アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

衆院3補選・過去最低投票率は何を示すか

2024年04月30日 | 日米安保・軍事同盟と政治・社会
   

 自民党の全敗となった3つの衆院補選(28日投開票、島根1区、東京15区、長崎3区)。最も注目すべきは投票率です。
 島根54・62%(前回比-6・61㌽)、東京40・70%(-18・03㌽)、長崎35・45%(-25・48㌽)、いずれも過去最低です。これは何を示しているでしょうか。

 自民党支持層のかなりが棄権したという見方はできるでしょう。「「政治とカネ」問題が直撃し、国民の不信がうずまく中、投票率は低迷」(29日付京都新聞=共同)という側面は確かにあるでしょう。

 しかし、最低投票率の理由はそれだけでしょうか。

 「政治とカネ」が重要な問題であることは言うまでもありません。しかし、それは果たしていま選挙で問うべき最大の問題(争点)でしょうか?

 この半世紀の日本政治を振りかえれば、ロッキード疑獄、リクルート事件はじめ数々の「政治とカネ」の問題がありました。総理大臣経験者(田中角栄)が逮捕もされました。それらはアメリカや大企業も絡んでいる点で今回の裏金よりさらに根源的な問題でした。そのたびに、自民党は直後の選挙で大敗しました。

 しかしそれで日本の政治は変わったでしょうか?「政権交代」による自社さ政権(1993年8月~96年1月)、民主党政権(2009年9月~12年12月)でいったい何が変わった(良くなった)でしょうか?

 日本の政治が根本的に変わらない、良くならないのは、政治を腐敗させている根源を一貫して不問にしてきているからです。
 それはアメリカに対する従属、具体的には日米安保条約による軍事同盟です。それは軍事はもちろん、経済、社会のあらゆる面に及んでいます。その是非が選挙で問われたことは、少なくともこの半世紀、全くありません。

 いま、市民(有権者)の最大の関心事は、はたして「政治とカネ」でしょうか?それは自民党に対する怒り(軽蔑)ではあっても、政治に対する期待ではないでしょう。

 最大の関心事は、仕事、生活、医療、教育であり、ガザやウクライナの停戦・平和ではないでしょうか。それらの問題の根源にあるのが、日米安保条約による大軍拡であり、対米従属の軍事・外交です。いまこそ「軍事費を生活・福祉・教育に回せ」「軍事同盟を解消して平和外交を」を最大の争点にすべきです。

 それが選挙で問われないのはなぜか。立憲民主党はじめ野党もそろって、さらにはメディアも含めて、「日米安保条約=軍事同盟」に賛同しているからです。日米安保=軍事同盟の視点から見れば、日本の政治はオール与党です。

 日米安保条約を歴史的に危険な段階に押し上げた先の日米共同声明(12日)の直前に、立憲民主が「経済安保法案」の衆院通過に賛成した(9日)のは記憶に新しいところです(11日のブログ参照)

 今回の補選で、「投票率は低く、野党第1党である立憲民主党が全面的に支持された結果とは言い難い」(小林良彰・慶応大名誉教授、29日付京都新聞=共同)のは当然です。

 低投票率に表れた政治不信の最大の要因は、政治の根源を問わない(争点にしない)オール与党化(翼賛化)です。日本共産党もそれに加わっています。この構造があらたまらない限り、低投票率=政治離れ=政治腐敗が変わることはないでしょう。

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共同通信「天皇制世論調査」にみる偏向とタブー

2024年04月29日 | 天皇制とメディア・「文化人」
  全国の地方紙は28日朝刊で一斉に共同通信社の「皇室に関する世論調査」結果を大きく報じました。同日の各紙には「春の褒章」も発表されており、ダブルで天皇制を後押しする紙面になっています。

 世論調査は、全国250地点から男女3千人を無作為抽出し郵送で実施。4月15日までに届いた有効回答は1966。ここでは回答結果より、質問項目に着目します。質問は次の20項目です。

 ①皇室にどの程度関心があるか②天皇が果たしている役割のうち最も大きいのは(4つ例示の中から選択)③日本に天皇制があった方がよいか④皇位継承の安定性に危機感を感じるか⑤有識者会議の議論先送りを支持するか⑥皇位継承の議論をどうすべきか⑦「女性天皇」に賛成か⑧「賛成」の理由⑨「反対」の理由⑩「女系天皇」に賛成か⑪旧宮家の男性子孫を皇族とすることに賛成か⑫「賛成」の理由⑬「反対」の理由⑭「女性宮家」の創設に賛成か⑮即位して5年の天皇の活動で評価するものを2つ(10の例示の中から選択)⑯天皇・皇后のオンライン行事参加について⑰上皇の退位はよかったか⑱退位に関する法整備は必要か⑲皇族の人格が侵害されていると思うか⑳皇室の情報発信に何が必要か。

 最大の特徴は、当然質問すべきことが欠落していることです。

 第3項「天皇制があった方がよいか」の回答は、「あった方がよい」44%、「どちらかといえばあった方がよい」44%、「どちらかといえばない方がよい」7%、「ない方がよい」3%でした。大別して88%が存続派、10%が廃止派といえるでしょう。

 そこで次の質問は当然、「あった方がいいと思う理由」「ない方がいいと思う理由か」であるべきです。しかし、共同通信の質問にはこの項目がありません。

 しかし質問は、「天皇の果たしている役割」「5年間で評価できる活動」「皇位継承の安定性」「女性天皇の是非」などなど、実質的に「あった方がいい」ことを前提に展開されています。

 すなわち、実際に欠落しているのは「ない方がいいと思う理由」だけです。これはきわめて重大な偏向です。

 存続支持88%と廃止支持10%は大差があるように思えますが、日本の皇民化教育の歴史と今日の政治社会体制を考えれば、10%は決して過小評価できません。また存続派の半分は「どちらかといえば」という消極的存続です。廃止すべきという理由を聞くことは議論を深める上で不可欠です。

 なぜこの項目を欠落させたのか。共同通信がそもそも「天皇制存続」の立場に立っているからです。自社の立場から質問項目を選択するのはジャーナリズムとは無縁の偏向にほかなりません。

 もう1つ理由が考えられます。それは質問②⑮で挙げたように、「天皇制がないほうがいい理由」を例示することが憚れたからではないでしょうか。ない方がいい理由は口にすることもできない。そこにメディアの「天皇制タブー」が厳然と表れているのではないでしょうか。

 たとえば、「天皇制がないほうがいいと思う理由を次から2つ選んでください」として次を例示したらどうでしょう。

・そもそも天皇制は身分差別の根源であり、全ての人の平等と人権尊重に真っ向から反する。
・「男系男子」の世襲制である天皇制はジェンダー差別の元凶である。
・天皇制は皇室神道に立脚した制度であり、憲法の政教分離違反である。
・現在の象徴天皇制は天皇裕仁の戦争責任を棚上げにして天皇制を継続させたものである。
・自衛隊が天皇への敬慕を公言しているように、新たな戦争国家化に利用される可能性が大きい。
・「皇室外交」は時の政権の外交政策に好都合な政治利用である。
・天皇の国会開会式出席はじめ、天皇制は今日の翼賛議会化のシンボルになっている。
・「被災地訪問」などによる慰撫は、市民の「自助」「共助」を促し政府の責任追及を抑える役割を果たしている。
・天皇はじめ皇族の諸権利が制限されていることは彼らへの人権侵害である。
・予算で明文化されている皇室費(内廷費、皇族費、宮廷費)だけでも101億円(2024年度)、その他「国事行為」とされている宗教儀式、邸宅維持費など膨大な費用は、市民の税金の大変な無駄遣いである。

 以上は私が天皇制を即時廃止すべきだと考える主な理由です。こうした例示が行われれば、天皇制の是非を議論するたたき台になりうるのではないでしょうか。

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日曜日記299・「良い死」を「共事者」として

2024年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム
  4月14日を「良い死の日」と位置付け、この日を中心に渋谷の商業施設で「Deathフェス」が開催された。企画した市川望美さん(51)は、遺体を堆肥として土にかえす「堆肥葬」が日本では認められていないことが友人と話題になったことがきっかけだという。

「死について考える機会って、あまりないですよね。私は、どう生きるかをずっと考えてきたけど、終わりから考えると違う世界が見えてくるんじゃないかなって」

「孤独死や引き取る身寄りがいない遺体など、さまざまな社会的な課題も顕在化している。働き方や生き方の多様化が進みつつあるなか、多くの人が死を「我がこと」として受け止め、考え、話す機会があれば、死に方の多様化や、社会課題の解決にもつながるのでは」(以上、13日付朝日新聞デジタルより)

 たいへん共感できる企画であり、考えだ。

 岡真理さん(早稲田大教授、写真)は「パレスチナから問う」を特集した「現代思想」(2月号)に「小説 その十月の朝に」を寄稿し、ハマス主導の攻撃に参加した若者を描いた。その意図をこう述べている。

「彼らは、民族浄化で難民となり、解放と故郷への帰還を求め、抵抗の戦いに、死を覚悟して赴いた者たちだと知ってほしかった。人間としての心に、魂に訴えるかたちで、この問題に出合ってほしかった」

「もちろん私はガザにはいない。当事者でもない。でも、この地上で出来事を共有する「共事者」として、責任を負っているのではないか。そう思うんです」(24日付京都新聞=共同)

 「死について」「死の多様性」について考えようとするとき、どうしても脳裏に浮かぶのは、ガザの子どもたちの映像だ。生後まもない赤ちゃんが医療も受けられず命を落とす。飢餓でやせ細った子どもたちが命を奪われる。

 もちろんガザだけではない。ウクライナでも、ミャンマーでも、世界の各地で戦争・紛争・飢餓・貧困で、死に至る。その死は「良い」も「多様性」もなく理不尽に襲い掛かる。

 がんの手術(ステージ3b)から2年半。70歳も超え、いやでも「死」について考えざるをえない。できれば「良い死」を(「良い死」とは何だろう?)。

 しかし、眼前で繰り広げられている世界の理不尽な死と無関係に、自分の「良い死」を考えられるだろうか。考えていいのだろうか。いいはずがない。

 理不尽な死を余儀なくされる人が1人でも少なくなるように、自分ができることを細々と続けながら、死を迎えよう。この地上で出来事を共有する「共事者」として。それがきっと私にとっての「良い死」だ。

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自衛隊増強に対する玉城沖縄県知事の二枚舌

2024年04月27日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊
  
 

 24日、石垣島の市街地に迷彩服に背嚢を背負った約30人の陸上自衛隊の軍靴が響きました。「災害出動」を名目にした軍事訓練です。「2023年3月16日の(石垣)駐屯地開設後、公道を使った訓練は初めて」(25日付琉球新報)です。

 沿道では「歓迎」する市民もいる一方、「公道で 防災口実の 軍事訓練するな!」の横断幕を掲げた市民たちの反対運動が行われました(写真右=琉球新報より)。

「交差点では約30人が抗議のスタンディングをした。「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」の山里節子さん(86)は隊列に「私たちの公道だ。軍用道路ではない」と声を荒げた」(25日付沖縄タイムス)

 同じ24日、玉城デニー知事は行政視察でその石垣市を訪れていました。取材陣への対応がこう報じられています(見出しと記事抜粋)。

 自衛隊増強、賛否示さず 知事、石垣行政視察で

 玉城デニー知事は24日、報道陣から先島での自衛隊増強に反対するか問われ、賛否の立場を示さなかった。14日に名護市であった県民大集会で、知事が自衛隊増強に反対の意思を示したことに関連し問われた。

 知事は「自衛隊に関しては市民の中にさまざまな意見がある。急患搬送や災害対応で自衛隊の力を借りている現状もある」とし「防衛省は住民と真摯に意見交換すべきだ」と述べるにとどめた。>(26日付琉球新報=写真左)

 14日の県民大集会についてはこう報じられていました(見出しと記事抜粋)。

< 現状での自衛隊増強反対 県民大集会 知事「理解得られず」

 玉城知事は、集会後、報道陣の取材に応じ「米軍の問題を政府が解決しないまま、自衛隊だけを増強させようとする姿勢は、県知事として賛成できない」と、現状での自衛隊増強に反対の意思を示した。>(15日付琉球新報=写真中)

 14日には「賛成できない」。10日後の24日には「さまざまな意見がある」として賛否を示さない。明らかな二枚舌です。

 また、玉城氏は今月9日、就任あいさつで県庁を訪れた陸上自衛隊第15旅団の上野和士旅団長と会談し、こう述べていました。
自衛隊に対する信頼も広がってきている」(10日付沖縄タイムス)
 どこに目を向ければこんなコメントができるのでしょうか。自衛隊の増強や相次ぐ「事故」に不安を募らせている県民の感覚とは大きく乖離しています。

 玉城氏は知事選出馬直前まで沖縄防衛協会の顧問を務めており、自衛隊も日米安保条約も支持すると公言しています。その玉城氏でさえ、14日の県民大集会では「増強に賛成できない」と表明せざるをえませんでした。それほど自衛隊の傍若無人、岸田自民党政権の軍拡・戦争国家化は目に余っています。

 沖縄のミサイル基地化を阻止するうえで知事の姿勢が決定的に重要なことは言うまでもありません。自衛隊支持の持論と危険な軍拡の現実の間で動揺する玉城氏を「自衛隊増強反対・ミサイル基地化阻止」の立場に立たせるのは県内外の市民の声と運動以外にありません。
 玉城氏の支持母体である「オール沖縄会議」の責任があらためて厳しく問われます。

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報復の応酬招く「ロシア凍結資産の接収」

2024年04月26日 | 国家と戦争
   

 米議会は23日(現地時間)、ウクライナ、イスラエル、台湾などに対する緊急軍事支援予算(総額14兆7000億円余)を可決し、バイデン大統領が直ちに署名して成立させました。

 パレスチナ人民に対してジェノサイドを続けているイスラエルへの軍事支援が許されないことは言うまでもありません。同時に、ウクライナへの軍事支援も戦争の長期化・犠牲の拡大を招くものであり容認できません。

 さらに今回のアメリカの決定は、見過ごすことができない問題を含んでいます。ロシアに対する経済制裁として凍結している資産を接収し、軍事・復興支援に流用するという内容です。
 これは、国際法的に根拠がない(すなわち違法)だけでなく、ロシアの憎悪をかき立て、戦争を長期化させます。さらに今後の悪しき前例にもなります。

「米議会で通過したウクライナ支援法は、米大統領にロシアの資産を接収して売却し、ウクライナの再建を助ける用途に使える権限も付与した。同法律のこのような条項は、米国内のロシアの資産を凍結を越えて接収できるという内容であり、今後、他の国に対する制裁の先例になりうる。…ロシアは米国のこのような措置に対抗し、自国内にある西側諸国の資産も没収する相応の措置を取ることを明らかにしてきた」(25日付ハンギョレ新聞日本語版)

 ロシアの凍結資産をウクライナ支援に流用する構想は、EU(欧州連合)では早くから検討されてきました。昨年12月の欧州委員会では、凍結資産の利子を軍事支援に充てる構想を明らかにしました。

 これに対しては日本の学者からも、「凍結資産そのものを没収して使ってしまうのは、さすがに法的根拠が乏しく、際限なき報復の応酬をもたらす恐れがある。EUが進めようとしている「利益」の復興充当は、そうした現実を踏まえた上での苦心の策と言える」(服部倫卓・北海道大教授、23年12月13日付朝日新聞デジタル)という指摘がされていました。

 EUはさらに先月21日の首脳会議で、凍結資産の利子など収益を軍事支援に充てる合意文書をまとめました。しかしはやり、「凍結資産の扱いでは法的な問題点を指摘する声があり…軍事支援への使用に慎重な加盟国もあり、最終合意には課題も残る」(3月23日付京都新聞=共同)として正式決定には至っていませんでした。

 ゼレンスキー大統領は、この首脳会議でオンライン演説し、「(資産と収益の)両方をウクライナ再建と支援、(ロシアの)テロを阻止するための武器購入に役立てるのが公正だ。ロシアは戦争の代償を実感しなければならない」(3月23日付共同)と要求していました。

 今回のアメリカの決定は、ロシア資産を「接収して売却」するというもので、「収益」に限定されたものではありません。法的に問題があることは明らかで、「際限なき報復の応酬」を招くのは必至です。アメリカの決定が躊躇しているEUの背中を押す可能性もあります。

 NHKはじめ日本のメディアは、アメリカの軍事支援再開を肯定的に報じていますが、今必要なのは、報復の連鎖・戦争長期化を招く「軍事支援」ではなく、直ちに停戦して和平協議を開始する外交努力を行うことです。

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日米安保条約に一言も触れない日本共産党の「平和提言」

2024年04月25日 | 日本共産党
  

 日本共産党はここまで堕ちたのか―そう痛感させるのが、同党が17日、志位和夫議長の講演という形で発表した「東アジアの平和構築への提言-ASEANと協力して」(以下「提言」)です。

 「提言」は「しんぶん赤旗」で全段2ページ半におよぶ長文。「3つの提言」として東アジア、北東アジア、ガザ・ウクライナの「平和構築」について述べています。

 東アジアについては、ASEAN10カ国に日本、中国、アメリカ、ロシアなど8カ国を加えた東アジアサミットで「ASEANインド太平洋構想」を実現するために、「話し合い」を行うことを柱としています。その実現性はともかく、「平和構想」を示すこと自体は意味のあることです。

 しかし、その内容にはけっして見過ごすことができない重大な問題があります。

 第1に、「ウクライナ戦争」についてです。

 「提言」は「責任が…無法な侵略を続けるロシアにあることはいうまでもありません」として「ロシア軍の即時・全面撤退」を求めています。そして欧州安全保障協力機構(OSCE)の再活性化を主張しています。この限りではおおむね異論はありません。

 ところが「提言」は、当然言及(問題視)すべきことがいくつもスルーされています。

 第1に、今回の事態と密接に関係している、アメリカが深く関与した「マイダンクーデター(革命)」(2014年)。第2に、NATO(北大西洋条約機構)の東方進出とウクライナへの関与。そして第3に、アメリカを中心とするNATO諸国のウクライナへの軍事支援です。

 これらの問題を不問にしては、ウクライナ情勢を正確に認識することも、停戦・和平への動きをつくることもできません。

 第2の問題は、これが「提言」の決定的な欠陥であり最大の特徴ですが、日米安保条約(軍事同盟)について一言も触れていないことです。「提言」は前述のようにかなりの分量ですが、「日米安保条約」の言葉は文字通り一つもありません。

 これはきわめて奇異なことです。東アジア、北東アジアの「平和構築」を主張し、そのための「国民的・市民的運動を呼びかける」としながら、日米軍事同盟に全く言及しないことなどあり得ません。まして、先の日米首脳会談、日米比首脳会談(フィリピンはもちろんASEANのメンバー)で、日米両政府が「安保条約体制がかつてなく強まった」と誇示したばかりです。

 共産党は公式には「日米安保条約廃棄」の政策を下ろしていないはずです。にもかかわらず、「廃棄」どころかその危険性にすら言及しないのはいったいどういうことでしょうか。同党の本音(実態)はすでに「日米安保条約廃棄」の棚上げであると考えざるをえません。

 日米安保条約に一言も触れないことと表裏一体なのが、アメリカ批判の乏しさです。
 「提言」にはアメリカの覇権主義・アジア戦略批判がほとんどありません。唯一あるとすれば、「米韓が大規模軍事演習を続けていることが、軍事的緊張の悪循環を加速させている」というくらいです。

 日本共産党がこうした実態に至っていることは、たんに同党の質的凋落(かつて共産党が社会党などを批判する時に使った用語でいえば「右転落」)を示すのみならず、日本の政党で違憲の自衛隊解散、日米安保条約廃棄を主張する政党が1つもなくなったことを意味します。
 それは日本にとっても世界にとっても、たいへん不幸なことです。


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ガザ・済州島・阪神-1948年の地平

2024年04月24日 | 日本人の歴史認識
   

 76年前の1948年4月24日、在日朝鮮人ら市民約1万5000人が兵庫県庁に詰めかけ、GHQの「朝鮮人学校閉鎖命令」に抗議し撤回を要求しました。これに対しGHQは「非常事態宣言」を発し、米軍と日本の警察が一体となって徹底的な弾圧を行いました。「4・24阪神教育闘争」です(写真右)。

 2日後の4月26日、大阪の3万人集会が武力弾圧され、金太一少年(当時16歳)が警察に射殺されました。「4.26大阪教育闘争事件」です(2023年4月24日のブログ参照)。

 同じ4月の3日には、韓国・済州島で米軍と韓国・李承晩傀儡政権によって大虐殺が行われました。「済州島4・3」です(4日のブログ参照)

 1948年は、日本と韓国の現代史にとって大きな節目の年でした。

「1948年は、緊迫する状況が続いた。南朝鮮での単独選挙に反対する「4・3済州島人民蜂起」、そして呼応するように日本での民族教育に対し、非常事態宣言まで出して弾圧した「4・24阪神教育闘争」、分断固定化への「5・10南朝鮮単独選挙」の強行、南北分断が顕在化した「8・15大韓民国(韓国)発足」「9・9朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)発足」、さらに1949年には、日本で下山事件・三鷹事件・松川事件が起こる。
 各々の事象は偶発的・個別的に起きたのではなく、巧みに連関しあい、その延長線上に1950年6月勃発の朝鮮戦争が存在するのである」(飯田光徳・日本コリア協会大阪理事長「阪神教育闘争と今日」、部落問題研究所発行月刊誌「人権と部落問題」2019年2月号所収)

 その1948年の記憶に、もう1つ、中東への視点を加えなければなりません。1948年5月14日のイスラエル建国(イギリスからの独立宣言)です。それと同時にパレスチナに対する熾烈な攻撃が始まりました。それが今のガザにつながっています。

「今回の戦争(イスラエルによるガザ攻撃-私)は、1948年のイスラエル建国時に引き起こされたパレスチナ住民に対する「民族浄化」、虐殺・難民化のプロセス(=アラビア語では「ナクバ」(大災禍)と呼ぶ)を彷彿とさせるような、より根源的・重大な性格を帯びていると言える」(栗田禎子千葉大教授「ハマスが仕掛けた「シオニズムの実証実験」」月刊「現代思想」2月号所収)

 そのイスラエルのジェノサイドを「国際社会」はいまだに止められません。なぜか。栗田禎子氏はこう指摘します。

「ホロコーストや人種主義の問題が、その背景にある植民地支配や戦争という問題と切り離され、矮小化されて論じられてきたことに起因するのかもしれない―戦後世界における重要な成果だったはずのファシズムの克服は、実は形骸化しているのではないか。ガザの事態をめぐる国際社会(「先進諸国」)の状況は、私たちが既に新たなファシズムの支配の下で沈黙させられつつあることを示している」(同論文)

 日本(阪神)―韓国(済州島)―パレスチナ(ガザ)。同じ1948年に起こったそれぞれの悲劇は、別問題のようで実は通底しています。いずれも直接・間接にアメリカが仕掛けたものだということです。

 さらに1948年は、極東国際軍事裁判(東京裁判)が東条英機らを絞首刑にする一方、天皇裕仁の戦争責任を不問にし(11月12日)、A級戦犯容疑の岸信介を釈放した(12月24日)年でもあります。いずれもアメリカの戦略です。

「新たなファシズムの支配」が強まっているいま、「1948年」の歴史的意味を振りかえる意義は小さくありません。「沈黙」させられないためにも。

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「立憲デモクラシーの会」声明・6つの問題点

2024年04月23日 | 日米安保・軍事同盟と政治・社会
   

 立憲デモクラシーの会(共同代表・山口二郎法政大教授、長谷部恭男早稲田大教授)が19日記者会見し、「自衛隊と米軍の「統合」に関する声明」(以下「声明」)を発表しました(写真は左から、中野晃一、長谷部恭男、山口二郎、千葉真の各氏)。

 同会は2014年、集団的自衛権行使容認の閣議決定に反対する学者らによって設立。樋口陽一、水島朝穂、最上敏樹、岡野八代、酒井啓子、浜矩子、高橋哲哉、池内了の各氏ら、日本のリベラルを代表する学者約60人が呼びかけ人に名を連ねています。

 「声明」は先の岸田首相訪米による日米共同声明が「作戦と能力のシームレスな統合を可能とするため、二国間でそれぞれの指揮統制の枠組みを向上させる」と明記したことについて、「少なくとも有事には実質的に米軍の指揮統制下に自衛隊が組み込まれることになる」点を中心に批判しています。

 その批判点は重要ですが、上記のような呼びかけ人によって設立された同会の性格・役割を考えれば、「声明」はきわめて不十分で問題が多いと言わざるをえません。

 第1に、軍事力抑止論の事実上の容認です。

「声明」は、「かりに抑止論を前提とするとしても…」としながら、論を進めるうちに「抑止論が…機能するためには」「日本としての抑止を高めることにならない」と述べるに至っています。これは歯止めのない軍拡を招く軍事力抑止論の容認であり、その土俵に立った議論です。

 第2に、「専守防衛」論の容認、すなわち自衛隊の容認・肯定です。

「声明」は、「責任ある政府は閣議決定等を通じて専守防衛に徹すると国会を通じて内外に表明してきた」と歴代自民党政権の「専守防衛」論を肯定し、さらには「日本国憲法に則った平和外交と専守防衛」とまで言っています。「専守防衛」論は自民党政権が憲法違反の自衛隊(日本軍)を保持するために使ってきたごまかしです。
 
 「専守防衛」論容認と表裏一体なのが自衛隊の容認・肯定です。「声明」は、「一体化が進められることで自衛隊の出動が米国や米国の軍事的判断次第になってしまう」と述べ、自衛隊は「国家としての「意思」」で動くべきだと主張しています。

 第3に、問題の起点を2014年とし、それまでの自民党政権を不問・美化していることです。

「声明」は「そもそも2014年の解釈改憲の閣議決定と2015年の安保法制で憲法違反の集団的自衛権の行使を容認して以来」と、2014年以降を問題にし、それ以前の自民党政権の安保(軍事)政策を不問にしています。自衛隊・「専守防衛」論の容認・肯定はその帰結です。

 記者会見した千葉真氏にいたっては、福田赳夫首相と小渕恵三首相の名を挙げて賛美しました。福田赳夫は有事立法の研究促進を指示し(1978年)、小渕恵三は「国旗・国歌法」を成立させた(1999年)張本人です。

 第4に、日米安保条約(軍事同盟)の肯定です。

 自衛隊の容認と表裏一体なのが、日米安保条約の肯定です。「声明」には安保条約に対する批判は一言もありません。それどころか長谷部氏は記者会見で、「これでは安保条約の事前協議が機能しない」と述べ、安保条約の機能化を主張しました。
「自衛隊と米軍の一体化」の根源は日米安保条約です。「声明」はその廃棄を主張しないどころか、積極的に擁護するものです。

 第5に、対案・展望が全く示されていないことです。

「声明」は、「それは日本の安全保障政策の体を成していない」の言葉で終わっているように、批判に終始し(その「批判」も上記のようにきわめて問題)、いま「安全保障」のために何が求められているのか、「立憲デモクラシー」の名によるなら憲法原則に基づく安全保障とは何なのか、という対案・展望がまったく示されていません。本来それを示すことこそ、同会の責務ではないでしょうか。
「声明」がそれを示し得ないのは、自衛隊・安保条約を容認・肯定していることの帰結と言えるでしょう。

 第6に、同会の他のメンバー(呼びかけ人)の責任です。

「声明」には上記のように多くの重大な問題がありますが、問わねばならないのは、記者会見した4人以外の呼びかけ人の責任です。他のメンバーは本当にこの「声明」でいいと考えているのでしょうか?「声明」文を読んだうえで賛同したのでしょうか?

 他のメンバーの中には、自衛隊を違憲の軍隊とし、日米安保条約の廃棄を主張する真っ当な学者もいます。その人たちは、本当にこの「声明」に賛同しているのでしょうか。「立憲フォーラムの会」は事実上、山口二郎氏と中野晃一氏の主導になっているのではないでしょうか。

<資料1>
       自衛隊と米軍の「統合」に関する声明
                         2024年 4月 19日
                       立憲デモクラシーの会

 2024年 4月 10日岸田文雄首相はバイデン米国大統領と会談、両首脳が共同声明を発出し、この中で「作戦と能力のシームレスな統合を可能とするため、二国間でそれぞれの指揮統制の枠組みを向上させる」と明記したことで、有事ばかりか平時から自衛隊と米軍の作戦と軍事力の統合が、装備の共同開発・生産とセットになって、いよいよ本格的に推し進められることになる。林芳正内閣官房長官は記者会見で「自衛隊の統合作戦司令部が米軍の指揮統制下に入ることはない」と強弁するが、軍隊組織の運用の「シームレスな統合」と言った時に、両国がそれぞれ独立した指揮統制系統を並行させるというのは意味をなさず、少なくとも有事には実質的に米軍の指揮統制下に自衛隊が組み込まれることになる。

 そもそも 2014年の解釈改憲の閣議決定と 2015年の安保法制で憲法違反の集団的自衛権の行使を容認して以来、安倍、菅、岸田内閣と続く自公連立政権は、国民の生命、自由、および幸福追求の権利を守るためと言いながら、まるで憲法も国会も存在しないかのようにふるまい、主権者である国民を蚊帳の外に置いて、安全保障政策の歴史的転換を進めてきている。2022年 12月 16日に閣議決定され公表された「安保三文書」は、日本と東アジアの将来に禍根を残しかねない負の産物であった。集団的自衛権の行使を認めたことで、日本が攻撃を受けずとも米国などの他国の戦争に、地域の限定もなく巻き込まれるリスクが高まったわだが、その上、自衛隊と米軍の作戦と軍事力の指揮統制機能の一体化が進めば、単に憲法や国会が無視されるにとどまらず、米国の判断で始めた戦争に米軍が参戦する際に、作戦の遂行や部隊運用面ですでに一体化された自衛隊には、これを追認して出動するほかなくなり、主権国家としての安全保障政策上の主体的な判断の余地が全くなくなる可能性さえ予期される。すなわち、責任ある政府は閣議決定等を通じて専守防衛に徹すると国会を通じて内外に表明してきたものの、集団的自衛権行使の要件とされる「存立危機事態」の認定主体が、国会はおろか日本政府でさえなく、米軍の作戦上の判断が事実上主導する形でなされることになりかねない。

 すでに自衛隊と米軍の一体化は始まっており、配備の進む中距離ミサイルの運用において日米の指揮統制の調整が不可欠となっていたとの議論もあるが、米国は米国の安全保障上の利益のために軍事的な判断を行うのであり、かりに抑止論を前提とするとしても、これが常に日本の安全保障のためになる保証はない。例えば、盛んに喧伝される台湾海峡有事のシミュレーションは、米中両国がそれぞれの本土を「聖域化」し、相互にはミサイルを撃ち合わない前提で想定されている。したがって、米軍の始める日本の安全保障にも国益にも適わない戦争のために、日本が戦場にされ民間人が殺されたり、自衛隊が殺し殺されたりする可能性も否めない。

 さらに、抑止力が戦争を未然に防ぐための抑止として機能するためには、軍事的な「能力」だけでなく、武力行使のレッドラインがどこに引かれているのか、国家としての「意思」が相手国に伝わる必要がある。それがなければ、ただの軍事的挑発となるが、自衛隊と米軍の指揮統制機能の一体化が進められることで自衛隊の出動が米国や米軍の軍事的判断次第となってしまうと、いくら日本が中距離ミサイルの配備などの安全保障上のリスクや財政負担を増大させたところで、トランプ前大統領の返り咲きも懸念される米国のその時の「意思」次第となり、日本としての抑止を高めることにならない。

 日本国民の生命、自由、および幸福追求権を守るための安全保障政策であるならば、日本国憲法に則った平和外交と専守防衛で相手国に対する安心供与を行い、国民を代表する国会での熟議を経て国家としての「意思」を形成し、伝達しなくてはならないのは当然である。安全保障政策の大転換と言いながら、その現実が、米軍次第というのであれば、それは日本の安全保障政策の体を成していない。

<資料2>
       立憲デモクラシーの会 よびかけ人  (同会サイトより)
▶共同代表
長谷部恭男 早稲田大学・憲法学
山口二郎 法政大学・政治学
 故 奥平康弘 東京大学・憲法学(元共同代表)
▶憲法学(法学)関係
愛敬浩二 早稲田大学・憲法学
青井未帆 学習院大学・憲法学
阿部浩己 明治学院大学・国際法学
蟻川恒正 日本大学・憲法学
石川健治 東京大学・憲法学
稲正樹 元国際基督教大学・憲法学
君島東彦 立命館大学・憲法学
木村草太 東京都立大学・憲法学
小林節 慶應義塾大学名誉教授・憲法学
阪口正二郎 早稲田大学・憲法学
高見勝利 上智大学名誉教授・憲法学
高山佳奈子 京都大学・刑事法学
谷口真由美 大阪芸術大学・国際人権法
中島徹 早稲田大学・憲法学
樋口陽一 東京大学名誉教授・憲法学
水島朝穂 早稲田大学・憲法学
最上敏樹 早稲田大学名誉教授・国際法学
▶政治学関係
石田淳 東京大学・政治学
石田憲  千葉大学・政治学
伊勢崎賢治 東京外国語大学・平和構築
宇野重規 東京大学・政治学
遠藤乾  東京大学・国際政治学
遠藤誠治 成蹊大学・国際政治学
大竹弘二 南山大学・政治学
岡野八代 同志社大学・政治学
小原隆治 早稲田大学・政治学
五野井郁夫 高千穂大学・政治学
齋藤純一 早稲田大学・政治学
酒井啓子 千葉大学・国際政治学
白井聡  京都精華大学・政治学
杉田敦  法政大学・政治学
千葉眞  国際基督教大学名誉教授・政治学
中北浩爾 一橋大学・政治学
中野晃一 上智大学・政治学
西崎文子 東京大学名誉教授・政治学
前田哲男 軍事評論家
三浦まり 上智大学・政治学
柳澤協二 国際地政学研究所
 故 坂本義和 東京大学名誉教授・政治学
▶経済学関係
大沢真理 東京大学名誉教授・社会保障論
金子勝   慶應義塾大学名誉教授・経済学
高橋伸彰 立命館大学名誉教授・経済学
中山智香子 東京外国語大学・社会思想
浜矩子  同志社大学・経済学
水野和夫 法政大学・経済学
諸富徹  京都大学・経済学
▶社会学関係
市野川容孝 東京大学・社会学
上野千鶴子 東京大学名誉教授 ・社会学
大澤真幸 元京都大学教授・社会学
▶人文学関係
臼杵陽 日本女子大学・中東地域研究
内田樹 神戸女学院大学名誉教授・哲学
加藤陽子 東京大学・歴史学
桂敬一 元東京大学教授・社会情報学
國分功一郎 東京大学 ・哲学
小森陽一 東京大学名誉教授 ・日本文学
佐藤学 東京大学名誉教授・教育学
島薗進 東京大学名誉教授・宗教学
高橋哲哉 東京大学名誉教授・哲学
林香里東京大学 ・マス・コミュニケーション
三島憲一 大阪大学名誉教授・ドイツ思想
山室信一 京都大学名誉教授・歴史学
鷲田清一 大阪大学名誉教授・哲学
 故 色川大吉 歴史学
▶自然科学関係
池内了 名古屋大学名誉教授・宇宙物理学
 故 益川敏英 京都大学名誉教授・理論物理学
▶経済界
丹羽宇一郎 元中国大使

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「国スポ見直し」論の盲点・天皇制との密接な関係

2024年04月22日 | 天皇制と政治・社会
   

 国民スポーツ大会(国スポ、旧国民体育大会)の廃止を含む見直し論が強まっています。
 村井嘉浩全国知事会会長(宮城県知事)が「廃止も一つの考え方」(8日)と口火を切って以降、各県知事が見直しの必要性を表明しています。

 見直し論の主な論拠は、「経費は何百億円という単位」(平井伸治鳥取県知事)という財政負担の重さです。村井氏は近く知事会としての提言をまとめる意向を示しています。

 国スポは廃止すべきです。ただしその理由は、財政問題よりむしろ、見直し論者が全く触れていない国民体育大会の歴史的役割のためです。それは、国体が象徴天皇制を定着させる上で大きな役割を果たしてきた、今も果たしている、ということです。

 国体の前身は、戦前の天皇制政府による明治神宮国民体育大会です。それが敗戦後国民体育大会と名を変え、1946年、「戦後復興・再建の士気高揚もかねて」(坂本孝治郎著『象徴天皇がやって来る 戦後巡幸・国民体育大会・護国神社』平凡社1988年)、第1回大会が京都市を中心に近畿地方一円で開催されました。

 翌47年、第2回大会(石川県)の開会式(10月30日)に天皇裕仁が初めて出席しました。

「開会式では、2万人の観衆によってGHQ占領下で禁止されていた「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱が行われた」(坂上康博著『昭和天皇とスポーツ』吉川弘文館2016年)のです。

 48年の第3回大会で天皇杯・皇后杯が「下賜」され、49年の第4回大会から天皇・皇后が開会式に出席することが恒例化され今日に至っています(写真左は第4回大会の天皇裕仁と良子皇后、写真中は昨年の鹿児島国体の天皇徳仁と雅子皇后)。

 こうした国体と天皇の関係は何を意味しているでしょうか。

「この元来非政治的なスポーツ・イヴェント(国体)は、「国民統合の象徴」という象徴天皇制の正統性を周期的に客観化する、重要な制度的イヴェントの位置を占めるようになった」
「1950年以後、春の全国植樹祭、秋の国民体育大会と、地方で催される儀式やイヴェントに、<両陛下お揃いで>出席する形式が制度化され展開されてゆく。…また各宮殿下の担ぎ出しも各競技団体が試みることとなり、ここに国民体育大会は、言わば皇族の降臨する庭として、また、象徴天皇を推戴するする儀式としての性格を一方で濃厚に帯び始めることになった」(坂本孝治郎氏、前掲書)

 近年、自衛隊が国体への関りを強め、自衛隊の広告塔であるブルー・インパルスが、2014年の長崎大会に続いて昨年の鹿児島大会でも開会式に飛行しました(写真右)。

 「見直し」論が今後どう展開するかは分かりませんが、上記のような天皇制との密接な関係にある国スポは廃止すべきです。そして市民のスポーツの権利を保障する施策を検討すべきです。
 その結果、なんらかの新たなスポーツ大会が行われるとしても、その開会式には天皇・皇后は出席させない、天皇杯・皇后杯もない、天皇制との関りを一切もたない真に市民のスポーツ大会にする必要があります。

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日曜日記298・映画「決断」―「母子避難」と自衛隊

2024年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム
  「3・11」東電福島原発「事故」のため「母子避難」を余儀なくされた福島10家族の証言ドキュメンタリー映画「決断 運命を変えた3.11母子避難」(安孫子亘監督)が19日京都で封切られた。

 いくつかの「民主的集会(講演会)」で、京都に避難してこられている方から告知があり、チラシ(写真)も配られたので、公開を待っていた。

 10家族のうち3人(女性)が避難先の自治体(県・市)の議員選挙に立候補し、2人が当選した。避難先への「恩返し」でもある。原発被害が政治意識を高めたともいえよう。

 力強くたたかっている女性たちだが、2人から「ずっと孤独だった」という言葉が漏れた。「母子避難」の過酷さをあらためて思う。

 取り上げられたのは、選挙や訴訟でたたかっている人たちだ。もちろんそんな避難者ばかりではなかろう。だとしても、あらためて「母子避難」「自主避難」を余儀なくされていことの不条理へ怒りが湧いてきた。

 ところが、そんな作品の価値を台無しにするような映像が最後に流れた。

 エンドロールの横で、「母子避難」の当事者ではない元ラジオ福島のアナウンサーが「3・11」当時を振り返って話す。「支援に来ていた自衛隊員が、『大丈夫、福島は必ず復興するよ』と言った。どうしてと聞くと『震災直後でも、2人の高齢男性が1つの弁当を譲り合っていたから』だという」(大要)。そう言って自衛隊員が励ましてくれた、というのだ。

 一瞬、耳を疑った。なぜここで「自衛隊員」の話が出てくるんだ。最後の最後に、当事者でない人物を登場させて。

 自衛隊と被災者・被災地の親密さを描こうという意図が安孫子監督にあったのかどうかは分からない。しかし、結果としてそういう印象を残して映画は終わった。

 何らかの「希望」を示すエピソードで終わらせたかっただけかもしれない。だとすればこんな話で明るい展望など持てるわけがない。

 いずれにしても、自衛隊の「災害出動」を無批判に、肯定的に描くのはあまりにも無神経だ。というより誤りだ。

 政府が防災・災害救助に特化した組織を頑としてつくらず、自衛隊を出動させているのは、軍隊である自衛隊を社会に浸透させたいという政治的意図があるからだ。また、映画でも告発した「自主避難者」に対する家賃補助の打ちなど政府の被災者軽視と、軍事費の大膨張政策は無関係ではない。

 この映画で政府の大軍拡政策を批判すべきだと言っているのではない。しかし少なくとも、原発「事故」とその後の政府の対応を追及するなら、そして「自主避難者」がおかれている不条理を告発するのなら、自衛隊を美化する「証言」をエンディングにすることなどあり得ない。

 この映画を見る人は、おそらくほとんど自民党政権に批判的な人たちだろう。だからこそ、こういう形で自衛隊が肯定的に取り上げられることに危険性を感じてならない。

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