昨4月28日の新聞の社説で、この日がサンフランシスコ講和条約の発効日(1952・4・28。写真中は調印=1951・9・8)であることを取り上げたのは(私が見た限り)、琉球新報と沖縄タイムスだけでした。このこと自体、日本のメディアの重大な欠陥を示しています。
沖縄の両県紙は、「4・28「屈辱の日」自己決定権を誓う日に」(琉球新報)、「きょう「4・28」基地押し付けを改めよ」(沖縄タイムス)と、同条約によって沖縄(琉球)が日本の「独立」から切り離され、アメリカの施政権下に置かれたことからこの日を「屈辱の日」とし、今にいたる米軍基地負担差別の根源がここにあることを告発しています。
これは当然、「本土」の日本人こそ凝視・自省しなければならない問題で、沖縄県紙以外のメディアがこの問題をスルーしていることは、軍事植民地としての沖縄の現状と、日本(人)の加害性をあらためて表していると言わねばなりません。
同時に重要なことは、この日が「屈辱の日」なのは、沖縄(琉球人)だけではないことです。
サ条約で切り捨てられたのは沖縄だけではありません。同条約(第2条a・b項)の発効に合わせ、同日「外国人登録法」(外登法)が施行されました。これによって在日朝鮮人(当時約50万人)、台湾人は「日本国籍」をはく奪されて「在日外国人」とされ、指紋押捺などの管理制度が法制化されました。
植民地支配で強制的に「日本人(国籍)」とし、敗戦後は一方的に「国籍」を奪って「外国人」として放り出す。それによって、在日朝鮮人、台湾人は戦後補償はもちろん、日本国憲法が保障する諸権利をはく奪され、同時に人権蹂躙の管理が強行されるようになったのです。
在日コリアンに対するこの差別・人権蹂躙が、今日の「高校・幼児教育無償化制度」・コロナ禍の「学生支援」からの朝鮮学校の排除など、在日コリアンに対する制度的差別につながっていることは周知の通りです。
重要なのは、「外登法」は、その5年前の1947年5月2日に発令された「外国人登録令」(外登令)を法律にしたものであり、「外登令」こそ在日朝鮮人・台湾人差別の根源だということです。「外登令」(勅令207号)は、日本国憲法の施行日前日に天皇裕仁が行った“最後の勅令”です。同11条で、「在日朝鮮人、台湾人は当分の間外国人とみなす」としたのです。
「4・28」施行のサ条約によって沖縄がアメリカの施政権下に置かれた根源は、天皇裕仁がそれを望みアメリカに進言した「沖縄メッセージ」(1947・9・19)です。そして在日コリアン、台湾人を切り捨てた根源も天皇裕仁の勅令。ここに、沖縄(琉球)・朝鮮・台湾に対する日本の植民地支配と裕仁・天皇制の関係性が象徴的に表れています(写真左は2013年4月28日の政府集会で天皇明仁=当時にバイイザイする安倍晋三首相=当時)。
その裕仁の誕生日である4月29日を、日本政府は「昭和の日」(2007年までは「みどりの日」)という「祝日」にしているのです。「4・28」の翌日を裕仁の誕生日として祝う。なんと醜悪なことでしょうか。政府による露骨な裕仁・天皇制美化であり、日本の植民地支配の歴史・加害責任の隠ぺいにほかなりません。
政府やメディアはもちろん、無意識・無関心に「祝日」を喜ぶ「日本国民」も歴史的責任が厳しく問われていることを銘記する必要があります。