「今の政治、経済、社会、科学から抜け落ちていること、それは「いのち」に対する基本的な態度の表明、つまり、生命哲学です。」
表紙の裏にこう書かれている『ポストコロナの生命哲学―「いのち」が発する自然の歌を聴け』(福岡伸一、伊藤亜紗、藤原辰史、集英社新書2021年9月)はたいへん示唆に富んだ本です。
取り上げられている問題は、「自然(ピュシス)とテクノロジー(「ロゴス」)」「食」「利他性」「障がい」「ふれる」「当事者性」「病気・死」など、多岐にわたっています。ここではその中から、コロナ禍があぶり出した日本社会の排他性、差別性とその元凶について考えます。
藤原辰史京都大准教授はこう指摘します。
「危機の時代において、さまざまな不安にかられている人々が求めがちなのは、分かりやすく、単純なメッセージです。…1929年の世界恐慌の後、ナチスが人々に語ったのも、「血と土」という、やはりとても分かりやすいメッセージでした。…「アーリア人種は優秀であるが、そうでない人種は劣等だ」という分断線」
「危険で甘い人種主義の罠は今も生き続けています。日本ではコロナの感染者が少ないことを受けて政治家が発した「日本人は民度が高いから」という言葉は、「血」で分断を図る、明らかにナチス的な発言ですし、自治体が保育所や幼稚園などに配布するマスクを朝鮮学校の幼稚部には配らなかったというさいたま市の判断も、のちに撤回したとはいえ、やはり、「境界線の外」にいる人々を容赦なく排除したものと言えます」
「自分たちが健康で清潔でありたいからと、「汚れた」人々を排除しようとする動きは、水俣病でもありましたし、最近では、福島第一原発事故の後、放射性物資を浴びた人々は…差別されました。そうした強烈な排除の目線がつくられていくときには、同時に、国家は「私たちは健康で清潔である」という物語を展開していきます。この並行した物語に取り込まれることで差別や排除が起こっていく」
この指摘から、改めて想起したのは、その東電福島原発「事故」直後の2011年3月16日、天皇明仁(当時)が行った「ビデオメッセージ」(史上初、写真中)です。この中で、明仁天皇はこう述べました。
「海外においては,この深い悲しみの中で,日本人が,取り乱すことなく助け合い,秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え,いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」(宮内庁HPり)
ここには、「日本人」は「秩序ある」国民だと海外で認められているという優越思想がにじみ出ています。そしてその上に立って「不幸な時期」すなわち危機の時代を乗り越えることを訴えています。
これこそ、ナチスの「血と土」に匹敵する“日本人は優秀”という人種主義であり、コロナ禍で自民党政権が発した「日本人は民度が高い」発言と通底するものです。
そして、コロナ禍でまん延している「消毒文化・潔癖主義」(藤原氏)の根底にあるのも、「天皇家」というまさに「潔癖」な血統思想ではないでしょうか。それは、小室圭氏に対するメディア、ネットのバッシングとも無関係ではないでしょう。
ここに、「象徴天皇制」の今日におけるきわめて危険な役割があります。天皇を頂点とする「血統」「人種主義」こそ日本に根深い差別の根源です。「危機の時代」だからこそ、それは国家権力にとって存在意義があります。コロナ禍の中で進行する戦争国家化で、その国家権力にとっての利用価値がますます大きくなる恐れがあります。