アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

反自民勢力は「6つの緊急政策」で新たな共闘を

2017年09月30日 | 政治・選挙

     

 「希望の党」をめぐっていま起こっている事態は、複雑なようで実は単純です。

 安倍政権は「森友・加計問題」もあって支持を失ってきた。それに危機感をもった自民党政治擁護勢力(国家権力)は、安倍政権とは違う保守勢力をつくり自民党政治の継続を図る戦略に出た(「保守2大政党」による体制維持)。その新勢力の看板に据えられたのが小池百合子氏。小池氏は以前から思想・政策的に近い前原誠司氏を取り込んで民進党を解体し、「4野党共闘」を吹き飛ばした。

 メディアは選挙の構図を「安倍(自民)対小池(希望)」と描き、相も変わらぬ劇場型「報道」で他の党を選挙の土俵から押し出そうとしている。

 選挙の結果、自民が勝っても「希望」が勝っても、自民党政治は安泰。両者合わせて改憲に必要な3分の2の確保は確実。

 以上が自民党政治継続勢力のシナリオでしょう。そして事態はその思惑通り進んでいるように見えます。

 ところが、この中でおそらく彼らは想定しなかった(あるいは過小評価した)であろう、彼らとって好ましくない現象が生まれつつあります。
 それは、「反自民勢力」(「リベラル」も「革新」も「民主・平和勢力」もふさわしい言葉ではないので、それらの意味を総合してこう呼びます)が、新たな結集(共闘)をする条件・可能性が出てきていることです。

 「憲法や安保という政治の根本で違う者が一緒の政党にいるのはおかしい」という小池氏の選別の論理は、この限りでは正論です。したがって、民進党が解体・分裂することはけっして悪いことではありません。
 一方、共産党と社民党の間で選挙協力が行われようとしているのは好ましいことです。

 反自民勢力(市民・政党)は、いま、総選挙に向けて新たな共闘関係をつくるべきです。
 そのさい肝心なのは、言うまでもなく、共闘の一致点となる共通政策です。

 共産党の志位和夫委員長は、「安保法の廃止」を訴える民進党出身者とは連携すると言いましたが(29日、写真右)、「安保法」だけでは不十分です。

 日本の政治を根本的に変えるには、日米軍事同盟(安保条約)の廃棄が喫緊の課題ですが、残念ながらいまそれが一致点になる状況ではありません。
 そこで、今回の選挙で、反自民勢力が一致すべき、一致できる、「6つの緊急政策」を提言します。

 ① 戦争法(安保法)、共謀罪法の廃止。

 ② 憲法9条の改定反対。

 ③ 沖縄の辺野古新基地建設反対。

 ④ 対北朝鮮は制裁強化ではなく対話(協議)を促進。

 ⑤ 核兵器禁止条約の署名・批准。

 ⑥ オスプレイ購入はじめ軍事費を削減して福祉・教育へ。

 これは平和と民主主義(立憲政治)を願う者にとっては譲れない当面の課題(政策)です。同時に、思想・信条の違いを超えて、多くの市民が結集できる要求だと思いますが、どうでしょうか?


肝心なのは「安倍政権の終焉」ではなく「安倍政治の終焉」

2017年09月28日 | 野党共闘

       

 衆議院は今日28日解散され、野党第1党の民進党は、27日に発足したばかりの「希望の党」に吸収されて消滅しようとしています。きわめて奇妙な現象と言わねばなりません。何がそうさせているのでしょうか。

 キーワードは「安倍政権の終焉」です。前原民進党代表の「どんな手段を使ってでも、どんな知恵を絞ってでも安倍政権を終わらせよう」(27日)という言葉がそれを端的に示しています。
 前原氏だけではありません。共産党の志位委員長はじめ野党はすべて「安倍政権を倒す」の1点で「共闘」してきました。「革新的」メディアもまた、「今必要なのは「反安倍」で結集」(27日付沖縄タイムス)することだと後押ししてきました。

 小選挙区制という非民主的な選挙制度の下では、自民党に対抗するには野党が1つになるしかない、というのは単純な論理です。「当選」を至上命題にするなら、「政策の一致」など建前(二の次三の次)で、とにかく1つになること。そして「人気」のある(とみられる)党首を表に立てること。それが小池氏や前原氏がいまやろうとしていることです。

 果たしてそれでいいのでしょうか。

 仮に「希望の党」の下に結集した野党が大勝し、望み通り安倍政権が倒れ、「小池政権」が誕生したとして、それで日本の政治・社会の何が変わるのでしょうか。

 27日の「希望の党」の結党式で、小池氏は「寛容な改革保守」などという抽象的な言葉を並べただけで、具体的な政策は何も述べませんでした。「6項目の綱領」なるものもスローガンの羅列です。票目当てに「反原発」を掲げたものの、あくまで「原発ゼロをめざす」(小池氏、25日の記者会見)というだけで具体性はなく、これから「原発ゼロへの工程表作成」(25日付共同配信記事)をするというだけです。

 すべてが曖昧な中で、小池氏が唯一明確に言い切ったことがあります。それは、民進党議員が「希望の党」へ合流するための「条件」です。
 「北朝鮮情勢も緊迫しており、ただ平和を訴えていればよいというものではありません。極めてリアルな安全保障政策についてこられるかどうかです」(27日、写真左)

 「極めてリアルな安全保障政策」とは、日米安保条約(軍事同盟)と戦争法(安保法制)による日米軍事一体化、北朝鮮敵視政策、「核抑止力」論による核兵器禁止への敵対にほかなりません。

 これこそ「希望の党」の根幹的政策であり、小池氏が譲れない一線です。これまで小池氏が防衛大臣を含め自民党議員として一貫して日米安保体制を推進してきたことから、それは当然の帰結です。安倍首相が「小池さんとは安全保障、基本的な理念は同じだ」(25日の記者会見)と言うのはそのためです。

 「安倍政権」と「小池政権」は、日米安保体制(軍事同盟)を政権の根幹とする点でなんの違いもないのです。

 付け加えれば、小池氏は「日本会議議連」の副会長を務めたこともあり、また都知事として今年の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文を取りやめるなど、日本の植民地政策、侵略戦争の歴史に無反省な「国家観」においても、安倍氏ときわめて相似しています。

 このような小池氏を首班とする「小池政権」が万一誕生しても、これまでの自民党政治は何も変わりません。基本的に自民党政治を踏襲した民主党政権が哀れな末路をたどったことは記憶に新しいところです。「小池政権」が、政治の変革を望む有権者にそれ以上の失望感を与えるのは目に見えています。

 ただ失望させるだけではありません。今の起こっている事態を少しレンズを引いて見れば、自民党政権に代わる、第二自民党政権をつくろうという動きがあり、それに野党第1党はじめ野党各党が吸収され、日本の政界には本当の意味の野党がいなくなる、今日的な国家総動員体制が作られようとしている、といえるのではないでしょうか。

 肝心なのは、「安倍政権の終焉」ではなく、「安倍政治の終焉」です。

 具体的には、戦争法を廃止し、対米従属の日米軍事同盟(安保条約)を廃棄して非核・非同盟・中立の日本へ舵を切ることです。
 安保条約の廃棄がすぐに一致点にならないというなら、次のスローガンでの共闘をすすめるべきです。
 「軍事費を削って、福祉・教育へ回そう
 5兆円を超える軍事費(その多くはアメリカからの巨額の武器・装備購入)を大幅に削れば、消費税を上げなくても社会保障や教育、国の借金返済へ予算を回せます。

 これこそ「安倍政治の終焉」の具体的な方向ではないでしょうか。

 選挙は議席を取るためだけにあるのではありません。真の政治改革を実現するための学習・教育・宣伝の機会でもあります。すぐには当選しなくても、多数派の形成へ向かって妥協せず一歩一歩前進する。それが選挙ではないでしょうか。


「教育無償化」口にするなら朝鮮学校への差別を直ちにやめよ

2017年09月26日 | 憲法と安倍政権

     

 25日の会見で安倍首相は「解散の大義」なるものをあれこれ並べましたが、どれもまったく説得力はありませんでした(写真左)。それどころか、その厚顔無恥ぶりに改めてあきれました。「高等教育の無償化」を「公約」したからです。

 「子どもたちには無限の可能性がある。…格差の固定化を防ぎ、意欲さえあれば大学に進学できる社会にする」

 よくも言ったものです。「教育の無償化」と言うなら、真っ先にやらねばならないことがあるはずです。朝鮮学校の生徒たちを「高校無償化制度」(2010年4月施行)から除外している不当な差別を直ちにやめることです。

 「高校無償化制度」は民主党政権で創設されましたが、法案成立直前に「北朝鮮との外交問題」を口実に朝鮮学校を対象にすることを保留しました。
 そして2012年12月、自民党が政権に復帰して第2安倍政権が発足すると、待ち構えていたように、下村博文文科相(当時)が記者会見で、「拉致問題や朝鮮総連との関係」を口実に朝鮮学校を無償化の対象から除外すると言明しました。

 この制度の画期的なところは、無償化の対象を学校教育法第1条で規定する学校(1条校)に限らず、外国人学校やインターナショナルスクールなど「各種学校」にまで広げたことです。朝鮮学校も当然その中に入ります。
 その朝鮮学校を排除するのは、憲法上の「法の下の平等」(第14条)、「教育の機会均等」(第26条)の明白な違反です。そこに「北朝鮮との関係」などという「政治・外交問題」が入り込む余地はありません。

 無償化からの不当な排除に対し、朝鮮学校の生徒たちが原告となって現在全国5カ所で訴訟が起こっています。大阪地裁は原告勝訴の画期的判決(7月28日)で国の不当性を断罪しました。広島地裁(7月19日)、東京地裁(9月13日)は原告敗訴の不当判決でしたが(写真中、右)、いずれも「政治・外交問題」を除外の理由とすることを正当化することはできませんでした。

 朝鮮学校はもともと、朝鮮の子どもたちが帰国後に困らないよう朝鮮語を教えるために朝鮮半島出身者がつくった国語講習所でした。日本の敗戦(朝鮮の解放)によって多くの生徒たちは親と一緒に本国へ帰国しました。
 その後朝鮮学校は、生活の基盤がある日本に残った人々が引き続き日本で生活することを前提に、民族性を守り民族教育権(子どもの権利条約など)を実現させるものとして維持・発展してきました。だから、「他の外国人学校と比べ、朝鮮学校は日本の社会で暮らす人たちを育てるという意味合いが強い」(前川喜平前文科次官、8月14日付東京新聞)のです。

 これに対し、日本政府は敗戦直後から、文部省が占領軍の指令にもとづく通達(1948年1月)を出すなどして朝鮮人学校の存在を事実上否定し、日本の教育制度に従わせようとしてきました。
 「占領軍を後ろ盾とした文部省のこの措置は、在日朝鮮人にとっては戦前の「皇民化教育」の再現として受け止められた」(水野直樹・文京沫著『在日朝鮮人 歴史と現在』岩波新書)のです。

 その後も朝鮮学校に対する不当な差別・弾圧が繰り返され、いまの「無償化除外」「補助金停止」などに連綿とつながっています。

 朝鮮学校は、「朝鮮半島が日本国に植民地支配された当時に、朝鮮民族の民族的文化を維持・継承・発展させることを阻害されたことによって喪失ないし停滞した文化的尊厳と固有の文化の回復を図るため」(2016年4月18日、埼玉弁護士会会長声明)のものです。

 それを不当に差別することは、憲法の平等原則に反するだけでなく、戦前の植民地支配への無反省を露呈し、さらにはその事実上の継続を図るものと言わねばなりません。
 安倍政権が朝鮮学校を目の敵にしている根本的理由もそこにあると言えるでしょう。

 朝鮮学校に対する差別を直ちにやめない限り、安倍首相に「教育の無償化」、「民主主義」を口にする資格はありません。
 くしくも安倍首相が空疎な会見を行った同じ25日、東京朝鮮学校の卒業生たちは東京高裁に控訴しました。 

  


麻生氏の「武装難民射殺」発言と自衛隊の正体

2017年09月25日 | 沖縄・米軍・自衛隊

     

 麻生太郎氏の23日の妄言を、”バカな暴言男がまたやった”と過小評価することはできません。

 「麻生太郎副総理は23日、宇都宮市内での講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れたうえで、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」と語った」(24日付朝日新聞)

 ① 難民は安全な場所を求めて非難する人々です。仮に万一「武器」を持っている者がいたとしても、「武装難民」という概念を勝手につくりあげ、まるでテロリストであるかのように描くのは、難民に対する侮辱であり誹謗中傷にほかなりません。

 ② 「武装難民」は「射殺か」という言葉は、難民を取り締まり(しかも「射殺」という恐るべき暴力的方法で)の対象としかみていない麻生氏および安倍政権の難民観を端的に示すものです。ドイツなど欧州各国が苦心して難民を受け入れているのと対照的に、日本が一貫して難民受け入れに背を向けている実態と無関係ではありません。

 ③ 麻生氏の発言は、「北朝鮮で有事が発生すれば」(24日付共同配信)という前提で行われたものであり、「Jアラート」騒動と同様、「北朝鮮は怖い」という空気をふりまく役割を果たしています。

 麻生氏は先月、「ヒトラーはいくら動機が正しくても…」とヒトラーを美化して批判を浴びたばかり。これまでに憲法改定でもヒトラーの手法を礼賛したり、閣僚の靖国神社参拝を肯定し実践したり、「従軍慰安婦」(戦時性奴隷)の「河野談話」に反対するなど、その軽挙妄動は枚挙にいとまがありません。

 とりわけ日本が朝鮮を植民地支配する手段の1つとした「創氏改名」を「朝鮮人が望んだ」と述べる(2003年5月)など、日本のアジア侵略、朝鮮・台湾植民地化を肯定する姿勢は一貫しています。
 そうした歴史修正主義者ぶりが安倍晋三氏と「おともだち」であるゆえんで、今回の暴言もそうした日本の侵略・植民地支配に対する無反省と無関係ではありません。

 こうして多くの問題を含む麻生氏の発言ですが、一方で真実を暴露した点があることが注目されます。それは、自衛隊の正体(本質)を吐露したことです。

 麻生氏は「武装難民」を「射殺」する場合、「自衛隊、防衛出動か」と述べました。朝日新聞は「防衛出動は…難民対応は想定していない」(24日付)として麻生氏の発言を的外れとしていますが、けっして的を外れているわけではありません。

 自衛隊は、外に向かってはアメリカに従属する軍隊であり、同時に、国内に向かっては、国家権力に抵抗する市民を弾圧する軍隊です。それは「防衛出動」ではなく、「治安出動」として自衛隊法に明記されています。

 「内閣総理大臣は、間接侵略その他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては、治安を維持することができないと認められる場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる」(自衛隊法第78条)

 麻生氏の「射殺」発言が、この「治安出動」条項を念頭に置いていることは明白です。

 ただこの自衛隊の正体は、「一般市民」には見えにくくなっています。政府が見えにくくしています。しかしそれがはっきり見える所があります。沖縄です。

 みずからボートに乗って連日辺野古新基地建設阻止の先頭に立っている作家の目取真俊氏(写真右)はこう語っています。

 「沖縄の反基地運動が大きくなって(くると)、沖縄の反基地運動をつぶそうという動きが露骨になるし、最後は自衛隊が出動するだろうと思いますよ。沖縄に自衛隊を配備しているのは、中国から領土を守るだけでなく、沖縄で反基地の暴動が起こった時、それを鎮圧するためにいると思います。それが沖縄の自衛隊の役割だと。…これは沖縄だけの話ではなく、首都だって暴動になれば最後は自衛隊が鎮圧に乗り出してきます。沖縄ではいま、その一歩手前で機動隊が出てきているわけですから。毎日辺野古へ行って機動隊に殴られたり、海保に海に落とされて海水を飲まされたら分かりますから。いざという時に権力は容赦しませんよ」(『沖縄と国家』=辺見庸氏との対談、角川新書、2017年8月)

 麻生氏の妄言は、朝鮮半島、沖縄の情勢が緊迫化する中で、自衛隊・国家権力の正体を思わず自ら暴露したものと言えるでしょう。


北朝鮮を挑発し、核禁止条約署名を妨害するアメリカ

2017年09月23日 | 核・被爆者と日米同盟

     

 トランプ大統領が国連総会の一般討論演説(19日)で北朝鮮の金正恩委員長を「ロケットマン」と揶揄し、「完全に破壊するしか選択肢がなくなる」と威圧したことに対し、金氏は22日の声明で、「史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」と応酬しました。
 「言葉の戦争」が過熱していますが、今回の経緯は、挑発しているのはアメリカの方であることをはっきり示しています。

 一方、国連本部では20日、今年7月に採択された「核兵器禁止条約」(賛成122カ国)の署名式が行われました。

 総会の一般討論演説と核兵器禁止条約署名式。国連の場で同時に進行した2つの舞台は、実は水面下で深く結びついています。仕掛け人はトランプ氏です。

 トランプ氏は総会演説で北朝鮮を挑発し、核兵器使用も含む武力行使への環境づくりをすすめる一方、禁止条約の署名が進み発効する(批准国が50カ国に達した日から90日後に発効)ことがないよう、賛成国に圧力をかけているのです。
 自分が核兵器禁止条約に反対するだけでなく、その発効を妨害する。核大国の横暴極まれりと言わねばなりません。

 「米国は自国の核抑止力に影響が及ぶことを嫌い、制定交渉開始が始まった昨年の国連総会の段階から、条約の阻止を図ってきた。唯一の被爆国(戦争被爆国ー引用者)である日本の参加見送りにもつながった
 条約制定に貢献した非政府組織(NGO)核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のフィン事務局長によると、7月の条約採択で賛成した国に対し、米国はその後も署名しないよう圧力をかけ続けている。
 米軍基地を抱えていたり、米政府の援助に頼っていたりする国は圧力に屈しやすい。アジアや太平洋地域の小国の中には、条約に積極的に賛成するのを控え、署名に時間がかかりそうなケースが出始めているという」(21日付共同配信)

 「条約には既に50カ国・地域が署名したが、条約支持国の当局者は「米国、ロシア、フランスが(条約に署名しないよう)厳しい圧力をかけている」と話す」(22日付共同配信)

 NHKニュース(20日朝)によれば、「アメリカのマティス国防長官がスウェーデンに書簡を送り、署名すれば防衛協力に悪影響と警告」(写真左)、「スリランカはアメリカの圧力によって条約に署名するのが難しくなっている」「スイスやマーシャル諸島などは、さまざまな圧力を受け、署名できないのではとの見方もある」(写真中)。

 なんという横暴でしょうか。日本の安倍政権はこのアメリカに追随し、核兵器禁止条約に一貫して背を向け続けています(写真右)。

 アメリカが執拗に禁止条約の署名・発効を妨害するのはなぜでしょうか。

 「(国際原子力機関=IAEA)年次総会初日の18日に真っ先に禁止条約に言及したのはコリンソン総会議長(フィリピン)。北朝鮮の核の脅威に言及し「新たな現実には勇気と慎重さ双方を持って向き合わねばならない」と指摘。原子力の軍事利用を否定する核禁止条約による解決の道があると呼び掛けた」(22日共同配信)

 安倍首相は「対話ではなく圧力だ」と拳を振り上げましたが、圧力や制裁、まして武力行使ではなく、核兵器禁止条約を発効させ、それによる解決の道がある、というわけです。これこそ世界の反核世論が望む平和的解決でしょう。

 アメリカ・トランプ氏はこうした平和的解決を阻止するために禁止条約の署名に圧力をかけているのです。
 北朝鮮を挑発して緊張を高め、平和的解決を妨害しようとしているのがアメリカであり、日本の安倍政権は日米軍事同盟(安保条約)と戦争法(安保法制)によってそのアメリカと「100パーセント」一体になっているのです。

 


北朝鮮はダメでインド・イスラエルはOKという安倍首相の「核二枚舌」

2017年09月21日 | 核兵器と日米安保

    

 安倍首相は21日未明(日本時間)の国連演説で、「対話ではなく圧力だ」などと、演説の大半を使って北朝鮮への敵意をむき出しにしました。

 ところが安倍首相は、その演説の2日前(日本時間19日)、ニューヨークでイスラエルのネタニヤフ首相と固い握手を交わしました(写真右)。イスラエルは周知のとおり、核兵器保有国であり、その数は80にのぼります(SIPRIストックホルム国際平和研究所調べ)。

 北朝鮮の核を批判するなら、当然イスラエルの核も批判すべきではありませんか。言うまでもなくイスラエルはNPT(核拡散防止条約)が核保有を認めている国ではありません(北朝鮮と同じくNPT不加盟)。

 北朝鮮の核はダメだが、イスラエルの核はいい。そんな理屈がどうして通るでしょうか。

 安倍首相の「核二枚舌」がより端的に表れているのは、インドとの関係です。

 安倍首相は国連へ行く直前の14日、昭恵夫人を同伴してインドを訪れ、モディ首相と抱擁を交わした後、「共同声明」を発表しました(写真中)。その中で、「日米インド3カ国による共同訓練や、防衛装備品などの防衛、安保協力を推進」(15日付中国新聞=共同)する、すなわち日米印3カ国の軍事協力体制の推進を確認しました。

 安倍政権はすでにインドとの間で「日印原子力協定」を締結しています(ことし7月20年発効)。「協定により、核拡散防止条約(NPT)未加盟のインドに核物質や原子力関連技術の移転ができるようになる」(7月21日付中国新聞=共同)。

 インドは120発の核兵器を保有しています(SIPRI調べ)。核実験も3回行っています。日本は「原子力協定」によって間接的にインドの核兵器開発・保有に手を貸すことになると言っても過言ではありません。

 このような安倍首相に「北朝鮮の核」を批判する資格があるでしょうか。

 「核」について、アメリカをはじめとする「保有5大国」やインド、イスラエルと、北朝鮮を差別する二重基準(ダブルスタンダード)は、けっして世界の常識ではありません。

 アメリカによるビキニ環礁水爆実験(1954年3月1日)で甚大な被害を受けたマーシャル諸島(1986年独立)は、3年前の2014年、核兵器保有国に対し、「国際法上の核軍縮義務に違反している」として国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)に提訴しました。
 訴えた相手国は、アメリカロシアイギリスフランス中国の「核5大国」とNPTに加盟していないインドパキスタンイスラエル北朝鮮の計9カ国、すべての核保有国です。

 裁判は事実上門前払いに終わりましたが、この提訴は「1匹のアリが9頭のゾウに挑んだ」といわれ、今年7月に成立した核兵器禁止条約につながりました。(この項、18日付中国新聞・金崎由美記者の記事による)

 「(核兵器の)全廃こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法」(核兵器禁止条約前文)です。
 核保有大国(アメリカ=7000発ロシア=7290発フランス=300発中国=260発イギリス=215発。SIPRI調べ)の責任を棚上げして北朝鮮をやり玉に上げるのは、公平・公正でないばかりか、核兵器全廃に逆行するものと言わざるをえません。
 


「チビチリガマ事件」と翁長県政の「教科書」展示拒否

2017年09月19日 | 沖縄と戦争

     

 沖縄戦での日本軍による強制集団死(「集団自決」)を象徴するチビチリガマが荒らされた事件で、県内の16~19歳の少年4人が逮捕されたことは、「少年ということに大きなショックを受けている。想定していなかった」(與那覇徳雄遺族会会長、17日付沖縄タイムス)と、県内に衝撃を与えています。

 しかし、この「事件」を逮捕された少年たちの問題としてすませることはできません。

 沖縄での平和教育の第一人者、新城俊昭沖縄大客員教授は、「戦後70年を超え、若者たちの周囲に戦争体験者が少なくなっていることも背景の一つだと思う。…今後、ますます戦争体験者が少なくなっていく中で、戦争を感じられるような平和教育には戦跡の活用が鍵だ。…地域や学校の平和学習の場で戦跡を訪れ、伝えていくことが重要だ」(17日付琉球新報)と指摘しています。

 沖縄の平和教育が岐路に立っていることが分かる指摘ですが、問われているのは、平和教育のあり方だけではありません。

 ことし6月、「9・29県民大会決議を実現させる会」(仲西春雅世話人)が、沖縄県庁(写真中)1階の県民ホールでパネル展を開催するにあたり、県教育庁に後援を依頼しました。
 「9・29県民大会」とは、政府・文科省が「集団自決」に日本軍の強制性があったと教科書に明記しないよう求める検定意見を出した2007年、これに抗議する県民11万6000人が超党派で結集し、検定意見の撤回を求めた集会です。「沖縄の歴史上初めて「対米軍」ではなく「対日本政府」に対して行われた…大きな歴史的転換点」(櫻澤誠氏『沖縄現代史』中公新書)でした。
 これには当時の仲井真弘多知事も参加し、県教育長は壇上で発言さえしたのですから、「実現させる会」がパネル展の後援を教育庁に依頼したのは当然です。
 ところが県教育庁は、「後援すれば『集団自決』を記述している教科書を各地区に推奨しているとみられる」(6月6日付琉球新報)とし、「中立性」を口実に後援を拒否したのです。

 「実現する会」は次に県平和擁護・男女参画課に後援を依頼しました。結果、パネル展示の許可は得られたものの、「展示内容は沖縄戦の実相を伝えるものに限る」(7月1日付琉球新報)という条件付きで、「9・29県民大会」や教科書問題には一切触れられなくなりました。

 「実現する会」の玉寄哲永相談役は、「軍による強制は事実だ。教育庁が『特定の記述を支持するのは中立性を欠く』とするのはおかしい」(7月1日付琉球新報)と怒り、琉球大学教育学部の山口剛史准教授は、「沖縄の歴史を教科書にどう実現して発信するかは、県民全体の課題だ。県も県民と共に歴史の継承に取り組んでいくべきだ」(7月2日付琉球新報)と強調しています。

 翁長県政が「9.29県民大会」と教科書問題のパネル展示を拒否(禁止)したことは、強制集団死をめるぐ教科書検定の不当性、それに抗議して立ち上がった県民大会の歴史を風化させるものと言わねばなりません。
 
 こうした翁長県政の動向が、今回の「チビチリガマ事件」と無関係だと言えるでしょうか。

 翁長県政下における沖縄での平和教育の風化・変質化はこれだけではありません。

 石垣市では「南京事件(大虐殺)」や「従軍慰安婦(性奴隷)」に関する記述を盛り込んだ小中校向けの副読本が今年度から刊行・配布中止となりました。

 那覇市(「オール沖縄」市政)や浦添市など5市町村で区政する那覇地区は、来年度から使用する小学校の道徳教科書に、「国歌・国旗」の文量が突出している「愛国主義」的な教育出版の教科書を採択することを、密室で決定しました。

 従来の「平和・革新勢力」が「オール沖縄」の名の下に翁長知事を無条件で支持している状況の中、沖縄の「平和教育」は大きな曲がり角にさしかかっています。


天皇を政治利用する党利党略解散は許されない

2017年09月18日 | 憲法と安倍政権

    

 17日の朝刊から「年内解散」の風(報道)が台風なみに吹き荒れ、18日には「臨時国会冒頭解散、来月22日投票」で確定したような空気がつくられています。

 あまりにも唐突な早期解散。首相に近い(癒着した)時事通信特別解説委員の田崎史郎氏は、このタイミングの意味は、①民進党の混乱②小池新党の準備不足③北朝鮮の制裁時期ーだと安倍首相の意向を代弁しました(写真中)。田崎氏はあえて触れませんでしたが、臨時国会で「森友・加計学園問題」の追及を避ける狙いもあるとみられます。

 いずれにしても、「「解散の大義より打算」(自民党筋)を優先した」(18日付共同配信)ことは衆目の一致するところです。

 このような打算解散が、憲法に照らして、果たして許されるでしょうか。

 安倍首相の側近、萩生田幹事長代理(加計学園問題の黒幕の1人)は、「解散権は全て総理に委ねられている」と述べ(写真右)、メディアもこぞって「伝家の宝刀」などと言って「首相の解散権」なるものを当然視しています。しかし、それは誤りです。

 憲法が衆院の解散にふれている個所は2カ所しかありません。1つは第69条の「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、または信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」(69条解散

 今回安倍首相が狙っているのはもちろんこれではありません。憲法が解散に触れているもう1つの個所は、第7条の「天皇の国事行為」10項目の3番目、「衆議院を解散すること」です。7条が「内閣の助言と承認により」としていることから、首相が自由に解散できるかのように曲解されているのです(7条解散)。

 そもそも、7条には解散の主体が明記されていない(内閣は「助言と承認」にすぎない)ことから、7条を根拠に解散することはできないという学説(「69条限定説」。学説上は少数派とされています)があります。

 7条解散を認める立場からも、「衆議院の解散権は首相の専権事項だと言うことが多い。しかし、これは誤りで、解散権は内閣の権限だ。もちろん首相は閣僚を任意に罷免できるので、解散に反対の閣僚を罷免して閣議決定を行えばよいことにはなる」(赤坂正浩立教大教授『憲法2統治』有斐閣)と指摘されています。

 「憲法69条以外の解散については、憲法学では①内閣の重要案件(重要法案もしくは予算案)が否決もしくは審議未了になった場合、②総選挙時の争点でなかった内政・外交上の新たな重要課題が生じた場合、③内閣がその基本政策を変更する場合、等に限られている」(畑安次金沢大教授『日本国憲法 主権・人権・平和』ミネルヴァ書房)というのが多数派のようです。

 すなわち、「解散権については「内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は、不当である」(芦部信喜『憲法』)、「必然性がないのに政権党の党利党略で解散するなどのことは許されない」(浦部法穂『憲法学教室』)というのが憲法学会の通説だ。首相に解散権を無制限に与えたものではないのである」(18日付沖縄タイムス社説)。

 今回のように一片の「大義」もない党利党略の打算解散は、憲法の趣旨に反し、天皇を政治利用する政権党の暴挙にほかなりません。「伝家の宝刀」などと言って容認することは絶対に許されません。

 にもかかわらず、現行憲法下で行われた20回の衆議院解散のうち、69条解散は4回だけであとの16回は党利党略の7条解散です。ここに政権党(国家権力)にとっての「象徴天皇制」の存在意義の1つがあると言わざるをえません。


官邸は前日から知っていた!Jアラートは憎悪あおる道具

2017年09月16日 | 日米安保と東アジア

     

 15日午前7時0分、東日本の12道県にまたしての「Jアラート」のけたたましい音が鳴り響き、市民を混乱させました。前回(8月29日)批判が噴出したことから「頑丈な建物」の「頑丈な」は削除したものの、「建物の中、または地下へ避難してください」の文言は変わらず、市民は戸惑うばかりです。

 ところで、前回の「Jアラート騒動」が安倍政権が仕組んだ芝居だったことは先に指摘しましたが(8月31日のブログ参照http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20170831)、今回もまったく同じ作為であったことが明らかになりました。

 16日午前8時放送の日本テレビ系列「ウェークアップ」で、日本テレビ政治部国会・官邸キャップの青山和弘記者がこう述べました。
 「官邸はおととい(14日)午後から(ミサイル発射の)情報をつかんでいました。ある(官邸)職員などは(長引く対応に備えて)下着を買いに行ったほどです」

 安倍政権とは昵懇の読売・日テレの官邸キャップがテレビで公言したのですから、まさかウソではないでしょう。

 韓国の文大統領も、「14日の時点で北朝鮮のミサイル発射の兆候があるとの報告を受け」ていたといいます(15日の「報道ステーション」)

 安倍政権は、前日から「ミサイル発射」の情報をつかんでいながら、国民にはそれをひた隠しにし、ミサイル発射(6:57)から3分後にJアラートを鳴らして市民を混乱させたのです。前日から分かっていたのですから、その時点で国民に情報を示していれば大騒ぎする必要はありませんでした。
 しかも政府は、ミサイル発射直後にはその軌道を把握できるのですから、12道県をJアラートの対象にする必要などありません。
 だいいち、Jアラートが鳴って(7:00)ミサイルが上空(宇宙空間)を通過(7:04~06)するまでのわずか4~6分で、どこへ避難しろと言うのでしょうか。

 Jアラートは、市民を混乱させるだけで、実際には何の役にも立たない無用の長物です。

 ではなぜ安倍政権は懲りずに「Jアラート騒動」を演出するのでしょうか。それは市民に対し、「いい加減にしてくれ」「怖い」(テレビで流された市民の声)という感情を引き起こし、「北朝鮮の脅威」を掻き立て「憎悪」をあおるため以外の何ものでもありません。

 15日の日韓首脳電話会談で、安倍首相が「日本国民は強い憤りを覚えている」と国民感情を持ち出して文大統領に「北朝鮮への制裁強化」の同調を求めたことに、その狙いが端的に示されています。(写真中)

 それが教育現場にまで及んでいることはきわめて重大です。子どもたちはJアラートが鳴った時に備えるとして、防空頭巾をかぶった避難訓練をさせられています(写真右)。テレビ局「北朝鮮はこわい」という子どもたちの声を意図的に流しています。

 こうした状況はまさに70~80年前の帝国日本の再現であり、きわめて危険です。

 「第2次世界大戦中は「空襲から逃げるな。消火せよ」と求められ、バケツリレーをしないと非国民扱いされた。国が恐怖や不安を利用して政策を進め、国民の思考が止まった、かつての構図が復活しかねないと心配している」(水島朝穂早稲田大教授、15日付中国新聞)

 こうした安倍戦略に手を貸しているのが、日本のメディアです。

 新聞各紙は16日付1面でも、「ミサイル日本通過」の大見出しを立てました。「日本通過」とは日本の領空侵犯を意味し、北朝鮮が日本の主権を侵したことになります。しかしミサイルは宇宙空間を通過したのであり、領空侵犯ではありません。「日本通過」は明白な誤りです(8月31日のブログ参照)

 今回政府は、当初エムネット(内閣官房から地方自治体への緊急専用回線)で「我が国の領域に侵入」(15日午前7時25分)と流しましたが、3時間後に「修正いたします」(午前10時12分)として「領域に侵入」を削除しました。さすがにウソを通すことができなかったのです。

 ところが、その経過を十分知っている報道機関が、翌日の新聞でまたしても臆面もなく「日本通過」と報じたのです。前回は「知らなかった」という無知が言い訳になったかもしれませんが、今回はそうはいきません。明らかに意図的に「日本通過」と報じたと言わざるをえません。

 安倍政権と呼応し、ウソの大見出しで北朝鮮の「脅威」をあおる(創作する)日本のメディア。報道に携わる者にあるまじき言語道断の権力迎合、腐敗・堕落と言わねばなりません。


チビチリガマ破壊を「ヘイト」と捉えた金城実さんの怒り

2017年09月14日 | 沖縄・平和・基地

     

 沖縄戦で83名の住民が日本帝国軍隊によって強制集団死(「集団自決」)させられた「チビチリガマ」(読谷村)が、何者かによって荒らされていることがわかりました(12日)。

 チビチリガマは1987年にも右翼団体によって破壊されています。佐喜真美術館の佐喜真道夫館長は、「3度(沖縄戦、87年、今回)殺されたと言える。『沖縄の人間なら何度殺してもかまわない』という差別的な思いが感じられ不気味だ」(13日付琉球新報)と述べています。

 沖縄にはガマ(自然洞窟)をはじめ多くの戦跡がありますが、なかでもチビチリガマには特別の意味があります。

 「住民が集団で死に追いやられたのは、民間人にまで死を求めた日本軍の強制と誘導があったからだ。チビチリガマは沖縄戦の日本軍による住民被害(虐殺と言うべきー引用者)を象徴する場である」(14日付琉球新報社説)

 今回の行為が、「平和学習の意味をも破壊する行為」(吉浜忍沖縄国際大教授、13日付沖縄タイムス)であることは言うまでもありません。同時に、安倍政権による辺野古新基地建設強行とも深く関連しているでしょう。

 「辺野古の新基地建設を阻止する運動が、戦争体験者を先頭に展開されている。今回の行為には…運動をひるませ押しつぶそうという狙いがあるのではないか」(石原昌家沖縄国際大名誉教授、13日付琉球新報)

 沖縄で落胆と怒りの声が広がっている中、とりわけ注目されたのが、チビチリガマの像(「世代を結ぶ平和の像」)を作製し、「チビチリガマの歌碑」も作詞した彫刻家・金城実さん(読谷村在住、写真右)のコメントです。

 金城さんは、「チビチリガマの死は強制された死だ。『集団自決』ではない。皇民化教育がそうさせたのであって、『自決』『自殺』ではないんだ」と指摘し、さらにこう続けました。「面白くないと思っている人がやったのか分からないが、ヘイトスピーチのようなものだ。許してはいけない」(13日付琉球新報)

 ヘイトスピーチとは、「人種、民族、国籍、性などの属性を有するマイノリティの集団もしくは個人に対し、その属性を理由とする差別的表現」(師岡康子氏『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書)であり、「ターゲットであるマイノリティは、奴隷制度、身分制度の植民地支配などの歴史的に形成された差別構造の中で、幾世代にもわたる差別体験の記憶を背負わされ、また、日常的にも様々な理不尽な差別を受け、民族的・人格的尊厳、アイデンティティを傷つけられ苦しめられている人々」(同)です。

 金城さんは、チビチリガマの破壊行為を、たんなる平和教育や辺野古新基地阻止運動への嫌がらせではなく、沖縄(琉球民族)に対する歴史的・構造的差別を念頭に、上記のような意味をもつ「ヘイトスピーチのようなもの」と捕らえました。

 それはまた、金城さんが「オモニの像」(大阪、在日の女性)や「恨之碑」(読谷村、朝鮮人強制連行)など、在日朝鮮人と深く交わり、朝鮮人差別とたたかってきたこととけっして無関係ではないでしょう。

 ヘイトスピーチが横行し、在日の子どもたちはじめマイノリティに対する政策的・市民的差別が強まっているいま、金城さんがチビチリガマの破壊行為を「ヘイトスピーチのようなもの」ととらえたことの意味を、「本土」のマジョリティである私たち「日本人」は、真剣に受け止めねばならないのではないでしょうか。