アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

路面電車―広島・京都・沖縄

2014年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2  広島市内で行われる講演会に参加するため、広島駅前から路面電車(広電)に乗りました。久しぶりに乗って、あらためて路面電車の素晴らしさを痛感しました。

 沖縄は今、新たな公共交通機関として地下鉄が計画されようとしています。地下鉄はダメです。断然路面電車です。沖縄は広島に倣って、路面電車の新設に踏み切るべきです。

   広島の路面電車は、速い、安い、便利の三拍子そろっています。これに環境、景観を入れれば五拍子になります。広島駅を始発とする路線が4本。そのほかに4路線、計8路線が市内を駆け巡っています。料金は一律150円(一部区間100円、いずれも3月末まで)。同じ区間を走るバスよりも格段に速く、安いのです。始発は5時台から、終電は23時台まであります。

 例えば広島駅から原爆ドーム前までは2つの路線が通っており、途中にぎやかなメインストリートを眺めながら、17分で行くことができます。路線の乗り換えも無料でできます。プリペイドカードも使えます。車体の美しさは写真(右)の通りです。

 沖縄では2月はじめ、次世代型路面電車(LRT)の先進国・フランスの事情に詳しいヴァンソン藤井由実さんの講演会がありました。藤井さんは、LRTで観光客が増え、シャッター通りがなくなったと、その経済効果を強調しました(琉球新報2月21日付)。広島の路面電車に乗ってそれを実感します。

 沖縄で一貫して路面電車の導入を主張している、ゆたかはじめさんは、「(地下鉄は)明るく開放的な(沖縄の)風土に向いていません」「(路面電車で)沖縄をゆっくり楽しんでもらいませんか」と主張しています(沖縄タイムス2月28日付)。

 まったくその通りです。地下鉄が不向きなのは沖縄だけではありません。歴史と実績がある路面電車(市電)をあえて廃止し、代わりに地下鉄を造り、バスを増便したものの、大変な交通渋滞と観光客の不便をもたらした都市があります。京都です。学生時代市電に慣れ親しんだ私は、京都に帰るたびに、市電廃止で変わり果てたその姿に暗澹たる思いになります。

  革新自治体から保守自治体に変わったとたんに路面電車が廃止され、激変した京都の交通事情は、地下鉄はダメ、路面電車こそ地域とりわけ観光都市の活性化の決め手であることを実証しています。

 路面電車が活躍を続ける故郷・広島。廃止されて無残な第2の故郷・京都。第3の故郷・沖縄で、ふたたび路面電車の美しい姿を見たいものです。

 


「ウルトラマン」と金城哲夫と福山

2014年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2  先日の中国新聞1面コラムにこんな記述がありました。「40年余り前のテレビ番組『ウルトラマンA』では福山が第1話の舞台で、『超獣』に襲われた」(3月14日付)。ウルトラマンと福山にこんな縁があったのですね。
 

  それで「ウルトラマン」が頭の隅にあった26日朝、プロ野球が観客獲得のPR手段として「ウルトラマン」をキャラクターに使うというニュースが流れました。「ウルトラマン」の人気は不滅です。

 「ウルトラマン」がまた人びとの目に触れる機会が増えますが、「ウルトラマン」と沖縄が深い関係にあることを、本土のどれくらいの人が知っているでしょうか。

 「ウルトラマン」の作者(原作・脚本)は沖縄出身の金城哲夫です。金城哲夫については、この「日記」でもこれまで3回書いています(昨年7月21日、8月18日、8月21)学生時代から沖縄と本土の「架け橋」になりたいと積極的に活動してきました。円谷プロで「ウルトラマン」を作り上げ、帰沖してからは「沖縄海洋博」のプロデュースも手掛けました。ますます活躍が期待されていた最中、37歳で事故で早世しました。

  調べてみると「ウルトラマンA」の脚本は金城哲夫ではなく、金城の後を継いだ市川森一で、金城と福山市は直接の関係はなかったようです。でも、金城が生み出した「ウルトラマン」でつながっていたことは確かです。

  その金城哲夫の「生誕75周年記念シンポジウム」が今年2月15日、沖縄県南風原町でありました。残念ながら参加することはできませんでしたが、ここでも友人の伊野波信行さんが詳細な記録をメールで送ってくれました。学生時代から親友だったジャーナリストの森口豁(かつ)氏らが金城哲夫を偲びました。

 森口氏らの話の中で興味深かったのは、金城が生前、沖縄戦について語ることはほとんどなかった、ということです。金城のお母さんは戦争で脚を負傷したこともあり、金城の中に沖縄戦の記憶が深く刻まれていたことはいうまでもありません。それなのになぜ?シンポではそれ以上語られませんでした。

  「ウルトラマン」は、異星人であるウルトラマンが日本の防衛隊と協力して怪獣から日本を守る物語です。それは沖縄と本土が手を携えて外国の侵略をはね返すという思いの反映といえるのではないでしょうか。直接「反戦・平和」を唱えるよりも、ウルトラマンに「平和」と、本土との「連帯」を託したのではないでしょうか。

  日本人の多くが知っている「ウルトラマン」。その生みの親が託した思いも、本土の人間はもっと知る必要があります。

 <報道の盲点>

 クリミア人民の民意は?

 ウクライナにおけるロシアの武力行為が非難されるべきはいうまでもありません。ただ、もっとも重要なのは、クリミア市民の意思ではないでしょうか。今のウクライナ報道は、肝心のそれは棚上げして、大国間の政治的駆け引きに終始しているように見えます。
 例えば、ウクライナ憲法では、クリミアの住民投票だけでロシアへの編入は決められないことになっているから、今回のことは憲法違反だと言われています。事実ウクライナ憲法がそうなっているとすれば、それは妥当な決まりなのでしょうか。
 一定の自治地域の国家からの離脱、自立、独立は、あくまでもその地域住民の民意で決められるべきではないでしょうか。検討を要する重大な問題です。念頭にあるのは、もちろん沖縄です。


貧困で変わる家族・老後・介護

2014年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_3Photo_4 「しっかり考えたい老い支度~変わる家族と介護~」という講演会が24日、福山市内でありました。講師は春日キスヨさん(臨床社会学者)。母の介護の参考になればと思って参加しましたが、現代社会の厳し断面を突き付けられました。

 春日さんが示したデータから、注目されるものを抜き出してみます。

 ①65歳以上の家族形態(1986年→2013年)・・・夫婦のみの世帯22.0%→37.5%、子夫婦と同居46.7%→16.0%、配偶者のいない子と同居17.6%→26.4%

 ②介護の担い手・・・1992年男14.1%・女85.9%→2010年男30.6%・女69.4%

 ③介護の担い手の続柄(1968年→2010年)・・・嫁49.8%→24.6%、息子2.7%→16.1%
 

 一言でいうと、親の介護の担い手が、「嫁」から実の息子に大きくシフトしているということです。私もこの部類に入ります。
 

 もちろん、介護の担い手に「嫁」が多かったのは、「家制度」の影響であり、その割合の減少自体はむしろ評価すべきでしょう。ただ、問題はほかのところにあります。

 なぜ息子による介護が増えているのか。背景には、未婚男性の急増があります。春日さんの資料によると、男の生涯未婚率(50歳時点で一度も結婚したことがない)は、1950年にはわずか1.5%だったものが、2010年には19.1%に。さらに2030年には29.5%、実に約3割と予想されています。
 

 その主たる原因は、「90年代後半以降からの非正規雇用化による収入の減少・不安定化」です。結婚したくてもできない男の増大です。春日さんはこの変化に対応する介護の再検討が必要だと指摘します。

 「ワーキングプア」「失業」問題は、本人だけでなく、親子・家族関係、さらに介護の在り方まで大きく変え、日本社会の土台を蝕んでいるのです。

 <あきれた報道>

 消費税増税「駆け込み需要」報道の退廃

 4月からの消費税増税。これをテレビや新聞はどう報道しているか。増税前に何を買えば得かという「駆け込み」購買一色ではありませんか。あきれてものが言えません。
 こうした「駆け込み需要」報道には、2つの大きな犯罪的役割があります。

 1つは、消費税増税でいっそう苦しい生活・経営を余儀なくされる福祉施設、年金生活者、零細企業などへ目が向かないこと。増税は結局、巨額の軍事費と表裏の関係であるという消費税問題の本質から人々の目をそらすことです。

 もう1つは、すべての社会問題を、「どうすれば自分(自分の家族)にとって得か」という基準で考える拝金主義を助長することです。これは有権者の政治性・社会性を減退させるだけでなく、人々の人間性を退廃させるものです。

 日本のメディアの病は、NHKや産経、読売に代表される露骨な「政治性」だけでなく、こうした“なにげない日常報道”の中にも深く巣くっているのです。


加藤彰彦前沖縄大学長から学ぶ「生きること」

2014年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_3Photo_2  先日まで沖縄大学の学長を務められた敬拝する加藤彰彦先生(72=ペンネーム野本三吉)の最終講義が2月25日行われました。先生は目の難病のため任期半ばで退官されました。沖縄にいれば何はさておいても駆けつけた最終講義ですが、残念でした。

  ところが、友人の伊野波信行さんが、実に正確にテープを起こし、メールで送ってくれました。伊野波さんはボランティアでこれまでも加藤先生の講義の音響などを整備してきました。その無償の尽力には頭が下がります。

  2時間近くに及んだ加藤先生の話は、全編、胸を打つ内容でした。その中から特に感銘を受けた「珠玉の言葉」を紹介します。

  加藤さんは3歳で東京大空襲に遭い、妹を亡くします。苦学の末小学校の教師になりますが、点数で子どもたちを選別することに耐えられず、退職。全国を放浪した末、横浜の「ドヤ街」で生活相談員になります。

  「相談員という仕事をしているときに、自分の生活だけが守られて、ほかの人たちが苦しんでいるというのが耐えられない。目の前に苦しんでいる人がいて、『じゃあさようなら。明日また来るからね』とは言えない。一緒に耐えるしかない。一緒に生活するしかない」

 加藤さんは給料もすべて投げ打って、文字通り労働者たちと生活を共にします。そこで、ビル建設の最下層労働者として酷使された人たちの声を聞きます。

  「『ビルを見ると、俺たちの涙だと思う』という声に、本当に申し訳ないと。日常の中でいろんなものが造られていきますが、その背後に使い捨てられていく人たちがいる。その人たちを大事にしないと、文化というものは絶対に繁栄しない。そのことを教えてもらいました」

  やがて児童相談所勤務に。「記録」をとることの重要性を痛感します。

  「どうしてあの子はそこで泣いたんだろうとか、あそこでどうしてわざとあんな質問をしたんだろうかと考えていくと、その背景に暮らしがあるんですね。その時生きている生活が後ろにあって、その生活が言わせている。そうすると一人の個人の行動だけでなく、その裏側の暮らし、生活をどう記録するかということが僕の中でものすごく大事な要素になってきた」

  横浜市立大学の教員となり、「社会臨床学会」を立ち上げます。

  「具体的に起こっている事実から何を見つけ出し、学んでいくか。そしてどう社会を変えていけるか。これが僕のソーシャルワークから始まった一つの流れの終結でした」

  2001年9月11日のニューヨークでの「テロ」に、「人間はもう一度生き直さなければ、原点に戻らなければならない」と思うほどの衝撃を受けた加藤さんは、2002年、沖縄大学に。

  「今まで職業というものが大事だと思っていろいろやってきました。しかし、本職というか自分が生涯貫くべきものは、具体的な職業や職場ではない。本当に貫くもの、それは生きるということです。ほかの人と比べて、出来ないことや分からないことがあっても、自分ができること、したいことをする。精一杯それをする。それが生きることだし、それが自分の仕事なのです」

  目の病が進行したある時、小田実(作家・故人)の講義を聴く夢を見ました。

 「小田さんは、みんないろんな事で忙しいけれど、一番大事なことは、見えないものを見る力、聞こえないものを聞く力、忘れられたものを掘り出す力、そして棄てられたものを蘇らせる力だと、繰り返しおっしゃった。そして戦争中の話をされるのです」

  「僕の最後の希望は、一人ひとりの人間関係の中で、本当にお互いが交流できる、相手のことが自分のことのように、自分のことが相手のことのように思える関係が、多くの人たちとの間で広がっていくこと。これは戦争とは異質な世界です。それを小さい所から、自分が今いる場所から丁寧に作り上げながら、それを社会構造の変化につなげる。それが僕の課題です。簡単ではないですが、それを丁寧に積み重ねていくことが、一つひとつの時代の変化だと思っています」

  あるとき、沖縄のカミンチュ(女性神職者)比嘉ハツさんに「海はどうやって満ち潮になるか」と問われました。

  「沖から波がきて満ち潮になるのかと思ったらそうではない。引き潮の一面の砂地のあちこちからピュッ、ピュッと水が噴き出すんです。小さな泉のようなものがあちこちに出てくる。すると近い所と近い所がピョッとつながるんです。そうして大きな泉になる。そこからは速い。あっという間に一面が海になる。時代が変わるということはこういうことなんだと、教えていただきました。どんなに小さくても、自分が今やっていることがいつか他の所とつながれば、同じ時代に同じことを考えている人があちらこちらにいるならば、時代はいっせいに変わるかもしれない。そんな感じがしています。沖縄で教えていただいたことです」

  加藤先生に知己を得た幸せと感謝をかみしめ、これからも先生から学び続けたいと切に願わずにはおられません。

 


驚くべき広島の管理「教育」に思う

2014年03月18日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 「福山の教育を考える会」(主催・全教広島など)が15日福山市内でありました。山本由美和光大学教授(写真右)の講演のあと、父母、教師を含めた討論が行われ、教育現場の生なましい実態が報告されました。広島の管理「教育」がここまでひどいとは…。

 「競争と選別の教育を乗り越えるために」と題して講演した山本さんは、安倍政権が進める新自由主義教育の危険性を解明。特に自民党改憲草案の中の「教育環境の整備」は教育内容への介入を含めあらゆる事柄について権力統制を図るものだと注意を喚起しました。

 山本さんは「新自由主義には貧困・分断がなじむ」と指摘し、学力テスト体制の下で子どもたちの教育・発達が疎外されている実態を示しました。話を聴きながら、先日の雨宮処凛さんの講演を思い出しました。貧困と教育破壊。その根源は政府・自民党の新自由主義の推進です。

 山本さんは、大阪府が進めている「教員身分のアメリカ化=給与削減、非正規化」に追随しているのが広島県であること、さらに小中一貫教育の発祥の地が広島県呉市であり、施設一体型小中一貫校が突出して多いのも広島県だと、広島の特異性を指摘しました。

 こうした山本さんの話を裏付けるように、今、「生活指導規定」なるものが広島の教育を虫食んでいます。県内各学校ではこの「規定」により、「特別な指導」「別室指導」が横行しているのです。

 「別室指導」とは何か。高校生のお母さんの発言によるとこうです。「問題あり」とみなされた生徒は「別室反省」4日間、「教室反省」4日間を課せられます。「別室」ではひたすら漢字の書き取りや教科書の音読を繰り返し、1日ごとに教師のハンコをもらいます。4日連続のハンコがないと元の教室には戻れません。1日でも「不合格」ならまた1日目からやり直しです。

 「別室指導」中は他の生徒との接触が厳しく禁止されます。そのためトイレ休憩も時間をずらし、ウォータークーラーの使用も禁止されます。まさに「犯罪者扱い」(お母さん)なのです。

   こうした結果、あるクラスは35人中18人が中退しました。しかし教師に悪びれた様子はありません。お母さんは訴えました。「面倒な子は学校にいなくて結構ということ。これは『生徒指導』という名の“生徒辞めさせ”です。教師って何ですか?学校って何ですか?」。

  深刻な問題は、こうした「問題生徒」の排除、管理の強化を望む親が少なくないことです。「教室を落ち着かせてほしい」という親の声がたくさん寄せられているというのです。管理「教育」の強化はこうした親の声に支えられており、生徒だけでなく、親も分断されているのです。

  広島はかつて「平和教育」の先進県でした。その広島がどうしてこうなってしまったのか。同じく「平和教育」をすすめる沖縄はどうなのでしょうか。広島の教育問題の解明は、沖縄にも教訓になるはずです。

  子どもが卒業すると、学校現場や教育の問題から遠ざかりがちです。しかし、貧困問題と並んで、学校・教育問題は、これからの日本の行く末を決める極めて重要な問題であり、市民の立場からも積極的にかかわっていく必要があります。そんな当たり前のことをいまさらながら痛感させられました。

 


雨宮処凛さんと考える「貧困・怒り・自己肯定」

2014年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_3Photo_4 「貧困」は人と社会に何をもたらすか―「『格差・貧困問題』から学ぶ」と題する講演会が13日、福山市内でありました。講師は作家の雨宮処凛(かりん)さん(写真)です。

 雨宮さんは現在、「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員など多方面で精力的に活動しています。が、中学校ではいじめに遭い、高校ではリストカットの常習。19歳から24歳までフリーター。22~23歳の2年間は右翼団体に所属、という異色の経歴の持ち主です。自らの体験を踏まえて語る雨宮さんの「貧困問題」には説得力がありました。

  雨宮さんの話から日本の貧困を数字で見ると―現在、非正規雇用労働者は約2000万人(全労働者の38%)。その平均年収は168万円。月収9万3000円以下(1人暮らし)が「貧困」とされており、その数は約2040万人。貧困率16%(6~7人に1人が貧困)。生活保護受給者は約216万人。必要とされる人たちの2~3割にすぎない。

  しかし、貧困・格差問題の本当の深刻さは、数字だけでは分かりません。「新自由主義の下で育てられ、『自己責任』が強調され、非正規労働や貧困は自分の責任だと思わされてきた。だから職場で『役立たず』と罵倒され、使い捨てにされても、返す言葉がない。怒れない。怒る根拠を奪われている」「そんな人たちに『怒れ!』という前に、『あなたは悪くない。あなたが置かれている状況がおかしい。もっと自分を肯定していいんだよ』と言ってほしい」

  雨宮さんは06年から、不安定な生活を強いられている人たち=プレカリアートの問題に取り組んでいます。09年には都内で「自由と生存のメーデー」と題してプレカリアートメーデーを企画し、デモの先頭に立ちました(写真左)。プレカリアート運動の原則は「無条件の承認=生存の肯定」です。

  貧困は経済的・時間的に市民(主権者)を政治から遠ざけるだけでなく、自己肯定感を喪失させ、内面から権利意識を奪っていく。だから、雇用・貧困問題は、主権在民の政治・社会改革にとっても最も根源的な課題である。雨宮さんの話を聴いてそう痛感しました。

  そこで頭に浮かぶのは沖縄です。有効求人倍率全国最低、貧困率全国1の沖縄。今後の平和運動を担う若者の輪を広げるためにも、平和・市民運動の側が雇用・貧困問題にもっと力を注ぐ必要があるのではないか。基地と違って目に見えにくいだけに、沖縄の貧困問題は切実です。


映画「変身」堀潤氏の「新しいメディア」への熱い思い

2014年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 元NHKのジャーナリスト堀潤さん(写真)が制作したドキュメンタリー映画「変身」の上映と堀さんのトークが9日、福山市内でありました。

 「変身」は東京電力福島第1原発事故と、カリフォルニア・サンオノフレ原発問題、スリーマイルアイランド事故を結んで原発の危険性を告発したもの。堀さんはNHK在職中に制作しましたが、上層部から圧力がかかり、退職せざるをえませんでした。
 「変身」は堀さんの愛読書カフカの『変身』から。一夜にして虫に身を変えられた男が家族に尽くそうとするのに家族からじゃまもの扱いされる不条理を描いた小説です。

 映画で特に引きこまれるのは、元東電社員の林哲哉さんの投稿映像です。林さんは「真実を伝えたい」との思いから東電を辞め、下請け作業員として福島第1原発へ。そこで下請け労働者がだまされ、危険な作業に従事させられている実態を、隠しカメラで撮影しました。新聞など活字では報道されてきましたが、映像で見る事実はまさに息をのむものでした。

 映画の内容もさることながら、共感したのは、「新しいメディア」にかける堀さんの熱い思いでした。
 「これまで対立しがちだった市民メディアとマスメディアを融合し、お互いの長所を共有したい」という堀さん。その場として「8bit.news」を立ち上げています。映画「変身」は6割が堀さんの取材、4割は一般市民の投稿で構成されており、堀さんが目指す新しいメディアのさきがけです。

 NHK籾井会長の進退が問われている時だけに、会場からの質問では「NHKの再生」をめぐるものが多数出されました。堀さんは「ああいう人が会長になり、『NHKのあり方を見直す必要がある』という声が高まってかえってラッキー。NHKはみなさんの公共放送です。声を出し、物申すことで少しずつ軌道修正していきましょう」と呼び掛けました。

 講演後、堀さんに「新しいメディアではぜひ沖縄からの発信も」と言うと、「先日仲間が石垣へ行って取材しました」とのこと。沖縄からの発信にも意欲満々の堀さん。その「新しいメディア」が沖縄の市民とのコラボでさらに豊かな内容になれば素晴らしいことです。


 <私の介護メモ>
            認知症の家族を介護する男たち

 福山市内で、認知症の家族を介護する男の会(「福の山」)があると聞き、8日、初めて参加しました。私を含め、9人の出席でした。
 90歳にして紙パンツの87歳の奥さんを介護する人、父親の罵声・暴力に耐えながら、母親と2人の認知症を介護する54歳の人など、私などよりはるかにたいへんな人たちの話を聞くと、励まされます。
 その中で共通した悩みの1つは、薬の服用でした。症状を抑えるために飲めば副作用が表れる。担当医に相談しても「正解」は返ってこない。「認知症の進行か、副作用か。それは結局家族が選択しなければならない」という諸先輩。それが現実なのかと妙に納得しました。


3年目の「3・11」に思う、1枚の写真

2014年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 今日は3年目の「3・11」です。数日前から新聞やテレビで特集が組まれています。

 テレビでは8日深夜のNHK・ETV特集が秀逸でした。新聞では中国新聞が6日から3回連載した「フクシマとヒロシマ3年」が注目されました。「核被害を経験したヒロシマが、フクシマに対してできることは」という問題意識で、「医療指導者の育成」「甲状腺検査」「被爆者援護法と原発被災者補償」の3つのテーマで、広島の経験・力を福島につなげようという企画でした。

 私は2年前から手帳の裏表紙に1枚の写真を貼っています。年が変わっても貼り継いでいます。1人の少年の写真です。宮城県・気仙沼市でその少年は、ガレキの中で、両手に大きなペットボトルを持ち、歯を食いしばって水を運んでいます(写真右)。地震の3日後、2011年3月14日に共同通信が配信したものです。

 私がこの写真を知ったのは、2012年1月13日付の東京新聞でした。俳優の高倉健さんが新聞から切り抜いて、映画(「あなたへ」)の台本に貼りつけているというのです。高倉さんはこれを「宝物です」といい、毎朝見ると「ギュッと気合が入る」と語っていました。
 少年の、言葉では言い表せない姿と、高倉さんの人間性に感動し、私も東京新聞から切り抜いて手帳に貼らせてもらっています。私にとっても「宝物」です。

 ところが、私が千葉から沖縄に移った直後の琉球新報(2012・11・10付)1面コラム(金口木舌)に、なんとこの写真のことが取り上げられたのです。高倉さんのことは一言もありません。広島市の大上克己さんという方が、少年の姿に胸打たれ、写真を絵にして贈ったというのです。少年の名前は松本魁翔(かいと)君。
 大上さんはパーキンソン病で震える手を必死に抑えながら描きました。魁翔君から「勇気と生き抜く力をもらったから」と語っていました。
 大上さんが広島の方だとは、今日琉球新報を見直して初めて気が付きました。なんという偶然でしょう。

 3年目にあらためて思います。人は、繋がる。繋がり合える。勇気と生きる力を分かち合える。
 そのためには、知ること。現実を知ること。知ろうとすること。知る努力をすること。
 そして、自分は何をすべきなのか、どう生きるべきなのか、考えること。

 「3・11」は、私に今の自分を見つめさせ、人間としての生き方を問い続けます。何年たっても。


ホロコースト記念館から学ぶもの②

2014年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_3Photo_4 福山市にあるホロコースト記念館(写真)で印象に残ったことの1つは、「ヒトラーは選挙で選ばれた 」と繰り返し強調していたことです。ヒトラーはけっして軍事クーデターで独裁者になったわけではないのです。

 「ホロコーストはヒトラーひとりが起こしたものではない。無関心や傍観者的な態度をとった普通の人たちの存在が背景にあった」(大塚信館長)。そのことを忘れてはならない。それが記念館の重要なコンセプトなのです。

 もちろんそれはドイツだけではなく、当時の「大日本帝国」についても言えることです。そして決して過去のことではありません。現在の安倍内閣「高支持率」の意味をあらためて考える必要があります。

 「無関心や傍観者的な態度をとった普通の人たち」の責任-。そのことで忘れられないのが、昨年11月沖縄(北谷町)で行われた教育研究集会での高嶋伸欣琉大名誉教授の講演です。高嶋さんはこんな話を紹介しました。
 

 以前若い教員が数人、オランダ・アムステルダムに旅行し、「アンネ・フランクの隠れ家」を見学した。帰りに近くの店で楽しそうにお土産探しをしていた。その時、店員がこう言ったというのです。「あなたがたは、アンネを殺した側の人間だということを意識していますか」

 この話を聞いて、私はムチで打たれたような気がしました。オランダでは、いや欧州では、日本はホロコーストをおこなったナチス・ドイツの同盟国だったという歴史の認識が、市井の店員に至るまで浸透し、忘れられてはいないのです。それに対し、私たちは、いえ私はどうなのか。「アンネを殺した側の人間」だという意識があるだろうか。

 『アンネの日記』などが破られた今回の事件の第1報を聞いたときに、すぐに思い出したのがこの話でした。犯人の行為は卑劣で、「表現の自由」を侵害するものだ、とはおそらく多くの日本人が思うでしょう。しかし、欧州の人々は、この事件は犯人1人の問題ではなく、「アンネを殺した側の」日本で起こったことを、特別の思いで受け止めているのではないか。

 この事件はそういう性格の問題だと、われわれは日本人はとらえる必要があるのではないか。だからこそ、事件の背景となっている日本社会の右傾化や、安倍政権の歴史修正主義、改憲策動を許してはならない。「無関心」「傍観者」であってはならない。それが、「アンネを殺した側の人間」としての責任ではないか。
 ホロコースト記念館で、その思いはますます強くなりました。


ホロコースト記念館から学ぶもの①

2014年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_3Photo_4 『アンネの日記』などアンネ・フランク(19291945)に関する書籍が破り取られるという卑劣な事件は、日本社会の右傾化を象徴していますが、皮肉にもその事件をきっかけに、「ホロコースト記念館」(写真左)が福山市内にあることを知りました。4日行ってきました。(ホロコーストとはギリシャ語で「火に焼かれたいけにえ」の意味。今ではナチス・ドイツによるユダヤ人600万人の大虐殺を指します)

  福山駅からローカル線で2駅目、歩いて十数分の静かな川べりに記念館はたたずんでいます。2階建てで、そう大きくはない建物ですが、展示物、部屋の構成、庭の造りなど、どれをとっても素晴らしいものでした。

  記念館は福山市の牧師・大塚信館長が43年前にアンネの父、オットー・フランク氏と偶然出会ったのがきっかけで、1995年に日本で初めて福山市に設けられました。オットー氏らの寄贈や内外の協力者の尽力で、入場無料で維持され、2007年には新館がオープンしました。

  1階のホールで大塚館長の案内ビデオを見たあと、2回の展示コーナーへ。記録フィルムやパネルで分かりやすく解説されているのはもちろん、アンネの隠れ部屋の再現や、紙質にいたるまで精巧に複製された「アンネの日記」など、展示物は胸を打つものばかり。

 中でも衝撃を受けたのは、収容所で犠牲になった子どもが実際に履いていた「15センチの靴」と遺骨が納められている「記念室」です(写真右。ガイドブックより)。展示物の前にはイスが置かれ、後ろの壁には70枚ほどの子どもたちの写真。ここは座って子どもたちの犠牲と向き合う部屋なのです。

  もう一つ特に衝撃を受けた展示物は、6本のガラスの柱にびっしり詰まった「150万個のビーズ」のオブジェでした。全国の700人以上から寄せられた色とりどりのビーズです。150万とは、ナチス・ドイツに虐殺されたユダヤの子どもたちの数なのです。数字だけではぴんとこない、想像を絶す残虐さ、恐怖が、一つひとつ輝く小さなビーズによって感性に迫ってきます。

  この記念館はただの展示館ではありません。大塚館長は、「何よりもあなたが、『いかに今を生きるか』を問いかけてみてください」と来館者に訴えています。展示順路は、オットー・フランク氏の次の言葉で終わっています。「同情するだけでなく、平和をつくりだすために何かをする人になってください」

  ここは、平和について、人権について、そして生き方について、一人ひとりが自分と向き合う空間なのです。

  しかし、私たちがこの記念館から学ばなければならないことは、それだけではありません。昨年11月沖縄で聴いた高嶋伸欣琉大名誉教授の講演が忘れられません。それについては、次回書きます。