アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

安倍政権の「戦争法案」に反対しない翁長知事

2015年05月30日 | 沖縄・翁長知事

         

 翁長雄志沖縄県知事が訪米する前日26日の琉球新報、沖縄タイムスが、「検証委員会が提言すれば、埋立承認を取り消す」という翁長氏の共同通信インタビュー(5月25日)を、いずれも1面トップで大きく扱っていること、およびその問題点については、同じ26日のブログで批判しました。

 今日30日の琉球新報にそのインタビューの全文が載りました(沖縄タイムスは上下2回に分けて掲載)。
 全文を見て驚きました。きわめて重要な個所が26日の両紙の報道からすっぽり抜け落ちているからです。26日の両紙には「発言要旨」も付いていましたが、その中にもまったくありませんでした。
 重要な個所とは、目下最大の問題であり、もちろん沖縄にも大きな影響を及ぼす、安倍政権の「戦争法案」(安保法制)に対して、翁長氏は反対を明言しないどころか、事実上容認している個所です。

 琉球新報掲載のインタビュー全文から、該当個所を引用します。

 ―安保法制の整備をどう見ていますか。
 「中国に対するコンプレックスではないか。軍事力だけでなく経済大国として台頭したことで、国民も、政治をやっている人も、いたくプライドを傷つけられた。安保法制の背景にはそんな感情があるのではないか」
 「尖閣問題の発端をつくったのは石原慎太郎(元東京都知事)さんが『都が買う』と言って、野田佳彦(前首相)さんが買ってしまったこと。それがなければ曖昧なまま多少はしのげた。安保法制には、それがしのげなくなってしまった結果の恐怖心もある」

 「コンプレックス」や「恐怖心」の当否はともかく、重要なのは、翁長氏が「安保法制」(戦争法案)の背景に中国との関係があると言いながら、法案への批判・反対をまったく口にしていないことです。むしろ、「背景」を“説明”することで、法案が必要な情勢になっていると示唆しているといえるでしょう。

 翁長氏は知事選でも集団的自衛権行使容認については「拙速だ」と閣議決定の手順については言及しましたが、「反対」は明言しませんでした。今回、戦争法案に反対せず事実上容認したことは、それと軌を一にするものです。

 その根源は、「自民党出身者として日米安保体制をよく理解している」(同インタビュー)という翁長氏の基本的政治信条にあります。そしてそれは、翁長氏の「辺野古新基地反対」が、「辺野古に新基地を造ることは日米同盟、安保体制に相当の傷をつけますよ、と(米国に)伝える」(同)という、日米安保擁護の立場からのものであることと一体不可分です。

 日米安保を繰り返し擁護し、戦争法案に反対しない知事の下で、辺野古新基地阻止の本当のたたかいを進めることができるでしょうか。沖縄から軍事基地をなくすることができるでしょうか。

 「九条の会」の事務局でもある渡辺治・一橋大名誉教授は、「戦争法案を阻むたたかいは沖縄の辺野古新基地建設を許さないたたかいと、車の両輪でたたかう必要があります」とし、こう指摘しています。
 「アメリカの戦争に加担する『海外で戦争する国』づくりは、辺野古の新基地建設、沖縄のアメリカの戦争拠点化と一体だからです。
 この二つのたたかいは、『安保は日本の平和に役に立っているのか』という問いを改めて提起していることに注目する必要があります。戦争法案は日米安保条約の範囲を拡大し、世界中どこでもアメリカの戦争に日本が加担する体制をつくろうとしています。辺野古新基地建設は、安保のグローバル化に伴う米軍再編の一環として強行されようとしています。安保と基地では平和は守れないという声をあげていく必要があります」(「しんぶん赤旗」5月17日付、写真右)

 「辺野古新基地阻止」と「戦争法案阻止」は「車の両輪」。「安保と基地では平和は守れない」。これをたたかいの根底に据えることが、今ほど求められている時はないでしょう。
 


「辺野古承認撤回の意見書」を今こそ実行に

2015年05月28日 | 沖縄・辺野古

         

 菅義偉官房長官は26日の記者会見で、翁長雄志知事が「辺野古埋め立て承認」を「取り消し」ても、「移設工事は進めていく」と述べました。安倍政権の強権ぶりを重ねて示したもので、言語道断です。
 同時に菅発言は、辺野古新基地建設を阻止するためには、埋め立て承認の「撤回」こそが最大の武器であり急務である(「取り消し」をまつのでなく)ことを、あらためて浮き彫りにしています。

 そこであらためて注目する必要があるのが、沖縄の有識者・専門家でつくる「撤回問題法的検討会」(新垣勉弁護士ら5名)が今月1日、翁長知事に提出した「意見書」(写真右)です。
 (9日のブログ参照http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20150509
 この意見書には、菅氏の妄言など安倍政権に対抗するための知識が盛り込まれています。そのポイントを抜粋します。

 ◎「撤回」と「取消」の関係
 
 「取消」と「撤回」は、いずれも、同一の対象、すなわち、埋立承認という行政行為を対象とする点で、同一ではあるが、その理由を異にし、効力の発生時を異にする別々の行政行為である。
 従って、埋立承認時の「瑕疵の存否」に関係なく埋立承認後の事由を理由に公益判断を行い、その判断の下に瑕疵の存否の判断をまつことなく、先行して「撤回」を行うことは、法的に十分可能である。
 「撤回」をなした後、埋立承認時の瑕疵の違法性が認められる場合に「取消」を行うことは、法治主義の観点から、また行政権の本質である公益実現の観点からも、何ら禁止されていない。

 ◎「撤回」の要件

 「撤回」の要件は、最高裁1988年6月17日判決の判示するように、「撤回することにより生じる不利益を考慮しても、撤回することによる公益が高いこと」及び「手段の適切さ」と解するのが相当である。
 沖縄県知事が行う埋立承認の撤回が公益適合性を有すること、撤回以外に沖縄県民の公益を保全する道がないことは、明白であるから、沖縄県知事が撤回判断をなすことにつき、法的障害は何ら存しない。

 以上のポイントを分かりやすく言えば、撤回は、承認に法的瑕疵がなくてもできるし、撤回したあとで取り消しも追加してできる。撤回することによる「公益」が高ければ知事は撤回できる、ということです。度重なる選挙で、何が県民の「公益」かははっきり示されています。

 こうした見解は、「撤回問題検討会」だけではありません。
 米軍岩国基地の滑走路沖合移設をめぐる埋め立て承認問題などに詳しい本田博利・元愛媛大教授(行政法)は、「行政長には『公益上の判断』など政治的な判断を含めた総合的な判断がある」としたうえで、こう指摘しています。
 「法的な瑕疵を検証する承認の『取り消し』の作業には時間がかかるが、(移設事業の)既成事実が積み上がっていけば、取り消しのハードルも高くなる。まずは知事の裁量権の判断で、承認の『撤回』を打ち出して当面の工事を止め、その間に検証を急ぐことが翁長県政にとって最良の策ではないか」(2月8日付沖縄タイムス)

 菅氏が「取り消しても工事は進める」と強弁する背景には、「取り消し」の根拠となる「法的瑕疵」の有無を「行政訴訟」で争う意図があると思われます。それはもちろん理不尽なことですが、「取り消し」ではなく「撤回」なら、「法的瑕疵」の有無を争う余地はありません。
 「撤回」で問われるのはまさに、選挙で示された県民の「公益」とは何かという政治論、政治的立場です。それでも最後は裁判になる可能性が大ですが、同じ裁判なら、「法的瑕疵の有無」という行政手続き論で争うのではなく、選挙とは何か、民意とは何かという政治論を、主権在民、民主主義の立場から争うべきではないでしょうか。

 その意味で、そして「工事の既成事実化」をこれ以上積み上げさせないためにも、翁長知事は直ちに「埋立承認の撤回」を実行すべきです。


“手ぶら”で訪米ー翁長知事はなぜ「撤回」を表明しないのか

2015年05月26日 | 沖縄・翁長知事

         

 沖縄の翁長雄志知事はあす27日から訪米します。
 訪米前に知事権限を行使し、前知事の「辺野古埋め立て承認」を撤回するべきだと、当ブログでも言い続けてきましたが、結局、撤回も取り消しもしないまま訪米するようです。
 “手ぶら”の訪米がいったいどんな意味を持つのでしょうか。
 翁長氏はなぜ、それほどまでに「承認撤回」を避けるのでしょうか。

 翁長氏は20日の日本記者クラブでの記者会見(写真中。左は5・17県民大会、右は5・24国会行動)で、「訪米の狙いは」との質問にこう答えました。

 「日本政府を相手にしていたらどうにもならないので、米国に行く」(21日付東京新聞)

 驚くべき発言です。「日本政府を相手に」しないで、米国相手にどうしようというのでしょう。日本政府に辺野古を断念させないで、どうやって辺野古新基地を阻止するつもりなのでしょうか。だいいち、翁長氏は日本政府に対してやるべきことをやっていないではありませんか。

 こうした翁長氏の「訪米」に対しては、外国人記者からも、「翁長氏が訪米してもあまり意味はない。良い戦略とは言えない」(英エコノミスト誌ディビッド・マックニール氏、21日付朝日新聞)という指摘があります。「それよりも知事はなぜ安倍首相を説得しないのか」(同)。相手は「日本政府」だという、当たり前の指摘です。

 それでも訪米するというなら、事前に埋め立て承認の撤回・取り消しを行うことは必須条件です。
 翁長氏に先行し氏の「書簡」を携えて玉城デニー衆院議員が訪米しましたが、議員に通訳として同行した乗松聡子さん(「ジャパンフォーカス」エディター)が、アメリカの状況を踏まえて行なった知事への「提言」をあらためて紹介します。

 「前知事の埋め立て承認の法的効力の重大さを確認すると同時に、これを覆すことができるのは、翁長現知事による承認の白紙化しかないとの再認識があった」「埋め立て承認撤回か取り消しをした上で訪米をしてこそ説得力を持つ」「翁長知事は訪米の際、『前知事の埋め立て承認を覆しました。だから前知事の承認によって可能になったことはすべて不可能になります。したがって辺野古移設は中止です。国防権限法案も書き換えてください。・・・』と明確なメッセージを米国に届けることが効果的であると思う」(16日付琉球新報)

 翁長氏はこの提言を、いかなる考えによって無視したのでしょうか。

 訪米前日のきょう26日付の琉球新報、沖縄タイムスはいずれも、翁長氏への共同通信インタビューを1面トップ(関連記事)で報じています。

 「承認取り消し明言 知事、検証委提言が前提 訪米前、決意示す」(琉球新報)
 「検証委提言なら取り消し 知事、新基地阻止へ意欲」(沖縄タイムス)

 両紙ともこれが翁長氏の「決意」を示すものと大きく報じていますが、もっと冷静に事態をみるべきでしょう(新報の思わせぶりな見出しは論外)。翁長氏の発言はこうです。
 「有識者委員会から7月上旬に埋め立て承認の取り消しが提言されれば、取り消すことになる」(両紙の「発言要旨」)

 そもそも「有識者委員会(検証委)」は、前知事の「承認」に「法的瑕疵があるかないか」を検証する委員会であり、「取り消し」の是非を判断する所ではありません。これは大城委員長が初めから明言しています。したがって、検証委が取り消しを「提言」することはありません。まさかだから「取り消さない」とは言わないでしょうが。

 検証委が「瑕疵あり」と答申した場合、承認を「取り消す」のは当たり前のことです。今さら何を。それをあたかも「重大発言」のように扱うことは翁長氏への根拠のない「賛美」をふりまくものです。

 翁長氏のこの発言は、訪米前に「撤回」も「取り消し」もしないことへの苦しい「代償」にほかなりません。

 翁長氏の公約は何だったか。知事選前後の言明をもう一度確認しましょう。

 「撤回は、法的な瑕疵がなくても、その後の新たな事象で撤回するということですが、知事の埋め立て承認に対して、県民がノーという意思を強く示すことが、新たな事象になると思います」(2014年10月21日、知事選政策発表記者会見、同22日付「赤旗」)

 「法律の瑕疵があれば取り消せる。・・・法的瑕疵がない場合も、私が勝利したならば承認撤回の条件になる」(2014年11月12日付琉球新報インタビュー)

 「法的に瑕疵があれば取り消し、そうでなければ新たな事情の変化で撤回につながっていく」「知事選で示された民意は埋め立て承認を撤回する事由になると思う」(県議会12月定例会答弁、2014年12月18日付琉球新報)

 翁長氏は、知事選で当選すれば、埋め立て承認を撤回すると何度も明言したのです。これが翁長氏の「公約」です。
 やらないと言ったことをやる(仲井真前知事の「承認」のように)のは分かりやすい公約違反ですが、やると言ったことを半年たった今もやろうとしないのも公約違反ではないでしょうか。
 そうでないと言うなら、翁長氏は今日にも「承認撤回」を明言すべきです。


「明治産業革命遺産」と「琉球処分」

2015年05月23日 | 沖縄

         

 「明治産業革命遺産」(8県23施設)の「世界遺産登録」と安倍政権の関係については先に(5月7日)書きましたが、韓国はさらに具体的に、三菱長崎造船所(写真左)、高島炭鉱、三池炭鉱など、「7施設で5万7900人の朝鮮半島出身者が動員され、94人が死亡、5人が行方不明」(韓国国会報告)という数字をあげ、反対の姿勢を強めています。

 日本政府はあくまでも、対象期間は「1853年から1910年(朝鮮併合)まで」だから韓国の批判は当たらない、と強弁しています。
 これに対しては、次のような指摘があります。
 「この枠組みは明治維新から日本の資本主義の核ができた時期までの近代化だけを賛美し、その後の強制労働などは一切見ない。これでは世界遺産に登録されても、歴史をきちんと検証できるか、韓国の人に疑問に思われても仕方がない。本当に後世に伝えるべきなのは、かつて日本の間違った政策で朝鮮や中国の人々が受けた痛みや悲しみの方ではないだろうか」(近代史研究家・竹内康人氏、東京新聞5月20日付)

 同感です。そして、さらに付け加えなければならないのは、日本政府の植民地政策の犠牲になったのは、朝鮮、中国など東アジア諸国の人たちだけではなかったということです。琉球王国(沖縄)こそ日本の植民地政策の犠牲を真っ先に受けた国(民族)だったことを決して忘れてはなりません。
 「琉球処分」です。それはまさに今回安倍政権が世界遺産登録申請の対象としている期間に強行されたことなのです。主な出来事を挙げます。

 1854年  琉球王国、アメリカと独自に条約締結(琉米条約)
   68年  明治維新。琉球は鹿児島の管轄下へ
   71年  琉球船の台湾遭難事件(明治政府、琉球の日本領有と台湾進出を企てる)
   72年  琉球王国を琉球藩とし明治政府の直轄下へ(「琉球処分」=廃琉置県のはじまり)
   75年  処分官・松田道之を琉球に派遣し、琉球藩(琉球王国)廃止(沖縄県設置)の方針通告
   79年  松田、歩兵400、警察官160を引き連れ、暴力的に「廃琉置県」強行(「琉球処分」完了)
   80年  明治政府が清に「分島・増約案」提示(中国市場への参入と引き換えに宮古・八重山諸島を割譲)-不成立

 「明治産業革命遺産」と「琉球処分」は年代が一致するだけではありません。

 23施設の中には、鹿児島の集成館(写真中)関連施設が3つ含まれています。集成館とは、「1851年薩摩藩主に就任した島津斉彬が欧米列強による植民地化を防ぎ、日本を強く豊かな国にするため大砲鋳造や造船」(鹿児島県HP)を行った、薩摩版「富国強兵」の拠点です。その薩摩藩は1609年の武力侵攻以来、明治維新まで琉球を支配し続けました。島津斉彬自身、「琉球を拠点とした欧米諸国との貿易構想をうちたてた」(『沖縄から見える歴史風景』)人物です。

 さらに、23施設には「松下村塾」が含まれ、吉田松陰門下、長州出身の明治政府官僚(安倍首相が「尊敬」してやまない)が美化されています。その筆頭は伊藤博文(写真右)ですが、伊藤こそ「琉球処分」の張本人の1人です。1875年の通告に従わない琉球王国に対し、松田に武力侵攻をけしかけたのが、当時内務卿だった伊藤です。
 「ヤマト政府命令が一向に進展しないことに業を煮やした明治政権は、1878年に伊藤博文が松田道之に『琉球処分案』を起草させ強硬策をとることにした」(山本英治氏『沖縄と日本国家』)

 「琉球処分」から130余年。琉球(沖縄)に対するヤマトの「植民地政策」は今日に続き、「辺野古新基地強行」として現象しています。この歴史と現実こそ、決して忘れてはならない「負の遺産」です。

 


大橋巨泉氏と高橋哲哉氏の「県外移設」論

2015年05月21日 | 沖縄・辺野古

         

 「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が行われた17日、沖縄タイムスは全紙面を使い、県外の著名人など51人の「応援メッセージ」を顔写真付きで掲載しました。
 迫力のある紙面で、51人のメッセージは短いけれど、どれも気持ちと力のこもった貴重なものでした。
 その中で、ここではとくに2人のメッセージに注目します。そこでは普天間基地(さらに沖縄の米軍基地全般)の「県外移設」論について、私たちが考えねばならない問題提起がされているからです。

 2人とは、大橋巨泉氏(タレント・司会者)と高橋哲哉氏(東京大学大学院教授)です。
 まず、大橋氏のメッセージから。

 大橋巨泉氏・・・沖縄住民の皆さん、我々日本人は皆さんに大きな借りがあります。皆さんは堂々と「米軍基地は県外へ」と言えば良いのです。まず目の前の辺野古移設反対! 我々は声を大にして後押しします。頑張ってください。

 沖縄に寄り添おうとする大橋氏の心情がよく表れています。しかし、おかしくないですか?
 沖縄の人に「基地は県外」つまり本土へ移設するよう主張すべきだとし、「我々」つまり本土の人間はそれを「後押し」するというのです。これでは本土の「我々」は第三者の立場からの「応援者」です。しかし、「県外移設」で基地は本土へ来るのです。「我々」はけっして第三者ではありません。まさに当事者となるのです。大橋氏の心情は理解できても、本土の「我々」がひとごとのように「後押しします。頑張ってください」と言うのは、違うのではありませんか?

 その点で注目されるのが、高橋氏のメッセージです。

 高橋哲哉氏・・・日米安保体制下で本来、米軍基地があるべき場所は本土。本土にいる私たちは、長く沖縄に米軍基地を押し付けてきた差別を正すために、安保条約が解消されるまで、在沖米軍基地を本土に引き取る道を追求していきたい。

 高橋氏は基地は「県外(本土)へ移す」のではなく、「本土に引き取る」のだと言います。同じように見えて、この違いは明確で、しかも重い意味があります。
 高橋氏の主張(立ち位置)は、「日米安保体制下で本来、米軍基地があるべき場所は本土」という考えに基づいています。沖縄の基地問題はまさに本土の私たちの問題にほかならないという指摘です。ここでは本土の私たちは第三者ではなく、完全に当事者です。

 同じ「県外移設」論でも、大橋氏と高橋氏の違いを、私たちは自分の問題として考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 それは、「辺野古新基地建設反対」の次に、「では普天間あるいは沖縄の基地はどうするのか」という問題が問われてくるからです。私たち本土の人間はけっして第三者でいることは許されません。自分の問題として考えねばならないのです。

 そのうえで、しかし私は高橋氏の主張にも賛同できません。「安保条約が解消されるまで、在沖米軍基地を本土に引き取る」という主張です。
 沖縄の「構造的差別」はもちろん解消しなければならないし、それは本土の私たちの責任です。その世論を本土で高めていかねばならないことも当然です。しかし、「沖縄の基地を本土で引き取る」と主張し、それを「追求する」つまり運動化することは、けっして安保条約=日米軍事同盟の「解消」に向かわないばかりか、逆にその固定化につながりかねないと思うからです。

 あってはならない基地は、沖縄はもちろん、本土にもあってはならないのです。オスプレイも同じです。
 普天間をはじめ沖縄の基地は、「県外(本土)へ移設」するのでなく、即時無条件に撤去すべきであり、その主張の下に沖縄と本土の連帯を目指すべきだと考えます。

 そう思う私が、51人のメッセージの中でもっとも共感できたのは、広河隆一氏(月刊誌DAYS・JAPAN発行人)のものでした。大橋氏、高橋氏のメッセージとともに、私たちが「沖縄」を自分の問題として考える手掛かりにしたいと思います。

 広河隆一氏・・・支配する側は、される側の痛みが理解できません。本土の人間は「沖縄を解放する」のではなく、私たちが「支配者であるという立場から解放される」ため辺野古が象徴する支配構造に風穴を開ける闘いを本土で行いたいと思います。


沖縄大会ー翁長氏は県民の代表にふさわしいのか

2015年05月18日 | 沖縄・翁長知事

         

 昨5月17日に那覇市で行われた「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」を、琉球新報の中継(録画)で見ました。
 3万5000人の参加(主催者発表)でセルラースタジアムを埋め尽くした熱気は、辺野古に新基地を造らせない県内外の意思・決意を改めて強く示しました。

 そのことの意味はたいへん大きく、安倍政権にとって痛打であることは間違いありません。
 同時に、登壇者の多くが強調していたように、沖縄のたたかいはこれからますます重要な局面を迎えます。
 今後のたたかいのために、大会の成果とともに、問題点をリアルに見る必要があります。

 問題点の第1は、「大会決議」にも、12人の登壇者の発言の中にも、「高江のヘリパッド」「与那国・宮古・石垣への自衛隊配備増強」への言及、抗議が一言もなかったことです。

 それは大会が「辺野古」に特化したものだからなのか、それとも「オール沖縄」の一致点になっていないからなのか。
 いずれにしても、私は言及されるべきであったと思います。なぜなら、辺野古に新基地を造らせないたたかいと、高江、八重山のたたかいは切っても切れない、というより一体のものとして取り組む必要があると考えるからです。

 第2の問題点は、「辺野古新基地反対」と「翁長知事支持・激励」が混然一体化していることです。
 翁長氏を支持する人にとっては、それは一体でしょう。しかし、辺野古新基地には絶対反対だが、翁長氏を支持することはできない、という人もいるはずです。私もその1人です。そういう人たちの声・意見が、大歓声(大会会場だけではありません)の中でかき消されることは、辺野古のたたかいのみならず、今後の沖縄のたたかいに大きな禍根を残すことになります。

 あらためて問題提起します。翁長氏は、沖縄から基地を撤去して平和を求める沖縄県民の代表として、はたしてふさわしい人物でしょうか。
 私は、そうではない、という思いを昨日の大会でいっそう強くしました。主な理由を2つ挙げます。

 ①なぜ「埋め立て承認撤回」に一言も言及しないのか

 翁長氏はあいさつでこう述べました。「県の有するあらゆる手法を用いて辺野古に新基地は造らせない。この公約実現に向けて全力で取り組んでいくことを改めて決意します」
 知事選直後ならこれでいいでしょう。しかし、あれからもう半年たっているのです。その間安倍政権による工事強行策動は進み、現地では体を張ったたたかいが連日続けられています。

 「あらゆる手法」という抽象的な言葉を繰り返すときではありません。安倍政権は「前知事が公約をひるがえし行った埋め立て承認を盾に」(大会決議)工事を強行しようとしているのです。翁長氏がいまやるべきことは、その埋め立て承認の撤回でなくてなんでしょうか。

 翁長氏はこの大会を「訪米行動への弾み」(18日付琉球新報)にする意図だったといわれています。27日からのその「訪米」について、オリバー・ストーン監督のメッセージに尽力したと大会でも紹介された乗松聡子さん(「ジャパンフォーカス」エディター)は、先に訪米した玉城デニー衆院議員の経験を踏まえ、こう指摘しています。
 「『民意』を伝えるだけでは足りない」「埋め立て承認撤回か取り消しをした上で訪米をしてこそ説得力を持つ」(16日付琉球新報)

 同じ意見の人は少なくないのではないでしょうか。そして昨日の大会で翁長氏の口から「撤回」の言明がなされることを期待していた人もいたのではないでしょうか。
 しかしその期待は見事に裏切られました。翁長氏は「取り消し」も「撤回」も一言も口にしなかったのです。
 
 ②日米安保・軍事同盟を支持、賛美して、基地撤去の先頭に立てるのか

 第2の理由は、翁長氏が明確に日米安保条約・軍事同盟を支持・賛美していることです。それは翁長氏の持論ですが、その姿勢がますますはっきり表れてきています。昨日に大会あいさつから抜粋します。

 「日本の安全保障は日本国民全体で負担する気構えがなければ・・・仮想敵国から日本の覚悟のほどが見透かされ、抑止力から言っても、私は、どうだろうかなと思っている」
 「自国民に自由と人権、民主主義という価値観を保障できない国が、世界の国々とその価値観を共有できるでしょうか。日米安保体制、日米同盟というものは、私はもっと品格のある、世界に冠たる誇れるものであってほしいと思っています
 「自由と人権と民主主義の価値観を共有する国々との連帯を目指す日米同盟がそんなこと(普天間基地の放置)はできないと思っています」
 「私たちは積極的平和主義の名の下に、中東まで視野に入れながら、これから日米同盟が動くことを考えると、沖縄はいつまで世界の情勢に自らを投げ捨てなければいけないのか」
 「どうか日本の国が独立は神話だと言われないように、安倍首相、頑張ってください

 最後の言葉も、けっして皮肉ではないようです。
 翁長氏は短いあいさつの中で「日米同盟」を3回、「日米安保体制」、「抑止力」「積極的平和主義」を各1回、いずれも肯定的に口にしました。要は、「品格のある日米同盟」のために、「日本の安全保障は日本国民全体で負担」すべきだというのが、翁長氏の考えの神髄です。

 いったい「品格のある日米同盟」とはなんですか?日米同盟は言うまでもなく、戦争を想定した軍事同盟です。軍事同盟に「品格」なるものがあるのですか?

 大会で紹介されたオリバー・ストーン監督のメッセージはこう述べています。
 「『抑止力』の名の下に建つ巨大な基地は一つのうそだ。アメリカ帝国が世界中を支配する目標を進めるためのもう一つのうそだ。この怪物と闘ってくれ
 ストーン氏は、「抑止力」のうそにごまかされることなく、世界中を支配しようとしているアメリカ帝国と闘ってほしい、その闘いにおいて連帯しよう、と呼び掛けているのです。
 「日米同盟」「抑止力」「積極的平和主義」を支持・賛美する翁長氏が、このメッセージに応えられるでしょうか。

 辺野古新基地反対のたたかいに、日米同盟支持の人も加わることができるのはもちろんです。安倍政権を支持する人だって参加できます。すべきです。しかし、そうした市民の参加と、県知事の立場を同列に考えることはできません。日米軍事同盟を支持する県知事が、「沖縄の基地は私たちが撤去させる」(安次富浩ヘリ基地反対協共同代表)という県民のたたかいの先頭に立てるでしょうか。

 稲嶺名護市長は壇上で、「われわれは知事を選んだ以上、知事を守る責任がある」と述べました。逆ではありませんか?守る責任があるのは翁長氏の方です。翁長氏は、「私が(知事選で)当選すれば、その民意で(埋め立て承認は)撤回できる」と言明していたのです。翁長氏はその公約を守る責任があります。
 そして、翁長氏を知事に選んだ人たちには、翁長氏に公約を実行させる「責任」があるのではないでしょうか。

 ※次回は21日(木)に書きます。


NPT「広島・長崎訪問」削除をどう考えるか

2015年05月16日 | 原爆・平和

         

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書素案から、各国の「政治指導者」が被爆地広島、長崎を訪れることを呼び掛ける日本の提案が、中国の反対で削除されました。

 この問題をどう考えればいいでしょうか。

  中国の傳聡軍縮大使(写真中)は、「歴史を歪曲するものだ」「(日本政府の)目的は日本を第2次大戦の加害者でなく被害者として描くことだ」と主張しました(14日付中国新聞)。さらに、中国外務省報道局長は、「(被爆地訪問という)複雑で敏感な問題を会議に持ち込むべきでない」と述べました(共同電、14日付)。

 これに対し、「被爆者や被爆地の首長は『被爆地の思いを政争の具にするな』と一斉に反発」(中国新聞、同)。松井一実広島市長は、「被爆者の切なる願いを全く理解しない対応だ」と中国を厳しく批判し、県被団協幹部は、「安倍晋三首相の歴史認識問題があるのだろうが、核兵器廃絶と結び付けてほしくない」(同)と話しました。岸田文雄外相(広島選出、写真右)は「私自身が先頭に立ち」巻き返すと強硬姿勢です。

 こうした中国への反発・批判があふれている中で、広島市の韓国原爆被害者対策特別委員会の朴南珠委員長は、「日本が他国を侵略したということを忘れているのは確かだ」と指摘しながら、「核の残酷さを知らせるためにも、指導者には被爆地を訪れてもらいたい」と訴えました(東京新聞、14日付)。朴氏の冷静なコメントに共感をおぼえます。

 各国の「指導者」が広島、長崎を訪問することに意味がないとは思いません。しかしそれをNPTの文書に盛り込むかどうかは別問題でしょう。さらに、そのことの是非とは別に、中国が反対する理由を、「政争の具」として片づけるのではなく、日本国民への重要な問題提起としてとらえる必要があるのではないでしょうか。
 なぜなら、広島、長崎の被爆を、日本の戦争責任との関係でとらえ返すことは、中国に言われるまでもなく重要で、しかもその重要性はいままさにいよいよ大きくなっていると思うからです。

 広島、長崎の被爆を、日本の戦争責任・加害責任と切り離してとらえるべきではない、という指摘は、広島、長崎自身からすでに出ています。

 昨年亡くなった本島等元長崎市長は、広島原爆ドームの世界遺産登録に中国とアメリカが反対したことに対し、「広島よ、おごるなかれ」という文章でこう述べています。
 「原爆の被害は人間の想像をこえるものであった。特に放射線が人体をむしばみ続ける恐ろしさ。しかし、日本の侵略と加害による虐殺の数は原爆被害をはるかにこえるものであった。
 今、われわれがやらなければならぬことは中国はじめアジア、太平洋の国々と国民に謝罪することである。心から赦しを乞うことである。日本の過去と未来のためにも」(『平和教育研究』1997年3月号)

 広島の被爆詩人、栗原貞子(1913~2005)は、「広島・長崎への原爆投下は、人道上、国際法上許すべからざる犯罪である」と断罪したうえで、こう続けています。
 「しかしその絶対性は、その誘発を許した国民の責任やアジア諸国民への加害責任を不問にしたり相殺したりすることはできない被害と加害の複合的自覚に立つとき、初めて他国民間の連帯が可能になる。そして、自らが国家の被害者であると同時に、加害者であることによって、加害(協力)を強制した国家の戦争責任を明確にとらえ追及することが可能なのである」(『問われるヒロシマ』1991年)

 国民が戦争の「被害者」であるとともに「加害(協力)者」であったと自覚すること。それによって、「国家の戦争責任を明確にとらえ追及することが可能である」。この栗原の指摘は、けっして過ぎ去った過去の話ではないでしょう。現在の、あるいは近い未来のこととして、今まさに私たちに突き付けられているのではないでしょうか。

 「中国はじめアジア、太平洋の国々と国民に謝罪」しようとしない安倍政権。その安倍政権による集団的自衛権行使容認で、日本の軍隊(自衛隊)がアメリカに追随して世界のいたる所で戦闘行為に加われば、日本は兵器で人を殺傷する戦争加害国となります。われわれ「日本国民」も戦争加害(協力)者となることは避けられないのです。
 
 広島、長崎の被爆を日本国および日本国民の加害の視点からとらえ返すことは、たんなる歴史認識の問題ではありません。それは今、「戦争立法」に直面している私たちが、何をすべきか、どう生きるべきかに直結しているのではないでしょうか。


沖縄を売った男たちー佐藤・岸・カーン

2015年05月14日 | 日米安保・沖縄

         

 あす5・15は、「沖縄返還」(1972年)から43年です。
 NHKは9日夜のNHKスペシャルで、「総理秘書官が見た沖縄返還~発掘資料が語る内幕~」を放送しました。佐藤栄作首相(当時)の秘書官だった楠田實氏(写真左の奥)が遺した「段ボール100箱」分の「日記」を基にしたもので、全体として佐藤首相がいかに「本土並み返還」に尽力したかと美化するものでした。(以下敬称略)

 そんな中で注目されたのは、「佐藤とハリー・カーンの極秘会談」です。
 「楠田日記」によれば、佐藤・カーン極秘会談は、1968年12月9日と、69年2月28日の2回、首相官邸で行われました。
 佐藤は1回目の会談で、「沖縄返還」交渉のために実兄の岸信介元首相(安倍晋三首相の祖父)とニクソン米大統領の会談が実現するようカーンに斡旋を依頼。2回目の会談はそれがOKになったことを受けて行われました。

 ハリー・カーンとはいったい何者でしょうか。

 『軍隊なき占領―戦後日本を操った謎の男』(ジョン・G・ロバーツ、グレン・デイビス)はカーンが果たした役割を暴いた貴重な著書(なぜかすでに絶版)ですが、カーンの略歴はこう紹介されています。
 「1911~96年。『ニューズウィーク』元外信部長。ジャパンロビーACJ(アメリカ対日協議会)の主宰者。79年のグラマン疑惑の発覚で、戦後日米関係の影のフィクサーとしての正体を暴かれる」

 また、元「ニューズウィーク」ニューヨーク支局長の青木冨美子が著した『昭和天皇とワシントンを結んだ男』には、「カーンこそは、占領期から戦後の日本政治の舞台裏で暗躍した黒幕で、保守本流の政権維持を裏から支えた知られざる“工作者”だった」と記されています。

 カーンは、米兵器産業・財閥の意を体し、マッカーサーの「民主化」政策に反対して財閥復活、レッドパージ強行など「逆コース」を演出し、日本を「反共の砦」にした黒幕です。そのために戦犯容疑者を巣鴨の刑務所から釈放させて裏人脈を形成し、米財界・政界の意向に沿う戦後日本の体制をつくりました。そのカーンととりわけ親しかったのが、巣鴨にいた岸信介にほかなりません。

 特筆すべきなのは、カーンと昭和天皇の深い関係です。
 天皇裕仁はカーンを通して米政府と裏で通じ、政治的発言を繰り返してきました(もちろん憲法違反)。例えば1950年6月、天皇裕仁は天皇制維持と引き換えにアメリカとの「単独講和」を画策し、非公式の「諮問会議」の設置を求める「口頭メッセージ」をダレス(国務省顧問)に送りました。吉田茂首相の頭越しに。その仲介をしたのがカーンです。
 「天皇の『口頭メッセージ』が急きょダレスに伝えられた契機は、吉田・ダレス会談が行われた六月二二日の夜半にひそかにもたれた会合であった。この会合は、米誌『ニューズ・ウィーク』の外信部長ハリー・カーンが斡旋し、同誌の東京支局長コンプトン・パケナムの邸宅で開かれたものであった」(豊下楢彦氏、『安保条約の成立』)

 佐藤・カーンの極秘会談に戻りましょう。ここで佐藤とカーンは、「沖縄の核」について話し合い、佐藤は、「朝鮮半島で米軍が出なければならないような事件が起こった場合、日本がそれに巻き込まれるのは当たり前だ」「米軍は日本本土の基地を使えば良いのだ。その結果、日本が戦争に巻き込まれても仕方がない」と述べたといいます。
 「楠田日記」は佐藤がいかにも沖縄の「核抜き返還」に努力したように書いていますが、実際は「核持ち込み」の密約があったことは、「密使」を務めた若泉敬の証言でも明らかです。

 注目されるのは、佐藤の「日本が戦争に巻き込まれても仕方がない」という言明です。これはもちろん当時の国会答弁に反する重大な発言で、佐藤自身カーンに、「このことを自分の口から言うのは初めてだ。絶対に口外しないで欲しい」と口止めしたといいます。

 佐藤・カーン極秘会談は何を示しているでしょうか。
 第1に、「沖縄返還」交渉が黒幕・カーンによる対日工作の一環として、佐藤・岸・カーンの“反共トライアングル”の下で進行したこと。
 第2に、その過程で、日米安保条約(米軍基地)によって日本がアメリカの戦争に「巻き込まれる」ことを佐藤や岸が是認していたことです。

 そして今、岸を政治的にも私的にも敬愛していると公言する安倍によって、日米安保=軍事同盟はさらに危険な段階に踏み込み、アメリカの戦争に「巻き込まれる」可能性が現実のものになろうとしています。
 そして沖縄は、「憲法への復帰」とは逆に、憲法に反して辺野古に新基地が造られ、八重山に自衛隊が増強されようとしています。

 沖縄は昔も今も、日米安保・軍事同盟の矢面に立たされています。
 「復帰43年」にあたり、日本国憲法と絶対に相容れない日米安保・軍事同盟解消の必要性をあらためて痛感します。


翁長知事はなぜ「那覇軍港の浦添移設」を容認・推進するのか

2015年05月12日 | 沖縄・翁長知事

          

 沖縄では普天間基地の「辺野古移設(新基地建設)」とともに、もう1つの「県内移設」が問題になっています。米軍那覇軍港の浦添市移設です。

 浦添市の松本哲治市長(写真中)は2013年2月の市長選で、「移設反対」を公約して初当選しました。ところがさる4月20日、公約を投げ捨て「移設容認」を表明。菅官房長官や中谷防衛相は大喜びですが、市民からは「公約違反」との批判が高まり、辞職要求が出ています。

 松本氏の公約違反・変節がきびしく批判されるべきは当然です。
 同時に見過ごせないのは、松本氏が移設容認に転じた背景に、翁長雄志知事の移設容認・推進があることです。

 松本氏は「移設容認」を公式に表明した記者会見で、その理由を聞かれ、こう答えました。
 「県や那覇市、重要な当事者である政府の考えも踏まえ、足並みをそろえてSASO合意を尊重して進めようという考えに至った」(4月21日付琉球新報)

 政府、翁長知事、翁長氏の後継者・城間那覇市長と「足並みをそろえ」たというわけです。

 那覇軍港の浦添移設はSASO(日米特別行動委員会)で日米両政府が合意したことです(1996年12月)。翁長氏は那覇市長時代から、一貫してこのSASO合意を容認・推進する立場でした。那覇市議会(2013年2月)でも、「SASO合意を否定するものではない」と答弁しています(琉球新報4月21日付)。
 そして昨年10月の県知事選では、「『辺野古移設は地元名護市が反対しており、大きな相違点がある』と述べ、浦添市が容認する場合の軍港移設容認を表明」(琉球新報、同)したのです。
 「翁長氏は・・・浦添移設を掲げて知事選で当選。移設推進の立場を就任後も崩していない」(沖縄タイムス3月9日付)のです。
 こうした翁長氏に対し、正式に公約を撤回する前の松本市長は、「『辺野古は絶対に埋めさせないといいながら、なぜ浦添は埋めてもいいのでしょう』との不満も募らせ」(沖縄タイムス、同)たといいます。

 普天間基地の辺野古移設には「反対」するが、那覇軍港の浦添移設は「容認・推進」する―これは松本氏に言われるまでもなく、まったく理屈に合いません。基地の「県内移設」に対する翁長氏のダブルスタンダードは明白です。

 翁長氏は安倍首相との会談でこう言いました。
 「沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない。普天間飛行場もそれ以外の基地も・・・自ら土地を奪っておきながら・・・嫌なら代替案を出せと言われる。こんな理不尽なことはない」(琉球新報4月18付)
 その通りです。ならば当然、那覇軍港の浦添移設にも反対すべきではないでしょうか。

 「辺野古は地元名護市が反対しており、大きな相違点がある」と言いますが、地元浦添市で「移設反対」の松本氏が当選したときも翁長氏が「移設容認」の立場を変えなかったのはどう説明するのでしょうか。
 そもそも、翁長氏が辺野古新基地建設に「反対」するのは、名護市が反対しているからなのですか?自らの政治信条において反対しているのではないのですか?
 ちなみに、日本共産党が「独自に実施したアンケート」では「市民の約8割が受け入れ反対」(西銘純恵県議、沖縄タイムス1月4日付)といわれています。たとえ松本市長は変節しても、地元民意は圧倒的に「移設反対」なのです。

 その共産党は、松本市長への抗議の中で、「新軍港は未来永劫市民の安心、安全な生活を奪う米海兵隊の危険な出撃基地となる」(しんぶん「赤旗」4月23日付)と指摘しました。また、沖縄防衛局に対しても、「新たに建設される軍港について『浦添市発展の新たな阻害要因となることは明らかだ』として、那覇軍港の無条件返還と移設計画断念、新軍港の計画概要の明示を要請」(琉球新報5月8日付)しました。
 きわめてまっとうな主張・要求です。であるなら、共産党はなぜ、新軍港を容認・推進する翁長知事に抗議し、容認撤回を申し入れないのでしょうか。

 那覇軍港の浦添移設に一貫して反対し、粘り強い活動を続けている浦添市在住のシンガー、まよなか・しんや氏が沖縄タイムス(3月22日付)に投稿した「論壇」の一節を紹介します。

 「今、私たちはオスプレイ配備撤回と普天間基地閉鎖と辺野古・高江新基地NO!のオール沖縄の島ぐるみの闘いを展開中だが、与那国・下地島への自衛隊配備や浦添新軍港NO!も含めたオール沖縄の闘いをする時ではないでしょうか。安倍政権による『戦争する国』づくりのための琉球弧丸ごと日米軍事要塞化を阻止するために

 翁長氏はこの声にどう応えるのでしょうか。


「撤回可能」意見書を翁長知事はなぜ棚上げするのか

2015年05月09日 | 沖縄・辺野古

          

 5月1日、沖縄の法律家・学者グループが、翁長雄志知事(写真中)に対し、画期的な意見書を提出しました。琉球新報、沖縄タイムスは大きく取り上げましたが、本土メディアをほとんど報じていません。しかしこれは辺野古新基地を阻止するうえで、きわめて重要な提言です。

 「『撤回、法的に可能』 辺野古埋め立て 識者、県に意見書」「強力な選択肢提示」(2日付琉球新報)
 「埋め立て承認『撤回可能』 弁護士・研究者、県に意見書 『公益』が『不利益』上回ればいい」(同沖縄タイムス、写真左)

 意見書を提出したのは、「撤回問題法的検討会」。メンバーは沖縄弁護士会の新垣勉氏ら弁護士3人と、仲地博沖縄大学学長ら学者2人の計5人。ことし1月に結成され、検討を続けてきました。「長く在沖米軍基地問題を研究してきた第一人者らが作成した意見書の有効性は極めて高い」(琉球新報、同)とみられています。

 意見書はどういう内容なのか。琉球新報に掲載された「要旨」から、抜粋します。

 瑕疵の存在を理由に行う「取り消し」と承認後に公益判断を行った結果行う「撤回」は、理由や効力発生時が異なることから、別々の行政行為と位置付けることになる。従って「取り消し」の前に「撤回」を先行させることは法的に可能だ。
 撤回により、沖縄防衛局は「国防上の不利益」と「外交上の不利益」が生じるとするはずだ。・・・(しかし)そもそも埋め立て承認の可否を判断する際に、国防や外交の不利益は(公有水面埋立法では)考慮すべき事項とされていない
 (普天間基地の)「危険性の除去」は米軍基地を提供している内閣の責任に属する問題なので、県に責任を転嫁しうるものではない。危険性の除去が遅滞する責任はもっぱら内閣にある。
 比較衡量されるべきは「普天間基地の危険性除去の遅滞」と「米軍新基地が建設されないことによる県の公益」だ。知事が両者を比較衡量し、後者の公益が前者を上回るという判断をすることには、沖縄の実情を踏まえると、十分な合理的理由がある。撤回を認める要件は十分充足され、撤回判断を「違法」と判断する事情・事由はないと言える。(カッコ内は引用者・私)

 安倍政権が民意を無視して辺野古新基地を強行しようとしている唯一の「法的根拠」は、公有水面埋立法に基づいて仲井真弘多前知事が行った「埋め立て承認」です。翁長氏はその「承認」に法的に瑕疵があれば「取り消し」できるとして、「第三者委員会」に検討させています。その結論は7月に出る予定とされています。
 それに対し、今回の識者らの意見書は、「取り消し」と「撤回」は「別々の行政行為」だから、委員会の結論を待つまでもなく、「撤回」はただちに行うことができる、というものです。

 この結論自体は目新しいことではありません。翁長氏自身も知事選の公約では、自分が当選することが新たな公益となって「撤回できる」と言っていたのですから。今回の意見書の意味は、それを法律の専門家が時間をかけて検討し、たとえ裁判になっても大丈夫なほど法的に確かであると証明したことです。そして、それを翁長知事宛ての意見書として公式に示したことです。

 翁長氏が直ちに埋め立て承認を撤回することは可能であり、必要であることが、あらためて浮き彫りになりました。

 ところが翁長氏は、意見書を受けとって8日間、それについて一言も言及していません。意見は事実上棚上げされているのです。なぜ翁長氏は意見書に応えようとしないのでしょうか。

 翁長氏は7月までに自ら訪米して米議会関係者らに訴えるとしています。しかし、翁長氏の「親書」を携えて先行訪米した玉城デニー衆院議員(生活)は、こう述べています。

 「米国の政治家の関心は、翁長雄志知事が承認の取り消しや撤回をするかどうか。移設(の是非)は過去の問題という扱いだ」「知事訪米には具体的な提示が重要だ」(9日付沖縄タイムス)

 「撤回」という法的具体策を行使しないまま訪米しても、問題にされない、という警鐘です。

  辺野古では一昨日も市民にケガ人が出ました。翁長氏が承認を撤回すれば、辺野古の事態は止まるのです。ケガ人も出なくてすむのです。それなのになぜ翁長氏は頑として撤回しようとしないのでしょうか。

 不可解といえば、沖縄・辺野古の動きをいつも克明に報じている日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が、この注目すべき意見書について、一行も報じていないのは、いったいなぜなのでしょうか。