韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は日本を訪れた際、慶応大学で学生たちに向けて講演を行いました(3月17日)。タイトルは「私たちの未来のための勇気」。尹氏が引用したのは岡倉天心(写真左)の言葉でした。
「尹大統領は明治時代の思想家である岡倉天心(1863~1913)の「勇気こそが命の鍵」という言葉を引用し、韓日両国民に必要なのはより良い未来を作るための勇気だと述べた」(18日付ハンギョレ新聞)
この講演、日本ではまったく注目されず記事にもなりませんでしたが、韓国では大学教授が厳しく批判し、ハンギョレ新聞(18日付)が報じました。
<韓信大学のハ・ジョンムン教授(日本学)は、本紙に「岡倉天心は典型的な朝鮮蔑視論と侵略論の持ち主であり、植民地支配に積極的に賛成した人物」だと語った。
実際、岡倉は1904年に出版した『日本の覚醒』で、「朝鮮半島は、元来有史以前の時代の間に我々によって植民地を開かれた。…我々の上代の伝説は、我が皇祖(天照大神)の御弟君、素戔鳴尊(すさのおのみこと)の朝鮮御移住を物語っている。そして朝鮮の始祖檀君王は、或る歴史家の中には、素戔鳴尊の御子であったと考えている者もある」と書いた。>
私はこの記事を読むまで岡倉天心がこういう思想の人物だとは迂闊にも知りませんでした。
急いで『岡倉天心コレクション』(ちくま学芸文庫2012年)所収の「日本の目覚め」を拾い読みしました。日露戦争の年に書かれたその論稿で岡倉は、ハ教授が指摘した以外にもこんなことを述べていました。
「日本が終始一貫して平和維持を希求し、万やむをえず戦争に訴えるときはまったく自衛のためにほかならぬという事実…外国を攻略しないということは、わが国文明の本性そのものからきているのである」
「1868年の王政復古以来の日本と中国、朝鮮との関係をみるならば、わが国の伝統的平和、不可侵政策が、ひときわ明瞭になるであろう」
「1904年にロシアと戦火をまじえたのは、この半島の独立確保のためであった」
「朝鮮は昔からの日本の属国であって、日本はただ既得権を確証するにすぎなかった」
「わが兵士が命令一下敢然と死地におもむくのは…その根底にはつねに帝(みかど)に対する忠誠心と祖国に対する愛情がある」
岡倉の朝鮮蔑視、侵略・植民地支配擁護と、歴史の改ざん、それと表裏一体の天皇崇拝がはっきり表れています。
尹氏がこの岡倉の言葉を引用して日本の学生に「未来のための勇気」を語ったのは、ハ教授の指摘の通り、韓国大統領としての見識が問われ、批判されてしかるべきでしょう。
そしてより重大なのは、本来、ハ教授の指摘を待つまでもなく、日本の側から問題にすべきであったにもかかわらず、日本では今にいたってもなんら問題になっていないことです。
日本の教科書では、岡倉はフェノロサとともに日本美術の振興をはかった「明治の文化人」と記述されています。朝鮮蔑視、侵略戦争・植民地支配論者の素顔は隠し、「偉人」として教えられるのです。
それは岡倉天心だけではありません。
尹氏が講演したのは、くしくも慶応大学。その創設者、福沢諭吉(1835~1901)は、強烈な朝鮮蔑視・植民地支配論者です(2018年2月3日のブログ参照)。にもかかわらず、あたかも「民主主義者」であるかのように学校で教えられている人物の筆頭です。
渋沢栄一(1840~1931)もその代表の1人です(2019年10月3日のブログ参照)。そして、現在日本の最高額紙幣1万円札の肖像になっているのが福沢で、24年度新たな紙幣の発行によって肖像を交代するのが渋沢です。それを決めたのは安倍晋三首相です。
これが日本社会では何の問題にもなっていません。
しかし、韓国は違います。福沢から渋沢への朝鮮侵略論者の肖像バトン、それを決めた安倍政権に対して厳しい批判が起こりました(2019年4月11日のブログ参照)。
ここに侵略・植民地支配の加害国と被害国の違いがくっきり表れています。
福沢諭吉、渋沢栄一、そして岡倉天心。加害の歴史を隠ぺいし、その旗を振った者たちを「偉人」として記述する日本の教科書・学校教育。それが日本人の歴史認識を劣化させていることは明白です。