アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

ウクライナ戦争と「4・28」屈辱の日

2022年04月28日 | 天皇制と日米安保
   

 4月28日はサンフランシスコ講和条約・日米安保条約が発効(1952年)して70年です。日本国憲法が及ばない米軍占領下に取り残された沖縄は、この日を「屈辱の日」としています(写真中は51年9月8日の調印)。
 しかし、「4・28」が「屈辱の日」なのは、沖縄だけではありません。この日を境に日本全体が新たな屈辱の下に置かれました。その意味が、「ウクライナ戦争」の中であらためて問われています。

 敗戦後の最大の政治問題は講和条約の締結でした。焦点は、日本と交戦した55カ国すべてと講和条約を結ぶ「全面講和」か、アメリカ主導の「単独(片面)講和」かです。

 1948年、日本国憲法を擁護する学者・識者らが結集して「平和問題談話会」が結成されました。メンバーは、末川博、矢内原忠雄、大内兵衛、安倍能成、恒藤恭、丸山真男らそうそうたる顔ぶれです。
 1950年、「講和問題についての平和問題談話会声明」が出されました。その冒頭はこう述べています。

「今後における日本の民主化の一層の発展は…日本国民が講和の確立を通じて世界の諸国民との間に自由な交通と誠実な協力との関係を樹立することを以て、必須の条件とする。今や講和の確立及び占領の終結は一切の日本国民の切迫した必要であり要求である」(「世界」1950年3月号)

 この立場から同談話会は次の4つの方針を示しました。

①講和問題は、全面講和以外にない。
②日本の経済的自立は単独講和によっては達成されない。
③講和後は、中立不可侵とあわせて国連加盟を希望する。
④いかなる国に対しても軍事基地を与えることは絶対に反対する。

「単独講和か全面講和かの選択は、講和後の日本のあり方を決定するものであった。前者をとれば、それは在日アメリカ軍の駐留を認め、西側陣営の一員として東側陣営との対立構図に組み込まれることを意味した。反対に後者をとれば、憲法九条のもと徹底した平和主義を追求するため、中立国となることを意味した」(礒村英司・福岡国際大准教授『戦争する国にしないための中立国入門』平凡社新書2016年)

 談話会声明の主張はじめ世論に反し、日本政府(吉田茂政権)は「単独講和」(ソ連、中国など11カ国を排除)に踏み切りました。これが敗戦後日本の、今日に続く大きな分岐点となりました。

 吉田政権を単独講和に踏み切らせたものは何だったか。それは天皇裕仁の思惑です。

天皇(裕仁)早くも…四七年五月に、事実上のアメリカの軍事力による日本の安全保障という構想を、マッカーサーとの第四回会見で提起し要請していた。そして、この構想の具体化が、「池田(勇人)ミッション」に示された方針、つまり基地の「自発的なオファ」という基本方針の貫徹であった。さらに、安保条約を“根底”で支える沖縄問題についても、天皇は早い段階からイニシアティヴをとった」(豊下楢彦『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―』岩波新書1996年)

 沖縄問題での裕仁の「イニシアティヴ」が、沖縄を軍事植民地としてアメリカに差し出す「沖縄メッセージ」(1947年9月)であることはいうまでもありません。

 敗戦日本の歴史的分岐点となったアメリカ主導の「単独講和」。それと一体の日米安保条約締結。それは、「国体」=天皇制の維持と自らの戦争責任追及を回避するため、天皇裕仁が敗戦直後から構想していた路線です。

 いま、ロシアとアメリカの代理戦争であるウクライナ戦争で、日本政府がアメリカの戦略に追随し(写真右)、便乗してさらなる軍拡、敵地攻撃さえ検討しているのは、天皇裕仁が切望した70年前の「単独講和・日米安保条約」に根源があることを歴史の事実として銘記する必要があります。 (明日金曜日も更新します)

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日本の恥辱・天皇の「沖縄メッセージ」から73年

2020年09月19日 | 天皇制と日米安保

    

 沖縄の平和・民主勢力は4月28日を「屈辱の日」といいます。1952年のこの日、日米安保条約とともに締結された「サンフランシスコ講和条約」が発効し、沖縄が「本土」から切り離されてアメリカの統治下におかれることになったからです。歴代自民党政府がこの日を「主権回復の日」として式典を行うのと対照的で、沖縄の苦難の歴史を示すものです。

 しかし、敗戦後の歴史で、沖縄にとって真の「屈辱の日」は別にあるのではないでしょうか。それは今日、9月19日です。なぜならこの日は、アメリカの軍事占領、基地被害の元凶であるサ条約・日米安保条約へ軌道を敷いた、天皇裕仁(当時)の「沖縄メッセージ」が発せられた日だからです。(写真左=マッカーサー・裕仁第1回会談―1945・9・27、写真中=「主権回復」式典で明仁天皇に万歳する安倍首相―2014・4・28、写真右=「即位礼」で徳仁天皇に万歳する安倍首相―2019・10・22)

 『昭和天皇実録』(宮内庁、2014年9月公表)の「一九四七年九月一九日付」にはこう記されています。

 「この日午後、寺崎(英成)は対日理事会議長兼連合国最高司令部外国局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問する。シーボルトは、この時寺崎から聞いた内容を連合国最高司令官(二十日付覚書)及び米国国務長官(二十二日付書簡)に報告する。

 この報告には、天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである旨、さらに、米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべきであると感じておられる旨、この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろうとのお考えに基づくものである旨などが記されている。」(豊下楢彦著『昭和天皇の戦後日本』岩波書店2015年より)

 上記「長期貸与」の「長期」は、「メッセージ」原文では「二五年ないし五〇年、あるいはそれ以上」となっていました(豊下氏、前掲書)。

 当時米国内では沖縄の統治方式について意見が分かれていましたが、この裕仁の「メッセージ」によって方針が決まり、それがサ条約第3条「(米国が沖縄の)行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」という規定につながりました。

 裕仁の「メッセージ」は、自らの保身と「本土保護」のため、そして「米国の利益」のために沖縄を生贄にしたものです。

 それは沖縄にとって屈辱的だっただけではありません。日本(日本人)にとっても極めて重大な意味をもっていました。

 「天皇の『沖縄メッセージ』は、憲法の制約から儀礼的役割以外何もできないはずの彼が、秘密で外交・内政上の役割を演じ続けていたことを証明するものだった。…彼も外務省も、平和条約の締結後、なおアメリカ軍が日本の内外に留まることを望んだ。同時に彼は、東京裁判の継続中は、保身のためアメリカを引きつけておく必要も感じていただろう。
 だが何よりも天皇のメッセージは、象徴天皇制と、憲法九条と、アメリカによる沖縄の軍事化との強い関連性を物語っていた」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇 下』講談社学術文庫2005年)

 裕仁の「沖縄メッセージ」が発せられた「9・19」は、沖縄にとって真に「屈辱の日」であるだけでなく、日本(日本人)にとって、対米従属の軍事同盟=日米安保体制と憲法9条、沖縄、そして天皇制の関係を象徴的に示す、今につながる「恥辱の日」にほかなりません。


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朝鮮戦争・天皇裕仁・日米安保

2020年06月25日 | 天皇制と日米安保

    
 朝鮮戦争勃発(1950・6・25)から今日で70年。コリア半島情勢は新たな困難を抱えていますが、この節目に私たち日本人があらためて確認する必要があるのは、朝鮮戦争(休戦中)はけっして他人事ではないということです。

 そもそも、日本がコリア半島を植民地支配しなければ、南北分断も朝鮮戦争(「6・25戦争」)もありえませんでした。戦闘中、日本は国連軍(実質アメリカ軍)の出撃・後方支援基地となりました。また、敗戦後の日本経済が朝鮮戦争特需で復興したのは周知の事実です(開戦後1年で日本の工業生産は46%上昇)。こうしたことはけっして忘れてならない重要な事実ですが、ここでは別の問題を考えます。

 天皇裕仁(昭和天皇)は敗戦後、連合軍(GHQ)最高司令官マッカーサーと計11回会談しています。第9回会談(1949・11・26)の焦点は「講和問題」でした。

 「会見の冒頭でマッカーサーは『なるべく速やかに講和条約の締結を見ることが望ましいと思います』と問いかけたが、天皇は『ソ連による共産主義思想の浸透と朝鮮に対する侵略等がありますと国民が甚だしく動揺するが如き事態となることを懼(おそ)れます…』と答えた。あたかも、七カ月後の朝鮮戦争の勃発を予見していたかのような昭和天皇の発言には驚く外はない」(豊下楢彦氏『昭和天皇の戦後日本』岩波書店2015年)

 第10回会談(1950・4・18)は朝鮮戦争の約2カ月前でした。ここで裕仁は、「日本の安全保障の問題ですが、米国は極東に対する重点の置き方が欧州に比し軽いのではないでしょうか」と懸念を表明しました。この会談では「実は重要な“すれ違い”が生じていた。…前回の会見で“約束”した米軍の駐留については、(マッカーサーが―引用者)最後まで明言を避け続けた」(豊下前掲書)からです。

 そして朝鮮戦争勃発。2日後の6月27日に米トルーマン大統領は米軍に出動を命じるとともに、国連安保理に働きかけ、「国連軍」の形式で参戦を決議させました。アメリカの素早い対応は、朝鮮の動向が「マッカーサーの極東軍によって一年前からことごとくつかまてい(た)」(萩原遼氏『朝鮮戦争』文春文庫1997年)からだといわれています。

 天皇裕仁は戦争勃発の当日と翌日に侍従長から説明を受けています。「朝鮮戦争は昭和天皇をして、米軍の存在の重要性に関する認識を決定づけるものであった」(豊下前掲書)のです。

 裕仁は直ちに行動に移しました。開戦翌日の6月26日、「天皇は自らダレス(講和問題のために来日していた国務長官特別顧問―引用者)を通じてワシントンに(米軍駐留を―引用者)働きかける道に踏み出した。それが、『口頭メッセージ』である」(豊下前掲書)。
 「口頭」だけでは足らず、裕仁は米軍駐留、アメリカの重点関与の要望を文書にしてダレスに送りました。「文書メッセージ」(8月19日)です。

 「昭和天皇は右のメッセージで、マッカーサーを“バイパスする”ばかりではなく、講和問題や日本の安全保障の問題を、首相である吉田茂に任せておくことはできないという立場を鮮明に打ち出した」(豊下前掲書)

 翌1951年9月8日、日本は「サンフランシスコ講和条約」(単独講和)とともに日米安全保障条約を締結。裕仁が望んだ通り、米軍の基地が日本全土に張り巡らされることになりました(全土基地方式)。

 同時に日本は、警察予備隊(50年8月)から保安隊(52年10月)へ、そして自衛隊(54年6月)へと、再軍備を本格的に進めていきました。

 以上から明らかなことは、日米軍事同盟(安保体制)、日本の再軍備という憲法の平和原則違反は、「共産主義から国体(天皇制)を守る」ため自らアメリカに懇願した天皇裕仁よって推進されたということです。その決定的な契機になったのが朝鮮(6・25)戦争でした。こうした裕仁の一連の言動が、天皇の政治的関与を禁じた現行憲法下で行われたことも忘れてはなりません。

 その日米安保=軍事同盟は集団的自衛権行使にまで深化し、自衛隊は年間軍事費5兆円超まで膨張し、レールを敷いた裕仁の戦後責任(戦争・植民地支配責任は言うに及ばず)は全く追及されることもなく、「天皇制」は連綿と続き、天皇キャンペーンが政権やメディアによって繰り返されている。それが今日の日本であることを私たちは肝に銘じる必要があります。


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「天皇即位パレード」と自衛隊

2019年11月12日 | 天皇制と日米安保

    

 徳仁天皇の「即位礼正殿の儀」(10月22日)における天皇と自衛隊の関係については先に書きましたが(10月29日のブログ参照)、10日行われた「即位パレード」(「祝賀御列の儀」)で、あらためてその密接な関係が印象付けられました。

 皇居から赤坂御所まで全長4・6㌔の「パレード」では、何カ所かで音楽隊が行進曲などを演奏しましたが、コースの最終地点、赤坂御所附近で天皇・皇后を迎えたのは、陸上自衛隊の音楽隊と儀仗隊でした。「パレード」を締めくくったのが自衛隊だったわけです。

 儀仗には「儀式を行う」という意味とともに「警護する」という意味があります。赤坂御所の前に整列した儀仗隊は、天皇を警護する自衛隊でもあります。儀仗にはそういう意味があるため、自衛隊が天皇を儀仗することはしばらくタブーでした。それが自衛隊の不満のタネでした。

 その禁を取り払って、自衛隊が初めて公然と天皇に対して「捧げ銃」(ささげつつ)で儀仗したのは、裕仁天皇の葬儀(「大喪の礼」1989年2月24日)でした。

 「天皇の代替わりは、自衛隊と天皇の結合を公然化する場となった。すなわち、昭和天皇の大喪の礼にあたっては、1900名の自衛官が参加し、天皇の柩を乗せた車は自衛官の堵列(とれつ=横に並んだ列―引用者)によって迎えられ、三カ所で着剣捧げ銃の儀仗が行われ、自衛隊は『哀しみの極』の演奏と弔砲で天皇の死を悼んだのであった。同様に、90年秋の即位の礼においても、自衛隊は祝賀御列の儀などで前面に登場することになっている」(横田耕一著『憲法と天皇制』岩波新書1990年)

 事実その通りになりました。1990年11月12日に行われた前回の「即位の礼」でも自衛隊が前面に出ました。

 「自衛隊は、即位の礼の式典のために1670人を動員した。正殿の儀の万歳三唱に合わせた礼砲、御列の儀での儀仗、奏楽、列を見送るための整列。陸自の儀仗隊、計5つの音楽隊など陸海空3自衛隊の部隊のほか、防大生…防衛医大生…。昨年2月の大喪の礼とほぼ同じ形だ」(1990年11月13日付朝日新聞)

 前回、裕仁天皇から明仁天皇への代替わりを機に公然化した天皇と自衛隊の結びつきが、今回の徳仁天皇への代替わりで継承・定着されたのです。

 自衛隊法(第7条)では、自衛隊の最高指揮・監督者は内閣総理大臣です。しかし、「自衛隊のなかには、内閣総理大臣のために死ぬというのでは隊員の士気があがらないのでふたたび(皇軍のように―引用者)天皇を忠誠の対象としようとする動きがあり、天皇と自衛隊との結びつきは、特に1960年代以降、深まっている」(横田耕一氏、前掲書)。

 1960年といえば、日米安保条約が改訂され、米軍との一体化(従属)がいっそう強化された年です。そのころから強まった自衛隊の「天皇を忠誠の対象としようとする動き」。それが、1990年の裕仁から明仁への代替わりで公然化。そしていま、戦争法(安保法制)によって米軍と一体化した自衛隊が戦争を行う軍隊になろうとしている中で行われた徳仁への代替わりで、自衛隊と天皇の結びつきはいっそう顕著になっている―。この自衛隊と日米安保条約と天皇の関係性・危険性を凝視する必要があります。
 自衛隊解散、日米安保条約廃棄、天皇制廃止はまさに一体の課題です。


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「天皇即位礼」と自衛隊

2019年10月29日 | 天皇制と日米安保

     

 22日の徳仁天皇「即位の礼」で見過ごすことができないもう1つの重大な問題は、天皇と自衛隊の親密な関係が強調されたことです。

 「天孫降臨」を具現化した「高御座」から徳仁天皇が「即位」の「宣明」を行い、それを受けて安倍晋三首相が「寿詞」を読み上げたのに続き、「天皇陛下万歳」を三唱。その時、大砲が鳴り渡りました。その数21。陸上自衛隊による「礼砲」です(写真左)。

 陸上自衛隊はその動画をユーチューブに投稿し、こうコメントしています。
 「陸上自衛隊は、即位の礼において、天皇陛下に対する祝意を表す礼砲を実施しました。総理大臣の万歳三唱に合わせて21発の礼砲が周囲に響き渡り、無事に任務を完遂することができました」

  自衛隊は「礼砲」によって、「即位礼正殿の儀」に参加し、その「任務を完遂」したのです。神道儀式による天皇の「即位宣明」、首相の「寿詞」と「天皇陛下万歳」、そして「皇軍」の末裔である自衛隊の「礼砲」――まさに天皇・政府・軍隊の三位一体によって戦前の天皇制帝国日本が再現された光景です。

  「天皇即位礼」にに対する自衛隊の「祝意」表明は、陸自の「礼砲」だけではありませんでした。海上自衛隊はこの日、朝から夕方まで艦船に「日の丸」を中心とした「万国旗」を掲揚しました。「満艦飾」です(写真中)。夜は電飾による「電燈艦飾」になったといいます。
 海自呉総監部の広報係長は、「天皇陛下ご即位に対する敬意を表しております」とコメントしています(22日の中国地方ローカルニュース)。

  自衛隊と天皇の関係は発足当時から特別なものがあります。帝国日本の侵略戦争・植民地支配の“旗印”となった「旭日旗」を、陸自、海自とも隊旗、艦旗として掲げ続けているのはその象徴です。

 昨年、韓国が自衛隊に済州島で行われる国際観艦式での「旭日旗」自粛を求めた時、河野克俊統合幕僚長(当時)は記者会見で、「海上自衛官にとって自衛艦旗(旭日旗)は誇りだ。降ろしていくことは絶対にない」と言い切りました(2018年10月6日付朝日新聞)。自衛隊にとって「旭日旗」は「誇り」なのです。自衛隊トップがそう公言する根底には、天皇への忠誠心、天皇制軍隊への思慕があるのではないでしょうか。

 自衛隊の天皇への特別の思いを示すものはまだあります。
 昨年3月、安倍政権は自衛隊に「日本の海兵隊」といわれる「水陸機動団」を創設しました。その団旗の意匠はなんと、「三種の神器」の1つ「草薙の剣」です(写真右)。22日の「即位礼当日賢所大前の儀」では天照大神を祀る賢所へ入る徳仁天皇を先導し、「正殿の儀」では「高御座」で天皇の横に安置された、あの「草薙の剣」です(皇居にあるのはレプリカ。本物は熱田神宮に安置)。

  天皇は自衛隊にとって特別の存在なのです。「旭日旗」や「三種の神器」を旗印にすることが彼らの「誇り」です。「礼砲」はまさに自衛隊の心からの「祝意」の表明だったのでしょう。
 「安保法制」によって日米軍事一体化、自衛隊海外派兵が公然と行われるようになったのと軌を一にして、天皇と自衛隊の特別の関係が誇示されるようになってきました。そのことの重大な意味、危険性に目を向けなければなりません。


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岐路に立つ「日米同盟」と天皇制の“共存共栄”

2019年07月11日 | 天皇制と日米安保

     

 米トランプ政権は対イラン・中東戦略に同盟国を巻き込むため、「ホルムズ海峡の防衛」を名目にした「有志連合」の結成を言い始めました。安倍首相(日本)へも参加圧力をかけてくることは必至です。
 戦争法(安保法)による集団的自衛権行使の憲法違反が公然と実行される危険が迫っています。 

 トランプ大統領はG20後の大阪での記者会見(6月29日)で、「日米安保条約は不公平」だと言って日本にいっそうの軍事分担(兵器購入含め)を求める姿勢を露わにしましたが、「有志連合」がそれと繋がっていることは明らかです。

 日米安保条約(軍事同盟)はいま、岐路に立っていると言えるでしょう。アメリカの言いなりになってさらに日米軍事一体化・運命共同体化の泥沼へ突き進むのか、それとも根本的に見直して廃棄へ向かうのか。その進路を問う根源的な議論が巻き起こってしかるべきです。

 ところが、日本の政界・政党、メディア、そして「市民」の間から日米安保条約(軍事同盟)を問い直す声は聞こえてきません。日本は依然として日米安保タブーの中です。いったいなぜでしょうか。

 理由は多岐にわたるでしょうが、大きな要因として、(象徴)天皇制の存在、日米安保と天皇制の“共存共栄”関係があると言わねばなりません。

 徳仁天皇が即位して2カ月以上がたちましたが、彼が新天皇として行った最初の”仕事“は何だったでしょうか。「即位後初の国賓」として招いたトランプ大統領と会見、夫婦そろって歓迎して親密さを示したことでした。
 これが、新天皇の国際的なお披露目の舞台となって天皇制の維持・強化に寄与すると同時に、安倍、トランプ両政権にとっては「強固な日米同盟」をアピールする場になったことは明白です。

 産経新聞は「即位祝い日米同盟の絆を」と題した社説で、その意味をあけすけに語っていました。
 「トランプ米大統領が、令和初の国賓として25日から4日間の日程で来日する。天皇陛下のご即位に祝意を示すための来日である。陛下が即位後初めて会見される外国首脳が米大統領であることは、日米両国の深い絆を内外に示すものとなる」(産経新聞6月24日付社説)

 「全土基地方式」「治外法権」を特徴とする対米従属の日米安保条約は、もともと天皇裕仁(昭和天皇)の延命(戦争責任追及回避)と「国体」=天皇制維持の強い意思によって締結されたものでした。

 「昭和天皇にとっては、戦後において天皇制を防衛する安保体制こそが新たな『国体』となった。つまりは『安保国体』の成立である。だからこそ昭和天皇は、講和条約と安保条約が調印されてから10日を経た1951年9月18日のリッジウェイ司令官との第3回会見で、『有史以来未だ嘗て見たことのない公正寛大な条約』として…安保条約の成立を絶賛したのである」(豊下楢彦著『昭和天皇の戦後日本』岩波書店)

 天皇制と日米安保のこの関係は、裕仁から明仁へ、そして徳仁へと引き継がれています。徳仁天皇の初仕事が「日米同盟の絆」を誇示するトランプとの会見であったことはまさにその“象徴”といえるでしょう。

 そして、この共存共栄関係にある天皇制と日米安保条約=日米同盟が、ともに日本(政界・社会・メディア)では一貫して「タブー」視され、存廃の議論の対象にすらなっていないことの異常さ重大さを、私たちはあらためて凝視する必要があります。

 ※天皇制に関する当ブログをまとめた『象徴天皇制を考えるⅡ』の余部があります。ご希望の方はメール(件名を「本注文」とし、ご住所、お名前、部数を)もしくはお電話でお申し込みください。1部1000円(送料込み)。Eメール:satoru-kihara@alto.ocn.ne.jp  ☎090-2900-9967


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元号とトランプ大統領と徳仁天皇

2019年05月30日 | 天皇制と日米安保

     

 トランプ大統領の今回の来日は、安倍首相との“親密性”、日米軍事同盟の強化をアピールする政治的パフォーマンスの連続でしたが、その中で注目されたのが元号(令和)の度重なる使用でした。

 26日、大相撲の千秋楽を観戦し、表彰式で「米大統領杯」を渡したトランプ氏は、表彰状をこう読み上げました。
 「あなたの栄えある優勝をここにたたえます。令和元年5月26日、アメリカ大統領ドナルドJトランプ」(写真左)

  さらに、27日夜の徳仁天皇主催の宮中晩餐会では、トランプ氏はこうスピーチしました。
 「日本の新しい元号は『令和』で、美しい調和を意味する。この言葉は『万葉集』と呼ばれる日本古来の和歌集に由来していると聞いている。万葉集の古い和歌を日本の子どもたちに受け継いできたように私たちの同盟も受け継がれなければならない」(写真中)
 元号=天皇制と日米同盟をリンクさせた象徴的なスピーチでした。

  元号の普及を図る勢力をこの上なく喜ばせるトランプ氏の相次ぐ「令和」のリップサービス。それは、日米首脳会談(27日)の冒頭で、「令和の時代にも日米同盟の絆が強固だと鮮明に内外に示すものとしたい」と述べた安倍首相の意図にぴったり沿うものです。
 私は大相撲の表彰状の言葉も、宮中晩餐会でのスピーチも、ゴーストライターは安倍政権ではないかと推測しますが、その真偽はともかく、いずれも安倍氏の狙いが忖度されていることは確かです。

 トランプ大統領を徳仁天皇就任後初の「国賓」として招き、「天皇の新時代」と「日米同盟の強化」をリンクさせようとする安倍首相の狙いは、元号(令和)の度重なる強調に象徴的に表れていたといえるでしょう。

 ところがここで、おそらく安倍氏は予想していなかったであろう事態が起こりました。それは、トランプ氏とは逆に、当の徳仁天皇は晩餐会スピーチで元号をまったく使わずすべて西暦で表記したことです。

 徳仁天皇は「アメリカと皇室との交流」を振り返るなどして合計7回年次を示しましたが、それはすべて西暦でした。もし元号を使おうとすれば、安政、昭和、平成の3つを使うことになり、もちろんトランプ氏にはちんぷんかんぷんです。「トランプ大統領歓迎のあいさつ」で西暦を使うのは当然のマナーであり常識です。

 天皇制の象徴である元号を懸命に流布しようとしている安倍政権の狙いとは裏腹に、それは世界の中で日本にしかない、日本でしか通用しないきわめて特異で閉鎖的な政治的紀年法であることを、天皇みずから示したと言えるのではないでしょうか。

<お知らせ 『象徴天皇制を考えるⅡ』ご予約案内>

 『「象徴天皇制」を考えるⅡ その過去、現在、そして未来』を自費出版します。
 前回(2017年11月)出版したものの続編で、17年6月から今年5月7日までの「アリの一言」の中から天皇制に関するものを拾いました(前書きと資料1点=明仁天皇の生前退位ビデオメッセージ)。印刷部数の目安のため、以下の要項で予約を募集します。

〇本の体裁=B6判、モノクロ、ソフトカバー、233ページ(1テーマ見開き、計110テーマ)
〇価格=1冊1000円(送料込み)
〇本の発送=7月上~中旬予定
〇代金のお支払い=振込先を本に同封しますので、お手元に届いた後にお振込みください(2冊以上の場合は1000円×冊数)
〇予約締切=ご予約は6月6日で締め切ります。予約数以上に印刷しますので、後日のご購読お申し込みも可能です(部数のある限り)
〇予約お申込み=件名に「本予約」とお書きのうえ、お名前、ご住所(お送り先)郵便番号、部数を以下のEメールアドレスにご送信ください。
 Eメールアドレス:satoru-kihara@alto.ocn.ne.jp

 全くつたない内容ですが、何かの参考になれば幸いです。よろしくお願いいたします。


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徳仁天皇は「晩餐会スピーチ」で何を語ったか

2019年05月28日 | 天皇制と日米安保

     

 徳仁天皇は27日午前、就任後初の「国賓」であるトランプ米大統領と会見したのに続き、同日夜、宮中晩餐会であいさつしました。初の「公式あいさつ」となったこのスピーチは、きわめて政治性が強く、重大な問題点を含むものでした(発言の引用はすべて宮内庁HPより)。

 第1の問題は、祖父・裕仁(昭和天皇)の戦争責任の隠ぺい・風化を図ったことです。

 徳仁天皇は「アメリカと皇室との交流」として、昭和天皇・香淳皇后のアラスカ立ち寄り(1971年)、同天皇・皇后の訪米(1975年)、上皇・上皇后(明仁・美智子)の皇太子時代の公式訪米(1960年)、明仁天皇即位後の国賓としての訪米(1994年)を次々挙げ、「歓待を受けた」「手厚くおもてなしいただいた」と強調しました。

 これはきわめて一面的で身勝手な「アメリカと皇室」の関係と言わねばなりません。

 徳仁天皇自身が述べているように、裕仁は1970年代までアメリカの地を踏むことができませんでした。その代わりに1960年(安保条約改定の年)に皇太子である明仁が訪米したのです。
 裕仁はなぜアメリカに行けなかったのか。いうまでもなく自身の戦争責任のためです。「戦犯・裕仁」に対する当時の欧米の怒りは当然ながらきわめて強く、「初の外国訪問」となったヨーロッパで生卵などを投げつけられる”歓迎“を受けました。

 もちろんアメリカも例外ではありませんでした。たとえば、敗戦直前の「ギャラップ調査」では、アメリカ国民の33%が裕仁を「処刑」すべきだとし、「終身刑」11%、「追放」9%などと合わせて約70%が裕仁を「戦犯」と断じていました(1945年6月29日付ワシントンポスト紙。『天皇の昭和史』新日本新書より)

 明仁皇太子の“代理訪米”による地ならしで、裕仁はようやく1975年に訪米を実現しますが、その帰国直後の記者会見(1975年10月31日)で、自身の戦争責任について聞かれ、裕仁の口から出たのが「そういう言葉の綾については、私は文学方面を研究していないのでわからない」という恥知らずな暴言でした

 「アメリカと皇室」の関係を語るなら、裕仁の戦争責任は避けて通れません。しかし徳仁天皇は祖父・裕仁や父・明仁がいかに「歓迎」されたかを強調しただけでした。これは裕仁の戦争責任の隠ぺいと風化を一貫して追求してきた明仁上皇の路線を忠実に引き継ぐものです。

 徳仁天皇「晩餐会スピーチ」の第2の問題は、日米同盟を賛美しその強化を求めたことです。

 天皇は日米関係を「日米和親条約」(1854年)から切り出し、「極めて親しい隣国」で「強い友情の絆で結ばれて」いるとし、「特に近年、両国の関係が…幅広い分野で深みを増していることを喜ばしく思う」「日米両国が困難な時に互いに助け合える関係にあることは大変心強」いとしたうえで、「揺るぎない絆を更に深め…ていくことを切に願って」いると結びました。

 この発言は、政治用語である「同盟」という言葉を直接使うことは注意深く避けながら、安保条約による日米同盟を賛美し、そのいっそうの強化を「願っ」たものに他なりません。

 徳仁天皇のスピーチを受けたトランプ氏が、「貴重な同盟関係」「万葉集のように日米の同盟関係を子どもたちに引き継ごう」などと「同盟」を多用し、その強化を求めたことは、徳仁天皇への応答であり、天皇と米大統領による日米同盟礼賛の二重奏といえるでしょう。

 この2つの問題―裕仁の戦争責任の隠ぺいと日米同盟の強化―の根は1つです。
 安保条約による日米軍事同盟は、裕仁が自身の戦争責任の追及を避け、天皇制を維持するために、11回に及ぶマッカーサーとの会談や「天皇メッセージ」などで自ら積極的に働きかけて実現した対米従属の同盟関係に他ならないからです。

 トランプ米大統領を前に行った徳仁天皇の初の公式スピーチは、(象徴)天皇制と日米同盟の関係をまさに象徴的に示したものといえるでしょう。


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トランプ氏はなぜ自衛隊艦船を視察するのか

2019年05月27日 | 天皇制と日米安保

     

 25日来日したトランプ米大統領は、26日朝から安倍首相とゴルフに興じ、夕方は大相撲を観戦して「米大統領杯」を渡し、夕食は炉端焼きと、パフォーマンスを繰り返しています。
 そんなパフォーマンスの中でも、27日の徳仁天皇との会談以外に、異例なのが28日帰国前の自衛隊護衛艦「かが」の視察です。「国賓」として訪れた米大統領が自衛隊の艦船に乗るなど前代未聞です。
 「(大統領の)護衛艦の訪問は官邸がずっとやりたかったことだ」(「関係者」の声として26日の日テレ「バンキシャ」が報道)といいます。その狙いはどこにあるのでしょうか。

 「かが」は「長さ248m、幅38m、基準排水量1万9950㌧」、海自最大の「いずも」型護衛艦です(海上自衛隊HP)。「いずも」とともに空母への改修が予定されています。そうなれば、米製最新型ステルス戦闘機F35Bの離発着が可能になります。

 安倍首相はトランプ氏にF35B100機をはじめ147機の米製戦闘機の購入を約束しました。契約金額(対外有償軍事援助)は今年度7013億円。その額はアメリカの対日貿易赤字とほぼ同額です(同「バンキシャ」)。

 安倍首相がトランプ氏の要求に唯々諾々と応えて購入を約束した巨額の兵器の象徴がF35Bであり、そのために空母に改修する「かが」だというわけです。

 しかし、トランプ氏の自衛隊艦船視察の意味はそれにとどまりません。

 「同(安倍政権)高官によると、トランプ氏は28日、米海軍横須賀基地を視察する。また、米艦上で米兵向けに演説し、『地域の侵略行為に対する抑止力としての日米同盟の重要性や、日米パートナー関係が地球規模に及んでいることなどを訴える』としている」(24日付産経新聞)

 「かが」乗艦はこの横須賀基地視察の一環です。すなわち、トランプ氏の海自護衛艦「かが」乗艦は、日米軍事同盟が「地球規模に及んでいる」ことを示すものであり、日米間の「緊密な防衛協力関係を発信する」(24日付産経新聞社説)ものにほかなりません。

  トランプ氏は先にイランとの「核合意」を一方的に破棄し、中東への艦隊派遣を強化。イランとの軍事的緊張が極度に高まり、中東地域ではトランプ政権の軍事圧力に対する批判が強まっています(写真右)。

  まさにその最中での日本訪問。そして日米軍事同盟のアピール。自衛隊艦船への乗艦。イランはじめ中東、世界の人々からは軍事的圧力を強めているアメリカと日本が一心同体に映るのは必至です。それは朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も同じでしょう。

 こうした日米軍事同盟(日米安保)の危険な実態のアピールが、「新天皇の即位を祝う」というベールに包まれて行われるのです。ここに、象徴天皇制の政治的利用、日米同盟と天皇制の緊密な関係があることを注視しなければなりません。

 

 


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日米同盟の修復・強化と天皇の政治活動・利用

2019年05月21日 | 天皇制と日米安保

     

 25日来日するトランプ米大統領と安倍首相の首脳会談(27日)について、共同通信配信記事は、「日米共同声明見送りへ」と伝えました。「貿易交渉と北朝鮮対応で日米の立場に隔たりがあるため」(19日付地方各紙)です。「隔たり」は日米軍事同盟のほころびの一端といえるでしょう。

  そのほころびを覆い隠し繕うために、トランプ滞在中、大相撲観戦など数々の演出が計画されています。その中心がトランプ氏と徳仁天皇の会見・会談です。
 天皇の言動は何でも賛美する日本のメディアが、トランプ氏との会談を持ち上げるのは必至です。まして、徳仁天皇にとっては就任後初の「国賓」であり、メディアの礼賛は目に見えています。

 日米軍事同盟のほころびを繕い、さらに強化するための天皇と大統領の会談。これこそ天皇(制)の政治利用でなくてなんでしょうか。

  それは今回だけではありません。
 トランプ氏は2017年11月5日、就任後初めて来日し、翌6日に明仁天皇(当時)と会談しました(写真中、右)。そのもようはこう報じられました。

 「宮内庁によると、大統領は今回の訪問について『すべてうまくいっています。安倍晋三首相とは北朝鮮問題、防衛協力、通商問題など様々な問題について充実した意見交換を行っています。現在日米関係はかつてなく良好です』と話し、陛下は『それを聞いて喜ばしく思います。両国はかつて戦争した歴史がありますが、その後の友好関係、米国からの支援により今日の日本があるのだと思います』と話したという」(2017年11月7日付朝日新聞)

 トランプ氏は天皇に日米同盟関係が「かつてなく良好」だと報告し、明仁天皇は「それを聞いて喜ばしい」とエールを送ったのです。天皇のきわめて重大な政治的発言です。

 トランプ氏が言う安倍氏との会談で一致した「北朝鮮問題」とは、「すべての選択肢がテーブルの上にある」として武力行使も辞さないとした対朝鮮敵視の姿勢です。
 また「防衛協力」とは、トランプ氏が強硬に米国製兵器の売り込みを図ったのに対し、安倍氏がそれを唯々諾々と受け入れて巨額の米国製兵器の購入を約束したことです。

 明仁天皇の発言はたんなる政治的発言ではなく、こうした「北朝鮮問題」「防衛協力」について天皇が安倍氏とトランプ氏に賛意を示したものであり、二重三重に重大です。

 天皇と日米同盟の関係は、徳仁氏の祖父である天皇裕仁が、自己保身と「国体(天皇制)護持」のために沖縄をアメリカに差し出した「沖縄メッセージ」(1947年9月20日)に始まり、日米安保条約締結(1951年9月8日調印)へ向けた裕仁の暗躍など、切っても切れない関係です。

 明仁氏は皇太子時代から父・裕仁を踏襲し、日米同盟の維持・強化に努めてきました。徳仁氏もまたそうした祖父や父の跡を継ごうとしています。

 天皇の日米軍事同盟への関与は、憲法が禁じる政治関与であることはもちろん、憲法の平和主義にも逆行するものであり、絶対に許すことはできません。


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