許さない」。グレタさんの言葉はそういう意味を含んでいるのではないでしょうか。

 ところで、グレタさんは生まれてまもなく「発達障害の一つ、アスペルガー症候群と診断」(23日付中国新聞=共同)されたそうです。医学的なことは分かりませんが、それが事実だとすれば、「発達障害」とは何なのでしょうか。グレタさんのどこが「発達障害」でしょうか。安倍首相やトランプ大統領、それを許している「おとな」にこそ「障害」があるのではないでしょうか。


朝鮮戦争に日本人も戦闘参加していた―NHKBS1スペシャル

2019年09月24日 | 朝鮮と日本

     

 NHKBS1スペシャル「隠された“戦争協力”朝鮮戦争と日本人」(8月18日放送)のビデオを先日見ました。実際の調書・写真、数々の当事者の証言をもとにした内容は、十分信用性があると思われます。
 そこで明らかにされた事実は、日本の戦後史を塗り替えると言っても過言ではないほど重大です。それは、「6・25戦争(朝鮮戦争)」(1950年~53年休戦)で、日本人(少なくとも70人以上)がアメリカの部隊に加わって参戦し、武器を持ち、朝鮮人を殺害し、自らも負傷・戦死していた、という事実です。

 これまで朝鮮戦争と日本のかかわりについては、日本の米軍基地が出撃拠点になり、日本が兵器の修理・補充の後方支援を行い、さらに日本人が機雷封鎖や海上輸送に船員として加わっていたことなどが明らかになっていました。日本人が朝鮮半島で戦闘に加わっていた事実が明らかになったのは初めてでしょう。

 平和主義(前文、9条)の現行憲法下での日本(人)の戦争参加という点でも、また朝鮮半島分断の契機となった朝鮮戦争に日本(人)が文字通り直接かかわっていたという点でもきわめて重大です。

 番組の発端は、オーストラリア国立大のテッサ・モーリス・スズキ名誉教授(写真中)が朝鮮戦争の武器を製造していた日本企業を調査している中で、米軍部隊に加わっていた日本人に対する尋問調書(写真左)があることを発見したこと。

 尋問は1951年から約1年かけて、70人に対して行われ、調書は1033㌻に及んでいます。尋問内容は「極秘」とされ、尋問を受けた日本人は「絶対口外しない」という誓約にサインさせられたため、家族にも話さず、これまで公になることはありませんでした。

 なぜ日本人がアメリカの部隊に加わったのか。
 それは彼らが占領軍だった米軍の在日基地で働いていたからです。例えば、上野保さん(当時20歳、29歳で死去)は北九州のキャンプ・コクラで、通訳として勤務していました。朝鮮戦争勃発とともに駐留部隊の大半が出兵するのに伴い通訳として同行することにしました。朝鮮半島では日本語の通訳が必要とされる一方、日本にいたのでは収入がなくなるからです。

 ところが、戦闘が激しくなり、通訳のはずの上野さんに「カービン銃と弾薬120発」が渡されました。上野さんは米軍の尋問に、「朝鮮人を何人殺したか分からない」と答えています。
 殺したのは「北朝鮮兵士」だけではありませんでした。上野さんと同じ部隊にいた元米軍兵士は今回のNHKの取材に、「(朝鮮の)避難民たちも無差別に殺戮した」と証言しています。

 通訳のほか、炊事係として加わった日本人もいました。キャンプ・コクラのほか、キャンプ・ハカタや青森の基地からも参加しました。

 朝鮮半島の戦闘で戦死した日本人もいました。平塚重治さん(写真右)は六本木の米軍基地に勤めていましたが、家計を支えるために「手当の多い従軍」に加わり、激戦地テグに近いカサンで銃撃にあい、死亡しました。
 のちに遺族はアメリカに経過を問い合わせましたが、米軍から送られてきたのは1枚の写真と1通の手紙だけでした。手紙には平塚さんが「変装して無許可で密航した」と記されていました。米軍とのかかわりを否定するため、戦死した日本人の平塚さんを犯罪者扱いしたのです。 

 こうした事実はNHKの報道(しかもBS)にとどめることなく、国会でも徹底的に追及・究明される必要があります。

 そして、私たち日本人は、朝鮮戦争、その結果としての朝鮮半島の分断に、アメリカとともに(アメリカに従属して)直接かかわっていたという歴史の重大さを、1人ひとりがかみしめ、今・今後に生かしていく責任があるのではないでしょうか。

 

 


「天皇即位儀式」での「恩赦」は二重の憲法原則違反

2019年09月23日 | 天皇制と安倍政権

     

 22日付の地方紙各紙(共同配信)によれば、安倍政権は徳仁天皇即位に伴う「即位礼正殿の儀」(10月22日)に合わせ、「恩赦(政令恩赦)」を行う方針を決めました。天皇の「即位儀式」を理由とする「恩赦」は、二重に憲法の民主的原則に違反するものです。

 第1に、「政令恩赦」は、「国家の慶祝時や皇室の慶弔時に政令をもって一律に行うもの」(佐藤幸治京大名誉教授『日本国憲法論』成文堂)です。つまり「即位儀式」を理由に「恩赦」を行うことは、それが「国家の慶祝」だと政府が政令で確定することを意味します。

  しかし「即位礼正殿の儀」は、徹頭徹尾、神道(皇室神道)に則った儀式です。それを「国事行為」とし、国家予算を支出することが憲法の政教分離原則に反することは言うまでもありません。
 さらに、その儀式に三権の長が臨席し、首相が数段低い所(天皇の高御座に対し)から「祝辞」を述べ、「万歳」を三唱すること(写真右)は、国民主権の明白な違反です(後日詳述します)。

 安倍政権がこの「即位儀式」を理由に「恩赦」を行うことは、その違憲性を隠ぺいし、逆に憲法違反の儀式の「慶祝」を国民に強要することにほかなりません。

  第2に、そもそも「恩赦」制度自体が、天皇主権の大日本帝国憲法の名残であり、主権在民の現行憲法下において、天皇の権威を高める役割を果たすものだということです。

  大日本帝国憲法は第16条で、「天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス」として「恩赦」を天皇の大権と定めていました。
 現憲法はそれを削除し、第73条(内閣の権能)の7番目に「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること」をあげ、その権能を内閣に移しました。

 ところが憲法は同時に、第7条(天皇の国事行為)の6番目で、「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること」としました。決定は内閣が行うがそれを認証することを天皇の「国事行為」としたのです。
 その結果、あたかも天皇が「恩赦」を与えるかのような形式になり、天皇の権威を高める役割を果たすことになりました。

 形式だけではありません。過去9回の「特別恩赦」(「政令恩赦」とは別の「個別恩赦」の1つ)のうち3回は「皇室の慶弔」を理由に行われました(明仁皇太子<当時>の立太子礼=1952年、明仁皇太子の結婚=1959年、天皇裕仁の大喪の礼=1989年)(横田耕一九州大名誉教授『憲法と天皇制』岩波新書より)。
 「このように皇室の慶弔を契機に恩赦を行うことは、恩赦が天皇の恩恵であるかのような印象を生み出すことになるだろう」(横田耕一氏、同著)

 以上の二重の意味で、「即位儀式」を理由とする「恩赦」は憲法原則に反するものであり、けっして容認することはできません。

 ところで、「『恩赦』という語には、『君主の仁慈』といった響きがある。日本国憲法は…『恩赦』という語は使用していないが、明治憲法時代の例にならって法制度上『恩赦』という語が使われてきた」(佐藤幸治氏、前掲書)という経緯があります。安倍政権は「恩赦法」の制定(2014年)によって「恩赦」を法律名にさえしました。ここにも大日本帝国憲法を引き継ぐ発想がうかがえます。

 なにげなく使っている言葉の中には天皇(制)を肯定・賛美するものが少なくありません(例えば「玉音」)。「恩赦」もその1つです。表記の際はせめて「」を付けたいものです。


日曜日記67・「東電裁判」と「東京裁判」・NHKと自衛隊・危険なボランティア頼み

2019年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「東電裁判」と「東京裁判」

  福島原発事故の東京電力・勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長のトップ責任を問うた裁判で、東京地裁は19日、全員に「無罪」判決を下した。双葉町から今も避難生活を余儀なくされている斎藤宗一さんは、「悔しい。これは人災だ。それなのに誰も責任がないなんて考えられない」(NHK中継)と怒りをあらわにしたが、まったくその通りだ。

  東電トップに責任があることは言うまでもない。だが、もっとも重大な責任を問わねばならない者たちがいる。東電の無責任体制を放置し、安全神話を振りまいて原発を推し進めてきた歴代自民党政府=国だ。しかしその責任・罪は見逃されている。

 そう考えていると、「東京裁判」が脳裏に浮かんだ。侵略戦争・植民地支配の最大の責任者である天皇・裕仁は起訴されることさえなく免罪された。マッカーサーと裕仁の共謀だ。裁きの対象になったのは政府・軍部だけだった。

 最大の責任者の責任を問うこともなく免罪する。そんな日本の無責任体質は74年たっても何も変わっていない。「東電裁判」と「東京裁判」は通底している。「東京裁判」では東条英機らに有罪判決が下ったが、「東電裁判」では勝俣氏らは「無罪」だ。無責任体質は74年前より進行しているということか。

 ☆自衛隊を頻出させるNHKニュース

  台風15号の被害は今も現在進行形だ。そのテレビニュースの報道を見ていて気になることがある。

 1つは、NHKのニュースに自衛隊の映像が頻繁に流れることだ。復旧・支援活動を行っているのはもちろん自衛隊だけではない。とりたてて自衛隊を映さねばならない内容でもないのに、自衛隊が“活躍”している映像がよく出る。民放と比較すると歴然だ。

 災害出動で自衛隊の好感度を上げ、9条に自衛隊を明記する改憲につなげる。それが安倍改憲の基本戦略だ。NHKの災害報道はまさにそれと符合している。

 ☆ボランティア頼みの危険

 もう1つは、「ボランティア活動」が賛美されすぎていることだ。

 ボランティアは確かに貴重だ。被災者にとってはまさに救世主だろう。だが、ボランティアがやっていることは本来、政治・行政がやるべきことだ。政治・行政がやらないからボランティアに頼らざるをえない。

 「国家と国民」の視点でみると、ボランティアは国民の「自助努力」ということになる。本来、国家(政治・行政)がやるべきことをやらず、災害復旧も国民の「自己責任」だといわんばかりに「自助努力」にまかせる。それは国家の怠慢だ。いや、それ自体が国家による国民支配の一環だ。

 善意の発露としてのボランティアは尊い。しかしそれは、災害対策を怠ってきた、そして被災後も被災者の復旧・支援に責任をもとうとしない国(政治・行政)への怒り・責任追及を伴ってこそ、真に価値あるものになるのではないか。

 


NHK「あさイチ」に抗議した石垣市長・議会の狙いは何か

2019年09月21日 | 沖縄・石垣・宮古・離...

     

 沖縄県石垣市議会が17日、自衛隊配備問題を扱った情報番組「あさイチ」(写真左)に関して、NHKに抗議し訂正を求める決議を賛成多数(賛成=与党11、反対=野党8)で可決しました。NHKは18日、同番組内で「誤解を招かないよう配慮すべきであり、説明が足りなかった」と釈明しました(19日付琉球新報)。この問題の核心は何でしょうか。

 石垣市議会(与党)が問題にしたのは、8月26日放送の「あさイチ」が陸上自衛隊配備問題を取り上げたさい、配備予定地から1・6㌔の川の映像に重ねて「配備予定地周辺は川などが流れる水源で、石垣島の水道水の8割をまかなっている」と音声で流したのに対し、映像の川が農業用ダムの水源であることや1・6㌔地点は周辺ではないなどとし、「事実と異なる」とクレームをつけたものです。

  議会の決議に先立ち、中山義隆市長(写真中)は番組翌日の8月27日、ツイッターでNHKを批判し、同29日には東京のNHKに出向いて直接抗議するという異常な行動をとっていました。市議会与党はこれに連動して「抗議決議」を強行したものです。

  議会が特定の番組に抗議決議をあげるとすれば、「すぐに訂正を求めないといけない切迫した事情があるなど相当に慎重な対応が求められる」(山田健太専修大教授、18日付沖縄タイムス)ことは言うまでもありません。今回の「あさイチ」の報道がそれに該当しないことは明らかです。

 陸自配備によって同島の水道水の約8割を賄う於茂登山系の水源に影響を及ぼすことは以前から地元住民が懸念しているところです。番組が映した川が同山系の川の1つであることに変わりはありません。「1・6㌔」についても、決議の反対討論で野党議員が、「1・6㌔は私にはすごく近く感じる」(18日付琉球新報)と述べたように抗議に値する問題ではありません。

 今回のNHKへの抗議・訂正要求が、中山市長と市議会与党が一体になった報道機関への圧力であることは明白です。その狙いはどこにあるでしょうか。

 「抗議決議」は「あさイチ」が、「自衛隊施設が周辺地域の水質を汚染するとの誤った前提」に立っているとし、そのうえで上記のような口実をつけて批判しています。すなわち、「自衛隊施設が周辺地域の水質を汚染する」ことを打ち消し、汚染に不安をもつ市民の声を抑え、自衛隊配備に反対する住民運動(写真右)をけん制する。そこに中山氏や市議会与党の狙いがあることは明らかです。
 したがって問題の核心は、「自衛隊施設が周辺地域の水質を汚染する」ことがはたして「誤った前提」なのかどうかです。

 自衛隊施設は言うまでもなくは軍事基地であり、なかでも石垣島に配備されようとしているのは対艦・対空ミサイル部隊です。軍事基地が周辺環境に重大な影響を及ぼし、とりわけ水資源の汚染が深刻であることは周知の事実です。

 たとえば沖縄タイムスは、「基地から汚水30万リットル 沼に流出」の見出しで、「青森県東部にある姉沼に2017年10月、隣接する米軍三沢基地から汚水30万リットルが漏れ出す事故があったことが分かった。…姉沼からは米軍が飲料水を取水している」(2月20日付)と報じました。
 沖縄の嘉手納基地においても、1998年から2015年にかけて基地内で計4万リットルのジェット燃料などの流出事故が発生していたことが、ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏の調査で明らかになっています。

  こうした環境・水質汚染は、軍事基地が平和に逆行するだけでなく、住民生活に深刻な影響を及ぼすものであることを示しています。

 日本会議と関係が深いといわれる中山市長とその与党が「あさイチ」を攻撃した狙いは、こうした実態を隠し自衛隊基地建設を強行するところにあります。「石垣島では、自衛隊配備について今後も議論されていくことだろう。今回のようなことがボディーブローのように効いていくことを(中山氏や与党は―引用者)意図しているのではないか」(砂川浩慶立教大教授、18日付琉球新報)と指摘されるゆえんです。

 時を同じくして、自衛隊基地増強が計画されている宮古島では、下地敏彦市長が「スラップ訴訟」で市民に圧力をかけようとしました(批判を浴びて一応撤回)。石垣島と宮古島で同時に起こったこうした事態は、自衛隊基地推進派が首長や議会の立場を悪用して基地反対の世論・運動を抑圧しようとするものであり、絶対に容認することはできません。


アイヌ「二風谷ダム判決」と辺野古・宮古・石垣

2019年09月19日 | 民主主義・人権

     

 15日の琉球新報に、「捨て身で先住権問う アイヌ男性の伝統サケ漁」という見出しの記事が載りました(共同配信)。記事の概要はこうです。 

 アイヌ民族の畠山敏さん(77)が北海道紋別市の川で、伝統漁法により網でサケを捕獲したところ、道は無許可の漁は規則違反だとして北海道警に告発(9月1日)。道警は畠山さんを取り調べるとともに、倉庫などを家宅捜索し、網やかごを押収した。
 明治政府はアイヌを日本人に組み込む同化政策で主食の1つだったサケ漁を一方的に禁じた。アイヌ施策推進法(今年4月成立)はアイヌを「先住民族」と明記しながら先住権は認めていない。
 畠山さんは、「生活の権利を奪っておいて法律違反とは勝手じゃないか」「土足で踏み込んできた和人(日本人)に左右されるつもりはない」。裁判になれば法廷で訴えたいとの思いがある。(写真左は畠山さん=同記事より)

 アイヌ民族や学者らでつくる「アイヌ政策検討市民会議」は9日、畠山さんの取り調べに抗議し、規則の改正を求める意見書を提出しました。
 意見書は、「先住民族の権利は国際人権規約や人種差別撤廃条約などで保障され、漁も文化享有権として認められていると指摘。『国は奪われたアイヌの権利回復について議論すらしていない』と批判」(10日付琉球新報=共同電)しています。

  畠山さんの行動・主張、また市民会議の「意見書」の指摘はまったく正当です。畠山さんの勇気ある告発を私たちは真摯に受け止めなければなりません。

  さらに、市民会議の「意見書」には注目すべき指摘がありました。
 「(意見書は)アイヌの文化享有権が『個人の尊重』をうたう憲法13条で保障されると認めた1997年の二風谷ダム訴訟判決などに照らし、男性(畠山さん)を規則違反とすることは人権侵害で、規則を改正し、許可を不要にして漁業権を保障するよう求めた」(10日付琉球新報)

 「二風谷(にぶたに)ダム訴訟判決」(1997年3月)。それはどういうものだったのでしょうか。

 「二風谷ダムは、苫小牧市東部の大規模工業団地に向けた電源開発のために1980年代に企画、建設がはじまったダムでした。しかし二風谷はアイヌ民族の人口密度の高い集落で、建設に向けた土地収用が始まると、萱野茂、貝澤正の二人のアイヌ地権者が、先住民族の権利を主張して土地買収に応じず、強制収用が行われました。これに対し二人が札幌地裁に提訴したのが「二風谷ダム裁判」です。
 判決は、国際人権法を援用してアイヌ民族は先住民族であり、日本の統治がはじまる以前に独自の社会や文化を築いていたこと、日本の統治によってそれが解体させられたことを、司法として初めて認めました。つまり、アイヌ民族が先住民族であることと同時に、日本政府が行ったアイヌ・モシリ(領地)の植民地支配を認めたのです。そして、その視点から政府の土地収用手続きが違法であったと認定しました」(上村英明著『アイヌ民族一問一答』解放出版社)

 重要なのは、これが確定判決だということです。判決がすでに完成していたダムの存在を容認したため、日本政府は控訴しなかったのです。
 アイヌは先住民族であり、その先住権は憲法上守られなければならない。アイヌの土地・文化を奪ったのは日本の植民地支配である。これが日本の司法が確定した判決です。この重要性はあらためて強調される必要があります。

 沖縄(琉球)はアイヌと同じく、日本(明治政府)によって武力で植民地化(併合)された土地です。琉球民族は先住民族であり、先住権があります。
 沖縄の人々の意思に反してその土地を強制的に奪い、軍事利用することは許されない。辺野古の新基地(写真中)、宮古(写真右)・石垣など離島への自衛隊基地建設・増強は、先住権を奪うものであり、憲法違反である。
 それが「二風谷ダム訴訟」の確定判決が教えるところではないでしょうか。


幼保無償化からの朝鮮幼稚園排除は許されない

2019年09月17日 | 差別・人権・沖縄・在日

     

 10月1日から幼児教育・保育無償化制度がスタートします。
 15日付地方紙各紙は、国の制度では無償化にならない世帯に対し、全国で約6割の自治体がそれを補う独自の施策を検討・実行しているという共同通信の全国調査の結果を報じ、制度の不備を指摘しました。

  それも問題ではありますが、この制度がもつ根本的な欠陥は見落とされており、一般に報じられていません。安倍首相が看板政策と誇示するこの制度の最大の問題は、朝鮮学校幼稚園はじめ外国人学校幼児施設だけが無償化から制度的に排除・差別されていることです。

 これは高校無償化制度からの朝鮮学校排除、補助金削減と連動するものであり、安倍政権による在日朝鮮人差別の新たな策動にほかなりません。

  幼保無償化制度は、原則全ての3~5歳児が対象(0~2歳児は低所得世帯)といいながら、利用している施設によってふるい分けます。幼稚園、認可保育所、認定こども園は無償ですが、それ以外は、認可外保育施設の届け出をしている施設は月3万7000円を上限に補助し、届け出がされていない施設はすべて無償化の対象外とされます。

  問題はこの「認可外保育施設の届け出」です。政府・厚労省は「1日4時間以上、週5日、年間39週以上」などの基準を設けていますが、基準をクリアしているにもかかわらず「各種学校は認可外保育施設に該当しない」として朝鮮学校幼稚園40校、インターナショナルスクールなど外国人学校幼稚園48校、計88校は「届け出」を受理せずはじめから除外しているのです。憲法の「法の下の平等」や世界人権規約、子ども権利条約などに反する明らかな差別政策です。

  さる8月5日、衆院議員会館で「すべての幼児に『幼児教育・保育の無償化』適用を求める要請の集い」が行われました。「幼保無償化を求める朝鮮幼稚園保護者連絡会」の宋恵淑代表は、「なぜ各種学校だけが名指しで排除されるのか。朝鮮幼稚園は母語教育を中心に幼児教育を行い、しっかりとした保育の実態も備えている」と安倍政権の差別政策を指弾し、「まずは、朝鮮幼稚園を見にきてほしい」と訴えました(月刊「イオ」9月号。写真左は同集会、写真中は山口朝鮮初中級学校附属幼稚園の園児たち、右は小倉朝鮮幼稚園。いずれも同誌より)。

  朝鮮学校とともに朝鮮幼稚園を無償化から排除する安倍政権の差別政策は、朝鮮半島を植民地支配した歴史的責任を顧みないばかりか逆にそれを継続させるものであり、日本人として絶対に許すことはできません。

  ところで、佐野通夫こども教育宝仙大教授によると、幼稚園は文科省、保育園は厚労省という「幼保二元体制」は、「世界では日本の植民地であった韓国と台湾でのみなされていました」。しかし「台湾は幼保一元化しました。韓国では1980年代からの『幼児教育振興法』等によって、両者を統合的に政策に組み入れるとともに、2012年度からは…5歳児については同一教育課程が行われています」(「連続無窮」2019年秋号)。

  「幼保二元体制」は日本独特で、それを植民地にも押し付けたわけです。韓国、台湾はそれから脱却していますが、日本はいまだにこの体制。そこには、教育を子どもや親の立場に立って行うのではなく、国家が忠実な“臣民”を育てるための手段と考える明治以降の日本支配層の教育観が表れているのではないでしょうか。