アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

ウクライナ情勢・「軍事力・同盟強化」は平和解決に逆行

2022年02月28日 | 日米安保・軍事同盟と政治・社会

    

 「ウクライナ戦争」の早期停戦が求められる中、林芳正外相とブリンケン米国務長官は26日電話で会談し、「両氏は「日米同盟の抑止力、対処力強化が不可欠だ」との認識を確認」(27日付琉球新報=共同配信)しました。

 「日米同盟の対処力強化」とは日米の軍事力強化のことで、ロシアの侵攻に対し、日米同盟すなわち日米安保条約に基づく軍事同盟の軍事力強化で対抗しようとするものです。これは、事態の平和的解決に逆行する本末転倒の主張と言わねばなりません。

 なぜなら、「ウクライナ戦争は、「新冷戦の序幕」と呼んでもおかしくない性質を帯びている。この戦争は、米国とロシアという二つの強大国の間の勢力圏争い」(26日付ハンギョレ新聞日本語電子版)であり、「日米同盟の強化」はその「勢力圏争い」を激化させることにほかならないからです。

 そもそも、「核抑止力」論が空論であるように、「軍事同盟抑止力」論も、軍拡・覇権競争を覆い隠すレトリックです。今回のロシアの軍事侵攻は、逆にそのことを証明したのではないでしょうか。

 見過ごせないのは、今回の事態で軍事力・軍事同盟強化を図ろうとする論調が、日米両政府だけでなく、日本の比較的「リベラル」とみられているメディアにもみられることです。

 朝日新聞は25日の社説で、「市民の悲劇を最小限にするため、北大西洋条約機構(NATO)による緊急対応も整えねばなるまい」と主張しています。「NATOによる緊急対応」とは、軍事的対応にほかならないでしょう。

 毎日新聞は同じく25日の社説で、「NATOに加盟する東欧やバルト3国ではロシア脅威論が高まっている。防衛体制を一段と強化することが求められている」と述べています。「防衛体制」すなわち軍備を強化せよというのです。

 一方、両紙の社説は、「列強国が力で覇を競う旧時代に戻ってはならない」(「朝日」)、「武力によって勢力を拡大しようとする風潮が広がると、民主主義は脆弱になる」(「毎日」)とも言っています。こうした言辞は、軍事的対応、軍事力強化の進言と矛盾しています。この矛盾は、両紙が日米安保条約=日米軍事同盟を支持する立場であることと無関係ではありません。

 日本共産党の志位和夫委員長は、25日の新宿での街頭演説で、「主権の尊重」「領土の保全」「武力行使の禁止」を義務付けた「国連憲章」の遵守とともに、「どんな国であれ覇権主義を許さず、平和の国際秩序を築く」ことを強調しました(26日付しんぶん赤旗)。

 NATO、日米安保条約は、いうまでもなく「武力行使」を前提にしたアメリカの覇権主義に基づく軍事同盟です。
 ロシアの軍事侵攻を批判し、武力行使の一刻も早い中止を要求するのは当然です。同時に、この事態に乗じて軍事力・軍事同盟の強化を図ろうとしている日米両政府にも批判を向ける必要があります。
 それが「どんな国であれ覇権主義を許さない」ということではないでしょうか。


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日曜日記186・コロナ禍の看取りと孤独死

2022年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム

 コロナ第6波で、死亡者が増えている。とりわけ高齢者の死亡率が高い。

 25日のNHK「ラウンドちゅうごく」(中国地方ローカル)は「コロナ禍の看取り 家族の葛藤」がテーマだった。
 自宅で最期を迎える人が増えているという。その数は年間約21万6000人。前年より約3万人増えたそうだ(厚労省人口動態調査)。コロナ禍で、病院では「面会禁止」が続き、最期に立ち会えないケースが多い。それなら退院させて自宅で看取ろう、という家族が増えているという。

 最期に立ち会えなかった場合、家族の死が実感されず、悲しみが湧いてこない、涙も流れない、という人が少なくないらしい。

 家族の最期に立ち会う。手を握って別れる。それは確かに見送る家族にとって大切なことだろう。

 自宅へ連れて帰ってくれる家族がいる患者は幸せだ。病院で最期を迎えたくないと思っても、自宅で世話をしてくれる家族がいなければどうしようもない。

 逆に、入院もできず、自宅で誰にも看取られずに亡くなっている人が増えているのではないだろうか。「年間21万6000人」という数の中には、「自宅療養」からそのまま死に至った人も相当数いるはずだ。

 独り暮らしの高齢者がますます増えていく。病院や施設に入る経済力がなければ、自宅で独りで最期を迎えることになるのではないか。私もそうなる可能性が高い一人だ。
 誰にも看取られず死んでゆくのは、できれば避けたい。

 そこで思い浮かぶのは、訪問診療に携わる医師・看護師のかたがただ。母がグループホームに入る前、ずいぶんお世話になった。

 家族はいなくても、訪問医・看護師に看取ってもらえれば、孤独死は避けられる。

 そのためには、訪問医・看護師を大幅に増やす必要がある。それでなくても、「自宅療養」が増加して、訪問医・看護師は激務を強いられている。早急に体制を強化する必要がある。

 また、介護施設で最期を迎えるケースもこれから増えてくると思う。
 母もいまのグループホームを“終の棲家”にさせてもらうようお願いしてある。最期の時が近づいたら、コロナ禍の状況であってもそばで看取らせていただきたいとお願いし、承諾をいただいている。ほんとうに感謝に堪えない。

 ただでさえ、介護施設のスタッフのみなさんには頭が下がる。ましてコロナ禍での苦労は並大抵ではないだろう。この上、看取りのお世話までお願いするのは心苦しいが、そういうケースはこれからますます増えていくと思う。

 病院、保健所はもちろん、訪問診療、そして介護施設の体制強化、そのための待遇改善は急務だ。それはコロナ禍への対応にとどまらず、人がどのような最期を迎えるのかという人生の重大問題に直結している。

 


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ウクライナ情勢・ロシアだけが悪いのか

2022年02月26日 | 日米安保・軍事同盟と政治・社会

     

 ロシアのウクライナへの「軍事侵攻」はもちろん許されるものではありません。しかし、この事態の責任はロシアだけにあるのではありません。日本のメディアは日米政府の側に立って一方的にロシアを非難する論調が目立ちますが、それでは問題の本質を見失います。

 プーチン大統領は「特殊軍事作戦」を宣言した24日のテレビ演説で、こう述べました。

「ロシアの安全保障をめぐる要求に北大西洋条約機構(NATO)は冷笑と偽りで応え、我々の国境に迫っている。…欧米は、冷戦に勝利した絶対的な優位性からくる陶酔に陥り、自らに有利な決定だけを推し進めてきた。…NATOは(これまで)1インチも東に拡大しないと約束し、我々をだました。こうした行為は国際関係の原則のみならず、道徳にも反している」(24日の朝日新聞デジタル)

 プーチン大統領は一貫してウクライナがNATO加盟してNATOが「東に拡大しない」ことを求めてきましたが、アメリカなどはそれを拒否してきました。それが今回の事態の根本的誘因であることは周知の事実です。

 このことをどうみるか。韓国のハンギョレ新聞(日本語電子版)に注目される論稿がありました。寄稿したのはソ・ジェジョン国際基督教大学アーツ・サイエンス学科教授です。

< ロシアの軍事力がウクライナを圧倒して余りあることは、すべての人が知っている構造的暴力だ。ロシアの国防費だけを見ても、ウクライナの10倍を超える。ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟に加入するという「夢」をみる理由の一つでもある。

 さらに、視野を全世界的に拡大すると、より大きな構造的暴力がある。米国とNATOの軍事力は、ロシアを圧倒して余りある。米国の国防費はロシアの12倍を超える。NATO加盟国のうち、英国、ドイツ、フランスの国防費だけを合わせても、ロシアの3倍に近い。ロシアにはそれでも頼れる核兵器があるが、これを無力化できるミサイル防衛システムがポーランドとルーマニアに構築されており、モスクワを数分以内に攻撃可能な中距離ミサイルがロシアの近隣に配備されようとしている。ロシアは欧州の「ウクライナ」だ。

 そういう背景のもと、プーチンは「現状」を揺さぶっているのだ。…しかし、まだ米国には「現状」を変えるつもりはない。現在の構造は米国が多くの資源を投資して構築したものであり、そのような理由があるものだ。いまだに力で現状を維持しようとしているのだ。…ロシアのウクライナ侵攻の可能性を浮上させればさせるほど、ロシアの構造的暴力はスポットに照らされ、米国の構造的暴力はその影に隠れる。>(22日付ハンギョレ新聞)

 日本のメディアの中では、琉球新報(25日付)に掲載された金成浩・琉球大教授の談話が注目されます。

< ウクライナでのロシアの軍事行動の背景にはNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大と、ミサイル防衛網の整備がある。東アジアでも日米がミサイル防衛網整備を進めており、沖縄も関連している。…ウクライナがNATOに加盟してミサイルが配備されれば、ロシアの首都・モスクワに短時間でミサイルが到着する。ロシアは、ウクライナのNATO加盟を安全保障上の脅威と認識している。(中略)

 地政学を根拠にする大国間政治は、そのしわ寄せが周辺の弱い地域に出てくる。東京では地政学的な視点でものごとを見がちだが、沖縄からは軍事力強化反対の声を上げていく必要があろう。>(25日付琉球新報)

 ソ・ジェジョン教授が指摘する「構造的暴力」、金成浩教授が言う「地政学的大国間政治」とは、この場合、米国、ロシアをはじめとする大国の軍拡・軍事主義、NATOという軍事同盟(軍事ブロック)を指すといえるでしょう。

 今日のウクライナ情勢の根底にあるのは、大国間の軍事力・軍事同盟をめぐる駆け引きです。その責任はロシアだけでなく、アメリカ・NATO加盟諸国も同罪です。
 そして、日本は同じく日米安保条約という軍事同盟によってアメリカに追随しているのです。

 「軍事力強化反対」、そして「軍事同盟反対」の声を上げていかねばならないのは、沖縄だけではありません。


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沖縄に対する天皇裕仁の加害責任隠ぺいする徳仁天皇の誕生日会見

2022年02月24日 | 沖縄と天皇

    
 徳仁天皇は21日、「誕生日に際しての記者会見」を行いました(メディア解禁は23日)。この中で、今年が「沖縄本土復帰」から50年になることから「沖縄の歴史や人々への思い」について質問され、こう答えました。

先の大戦で,悲惨な地上戦の舞台となり,その後,27年間も日本国の施政下から外れた沖縄は,人々の強い願いの下,50年前日本への復帰を果たしました。この間,今日に至るまで,沖縄の人々は本当に多くの苦難を乗り越えてきたものと思いますし,このことを決して忘れてはならないと思います。本土復帰から50年の節目となる今年,私自身も,今まで沖縄がたどってきた道のりを今一度見つめ直し,沖縄の地と沖縄の皆さんに心を寄せていきたいと思います」(宮内庁HPより)

 この発言は、沖縄戦とそれ以降の沖縄の苦難の歴史に対する天皇制、とりわけ天皇裕仁(昭和天皇、写真右)の責任、加害責任を隠ぺいし、逆に天皇が沖縄に「心を寄せて」いるかのように描くもので、きわめて重大な問題をはらんでいます。

 第1に、沖縄を「悲惨な地上戦の舞台」にしたのは、徳仁天皇の祖父・裕仁にほかなりません。

 誰の目にも日本の敗戦は明白だった1945年2月14日、近衛文麿(元首相)は、裕仁に直ちに戦争を終結することを進言しました(いわゆる「近衛上奏」)。しかし、裕仁はこれを一蹴したのです。

「上奏文のなかで近衛は、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存じ候」として敗戦をはっきりと予言し…ただちに戦争の終結に踏み切ることを主張したのである。近衛のこの上奏に対し天皇は、「もう一度戦果を挙げてからでないとなかなか話はむずかしいと思う」と述べて、近衛の提案に消極的な姿勢を示した(『木戸幸一関係文書』)」(吉田裕著『昭和天皇の終戦史』岩波新書1992年)

 遅ればせながら裕仁が「近衛上奏」を聞き入れていれば、沖縄戦(4月1日米軍上陸)も広島(8月6日)長崎(同9日)への原爆投下もなかったのです。

 第2に、敗戦後、沖縄がアメリカの施政権下に置かれ、日本国憲法の適用から外されたのは、天皇裕仁がそれを望む「メッセージ」をマッカーサーに送ったからです(1947年9月19日の「天皇メッセージ」)。

 裕仁が側近・寺崎英成を通じて送った「メッセージ」の内容は、「天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである」(1947年9月19日付『昭和天皇実録』)だったのです。

 第3に、徳仁天皇は沖縄の「今日に至る多くの苦悩」の内容にあえて触れていませんが、それが日米安保条約による沖縄へ米軍基地の集中であることは明白です。その日米安保条約締結においても、裕仁は、天皇の政治関与を禁じている憲法を破って、米側に直接働きかけ、実現させました。

「昭和天皇にとっては、戦後において天皇制を防衛する安保体制こそが新たな「国体」となった。つまりは、「安保国体」の成立である。
 だからこそ昭和天皇は、(サンフランシスコ)講和条約と安保条約が調印されてから10日を経た1951年9月18日…「有史以来未だ嘗(かつ)て見たことのない公正寛大な条約」として講和条約を高く評価するとともに、「日米安全保障条約の成立も日本の防衛上慶賀すべきことである」…と安保条約の成立を絶賛したのである」(豊下楢彦著『昭和天皇の戦後日本』岩波書店2015年)

 天皇裕仁の言動は、戦中から敗戦後まで一貫して、天皇制(「国体」)の維持と自身の延命(戦争責任追及の回避と在位の継続)を図ることに徹していました。そのための「捨て石」となったのが沖縄にほかなりません。

 こうした歴史を一切捨象して裕仁の加害責任を隠ぺいし、明仁天皇(現上皇)や自身が沖縄に「心を寄せて」きたと強弁する徳仁天皇の会見は、「復帰50年の節目」に、改めて沖縄と天皇の歴史を改ざんし、天皇制と日米安保体制の維持を図ろうとするものと言わねばなりません。


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国籍・国家主義に翻弄される五輪選手たち

2022年02月22日 | 五輪と政治・社会・メディア

     
 北京五輪(20日閉幕)フィギュアスケート団体のアイスダンスで健闘した日本の小松原尊・美里ペア(写真左=朝日新聞デジタルより)。夫の尊氏は2年前に日本「帰化」しました。五輪に出場するためです。
「世界選手権など国際スケート連盟主催の大会であれば、国籍が(ペアの男女で)異なっても出場できるが、五輪は2人の国籍が同じでないと出られない」(17日の朝日新聞デジタル)からです。

 この“国籍の壁”のため、有力な選手が五輪に出場できないケースがあるといいます。「4年に1度の最高峰の大会のはず。なのに、世界選手権で上位の選手が出られないこともある。より多くの選手にチャンスがあった方が五輪は素晴らしい大会になると思う」(小松原美里選手)。2人は、「五輪には国籍を変えなくても出られるルールがあっていいのでは」と考えています(同朝日新聞デジタル)。

 五輪の“国籍の壁”に翻弄されているのはアイススケートの選手だけではありません。

「アイスホッケー男子中国代表チームは「傭兵軍団」だといっても過言ではない。代表チーム所属の25人の選手中19人が米国、カナダ、ロシア出身の選手だ」「即席の戦力強化を試みる国が帰化する選手を募集することも頻繁にある」(17日付ハンギョレ新聞電子版)

 スケートに限らず、五輪以外の世界選手権では国籍に関係なくチーム編成が認められています。東京五輪の前に行われたラグビーW杯(2019年10月)でも国籍混交チームが結成されて話題になりました。

 にもかかわらず、五輪が選手の国籍にこだわっているのは、五輪で国威発揚・誇示を図ろうとする国家の政治利用、国家主義に他なりません。

 典型的な五輪の政治利用として歴史に刻印されているのはナチス・ドイツによるベルリン五輪(1936年)です。その大会のマラソンで優勝したのは、帝国日本が植民地支配していた朝鮮のソン・ギジョン(孫基禎)選手でした。

 日本政府はソン選手の優勝を「国威発揚」「内鮮融和」に最大限利用しました。一方、当のソン選手は、表彰台で侵略・植民地支配の象徴である「日の丸」を見、「君が代」を聞かねばなりませんでした。

 ソン選手の母国である朝鮮では、優勝を報じた「東亜日報」(1936年8月25日付夕刊)がソン選手の優勝写真から胸の「日の丸」を消して日本に抗議の意思を示しました(いわゆる「日の丸末梢事件」、写真右)。(2019年7月30日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20190730

 ベルリン五輪から3カ月後の1936年11月25日、日本はナチス・ドイツと「日独防共協定」を結び、翌37年の中国侵略へと突き進んでいきました。

 さらに日本は、ベルリン大会の次の1940年の大会を東京で開催することを目論み、ヒトラーの賛同を得ていったんは決まりましたが、戦争の激化で流れました。帝国日本がこの年に「東京五輪」を誘致したのは、「神武天皇即位」から数えて2600年の節目(「皇紀2600年」)にあたるとして、天皇制の強化を図ろうとしたからです。

 ベルリン五輪から「幻の東京五輪」に至るこの五輪の歴史を、私たちは忘れてはなりません。

 国を超えて健闘をたたえ合う選手たちの姿は感動的です(写真中はスノーボードの岩淵麗楽選手をたたえるカナダ選手=朝日新聞デジタル)。それはスポーツには「国籍」も「国家」も関係ない、必要ないことを示していると言えるでしょう。

 商業主義、メダル至上主義など、五輪には問題が山積していますが、五輪を続けるのであれば、何よりもその国家主義、国家による政治利用を撤廃しなければなりません。選手の“国籍の壁”を取り払うことはその第一歩になるのではないでしょうか。


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「国際母語デー」に考える沖縄・朝鮮植民地支配の責任

2022年02月21日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任

     

 きょう2月21日は、ユネスコが1999年に制定した「国際母語デー」です。
「1952年、東パキスタンの一部だったバングラデシュ首都ダッカで、母語のベンガル語を守るため抗議行動をした学生数名が犠牲になった。独立運動の過程で起きたこの日をバングラデシュ政府は「言語運動記念日」とした」(名嘉山秀信・那覇市文化協会うちなーぐち部会長、20日付琉球新報)。それが由来です。

 沖縄の母語はウチナーグチ・しまくとぅば。名嘉山氏は、ユネスコが2009年に琉球諸語を「消滅の危機言語」と発表したことを挙げ、「私たちの魂・アイデンティティーおよび文化の基層をなす大切な母語が、今後10年という近未来に消滅するのではないか」と危機感を募らせています(同琉球新報)。

 沖縄の母語がなぜ「消滅の危機」を迎えているのか。1879年に琉球を武力で併合した帝国日本が、皇民化政策の主要な柱として「方言(しまくとぅば)撲滅」を図ったからです。そのために学校では「方言札」(写真左)が使われました。

「学校では、方言をつかった生徒に罰則として「方言札」を所持させたり、首にかけさせたりして、方言をつかった他の生徒にまたこれを渡すという方法で標準語(日本語―引用者)励行が進められた。この指導法は、方言蔑視による沖縄文化の否定につながり、逆に子どもたちに劣等意識をうえつけることになった」(新城俊昭著『沖縄から見える歴史風景』編集工房東洋企画2010年)

 日本の侵略戦争が激化した1939年、沖縄では「標準語励行県民運動3カ年計画」がつくられ、大掛かりな「標準語励行運動」が展開されました。

 母語に対する帝国日本のこうした攻撃は、日本が植民地支配した朝鮮半島でも同じように行われました。

 「「併合」(1910年)初期から朝鮮人民に日本語教育を強化し、日本語を「国語」と呼ばせ母国語を「朝鮮語」として教える政策は、ここにきて(1938年の「新朝鮮教育令」公布―引用者)、その「朝鮮語」すら事実上禁止するにいたった。
 1942年に起きた「朝鮮語学会事件」(朝鮮語の辞書を作ろうとした29名の朝鮮人を治安維持法違反で逮捕、11名を2年から6年にわたる懲役刑に処した)は、朝鮮人の民族意識を抹殺するうえで、言葉と文字の抹殺にどれほど重きをおいていたかをうかがわせる」(金昌宣著『加害と被害の論理―朝鮮と日本そして在日朝鮮人』朝鮮青年社1992年)(写真右は「朝鮮語学会事件」を描いた韓国映画「マルモイ」のチラシ。マルモイとは「ことばあつめ」)

 ところで、「母語」と似た言葉に「母国語」があります。ソ・キョンシク(徐京植)氏は「日本では「母語」と「母国語」の区別を意識している人はごくわずかだが、もともと両者は根本的に違う概念である」として、こう指摘します。

「母語は、生まれて初めて身につけた、母から子へ伝達される根源のことばである。…他方、「母国語」とは「国民」として属している国家、すなわち「母国」の「国語」を指す。それは近代国民国家において、国家が教育やメディアを通じて人々に叩き込み、人々を「国民」へと造り上げる装置である。

 母語と母国語が一致しているのは一国家内部の言語マジョリティのみであって、事実上どんな国にも母語と母国語とが異なる言語マイノリティが存在する。
 その存在を無視または忘却し、母語と母国語とを同一視して怪しまないことも単一民族国家幻想のなせるわざといえよう」(徐京植著『ディアスポラ紀行―追放された者のまなざし―』岩波新書2005年)

 「日本語」を「国語」と呼び、「母語」と「母国語」の区別も分からない。それは植民地宗主国の「国民」であり「言語マジョリティ」である「日本人」の無知と傲慢を示すものでしょう。

 「国際母語デー」に、日本の植民地支配の歴史とその責任に思いを至らせたいものです。


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日曜日記185・「当事者である」ことと「当事者になる」こと

2022年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 在日総合誌「抗路」(発行者・尹健次氏)最新号(9号)は、「「在日」と市民運動」を特集している。その中の「韓国♯MeToo運動と日韓関係」と題する論稿で、佐藤雪絵さん(早稲田大学大学院)は、「韓国と比べ、日本において♯MeToo運動が盛んでないことは明らか」とし、その理由の1つが、「日本では、(性差別の)当事者が当事者になることができない」ことにあると指摘している。

「この社会に、性差別の当事者でない人はいない。差別する者、差別される者、傍観する者、抗議する者―あらゆる人が当事者である。しかし、すべての人が当事者になっているわけではない。あらたな「人間関係の網の目」に飛び込み、当事者になることは、勇気のいることである。

 それでも、この社会で当事者になる人を一人でも増やさなければ、性差別のトラウマを克服することも、「慰安婦」問題に真摯に取り組むこともできない。事実、わたしは♯MeToo運動を見守り続けてきた。情けないことに、見守るしかできない人間だったのである。

 しかし、社会を変えたいと願うならば、この文章を書いているわたし自身が、まず当事者にならなければならない。そして、当事者になりつづけなければならないのである」

 「当事者である」ことと「当事者になる」ことは本質的に違う。誰もが「当事者である」が、「当事者になる」人は多くない。「当事者になる」には新たな「人間関係の網の目」に飛び込まねばならない、と。

 障がい者の立場から「当事者研究」をすすめている熊谷晋一郎東京大准教授は、「当事者になる」には、①責任問題ではなく構造問題としてとらえる②抽象的ではなく具体的に③密室ではなく共有する―という「3つの態度設定」が重要と強調している(『臨床心理学・増刊第9号』金剛出版2017年)。

 熊谷氏と対談した國分功一郎東京大准教授は、「当事者研究は「生きていくこと」自体を不断に研究するものですよね。かつてその機会を奪われた人たちが、剥奪された機会を奪還するのが当事者研究と考えることもできます」と述べている(同上)。

 熊谷氏が強調する「密室でなく共有する」とは、佐藤さんが言う新たな「人間関係の網の目」に飛び込むことに通じるのだろう。

 傍観者にならない。性差別・性暴力と自分自身の関係を凝視し、主体的にかかわっていく。新たな「人間関係の網の目」に飛び込み、人々と問題意識を共有し、ともにたたかう。それは「生きていくこと」そのものであり、人間性を奪還すること。

 性差別だけでなく、あらゆる差別、あらゆる社会の不条理、不正義に対し、「当事者になること」が問われているのだと、改めて思う。


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米軍の横暴抑えるため玉城沖縄知事にできる2つのこと

2022年02月19日 | 沖縄と日米安保・自衛隊

    
 岸田文雄首相は17日の記者会見で、コロナ感染の発生源究明に必要な在日米軍兵士のゲノム解析について、「結果判明の時期について、確たる見通しは承知していない」という無責任な答弁を行いました。日米地位協定の抜本改定を重ねて拒否したことと合わせ、米軍の横暴に何の対策もとろうとしない対米追随ぶりを改めて露呈しました。

 一方、在沖米軍は先に沖縄県民や県・那覇市の反対・抗議を無視して強行した那覇軍港での大規模な訓練について、「那覇軍港は理想的な場所だ」(在沖海兵隊政務外交部長、17日付琉球新報)と述べ、訓練を継続する意向を示しました。

 在日米軍の横暴は際限がありません。日本政府がそれに追随している中、市民は抗議の声を上げることしかできないのでしょうか。
 けっしてそうではありません。琉球新報と沖縄タイムスは17日、玉城デニー知事が米軍の横暴を抑えるために今できること、すべきことをそれぞれ提言・主張しています。

 沖縄タイムス(17日付)の論壇欄で、小林武沖縄大客員教授(憲法学)は、「検疫対象でない米軍人 市中流入 条例で規制を」と題する論稿を寄稿しています。要点はこうです。

< 米軍は本国や海外基地から、日本側検疫を受けずに直接に在日基地に入り、またそこから市中に自由に出る。日米地位協定の抜本改定こそ喫緊の課題だが、日本政府はそれを行わない。今や、県と県民自身で生命を守らなければならない。

 そのために、米軍の軍人等が感染症を市中に持ち込むことを規制する条例を緊急に制定することを提案したい。米軍基地内ではなく、ゲートの出口で、基地から出てくる軍人等にワクチン接種済証明やPCR検査陰性証明等の提示を求めるのである。

 条例は、主権者住民の意思を明確に示す自治体の最上位の法規範である。これを制定するなら、知事による要請を支える強力な土台ともなる。>

 一方、琉球新報(17日付)は、米軍が那覇軍港で訓練を強行したことについて、「那覇軍港 県の移設容認 前提崩れる」という見出しの「解説」を掲載しました。

< 一連の訓練で、米軍の判断次第では那覇軍港の使用が制限なく拡大される懸念が高まった。
 そもそも那覇軍港の運用について、県は航空機の離着陸や訓練は想定されていないとの認識を示している。その上で、県は現有機能を維持する前提で、浦添市への移転を容認してきた。今後も訓練が実施される可能性が出てきたことで、県が移設を容認する前提は崩れている

 米軍が自由に使用目的を広げられる状況で、軍港移設が進めば「基地負担の新たな形」(玉城デニー知事)ごと、浦添市に移設することになる。>

 そもそも那覇軍港の浦添市への移設は、基地の温存を図る米軍に便宜を図るもので、容認すべきではありません。しかし、翁長雄志前知事はこれを容認し、玉城知事も継承してきました。

 それはあくまでも那覇軍港の使用規定(「5・15メモ」)が順守されることが前提でした。しかし、今回の訓練強行は「5・15メモ」に反しています。従って「県が移設を容認する前提は崩れている」、移設すれば「基地負担の新たな形」となる、というのが琉球新報の「解説」の論旨です。すなわち、このまま那覇軍港の移設を容認すれば、“第2に辺野古新基地”になるということです。

 米軍のコロナ感染拡大を規制する条例の制定。「新たな基地負担」を防ぐ那覇軍港移設容認撤回。米軍の横暴を抑える2つの有力な手段を、玉城知事は真剣に検討すべきでしょう。


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「戦争法(安保法制)廃止」棚上げの危険な動き

2022年02月17日 | 日米安保・軍事同盟と政治・社会

    

 憲法が禁止している集団的自衛権に公然と道を開いた戦争法(安保法制)(2015年9月19日成立)を廃止することは、日本の戦争国家化の阻止、東アジアの平和・安全のために不可欠です。しかし、その行方に暗雲がたちこめています。

 衆院選に向けて、立憲民主党、日本共産党、社民党、れいわ新選組の4党と「市民連合」(「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」)は昨年9月8日、6つの柱20項目の「共通政策」を合意しました(写真左)。
 その第1項は、「安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの法律の違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する」でした。

 ところがこれに対し、立憲民主の中から、「安保法制の違憲部分廃止」を見直そうとする動きが強まっています。

「中国脅威論が高まるなか…立憲幹部の中にも、安保法制という野党共闘の原点が、いまや「足かせ」となっていると感じる人は少なくない」「衆院選で敗北した後、(枝野幸男前代表の)後を継いだ泉健太代表は昨年末から、外交・安保政策の練り直しを参院選に向けて始めている」(14日の朝日新聞デジタル)

 立憲民主内のこうした動きは、実は昨年春からありました。岡田克也元外相が発起人となって立憲民主と国民民主の議員によって立ち上げた「勉強会」がそれです。
 中心メンバーの1人、前原誠司氏(元民主党代表)は「勉強会」の講師に、安倍晋三政権時代に自衛隊の統合幕僚長だった河野克俊氏を招いたことがあります。その動機を前原氏はこう語っています。

立憲と国民民主のしこりは安保法制。出来が悪い法律であっても、それに基づき日米でガイドラインを確認し、体制を整備している。政権を担うならリアリズムの視点に立たなきゃいけない」(14日の朝日新聞デジタル)

 危険な動きは「市民連合」の中にもあります。

 「市民連合」よびかけ人の1人、山口二郎法政大教授(写真中の後列右から2人目)は2月5日都内で行われたシンポジウムで、参院選に向け「国民民主党を野党側に引き戻すことが課題だ」とし、20項目の「共通政策」について、「少数の項目に絞っていのではないか」と見直しを提案。「具体的には「民主主義の回復」「憲法擁護」「敵基地攻撃能力反対」の三つを例示した」(5日の朝日新聞デジタル)のです。

  国民民主を「引き戻す」ために、国民民主が反対する「安保法制の違憲部分の廃止」を「共通政策」から削除しようというのです。この「提案」は「市民連合」内で十分論議されたものとは思えません。こうした重大問題を独断で公の場で公言する山口氏の見識と責任があらためて問われます。

 「市民連合」は1月17日、「衆議院選挙の総括と今後の取り組み方針」を発表しました。その中で、「今後の市民連合の役割、あり方について」の項目で、「名称の変更も含めて、組織体制、運動のスタイルの刷新」に取り組むと明記しています。「名称変更」とは「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」の名前から「安保法制の廃止」を削除しようとするものです。名は体を表す、ということでしょう。

 日米軍事同盟(安保体制)の一層の強化で自衛隊と米軍の一体化、沖縄のミサイル基地化が進行している中で、きたる参院選では「戦争法廃止」は憲法改悪阻止とともに最重要争点となるべきものです(写真右は「戦争法反対」国会行動=2015年9月)。

 にもかかわらず、立憲民主と「市民連合」の幹部の中から、「国民民主との共闘」「政権担当」の大義名分の下、「戦争法(安保法制)廃止」の棚上げが図られようとしていることは絶対に黙過することができません。


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佐渡金山と秀吉と朝鮮侵略

2022年02月15日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任

    
 日本政府が佐渡金山(新潟県)をユネスコ世界遺産登録しようとしている問題については、13日行われた日韓外相会談でも対立が表面化しました。この問題の本質は、帝国日本が朝鮮を植民地支配していた当時、「千人以上の朝鮮人労働者」(旧相川町=現佐渡市の「町史」)が強制労働させられていたことを隠ぺいして日本政府が世界遺産登録しようとしていることです(1月11日、29日のブログ参照)。

 さらに、佐渡金山と朝鮮半島の暗い関係の歴史はそれだけではないことが分かりました。

 2月7日のNHKニュースは、佐渡金山の歴史で、「1586年、豊臣秀吉が上杉景勝に管理命じた」と報じました(写真中)。

 佐渡金山と秀吉の関係。佐渡市生まれの郷土史研究家、磯部欣三氏(元新聞記者)は『佐渡金山』(中公文庫1992年)で、こう書いています。

「佐渡の銀山は太閤蔵入地として景勝に預けられていたらしく、砂金山として古くから三川砂金山(真野町)があり、これに鶴子銀山を加えたのが「佐渡黄金山」らしい。
 文禄四年(1595)に「景勝にいいつけて、時節柄急いで金を掘るように」と、石田三成宛てに、秀吉の意向を伝えた浅野長吉の手紙(佐渡高校「萩野文庫」)が残っている。
 この手紙は、上洛中の景勝に、三成から手渡されたらしく、「時節柄」とは、たくさんの軍資金を必要とした朝鮮出兵をさすのだろう

 「朝鮮出兵」とは言うまでもなく、1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて行われた秀吉による朝鮮侵略です。

「日本では「文禄・慶長の役」と呼んでいますが、すさまじい被害を受けた朝鮮では当時の干支から「壬辰(じんしん)・丁酉(ていゆう)の倭乱」と呼んでいます。
 秀吉は全国統一を進める中で、すでに1580年代の半ごろから大陸への征服戦争を考え、九州をおさえるとともに、琉球・朝鮮・明を征服する意志を明らかにしていました」(中塚明著『これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2002年)

 佐渡金山は秀吉の朝鮮侵略の重要な資金源だったのです。

 秀吉が石田三成を通じて上杉景勝に「急いで金を掘るように」と命じた1595年は、まさに「壬辰・丁酉の倭乱」の真っ最中でした。

 日本政府は今回の世界遺産登録申請は、植民地支配以前の佐渡金山の歴史を対象にしているとして、強制動員・労働への批判をかわそうとしています。それは佐渡金山の歴史を隠ぺいする詭弁ですが、植民地支配以前をとっても、佐渡金山が秀吉の朝鮮侵略の資金源になっていたことは、それが世界遺産として不適切であることを示しています。

 あらゆる視点から見て、日本政府が強行しようとしている佐渡金山の世界遺産登録は許されるものではありません。きっぱり断念すべきです。


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