アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

強まる騒音被害―岩国、川上米軍基地

2014年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 RCC(中国放送)は29日、昼のワイドショー番組(「イマなま」)で、「広島県周辺の米軍基地」の実態を約25分にわたって特集しました。

 1つは岩国基地。空中給油機KC130が15機普天間から移転するのをはじめ、空母艦載機FA18が59機厚木から。さらにステルス戦闘機F35も配備が予定されるなど、増強計画が目白押しです。

 岩国基地周辺で最近特に問題になっているのは、低空飛行の増加と、それにともなう騒音被害。訓練区域の北広島地域の騒音は85デシベルに達しています。低空飛行は朝鮮半島の地形を想定した訓練だと言われています。

 もう1つは、東広島にある川上弾薬庫(写真右)。マツダスタジアム(野球場)51個分の広大な敷地で、「弾薬の集配センター」といわれる米軍のアジア最大の弾薬庫と言われています。川上基地周辺でも大変な騒音(79デシベル)に苦しめられています。古くなった弾薬を爆発処理するためです。29日広島高裁で判決があった国道2号高架訴訟で、65デシベルが「受忍限度」とされたことと比較しても、いかに耐え難い騒音かが分かります。

 しかも川上弾薬庫に何が運び込まれているかは完全な秘密にされています。住民は「特定秘密保護法でますます基地の実態が隠される」ことに不安の声を上げています。

 キャスターは、「日本はいつまでもアメリカの核のカサの下にいていいのか。きちんと(基地に)ノーと言えるスタンスをもっていなければ」と締めくくりました。

 日米軍事同盟の下、強化される米軍基地、強まる住民被害、秘密法の不安・・・日米安保条約がある限り、沖縄も本土も、その危険性は共通で、強まるばかりだと改めて知らされました。

 <気になる記事>(沖縄タイムス27日付から)

 ☆「イデオロギーよりアイデンティティ」か?

 沖縄タイムス(27日付)は1面トップと2面で、翁長雄志那覇市長のインタビューを掲載。その中で翁長氏は、「沖縄の基地問題はイデオロギーよりもアイデンティティだ。保革を乗り越えないと解決しない」と主張しています。氏の持論ですが、名護市長選の結果を受けて改めて強調しているのが特徴です。
 しかし果たしてそうでしょうか?私はそうは思いません。
 「イデオロギー」とは何?「アイデンティティ」とは何?「保革を乗り越える」とは?
 それぞれの言葉の中身を吟味する必要があります。この問題は来る知事選でも改めて問われる、沖縄の大きな問題です。あらためてともに考えていきましょう。


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沖縄の新聞が読みたい!

2014年01月26日 | インポート

PhotoPhoto_2 沖縄を離れて広島(福山)へ行くことを決意してすぐに心配になったのは、「福山で沖縄の新聞(沖縄タイムス、琉球新報)は読めるのだろうか」ということでした。
 在沖中に、福山で一番大きい市立中央図書館(写真左)に電話で確認しました。すると「沖縄の新聞は置いていません」。

 そこでやむなく、沖縄から郵送してもらう手配をして福山へ向かいました。できれば両紙とりたいのですが、通常購読料の1・5倍近い費用がかかることもあり、やむを得ず1紙だけ郵送してもらっています。こちらには2日遅れで届きますが、毎日楽しみにしています。

 沖縄から離れると、どうしても意識も遠ざかりかけます。残念ながら。それを繋ぎとめてくれるのが、沖縄の新聞です。離れてみてあらためて、沖縄の新聞の素晴らしさが実感されます。どこが違うのかは、あらためて書きたいと思います。

 ところで、中央図書館で他の新聞を読みながら、思いつきました。「ここに沖縄の新聞を置いてもらうことはできないものか」。
 現在中央図書館には、全国紙4紙(朝日、毎日、読売、産経)と地元地方紙、スポーツ紙、政党機関紙、さらに福島の2紙と、かなり豊富に閲覧できます。この中に沖縄の新聞があってもいいのではないか。

 カウンターで係の人に聞きましたが、「特定地域の地方紙は置けない」とのこと。では福島の2紙は?「避難されている方々がいらっしゃいますし、寄贈されているものですから」。寄贈なら可能性があるのか。そこで申し出ました。「私が寄贈します。私が郵送で購読しているものを、図書館宛てに送ってもらいますから、閲覧できるようにしていただけませんか?」。同じ郵送なら自分一人が読むより、一人でも多くの人に読んでほしい。私も図書館で読めばいいのだから。

 「会議で検討します」ということになりました。回答はまだ出ていません。申し出が叶えられ、福山の中央図書館でも沖縄の新聞が閲覧できるようになればいいのですが・・・。

 <介護メモ>

 ☆「何もできないとき」の連携

 「福山地区認知症の人と家族の会」結成25周年記念の講演会が25日ありました。「若年性認知症と生きる地域のまなざし」(講師・松本一生氏)と題して、認知症の人を受け入れる地域の課題が特に話されました。
 傾聴すべきことが多々ありましたが、その1つが「真の連携に向けて(多職種協働)」の中で述べられた「『何もできないとき』の連携」です(写真右)。何か手助けしたい、連携したい、と思っても、何もできないときもある。そのときはどうすべきか。松本氏は、「関与しながら観察すること」だと言います。
 行動したいと思いながらできなくても、無関心ではなく、関与する気持ちを持ちながら観察する(実態を見つめる)。それが「真の連携」につながると。
 本土と沖縄の関係を思いながら聞いていました。


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「情報格差」をどう乗り越えるか

2014年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo1tv 週1回(日曜日)と思っていましたが、書きたいことがたまったので、書きます。

 沖縄にいると、「どうして本土の人は分かってくれないのだろう」と思うことしきりでした。そこにはもちろん、「構造的差別」という根深い問題があります。しかし同時に、いわば単純な「情報格差」という問題があることも確かです。
 メディアは、身近な問題により多くの時間とスペースをさいて報道する“宿命”があります。広島に来て10日余りで痛感した実例をあげます。

 ☆自衛艦と釣り船の衝突・・・自衛隊の輸送艦「おおすみ」と釣り船の衝突事件から22日で1週間。衝突の原因はいまだになんら解明されないまま、世間の記憶から薄れようとしています。自衛隊(政府)の責任が回避されようとしています。亡くなった船長のパートナーは、「今まで無事故の夫が事故を起こすなんて信じられません。公正に原因を明らかにしてほしい」と悲痛な声を上げています。新たな目撃証言も出ています。
 中国新聞はほぼ連日報道し、広島のテレビも取り上げています(写真右)。しかし、他府県(沖縄も含め)はどうでしょうか。どれほど報道されているでしょうか?

 ☆岸田外相の核兵器「限定使用」発言・・・岸田外相は20日、長崎での講演で、「極限の状況に限定」するなら、核兵器の使用を容認すると発言しました。中国新聞は翌21日の1面と3面でこれを大きく報じました(写真左)。しかしおそらく、他府県ではほとんど報じられなかったのではないでしょうか。

 自衛艦の衝突も、外相の核使用発言も、日本の平和にとって重大な問題であり、当然沖縄にも大きく関係することです。しかし、そんな重要問題も報道されなければ、分かりません。記憶から薄れていきます。“知らんふり”の以前に、“知らされない”のです。

 この「情報格差」をどう克服していくか。
 たいへん大きな問題で、すぐには回答を出すことはできません。
 ただ言えることは、「知らない」ことを非難し合うのではなく、お互いに「知らされていない」という現実をどうやって打ち破っていくかを、ともに考えたいということです。

 ◎「良心のガラパゴス」・・・そんな思いの中、目に入った23日付中国新聞の投書(山口県周南市の66歳の男性)を紹介します(全文)。
 「名護市長選 巨大政党は猛省を―反戦・反軍の強固な信念が日本で唯一残存する『沖縄』が確認できた(名護)市長選だった。戦後の日本再生の原点である平和立国を喪失した巨大政党は猛省すべきだ。沖縄を『良心のガラパゴス』にしてはならない。それが本土に住むわれわれに課せられた重い使命である」

 「沖縄を『良心のガラパゴス』にしてはならない」。なんと意味深い言葉でしょうか。
 まごころの言葉は響きあい、人と人はつながることができる。「情報格差」を超えて。
 そう確信させる投書でした。


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広島で迎える名護市長選勝利の歓喜

2014年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 みなさん、お久しぶりです。那覇から広島県福山市に移って9日目です。しばらく週1回(基本的に日曜日)のペースで「日記」を再開します。今後ともよろしくお願いいたします。

 そのいわば再開第1回目に「名護市長選・稲嶺市長再選」の吉報を書くことができるのは、ほんとうに幸せです。昨夜9時にNHKが「当確」を打つ30分前に、那覇の友人からうれしいメールと電話が届きました。その声は歓喜に震えていました。「沖縄で一緒に喜び合いたかった」。遠く離れたこの地で独り、熱いニュースに接した、それが実感でした。

 広島の地元紙・中国新聞は、名護市長選を比較的よくフォローした方だと思います(共同電ですが)。今日は同紙が連日キャンペーンした地元開催の全国都道府県対抗駅伝のため、1面トップにはなりませんでしたが(写真右)、告示日はしっかり1面トップで扱いました(写真左)。

 今日の中国新聞の社説のタイトルは<名護市長選で稲嶺勝利 「県外」民意は揺るがず>。「基地負担のたらい回しはごめんだ、という民意が明確に示された。政府は重く受け止めるべきである」と書き出し、「大多数の市民は、基地負担と引き換えのお金にまちづくりを委ねるべきでないと考えた」と断じています。そしてこう結んでいます。
 「政府は、日米同盟を堅持するには沖縄の米軍基地が必要だと説いてきた。だが積もりに積もった『沖縄の怒り』という不安定な足場に立って安全保障政策を構築する方が危うさをはらんではいないか。負担軽減策として米軍機の訓練移転などを打ち出しても、小手先の措置にすぎない。問題の根本的な解決にはなるまい」

 素晴らしい社説、のように一見思えます。しかし、少なくとも問題が2つあります。1つは、「沖縄の怒り」の強さ、厳しさには触れながら、それと本土(広島)の人間とどういうかかわりがあるのか、どうかかわらねばならないのかにまったく言及していないことです。「沖縄の問題」にとどまっているのです。そしてもう1つは、「根本的な解決」とは何かが書かれていないことです。
 全国紙とくらべれば、さすが地方紙、よく書かれている社説だと思います。それでこの程度です。本土と沖縄の“遠さ”を改めて痛感せざるをえません。

 余談ですが、私は16日に中国新聞に投書しました。「名護市長選挙を自分たちの問題として注視しよう」という趣旨です。ボツになりました。それが原稿の出来の悪さだけが理由であったのならいいのですが・・・。

 「沖縄ではまだ正義と良識が勝つことができる」「沖縄の闘いでこそ、人間は人間らしくなれる」。名護市長選勝利の一報ですぐに脳裏に浮かんだのはそのことです。
 沖縄を離れていても、沖縄の闘いに加わりたい。沖縄の闘う人びととつながりたい。沖縄の闘いとつながるなかで、人間として自分を鍛え直したい。名護市民の歴史的な勝利は、私にあらためて生きる意欲を与えてくれました。

 <介護メモ>

 ☆母の認知症は「レビー小体型」

 一口に認知症といっても、大別3種類あるそうです。よく知られている「アルツハイマー型」(全体の約50%)、「レビー小体型」(20%)、「脳血管性」(15%)。母はどうやら「レビー小体型」のようです。見えないものが見える幻視やうつ症状が特徴とか。「どうやら」というのは、福山には認知症の専門医が不在で、ましてや“マイナー”なレビー小体型は医師の間でもあまり知られていないとか。
 これからこの“新興認知症”との付き合いが始まります。


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新たな「私の沖縄日記」へ向けて

2014年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 過日お知らせいたしましたが、郷里(広島県)の母の介護のため、帰郷しなければならなくなりました。本日(11日)、沖縄を離れます。
 沖縄にいない以上、「沖縄日記」は書けないと思い、ブログは閉じざるを得ないと、いったんは考えました。しかし、さまざまな方々のご声援もいただき、継続することにします。ただ、やはりこれまでと同じというわけにはいきません。そこで以下の要項で、いわば「私の沖縄日記―広島編」として新たに出発します。

 ☆更新・・・これまでは毎日書くことを自分に課してきましたが、これからは当面週1回の更新とします。覚えていただくために、原則毎週日曜日とします。
 ☆内容・・・①本土(広島)から見た沖縄、本土にとっての沖縄、本土から追求する沖縄との連帯②直接沖縄とは関係がなくても、沖縄(の人々)にとって参考になる情報。

 「私の沖縄日記」は今日が406回目です。433日間の沖縄生活を終えた今、あらためて考えていきたいと思っているのは、次のテーマです。

 ◇「民族」とは何か・・・沖縄人は日本民族か?民族と国家の関係、民族のアイデンティティとは?
 ◇「祖国復帰(1972年)」とは何だったのか・・・沖縄史、日本史におけるその意味は?
 ◇「オール沖縄」は可能か・・・「オール沖縄」とはいかなる状況を指すのか。それは可能なのか。それは本当に沖縄の闘いのキーワードになるのか?
 ◇沖縄と「天皇制」・・・沖縄と日本の関係の根底に横たわるのが天皇制。それは沖縄の過去、現在にどのような影を落としているのか?
 ◇ウチナーンチュとヤマトンチュ・・・沖縄人と日本人の真の友好・連帯はどうすれば実現するのか?

 これまでのように沖縄のみなさんと一緒にたたかいの現場に立つことができない分、本土にいて何ができるのか、何をすべきかを考え、できることから実行していくつもりです。そしてこの機会に、あらためて沖縄の歴史を学び直したいと思っています。

 名護市長選(19日)の前に離沖するのは大変心苦しいです。次回はその結果を受け、1月20日(月)に書きます。ぜひ喜びの「日記」にしたいものです。

 今では1日平均約150人の方々にアクセスしていただいています。ほんとうにありがとうございます。できればこれからもお付き合いください。また、これまでのものの中から、興味を持たれたタイトルがありましたら、読んでみてください。そして、ご感想、ご指摘のコメントをいただければ、これにまさる喜びはありません。

 母の介護はいつまで続くかわかりませんが、何年後になっても、必ず沖縄に戻ってきます。

 これからも「沖縄」について、「沖縄と自分」について、一緒に考えていきましょう。

                                                    (鬼原悟)


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「海外識者声明」から学ぶべきことは・・・

2014年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 「あれはすごいね」。新年の挨拶代わりに話題になるのが、「海外識者29人声明」(日本時間8日正式発表)です。沖縄の人々に対する「お年玉」というにはあまりにも大きな“贈り物”です。
 9日付の琉球新報に声明全文、報道発表全文、米特派員解説、日本の識者談話、市民の反応などが特集されました(写真右)。それらを読んで、あらためて考えました。この声明から私たち(私)がほんとうに学ばなければならないことは何だろうか?

 声明は、沖縄を「軍事植民地」と正確に規定し、辺野古への新基地建設はその状態をさらに「深化し拡大させる」ものであり、普天間は直ちに無条件返還されるべきだと主張。「沖縄の人々による平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力の闘いを支持します」と表明しています。

 沖縄の闘う市民たちがこれを「世界常識が味方してくれた」「勇気をもらった」と大歓迎したことはいうまでもありません。しかし声明全文を読めば、識者らがたんに沖縄の現状を見て支持を表明しているわけではないことが分かります。声明は、沖縄が「軍事植民地状態を終わらせるために非暴力の闘いを続けてきた」歴史に着目し、いくつか例を示し、それを「米国の20世紀における公民権運動」と通底するものととらえているのです。

 声明が注目した沖縄の「非暴力の闘い」の歴史を、日本の私たちはいったいどれだけ知っているでしょうか。沖縄タイムスは元日から連載「基地を止めた」(7回)を始めました(写真左)。具志川村昆布土地闘争(1966年現うるま市)から、ヘリパッド建設阻止行動(2007年東村高江)まで、60年代以降の辺野古闘争以外の「非暴力の闘い」を伝える連載です。私たち日本人は、あらためてこうした沖縄の「非暴力の闘い」の歴史から学ぶ必要があります。

 もう1つ、注目されたのは、声明が「戦後ずっと、沖縄の人々は米国独立宣言が糾弾する『権力の乱用や強奪』に苦しめられ続けています」と述べていることです。これは確かに沖縄の米軍基地駐留と「建国理念との矛盾」を指摘したものです。しかし、それだけではないと思います。29人の識者らが沖縄の闘いに支持表明したのは、独立宣言といういわば自分たちの精神的・政治的立脚点、日本でいえば日本国憲法に照らして、沖縄の現状が容認できないからなのです。

 識者らはけっして第三者的な立場から沖縄の闘いを支持しているわけではないのです。たんなる“贈り物”ではないのです。公民権運動や独立宣言という自国の歴史に照らして、沖縄に連帯しているのです。
 この声明は、沖縄の人々を励ますだけでなく、日本政府や日本国民を批判するだけでもなく、米国など自国の国民に対しても、“沖縄の現状は自分たちの問題だ”と問いかけているのではないでしょうか。

 “沖縄を自分たちの問題として考える”。これこそ、日本人がこの声明から学ばなければならない最も大切なことではないでしょうか。


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稲嶺市長必勝決起大会・・・この人をなんとしても

2014年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 投票日まで11日となった名護市長選挙。稲嶺進市長必勝へ向けた総決起大会が8日夜、21世紀の森屋内運動場で行われました。会場の外を含め約4000人の支持者で熱気に包まれました。

 稲嶺さんを支持する政党(社民、共産、生活、社大)代表や市議、県議のほか、大田昌秀元県知事、仲里利信元県会議長、かりゆしグループの平良朝敬CEOらが次々登壇。支持の幅の広さを示しました。俳優の菅原文太氏からは祝花とともに、「心ある日本の国民、世界の良識ある人たちは稲嶺市長の味方」だという力強いメッセージが届けられました。

 多くの登壇者の中で、最も輝いていたのは、いうまでもなく稲嶺さん本人でした。会場に姿を見せた瞬間から支持者の握手ぜめにあった稲嶺さん。約20分間の決意表明は、うちなーぐちの挨拶から始まりました。その後もしばしばうちなーぐちを交えた稲嶺さん。県民に後足で泥を掛けた自民党県連や仲井真知事の行為に対し、沖縄の誇り、アイデンティティはけっして汚されないという思いが、そこには込められていたような気がしました。

 「戦後68年間、沖縄は虐げられてきた。いま、(自民党議員や仲井真知事の姿に)新たな琉球処分を見る思いだ。日本はどこへ向かおうとしているのか。ガッティンならん(許せない)!」「私は4年間公約を実行し、信念を貫いてきた。これからも貫く。裏切るようなことは絶対にしない!辺野古の海にも陸にも、新しい基地は絶対につくらせない!」

 「(世界の有識者29人の応援声明に触れ)われわれは危機に直面している。しかし、われわれの応援団は世界中にいる」「19日の選挙は名護市だけの、沖縄だけの選挙ではない。これからの日本の在り方を問う選挙だ。子どもたちにたいへんな負の遺産を残すのか、それともそれにノーを突きつけるのか。それを決められるのは投票権を持っている私たちだけだ」

 「大義は私たちにある。正義は必ず勝利する」「どうか私を信じて、私に任せてほしい。最後までともに頑張りましょう」・・・拍手と指笛はしばらく鳴りやまず、4000人の参加者の心が一つになりました。胸が熱くなり、涙がにじんできました。

 稲嶺さんは、情と熱を併せ持つ素晴らしい候補者です。歴史的な岐路に立っている名護・沖縄が、その進路を託すにふさわしい政治家です。この人を先頭に、絶対に勝たねばならない。決意を新たにした大会でした。

 しかし、この熱気に浮かれてはいられません。参加者のかなりの部分は、私も含め、名護市以外からバスなどで駆けつけた支持者でした。名護市民はどのくらいいたのでしょうか。相変わらず中・高齢者が目立ちました。若者はどうしているのでしょうか。
 参加者の熱い思いを、冷めている有権者に伝えていかねばなりません。何もしなければ正義も勝つことはできないのですから。

 <今日の注目記事>(9日付沖縄タイムス3面)

 ☆<自民、「不戦の誓い」削除 14年運動方針最終案 「安倍カラー」強める>

 「自民党は8日、2014年運動方針の最終案を発表した。靖国神社参拝に関する項目で、原案に記した『不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し』との表現を削り、新たに『(戦没者に対する)尊崇の念を高め』との文言を加えた。・・・原案は7日の党総務会で大筋了承されたが、出席者から『靖国神社参拝の理念と「不戦の誓い」は別の話だ』との意見が出ていた」

 ※「(靖国参拝で)不戦の誓いをした」という安倍首相の言葉がいかにデタラメか自ら証明したものです。こうして自民党がなりふり構わず「不戦の誓い」を削り捨てることに、「戦争前夜」を感じずにはいられません。


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新年、県民不屈の誓い―海外識者が応援

2014年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_2

Photo_3 辺野古新基地建設に反対する今年初めての県民集会が7日正午過ぎから、県庁前の県民広場で行われました(写真左)。
 集まった面々からは「『いい正月』を迎えたのは仲井真さんだけだ」と、年末の仲井真知事の「辺野古埋め立て承認」にワジワジー(立腹)しながら新年を迎えたと口々に語り合っていました。

 主催者(基地の県内移設に反対する県民会議)各団体の決意表明では、仲井真知事が6日の「年頭あいさつ」で、「名護市のみなさんには苦労を掛ける」と平然と犠牲の押し付けを表明する一方、記者会見で「(これまで辺野古移設に)ノーと言ったこともない」と選挙公約の改ざんを図ったことへ批判が集中。「この怒りを名護市長選での稲嶺市長再選につなげよう」と気勢を上げました。

 集会は「仲井真氏は一刻も早く知事を辞めるべきだ」で一致。「自分で辞めないならリコールだ」との声もありました。会場では、11日に行政法と憲法の専門家を講師に、「知事のリコールを考える学習会」を開催するチラシも配布されました。

 そんな意気軒高な県民を応援するビッグニュースが8日付の琉球新報に掲載されました(写真右)。アメリカなどの著名な学者・文化人29人が、8日午前(日本時間)、「沖縄への新たな基地建設に反対し、平和と尊厳、人権、環境保護のために闘う県民を支持する」との声明を発表するというのです。声明は普天間飛行場の辺野古移設中止、同基地の即時返還を主張しています。

 呼びかけ人は、オリバー・ストーン(映画監督)、ノーム・チョムスキー(言語学者)、マイレッド・マグワイア(ノーベル平和賞)、ジョン・ダワー(歴史学者)、ガバン・マコーマック(歴史学者)、マイケル・ムーア(映画監督)、アン・ライト(元米国外交官)の各氏など、沖縄でもおなじみのそうそうたる顔ぶれです。

 声明文は、安倍首相と仲井真知事の「辺野古移設」合意に対し、「人間と環境を犠牲にして沖縄の軍事植民地状態を深化し拡大させるための取り決めに反対する」と表明。普天間飛行場については「終戦後返還されるべきだった」とし、「(返還に)条件がつくことは本来的に許されない」と指摘しています。

 著名な有識者の機敏でタイムリーな行動、その声明内容の的確さにあらためて感銘を受けます。その一方、日本の学者・文化人の中からこうした行動が生まれてこないことに、いまさらながら失望せざるをえません。日本の学者・文化人は今こそ沖縄の現状と展望について、自らの問題として公に発言すべきです。

 <今日の注目記事>(8日付沖縄タイムス2面)

 ☆<那覇市議団の処分検討 自民県連、意見書を問題視>

 「自民党県連は7日の議員総会で、那覇市議会が6日に可決した仲井真弘多知事の埋め立て承認に抗議する意見書に賛成した、県連所属市議団の処分の検討に入った。・・・県連所属市議のうち、6日の採決で意見書に賛成したのは、新風会の8人と自由民主党の3人。・・・市議会最大会派・新風会の金城徹会長は『処分の動きが出ることは予想していた。党内手続きの中で申し開きする機会があるだろう。公開の場で堂々と意見を述べたい』と冷静に話した」

 ※公約を守った市議団を公約を破った自民県連が「処分」するとは、まさに本末転倒、言語道断。自民党那覇市議団の良識派は、県連から離脱し、新たな保守政党をつくるべきです。


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知念ウシさん『シランフーナーの暴力』を読む

2014年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 知念ウシさんの近著『シランフーナー(知らんふり)の暴力』(未来社)を読みました。他の著作や発言同様、大変刺激的で、考えさせられる「発言集」でした。

 主題はタイトルに明確に示されています。沖縄に米軍基地が集中しているのは、「安保条約を成立させている以上負うべき自分たちの恥(米軍基地=引用者)を沖縄に押しつけ、沖縄の恥にして、あとはシランフーナー(知らんふり)。そうやって安保を維持してきた」日本人が元凶。「知らないふりは暴力であり、攻撃である」。「日本人よ、基地は本土に引き取りなさい」という主張です。

 今回特に刺激的だったのは、沖縄移住者に向けられた言葉です。「日本人の植民地主義をやめさせることができるのは、日本人だけだ。日本人はなによりもみずからの脱植民者化に取り組まなくてはならない。沖縄に移住したり、被植民者の共同体に入り込み、その脱植民地化の試みを『応援』『指導』しようとしてはならない。・・・植民者の植民地への『移住』とは、『安易さが欲しいからなのだ』」

 日米安保条約を「支持している」ことと「覆せていない」ことの同一視も、「沖縄人という立場から見れば、日本人の立場というのは、政府の政策に賛成しようが反対しようが、あまり変わらなく見える」という見方も、そして、「基地は本土へ」という持論にも、やはり賛同できません。しかし、今回の本には、『ウシがゆく』などにはなかった新たな発見がありました。

 知念さんは「あとがき」で、約20年間の自分の文章を振り返り、その底流は変わっていないとしてこう書いています。「それは、私が自分の『内なる植民者』をどう克服するか、そして他者である『外なる植民者』とどのような関係をつくっていくか、すなわち、植民地主義的でない対等な人間同士としての『出会い直し』(金城馨)、もっと自由にのびのび生きていけるようになるにはどうしたらいいのか、ということである」

 また、出版にあたってのインタビューでこう答えています。「(沖縄とヤマトゥという)二分法が作られている抑圧の構造は直っていない。それを乗り越えるためには、沖縄とヤマトゥがそれぞれの立場性を自覚しなくてはならない。人は自分で選んで生まれてくるのではないが、社会の遺産や負債を負わされている。社会を良くしたいのなら、その立場性を自覚して仕事をしなくてはならない」(沖縄タイムス2013・11・7付)

 自らの立場性を自覚し、「内なる植民者」を克服しようとする真摯な生き方には感銘を受けます。どうすれば「対等な人間同士としての『出会い直し』」や「二分法を乗り越える」ことができるのか。それを一緒に考えていく。その共通の基盤が見えた気がします。

 <今日の注目記事>(7日付沖縄タイムス、琉球新報ともに1面トップ)

 ☆<知事承認に抗議意見書 那覇市議会が可決 「建白書・公約と矛盾」

 「那覇市議会(安慶田光男議長)は6日、臨時議会を開き、米軍普天間飛行場の移設に向け名護市辺野古の埋め立てを承認した仲井真弘多知事に抗議し、辺野古移設断念と基地負担軽減を求める意見書を賛成多数で可決した。欠席の1議員を除く38人中、賛成33人、反対5人だった。知事の承認後、抗議の意見書を可決するのは県内市町村議会で初めて」


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“知られざる革命家”が遺したもの

2014年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 昨年末行われたシンポジウムでぜひ書き残しておきたいものがあります。「『島ぐるみ闘争』はどう準備されたか」と題したシンポ(1223日、タイムスホール)で、同名の書籍(写真左)の出版を記念したもの。編者の森宣雄(聖トマス大)、鳥山淳(沖縄国際大)両氏や、ジャーナリストの新川明氏、油井晶子氏らが発言、挨拶が新崎盛暉氏というそうそうたる顔ぶれでした。

 この場で私は、国場幸太郎という名前を初めて知りました(建設会社國場組の創業者とは同姓同名の別人)。同著によると、国場幸太郎は1927年那覇市生まれ。東大経済学部在学中、沖縄の日本復帰運動に取り組む。一時帰省中に沖縄人民党の瀬長亀次郎書記長に出会い、帰京後、日本共産党に入党。53年に卒業し沖縄に帰郷、人民党に入党して中央委員となり、地下組織の日本共産党沖縄県委員会の実務責任者となる。

54年の人民党弾圧事件で瀬長書記長が投獄され、人民党が機能停止になるなか、米軍の武力土地接収に対する農民の抵抗運動を支える支援体制と、革新勢力の超党派の連携を隠密活動によってつくりあげ、米軍に知られることなく56年の「島ぐるみの土地闘争」を準備した。59年に人民党から「追放」され、東京に転居。文筆活動を経て晩年は宮崎で高校教師を務め、2008年都城市で死去。享年81

シンポは国場幸太郎の思想、功績に光を当て、いわば政治的復権を図ろうとするもののようでした。路線上の対立によって人民党から「追放」されたという説には、米軍による拷問で精神的な病に侵されたためだという反論があります(写真右は1955年米陸軍諜報活動部隊CICに拉致された時の国場氏)。不屈館には、幸太郎の父親が瀬長亀次郎に息子の治療を依頼した信書が公開されています。

 国場幸太郎が人民党を去った真相は、私には分かりません。ただ言えるのは、沖縄の戦後史においてこれほど重要な役割を果たした人物があまりにも知られていないということです(私の勉強不足もありますが)。そして、資料として添付された2つの代表的論文、「沖縄とアメリカ帝国主義」(『経済評論』1962年1月)と「沖縄の日本復帰運動と革新政党―民族意識形成の問題に寄せて―」(『思想』1962年2月)はいずれも今日に通じる力作であり、あらためて学ぶべきところが多いということです。

 例えば、後者の中の「日本復帰運動をはじめとする大衆運動は『民族主義』的な意識だけでは進められなくなり、大衆運動を発展させるためには、労働者、農民の階級的連帯に基礎をおく社会変革の意識が、世界平和の問題とも関連してインターナショナルな視野からあらたに要求されるようになっている。それをどう解決していくか、沖縄の革新政党はこの課題に当面している」という指摘は今も光を放っているでしょう。

 沖縄の人民運動の根の深さ、強さ、そして複雑さを再認識しました。同時に、国場幸太郎が取り組んだ沖縄の経済、政党、運動理論の分析は、この半世紀の間、どれだけ進んだのだろうかという疑問も残りました。

<今日の注目記事>(6日付琉球新報、沖縄タ
イムスともに3面)

☆<連載「どこへ 安倍政権と私たち 2 想田和弘(映画監督)=43歳
  憲法武器に抵抗を 民主主義捨てさせない>

「僕たち、民主主義の継続を望む側にとって、すごく不利な状況にある。なぜなら民主主義を捨てたがっている人たちが権力を握っているから。その厳しい認識からまず出発しないといけません。…戦後ほぼ一貫して日本を統治してきた老舗の政党が『民主主義をやめましょう』という改憲案を出してきたにもかかわらず、日本社会はほとんど騒がず、検証もせず、二度の選挙で大量の議席を与えてしまった。…だけどラッキーなことに、今はまだ日本国憲法が生きている。秘密法で誰かが摘発された時に違憲訴訟を起こすとか、憲法を『武器』に抵抗できる。一人一人があらがっていくしかありません。秘密保護法が強引な形で成立したことを忘れず、蒸し返し続けることも大切です。/民主主義という町にごみがたくさん落ちています。一人で拾うのは無理ですが、みんなが拾えば結構きれいになるんじゃないかと思うんです。面倒だと思うことをあえてやってみませんか」


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