アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

京大と「731部隊」「盗骨」そして「学知の植民地主義」

2023年11月30日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任
   

 京都大学の学園祭(11月祭、22~25日)で、「731部隊と京大」と題したパネル展企画がありました(企画・社会科学研究会ピース・ナビ)。
 関東軍の防疫給水本部として中国人、朝鮮人らを人体実験で虐殺し、細菌兵器などを研究開発した731部隊。統括していた石井四郎は京都帝国大学(現京大)医学部出身です。

 「戦前と戦中の京大医学部」のタイトルのパネルが目を引きました。滝川事件(1933年)で政府の側に立って滝川幸辰教授の追放を主張した戸田三郎医学部長は、文部省の科研費を審査する委員に就任し、京大への資金助成に便宜を図りました。同時に文部省から京大医学部に対し、悪性腫瘍、癩、航空医学、体力医学、放射線、薬毒物に関する軍事研究を進めるよう要請がありました。京大(医学部)と政府・軍部の癒着は石井四郎だけではなかったのです。

 パネルの前には11月23日に提出されたばかりの湊長博京大総長宛ての「要望書」が置いてありました。京大や同志社大の教授らの連名による「琉球民族遺骨返還訴訟の判決を受けての要請書」です。

 1929年、京大医学部の金関丈夫助教授、三宅宗悦講師が「研究のため」と称して、琉球人の遺骨を持ち去った「盗骨事件」に対し、大阪高裁が「持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべき」と指摘した画期的判決(9月22日)。その後も京大は遺骨を返還しないばかりか、原告の遺族らと面会さえしようとしていません(9月25日のブログ参照)。

 「要望書」はこう指摘しています(抜粋、改行は私)。

「京都大学は判決のことばを重く受け止めてください。まず、最低でもこの訴訟の原告らと、判決を踏まえてあらためて直接協議の場を設け、遺骨の「ふるさとで静かに眠る権利」(高裁判決)を実現する方策を探るべきです。

 それだけではありません。過去の<学知の植民地主義>の産物である遺骨収集について、自ら率先して洗い出し、その全貌を明らかにし、謝罪と原状回復のために尽力すべきです。

 京都大学はこれ以外にもさまざまな問題を抱えています。過去の<学知の植民地主義>のうえにいつまでも居座りつづけるのか、それとも、たいへん遅ればせながらも、そこからしっかり決別して新たな学知の道を歩もうとするのか、その岐路に立たされているのです」

 「要望書」を提出した1人、同志社大の板垣竜太教授は先に琉球新報に掲載された論稿でこう述べていました。

「近代日本の植民地主義は、数多くの禍根を各地に残した。そのほとんどのものは、残念ながら、もはや取り返しがつかない。しかし、遺骨問題は、そうした植民地主義がもたらした諸問題のなかでも、原状回復に近いことが可能だという希有な事例である。学問の遅ればせの脱植民地化のためにも、京都大学は自ら率先して真相究明をおこない、真摯な謝罪とともに原状回復に尽力し、他の研究機関に対して範を示すべきである」(10月7日付琉球新報)

 「731部隊」の亡霊は今も消えていません。国家権力が誘導する軍事研究と決別し、学問・研究の自由を守ることができるのか。「学知の植民地主義」から脱却することができるのか。岐路に立っているのは京都大学だけではありません。

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問題多い琉球新報の「沖縄と天皇」記事

2023年11月29日 | 沖縄と天皇
   

 琉球新報は27日付2面トップの大型コラムで、「沖縄と天皇」と題し、ケネス・ルオフ米ポートランド州立大教授(日本近現代史)へのインタビューをもとにした記事を掲載しました。その内容はきわめて問題の多いものです。主な問題点を挙げます。

①天皇裕仁(昭和天皇)の戦争責任

 ルオフ氏は沖縄には「昭和天皇に戦争責任があると言う人が特に多い」とし、「もっと早く戦争を終わらせることができたら被害を減らすことができたという考え方からだろう」と述べています。

 裕仁が戦争を早く終わらせようとしたけれどできなかったかのように読めますが、大変な誤りです。自身の護身と天皇制(国体)護持のために戦争を長引かせ、沖縄(琉球)を「捨て石」にしたのは裕仁自身です。「近衛上奏」(1945年2月14日)の拒絶1つとっても明白です。そもそもアジア・太平洋戦争の「開戦詔書」を書いたのは裕仁であり、その責任から問わなければなりません。

②「天皇メッセージ」

 裕仁がアメリカに琉球諸島の軍事占領を長期に続けるよう望んでいると表明した「天皇メッセージ」(1947年9月20日)。ルオフ氏は「恐らく昭和天皇は…日本の潜在主権を守ろうとしたのだろう」と述べています。

 たしかに表面的にはそういう側面もあります。しかし、「メッセージ」の本質は、「昭和天皇にあっては、沖縄の主権の問題や「沖縄の安全」よりも、日本本土の防衛に主眼があったと見るべきで…沖縄を「日本の保護」の手段とみなす昭和天皇の基本的な考え方」(豊下楢彦著『昭和天皇の戦後日本』岩波書店2015年)の表明、それが「天皇メッセージ」です。

③「男系天皇」

 天皇制の「男系男子の万世一系」についてルオフ氏は、「男女平等が世界標準になった今、男系天皇を守ることは世界的に日本のイメージを悪くする。もし男系天皇を守るとしたら、国際社会にどう説明するか」と指摘しています。

 天皇制が男女平等に反している「世界標準」以下の制度であるという指摘は正当です。しかし、それは「日本のイメージを悪くする」から問題なのではなく、女性差別が基本的人権の重大な侵害だから容認できないのです。天皇制は人権侵害の制度であると指摘しなければなりません。

④現上皇明仁が果たし、徳仁天皇が引き継ごうとしている役割

 最も問題なのがこの点です。ルオフ氏はこう言います。「沖縄は本土から離れていて日本の共同体の一員との意識が希薄な面もある。上皇さまは沖縄と本土の距離が離れないように国を統合する役割を努めていた。天皇陛下も上皇さまから沖縄のことをいろいろ学んでいるはずだ」

 まさに「本土」の国家権力側からの見方です。これを沖縄・琉球民族の側から言えばこうなるでしょう。明仁は天皇時代、父親である裕仁の戦争・戦後責任を隠蔽するのに腐心した。とりわけ批判の強い沖縄で「天皇制反対、琉球民族独立」の声が高まらないように、何度も沖縄に足を運び、琉球は日本だ、琉球人は「日本国民」だという意識を植え付けるよう努めた。息子の徳仁にもそれを引き継がせた―。

 沖縄のメディアであれば、どちらの立場に立つべきか明りょうでしょう。しかし琉球新報は、上記のように問題の多いルオフ氏のインタビューを無批判に掲載しました。そればかりか、記者の地の文で「上皇さま」など絶対敬語を多用し、「ご夫妻は沖縄戦の遺族と交流し、心を寄せ続けた」などと明仁夫妻を賛美しています。

 こうした天皇(制)への拝跪は、もちろん琉球新報だけではありません。日本のメディア全体の宿痾です。が、とりわけ琉球新報、沖縄タイムスには、明治以降の天皇制の歴史に立脚した記事・論評を望みます。

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沖縄平和集会の3日後、副知事・立憲代議士が陸自式典で祝辞

2023年11月28日 | 沖縄・米軍・自衛隊
    

 陸上自衛隊第15旅団の「創隊13周年」と那覇駐屯地「創立51周年」の記念式典が26日、同駐屯地でありました(写真中=27日付沖縄タイムス)。これになんと、玉城デニー県政の池田竹州副知事と立憲民主党の屋良朝博衆院議員が出席して祝辞を述べたのです。

「池田竹州副知事は来賓あいさつで登壇。自衛隊が担う防衛や緊急患者の輸送、災害援助、不発弾処理などの活動に対し「県民の生命財産を守るために多大な貢献をいただいている」と謝意を示した。…「県民の理解と信頼の下、責任を全うされることを願う」と述べた。衆院議員の西銘恒三郎氏と屋良朝博氏も来賓あいさつした」(27日付沖縄タイムス)

 この日、市民団体の有志らが、「陸上自衛隊の記念行事に合わせ、米軍と自衛隊の沖縄からの撤退を訴える抗議行動を陸自駐屯地前で実施」(27日付琉球新報)しました。「参加した與那嶺貞子さんは、23日の県民平和大集会開催など有事への懸念が高まる中の記念行事開催について「沖縄の民意、感情を逆なでする行為だ」と批判した」(同、写真右)

 23日の県民平和大集会(写真左)では、「与那国、石垣、宮古の島々に限らず沖縄島や奄美、馬毛島に至るまで自衛隊基地が相次いで建設されミサイルや弾薬が持ち込まれています。…自衛隊や米軍の車両が白昼市街地を走り回り制服姿の自衛隊員が隊列をなして行軍するようになっており…かつてない軍事的緊張が島々を覆っています。…このままでは本当に戦争が起きかねません」と、自衛隊基地の危険性を強調した「宣言」を採択したばかりです。

 玉城知事や立憲民主党の代表もこの平和集会に参加していました。陸自が記念式典を行ったことはもちろんですが、池田副知事と屋良議員がこれに出席し祝辞を述べたことも「沖縄の民意、感情を逆なでする行為」に他なりません。

 池田氏は自衛隊に対し「多大な貢献」だと謝意を示し、「責任を全うされることを願う」とまで言いました。祝辞の内容は当然玉城知事が承認したもの、あるいは玉城氏の指示によるものでしょう。

 屋良氏は4年前(当時、国民民主党の衆院議員)にも第15旅団の式典に招かれ、陸自に「敬意」を表しています(2019年11月30日のブログ参照)。こういう人物が沖縄立憲民主の中心人物なのです。

 玉城氏はそもそも自衛隊の強い支持者です。知事選に出馬する直前まで沖縄防衛協会の顧問を務めていました。
 玉城氏は23日の集会後、記者団から「自衛隊を認める自身の立場と、自衛隊の配備や増強を否定する集会の趣旨との整合性」(24日付沖縄タイムス)を問われました。玉城氏は「ギャップは感じていない」(同)と答え、自衛隊支持の立場に固執しました。

 問題は、23日の平和集会でも大きな役割を果たした「オール沖縄会議」が玉城氏を知事に押し上げ、玉城県政を支持していることです。

 「オール沖縄会議」に参加している市民・団体・政党は、今回の玉城県政(副知事)の陸自式典出席・祝辞をどう捉えているのでしょうか。
 もしこれを黙認するなら、「オール沖縄会議」も23日の「集会宣言」に背信し、「沖縄の民意、感情を逆なでする」ことになるのではないでしょうか。



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日韓関係の「改善・正常化」とは何なのか

2023年11月27日 | 日米軍事同盟と朝鮮・韓国
   

 韓国高裁が日本政府に戦時性奴隷(「慰安婦」)被害者への慰謝料支払いを命じる判決を下した(23日)ことについて、毎日新聞は25日、「慰安婦判決と日韓関係 対立の再燃招かぬ知恵を」と題した社説を掲載しました。

 この中で、「主権免除」を退けた判決を「無理がある」と批判するとともに、「両国関係は「国交正常化以降で最悪」と評されるまでに悪化していた。流れを変えたのは、尹錫悦政権が今年3月に徴用工問題の解決策を提示したことだ」「対立の時代に逆戻りすることのないよう、日韓両国は信頼構築の努力を続けなければならない」と書いています。

 共同通信も24日の配信記事で、「尹錫悦政権下で日韓関係が改善する中、両国間にしこりを残す可能性がある」と高裁判決を批判しました。

 日本メディアの主張はほぼ共通しています。①性奴隷(「慰安婦」)や強制連行・労働(「徴用工」)に対する補償問題は日韓請求権協定(1965年)で解決済み②さらに性奴隷問題は日韓合意(2015年)で決着済み③その見直しを図った文在寅前政権が両国関係を悪化させた④尹錫悦政権で関係は改善され正常化へ向かっている―。政府の言い分と歩調が合っています(写真右は「慰安婦合意」を強行した安倍晋三首相と朴槿恵大統領=当時)。

 一方、韓国のハンギョレ新聞(日本語電子版)は24日の社説でこう書いています(太字、改行は私)。

「韓国司法府は、日本企業を相手取った強制動員訴訟では2018年に、最高裁(大法院)全員合議体判決で損害賠償責任を認めている。今回「慰安婦」訴訟でも一貫した司法府の見解が確立されたわけだ。
 しかし、尹錫悦政権は対日低姿勢外交を展開する中で、司法府の判断まで歪曲し「歴史問題の封印」に躍起になり、強制動員関連の最高裁判決にもかかわらず「第三者弁済」という譲歩案を貫こうとしている。法治国家なら、政府は司法府の判断を尊重しなければならない。判決の趣旨に合わせて、歴史的正義の実現と国民の被害回復に努めなければならない日本政府も、韓国政府の一方的な譲歩に喜ぶだけではなく、歴史問題の解決に向けた真摯な努力を示さなければならない」(写真左は勝訴した李容沫さん=ハンギョレ新聞より)

 韓国司法判断の評価はこれまで繰り返し書いてきたのでここでは述べません。百歩譲って、それに異議があるとしても(「主権免除」の解釈等)、上記ハンギョレ新聞の太字の部分に反論することはできないのではないでしょうか。

 尹錫悦政権が「司法府の判断まで歪曲し「歴史問題の封印」に躍起」になり「歴史的正義の実現と国民の被害回復」に背を向けていることは客観的事実です。日本政府がそれを喜んでいるのも事実です。

 日本のメディアはそれを「日韓関係の改善」「正常化」と評しているのです。

 尹政権の「一方的な譲歩」は、東電福島原発の汚染水海洋放出でも顕著です。それに対しても韓国では市民の批判が広がっています。

 尹政権の対日「譲歩」の背景・根源に、韓米軍事同盟と日米軍事同盟(安保条約)の結合を図るアメリカの戦略があることは明白です。

 こうした日韓両国政府の動向のどこが「改善」「正常化」なのでしょうか。

「歴史問題の解決に向けた真摯な努力を示さなければならない」のは「日本政府」だけではありません。「日本のメディア」そして「日本の市民」も同じです。その努力の先にこそ本当の「正常化」があるのではないでしょうか。



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日曜日記277・再び「岡正治性暴力問題」を考える

2023年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
  特定非営利活動法人「岡まさはる記念長崎平和資料館」の総会が19日あった。賛助会員としてオンラインで参加した。中心議題はもちろん、故・岡正治氏(牧師・元長崎市議)の性暴力(10月11日のブログ参照)の捉え方と事後処理だ。

 資料館の名称を「長崎人権平和資料館」と変え、来年4月1日に再出発(現在休館中)することを決め、記者発表した。総会は非公開で行われたので内容には触れないが、議論の焦点になった1つの問題について、改めて考えてみたい。

 それは、「性暴力と、故人の生前の業績は別」という捉え方についてだ。

 生前の岡氏と親しい人ほど、彼の生前の「平和・人権活動」を知る人ほど、こうした捉え方が強い。そこには氏と一面識もない私には分からない“絆”があるように感じる。

 しかし、その捉え方は誤りだ。なぜなら、性暴力・セクハラは最大級の人権侵害だからだ。しかも岡氏はほかにも類似の行為が明らかになっている“常習犯”だ。そんな人権侵害を犯しながらの「平和・人権活動」など偽りでしかない。

 ここまでは疑問の余地はない(それでも「業績は別」と固執する人たちはいる)。が、では、性暴力の加害者が直接「平和・人権活動」とは関係ない場合はどうだろう。

 故ジャニー喜多川氏の性暴力事件について、在日コリアンの社会学者・梁聡子氏はこう書いている。

「ジャニーズ性暴力事件の最大の問題は、権力者が権力を行使するための暴力であったということ」(月刊誌「イオ」12月号)

 ジャニー喜多川氏の性暴力は批判する一方、多くのタレントを輩出した「業績」は性暴力とは別に評価すべきだという意見が一部にある。しかし、そうではないのだ、と梁聡子氏の指摘は気づかせてくれる。

 性暴力・セクハラと「権力者の権力行使」は切り離せない。会社の部下に対する上司、記者に対する取材対象(政治家、官僚)、休職者に対する斡旋者、編集者に対する作家、などの性暴力はすべて「権力者の権力行使」と一体不可分だ。それは加害者の地位・業績と切り離せない。

 「性暴力と仕事の業績は別」という考え・感覚を一掃しない限り、この社会から性暴力・セクハラはなくならないだろう。

<今週のことば>

 田口ランディ氏(作家)   ともに生きていられる時間を有効に

「今は色んな人の発言や行動をネットで見ることができる。そういう高度情報社会に私たちはいるんだから、なるべく多くの人の話を聞いて、この人の影響を受けたいと思ったら、話を聞きに行き、ともに生きていられる時間を有効に使いたい。そういうことを、水俣から教わりました」
(23日付朝日新聞デジタル。何度も水俣を訪れ、被害者の杉本栄子さんや緒方正人さんから多くのものを学んだと振り返って)(「ともに生きていられる時間」という言葉がとりわけ胸に響く)


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「戦時性奴隷訴訟」韓国高裁判決はなぜ画期的なのか

2023年11月25日 | 日本軍「慰安婦」・性奴隷・性暴力問題
   

 帝国日本の戦時性奴隷(いわゆる「慰安婦」)の被害者・遺族ら16人が日本政府に謝罪・賠償を求めた訴訟で、ソウル高裁が23日、日本政府に1人当たり2億㌆(約2300万円)の慰謝料支払いを命じました。日本政府は裁判にも出席していないので、判決は確定する見通しです。

 原告被害者でご存命なのは李容沫(イ・ヨンス)さん(95)(写真左=ハンギョレ新聞電子版より)一人になっています。李容沫さんは判決が読み上げられると「車椅子からぱっと立ち上がった。両手を合わせて裁判長に向かってしきりに頭を下げ、涙を流した」(24日付ハンギョレ新聞日本語電子版)。

 この判決は、「歴史的・法的に意味が大きい」(ハンギョレ新聞「社説」)画期的な判決です。何が画期的なのでしょうか。

 最大の争点は、国際法の「主権免除」の解釈でした。「主権免除」とは、主権国家は外国の裁判権に服さないという「法理」です。日本政府はこれを盾に出廷すら拒否してきました。1審判決はそれを認め原告の訴えを却下しました。2審判決はそれを覆したのです。

「高裁は、原告らは誘引や拉致などで動員され、軍人との性行為を強要されたとし、当時の日本が加盟していた国際条約や日本刑法に反する不法行為だと指摘。ある国民が自国内で被った不法行為を巡っては、加害国の主権免除を認めない国際慣習法が存在するとの見解を示した」(24日付共同配信)

 ハンギョレ新聞はもっと具体的に報じています。

「二審は日本政府の行為の違法性も認めた。二審は「日本国の前身である日本帝国も日本国の現行憲法第98条2項に則り、日本国が締結した条約と国際法規を順守する義務がある」とし、「『陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ陸戦条約)』、『婦人及び児童の売買禁止に関する国際条約』、『奴隷条約』、『強制労働に関する条約』などに違反している」と述べた。続けて「日本帝国の公務員が過去に刑法第226条で禁止する『国外移送目的の略取・誘引・売買』行為をおこなっただけでなく、日本帝国政府はこれを積極的に助長したりほう助したりした」と説明した」

 今回の判決の画期的な意味は、戦時性奴隷制度がさまざまな国際条約や国内法に違反する不法(違法)行為、政府の組織的犯罪行為であると断定したことです。それが韓国司法の結論です。

 原告弁護団は、「返還請求権の差し押さえ」ではなく「日本政府の直接の謝罪と責任ある賠償を求める」としています(24日付ハンギョレ新聞)。
 不法行為を犯し刑が確定すれば、償わねばならないのは当然です。日本政府は控訴しない以上直ちに判決に従って謝罪・賠償しなければなりません。

 李容沫さんは2審の結審(2020年11月11日)で証言し、最後にこう述べました。

日本は私たち被害者が生きているときに謝罪・賠償しなければ、永遠に戦犯国家として残るでしょう」(2020年11月12日付ハンギョレ新聞)。

 日本政府に謝罪・賠償させることは、戦犯国家・日本の「国民」である私たちの責任です。

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朝鮮衛星打ち上げ・琉球新報の社説はどこが間違っているか

2023年11月24日 | 日米安保と東アジア
   

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が21日に衛星を打ち上げたことに対し、日本の新聞は23日付の社説で一斉に批判しました。その内容は金太郎飴で、いずれも根本的に誤っています(産経、読売、日経は論評外)。

 ここでは琉球新報の社説を取り上げます。沖縄の県紙として、誤りに気付いてほしいという願いを込めて(沖縄タイムスの23日付社説は別テーマ)。

 新報の社説のタイトルは「北朝鮮衛星通過 緊張と混乱を招く愚行だ」。要すれば論点は次の2点です。

「ミサイル技術を用いた衛星発射は国連安保理決議違反だ」

「東アジアに緊張をもたらし、県民生活に混乱を招く愚行をただちにやめるべきだ」「北朝鮮によって引き起こされる緊張激化は県民生活に悪影響を及ぼしている」

 について。日本政府の言い分そのままで、すべての新聞がまず言及するのはこの「安保理決議違反」です。これには2つ問題があります。
 第1に、安保理の決議は、軍事大国である自分たちのミサイル開発・使用を棚に上げて後発国の手を縛る典型的な二重基準だということです。まず自らのミサイルを放棄すべきです。核兵器と同じ構図です。

 第2に、衛星がミサイル技術を使っているからダメだというなら、原発はどうなのでしょうか。原発の「ウラン濃縮」「プルトニウム抽出」が容易に核兵器に転用できることは常識です。核兵器は制限しても原発は野放し。これも明らかに「大国」の二重基準です。核兵器同様、原発もなくさなければなりません。

 について。「北朝鮮によって引き起こされている緊張激化」というのは事実経過を無視した完全な誤りです。

 当ブログでは折に触れ再三述べてきたように、今日の朝鮮の衛星・ミサイル発射実験は、韓米軍事演習に対する対抗措置です。今ではそれに日本(自衛隊)が公然と加わり、日韓米軍事演習(写真中)に拡大しています。

 そもそも朝鮮が核兵器を開発するのは、アメリカが韓国、日本に核を持ち込み、朝鮮に核の脅しをかけていることへの対抗措置です。もちろんそうした核競争を肯定するのではありません。ここで言いたいのは、原因はどちらにあるのかということです。

 「東アジアに緊張をもたらしている」のは、アメリカであり、そのアメリカに軍事同盟で従属している日本、韓国です。この原因と結果を転倒させることは決定的な誤りです。

 そして、上記の誤りの根源とも言える問題があります。それは、朝鮮とアメリカが戦争中だという事実、すなわち朝鮮戦争(1950年~53年休戦協定)はまだ終結していないという事実・認識が完全に欠落していることです。

 朝鮮戦争は日本の朝鮮半島侵略・植民地化が根源であり、日本の敗戦後、アメリカ・ソ連両大国の分割占領によってもたらされたものです。

 そのアメリカが50年当時から核で脅しをかけ続け、隣接する韓国と軍事演習を繰り返し(朝米会談合意違反)、さらに日本まで公然と加担(参戦)してきた。それが朝鮮の根底にある危機感です。

 朝鮮は朝鮮戦争の終結(平和条約締結)を望んでいます。それに一貫して背を向けているのはアメリカであり、日本です。安倍晋三元首相は「(朝鮮戦争の)平和条約締結に反対」と言明しました。

 以上の琉球新報の欠陥・誤りは、繰り返しますが、日本のメディア全体の欠陥・誤りです。その根底には日本政府の「朝鮮敵視」「朝鮮民族蔑視」の感化があると言って過言ではないでしょう。

 朝鮮と同じく日本の侵略・植民地支配を受けた(受けている)歴史を持つ沖縄。少なくとも琉球新報、沖縄タイムスには、朝鮮戦争の歴史、その意味を踏まえ、それがいまだに終結していないという事実に立脚した論評を望みます。



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「沖縄ヘイト」と「基地の本土引き取り」

2023年11月23日 | 沖縄と日米安保・自衛隊
   

 琉球新報社創刊130年記念フォーラム「沖縄ヘイトにあらがう―私たちに何ができるか」が10日、那覇市内でありました(写真左)。その詳報が22日付の琉球新報に載りました。

 辛淑玉(反ヘイト団体「のりこえネット」共同代表)、斉加尚代(毎日放送ディレクター)両氏の基調講演、知念ウシ氏(むぬかちゃー)、仲村涼子氏(市民団体「ニライ・カナイぬ会」共同代表)、安田浩一氏(ノンフィクションライター)が加わったパネル討論など、各氏の発言はどれもきわめて貴重な指摘でした。
 その中から、仲村氏(写真中)の発言を検討します(以下抜粋。太字は私。写真右は日本が琉球を武力併合したいわゆる「琉球処分」=1879年)。

私は日本人ではないし祖国は日本ではない。祖国は琉球国で琉球民族

 4月に施行された沖縄県の差別のない社会づくり条例には「民族」という言葉がなく、「県民」であることを理由とする差別が明記されている。県民への差別では、抑圧者と被抑圧者、植民と被植民の区別がつかず、日本人からの琉球民族の存在の否定、権利の否定が見えなくなる。移住者の日本人からの差別が入っていない

 私自身、市民運動の中で、反差別をうたうリベラルな(日本人)移住者から、「琉球民族は日本政府が先住民族と認めていないから」と言われたことがある。権力者やマジョリティーが認めないと琉球民族は存在しないということか。

 植民地主義とヘイトとレイシズムは一緒だ。

 琉球が戦場になった後、米軍基地が置かれ「復帰」後は日本の基地も置かれた。日米安保条約であって日米琉安保条約ではない責任は日本にあるだから戦後処理として日米軍の基地全部、やまとんちゅが引き取ってください。わったー(私たち)は関係ない

 (琉球は)独立すべきと思う。独立しないと自己決定権を獲得できない。タブーになっている独立や民族っていうことをカジュアルに議論できる場をつくって、琉球人、やまとんちゅの立ち位置をお互いに意識すべきだ背負ってきた歴史も言語も文化も違うから、アイデンティティーをしっかり持って、やまとんちゅが間違った認識でものを言ったら指摘する。私たち琉球人は当事者として、自分の権利を自分で獲得し、「やまとんちゅは自分の立ち位置で責任を持って」と言える琉球人が増えることが、差別もなくなることかな。>

 仲村氏の言葉は過激に聞こえるかもしれませんが、けっしてそうではありません。主に沖縄の人々(琉球人)に向けて語られていますが、私たちは日本人に向けられた指摘と受け止めるべきです。

 とりわけ、「(沖縄に基地がある元凶は)日米安保条約であって日米琉安保条約ではない。責任は日本にある。日米軍の基地全部、やまとんちゅが引き取ってください。わったー(私たち)は関係ない」という指摘はきわめて重いものがあります。

 「基地引き取り」論については、沖縄に一時移住していた2013年に初めて聞きましたが、賛成できませんでした。問題は「引き取り」ではなく「全面撤去」であり、元凶の日米安保条約の廃棄こそ前面にかかげるべきだと考えたからです。
 その考えは今も基本的に変わりませんが、仲村氏の言葉の意味はあらためて考える必要があると思います。

 明らかなことは、仲村氏の指摘通り、日米安保条約を廃棄する責任は私たち日本人にあるということです。
 そして、日本人が自分の琉球(沖縄)に対する「立ち位置」を自覚することなく、責任を棚上げして、「沖縄ヘイト反対」と叫んでも、それは偽善でしかないということです。

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「皇位継承」のために「憲法の例外」を認めていいのか

2023年11月22日 | 天皇制と憲法
 

 自民党の総裁直属組織「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」(会長・麻生太郎副総裁)が17日初会合を行い、麻生氏は「皇室典範などの法改正の必要を考えなければならない」と述べました(18日付京都新聞=共同配信)。

 政府の有識者会議は2021年12月、①女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保有する②養子縁組によって旧皇族男系男子の皇族復帰を認める―の2案を提示しました。「(自民)党内では男系の皇統維持を目的に、現皇族に養子縁組を認め、旧皇族男系男子の皇籍復帰を可能とする案が有力視されている」(同共同配信)、つまり②案をとろうとしているのです。

 父方の血統が天皇とつながる「男系男子」だけを養子縁組によって皇族に復帰させようするのは、「男系男子」に政治的特権を与えるものであり、明白な憲法違反です。憲法第14条第1項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」と明記しています。

 自民党は「皇位継承確保」のために憲法違反を犯そうとしているのですが、その背景には政府の恣意的な憲法解釈があります。

 自民の懇談会に先立つ15日、衆院内閣委員会でこの問題が議論されました。そこで内閣法制局の木村陽一第1部長はこう答弁しました。

憲法14条の例外として認められた皇族という特殊な地位の取得で、問題は生じないと考えている」(16日付京都新聞=共同配信)

 これが政府の公式見解です。皇族は「憲法の例外」の「特殊な地位」だから憲法違反にはならないというのです。

 皇族を「憲法の例外」としているのはこの問題だけではありません。皇族には「選挙権・被選挙権・参政権」(憲法第15条)がありません。「集会・結社・表現の自由」(第21条)も、「居住・移転・職業選択の自由」(第22条)もありません。

 皇族は憲法が及ばない超法規的存在なのです。それは「象徴天皇制」が憲法(第Ⅰ~8条)によって規定されている制度であることとの大きな矛盾です。日本は「立憲君主制」ですらないのです。

 そもそも「憲法の例外」が社会に存在することが許されるでしょうか。そうした「憲法の例外」が政治・社会の中で大きな位置を占めてから日本では女性差別はじめ様々な差別・人権侵害がなくならないのです。

 メディアは皇族の動向を逐一無批判に報道し天皇制の維持・普及に積極的に手を貸していますが、それは「憲法の例外」すなわち憲法違反の固定化に加担していることだと自覚しなければなりません。

 憲法の民主的原則である基本的人権の尊重が実現する社会を目指すなら、「憲法の例外」たる皇族・天皇制を廃止することは必須の課題です。

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「東大とNATOがシンポ共催」は見過ごせない

2023年11月21日 | 日米安保・軍事同盟と政治・社会
  

 東京大学(先端科学技術研究センター経済安全保障プログラム)とNATO(北大西洋条約機構)が13日、シンポジウムを共催しました(「日・NATOシンポジウム2023」於・東大本郷キャンパス)。これには自民党の衆院議員、外務省の課長も出席しました(写真左=朝日新聞デジタルより)。

「日本の大学がNATOといった軍事機構とともに、一般も参加できる学術イベントを催すのは極めて異例」(18日付朝日新聞デジタル)。「NATOと日本のインド太平洋における役割を議論し、協力・連携を深める必要性で一致した」(同)といいます。

 これは「異例」なだけでなく、極めて危険な動きです。危険性は2つの面であります。

 第1の危険は、NATOの日本進出が「学術」の看板で促進されることです。

 NATOはかねてから日本に事務所を開設することを目論んでいます。岸田政権はもちろん歓迎ですが、フランスが反対しているため足踏みしています。そんなNATOの日本進出の思惑と今回の共同シンポは無関係ではないでしょう。

 NATOは今日の世界の軍事的緊張の発火点です。ロシアによるウクライナ侵攻を招いた主要な原因の1つは、「NATOは1インチも東に拡大しない」(1990年2月9日、米ベーカー国務長官のソ連・ゴルバチョフ書記長への言明)という国際公約を公然と反故にしたNATOの東方進出です。

 その「NATOの東方進出」がアジア・インド太平洋地域にまで伸びようとしているのです。

 第2の危険は、大学の軍事化、国家権力との癒着がいっそう進むことです。

 国家権力とりわけ軍事化している国家が学問・研究を支配下に置こうとするのは支配の常套手段ですが、安倍晋三政権以降、その動きがとりわけ強まっています。安倍政権から菅義偉政権への交代期に強行された日本学術会議任命拒否はその典型です。

 そして岸田政権は今、「一定規模」以上の国立大学に「運営方針会議」なるものを設置し、その委員を文科相の「承認」制にするという国立大学法「改正」案を国会に上程しています。当面、東京大、岐阜大、名古屋大、京都大、大阪大がターゲットです。
 これが強行されれば、「学術会議の任命拒否と同じことになる」(高山佳奈子京大教授・同大職組副委員長、15日の廃案要求「共同声明」発表記者会見)のです。

 そんな中での東大とNATOの共催シンポ。中心になった井形彬・東大特任講師は、「日米同盟や(日米豪印の)クアッドだけでなく、欧州と日本、北大西洋とインド太平洋という二つの地域がどう協力すべきか率直かつハイレベルで議論できた」と“成果”を誇示しています(18日付朝日新聞デジタル)。まさに日米軍事同盟とNATOを結合させる日米両政府の戦略のお先棒を担いでいるのです。

 この重大事態に対し、日本のメディアはあまりにも無力です。今回の東大とNATOの共催シンポをどれほどのメディアが報じたでしょうか。

 大学の危機は、教育・学問・研究の危機、そして未来の社会の危機です。各方面で進行している危険な動きを絶対に阻止しなければなりません。

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