アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

百田氏をNHK経営委員に任命した安倍首相の責任

2015年06月30日 | 安倍政権

         

 自民党若手議員の会合(25日)で百田尚樹氏と議員たちが「言論・報道の自由」へ圧力をかけた問題で、菅官房長官は29日、「百田氏の発言が問題になっている」と述べ、谷垣自民党幹事長も、「党のことは私が責任をもって判断する」と述べるなど、安倍首相に責任追及が及ぶの避けよう躍起になっています。
 
 しかし、自民党本部で行われた自民党議員(しかも安倍チルドレン)の会合で、おまけに加藤官房副長官まで出席していたのですから、総理・総裁としての安倍氏の責任は明白です。

 さらにそれだけではありません。安倍氏は百田氏ときわめて親密な関係にあります。そしてその関係から、安倍氏は総理の権限(放送法第31条)を行使して、百田氏をNHK経営委員に任命したのです(今年2月任期切れ)。

 放送法(第15条)でNHKは、「公共の福祉のために・・・良い放送番組」を提供する義務が定められています。経営委員会は「経営に関する基本方針」や「予算」などを決定する最高議決機関です(同29条)。
 特定の新聞・メディアを「つぶさないといけない」と公言する百田氏が、そのNHK経営委員に不適格であることはあまりにも明らかです。

 安倍首相の「百田氏任命」はけっして形式的なものではありませんでした。かつて2期6年経営委員を務めた小林緑国立音大名誉教授は自身が任命された経緯とくらべ、「問題の両委員(百田氏と長谷川三千子氏)が安倍首相と親しく、気脈を通じるお友達だからこそ選ばれた」ことの異常さを指摘しています(「バウラック通信」NO.5)。

 安倍首相が百田氏をNHK経営委員に任命した責任が、いまあらためて問われなければなりません。

 安倍首相はなぜ百田氏をNHKに送り込んだのでしょうか。その狙いをうかがわせるものが、第2次安倍政権誕生前に安倍氏が百田氏と行った「対談」です(「WiLL」2012年10月号=写真右)。抜粋します(小見出しは引用者)。

「左翼系メディア」
 百田 民主党ブームは左翼系メディアと手を組むことで作られましたが、橋下市長は逆に左翼系メディアと対立しながら改革を進めている。
 安倍 そこは橋下さんの才能だと思いますね。政治家はメディアとの対立を極力、避けます。
 百田 テレビにしても、反橋下の声が大きくクローズアップされてしまいますね。
 安倍 私も左翼系メディアの代表格である朝日新聞とは良好な関係ではなかったのですが、朝日は新聞だけでなく、テレビ朝日、『週刊朝日』とあり・・・それが全て敵に回るわけです。こちらはたった一人の戦いです。
 百田 多くの自民党議員も結局、朝日をはじめとするマスコミの声に惑わされたところが大きかったと思います。・・・マスコミに迎合する日和見によって、保守本道(ママ)にブレが生じてしまう。
 安倍 保守本流の道をたじろがずに進んでいきたいと思います。

「新生・自民党」
 安倍 これまでの自民党は、歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきましたが、新生・自民党では、そのようなしがらみを捨てて再スタートを切れる。・・・新生・自民党として、河野談話と村山談話に代わる新たな談話を閣議決定すべきです。
 百田 それは大変心強いのですが・・・谷垣総裁の下では「新生:自民党」と言われても、非常に心許ない。

「靖国参拝」
 百田 ズバリ伺いますが、安倍さんが再び総理の座に就いた時には、八月十五日に靖国参拝を行っていただけますか。
 安倍 私ははじめから春季秋季の例大祭の参拝が総理として適切だろうと考えてきました。・・・当然のことながら、いずれかのタイミングで参拝したいと考えています。
 百田 僕は是非、安倍さんに総裁選挙に打って出ていただきたいと思っています。
 安倍 ありがとうございます。・・・政治家として勝負をかけたいと思っています。

 安倍首相が百田氏をNHK経営委員に任命したのは、百田氏のメディア観、歴史観、政治観が自分と一致する強力な応援者だからです。その百田氏が本音を吐露したのが今回の事態です。安倍首相自身の政治責任は免れようがありません。


翁長知事はなぜ戦争法案に反対しないのか

2015年06月27日 | 沖縄・翁長知事

         

 6月24、25両日、沖縄県議会で各党の代表質問が行われました。そこでは社民党や日本共産党の議員から、県政だけでなく国政の重要問題について翁長知事の「政治姿勢」を問う質問が相次ぎました。中でも最も注目されたのは、目下の最大焦点、戦争法案に対する質疑です。

 ところが、翁長知事は、自分の「政治姿勢」が質問されているにもかかわらず、一連の重要問題について、みずから答弁することを避け、町田優知事公室長に答えさせました(写真は翁長氏と町田氏=県議会HPより)。しかもその内容は、戦争法案に反対しないどころか、事実上容認するにきわめて重大なものです。

 戦争法案だけではありません。先の憲法審査会で長谷部恭男氏や小林節氏ら(写真)が法案を憲法違反と断じたことについての見解、県政関係では高江のヘリパッド建設、宮古・石垣の自衛隊増強など、いずれも重要問題について、翁長氏は答弁を避け、町田氏に答えさせました。
 その内容を、県議会HPの中継録画から転記します。

戦争法案について

 「安全保障関連法案については、集団的自衛権の行使を含む具体的な議論が国会で行われており、さまざまな意見があるものと承知しております。在日米軍専用施設面積の約74%が集中し過重な基地負担を抱えている沖縄県として、我が国の安全保障政策の変更には重大な関心を持っており、政府は国政の場などにおいて十分議論したうえで、その影響などについて国民に丁寧に説明を行うべきであります」(24、25日)

憲法審査会での3人の憲法学者の違憲見解について

 「それぞれの憲法学者がそれぞれの立場で発言しているものであると承知しております」(25日)

高江ヘリパッド建設について

 「6カ所のヘリ着陸帯の移設については、当該地域の自然環境、地域住民の生活への影響をめぐって、さまざまな意見があるものと承知しており、今後地元の意見をうかがいつつ検討してまいりたいと考えております」(25日)

宮古・石垣への自衛隊配備強化について

 「自衛隊の配備については、地元の理解と協力が得られるよう、政府は丁寧に説明を行うべきであると考えております」(24日)

 翁長氏はなぜ、こうした重要問題について自分で答弁しないのでしょうか。それが「県民の圧倒的支持」で当選した知事の態度でしょうか。
 知事に質問したにもかかわらず答弁を回避された社民党や共産党の議員はそれでいいのですか?いくら「翁長与党」でも、見過ごしてならないことははっきり異議を唱えるべきではありませんか?

 自ら答えない以上、町田室長の答弁が翁長氏の見解であると理解せざるをえません。その内容を見れば、翁長氏が戦争法案(わざわざ「安全保障関連法案」と言い換えていますが)については、「丁寧な説明を」(自民党でも言っています)というだけで、反対していないことは明らかです。憲法学者の「違憲見解」に賛意を示さないのもそのためでしょう。
 高江のヘリパッド建設にも反対していません。宮古・石垣への自衛隊配備強化は、「理解と協力」が得られるよう「丁寧な説明」をせよとむしろ後押ししていると言えるでしょう。

 沖縄が直面し、知事が県内外に見解を明らかにしなければならない重要課題は「辺野古」だけではありません。
 戦後の重大な岐路に立っているいま、非戦・平和の先頭にたつべき沖縄の知事であれば、みずからの言葉で、戦争法案反対を明言すべきです。


翁長「平和宣言」の隠れた重要問題

2015年06月25日 | 沖縄・翁長知事

         

 23日の「沖縄慰霊の日」に翁長雄志知事が読み上げた「平和宣言」は、「ここ数年の平和宣言の中で、県民の意思を最も反映したものだった」(24日付琉球新報社説)などと「高く評価」されています。
 たしかに、沖縄米軍基地の現状、経過にふれ、過重負担の不当性を指摘しました。しかし、その内容を冷静に分析すれば、とても「高く評価」できるものではありません。
 逆に、今後の辺野古新基地建設阻止のたたかいにとっても見過ごすことができない問題が隠されています。

①「造らせない」から「困難」へ。「承認の取り消し・撤回」は一言もなし

 「知事のあらゆる権限を行使して辺野古に新基地は造らせない」。これが知事選前後の翁長氏の常套句でした。ところが「宣言」では、「新基地を建設することは困難であります」。「造らせない」から「困難」へ。
 「宣言」で「辺野古への移設作業の中止」を政府に求めたことが賛美されています。しかし、民意など歯牙にもかけない安倍政権に「中止」を求めてもムダだということはイヤというほど実証済みです。今必要なのは、政府に要求するのではなく、「造らせない」ための具体的な「知事権限」である「埋め立て承認の取り消し・撤回」を実行することです。それでこそ「平和」への宣言と言えるでしょう。しかし、「翁長宣言」はそれにはまったく触れませんでした。

 ②具体策では仲井真「宣言」よりも後退

 「沖縄は今もなお米軍基地の過重な負担を強いられております。日米両政府に対し、一日も早い普天間飛行場の県外移設、そして日米地位協定の抜本的な見直しを強く求めます」
 これも「平和宣言」の一節です。2年前の2013年6月23日、仲井真弘多知事(当時)が行った「平和宣言」です(公約違反後の昨年の「宣言」は比較の対象外)。

 これに対し、翁長「宣言」には、「一日も早い普天間飛行場の県外移設」もなければ、「日米地位協定の抜本的な見直し」もありません(「県外移設」論の問題点はあらためて検討します)。これでどうして「ここ数年の平和宣言の中で・・・高く評価」できるのでしょうか。

 琉球新報(24日付)によれば、「翁長知事は県議会2月定例会の答弁では平和宣言に・・・『県外移設』要求を掲げる考えを示していた。しかし知事は事務方と文言を練り上げる中で『県外移設』は盛り込まない判断に傾いた」といいます。なぜでしょうか。
 「戦没者を追悼する場での政治的対立を際立たせる表現を避けつつ、辺野古移設作業の中止を求めることで沖縄の民意を示すことを選んだとみられる」(同琉球新報)といいます。おかしくありませんか。「政治的対立」を持ち込むなというのは政府・自民党の言い分です。安倍政権に対する「政治的対立」なしに「平和」を宣言することはできません。正真正銘の保守・自民党知事だった仲井真氏でさえ「宣言」したことを翁長氏はなぜあえて外したのでしょうか。

 ③「建白書」の片りんも見えない

 しかし、ほんとうに比べるべきは、仲井真「宣言」ではなく、「建白書」(2013年1月28日)です。なぜなら翁長氏や翁長与党が標榜する「オール沖縄」の旗印(「一点共闘」の一致点)が「建白書」にほかならないからです。
 「建白書」の具体的な要求は2点。「オスプレイの配備撤回」と「普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念」です。しかし、翁長「宣言」には、オスプレイの「オ」の字もなければ、閉鎖・撤去の「へ」の字もありません。
 翁長氏は「建白書」を支持する圧倒的県民の支持で当選したのです。その知事が初めて行う「平和宣言」で、「建白書」の肝心の2つの要求にいずれも触れないということが許されてよいのでしょうか。

 ④「米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題」の危険な本音

 以上のような数々の問題点がありますが、私が最も重要だと考えるのは、翁長氏の次の表明です。
 「沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります」。これは、普天間基地の「県外移設」=本土移設論と一体です。

 これを言い換えれば、米軍基地は「日本の安全保障」にとって「重要」であり、沖縄に過重な負担を背負わせるのではなく、本土がもっと負担すべきだ、ということです。
 これは米軍基地を「日本の安全保障」の「抑止力」だとする日米安保=軍事同盟容認論にほかなりません。「日米安保の必要性は十分理解している」という翁長氏の本音です。

 沖縄県知事の「平和宣言」がこれでいいのでしょうか。
 翁長氏の主張からは、沖縄の軍事基地を一掃するという要求・政策は生まれてきません。日米安保必要論に立つ限り、沖縄に(もちろん本土にも)米軍基地は残ります。それでは「戦争につながる基地建設には断固反対する」(照屋苗子県遺族連合会会長の式典あいさつ)という県民・国民の多くの声に応えることはできません。
 「万国津梁の精神」で「沖縄を恒久平和の発信地」にすると言うなら、日米安保=軍事同盟を廃棄して、沖縄からすべての軍事基地を撤去すべきではないでしょうか。

 「平和宣言」に限らず、翁長氏の演説や安倍首相ら政府との会談の特徴は、沖縄の歴史や現状で正論を強調しながら、肝心な具体論・具体策はほとんど口にしないことです。
 その根源は、翁長氏が根本問題である日米安保=軍事同盟を一貫して容認・支持しているところにあります。
 だから 「辺野古新基地反対」といいながら、嘉手納や浦添など沖縄の他の米軍基地や、本島・八重山の自衛隊配備・増強には反対しないのです。
 日米安保=軍事同盟を容認する翁長氏の「辺野古移設反対」の本質・危険性が透けて見える「平和宣言」でした。


「慰霊の日」は「天皇の戦争」を胸に刻む日に

2015年06月23日 | 沖縄・平和・基地

         

 きょう6月23日は「沖縄慰霊の日」です。
 この日を「慰霊の日」とするのは適切ではない、と2年前(2013年6月22日)に書きました。理由の1つは、6月23日以降も沖縄での戦闘は続いたからです(米軍資料でも6月23日~30日に8975人の日本兵が殺害)。沖縄の日本軍が正式に降伏文書に調印したのは、8・15よりもさらに遅い9月7日でした。

 もう1つは、6月23日が「慰霊の日」とされている理由が、沖縄第32軍司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将が糸満市摩文仁で自決(写真中は自決場所)した日だからです。牛島、長の自決(命日)を「沖縄慰霊の日」とするのは、日本軍中心の発想にほかなりません。

 むしろ「戦争法案」が出されているいま、牛島、長の「自決」がどういう意味をもっていたかを考えてみることが重要ではないでしょうか。

 第1に、彼らの「自決」はきわめて無責任な行動でした。
 安仁屋政昭沖縄国際大名誉教授はこう指摘しています。
 「軍司令官が数十万人におよぶ非戦闘員を戦場においたまま、それを救うための米軍との交渉、その他の努力をまったくせずに、さっさと自決してしまうのは・・・まったく無責任な話であるといえよう」(『沖縄戦再体験』)
 牛島、長は沖縄県民を見捨てたまま、勝手にいなくなったのです。

 第2に、牛島は県民をただ見捨てただけではありませんでした。
 よく知られているように、彼は自決の直前に次のような軍命を発しました。
 「各部隊は各地における生存者中の上級者之を指揮して最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」
 全員玉砕するまでたたかえという命令です。

 第3に、こうした牛島、長の無責任・住民犠牲の根源は何かということです。
 安仁屋氏は先の指摘に続いて、こう述べています。
 「沖縄戦における軍の行動に県民に対する配慮と責任感が欠けていたのは、いうまでもなく天皇の軍隊であって、国民軍ではなかった日本軍の体質に由来するものであった。沖縄戦の構想自体も、このような帝国軍隊の特質と深くむすびついたものであった。天皇の軍隊である皇軍によって遂行された沖縄戦の論理は、結局のところ、『国体護持』の立場であり、民衆の立場に立つものではなかった」(同)

 この指摘を裏付ける事実が、今日の沖縄タイムスで我部政男山梨学院大名誉教授によって示されています。
 「牛島は『訣別の辞』を残している。文章全体の調子は天皇への謝罪が主である。・・・敗北は、陛下に対し真に申し訳ない。最後の決闘に臨んでは、散華した将兵の英霊とともに皇室の弥栄を祈念し皇国の必勝を確信すると述べる。辞世に言う。 秋待たで枯れ行く島の青草は皇国の春に甦らなむ」(沖縄タイムス2015年6月23日付)

 牛島の「辞世」は、沖縄県民を「島の青草」にたとえ「皇国の春」を願って死んでゆく、というとんでもない内容です。
 牛島や長が沖縄県民を犠牲にしてはばからない根源は天皇崇拝であり、そこに「天皇の軍隊」の本質が表れていると言わねばなりません。

 その「天皇の軍隊」が「6・23」以後に行った蛮行として忘れてはならないのが、久米島住民大虐殺です(写真右は久米島にある慰霊碑)。
 森口豁氏『沖縄・近い昔の旅』によれば、6月27日から8月20日の間に、子ども(1歳から)7人を含む21人の久米島島民が日本軍によって「スパイ容疑」などで虐殺されました。
 その隊長だった鹿山正・元兵曹長は戦後週刊誌(「サンデー毎日」1972年4月2日号)で、悪びれもせずこう語っています。
 「なにしろワシの部下は三四人、島民は一万人もおりましたからね。島民が向こう(米軍)側に行ってしまったらひとたまりもない。だから島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするためにも、断固たる処置が必要だった。島民を掌握するためにワシはやったんです」
 鹿山の言う「日本に対する忠誠心」とは、「天皇に対する忠誠心」と同義です。

 「6月23日・慰霊の日」は、ただ沖縄戦の犠牲者を悼むだけでなく、住民犠牲の根源である「天皇の軍隊」の無責任さ、残虐さを思い起こし、天皇制廃止、非戦・非武へ誓いを新たにする日にしたいものです。


NHKが伝えなかった中村文子さんの思い

2015年06月20日 | 沖縄・平和・基地

         

 戦後、沖縄反戦・平和運動の先頭に立ってきた中村文子さん(享年99)が亡くなられて、今月27日でちょうど2年になります。
 それにちなんでかどうか、NHKはきょう20日早朝の「あの人に会いたい」という10分番組で、中村さんを取り上げました(写真左)。

 中村さんの生前の活動を代表するのは、アメリカが持つ沖縄戦の記録フィルムを市民の募金で少しずつ買い集めた「1フィート運動」です。中村さんは1986年から同会の事務局長を務めました(会は2013年に解散)。
 中村さんの死去に際し、ともに「1フィート運動」をすすめてきた大田昌秀元沖縄県知事はこうコメントしました。
 「教え子を戦場に送ったという後悔の念を絶えず持っていて、戦時中の責任を取るという思いで1フィート運動に全力を傾けてくれた。沖縄の平和運動にとって欠かすことのできない大切な人物だった」(2013年6月28日付琉球新報)

 NHKの番組は中村さんと「1フィート運動」のかかわりはそれなりに描きました(写真中)。しかし、中村さんを追悼するなら、絶対に落としてはならないことが、NHKの番組ではすっぽり抜け落ちていました。

 私が中村さんの活動や思いの一端を知ったのは、他界からまもない2013年7月22日に琉球放送で放映された「草の根は叫び続ける~中村文子1フィートの反戦~」という番組(2003年の再放送)を沖縄で見たときでした。
 その中で、中村さんが1978年、自民党政府が「有事立法」を初めて国会に提出した時以来、自宅の床の間に、ある手書きの掛け軸を掛け始めた、と紹介されました。それは、「日本国憲法第九条」を書き写した掛け軸です(写真右)。

 琉球放送の番組は、中村さんの次の言葉で終わりました。
 「沖縄から基地を取り払うのを見届けて、あの世で教え子たちに、『昔の沖縄に戻したよ』と報告したい。それはたやすいことではありません。草の根から大きな声を上げなければ」

 沖縄の市民運動を代表する33人の共著『沖縄は基地を拒絶する』(2005年)で、中村さんはこう語っています。
 「七五%(日本全体の米軍基地の―引用者)の基地の無条件全面返還を勝ち取る道のりは、遠くけわしいでしょう。でも、あきらめると負けになります。何ものにもおびやかされず、緑豊かな自然の中で、次の世代を健全に育てあげることが、私たちの願望だからです

 憲法9条を文字通り座右の銘とし、沖縄基地の無条件全面返還を勝ち取る。そのために草の根の運動を粘り強くたたかい抜く。それこそが「1フィート運動」から脈々と流れている中村さんの思いでしょう。

 安倍政権の「戦争法案」によって、あるじ亡き床の間の掛け軸は、大きく揺れています。
 いままさに、「草の根から大きな声を上げなければ」!   


「日の丸」を初めて那覇市役所に掲げたのは翁長氏

2015年06月18日 | 沖縄・翁長知事

         

 下村博文文科相が16日の国立大学長会議で、入学式などでの「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱を要請(写真左=17日付沖縄タイムスより)した問題は、予算配分権限を持つ担当閣僚=国家権力の露骨な圧力です。
 発端は4月9日の参院予算委員会の「税金によって賄われていることに鑑みれば、新教育基本法にのっとって正しく実施されるべきだ」という安倍首相の発言です。。「当初の(文科省官僚が用意した=引用者)答弁案は、ここまで踏み込んでいなかった」(17日付中国新聞)といいますから、これまた官邸=安倍首相の暴走です。

 安倍首相や下村文科相のこうした発言が、「大学の自治」「学問の自由」への攻撃であることは明らかです。同時にそれが、学生や教員、式典参加者らの「思想・信条・良心の自由」を侵害することもいうまでもありません。

 下村発言を聞いてすぐ頭に浮かんだのが、5月28日の東京高裁判決です。卒業式で「君が代」斉唱時に「起立」せず信念を貫いた元中学教諭、根津公子さんの逆転勝利です(写真中。左が根津さん、右は同様裁判をたたかった河原井純子さん=5月29日付東京新聞より)。
 判決は、思想・信条に反して「起立」を強制されることは、「憲法が保障する思想や良心の自由の侵害につながる」と断じました。
 安倍首相に続く下村文科相の発言は、直前のこの東京高裁判決に照らしても、絶対に許されるものではありません。

  沖縄の国立大学の琉球大学は、1950年に創設されましたが、今に至るも「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱は一切行っていません。下村発言に対し、大城肇学長は、「国旗国歌の議論は棚上げしたい」(17日付沖縄タイムス)と述べています。

 沖縄において「日の丸」「君が代」が特別の意味を持っているのは、もちろん教育の現場だけではありません。
 それは、沖縄戦で沖縄を「捨て石」にした天皇制国家の象徴であり、1972年の「復帰」以降は沖縄を再び天皇制イデオロギーに取り込み、再植民地化を図る思想的武器にほかなりません。

 本土自民党政権のそうした狙いが端的に表れたのが、海邦国体(1987年)でした。「国体には、開会式への天皇出席、『日の丸』掲揚、『君が代』斉唱、自衛隊の協力などが、当然のごとくついてまわっていた」(新崎盛暉氏『沖縄現代史』)のです。あくまでも「日の丸」掲揚を強行しようとする日本政府に対し、読谷のソフトボール会場で知花昌一氏が「日の丸」を焼き捨てて抗議したことはよく知られています。

 その沖縄で、県庁所在地・那覇の市役所に、県民・市民の反対を押し切って、史上初めて「日の丸」を掲揚(2001年5月20日)したのは、誰だったでしょうか。当時の那覇市長、現在の沖縄県知事、翁長雄志氏その人です(写真右、右端が翁長氏。『創造への挑戦』より)

 そのいきさつを、翁長氏自身が自著『創造への挑戦』(2003年)でこう語っています。
 「私が市役所で日の丸掲揚をしましたら、なんだお前、市民本位と言いながら、あるいはイデオロギーを乗り越えると言いながら、なんで日の丸を揚げるんだというようなお叱りがございます」「私はこの日の丸ということを考えた場合に本当に革新の方々が目の敵にしていろんな形で話をします。もちろん戦前の日本軍国主義などアジアの皆さん方に迷惑をかけたというようなものは否めないところがあると思っております。しかし、私は日の丸に責任があるのではないんだと考えております

 翁長氏の「日の丸」美化は、“世界の中の日本”につながります。こうしめくくっています。
 「日の丸そのものは私どものシンボルとして、そして世界に日本国民の一員としてやっていく基本的な私はベースだろうということで日の丸の問題もやっているわけであります」(『創造への挑戦』39㌻)

 「日の丸」が「日本国民」の「シンボル」であり「基本的なベース」!
 「日の丸」を信奉する翁長氏は、今回の下村発言をどうとらえているのでしょうか?
 「翁長与党」の「革新」会派は、こうした翁長氏の持論をどう受け止めているのでしょうか?


Nスペ「沖縄戦全記録」のもうひとつの視点

2015年06月16日 | 自衛隊・軍隊

         

 14日夜、NHKスペシャルで「沖縄戦全記録」という番組が放送されました。
 タイトルや前宣伝とは裏腹に、新事実は乏しく、全体像にはもとよりほど遠い内容でした。しかも、「靖国神社へ行けると思って喜んで死んだと思う」など、「皇民化教育」の影響下にあった住民の証言を無批判に紹介するなど、不十分な点は多々ありました。

 しかしそんな中でも、あらためて注目すべき点はありました。

 ★「軍官民共生共死」の名の下、「防衛召集」で住民を「根こそぎ動員」
 大本営が沖縄の主力部隊を台湾に回したことから、沖縄守備隊はその穴埋めとして、14歳以上(実際はもっと低年齢から)の沖縄住民を召集しました。長勇・第32軍参謀長は「全県民が兵隊になるのだ」と公言(写真左)。住民は「軍事訓練もせずその日からすぐ実戦。一番危ない仕事」(日本軍元上等兵)をやらされました。
 女性も動員され、男性とともに、「斬り込み」という“自爆戦”を命令されました。

 ★住民を犠牲にした日本軍
 日本軍兵士は同じ壕の中に逃げていた住民を追い出したり、住民に偽装したり、「住民を隠れミノにしていた」。元大尉は「偽装」を黙認したと述懐し、元上等兵は「住民を利用したかもしれない」と証言しました(写真中)。

 こうしたことは周知の事実ですが、沖縄戦が、住民を根こそぎ犠牲にする「捨て石作戦」であったこと、軍隊は住民を守らない、それどころか犠牲にするものだということが、数々の証言で示されました。
 不十分なところ(例えば終戦を引き延ばして犠牲を拡大した昭和天皇の責任には一切ふれないなど)はいろいろありますが、NHKスペシャルが今の情勢で、こうした事実を示した意味は小さくないでしょう。

 同時に、別の視点から注目すべき証言がありました。米軍の証言です。

 番組は、沖縄戦の司令官側近だったジェームス・バーンズ曹長の「陣中日記」をたどる形で進行しました。その中でバーンズは、最大の激戦だったシュガーローフの戦い(1945年5月14日)で、海兵隊約4000人が戦死したほか、231人が「戦闘神経症」という精神の病にかかったと記しています。

 またある部隊は、逃げる人々を銃撃しましたが、あとでそれが全員日本兵ではなく沖縄の住民だったことがわかりました。その時の兵士は、70年たった今もそのことが脳裏から離れず、「疑心暗鬼だった。先に撃つしかなかった」と、うつむいて慟哭しました。

 南部に追い詰められた沖縄住民は、捕虜になるより死ねという「戦陣訓」によって、次々に崖から飛び降りました。目撃した元兵士は、「一番つらかったのは身を投げて死んだ子どもの無残な姿を見たこと」と声を詰まらせました(写真右)。

 バーンズは戦後ジャーナリストとなり、ピューリッツァ賞も受賞しましたが、沖縄戦のことは一切語ろうとしなかったといいます。

 戦争(戦闘行為)は、殺された人が犠牲になるだけでなく、殺した方も一生苦しめます。

 「戦争法案」を巡る国会質疑の中で、アフガン戦争(2001~10)で25人、イラク戦争(2003~09)で29人、計54人の派兵経験自衛官が自殺していたことが明らかになりました(5月27日、日本共産党志位和夫委員長の追及)。自殺者でこの数です。精神の病に犯された自衛官はいったいどのくらいにのぼるのでしょうか。

 これは集団的自衛権行使が認められていない中での実態です。「戦争法案」によって集団的自衛権が公然と行使され、戦闘に参加することになれば、いったいどれだけの自殺者、精神病者が生まれるでしょう。

 自衛官の犠牲、加害者としてのこころの痛みを、他人事として傍観することは許されません。
 自衛隊を戦場に送る「戦争法案」は、絶対阻止しなければなりません。

  

 


琉球新報、沖縄タイムスに問われているものは何か

2015年06月13日 | 沖縄

         

 写真誌「フライデー」(6月26日号、講談社発行)に、「スクープ撮 菅官房長官が『沖縄タイムス』『琉球新報』と“懐柔密会”」という見出しの記事が出ました(写真中)。
 6月8日夜、「都内超一流ホテルのロビー階にあるバーの個室」で、菅氏と「沖縄タイムス、琉球新報の幹部」が、「2時間以上」会談した。前の週に官房長官サイドから「地元紙との懇親をはかりたい」との打診があり、「場所等は、官邸側で準備した」、というのが記事の概要です。

 同記事には、タイムス、新報の次のようなコメントが載っています。

 「菅長官から直接話をうかがい、考えを聞く機会と捉え、取材方法の一環として参加しました。菅長官は基地移設計画を進める従来の政府方針を説明しただけで、理解を求める発言はなかったと記憶しております。会合によって、沖縄タイムスとしての立場に変更はありません」(沖縄タイムス社東京支社)

 「日常の取材活動、取材源についてのコメントは差し控えます。辺野古新基地問題についての本紙の報道姿勢に変更はありません」(琉球新報社東京報道部)

 両紙ともいまのところ「フライデー」に抗議はしていません。

 この記事が事実なら、私が最も気になるのは、当日の飲食代を誰が出したのかということです。両紙が取材費として出したのか、菅氏が「官房機密費」から出したのか、それとも割り勘だったのか。

 首相をはじめ時の政権幹部とメディアが、夜の料亭やホテルで飲食を共にしながら「懇談」するのは、新報、タイムスに限らず、残念ながら日本のメディアの宿痾です。
 折しも、「週刊ポスト」(6月19日号、小学館発行)は、「『マスコミ特権』は世界の恥だ」と題する特集を組み、「安倍首相と大新聞・テレビ幹部&記者『夜の会食』完全リスト」(写真右)なるものを掲載しました。
 第2次安倍政権の2013年1月から15年6月1日までの首相とメディアの「夜の会食」を、一覧表(表にあらわれているものだけ)にしたものです。

 数えてみると、その回数は61回にのぼります。一覧表に出ている「参加者」を会社ごとに分類すると、のべ人・回数は次の通りとなります。
 「読売」18、「時事」10、「産経」9、「毎日」7、「朝日」6、「フジテレビ」5、「日テレ」5、NHK4、「日経」4、「共同」4、「テレ朝」4、「中日(東京)」2、「中国」1、「西日本」1、「静岡」1。このほか、「報道関係者」3回、「内閣記者会キャップ」3回、「首相番記者」「報道各社の論説委員」「報道各社の政治部長」「女性記者」各1回など。ちなみに、個人で最も多かったのは、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長で9回にのぼっています。

 これらの「夜の会食」にかかった経費は官房機密費(もちろん税金)から出されるのが常です。この機密費というブラックボックス、民主党政権誕生時に「全容を解明する」と大見得を切りながら、雲散霧消してしまったのは記憶に新しいところです。

 新報、タイムスがこうした「大手メディア」の悪弊の“仲間入り”をすることは、もちろん好ましいことではありません。
 でも、新報、タイムスにいま最も問われていることは、はたしてこうした問題でしょうか。

 沖縄タイムスは6月10日付で「翁長知事就任半年」の特集を組み、「辺野古強行国を追及」「痛烈な言葉、世論も支持」などの見出しで翁長知事の「半年」を賛美しました。琉球新報も翌11日付で「就任半年」をまとめ、「辺野古移設の考えを変えない国に、県行政としていかに対峙し、県民意思を実現していくかという命題に挑んでいる」と翁長氏を持ち上げました。

 しかし、「就任半年」を振り返るなら、翁長氏が選挙で公約した「埋め立て承認の取り消し・撤回」に、半年たってもいまだに手を付けず、「視野に入れる」「選択肢」にとどめていることを、なぜ両紙は追及しないのでしょうか。

 たとえば琉球新報は2月26日の社説で、「もやは許可取り消しの可能性を論じる段階ではない。…移設作業をこれ以上続けさせてはならない。翁長雄志知事は即刻、許可を取り消すべきだ」と主張しました。沖縄タイムスも3月8日の社説で、「これ以上のブロック投入やボーリング調査の再開を許してはならない。翁長知事には速やかに知事権限を行使してもらいたい。決断の時だ」と迫りました。

 両紙のこうした主張はどこへ行ってしまったのでしょう。辺野古の事態はこれらの社説の時点よりさらに日々悪化していことは周知の通りです。両紙はなぜ当時の主張を引っ込めてしまったのでしょう。なぜ今こそ声を大ににて「取り消し・撤回」を求めないのでしょうか。そこに、「取り消し・撤回」を行わない翁長氏への配慮・迎合がないと言い切れるでしょうか。

 翁長知事の言動を、メディアとしての曇りない目で見て判断・評価し、言うべきことを堂々と主張する。それがいま両紙に問われている最も重要な問題だと私は思います。


なぜ沖縄高校生の「基地容認」が進行しているのか

2015年06月11日 | 日米安保・沖縄

        

 沖縄歴史教育研究会と県高教組が合同で、「戦後70年」に合わせて沖縄県内の高校生にアンケートを実施しました(県立高校36校、2年生2340人回答)。
 一般に、アンケートの結果にはいろいろな要素が作用し、数字の独り歩きは危険ですが、それを踏まえてもなお、今回の結果には見過ごせない傾向が表れています。

 回答の特徴は、「沖縄戦に対する意識は高いが、戦後の現代史には関心が薄く、米軍基地の存在にも違和感が少ない」(5月23日付沖縄タイムス)ものだったといわれます。
 その主な「根拠」とされているのが、写真左と中の円グラフ(同紙より)です。

 ①普天間飛行場について
 「国外・県外移設」34・6%(前回2010年は46・8%)、「現在のままでよい」20・7%(同14・8%)、「わからない」36・0%(同32・7%)
 この5年間、「辺野古新基地反対」のたたかいや、それを争点とする選挙が繰り広げられてきた中でのこの結果です。

 ②沖縄の米軍基地について
 「全面撤去すべき」9・6%、「整理縮小すべき」52・4%、「今のままでよい」22・1%、「もっと強化すべき」2・2%、「わからない」13・7%。
 「全面撤去」と「整理縮小」の合計を、5年間の推移で見たのが右の棒グラフ(琉球新報より)。10年前に比べ10㌽以上減少しています(1995年は「少女暴行事件」、2000年は「沖縄サミット」の年)。

 調査した同研究会は、「若者の基地容認が進んでいる証だろう。基地の形成過程や実態をよく知らないため、抵抗感が少ない」「沖縄の平和教育は沖縄戦については詳しく教えるが、基地問題には深入りしない傾向がある。平和教育のあり方を再検討すべきだ」(6月3日付沖縄タイムス)と分析しています。

 同研究会の中心メンバーでもある新城俊昭沖縄大客員教授は、「県内の平和教育の課題」として、「慰霊の日に向けたイベント的な学習になっていることや加害国の一員としての視点が弱いこと、基地問題や国際紛争などの現在の問題を考える学習とつながっていないこと」などを挙げ、さらにその原因について、「平和教育が教育課程になく、専門の資格を持った教員がいないため学校や教員など現場任せになっており、指導方法に一貫性がない」という問題を指摘しています(5月29日付琉球新報)。

 こうした「平和教育」の問題点は、沖縄だけでなく、被爆地・広島、長崎はじめ全国に共通する課題でしょう。

 しかしその上で、普天間基地を含め「若者の基地容認が進んでいる」問題に戻れば、その原因を「平和教育」のあり方にだけ帰することはできないでしょう。
 沖縄をはじめ日本に米軍基地が存在する元凶は、いうまでもなく日米安保条約(軍事同盟)です。その日米安保の実態・本質、さらにそれは双方から廃棄通告ができ、「通告が行われた後1年で終了する」(第10条)と条約自身に明記されていることも含め、日米安保廃棄についてまったくといっていいほど、政党もメディアも語らなくなっています。日本社会にまん延しているこうした「安保タブー」が、国民の、そして若者の「基地容認」の根本的な背景ではないでしょうか。

 沖縄における「安保タブー」は、「辺野古新基地反対」のたたかいの一方で、「日米安保はよく理解し、支持する」と繰り返し公言する翁長雄志知事を賛美する風潮の中に表れています。

 例えば、3万5000人が結集した「5・17県民大会」を絶賛する平敷武蕉氏(文芸評論家)も、こう指摘しています。
 「大会で気になったことを一つ。保守政治家や経済界のリーダーが口を極めて政府の方針を批判しているのに比して革新団体の革新性が薄い。辺野古新基地の建設は日米安保条約を法的根拠としている。安保は容認する翁長知事に配慮してのことであろうが、皆が、元凶である安保を口にしないのはおかしい」(5月25日付沖縄タイムス)

 「安保タブー」を打ち破り、日米安保=軍事同盟を廃棄して、基地のない非同盟・中立の日本を目指す。その声・世論を広げる。それが次の時代を担う若者たちへの、私たちの責任ではないでしょうか。


被爆地・被災地より「国家神道」の“聖地”か

2015年06月09日 | 安倍政権

         

 安倍首相は5日、来年日本で行われるサミット(西側首脳会議)の開催地を伊勢志摩にすると発表しました(写真中)。会見では「大変迷った」と言いましたが、実際はあらかじめ自分で決めていた「伊勢志摩」を強引に押し込んだ出来レースだったことは明白です。安倍氏が「伊勢志摩サミット」にこだわる狙いは何なのか。

 「伊勢志摩」に決まった「舞台裏」を各紙はこう伝えています。

 「(三重)県幹部は『昨年12月に官邸サイドから鈴木英敬知事に誘致するよう働き掛けがあった』と舞台裏を明かす。三重県が開催地に名乗りを上げたのは1月21日。政府が各自治体に求めた応募は昨年8月末に締め切っていた。約5カ月遅れの『後出しじゃんけん』。官邸が白羽の矢を立て、立候補を促して選定するのは08年の北海道洞爺湖町の時(決定は第1次安倍内閣―引用者)と同じパターンだった」(6日付中国新聞=共同)
 「鈴木知事は伊勢神宮が宗教施設である点や、すでに伊勢志摩以外に7都市が開催候補地に名乗りを上げていたことから、やや遠慮気味に『今から手を挙げても間に合いますか』とたずねたところ、首相は『いいよ』と即答。」(6日付朝日新聞)

 コケにされた7都市の中には、被爆地・広島市や被災地・仙台市が含まれています。

 安倍首相が広島を避けた背景には、オバマ大統領への“気配り”があるとみられています。
 「広島市での開催にオバマ大統領が参加することになれば、米大統領としては初の歴史的訪問となったが、政権幹部からは『被爆地訪問は米国が嫌がるだろう』と懸念する声が上がり、実現しなかった」(朝日新聞、同)
 「サミットと広島市が切り離されたことで・・・米側は望ましいと考えているとみられる」(6日、ワシントン共同電)

 安倍政権はさきのNPT再検討会議で、各国首脳に被爆地訪問を促す提案をし、中国などの反対を受けました。日本の提案に対してはNGO関係者から、「日本政府は『核の傘』にしがみついている。核軍縮をリードしているとアピールするために被爆地を利用しているようにさえ見える」(1日付中国新聞)との声があがっていましたが、広島開催がオバマ大統領への配慮から却下されたとすれば、こうした指摘を裏付けるものです。

 安倍首相が「伊勢志摩サミット」にこだわったのはなぜでしょうか。

 「警備」や「自然環境」などが理由として挙げられていますが、それは表向きで、本音は、「日本の精神性に触れていただくには大変よい場所」(5日)だということでしょう。「首相が伊勢志摩サミットを決断した直接のきっかけは、今年1月5日の伊勢神社参拝にあった」(朝日新聞、同)からです。

 伊勢神宮(写真右は参拝する秋篠宮佳子氏)は言うまでもなく単なる「宗教施設」ではありません。
 伊勢神宮に祀られているのは、「天皇の祖先神」・天照大神です。「天照大神の伊勢鎮座は大和系民族の東方経営と深いつながりをもつ」(宮本常一編著『伊勢参宮』)といわれています。伊勢神宮は出発点から、大和朝廷の東方征伐の戦略と結びついていたのです。

 伊勢神宮の今日につながる意味・役割は、それが近代天皇制・国家神道の中心的存在になったところにあります。
 「近代天皇制国家の宗教政策は、国家神道の強制と宗教の徹底的な統制支配を基本的特徴としている。・・・天皇の祖先神を祀る伊勢神宮は、本宗として全神社の頂点に位置付けられ、天皇の宗教的権威と神社神道を直結することによって、新しい国教『国家神道』が作り出された」(村上重良氏『天皇制国家と宗教』)
 「天皇の祖先神天照大神を祀る伊勢神宮を本宗に・・・天皇は、皇祖神に連なる神聖不可侵な神であるとともに、みずから皇室祭祀を掌る国の最高祭司であった」(同)

 伊勢神宮を“聖地”とする国家神道によって、天皇は「神聖不可侵」とされ、その天皇制の下で侵略戦争が強行されたのです。
 国家神道の普及政策は国内だけでなく、朝鮮、台湾などの植民地にもおよびました。

 「植民地、占領地では、天照大神の権威と天皇の御稜威(みいつ、威光―引用者)を広く海外に及ぼすとして、あいついで神社が創建され」「十五年戦争の開始とともに、組織的な皇民化政策が実施され」(村上氏、同前)たのです。

 伊勢神宮こそは、天皇制・帝国日本が侵略戦争、植民地政策を推し進める精神的中心だったのです。
 安倍首相が来年のサミットで、各国首脳に「触れ」させ、世界中にアピールしようとしている「日本の精神性」とは、こうした歴史を持つ国家神道の「精神性」にほかなりません。
 オバマ大統領らはそれを承知で、伊勢神宮の鳥居をくぐるのでしょうか。