アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

朝鮮学校の危機は日本社会の危機

2020年10月31日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    
 九州朝鮮中高級学校を無償化制度からは排除している問題について、福岡高裁(矢尾渉裁判長)は30日、卒業生ら原告の訴えを退ける不当判決を下しました(写真左)。広島高裁の不当判決(今月16日)に続くもので、広島、九州の裁判はいずれも最高裁で争われることになります(写真中・右は広島)。

 判決内容は先の広島高裁、あるはすでに最高裁で敗訴した東京、愛知、大阪の裁判同様、憲法原則に立った違法性の判断は一切捨象し、政府の差別政策を追認するきわめて不当なものです。

 自民党政府の差別政策は法的に許されないだけでなく、経済的に朝鮮学校を苦境に追い込んでいます。無償化からの排除、それに連動した自治体の補助金カット、さらにコロナ禍によって、朝鮮学校の運営は困難をきわめ、生徒家庭の家計は圧迫され、現実に朝鮮学校をやめる生徒が増えているといいます。このままでは朝鮮学校は存亡の危機に立たされると言っても過言ではないでしょう。そして、それこそが自民党政府の狙いではないでしょうか。

 龍谷大学の金尚均教授は、「朝鮮学校で学ぶ子どもたちは日本の植民地支配の生き証人であり、日本の歴史修正主義者たちや過去の植民地支配を肯定する人たちにとって「目の上のたんこぶ」であ(る)」と指摘。そしてこう述べています。
 「権利を奪われた人たちは、その社会で存在はあっても人びとの認識の中からは消えていく。困ったときに助けよう、援助しようという意識がそちらに向かない。…公共的関心から消えてしまう」(月刊「イオ」11月号)

 ただでさえ朝鮮学校・在日朝鮮人に対する関心が希薄な日本人の意識から「公共的関心が消えてしまう」―大変なことです。

 それは、歴史修正主義者らの思うつぼであると同時に、日本人・日本社会全体が植民地支配の歴史を肯定してしまうことになります。

 朝鮮学校が日本に存在し、自主的な民族教育が行われることは、私たち日本人にとってもきわめて貴重であることを銘記する必要があります。

 「朝鮮学校が日本社会のなかで占める存在意義は、在日朝鮮人の教育ニーズを満たすのみならず、そこで学ぶ子どもたちが日本への理解を深め、在日コリアンと日本人、朝鮮半島と日本社会とを結びつける架け橋となる人材が育つところであり、日本社会に朝鮮の民族文化を紹介し日本人との国際交流を深める多民族多文化共生のシンボルとなりうるということである」

 「朝鮮学校は、日本社会が他民族にたいし、どのような対応をしている社会なのかを雄弁に示す試金石ともなっている。国連など国際社会は、ある国における少数者の境遇は、その社会のあり方を最も顕著に示すものであるという考え方に立っている。「真理は細部に宿る」ともいえる」(朴三石・朝鮮大学教授著『知っていますか、朝鮮学校』岩波ブックレット2012年)

 朝鮮学校は、日本人・日本社会が、植民地支配の加害の歴史にどう向き合っているかを示す試金石です。同時にそれは、国際的視野が乏しい日本人が偏狭ナショナリズムを打破する契機となる貴重な宝です。

 朝鮮学校の危機は日本社会の危機です。私たちは日本社会の宝を守らねばなりません。そのためにまず、高校無償化、幼児教育無償化から朝鮮学校を排除している日本政府の差別政策を直ちにやめさせなければなりません。


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放射能汚染水の海洋放出を許してならない4つの理由

2020年10月29日 | 公害・原発・環境問題

    
 東京電力福島第一原発は毎日約140㌧の放射能汚染水を出しています。これまでたまった汚染水は123万㌧(9月末現在)。2022年10月には貯蔵容量の限界に達します。東電と自民党政権は汚染水を海に放出しようとしています。27日に予定していた正式決定は延期しましたが、方針は変えていません。海洋放出は絶対に許すことはできません。少なくとも4つの重大な問題があります。

 1に、住民・市民の圧倒的な反対です。

 政府の「海洋放出方針」に対し、4月15日から始まった意見公募(パブリックコメント)は異例の3回の締め切り延長で7月31日まで行われました。結果、4011件の意見が寄せられました。このうち「処理水は人体に有害だ」などとして安全性を懸念した意見が約2700件、「漁業者らが反対する中で結論を出すべきではない」とプロセスに対する懸念・反対意見が約1400件(重複を含む)。住民・市民の懸念・反対は圧倒的です(10月23日付共同配信)。

 2に、理解が得られなければ放出しないというのは東電の公約です。

 2015年8月、福島県漁業共同組合連合会と東電の話し合いの中で、組合連合会は、「建屋内の水は…漁業者、国民の理解を得られない海洋放出は絶対に行わないこと」という「要望書」を提出しました。
 これに対し東電は、「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わず、多核種除去設備等で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留いたします」(2015年8月25日)と回答しました(「今、憲法を考える会通信」9月29日号所収、これ以上海を汚すな!市民会議・片岡輝美氏の論稿より)。
 反対を押し切って海洋放出はしないというのは漁業組合、住民、国民に対する東電の公約です。反故にすることは絶対に許されません。

 3に、汚染水には各種の放射性物質が含まれており、放出は重大な放射能被ばくを招きます。

 汚染水は多核種除去設備によってトリチウム以外の62核種の放射性物質を除去する、というのが東電と政府の言い分でした。しかし、国際環境団体グリーンピースは10月23日に報告書を発表し、「汚染水にはトリチウムのほかにも炭素14、ストロンチウム90、セシウムなどさらに危険な物質が含まれているにもかかわらず、日本政府はこうした事実をきちんと伝えていないと批判」(24日付ハンギョレ新聞)しました。

 汚染水の海洋放出によって重大な被ばくが生じるのは明らかです。「全国被爆二世団体連絡協議会」(崎山昇会長)は今月22日、菅首相に対し、「ALPS(多核種除去設備)処理水の海洋放出・大気放出を行わないことを求める要請書」を提出しました。その中でこう強調しています。
 「国策による福島第一原発の事故によって、多くの被ばく者が生み出され、今も「公衆の被ばく限度」を超える被ばくを強いられている人たちがいます。私たちは、原爆による核の被害者として、これ以上ヒバクシャ、放射線による被ばく者を生み出すことを容認できません

 汚染水の恐怖はけっして「風評被害」ではありません。東電と政府によって生み出されている根拠ある恐怖です。

 第4に、海洋放出は世界に放射能被害を拡散し、とりわけ隣国・韓国に直接大きな影響を与えます。

 韓国の与党「共に民主党」のイ・ナギョン代表は22日、日本の冨田浩司駐韓大使に「すべての情報を透明に公開し、国際社会の同意を得ながら事を進めるべきだ」と申し入れました。また、国会科学技術情報放送通信委員会は23日、「国際社会と隣接国家の同意なき放出推進を中止することを厳重に求める」と決議しました(24日付ハンギョレ新聞より)。

 ハンギョレ新聞は社説(24日付)でこう主張しています。
 「菅政権には、放出決定を強行すれば、韓日関係の改善はいっそう難しくなるということを明確に認識することを望む。放射能汚染水の放出による健康・環境被害、韓日関係の悪化は取り返しがつかない

 東電、菅政権による放射能汚染水の海洋放出を阻止することは、私たち日本人の国際的責任です。

 

 


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核兵器禁止条約批准要求に欠落している視点

2020年10月27日 | 核兵器と日米安保

    
 核兵器禁止条約が発効に必要な50カ国の批准によって来年1月22日に発効することになったのは画期的です。それは確かですが、関係者のコメントや日本のメディアの論評には肝心な点が欠落しているのではないでしょうか。

 それは、同条約を批准しようとしない日本政府を批判し、「核抑止力」論を否定しながら、その根源である日米安保条約=日米軍事同盟についてはまったく触れていないことです。

 日本がアメリカの「核のカサ」の下に入り、「核抑止力」論に固執しているのは、アメリカとの軍事同盟があるからです。日本政府が同条約に背を向け続けていることを批判し、批准を要求するなら、当然日米軍事同盟からの脱却、すなわち日米安保条約の廃棄に言及すべきです。
 それがまったくないことは、「安保タブー」が核兵器廃絶運動にも浸透していることを示しているのではないでしょうか。

 日米安保条約はアメリカの核戦略に追随し、その覇権主義の片棒を担ぐことです。言い換えれば、アメリカとともに世界の紛争・戦争の加害の側に立つことです。日本が1945年の敗戦までの侵略・植民地支配の加害の責任を肝に銘じていれば、同じ過ちは犯さないはずです。 

 日米安保=日米軍事同盟に固執し、その廃棄をタブーにさえしていることは、日本が侵略戦争・植民地支配の加害責任をとろうとしていないことと一体不可分です。軍事同盟の廃棄と結合しない「核兵器廃絶運動」は、日本の加害責任を問わない運動の弱点を表しているのではないでしょうか。

 3年前の2017年7月に採択された同条約が、コロナ禍の今年発効条件を満たしたことは、意味のある歴史のめぐりあわせだと思います。

 コロナ禍は日本のみならず世界の政治・経済・社会のあり方を根本的に問い直しています。自然・環境を破壊し、紛争・戦争によって世界の貧困、経済格差を広げてきた人類の愚行に反省を迫っているはずです。その愚行を改めるには、なんといっても世界から兵器・軍隊・軍事同盟・軍事ブロックを一掃することではないでしょうか。

 ICANの川崎哲国際運営委員は先に、「防衛費」の一部をコロナ対策の医療費に回すべきだとして独自の試算を発表しました(7月26日付共同配信)。重要な指摘です。しかし、今必要なのは「防衛費」の一部を回すだけでなく、「防衛費」すなわち軍事費全体をなくする方向へ舵を切ることではないでしょうか。

 いまこそ日本は日米安保条約を廃棄し、日米軍事同盟を解消すべきです。そして、侵略戦争・植民地支配の加害の歴史の反省に立って、アジアの一員として、韓国、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、中国と真の友好関係を結ぶことです。核兵器禁止条約の発効は、そのことを私たちに求めているのではないでしょうか。


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菅政権の学術会議攻撃と世論の危うさ

2020年10月26日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義

    
 菅義偉内閣が発足して40日になり、菅首相は26日国会で初の所信表明演説を行います。この間特筆すべきことは何と言っても6人の会員任命拒否で表面化した日本学術会議攻撃です(写真左。菅氏の右は黒幕の1人とみられる杉田和博官房副長官)。それは菅政権の悪質さを早々に露呈したものですが、見過ごせないのはこの問題をめぐる「世論」の状況です。

 共同通信が17、18日行った世論調査によると、「首相による任命拒否の説明」が「不十分」とした人は72・7%の高率にのぼりました(「十分」は16・1%)。当然でしょう。なにしろ「総合的、俯瞰的」しか言っていないのですから。

 ところが、同じ調査で、「学術会議をめぐる首相の対応」を「不適切だ」と答えたのは45・9%にすぎず、「適切だ」が35・5%もありました(20日付沖縄タイムス)。「説明不十分」の数字とのアンバランスは顕著です。

 その理由は調査(記事)では触れられていませんが、「首相の対応」で考えられるのは、「10億円の予算」を強調して学術会議を「行革」の対象にし「あり方を見直す」と表明したことくらいしかありません。
 菅首相の「あり方見直し」表明は、任命拒否問題から論点をそらすものですが、少なくない「世論」は必ずしもそうは見ていないと言えそうです。

 「学術会議のあり方を見直すべきだ」という菅政権に同調する「世論」があるとすれば、それはなぜなのでしょうか。学術会議が年間数十件の提言を発表するなど活発な活動をしている実態を多くの市民は知らないでしょう。にもかかわらず「見直すべきだ」と思わされているとしたら、なぜなのか。

 任命拒否問題が表面化した直後、安倍晋三前首相の側近の1人、甘利明自民党税調会長がSNSで学術会議が中国の「千人計画」に協力しているというデマを流しました(写真中)。大西隆元学術会議会長に直ちに「全く無関係」と抗議され(写真右)、「訂正」しましたが、その後もSNSでは学術会議に対するデマが流布しているといいます。

 「そうしたデマが支持されてしまう背景には、知識人が「特権階級」とみなされ、一部の庶民感情から反発を買っているという事情があるようだ。そのため不確かな情報の断片から、敵意に満ちた言説が次々と形作られていく。その核となっているのは「反日」と「税金」という二つのキーワードだ」。伊藤昌亮成蹊大教授はそう指摘します(22日付中国新聞=共同)。
 「一部の庶民感情は、携帯電話会社への値下げ圧力を歓迎するのと同じような感覚で、学術会議への圧力を応援しているのではないだろうか。そこに現れてきたのは、右派ポピュリズムの新たな姿だろう」(同)

 政権による任命拒否・学術会議攻撃は、憲法や日本学術会議法など法的視点からみて違法・違憲であることは明白です。しかし、そうした論理的批判とは別次元で、「反日」や「税金」(10億円)をキーワードにデマが影響を及ぼす世論状況がある。それは在日朝鮮・韓国人に対するヘイトスピーチ・クライムと通底するものではないでしょうか。

 菅政権による学術会議攻撃は、そうした日本社会の危うい世論状況ともかかわっている問題であり、その状況を変えていく課題でもあることを銘記する必要があると思います。


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日曜日記120・権力の造語・ガラス越しの面会

2020年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

☆権力の造語

 菅首相のベトナム、インドネシア訪問(10月19~21日)の報道で、何度も「防衛装備品の移転」という言葉が出てきた。これは何?「武器輸出」のことだ。この言い換えで、戦争のための人殺し兵器の売り込みという忌まわしい実態が隠される。言い換え・造語で実態を覆う。権力の常とう手段だ。

 たとえば、「韓国併合」←朝鮮半島占領・植民地化、「創氏改名」←朝鮮名はく奪、「琉球処分」←琉球侵略・植民地化、「日米安保」←日米軍事同盟、「自衛隊」←日本軍、「行政改革」←公共サービス切り捨て、「サービス残業」←時間外無給労働、「防犯カメラ」←監視カメラ…。

 きりがない。最近気になっているのが、「ヤングケアラー」だ。スポーツ選手のようにソフトに聞こえるが、要するに「若年介護者」のことだ。政府の低福祉政策の下で、小中高生にまで家族介護の負担がのしかかっている。青少年の犠牲を隠す言葉だ。

 権力が支配の実態を覆い隠し、市民の反対・抵抗を抑えるため、聞こえのいい言葉を生み出す。それを記者クラブを通じてメディアにレクチャーし、メディアがそのままテレビ・新聞で流す。それを市民は疑いもなく受け入れ、馴らされる。

 こうした言葉・造語による支配の構造を打ち破らねばならない。権力とメディアの言葉は、市民の立場から翻訳し、実態を見抜かねばならない。

☆ガラス越しの面会

 コロナ禍で面会禁止になっていた母のグループホームが、20日から「ガラス越し面会」を始めた。裏口でガラス戸越しに対面し、携帯(スマホ)で会話する。利用者家族の要望に応えたものだ。

 さっそく面会に行った。車いすの母は思ったより元気そうでほっとした。老衰(94歳)に認知症が加わり、スタッフにスマホを耳にあててもらっても聞こえていないようだ。それでも、視線をこちらに向ける。スタッフが「よかったね」と話しかけると、うなずいた(ように見えた)。

 母は何がどれだけ分かっているのだろうか。何が見え、何が聞こえているのだろうか。「認知症」で薬も飲んでいるが、どこまで認識できているのだろうか。

 間違いなく近づいてきている「終末」。どこまで、どんな医療行為を行うことを母は望んでいるのだろうか。言葉を出せない母の意思を察するのは難しい。コロナ禍でじかに会えなくなってその難しさは増している。しかし、判断しなければならない。


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首里城復元と天皇制・皇民化政策

2020年10月24日 | 沖縄と天皇・天皇制

    
 沖縄・首里城が炎上して今月31日で1年になります。沖縄では復元・再興の計画、議論が進んでいますが、その中で問題になっているのが、正殿の上り口にある2本の大龍柱の向きです。正面向きか対面か。

 ささいな問題のように思われますが、決してそうではありません。沖縄の人々にとっては大きな問題です。いいえ、沖縄の人たちだけでなく、「本土」の私たち日本人にも深いかかわりがあります。いやむしろ、私たちこそ注視しなければならない重要問題です。

 1年前に首里城が焼失する前は、大龍柱は左右向き合っていました(写真左)。「大龍柱を考える会」(大田朝章代表)はこれを正面向きに直すべきだと主張しています。その理由を、大田代表はこう説明します。

  1. 昭和初期に首里城正殿が沖縄神社の拝殿として解体修理される前の写真では全て正面向きだった。
  2. 沖縄神社拝殿は国家神道の名残であり、そこで採用された相対向きは、日本国憲法第20条の信教の自由の趣旨に反する。(10月2日付沖縄タイムス)

 沖縄戦(1945年)で破壊された首里城の復元(1992年)に中心的役割を果たした西村貞雄琉球大名誉教授もこう指摘します。
 「大龍柱の存在意義や前脚の構え、龍が持つ宝珠の位置付けなど、総合的に考えると、御庭に対して正面向きだったと判断される」(10月23日付琉球新報)

 これに対し、国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」の高良倉吉委員長(琉球大名誉教授=写真右。仲井真弘多県知事時代の副知事で、2013年4月28日=沖縄屈辱の日に安倍政権が行った「主権回復」式典―天皇・皇后出席―に、県民の反対を押し切って仲井真知事代理として出席)は、首里王府の公式記録(「寸法記」1768年)などで「大龍柱は向き合っている」として、あくまでも対面を主張しています(10月14日付琉球新報)。

 首里城の大龍柱は正面向きに直すべきか、対面のまま復元すべきか。その判断は今後沖縄の人々によって進められるでしょう。しかし私たち「本土」の日本人が忘れてならないのは、大龍柱の向きの変遷が示す琉球・沖縄と日本の関係史です。

 1879年、琉球は明治天皇制政府によって武力で併合・植民地化され、首里城は日本人に乗っ取られました。その後、帝国日本が東アジア侵略・植民地支配をすすめる中で、沖縄の皇民化政策が強化され、首里城正殿は沖縄神社の拝殿とされました(1933年)。そして、沖縄戦で帝国日本第32軍がここに司令部を置いたことにより、首里城は破壊されたのです。

 「1879年3月28日夕(日本による武力侵攻―引用者)、大龍柱はどこを向いていたのか。それを確認することは、国を滅ぼされ、王を失った城のその後の歳月を知ることでもある。国王や国の火ヌ神が不在となり、日本軍兵士が跋扈した首里城。そこでなされた大龍柱をへし折る行為と、向きを改変するなどの破壊行為は同一線上にあるといっていい。

 折られ、短小化され、向きを変えられた大龍柱は、沖縄の近現代の歩みを象徴しているように思う。誰が向きを変えたのか。その意味は何か。昨年の首里城火災は不幸な出来事だったが、歴史を根源的に問い直す機会を沖縄社会にもう一度与えたと考えたい」(後田多敦神奈川大准教授、10月7日付沖縄タイムス)

 琉球侵略・植民地化、天皇制・皇民化政策の歴史。それを「根源的に問い直す」必要があるのは、「本土」の私たち日本人の方です。


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事実を偽るNHKの古関裕而美化は何を意味するか

2020年10月22日 | メディアと日本の政治・社会

    
 NHKの看板番組・朝ドラの「エール」が作曲家の故・古関裕而をモデルにしている問題については以前書きましたが(5月19日、9月27日のブログ参照)、話の展開が戦中から敗戦後に移ってきた先週から今週にかけ、問題性がいっそう目立ってきました。それは、事実を偽って古関を美化していることです。

 「エール」では、古関をモデルにした主人公が、自ら作った軍歌の数々(たとえば「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」)が若者を戦場に駆り立てたことへの自責の念に苦しみ、1年半以上にわたって作曲活動が行えず、1947年7月に菊田一夫(役名は異なる)と知り合い、「戦争孤児」を励ます「鐘の鳴る丘」の主題歌で復活する、という展開になっています。

 これは事実に反しています。

 古関の自叙伝の「年譜」にはこう書かれています。
 「昭和20年 10月 NHK連続ラジオ・ドラマ「山から来た男」で、終戦後初めて菊田(一夫)氏とコンビを組む」(古関裕而著『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝』集英社文庫)

 古関はすでに1937年には菊田一夫と知り合っています。そして、敗戦から2カ月後には早くもラジオドラマの主題歌を書いているのです。1年半以上自責の念で作曲できなかったという事実はまったくありません。
 「鐘の鳴る丘」が47年7月から始まったのは事実ですが、敗戦からそれまでに古関は実に32曲の作曲を行いレコード化されています(刑部芳則著『古関裕而』中公新書より)。

 古関自身、敗戦直後の様子をこう記しています。

 「終戦後、初めての仕事が菊田一夫さんとの仕事であった。これもなにかの縁なのだろうか。それからの私の音楽は、菊田さんの行くところへとついて行く。まるで、拍車をかけて走る二輪車が、留まるところを知らずに走っているようだった。よくもあれだけ多くの仕事をかかえていたものだと思う。健康な体にも感謝したい」(前掲『古関裕而自伝』)
 ここには、失意どころか、戦争協力に対する反省すらうかがえません。

 「エール」はあくまでもドラマ・フィクションでありドキュメンタリーではないといわれるかもしれません。しかし、「エール」が多くの部分で古関の経歴・足跡にしたがって作れていることは確かです。しかも、軍歌をはじめ作曲した曲名や歌詞は実物です。つまり「エール」は大筋事実の中に虚偽を織り交ぜてつくられているもので、それだけに一層罪が深いと言わざるをえません。

 古関裕而という一作曲家にそれほどこだわる必要はない、と思われるかもしれませんが、決して軽視できない理由があります。

 第1に、古関の美化は侵略戦争・植民地支配の日本の加害責任棚上げと通底します。戦争に積極的に協力した古関が敗戦後は「日本の復興・平和のため」に貢献したというストーリーは、戦争・植民地支配責任をとらないまま「戦後復興」にまい進した日本の姿の投影といえるでしょう。

 「エール」の主人公が、脚色されている中でも、日本の若者を戦場に駆り立てたことには「自責の念」をもったと描きながら、自分の曲がアジアを侵略し殺戮した“行進曲”になったことの責任を微塵も感じていないのは、日本の姿を端的に示しています。

 こうしたストーリーは、安倍・菅政権の下で、朝鮮半島の戦時強制動員(「徴用工」)問題の責任回避が続けられていることと無関係ではないでしょう。

 第2に、古関と自衛隊の関係です。
 古関は敗戦後、数々の自衛隊歌を作曲し、それらは今も隊内で演奏され歌われています。自衛隊創設20年を記念して作られた隊歌「栄光の旗の下に」(写真右)、「この国は」、「君のその手で」、「聞け堂々の足音を」、海上自衛隊の隊歌「海をゆく」などはみな古関の作曲です(「ウィキペディア」より)。

 憲法違反の軍隊である自衛隊は、歴史的にも組織的にも旧帝国軍隊を引き継ぐものです。古関が帝国軍隊の軍歌に続いて自衛隊の多くの軍歌を作曲している事実は、たんに古関の戦争加担への無反省を示すだけでなく、自衛隊の本質、日本軍隊の連続性を象徴するものといえるでしょう。

 自衛隊は日米軍事同盟の下、米、英、豪、印などとの合同訓練を繰り返し、実戦体制を強化しています。隊内では士気を鼓舞するために古関の曲が歌われ演奏されています。その古関を事実を偽って美化することは黙過できません。

 しかもNHKは広島局による朝鮮人差別が大きな問題になっている最中です。「公共放送局」としての責任が改めて厳しく問われます。


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深刻な非正規公務員の「やりがい搾取」

2020年10月20日 | 差別・人権

   
 非正規労働者に対する差別についての最高裁判決が13日(写真左)と15日に相次いで行われました。非正規労働問題は、言うまでもなく当事者だけでなく日本社会全体の問題ですが、それが顕著に表れているのが、非正規公務員労働の過酷な実態です。コロナ禍で問題はいっそう深刻になっています。

 中国新聞は「非正規公務員の嘆き」と題した連載を行いました(9月16日~21日)。この中で、「やりがい搾取」といわれる深刻な実態があることが明らかにされました(写真中)。非正規公務員とりわけ女性労働者の仕事への使命感につけこんで、低賃金・重労働・不安定雇用を強いる。それが「やりがい搾取」です。以下、同連載から。

 非正規公務員の数は、国家公務員が約15万人(職員全体の36%、男性55%、女性45%、2019年)。地方公務員は約64万人(女性75%、男性25%、2016年)。
 地方公務員の平均月給は、正規職員=36万2047万円(2019年)に対し、非正規は、保育士が17万4287円、看護師が21万7965円、教員が25万7839円など(2017年)。

 非正規公務員の職場は、役所の事務(写真右)のほか、婦人相談員、保育士、教員、図書館司書、ハローワーク相談員、給食調理員など、まさに住民に直結した数々の現場に広がっている。
 なかでも婦人相談員は、全国に1447人いるが、その8割は非正規。
 広島県内の女性(52)は、勤務時間は週30時間だが、携帯電話は話さない。休日でも夜中でも「夫から逃げたい、助けて」などのSOSが入るから。
 時間外の相談はすべてボランティア。勉強会があっても経費は使えない。休日をつぶして自費で出掛ける。それで手取り給与は月約10万。飲食店のアルバイトなど複数かけもちして費用を捻出。
 「もう限界かなって。相談者を守るより前に、まずは自分自身を守る環境が必要です」。それでも踏ん張るのは、「(相談者が)わずかでも一歩を踏み出す後押しができて、私も胸をなでおろす」瞬間があるから。しかし最近つくづく思う。「これって『やりがい搾取』じゃない?

 夫の暴言などに悩む広島市内の30代女性は、連載を読んでこう投稿しました。「弱者の味方になる人たちを、こんなに安く使っていたなんて」「相談する方も申し訳なくて気が引ける。これは国からの暴力ですよ」(10月2日付中国新聞)

 もちろん、非正規公務員の過酷な実態は男性にもあります。しかし、その犠牲が女性により重いことも事実。ジャーナリストの竹信三恵子さんは、そこには「家事ハラ(家事労働ハラスメント)」と「ジェンダー秩序」が重なっていると指摘します(『官製ワーキングプアの女性たち』岩波ブックレット、2020年9月)。
 「家事ハラ」とは、「女性が無償で担ってきた家事やケア的な仕事の価値を貶め、家事や育児などを抱えた労働者を蔑視して職場から排除しようとするハラスメントの総体」を指す竹信さんの造語です。

 さらに、今年度から正規との格差をいっそう広げる「会計年度任用職員制度」なるものが始まりました。
 上林陽治氏(地方自治総合研究所研究員)は、「二〇二〇年四月一日を挟んで、非正規公務員は二つの惨劇に襲われる事態」になっているとし、「会計年度任用職員制度」と「コロナウイルス禍」をあげ、「非正規化が進展している相談支援員に、低処遇と業務量増による感染リスクのアンバランスが集中」していると指摘。こう警鐘を鳴らします。

 「コロナウイルスは正規・非正規を選びません。その点は公平です。ところが感染リスクの高い現場に非正規を選んで配置しているのは人なのです。ここに正規・非正規の処遇格差が加わると、非正規のモチベーションは下がり、離職へのドライブがかかります。「やりがい」だけでは仕事を続けていけない事態が目の前に迫り、非正規公務員に丸投げしてきた公共サービスは崩壊の危機を迎えています」(同上『官製ワーキングプアの女性たち』)

 非正規公務員の善意・使命感につけこむ「やりがい搾取」。いかにも日本的な支配方式ではないでしょうか。コロナ禍で家庭・職場内の困難な状況が増すなか、相談支援員はじめ公務労働はまさに市民のライフラインです。それがこうした実態であることは、公共サービスだけでなく社会全体の崩壊の危機ではないでしょうか。


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日本学術会議攻撃と中曽根追悼強要の隠れた接点

2020年10月19日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義

    

 菅首相の任命拒否による日本学術会議攻撃。それと時期を同じくして行われた中曽根康弘元首相合同葬(17日、写真左)における国立大学などへの弔意要請(事実上の強要)=中曽根政治賛美強要。いずれも学問・研究の自由、思想・信条の自由に対する干渉、圧力で共通しています。コロナ禍での巨額(9600万円)の税金無駄遣いとともに、これだけでも重大な問題ですが、両者の関係・接点はそれだけではありません。

 菅首相は弔辞で、「(中曽根氏の)改革の精神を受け継ぐ」と述べました(写真中)。中曽根氏は首相在任期間中(1982.11.27~87.11.6)の5年間に、「戦後政治の総決算」を掲げ多くの悪政を強行しました。中でも特筆されるのが、「臨調行革」(第二臨調の会長は土光敏夫元経団連会長)です。財界の意向に忠実に従い、「行政改革」の名で重要な公共サービスを次々切り捨て、大企業に払い下げました。国鉄、電電公社、郵政の民営化はすべて中曽根政権が行ったことです。

 この「臨調行革」の俎上に上げられた組織の中に、日本学術会議もあったのです。
 菅政権・自民党は任命拒否問題を逆手にとって、「行革」の名で学術会議を抜本的に換骨奪胎しようとしていますが、それは文字通り中曽根政治の「改革の精神を受け継ぐ」ものにほかなりません。

 隠れたもう1つの接点は、さらに重大です。

 菅氏は弔辞で、「わが国の国際的地位を大きく向上させた」と中曽根政治を礼賛しました。その意味は、中曽根氏が「日本列島不沈空母」を掲げ、レーガン米大統領(当時)との「ロン・ヤス関係」を強調し、日米軍事同盟(安保体制)をいっそう危険な段階に推し進めたことです。

 そして、それと表裏一体で中曽根氏が首相として初めて強行したこと、それが「靖国神社公式参拝」(1985年8月15日、写真右)です。
 侵略戦争・植民地支配の加害責任を棚上げどころか美化し、日米軍事同盟によって軍事国家体制を強化する。その象徴が「靖国公式参拝」でした。

 その重大性に、体制順応メディア下で暮らす日本人は鈍感でも、被害国は敏感です。たとえば、韓国のハンギョレ新聞は中曽根政権をこう評しています。

 「日本は…1980年代には米国の地位まで脅かす名実共に経済大国になる。…この時期の雰囲気をよく見せる人は、82年からの5年間を執権した中曽根康弘だ。彼は首相としては初めて靖国神社に参拝するなど、かつての帝国主義の遺産を受け継いだ新保守主義の誕生を知らせ、こうした政治はその後拡散して、現在の安倍政権で全盛期をむかえている」(2017年11月28日付コラム)

 新自由主義に基づく財界奉仕と日米軍事同盟による軍拡。その精神的・思想的土壌としての侵略戦争・植民地支配美化。その先鞭をつけたのが中曽根康弘氏であり、それを引き継いで暴走したのが安倍晋三氏、その後を忠実に歩こうとしているのが菅義偉氏です。

 日本学術会議に対する攻撃の根源は侵略戦争美化・軍事体制強化であり(8日のブログ参照)、それはまさに中曽根―安倍政治の濁流の一環であることを凝視する必要があります。
 菅氏が17日の靖国神社例大祭で官房長官時代は行わなかった「真榊」奉納を、安倍氏に倣って行ったことはけっして偶然ではありません。

 


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日曜日記119・朝鮮学校差別―日本人はどこを向く?

2020年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

     
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月16日午後3時、広島高等裁判所の門前。

 判決を待っていた約150人の生徒・保護者・支援者らの前に、「不当判決」「子どもたちを司法が見捨てた」の垂れ幕が掲げられた。「公正な判決を!朝鮮学校無償化適用」などの横断幕を掲げていた生徒たちは、怒りを内に秘め、無言だった。

 「最後までたたかうぞ!」シュプレヒコールに続き、集会は歌で締めくくられた。

 〽どれだけ叫べばいいのだろう 奪われ続けた声がある 聞こえるかい? 聞いているかい? 怒りがまた声となる 声よ集まれ 歌となれ

 女子生徒3人が記者からインタビューを受けていた。みんな涙で答えていた。抑えていた怒りと悲しみが溢れ出たように。

 午後4時過ぎ、弁護士会館で判決報告。

 足立修一弁護団長の報告に続き、原告の卒業生の男性が、在校生たちに「申し訳ない」と詫びた。声が涙でかすれた。「けっして下を向かない。在日朝鮮人の人権が認められる日まで、一緒にたたかいましょう」

 李昌興・広島朝鮮学園校長の声は、怒りで震えていた。「日本という国は、朝鮮人に何をしても許される国なのか。幼稚園の子どもから大学生まで、朝鮮とついたらみんな(無償化や給付金から)外される。それが現在進行形で行われている。日本の人たちはどれだけそれを知っているのか」

 何人かのチマ・チョゴリを間近に見た。ほんとうに美しいと思った。

 午後6時半。広島朝鮮学園の体育館で報告集会。

 朝鮮学校に初めて入らせてもらった。すれ違った3人の男子生徒みんなから元気のいいあいさつをもらった。

 原告の女性。「間違っていることには声を上げ続ける。あきらめなければ闘志の火は消えない。あきらめずに前を向こう。私たちは正しいと、声を上げよう」

 原告保護者の女性。「このたたかいは無償化の権利をかちとるだけではない。朝鮮人として自分のルーツに誇りをもって、日本で生きていくためのたたかいです」

 東京、大阪、京都、福岡、愛知でともにたたかっている人びとが激励と決意の言葉を贈った。ソウルからも支援を続けている「モンダンヨンピル」の代表が駆け付けた。

 生徒たちが舞台に上がった。代表して女子生徒が発言した。
 「私たちは下を見ずに前を向きます。私たちが下を向けば、喜ぶのは日本政府です。私たちはけっして負けたとは思っていません。むしろ大きな勝利を得たと思っています。日本人の支援者のみなさんがこんなに増えていることが何よりもうれしいから」

 涙がこみあげてきた。申し訳なさに体が震えた。増えてないよ、多くないよ。日本人は、これまでさんざん迷惑をかけながら、今もみんなの苦しみに目を向けていない、目を向けようとしていないよ。ごめん。

 「けっして下を向かない。前を向く」。今日、多くの在日のかたがたから聞いた言葉だ。
 では日本人はどこを向く?どこを向けばいい?

 在日朝鮮人・韓国人の人々へ顔を向けよう。その苦しみに目を向けよう。そして、一緒に「声」をあげよう。日本人の、そして私の再生はそこから始まるのだろう。


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