九州朝鮮中高級学校を無償化制度からは排除している問題について、福岡高裁(矢尾渉裁判長)は30日、卒業生ら原告の訴えを退ける不当判決を下しました(写真左)。広島高裁の不当判決(今月16日)に続くもので、広島、九州の裁判はいずれも最高裁で争われることになります(写真中・右は広島)。
判決内容は先の広島高裁、あるはすでに最高裁で敗訴した東京、愛知、大阪の裁判同様、憲法原則に立った違法性の判断は一切捨象し、政府の差別政策を追認するきわめて不当なものです。
自民党政府の差別政策は法的に許されないだけでなく、経済的に朝鮮学校を苦境に追い込んでいます。無償化からの排除、それに連動した自治体の補助金カット、さらにコロナ禍によって、朝鮮学校の運営は困難をきわめ、生徒家庭の家計は圧迫され、現実に朝鮮学校をやめる生徒が増えているといいます。このままでは朝鮮学校は存亡の危機に立たされると言っても過言ではないでしょう。そして、それこそが自民党政府の狙いではないでしょうか。
龍谷大学の金尚均教授は、「朝鮮学校で学ぶ子どもたちは日本の植民地支配の生き証人であり、日本の歴史修正主義者たちや過去の植民地支配を肯定する人たちにとって「目の上のたんこぶ」であ(る)」と指摘。そしてこう述べています。
「権利を奪われた人たちは、その社会で存在はあっても人びとの認識の中からは消えていく。困ったときに助けよう、援助しようという意識がそちらに向かない。…公共的関心から消えてしまう」(月刊「イオ」11月号)
ただでさえ朝鮮学校・在日朝鮮人に対する関心が希薄な日本人の意識から「公共的関心が消えてしまう」―大変なことです。
それは、歴史修正主義者らの思うつぼであると同時に、日本人・日本社会全体が植民地支配の歴史を肯定してしまうことになります。
朝鮮学校が日本に存在し、自主的な民族教育が行われることは、私たち日本人にとってもきわめて貴重であることを銘記する必要があります。
「朝鮮学校が日本社会のなかで占める存在意義は、在日朝鮮人の教育ニーズを満たすのみならず、そこで学ぶ子どもたちが日本への理解を深め、在日コリアンと日本人、朝鮮半島と日本社会とを結びつける架け橋となる人材が育つところであり、日本社会に朝鮮の民族文化を紹介し日本人との国際交流を深める多民族多文化共生のシンボルとなりうるということである」
「朝鮮学校は、日本社会が他民族にたいし、どのような対応をしている社会なのかを雄弁に示す試金石ともなっている。国連など国際社会は、ある国における少数者の境遇は、その社会のあり方を最も顕著に示すものであるという考え方に立っている。「真理は細部に宿る」ともいえる」(朴三石・朝鮮大学教授著『知っていますか、朝鮮学校』岩波ブックレット2012年)
朝鮮学校は、日本人・日本社会が、植民地支配の加害の歴史にどう向き合っているかを示す試金石です。同時にそれは、国際的視野が乏しい日本人が偏狭ナショナリズムを打破する契機となる貴重な宝です。
朝鮮学校の危機は日本社会の危機です。私たちは日本社会の宝を守らねばなりません。そのためにまず、高校無償化、幼児教育無償化から朝鮮学校を排除している日本政府の差別政策を直ちにやめさせなければなりません。