アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

沖縄と佐賀ー眼前の差別に見て見ぬ振りは許されない

2015年10月31日 | 安倍政権と沖縄

    

 沖縄県民の圧倒的な民意を踏みにじり、違法な手段を弄して辺野古埋立本体工事に着手した29日、安倍政権はまさに同じ日に、佐賀空港への米軍オスプレイ移転を取り下げました。
 「政府は佐賀県側に米軍機の訓練移転への懸念が強いことから」(30日付読売新聞)断念したのです。山口祥義佐賀県知事に対し中谷防衛相は、「佐賀県に負担が集中するような利用はまったく考えていない」(30日付琉球新報)とまで言いました。

 片やどんなに県民が反対しようが意に介さず強行する。片や県民の「懸念が強い」から取り下げる。沖縄と佐賀に対する安倍政権のこの態度は、あまりにも露骨なダブルスタンダード(二重基準)であり、沖縄差別以外の何ものでもありません。

 これが差別であることは誰も否定できないはずです。中谷防衛相も29日の記者会見で「ダブルスタンダードじゃないか」との質問に、「一番大事なのは普天間飛行場の危険性除去」などと答えに窮しながら、「全国で引き受けていただけるところがあれば、また協議しお願いしたい」(30日付琉球新報)と言いました。他に引き受けてがないから沖縄に置く。これこそが沖縄差別なのです。

 問題は、安倍政権のこのダブルスタンダード=沖縄差別を本土の私たちがどう受け止めているのかです。

 本土の多くの新聞は30日付の社説で「辺野古本体工事着手」を取り上げ、「埋め立て強行は許されぬ」(朝日新聞)、「民主主義に背く強行だ」(東京新聞)、「『強権』政治の行く先は」(中国新聞)などと政府を批判しました(政権擁護の読売、産経は論評外)。しかし、沖縄と佐賀のダブルスタンダード=沖縄差別に言及した社説はありませんでした。
 テレビ報道でも、私が見た限り、テレビ朝日の山口豊氏が「報道ステーション」(29日)で問題提起しただけです。

 この問題は、「沖縄問題」ではありません。もちろん「佐賀問題」でもありません。「本土の日本人の問題」です。

 そもそも国土面積の0・6%に米軍基地(専用施設)の74%が集中している沖縄の実態は、本土の国民が嫌がる米軍基地を沖縄に集めた、国家権力による沖縄差別・植民地政策の結果です。
 それとまったく同じことが今、佐賀とのダブルスタンダードで露呈したのです。過去のことではなく、リアルタイムで、私たちの眼前で繰り広げられている沖縄差別の実態です。
 
 これに対し、聞かれれば「差別だ」と答えるけれど、とりあえず自分の立場が問われるわけではないから、見て見ぬ振りをしよう。それがメディアを含め、今の本土のおおかたの空気ではないでしょうか。
 
 「なぜ沖縄だけが過重な負担を強いられるのか、日米安全保障条約体制が日本の平和に必要なら、日本国民が等しく基地負担を負うべきではないか。それが沖縄県民の訴えであり、私たちも共感する」と東京新聞は言います(30日付社説)

 私は「日米安全保障条約体制が日本の平和に必要」だとは思いません。それどころか諸悪の根源だと思っています。だから、沖縄の基地負担も、本土の基地負担もなくするために、日米安保=日米軍事同盟廃棄の世論を大きくしていかねばならないと思っています。

 あなたはどうしますか?
 いま、私たちの眼前で繰り返されている沖縄差別に、見て見ぬ振りをすることは、もう許されないのです。


辺野古「代執行」-争点は新基地の「公益性」

2015年10月29日 | 沖縄・辺野古

   

 安倍政権は29日、辺野古新基地建設工事を再開しました。翁長沖縄県知事の「辺野古埋立承認取り消し」を、「行政不服審査法」に反して「執行停止」した上での暴挙で、断じて許すことはできません。

 政府は「執行停止」だけでなく、知事に代わって「承認取り消し」を撤回するための「代執行」を行うことを決めました。
 安倍政権の強硬姿勢に対して、「こうした争いは前例が少なく、県は不利が予想されています」(29日付共同配信記事)という悲観的な見方があります。はたしてそうでしょうか。

 「国の代執行、県に希望」。この見出しで展開されている五十嵐敬喜法政大名誉教授(公共事業論)の「識者評論」(29日付沖縄タイムス)が注目されます。

 五十嵐氏は安倍政権が「執行停止」だけでなく「代執行」に打って出た狙いについて、①国の権威の確立と正当性の確保②工事の変更などについていちいち県の承認手続きを経ることなく一元的に処理する③今後申し立てや取り消しについて国に「資格」があるかの疑義を解消する―などを挙げ、「これら一見いかにも、合理的な根拠のように見える。しかし視点を変えるとこうなる」として、次のように指摘します。

 「正直言って県には、行政手続きだけでは勝利がなく・・・県側から国の工事を差し止めるという『民事訴訟』を提起するという手段もあるが、今回はその土俵をわざわざ国が設定してくれた重要なことは、そこでは国が『他の手段によってその履行を確保することが困難であり、かつその不履行を放置することが著しく公益に反すると認められること』を証明しなければならないということである

 「この土俵の中で、県は・・・『公益』、すなわちジュゴンをはじめとする貴重な自然、沖縄県民の総意、そして、差別された沖縄の歴史の総体のすべてを争点とすることができ、しかもこれが国内だけでなく世界中の人々に発信できるのである」

 地方自治法第245条の8は、国に代執行の権限が与えられるのは、「放置することにより著しく公益を害することが明らかであるとき」に限られると明記しています。五十嵐氏の指摘はこれに基づくものです。
 つまり、国に代執行を認めるかどうかの裁判では、結局、辺野古を埋め立てて新基地を造ることが「公益」に叶うことなのか、それとも「公益」に反することなのかが争われる、争われなければならないということです。

 ここで思い出されるのが、今年5月1日、「撤回問題法的検討会」(新垣勉弁護士、仲地博沖縄大学長ら)が翁長知事に提出した「意見書」です。

 この中で同会は、埋立承認の「取消」が「承認時における『瑕疵の存在』を理由とするもの」であるのに対し、「撤回」は「埋立承認後の事由に基づく公益判断により行うもの」だと違いを指摘したうえで、知事選や衆院選の民意はまさに「承認後の事由に基づく公益」に該当するとし、ただちに「埋立承認の撤回を行うよう要請する」としたのです。

 しかし翁長氏はこの「意見書」を無視し、「撤回」を封印してしまいました。

 翁長氏が知事就任後ただちに行うべきだったのは、「埋立承認の撤回」です。
 争うべきは、「承認」にいたる「行政手続きの瑕疵」の有無ではなく、辺野古新基地建設が「公益」に叶うのか、それとも反するのか、です。
 「公益」には五十嵐氏が指摘するように、「県民の総意」とともに、「貴重な自然」「差別された沖縄の歴史の総体」が含まれます。

 さらにそれに加えて、問われるべきは日米軍事同盟=安保条約の「公益性」です。
 石井国交相は27日、「効力停止」を決めた記者会見で、その理由を「日米同盟に悪影響を及ぼす可能性がある」(28日付各紙)からだと言いました。
 辺野古新基地はじめ沖縄の基地の元凶は日米軍事同盟です。新基地の「公益性」の判断において、日米軍事同盟自体の「公益性」が問われることは自明です。

 「代執行」はもちろん安倍政権のファッショ的体質の現れです。しかしそれは、辺野古新基地、沖縄米軍基地、そして日米「軍事同盟に「公益」があるのかを全国、全世界に問う好機でもあります。反転攻勢をかけねばなりません。


辺野古新基地工事やめ沖縄戦の遺骨収集を

2015年10月27日 | 沖縄・辺野古

  

 石井啓一国土交通相(公明)は27日、翁長雄志沖縄県知事の「辺野古埋立承認取り消し」を「執行停止」し、新基地建設工事にGOサインを出しました。もちろん官邸(安倍・菅)の指示です。「行政不服審査法」に反する言語道断の脱法行為です。
 同時に、「執行停止決定前に差し止め訴訟を」という専門家の指摘を無視して政府の暴挙を拱手傍観した翁長知事の責任も免れません。

 こんな中、25日付沖縄タイムス「論壇」に注目すべき論稿が掲載されました。具志堅隆松さん(沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマファー」代表。写真中はシンポのあと参加者に遺品の説明をする具志堅さん=右)の「シュワブで遺骨収集を」です。

 沖縄防衛局が文化財保護法上の必要から、新基地建設地域に生息するヤドカリを捕獲し、工事区域外に移動させる許可を沖縄県に申請した(15日付沖縄タイムス)ことに対し、具志堅さんはこう言います。
 「新基地建設に伴う沖縄の状況を知らない本土の人が読めば、自然界の小動物を保護するという心温まる内容と思われかねないが、これまで戦没者の遺骨収集を手掛けてきた者にとっては怒りを抑えられない背景が見える」

 「新基地建設が行われるキャンプ・シュワブは沖縄戦当時、大浦崎収容所と呼ばれた住民収容所であった。当収容所には未調査の埋葬地がある。・・・大浦崎収容所の閉鎖後、その場所が1956年という戦後早い時期にキャンプ・シュワブ建設のために立ち入りができなくなったことを考えれば、未収容遺骨が残っている可能性は高い

 「そもそも防衛局が沖縄県に提出した基地建設の許可申請書には、建設敷地内にある埋蔵文化財やヤドカリなど、天然記念物は記載されているが、戦没者遺骨のことは一言も出てこない。そして沖縄県は戦没者遺骨への対応策のない工事申請に許可を出したのである。このまま工事が進めば戦没者遺骨は建設機械で踏み砕かれ、コンクリートで覆われてしまい、そのそばでヤドカリは一個一個丁寧に拾われ救出されることになる

 「防衛局長と県知事にお聞きします。戦没者遺骨はヤドカリ以下ですか。軍事基地ゆえに、これまで遺骨収集ができなかったことを考えれば、この機会に埋葬地のみならず、キャンプ・シュワブ内で全面的な尊厳ある遺骨収集を要求します

 戦没者遺骨のことなど歯牙にもかけず埋立申請をした日本政府。それを承認したのは仲井真前知事ですが、13日に翁長氏が行った「承認取り消し」の長文の理由書の中にも、戦没者遺骨のことは一言も出てきません。

 沖縄戦では当時の県民の3分の2にあたる約20万人が、本島北部の収容所に集められ、大浦崎収容所にも約2万2千人が収容されたといわれています。辺野古を含め基地内の遺骨は、収集どころか調査さえ行われていません。
 
 「戦死者が葬られた土地をコンクリートで塗り固め、新たな戦争のための基地を造る。これほど死者を冒涜する行為はない」(具志堅さん、8月15日付沖縄タイムス)

 「ガマフヤー」の活動はすべてボランティアです。具志堅さんはしばしば上京し、遺骨のDNA鑑定などについて直接政府に要請を行っていますが、旅費など経費はすべて自腹です。

 おもに若い人向けに書かれた『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』という著書で、具志堅さんはこう言っています。

 「戦争を国策として遂行し、多くの国民を戦死させた国が最初にやらなければいけないのは、戦死者の遺体や遺骨を家族のもとへ帰すことのはずです。戦争で国民に不幸をもたらした責任が国にあることを認め、戦没者と国民に対してはっきりと謝罪して、国民を二度と不幸な目に遭わさないという決意を表明すべきです

 「ぼくたち国民は、たとえ何十年という年月が経過しようとも、国が果たすべき責任はきっちりと果たすように要求しつづけることが必要です。それが国民としての義務であり、つぎの世代の日本社会をよくすることにつながります

 辺野古に新基地は絶対造らせてはいけない。辺野古だけでなく、沖縄から軍事基地を一掃し、いまも眠る沖縄戦戦没者の遺骨を一日も早く家族のもとに帰さなければならない。具志堅さんの言葉に、あらためてその思いを強くします。


緊急!辺野古取り消し「執行停止」前に「差し止め訴訟」を

2015年10月24日 | 沖縄・辺野古

   

 翁長雄志沖縄県知事が「辺野古埋立承認」を取り消した(13日)翌日に、沖縄防衛局は国土交通相に対し「審査請求」と「執行停止の申し立て」を行いました。
 これに対し93人の行政法研究者有志が23日連名で、「政府の行政不服審査制度濫用を憂う」と題する「反対声明」を発表。「審査請求は不適法であり、執行停止の申し立てもまた不適法なものである」と厳しく批判しました。
 安倍政権がやろうとしていることは、政府機関同士の出来レースで、埋立承認取り消しを「執行停止」で無効化し、埋立工事を強行しようとする、まったく言語道断の脱法・違法行為です。

 問題は、これに対してどうたたかうかです。

 24日付琉球新報によれば、「県は23日までに、国交相が執行停止を決めた場合、埋め立て本体工事着手に向けた実施設計と環境対策に関する事前協議を再開する方針を決めた」といいます。
 これはきわめて重大です。国交相が「執行停止」を決めれば、「承認取り消し」は消滅し、本体工事に着手できるというのが政府の言い分です。「事前協議」はその本体工事のためのものであり、県がそれを「再開する」ということは、政府の本体工事強行のレールに自ら乗ることにほかなりません。

 「県幹部」はこう言っています。「仮に執行停止が決まった場合、決定は不当だと主張していく。ただ、行政上は承認の効力が復活するのであれば、それに合った対応をする必要がある」(24日付琉球新報)。「不当だ」とは言い続けるけれど、「承認の効力が復活する」のだからそれに合わせる、つまり安倍政権の本体工事強行に「合った対応をする」というのです。

 この翁長県政の方針は、安倍政権への重大な譲歩、いや事実上の工事強行の黙認であり、絶対に容認することはできません。

 辺野古新基地を阻止するために、県内外の世論とともに、法的には今何をすべきでしょうか。

 承認取り消し後、琉球新報、沖縄タイムスに多くの学者・識者が新基地反対の立場から見解を寄せています。その中でとりわけ注目されるのが、阿波連正一氏(静岡大大学院教授。専門分野は民法、環境・公害法。国頭村出身。沖縄国際大教授を経て現職)が、沖縄タイムス(10月21日付から)文化面に3回にわたって連載した「辺野古承認取り消しと法的対抗措置」です。

 阿波連氏の主張の要点は、国交相が「執行停止」を決める前に、その「差し止め訴訟」を起こすべきだ、ということです。

 「県が現在検討している取り消し訴訟は、国交相による執行停止決定に対する取り消し訴訟である。この取り消しは裁判の判決をまって取り消しの効力が生ずるので、知事の承認取り消しを全く無意味化する結果となるのである。これに対して、知事の取り消しの効力を生かしたまま、知事の取り消しを無効化する執行停止決定自体を差し止めるのが、差し止め訴訟、仮の差し止めの申し立てである

 「県が国交相の行政不服審査法上の執行停止決定を待って、国地方係争処理委員会への申し出、取消訴訟を提起することは、執行停止決定を認めた上での法的措置となり、地方自治権の侵害を自ら黙認する結果となり、知事の取り消しを無意味とする」

 翁長氏がやろうとしていることは、先の「県幹部」の発言でも明らかなように、まさにこの「黙認」「無意味」化にほかなりません。問題はそれだけではありません。

 「国交相が執行停止決定をした場合は、埋め立ての法的責任主体は国交相となる。・・・執行停止決定、(執行停止)容認採決により埋め立ての法的責任主体は県知事から国交相に移ることになる」
 辺野古埋め立てをめぐる主導権が、県知事から国交相へ移るという重大な事態になるのです。

 以上が阿波連氏が「執行停止決定前の差し止め訴訟」を主張する主な理由です。氏はその必要性だけでなく可能性についても詳述しています。

 阿波連氏だけではありません。たとえば白藤博行専修大法学部長(冒頭の行政法研究者声明の呼び掛け人の1人)も、「県が裁決・執行停止決定を違法であるとして、行政事件訴訟法上の取消訴訟などを提起できる可能性は十分にある。取消訴訟などを提起する場合は、自治権を侵害されたとの主張が核になるだろう」(15日付琉球新報)と指摘。「自治権」の立場から「執行停止」に対抗する訴訟は可能だという見解で阿波連氏と一致しています。
 眼目は、その訴訟を「執行停止決定」後ではなく、決定前に「差し止め訴訟」として行うべきだということです。

 安倍政権(国交相)は今月中にも「執行停止」を決定し、本体工事に着手する意向だと報じられています。情勢は切迫しています。時間的余裕はありません。
 憲法も民意もお構えなしの安倍ファッショ政権に対抗するには、それこそ非暴力の「あるあゆる手段で」たたかわねばなりません。

 翁長氏は安倍政権が承認取り消しの「執行停止」を決める前に、「差し止め訴訟」を起こすべきです。それを行なわせることが、いま緊急に求められています。
 


また安倍政権に“助け舟”を出した翁長知事

2015年10月22日 | 沖縄・翁長知事

  

 日本国憲法にもとづいて野党が要求している(写真右)臨時国会を、自民・公明は「開かない」意向だといいます。とんでもないことです。第53条は「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と規定しています。これを無視するのは明白な憲法違反であり、絶対に許されるものではありません。

 安倍政権・自民党がこうした憲法違反まで犯して、臨時国会をあくまでも回避しようとしているのはなぜか。

 「安倍晋三首相の脳裏をかすめるのは昨年の臨時国会だ。内閣改造直後の9月下旬に召集したが、起用したばかりの経済産業相の小渕優子氏と法相の松島みどり氏が『政治とカネ』問題などで相次ぎ辞任。看板政策の『女性活躍』に水を差した。・・・新閣僚の不祥事が沈静化するのを待ち、答弁力を磨く時間を確保する戦略だ」(20日付共同通信配信記事)

 その「新閣僚の不祥事」の代表的なものが、島尻安伊子沖縄担当相の「顔写真入りカレンダー」(写真中)配布です。松島みどり氏の「うちわ」と同様、明白な公選法違反です。追及をかわすため島尻氏は急に「ポスターだ」と言い出しました。「突然の方針転換に、県内政界からは『往生際が悪い印象を受ける。悪いと思っていないなら正々堂々と対応すればいい』(県政与党議員)との声が上がった」(20日付沖縄タイムス)、「釈然としない思いの県民も多いのではないか」(22日付琉球新報社説)。
 釈然としないどころか、閣僚として、いや、政治家として失格であることがあらためて浮き彫りになっています。当の島尻氏は19日記者たちに囲まれ、「約13分の質疑応答で同様の発言を9回も繰り返し、『カレンダー』ではないと強調した」(20日付沖縄タイムス)ほど、右往左往しています。

 その窮地の島尻氏に“救いの手”を差し伸べたのが、なんと翁長雄志沖縄県知事でした。

 島尻氏のしどろもどろ会見の翌20日、翁長氏は自ら内閣府を訪れ、島尻氏と固く握手(写真左=沖縄タイムスより)。「『大変頼もしい方が沖縄担当大臣になった。ぜひ、沖縄のために力を貸していただきたい』と激励した」(21日付琉球新報)のです。

 それだけではありません。「翁長氏は会談後、島尻氏について『私が那覇市長時代の那覇市議会議員で、参院議員になるときは私も応援した』と、これまでの関係性に触れ、『(島尻氏の)政治姿勢や真面目さはよく分かっている。沖縄を熟知しているし、頑張ってもらいたいと話した』と会談の内容を説明」(21日付沖縄タイムス)したのです。

 これはブラックジョークですか?「普天間県内移設反対」の公約をかなぐり捨てて「辺野古新基地建設」の先頭に立ち、辺野古でたたかっている市民に悪罵を投げつけ、「押さえ込むべきだ」と攻撃した島尻氏の「政治姿勢」のどこが「真面目」なのですか!

 まだあります。翁長氏は島尻氏との会談で辺野古新基地問題には一言も触れませんでした。そのことについて翁長氏はこう釈明したのです。「沖縄担当相は基地とは関係ない」(21日付沖縄タイムス)
 驚くべき発言です。「基地とは関係ない」沖縄担当大臣に何の意味があるというのでしょうか。沖縄にカネだけ出していればいいとでも言うのでしょうか。この翁長氏の発言・認識が、「辺野古新基地取り消しは多くの県民の切実な願いである。沖縄担当相としての力量を期待している県民は大勢いるであろう。その県民の心の叫びに耳を傾けてほしいものだ」(今帰仁村の女性=21日付琉球新報投書欄)という県民の思いからも大きくかけ離れていることは明らかです。

 こうした翁長氏の破格の「激励」に、窮地の島尻氏がどんなに救われる思いだったかは想像に難くありません。
 いいえ、島尻氏だけではありません。
 メディアも触れていませんが、いま開くべき臨時国会で本来最大のテーマになるべきは、小物閣僚の不祥事などではありません。辺野古新基地問題です。埋め立て承認取り消しに対し、安倍政権が理不尽な執行停止などによって工事を強行しようとしている、この問題こそ、戦争法とあわせて、追及すべき課題であり、安倍政権の最大の弱点です。それが嫌だから政府・自民は臨時国会を開かないのです。

 翁長氏は島尻氏に対し、承認取り消しの意味を強調したうえで、臨時国会召集の必要性を述べるべきだったのです。
 しかし実際は真逆でした。島尻氏を激励し、安倍政権の臨時国会回避に事実上手を貸したのです。

 翁長氏は戦争法案をめぐる攻防が佳境のとき、「1カ月休戦」(「集中協議」)で安倍政権に法案強行の環境を提供しました。今回の島尻氏との会談での「激励・辺野古不問」は、それに続く安倍政権への2艘目の“助け舟”と言わねばなりません。


戦争法強行1カ月ーテロ標的の脅威をなぜ報じないのか

2015年10月20日 | 市民運動

   

 19日で戦争法案強行から1カ月。その前日の18日、安倍首相は米原子力空母(ロナルド・レーガン)に現職首相として初めて乗船(安倍氏の強い要求で)し、日米安保=軍事同盟のいっそうの強化・緊密化をアピールしました(写真左)。

 これに対し、シールズなど戦争法の廃止を求める市民の声・運動は、もちろん衰えることはありません。

 しかし、国民全体の世論状況は、楽観できるものではありません。10月の安倍内閣の支持率は、共同通信調査(9日付)で、支持44・8%(9月38・9%)、不支持41・2%(同50・2%)。朝日新聞調査(20日付)でも、支持41%(同35%)、不支持率40%(同45%)と、いずれも「支持率の回復」を示しています。自民党の谷垣幹事長は、「国民の関心が安全保障から経済に移ったのではないか」(9日付共同配信)などとうそぶきました。

 戦争法、原発稼働、TPP、マイナンバーなどどれをとっても安倍政権が民意に反していることは世論調査の結果でも明らかです。にもかかわらず、「支持率が回復」しているのはなぜか。
 原因の1つは、この間のメディアの戦争法(安保法制)報道の在り方にあるのではないでしょうか。

 今月3日、バングラディシュ北部で、同国在住の星邦男さんが殺害されました。
 同日、「イスラム国」(IS)のバングラディシュ支部を名乗るグループが犯行声明を公表。「声明は、日本が米軍主導の対IS有志連合の一員だと指摘」(5日付毎日新聞)したうえで、「『十字軍(有志国)連合への攻撃は今後も続ける。イスラム教徒の土地に彼らの居場所はない』とさらなる攻撃を予告した」(同)のです。

 この重大ニュースを、各紙は1面や総合面でなく、社会面で、しかもベタ~3段の小さな扱いでしか報じませんでした。「内容の真偽が不明」だと言うかもしれません。しかし「犯行声明」だけではありません。「『イスラム国』はこのほど発行した機関誌で、米国が主導する中東での軍事作戦に加わる『連合国』の一員として日本を名指しした」(5日付共同通信)のです。

 「イスラム国」は日本を「有志連合」の一員と名指しし、攻撃対象にすると公言しているのです。この背景に、集団的自衛権の名のもとにアメリカの戦争に加担する戦争法の強行があることは言うまでもありません。

 後藤健二さんと湯川遥菜さんが「イスラム国」によって殺害されたのは、今年1月末のことでした。
 「イスラム国」が後藤さん、湯川さんを拘束したのは、安倍政権が集団的自衛権行使を閣議決定(2014年7月1日)した後でした。安倍首相は脅迫が届いていることを承知のうえで、中東を訪問し、アメリカ主導の「有志連合」に「2億ドル」の支援を行なうと表明したのです。それを受けて「イスラム国」はビデオ声明を流しました。
 「日本国民に告ぐ。おまえたちの政府はイスラム国と戦うのに2億㌦支払うという愚かな決定をした。・・・このナイフがおまえたちの悪夢となるだろう」(1月20日)
 安倍政権は日米同盟を優先し、後藤、湯川両氏は殺害されました。

 この時はまだ、「日本は有志連合の一員ではない」と言い逃れる余地がありました。しかし、戦争法が施行されれば、その言い分はもう通用しません。名実ともに日本はアメリカ主導の「有志連合」の一員となるのです。そして、「イスラム国」の機関誌が公言しているように、日本(日本人)は正真正銘、「イスラム国」の標的となります。
 テロは中東で起こるとは限りません。あの「9・11」(2001年)の惨劇が東京で起こらない保証がどこにあるでしょうか。

 戦争法を制定・施行するとは、そういうテロの脅威に身をさらすということです。日米軍事同盟のもとで日本をその危機に立たせているのが安倍政権です。
 こうした戦争法の危険、安倍政権の実像をメディアはどれだけ伝えているでしょうか。

 戦争法強行成立から1カ月。「イスラム国」ビデオ声明から9カ月。テロを助長し平和に逆行する戦争法は絶対に廃止しなければなりません。


「辺野古新基地」と「日米安保条約」と「本土移設」

2015年10月17日 | 日米安保・沖縄

   

 翁長沖縄県知事の「辺野古埋立承認取り消し」について、沖縄タイムスは社説(14日付)でこう指摘しました。「本土の人たちはよそ事でなくわが事として受け止めてほしい。これを機会に米軍駐留と負担について国民的議論を巻き起こす必要がある

 その通りだと思います。いま考え、議論しなければならないのは、「辺野古新基地」(沖縄の基地負担)と「日米安保条約」、そして「米軍基地の県外(本土)移設」の関係です。
 3者の相関関係を整理すると、次のようになります(〇は賛成、×は反対)。

       辺野古新基地  日米安保条約  本土移設

 A        〇          〇        -
 B        ×          〇        〇
 C        ×          〇        ×
 D        ×          ×        〇
 E        ×          ×        ×   

 Aは日米両政府とそれを支持する立場です。しかし各種世論調査では、辺野古新基地反対、あるいは安倍政権の対応を評価しないのが多数です(たとえば「朝日」は「評価する」25%、「評価しない」55%)。
 もちろん「辺野古反対」の「国民世論」も確固としたものとは言えず、さらに大きく強くしていくことが肝要ですが、そのためにも、ここではB~Eについて考えます。

 翁長氏および翁長氏を支持する「保守」の多くは、Bです。翁長氏は13日の「取り消し会見」でも、「日米安保をもっと品格のあるものにしてもらいたい」という日米安保肯定の立場から、「日本国民全体で日本の安全保障は考えてもらいたい」と重ねて強調しました。その当否は別として、これはこれで筋が通っています。

 問題はCです。「抑止力」のため米軍基地は日本に必要だが(日米安保肯定)、自分のそばには置いてほしくない、沖縄に置いてくれ、というのがCです。
 これはきわめて無責任な、沖縄に対する露骨な差別です。残念ながら、辺野古に反対する本土世論の多くはこの立場ではないでしょうか。

 「産経」「読売」はAですが、その他の多くの本土メディアは、Cです。「辺野古」には「反対」しながら、言っていることは、「政府は県と話し合うべきだ」「まず工事は中断すべきだ」という手続き論止まりです。話し合って、結局沖縄の基地はどうするのか、「本土移設」に対してどういう立場をとるのかは明確にしていません。「本土移設」は読者の支持をえられないと思っているからでしょう。この根源は、日本の主要メディアがすべて、日米安保条約を肯定していることにあります。

 日米安保条約(軍事同盟)を肯定する以上、選択肢はAかBしかありえません。Cの差別的立場はけっして許されることではありません。

 県外(本土)移設とは、自分が住んでいる所に米軍基地を持ってくることを容認するということです。日米安保に賛成するなら、その覚悟が必要です。
 それが嫌なら、反対なら、「普天間基地は移設ではなく即時無条件撤去」しかありません。それは当然、日米安保条約は認めない、廃棄すべきだという主張と一体でなければ筋が通りません。すなわちEです。

 日本共産党は本来、Eのはずです。ところが同党は、Bの翁長氏を「全面的に支持」しています。翁長氏の「安保賛成」のみならず「県外(本土)移設」論に対しても同党は黙認しています。
 そして「戦争法廃止の国民連合政府」で同党は安保廃棄を棚上げしました。ということは、翁長氏に同調して「本土移設」を認める(B)のですか?それともCというありえない(あってはならない)立場に立つのですか?

 ところでもうひとつ、Dの立場があります。安保条約には反対だが、沖縄の基地は本土に「引き取る」べきだ、という考えです。これは重要な考えです。あらためて検討します。

 私の立場はEです。

 安保廃棄を当面棚上げする政権構想(例えば「選挙管理内閣」などの暫定政権)はこれまでもありました。しかし、今は安保廃棄を棚上げするときではありません。戦争法が強行されたいまこそ、日米安保=軍事同盟の危険性、犯罪性を大きく訴え、安保廃棄の世論を高めていくべきときです。

 A~Eのどの立場に立つのか。一人ひとりに問われています。
  

 


「南京大虐殺のユネスコ登録」は外交問題ではない

2015年10月15日 | 戦争・安倍政権

   

 ユネスコの世界記憶遺産に日本帝国陸軍による「南京大虐殺」に関する資料が登録されたことに対し、安倍政権はユネスコが「中国の政治利用」に加担したとして、ユネスコへの拠出金を停止・削減するという脅しをかけています。

 これには身内からも「日本の国際的な存在感の低下に拍車を掛け、墓穴を掘るだけだ」(松浦晃一郎前ユネスコ事務局長、15日付沖縄タイムス=共同)という声が出ているように、またしてもカネで圧力をかけようとする日本政府の愚行です。

 しかしこの問題でさらに重大なのは、日本のほとんどすべてのメディアが、「日本外交にとって有益だろうか」(14日付朝日新聞社説)などと、これを「外交問題」「日中問題」として報じていることです。
 「南京大虐殺」の記憶遺産登録、さらに安倍政権による中国への抗議、ユネスコへの圧力・脅しは、けっして「外交問題」(だけ)ではありません。私たち自身が問われている日本の「国内問題」です。

 そもそも、安倍政権は「南京大虐殺のユネスコ登録」の何を問題にしているのでしょうか。
 外務省の「抗議談話」(10月10日)は、「日中間で見解の相違がある」にもかかわらず「中国の一方的な主張に基づき申請されたものであり、当該文書は完全性や真正性に問題がある」としています。ではその「問題」とは何なのか。具体的な内容についてはまったく触れていません。

 日本帝国陸軍によって「南京大虐殺」の蛮行が行われたことは、まぎれもない歴史的事実です。
 たとえば当時外務省東亜局長だった石射猪太郎は日記にこう記しています。「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目もあてられぬ惨状とある。嗚呼之が皇軍か」(吉田裕氏『現代歴史学と戦争責任』より)
 だから菅官房長官さえ、「旧日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できない」(2014年2月、11日付朝日新聞)と認めざるをえなかったのです。

 だとすれば日中間の「見解の相違」とは「30万人」という犠牲者の数ということになります。確かに「30万人」には異論があるところです。しかし東京裁判では「20万人以上」とされ、日本側の調査でも「20万人を下らない」というのが定説です。
 「犠牲者20万人」なら問題はないが、「30万人」は「極めて遺憾」(外務省談話)だというのでしょうか。そんな理屈は通用するはずがありません。「諸外国から『虐殺自体は認めているのに、なぜ規模をめぐりそこまで怒るのか』(在京の東南アジア外交筋)と受け止められる懸念がつきまとう」(14日付沖縄タイムス=共同)のは当然です。

 通用しない理不尽な口実で、安倍政権が南京大虐殺の記憶遺産登録に反発している本当の理由は何でしょうか。
 その本音を、安倍首相は14日の中国外交トップ・楊国務委員との会談で吐露しました。「過去の不幸な歴史に過度に焦点を当てるのではなく未来志向の関係を構築するべきだ」(15日付各紙)

 想起されるのは、安倍首相の「戦後70年談話」です。
 「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない
 日本の東アジア侵略という歴史の事実、加害責任を帳消しにしようというのです。それが、「積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献」(「70年談話」)するとして、戦争法を強行したことと表裏一体であるのは言うまでもありません。

 こうした安倍政権による「日本の負の歴史」の帳消し(歴史修正主義)を許すのか、黙認していいのか。歴史の事実と加害の責任に正面から向き合い、次の世代に引き継いで、東アジアの国ぐにとともに生きてゆく日本の進路をさぐることこそ私たちの責任ではないのか。問われているのは、私たち自身です。

  「南京大虐殺」、あるいは「首相らの靖国神社参拝」「慰安婦問題」を中国や韓国との「外交問題」としかとらえないのは、重大な誤りです。その誤りを助長しているのが日本のメディアです。
 それは、沖縄の米軍基地問題を自分(本土)とは関係ない「沖縄の問題」としか見ないことと根は1つです。

 「日本の歴史」、とりわけ「負の歴史」に対して、第三者・傍観者であることから、1日も早く抜け出さねばなりません。


翁長知事「承認取り消し会見」5つの問題点

2015年10月13日 | 沖縄・辺野古

   

 翁長沖縄県知事が13日、ようやく正式に「辺野古埋立承認」を取り消しました。防衛省は直ちに国交相に対し「不服審査請求・執行取り消し申立」を行い、埋立工事を強行する構えです。辺野古新基地阻止のたたかいは新たな段階に入りました。

 同日午前10時からの翁長氏の記者会見は、今後のたたかいの出発点ともいえるものでした。しかしそこには多くの問題がありました。それは辺野古新基地阻止のために、見過ごすことができないものです。

 ①なぜ重要会見が「30分」の時間制限なのか

 会見は開始前から、「30分」と限定されていました。そのため記者の質問は7人で打ち切られました。「ほかに日程があるため」(司会の県広報)だといいます。
 しかし翁長氏にとって、いいえ今の沖縄にとって、この問題以上に重要な「日程」があるでしょうか。会見は十分な時間をとり、記者から質問が出なくなるまで行うべきでした。
 
 これを問題にするのは、翁長氏のこうした官僚的なやり方が、一連の政府との協議を密室で行い、議事録すら作らなかった秘密主義とけっして無関係ではないからです。
 翁長氏は県民に対して十分な情報提供を行う義務があります。今後に通じる重要な問題です。

 ②「取り消し」を今日まで引き延ばしてきた責任を不問にするのか

 知事就任(昨年12月10日)以来10カ月。第三者委員会の報告からも90日が経過してしまいました。本来なら就任後真っ先にしなければならなかったことを、今日まで引き延ばしてきたのはなぜなのか。その責任をどう考えているのか。記者団はなぜその点を追及しないのか。
 この間、埋立工事の既成事実化はすすみ、辺野古の現場ではケガ人や逮捕者まで出し、「1カ月休戦(集中協議)」では安倍政権に戦争法案(安保法案)強行の時間まで与えてしまったのです。その責任は免れません。
 「取り消し」でこれまでの責任が帳消しになるわけではありません。

 ③安倍政権に「不服審査請求」の口実を与えた責任をどう釈明するのか

 安倍政権が「不服審査請求」を行うことについて、翁長氏は国が「私人」と同様に不服審査するのは「疑問だ」と述べました。その通りです。国が私人と同じように「不服審査請求」することは行政不服審査法の趣旨に反するというのが複数の専門家の見解です。したがって、沖縄防衛局に対して「聴聞」など行なう必要はなかったのです。
 ところが、「意見聴取」をわざわざ「聴聞」と言い換えてまで防衛局から意見を聞こうとしたのは翁長氏自身です。みずから国を「私人」扱いしてしまったわけです。それは今後政府に口実をあたえかねません。その責任はどう考えているのでしょうか。記者団はなぜそれを問わないのでしょうか。

 ④なぜ「承認撤回」について言及・質問しないのか

 埋め立て承認の「取り消し」と「撤回」は違います。「取り消し」は最終的には、「法的瑕疵」の有無が法廷で争われることになります。そこに政府が抗弁する余地があります。
 「撤回」はそうではありません。「撤回」によって争われるのは、沖縄に新基地を造ること自体の是非です。
 本来行うべきは「取り消し」ではなく「撤回」なのです。
 当面は「取り消し」の是非が争われることになりますが、「撤回」の可能性が消滅しているわけではありません。いえ、消滅させてはなりません。新基地阻止のための「知事の最大権限」は「取り消し」ではなく「撤回」なのです。そのことを、今の時点で明らかにしておく必要があります。

 ⑤日米安保条約=軍事同盟を賛美しながら本当に辺野古新基地に反対できるのか

 翁長氏は会見で、「(日米安保条約は)自由、平等、民主主義の共同・連帯」だと述べました。翁長氏が日米安保条約=軍事同盟を支持していることは周知のことですが、あらためて積極的に賛美したわけです。その上に立って、「日本の安全保障は日本全体で考えるべき」だというのが翁長氏の主張です。
 同じ「県外移設」論でも、日米安保条約に反対する立場から当面の問題としてそれを主張するのと、翁長氏のように日米安保条約を積極的に支持する立場から「県外移設」を主張するのでは、大きな違いがあります。
 日米安保条約=軍事同盟を積極的に容認・支持しながら、日米安保条約に基づく「日米合意」をたてにした安倍政権の「辺野古新基地強行」に、本当に反対することができるでしょうか。
 これこそが、これからのたたかいで問われる根本問題です。


翁長知事の「法的義務」違反と県政与党の黙認

2015年10月10日 | 沖縄・翁長知事

   

 安倍改造内閣は、あらためて「辺野古埋立工事強行」の姿勢をあらわにしています。安倍政権にその口実を与えているのは、翁長知事がいまだに「埋立承認の取り消し」を行なっていないことです。
 翁長氏は9日の時点でも、「連休明けの早い時期に取り消しに踏み切る考え」(10日付沖縄タイムス)を示したにすぎません。翁長氏の「取り消し先送り」はニュースにならないほど繰り返されていますが、けっして見過ごすことはできません。なぜなら、それは「政治判断」の問題ではなく、翁長氏の法的義務・責任の問題だからです。

 「当委員会の検証の結果、本件公有水面埋立出願は、公有水面埋立法の要件を充たしておらず、これを承認した本件埋立承認手続きには法律的瑕疵が認められる
 翁長氏自身が設置した第三者委員会がこう指摘した報告書を翁長氏に手渡したのは7月16日でした(写真中)。

 この報告書の意味は、「法に反する承認が行われたということだ。翁長雄志知事には違法性を是正する責務があ(る)」(仲地博沖縄大学長、7月17日付沖縄タイムス)ということです。

 オリバー・ストーン氏ら海外の著名29氏による「声明」(8月22日)も、「第三者委員会による検証・・・これが意味することは、翁長知事はこれを取り消す法的義務があるということである」と明確に指摘しています。

 仮に連休明けの13日に取り消したとしても、第三者委の報告からちょうど90日が経過したことになります。この間、「1カ月休戦」も含め、安倍政権は「辺野古」に頭を悩ますことなく、戦争法成立を強行することができたわけです。
 翁長氏の「90日の法的義務違反」の責任はきわめて重大です。

 ここで見過ごすことができないのは、こうした翁長氏の「法的義務違反」に対し、日本共産党、社民党、生活の党、社大党、県民ネットなど県政与党が、なんの異議もはさまず、翁長氏に唯々諾々と従っていることです。

 例えば7日終了した沖縄県議会9月定例会の代表・一般質問で、「与党は基地問題に関する言及を最小限にとどめ、(翁長氏への―引用者)配慮をにじませた」(9日付沖縄タイムス)のです。「与党から国連演説の意義を強調する言及はあったが、取り消し時期の明示を迫る場面はなかった。・・・与党のベテラン県議は、先月10日に知事公舎で開かれた知事と与党の連絡会議で、取り消しのタイミングを知事に一任した経緯を指摘。『与党各議員に、あのときの一任が共通認識としてある。こちらから取り消しをせっつくようなことはしない』と述べ」(同)ています。
 翁長氏の法的義務違反に、県政与党は白紙委任を与えてしまったのです。

 県議会の質疑で、もう1つ注目すべきことがありました。
 日本共産党の西銘純恵議員が6日の一般質問で、共産党がいま最重要課題としている「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」について、「知事の見解を問う」と質問したのに対し、翁長氏はなんと、一言も言及せず、スルーしてしまったのです。そして翁長氏に代わって町田優知事公室長がこう答えました。「個別の政党の動きについては見解を控える」(議会中継録画より)

 戦争法に対する見解表明など重要問題は町田室長に答弁させるのが翁長氏の常套手段です。それにしても、戦争法の廃止、そのための「国民連合政府」の提唱を「個別の政党の動き」と切り捨てるとは、どういう感覚でしょうか。翁長氏が戦争法に反対でないことは分かっていますが、それにしても、木で鼻をくくった答弁とはこのことです。
 問題は、党の最重要課題について、ここまでそっけない態度を示されながら、共産党県議団が追加質問どころかなんの異議もはさまず、言われるままにしていることです。

 共産党など県政与党は、いつまで翁長氏のやることにおとなしくついて行くつもりでしょうか。
 ただすべき見解はきっちりただし、「法的義務違反」にははっきり意義を申し立て、早急に義務を履行させる。それが与党の役割ではないでしょうか。