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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

被爆者・美輪明宏さんの隠れた名曲

2014年07月31日 | 戦争・遺跡

PhotoPhoto_2 「ごきげんよう さようなら」
 高視聴率を得ているNHK朝の連ドラ「花子とアン」は、毎回美輪明宏さん(79)のこの語りで次回に続きます。
 28日のNHKの番組(写真左、4月の再放送)で、この美しい日本語が自然に語れる人、ということで美輪さんに白羽の矢が立ったと、本人が述べていました。

 波乱万丈の人生を歩み、多彩な才能を発揮している美輪さんが、最近一段と注目を集めるようになったのは、一昨年暮れのNHK紅白歌合戦で「ヨイトマケの唄」を歌ったのがきっかけでしょう。

 そして昨年の「紅白」に連続出場した美輪さんは、原爆被爆者の人生を歌った「ふるさとの空の下」で、再び大きな反響を呼びました(写真右)

 美輪さん自身、長崎に生まれ、10歳の時に被爆しました。原爆症にも苦しめられてきました。
 そんな美輪さんが、一人の男性被爆者と出会い、その生きざまに感動して作ったのがこの歌です。「3・11」の被災地の人たちに思いを馳せ、「立ち上がる人間の生命力」を歌ったといいます。

 ところで、美輪さんには、おそらくテレビでは流れたことがない隠れた名曲があります。
 「祖国と女たち(従軍慰安婦の唄)」(1970年代)です。

 長崎の丸山遊郭に、戦時性奴隷(従軍慰安婦)にされていた日本人女性たちが引き揚げてきました。その人たちの「思い出話」を直接聴いた美輪さんが、「ものすごく頭にきちゃって、義憤に駆られて」(2013.6ライブドアニュースから)作ったのが、この歌です(YouTubeで試聴できます)。
 
  毎日百から二百 兵隊相手に
  朝日が昇り 月が落ちるまで
  いずれ死んでゆくことが 決まっている男
  虚ろに空を 見つめる女
  涙も枯れ果て 痛みもないさ
  そこには 神も仏もない
  万歳 万歳

  誰の子かわからぬ 赤子残して
  死んだ女やら 銃を片手に
  愛する若い兵士と散った女やら
  歌える女は 子守唄を歌う
  あまりの怖さに狂った女
  嫌な将校に斬られた女
  万歳 万歳

  戦に負けて帰れば 国の人たちに
  勲章のかわりに 唾をかけられ
  後ろ指さされて 陰口きかれて
  祖国のためだと死んだ仲間の
  幻抱いて 今日も街に立つ
  万歳 万歳
  ニッポン 万歳
  大日本帝国 万歳 万歳 万歳

 人生のどん底を経験し、人の痛みが身に染みる、被爆者・美輪明宏ならではの歌です。

 美輪さんが「紅白」でこの歌を歌う姿を見たいものです。
 それが可能になる日本にしたいものです。


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辺野古の緊迫、なぜ伝えぬ本土メディア

2014年07月29日 | 沖縄と差別

PhotoPhoto_2 沖縄の辺野古沖新基地建設をめぐる事態が緊迫しています。

 県民多数の意思を無視して辺野古沖の埋め立て・新基地建設を強行しようとしている安倍政権・防衛省は、20日未明、夜陰に紛れて建設資材をキャンプ・シュワブに搬入しました。
 抗議する県民たちのゲート前での座り込みは連日、24時間続けられています。

 28日未明には、抗議する県民を排除するための鉄柵設置が、またしても一般市民が寝静まっている未明に強行されました。
 真夜中の強行は政府・防衛省の常套手段です。昨年7月、普天間基地野嵩ゲート前に、やはり抗議市民を排除するためのフェンス設置を強行したのも、今回とまったく同じ深夜でした。

 真夜中の強行は、実はもともと米軍が行った姑息な手法でした。

 59年前の1955年7月19日(今回と1日違い)の午前3時、米軍は伊佐浜(宜野湾)で、泊まり込みで反対する農民・市民を「銃剣とブルドーザー」で押さえつけ、強制的に土地を取り上げたのです。小禄、伊江島などの土地強制接収とともに、その後の「島ぐるみ闘争」の発端になりました。

 歴史は繰り返す。まるでビデオのリプレイのようです。ところが、当時と今と、大きく違っていることがあります。

 当時の様子を、「米軍抵抗のシンボル」といわれた瀬長亀次郎はこう記しています。
 
 「燃え上がった抵抗の波をとらえ、日本国民に知らせるために新聞記者、ラジオ記者が、つぎつぎに特派されてきた。日本全国の新聞、ラジオ、雑誌は一日もかかさず、トップ記事に、解説に、理論的な究明に沖縄問題を大々的に報道した」
 「国民的世論は・・・最高潮に達した。・・・沖縄の抵抗運動を激励し、支援する大会が、活発に開かれた。沖縄の土地問題は、こうして、八十万県民をも含めて、全日本国民の共同のたたかいとなって、ひろがっていった」(『民族の悲劇』)

 今はどうでしょう。真夜中の鉄柵設置は、本土では(私が知る限り)28日夜の報道ステーションで報じられただけ(写真はいずれも同番組から)。連日市民がゲート前で抵抗を続けていることを、本土のどれだけの人が知っているでしょうか。

 知らされていないのです。メディアが報道しないからです。

 本土メディアは60年前を振り返って、沖縄報道を直ちに見直し、是正しなければなりません。
 本土の人間はメディアにそれを要求しなければなりません。

 沖縄の辺野古で、高江でたたかい続けている人たちは、沖縄の、日本の平和と民主主義のためにたたかっているのですから。私たちを代表してたたかってくれているのですから。


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沖縄の「今」が見えない広島の2つのイベント

2014年07月26日 | 沖縄と差別

PhotoPhoto_2 広島で開催されている「沖縄」紹介の2つのイベントに行きました。

 1つは、広島市内の旧市民球場跡(原爆ドーム向かい)で行われている「OKINAWAフェスタ2014」(7月19~27日、写真左)。新聞でも大々的に宣伝していますが、予想(期待)ほど人は入っていませんでした(入場無料)。

 広い会場を囲むように飲食テント、物産テントが並びますが、その数は約20にすぎず、物産はお土産の域を出ていません。タコライスや沖縄そば(いずれも800円)はなつかしかったですが、もう少し低価格ならもっと多くの人に賞味してもらえたでしょう。
 沖縄県人会のテントで「三線体験」がおこなわれ、子どもたちが三線を教わっていたのは和やかな光景でした。

 最も盛り上がっていたのは、沖縄ゆかりのアーティスト約50組が日替わりで出演するライブテントでした。音楽の力、沖縄ミュージックの魅力をあらためて感じました。
 が、これももうひと工夫ほしいところ。それぞれ素晴らしい出演者ですが、知名度の低さは否めません。良く知られたアーティスト(例えば、BEGINや夏川りみ)で集客を図っても良かったのではないでしょうか(予算等々事情はあるでしょうけれど)。

 しかし、私が最も残念だったのは、このフェスタでは沖縄の「今」がまったく見えないことでした。沖縄といえば観光とグルメと音楽。それだけでいいのでしょうか。

 「お祭り」に政治は場違い、と言い切れるでしょうか。

 せっかくの広い会場なのですから、プレハブで、辺野古や高江の「今」を紹介し、交流するスペースがあっていいのではないでしょうか。
 同じ会場が無理なら、関連イベントとしてしかるべき会場を確保してシンポか講演会を実施してはどうだったでしょうか。

 沖縄の「今」が見えない不満は、もう1つのイベントでさらに増幅しました。
 福山市人権交流センターのロビーで開催されている「オキナワ」写真展(7月9日~8月29日、写真右)です。

 「戦争の実相と平和の尊さを学ぶ」というコピーですが、展示されているのは、「白旗の少女」など沖縄戦の写真10枚と、年表と地図のパネルだけ。なんとも寂しい展示です。

 ボリュームもさることながら、問題は展示内容が「沖縄戦」に限定されていることです。ここには、オキナワと戦争・平和といえば「沖縄戦」というワンパターン思考しか見られません。

 沖縄戦はけっして過去のことではありません。今の沖縄の現実・苦悩は、確実にそれと連動しています。歴史はまさに連続しているのです。
 「今」の沖縄の現実を見ないで、「戦争の実相」「平和の尊さ」を考えることはできません。

 広島(本土)で沖縄が紹介されるイベントが開催されるのはもちろん歓迎すべきことです。
 しかし、それが「沖縄はリゾートの島」「沖縄戦は過去のこと」という誤ったイメージを与えるなら、逆効果です。

 沖縄の「今」を伝え、「これから」を一緒に考えていく。そんなイベントを本土でどう開催するか。知恵を出し合いたいものです。
 
 


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シンポ「広島から考える東アジア」の盲点

2014年07月24日 | 国家と戦争

PhotoPhoto_2 「ナショナリズムとの対話~広島から考える東アジア」というシンポジウムが21日、広島市内の中国新聞社大ホールでありました。

 県立広島大学地域連携センターが主催し、4大学の中堅研究者がパネリストという意欲的な取り組みでした。

 「国と国の関係はなかなか変わらない。庶民の日常の力、生活の力で(中国、朝鮮、台湾と)つながり、相互の理解者を増やそう」と、「民間外交」の重要性が強調されました。

 興味深かったのは、その「民間外交」の中で、「台湾の人からよく聞かれること」が、「なぜ広島に原爆が落とされたと思いますか?自業自得、因果応報では?」という言葉だということです。

 さらに別の報告者からも、「中国や韓国の人たちから必ず出る質問」は、「原爆の悲惨さはよく分かった。では日本が戦争で中国や韓国でやったことについて、(日本人は)どう思うのか」という質問だと紹介されました。

 太平洋戦争などにおける「日本の加害責任」を、日本の私たちはどうとらえているのか。東アジアの「民間外交」では、この歴史認識が不可欠だということです。
 シンポではそれ以上深めることができませんでしたが、もっと議論したいテーマでした。

 それ以外にもこのシンポには大きな不満が残りました。東アジアの今後を展望するうえで、欠かせない重要問題がすっぽり抜け落ちていたからです。

 それは沖縄です。シンポは、尖閣をめぐる領土問題をさかんに論じながら、なぜかその尖閣諸島がある沖縄の問題、辺野古をはじめとする米軍基地、自衛隊増強などの問題にはまったく触れなかったのです。

 質問用紙による質疑で、私は「東アジアの今後を展望するうえで、いま沖縄で強まっている自己決定、自立、独立の動きをどう見るか」と質問しましたが、取り上げられませんでした。

 「広島から考える東アジア」。その視野に沖縄が入っていない、少なくとも重要視されていないと思われるのは、なぜなのでしょうか。

 広島から沖縄を見る視点。沖縄から広島を見る視点。
 広島(ヒロシマ)と沖縄(オキナワ)を結ぶ視点とは何か、考えていきたいと思います。

 <うれしいニュース>

 原発反対・祝島へのカンパが目標の4倍超

 22日付中国新聞によれば、中国電力上関原発に反対してたたかっている祝島の漁業者を支援するため、「みんなの海の会」(映画監督の纐纈あやさんら)が呼び掛けた支援カンパに、国内外から2363人の賛同者があり、目標の500万円の4倍を超える約2010万円が集まり、21日、島民に手渡たされました。
 私もほんのわずかばかりカンパさせていただき、うれしくてなりません。

 原発も、基地も、「最後は金目でしょ」とばかりに金のばらまきで思い通りにしようとするのが、国や大企業など権力者の常套手段です。

 しかし、それに屈しないでたたかっている人たちがいるし、それを支える多くの庶民がいます。
 目標を大きく超えた庶民の浄財は、金のほんとうの価値とは何かを示しているようです。 


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ギャンブル依存症の悲痛-許すなカジノ法案

2014年07月22日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義

PhotoGa ギャンブル依存症の当事者や家族の自助グループ(GA=ギャンブラーズ・アノニマス)の集会が20日、福山市内でありました。

 一般参加も可能ということで、安倍政権が成立を目論んでいるカジノ法案への関心から、参加させていただきました。

 大谷大学の滝口直子教授が「ギャンブル問題のない社会へ」と題して講演し、参加者がそれぞれ匿名で体験を語り合いました。

 滝口さんは、「ギャンブルは収入が少ないとすぐに問題が生じる逆進性」が特徴だと指摘。諸外国の例から、ギャンブル産業と治療機関、研究機関の相互利権がからむ「カジノ村」というべき実態をあげ、「国と産業の責任と努力」の必要性を強調。「社会的な問題を、本人と家族が抱え込んで苦しんでいる」実態を変えていくことが急務だと述べました。

 パチンコから抜けられなかったAさん(広島、50代?)は、家庭でケンカが絶えず、娘は摂食障害から不登校に。GAに参加するようになって救われました。「パチンコをしなくなって、初めてウソをつかない生活を送るようになった」「まともな心の居場所を見つけたい」

 実父が救急車で運ばれた時も、「3・11」も、パチンコをしていたBさん(広島、40代?)は、「こんな人間いない方がいい、死んだ方がいい、と何度も思った」「家の中で『この(パチンコへの)衝動を止めてくれ』と叫んだ」。自分で解決できる思うのは過信だと気づき、「人に頼ろう」と思うようになってGAに参加し、回復の道を歩んでいます。

 先月まで治療で入院していたCさん(宇部、30代?)は、妻が産休で現在無収入。6カ月の子どもに「何か買ってやりたいけど、できない」と声を詰まらせ、「友だちも失った。やめようと思っても孤独感からまた手を出した。いまは自助グループがあるから頑張れる」。

 体験を語る人びとは、みなさん誠実で、それだけに強く自分を責めながら、仲間とともに新しい人生を歩もうとしています。

 しかし、自助グループに集まるギャンブル依存者は文字通り氷山の一角。多くの依存者とその家族は、自分たちだけで問題を抱え込んで苦しみ続けています。

 ところでこの集会では、問題のカジノ法案についてはあえて話題にされませんでした。新聞などでその危険性を強く指摘している滝口さんも一言触れただけです。
 それには理由がありました。GAは政治的は問題には関わらないことになっているのです。「自助グループは論争には巻き込まれないというのが長年の知恵です。それは仲間割れを生みかねないから。依存症からの回復には仲間の一体性がなによりも必要なのです」(滝口さん)

 一番の当事者であるギャンブル依存症本人や家族が、「カジノ法案反対」の声を上げることをあえて控えているのなら、私たちがその分まで、声を大にして言いましょう。
 本人だけでなく家族をも地獄の苦しみに突き落とすギャンブル依存症。それをさらに蔓延させることになるカジノ法案は、絶対に阻止しなければなりません。

 このカジノ法案を推進し、カジノ誘致に血道をあげているのが、沖縄の仲井真知事なのです。
 辺野古新基地建設阻止とともに、沖縄にカジノを造らせないためにも、仲井真知事の再選を許すことはできません。

 <介護メモ>

 認知症に大きな効果、「ユマニチュード」から学ぶもの

 20日夜のNHKスペシャルで、認知症に大きな効果を発揮している「ユマニチュード」があらためて紹介されました。
 フランス人か考案した認知症患者への向かい方です。ポイントは4点。
 ①見つめる-正面から笑顔で
 ②話しかける
 ③触れる
 ④寝たきりにしない
 母への対応にも応用させてもらおうと思います。
 ところで、考えてみると、④を「相手の力を引き出す」と解釈すれば、この4点はすべて、認知症への対応に限ったことではないでしょう。
 笑顔で正面から見つめ、話しかけ、時にはスキンシップを図り、相手の力を認める。これはすべての人間関係を円滑にするコツと言えます。
 人と人の関係に必要なものを浮き彫りにしてくれる。それが認知症の、いえ、すべての病気の介護・看病なのかもしれません。


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沖縄と岩国-「基地負担の拡散」ではなく・・・

2014年07月19日 | 沖縄と差別

PhotoKc130 米軍空中給油機KC130の沖縄・普天間基地から岩国基地への移転が、15日始まりました。8月中に全15機を移す計画です。

 「沖縄の基地負担軽減」が日米政府(とりわけ日本政府)の言い分です。岩国市議会も賛成多数でこれを了承しました。

 しかし、米軍はKC130 の訓練を、岩国移転後も沖縄で続けることを明言しています。そのこと1つとっても、岩国移転が「沖縄の負担軽減」につながらないことは明らかです。

 岩国基地はKC130 に続き、3年後までに厚木基地(神奈川県)から空母艦載機59機が移転することも決まっています。さらに、最新鋭ステルス戦闘機F35の配備構想もあります。
 岩国基地は、沖縄の嘉手納基地と並び、「極東最大級の基地」になろうとしているのです。

 問題はKC130だけではありません。
 同じ15日、MV22オスプレイ(垂直離着陸輸送機)が厚木基地とキャンプ富士(静岡県御殿場市)に飛来しました。オスプレイが首都圏を飛ぶのは初めてです。

 オスプレイは18日には岩国基地に飛来し(写真左は岩国基地に展示されたオスプレイ)、19日には初めて東京上空を飛びました。

 オスプレイは「今後広く本土各地の施設や区域に飛来する」と米軍は言明しています。これも「沖縄の負担軽減」が名目です。

 日米政府がいう「沖縄の負担軽減」とは、「基地負担の本土への拡散」にほかならないのです。

 この点についての本土側の認識は極めて不十分と言わざるをえません。
 岩国をカバーする中国新聞は、社説(6月26日付)でKC130の移転について、「沖縄の負担軽減に結びつくのは確かだろう」とする一方、「単に負担のたらい回しの発想でいいのか。沖縄の人たちを苦しめてきたような、好き放題な訓練ならば許されまい」と述べています。

 「沖縄を苦しめてきた訓練なら許されない」? 岩国で許されないことは、もちろん沖縄でも許されないのです。

 沖縄の人たちが望んでいるのは、けっして「負担の拡散」ではありません。
 本土への「負担の拡散」(基地移転)ではなく、現在の沖縄の負担・苦しみをどうすれば根絶することができるのか。

 それを考え、行動することは、本土の私たち自身の問題です。
 


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秘密法と「宮澤事件」と毒ガス島

2014年07月17日 | 戦争・遺跡

TvTv_2 NHK総合テレビ「地方発ドキュメント」で14日深夜、「兄はスパイじゃない-北大生の妹73年の苦闘」という番組が放送されました。いわゆる「宮澤事件」です。

 1941年12月8日、当時北大生だった宮澤弘幸さんは、「改正」軍機保護法違反の容疑で逮捕され、懲役15年の刑を言い渡されました。

 成績優秀で、さまざまな国々の学生たちと活発に交流した宮澤さんは、決して「反戦」思想ではありませんでした。しかし、41年夏、根室を旅行した時のことを雑談で親しいアメリカ人教師に話しただけで、「秘密を漏らしたスパイ」とされたのです。
 北大は宮澤さんを守るどころか、いち早く「退学」扱いにしました。

 宮澤さんは拘置所で拷問を受け、食糧も乏しい極寒の網走刑務所の独居房に収監。戦後釈放されましたが、結核のため間もなく亡くなりました。

 犠牲者は宮澤さんだけではありませんでした。家族は「スパイの家族」として世間から白眼視され、引っ越しを繰り返さざるをえませんでした。東京から2カ月に1度面会に通い続けた母親も心労で亡くなり、妹の美江子さん(現在87)は「スパイの妹」と言われ続けました。

 兄が逮捕されて73年、美江子さんは今日まで、宮澤さんの名誉回復のためたたかい続けました。
 そしてやっと今年になって、退学処分を取り消させることができたのです(しかし北大は謝罪はしていません)。

 美江子さんは、「ようやく区切りがつきました」と涙を浮かべる一方、「すべてを奪われた兄と、家族の無念さは、どうしても拭いきれない」「二度と同じ過ちを繰り返してほしくない」と怒りを新たにしています。

 私が「宮澤事件」を知ってのは、1年ほど前の沖縄の集会でした。しかし今回、その怖さがよりいっそう迫ったきました。
 それは、「毒ガス島」といわれた広島の大久野島も、軍機保護法に包まれた島だったことを知ったからです。

 大久野島は、地図からその存在自体が抹殺されました。対岸を走る汽車は、海側の窓は閉鎖され、外の景色が見えなくされました。

 島内はもちろん、対岸の竹原市にも憲兵隊が常駐し、監視されました。毒ガス工場に駆り出された学徒たちは、「スパイ」を見つけ通報することを奨励されたのです。

 もちろん北海道や広島だけではありません。軍機保護法はこうして、日本中を「秘密」の闇と「スパイ摘発」の恐怖に包んだのです。

 国家権力によって誰でも「スパイ」にされる。何を「秘密」として逮捕するかは国家次第。
 これはまさに、「何が秘密か、それは秘密」という現代の「秘密保護法」そのものです。

 安倍政権が強行した秘密法は、軍機保護法の再来に他ならないのです。

 秘密法は絶対に廃止しなければなりません。
 だれもが「スパイ」にされる世の中にしないために。

 (NHKにも優れた番組はあります。特に地方発に。それは真夜中ではなく、もっと早い時間帯に放送されるべきです)


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映画「長岡花火物語」-「まだ戦争には間に合う」

2014年07月15日 | インポート

PhotoPhoto_2 映画「この空の花-長岡花火物語-」(大林宣彦監督=尾道市出身、主演・松雪泰子、高島政宏、富司純子、2011年)の上映会が、13日、福山市人権交流センターでありました。

 太平洋戦争で米軍は、広島、長崎の原爆に先立ち、全国35都市に49発の模擬爆弾を投下しました。長岡もその1つでした(1945.7.20)。

 また長岡は、東日本大震災(2011.3.11)に際し、避難者をいち早く受け入れました。長岡自身、中越大地震に見舞われた過去がありました。
 2011年8月1日、全国の自粛ムードの中、長岡は例年通り花火大会(フェニックス花火)を実施することを市民の話し合いで決めました。
 「長岡の花火はお祭りじゃない。空襲や地震で亡くなった人たちへの追悼の花火、復興への祈りの花火」(主人公の言葉)だからです。

 映画は史実に基づきながら、独特の大林ワールドで、時空を超えて、戦争、平和、人間の強さ・優しさを語り掛けます。
 冒頭のテロップで、大林監督は、「未来に生きる子どもたちに、過去を生きた大人から、この映画を贈る」と言っています。
 これは大人から子どもたちへの戦争と平和の継承なのです。

 放浪の画家・山下清は生前、実際に長岡花火を見て、切り絵にしました。その山下画伯の言葉が映画に出てきます。
 「世界中の爆弾が花火に変わったら、きっとこの世から戦争はなくなる」

 映画では、地元の高校生が長岡空襲を再現する演劇が重要な役割を果たします。その演劇のタイトルは、「まだ戦争には間に合う」。
 演劇の中心となった女子高校生が付けたタイトルですが、実は彼女は、1歳の時空襲で亡くなった女の子が高校生として現代によみがえったという設定です。

 「まだ戦争には間に合う」
 大林監督はこの言葉について、いっさい説明はしていません。見る者に投げかけているのです。
 69年前の戦争を描いていながら、「まだ戦争には間に合う」とは?

 映画の完成は約2年半前です。それから第2次安倍政権による矢継早の右傾化・反動化で、秘密法が強行され、ついに集団的自衛権行使容認が閣議決定されました。
 映画はその後のこうした動きをまるで予見していたようです。

 「まだ戦争には間に合う」

 秘密法を廃止し、集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回させ、安倍政権を退陣させるなら、まだ、「戦争をする国」にならずにすむ。
 「まだ戦争には間に合う」。まさに現在の私たちに突き付けられている言葉です。

 絶対に「戦争をする国」にしてはいけない。
 それが、「未来に生きる子どもたち」への「過去を生きた大人から」の「贈り物」、いえ、責任です。


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人権平和資料館と「忠魂碑」

2014年07月12日 | 国家と戦争

PhotoPhoto_2 JR福山駅の近くに福山市人権平和資料館があります。

 1階は福山空襲を中心とした戦争・平和問題。2回は(未解放)問題を考えるスペースです。
 立地といい展示内容といい、折々の企画といい、素晴らしいものです。

 その人権平和資料館が来月で20周年を迎えるのを記念し、このほど、「平和を求めて」と題する記念誌(A4判170㌻、1100部)を発行しました。
 写真集と言っていいほどカラー写真を駆使した、立派なものです。

 その内容に驚きました。

第2章「知られざる福山海軍航空隊」では、12㌻にわたり海軍航空隊を紹介しています。しかしそれは「二度と戦争を繰り返さないために、何をなすべきか考えてみたい」というコメントによってまだ救われています。

 問題は第3章「戦争遺跡」です。56㌻にわたって福山市内にある「戦争遺跡」が紹介されていますが、その中になんと「忠魂碑」が29個もあるのです。
 そのほか、護国神社・忠魂殿が16、さらに「八紘一宇」の碑が2つ。「行幸」碑が4つ。さらに奉安殿(昭和天皇・皇后の写真を納めた小屋)の3枚の写真まで。
 言うまでもなく、これらはすべて、戦前・戦中の天皇制を象徴する「天皇遺跡」です。

 福山1市にこれだけ「忠魂碑」はじめ天皇碑があることにまず驚きました。これが「草の根の天皇制国家」の姿なのかと改めて痛感しました。
 みなさんの住む市町村はどうでしょうか?

 さらに驚いたのは、こうした多くの天皇碑を人権平和資料館の記念誌が網羅していることです。
この章には、「平和の大切さを伝えていきたい」とコメントされていますが、大量の天皇碑でいったいどう「平和の大切さ」を伝えようというのでしょうか。
 記念誌は「忠魂碑」について、「国がおし進めた戦争によって犠牲になった人々の魂をまつるために立てられた碑」と説明し、天皇制には一言も触れていません。

 記念誌は、市内の小中学校や公民館に配布され、戦争に関する副読本としても活用されるといいます。

 人権平和資料館の記念誌が、「天皇制賛美」の写真集になってはいけません。
 忠魂碑など「天皇遺跡」を紹介するなら、太平洋戦争、さらには日清戦争以後の日本の戦争が、その天皇・天皇制の下で強行された侵略戦争であったことを明記する必要があるのではないでしょうか。

 天皇制こそ、「人権」と「平和」の対極にあるものなのですから。





 


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中国紙の「きのこ雲広告」をどうみるか

2014年07月10日 | 国家と戦争

PhotoPhoto_2 中国重慶市の週刊紙の「公益広告」に、「日本がまた戦争をしたがっている」との見出しで、広島と長崎にきのこ雲を描いた地図(写真右)が掲載され、8日の新聞やテレビで問題にされました。

 この「広告」をどう見ればいいでしょうか。

 岸田外相が記者会見で、「誠に不見識。唯一の戦争被爆国の外相として、被爆地広島出身の政治家として容認できない」などと批判したのは、まさに天にツバするものです。

 中国紙「広告」は安倍政権の集団的自衛権行使容認の閣議決定を批判したもので、その批判自体は妥当です。安倍首相の片腕として集団的自衛権行使容認を強行した岸田氏に、「被爆国の外相」「被爆地出身の政治家」などと名乗る資格はありません。

 広島の中国新聞は翌9日付の1面コラムで、「きのこ雲の下の惨状を再び、と大陸の核保有国に脅された気がしてくる」と書きました。原爆を投下するぞという中国の脅しととったのです。はたしてそうでしょうか。それだけでしょうか。

 「広告」がどういう意図で原爆の絵を描いたのか、直接のコメントは伝わっていませんから、一連の報道だけではわかりません。したがって擁護するつもりはありません。
 しかし、集団的自衛権行使容認を批判する広告で、「日本がまた戦争をしたがっている」という見出しで描かれたこの絵を、ただ、中国の無神経な脅しだと見てしまっては、大切な問題を見逃すことになるのではないでしょうか。

 広島・長崎への原爆投下が非人道的・国際法違反で許されないことは言うまでもありません。しかし、原爆投下は、日本が始めた侵略戦争の結末であり、日本が侵略戦争を行わなければ原爆投下を招くこともなかった、という見方もできるのです。
 広島・長崎の原爆投下を、被害の側面からだけでなく、侵略戦争を行った加害の側面からとらえる見方です。

 中国(人民)は日本の侵略戦争の加害責任を決して忘れてはいません。とりわけ重慶は、日本軍が無差別の空襲で中国人民を大量虐殺した、まさにその地なのです。

 原爆を被害と加害の両面から見る見方は、被爆者自身の中からも痛切な声として上がっています。
 その一つとして、被爆詩人の栗原貞子さん(1913~2005)の一文を紹介します。

 「広島・長崎への原爆投下は、人道上、国際法上許すべからざる犯罪である。しかしその絶対性は、その誘発を許した国民の責任やアジア諸国民への加害責任を不問にしたり相殺したりすることはできない。
 被害と加害の複合的自覚に立つとき、初めて他国民間の連帯が可能になる。
 そして、自らが国家の被害者であると同時に、加害者であることによって、加害(協力)を強制した国家の戦争責任を明確にとらえ追及することが可能なのである」(『問われるヒロシマ』1992)

 そして栗原さんは詩「ヒロシマというとき」の中で、こう言っています。

 <ヒロシマ>といえば <ああ、ヒロシマ>とやさしくは返ってこない
 アジアの国々の死者たちや無告の民が いっせいに犯されたものの怒りを 噴き出すのだ
 <ヒロシマ>といえば <ああ、ヒロシマ>と やさしくかえってくるためには
 捨てた筈の武器を ほんとうに 捨てねばならない
 異国の基地を撤去せねばならない
 その日までヒロシマは 残酷と不信のにがい都市だ

 栗原さんの言葉を、私たちは今こそかみしめる必要があるのではないでしょうか。


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