アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

天皇訪英の公私混同が示す「皇室外交」の危うさ

2024年07月02日 | 天皇制と憲法
   

 今回の天皇訪英(6月22~29日)には、軍事協力強化という日英両政府の政治的思惑がありましたが(6月28日、7月1日のブログ参照)、そもそも、「皇室外交」自体が大きな問題です。

 今回はその問題点がいつも以上に明確になりました。それは、「皇室外交」における公私混同です。

 27日午前(現地時間)、天皇・皇后はバッキンガム宮殿を訪れ、チャールズ国王夫妻に別れの挨拶をしました。これによって「国賓として臨んだ一連の公式行事が終了した」(6月28日付京都新聞=共同)のです。

 その後天皇は、同日午後、エリザベス女王の墓に供花し(写真左)、王立植物園を視察。28日午前には皇后とともにオックスフォード大を訪問しました(写真中)。これらはすべて「公式行事が終了」したあとの私的な行為です。

 しかし、NHKはじめ日本のメディアはそれらを「公私」の区別なく、あたかも「公式行事」であるかのように報道し続けました(写真右)。
 これは明らかに、行動した天皇・皇后(計画した政府・宮内庁)とメディアの合作による公私混同です。

 天皇は29日、宮内庁を通じて訪英の「感想文」を発表しましたが、そこでも晩さん会からオックスフォード大訪問まで区別なく「初めて国賓として訪れ…大変思い出深い訪問となりました」と述べています。天皇自身が公私混同していることは明らかです。

 こうした「私的行為」の報道は、政府のいう「国際親善」ですらなく、ただ天皇(制)のイメージアップを図るものでしかありません。

 そもそも今回の訪英で公費(税金)はいくら使われたのか、「公式訪問」終了後の「私的」な滞在費(随行員などの費用も含め)にいくらかかったのか、それは公金の不正支出ではないのか―本来、国会で追及されるべきですが、今の国会にはそれができる(する意思のある)政党・議員は皆無です。

 「皇室外交」にこうした不透明・不明瞭な問題が生じるのは、そもそも「皇室外交」が憲法の規定する「天皇の国事行為」ではなく、憲法に規定のない「公的行為」として行われているからです。

 憲法学者の横田耕一氏(九州大名誉教授)はこう指摘します。

「公的性格を持つこのような行為は、憲法の規定する国事行為には含まれていない。その点で、皇室外交には、そもそもそれは違憲ではないかとの憲法上の疑問も存在している。…公的な行為を憲法上でどのように位置づけるか(違憲か合憲か)は、憲法第一章天皇をめぐる憲法解釈において最大の争点の一つとなっており、これまでかなりの論議が展開されてきたが、残念ながら学者の意見は一致していない」

 そしてこう続けます。

「大事なことは、どの説が有力であれ、政府の承認の下に、現に天皇はこれらの公的な活動を行っているという事実である。…広汎にわたる天皇の公的な行為は、国民に天皇を意識させる場として機能しており、結果として天皇の権威や国民統合機能を強めている」(『憲法と天皇制』岩波新書1990年)

 合憲・違憲両説ある中で歴代政府が強行している「天皇の公的行為」は、いまや「私的行為」との区別すら取り払って公私混同が横行するまでに至っている。それを示したのが今回の訪英です。

 「皇室外交」はじめ「天皇の公的行為」は憲法上許されるのか、それを政府(国家権力)が強行することはどのような政治的意味を持っているのか。あらためて議論しなければならない重大問題です。

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天皇英国晩さん会「あいさつ」5つの問題点

2024年06月28日 | 天皇制と憲法
   

 徳仁天皇は日本時間26日午前(現地時間25日夜)、訪問先のロンドン・バッキンガム宮殿で、チャールズ国王夫妻主催の晩さん会であいさつしました。日本のメディアは「(両国の)関係発展や両国民の幸せを願い…」(27日付京都新聞=共同)などと最大限賛美していますが、実はきわめて問題の多い、しかも危険性を含むものでした。問題点を5点挙げます(カッコの引用は共同配信の「あいさつ全文」より)

1、日本の侵略戦争の責任棚上げ

  「日英両国には、友好関係が損なわれた悲しむべき時期がありましたが…」

 15年戦争(太平洋戦争)における日英交戦の歴史を述べたものですが、「悲しむべき時期」を招いたのは帝国日本の侵略戦争です。その責任を棚上げし、ひとごとのように述べることは、重大な歴史的事実の隠ぺいにほかなりません。

2、天皇裕仁の戦争責任に対する市民の抗議を隠ぺい

  「私の祖父は、1917年の晩さん会で、日英両国の各界の人々がますます頻繁に親しく接触し、心を開いて話し合うことを切に希望し…」

 裕仁の訪英が友好的だったかのような言いようですが、事実は違います。このとき裕仁はイギリスを含め欧州7カ国を訪れました。

「訪問した7カ国、とくにオランダ、西ドイツ、イギリスでは、憤慨したデモ参加者が彼(裕仁)の車列に物を投げつけたり、侮辱したりした。彼らは天皇を平和の象徴とは認めず…ヨーロッパでの抗議運動は、「戦争責任」がまだ過去の問題になっていないことを改めて教えた」(ハーバート・ビックス著・吉田裕監修『昭和天皇下』講談社学術文庫2005年)

3、天皇明仁にも向けられた非難・抗議を隠ぺい

  「私の父は、1998年に同じ晩さん会で日英両国民が…手を携えて貢献していくことを切に念願しておりました」

 明仁訪英時にも、天皇の戦争責任を追及する声は収まっていませんでした。元英国軍捕虜たちは、バッキンガム宮殿に向かう天皇の車に「背を向けて抗議」(22年9月16日付朝日新聞デジタル)したのです(写真右)。

 そんな明仁に救いの手を差し伸べたのはエリザベス女王でした。歓迎晩さん会でのスピーチで女王は、「いたましい記憶は今日も私たちの胸を刺すものですが、同時に和解への力ともなっています」などと述べ(同朝日新聞デジタル)、「和解」を強調したのです。

4、自民党政権の「政治・外交」を賛美する政治発言

  「われわれの時代においては、国王陛下からも言及があったとおり政治・外交、経済、文化・芸術、科学技術、教育など、実にさまざまな分野で…日英関係はかつてなく強固に発展しています」

 「水」やアニメの話をしている分には実害はないとも言えますが、この発言は見過ごせません。「政治・外交」を含めて両国関係を称賛することは、自民党政権によるイギリスとの政治・外交関係、すなわちG7(西側陣営)の一員としての「政治・外交」を賛美したものであり、天皇の政治的関与を禁じている憲法(第4条)に抵触する疑いがあります。

5、日英軍事協力推進を後押しする危険

  「今後とも日英両国が…永続的な友好親善と協力関係を築いていくことを心から願っています」

 この発言の危険性は、天皇の前に行ったチャールズ国王のスピーチとの関係で見る必要があります。天皇自身、4で引用したように、「国王陛下からも言及があったとおり」と、チャールズ国王のあいさつを念頭に発言しています。チャールズ国王はこう述べました。

  「日英両国は共通の安全保障のために、かつてないほど緊密に協力しています。…両国は、ハイレベルな軍事演習を行い、専門的知識を共有しています。…防衛と産業界の協働に至るまで…このような共通の努力のすべてを支えているのは…日英両国民間の永続的な絆です」

 あけすけに軍事協力を賛美し、いっそうの強化を主張しています。このチャールズ発言に呼応して日英間の「協力関係」を「心から願っ」た天皇のあいさつは、日英間の軍事協力(軍事演習、兵器開発など)の強化を客観的に後押しするきわめて危険な役割を果たしています。

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「皇位継承」のために「憲法の例外」を認めていいのか

2023年11月22日 | 天皇制と憲法
 

 自民党の総裁直属組織「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」(会長・麻生太郎副総裁)が17日初会合を行い、麻生氏は「皇室典範などの法改正の必要を考えなければならない」と述べました(18日付京都新聞=共同配信)。

 政府の有識者会議は2021年12月、①女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保有する②養子縁組によって旧皇族男系男子の皇族復帰を認める―の2案を提示しました。「(自民)党内では男系の皇統維持を目的に、現皇族に養子縁組を認め、旧皇族男系男子の皇籍復帰を可能とする案が有力視されている」(同共同配信)、つまり②案をとろうとしているのです。

 父方の血統が天皇とつながる「男系男子」だけを養子縁組によって皇族に復帰させようするのは、「男系男子」に政治的特権を与えるものであり、明白な憲法違反です。憲法第14条第1項は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」と明記しています。

 自民党は「皇位継承確保」のために憲法違反を犯そうとしているのですが、その背景には政府の恣意的な憲法解釈があります。

 自民の懇談会に先立つ15日、衆院内閣委員会でこの問題が議論されました。そこで内閣法制局の木村陽一第1部長はこう答弁しました。

憲法14条の例外として認められた皇族という特殊な地位の取得で、問題は生じないと考えている」(16日付京都新聞=共同配信)

 これが政府の公式見解です。皇族は「憲法の例外」の「特殊な地位」だから憲法違反にはならないというのです。

 皇族を「憲法の例外」としているのはこの問題だけではありません。皇族には「選挙権・被選挙権・参政権」(憲法第15条)がありません。「集会・結社・表現の自由」(第21条)も、「居住・移転・職業選択の自由」(第22条)もありません。

 皇族は憲法が及ばない超法規的存在なのです。それは「象徴天皇制」が憲法(第Ⅰ~8条)によって規定されている制度であることとの大きな矛盾です。日本は「立憲君主制」ですらないのです。

 そもそも「憲法の例外」が社会に存在することが許されるでしょうか。そうした「憲法の例外」が政治・社会の中で大きな位置を占めてから日本では女性差別はじめ様々な差別・人権侵害がなくならないのです。

 メディアは皇族の動向を逐一無批判に報道し天皇制の維持・普及に積極的に手を貸していますが、それは「憲法の例外」すなわち憲法違反の固定化に加担していることだと自覚しなければなりません。

 憲法の民主的原則である基本的人権の尊重が実現する社会を目指すなら、「憲法の例外」たる皇族・天皇制を廃止することは必須の課題です。

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象徴天皇制の末路示した「インドネシア訪問」

2023年06月23日 | 天皇制と憲法
   

 徳仁天皇と雅子皇后のインドネシア訪問(17日~23日)は、「国際親善の新たな時代をひらくか」(15日付朝日新聞デジタル)というメディアの“期待”とは裏腹に、象徴天皇制の末路を示すものとなりました。

 それが端的に表れたのは、ジョコ大統領夫妻との昼食会(19日)でのスピーチ(いわゆる「お言葉」)が、急きょとりやめになったことです。「天皇の親善訪問では公式の席上、双方がスピーチを交わすのが通例」(20日付共同配信)であるにもかかわらずです。

 天皇のスピーチとりやめは、ジョコ大統領の「より和やかで打ち解けた雰囲気の中で話ができるように」という意向によって前日決まりました。天皇がスピーチすると「和やかで打ち解けた雰囲気」でなくなるというわけです。なぜでしょうか。

 出発前の15日、天皇は記者会見しました(写真右)。在日外国報道協会から次のような質問が行われました。
「グルーバル・サウスといわれる新興国、途上国との連携の重要さが強調され、G7 広島サミットでも注目された。一方でこれらの国の多くはG7 諸国に支配された過去があり、日本も例外ではない。日本とインドネシアの友好や連携を深めるうえで、先の戦争にかかわる両国間の歴史をどう考えればよいか?」

 徳仁天皇はこう答えました。

「先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い命が失われ、多くの方々が苦しく、悲しい思いをされたことを大変痛ましく思います。インドネシアとの関係においても、難しい時期がありました」(宮内庁HPより、太字は私)

 日本によるインドネシア占領を「難しい時期」としか言えない。まるで他人事です。

 天皇は残留日本兵の墓地に供花する一方(写真中)、日本の占領支配による強制労働の犠牲となったインドネシアの人々の墓地・慰霊碑には行きませんでした。その問題性はすでに書きましたが(17日のブログ参照)、遺族からは、「労務者の歴史も、戦争中に起きた『真実』だ。天皇陛下にも知ってもらいたい」(21日付朝日新聞デジタル)という声があがっています。

 ジャカルタにある国立歴史博物館には労務者の展示があり、「人々は強制労働にかり出され」「何千人もが極度の疲労や食料不足で死亡した」との説明書きがあるといいます(同朝日新聞デジタル)。
 インドネシアは政府も市民も、日本の占領支配(侵略)の歴史を忘れてはいないのです。

 真の友好を深めようと思うなら、日本はその問題に明確な反省・謝罪を行う必要がある。しかし日本の天皇は「難しい時期があった」としか言わない。現に残留日本兵の墓には供花しても強制労働の犠牲者には見向きもしない。そんな天皇がスピーチしても、インドネシア市民の気持ちを逆なでするだけだ―ジョコ大統領が前日にスピーチを断ったのはこうした思いからだったのではないでしょうか。

 戦争中の占領支配の問題だけではありません。

 19日、天皇と会見したジョコ氏は、「核のない世界が実現することを願っている」と言いました。これに対し天皇は、「大統領の原爆資料館への訪問に感謝を述べた」だけでした。
 また、ジョコ氏が「インドネシアとして、ウクライナの平和を実現するために様々な努力をしている」と述べました(おそらくアジア安保会議で提起した和平案を説明したと思われます)が、天皇は「敬意を表した」だけでした(19日付朝日新聞デジタル)。

 今日の世界情勢においてきわめて重要な諸問題でジョコ氏が水を向けても、天皇は何一つまともに答えることができなかったのです。

 これはけっして徳仁氏の個人的能力の問題ではありません。天皇は政治的発言をしてはならないのです(憲法4条)。
 だから天皇にも政治的発言の自由を与えるべきだ、というのは本末転倒です。天皇に政治発言の自由・政治的権能を与えることは、戦前戦中の君主制への逆戻りであり、日本国憲法を根底から瓦解させることにほかなりません。

 重要な政治的問題でまともな会話もできない(してはならない)のに、「皇室外交」を展開し、それを政権が政治利用する。そんな「日本国の象徴」(憲法1条)などいらない、いてはならないということです。

 人権・平等・自由という人間の根本理念に反するだけでなく、現実社会において百害あって一利もない象徴天皇制はなくするしかない、なくなるのが歴史の方向性。そんな末路が見えたインドネシア訪問だったといえるでしょう。

 

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「皇室外交」・天皇インドネシア訪問の危険な政治性

2023年06月17日 | 天皇制と憲法
   

 徳仁天皇と雅子皇后は17 日から即位後初の「皇室外交」(エリザベス英女王葬儀などは除く)として、インドネシアを公式訪問します。
 メディアは「両陛下で模索する「新しい皇室」インドネシア訪問、その一歩に」(15日付朝日新聞デジタル)など賛美一色です。しかし、この「皇室外交」には見過ごすことが出来ない問題がいくつもあります。

 そもそも天皇は、「この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」(憲法第4条)のであり、その「国事に関する行為」(国事行為)は憲法第6条、7条によって12項目に限定されています。この中に「外国訪問」はありません。天皇・皇后の「公式外国訪問」はそれ自体が憲法違反なのです。

 そこで歴代自民党政府は、外国訪問は「私的行為」でも「国事行為」でもない「天皇としての行為」=「公的行為」だとして強行してきました。

「天皇を外交上元首として扱ったり、さらには制度化されていないいわゆる天皇の「公的行為」の拡大によって天皇の政治性、権威性をさらに高めようとする試みが行われている。その例としては…国会開会式への出席と「お言葉」…植樹祭や国民体育大会への出席…たび重なる「皇室外交」などをあげることができる。多くの憲法学者が違憲とするこのような「公的行為」の拡大が天皇の権威性を高めるための巧みな政治的演出であることは言うまでもない」(舟越耿一・長崎大教授『天皇制と民主主義』社会評論社1994年)

 政府(宮内庁)は、「政治とは一線を画す意味合いから、「皇室外交」という言葉は使わない。「国際親善」としている」(15日付朝日新聞デジタル)といいます。そうした姑息な言い換えをしなければならないのは「皇室外交」が憲法違反だからです。

 さらに問題なのは、「皇室外交」が「天皇の権威性を高めるための政治的演出」にとどまらないきわめて危険な政治性を持っていることです。その意味は2つあります。

 1つは、天皇裕仁・日本の戦争責任の隠ぺい・風化を図ることです。

 徳仁天皇は何かにつけ父・明仁上皇を模範としていますが、明仁氏が皇太子時代に裕仁に代わって行った外国訪問、天皇になって美智子皇后と繰り返した「慰霊の旅」の最大の特徴は、日本がかつて裕仁の下で侵略した国々で、その犠牲者に対する謝罪は一切行わず、戦死した日本兵の「慰霊」に終始したことです。

 もう1つは、「皇室外交」が時の政権の政治戦略に沿った「天皇の政治利用」になっていることです。

 たとえば、明仁天皇・美智子皇后は2016年1月にフィリピンを公式訪問しましたが、その半年前、安倍晋三首相(当時)はフィリピンを訪れ、自衛隊とフィリピン軍の「共同演習・訓練の拡充」で合意しました。まさに日米比軍事一体化が政治的焦点だった最中での天皇・皇后のフィリピン訪問だったのです。

 今回の徳仁天皇・雅子皇后のインドネシア訪問はどうでしょうか。

 第1に、インドネシアはかつて帝国日本が占領した国です(1942年3月)。倉沢愛子・慶応大名誉教授によると、「日本軍によって軍用飛行場などで強制労働を強いられた労務者は約400万人」(15日付朝日新聞デジタル)にのぼります。

 徳仁天皇は今回、ジャカルタにある「独立戦争を戦った残留日本兵の墓地」に供花する予定です。一方、日本の侵略の犠牲となった労務者らの墓地・慰霊碑を訪れることはありません。
 倉沢氏は、「日本兵に半強制的に働かされたインドネシアの労務者らの慰霊こそ大きな意味がある」(同)と指摘しますが、徳仁天皇の予定にそれはありません。まさに明仁天皇の「慰霊の旅」の二番煎じです。

 第2に、岸田政権は今回なぜインドネシアを訪問先に選んだのでしょうか。
 報道では以前から招待を受けていたことや飛行時間が短いことなどが挙げられていますが、政府の正式な発表はありません。

 インドネシアはグローバルサウスの中心国の1つです。その立場から、先のアジア安全保障会議でもウクライナ戦争を即時停戦させるための和平案を提示しました(写真右)。ウクライナ政府はこれを即座に拒否しました。

 グローバルサウスをG7 陣営に引き込むことは、ウクライナ戦争をめぐって、さらには今後の世界情勢において、米バイデン政権とそれに追随する岸田政権の重要課題です。
 今回の天皇・皇后のインドネシア訪問が、そうした政権の政治的思惑と無関係だとは考えられません。

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秋篠宮の英国王戴冠式出席は憲法上重大疑義あり

2023年05月09日 | 天皇制と憲法
   

 6日夜(日本時間)行われたイギリス・チャールズ国王戴冠式に、徳仁天皇の「差遣(さけん)」として秋篠宮が出席しました。英国内では君主制廃止の世論が広がり、カリブ海諸国などで英連邦から離脱して共和制へ移行する動きが強まっています。そんな中で行われた戴冠式に日本の皇族が出席したことは、こうした世論・時代の流れに逆行するものです。

 問題はそれだけではありません。今回の秋篠宮の戴冠式出席には、日本国憲法に照らして重大な疑義がいくつもあります。

 第1に、憲法が規定する「天皇の国事行為」の逸脱です

 憲法第4条は天皇には「国政に関する権能」はなく、天皇ができるのは「国事に関する行為」のみだとして「国事行為」の内容を第6条で2つ、第7条で10、計12具体的に明記しています。この中に外国の公式行事への出席はありません。

 にもかかわらず天皇が外国を公的に訪問するのは、いわゆる「天皇の公的行為」という政府見解によるものですが、それが憲法上認められるかどうかは賛否両論あり違憲の疑いを禁じ得ません。

 第2に、「差遣」という脱法行為です。

 「天皇の公的行為」を「合憲」とする立場でも「内閣の助言と承認」(憲法第3条)を必要とする点では異論はありません。70年前のエリザベス女王の戴冠式には、天皇裕仁の「名代」として皇太子明仁(当時)が出席しましたが、それは閣議で決定されたものでした。

 ところが今回秋篠宮は、「名代」ではなく「差遣」として天皇に代わって出席しました。宮内庁も「名代は…閣議決定事項に該当し、差遣に比べて「より重い立場」(宮内庁担当者)だ」(5日付朝日新聞デジタル)と言っています。言い換えると、「差遣」は閣議決定事項ではないのです。つまり、徳仁天皇は閣議決定(「内閣の助言と承認」)を経ずに勝手に秋篠宮を派遣したことになります。明らかな脱法行為と言わねばなりません。

 第3に、最も重大な点ですが、これは「天皇元首化」の先取りだということです。

 複数の報道が明らかにしているように、3月に英王室から届いた今回の「招待状」には、「国家元首とそれに同行する者」と書かれていました。事実、出席したのは、ベルギー、オランダなどの君主制の国では「国王」であり、アメリカはバイデン大統領(夫人が代理)、フランスはマクロン大統領などすべて「元首」でした。秋篠宮の席も他の「元首」らと同じ席でした(写真左)。

 しかし、天皇は日本の元首ではありません。

 日本国憲法に「元首」の規定はありません。条約締結などで国を代表する点で内閣総理大臣を元首だとする説が有力ですが、いずれにしても憲法4条(「国政に関する権能を有しない」)に照らして天皇は元首ではないという説が多数派といわれています。

 ところが、「宮内庁によると…天皇は国家元首ではないが、王室からのこうした宛先(「国家元首とそれに同行する者」)の場合には慣例として天皇を指すという」(5日付朝日新聞デジタル)。「天皇は国家元首ではない」と認めながら、「慣例」で天皇を「国家元首」としているというのです。あきれた憲法蹂躙と言わねばなりません。どうしても行きたいのなら首相が行くべきです。

 自民党は2012年4月27日に発表した「改憲草案」の第1条で、「天皇は、日本国の象徴であり…」を「天皇は、日本国の元首であり…」と変えると明記しています。その「解説書」はこう書いています。
「元首とは、英語ではHead of  Stateであり、国の第一人者を意味します。明治憲法には、天皇が元首であるとの規定が存在していました」(「日本国憲法改正草案Q&A」2012年10月)。
 その明治憲法に戻そうというのが自民党改憲案の1丁目1番地なのです。

 英国の招待状に対し、自民党政権が天皇を「国家元首」とし、その天皇に代わって秋篠宮が英国王戴冠式に出席したことは、自民党改憲案の先取り、既成事実化であり、絶対に容認することはできません。


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「安倍国葬」が示した象徴天皇制の反憲法的実態

2022年09月29日 | 天皇制と憲法
   

 27日強行された「安倍晋三国葬」には、皇族から皇嗣・秋篠宮夫妻など7人が参列・供花しました(写真左・中)。天皇は参列せず、使いを送り拝礼しました。皇后、上皇夫妻も同様でした。

 天皇・皇族のこうした「国葬」へのかかわりは、象徴天皇制の反憲法的実態を2つの面からあぶり出しました。

 1つは、政権による天皇・皇族の政治利用です。

 岸田政権が皇嗣はじめ皇族を参列させ、天皇らに使いを出させたのは、国民多数の反対を押し切って強行した「安倍国葬」への“権威付け”を図ったもので、明らかな政治利用です。

 宮内庁幹部は「国葬を閣議決定している以上…皇族はそれを前提に行動するしかできない」(9月4日付共同配信)と述べていますが、けっしてそうではありません。

 憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と規定しています。政府は「国葬」は「憲法の定める国事行為」ではないと言明しています。ということは、政府は閣議決定によって天皇・皇族を「国葬」に関わらせることはできないのです。

 高嶋伸欣・琉球大名誉教授はこう指摘しています。
国葬のような国事行為に属さない行事に、皇室がどこまで参加するのかなどの規則や法整備がされていない。そのため、今回のような露骨な政治利用に組み込まれてしまっている」(28日付沖縄タイムス)

 その通りです。ただそれは、「規則や法整備」が必要だということではなく、「国事行為に属さない行事」すなわち政府が「公的活動」と称しているものは、憲法上認めることはできないということです。

 もう1つの問題は、天皇・皇族に対する露骨な特権的扱いが、「国葬」という国の行事で公然と行われたことです。

 天皇の使いは「勅使」と紹介されました。「勅使」とは天皇の意思を伝える使者のことで、「勅令」などとともに天皇主権の大日本帝国憲法時代の用語です。

 岸田首相と衆参議長、最高裁長官4人の弔辞は、口をそろえて「従1位大勲位の安倍晋三君」という言葉で始まりました。ふだん使わない用語を意識的に統一して使っていることは明らかです。「国葬」の対象者を天皇が与えた勲位で形容することで、天皇の“君臨”を示したものと言えます。

 天皇、皇后、上皇、上皇后の使いは、一礼してそのまま退場しました(写真右)。その間、場内は全員起立したままでした。

 天皇はなぜ「国葬」に参列しなかったのでしょうか。宮内庁は「慣例に従った」としています。慣例とは何か。宮内庁幹部は、「戦後廃止された旧皇室喪儀(そうぎ)令に倣っている」と言っています(17日付朝日新聞デジタル)。

 旧皇室喪儀令は1926年10月、大正天皇が亡くなる2カ月前に作られた皇室の喪儀(葬儀)に関する法令で、天皇や皇后の参列は、先代の天皇や皇太后の葬儀に限るとされています。

 敗戦によって廃止されたはずの皇室喪儀令が、実際は生きているのです。
 現憲法下でも天皇・皇室に関しては戦前の帝国憲法下の法令・慣習が生きている例は少なくありません。「皇位継承」を「男系男子」に限っている露骨な差別法令である「皇室典範」はその代表例ですが、「皇室喪儀令」もその1つであることが「安倍国葬」で明らかになりました。

 憲法は「法の下の平等」(第14条)を規定しています。にもかかわらず皇族が特別扱いされ、天皇はまるで「君主」であるかのように扱われ、大日本帝国憲法下の法令がいまも生き続けている。

 「安倍国葬」があぶり出したのは、象徴天皇制が憲法の民主的原則とは相いれない、国家権力による統治のための制度だということです。


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「国葬」は天皇制軍国主義に通じる憲法違反

2022年07月23日 | 天皇制と憲法
   

 岸田文雄内閣は22日、故安倍晋三氏の「国葬」を9月27日に行うと閣議決定しました。安倍氏の「国葬」は、安倍政治の数々の悪政を賛美し、市民に「弔意」を強要するもので極めて不当です(16日のブログ参照)。

 ここではそもそも「国葬」とは何かを考えます。

 「国葬」に関する法律は現在ありません。岸田政権は内閣府設置法による「国の儀式」として行おうとしていますが、これは脱法行為です。

 戦前は法的根拠がありました。1926年10月21日に勅令第324号、すなわち天皇の命令として発布された「国葬令」です。

 「国葬令」は第1条で「大喪儀ハ国葬トス」とし、天皇の葬儀を「国葬」とすることを明文化したのを始め、全5条のうち4カ条が皇族の「国葬」についてのきまりです。そして第3条で、「国家ニ功績アル者」が死んだ場合「特旨ニ依リ」すなわち天皇の判断で「国葬ヲ賜フ」としています(条文はウィキペデアより)。

 つまり「国葬」とは、天皇・皇族の葬儀であり、皇族以外は「国家に功績」がある者に対して天皇が下賜するものだったのです。「国葬令」が発布されるまでは、それが不文律として行われていました。

 明治以降、「国葬」(「準国葬」を含む)となったのはどういう面々だったでしょうか。

 第1回は1878年5月17日の大久保利通(内務卿、「準国葬」)でした。以後、敗戦までは、1945年6月18日の載仁親王(元帥・陸軍大将)まで25人。うち明治天皇、大正天皇を含め皇族が12人、首相が4人(伊藤博文、山縣有朋、松方正義、西園寺公望、写真右は伊藤の国葬)、貴族が7人(大久保利通、岩倉具視を含む)、その他が2人です。その他の2人とは、東郷平八郎と山本五十六。ともに元帥・連合艦隊司令官です。

 以上から明らかなのは、「国葬」は、天皇・皇族の葬儀、それ以外は帝国日本の侵略戦争・植民地支配の先頭に立ってきた「政治家」と軍人を称えるための儀式だったということです。

 「国葬令」は1947年の新憲法施行に伴い同年12月31日に廃棄されました。主権在民の原則のもと、天皇の政治的権能を禁止し(第4条)、貴族制度も廃止した(第14条)日本国憲法の下では当然です。

 「国葬」はそもそも、憲法の主権在民、平和主義の原則とまったく相容れないものなのです。

 ところが、その「国葬」が、新憲法の下でもこれまで2回強行されました。
 1回目は吉田茂(1967年10月31日)。そして2回目が天皇裕仁(昭和天皇の「大喪の礼」1989年2月24日)です。

 天皇裕仁の「大喪の礼」は「象徴天皇制」という形で天皇制を残した現憲法の弱点が表れたものです。一方、吉田茂の「国葬」は、サンフランシスコ「講和」条約・日米安保条約(軍事同盟)締結の「功績」によるもので、いわば戦前の侵略戦争・植民地支配の延長線上といえます。

 吉田の「国葬」は新憲法によって廃止された「国葬令」を復活させるに等しいもので、当時も強い反対・抗議がありました。

「国葬にするべきか否かの論争は当時もあった。抗議の声もあった。東京大学には「するな黙とう、許すな国葬」と書かれた大きな看板が立ち、東京・渋谷ハチ公前では「憲法違反の国葬は軍国主義と帝国主義の復活につながる」との反対演説やビラ配りがあった」(22日の朝日新聞デジタル)

 そして、3回目が安倍晋三氏。憲法を蹂躙し続けてきた安倍氏の葬儀が憲法上疑義のある「国葬」になるのはなんとも皮肉ですが、憲法違反の戦争法(安保法制)を強行した安倍氏を「国葬」にするのは、日米安保の吉田茂、さらに戦前の侵略戦争・植民地支配を先導した面々の「国葬」の系譜に繋がるものといえるでしょう。

 このような「国葬」を許すことはできません。今こそ55年前に負けないように声を大にしなければなりません。「憲法違反の国葬は軍国主義と帝国主義の復活につながる」

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「秋篠宮長女結婚」問題の核心は天皇制の是非

2021年10月25日 | 天皇制と憲法

   

 秋篠宮家の長女・眞子氏の結婚問題をメディアは連日大々的に報じてきました。それは量・質ともに異常で、日本のメディアの劣化を象徴的に示すものです。

 「識者」のコメントの中には、「天皇や皇族が自分の意志を持ってそれを貫きたいと思う時、それと国民の反応をどう折り合いを付け、バランスを取っていくのか」(河西秀哉名古屋大大学院准教授、9月8日付中国新聞=共同)が課題だという問題の危険な矮小化もあります。

 この問題の核心は、皇族に憲法上の人権が保障されていないことです。

 秋篠宮は昨年の誕生日会見(2020年11月20日)でこう述べました。
憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」(宮内庁HP)

 これは皇嗣である秋篠宮が、皇族にも憲法が適用されるべきだと公言したものとして注目されます。 

 この発言に正面から異を唱える人はまずいないでしょう。であるなら、これは個人の結婚の問題であり、メディアやそれに煽られた市民が「賛成・反対」で大騒ぎするのはよけいなお世話、人権侵害も甚だしと言わねばなりません。

 結果、眞子氏はPTSDと診断され、一時金(1億5千万円)を辞退するに至りました。眞子氏に憲法24条の「婚姻の自由」は事実上保障されなかったのです。

 なぜこういうことになったのか。それは彼女が皇族に生まれたから、それが唯一の理由です。つまり秋篠宮の憲法発言は建前論であり、実際は 皇族に「婚姻の自由」はないということです。

 それはもちろん眞子氏だけではなく、また女性皇族だけでもありません。男性皇族の場合は皇室典範で、「皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する」(第10条)と定められています。この過程で様々な調査が行われ、結婚相手が選別されます。

 また、皇族に保障されていない憲法上の諸権利は、「婚姻の自由」だけでないことも周知の事実です。皇族には、移動の自由、職業選択の自由、言論・集会の自由などの基本的人権はありません。

 立憲主義といわれている日本の社会に、憲法の基本的人権が保障されていない特別な一団が公然と存在するのです。きわめて異常な現実と言わねばなりません。

 これは皇族だけの問題ではありません。基本的人権の保障に例外をつくることは、憲法体系・民主主義体制に風穴を開けることに他ならず、その影響は重大です。

 皇族に憲法上の人権が保障されていない問題は、必然的に天皇制そのものの是非を問い直すことに直結します。なぜなら、天皇制を温存したまま皇族に基本的人権を保障することは不可能だからです。

「そういう不条理な制度をつくったのは、憲法(とりわけ第一条、第二条)なのであって、憲法自体を改めなければならないのである。個別の取り極めを違憲だと決めても片付くものではない。きつい言葉で言えば、それはお門違いである。

 皇室典範の個々の規定を個別に改正して事態を収拾しようとする政策に頭から反対するつもりはない。しかし、これは対症療法でしかなく、暫定措置的な効果が期待されるにすぎない。天皇制(天皇家)が憲法上の制度たるをやめないかぎり、(皇族の―引用者)不自由・拘束は遺憾ながら制度とともに付いてまわらざるを得ない」(奥平康弘著『「萬世一系」の研究(下)』岩波現代文庫2005年)

「秋篠宮長女の結婚」が投げかけているのは、まさにこの問題にほかなりません。


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東京五輪開会式で露呈した「象徴天皇制」の本質

2021年07月26日 | 天皇制と憲法

    

 徳仁天皇ができれば東京五輪の開会式(23日)に出席したくないと思っていたことはおそらく事実でしょう。雅子皇后や他の皇族の欠席がそれを示しています。しかし天皇は出席して「開会宣言」を行いました。なぜでしょうか。
 ここには、憲法の「象徴天皇制」の本質が表れています。

 第1に、天皇は、自分の意思で行動することはできないし、してはならないのです。

 五輪開会式への出席は天皇の「公的行為」です。憲法に規定のない「公的行為」が許されるかどうかには両論ありますが(私は許されないと考えます)、それが憲法第3条の適用をうけ、「内閣の助言と承認を必要」とすることに学説上の争いはありません。

 天皇(もちろん皇后はじめ他の皇族も)は、完全な「私的行為」以外は、自分の意思で行動(発言・意見表明含め)することはできず、その行為はすべて「内閣の助言と承認」によって決められる、つまり時の政権の意向によって行動し、政権に政治利用されることになっているのです。それが憲法の象徴天皇制です。

 これまでの「被災地訪問」や「皇室外交」などもすべてそうです。ただこれまでは、それが政権による政治利用だということは目立ちませんでした。大きな争点になる問題はなかった(ないように見えた)し、「国民」の関心もなかった(薄かった)からです。

 しかし、今回の東京五輪はそうはいきませんでした。「国民」の関心の高い問題で、しかも「国民」の過半が反対している問題でも天皇を担ぎ出さざるをえなかった。
 結果、徳仁天皇が菅政権の思惑通り開会式に出席したことで、政権による天皇の政治利用がきわめてわかりやすい形で表面化したのです。

 それだけではありません。

 今回の開会式出席について、天皇制を擁護する立場から、「仮に大会で感染が拡大したら、皇室にとって汚点となる。陛下(ママ)は大会と距離を置くべきだった。前例通りではなく、菅首相が宣言をしても問題はなかった」(坂上康博一橋大教授、24日付沖縄タイムス=共同)との意見がありますが、そうはいかない理由が政府・自民党にはありました。五輪憲章で「開会宣言」は開催地の「国家元首」が行うと定められているからです。

 天皇は日本の「国家元首」ではありません。「日本国の元首は内閣または内閣総理大臣ということになる(多数派)」(芦部信喜著『憲法第五版』岩波書店)のが憲法学の定説(多数派)です。だから本来、天皇は「開会宣言」を行うことはできません(13日のブログ参照)。

 しかし、それは政府・自民党にとってはきわめて不都合なのです。なぜなら、彼らは「我が国において、天皇が元首であることは紛れもない事実」(『日本国憲法改正草案Q&A』自民党憲法改正推進本部発行、2012年10月)と断言し、「明治憲法には、天皇が元首であるとの規定が存在」(同)していたとして、改憲草案(2012年4月)の第1条に「日本国の元首は天皇」と明記しているからです。「日本国及び日本国民統合の象徴」であるとの文言は残しつつ、「元首は天皇」と明文化しようとしているのです。

 「天皇元首」化は、主権在民の現憲法を明治憲法型の憲法に変える自民党改憲の1丁目1番地です。だから、いくら天皇が開会式に出ることに難色を示しても、政府・自民党はどうしても天皇に「開会宣言」させる必要があったのです。

 天皇徳仁の今回の東京五輪開会式出席・「開会宣言」は、「象徴天皇制」が政権(国家権力)に都合よく利用される支配装置に他ならないことを露呈しました。
 それは同時に、主権在民の社会に天皇制(憲法第1~8条)はあってはならないことを改めて示したとも言えます。


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