アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「しんぶん赤旗」は沖縄の情勢を隠ぺい・歪曲してはならない

2015年01月31日 | 沖縄と差別

         

 前回のこのブログで、沖縄の翁長雄志知事に、「公約」に基づいて直ちに「辺野古埋め立て承認」を撤回するよう求めました。
 その際、海外の識者らが連名で翁長氏に書簡を送ったことに注目し、その一部を紹介しました。
 大変重要なニュースですが、本土の新聞には載っていないようです。
 「しんぶん赤旗」(日本共産党機関紙)はどうだろうかと、昨日図書館で見てみました。そして、目を疑うような驚きと怒りを禁じえませんでした。「書簡」の趣旨がまったく反対に歪曲されていたからです。

 「赤旗」(1月28日付)は2面3段の囲み記事(写真右)で、「翁長知事に海外の連帯 識者15人 沖縄新基地反対」の見出でこう書いています(以下、全文)。

 [ワシントン=洞口昇幸]沖縄県宜野湾市の米軍普天間基地の同県名護市辺野古への「移設」(新基地建設)に反対し、普天間基地の即時無条件撤去を求める昨年1月の声明に賛同した海外の識者・文化人のうち15人が23日、翁長雄志・県知事に連帯の意思を示す手紙を送りました。
 送ったのは、ニューヨーク州立大のハーバート・ビックス名誉教授、シカゴ大のノーマ・フィールド名誉教授、アメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソン氏(政治学博士)、ジャン・ユンカーマン早稲田大教授・映画監督、米アメリカン大のピーター・カズニック教授、オーストラリア国立大のガバン・マコーマック名誉教授など。
 手紙では、昨年11月の県知事選で翁長氏が勝利したことで新基地反対の民意が再確認され、辺野古を守るために長年取り組んできた人たちにとって、「大きな励ましとなった」と述べています。

 この記事(見出し含め)がいかに「書簡」の趣旨を捻じ曲げているか。「書簡」を報じた沖縄県の2紙と比べれば明らかです。

 琉球新報(1月25日付、写真左)は、1面で、「辺野古阻止へ『行動を』 海外識者15人、知事に手紙」の見出しで、「(海外の識者・文化人が)翁長雄志知事に手紙を送り、辺野古の新基地建設に向けた日本政府の作業を止めさせるために積極的な行動を取ることを求めた」と報じました。
 沖縄タイムス(同日付、写真中)は、2面トップで、「知事に迅速行動要求 外国識者 辺野古に危機感」の見出しで、記事と解説を掲載しています。

 この中で沖縄タイムスの平安名純代・米国特派記者は、「識者らは・・・『本格的埋め立て工事は間近に迫っており、残された時間は非常に限られている。遅すぎるという感を否めない』と危機感を表明。・・・『県民は法的検証よりも、翁長知事の政治的決断力に民意を委ねたのであり、その思いに応えてほしい』と訴える」と「書簡」の内容を紹介。「解説」でこう指摘しています。
 「今回の要請の背景にあるのは、埋め立て承認の取り消し・撤回を掲げて当選した翁長知事の対応の遅さだ

 「書簡」はどういうものだったのしょうか。ここに全文を転記します。本土のみなさん、ぜひ読んでください。

2015年1月23日

沖縄県知事 翁長雄志様

 私たちは主に、昨年1月に発表した「世界の識者、文化人、平和運動家による辺野古新基地建設反対と普天間基地返還を求める声明」の賛同人となった、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、欧州の市民グループです。私たちは 、沖縄の社会、政治、歴史の研究などを通じ沖縄に関わってきており、これまで十数年にわたり沖縄についての記事を英語で世界に発信してきた『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』(japanfocus.org)の執筆者でもあります。

 昨年の声明で私たちは、仲井眞前知事による民意に背いた辺野古埋め立て承認を批判し、沖縄の過重な基地負担の不当性を訴え、辺野古新基地建設反対を訴えました。そして11月、辺野古新基地を「造らせない」と公約した翁長知事が当選したことで新基地反対の民意が再確認されました。知事が現地に赴き基地建設反対を訴えたことは、大浦湾と辺野古を守るために長年たゆまぬ努力をしてきた人たちにとって、どんなに大きな励ましとなったことでしょう。

 あれから2か月が過ぎました。現在、基地建設に向けての作業が強行されています。連日抵抗する市民と機動隊が衝突し、毎日のように怪我人が出ている様子は見るに堪えません。私たちの理解では、出動しているのは沖縄県警であり、県警は知事が任命する県公安委員会の管理下にあります。知事はその権限をもって、辺野古で抵抗する市民たちに暴力的な警備は行わないように、また機動隊は交通警察に交代させるよう県警に指示できるはずです。海上保安庁にも暴力的な警備を即刻やめるよう申し入れてください。

 知事は、前知事による埋め立て承認の検証のための委員会を1月下旬には決定し、月に二度ほど会合し、早ければ4月に検証結果をまとめるよう作業を進めるとの報道があります。その結果埋め立て承認に法的瑕疵があれば取消、そうでなければ撤回を考えているとのこと。また、4月以降、訪米団を組んで米国政府に直接基地建設中止を訴えるという計画も聞いております。

 しかし本格的埋め立て工事は間近に迫っており、残された時間は非常に限られています。遅すぎるという感を否めません。

 今埋め立て作業を止める権限を持つのは日米政府と、埋め立て承認の取消か撤回という方法で作業を止めることができる翁長知事だけです。知事が、埋め立ての取消か撤回という権限を行使しないままに訪米しても、説得力を持たないのではないかと思います。逆に訪米前に少なくとも取消か撤回への明確なコミットメントをすれば、訪米行動は意味あるものとなります。その際は私たちも全力でバックアップします。

 また、沖縄県民は、沖縄をこれ以上差別させず、自然環境を破壊する基地は造らせないという価値観のもとに知事を選んだのです。法的検証は確かに大事なことですが、法的側面にあまり重点を置くことは、埋め立て承認を「法的基準に適合している」と正当化した仲井眞氏と同じ土俵に立ってしまうのではないでしょうか。県民は法的検証よりも、翁長知事の政治的決断力に民意を委ねたのであり、その思いに応えてほしいと思います。

 知事が取消か撤回を行うまでは、日米政府は前知事の承認に従って着々と作業を進めてしまいます。一度大浦湾が土砂やコンクリートで破壊されてからでは遅すぎます。検証委員会の判断が出るまで作業中止を求めることはもちろんですが、委員会は一刻も早く答申を出し、知事は取消か撤回の決定を下すことを期待します。

 埋め立て承認の取消か撤回をせずこの基地が造られてしまったら、初めて沖縄県の合意に基づく新基地が造られたということが歴史に刻まれ、将来への重大な禍根が残ります。

 外部からの口出しと批判されかねないことを申しましたが、私たちの目標は知事と、知事を選んだ沖縄県民の多数派と共通しており、それは辺野古の基地建設阻止です。そして私たち自身も日米政府を動かし基地建設を断念させる努力を続けていきます。

 沖縄新基地建設反対!世界の声(No New Bases in Okinawa! Global Voices)

 <以下、15人の氏名、肩書は省略。太字は引用者>

 読めば歴然です。「書簡」を送った識者らは、辺野古新基地建設阻止を本当に願い、たたかっている県民と連帯するために、翁長氏に「迅速行動」を強く、厳しく要求しているのです。

 「赤旗」の記事は前置きの一部を引用しただけで、肝心な本文の内容はまったく伝えていません。そして「識者」らがただ素朴に「翁長知事に連帯」を表明しているかのように描いています。
 これは完全な「欠陥記事」であるだけでなく、なにがなんでも翁長知事を擁護したいというきわめて政治的な意図による事実の隠ぺい・改ざんと言わねばなりません。

 事態は動いています。いまや、翁長氏への不満は海外識者らだけではありません。
 「翁長氏は知事選で『あらゆる手段で新基地建設を阻止する』と表明していた。ある与党議員は『もう就任1カ月半だ。「あらゆる手段」が見えないことが県民に不安を与え、不安は怒りに変わりつつある』と不満を隠さない」(琉球新報1月28日付)

  日本共産党が「翁長支持」を続けるのは、政治選択ですが、それは正確な情勢判断によってなされるべきであることはいうまでもありません。
 そうであるなら、沖縄の正確な情勢を「赤旗」読者や党員・支持者に伝えることのは、政党として最低限の責務ではないでしょうか。
 政治的思惑から、事実を隠ぺい・歪曲することは、絶対に許されることではありません。




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翁長知事は「公約」通り、直ちに「辺野古埋め立て承認」を撤回せよ

2015年01月29日 | 沖縄・辺野古

          

 沖縄の「辺野古埋め立て承認」を検証する「第3者委員会」が26日、やっと発足しました。
 しかし、安倍政権はその翌日、新たに大型のブイを設置し、工事を本格的に進める強硬姿勢を改めて示しました。

 沖縄の「民意」を無視し続ける安倍政権の強権政治は言語道断です。
 しかし、安倍首相が「民意」(沖縄に限らず)など意に介さない人物であることはすでに自明のことです。いつまでも「日本は民主国家といえるのか」と叫んでいても始まりません。
 今必要なのは、「政治的道義」論ではなく、実際に安倍政権の暴挙を止める強制力を持つ対抗手段です。

  それは、「埋め立て承認」の「撤回」です。翁長知事は直ちに、「承認」を撤回しなければなりません。

 25日の琉球新報、沖縄タイムス両紙に、注目すべき記事が大きく掲載されました。ガバン・マコーマック氏(オーストラリア国立大名誉教授)やノーマ・フィールド氏(シカゴ大名誉教授)ら、「辺野古新基地建設反対!世界の声」の学者・識者15名が連名で、翁長知事に書簡(1月23日付)を送ったのです。その中でこう指摘されています。

 「今埋め立て作業を止める権限を持つのは日米政府と、埋め立て承認の取り消しか撤回という方法で作業を止めることができる翁長知事だけです」
 「沖縄県民は、沖縄をこれ以上差別させず、自然環境を破壊する基地は造らせないという価値観のもとに知事を選んだのです」
 「県民は法的検証よりも、翁長知事の政治的決断力に民意を委ねたのであり、その思いに応えてほしい」

 また28日付の沖縄タイムスには、那覇市在住の政治学者、ダグラス・ラミス氏が、「辺野古『撤回』早急に」という論稿を寄せています。
 ラミス氏は、辺野古の現場で昼夜を分かたず体を張って安倍政権の暴挙とたたかている人々は、「知事の埋め立て承認の取り消しや撤回を待っている」と訴え、「第3者委員会」が結論を「早くて4月」としたり、「月2回」の会合としていることに対し、こう指摘しています。

 「委員会の結論を待ちかねているゲート前の人々にとって、毎日の24時間体制を少なくとも3カ月続けなければならない、という意味だろうか」
 
そしてきわめて重要な提言を行っています。
 「『取り消し』と『撤回』を別々に考える方法もある。取り消しに必要な法的瑕疵を検証するには関係書類を丁寧に読むなど時間がかかるだろう。しかし撤回は違う。それは検証の結論に基づいたものではなく、政治的決定である」
 「撤回の場合、権限がある人は知事だ。専門家の意見ではなく、自分の判断に基づいて決定するものだ。知事が『撤回』といえば、撤回になるのだ」

 まったくその通りです。まさに、「法的検証よりも翁長知事の政治的決断力」であり、「知事が『撤回』といえば撤回になる」のです。

 実はそれは、翁長氏の「選挙公約」でもあったのです。
 翁長氏は知事選告示(10月30日)直前、「しんぶん赤旗」のインタビューに答えて、こう述べました。

 「仮に瑕疵が見つからない場合には、新たな事象から、埋め立てで国が受ける利益よりも、県民や環境が受ける被害が大きい場合には、承認撤回の選択肢が出てきます。
 新たな事象とは、辺野古新基地に反対する私が知事選に勝つということです。仲井真知事の埋め立て承認そのものに県民がノーということであれば、それを根拠に撤回することは、法的にも十二分に可能だと思います」(10月29日付「しんぶん赤旗」)

 さらに翁長氏は、県議会答弁という公式の場でも、同じ考えを表明しました。当選後初の議会となった12月17日の定例会で、「翁長雄志知事は『知事選で示された民意は埋め立て承認を撤回する事由になると思う』との認識を示した」(12月18日付琉球新報)のです。

 「第3者委員会」での「検証」をどうしてもやりたいのなら、やればいい。ただし、審議は公開で。しかも迅速に。
 しかし、それとは別に、「撤回」はできるのです。知事の「政治決断」で直ちにできるのです。そして、それを行うというのが翁長氏の「選挙公約」だったのです。

 翁長氏は仲井真前知事と同じ「公約違反」の汚名を着たくなければ、自らの「公約」通り、直ちに「埋め立て承認」を撤回しなければなりません。
 工事の既成事実化を食い止めるためにも。
 辺野古で連日連夜たたかっている人たちの身の安全のためにも。
 そしてなにより、辺野古の新基地建設をほんとうにやめさせるために。


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安倍首相の「積極的平和主義」とは何か

2015年01月27日 | 安倍政権

          

 「イスラム国」による人質事件は、予断を許さない状況が続いています。後藤健二さんの早期解放はもちろん急務です。
 同時に、この問題で安倍政権への批判を控えようとする風潮があることは見過ごせません。民主党幹部が「この問題では与党も野党もない」と言ったり、共産党が安倍首相を批判した自党の国会議員を逆に批判するなどはその表れでしょう。

 後藤さんの解放要求とともに、事態の背景・根本問題、安倍政権の責任を今こそ問わねばなりません。それは、憲法9条の実質改憲である集団的自衛権行使容認であり、その底流にある安倍首相の「積極的平和主義」なるものです。

 中には、「『積極的平和主義』を掲げる首相は大きな試練に直面した」(21日付共同配信)、「『積極的平和主義』の真価が試されている」(前田哲男氏、23日付共同配信)など、安倍首相の「積極的平和主義」に幻想を抱かせるような論調さえみられますが、これは大きな間違いです。

 安倍首相の「積極的平和主義」とは何でしょうか。

 安倍政権の「積極的平和主義」が政府の公式文書に登場したのは、第2次安倍政権発足直後の2013年12月に発足した「国家安全保障会議」が決定した「国家安全保障戦略」(閣議決定)です。
 その中で、「国益を守り、国際社会において我が国に見合った責任を果たすため、国際協調主義に基づく積極的平和主義を我が国の国家安全保障の基本理念」とすると明記されています。

 しかし「積極的平和主義」とはもともとノルウェー・オスロ平和研究所のヨハン・ガルトゥング(1930~)の言葉です(後述)。安倍首相のそれは借り物、しかも本来の意味を捻じ曲げた借り物です。

 「この(安倍首相の―引用者)『積極的平和主義』は、全くの和製であり、最初に言い出したのは、伊藤憲一・日本国際フォーラム理事長で、その著書から生まれ、自ら産経新聞の『正論』欄で、米国が『世界の警察官』役を降板しだしたいま、日本は『世界平和主義』の旗を掲げるべきだと論じている(『産経新聞』二〇一四年一月二一日)。アメリカに代わって『世界の警察官』を引き受けることは、『積極的』とは言えても、『平和主義』とはなんら関係はない。むしろ『積極的軍事主義』ではないか」(古関彰一氏、『集団的自衛権と安全保障』)

 安倍首相は伊藤憲一氏が理事長を務める「日本国際フォーラム」の参与です。

 「アメリカに代わって『世界の警察官』を引き受け」ようとする具体化が、日米軍事同盟に基づく集団的自衛権行使であることは言うまでもありません。

 そしてもう1つ、見過ごせないのが、武器輸出の解禁(2014年4月1日)です。ここにおいて、日本とイスラエルの新たなつながりが生まれてきたのです。
 武器輸出解禁に先立ち、安倍政権は「米国政府の一元的な管理」の下で日本の兵器産業が製造した部品を装備した最新鋭ステルス戦闘機F35が、イスラエルに輸出されることを認める閣議決定(2014年3月1日)を行いました。

 「『積極的平和主義』とは現実には『積極的軍事主義』をめざすものと言うべきであり、それを象徴的に示すのが、武器輸出三原則の撤廃に他ならない」「イスラエルに対してさえ戦闘機(武器というより兵器そのもの)を輸出できるとなれば、新三原則には、事実上いかなる“歯止め”もないと言わざるを得ない。まさにそれは、『国際紛争の助長』に直結するものであり、『積極的軍事主義』そのものであり、遂に日本が『死の商人』への道に踏み出すことを意味している」(豊下楢彦氏、『集団的自衛権と安全保障』)

 安倍首相が2人の拘束・身代金要求を事前に知りながら、あえてイスラエルを訪れ、「日の丸」とイスラエル国旗を前に記者会見し(写真中央)、アメリカなどの「有志連合」に加わる意向を示した背景には、アメリカを介したこうしたイスラエルとの新たな関係があったのです。

 この際、ガルトゥングが述べた「積極的平和主義」の正しい意味について見ておきましょう。

 安仁屋政昭沖縄国際大名誉教授は、「真の『積極的平和主義』とは何か」とする論稿(沖縄民間教育研究所「共育者」2013年12月号)でこう指摘しています。

 「通常の暴力とは、ある人が子どもから食物を奪って栄養失調に陥れたというように、誰が誰に対して暴力を行使したかについて、その因果関係を特定しやすい場合を指します。ガルトゥングは、これを『直接的暴力』と呼び、それがない状態を『消極的平和』と規定しました。

 これに対し、たとえば、工業国で牛肉の消費がふえ、発展途上国から大量に飼料を輸入するようになり、そのため、途上国では作付けを自国民が消費する穀物から輸出用飼料に切り替えたとします。その結果、食糧不足となり子どもたちが栄養失調になったという場合には、結果は『直接的暴力』と同じだが、因果関係は複雑で、暴力行使の主体は特定できません。しかも、他者から食物を奪ったはずの人びとは、その自覚を持ちません。

 このように、<社会関係の非対称性を介して間接的に生命や人間の可能性を奪い去るような行為>を、ガルトゥングは『構造的暴力』と呼びました。そして、制度や構造に内在した構造的暴力を解消し、人間の尊厳を取り戻すことを、『積極的平和』と定義したのです」

 さらに安仁屋氏はこう続けます。

 「沖縄県民にとって、日米安保体制と米軍基地こそは、構造的暴力の最たるものです

 日米安保体制による集団的自衛権行使、武器輸出、そして辺野古新基地建設を強行しようとしている安倍首相の「積極的平和主義」なるものは、本来の意味とは真逆の「構造的暴力」、「積極的軍事主義」以外のなにものでもありません。
 


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人質事件ー一人ひとりが掲げよう「I AM NOT ABE」

2015年01月24日 | 安倍政権

          

 イスラム国による日本人人質事件は、「交渉期限の72時間」を20時間過ぎた今(24日午前10時50分)も、新たな情報は伝えられていません。

 この間、新聞やテレビの報道・コメントは、イスラム国を非難するだけで(それはもちろん必要ですが)いま私たちが何を考え、どういう声を上げるべきかについて、的確な報道、論評はほとんど見られません。
 そんな中でも、いくつか注目すべき主張・論説がありました。

 まず、23日夜の報道ステーションにおける古賀茂明氏(元通産官僚)の発言です。(写真左)
 古賀氏は、後藤健二さんや湯川遥菜さんの拘束、さらに後藤さん宅への「身代金要求」を事前に知っていながら、安倍首相がイスラエルなどを訪問し、「ISIL(イスラム国)と戦う周辺各国に総額2億㌦支援する」と演説したことについて、 「事前に知っていて行ったこうしたパフォーマンスは、イスラム国に対する宣戦布告に等しい。安倍首相は有志連合(イスラム国と戦う欧米諸国)に加わりたかったのだろう」と指摘しました。

 琉球新報の社説(24日付)も、事前に知っていた安倍首相の責任を問います。
 「今回の政府の対応を見ていると、本気で救出しようとしているのか、疑問なしとしない。・・・首相の演説がイスラム国を刺激したのは間違いない。拘束を知りながらの演説だった以上、今回のような事態は予測できたのではないか

 中東・イスラエル研究の第1人者・板垣雄三東大名誉教授は、「日本とイスラエルの国旗を背に、安倍晋三首相が記者会見で『テロに屈せず』と言明した情景は、広く世界のムスリム市民の眼に、日本幻滅への決定的瞬間として焼き付いたに違いない」とし、今回の事態の背景にある安倍首相のイスラエルへの異常接近を指摘します。
 「既に安倍政権はイスラエルとの関係を異常に強めていた。昨年の武器輸出三原則廃止は次期主力戦闘機F35の対イスラエル部品輸出と関係しており、ガザ攻撃を受けた国連人権理事会のイスラエル非難決議を日本は棄権した。中東での『非軍事の人道支援』の強調も国際的説得力は弱い」(24日付各紙・共同配信)
 こうした安倍政権のイスラエル接近の背景に、アメリカとイスラエルの関係、さらに「日米軍事同盟」があることはいうまでもありません。

 板垣氏はさらに根本的問題をこう指摘します。
 「いまは、非暴力の新しい市民革命の到来を前に、欧米中心主義にどっぷり漬かった世界が終わる苦悶の時代だ。400年続いた欧米中心の世界秩序は崩壊中で、『日米同盟こそ基軸』とする日本外交も時代錯誤。」

 ではいま、私たちは何を主張すべきなか。先の琉球新報社説は、「日本は欧米各国と異なり、中東で銃弾の1発も撃ったことがなく、人道的支援しかしていないことを粘り強く訴えたい」と言います。それだけでは不十分です。なぜそれが可能だったのか。それこそが憲法9条の力であったことを、今こそ私たちはかみしめ、訴えねばなりません。

 報道ステーションで古賀氏も、「いま憲法に立ち戻るべきだ」と強調しました。

 後藤さんのお母さんの石堂順子さんは、23日の記者会見で、「健二の命を救ってください」と訴えました。テレビはその言葉を何度も流しましたが、実は石堂さんはこうも言っていたのです。(写真中)
 「日本は戦争をしないと憲法9条に誓った国です。70年間戦争をしていません。日本はイスラム教諸国の敵ではなく、友好を保ってきました
 なぜか日本のメディアは石堂さんの「憲法9条」という言葉を取り上げませんでした。
 石堂さんは立場上それ以上は言いませんでしたが、「だから憲法9条をこれからも守っていきたい。守ります。安倍首相は9条改憲をやめてほしい」。そう心の中で叫んでいるように私には思えます。

 テレビでイスラムの人々に影響力をもつ「預言者」という人が、安倍首相の演説を批判するとともに、こう言いました。「そんな政府(安倍政権)を選んだ日本国民の責任だ

 問われているのは、安倍政権とともに、私たち日本人1人ひとりなのです。

 今ネットでは後藤さんを救うため、「I AM KENJI」というプラカードを持ってコメントする活動が行われているそうです(写真右)
 古賀氏はこれを念頭に言いました。
 「日本人は安倍首相とは違うんだ、(イスラム諸国の人々と)仲良くしたいんだと訴えるべきですね。『I AM NOT ABE』のプラカードを掲げるべきです」

 私たち1人ひとりが、「I AM NOT ABE」のプラカードを、そして憲法9条の旗を、高く掲げましょう。
 


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人質事件ー問うべきは安倍首相の「積極的軍事主義」・日米軍事同盟

2015年01月22日 | 国家と戦争

          

 「イスラム国」による2人の人質事件。「期限」とされる「72時間」まであと28時間余です。
 日本人として、いま黙っていることは許されないと思うので、以下、発言します。

 いかなる思想・信条、政治的背景があるとしても、暴力で脅迫し、危害を加え、人命を奪うことは絶対に許されません。人質は直ちに解放しなければなりません。それが大前提です。

 前提問題1-昨年から「不明」「身代金」を知っていた日本政府の責任を問う。 

 日本政府は昨年10月には後藤健二さんと湯川遥菜さんが「行方不明」になっていることは分かっていました。12月には後藤さん方へ身代金の要求があったことも知っていました。
 にもかかわらず今回安倍首相が中東諸国を訪問し、イスラエルとの会談、2億㌦の「援助」を表明すれば、「イスラム国」を刺激することは当然想定されたはずです。もしその自覚がなかったとするなら、よほどの外交音痴です。
 状況を知りながらあえて「外交日程」を強行した意図は何なのか。事前に何の対策・体制もとらなかったのか。まずその責任を問わねばなりません。

 前提問題2-後藤さんと湯川さんの行動は同列に論じられない。

 フリージャーナリストとして紛争地域の庶民、子どもたちを命がけで取材し、日本国内でも平和教育・活動に尽力している後藤さん。一方、「民間軍事会社」なるものを設立し、その「事業」の「実績」を積む目的で危険地帯に入り、自らも武器を手にすることがあった湯川さん。
 命に軽重がないことは言うまでもありませんが、私はどうしてもこの2人の行動、立場を同列に置くことはできません。以下、主に後藤さんの救出を念頭に発言します。

 緊急要求ー日本政府は「身代金」を支払って人質を救出すべきである。

 安倍首相は20日のエルサレムでの会見で、「人命が第1」としながら、「テロには絶対屈しない」と言明しました(写真中)。「身代金」を渡して人質を救済することはけっして「テロに屈した」ことにはなりません。
 「テロ」との本当の闘いとは、その発生源にさかのぼって、テロを生まない社会をつくることです。
 「テロに屈しない」として「身代金」を払わないのはアメリカ、イギリスのやり方です。結果、両国の人質はすべて殺害されています。一方、フランス、ドイツ、スペインなどは「身代金」を払って人質を救出しています。だからといってこれらの国が「テロに屈した」わけではないでしょう。

 今回の事態で政府・自民党幹部が、「テロに屈したら(すなわち身代金を払ったら)政権がもたない」と述べたことが取りざたされています。いったいどういうことでしょうか。まさか、身代金を払って人質を救出したら日本で倒閣運動が起こるとでも思っているのでしょうか。
 考えられるのは、身代金を払ったら、同盟国のアメリカ、そしてイギリスから批判を浴びる、それが政権にとって「危機だ」ということです。
 ここでも、「日米軍事同盟」がネックになっています。
 岸田外相と中谷防衛相がイギリスとの「2+2」会談で、「テロに屈しない」と共同歩調を確認しました(写真右)。たいへん危険なことです。
 日本は人質問題で、アメリカ、イギリスと「共同歩調」をとるべきではありません。身代金を払って人質を解放させるべきです。

 日本人が考えねばならないことー安倍首相の「積極的平和主義」、集団的自衛権行使容認、その根源の日米軍事同盟に今こそ反対を

 新聞各紙は社説で、「イスラム国」を非難し、「人命優先」を主張しています。それは当然です。しかし、そこでとまっていいのでしょうか。これまで中東諸国と良好な関係を続けてきた日本が、なぜ今日、欧米諸国と同様に「テロ」の脅威にさらされるようになったのか。その問題の根源をを今こそ問うべきではないでしょうか。

 安倍首相はエルサレムでの記者会見で、これまで日本は中東の紛争に軍事的介入をせず「平和路線」をとってきたことを誇示しました。湾岸戦争以降かならずしもそうではありませんが、少なくとも欧米諸国と一体でなかったのは事実です。それはなぜだったのでしょうか。憲法9条があるからです。
 その9条の成果を、9条をなきものにしようとしている安倍首相が誇示するとは、厚顔無恥も甚だしい。そこまで言うなら、9条に手をつけるな、と内心叫びながら会見を聞いていました。

 日本が「テロ」にさらされる国になったのは、安倍首相の「積極的平和主義」という名の「積極的軍事主義」にこそ原因があるのです。その具体的な表れが集団的自衛権行使容認の閣議決定(昨年7月1日)です。後藤さんや湯川さんの拘束がその閣議決定以降だったことは決して偶然ではないでしょう。

  安倍首相は人質の解放を求めるべき記者会見(エルサレム)で、こともあろうに集団的自衛権行使に「地理的制限」を設けることに反対すると述べ、日本の軍事行動を地球上の至るところに及ぼす考えを表明しました。なんというパラドクスでしょう。火に油を注ぐとはこのことです。しかし、日本のメディアで、この危険な相関関係を指摘した記事があったでしょうか。

 安倍首相の「積極的軍事主義」の根源は、日米軍事同盟です。日米安保条約による軍事同盟で、「積極的」な役割を果たそうとしているのが、安倍首相の路線にほかなりません。

 重大事態を迎えている沖縄・辺野古新基地建設も、いうまでもなく根源は日米軍事同盟です。

 人質の救出を強く要求するとともに、いまこそ安倍首相の「積極的軍事主義」、集団的自衛権行使容認、日米軍事同盟に反対の声を上げることが、日本人としての責務ではないでしょうか。


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NHKから一晩で「ホロコースト」が消えた

2015年01月20日 | メディアと日本の政治・社会

          

 間違い探しではありませんが、上の左端の写真と、中央の写真は、いずれも安倍首相のイスラエルでの同じ演説を伝えるNHKニュースですが、どこか違いがあります。どこでしょう?

 一目瞭然ですね。左は「ホロコースト記念館視察」と説明がありますが、それが右では「ユダヤ人追悼施設視察」になっています。下のテロップも、「ホロコーストを二度と繰り返してはならない」が「このような悲劇を二度と繰り返さないとの決意」に変わっています。
 左の映像は19日夜7時からの「ニュース7」、右は20日朝7時からの「おはよう日本」です。そうです。同じNHKのニュースで、一晩(12時間)にして、「ホロコースト」が消えたのです。

 映像だけではありません。夜の「ニュース7」では次のように読み上げられました。
 「イスラエルを訪れている安倍総理大臣は日本時間の19日夕方、エルサレムにあるホロコースト記念館、『ヤド・ヴァシェム』を訪れました。記念館には、第2次世界大戦中600万人ものユダヤ人がナチス・ドイツによって虐殺された歴史を人々の記憶にとどめ犠牲者を追悼しようと、強制収容所に送られた人たちの体験談や写真などが展示されています」
 しかし「おはよう日本」では、「安倍総理大臣は大量虐殺されたユダヤ人を追悼する施設を訪れ・・・」と言うだけで、「ホロコースト」の言葉も、記念館の説明もありませんでした。

 これは明らかな意図をもって「ホロコースト」をアナウンスと画面から消したと考えざるをえません。
 籾井勝人会長(写真右)の指示なのか、それとも政府・自民党からの圧力なのか。

 NHKがニュース用語を政治的にチェック・統制していることは間違いありません。それが明るみに出たのが、昨年、英紙「ザ・タイムズ」(10月17日付)が暴露したNHKの内部文書「オレンジブック」です。
 これについては「ピース・フィロソフィー・センター」(乗松聡子代表)のサイトに和訳と詳しい訳注が載っています(http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/12/nhk-japanese-tranlsation-of-times.html

 それによるとNHKは、「従軍慰安婦」(戦時性奴隷)について、「従来の『いわゆる慰安婦』は使わない。原則として、従軍慰安婦についての説明はしない。『強制された』『性奴隷』などは使わない」とし、「慰安婦とよばれる人々」「慰安婦として知られる人々」という用語を使うよう指示しています。

 また日本帝国陸軍による「南京大虐殺」についても、「大虐殺」の用語は使わず、「南京事件と呼ばなければならない」と規定しています。
 その他、「靖国神社」「尖閣諸島」などについても、政府・自民党の見解に沿った言い回しをするよう細かく指示しています。

 「ザ・タイムズ」紙は「これらの規制は、日本の保守国家主義的首相である安倍晋三氏の政権の立場を反映しているように見える」と指摘しています。

 NHKについては最近も、バラエティ番組に出演するお笑いコンビの爆笑問題が、事前の打ち合わせでNHKスタッフから、「政治家のネタは全部だめ」と言われたことが明らかになりました(爆笑問題の田中裕二さんが今月7日未明のTBSラジオ番組で暴露)。

 籾井会長は安倍首相の意向でNHK会長に据えられた人物。戦時性奴隷の使用を擁護する一方、政権の意向に沿った報道を公言してはばかりません。
 安倍―籾井ラインでNHKの右傾化はますます進行しています。今回の「ホロコースト」削除は、その1つの表れと言えるでしょう。

 パリの「風刺画」事件で「表現の自由」があらためてクローズアップされていますが、NHKに対する政権からの圧力、あるいは「自主規制」も、「表現・報道の自由」「国民の知る権利」の視点から同じように重視し、注視していかねばなりません。


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翁長知事は「辺野古の人たち」を見殺しにするのか

2015年01月17日 | 沖縄と差別

          

 前回の「日記」で、沖縄県の翁長雄志知事の「姿勢を問う」と書きましたが、その後の事態と翁長氏の言動を見れば、「問う」という段階ではすでになくなってきていると痛感せざるをえません。
 言い直します。翁長知事は辺野古で安倍政権の暴挙とたたかっている人たちを見殺しにするつもりなのか!

 翁長氏の姿勢・責任を問わねばならないこの間の言動を、3つ挙げます。

 
 ①翁長知事はなぜ県警の暴挙を止めないのか

 辺野古のキャンプシュワブゲート前では、政府の工事再開強行に反対する市民を沖縄県警が強制排除する事態が続いています。すでにけが人も出る事態になっています(写真右)。
 なのになぜ翁長氏は指をくわえて傍観しているのか。なぜ県警の暴挙をやめさせないのか。県知事にはその権限があるのです。

 警察法は、「都道府県知事の所轄の下に、都道府県公安委員会を置く」(第38条)とし、「都道府県公安委員会は、都道府県警察を管理する」(同上第3項)と明記しています。県警本部長の「懲戒又は罷免」についても、県公安委員会は国家公安委員会に対し、「必要な勧告をすることができる」(第50条第2項)のです。そしてその県公安委員は、「知事が任命」(第39条)するのです。

 つまり県知事は県公安委員会を通じて、県警を管理し、県警本部長を辞めさせることもできるのです。翁長氏はなぜこの権限を行使しないのか。というより、いま辺野古で県警が行っている暴挙の最高責任は翁長知事自身にあるのです。
 いやしくも市民の支持で当選した知事なら、市民(しかも自分の選挙の強力な支持者たち)の生命・安全を守るのは最低の義務・責任ではないでしょうか。

 ②翁長知事はなぜ政府の工事再開に厳しく抗議し、「承認取り消し・撤回」を含め「新基地建設反対」を強く表明しないのか

 政府による15日の工事再開強行に対し、翁長氏はこう言いました。
 「大変残念だ。もうちょっと意見交換をする中からこういったことは考えてもらいたい」(琉球新報16日付)
 「残念だ」「考えてもらいたい」とはどういうことでしょうか。「言語道断、県民無視の工事再開は直ちに中止せよ」となぜ言えないのでしょうか。

 翁長氏の弱腰、というより理解不能なほどの政府への迎合姿勢はこの日だけではありません。

 12月26日の山口俊一沖縄担当相との会談で、辺野古のへの字も口にしなかったことは前回書きました。
 その後3度目の上京の今月14日、翁長氏は杉田和博官房副長官と会談した際、「『・・・辺野古新基地は造らせないと公約して当選した私の立場もご理解いただきたい』と伝えた」(琉球新報15日付)と報じられました。なんという卑屈な態度でしょう。

 ところがさらに驚いたことに、翌15日の記者会見で菅義偉官房長官は、「米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する意向を伝えたとの翁長氏の説明を否定した。『米軍基地問題について具体的な話はなかったと報告を受けている』と述べた。・・・『あくまで(翁長氏の)就任あいさつだ』と強調した」(琉球新報16日付)。
 これに対し翁長氏は、「話はした。報道でニュアンスが違うところはあったが、話をしないわけがない」(琉球新報、同)と、報道のせいにして釈明しました。

 この問題の真相は17日の沖縄タイムスでどうやら判明しました。
 「翁長氏は官房長官の受け止めが異なることについて『反対だと強い意味では(伝えては)ない』とし、『振興策などのお礼も兼ねて、私が基地問題を訴えて当選した。ご理解よろしく』とあらためて説明。10分間の会談時間も挙げ『あの時間では公約を掲げて当選したという以上の時間はなかった』と時間の制約で強く訴えられなかったとした」

 強いも弱いもありません。要するに翁長氏は杉田官房副長官に「辺野古新基地建設反対」と面と向かっては言わなかったのです。
 「時間がなかった」というのはいまや翁長氏の常套句ですが、「辺野古新基地建設には断固反対」「工事再開は絶対許さない」と言うのにいったい何秒かかるというのでしょうか。

 さらに翁長氏は16日、なんと4度上京し、山口担当相と再会談しましたが、ここでは異論の出る余地もなく、辺野古のへの字も口にしませんでした。そもそも「10分間の会談」で政府に「予算の感謝」を伝えるために上京する必要がどこにあるのでしょう。その費用はいうまでもなく県民の税金なのです。

 基地問題に言及しなかった「理由」を聞いて、唖然としました。
 「翁長雄志知事は・・・基地関連では言及しなかった。翁長氏は会談後、『所要額を確保していただいたことに心から感謝を申し上げた』と説明。・・・会談で名護市辺野古の海上作業再開に触れなかったことについては『(会談の)要件が決まっている場合は話さない。10分間の会談で、帰り際に言うことは失礼だ』と述べた」(沖縄タイムス17日付)

 目を疑いました。「失礼だ」?!暴挙を働いている政府の担当相に抗議するのが「失礼」?!いたい何を考えているのでしょうか。辺野古でたたかっている人たちのことが少しでも頭にあれば、こんな言葉は出てこない(考えもしない)はずではないでしょうか。

 ③「検証チーム」発足でも工事中止を要求しないつもりなのか

 翁長氏が公約した「検証チーム」が19日やっと発足するといわれています。
 沖縄県議会与党の代表は15日上京し、日本政府や米大使館に新基地建設反対を申し入れました。その中で、「県議らは辺野古の海上作業再開について抗議し、翁長雄志知事が今後取り組む埋め立て承認の検証作業が終了するまでの作業中止」を求めました(琉球新報16日付)。当然の要求です。

 ところが翁長氏は同日、「検証チームの作業が終了するまで作業を見合わせるよう求めるかについては『チームの立ち上げを踏まえてこれから議論し、判断したい』と述べるにとどめた」(琉球新報、同)。
 いったい何を「判断」するというのでしょうか。何のための「検証」なのか。県議会与党が要求したように、少なくとも「検証中」は政府に工事中止を強く求めるのは当然です。翁長氏はなぜそう言えないのでしょうか。

 翁長氏は政府に顔を向けて水面下で談合するのではなく、きっぱりと市民・県民の側に立って安倍政権の暴挙とたたかうべきです。
 そして選挙で翁長氏を擁立・支援した人たち、会派も、1日も早く「翁長タブー」を捨て、翁長氏の理不尽な言動を批判し、姿勢を正させるべきではないでしょうか。

 


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沖縄知事選から2カ月。安倍政権と翁長知事の姿勢を問う

2015年01月15日 | 沖縄と差別

          

 16日で沖縄知事選から2カ月になります。選挙で示された「辺野古新基地建設反対」の県民意思に背を向け続ける安倍政権の暴挙は絶対に許せません。
 同時に、この間の翁長雄志知事の言動にも多くの疑問を禁じえません。

 
 翁長知事は就任後、実に3度にわたって上京しました。この間会談した閣僚は山口俊一沖縄担当相1人(12月26日)です。安倍首相や菅官房長官が「嫌がらせ」で会わないのなら言語道断です。
 同時に、「(自民党県連)幹部は自民出身の翁長知事と長い間協力してきた経験を踏まえ『彼は老練な政治家で、上京して冷遇されるのは折り込み済みなはず。政府と対峙する知事として県内世論の支持を固め、あらためて政府と交渉するつもりだろう』と分析」(8日付沖縄タイムス)という報道もあります。
 政府の理不尽さを明確にするためにも、翁長知事(県)は3回の上京で、いつ、だれに、どのような面会の申し入れを行ったのか、それに対してどういう回答があったのか、事実経過を明らかにすべきです。

 14日決定した来年度政府予算案に対し、翁長知事は「本県の振興に配慮がなされた」「格段の配慮をいただいた」と、手放しで評価する「談話」を発表しました(15日付琉球新報)。これは「沖縄振興予算が減額されたことについて県議会与党からは『基地問題とのリンクだ』として安倍政権に対して厳しい声が上がった」(同)という県政与党(「革新」)の評価とは逆で、「所要額が確保された」(同)という自民党県連の評価と一致するものです。
 来年度予算案に対する翁長知事の評価は、選挙母体となった県政与党よりも、自民党県連と歩調が合ったものになっているのです。

 そもそも翁長知事は3回も上京する必要があったのでしょうか。
 仲井真前知事のように、政府に就任のあいさつに出かけたり、予算獲得のために上京する必要があるでしょうか。
 先の総選挙で「オール沖縄」として当選した仲里利信衆院議員は、「東京で閣僚が会おうとしないなら、知事は会わないでいい。・・・政府の強硬姿勢にあえて抵抗もしない。その代わり、やるべきことはちゃんとやる。(水面下の交渉などの)パイプ役は必要ないと思っている」(12日付沖縄タイムス)と述べています。
  まったくその通りです。県民をバックに当選した知事には、中央政府に対するそうした毅然とした態度こそ求められているのではないでしょうか。

 では、翁長知事が「ちゃんとやるべきこと」とは何でしょうか。言うまでもなく、辺野古新基地建設阻止です。その県民の意思を明確に政府に突き付けることです。
 ところが、3回の上京で唯一会談した山口担当相に対し、翁長知事はなんと「辺野古」のへの字も口にしなかったのです。

 「翁長氏は会談で、沖縄の米軍基地問題について『過重な負担がある』と述べたが、普天間の県内移設反対に関する発言はなかった。翁長氏は記者団に『短時間だったので、(山口氏が担当する)振興策に力点を置いた』と説明した」(12月27日付毎日新聞)

 いったい、翁長知事は何をしに東京へ行ったのでしょうか。

 山口氏との会談だけではありません。翁長氏は知事選後、辺野古埋め立て承認の「取り消し・撤回」を口にしなくなっています。「検証チーム」も「1月中旬には発足」としていたものの、いまだに人選が確定していません。

 そんな中で、辺野古は重大な事態を迎えています。14日未明の工事資材搬入(写真右)に続き、15日未明には沖縄県警による抗議市民の強制排除が強行されました。
 県民の度重なる意思表明を無視してあくまでも工事を強行しようとする安倍政権の暴挙は断じて許せません。
 同時に、この辺野古の事態に対し、翁長知事にはまったく責任がないと言えるでしょうか。

 県警による市民の強制排除は、県知事である翁長氏に事前になんの報告もなかったのでしょうか。もしもそうだとすれば、知事に無断で抗議市民を強制排除するという暴挙を行った県警本部長を、翁長知事は処分すべきです。

 なによりも、辺野古で繰り返されている重大な事態は、翁長知事が埋め立て承認を取り消せば、あるいは撤回すれば、とりあえず止まるのです。
 翁長知事は「検証チーム」に下駄をあずけて「結論」を「少なくとも数カ月」先に延ばすのではなく、直ちに「取り消し・撤回」を表明すべきです。どうしても「検証」するというなら、速やかに「検証チーム」を立ち上げ、早急に結論を出すべきです。

 これまでの自民党知事と同じように、政府・自民党に顔を向け、水面下で交渉をすすめるのか、それとも安倍政権の辺野古新基地強行と正面から対決するのか。その姿勢がきびしく問われています。


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豊濱さんの遺志継ぎ、「宮森小事件」から今学ぶこと

2015年01月13日 | 沖縄と差別

          

 13日の琉球新報で、沖縄の豊濱光輝さんが12日未明に亡くなられたことを知り、驚きました(享年79)。お元気そうだったのに。残念です。
 
 豊濱さんは旧石川市で発生した「宮森小事件」(1959年6月30日)の生き証人として、事件の継承に文字通り精力的に活動されてきました。私は一昨年11月16日に友人たちと宮森小を訪れました。そのとき渾身のガイドをしていただいたのが豊濱さんでした。半世紀以上たった今も、涙を流しながら語っておられたのが印象的でした。
 その時のことを記した「日記」(2013・11・18)を再録します。(写真は「なかよし地蔵」の前と資料館で説明される豊濱さん。右は事件直後の宮森小)

<再録>  「宮森小事件」にみる教師の良心

 16日の「平和ガイド学習」で高江に続いて、宮森小学校(旧石川市、現うるま市)を初めて訪れました。あのジェット機墜落事件(1959年6月30日)の宮森小です。現地でNPO法人石川・宮森630会の豊濱光輝会長に、亡くなった児童・市民を悼む「なかよし地蔵」の前で当時の生々しいお話をうかがいました。そのあと、資料館でさらに詳しい話を聴くことができました。

 事件はあの日の午前10時半ごろ発生。米軍嘉手納基地のF100D戦闘機が訓練飛行中、旧石川市6区の住宅地に墜落。さらに宮森小に激突・炎上し、児童11人、住民6人が死亡、210人が重軽傷。パイロットはいち早くパラシュートで脱出して無事。米軍は2日後に「不可抗力」と発表しました。映画「ひまわり」で本土でも知られるようになりました。

 当時巡回教員だった豊濱さんは爆音と同時に近くの事務所から学校へ駆けつけ、そのあと遺体引き渡しという辛い仕事を担当しました。当時の宮森小の児童数は1316人。我が子の無事を確認したい父母ら約2000人が詰めかけ、学校内は大パニックに。米軍MPが20~30人駆けつけ、新聞記者らが撮った写真フィルムを抜き取りました。丸焦げになった我が子を我が子と知りながら認めようとしなかった母親・・・。ジェット機は住宅地に墜落し約150㍍ジャンプして宮森小に突っ込んだことも初めて知りました。

 その後、父母も教師も事件を語ろうとしませんでした。父母はあまりの悲しさのため。教師は「なぜ子どもたちを救えなかったのか」という自責の念のため。それが変わるのはなんと40年後の1999年。琉球朝日放送(QAB)がアメリカの公文書から「事故原因は米軍の整備不良」との真相を突き止め報道してからでした。
 これを境に教師たちは、「先生はなにもしてくれなかった」という一部の声を、政治・社会に対する教師の責任に対する指摘と受け止め、基地撤去・安保廃棄などの発言・運動へと転換していったのです。

 それでもまだ、「子どもを救えなかった」という自責の念は消えていませんでした。豊濱さんは当時亡くなった子どもの親族から「先生は生きているじゃないか」と言われたことを振り返り、「あの時は悲しかった。これがジェット機事故です」と言って背を向け、号泣されました。私はその姿に、教師の良心を見る思いでした。

 教師経験のない私は正直なところ、先生たちはそこまで自分を責めなくていいのではないか、あの惨状の中、自分も負傷しながら、子どもたちを救い出すことは無理だったと思っていました。今もそう思います。でも当事者の先生たちの気持ちはそうではない、そんなに割り切れるものではないのだと、豊濱さんの姿に教えられました。

 そしてもしQABが真相を突き止めなかったら、歴史の真実は隠されたままで、父母や教師の悲しみ、苦しみは救われることはなかったでしょう。怒りを日米政府に向けることもなかったでしょう。メディアの責務を痛感します。そしてだからこそ秘密保護法は絶対に通してはならないのです。
 父母、教師の悲しみ、怒りとともに、「宮森小事件」はまだ終わっていません。風化させてはなりません。校門横のひまわりが、そう訴えているようでした。<以上>

 「630会」の久高政治事務局長は、「一つ一つの活動に自身の全存在を懸けて取り組んでいた。人間の価値は生き方にあるということを教えてくれた」と、追悼文を寄せています(13日付琉球新報)

 9日の琉球新報は米軍が嘉手納基地にF16戦闘12機、兵員250人を暫定配備し、さらに周辺地域の危険性を強めようとしていることを1面トップで大きく報じました。
 同紙によれば、2013年度の嘉手納基地の航空機離着陸回数は前年度を1万回も上回る4万7078回。そのうち外来機の発着回数は1万2342回で前年度比24%増となっています。

 宮森小の子どもたち、地域の人たちの命を奪った米軍嘉手納基地は、今も基地機能が強化され、住民の危険は増大し続けているのです。
 沖縄の基地問題はけっして普天間・辺野古だけではありません。

 嘉手納基地をはじめ沖縄からすべての軍事基地を撤去すること。
 それこそが今、「宮森小事件」と豊濱さんの「生き方」から学ばねばならないことではないでしょうか。
 ご冥福をお祈りいたします。

 


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なぜ今、NHK大河で「吉田松陰」(「花燃ゆ」)なのか

2015年01月10日 | 感染症と社会・生き方

          

 5日から始まった今年のNHK大河ドラマは「花燃ゆ」。主人公は吉田松陰の妹、文(井上真央)ですが、松陰はじめ、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文ら松下村塾の人物たち(明治維新の「功労者」たち)を描いた一種の群像劇です。第1話の中心はまさに松陰であり、その基調はこれからも続くとみられます。

 なぜ今、NHK大河で「吉田松陰」なのでしょうか。

 前々回の「八重の桜」が「会津」だったため、今度は「長州」ということも考えられます。なによりも長州(山口県)は安倍首相の地元です。「花燃ゆ」の企画が固まったのは、第2次安倍政権が発足した2012年12月近辺であったともみられ、安倍首相の肝いりの可能性もあります。
 それらは想像の域を出ませんが、確かなことは、いまNHKの大河に「吉田松陰」が登場することの意味は、決して軽視できないということです。

 第1に、松陰の思想の根幹である尊王攘夷、天皇主義、滅私奉公が先の戦争で大々的に利用された歴史があります。

 アジア・太平洋戦争最中の1942年、松陰の思想を広めるため、『松陰主義の生活』(サブタイトル「日本臣民の道」、松陰精神普及会本部)なる教本が発行されました。そこにはこう書かれていました。

 「個人主義を捨てよ。自我を没却せよ。わが身は我れの我ならず、唯だ天皇の御為め、力限り、根限り働く、これが松陰主義の生活である。同時に日本臣民の道である。職域奉公も、この主義、この精神から出発するのでなければ、臣道実践にはならぬ。松陰主義に来れ!而して、日本精神の本然に立帰れ!」

 第2に、松陰は、沖縄(琉球)併合を含む、日本の大国主義・植民地主義の先導者であったことです

 松陰は『講孟余話』の中で、「大抵五大洲公共の道あり、各一洲公共の道あり、皇国・漢土・諸属国(朝鮮・安南・琉球・台湾の類)公共の道あり」と記し、独立国であった琉球を、朝鮮、台湾などとともに「属国」と見なしました。
 さらに別のところでは、「琉球に諭し朝観合同すること内諸侯と比(ひと)しからしめ・・・」と、琉球を日本国内の各藩諸侯と同じように天皇の下に従わせるべきだと主張しました。
 この松陰の思想が、門下生であった伊藤博文の朝鮮併合につながったことは想像に難くありません。

 こうした対外思想を持つ松陰は、まさに「『大東亜共栄圏』の先駆者」(田中彰「吉田松陰の世界」)であり、その松陰像が「戦争遂行にフルに活用された」(同)のです。
 皇国としての「国体」の下に琉球(沖縄)を属国とするという松陰の思想は、その後の沖縄戦、さらに戦後の軍事占領、そして今日の軍事植民地状態とけっして無関係ではないでしょう。

 第3に、「道徳教科」復活との関係です

 松陰研究の第一人者である田中彰氏は、先の戦争中、山口県の中学校で、松陰の「士規七則」(「凡そ皇国に生まれては・・・」など)を暗唱させられました。その体験を、「十代の少年たちの胸底には、日一日と激しさを加えつつあった太平洋戦争への死の参加を決意させたのである」(前出)と振り返っています。

 問題は、これが「過去の出来事」ではすまないということです。
 「花燃ゆ」の宣伝に躍起になっているNHKは、8日朝のバラエティ番組「朝イチ」で、萩市を特集。それによると、同市内では日常的に松陰は「松陰先生」と呼ばれています。そして驚いたことに、市内の小中学校において、戦時中同様、松陰の言葉を暗唱させているというのです。「私を役して、公に殉(したが)う者を大人と為し・・・」などと、「滅私奉公」がたたきこまれているのです(写真右)。
 時あたかも、文科省は来年度から「道徳」を教科として復活させることを決めました。萩市の「松陰暗唱」がその先駆けとされる恐れを禁じえません。

 歴史上の人物の思想・生涯を単純に今日に置き換えて論評することは正当ではないでしょう。しかし、吉田松陰の場合、それがストレートに戦争遂行、「皇民教育」に利用されたという歴史があります。そしてさらに、「天皇元首化」、「個人の権利よりも公の利益」を強調する自民党の「憲法改正草案」が、安倍首相の手によって現実の俎上にのぼろうとしている政治状況があります。

 「国家や社会が、『何時か来た道』にもどろうとしているとき、かつて戦争中に松陰が国民教育の目標とされ、松陰といえば愛国者、愛国者といえば松陰だなどと国民教育、社会教育に利用されたが、いままたその轍をふむ危険性がないとはいえない」(本山幸彦『吉田松陰の思想』2010年)

 「たかがドラマ」と見過ごすことはできません。

 


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