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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

人を救う「災害救助」になぜ軍隊(自衛隊)なのか

2016年04月21日 | 九州・熊本大地震

   

 熊本・大分大地震は14日の震度7から1週間経ちました。不明者2名の捜索のほか、被災者支援がますます重要になっています。
 自衛隊は14日午後10時40分ごろ、蒲島熊本県知事から「災害派遣要請」を受けて以降、救援活動の前面に立っています。それが当たり前ように受け止められ、疑問の声は聞こえてきません。それでいいのでしょうか。

 20日現在、熊本、大分における自衛隊の災害派遣は、人員約2万2000人(延べ約10万3700人)、航空機114機(延べ515機)、艦艇12隻(延べ81隻)にのぼっています(防衛省HPより)。
 5年前の東日本大震災における自衛隊の派遣人数は、174日間で延べ1058万人(1日平均約6万人)でした。被災地域の面積、被災状況を考えると、今回の熊本・大分への派遣はきわめて大規模なものです。

 活動内容も、捜索、復旧など現場での作業だけでなく、「給食・給水」、「入浴」、「医療」など、「避難所」で直接被災者と接する活動が多くなっています。今回は、「避難所で何が不足しているか自衛隊が支援物資の聞き取り調査を行った」(19日のNHKニュース)ところさえあります。

 こうして政府は、「災害派遣」によって大量の自衛隊を派遣し、より被災者に近いところで、「国民を助ける自衛隊」を印象付けているのです。

 これはけっして黙認できることではありません。その理由は2つあります。

 1つは、自衛隊はあくまでも軍隊、憲法違反の軍隊だということです。
 軍隊の本分は戦争すなわち殺し合いです。敵を欺くための迷彩服が子どもたちも多い避難所を闊歩している姿は異常です。今回自衛隊のヘリが南阿蘇村で孤立した人たちを救助しましたが、そのヘリの両サイドに備えつけてあったのはミサイル状の武器ではなかったのでしょうか(写真右)。
 兵士である自衛隊員が兵器である自衛隊の装備を使って災害救助を行う。それは異常だという感覚を麻痺させてはならないでしょう。

 防衛省はホームページで災害派遣の模様を写真を多用して細かく広報しています。「小学生から寄せられた感謝の手紙」なども載せて。その狙いが、軍隊としての自衛隊の本質を隠蔽して「国民を助け、親しまれる自衛隊」をPRすることにあるのは明白です。
 しかも今回は3月に戦争法(安保法)が施行したばかり。集団的自衛権行使によって自衛隊の活動範囲が拡大し、いっそう危険になります。防衛大学校からの任官が激減するなど、自衛隊員の不足は安倍政権にとって深刻です。災害派遣は、政府・防衛省にとっては「求人活動」の側面もあるのではないでしょうか。

 そうは言っても、藁にもすがる思いの被災者にとっては、憲法違反の軍隊であろうと、助けてくれる自衛隊に「感謝」するのは当然でしょう。そこに2つ目の問題があります。

 本来、自然災害に対しては、救助・捜索・復旧活動を担当する非軍事の専門組織を創設し、そこが警察や消防などと協力して対処すべきです。ところが日本は自衛隊を出動させることによって、その専門組織の創設を棚上げしているのです。

 熊本、大分の被災地ではいま、避難所や避難地をめぐり多くの問題に直面していますが、これらのほとんどは、阪神大震災や東日本大震災でも経験済みのはず。その教訓が生かされ対策が制度化されていればこれほど困惑することはないでしょう。災害のたびに被災者が同じ問題に苦しみ、相変わらず末端の行政職員やボランティアに多大な負担がかかるのは、過去の災害の教訓を生かしていない政治・行政の責任です。それは災害対策の専門組織を創っていないことと表裏一体でしょう。

 日本の軍事費は年間5兆円を超えています。その何分の1かの予算で、充実した災害対策の専門組織が創れるはずです。災害救助を志す有意の青年は今は心ならずも自衛隊に入って兵士になるしかありませんが、災害救助の専門組織があれば喜んでそこに集まることができます。

 人の命と生活を守る災害救助は、軍隊ではなく非軍事の平和的組織で。そのために自衛隊を縮小・解散し、災害救助の専門組織の創設を。その世論を大きくしていきたいものです。


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オスプレイ投入ー震災の政治利用は絶対に許せない

2016年04月19日 | 九州・熊本大地震

   

 大地震の支援物資輸送を口実に、普天間基地所属の米軍輸送機MV22オスプレイ4機が18日、熊本県に投入されました。「災害支援」名目のオスプレイ出動は日本では初めて。震災を政治利用する安倍政権と米政府のやり方は言語道断です。

 ★フィリピンから7時間半かけて

 投入されたオスプレイは普天間基地所属ですが、沖縄から来たわけではありません。

 「オスプレイ4機が17日夕、米海兵隊岩国基地(岩国市)に到着した。救援物資を積み込み、被災地へ向かうとみられる。フィリピンで演習中だった4機は、給油を含め約7時間半かけて移動した」(18日付中国新聞)

 それほど無理をしてまでオスプレイを被災地へ送る必要性があったでしょうか。

 ★オスプレイは必要ないばかりか危険・邪魔

 「スピードが速く航続距離が長いという(オスプレイの)特長を生かす場面はなく必要性に疑問だ。物資が途切れているのも、仕分けや荷下ろしの問題で、オスプレイを投入したから末端の避難民が潤うということにはならない」(軍事ジャーナリストの前田哲男氏、19日付琉球新報)

 「陸自だけでも輸送ヘリは220機余ある。24人乗りのオスプレイよりも積載量が大きい55人乗りのCH47ヘリが56機あり、オスプレイが不可欠というわけではない」(軍事評論家の田岡俊次氏、同)

 オスプレイ投入の必要性はまったくないのです。それどころか、故障・墜落の危険性が高いうえ、災害支援には不向き・邪魔なのがオスプレイです。

 「オスプレイは着陸時に巻き上げる風が強いため、2015年のネパール大地震で住宅の屋根が破損したとの報道もあった。この日は白水運動公園にオスプレイが着陸する前、砂が巻き上がるのを防ぐためか自衛隊車両が散水していた」(19日付毎日新聞)

 ★投入の経過ー米政府が要求し、安倍首相が乗る

 「米軍の活動参加に対する政府内の認識が、当初から統一されていたとは言い難い。『申し出があるが、今直ちに支援が必要だという状況ではない』。安倍晋三首相は17日朝、官邸で記者団に米軍支援受け入れの可能性を聞かれるとこう強調した。変化が生じたのは、その直後だ。首相は官邸で中谷氏(防衛相)らから情勢報告を受けた。受け入れ指示は、この場で伝えた可能性がある。背景に米側から受け入れを日本側に強く求める申し入れがあったとの推測も出ている」(19日付共同配信)

 米政府の要求に乗った安倍首相の思惑はー。
 「防衛省関係者は『米軍オスプレイの支援は必ずしも必要ではないが、政治的な効果が期待できるからだ』と説明する」(19日付朝日新聞)

 ★オスプレイ投入で狙う2つの「政治的な効果」

 ①日米軍事同盟強化をアピール

 「昨年改定した日米防衛協力のための指針(ガイドライン)では、日米が災害で協力することも盛り込まれた。今回のオスプレイの活動は『日米同盟が深まっている』(防衛省関係者)ことを示す場でもある」(朝日新聞、同)

 「『日米同盟のアピールにちょうど良いと思ったのではないか』。そう話すのは防衛省幹部の一人。集団的自衛権行使を可能にし、日米同盟強化を目指した安全保障関連法は3月に施行されたが、国民の間で理解が進んでいるとは言えない状況だ」(共同配信、同)

 ②沖縄(辺野古、高江)、佐賀への世論対策

 「オスプレイを巡っては、陸上自衛隊が導入するオスプレイの佐賀空港配備計画の協議や、本土への訓練移転による沖縄の負担軽減など地元との懸案を抱えている。防衛省関係者は『オスプレイ投入は災害で使えることを示して安全性の懸念を取り除こうとする取り組み。災害の政治利用という批判はあるだろう』と指摘する」(毎日新聞、同)

  ★「政治利用」に被災現場の自衛隊員からも批判の声

 「オスプレイの佐賀空港配備に反対している佐賀市の主婦、石丸初美さん(64)は『被災者の方々はおにぎり一つでもありがたいと思う状況。政府は(オスプレイの国内配備のためにー原文)どんな状況でも利用するのか』と憤った」(毎日新聞、同)

 「ある自衛隊員は…『オスプレイ使用が政治的パフォーマンスと捉えられ、『こんな時に防衛省・自衛隊は何を考えているのか』という批判につながらないだろうか』と率直な疑問を口にする。『災害を政治の道具にしてはいけない。一番大事なのは被災者の救助、支援なのだから』。隊員はそうつぶやいた」(共同配信、同)

 地震発生から5日経っても、被災者に水や食料など最小限の生活物資さえ届かない状況は、政治・行政の無策・不手際、つまりは安倍政権の責任にほかなりません。
 自分の責任にはほうかむりし、逆に被災者の窮状を利用してオスプレイ配備・日米同盟強化の世論対策を図る。非人間的なこのやり方こそ、軍隊・軍事同盟の本性だと言わねばなりません。


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「本震」急襲、安倍政権・気象庁の「誤報」責任を問う

2016年04月17日 | 九州・熊本大地震

   

 熊本、大分を襲った16日未明の大地震。大きな犠牲を生んだ1つの原因は、安倍政権・気象庁の「誤報」にあったのではないでしょうか。

  「おととい(14日夜の地震)の片づけをしていたところで、もっと大きな地震がくるとは思わなかった」
 熊本県・御船町の被災者の1人は、16日未明の地震についてこう述べました(16日夕のNHKテレビ)。同じような声はほかにも聞かれました。M7・3の未明の大地震は多くの人たちにとっては不意打ちだったのです。

 気象庁は16日午前3時40分、未明の地震が「本震」であり、14日夜の地震は「前震」だったと淡々と発表しました(写真中)。そこには、「本震」の到来をまったく予想できず、したがって必要な警鐘を鳴らすこともしなかったことへの自責の念は微塵も感じられませんでした。

 気象庁は15日10時30分の会見で、14日の地震を「平成28年熊本地震」と命名し、さらに15時30分の会見で、「今後3日間に震度6弱以上の余震が発生する可能性は20%」と発表しました。「余震」には注意を喚起したものの、余震とはまったく別の(したがって規模もけたはずれに大きい)「本震」はまったく予測できなかったのです。
 こうした誤ったアナウンス(誤報)によって、被災者らが地震は収束に向かっていると思い、「本震」に不意打ちをくったことは否定できないでしょう。

 これを不可抗力だったと片づけられるでしょうか。
 たとえば専門家からは、「火山や地熱地域では、このような地震活動(「本震」-引用者)がしばしば発生する」(山岡耕春名古屋大地震火山研究センター、17日付沖縄タイムス)という指摘が出ています。ある程度予測可能だった、ということではないのでしょうか。
 15日の気象庁の判断・発表が妥当だったのかどうか。専門家による第三者機関で検証される必要があるのではないでしょうか。

 誤った判断で被災者や市民をミスリードした点では、安倍政権自身の責任も問われなければなりません。
 安倍首相は15日16時5分(気象庁の「余震可能性」発表の直後)、非常災害対策本部の第3回会合で、「16日に熊本県の被災地を視察する」と表明しました(16日未明の「本震」直後に取り消し)。
 また河野太郎防災担当相は15日記者団に、「(今後の政府の対応は)被災者の生活再建の局面に入っている」(16日付中国新聞=共同)と述べました。

 こうした安倍氏や河野氏の発言(対応)は、安倍政権として〝地震は14日でやまを越した”と判断したからではないでしょうか。その原因が気象庁の誤った見通しにあったにせよ、首相や担当相の政治責任は免れません。

 実は気象庁の重大な「誤報」は、今回が初めてではありません。2011年3月11日、東日本大地震で気象庁が発表した「津波警報」は数メートル規模のものでした。ところが実際はそれをはるかに超える巨大な津波。はじめからもっと正確な警報を出していれば、犠牲はあそこまで大きくならなかったのではないでしょうか。
 この気象庁(政府)の重大な「誤報」の原因や過失責任は、いまだに明らかにされていません。

 地震や津波という自然現象だからといって、あるいは現在の科学の限界だからといって、気象庁(政府)の「誤報」が見過ごされていいはずがありません。第三者機関による検証を含め、市民(主権者)のチェックがなされるべきです。
 「自然災害」だからといって政府(行政)の対応責任が問われないわけではないのですから。


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