アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日米軍事同盟とベトナムー基地・原発・枯葉剤

2016年05月31日 | 日米安保と東アジア

     

 オバマ大統領の今回の訪日(広島訪問を含む)は、日米軍事同盟をアピールすることに大きな狙いがあった、と述べてきましたが、それを裏付けるもう1つの、あまり注目されていない事実があります。
 それは、オバマ氏が日本に来る前にベトナムに立ち寄ったことです。

 オバマ氏のベトナム訪問について、ローズ米大統領副補佐官は19日、「『日本とベトナムの歴訪は困難な歴史がいかに克服されたかを示す』と述べ、平和な関係構築の重要性をアピールする機会との認識を表明」(21日付中国新聞=共同)しました。
 しかし、実際は「平和」とは正反対の「関係構築」のためでした。

 オバマ氏はベトナムで23日、チャン・ダイ・クアン国家主席と会談し、アメリカからベトナムへの武器輸出規制を完全に解除することで合意しました(写真中)。
 それは、「中国への対抗軸として軍事、経済両面で戦略的連携を深めることになり、地域の勢力図に変化をもたらす可能性もある」(24日付琉球新報=共同)ことです。

 一方、日本とベトナムとの関係で忘れてならないのは、安倍政権が福島原発事故をよそにすすめようとしている「原発輸出」の相手国の1つがベトナムだということです。
 伊藤正子京都大准教授は、日本の「原発再稼働」と「原発輸出」の背景には「米国の圧力」があるとして、こう指摘します。

 「12年夏に出された第3次アーミテージ(元米国務副長官)報告を分析した坂本恵・福島大教授は、『日本によるベトナムへの原発輸出計画は日越2国間の問題ではなく、その背景には、日本を有効な戦略上のパートナーとしてベトナムへの原発輸出を利用する形で、アジアにおけるプレゼンス維持を確固としたものにしようとするアメリカのアジア安全保障戦略がある』とする。日米安保により『属国』化した日本では、沖縄の基地問題と同様、原発の問題も片付かないのかもしれない」(5月25日付中国新聞)

 オバマ氏の今回の訪日は、たんなる日米軍事同盟のアピールにとどまらず、中国包囲網の戦略的思惑から、米・日・越の軍事一体化を推進する狙いがあったのです。その日米軍事同盟の下で、沖縄の米軍属遺棄事件は棚上げされ、米軍基地は温存、日米地位協定すら手をつけない。そしてアメリカに従属する安倍政権によってベトナムへの原発輸出が進められようとしているのです。

 もう1つ。オバマ氏が広島で原爆投下を決して謝罪しようとしなかったのと対称をなすことがベトナムでもありました。それはアメリカがベトナム戦争で多くの市民を殺戮し、いまなお約300万人の被害者が塗炭の苦しみにあえいでいる枯葉剤の投下について、オバマ氏が一言も謝罪しなかったことです。

 27日のNHKニュースは、オバマ氏が枯葉剤に口をつぐんだことに対し、被害を受けて寝たきりの息子を抱える母親の痛切な伝えました。「(オバマ氏に)子どもの姿をみてほしい。子どもたちを助けてほしい」(写真右)
 枯葉剤被害者協会のグエン・バン・リン会長もこう訴えます。
 「米国は枯葉剤被害を忘れようとしている。オバマ大統領はもっと関心を持ってほしい」(5月26日付中国新聞)

 オバマ氏が広島で原爆投下を謝罪しなかったのも、ベトナムで枯葉剤散布を謝罪しなかったのも、根は1つ。いかに国際法違反の非人道的な殺戮兵器でも、戦争のためなら許される、と考えているからではないでしょうか。

 ここに戦争・軍隊・軍事同盟の本質が端的に表れています。その軍事同盟を強化しアピールすることが、今回のオバマ氏のベトナム・日本(広島)歴訪の最大の目的だったことを決して見逃すことはできません。


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伊勢サミットに憲法違反・「宗教的行為」の疑惑

2016年05月29日 | 天皇制と人権・民主主義

   

 伊勢志摩サミットが始まる前に、伊勢神宮の性格からみて、各国首脳が訪れることの問題を考えました(5月17日のブログ参照 http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20160517)。

 ここでは別の視点から、安倍首相がサミットで各国首脳を伊勢神宮に連れて行ったことの問題点を考えます。それは首脳らの伊勢神宮「訪問」は、日本国憲法(第20条)の「政教分離の原則」に反する宗教的行為ではないか、という重大な問題です。

 伊勢神宮が天皇家の皇祖神・天照大神を祀っている国家神道のれっきとした宗教施設であることは天下周知の事実です。したがって政府も今回のことが宗教活動とみなされないように、首脳らは「訪問」したのであって、宗教的行為となる「参拝」ではないと強弁してきました。

 結果はどうだったでしょうか。
 政府は、「首脳らに日本の自然や伝統文化を肌で感じてもらった。神仏を拝むような宗教的行為を強要することはなかった」と言います。ところが政府は、「境内での行動の詳細は明かさないまま」(27日付琉球新報)なのです。

 「首脳らは内宮の最も奥に位置する正宮まで進んだ。天照大神が祭られ、神道の作法である『二拝二拍手一拝』する場所だが、外務省はこの場での安倍首相や首脳なの行動を非公表とした。正宮での取材は禁じられ、中継映像でも様子は放映されなかった」(同)

 各国首脳が伊勢神宮内でどのような行為をしたのか、一切非公表なのです。これでは政府がいくら「神仏を拝むような宗教的行為はなかった」と強弁しても、それを証明することはできません。
 ほんとうにやましい所がないのなら、なぜ取材禁止にしたのでしょうか。堂々と公開すればいいではありませんか。隠すほど現る。首脳らが宗教的行為を行った疑惑は極めて濃厚です。その場合、首脳らは安倍首相の指示に従った(あるいは見様見真似)でしょうから、事実上安倍首相が「参拝」を強要したことになるでしょう。

 もう1つの見逃せないのは、「記念植樹」(写真右)です。
 植樹は「地鎮祭」などと違ってそれ自体が宗教的行為とは言えないでしょう。しかし、植樹によって樹木を伊勢神宮に提供することは、神宮への寄付行為にあたるのではないでしょうか。そうだとすれば、サミット費用から特定の宗教施設に公金を支出したことになり、憲法上重大な問題が発生します。専門家の見解を聴きたいところです。

 ところで、今回のサミットで一番先に日本に来たのは、カナダのトルドー首相夫妻でした。トルドー氏らはタイトなスケジュールの中、伊勢志摩へ向かう前日、東京に滞在しました。真っ先に訪れたのは、明治天皇を祀っている明治神宮でした。そして次に行われたのが、皇居での天皇・皇后との面談でした。
 こうした日程がトルドー氏の希望だったとは考えにくく、日本政府、というより安倍首相がつくった工程表だったとみるのが妥当でしょう。

 首脳らを伊勢神宮に連れていくのは安倍首相の強い意向でした。安倍氏は首脳らに「日本の伝統や精神性に触れてもらいたい」とし「(伊勢神宮は)日本の精神性に触れるには大変良い場所」(琉球新報同前)だと公言していました。

 伊勢神宮は国家神道の中心であり、天皇裕仁はアジア太平洋戦争に突入する前に行って「戦勝祈願」(1940年6月9日)し、敗戦後に再び訪れて「終戦奉告」(1945年11月2日)を行うなど、侵略戦争推進の精神的支柱になった所です。

 日本の首相が、このような宗教的・歴史的意味をもつ宗教施設を「日本の精神性」を代表する所だとして各国首脳を案内し、おそらく「参拝」させたであろうことは、憲法違反の宗教的行為であると同時に、極めて重大な思想上、イデオロギー上の問題だと言わねばなりません。

 そしてこうした安倍首相の「思想」、政治的思惑が、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」(前文)、「天皇は、日本国の元首」(第1条)とする「自民党憲法改正草案」(2012年4月27日決定)と深くつながっていることを見逃すことはできません。

 


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オバマ氏は被爆者を愚弄するのかーないない尽くしの広島訪問

2016年05月28日 | 核・被爆者と日米同盟

    
   

 27日のオバマ大統領の広島訪問を、多くのメディアが「歴史的」と称賛し、NHKも民放も「歓迎」「感動」する被爆者や市民を意識的にとりあげています。
 メディアのこうした現状、それによってつくられる社会の風潮に、大きな違和感と危機感を禁じえません。

 オバマ大統領の広島訪問のどこに「評価」できる部分があるでしょうか。冷静に事実を見れば、そこにあったのは、自らの花道を飾るレガシー(遺産)づくりの思惑と、日米(軍事)同盟のアピールだけだったではありませんか。被爆者・被爆地はそのためのダシにされたのです。

 平和公園での滞在時間わずか48分(17:25~18:13)。
 「現職大統領初の広島訪問」はまさに、ないない尽くしでした。

 ★「謝罪」も礼もない…国際法違反のジェノサイド兵器・原爆を投下した国のトップとしての「謝罪」は、予想通り一言もありませんでした。「謝罪」どころか、献花の際に頭さえ下げませんでした(先のケリー国務長官同様)。

 ★原爆投下の過ちも認めない…「謝罪」とまでいかなくても、せめて「オバマ大統領は、原爆投下は間違っていたと表明するべきだ」(平岡敬元広島市長、21日付中国新聞)という声は少なくありませんでした。しかしオバマ氏はこれも完全に無視しました。

 ★資料館はろくに見ない…オバマ氏が平和(原爆)資料館に行ったことをもって「原爆の実相に触れた」と評したキャスターがいましたが、とんでもない話です。
 オバマ氏が資料館に入ったのは17:26、出てきたのが17:36。その間ちょうど10分です。しかも中で記帳したり、折鶴を中学生に渡すなどしています。いったい肝心の被爆資料を見る時間はどれくらいあったのでしょう。よくて数分というところでしょう。約2万点の資料のうちオバマ氏は数分で何点を見たというのでしょうか。
 NHKの被爆者アンケートでも88%(複数回答)が「資料館へ行ってほしい」と望んでいました。その声はむなしく踏みにじられ、わずか数分で「資料館へ行った」というアリバイづくりがされただけでした。

 ★被爆者とは会わない…被爆者のもう一つの切なる願いは、被爆者に直接会って肉声を聴いてほしいということでした(共同通信の被爆者アンケートー5月23日付ーでは69%-複数回答)。しかし、献花の場に招かれた被爆者はわずか4人(しかも被爆団体の幹部ら)だけ。それも「面会」にすぎず、およそ「話を聴く」というものではありませんでした(写真⑥)。

 ★朝鮮人被爆者の慰霊碑には行かない…植民地政策によって強制的に日本に連れてこられるなどして被爆した朝鮮人は、広島で5万人、長崎で2万人といわれています(「韓国原爆被害者協会」調べ)。「オバマ訪広」が決まった直後から、韓国の被爆者団体は平和公園内にある「韓国被爆者慰霊碑」へも行くようオバマ氏に要請し、そのために26日には韓国から6人が訪日しました(写真③)。しかしオバマ氏は、スピーチの中で一言「朝鮮半島出身の被爆者」に触れただけで、慰霊碑には見向きもしませんでした。

 ★「核廃絶」の具体策も意欲もない…注目された「所感」(スピーチ)は17分7秒に及びましたが、中身はまったく空疎。第三者的で抽象的な「戦争」論や「文明」論に終始し、肝心の「核廃絶」に関する具体策、自分が何をするのかという具体的な決意・道筋は一切ありませんでした。「プラハ演説よりも後退」(直野章子九州大准教授、28日付中国新聞)したもので、7年半の任期中、核廃絶に何ら成果を上げてこなかったオバマ氏の姿を象徴的に示すものでした。

 こうした「ないない尽くし」の一方、目に余ったのが、日米(軍事)同盟のアピールです。

 オバマ氏は広島に来る前にわざわざ岩国基地に立ち寄り、米軍兵士と自衛隊員を前に、「かつての敵国が強固な同盟国となった」と日米同盟を誇示しました(写真①)。沖縄米軍属の女性殺害遺棄事件などどこ吹く風です。
 そして岩国基地から広島へ向かう専用ヘリを先導させたのが、なんと4機のオスプレイでした(写真②)。どこまで沖縄を足蹴にすれば気が済むのでしょうか。

 スピーチの中でオバマ氏は日米の「同盟関係」と「友情」を強調し、それを受けた安倍首相が、「日米同盟は世界の希望」とフォローしました。(そもそも安倍首相がスピーチする時間があったら、少しでも被爆者と対話してはどうか)

 ★「今後へ期待」などまったくできない…オバマ氏のスピーチには不満をもちながらも、「これが出発点」などと今後に期待する(したい)被爆者・市民は少なくないでしょう。では「今後に期待」できるかといえば、まったく幻想でしかありません。
 大統領という絶対権力を持っていたこの7年半に、7200発(推定)の核弾頭のうち702発しか削減できなかったオバマ氏が、権力を失った後に何ができるというのでしょうか。
 そもそも、アメリカが「核抑止力」に固執し、日本が「核の傘」にたより、その日米が軍事同盟を強化する中で、核廃絶など期待できるはずがありません。それは現在進行形で、アメリカなど核保有国や日本が「核兵器禁止条約」に反対している事実を見ても明白です。

 結局、今回の「オバマ訪広」は何だったのでしょうか。

 「『核兵器のない世界』への具体的な道筋を示さず、来た意味がなかった。…被爆地や被爆者の存在を軍事同盟強化のだしにされたようだ」(佐久間邦彦広島県被団協理事長、28日付中国新聞)

 「自国が使った核兵器によって何が起こったかへの関心も感じられない抽象的な内容。原爆投下がいかに非人道的で、過ちであったか表明してほしかったが、完全に裏切られた」(森滝春子「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表、28日付中国新聞)

 そして森滝さんはこう指摘します。
 「和解や友情という名の下に、原爆投下の責任を追及できない空気がつくられている。…私たちはもっと怒るべきだ」(同)


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「地位協定改定」でなく「全基地撤去」を

2016年05月26日 | 日米安保・沖縄

    

 25日夜の日米首脳会談は、予想通りの猿芝居でした。
 「米軍属女性殺害事件」に対して、加害者の一員である日本政府の責任にはほうかむりして「強く抗議」してみせた安倍首相。神妙な顔をして「遺憾の意」を示しながらけっして「謝罪」しようとしなかったオバマ大統領。
 会談の日程を前倒しして、メーンの政治パフォーマンスである「オバマ大統領広島訪問」までに、「沖縄問題」を片づけておこうとする姑息なガス抜きであることは明白です。

 こうした日米両政府の思惑とともに、重要なのは、問題の焦点を「日米地位協定の改定」に矮小化しようとする動きがあることです。

 今回の事件後も米政府は地位協定の改定には応じないと宣言し、安倍首相はオバマ氏との会談で自ら「運用改善」と言うだけで「改定」は持ち出しませんでした。それ自体もちろん問題ですが、翁長知事は首脳会談後、「地位協定の改定がなされなければ米軍基地に対する不安は解消できない」と述べました(写真右)。

 では仮に「地位協定の改定」が行われれば、「米軍基地の不安」は解消されるのでしょうか。そうではありません。なぜなら、「地位協定」が「改定」されても、米軍基地はなくならないからです(そもそも翁長知事はしばしば「地位協定の改定」を口にしますが、その具体的な内容は明らかにしていません)。

 「地位協定」とは何でしょうか。

 「日米地位協定」(1960年1月19日署名、同6月23日発効)の正式名称は、「日米安保条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約)第6条にもとづく基地ならびに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」です。
 その前文には、「日米安保条約第6条の規定にしたがい…この協定を締結した」と明記されています。

 名前や前文が示す通り、「地位協定」はあくまでも日米安保条約第6条に基づき、それを実施するための協定なのです。
 その安保条約6条はこうです。「日本国の安全に寄与し、ならびに極東における国際の平和および安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍および海軍が日本国において基地を使用することを許される」。これがいわゆる「全土基地方式」です。

 米軍犯罪が起こるたびに「地位協定」(全28条)の中の「裁判権」(第17、18条)が問題になりますが、「協定」の問題点はそれだけではありません。すべての条項が問題です。なぜならそれはアメリカに自由に基地を提供する安保条約6条を実行するためのものだからです。

 「米軍に対する不安を解消する」ためには、そして今回のような基地の存在にかかわる事件を根絶するためには、「地位協定」の根幹である安保条約(第6条)にメスを入れるしかありません。それが「沖縄からすべての基地・軍隊を撤退」させることであり、「全基地撤去」の要求にほかなりません。

 今回の事件を契機にいま大きく広がっているのは、「全基地撤去」の声です。県民の怒りは、もはや「地位協定の改定」(治外法権の解消)にとどまっていません。

 ところがここで見過ごせない問題が出てきています。
  日米首脳会談と同日の昼、嘉手納基地前で行われた県民抗議集会(主催者発表4000人)。登壇者や参加者からは異口同音に「全基地撤去」の声が出たことが、26日付の沖縄タイムスや琉球新報で報じられています。

 しかし、主催者の「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が用意した「集会決議」の「5項目の要求」には、「日米地位協定の抜本的な改定」などととともに「大幅な米軍基地の整理縮小」が盛り込まれ、「全基地撤去」は除外されています。
 「大幅な整理縮小」と「全基地撤去」はまったく別物です。「集会決議」は、「沖縄から全ての基地・軍隊の撤退」を求めた「女性16団体の要求書」(5月20日)と比べても明らかな大幅後退(というより変質)であり、けっして県民多数の意思に沿うものとは言えないでしょう。

 「オール沖縄会議」はもともと翁長知事の後援組織として結成されたものです。翁長氏が「全基地撤去」に賛同しないからといって、「オール沖縄会議」が主催する「集会決議」に「全基地撤去」を掲げないということがあっていいでしょうか。いったい「オール沖縄」とは何なのでしょうか。

 二度と基地・軍隊が関係する事件が起きないために、そして沖縄の軍事植民地状態からの解放を目指すために、いま必要なのは、「地位協定の改定」にとどまらない「全基地撤去」の要求を、沖縄と「本土」でともに掲げ続けることではないでしょうか。


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沖縄米軍属女性殺害④オバマ大統領に会って何を言うのか

2016年05月24日 | 沖縄・翁長知事

    

 翁長雄志知事が23日安倍首相と会談した際、「オバマ大統領に直接話をさせてほしい」と発言したことが注目されています。
 翁長氏はオバマ大統領に会って何を言うつもりなのでしょうか。

 問題は会うか会わないかではなく、会って何を主張・要求するのかです。
 ところが肝心のその中身について、翁長氏は何も語っていません。ただ「県民の生命と財産、将来の子や孫の安心安全を守るため」という抽象的な「理由」を述べただけです。
 これでは「日本政府がそれに応じる訳がないと分かってのことだろう」(佐藤学沖縄国際大教授、24日付琉球新報)とみるのが当然で、政治的パフォーマンスであることは見抜かれています。

 仮にオバマ氏と直接話ができたとしても、その場で的確な主張をしなければ、意味がないどころか、かえって事態を誤った方向へ収束させるだけです。
 翁長氏はいま、オバマ大統領に何を言うできでしょうか。

 それは今回の事件によって沖縄県内に広がっている県民の切実な声、「沖縄に暮らす人びとの真に安全な社会を実現するため、沖縄から全ての基地・軍隊の撤退を求める」(「女性16団体要求書」5月20日)、すなわち沖縄からの全基地撤去にほかなりません。

 ところが翁長氏は、安倍首相との会談で、「全基地撤去」については一言も触れませんでした。
  琉球新報は社説(24日付)で、安倍首相と会談した翁長氏に対し、「物足りなさを禁じ得ない」として、こう指摘しています。「大統領との面会要求のほかは地位協定見直しを含めた『実効性ある抜本的対策』を求めたくらいだが、それだけで基地に由来する凶悪事件を根絶できないのは明らかだ。やはり全基地閉鎖要求に踏み込んでほしかった

 首相との会談後の記者会見でも、翁長氏に対し、「全基地撤去の声が高まっている」と水が向けられました。翁長氏はこう答えました。

 「県民がそういう気持ちを持つのは(理解でき)、私も県民の一人として思う。ただ政治は結果でもあるので。こういったこと等を踏まえた上で、今私たちが新辺野古基地は造らせない、普天間基地は県外移設だと訴えている。全県的に基地は要らないということは、そういったことを踏まえた議論の中で、やるべきだろう」(24日付琉球新報)

 例によって明瞭ではありませんが、要は、自分は「全基地撤去(閉鎖)」という主張はしない、ということです。20日の記者会見となんら変わっていません(22日の当ブログ参照)。

 いま、この時に、オバマ大統領に対しても、安倍首相に対しても、「沖縄から全ての基地・軍隊の撤退を求める」という県民の痛切な要求を突きつけることができない人物に、沖縄県知事としての資格があるでしょうか。


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沖縄米軍属女性殺害③「日本全体の問題」とは何か

2016年05月23日 | 日米安保・沖縄

    

 沖縄では22日、在沖米軍司令部があるキャンプ瑞慶覧前で追悼抗議集会が行われ、2000人が悲しみと怒りに震えました(写真左、中)。

 しかし、NHKは22日夜7時のニュースから23日朝7時のニュースまで、集会についてはおろか、事件自体についてさえ一切取り上げませんでした(写真右)。「事件の影響」(政府・自民党)を最小限に抑えようとする安倍政権の意向を反映したきわめて政治的な「報道」です。

 読売新聞は社説(21日付)で「今回の事件で看過できないのは27日のオバマ米大統領の広島訪問に対する影響だ」と言い切りました。これも「国益」最優先の政権に沿ったわかりやすい論説です。

 NHKや読売、産経など、いわば〝確信犯”だけでなく、いかにも政府を批判し、沖縄に寄り添っているかのように見えながら、重大な落とし穴がある主張や論説があります。

 以下、朝日新聞の社説(21日付)から抜粋します。

 「沖縄県民は幾度、おぞましい事件に直面しなければならないのか。…全国の米軍専用施設の75%近くが集中する沖縄で、米軍関係者による相次ぐ事件は深刻な基地被害であり、人権問題にほかならない。これ以上、悲惨な事件を繰り返してはならない。そのためには、沖縄の基地の整理・縮小を急ぐしかない。…日本の安全に米軍による抑止力は必要だ。だがそのために、平時の沖縄県民の安全・安心が脅かされていいはずがない。たび重なる米軍関係者による事件は、そうした問いを日本国民全体に、そして日米両政府に突きつけている。…辺野古移設の見直しや…日米地位協定の改定も、放置されてきたに等しい。地元の理解のない安全保障は成り立たない。こうした県民の不信と不安を日本全体の問題として受け止め、幅広く、粘り強く米側に伝え、改善の努力を始めなければならない」

 全国の米軍専用施設が沖縄に集中していること、事件は「深刻な基地被害」であることを指摘しています。「県民の不信と不安を日本全体の問題として受け止める」必要があるとも言っています。納得する人は少なくないのではないでしょうか。

 しかし、では「日本全体の問題として受け止める」とは何をすることなのか。その具体的な提起は何もありません。「基地の整理・縮小」「辺野古移設の見直し」「日米地位協定の改定」、すべて項目だけの抽象論です。

 一方、はっきり言い切っていることがあります。「日本の安全に米軍による抑止力は必要だ」。すなわち日米安保条約(軍事同盟)による米軍の駐留は「必要だ」という断定です。そのために「沖縄県民の不信と不安」を払拭する「改善」を米側に求めようと主張しているのです。(なお、「平時の沖縄県民の安全・安心が脅かされていいはずがない」と言いますが、「平時」でなく「有事=戦時」ならいいとでも言うのでしょうか)

  これでは基地を沖縄に集中させて犠牲を強いる現状は何も変わりません。

 「米軍による抑止力」=日米安保条約(軍事同盟)が「必要だ」というなら、その負担(犠牲)は日本全国で平等に担うのが当然です。すなわち、「沖縄の基地は本土へ移せ」「基地は本土が引き取る」と言うべきです。「日本全体の問題として受け止め」るとはそういうことでしょう。
 ところが日本の全国紙(本土紙)は、朝日に限らず、日米安保体制を肯定しながら、「沖縄の基地を本土へ」とは言いません。なぜなら、「本土の読者=国民」がそれに反発するからです。

 「沖縄」に寄り添っているように見せながら、ではその犠牲を平等に引き受けるのかと、自分に降りかかってきそうになると口をつぐむ。「本土メディア」と「本土の国民」のこの無責任な持たれあいが、沖縄の現状を作り出している一因です。
 日米両政府とともに、「本土メディア」と「本土の国民」も、「沖縄」の軍事植民地化の加害者であることを自覚する必要があります。

 しかしそれでも、私は「沖縄の基地を本土へ」には賛成しません。それは、「米軍による抑止力(日米安保条約=軍事同盟)が必要」だという前提に反対だからです。この前提を覆すことが、沖縄にとっても日本にとっても喫緊の最重要課題だと考えるからです。軍事基地は沖縄にも本土にもあってはならない、と主張することが、日米安保体制を覆す道につながると考えるからです。

 あなたはどうするのですか?
 米軍抑止力=日米安保体制を肯定したまま、犠牲を沖縄へ押し付け続けますか?
 日米安保体制を肯定し、犠牲を平等にするため「基地は本土(自分の居住地)へ」と主張しましか?
 それとも、日米安保体制に反対し、沖縄からも本土からも全ての基地撤去を目指しますか?

 いま問われているのは、私たち「本土の国民」です。


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沖縄米軍属女性殺害②翁長氏は沖縄の知事にふさわしいか

2016年05月22日 | 沖縄・翁長知事

    

 「容疑者逮捕」から数時間後の19日午後8時すぎ、翁長雄志沖縄県知事が訪問先のアメリカから帰国しました。成田空港で会見した翁長氏に記者が質問しました。
 「(総統就任式の)台湾訪問日程に変更は」。翁長氏の答えはこうでした。

 「公式日程なのでここ(東京)から直接飛ぶ。数時間ですぐ沖縄に戻る。その間副知事をはじめ担当者と連絡を取ってしっかり調整したい」(20日付琉球新報)

 しかし実際に翁長氏が那覇へ戻ったのは翌20日午後8時すぎ。丸1日沖縄を留守にしたのです。
 この間、在沖米軍トップが県庁に「謝罪」に訪れるという重要な動きがありましたが、知事不在のため、安慶田副知事が応対せざるをえませんでした(写真中)。

 歴史的な重大事件です。沖縄県知事ならアメリカから帰国後直ちに那覇に戻り、陣頭指揮を執るのが当然ではないでしょうか。沖縄をしり目に台湾へ向かった翁長氏の責任は見過ごせません。現にそれによって在沖米軍トップに知事が直接抗議する重要な機会を逸してしまったのです。

 翁長氏はなぜ沖縄に戻らず台湾へ行ったのでしょうか?緊急重大事態に際し、「公式日程なので」が理由にならないことは言うまでもありません。翁長氏にとっては今回の事件より台湾総統就任式の方が重要だったということでしょうか。
 それとも、「(蔡英文台湾新総統は)安倍晋三首相とのパイプが知られ、昨年10月の訪日時に極秘会談したとされる」(21日付中国新聞=共同)という人脈と関係があるのでしょうか。

 いずれにしても、沖縄県知事として重要な1日を「不在」にした責任は免れません。

 「基地がある限りこのような事件はなくならない」。事件後、沖縄からすべての基地をなくする(全基地撤去)の声がかつてなく急速に広がっています。

 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(高里鈴代、糸数慶子共同代表)ら16団体は、20日県庁で記者会見し、「基地・軍隊は、人間の心と身体を深刻なまでに破壊しており、それはフェンスの内と外を問いません」として、3項目の「要求書」を発表しました(写真右)。
  被害者を取り巻く人びとへの謝罪とケアが丁寧に行われること
  真相が究明され、加害者への厳正な処罰が行われること
  沖縄に暮らす人びとの真に安全な社会を実現するため、沖縄から全ての基地・軍隊の撤退を求める
 要求の相手は、オバマ大統領、安倍首相、そして翁長知事です。

 しかし翁長氏は、台湾から帰国した直後の20日午後8時半ごろ、那覇空港での記者会見(写真左)で、「県政与党や市民団体から県内の全基地を撤去するよう求める声が強まっている。知事の受け止めは」と聞かれ、こう答えたのです。

 「そういう思いを持つというのは、私からしても理解できるところだが、この問題はご家族のこととかいろいろ視野に入れてやっていかなければならない部分もあると思う。全部(撤去)かということについては県民の思いを一つにするようなものの中で、見通しを立てながら頑張っていくべきだと思う」(21日付琉球新報)

 例によってのらりくらりと逃げていますが、要は「全基地撤去」とは言わない、賛成できないということです。それは「保守」に対する配慮であると同時に、「日米安保の重要性は誰よりも知っている」が持論の翁長氏の本音です。この点、翁長氏は知事になる前も、なってからも、そして今回の事件が起こっても、なにも変わっていないのです。

 基地・軍隊が起こす犯罪の根絶のため、沖縄からの全基地撤去こそが必要であり、その世論がかつてなく高まろうとしているとき、それに賛成しない、賛同できない人物が果たして沖縄県知事としてふさわしいと言えるのか、改めて考え直すべきではないでしょうか。

 次回(明日)は、今回の事件で問われる「本土に住む日本人」について考えます。


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沖縄米軍属女性殺害①被害者に謝罪せず、米軍激励するオバマ訪日

2016年05月21日 | 日米安保・沖縄

    

 沖縄の島袋里奈さんが殺害され、米軍嘉手納基地に務める米軍属シンザト・ケネス・フランクリン容疑者(元米海兵隊員)が逮捕された事件は、日米安保と沖縄、そして「日本本土」の関係をあらためてあぶりだしています。3つの角度から考えます。

 在沖米軍トップのローレンス・ニコルソン在沖米四軍調整官は20日県庁を訪れ、シンザト容疑者について「米軍や米政府が雇用しているわけではないが(軍属ー引用者)、日米地位協定が適用される対象者だ。私どもが全責任を担っている」(21日琉球新報)と「責任」を認めて「謝罪」しました。 

 しかし、ケネディ駐日米大使は19日夜、岸田外相に対し、「米政府と国民に代わって心からの悲しみを表明する」(20日付共同)と言いましたが、謝罪はしませんでした。
 
 事件の最大の責任が米政府にあることは言うまでもありません。それはニコルソン氏が言う意味だけではなく、この事件が「基地があるがゆえに」(翁長知事)起きた事件だからです。しかし、米政府はいまだに公式に謝罪していません。

 おりしもオバマ大統領は26日に来日します。オバマ氏はなにはさておいても沖縄へ行き、被害者遺族に謝罪すべきではないでしょうか。

 しかしオバマ氏は沖縄に行くことはもちろん謝罪の意思すら示していません。
 それどころかオバマ氏は、日本に来る前に沖縄ではなくにベトナムへ立ち寄る予定だといいます。なんのためか。ローズ米大統領副補佐官が19日の電話会見でこう説明しています。

 「ローズ氏は『日本とベトナムの歴訪は困難な歴史がいかに克服されたかを示す』と述べた。平和な関係構築の重要性をアピールする機会との認識も表明した」(21日付中国新聞)

 かつて戦争を行った日本とベトナムを訪れることで「平和な関係構築」をアピールするというのです。
 開いた口がふさがらないとはこのことです。米軍基地・日米安保条約が沖縄県民の命を奪った事件の直後。なにが「平和な関係」でしょうか。オバマ氏の頭の中に「沖縄」はあるのですか。

 それだけではありません。オバマ氏は沖縄には行かない、広島では被爆者にも会わない。その一方で何をするか。
 「広島訪問に合わせ米海兵隊岩国基地を訪れ、米兵を激励する」(ローズ副補佐官)のです。
 さらに米兵とともに自衛隊員も「激励」し、「日米同盟」の緊密化をアピールする狙いです。

 自らが責任者のトップである米軍属の凶悪犯罪。その犠牲者には謝罪もしないで、逆に事件を起こした側の米兵と自衛隊員を「激励」する。なんという醜悪な光景でしょうか。
 これが米大統領の姿であり、日米安保=軍事同盟の実態なのです。

 日米安保のもう一方の当事者である日本政府(安倍政権)が今回の事件でまるで「被害者」のようにふるまっているのは笑止千万。日米安保条約の下で米軍基地を提供している日本政府も事件の加害者の一端ではありませんか。

 まして外務省幹部が、「米軍を糾弾する世論が高まり、オバマ氏訪問への歓迎ムードに水を差す展開にならなければいいが」(20日付共同)と「不安げに語」るなど、今回の事件を政治的に不利になるとして安倍政権が「早期収束」を図ろうとしているのは言語道断です。いったい人命、人の尊厳、人権をなんと考えているのでしょうか。

 今回の事件は、人命や人権よりも「国益」を優先する軍事同盟=日米安保の実態、その当事者である日米両政府の醜悪な姿をあらためて浮き彫りにしたと言えるでしょう。

 しかし、問われなければならないのは、オバマ大統領や安倍首相だけではありません。次回(明日)は、翁長沖縄県知事の言動を検証します。


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「自衛隊機使用」の常態化図る「天皇の被災地視察」

2016年05月19日 | 天皇制と大震災・災害

    

 天皇・皇后は19日、熊本大地震の被災地を訪問しました。
 昼前に特別機(全日空)で羽田から熊本空港へ向かい、蒲島郁夫県知事から状況を聴いたあと、南阿蘇村へ。さらに上空から熊本市内などを視察し、益城町などの避難所を訪れ、日帰り、という日程です。

 この間、現地の移動、上空からの視察には自衛隊のヘリが使用されました。

 このことに何の疑問も感じない人は少なくないでしょう。それほどに「天皇・皇后の被災地視察」も「被災地の自衛隊」も当たり前のように思わされています。

 しかし、「天皇の視察」も「被災地の自衛隊」もけっして「当たり前」のことではありません。「天皇の視察」は、憲法第7条に明記されている「天皇の国事行為」には含まれない、いわゆる「公的行為」です。自衛隊はいうまでもなく憲法9条違反の軍隊です。
 憲法にない天皇の「公的行為」が、憲法違反の自衛隊を使って行われる。これはきわめて異常な光景だと言わねばなりません。

 しかも、狭いエリアの移動・上空視察に、軍用機である自衛隊のヘリを使う必要性がどこにあるでしょうか。警察や県のヘリで十分なはずです。

 ここには、「被災地視察」に際して「天皇の自衛隊機使用」を恒常化・常態化させようとする意図があると言わねばなりません。
 
 現憲法下において、天皇が自衛隊機を公然と使用するのはけっして歴史の古いことではありません。
 天皇と自衛隊の接近・蜜月は、5年前の東日本大震災を契機に急速に強まりました。

 東日本大震災から5日後に放送された「天皇ビデオメッセージ」(2011年3月16日)で天皇明仁は救援活動に携わった公務員をねぎらう際、「自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々」と、初めて「自衛隊」をトップにもってきたのです。

 これを聞いた陸上自衛隊幹部は、「今まで以上に自衛隊が頼りにされている、と感じました」(2014年4月28日付朝日新聞)と感激しました。

 以後、天皇・皇后は東北被災地の視察で自衛隊機を使用し、自衛隊幹部らと会食するなどつながりを強めてきました。

 ところで、宮内庁は今月9日、天皇の「公務」削減について発表しました。高齢のため、これまで行ってきた「年間約100回に及ぶ拝謁」のうち、7項目を取りやめ、2項目を皇太子に「譲る」というものです。
 その7項目の中に次のものが含まれていました。「自衛隊高級幹部会に出席する統合幕僚長の拝謁」。いかに頻繁に天皇と統合幕僚長が会っていたか。まだ廃止されていない「拝謁」の中身は何なのか、その実態が明らかにされる必要があります。

 政府・宮内庁は、東日本大震災で急接近した「天皇」と「自衛隊」を、熊本大地震でも引き継ごぎ、確かなものにしようとしているのです。

 「天皇元首化」が明記されている自民党改憲草案が俎上にのぼろうとしているとき、「天皇」と「自衛隊」の接近・蜜月は絶対に軽視できません。


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米大統領の「伊勢神宮参拝」は問題ではないのか

2016年05月17日 | 天皇制と日米安保

    

 オバマ大統領は広島訪問に際し、被爆者には会わず、原爆投下の誤りを認めて謝罪することも絶対にないと強調しています。その根底には原爆はアジア太平洋戦争を「早期終結させるためだった」という(それ自体事実に反することが明らかな)原爆投下の合理化があります。

 一方、オバマ大統領は広島を訪れる前に、「伊勢志摩サミット」に出席する他の首脳らとともに、安倍首相の案内で伊勢神宮に参拝する予定です。これについては米国内からもなんの異論も出ていないようです。

 おかしくはありませんか?
 アジア太平洋戦争を終わらせるためだったといって原爆投下を正当化し、献花に際して頭も下げないでおいて、伊勢神宮へはなんのためらいもなく参拝する。
 おかしいでしょう。なぜなら、伊勢神宮とアジア太平洋戦争は切っても切れない関係、というより日本が侵略戦争を強行する精神的支柱となった国家神道の中心地、天皇家の皇祖・天照大神を祀っている神社が伊勢神宮に他ならないからです。

 そもそも伊勢神宮とは何でしょうか。

 「もっとも重要であり、最初に確認しておかなければならないことは、倭に代わる『日本』という国号、大王に代わる『天皇』という称号、これらの成立がいずれも、七世紀後半の天武・持統朝においてであったという事実である。そして、その天武・持統朝において成立した『日本』と『天皇』に対して、その存立の基礎であり基盤であったのが、伊勢神宮という神社の創建であった」(新谷尚紀氏『伊勢神宮と出雲大社』講談社選書)

 天武と持統の夫婦が天皇一族の権力闘争に勝ったあと、自己の権力と権威を確立し、東方への侵攻の拠点にしたのが伊勢神宮であり、そのために持統が祀ったのがアマテラスです。

 「皇祖・皇祖神に裏付けられた天皇ーそれは子々孫々、直系による皇位継承を欲する天武・持統が、その正当性を獲得するために編み出した画期的な新機軸でした」(武澤秀一氏『伊勢神宮の謎を解く』ちくま新書)

 「伊勢神宮の創祀を語る情報資料としては…『古事記』と『日本書紀』しかない」(新谷氏、同)といわれています。その『日本書紀』神武紀に出てくるのが次の言葉です。
 「八紘(はっこう)をもって宇(いえ)とする

 「『八紘』とは、大地を覆うテントのようなものを、地面に結び付けている八本の綱である。そのテントのような構造が八角形状で一つの家となっているというのだ。…これこそが、古代の神国思想とみてまちがいない。そして、やがて歴史は近代となり、昭和の軍国主義のもとで、『八紘一宇』という名で『大東亜共栄圏』が語られたのだが、それも、日本帝国のイメージした神国であった」(千田稔氏『伊勢神宮』中公新書)

  天皇裕仁は1940年6月9日、ドイツ、イタリアとの「三国同盟」調印を前に、伊勢神宮と橿原神宮に「行幸」し、「戦勝祈願」をおこないました。そして同年9月27日、国民に対し戦意をあおるために「詔書」を発しました。そこでこうのべたのです。
 「大義を八紘に宣揚し坤輿(こんよ=世界)を一宇たらしむるは実に皇祖皇宗の大訓にして…」。これが「八紘一宇」です。
 そして敗戦。天皇裕仁は1945年11月12日にまたも伊勢神宮へ「行幸」し、「終戦奉告」を行いました。
 天皇裕仁にとって、戦争を始める時も終わる時も、常に伊勢神宮(皇祖皇宗)が精神的支柱だったのです。

 一方逆に、国家神道解体の必要性を痛感したGHQは、責任者のウィリアム・K・バンス宗教課長らが1946年2月23日、伊勢神宮を視察します。神社側はバンズらを特別参拝させようとしましたが、バンズらはこれを辞退して一般拝所にとどまりました。
 「その理由は御垣内参拝(特別参拝ー引用者)をすると拝礼しなければならないからで、占領した側がなぜ敗戦国の神に頭を下げねばならないかというのが、彼らの直接的な言い分であった」(千田稔氏、同)
 GHQの担当者は「敗戦国の神」に頭を下げることを断固拒否したのです。

 安倍首相に案内されるまま伊勢神宮を参拝しようとしているオバマ大統領ら各国首脳は、伊勢神宮のこうした歴史・性格、アジア太平洋戦争との関係を知っているのでしょうか。
 かつてGHQの担当者が拒んだことを、オバマ大統領は何のためらいもなく行うのでしょうか。

 「戦争を終わらせるため」という口実で原爆投下を正当化し、被爆者には謝罪どころか頭一つ下げないでおいて、戦争推進の精神的支柱となった国家神道の「神」には参拝する。この辻褄をいったいどう合わせるつもりでしょうか。

 オバマ大統領ら各国首脳は伊勢神宮に行くべきではありません。
 
 各国首脳を伊勢神宮に参拝させることで、伊勢神宮と切っても切れない天皇の戦争責任、国家神道の犯罪性を隠ぺいしようとする安倍首相の政治的思惑を許すことはできません。
 


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