アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

抜け落ちた「天皇メッセージ」

2013年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

TenoubanzaiTennoumesse 「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」には重大な盲点がありました。「天皇メッセージ」(1947・9・20)への言及、批判の欠落です。私が聞いた限りではあいさつで触れた人はいませんでした。なによりも「大会決議」の中に一言もありません。事前の案内ビラの中にもありません。
 大会だけではありません。29日付の沖縄タイムス、琉球新報を隅々まで読みましたが、社説はもとより記事や論評にも出てきません。わずかに1人、石原昌家沖国大名誉教授が「『講和条約第3条』が、昭和『天皇メッセージ』と、同質同根であることをあらためて確認させた」とひとこと指摘しているだけです。唯一目を引いたのは、参加者が掲げていたプラカードの写真(上の右=沖縄タイムス)でした。
 一方、政府式典に出席した天皇・皇后は、不本意ながら安倍首相によって「政治利用」されたのだととらえられています。これではまるで天皇は「被害者」です。
 しかし言うまでもなく、「天皇メッセージ」こそサンフランシスコ講和条約・日米安保条約・行政協定(今日の地位協定)の根源、対米従属の元凶です。昭和天皇は沖縄戦の「捨て石作戦」も含め、一貫して沖縄を犠牲にして自己保身・天皇制の延命を図ってきました。では平成天皇には責任はないのでしょうか。そうではありません。明仁天皇もそうした天皇制維持のために一貫して働いています。それでなくても、父親が犯した重大な過ちに対しては家を継いだ長男が謝罪くらいするのが人としての道理というものでしょう。天皇は「4・28」の「被害者」ではなく「加害者」であることを忘れてはなりません。
 これは沖縄だけの問題ではありません。天皇制はいまも日本社会の根幹です。そしてさらに、式典で「天皇万歳」を唱和した安倍首相(左写真の左端=琉球新報)が目論む憲法改悪によって、いままさに「天皇元首化」が復活しようとしているのです。
 「4・28」をきっかけに歴史を学ぼうという機運が高まっています。天皇制の歴史こそ私たちすべての日本人が学び直さなければならないのだと痛感します。

<今日の注目記事>(沖縄タイムス30日付から)

 ☆沖縄タイムスが全国紙4紙(「朝日」「毎日」「読売」「日経」)の「4・28」についての社説(28、29日付)を転載しています。
 4紙に共通していることが2つあります。1つは、「4・28」で「日本は独立を果たした」、問題は沖縄だけだ、という論調です。「朝日」の「主権回復の日 47分の1の重い『ノー』」という見出しが象徴的です。これでは「4・28」は沖縄だけの問題で本土の人間は沖縄への”思いやり”が必要だということになります。そうではありません。日本全体がいまだ真の独立を果たしておらず、「4・28」は日本人全体の自分の問題なのです。
 もう1つの共通点は、「天皇メッセージ」、あるいは天皇の責任についてはまったく触れていないことです。
 「毎日」が、サ条約と安保条約が「日本を独立国家として国際社会に復帰させてくれ」「軽武装経済重視路線にまい進させてくれた。そのおかげで」日本は「一回の戦争もせず・・・経済大国への道を歩むことができた。これは戦後政治の大きな収穫だ」と言い切っているのには驚きました。対米従属の大国主義むきだしです。「読売」「日経」は論評外。
 大手全国紙は確実に体制化を強めています。戦前がそうであったように。


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「4・28」を「日本の主権・独立」を考える日に

2013年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

YontenniihatiSeinendan 沖縄の青い空に緑が燃えました。「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」(宜野湾海浜公園、約1万人)に、県民は抗議を示す緑色を身に着けて参加。私も娘からもらった緑のポロシャツを着て行きました。
 私が注目したのは、大会実行委員会がこの日をどう表現(認識)するかです。というのも実行委が作製した案内ビラに、「日本が独立を回復した日」と書かれていて問題になったからです(4月19日の「日記」参照)。この日の大会決議案では、安倍内閣が「主権回復の日」として式典を開催している、という表現に変わっていました。私はこれは先日の集会でのフロアからの女性の指摘が反映されたものだと思います。一人の勇気ある発言が実を結びました。、事実上訂正した実行委の見識とともに、あらためて感謝です。
 でも沖縄全体では、まして本土では、まだまだ間違った捉え方が広がっています。サンフランシスコ講和条約で「日本」は主権を回復(独立)したが、沖縄などが切り離されたから、真の独立とは言えない、という捉え方です。県2紙の論調にも見られます。これは正確ではありません。この日、稲嶺進名護市長もあいさつで強調したように、サ条約と日米安保条約と地位協定は「3点セット」で、これによって沖縄だけでなく、日本全体がアメリカの新たな従属下に入った(主権が奪われた)のです(安保条約も地位協定ももちろん全土適用)。だから「4・28」は「沖縄の屈辱の日」ではなく「日本の屈辱の日」なのです。この点を明確にしないと、本土の人間にとって「4・28」は沖縄の問題だという誤った捉え方になり、ほんとうに沖縄と連帯することはできません。これが私が今回の問題で学んだことです。
 大会で中部地区青年団協議会のみなさんが「これまで『4・28』を知らなかった。これからは4・28を日本の未来を考える日にしたい」と発言し(写真右)大きな拍手を浴びました。安倍内閣の強引な反動化政策が、”寝た市民”を起こしています。まさに歴史のパラドクスです。
 「4・28」を沖縄の、ではなく、沖縄をはじめ日本の、真の主権回復・独立を考え、勝ち取る日にしましょう。

<今日の注目新聞写真>(沖縄タイムス29日付1面写真=古謝克公記者撮影)

Asyasin  何万言の言葉より、1枚の写真が雄弁に語ることがあります。今日の沖縄タイムス1面の写真(左)がその一つでしょう。
 「4・28『屈辱の日』沖縄大会」。1万人の参加者の中から古謝記者はこの2人をとらえました。帽子を被りサングラスをかけマスクをしてちょっとうつむき加減な女性の右手の人指し指と中指を、タオルを被った男性が左手でしっかり握りしめ、右手で力強くこぶしを突き上げています。男性の顔は怒りというより悲しみに見えます。2人はどんな思いで参加したのでしょうか。女性はあまり体調がすぐれないのではないでしょうか。
 人としての怒りと、悲しみと、愛と、尊厳と・・・涙が止まりませんでした。


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「人間の尊厳回復」と「主権回復」・・・2つの会の深層

2013年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

HyakunibbiinkaiDokuritudakukai 「4・28」の前日の27日、沖縄で2つの「会」が偶然(いや必然に)同時にスタートを切りました。1つは「沖縄の平和創造と人間の尊厳の回復を求める100人委員会」(写真左)。もう1つは「琉球民族独立総合研究学会」(写真右。正式発足は5・15)です。
 「100人委員会」は大田昌秀元県知事など県内在住の著名な学者、法律家、宗教家、ジャーナリストなど幅広い各分野58人が呼びかけ人となって結成。大田さんが基調講演を行いました。「独立学会」は松島泰勝龍谷大教授らが中心で、この日は同じく独立を目指すグアムの活動家を招いて「琉球の主権を考える」と題するシンポで設立趣意書や会則が公表されました。
 「4・28」の前日に、数時間の間をおいて、この2つの「会」が出発したことの意味はとても深く、歴史的と言ってもいいでしょう。参加者もほぼ同数(120人前後)。私のように両方に参加した人も少なくなかったのではないでしょうか。いずれもできるべくしてできた会という気がします。「薩摩の琉球侵略」以来の歴史に立って、沖縄(琉球)はいまだに植民地状態に置かれており、そこからの脱却が急務だという点で共通しています。
 しかし相違点もあります。100人委員会の設立趣意書を注意深く読めば、「沖縄住民」とはいっても「沖縄(琉球)民族」とはいっていません。「民族」「独立」という言葉はありません。日本国憲法に照らして「総点検と政策提言を行うことを主たる目的」とし、「人間の尊厳回復」を強調しています。一方、独立学会は文字通り、「琉球の独立を前提とし、琉球の独立に関する研究、討論を行う」としています。
 回復すべきは「人間の尊厳」か「主権=独立」か。もちろん対立するものではありません。しかし運動体としての両会のこの違い、その意味は、けっして小さくはないと思います。私はそれぞれに共感と疑問を持ちました。それはまた別の日に。
 明らかなのは、沖縄はいま、確かに新たな歴史のページをめくろうとしていることです。

<今日の注目記事>(沖縄タイムス、琉球新報のいずれも28日付)

Syasetu ☆「4・28」の今日、両県紙とも1面肩に大型社説を掲載しているのはさすがです。論調もほぼ共通しています。(いずれも結びの文章)
 <「4・28」政府式典 沖縄の主権回復を問え>(沖縄タイムス)
 「私たちは『4・28』を、政府とは違って、沖縄の主権回復に向けた新たな一歩を歩み出す日として理解したい」
 <屈辱の日 真の主権をこの手に 民主主義の正念場だ>(琉球新報)
 「本土の政治家、報道機関、国民にも問いたい。沖縄で国が民意を無視している。民主主義は否定され、人間の尊厳も傷つけられている。これは対岸の火事か」

 ☆一方、昨日の2つの「会」については、両紙とも歩調を合わせるように第2社会面。これは扱いが小さいと言わざるをえません(特に琉球新報の100人員会の扱い)。導入部だけでも1面で扱うべき出来事だと思います。


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今改めて問われる「天皇メッセージ」

2013年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

TennouAniyasensei 先日「不屈館」で行われた「4・28」の学習会で、歴史学者の安仁屋政昭さん(写真右)は、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約で日本がアメリカに従属する元凶となった、「天皇メッセージ」に注目する必要があると強調しました。
 「天皇メッセージ」(1947・9・20)は昭和天皇(写真左は1945・9・27、マッカーサーと)が側近の寺崎英成を通して、「天皇は米国が沖縄やその他琉球諸島の軍事占領を続けるよう望んでいる」「軍事占領が長期租借-25年から50年もしくはそれ以上-の擬制に基づくべき」で、それは「日米の2国間条約によってなされるべき」だと伝えました。沖縄を切り離して長期に米軍統治下に置く、それを日米安保条約で行うことを、昭和天皇から申し出たのです。
 新憲法下で天皇がこんな発言をするのは「明らかに憲法違反」(安仁屋さん)です。アメリカはこれを日本の意思と思い、以後の対日政策の出発点とします。「メッセージ」は筑波大学の進藤栄一氏が1979年に発見したものですが、進藤氏は最近、ネット雑誌にこう寄稿しています。「論文発表当時、きわめて大きな反響があった。天皇がそんなメッセージを出すはずがないという見方もあったが、天皇の意思でメッセージが発出されたことは、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の日記でも裏付けられた」(4・24、「連帯・共同21」)
 25日の「フォーラム4・28」で佐藤優氏は「天皇メッセージ」に関連して、「日本は『天皇』という言葉が出ると思考停止になるが、沖縄はならない。なぜ違うのか」と問題提起しました。日本(本土)が「天皇」で思考停止になるとの指摘は同感です。「4・28」はその天皇タブーを打ち破るきっかけにもしなければなりません。
 ただ、沖縄が「思考停止にならない」のかどうかは、もっと勉強していきたいと思っています。

<きょうの注目記事>

 ☆<首相発言 米が懸念  日本側に自制求める>(沖縄タイムス27日付1面、平安名記者電)
 「米国務省は24日、安倍晋三首相が26日の衆院内閣委員会で『侵略の定義は定まっていない』と答弁したことに中韓が反発しているのを受け、在米日本大使館に強い懸念を伝えるとともに自制を求めていたことが分かった」
 日中韓の緊張が高まるのを懸念したものです。その”効果”あって、安倍首相は26日事実上の修正答弁を行いました。安倍首相の発言はあまりにもひどいものでしたが、アメリカに言われて首相が国会答弁を修正する、言われなければそのままとは、どういうことでしょう。これだけとっても日本がアメリカに従属しており、けっして独立国などとはいえないことがわかります。

 ☆<式典出席、つらい思い 高良倉吉・沖縄副知事インタビュー>(琉球新報27日付)
 「(質問)県内には出席すべきでないとの声もある。『全国的な式典であり、沖縄県が出席するかが焦点化される中、行政の立場としては出席せざるを得ない』」
 これが仲井真知事に代わって政府の「4・28式典」に出席する高良副知事の言い分です。意味不明!沖縄の出席が焦点になっているからこそ出席してはいけないのです!


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「屈辱の日」では一致するけれど・・・「フォーラム4・28」

2013年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

KaijyouSinpojisuto 琉球新報社など主催の「フォーラム4・28沖縄から『主権』を問う」が25日夜那覇市内であり、立ち見を含む620人が参加しました。パネリストは翁長雄志(那覇市長)、佐藤優(元外務官僚)、勝方=稲福恵子(早大教授)、西里喜行(琉大名誉教授)、松島泰勝(龍谷大教授)の各氏(写真の上から時計回り)。「4・28」を沖縄の「屈辱の日」ととらえ、高良倉吉副知事の代理主席もすべきではない、という点では一致しました。でも、さらに突っ込んだ話になると、見解は分かれます。それはおそらく今の沖縄の反映でしょう。
 ☆日米安保条約への賛否・・・日米地位協定が「沖縄差別」の元凶だという点は一致します。沖縄自民党の重鎮・翁長氏も「憲法改正より地位協定改正」と明言。でもさらにその元凶である安保条約については、翁長氏は触れず、佐藤氏は「安保は必要」と断言。他の3氏は廃棄論(と思われる)。日米安保への賛否は不一致点として保留していいのか。それで地位協定は改定できるのか。保留した「オール沖縄」の行動はどこまで力が発揮できるのか。難しい問題です。
 ☆「琉球(沖縄)独立論」への賛否・・・琉球独立論の急先鋒・松島氏をパネラーにし、討論テーマにその是非を設定したこと自体、かつて「居酒屋独立論」「夢物語」と言われた「独立論」が現実味を帯びてきていることの証明でしょう。でも、見解は一様ではありません。佐藤氏ははっきり「反対」。「中国の脅威」などが理由です。西里氏は「外交プロセスを明確にしなければ絵に描いた餅」と指摘。会場から、「独立学会にヤマトンチュウを加えないのは自らブレーキをかけることになるのでは」との質問。まったく同感です。勝方氏も「ウチナーンチュウ以上に沖縄を愛しているヤマトンチュウはたくさんいる。そういう人たちも取り込んでいく必要がある」。
 見解はまちまちです。でも、地位協定、安保、「主権」、「独立」という重要テーマを「4・28」の一過性で終わらせることなく、これを契機に議論を深めていく必要がある。おそらく参加者全員の思いであり、その気運は高まっています。安倍内閣の「4・28式典」の唯一の逆説的功績です。それはもちろん、ウチナーンチュウだけでなくヤマトンチュウにも突き付けられている課題です。

<今日の注目社説>(琉球新報26日付)

 ☆<准教授除外要求 思想信条の自由を尊重せよ>
(琉球大学教育学部と小中学校の教育実践研究の支援協定を結んでいる石垣市の教育長が、教科書問題などで同市教委と逆の見解をもつ山口剛史准教授の協定からの除外を要求したことについて)
 「・・・教育委員会制度は、戦前の軍国主義教育が戦争への道を進む原動力の一つになってしまった反省を踏まえて設計された。政治と一線を画して中立性を保ち、民主化、分権化を目指した。その趣旨からすれば、教育委員会は、何よりも個人の思想、信条の自由を尊重しなければならないはずだ。今回の石垣市教育委員会の要求は、中学教科書の選定をめぐる政治的思惑を感じさせ、個人の思想、信条の自由を侵害する恐れがあり、現行の教育委員会制度の趣旨にも反する。教育委員会の意向に反対する者を排除し、賛成する者を『いい教師』とするようであれば、戦前の教育へ逆戻りではないか。・・・」
 こうした社説が間髪入れず出るところに、沖縄メディアの健在を感じます。


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闘い続ける人たち・・・法廷で戦争体験

2013年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

HakanomaeNozatosan 沖縄戦が始まって(1945・3・25米軍が慶良間諸島に上陸)68年以上がたった今も、戦争被害者が高齢の身を押して法廷に出向き、苦しい体験を語らねばならないとは。
 沖縄戦の被害者・遺族が国に謝罪と賠償を求めている「沖縄戦」被害・謝罪と国家賠償訴訟(命どぅ宝裁判)で、原告の意見陳述が24日那覇地裁で行われました。陳述したのは原告団長の野里千恵子さん(76=右の写真の左側)、比嘉千代子さん(79=同右側)、神谷洋子さん(75)の3人。みなさん体調がよくない中、懸命に訴えました。(左の写真は沖縄戦当時墓の前に置き去りにされた子どもたち=『沖縄戦のはなし』安仁屋政昭著から)
 比嘉さんは家族とともに防空壕に避難しましたが、日本兵から「ここは俺たちの場所だ」と追い出され、昼夜を分かたずさまよい、やっと小さな壕へ。そこを米兵に見つかって手榴弾を投げ込まれ、姉とその子は即死、父母も重傷。「他国へは多額の援助をしながら戦争被害者には68年間何の謝罪も補償もしない日本とはなんという国でしょう。人生最後の思いを理解してください」
 神谷さんは壕の中で負傷。独りさまよい、のどが渇いて飲んだのは人の血。それにも気づかないほどの極限状態でした。戦後農家の養女になりましたが農作業を手伝わねば学校にも行かせてもらえず、学校では「みなし児」といじめられました。「戦争ほど残酷なものはありません。原告団に加わりたくても、印紙代が払えずに断念した人もいます。どうか(賠償を)実現してください」。裁判官と被告(国側)に深々と頭を下げました。
 野里さんは那覇大空襲(44・10・10)で祖母を亡くし、その補償を求め続けて果たせなかった母の思いを継いで原告団長に。今も夜物音で「戦争だ」と言って飛び起きる被害者、傷のため暑い沖縄でも長袖が手放せず「私に青春はなかった」という女性被害者らの声を代弁しながら、沖縄を「捨て石」にして戦争を遂行した国の責任を追及。「国はいまだに沖縄戦被害の全容を調査さえしていない」「軍人・軍属には補償しながら民間の被害者には(一部を除き)なんの謝罪も補償もない。日本は命にも不公平がまかり通っている国です」
 平均年齢78歳。最高齢92歳。現在63人の原告団はいまも増え続けています。残された時間は長くありません。

<今日の驚くべき記事>(琉球新報25日付1面、社会面トップから)

 ☆<准教授除外を要求 石垣市教委 琉大との協定業務>(1面)
 「琉球大学教育学部と教育活動支援の協定を締結している石垣市教育委員会の玉津博克教育長が、同大教育学部に対し、『市教委との信頼を損ねる活動を行う関係者を協定事業の業務から外していただきたい』と要求し、事実上、八重山教科書問題をめぐり新聞紙上などで自身の見解を示してきた山口剛史准教授を外すよう求めていたことが24日、琉球新報の取材で分かった。玉津教育長らが17日、井上講四教育学部長を訪ね、趣旨を伝える文書を手渡した」

 ☆<「該当人物なし」 准教授除外要求 琉大教育学部 石垣教委に回答へ>(社会面)
「・・・24日同大で開かれた教育学部の教授会は『市教委が指摘する(信頼関係を損ねる活動を行う)ような人物はいない』などとする回答案を確認。有識者からは『思想・信条の自由を侵している』との批判の声が上がった。・・・井上学部長は『個人の思想、信条や行動は協定とは別だということが教授会の合意と判断できる』と述べた。・・・山口准教授は『私自身の学問、研究、表現の自由と、協定という枠の中で子どもたちのために実践している授業を分けて捉えてくれないのは残念だ』とコメントした」「沖縄人権協会事務局長・永吉盛元弁護士の話 石垣市教育委員会のやっていることは、個人の人権や思想・信条の自由に踏み込み、侵すもので明らかに間違っている。・・・こんなことが通れば、教育委員会の思想に賛成する者が『いい教師』ということになってしまう。・・・教育の場から、このような動きが出てくるのは、非常に怖い風潮だ」

 竹富町の自主的教科書選択に圧力をかけて歴史見直し教科書を押し付けようとした石垣市のこの暴挙。安倍政権が教育長・首長の権限強化を図ろうとしていることと合わせ、ほんとうに怖い動きです。石垣市は安倍政権の教育反動の先兵になろうとしています。


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性被害に遭う子どもたち・・・「あなたは悪くない」

2013年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 「那覇の歓楽街で性産業にかかわっている子どもたちはどのくらいいると思いますか・・・最低でも100人はいます」
 衝撃的な事実から発言を始めたのはカウンセラーの松本昌治さん(写真右)。20日の「ワンストップ支援センター」設立を強く望む会(代表・田中真生さん、金城葉子さん)主催シンポジウムです。
 「ほんとうにみんないい子です。話をすると、『私たちがそういうことをして何が悪いの』『誰も助けてくれなかったよ』と言います。客の中にはヤクザも警察官も県の幹部もいます。セックスをさせないというと男は急に冷たくなります。あの子たちは食べるものも、寝るところもありません。食堂に連れていくとおいしそうに食べながら途中でやめます。胃袋が小さくなっているんです」
 会場から、自身子どもの時に被害に遭い、今自分の子どもがその年齢になっているシングルマザーから文書質問がありました。松本さんが答えました。「シングルマザーでも大丈夫。問題は親が子どもに関心を持っているかどうかです。今の社会は無関心社会、いや、色めがねで見る社会です。子どもに関心を持って、守りたいと思っていれば大丈夫。土台はできています。土台はどんな時でも、愛です」
 松本さんは独りで、もちろん無償で、24時間、”街の子どもたち”に寄り添い続けています。月6万円ほどの生活費も大半は子どもたちのために使うといいます。公の場に出ることはないけれど今回は田中さんの娘さんを最初にカウンセリングした縁で参加したといいます。
 野村れいかさん(臨床心理士)は、「性被害に遭った子どもたちはすぐに相談できない。加害者が身近な場合が多い。やっと被害を伝えたあとも『言わなきゃよかった』『私が家族をこわした』と後悔する子が多い。被害を伝えられた周りの大人の反応がとても大切」と強調しました。
 シンポの最後に、最近になってやっと自身の被害を語れるようになったという金城さん(写真左)が嗚咽の中で言いました。「一番言ってほしい言葉は、『あなたは悪くない』、です」
 性産業に身を置く子どもたち、性被害に遭った子どもたち、街をさまよう子どもたち・・・あなたたちは悪くない!

<今日の注目特集>(いずれも24日付)

 Sinpou
Taimusu 琉球新報と沖縄タイムスが24日いずれも別刷りで特集を組みました。歩調を合わせることが多い両紙ですが、この日も同日に特集。ところが、内容がまるで違います。
 ☆琉球新報<4・28「主権」を問う特集 「屈辱」再び>(8ページ)
 ☆沖縄タイムス<GW特集 GWだ遊ぶぞぉ~>(8ページ、1ページは全面広告)
 今の沖縄を象徴するような”2面性”です。
 それぞれ力作ですが、私はやはり琉球新報に軍配を上げます。「屈辱」の歴史と現実を、見開き年表や写真でビジュアル化し、識者の座談会や論評で理論化している特集は見事です。琉球新報の面目躍如というところです。


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「性被害ワンストップ支援」・・・個人の怒りを県民全体へ

2013年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 性被害者を早期に1カ所で救援する「ワンストップ支援センター」の設立を強く望む会(田中真生さん=写真左、金城葉子さん)主催のシンポジウム「聴いて!被害者の声を!!~県内の専門家とともに考える~」が20日、那覇市内でありました。会場は立ち見が出るほどで、3時間があっという間の白熱した議論でした。
 会のきっかけは田中さんの小学5年生(当時)の娘が義父から性被害を受け妊娠した事件を、田中さんが実名で公表し告訴したことです。田中さんはこの日、最初の担当検事に告訴を取り下げるよう事実上強要されたことを明かし、「検察官の名前を出したいくらい悔しい。性被害者が声を上げて何が悪い、声を出していいんだ、という社会になってほしい」と涙ながらに訴えました。村上尚子さん(弁護士)は日本は約70%の性被害者が誰にも言えないという現実があることを示し、高里鈴代さん(強姦救援センター沖縄レイコ代表)は、「身近に性被害があるのにないかのように見せる社会、声を上げるのを押しとどめる圧力(レイプ神話)を打ち破らなければならない」と強調。蟻塚亮二さん(トラウマ・精神科医=写真右)は、「田中さんの怒り、個人の怒りを県民の怒りに。そのための運動論が必要」と訴えました。
 同会主催のシンポは3回目。毎回、性被害の深刻さ、ワンストップ支援の切実な必要性が語られるのは変わりませんが、今回は特に、県が設置に前向きでない現実をどう打開していくか、協力産婦人科医や費用の確保、ホームページ立ち上げなど、設立へ向けた具体的な運動論が議論されたのが特徴でした。「センターの維持費用は年間1150万円。県職員1人ワンコイン(500円)の寄付で賄える」という竹下小夜子さん(精神科医)の試算・提案に共感が広がりました。
 田中さんはけっして超人ではありません。県や検察の不誠実な対応に何度も「心折れた」り「ムカついた」りする普通のお母さんです。その田中と娘さんが泣きながら、歯を食いしばって立ち上がり、声を上げた。その一石が波紋を広げ、大きななうねりになろうとしています。
 最後に田中さんは中学2年になった娘さんの近況を報告しました。「学校にはまだ行けてないけど、元気です。名前を公表して外にも出られなくなるのではと心配していただきましたが、逆で、公表してから、妹たちと外出するようにもなりました」。胸が熱くなって、少し、ほっとしました。

<今日の注目記事>(沖縄タイムス23日付1面トップから)

 ☆<式典「評価しない」7割 「屈辱の日」理由最多 副知事出席6割否定的
    本紙・QAB世論調査>
 「サンフランシスコ講和条約発効から61年目の28日に政府が連合国占領下からの独立を記念する『主権回復の日』式典を開くことについて、沖縄タイムス社と琉球朝日放送(QAB)は全県で世論調査を行った。政府式典の賛否を聞いたところ、69・9%が『評価しない』と回答、安倍晋三政権による式典開催を否定的に捉えている。政府が全都道府県知事を式典に招待したことへの県の対応をめぐっては、59・6%が『だれも出席すべきではない』と答え、副知事を代理出席させる仲井真弘多知事の判断とズレがあることも浮き彫りになった」
 仲井真知事は今からでも、副知事の代理出席を取りやめるべきです。


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「206票」の重み・・・ヤマトンチュウ母の挑戦

2013年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

Aijimusyo_2Aiketui_2 「原発避難」で2年前に来沖し、乳飲み子を含む5人の子どもを育てながら与那原町議選に立候補した龍野愛さん(4月8日「日記」)は、21日の投票で206票を獲得しました。しかし残念ながら議席には届きませんでした(定数14、立候補18人の18位。最下位当選者との票差96票)。愛さんを励ます集いが同日夜行われ、愛さんと支援者たちは「今日が次への出発の日」と誓い合いました。(写真右はお礼と決意を述べる愛さん)
 移住2年の短さ、実質選挙活動1カ月前の遅さ、選挙中も普段通りの子育てというハンデ、選対責任者も置けない文字通りの手作りの素人選挙・・・それを考えれば206票は決して少なくありません。見ず知らずの人が声援を送ってくれたり事務所を訪ねてくれたりという、票差には表れない手応えもありました。だから愛さんは「自分がやりたいこと、やるべきことがいっそうはっきりしてきました」と次への意欲と決意を述べ、支援者たちもそれを共有することができました。有権者が13,000人以上ありながら投票所が1個所という不合理さが低投票率(61%)を生んだ問題も多くの支援者が感じました。
 こうして挙げれば敗因はいろいろ浮かんできます。でもこの選挙を間近で見てきた私は、最も大きな問題は別にあるような気がします。それは、ヤマトンチュウが沖縄で生きていくこと、とりわけ政治・社会活動を行っていくことの困難さです。それは8日前に加藤彰彦沖縄大学長を招いて行ったシンポの参加者が予想以上に少なかった時にも感じました。沖縄には来客者を親しく迎え入れるやさしい顔とともに、強固な地縁・血縁で結束し「よそ者」をなかなか受け入れない厳しい顔があります。それは沖縄が置かれてきた苦難の歴史と無縁ではないでしょう。
 その沖縄でヤマトンチュウが生き、活動していくためには、何が必要なのか。おそらく私たちヤマトンチュウと沖縄の双方が「変わる」必要があるはずです。どう変わる必要があるのか。その課題に挑戦したのが龍野愛さんでした。だから「206票」には限りない意味があります。そして、その挑戦の新たなスタートが、今回の選挙だったと思います。

<今日の注目記事>(22日付沖縄タイムス1面トップ)

 ☆<「知念」にCIA施設 復帰前「アジア最大」 元従業員証言で詳細判明>
 「1972年5月の本土復帰時まで、米中央情報局(CIA)の沖縄基地があった『知念補給地区』(旧玉城村、通称・キャンプ知念)内に、外国人捕虜などを拘禁する秘密収容施設が存在するなど、基地内の施設配置やその用途などの詳細が21日までに分かった。同基地で働いていた複数の元従業員が沖縄タイムスの取材で明らかにした。米公文書を研究する専門家は『米軍の占領下、謀略の拠点であり、地図は大変興味深い。同基地は当時、CIAのアジア最大の基地だったと考えられる』と指摘している」


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「対馬丸撃沈事件」で新たに知った事実

2013年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

TusimamaruTusimamarukouza 「若い教職員のための平和講座」第4回「対馬丸と子どもたち」が19日教育福祉会館でありました。講師は吉川由紀さん(沖縄国際大学非常勤講師=写真右)。以前、対馬丸記念館を訪れた時(2月21、22日「日記」)には分からなかった対馬丸撃沈(1944・8・22)の「新事実」を次々教えられました。
 ☆対馬丸を「学童疎開船」と言い切るのは間違い・・・疎開学童(6歳~14歳)の犠牲者は約50%で、0歳~5歳の乳幼児(11%)やその母親たちなど一般の市民の犠牲も多かった。単純に「学童疎開船」と言い切るとこうした人々の犠牲を見逃すことになる。
 ☆補償金にも差別・・・戦後政府が補償金を支払っているのは学童の遺族(親)だけで、それ以外の犠牲者の遺族、また学童の遺族でも兄弟には支払われていない。犠牲者も差別されている。
 ☆遺品は別の船で長崎港に着いていた・・・1476人の犠牲者の遺品は対馬丸とともに800㍍の深海に沈んでいるから回収は不可能、というのが政府の言い分だったが、それはウソ。実際は荷物は別の船(和浦丸)で長崎港に運ばれていた。遺族はのちに自費でそれを回収したが、さまざまな思いから、どう公表・展示するかは難しい問題になっている。
 ☆生存者・遺族に重い心の傷・・・日本軍が厳重なかん口令を敷いたため真相は長く隠され、スパイ容疑で逮捕された遺族もあった。子どもを疎開させたことをめぐり、口論が絶えず不仲になった父母(遺族)も少なくなかった。
 こうした事実をいままで知らなかったのは私だけではなかったようでした。若い吉川さんが地道な研究で真相を明らかにしていることに感謝する高齢の参加者もいました。69年前の事件ですが、沖縄戦の歴史にはまだまだ究明されなければならないことが多く残されていることをあらためて痛感しました。

<今日の注目記事>(21日付から)

 ☆<「普天間」遺跡調査進まず>(「沖縄タイムス」1面トップ)
 「県・宜野湾市の教育委員会が1997年から共同で実施している米軍普天間飛行場内の埋蔵文化財発掘調査の予備調査のうち、2010年に始まった遺跡の範囲を把握する『確認調査』が、対象となる102遺跡のうち4遺跡にとどまっていることが20日、沖縄タイムスの取材で分かった。基地への立ち入り許可に時間がかかるなど、米軍からの制約が多いことが理由」

 ☆<東村高江に新種ラン>(「琉球新報1面トップ)
 「環境NGO『山原の自然を歩む会』代表の玉城長正さん(73)が20日までに、東村高江の森で、台湾で昨年新種として記載されたばかりのランや、県レッドデータブックで絶滅危惧IA類とされる『イズセンリョウ』など複数の希少植物が生育しているのを確認した。玉城さんは『高江ではヘリパッド建設が進むが、やんばる本来の自然が残る場所で、一帯の植物相は「博物館」といってもいい』と貴重な環境の保全を訴えている」

 沖縄の自然・遺跡保全にとって米軍基地がいかに障害になっているか改めて示す2例です。


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