アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

稲田・自衛隊発言の背景こそ問題

2017年06月29日 | 自衛隊・軍隊

     

 稲田朋美防衛相が都議選の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛相としてもお願いしたい」(27日、板橋区内の集会)と述べたことは、憲法(第15条)、自衛隊法(第61条)、公選法(第136条)の明白な違反であり、即刻罷免すべきは当然です。

 しかし、稲田氏の首を斬ってすむ問題ではありません。安倍首相の任命責任が問われることはもちろんですが、それだけでもすみません。なぜなら、あの稲田発言には背景・土壌があり、それをただすことこそが重要だからです。そうでないと、低劣な大臣の首をいくらすげ替えても、この国の状況は少しも良くなりません。

 稲田氏は問題発言の前後にこう言いました(28日付共同配信より)。
<テロ、災害、首都直下型地震も懸念される中、防衛省・自衛隊と東京都がしっかりと手を携えていくのが非常に重要だ。…板橋区ではないが、隣の練馬区には自衛隊の師団もある。何かあったときに自衛隊が活躍できるのも地元の皆さま方、都民の皆さま方の協力があってのことだ。>(演説で)
練馬駐屯地も近いし…地元の皆さん方に対する感謝の気持ちを伝える一環として、そういう言葉を使った>(演説後、記者団に)

 稲田氏が無防備に本音を漏らしたほど伝えたかった「地元」への「感謝」とは、いったい何でしょうか。

 『教育に浸透する自衛隊ー「安保法制」下の子どもたち』(同時代社)と題する冊子が今年4月、市民・学者らによって発行されました(写真右は同冊子から、子どもに防護服を着せる自衛隊員)。
 それによると、「2013年に、東京都立田無工業高校の生徒が自衛隊の朝霞駐屯地『隊内生活体験』を行うという驚くべき教育の状況が生まれていた。2011年の東日本大震災に関連して、全都立高校で宿泊を伴う防災訓練の実施が始まっていた。この宿泊防災訓練に名を借りて自衛隊駐屯地での訓練を高校生に実施していたのである」(永井栄俊立正大非常勤講師)。

 稲田氏が言及した練馬区でも、都立練馬工業高校が2010年度から14年度まで「奉仕」の時間の「災害救助体験」の名目で自衛隊練馬駐屯地を訪問していました。市民らが問いただしたところ、<陸上自衛隊側は「青少年防衛講座」として、「自衛隊に対する親近感を醸成するとともに防衛を理解するため」に実施した、としている>(中川信明氏・練馬教育問題交流会)。

 市民らの抗議で、都立高校の自衛隊駐屯地での「宿泊防災訓練」や「奉仕」を名目にした駐屯地訪問は15年度以降行われていません。しかし、<一方で、都立高校で行われている「宿泊防災訓練」において自衛隊員が講話を行ったり、インターシップ名目の自衛隊施設訪問は繰り返されている>(中川氏)。

 戦争法の施行で自衛隊員希望者が減少している中、都立高校は自衛隊にとって格好のリクルートの場になっているのです。稲田氏の「感謝」の1つの理由がここにあります。
 こうした自衛隊の教育(学校)への浸透は、もちろん東京だけではありません。戦争法による集団的自衛権行使、米軍との共同・一体化の強化によってますます゛戦う軍隊”となっている自衛隊が、「防災」名目で教育へ浸透している実態は絶対に見過ごすことはできません。

 都議選はまともな政策論争がまったく行われないまま、2日の投票日を迎えようとしています。「豊洲移転」だけがクローズアップされていますが(小池戦略)、東京には横田飛行場をはじめ6つの米軍基地と多くの自衛隊駐屯地があります。首都東京の基地問題はどうなっているのか、元防衛相であり、「日本会議議連」の副会長だった小池百合子知事の下で、自衛隊の教育への浸透はどうなっているのか、どうするのか。原発廃止とともに、こうした問題こそ都議選で問われるべきではないでしょうか。
 


メディアは前川前次官の警鐘を正面から受け止めよ

2017年06月27日 | 安倍政権とメディア

     

 前川喜平前文科省次官は23日日本記者クラブで2回目の記者会見を行い、「加計学園文書」の信ぴょう性をあらためて証言しましたが、同時に、「メディアと権力の関係」について警鐘を鳴らしました。
 加計問題同様、いやむしろそれ以上に重要な発言でしたが、詳しく報道されませんでした。接した限りの情報を集めて再録します。

<今回の問題で認識を新たにしたのは、国家権力とメディアの関係だ。(「出会い系バー」にかよっていたという)私に対する個人攻撃だと思われる記事が読売新聞に掲載された。不愉快な話で、背後に何があったのか。個人的には、官邸の関与があったと考えている。
 私に最初にインタビューを行ったのはNHKだが、その映像はなぜか放送されないままだ。
 報道番組を見ると、コメンテーターの中には官邸の擁護しかしないという方がいる。
 日本の国家権力とメディアの関係に非常に不安を覚える。国民の視点から問い直す必要性がある。メディア内で自浄作用が生じることも強く期待したい。
 第四の権力と言われるメディアまで(国に)私物化されると、日本の民主主義は死んでしまう。その入り口にわれわれは立っているのではないかという危機感を持っている。>

 報道(「週刊報道LIFE」)によれば、前川氏はさらに会見で、「読売」の記事が出る前に、加計問題の「キーパーソン」(前川氏)である和泉洋人首相補補佐官から「会って話す気はないか」と言ってきたことを明かしました。和泉氏が前川氏の会見を事前に抑えようとしてが前川氏がそれを拒否したため、「読売」の記事が出た、というのが前川氏が「官邸の関与があった」という根拠のようです。

 きわめて注目すべき発言です。事実、前川氏を個人攻撃した記事のほかにも、憲法「改正」案について「読売新聞を熟読してほしい」(5月9日の参院予算委員会)と安倍首相が言い放ったように、読売と安倍首相(国家権力)の癒着は目に余ります。
 前川氏に言われるまでもなく、メディアには自己検証と自浄作用が求められています。

 ところが、この前川会見に対するメディアの扱いはきわめて冷淡でした。

 読売新聞は2面3段で扱いましたが、メディア批判部分は(当然)まったく触れていません。NHKも一切無視しました。
 加計問題は概して大きく扱う朝日新聞が、この日の前川会見は社会面3段という小さな扱いで、メディア批判部分はNHKについて5行載せただけでした。
 共同通信はメディア批判部分を30数行配信しましたが、掲載した中国新聞や琉球新報はこの部分はいずれもベタ扱いでした。
 毎日新聞も第2社会面3段の目立たない扱いでした。ただ、毎日が前川氏の指摘に対するNHKのコメントを載せたのは注目されました。NHK広報は、「個別の番組編集や取材過程について回答は差し控える」とした上で、「NHKの独自取材によるものも含め随時伝えている」と述べたといいます。(新聞はいずれも広島版)

 読売、産経、NHKなどの安倍政権(国家権力)との癒着は顕著ですが、それはもちろんこれら右派メディアだけの問題ではありません。前川氏を個人攻撃した読売の記事が、前川氏の指摘通り「官邸の関与」によるものであれば、それは安倍政権の本質にかかわり、日本の民主主義、報道の自由・権利にとっても重大問題です。メディアは真相を追求して明らかにする必要があります。

 先に「総理記者会見」の実態について述べましたが(20日のブログ参照 http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20170620)、メディアが権力との関係で自己点検・検証し、抜本的に改革しなければならない問題は山積しています。

 「日本の民主主義が死んでしまう入り口に立っている」という前川氏の危機感に同感です。
 


見過ごせない翁長知事「平和宣言」の重大な変化

2017年06月26日 | 沖縄・翁長知事

     

 「6・23沖縄慰霊の日」の「追悼式典」における翁長雄志知事の「平和宣言」に対し、琉球新報は社説(24日付)で、「米国との軍事一体化に前のめりで、憲法に抵触する集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を成立させた安倍晋三首相の『積極的平和主義』の対極にある」と絶賛しました(沖縄タイムスの同日の社説も手放しで評価)。

 これは翁長氏のこれまでの言動や「平和宣言」に盛り込まれた事実を無視した恣意的な「翁長賛美」と言わねばなりません。

 そもそも、翁長氏は「集団的自衛権の行使」にも「安保関連法(戦争法)」にも反対していません。日本共産党などが県議会で再三見解を求めても、翁長氏は「議論が十分ではない」など手続き上の問題は指摘しましたが、集団的自衛権や戦争法自体には反対せず、事実上容認してきました。

 「平和宣言」はどうでしょうか。翁長氏が「6・23平和宣言」を行うのは今回が3回目ですが、実はこの過程で重大な内容の変更が行われています。該当個所を比較してみましょう。

● 2015年6月23日の「平和宣言」…<沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。>

● 2016年6月23日の「平和宣言」…<沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。>

● 2017年6月23日の「平和宣言」…沖縄県は、日米安全保障体制の必要性、重要性については理解をする立場であります。その上で、「日本の安全保障の問題は日本国民全体で負担してもらいたい」と訴え、日米地位協定の抜本的な見直しや米軍基地の整理縮小などによる、沖縄の過重な基地負担の軽減を強く求め続けています。>

 一目瞭然です。「国民全体で負担すべき(負うべき)」ものとして、16年には15年になかった言葉が挿入されました。「日米安全保障体制の負担」です。さらに今年は、新たな一文が付け加えられました。「沖縄県は、日米安全保障体制の必要性、重要性については理解をする立場であります」。これはきわめて重大です。

 「日米安全保障体制」とは言うまでもなく日米安保条約による日本とアメリカの軍事同盟体制です。翁長氏の持論が日米安保条約(体制)賛成・擁護であることは周知の事実ですが、それが「慰霊の日」の「平和宣言」に盛り込まれたのです。しかも、翁長氏自身の考えとしてではなく「沖縄県」の「立場」として。沖縄戦の「慰霊の日」の「平和宣言」で沖縄県民が日本とアメリカの軍事同盟の「必要性、重要性」を「理解」しているという「宣言」が行われたのです。

 沖縄県民はけっして日米安保体制を「理解」などしていません。
 琉球新報と沖縄テレビ(OTV)が昨年行った県民調査(2016年6月4日付琉球新報)では、「日米安保条約」については、「平和友好条約に改めるべきだ」42.3%、「破棄すべきだ」19.2%、「維持すべきだ」12.0%という結果です。軍事同盟である日米安保には県民の61.5%が「ノー」と言っているのです。
 翁長氏の「平和宣言」はこうした県民の意思を無視し、自分の政治信条を「沖縄県」全体のものにすり替えたものです。

 さらに、翁長氏は「平和宣言」の中で、先日亡くなった大田昌秀元知事の名前を出し、その遺志を継承するかのように言いました。テレビのインタビューでも、「大田さんの思いが私の政治の中に入ってきている」(25日BS―TBS「週刊報道LIFE」)などとも述べています。

 しかし、米軍基地・平和に対する大田さんと翁長氏の姿勢には天と地ほどの違いがあります。大田さんは一貫して「沖縄からの米軍基地撤去」を主張し続けました。1995年の米軍による少女暴行事件に抗議する県民総決起集会でも「米軍基地撤去」を強調しました(写真右)。

 ところが、翁長氏は絶対に「米軍基地撤去」とは言いません。今年の「平和宣言」でも上記の抜粋の通り「米軍基地の整理縮小」です。それどころか、昨年、米軍属による女性殺害事件が起こり、抗議の県民大会で「海兵隊の撤去」が決議されたにもかかわらず、翁長氏は「平和宣言」であえて「撤去」を「削減」に変えたのです(昨年6月24日のブログ参照http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20160624)。この一事をとっても、翁長氏と大田さんの違いは歴然です。

 あれほど大田さんに敵対していた翁長氏が、手のひらを返したように「後継者」を装うのは、辺野古埋立の「承認撤回」をあくまでも回避し、批判が強まっている中で、少しでも支持を繋ぎ止めたいということでしょうか。

 翁長氏は安倍氏と「対極」どころか、日米安保体制=軍事同盟を擁護・維持する点で本質的になんら変わりはありません。
 琉球新報、沖縄タイムスには、翁長氏に関して、事実に基づいた冷静な報道・論説が求められます。


「沖縄慰霊の日」・欺瞞に満ちた本土メディア

2017年06月24日 | 沖縄・メディア

     

 「6・23沖縄慰霊の日」の式典で、安倍首相は沖縄への「米軍基地の集中による大きな負担」は「到底是認できるものではない」などと言いました。沖縄の民意を踏みにじって辺野古新基地建設を強行している張本人が、よくも言ったものです。その厚顔無恥にはあらためて怒りが湧いてきますが、ここでは「6・23」をめぐる本土メディアの論説・論調の問題を考えます。

 23、24両日、「沖縄」の社説を掲載した全国紙は朝日、毎日、読売、産経の4紙でした。自民党・安倍政権の広報紙として辺野古新基地建設を鼓舞する読売、産経は、あえて取り上げません。
 問題は、沖縄に寄り添っているかのような姿勢を見せているメディアの欺瞞性です。

 「朝日」の社説(23日付)は、「遺骨」問題に特化させ、最後に「沖縄はいまも米軍基地の重い負担にあえぐ。沖縄戦を知り、考え、犠牲者に思いを致すことは、将来に向けて状況を変えて行くための土台となる」としながら、現在進行形の「重い負担」である辺野古新基地には一言も触れていません。

 「毎日」の社説(23日付)は、「過重な米軍基地負担は沖縄戦の痕跡だ」としながら、「政府が『反基地』の県民感情を直視する姿勢を示さなければ、対立は先鋭化するばかりだろう」と、政府に下駄を預ける一般論で終わっています。

 中国新聞の社説(23日付)は、辺野古や「土人」発言などの問題点を指摘したうえで、「政府は…丁寧に対話を重ねるべきだ。私たち国民も、『痛み』を共有する努力を忘れてはならない」といいます。「痛みの共有」とはどういうことでしょうか。

 NHKは23日夜の「ニュースウオッチ9」で、キャスターが「現地レポート」を踏まえ、「(沖縄と本土の)壁は高くなっている」とし、「私たちが沖縄を分かろうとすることが大切」とコメントしました。沖縄の何を「分かろう」というのでしょうか。

 報道ステーション(23日、写真右)は、「沖縄ヘイト」をとりあげ、「沖縄と本土には新たな溝ができている」とし、ゲストコメンテーターは「人(沖縄の人)のために行動することをやってみたい」などと述べました。「人のため」という発想は根本的に間違っていませんか?

 こうした論説・コメントには重要な共通点があります。「県民感情を直視する」「『痛み』を共有する」など聞こえのいい言葉を並べながら、目下の現実的な基地負担とりわけ辺野古新基地建設をどう考えるのか、どうするのかについては、具体的な主張が何もないことです。

 「6・23」にあたって、本土メディアは少なくとも次の2点を明確にすべきです。
 ①沖縄の基地負担が過重だというなら、辺野古新基地建設(普天間基地の県内移設)反対を明言すること。
 ②したがって普天間基地は、「無条件返還(どこにも移設しない)」か「県外(本土)移設」かしかなく、どちらを支持するのか明確にすること。

 しかし、沖縄に寄り添うようなポーズを示す本土メディアは、この2点を明確にしません。なぜでしょうか。報道ステーションのキャスターのコメントがそれを示唆しています。
 「沖縄の犠牲の上に、(本土は)安全保障の恩恵を受けている

 こう思っている(善意の)日本人は少なくないでしょう。これは言い換えれば、「日本の安全保障は日米安保体制によって守られており、それは沖縄の犠牲の上に成り立ち、本土はその恩恵を受けている」ということです。明確な日米安保条約(体制)肯定論です。

 日米安保肯定論の自体の問題は別途考えるとして、ここで言いたいのは、日米安保体制を肯定したうえで、沖縄の過重な基地負担に「反対」するなら、結論は「県外移設」しかないということです。ところが本土メディアは頑として「県外移設賛成」とは言いません。本土の多くの「国民」(読者=顧客)が反対だからです。本土メディアは、読者を失いたくないために、論理的必然の「県外移設」に背を向け、結果、抽象的な美辞麗句を並べた欺瞞・偽善に終始しているのです。
 それが、沖縄にとって、また日本にとって、どんなに犯罪的なことか、メディアは自覚すべきです。

 なお、私は日米安保体制反対・安保条約廃棄の立場から、「県外移設」ではなく「無条件撤去」を主張します。


震災後の「外国人犯罪」の流言と「天皇ビデオ」

2017年06月22日 | 天皇制と人権・民主主義

     

 「人権と生活」(在日本朝鮮人人権協会発行)の最新号(44号)に「震災後の『外国人犯罪』の流言と現在」と題した興味深い論考が掲載されています。

 筆者は郭基煥氏(東北学院大教員)。関東大震災(1923年)では「朝鮮人が毒を井戸にもっている」などの流言が広がり、「自警団」(写真中)など「日本人の一般市民」によって少なくとも数千人の朝鮮人が虐殺されました。
 郭氏は「では、東日本大震災においてはどうだったのか。もちろん、流言によって特定集団に対する暴行が行われたという事実はどこからも聞こえてはこない。しかし、だからといって、あの時の状況は、1923年の状況とまったく異なっていたと言えるだろうか」という問題意識で、アンケート調査を実施しました(調査は無作為抽出の郵送で、仙台市=770票と東京新宿区=174票から、計944票の回答を回収。実施は2016年9月)。主な結果は次の通りです。

 ●「被災地で外国人が犯罪をしている」といううわさについて
      たくさん聞いた 1~2回聞いた まったく聞かなかった
  仙台市   32・2%    19・4%     47・8%
  新宿区   17・8%    22・4%     59・8%

 ● うわさを信じたか
      とても信じた やや信じた    あまり信じなかった まったく信じなかった
  仙台市   37・8%   48・4%     12・1%     0・8%
  新宿区   25・7%   60・0%     12・9%     1・4%

 ● 外国人のうちどのような人たちが犯罪をしていると信じたか(仙台市のみ。複数回答)
   中国系の人         63%
   朝鮮・韓国系の人      25%
   特にどの人とは考えなかった 26%

 ● 非常事態におけるイメージ
          信頼できる                 秩序正しい
     とても思う やや思う そうは思わない   とても思う やや思う そうは思わない
 日本人  12・3%  44・8%   13・1%    15・1%   51・7%   9.4%
 外国人  2・1%  19・5%    21・3%    2・1%   14・3%   29・2%

 驚くべき結果です。郭氏はこう結んでいます。

 <東日本大震災という危機にあって、日本人/東北人が美徳(「秩序正しい」などー引用者)をもっていることを強調する美名化の言説ーイデオロギーーは確かに共助の精神や復興への意志を効果的に鼓舞し、結集させたかもしれない。しかし、そのイデオロギーは、外国人犯罪の流言によってそのほころびを覆い隠すことで機能したのではないか
 そして、震災から六年が経過した今、考えなければならないのは、非常事態において噴出した日本(人)の美名化とアジア、特に中国(人)や韓国・朝鮮(人)の汚名化という相補的な言説が、社会が通常状態へと回復していく過程で、衰退するのではなく、むしろ、国政の舞台から日常生活にいたるあらゆる場面で何事かを語る際の定型的な認識枠組みとして定着してしまったのではないか、ということである。それが先鋭化したのが、日本人の「誇り」の元で朝鮮人・韓国人をののしるヘイトスピーチに他ならない。…1923年とは違う姿をまとった、同じ構造の何かが繰り返されたように思われる。

 郭氏は一言も触れていませんが、私はすぐに「天皇のビデオメッセージ」を思い出しました。
 「天皇のビデオメッセージ」といっても、「生前退位」を示唆した昨年8月8日のものではありません。天皇が初めてビデオメッセージをテレビで流したのは、実は東日本大震災から5日後の2011年3月16日でした(写真右)
 この中で天皇明仁は、「自衛隊、警察、消防、海上保安庁(この順番に自衛隊幹部は感激したー引用者)」などの救援活動の「労をねぎらい」、こう言いました。

 「海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時間を乗り越えることを衷心より願っています」

 明仁天皇の主観的意図がどうだったかは別にして、天皇のこの言葉こそ、「非常事態」における「日本人の美名化」の最たるものではないでしょうか。それが、無意識の中で、外国人(特に中国、朝鮮、韓国人)の「汚名化」と「相補的」な関係になっていることを銘記する必要があります。
 震災後のこの「天皇ビデオメッセージ」は、「日本国」に「象徴天皇制」があることの1つの意味を示したのではないでしょうか。   


あの異常国会の後の首相会見がたった23分か

2017年06月20日 | 安倍政権とメディア

    

 厚顔無恥とはまさにこのこと。19日夕の安倍首相の記者会見です。

 強行採決以上の「中間報告」なる禁じ手を使っておいて「十分審議できなかった」とはよくも言えるもの。「反省している」と言いながら実は野党を「印象操作」と攻撃する開き直り。「政策とは関係ない議論」とは自らの「森友・加計疑惑」=行政の私物化を隠ぺいする口実…。挙げればきりがありません。

 そもそもこの男にまともな「反省」や議論を望むのが無理な話です。蓮舫氏は「総理のために開く会見は意味がない」(19日の記者会見)と言いました。しかしそうではありません。問題は、記者会見が「総理のため」のものになったことにあります。すなわち記者会見のあり方を抜本的に改める必要があるのです。

 首相会見が始まったのは午後6時ちょうど。はじめに安倍氏の発言が17分間。それから記者との質疑応答に入りましたが、6時40分にはきっかり終了。つまり、安倍氏の゛独演会”を除けば、実質的な記者会見はわずか23分しかなかったのです。

 最後まで内容が不明確なまま成立が強行された「共謀罪」法。内閣府と文科省の言い分が食い違い官邸主導で真相隠しが行われた加計学園疑惑。これだけをとっても異常な国会でした。「国会は死んだのかもしれない」(高村薫氏)と言われるゆえんです。

 その国会が閉会した直後の首相会見です。国会では明らかにならなかったことを記者が国民に代わって追及しなければなりません。テーマは山ほどあったはず。ところがその会見が実質23分。まったく話になりません。

 しかも「23分」の中身がまた問題です。はじめに幹事社から2人(毎日新聞、TBS)が大雑把な質問をし、その後は質問希望者が挙手をし、司会者が指名するのですが、これが曲者です。なぜなら、指名する司会は官邸(安倍政権)が行っているのですから。

 案の定、この日指名された記者4人のうち、ロイター(外交問題)を除けば、NHK(公文書管理)、日経(成長戦略)、社名を名乗らない男性(北方領土)はいずれも安倍氏にとって痛くもかゆくもない質問ばかり。安倍氏に宣伝の場を与えてやったようなものです。朝日新聞や東京新聞、ましてフリーの記者はまったく指名されませんでした。
 加計疑惑の文書をめぐってこのかん菅官房長官の記者会見で執拗に質問していた記者たちも、発言の機会は与えられませんでした。

 時間といい、運営方法といい、この首相会見は異常です。まさに「総理のための会見」として仕組まれたものです。
 今回だけではありません。首相会見はだいたい同じような時間・運営方法で行われています。こうしてテレビ中継する首相会見が「総理のための会見」になっていることが、安倍内閣の虚構の「高支持率」の1つの要因になっていると言っても過言ではないでしょう。
 
 これを抜本的に改める必要があります。
 時間については、質問希望者がいなくなるまで行うべきです。少なくとも1~2時間の質疑時間は確保すべきです。
 会見の司会(質問者の指名)は官邸(政権)ではなく、記者クラブが行うべきです。

 現在時間も運営も官邸主導になっているのは、会見自体が「官邸主催」になっているためだと思われます。それを抜本的に改め、会見は「記者クラブ主催」にすべきです。
 首相会見を「総理のための会見」ではなく、「国民のための会見」にするのは国民に対するメディアの責務です。
 日本新聞協会、新聞労連の姿勢と責任が問われます。


安倍内閣の支持率が暴落しないのはなぜか

2017年06月19日 | 安倍政権と民主主義

     

 共謀罪法強行後に各メディアが行った世論調査で、安倍内閣の支持率が軒並み急落しています。
            支持      不支持

   毎日新聞   36%(-10)   44%(+9)
   ANN(テレ朝系) 37.9%(-8.5) 41.6%(+9.2)
   NNN(日テレ系) 39.8%(-6   41.8
   朝日新聞   41%(-6)    37%(+6)
   共同通信   44.9%(-10.5) 43.1(+8.8)
   NHK    48%(-3)    36%(+6)
   読売新聞   49%(-12)   41%(+13)
   日経新聞   49%(-7)    42%(+6)

 菅官房長官は19日の記者会見で「一喜一憂すべきでない」と虚勢を張りましたが、大きな打撃であることは確かです。この背景に森友・加計問題、共謀罪強行があることは、それぞれの項目の世論調査結果が示している通りです。

 しかし、私はこの世論調査結果に逆の感想を持ちました。安倍内閣の支持率はまだこんなにあるのか。支持率は暴落しないのか。

 上記の各社の結果を細かく見ると、①不支持が支持を上回っているのは3社だけで、あとの5社はまだ支持の方が多い②支持の下落率(㌽)は3~12、不支持の上昇率(㌽)は6~13の範囲にとどまっている、ことが分かります。「急落」といってもこの程度です。

 共同通信の調査では、安倍内閣の支持率は2015年7月、戦争法(安保法制)を強行した直後に37%(-9)で最低を記録し、不支持が支持を上回りました。しかし、数カ月後には支持率は回復し不支持を上回りました。今回の支持率の下落もいつまで続くか、けっして楽観的にはなれません。

 世論調査の支持率で見る限り、日本の「国民」はあまりにも政権に甘いと言わねばなりません。それは、同じく「親友」への便宜で政治を私物化したため、「コンクリート」と言われた支持率が暴落し、朴前大統領が退陣に追い込まれたお隣の韓国と比べても、歴然としています。

 なぜ日本はそうなのでしょうか。
 共謀罪法が強行された直後、作家の高村薫さんが共同通信のインタビューに答えてこう述べています。

 <国会は死んだのかもしれない。「共謀罪」法を成立させた国会を見てつくづく感じました。安倍内閣に支持率50%を与えている私たちの責任でもあります。代わる人のいないことが高支持率の要因の一つですが、そうだとしても常識的な判断力が働いていれば、「ノー」と言うべき状況です。いまの政治状況は、明らかに越えてはいけない一線を越えているのですから。有権者の多くが、まだこの政治にげたを預けているのは、戦後72年の繁栄と安定に寄り掛かっている慢心でしょう。>(17日付各紙)

 「繁栄と安定に寄り掛かっている慢心」なのか、それとも生活苦・将来不安からの現実逃避なのか。いずれにしても、「政治にげたを預けている」ことは確かでしょう。
 安倍内閣の「高支持率」「支持率が暴落しない」背景・元凶な何なのか。簡単に答えが出る問題ではありませんが、それを追究することは、この国の社会変革にとって急務であり、死活的に重要であることは確かでしょう。  


官僚(国家公務員)は政権の下僕ではない

2017年06月17日 | 安倍政権と民主主義

     

 「文科省から出向してきた方が、不適切だが、陰で隠れて本省(文科省)にご注進したものだ」
 山本幸三地方創生相の発言(16日の参院予算委員会、写真中)には唖然としました。萩生田光一官房副長官が加計学園に便宜を図る修正を指示した文書が明るみに出て、その存在を否定できなくなったら、今度は文書を書いた職員をおとしめ、責任を転嫁しようというわけです。大臣はおろか、政治家はおろか、一般社会人としても下の下です。

 山本氏といえば、「一番のがんは学芸員」(4月16日)という暴言を吐いて厳しい批判を浴びたばかり。人を愚弄する下劣さは筋金入りのようです。

 山本氏だけではありません。文科省の内部告発者に対して義家弘介文科副大臣が「国家公務員法違反になる可能性がある」(6月13日衆院農水委員会)と言って恫喝したのもつい先日のことでした。

 山本氏や義家氏のこうした一般職員に対する愚弄・恫喝は、もちろん彼らが勝手に行っていることではありません。言うまでもなく、安倍晋三首相と菅義偉官房長官という、それこそ「官邸の最高レベル」による各省庁・官僚支配の反映にほかなりません。官邸が各省庁の人事権を掌握してその支配は格段に強まりました。

 ここで明確にしておかねばならないのは、霞が関の官僚はけっして政権の下僕ではない、ということです。

 官僚(国家公務員)とは何か。その根本を規定しているのは、日本国憲法です。憲法第15条にはこう明記されています。

 「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(第1項)
 「すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(第2項)

 さらに、この憲法の下に制定された国家公務員法は、第1条(法律の目的)でこう規定しています。
 「この法律は、国家公務員である職員について適用すべき各般の根本基準を確立し…以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする」

 こうした憲法や国家公務員法の規定で明らかなように、公務員が「奉仕」すべき相手は、「一部の」政治家や政権ではなく、国民「全体」です。霞が関の官僚ももちろん例外ではありません。

 例えば、今回の文科省の内部告発は、安倍首相が「腹心の友」である加計孝太郎氏に便宜を図って行政を私物化したという国民(主権者)にとっての重大疑惑について、当然国民に開示されるべき文書(行政文書は国民のもの)を、安倍政権が「怪文書」(菅官房長官)呼ばわりして闇に葬ろうとしたのに対し、「確かに存在する」と事実を明らかにしただけです。この行為が国民の利益に叶っていることは明白です。義家氏が言う「守秘義務(国家公務員法第100条)違反」はまったくのお門違いで、内部告発が怖いだけのこじつけにすぎません。

 むしろ、政権が党利党略・私利私略で国民の知る権利を蹂躙し、事実(文書)を隠ぺいしようとするのに対し、各省庁の職員は積極的に内部告発すべきです。それこそが「国民に奉仕」する公務員の使命ではないでしょうか。


共謀罪法成立強行!安倍ファシズムを支えるものは・・・

2017年06月15日 | 安倍政権と民主主義

     

 安倍政権は15日、共謀罪法案の成立を強行しました。加計学園をめぐる安倍首相の疑惑隠しと表裏一体です。
 法案自体の問題もさることながら、このかん安倍政権は「国権の最高機関」(憲法第41条)である国会に対して何をしてきたか、それが大問題です。森友学園問題以降の主なものを振り返ってみましょう。

●森友学園に対する国有地払下げの不正を示す資料は「破棄した」と隠ぺい
●安倍昭恵氏らの証人喚問をあくまでも拒否
●加計学園問題で「総理のご意向」とした内閣府審議官の言葉を記した文科省内の文書を「怪文書」(菅官房長官)と揶揄して否定
●松野文科相がおざなりな「調査」で「問題の文書は確認できなかった」と隠ぺい
●「あるものをないものにはできない」と告発した前川前文科省次官に対し、菅官房長官が読売新聞の記事を使って個人攻撃
●前川前次官らの証人喚問をあくまでも拒否
●衆院法務委員会で金田法相に代わる答弁者として野党が同意しない刑事局長の出席を強行
●金田法相の答弁は二転三転四転…。政府部内で答弁の食い違いが露呈
●共謀罪法案の危険性を指摘した国連人権理事会の特別報告者に対し安倍首相は「不適切」(参院本会議答弁)と攻撃
●加計学園「文書」の存在を証言する文科省の内部告発に対し、義家文科省副大臣が「国家公務員法違反の可能性がある」と恫喝
●「中間報告」なる禁じ手で参院法務委員会の審議をふっ飛ばして共謀罪法案の本会議採決を強行

 以上のことは、すべて安倍政権の1つの共通戦略から生まれています。それは国民に事実・真実を知らせない、国民の目と耳をおおう、結果、口もおおって、政権がやりたいようにやる、ということです。
 メディアは相変わらず「与野党の対決」という図式で国会の状況を報じていますが、事実はそうではありません。安倍政権が攻撃しているのは主権者・国民であり、この対決は「安倍政権対国民」です。

 「世界平和アピール七人委員会」(武者小路公秀、土山秀夫、大石芳野、小沼通二、池内了、池辺晋一郎、高村薫の各氏)は6月10日、「国会が死にかけている」と題する緊急アピールを発表しました。その中でこう指摘しています。

 「政府と政権与党のこの現状は、もはや一般国民が許容できる範囲を超えている。安倍政権によって私物化されたこの国の政治状況はファシズムそのものであり、こんな政権が現行憲法の改変をもくろむのは、国民にとって悪夢以外の何ものでもない」

 まさに日本の政治状況はファシズムそのもの、安倍ファシズムといえるでしょう。
 しかし、ファシズムも「民主主義」の体裁をとらずには存続できません。ヒトラーも選挙で選ばれて独裁者になったのです。安倍政権も同じです。安倍ファシズムを支えているもの、それは安倍政権に対する「世論調査」の「高支持率」です。

 これほど自由と権利を攻撃され、踏みにじられても、まだ「国民」の多数は安倍政権を「支持」し続けるのか。ほんとうに問われているのは「国民」です。


大田昌秀さんの遺志継ぎ、「100人委員会」の復活・発展を

2017年06月13日 | 沖縄・平和・基地

     

 大田昌秀元沖縄県知事が12日亡くなられました。

 私は2012年末から14年初めまでの約1年間沖縄に住んでいたとき、大田さんに直接おめにかかったり、講演を拝聴したことが何度もありました。年齢をまったく感じさせない記憶力とバイタリティにはいつも驚嘆していました。

 中でも印象に残っているのは、2013年の「屈辱の日」(4・28)の前日、那覇市内で行われた「沖縄の平和創造と人間の尊厳の回復を求める100人委員会」の設立総会と大田さん(同会顧問)の基調講演です(写真)。

 「100人委員会」は県内老若男女の学者、ジャーナリスト、市民活動家らが結集したもので、13年2月から大田さんの事務所で設立の準備が始まりました。「設立趣意書」はこううたっています。

 <沖縄住民は、薩摩の琉球侵略にはじまり、明治政府の「琉球処分」以降、日本国家(ヤマト)による構造的暴力を受け、「国益」の犠牲にされてきている。私たちは、沖縄の平和創造、沖縄の住民が被っている不平等、不公正の是正、憲法で保障されている基本的人権と尊厳の回復を追求し…東アジアの平和創造をどのように実現すべきか、あらゆる分野の人たちの英知を結集し、総点検と政策提言を行うことを主たる目的に、ここに有志による百人委員会の結成を宣言する。

 大田さんは晩年(2015年6月)、出版社のインタビューに答え、「100人委員会」についてこう述べています。

 「昨今の危機的日本の状況を克服するためにも、会員が協力し合って、各人ができることは何でもやっていこうと思います。そういうものをつくらないと、日本は本当に危ないなと思っています」(『これからの琉球はどうあるべきか』藤原書店)

 設立総会では、「4・28『主権回復の日』政府式典に対する抗議声明」「辺野古新基地に反対する声明」とともに、「沖縄・宮古・与那国への自衛隊配備強化と日米の軍事一体化に反対する声明」も満場一致で採択されました。

 さらに同委員会は、前回の県知事選に先立って声明(2014年4月30日)を発表。候補者は「有権者との約束を誠実に守り実行する責任感の強い人物であること」、知事選は「憲法の上に安保がある」という「沖縄の現実」に対し、自衛隊配備強化、集団的自衛権に反対し、「憲法を取戻し、憲法の精神を蘇らせる」闘いだとして、「県民の力の結集」を呼びかけました。

 残念ながら「100人委員会」はここ数年、開店休業状態のようです。辺野古新基地阻止、自衛隊配備強化阻止、集団的自衛権(戦争法)行使阻止など、沖縄・日本が直面している重要課題の中で、同会の活動再開が望まれます。

 また、「埋立承認の撤回」という「有権者との約束」を実行せず、自衛隊配備にも集団的自衛権(戦争法)にも反対しない翁長雄志知事が、再選を狙っている知事選が来年に迫っていることからも、「100人委員会」の速やかな復活がこころから期待されます。

 それが、「そういうものをつくらないと、日本は本当に危ない」と警告した大田さんの遺志に応える道ではないでしょうか。