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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「監視(防犯)カメラ」の人権侵害は見過ごせない

2025年08月28日 | 監視社会と政治
  NHKは27日のニュースで、神戸市の女性殺害事件について、「防犯カメラの分析で新たな事実が分かった」として「容疑者」のカメラ映像を繰り返し流しました。神戸市は事件を機に「防犯カメラ」を増設することにしたと報じています(写真)。)
 事件報道で「防犯カメラ」が「証拠」として使用されることが当たり前のように定着しています。これはきわめて危険な状況です。

 警察(国家権力)やメディアが「防犯カメラ」と称している監視カメラには、重大な人権侵害の側面があることを見過ごすことはできません。

 第1に、「防犯カメラ」は「容疑者」=真犯人という予断を固定化する有力な道具となります。

 いうまでもなく「容疑者」は犯人と決まった人物ではありません。たとえ「自白」したと報じられても同様です。相次ぐ冤罪事件をみればそれは明白です。

 憲法第31条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、またはその他の刑罰を科せられない」と規定しています。
 「容疑者」の有罪・無罪を確定できるのは司法(裁判)以外にありません。そして裁判の原則は「推定無罪」です。

 しかし、メディアは警察の情報(情報操作)に依拠し、「容疑者」=犯人の前提に立ち、それを助長する報道を繰り返しています。その際の有力な「根拠」にされるのが「防犯カメラ」です。「防犯カメラ」で「犯人」という印象を植え付けられた人物が無実だった事例は珍しくありません。

 第2に、一般市民をカメラで監視し記録すること自体、重大なプライバシーの侵害であり、国家権力による市民監視・支配の強化につながることです。しかも監視カメラにはなんの使用基準も法的規制もありません。

 日弁連はすでに2012年1月19日に、「監視カメラに対する法的規制に関する意見書」を発表しています。

 その中で、「犯罪の発生を前提とせず、不特定多数人の肖像を、個人識別可能な精度で、連続して撮影し、録画ないし配信を行う「監視カメラ」の増加は、プライバシー権等の保障の観点から看過できない」と強調しています。

 そのうえで、①設置場所に関する基準②設置装置の機能に関する基準③設置者の運用基準④捜査機関の運用基準―の4つの基準の明確化・法的規制と、それを監督する第三者機関の設置を要求しています。

 しかしその主張・要求は実現することなく、監視カメラは「防犯カメラ」という名で増加の一途をたどり、メディアは何の躊躇もなくその映像を垂れ流しています。

 「治安」を名目にした市民監視は戦争国家への道と一体不可分であることをあらためて銘記する必要があります。

 少なくとも日弁連が要求した監視カメラの使用・運用基準・法的規制、そしてメディアの報道基準の明確化は喫緊の課題です。

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「闇バイト対策」口実に盗聴強化図る自民・高市氏

2024年11月28日 | 監視社会と政治
  「経済安保法、私生活立ち入り バイト・通院・渡航歴も」(27日付京都新聞1面トップ見出し)
 「経済安保法」(5月10日成立)は「機密保護法」(2014年施行)と同様あるいはそれ以上に危険なものだと指摘されていましたが(4月11日のブログ参照)、その実態の一端が明らかになったという記事(共同)です。

 この「経済安保法」成立の旗振り役となったのが高市早苗経済安保相(当時)です(この悪法に賛成した立憲民主党の責任も見過ごせません)。自民党総裁選で敗れて主要な役職から退いた同氏ですが、また新たな策動を始めています。

 「闇バイト対策」を口実にした国家権力による盗聴(通信傍受)の強化です。

 自民党は「闇バイト対策」を検討する場として、「治安・テロ・サイバー犯罪対策調査会」なるものを立ち上げました。その会長に就任したのが高市氏です。高市氏が小野寺五典政調会長に「闇バイト対策」について問い合わせたのがきっかけといいます(22日付朝日新聞デジタル。写真は同調査会の初会合。高市氏の右が小野寺氏)。

 その高市氏が25日に長野県松本市で講演しました。

<高市早苗前経済安保担当相は…相次ぐ闇バイト強盗事件の対策として、警察による通信傍受の強化や、警察官が身分を偽装する仮装身分捜査の導入を検討すべきだとの考えを示した。…「警察がさまざまな捜査手法を使えるようにしたい」と述べた。
 通信傍受の強化は、憲法が定める「通信の秘密」や個人のプライバシーの侵害に対する懸念が高まる可能性がある。高市氏は講演で「本当にできないか、よく議論しないといけない」と訴えた。
 仮装身分捜査は原則、日本の法体系で禁じられる一方、他の先進7カ国(G7)で認められているとし、「頭の中で考えている一案だ」と語った。>(26日付京都新聞=共同)

 盗聴法(犯罪捜査のための通信傍受に関する法)は「国旗・国家法」などとともに1999年8月の国会で成立が強行されました。憲法の「通信の秘密」(第21条第2項)に正面から反するものとして大きな問題になりました。その希代の悪法をさらに強化しようというのです。

 高市氏の調査会は来月上旬に「提言」を政府に提出するとしており、今後の策動を見過ごせません。

 「事件対策」を口実に市民の監視・取り締まりを強化するのは国家権力の常套手段です。
 「監視カメラ」の強化もその1つ。警察庁はさきに、職務質問などの様子を常時録画するため警察官が装着する「ウエアラブルカメラ」を来年度一部地域で導入すると発表しました(10月17日)。

 「盗聴」と「監視カメラ」の強化によって市民のプライバシーをさらに侵害し統治を強める。その国家権力の策動は、軍備拡張・戦争国家化と表裏一体です。絶対に許すことはできません。

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監視カメラが日常化する新たな危険

2023年04月22日 | 監視社会と政治

   

 事件が起こるたびに容疑者特定の「決め手」としてテレビ画面に何度も映し出されるのが監視カメラ(「防犯カメラ」)の映像です。岸田文雄首相に爆発物が投げられた事件(15日)でも、木村隆二容疑者の行動が和歌山駅の監視カメラから追跡的に公開されました(写真)。

 監視カメラは、まるで事件解決の正義のツールであるかのように日常化されていますが、これはきわめて危険な状況です。なぜなら、その本質は、市民の日常生活を無差別に監視・記録し、警察や検察が必要な時にいつでも利用することができる国家権力による市民支配のツールに他ならないからです。

 監視カメラを「防犯カメラ」と言い換え、メディアがそれを常用していることは、その実態を覆い隠すものです。

 日弁連が「監視カメラに対する法的規制に関する意見書」を出したのは2012年1月19日。すでに11年以上前です。

 「意見書」は、「犯罪の発生を前提とせず、不特定多数人の肖像を、個人識別可能な精度で、連続して撮影し、録画ないし配信を行う「監視カメラ」の増加は、プライバシー権等の保障の観点から看過できない」とし、①設置場所に関する基準②設置装置の機能に関する基準③設置者の運用基準④捜査機関の運用基準―の4つの基準の明確化・法的規制と、それを監督する第三者機関の設置を要求しました。

 しかしその主張・要求は実現することなく、国家権力の狙いとそれに同調するメディアによって、監視カメラの無原則的設置・使用が広がっています。重大なのは、市民・市民団体の側からもそれに対する警戒・批判の声が鳴りを潜めている(と思われる)ことです。

 今回の「爆発物事件」に関連して、ある「専門家」が「AIを使えば聴衆をもっと厳密にチェックすることができる」と言っていましたが(16日の日テレ「バンキシャ」)、AIを監視カメラに応用すれば「監視社会」はかつてなく深刻なものになるでしょう。

 さらに憂慮されるのは、岸田政権が閣議決定した「軍拡(安保)3文書」の下で、「監視カメラ」の設置と運用が市民社会を根底から変質させる恐れがあることです。

 今回も含め、事件のたびに流されるカメラ映像には、市民・市民団体が「提供」したものが含まれています。それは「事件捜査」「犯罪抑止」への協力という「善意」かもしれませんが、客観的には国家権力による市民監視に手を貸していることになります。それが市民による相互監視・相互告発の社会につながっていく危険性はきわめて大きいと言わねばなりません。

「軍拡3文書」の「国家安全保障戦略」が目論んでいるのは、「国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる」戦争国家です。その戦略に監視カメラが位置づけられれば、アジア・太平洋戦争において戦時国家を支えた「隣組」による相互監視の今日版となる怖れがあります。

 監視カメラを削減・撤去することが現実には不可能であるなら、少なくとも日弁連が要求した「4つの基準」を今こそ明確に制定することが喫緊の課題です。

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「共謀罪」法案と「大量監視」社会とメディアと市民

2017年06月05日 | 監視社会と政治

     

 米国家安全保障局(NSA)による大規模な個人情報収集を告発したエドワード・スノーデン元米CIA職員が共同通信のインタビュー(2日付中国新聞=共同)で述べたことはきわめて重大です。

 スノーデン氏は「あらゆる人物の私生活の完璧な記録を作ることができる」大規模監視システム(エックスキースコア)がNSAから日本政府に供与されていたことを示す機密文書は、「米政府も本物と認めている」と断言したうえで、「共謀罪法案」についてこう指摘しました。

 「(法案に)懸念を表明した国連特別報告者に同意する。…新たな監視方法を公認することになる。大量監視の始まりであり、日本はこれまで存在していなかった監視文化が日常のものになる

 「共謀罪法案」の危険性があらためて浮き彫りになっています。スノーデン会見を報じたメディアも「大量監視」に批判的なコメントを行っています。
 ところが、ここで注意する必要があるのは、そのメディア自身が国家権力の「大量監視」に無批判に追随している現実があることです。

 それは「監視カメラ」です。「監視カメラ」を使った事件報道です。「防犯カメラ」という名の「監視カメラ」が社会に氾濫し、警察・検察は事件の容疑者特定に「カメラ」を多用しています。そしてメディア(特にテレビメディア)は警察が流すビデオ映像を無批判に流しています。時には「独自ネタ」と称して容疑者が逮捕される前から独自に「監視カメラ」の映像を流すこともあります。

 これは明らかなプライバシー侵害です。容疑者といえども人権・プライバシーがあることは言うまでもありません。最高裁が無制限の「GPS捜査」を違憲を断じたのもそのためです。
 さらに、「監視カメラ」の映像は不鮮明なものであり、冤罪の原因にもなります。先に(3月10日)最高裁で無罪が確定した元中国放送アナウンサー・煙石博氏の冤罪事件もそれを示しています。

 なんのルール・規制もなく社会に氾濫している「監視カメラ」は、プライバシーを侵害し、「大量監視」社会をつくるものにほかなりません。スノーデン氏は「共謀罪」法によって日本に「これまで存在しなかった監視文化」が招来されると警告しましたが、「監視カメラ」の氾濫はすでに日本に「監視文化」が浸透していることを示しています。「共謀罪法案」は「新たな監視方法」によってそれを徹底・完成させるものです。

 問題はメディアだけではありません。「監視カメラ」は「一般市民」の近辺に浸透しています。町内会や商店街によるカメラの設置が広がっています。都内の眼鏡店やコンビニが「万引き犯」の映像をHPに掲載したことが問題になりました(写真右)。

 犯罪捜査や抑止に「監視カメラ」が有用だという考えは一般にあります。問題はその設置・利用に関する法的・社会的規制がまったくないことです。「監視カメラ」のルール作りは急務です。

 安倍政権・国家権力が「共謀罪法」で「大量監視」社会をつくりあげようとしている今、それを許す土壌が、メディア、市民の「監視カメラ」の濫用によってつくられている実態を放置することはできません。
  自分は悪いことはしないから「監視カメラ」になんの問題も感じない、という意見があるかもしれません。プライバシーとは何でしょうか。スノーデン氏の言葉をかみしめたいと思います。

 「プライバシーとは「隠すため」のものではない。開かれ、人々が多様でいられ、自分の考えを持つことができる社会を守ることだ。かつて自由と呼ばれていたものがプライバシーだ。
 隠すことは何もないからプライバシーなどどうでもいいと言うのは「言論の自由はどうでもいい、なぜなら何も言いたいことがないから」と言うのと同じだ。反社会的で、自由に反する恥ずべき考え方だ


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