アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

フィクションとノンフィクション

2023年09月30日 | メディア
   

 NHK朝ドラ「らんまん」が終了しました。植物学者・牧野富太郎がモデルですが、長田育恵氏のオリジナルシナリオです。
 元龍谷大教授の土屋和三氏(植物生態学)はドラマにちなんで牧野の業績を紹介した論稿の中でこう述べていました。

「「らんまん」は大変面白いが、史実と異なるところもあり驚くことが多い」(8日付京都新聞夕刊)

 オリジナルなシナリオですから「史実と異なるところ」があるのは当然ですが、どこが史実でどこがフィクションなのか、私のような一般視聴者には分かりません(たとえば、夫妻を助ける人物として三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟が登場しましたが、史実なのかたいへん気になりました)。

 濱口竜介監督の「悪は存在しない」が銀獅子賞を受賞して話題になった先のベネチア国際映画祭。取材した朝日新聞の石飛徳樹編集委員は、「事実の力とフィクションの力について考えさせられた」として、こう書いています。

「米国に限らず(出品された米映画5作品中4作品が実在の人物を主人公にした伝記もの)、今、実話の映画化が非常に目立つ。もちろん面白い作品も限りなくあるけれど、総体としてみると、映画の魅力を減じているように思えてならない」(11日付朝日新聞デジタル)

 「事実の力とフィクションの力」。それを考えさせられたのが映画「福田村事件」(森達也監督)です(9月4日のブログ参照)。

 言うまでもなく関東大震災時(1923年9月)の虐殺という史実を基にした映画ですが、フィクションの部分が少なくありません。朝鮮から帰郷した元教師(井浦新)、その妻(田中麗奈)、地元紙の記者(木竜麻生)ら重要な登場人物は軒並み創作です。

 森達也氏はこれまでドキュメンタリーを手がけており、劇映画の監督は今回が初めてです。新聞のインタビューにこう答えていました。

「ドキュメンタリーを「客観的な事実の集積」と定義する人は少なくない。でもそれは的外れだ。…ここ(ドキュメンタリー)に提示されているのは、ディレクターや監督の世界観や問題意識だ。それはドラマと変わらない」「(福田村事件は)材料が少なすぎてドキュメンタリーは無理だけど、劇映画ならば実現できる」(8月30日付琉球新報=共同)

 映画「福田村事件」を見た辻田真佐憲氏(近現代史研究者)は、「(森氏によって)現在に引き付けすぎと思うところもないではない」としながら、こう述べています。

「まったくの物語化を抜きにして、われわれが歴史を継承していくことは困難だ。史実をベースにしながらも、やはり物語化は断念してはならないのではないか。「福田村事件」はそんなことを考えさせられる映画だった」(1日付朝日新聞デジタル)

 NHK大河ドラマのように歴史上の人物をモデルにしながら、娯楽に徹しているドラマはフィクションとして気楽に見ることができます。しかし、「福田村事件」はそうはいきません。
 森氏が「娯楽作品として見てほしい」と述べていたことに違和感があると先のブログで書きましたが、主要な登場人物が創作されていることにもやはり違和感を禁じ得ません。
 重要な社会的・歴史的事件の映像化において、史実と創作の混在は危険だと考えます。

 この問題はもちろん今に始まったことではありません。それが今とりわけ気になるのは、昨今のフェイクニュース、AI、そしてウクライナ戦争における情報戦の問題があるからです。

 どうすればいいのか?「正解」は分かりませんが、少なくとも、フィクションとノンフィクションの違いを意識し、事実(史実)を探求する努力をする必要があるのではないでしょうか。

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「海底パイプライン爆破」の真相はなぜ隠されるのか

2023年09月29日 | 国家と戦争
   

 ロシアからドイツに天然ガスを送る海底パイプライン「ノルドストリーム1・2」の爆破(2022年9月26日)から1年。誰が(どの国が)何の目的で行ったのか、改めて注目されています。

 NHK「国際報道2023」(26日放送)によれば、ドイツ・シュピーゲル誌はこの問題でドイツ公共放送ZDFと共同取材し、8月下旬に特集記事を掲載しました。

 特集記事によれば、ドイツ捜査当局はことし1月、爆破犯人グループが使ったとされるヨットをドイツ北部の港で発見(写真左)。「当局はウクライナ特殊部隊が関与した疑いがあり、ロシア側の資金源を断つことが動機だったと見ている」と報じました。

 同誌のマーティン・クノベ記者は、「ロシアによる(ウクライナの仕業にみせかけた)いわゆる「偽旗作戦」も除外されてはいない。だが、現時点では大半の証拠はウクライナの犯行であることを示している」と述べています(写真中)。

 ところが不可思議なのは、ドイツ政府の態度です。政府報道官は、「誰がやったかをめぐる報道にはコメントしない」として口をつぐんでいるのです(写真右)。

 こうしたドイツ政府の対応についてはドイツ国内の専門家からも批判が出ています。
 ドイツ国際安全保障研究所のゲラン・スイステク氏はこう指摘します。

「もしウクライナがドイツのインフラに危害を加えることがあるとすれば、ドイツはいつまでウクライナを支援し続けるだろうか。多くの人(ドイツ国民)は支援できないと言うだろう。その圧力を受けて現在の政治的な意思決定プロセスも変わるかもしれない」
「アメリカやイギリスが黒幕だという説も聞いたことがある。そのような憶測をやめさせ、この問題をこれ以上政治的に利用させないためにも、捜査チームは最新の情報を提供するべきだ」(以上、NHK「国際報道2023」より)

 「ノルドストリーム爆破」については、ピューリッツア賞を受賞したジャーナリスト・シーモア・ハーシュ氏が、「米海軍の潜水士がパイプラインに遠隔で起動できる爆弾を仕掛けた」と調査報道しました(23年2月8日)。

 米紙ワシントン・ポストも「バイデン政権がウクライナ軍による攻撃計画の情報を事前に把握していた」と報じました(23年6月6日)。

 今回の、独シュピーゲル誌と独公共放送ZDFとの共同取材(独政府の捜査)は、それらに加え、「ウクライナの犯行」を裏付けるものです。

 ところがドイツ政府は自らの捜査にもかかわらず真相を明らかにしようとしていません。それは「ウクライナの犯行」だと分かればウクライナへの軍事支援が困難になるからだ、というスイステク氏の指摘は妥当でしょう。

 ドイツ政府だけではありません。
 ハーシュ氏やワシントン・ポスト紙の報道にもかかわらず、米バイデン政権もこの問題には一貫して口をつぐんだままです。

 NHKはじめ日本のメディアが独自に真相に迫ろうとしてはいないことは言うまでもありません。

 そして、ウクライナ政府は今も関与を否定し続けています。

 これが「ウクライナ戦争」「ウクライナ軍事支援」をめぐる米欧諸国とメディアの実態です。
 真実を政治的思惑で隠ぺいすることは絶対に許されません。

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汚染水放出を「外交(中国)問題」にすり替える常套手段

2023年09月28日 | 原発・放射能と政治・社会
   

 高市早苗科学技術担当相は25日のIAEA(国際原子力機関)の総会で、「IAEAに加盟しながら事実に基づかない発信や突出した輸入規制をとっているのは中国のみだ」と述べ、福島原発事故汚染水の海洋放出に反対している中国を非難しました(写真左)。

 岸田政権と東電が汚染水海洋放出を強行して24日で1カ月。政府、東電は今月末にも2回目の放出を強行しようとしています。

 この1カ月の特徴は、海洋放出自体の是非についての議論は棚上げし、「反対しているのは中国だけ」としてこれを「外交問題」=「中国問題」にすり替え、肝心の海洋放出は既定事実として強行しようとしていることです。高市氏の発言はその典型です。

 この構図には既視感があるのではないでしょうか。

 そうです、政治家の靖国神社公式参拝問題です。「8・15」や春・秋の例大祭のたびに繰り返される閣僚や国会議員の靖国への参拝や「玉ぐし料」「真榊」の奉納。A級戦犯も合祀している靖国神社への公式参拝は、日本の侵略戦争・植民地支配の責任を否定するもので、絶対に許されることではありません。

 これに反対するのは、日本人の責任です。「靖国公式参拝問題」は日本人の、日本の国内問題です。それを「中国が反対する」という「外交(中国)問題」にしてきた(している)のが自民党政権であり日本のメディアです。 

 汚染水放出問題はこれとまったく同じ構図です。これは自民党政権の常套手段です。
 この常套手段には二重の危険性があります。

 第1に、日常的に醸成されている中国に対するマイナスイメージ=「嫌中感情」を土台に、「反対するのは中国だけだ」と喧伝することによって、汚染水海洋放出や靖国公式参拝に反対しづらい空気がつくられることです。「汚染水」という言葉を使うことすらタブーとされてきています。

 第2に、実際は国内問題、日本人自身の問題であるにもかかわらず、「外交(中国)問題」だとすることによって、日本人が主体的に問題を考える(賛成にせよ反対にせよ)ことを阻害していることです。
 これは主権者である日本の市民が国政の重大問題(汚染水問題、靖国問題)を自分事として考えることを妨害する国家権力の巧妙な統治手法です。

 汚染水海洋放出問題で今必要なことは、海洋放出以外の方法の検討です。

 原子力工学の専門家・今中哲二氏(京都大複合原子力科学研究所研究員)はこう主張しています。

「海洋放出の話が出た当初から私は…放射性廃水は大きなタンクで貯留するか固定化するかして、東電の責任で長期保管すべきだと言ってきた。…第1原発敷地内でもタンクの増設はまだまだ可能だ。政府・東電がやるべきことは、まずは海洋放出を中止して関係者の意見を聞き、同時に根本的な地下水流入防止対策を進めることだ」(8月24日付沖縄タイムス=共同)

 「中国だけが反対」(高市氏)といって国内問題を外交(中国)問題にすり替えることによって、今中氏が主張するような代替案の議論は封殺され、日本人の主権者としての自覚・責任感が奪われていることを銘記する必要があります。

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ウクライナの兵器産業誘致は何を意味するか

2023年09月27日 | 国家と戦争
  
 

 ウクライナのゼレンスキー大統領は訪米を終えた24日に公開したビデオ演説で、「米国は、武器と防衛システムを(ウクライナと)共同で生産するという歴史的な決定をした」「最近まで完全に空想のようなものだったが、現実になる」「これがウクライナの防衛産業の新たな質となり、はるかに強力なものとなる」と述べました(写真中)。

 「武器の共同生産」をめぐっては、ウクライナはすでにスウェーデンとの協力を始めています。同国のクリステション首相は8月19日、ゼレンスキー氏との会談後の記者会見で、「歩兵戦闘車CV90の共同開発、訓練、整備への協力に関して、数分前に署名をした」と表明しました(以上は25日付朝日新聞デジタルより)。

 25日のNHK「国際報道2023」によれば、ゼレンスキー氏の今回の訪米には戦略産業相が同行し、米政府との間で米兵器産業誘致の協定を結びました(写真右)。

 戦略産業相は、「ウクライナの経済復興とアメリカ企業の好機として注目してほしいのが防衛産業だ」「ジャベリンやハイマースなど様々な兵器が(支援として)ウクライナに来ているが、ウクライナで製造することが米企業にとっても賢明な動きのはずだ」と述べています。

 ウクライナ政府は近く欧米はじめ各国の兵器産業を集めて「防衛産業フォーラム」を開催する計画です。それには「26カ国から165社が参加する」(クレバ外相)といわれています。

 以上の報道が示すように、ウクライナ政府はゼレンスキー氏を先頭に米欧兵器産業の誘致に奔走しています。これは何を意味しているでしょうか。

 ゼレンスキー氏はロシアへの「徹底抗戦」として一貫して米欧(NATO)諸国に武器供与を要求してきました。しかし今後は、米欧の兵器産業を誘致して兵器を自国内で生産し、それを「経済復興」の柱にしようというのです。

 しかも、戦略産業相が述べているように、それは「米企業にとっても賢明」だとして、米兵器産業と共同歩調をとろうとしています。

 米バイデン政権のウクライナへの膨大な軍事支援によって米兵器産業がぼろ儲けしていることは周知の事実です。バイデン政権がウクライナ戦争の即時停戦に消極的なのは兵器産業の意向と無関係ではないでしょう。

 ウクライナ政府がその米兵器産業と共同歩調をとろうとしていることは重大です。それは、ゼレンスキー氏がブラジルなどグローバル・サウス諸国の停戦・和平案に消極的なこととはたして無関係でしょうか。

 ウクライナが米兵器産業の拠点になることが「経済復興」といえるでしょうか。それはウクライナ市民の平和への願いに真っ向から反することではないでしょうか。

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手話と皇族―メディアが触れない歴史

2023年09月26日 | 天皇制と政治・社会
   

 聴覚障がい者を描いたテレビドラマが盛んです。民放の「silent」が評判になりましたが、目立つのはNHKです。BSで好評だった「しずかちゃんとパパ」(吉岡里帆主演、写真左)の地上波放送が先日終了しました。冬には「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」(草彅剛主演)が始まります。
 ドラマが聴覚障がい者への理解を深める契機になればいいことです。「しずかちゃん―」は秀作で感動しました。

 しかし、ブームともいえるこの傾向を、手放しで歓迎することができません。2つ気になることがあります。

 1つは、日本の手話の重要な歴史が捨象されていることです。それは、国家が国民を戦争へ動員するため「国語」の普及が図られ、「国語」ではない手話が禁止された歴史です。

 日本に最初のろう学校(京都)ができたのは1878年。以来、全国のろう学校で手話による職業教育が行われてきました。しかし1933年(「満州事変」の2年後)、文部大臣は手話を禁じ、「口話」を教えるよう指示しました。

 全日本ろうあ連盟の久松三二(みつじ)事務局長は、「当時は手話を使うと手をたたかれる体罰もあった。手話は、ろうの親子や子どもたちの間でひっそりと受け継がれていった」と振り返ります。そしてこう指摘します。

日本語を「国語」と呼ぶことで、多言語、多文化、多民族への理解に壁をつくってしまった。日本では欧米と比べても「国語」以外の言語へのアレルギーが強く、アイヌや琉球の言葉が保護されてこなかったように、手話も長らく言語だと思われてこなかった

 ろう者が手話を公に取り戻したのは90年代になってからです。(以上の歴史は2021年10月31日付朝日新聞デジタルより)

 「しずかちゃん―」の中でも、「パパ」が小さいころ「手話が禁止されていた」という回想場面がありました(総合8月22日放送)。しかし、それが国家権力による戦争遂行政策の一環であったことは触れられませんでした。

 もう1つの問題は、聴覚障がい者ドラマのブームが、皇族がさかんに手話を使い、そのニュースが頻繁に流されている中で起こっていることです。

 秋篠宮の次女・佳子氏が聴覚障がい者のイベントに出席して手話であいさつする場面は頻繁に報道されています(写真中)。佳子氏だけでなく、母親の紀子氏も先日のベトナム訪問の中、障がい者施設で手話を使っている様子が紹介されました(写真右)。

 彼女らは“個人的”な関心・善意で行っているつもりかもしれませんが、それはれっきとした皇族としての公的活動です。それをNHKはじめメディアに報道させているのは政府・宮内庁です。

 皇族が障がい者に寄り添っている姿を強調し報道させることは、天皇制維持・強化の常套手段です。典型的な例として想起されるのは、大正天皇(嘉仁)の妻・貞明皇后(節子=さだこ、裕仁の母)がハンセン病対策の象徴とされた(されている)ことです(2022年7月8日のブログ参照)。

 たんに皇族のイメージアップを図るだけではありません。前述の手話禁止は天皇制政府による侵略戦争遂行策の一環として行われたものであり、その最大の責任者が佳子氏の曽祖父・裕仁であったことは言うまでもありません。

 曾祖父による手話禁止を、ひ孫が払拭しようとし、メディアがそれに手を貸している、とさえ思える状況です。しかし、裕仁の戦争責任、天皇制政府による手話禁止・弾圧の歴史を消し去ることはできません。


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「盗骨の京大」にみる日本の大学の危機

2023年09月25日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 94年前の1929年、京都帝国大学(現京都大学)医学部の金関丈夫助教授、三宅宗悦講師が「研究のため」と称して、約150柱の琉球人の遺骨を、「百按司(むむじゃな)墓」(今帰仁村、写真中)から持ち去りました。盗骨です。今でも京大はそのうち26柱を所持しています。

 遺族と支援者らが京大に何度も返還を要求しましたが、京大はまともに面会もせず、拒絶してきました。やむなく遺族らは遺骨返還を求めて京都地裁に提訴(2018年12月4日)しました(2019年3月23日のブログ参照)。

 1審京都地裁判決は、原告の訴えを棄却(22年4月21日)。原告は直ちに控訴。その控訴審判決が、22日大阪高裁でありました。

 判決は、原告らを「沖縄地方の先住民族である琉球民族」と認定し、「付言」で「持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべき」と指摘するなど、画期的な内容を含んでいます。

 しかし、基本的に1審判決を支持し、原告の控訴を棄却しました。京大は「主張が認められたものと理解している」とのコメントを出しました。

 この問題でもっとも問われなければならないのは、持ち出しから今日に至るまでの京大の理不尽で不誠実な言動です。

「この訴訟の最大の問題点であり、不可解としか言いようがないのは、京大がなぜ遺骨を返還しないのか、という点だ。…京大当局の原告らに対する対応はあまりにもつっけんどんである。…問われているのは数多くの人骨を保管する京大の今後の対応だ」(23日付沖縄タイムス社説)

 京大は原告側と真摯に向き合い、直ちに遺骨を返還しなければなりません。

 さらに深刻なのは、京大の反民主性は遺骨返還問題だけではないことです。

 朝日新聞デジタルは最近、「京大のゆくえ」と題した連載をおこないました。その中で、京大教職員組合中央執行委員の駒込武教授がこう述べています。

「(かつては)自由の体現が京大の特徴だったと思います。…しかし、現実には色々と不自由が増えて、パブリックな空間が狭まっています。その象徴がタテカン(立て看板)の撤去です」(17日付朝日新聞デジタル)(写真右は現在かろうじて残っている吉田寮前のタテカン)

 京都大学新聞を発行している現役学生の1人(20)からも次のような声が上がっています。

「トップダウン型で決めるばかりではなく、もう少し末端の学生や一般の教員の意見を聞くなど、ボトムアップの取り組みをしてもらいたい」(同)

 これはほんの一端です。そして、こうした民主主義への逆行は京大だけではありません。
 とりわけ国立大が指定法人化されて(京大は2004年)以降、そして大学を軍事研究の場にする政府の戦略が強まってから、国家による大学の統制と大学側の自己崩壊が進んでいます。

 これは現在日本と世界が直面している課題にとっても、さらに今後の日本社会にとってもきわめて由々しい問題です。遺骨返還をめぐる京大の理不尽な対応も、こうした流れと無関係ではありません。

 前掲・駒込教授は、「大学はどうあるべきか。学生のみならず市民とも一緒に考えていく場を持ちたい」と述べています。ぜひ実現する必要があります。
 京大に限らず、日本の大学はどうあるべきか、どうすべきか。すべての市民が考えるべき喫緊の重要課題です。

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日曜日記268・「SEALDsの挫折」を招いたものは?

2023年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム
  「若者たちはどのようにして政治に参加するのか―2015年安保、SEALDsが示したもの―」と題したシンポジウムが23日、京都市内であった。

 パネラーは、小峰ひずみ氏(ライター・れいわ新選組公認豊中市議事務局)、塩野谷恭輔氏(雑誌「情況」編集長)。一般参加していた白井聡氏(京都精華大准教授)が途中から加わった。

 小峰、塩野谷両氏の主張には大きな違和感があったが、ここでは触れない。ただ、シンポの副題にもなっている「SEALDs」については書かざるをえない。

 ちょうど8年前の2015年9月19日未明、安倍晋三政権は戦争法制(安保法制)を強行採決し成立させた。その反対運動の中心となった若者たちのグループがSEALDsだ(写真。2016年8月15日解散)。

 小峰、塩野谷両氏ともSEALDsに批判的だ。それは両氏の政治思想によるものだが、気になったのは、両氏の話から、SEALDsの元メンバーの多くが挫折感に陥っているらしいことだ。

 そういえば、雑誌「世界」の最新号(10月号)にSEALDsに関する論稿があったのを思い出した。読んでいなかったので帰って読んだ。SEALDsの集会にも参加したことがある同世代の大瀧哲彰氏(朝日新聞記者)の「SEALDs、それから」だ。

 大瀧氏は小峰、塩野谷両氏のように批判的には捉えていない。「あの時に彼ら彼女らがまいた種は、形を変えて育っている」という言葉で結んでいる。

 しかしその大瀧氏の論稿でも、「もう疲れました」といって「解散後、市民運動から距離を置いた」女性や、「脱力感と倦怠感が身を包んだ」という男性など、SEALDsのメンバーだったという「過去を隠したい」と言う人が多いとリポートされている。

 大瀧氏によれば、安倍政権の強行採決によって法案が通ってしまったという「敗北感」に加え、ネットによる誹謗中傷、友人らに「過激」と思われたくない、という思いが彼ら彼女らを追いこんでいるという。

 15年当時、私はSEALDsに注目はしていたが、それほど強い関心を持っていたわけではない。ましてこの日のシンポの主催者グループのように、「60年安保、70年安保闘争に匹敵する」などという評価はしていなかったし、今もしていない。だからSEALDsの「それから」にも関心はなかった。

 しかし、この日のシンポと大瀧氏の論稿で、関心が湧いてきた。元メンバーの多くが「挫折感」「脱力感」「倦怠感」に襲われ、市民運動から距離を置いているとすれば、それはいったい誰のせいなのか。何がそうさせたのか。

 戦争法を強行した安倍政権はもちろん元凶だ。ネットの中傷も許せない。しかし、「敵の攻撃」では挫折はしない。主要な責任は別にあると思う。

 それは「民主的」と自認する政治家、政党、学者、文化人、そして市民だ。
 SEALDsの若者たちの熱情を理論的、政策的に確固としたものにすべくアドバイスするのが「民主的学者・識者」の任務だったのではないか。市民(大人)が全国津々浦々で声を上げていれば、若者たちを孤立させ「過激」という中傷におびえることもなかったのではないか。

 「SEALDsの挫折」はこの国の「平和・民主勢力」の非力・衰退の表れに他ならない。もちろん、私もその中の1人だ。

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沖縄の識者が警鐘鳴らす「救世主主義」の危険

2023年09月23日 | 沖縄と差別
   

 9月18日は琉球語の普及を図る「しまくぅばの日」でした。
 沖縄・名桜大学准教授の半嶺まどか氏は、「最近、海外の研究者から琉球の言語について人を紹介してほしいとの問い合わせが多く少し困っている」といいます(22日付沖縄タイムス「思潮」)。なぜか。

「沖縄や琉球を単なる研究の対象として見ており、言葉を話す人を標本のように扱ったり、そのデータをとって何もコミュニティーには還元してくれない」という話を聞くからだといいます。

 半嶺氏は「同時に困っている」ことがあるとして、こう続けます。

「自分がいかによく研究の対象になるコミュニティーのために頑張っているかということを、話されることがある。…マイノリティーである沖縄島を含む琉球列島…この人たちを自分が助けてあげることで、気持ち良くなるために何かをしているというのは、とても問題があると考える」

 半嶺氏によれば、この「(可哀想だから)助けてあげる精神」は、「救世主主義(Saviorism)」といいます。

 半月前の沖縄タイムスに掲載された論稿でも、別の識者が「救世主主義」の危険性を指摘していました。
 知念ウシ氏(むぬかちゃー=ライター)が、映画「島守の塔」で描かれた島田叡(沖縄戦当時の県知事)の美化に警鐘を鳴らした論稿です(「島守の塔」については22年9月3、4日のブログ参照)。

「島田を扱った映画やドキュメンタリーには、米国映画によくある構図、白人の抑圧によって苦しむ集団を白人ヒーローが救う「白人救世主物語」があるとの指摘がある。…(島田を美化する日本人は―私)島田に「日本人」として同一化し、私たちは差別者ではなく救世主なのだ、と喜んでいるように見える」(9月7、14日付沖縄タイムス)

 さらに重要なのは、知念氏が、「救世主主義」は「日本人」の沖縄(琉球)に対する差別を助長するだけでなく、今日の情勢の中できわめて危険な役割を果たすと指摘していることです。

島田を英雄視し、沖縄の救世主扱いすることは、着々と準備されている「南西諸島有事」へ、日本の若者を送ることにつながらないか。琉球の若者は、そのように日本の兵士や官僚を「救世主」として従うように、(島田を美化した教科書で―私)教えられるのか。反発する琉球の若者との間で摩擦が生まれる時、武器を持つ「救世主」たちはどうするか」

 沖縄に対する差別は、ヘイトスピーチなど露骨なものだけではありません。「沖縄を救う」という意識(名目)による「救世主主義」もそれと表裏をなす重大な差別であり、今日の戦争国家化の中でそれはきわめて危険なものとなる。きわめて重要な指摘です。

 さらに銘記する必要があるのは、「救世主主義」は沖縄に対してだけでなく、あらゆるマイノリティーに対して起こり得るということです。

 半嶺氏は前掲論稿で、「立場や状況によっては、誰もが救世主主義的な側面を持ちうることも忘れてはいけない」と強調しています。

 「救世主主義に陥っていないか」―自分自身を、そして日本社会を検証する重要な指標です。


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汚染水放出「ごまかし」と「非科学性」

2023年09月22日 | 原発・放射能と政治・社会
   

 「忘れていませんか福島原発事故のこと~これまでのこと・これからのこと」と題した講演会が16日、京都市の龍谷大学でありました。講師は守田敏也氏(同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、現在フリーライタ、写真中)。

 守田氏は「3・11」以降一貫して東電福島原発事故を追及。現在各地で汚染水放出問題を分かりやすく解明しています。特に「汚染水放出ごまかしのテクニック」が注目されています。その中から5つの「ごまかし」を紹介します。

「ALPS」という呼び名。清らかな「アルプス山脈」をイメージさせる印象操作。多核種除去設備の訳としては無理がある。

最初から62核種を無視し、焦点をトリチウムだけに誘導している。62核種が「基準値以下」で残っていることを明記していない。62核種の残存量を示すべき。

そもそも「規制基準」が「濃度」になっている。これでは薄めればいくらでも排出できる。

実際には7割が基準値以上に残存。それを「処理途上水」などと命名している。

トリチウムは水と同じ成分で安全だというが、実際は身体を通過する過程で被曝によって細胞を傷付ける(内部被曝)

 守田氏はこう強調します。

「一番大事なことは、すでに膨大な放射線によって環境が汚染されたということ。私たちは被曝させられ汚染されている。膨大な健康被害が起きて当たり前。このことに正面から立ち向かうことこそ大事。放射能から命を守ろう」

 科学史家の隠岐さや香氏は、科学の特性に立って、政府の「科学的正しさ」なるものの不確実さを指摘しています。

「科学といってもさまざまな分野があり、時に視点や考え方が異なる。科学は常に更新されるし、しばしば多様な見解を含む。社会的に責任を伴う決定をするためには、科学のそうした特性も考慮に入れ、議論を尽くして納得する考えを導くことが望ましい。

 海洋放出の全体像についてはIAEA(国際原子力機関)が分からない部分もあり、その部分で専門家の見解は分かれている

 私自身も現時点で何が正しいか分からない。唯一確かなのは、識者同士でも見解の食い違いがまだ残るという事実である。

 日本政府にとって本来必要なのは、国内の対立や太平洋地域の分断を助長しないよう動くこと、そして損なわれた信頼の回復への努力ではないか。

 「科学的に正しい」を主張するだけだと、真の解決への道は遠のくばかりである」(15日付沖縄タイムス「論考」=共同、写真右)

 隠岐氏は守田氏のように明確に汚染水放出の危険性を断言する立場ではありませんが、両氏が共通して指摘するのは、岸田政権が繰り返す「科学的正しさ」なるもののいいかげんさです。守田氏は「だまし」だと指弾し、隠岐氏は「むしろ非科学的な考えに近い」と断じています。
 岸田政権・東電による汚染水放出にはまったく道理はなく、絶対に許すことはできません。


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なぜ沖縄に基地が集中するのか―防衛省幹部が吐露した本音

2023年09月21日 | 沖縄と日米安保・自衛隊
   

 沖縄県の玉城デニー知事は19日未明(日本時間)、ジュネーブの国連欧州本部で、「県民投票で沖縄の民意を示したにもかかわらず、政府は新基地建設を強行している」と、辺野古新基地建設を強行する自民党政権を批判しました。

 同じ19日。地方紙各紙の朝刊は共同通信配信記事を1面で報じました(京都新聞は1面トップ)。

弾薬庫4道県に整備 長距離弾も保管 24年度に防衛省

 4道県にある陸上自衛隊基地9カ所に弾薬庫を新たに増設することを決めたというニュースです。「反撃能力(敵基地攻撃能力)にも使う長距離ミサイルなどの保管先を増やし、戦闘継続能力(継戦能力)を強化する狙い」(同共同配信記事)です。有事(戦争)になれば真っ先に反撃される可能性が高くなります。

 その4道県とは、北海道、宮崎、鹿児島、沖縄(沖縄市)。いずれも首都圏から遠い自治体です。

 沖縄は2019年に宮古島の陸自駐屯地で、住民をだまし討ちにして迫撃砲弾などを保管する弾薬庫を造り大きな問題になりました。そして、宮古、石垣、与那国などで自衛隊のミサイル基地化が進んでいる中、本島の沖縄市にも長距離ミサイルを置こうというのです。沖縄市には5棟の弾薬庫が計画されています。

 玉城氏の訴えをあざ笑うかのように、時を同じくして報道された沖縄のさらなる軍事基地化(写真左・中)。なぜ沖縄にこれほど軍事基地を集中させるのか。政府は「安全保障上の重要性」といいますが、それだけではありません。

 19日付の共同配信記事には、今回の決定の背景が報じられています。そこには次のような記述があります。

「防衛省は23~27年度の5年間で約70棟、32年度までにさらに約60棟(弾薬庫)を整備する方針。…26年度ごろには全国で工事が加速する見通しで、防衛省幹部はまずは反発が少ないところから整備を進める」と明かす

 「まずは反発が少ないところから」。「反発が少ない」とはどういうことでしょう。沖縄県民が軍事基地強化に強く反対しているのは周知の事実です。「反発が少ない」のは地元のことではありません。「本土」の日本国民のことです。防衛省幹部は、沖縄(や北海道、鹿児島)なら日本国民の反発は少ない、だからまずそこから突破口を開く、と言っているのです。

 ここには、沖縄に軍事基地が集中している理由が端的に示されています。沖縄なら日本国民の反発は少ないという計算があります。
 それはたんに首都圏から遠いからではありません。根底には沖縄(琉球)に対する日本(ヤマト)の根深い(無意識にせよ)差別があります。

 政府(国家権力)はその沖縄差別を利用・助長して沖縄を前線基地にし、日米軍事同盟を深化させ、日本全体を戦争国家にしようとしているのです。
 私たち「本土」の人間はそのことを肝に銘じて沖縄の軍事基地・ミサイル基地化に反対し、日本の戦争国家化を阻止しなければなりません。


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