アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「報道自由度70位」にみるメディアの責任

2024年05月06日 | 政権とメディア
  

 5日付各紙の報道によれば、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が3日発表した2024年世界各国の「報道自由度ランキング」で、日本は対象180カ国・地域中70位でした(昨年より2つ後退)。「先進7カ国(G 7)」では最下位(G7の6位は全体55位のアメリカ)。

 「国境なき記者団」のサイト(日本語訳)で詳しく見ると、政治指標73位、経済指標44位、立法指標80位、ソーシャル指標113位となっており、政治・法律・社会的指標で特に劣っています。総評としてこう書かれています。

「日本は議会制民主主義国家であり、報道の自由と多元主義の原則は一般的に尊重されています。しかし、伝統的・ビジネス上の利害関係、政治的圧力、ジェンダーの不平等などにより、ジャーナリストが監視役としての役割を完全に果たすことができないことが多い」

 その「政治的背景」について、こう指摘されています。

「2012年、ナショナリスト右派が権力を握って以来、ジャーナリストたちは、彼らに対する不信感、さらには敵意の風潮について不満を漏らしてきた。既成の報道機関のみが記者会見や高官に接近できる「記者クラブ」制度は、記者を自己検閲に駆り立て、フリーランスや外国人記者に対するあからさまな差別となっている」

 2012年に政権を握った「ナショナリスト右派」とは言うまでもなく安倍晋三政権(第2次)のことですが、安倍氏による報道機関への圧力・規制は第1次安倍政権(2006年9月)から本格化しました。

 専修大学の山田健太教授(言論法)は、この20年の「思想表現の自由にかかわる法制度」の経過を概観してこう指摘しています。

「始まりは、安倍晋三政権下の緊急事態法制と秘密保護法制の整備からだ。…有事法制は16年にバージョンアップされ…これらとほぼ同時の13年に制定されたのが、秘密保護法制としての特定秘密保護法だ」(2月9日付琉球新報「メディア時評」)。

 安倍氏を筆頭にした歴代自民党政権の反民主性があらためて厳しく問われなければなりません。

 しかし同時に、「報道自由度70位」という実態の責任はけっして自民党政権だけにあるのではありません。メディア自身の責任も重大です。とりわけ「国境なき記者団」も指摘している「記者クラブ」の弊害は、指摘されて長い年月が経過しています。

 例えば、元共同通信記者・編集主幹を務めた原寿雄氏は、「ニュース源と癒着しやすい記者クラブの位置づけを大胆に変革することを急がねばならない」としてこう指摘していました。

記者クラブの最大の罪は、閉鎖性による情報独占だけではない。日本社会が論議すべき議題設定のイニシアチブを、官庁や政党、経済界などのニュース源が握り、世論誘導にメディアが動員されながらも、ジャーナリストの側がそのことに無自覚な点である」(『ジャーナリズムの可能性』岩波新書2009年)

 日本の「記者クラブ」は、産経新聞や読売新聞などの影響もあり、国家権力の圧力・規制に対して団結して抵抗して自主性を守るより、記者が記者に圧力をかけ自己規制し合う弊害の方が顕著です。

 この「記者クラブ」を解体もしくは抜本的改革する第一義的責任は記者・メディア自身にあります。私たち読者・視聴者・市民はその改革を応援し、ともに「報道自由度」をあげていかねばなりません。

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「次の首相はだれ?」世論調査のこれだけの害悪

2023年12月19日 | 政権とメディア
  

 18~19日にかけて各メディアはいっせいに「今月の世論調査」結果を発表しました。岸田内閣の支持率が20%台で過去最低を更新した、という結果で共通しています。

 メディアの世論調査は質問の仕方によっても数字が大きく変わり、けっして絶対的なものではありません。あくまで参考情報ですが、それにしても見過ごせない問題があります。
 
 それは、多くのメディアが「次の総理・総裁は誰がふさわしいか?」という質問項目を設けていることです(朝日新聞は「誰が首相にふさわしいと思うか?」、共同通信は「次の自民党総裁にふさわしいのは誰か?」)。この「調査」には多くの問題があります。

 第1に、複数の自民党国会議員をリストアップし、その中から「次の首相」を選ばせることは、自民党議員の人気投票、メディアによる自民党テコ入れに他なりません。

 第2に、「次の首相」も自民党議員という前提は、自民党による政権たらい回しをメディアが是認・推進することになります。

 第3に、それは、現自民党政権に代わる新たな政権の樹立(政権交代)を目指している野党勢力に対する打撃であり、主権者(有権者市民)の政権選択の権利を侵害するものです。

 第4に、この調査は同じ自民党内で「次の首相」を競わせ、党内の派閥抗争を煽ることになります。

 第5に、自民党内の派閥抗争・権力争いを追いかける「政局報道」は、政策本位の報道に逆行するメディアの宿痾ですが、この質問項目はその欠陥を助長します。

 第6に、憲法の議院内閣制においては、首相は国会が指名します(第67条)。通常第1党の党首か、政党連立の代表が指名されます。「人気」がある人物が首相になるわけではありません。そこが大統領制との大きな違いです。メディアが「次の首相」を訊くこと(人気投票)は議院内閣制に反し、ポピュリズムを煽ることになります。

 メディアは以上のような問題をどう考えているのでしょうか。毎月恒例で行っている「世論調査」自体が「世論」の誘導・煽動になる危険性をメディアは自覚する必要があります。

 「次の総理・総裁は誰がふさわしいか」の「世論調査」は直ちにやめるべきです。

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自民のパー券裏金・問われるメディアの追及

2023年12月04日 | 政権とメディア
   

「党三役のひとりは「自民党の終わりになりかねない」と言い、別の幹部は「まずい、底が抜ける」と青ざめた」(1日付朝日新聞デジタル)(写真は朝日新聞デジタルより)

 自民党のパーティー券キックバックの裏金づくりは、それほどの問題です。たんなる政治資金規正法違反ではありません。何億もの裏金が闇で動き自民政治を支えている。自民の最大派閥である安倍派(清和会)が震源地で、二階派へ飛び火。今後すべての派閥、ほとんどの国会議員に波及するのは必至。裏金は、先に馳浩石川県知事が暴露した官房機密費でも明らかなように、政治を歪める元凶です。

 安倍派で直接責任があるのは事務総長ですが、岸田政権の大黒柱である松野博一官房長官、西村康稔経済産業相、そして自民党の中心にいる萩生田光一政調会長、高木毅国対委員長らはすべてこの経験者です。

 そもそも1枚2万円もするパーティー券を企業が大量に購入するのは、形を変えた企業献金に他なりません。企業献金には必ず見返りがあります。そうでないと企業は株主に背任を問われます。今回露呈したパー券裏金問題は、日本の宿痾の1つである企業・団体献金の問題でもあります。

 問題は、真相の徹底究明・自民党追及がどこまで行われるかです。
 検察の責任は言うまでもありませんが、試されるのはメディアです。なぜなら自民党は危機になるほどメディアに圧力をかけ操作を図るからです。しかもその中心は安倍晋三氏に代表される安倍派です。

 3日現在、各紙はこの問題でまだ社説を掲載していません。おそらく4日付の社説で取り上げると思われますが、その内容、姿勢が注目されます。

「近年の自民党を象徴する派閥である安倍派が、そのような違法行為に及んでいたとすれば、政治の信頼が土台から揺らぎます。安倍派の幹部らは口をつぐんでいますが、あいまいにしてやり過ごせるような問題ではありません。…徹底した解明が必要です」(内田晃・朝日新聞政治部次長、1日付朝日新聞デジタル)

「これからどうなるのか。…捜査の展開は。野党の出方は。自民党、最大派閥安倍派、何より総裁の岸田氏はどう動くのか(動けないのか)。そして世論の反応は。目が離せません」(藤田直央・朝日新聞編集委員、同)

 「徹底した解明」はメディアの責務です。これからのメディアに「目が離せません」。そして世論・主権者市民の力で、ほんとうに「自民党の終わり」を実現しなければなりません。

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官邸が首相記者会見を“事前検閲”

2023年09月15日 | 政権とメディア
  
 政権(国家権力)のメディア支配、メディアの権力追従はここまできていたのか―。そう驚かされる論稿がありました。

 山田健太専修大教授(言論法)の琉球新報定期コラム「メディア時評」(月1回)の今月の論稿(9日付)。「記者会見の政治利用」と題して山田氏はこう書いています(太字は私)。

<本来は、会見の場で政治家が一方的に自説を開陳し、質問を受け付けないとか、特定の記者(社)の出席を拒否したり質問を認めなかったりするという行為は許されるものではない。ただし残念ながら実態は、会見を実質的に政治家の側が仕切る状況が一般化している。
 たとえば首相の官邸会見はその典型例で、出席者の数や顔ぶれに始まり、司会を官邸が行い、事前に質問を提出させ、それに従って質問者を指名し、さらに追加質問は認めないという運用がなされている。>

 首相の官邸会見で政府側が司会をし、出席人数を制限し(「コロナ」を口実にいっそう制限)、追加質問を認めない、という不当運営が行われていることは周知の事実で、これだけでもたいへんな問題です。

 ところがそれだけではなく、「事前に質問を提出させ、それに従って質問者を指名」しているというのです。これが事実なら(山田氏の言明なので事実でしょう)、他の不当運営とは別次元の、きわめて重大な事態と言わねばなりません。

 事前に質問内容を提出させて質問者を選ぶとは、政権に都合の悪いものは質問させないということであり、政権(国家権力)による事前検閲以外の何ものでもありません。
 憲法は、「検閲は、これをしてはならない」(第21条)と規定しています。記者会見の事前検閲は明白な憲法違反です。日本政府の「表現・報道の自由」侵害はここまで進んでいるのです。

 同時に重大なことは、政権によるこの明白な報道弾圧をメディア側が唯々諾々と受け入れていることです。

 メディア側がこの事態を問題にし、政府に抗議・撤回を申し入れたとは報じられていません。現場の官邸クラブ、政治部、メディア本社、さらに日本新聞協会、記者の労働組合である新聞労連は何をしているのでしょうか、なぜ沈黙しているのでしょうか。

 メディアだけではありません。官邸記者会見には、江川紹子氏や神保哲生氏らフリーランスも参加しています。かれらにも「事前の質問通告」(事前検閲)の網はかぶされていたのはずです。なぜ抗議し、問題を社会に訴えなかったのでしょうか。

 記者会見は当然メディア側の主導(司会、運営)で行うべきです。とりわけ官邸の首相記者会見はテレビ中継も行われる影響力の大きさから、政権側に運営をゆだねるべきではありません。
 まして、「事前の質問通告」は即刻やめさせなければなりません。
 メディア・ジャーナリストは一体になって、この問題で直ちに行動をおこすべきです。

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「報道戦士の歌」と「自主検閲」―変わらぬメディア体質

2023年08月12日 | 政権とメディア
  
 1937年の中国侵略(盧溝橋事件)以後、日本のメディア(主に新聞)が「戦意高揚」を煽る報道を繰り返し、積極的に侵略戦争に加担したことは周知の事実です。「戦争と報道機関」と題した共同通信編集委員・福島聡氏の論評(10日付琉球新報)は具体的な事実でそれを浮き彫りにしました。

 中でも注目したのは、共同通信の前身である同盟通信社(1936年発足)の記者の手記に、「同僚たちと歌った」という「報道戦士の歌」の歌詞が紹介されていることです。

「 従軍服を身に着けて 進む火の中弾の下 命ささげし報道戦 武器は取らねど愛国の 熱い血潮は沸き返る 」

 福島氏によれば、従軍取材中に死亡した記者らの追悼文集(1939年刊行の『戦争と従軍記者』)には、「記者の報道精神こそ国民精神の発露」などとする陸海軍幹部の一文も掲載されています。

 そして敗戦。メディアは一転、それまでの戦争協力を“自己批判”しました。

 たとえば朝日新聞は、「國民と共に立たん」(1945年11月7日、写真右)と題した「宣言」で、「支那事変勃発以来、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の果たしたる重要な役割にかんがみ、我等こゝに責任を國民の前に明らかにする」とし、村山社長以下幹部の「総辞職」を明らかにしました。

 しかし、それは口先だけでした。

 9日のNHK「歴史探偵」は、敗戦後、原爆の悲惨さが報道されなかった背景を検証しました。
 主要な原因は、アメリカが核兵器開発に不都合な報道を事前検閲で禁止したプレスコードにあります。しかし、GHQの検閲は1948年に終了しましたが、それ以降も原爆の悲惨さが報道されることはありませんでした。なぜか?

 メディアの「自主検閲」です。新聞社は「自主検閲」のための指針まで作成しました(「検閲の指針」写真中)。
 そこには、報道すべきではないものとして、「原爆被害」だけでなく、「進駐軍を実名で批判する記事」「共産党が支持するような報道」などが挙げられていたといいます。

 この「自主検閲」は、GHQの機嫌を損ねて「発行停止処分」を受けることを避けるためだったといわれます。

 番組のキャスターは、「苦渋の選択だったんでしょうね」と述べましたが(いかにもNHK)、メディアの「自主検閲」に同情の余地は一片もありません。それは保身のために報道機関の根幹的任務を投げ捨てたことに他なりません。

 「報道戦士の歌」を歌って戦争協力報道を繰り返したことと、「自主検閲」による自己規制。「動」と「静」で正反対のようですが、国家権力への迎合という点で根は1つです。

 問題は、こうした戦中・敗戦直後のメディアの権力迎合はけっして過去の話ではないことです。政府発表の垂れ流し、中国・朝鮮敵視姿勢への同調、日米軍事同盟(安保条約)擁護に基づく軍拡支持などは、今日における国家権力への迎合以外の何ものでもありません。

 メディアの体質は戦前・戦中から本質的に変わっていません。メディアは今改めて「国民と共に」否、「市民と共に」立つことが求められています。

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「安倍国葬」黒塗り・「38人の報道関係者」は名乗り出よ

2023年08月09日 | 政権とメディア
  

 7日付の地方紙各紙(共同配信)によると、昨年9月27日に強行された安倍晋三元首相の「国葬」に関し、「共同通信が内閣府に招待者名簿などを情報公開請求したところ、74%の氏名が黒塗りだった」といいます(写真左)。

 74%は全体(招待者数6175人)の平均値。内訳をみると、「元国会議員」は招待者数1104人に対し黒塗り率100%、「文化人・著名人」を含む「遺族・遺族関係者」は同1177人に対し黒塗り利率96%、「各界代表」は2101人に対し91%です。

 NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長は、「国葬は秘密儀式ではなく、参列者が秘密保持義務を負うものでもない。不開示の理由「業務の適正な遂行に支障を及ぼす恐れがある」とはつながらないのではないか」(7日付共同)と、不開示には根拠がないと指摘しています。

 不開示にする必要のない氏名をなぜ黒塗りにするのか。

「多額の公費(約12憶円)を支出しながら名前を伏せる点は、安倍氏が私物化批判を招いた「桜を見る会」をほうふつとさせる。(黒塗りの)開示文書は、推薦基準の曖昧さを露呈した」(7日付共同)といえます。

 とりわけ重大なのは、「招待者」の中には「報道関係」が38人おり、その黒塗り率は100%だということです。これは特別の意味を持っています。

 内閣府は氏名不開示の理由について、「同じ属性にありながら推薦されなかった者が明らかになる」からだとしています(7日付共同)。「招待者」に選ばれた者と選ばれなかった者が分かるとまずいというわけです。これは政府が招待者を恣意的に選んだことを自ら認めたことに他なりません。

 その政府の恣意的な選別で「38人の報道関係者」が招待された。その者たちは、政府によって「安倍国葬参列にふさわしい」と選ばれたわけです。それはいったいどこの(報道機関の)誰なのか。市民は知る権利があります。

 一方、「38人の報道関係者」は、仮にも報道記者を自認するのであれば、最低限、市民の「知る権利」を蹂躙する政府の黒塗り・隠蔽策に手を貸すべきではありません。彼らは私的な関係(遺族関係者)として招待されたのではなく、「報道関係」という公的な立場で招待されたのです。

 そもそも「報道関係者」は「国葬」に出席すべきではありません(2022年9月22日のブログ参照)。出席したうえその事実を隠蔽することは、二重の罪を重ねることになります。

 招待された「38人の報道関係」は、自ら名乗り出て、出席したのか欠席したのか明らかにすべきです。
 それができないというのは、政府との癒着を自ら認めることに他ならず、報道機関に身を置く資格はありません。

 「安倍国葬」の名簿黒塗りは、「国葬」が政府の恣意的な基準で行われ、ナショナリズム醸成の手段になるとともに、招待者を選別することで政治家・官僚・学者・文化人そしてメディア関係者を分断して取り込むものであることを示しました。「国葬」は完全に廃止すべきです。

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許せない自民・世耕参院幹事長の記者・メディア恫喝

2023年06月13日 | 政権とメディア
 

 自民党の世耕弘成参院幹事長(写真)が9日の党参院議員総会で、8日の参院法務委員会(写真)をめぐり、「取材のためと称して入室した記者が大声で議事を妨害する。こうした(記者は)ジャーナリストではなく、活動家だから、記者証を取り上げる必要があるのではないか」と述べました(10日付朝日新聞デジタル)。

 さらに世耕氏は同日の記者会見でも、「記者証は大変な特権だ。特権を認められている以上は守るべきルールはある。守っていない人には適切な対処をとるべきだ」と述べました(同)。

 8日の参院法務委員会は入管法改悪の採決をめぐって紛糾していました。「参院の委員部によると、委員会中に東京新聞所属とみられる記者が声を発していた」(同)といいます。

 世耕氏の発言は、当該記者はもちろん、記者クラブ、さらにはメディア全体に対する政権党(国家権力)の恫喝・弾圧であり、絶対に許すことはできません。

 西田亮介・東工大准教授(社会学)は、「記者証は報道と公権力のチェックを目的に国会内での取材のために認められたものであり、特権との指摘は適当ではなく、権力と報道の独立の観点から記者証の剥奪を政治家が提案することも適当ではない」と指摘しています(同朝日新聞デジタル)。

 記者証をまるで公権力が記者に与えた「特権」だとみなし、「取り上げる必要がある」などと述べることは、政権党(自民党)の無恥・横暴を露呈したものです。

 曽我部真裕・京都大大学院教授は、次のようにコメントしています。

「記者証は特権であって参院側が自由にできるものだという認識は不適切であり、報道界は連帯して対抗していく必要があります。他方で、報道界あるいは所属社の内部では、今回の望月衣塑子記者の振る舞いが記者としてのあるべき姿に照らしてどう評価されるのか、きちんと議論する必要があるでしょう」(同朝日新聞デジタル)

 このコメントに同感です。

 問題の本質は、権力による記者・報道への恫喝・弾圧です。同時に、「入室した記者が大声」を出したことが事実だとすれば、その心境は十分理解できますが、賛成できることではありません。国会取材記者としては不適切です。事実経過が明らかにされる必要があります。
 
 東京新聞が朝日新聞の取材に対し、「現時点でコメントはありません」と回答し(同朝日新聞デジタル)、自らの紙面でも沈黙していることは、責任を果たしているとは言えません。

 これはけっして記者個人の問題でも東京新聞だけの問題でもありません。

 最も重要なことは、記者クラブ・メディアが自らの問題として、政権党・国家権力の恫喝・弾圧に「連帯して対抗していく」ことです。

 そのためにも、メディアが事実経過の究明と真摯な議論で、この問題に自主的・自律的に対処する必要があります。

書きたいことがたまっているので、明日もブログを更新します。

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放送法文書問題の根源は政府の電波停止権

2023年03月09日 | 政権とメディア
   

 8日は安倍晋三銃撃事件から8カ月でした。事件が提起した問題の1つは、歴代自民党政権(国家権力)と統一教会の闇の関係であり、もう1つは、とりわけ深くかかわっていた安倍政権の再検証です。

 6日に日韓両政府で「合意」した強制動員被害者に対する「第三者(肩代わり)弁済」は、日本の植民地支配責任の棚上げを図った安倍政権が元凶です。

 そして、小西洋之参院議員(立憲民主)が2日暴露し、松本剛明総務相が7日行政文書と認めて公表した文書(写真右)で露呈した放送法解釈の変更、それによるメディアへの圧力・「報道の自由」侵害も安倍政権の黒い遺産の1つです。

 文書には安倍首相と礒崎陽輔首相補佐官(当時)による圧力の生々しい実態が記録されていますが、とりわけ重大なのは、高市早苗総務相(当時)の参院総務委員会での答弁(2015年5月12日)です。

「政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げますが、1つの番組のみでも…当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合…政治的に公平性であることを確保しているとは認められない

 この高市答弁が、安倍政権の悪政の代表ともいえる戦争法(安保関連法)の衆議院審議入りⅠ週間前に行われたことにも重大な意味があります。

 高市答弁が危険なのは、それが放送事業者に電波使用を許可する権限を持つ総務相による発言だからです。

 その危険性は翌年の国会で現実のものとなりました。
 2016年2月8日の衆院予算委員会。高市氏は、「政治的公平」を欠くと判断された放送局の電波を止めることがあるか、という民主党議員の質問に対し、こう述べました。

「全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり(電波使用を止める)可能性がないとは言えない。総務大臣が最終的に判断をするということになる」

 この答弁は大きな波紋を広げました。

「2016年2月、高市早苗総務大臣が「政治的公平性を欠くテレビには電波停止もありうる」と発言した。これは公権力からメディアへの明らかな圧力だとして、日本だけでなく海外のメディアも取り上げて大問題になった。
 公平性の原則や独立性の原則はジャーナリズムの倫理において重要なものである。なにも日本に限ったものではない。しかし日本の問題は、放送法と電波法により「何が公平か」を決め、電波停止する権限を政府(総務省)に与えているということだ。政府にそのような権限を与えている民主国家は世界で日本だけだ」(藤田早苗エセックス大学人権センターフェロー著『武器としての国際人権―日本の貧困・報道・差別』集英社新書2022年)

 「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度ランキング2022」で、日本は100点満点の64点、180カ国中71位でした。いわゆる「先進国」といわれている国の中では最低です。

 民主主義の根幹ともいえる「報道の自由」において、日本は世界に恥じる後進国です。その大きな原因の1つが、放送法・電波法で政府が電波事業者の認可権を握っていることです。そして、放送法をさらに悪用してメディアに圧力をかけたのが安倍政権でした。

 安倍政治の悪の遺産を一掃し、「報道の自由」を向上させることは、当事者のメディアはもちろん、「知る権利」を持つ市民にとっても重大な喫緊の課題です。

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『朝日新聞政治部』にみる新聞の生き残る道

2022年08月05日 | 政権とメディア
   

 「崩壊する大新聞の中枢 政治部出身の経営陣はどこで何を間違えたのか? すべて実名で綴る内部告発ノンフィクション」(帯)と銘打った鮫島浩氏(2021年5月朝日新聞退社)の『朝日新聞政治部』(講談社、2022年5月25日第1刷)が、この分野としては異例の売れ行きだといいます。

 鮫島氏をデスクとする同社の特別報道部は、極秘とされていた福島第1原発・吉田昌郎所長の国会調査に対する調書(「吉田調書」)を入手し暴露しました(2014年5月)。このスクープに対し、「誤報だ」という批判が巻き起こり、結局、木村伊量社長(当時)が14年9月11日の記者会見で「誤報」「記事取り消し」と関係記者の「処分」を表明しました。鮫島氏は、この日に「朝日新聞は死んだ」と書いています。特別報道部は21年春に廃止されました。

 鮫島氏はこの経過の本質は「記事を出した後の危機対応の失敗」であるとし、社内の人間関係(ポスト争い)や運営の問題を詳述しています。しかし、はたして問題はそこでしょうか。問題の核心は次の2点だと考えます。

 第1に、朝日が重要なスクープを自ら「誤報」とし、「記者処分」まで行う誤りを犯したのは、国家権力(当時は安倍晋三政権)の攻撃に屈した結果だということです。同書にも次のような記述があります。

「(朝日のスクープのあと)産経新聞が他紙に先がけ、吉田調書を入手したとして報道を開始した。安倍政権が朝日批判の流れをつくるために産経にリークしたのだろうと私は思った」
安倍政権とマスコミ各社による「朝日包囲網」は着実に構築されていたのである」
「安倍政権はなぜ、朝日新聞をそこまで追い込もうとしたのか。…安倍政権はこの時期、集団的自衛権を行使できるようにするための「解釈改憲」を進めていた。…安倍首相や菅官房長官はNHKに続いて民放各社や新聞各社の「メディア支配」に力を入れはじめていたのである

 「吉田調書」をめぐる朝日新聞の最大の誤りは、こうした国家権力・安倍政権の攻撃と正面から対決しなかった、できなかったことにあります。

 なぜ対決できなかったのか。それは同社の首脳陣の多くが政治部出身であることと無関係ではありません。政治部は権力(主に自民党)との癒着がもっともはげしい部署です。同書の前半で生々しく描かれている政治部記者(鮫島氏自身も含め)と自民党議員との「持ちつ持たれつ」の関係は、政治部(もちろん朝日だけでなく)の実態を浮き彫りにしています。

 第2の問題は、特別報道部を廃止したことです。

「吉田調書」をスクープした特別報道部は、「調査報道重視を掲げた編集局の改革」としてつくられました。それは、「記者クラブを拠点に当局に食い込み、正式発表より一歩早く情報をリークしてもらって他社を出し抜く「コップの中の競争」と決別し、「隠された事実」を掘り起こす新しい調査報道スタイル」(同書)を確立する部署として発足したものです。
 事実特別報道部は、連載「プロメテウスの罠」、「手抜き除染」キャンペーンなどのスクープを連発しました。

 その特別報道部を廃止したことは、調査報道を確立しようとする改革が挫折し、もとの「コップの中の競争」に逆戻りしたことを意味します。これこそ「吉田調書」問題がもたらした最大の害悪であり、国家権力の真の狙いだったと言わねばなりません。

 鮫島氏は「企業とジャーナリズムは結局、相いれないもの」(7月10日付中国新聞=共同)と述べていますが、そうでしょうか。企業の目的が利益であるなら、売れる新聞をつくればいいのです。権力と癒着した政治記事などだれが読みたいでしょう。「隠された事実」を掘り起こし、権力の支配構造を暴く記事を書けば、新聞は読まれます。売れます。

「吉田調書」問題で挫折させられた調査報道をあらためて復活・強化し、権力と正面から対峙し追及すること。それこそが新聞・メディアの生き残る道です。『朝日新聞政治部』はその反面教師です。

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ウクライナ「呼称変更」・防衛省主導に追従するメディア

2022年04月11日 | 政権とメディア

    

 岸田文雄政権は3月31日、ウクライナの首都の呼称をロシア語由来の「キエフ」からウクライナ語読みの「キーウ」に変更すると発表しました。「チェルノブイリ」も「チョルノービリ」にすると。

 日本のメディアはこの政府発表を受け、2日からいっせいに呼称を変更しました。政府の方針に忠実に従ったものです。ここには見過ごせない問題があります。

 第1に、なぜ岸田政権は呼称変更したのでしょうか。

「国の象徴とも言える首都の呼称を変えることで、先進7カ国をはじめとする国際社会と連携し、ロシアによる侵攻が続くウクライナへの連帯を示す狙いがある」(1日付琉球新報=共同)

 呼称変更は戦争の当事国であるウクライナと背後で操るアメリカはじめNATO(北大西洋条約機構)陣営との一体化を図るきわめて戦略的な狙いによるものです。

 第2に、この戦略的呼称変更を主導したのが、防衛省だということです。

 松野博一官房長官は3月15日の記者会見では、「ウクライナ側から問題があると申し入れを受けたわけでもない」と、呼称変更には消極的でした。

「ところが二週間後の二十九日、自民党の会合で「キーウ(キエフ)」と表した防衛省の資料が配られ、三十一日には各省庁の文書をウクライナ語読みに統一すると政府が発表した」(6日付東京新聞「こちら特報部」)。

 呼称変更は防衛省が主導し、官邸がそれに続いたものです。

 第3に、「ロシア語禁止」はウクライナの極右勢力の基本戦略だということです。

 ウクライナは歴史的に多言語国家です。ところが、「マイダンクーデター(革命)」(2014年、写真)によって、親ロ政権を倒して権力を掌握した勢力がまずやったことの1つが、ロシア語を公用語として使えなくすることでした。

「国家権力は最高会議に移り、矢継ぎ早に重要決定が行われた。その中にはスヴォボーダが提出したロシア語を公用語から外す法案もあった。その後の東ウクライナの混乱を決定づけることになるこの愚かな法案は、すんなり可決されてしまった」(岡部芳彦・神戸学院大教授著『マイダン革命はなぜ起こったか』ドニエプル出版2016年)

 「スヴォボーダ」とは、「ウクライナ語にこだわる極右政党」(岡部氏、前掲書)です。
 今回の呼称変更は極右の「愚かな」ロシア語排除戦略の延長線上にあると言って過言ではないでしょう。

 こうした政治的・戦略的問題を含む岸田政権による呼称変更。日本メディアはそれに唯々諾々追随し、それが日本社会に流布することになるのです。(私は、少なくともウクライナ戦争が終わるまでは、呼称変更しません)

 


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