アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

書き残したことー「五輪」「原発」「派兵」・・・

2016年12月31日 | 政権とメディア

      

 今年もあと1日。年の明け暮れにそれほど意味は感じませんが、一応の区切りとして、これまで書こうと思って書けなかったことのいくつかを列挙します。もちろん、ここにないことで重要な問題はいくらもあります。

★「東京五輪会場問題」の異常報道は何をもたらすか

 大手ゼネコンと組織委員会(森喜朗会長)の癒着を暴くならともかく、ただ競技会場がどこになるのかを連日大きく取り上げた報道は異常です。それはたんにニュース価値判断の誤りにととまらず、重大な政治的意味を持ちます。
 ①問題点隠蔽する国策キャンペーン
  安倍首相の福島原発「アンダーコントロール」発言や経費の超過小見積もり、さらに「危機管理」強化など、東京五輪開催には問題点が山積しています。一連の「会場報道」はそれらを隠蔽し、「東京五輪」を「国民的行事」に仕立てる国策キャンペーンと言わねばなりません。
 ②安倍首相につながる森元首相を「大物」扱い
 森氏が安倍首相と深い関係にあることは周知の事実。「神の国」暴言で退陣した森氏を組織委員会会長として「大物」扱いすることは、安倍氏を喜ばせ、五輪と政界(自民党)の腐れ縁を強めるだけです。
 ③小池都知事美化の危険
 小泉元首相流のパフォーマンスで小池百合子都知事の「世論調査人気」が上がっています。しかし小池氏は「五輪」問題でも実際の闇にはなんらメスを入れていません。一方、都知事としての肝心な問題ではまったく責任を果たしていません。その典型がオスプレイです。沖縄にオスプレイが墜落した時、彼女は何かコメントを出したでしょうか。広島県知事(保守)でさえ会見で「危惧」を示したのに。オスプレイは2017年後半までに3機、21年までにさらに7機、横田に配備されることになっています。そのオスプレイ墜落について、小池氏は都知事として何か言ったでしょうか。自民党政権の防衛相として日米軍事同盟強化の旗を振ってきた実像は隠されたまま、メディアの小池美化報道が続いています。

★「福島避難児童・生徒へのいじめ」、元凶は安倍政権

 学校の対応にも問題はあります。しかし、避難児童・生徒へのいじめの根源は、福島からの自主避難家族に対する社会の無理解ではないでしょうか。子どもはおとな(社会)の鏡です。
 その社会の無理解をつくりだしている元凶は安倍政権です。放射能被害の過小評価を続ける一方、自主避難者に対する家賃補助の打ち切りはその典型です。

すすむ「銃後」の体制づくり

 呉市は来年度から、「海外出張」する自衛隊員の子どもを預かるため、特別の保育所体制をとることを決めました。
 防衛省は自衛隊員の死亡・重度障害の弔慰金・見舞金の限度額を6000万円から9000万円に引き上げました。
 自衛隊の海外派兵を強化・拡大するための「銃後」の体制づくりが進んでいます。南スーダンの「活動日誌」は保存しないことにしました。自衛隊員(兵士)の負傷・戦死は闇に葬られる恐れがあります。
 日本の戦時体制づくりは、国家秘密法や戦争法などの法律分野から、市民生活にまでひたひたと広がろうとしています。

増えたニュースの「自衛隊提供」写真・映像

 地震のニュースなどで、「自衛隊提供」の写真や映像が使われることが多くなっているのではないでしょうか。メディアが自分で撮影できるような対象にも安易に使われているように感じます。最も目につくのはNHKです。
 一方、東電福島原発事故の写真・映像は一貫して「東京電力提供」が使われています。いつまで「犯人」が差し出す「証拠写真」を「事実」として流すつもりでしょうか。
 「自衛隊提供」「東電提供」をなんのためらいもなく使うのは、メディアの堕落・腐敗であり、戦時国家体制づくりに不可欠な情報の国家統制につながることを銘記する必要があります。

愛子さんの「不登校」報道は人権侵害

 宮内庁は皇太子の娘の愛子さんの「登校」「不登校」を逐一発表し、メディアはそれを垂れ流しています。これは重大な人権侵害と言わねばなりません。
 「不登校」はけっして悪ではありません。それを「好ましくないもの」のように扱い、「登校刺激」を与えることは「不登校児・者」にとっては最悪です。
 愛子さんがこうした人権侵害にさらされるのは、皇太子の娘だからにほかなりません。なん人にも備わっている人権を平気で蹂躙するのが「象徴天皇制」という国家の制度です。「皇族」といわれる人たちの人権尊重・擁護のためにも象徴天皇制は廃止しなければなりません。

 ※お読みいただき、ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。


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「真珠湾」・「慰安婦」・「辺野古・高江」

2016年12月29日 | 日米同盟と安倍政権

    

 安倍首相に同行して真珠湾に行った稲田朋美防衛相は帰国早々(29日午前)、「防衛相として」靖国神社を参拝しました。
 安倍首相の真珠湾演説(日本時間28日)に対しては、「アジアへの視線も希薄だ」(29日付朝日新聞社説)など、アジア侵略をまったく棚上げしたことへの指摘・批判は少なくありませんが、稲田氏の靖国参拝とそれを「ノーコメント」としてかばった安倍首相の姿は、「希薄」どころか、「アジアへの視線」など微塵もないことをあらためて露呈したものです。

 歴史認識に基づく「反省」や「謝罪」に背を向けた「和解」など、侵略の事実と責任を隠蔽するだけです。
 そのまやかしの「和解」は、「慰安婦」をめぐる「日韓合意」にも表れています。安倍政権が「賠償ではない」(岸田外相)と強調して出した10億円。それで設立されたのが「和解・癒し財団」です。

 12月28日はその「日韓合意」からちょうど1年。韓国ではソウルやプサンで「合意」の無効を求める市民の集会やデモが繰り広げられました(写真中)。

 まやかしの「和解」に対して、はっきりした実体があるのが、安倍氏が繰り返し述べたもう1つのキーワードである「日米同盟」、日米安保条約に基づく軍事同盟です。

 安倍氏は真珠湾演説で、日米同盟は「世界を覆う幾多の困難にともに立ち向かう同盟」だと言いました。日米安保を地球規模に拡大しアメリカと一体の軍事行動を展開するという宣言です。「和解」は軍事同盟を覆い隠す衣です。

 「和解」と軍事同盟のこの関係は、「慰安婦」についての「日韓合意」にも貫かれています。

 「日韓日本軍『慰安婦』合意は、日米韓軍事同盟を強化するために日本の戦争犯罪に免罪符を与える措置だった。合意後、政府(韓国政府ー引用者)は待っていたかのようにTHAAD(高高度防衛ミサイルー引用者)の韓国配置を決定し、日韓軍事情報保護協定締結を推し進めた。日韓関係の『障壁』となった『慰安婦』問題を拙速に屈辱的な合意によって『最終的かつ不可逆的解決』と宣言し、三国間の軍事同盟に拍車をかけたのだ」(「日韓日本軍『慰安婦』合意無効化と正義の解決のための全国行動」代表らによる27日のソウルでの記者会見文より)

 安倍氏がハワイに到着した27日は、防衛省が辺野古新基地建設工事再開を強行した日でした。13日に墜落したオスプレイの飛行を早くも19日に再開したのに続く暴挙です。真珠湾演説に先立つオバマ氏との会談で、安倍氏は、辺野古新基地建設を「着実に進めていきたい」と改め表明しました。29日朝のNHKニュースでは、米軍は墜落の原因となったオスプレイの「空中給油」を年明け早々にも再開するといいます。

 くしくも同じ12月28日に行われた1年前の「日韓日本軍『慰安婦』合意」と今回の真珠湾訪問・演説。そしてその前後のオスプレイ、辺野古・高江新基地建設をめぐる動き。
 それは偶然のように見えて1本の同じ糸でつながっています。日米軍事同盟という黒い糸で。


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直ちに「承認撤回」しないのは翁長知事の公約違反

2016年12月27日 | 沖縄・翁長・辺野古・...

     

 いつまで舌先三寸で県民を愚弄するつもりでしょうか。

 「辺野古埋立承認の取り消し」を取り消した26日、翁長雄志知事は記者との「一問一答」でこう言いました。
 「原点に戻り新辺野古基地を造らせないという新たなスタートを切っていきたいと改めて決意を固めている」「知事権限はしっかりやりながら、必ず新辺野古基地は造らせない」(27日付琉球新報)

 中身のない「造らせない」「知事権限」はうんざりです。
 「工事の前の事前協議」(翁長氏)など、工事強行を事実上認めるものに他ならず、「反対ポーズ」以外の何ものでもありません。

 「取り消しを取り消し」た以上、翁長氏がやるべきことはただ1つ。直ちに埋立承認を「撤回」する以外にありません。「視野に入れる」などの逃げ口上は通用しません。安倍政権が工事再開を強行する前に、今すぐ「撤回」しなければなりません。「県が次に工事を止めることができる権限の行使が、埋め立て承認の『撤回』」(27日付琉球新報)だからです。

 ところが、「ある県関係者」なるものが「撤回は、取り消し以上にハードルが高い」(24日付沖縄タイムス)と言ってみたり、「県幹部」が「撤回は大きな権限だけに『伝家の宝刀』と言え、慎重に判断する必要がある」(27日付琉球新報)と述べるなど、翁長氏周辺から「撤回」を棚上げしようとする発言・動きが相次いでいます。それに迎合するように「撤回の可能性を探る作業を急ぐべきだ」(27日付沖縄タイムス社説)などという間の抜けた論調も出ています。

 冗談ではありません。いまさら「可能性を探る」必要などありません。知事に「承認撤回」の権限があり、それを行使することが焦眉の課題であることは、撤回問題法的検討会(新垣勉弁護士ら)が翁長氏に「撤回」を求める「意見書」(2015年5月1日)を提出した時から疑問の余地はありません。
 今月22日にも、うるま市島ぐるみ会議が、知事は「いつでも撤回権を行使できる」として「撤回を必ず実行」することを求める「要請書」を提出しています。
 「伝家の宝刀」というなら、工事再開が強行される前に抜かないでいつ抜くというのでしょうか。

 強調しなけばならないのは、「撤回」は翁長氏の明確な選挙公約だということです。

 そもそも、翁長氏が知事選に立候補する出発点となった共産党、社民党などとの「沖縄県知事選挙にのぞむ基本姿勢および組織協定」(2014年9月13日)で、「新しい知事は埋め立て承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地は造らせません」と明記し、「撤回」こそ民意であることを確認(政策合意)して立候補したのです。

 つづいて、政策発表記者会見(2014年10月21日)でも翁長氏は、「撤回は、法的な瑕疵がなくても、その後の新たな事象で撤回するということですが、知事の埋め立て承認に対して、県民がノーという意思を強く示すことが、新たな事象になると思います」(同22日付「しんぶん赤旗」)と述べ、知事選で勝てば「撤回」する考えを示しました。

 さらに、当選後初の県議会12月定例会(2014年12月17日)でも翁長氏は、「法的に瑕疵があれば取り消し、そうでなければ新たな事情の変化で撤回につながっていく」「知事選で示された民意は埋め立て承認を撤回する事由になると思う」(同18日付琉球新報)と答弁しています。

 「撤回」が翁長氏の公約であることは疑う余地がありません。「取り消し」を自ら取り消した以上、翁長氏が公約に沿って行うべきことは、間髪入れずに「撤回」する以外にないのです。

 26日には県庁1階ロビーに約100人が集まり、翁長氏に対する抗議集会が開かれました。仲宗根勇氏(うるま市具志川九条の会共同代表)は、「承認取り消しを取り消すならば、同時に撤回に踏み切るべきだ」と何度も強調し、「撤回まで踏み切らなければ、これまで知事を支えてきた県民への明白な裏切りだ」(27日付沖縄タイムス)と批判しました。

 その通りです。直ちに「撤回」しないことは、翁長氏の公約違反であり、「県民への明白な裏切り」です。
 


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ソウル訪問・西大門刑務所と「朝鮮のジャンヌダルク」

2016年12月26日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.

     

     

 朴大統領への抗議デモが続けられているソウルのメーンストリートから地下鉄で3番目の駅(独立門)。静かな空気の中に、長い赤れんがの壁が続きます。「西大門刑務所歴史館」です。

 1908年に京城監獄として開所。12年に西大門監獄、23年に同刑務所に変更。戦後は「ソウル刑務所」となり(87年に移転)、「韓民族の受難と苦痛を象徴」(同館パンフレット)する場となっています。
 「日本帝国主義時代には、祖国の独立を勝ち取ろうと日本帝国主義に立ち向かって戦った独立運動家達や、解放(1945年8月15日ー引用者)後の独裁政権期には、民主化を成そうと独裁政権に立ち向かって戦った民主化運動家達が監獄暮らしの苦しみを味わい、犠牲になった現場」(同)だからです。

 入館して真っ先に目に飛び込むのは、朝鮮の「完全植民地化へ向けて采配をふるった」(梶村秀樹氏『朝鮮史』講談社現代新書)、伊藤博文(「統監府」初代統監)の大きな写真です(写真上右)。
 2階の展示室には犠牲になった人々の顔写真と経歴が一面に張り巡らされています。平日の昼間にもかかわらず来館者(観光客とは見えませんでした)は絶えないようです(写真下左)。

 冷たい館内の空気がひときわ肌を刺したのが、展示館地下の拷問室です。拷問道具が並ぶ取調室、鋭い牙で三方を囲まれた拷問箱(写真下中、右)。韓国の運動家に対して日本の警察が暴虐の限りを尽くした現場です。

 1919年の「3・1独立運動」のさ中、16歳の少女が日本軍・警察によって逮捕され、1年7カ月の投獄・拷問の末、ここで虐殺されました。「朝鮮のジャンヌダルク」(中塚明氏『日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研)といわれる柳寛順(ユ・グアンスン)です。

 「当時、梨花学堂(いまの梨花女子大学)に在学中の16歳の少女でしたが、郷里に帰って定期市の日に村人と一緒に独立行進し、その先頭に立ちました。憲兵の発砲で寛順の両親をふくむ30余人が死亡、彼女は首謀者として逮捕され懲役刑の宣告を受けました。しかし、『日本人にわれわれを裁く権利はない』と法廷闘争・獄中闘争をやめず、1920年10月、たびかさなる拷問がもとで、西大門の刑務所で18歳の生涯を閉じました。最後の言葉は、『日本はかならず亡ぶ』だったそうです」(中塚氏、同)

 首都ソウルの中心から目と鼻の先に、「民族の受難と苦痛の象徴」として広い敷地の刑務所跡を遺し、歴史館とし、「独立と民主の現場!」(同館パンフ)として人々が訪れる。
 朴大統領を糾弾し政治の民主化を求める「ろうそくデモ」の底流を流れる韓国民衆の伝統を見る思いでした。

 そしてなによりも、それは帝国日本の、あるいはそれ以前からの日本の、侵略・植民地化に対する韓国・朝鮮民衆の命がけの抵抗・たたかいの歴史・伝統にほかならないことを、日本人として肝に銘じなければならない、と自分に言い聞かせました。


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憲法違反を露呈した天皇の「誕生日会見」と識者の「自制」

2016年12月24日 | 天皇制と憲法

     

 23日の「天皇誕生日」に発表された明仁天皇の宮内庁記者会との会見内容には、見過ごすことができない重大な問題が含まれています。(以下、天皇発言の引用は宮内庁HPより)

 天皇が「今年1年を振り返ると、まず挙げられるのが」としたのが「フィリピン訪問」でした。その問題点については以前(2月1日、2日、4日)書いたのでここでは省略します。
 天皇はまた、「11月中旬には、私的旅行として長野県阿智村に行き、満蒙開拓平和記念館を訪れ…満蒙開拓に携わった人々の厳しい経験への理解を深めることができました」と述べました。

 天皇の「フィリピン訪問」と「満蒙開拓平和記念館訪問」には共通した問題があります。フィリピンに侵攻し現地住民に多大な犠牲を与え、また満州侵略と一体の開拓団を送り込んで多くの犠牲をもたらした最大の責任者はいずれも昭和天皇(裕仁)であること、にもかかわらず明仁天皇はそれに一切口をつぐみ、「友好」「理解」を強調することによって、天皇および天皇制帝国日本の加害責任を隠蔽する役割を果たしていることです。

 これはもちろん大きな問題ですが、ここでは、「生前退位」をめぐる天皇会見の問題を取り上げます。
 天皇はこの日の会見で、8月8日の「ビデオメッセージ」についてこう述べました。

 「8月には、天皇として自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け、各々の立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています」

 問題は、「内閣とも相談しながら」です。「ビデオメッセージ」は自分の独断専行ではないとして「憲法違反」との批判をかわそうとしたのでしょうが、これは語るに落ちるの類です。憲法はこう定めています。

 「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」(第3条)
 「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」(第4条)

 この規定に基づき、憲法は第6条と第7条で天皇の「国事行為」を合計12項目列記しています。この中に「ビデオメッセージ」で「生前退位」というきわめて憲法的・政治的な問題について私見をのべるという行為が含まれていないことは言うまでもありません。この点で「生前退位のビデオメッセージ」が憲法違反であることは明白です。

 これに対し、天皇およびその擁護者は、「ビデオメッセージ」は「国事行為」ではないが「公的行為」として許されるという「公的行為」論を持ち出します。しかし重要なのは、この説においても、「公的行為」に第3条の「内閣の助言と承認」が必要だという点では争いがないことです。

 「内閣と相談」と「内閣の助言と承認」がまったく別であることは言うまでもありません。天皇が「内閣とも相談しながら表明」したと述べたことは、あの「ビデオメッセージ」は「内閣の助言と承認」によるものではなかったと認めたに等しいのです。仮に「公的行為」論をとるとしても、それが第4条に抵触する「政治的」行為である上に、第3条の「内閣の助言と承認」にも反する二重の憲法違反であることは免れようがありません。

 憲法第99条によって、天皇にも憲法を「尊重し擁護する義務」が課せられています。〝天皇の憲法違反”を主権者である「国民」は絶対に許すことはできません。

 ところがこの重大な〝天皇の憲法違反”を指摘するメディア、「学者・識者」は皆無に等しいと言わねばなりません。深刻なのは、「体制寄りメディア・識者」だけでなく、「民主的」とみられている「識者」にも「天皇タブー」が蔓延していることです。

 例えば、権力に対する辛辣な批判で知られる作家の高村薫氏は、こう述べています。

 「八月にあった天皇のお気持ちの表明について新聞社から感想を求められたとき、反射的に<これは言ってはならない>という一定の自制が働いた結果、もっとも正直な思いを迂回して「これはたいへんな事態になったと思いました」と応えていた。…政治に関わってはならない天皇が、公の電波をつかって国民に表明してしまったこと、そのことである。…これは憲法に定められている象徴天皇の範囲を越えているのかもしれない、と考えていたのだが、初めに<これは言ってはならない>と自制したのは、まさにその「憲法違反」の一語である」(「図書」11月号、岩波書店)

 ここには、オピニオンリーダーと言っていいほどの識者の鋭い分析と、「自制」という名の天皇制・権力への迎合が混在しています。
 「象徴天皇制」によって政界、言論界にこうした「天皇タブー」「自主規制」が広く深く根を張っている現実を直視する必要があります。


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辺野古新基地阻止の決め手ー直ちに「埋立承認」の「撤回」を

2016年12月22日 | 沖縄・翁長・辺野古

     

 辺野古埋立をめぐる最高裁(第2小法廷・鬼丸かおる裁判長)の「判決」(20日)に対し、本土のメディアは「沖縄県敗訴確定」と大見出しで報じました。比較的政府に批判的な社説でも、「司法の最終判断は下った」(21日付毎日新聞)、「沖縄県側の敗訴が確定し、政府は埋め立て工事にお墨付きを得たことになる」(21日付朝日新聞)などの論調です。

 まるで辺野古埋立をめぐる法的争いは「決着」がついたかのような報道です。そう思っている本土の人間は少なくないでしょう。しかし、こうした報道・論調は二重に事実に反するものであり、辺野古新基地を阻止する今後の運動の足を引っ張るものと言わざるをえません。

 第1に、20日の最高裁判決は、「(仲井真前知事のー引用者)埋め立て承認に『瑕疵』がないことを確認したが、承認が『適切』であったと認めたものではない」(新垣勉弁護士、21日付沖縄タイムス)のです。

 最高裁は、前知事の「埋立承認」に違法性はない(その判断はもちろん不当ですが)から、それを取り消した翁長知事の行為は違法だ、と言ったにすぎません。
 「高裁判決では裁判所自ら安全保障政策と沖縄のあり方までずかずかと踏み込んでいって判断できるはずのない安全保障の問題で『辺野古唯一』と断定した。最高裁はさすがにそこまでは判断に含めなかった」(加藤裕弁護士、20日の知事会見で。21日付琉球新報)のです。高裁判決と最高裁判決のこの違いは重要です。

 第2に、したがってこれで辺野古埋立をめぐる法的争い(裁判)が終わったわけではありません。むしろ「本判決から今後、県がとりうる法的措置について重要な示唆を得られる」(武田真一郎成蹊大教授、21日付琉球新報)ことに注目する必要があります。

 最高裁判決が示唆した「今後県がとりうる法的措置」とは何でしょうか。それは「埋立承認の撤回」です。

 「本判決を逆から見れば、埋立承認の効力を維持することは公益に反するなどの理由で埋立承認を将来に向かって撤回するのであれば、承認を撤回した翁長知事の判断に裁量権の逸脱・濫用があるかどうかが審理されることになる。翁長知事が承認の効力を維持することは公益に反すると的確に主張できるとすれば、今後はこの点が大きな争点となる可能性がある」(武田真一郎氏、同)

 最高裁判決は仲井真前知事の「承認」の是非が審理の対象だったけれど、翁長氏が承認を「撤回」すれば、今度こそその「撤回」の是非、つまり辺野古を埋め立てて新しい米軍基地を造ることが「公益」(もちろん県民の民意を含め)に叶うかどうかという本質問題が審理の対象になるというわけです。

 「問題の核心は、前知事の埋め立て承認が県民にとって今後も維持すべき『適切な判断』(最高裁判決文ー引用者)と言えるか、否かにある。…埋め立て承認が『適切であったか、否か』を問う法的対抗策として、『撤回』処分がある。この処分は埋め立て承認後の新知事誕生に伴う政策変更(民意)を理由とするものであり、法的に十分成立する」(新垣勉氏、同前)

 翁長知事は「あらゆる手段で阻止する」と言いながら、具体的に何をするつもりなのか明らかにしていません。報道では、今後必要になるサンゴ移植、岩礁破砕、工法変更などの「許認可権」で「対抗」するとみられるとしています。しかし、これらの「許認可」はいずれも、仲井真前知事が行い、最高裁が「合法」と断じた「埋立承認」を前提にその上で争われるものです。その前提で争う限り、議論はまたもや手続き論に終始し、代執行も含め、ふたたび国の土俵となり、本質論に至らないまま国に有利に展開することになります。

 必要なのは、土台の「埋立承認」そのものを取り払うことであり、その是非を、民意を背景に、政治的に争うことです。それには「承認撤回」しかありません。

 「法に基づく正当な権限を行使し、国民の理解を得ながら世論を背にし、内閣に方針転換を迫るのが王道だろう」(仲地博沖縄大学長、22日付沖縄タイムス)

 その通りです。そしてその「王道」の具体的手段こそ「承認撤回」なのです。

 翁長知事は安倍政権が工事再開を強行する前に、直ちに埋立承認を「撤回」すべきです。


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オスプレイ飛行再開強行!これが日米軍事同盟の正体

2016年12月20日 | 沖縄と日米安保・自衛隊

     

 墜落から6日。事故原因の究明もないまま米政府・軍がオスプレイの飛行再開を強行し、日本政府がこれに「理解」を示したことは、自民党沖縄県連でさえ声を荒げて抗議するほど、理不尽極まりなく、一片の弁明の余地もありません。

 オスプレイを墜落させておきながら、「感謝すべきだ」「日本の防衛の役に立っている」と強弁するニコルソン四軍調整官は、朝鮮・東アジアを侵略し植民地にしたかつての日本帝国の言い分そのもの。まさに植民者の姿を浮き彫りにしたものです。

 重要なのは、これをたんなる「情報開示・説明不足」(翁長雄志知事)の問題に矮小化してはならないということです。今回のオスプレイの墜落と飛行再開強行は、日米安保条約にもとづく日米軍事同盟とはどういうものかその正体を浮き彫りにしたものに他なりません。その意味は次の3点です。

 ① 軍隊・軍事同盟は住民を守らない

 県民の不安・怒りには目もくれず米軍が飛行を再開したのは、ニコルソン氏が述べている通り、米軍の作戦のためです。軍隊が最優先するのは作戦の遂行と上官の命令であり、そのためなら住民を平気で犠牲にします。沖縄戦が示した軍隊の本質は今もなんら変わっていません。

 ② 日米安保=軍事同盟は「日本を守る」ものではない

 沖縄はじめ日本全国に米軍基地がある(全土基地方式)のは、日米安保条約が「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」(第6条)と規定しているからです。 
 それは「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」(同)としていますが、実際は「日本国の安全」などアメリカの眼中にはなく、あるのは極東戦略だけです。それが今回のことで改めてはっきり示されました。「日米安保で日本は守られている」という通説はまったくの幻想であり、日米両政府が意図的にふりまいている虚言にほかなりません。

 ② 日米安保は対米従属の軍事同盟である

 日本政府が世論の手前、事故原因が究明されるまでの飛行停止を求めたにもかかわらず、米側がこれを無視して再開を決め、日本政府が「抗議」1つせず「理解」した経過は、日本の対米従属をはっきり示したものです。日米安保体制は対米従属の軍事同盟なのです。

 こうした日米同盟の正体を明らかにするうえで、見過ごせないのがメディアの論調と、翁長知事の発言です。

 ★いまだに「墜落」と言わない日本のメディア★

 飛行再開問題を取り上げた20日付の社説を見ると、朝日新聞は「大破した事故」、毎日新聞は「大破した重大事故」、東京新聞はカッコ付の「墜落」と「不時着、大破」の併用。共同通信の配信記事は「不時着による大破」。NHKも「不時着」。(読売、産経、日経は言うにおよばず)
 日米両政府の発表に従っていまだに「墜落」とは言わないメディア。こうしたメディアの権力追随こそ日米両政府の横暴を許している大きな要因だと言わねばなりません。

 ★「県民」は「日米安保に貢献」という翁長知事の暴言★

 翁長氏は19日、「オスプレイの配備撤回を求め、飛行再開の中止を求める」コメントを発表しました。琉球新報、沖縄タイムスはじめ本土のメディアもこれを「強く政府を批判した」(琉球新報)ものと報じました。「配備撤回」や「飛行再開中止」は当然です。しかし、翁長氏のコメントにはそうした当然の要求に紛れて重大な問題が含まれています。

 「米軍の考えを最優先し飛行再開を容認する姿勢は極めて県民不在で、日米安保に貢献する県民を一顧だにしないもので強い憤りを感じる」(20日付琉球新報)

 「貢献」とは、あることに賛同してその役に立つことです。「日米安保支持」が持論の翁長氏にとっては確かに沖縄の基地は「日米安保に貢献する」ものでしょう。しかし、「県民」の中には日米安保に反対する人も少なくありません。それが本土と違う沖縄の優れた点です。そうした県民にとっては基地は「日米安保に貢献する」どころか「日米安保の犠牲」にほかなりません。

 「日米安保支持」の持論を「県民」全体に広げるようなコメントは絶対に許されません。それは、オスプレイ・米軍基地の元凶である日米安保=軍事同盟に対する批判をそらし、日米両政府を喜ばせるだけだからです。


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ソウル訪問・氷点下の中の「水曜デモ」

2016年12月19日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.

     

     

 初めてのソウルの水曜日(12月14日)正午は、氷点下1・7度の小雪の中でした。

 日本大使館(現在工事中)前の「少女像」の周りに約300人。
 「日本軍『慰安婦』問題解決のための水曜デモ」です。
 2泊3日(実質1日)の短いソウルの旅の真ん中に水曜日を挟んだのは、この「デモ(集会)」に参加するためでした。

 若い人が目立ちます。高校生と思われるグループ。底冷えの中、地べたに座り込む女子学生たち。スカートで正座している人も。始まりの大太鼓が腹に響きます。若い女性4人によるダンスになごみ、ギターの弾き語りに感動。若者、ベテラン入り混じった6人のスピーチはどれも力強い。

 ハングルがまったく分からない私は、話の内容は分かりません。でも、さかんに飛び交う「パク…」の言葉に、朴大統領が強く糾弾されていることは分かりました。みんなが座っている後ろの壁には朴大統領を追及するポスターも。

 安倍政権と朴政権が発表した「日韓『慰安婦』合意」(2015年12月28日)は、当事者の元「慰安婦」たちを完全に蚊帳の外に置き、日本政府の公式の「謝罪」もなく、「賠償」でもない「10億円」で「慰安婦」問題は「最終的かつ不可逆的に」終わらせ、抗議の象徴である「少女像」を撤去させようとするとんでもないもの。同時に日本政府は、これで同じ問題をもつアジア・太平洋各国・地域の「慰安婦」問題にもふたをしようとしているのです。

 この「日韓合意」が、いま問題になっている朴大統領の不正と密接に関係していることが明らかになっています。

 朴大統領と尹外相の「即時退陣」を求める挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)の声明(11月22日)によれば、「日韓合意」は、尹外相が「3カ月余裕をもらえれば改善された合意を引き出せる」と朴大統領に要請したにもかかわらず大統領がこれを受け入れず、「大統領秘書室長と日本の国家安全保障局長の秘密交渉で妥結した」もの。「12・28合意は…朴大統領とそれにへつらう権力集団の独善と横暴が生んだ不条理劇に他ならない」。

 朴大統領の不正は、スピーチ原稿の事前点検や施設への融資などという枝葉の問題にとどまらず、国政や外交の根幹にかかわる問題なのです。「水曜デモ」で繰り返されていた(であろう)朴大統領の糾弾・退陣要求の背景には、「12・28合意」のこうした根源的問題があります。

 読めないハングルのプラカードの中に、日本語のプラカードが3枚ありました。
 「日本政府は 少女像を 触れないで ください
 「他人の時間を奪った人は 未来がない
 「望むのは真実の謝罪 真実を合わせるのが怖いですか

 「デモ」の人たちの熱気と真剣なまなざしに心打たれながら、思いました。
 私は日本人。朝鮮半島を侵略し、植民地にし、「慰安婦」はじめ多くの朝鮮の人たちを犠牲にした加害責任がある日本人。歴史に背を向けて「12・28合意」で逃げようとする安倍政権が「高い支持率」を維持している日本に暮らす日本人。

 日本人の私は、ここに立っていていいのだろうか。
 何事もないような顔をして、写真を撮っていていいのだろうか。
 私が日本人であると分かったら、ここにいる人たちはどう思うだろうか。
 朝鮮と日本の歴史に、朝鮮に対する日本の加害責任に、私はどう向き合えばいいのだろうか。

 「少女像」の前の、体の芯まで冷える寒さが、突き刺すように問いかけていました。


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「日露平和条約」の最大の障害をなぜ取り除かないのか

2016年12月17日 | 日米安保と東アジア

            

 16日の安倍首相との共同記者会見で、プーチン大統領が色をなして語気を強めた場面がありました。
 産経新聞記者が「日露平和条約」に対するロシアの基本的スタンスを質問したのに対し、プーチン氏は「それには歴史を振り返らざるを得ない」としたうえで、こう言いました。
 「平和条約を締結しようとしたら(アメリカの)ダレスが、そんなことをしたら沖縄を返すわけにいかないと言ったじゃないか」(要旨)

 この部分は会見のハイライトでしたが、その後のNHKや民放のテレビニュースでも、また17日の朝刊でも取り上げられませんでした(私が見た限り)。
 しかし、これこそ「日露平和条約」の最大の阻害要因であり、「日露交渉」を困難にしている元凶にほかなりません。プーチン氏が言いたかったことを、別の本から引用します。

 「1956年、平和条約を交渉するためにソ連の高官と日本の高官が会談したさい、前者から『二島(歯舞、色丹ー引用者)返還』で領土紛争を解決させる妥協案が示され、当初は日本の重光葵外相もこれを支持した。この政治取引は、ダレス米国務長官が重光外相に次のように告げた時に覆されることになったのである。日本が千島(国後、択捉ー引用者)に対する主権をソ連に譲り渡すのなら、米国は『同じように、琉球諸島に対する完全な主権が(米国に)あたえられたものと見なし』ますよ、と。1956年の日ソ交渉によってモスクワと東京のあいだでの外交関係は再開されるようになったが、正式な平和条約の締結阻止に一役買ったのは米国の恫喝だった」(ジョン・W・ダワー氏、ガバン・マコーマック氏『転換期の日本へ』NHK出版新書)

 「ダレス長官がなぜここまで日本に圧力をかけたのか。ダレスは日本とソ連が接近することを警戒したものと見られる。こうした考えはその後もしばしば現れる。…米国は日ソが急速に関係を改善することに強い警戒心を持っていた。かつ日ソ間の領土問題を難しくしておくことは、その目的に適うとみていた」(孫崎享氏『日本の国境問題』ちくま新書)

 合意しかけていた「平和条約」を妨害したのは、「ダレスの恫喝」であり、それが日本を目下の同盟国としてつなぎとめておこうとするアメリカの戦略でした。その根源は言うまでもなく、サンフランシスコ「平和」条約・日米安全保障条約による日米軍事同盟体制です。そして「沖縄」が、「日露(ソ)平和条約」をつぶすためのダシに使われたのです。

 全国紙6紙(東京新聞を含む)は17日付でいっせいに「日露首脳会談」を取り上げましたが、根源問題である「日米安保条約」にふれたのは朝日新聞と毎日新聞だけでした。
 ところが、その内容は驚くべきものです。

 「プーチン氏は日米安保条約にも言及。引き渡し後の島に米軍基地が置かれることへの警戒心をあらわにした。日本にとっては受け入れられない主張だ」(17日付朝日新聞社説)

 「首脳会談後の記者会見でプーチン氏は、平和条約の交渉にあたり、日米安全保障条約を絡ませる意向を示唆した。仮に領土を引き渡すとしても、安保条約の適用外にしたい考えとみられる。そうなれば日本は、米国との交渉をしなければならなくなり、領土交渉はさらに複雑化する恐れがある」(17日付毎日新聞社説)

 先に見たように、日米安保条約が「日露平和条約」の最大の障害になっていることは歴史的にも現実的にも事実です。その限りでプーチン氏の指摘は妥当です。必要なのはその障害を取り除くことではないでしょうか。

 にもかかわらず、「朝日」も「毎日」も、論証抜きで「受け入れられない」「さらに複雑化する」と断じています。これは日本政府と同じ立場に立って、日米安保条約=軍事同盟を不可侵の前提とするもの(安保タブー)と言わざるをえません。

 「平和条約」の締結をはじめ、日露間の「領土問題」を平和的に速やかに解決するためにも、日米安保条約=軍事同盟を廃棄し、非同盟・中立の日本を実現することが急務であることを改めて銘記する必要があります。


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「沖国大ヘリ墜落」の愚を繰り返す日本のメディアー「沖縄」より「安倍パフォーマンス」

2016年12月16日 | 政権とメディア

     

 オスプレイ墜落事故に対し、元沖縄県教職員組合委員長の石川元平さんは、「真っ先に沖国大の事故を思い起こした」(15日付沖縄タイムス)と怒りを新たにしました。

 「沖国大の事故」とは、2004年8月13日、米海兵隊の大型輸送ヘリが普天間基地に隣接する沖縄国際大学1号館に激突、墜落炎上した事故です。米軍は日米地位協定をタテに日本側を締め出し事故見分さえさせませんでした。 
 米軍ヘリの墜落といい、日米安保条約・地位協定によって日本は手も足も出せない植民地状態であることが露呈した点といい、今回の墜落事故はまるでその時の再現というわけです。

 しかし、「沖国大の事故」の再現はこれだけではありません。「事故」に対する日本のメディアの報道姿勢です。
 「沖国大墜落」の翌日、本土メディアはこの「事故」よりも「アテネ五輪開幕」を大きく扱ったのです。後にその報道姿勢はきびしく批判されました。

 今回はどうでしょうか。本土メディアは事故発生から今に至るまで、米軍や日本政府が強弁する「不時着」という用語を使い、「大破」とは言うものの「墜落」とは言いません。
 扱いはどうでしょうか。14日まではまだそれなりの報道がありました。しかし、15日を境にテレビも新聞(16日付)も潮が引くように少なく小さくなっていきました。その代わりにメディアを席巻した(いまもしている)のが、「プーチン大統領の来日」「日露首脳会談」です。

 「日露首脳会談」が領土問題で画期的な前進を示したのならまだしも、15日は、プーチン氏が何時間遅れたとか「温泉」がどうだのというまったくの無駄話ばかり。無内容この上ありません。それを「夕食のメニュー」(読売新聞)にいたるまでこと細かく「報道」する意味がどこにあるのでしょう。NHKをはじめ、日本のメディアの「ワイドショー化」は目に余ります(写真右)。

 たんに無内容なだけではありません。今回の「日露首脳会談」は、安倍首相がわざわざ自身の地元の温泉宿に招いたことに象徴されるように、安倍氏の点数稼ぎのパフォーマンス以外の何物でもありません。そもそも自分の選挙区を「外交」の舞台にして注目を集めるのは地位利用ではありませんか。

 日本のメディアは例外なく、この「安倍パフォーマンス」のお先棒を担いだ(担いでいる)のです。

 沖縄の「墜落事故」は軽視されていいような状況でしょうか。15日は写真家の牧志治さんの墜落機の水中写真も公表され、墜落のひどさが明らかになりました(写真左)。安倍政権は事故への謝罪・反省どころか、沖縄県民の傷口に塩を塗るように、この日辺野古新基地の陸上工事を再開しました(写真中)。
 墜落事故の原因究明、責任の所在・追及、事故の背景、辺野古・高江との関連等々、メディアがいま緊急に報道しなければならない課題は山積しているのです。

 「沖縄」よりも「安倍パフォーマンス」。
 日本のメディアは「沖国大事故」報道の教訓に学ぶどころか、逆の方向へ猛スピードで進んでいるようです。その腐敗は恐ろしいほど深刻だと言わねばなりません。


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