アリの一言 

オキナワ、天皇制、朝鮮半島の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

安倍政権の差別分断攻撃・メディアは死に瀕している

2019年02月10日 | 安倍政権とメディア

     

「日曜日記」はやめて通常の「アリの一言」を書きます。

  日本のメディア・報道界は死に瀕している―。

 いわゆる「官邸による質問制限」問題。9日付琉球新報の山田健太専修大教授(言論法)の「メディア時評」で事態の深刻さを再認識しました。これはたんなる「質問制限」問題ではありません。

  山田氏の論稿と新聞労連の「抗議声明」(5日)から、事実経過を確認しておきます。

  昨年12月26日、菅義偉官房長官会見で、東京新聞の望月衣塑子記者が政府の辺野古埋立強行に対し、「現場では赤土が広がっている」「埋立が適法か確認できていない」などと質問(まったく正当な質問)。これに対し菅氏はまともに答弁せず。

  2日後の12月28日、官邸報道室長(上村秀紀)名で内閣記者会(記者クラブ)に対し、望月記者の質問を「事実誤認」「極めて遺憾」としたうえで、「度重なる問題行為は深刻と捉えており、貴記者会に対し問題意識の共有をお願いしたい」と文書(写真中=山田氏の論稿記事より)で申し入れ。

  これに対し新聞労連(南彰委員長)は2月5日、「首相官邸の質問制限に抗議する」と題する「抗議声明」を発表。
 「官邸の意に沿わない記者を排除するような今回の申し入れは、明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の『知る権利』を狭めるもので、決して容認することはできない。厳重に抗議する」
 「政府との間に圧倒的な情報量の差があるなか、国民を代表する記者が事実関係を一つも間違えることなく質問することは不可能」
 「官邸側の答弁の正確性や説明姿勢こそが問われている」
 「事実をねじ曲げ、記者を選別する記者会見の対応が、悪しき前例として日本各地に広まることも危惧する。首相官邸はただちに不公正な記者会見のあり方を改めるよう、強く求める」

  山田氏は論稿で、「『異論』を封じ込めるような姿勢は現政権のメディア戦略の大きな特徴」としたうえで、とくに今回の記者クラブへの申し入れの特徴として、①特定の記者の質問を封じ込めるかの強圧的対応は、事実上の取材妨害であって、国民の知る権利を阻害する行為である②記者の集合体である記者クラブに対して申し入れをすることで、報道界全体を威圧するとともに、間接的には政権への忠誠を尽くすよう求めた―との2点を指摘しています。

  新聞労連の「声明」や山田氏の指摘はまったくその通りです。さらに強調しなければならないのは、これはたんに「質問制限」「知る権利の阻害」「報道界への威圧」という言葉では済まされない問題だということです。

 なぜなら、今回の政府の「申し入れ」は、国家権力を厳しく追及する記者をフレームアップして攻撃し、それを記者クラブに「共有」させて報道界全体を従属させようとしていることが特徴であり、国家権力の常とう手段である差別・分断支配にほかならないからです。

  それは戦前・戦中、天皇制国家権力に抗して「戦争反対」を唱えた人々を「非国民」と規定し、村八分にし、「国民」全体を侵略戦争に駆り立てた手法と本質的になんら変わるところはありません。

  深刻なのは、この安倍政権の差別・分断攻撃に対し、報道界が反撃していないことです。新聞労連の「抗議声明」も政府の「申し入れ」から40日後でした。日本新聞協会はいまだに沈黙を続けています。

  「こうした場合、報道界側は一致して跳ね返す必要があるが、今回は公表されることなく、1カ月以上が経過していた。新聞労連声明などがなかったら、そのまま埋もれ既成事実化することになっていた」(山田氏、前掲論稿)

  国家権力の弾圧に抗議しない(沈黙する)のは、屈服することです。

 安倍政権は今度は米軍や自衛隊施設の上空をドローンで取材することを禁止すると言い始めました。さすがにこれには新聞協会も反対の意見書を提出しましたが(8日)、政権の相次ぐメディア攻撃は、昨年の内閣記者会への「申し入れ」に対して新聞協会が沈黙していることと無関係ではないでしょう。

 新聞労連の「声明」によれば、労連は1月の臨時大会で、「いまこそ、ジャーナリストの横の連帯を強化し、為政者のメディア選別にさらされることがない『公の取材機会』である記者会見などの充実・強化に努め、公文書公開の充実に向けた取り組みを強化しよう」という方針を決定しました。

 まさにいま必要なのは「ジャーナリストの横の連帯」であり、それを支持する市民(読者・視聴者)の連帯・支援です。

 報道への弾圧、差別・分断支配は戦争前夜の特徴です。軍事施設への取材規制はそれと呼応しています。この攻撃に対し、新聞協会はじめ報道界は死に瀕しています。このまま死なせるわけにはいきません。


日本新聞協会は「伊藤詩織さん性被害事件」の真相を究明せよ

2018年06月23日 | 安倍政権とメディア

     

 日本新聞協会(会長・白石興二郎=読売新聞)は20日、テレビ朝日の女性記者に対する福田淳一前財務次官のセクハラに関連して、「セクハラ問題に対する決議」を行い発表しました。

  この中で、「記者へのハラスメントは人権侵害にとどまらず、取材活動を阻害し国民の知る権利にも悪影響を及ぼす重大な問題である」とし、「女性を取材現場から遠ざけることを肯定するような言動も、見過ごすことはできない」と述べたうえで、「課せられた使命に対する自覚を深め、加害者にもならないよう自らを律していく」とうたっています。

  そこで想起されるのが、フリージャーナリストの伊藤詩織さんが、TBSワシントン支局長(当時)の山口敬之氏に、性被害(レイプ)を受けた(2015年4月)と告発した問題です。

  この問題は、「刑事訴訟」的には、検察が「不起訴」とし(2016年7月)、検察審査会も「不起訴相当」と判断したことによって「決着」がついたことになっています。しかし伊藤さんは泣き寝入りせず、昨年10月に『ブラックボックス』(写真中)を著し、あらためて山口氏を告発し、問題の重大性を社会に訴えています。

  日本新聞協会はこの問題について、これまでどのような検討・対応をし、いかなる見解を発表してきたのでしょうか。

  21日、新聞協会に電話で確認しました。答えは「何も見解は出していない」(編集委員会担当主幹)でした。見解は出さないまでも、議論はしたのか?との質問に、担当者は当初「そこまで答える必要があるのか」と回答を渋りましたが、何度かのやりとりの末、「話し合ったこともない」と答えました。

  新聞協会は伊藤さんの「レイプ被害告発」に対し、今日までまったくなんの協議・対応もしていないのです。これは重大な責任放棄と言わねばなりません。

  なぜなら、告発されている山口氏は当時、TBSの幹部社員であり、TBSは日本新聞協会の正式な会員だからです。つまり自分の協会の加盟社の幹部がセクハラどころかレイプの「加害者」だと告発されている問題なのです。

  そしてさらに、この問題には他の「レイプ事件」にはない、新聞協会として絶対に看過できない特徴があります。

  1つは、伊藤さんが『ブラックボックス』で指摘し、その後国会でも質問されたように、逮捕直前だった山口氏が逮捕を免れ、不起訴になった背景に安倍晋三首相(官邸)の動きがあったのではないかとの疑惑が持たれていることです。

 山口氏が「記者活動」を通じて安倍氏ときわめて親密な関係になっていることは本人も認める周知の事実です。山口氏は自著『総理』(幻冬舎文庫、2017年4月)で、「安倍氏と私は…出会った当初からウマが合った。時には政策を議論し、時には政局を語り合い、時には山に登ったりゴルフに興じたりした」と、公私にわたる親密ぶりを誇示しています。

 山口氏の不逮捕・不起訴の背景に安倍氏(官邸)のカゲがあったとの疑惑がもしも事実であれば、これはもちろん山口氏一人の問題にとどまらず、日本のメディア全体の重大事であり、新聞協会が座視できないことは言うまでもありません。

  もう1つは、そもそもこの問題は、伊藤さんがフリージャーナリストとして活動する場を求め、知己を得た山口氏に紹介・斡旋を依頼しようとしたことが発端だということです。つまり問題の背景には、フリージャーナリストと大手メディア幹部という絶対的な力関係の差があるということです。

 新聞協会が、メディア企業がお互いをかばい合う”仲間組織“ではなく、フリージャーナリストの活動も含め、本当に「国民の知る権利」を守る組織だというのなら、フリージャーナリストと加盟社幹部との間で生じている重大な疑惑は自ら率先して究明するのが当然ではないでしょうか。

  新聞協会がこの問題に触れようとしないのが、もしも「すでに不起訴が確定している」ことが理由だとしたら、言語道断と言わねばなりません。なぜなら、言うまでもなく新聞・メディアの存在意義は「権力を監視し続ける」(新聞協会の20日の「決議」)ことにあるからです。国家権力機構である検察、裁判所が「結論」を出したからそれで終わりというのは、自ら新聞・メディアの存在意義を否定することに他なりません。

  伊藤さんは『ブラックボックス』を著したほか、記者会見(2017年5月。写真左)を行って自ら経過と見解を明らかにしました。これに対し山口氏は、「月刊Hanada」(2017年12月号)に、「私を訴えた伊藤詩織さんへ」と題する「独占手記」なるものを投稿し、「レイプ」を否定する一方、伊藤さんに対し「普通の思考回路ではない」などと人格攻撃を行っています(写真右)。

 しかし、山口氏がどれだけ紙幅を費やして弁明しても、氏自身が吐露しているように、「密室での出来事ですから、誰も証言してくれる人はいない」(同誌262㌻)のです。被疑者の一方的な弁明の域を出ていません。

  つまりこれは、検察の「不起訴」で終結する問題ではないのです。国家権力による「捜査」とは別に、メディア自身が自らの自浄作用として、真相を究明する必要があります。日本新聞協会はその先頭に立つべきではないでしょうか。

  ところで、山口氏の『総理』の巻末「解説」で、新谷学氏(「週刊文春」編集長)が、山口氏を持ち上げながら、興味深いことを言っています。
 「週刊誌記者なら、親しい政治家のスキャンダルを書いて、その結果、相手に関係を切られたとしても、仕方ないと諦めるしかない。…それに対して山口さんは、おそらく、書く時期や書き方に細心の注意を払っているはずだ。だからこそ多くの政治家と継続的な人間関係を維持できているのだ

 つまり、山口氏は「親しい政治家のスキャンダル」を握っていながら、「書く時期」や「書き方」に注意を払っている、すなわち手心を加えているから、「政治家と継続的な人間関係を維持できている」というのです。
 山口氏は自ら「親しい政治家」と誇示する安倍氏の、いったいどんな「スキャンダル」を握り、どんな「細心の注意」を払っているのでしょうか?


安倍首相はなぜ平然とウソがつけるのか

2018年05月24日 | 安倍政権とメディア

     

 2015年2月25日に安倍首相は加計孝太郎氏と会って「獣医大学の考えはいいね」と言った、という加計学園の説明を記録した愛媛県の文書を、安倍氏は全面的に否定しました。
 安倍首相か、加計学園か、愛媛県か、3者のうち誰かがウソをついているわけですが、事態の推移、動機から考えて、ウソをついているのが安倍首相であることは明白でしょう。

 また、「ない」と言い続けていた財務省の森友学園との交渉記録がなぜ突然「あった」ということになったのか。

 防衛省の「イラク派遣日誌」の隠ぺいがなぜ「組織的ではない」(小野寺防衛相)のか。

 この一両日で浮き彫りになっているのは、平然とウソをついて国民・国会を愚弄し続ける安倍首相・安倍政権の底なしの厚顔無恥です。

  「主権在民」(憲法前文)、「国会は国権の最高機関」(憲法第41条)である社会で、こんな人物が首相に居座り続けていることが許されるはずがありません。

  にもかかわらず、その許されないことが横行しているのはなぜでしょうか?安倍首相はなぜ平然と国民・国会に対してウソがつけるのでしょうか?

 ★野党の不在。それはたんに数が少ないということではありません。基本政策で自民党との違いがなくなり、自民党政治に代わる政治・社会像を示すことができなくなっている野党。
 それは、「日米軍事同盟=安保条約体制」と「(象徴)天皇制」という2つの根本的問題で、日本共産党も含め、国会が翼賛化している実態が端的に示しています(憲法違反の「天皇退位法案」を全会一致で可決・成立させた<2017年6月>のはその典型)。

 ★たたかわない「労働組合」。「連合」の発足(1989年11月)以来、「労資協調」が定着し、労働組合が資本とたたかわなくなりました。組織率も低下の一途。たたかわない「労働組合」に存在意義はありません。自民党のスポンサーである財界・大企業の横暴は野放しです。

  この2つが大きな要因・背景ですが、安倍首相が国民・国会をなめているのは、もっと単純な理由だと思われます。それは「内閣支持率」です。

  この1週間以内に各メディアが発表した「最新の内閣支持率」は、例外なく、「支持」が前回より5㌽前後上がり、「不支持」が同じくらい下がっています。この「支持率の回復」が安倍氏の慢心を助長しているのは間違いないでしょう。

  前回の調査以降の内外の動きを振り返って、安倍内閣の支持率が「回復」する要素がどこにあるのでしょう。現にどの調査でも、「森友」「加計」に関する項目では安倍政権への批判は引き続き強いものがあります。しかし、すべてのメディアの調査が同様の結果を示している以上、「回復」はウソではないでしょう。

 ではなぜ安倍内閣の支持率は「回復」したのでしょうか。

  考えられることはただ1つ。「朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)バッシング」です。なかでも「拉致問題」です。

 もともと安倍氏は「拉致問題」で首相になった人物です。「いままで拉致問題は、これでもかというほど政治的に利用されてきた。その典型例は、実は安倍首相」(蓮池透・元「家族会」事務局長、『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』講談社)なのです。
 その安倍氏が、政権最大のピンチといわれる今、延命のためにすがりついているのもやはり「拉致問題」なのです。

 しかし、いくら安倍氏が「拉致問題」にすがっても、それだけでは「支持率回復」にはつながらないでしょう。その安倍氏を助けている援軍があります。メディアです。NHKや「読売」「産経」だけではありません。「モリ・カケ」では安倍政権をたたく他のメディアも、「拉致問題」「北朝鮮制裁」では手のひらを返すように安倍首相に同調します。

  「拉致問題」とは何なのか、朝鮮半島に対して日本は何をしてきたのか、これからどう向き合うべきなのか。そうした根本問題は捨象し、「拉致問題」「北朝鮮制裁」というだけで安倍政権に同調する日本のメディア。その大政翼賛化こそが、不可解な「支持率回復」の理由であり、安倍氏のウソ・厚顔無恥を許している元凶ではないでしょうか。

 「拉致問題」の進展は朝鮮との対話、国交正常化へ向けた協議のなかでこそ可能です。「圧力・制裁」一辺倒の安倍政権が「拉致問題」にすら逆行していることは明らかです。
 日本のメディアは、いまこそ朝鮮報道のあり方を根本的に見直さねばなりません。

 

 


再考すべき権力に対する”オフレコ取材“

2018年04月23日 | 安倍政権とメディア

     

 福田淳一財務次官はセクハラの事実を認めて謝罪し、麻生財務相は責任をとって直ちに辞任すべきです。同時に今回の事件を企業・社会からセクハラを一掃する契機にすべきです。

 ここでは今回浮上したもう1つの問題を考えます。それは日本のメディアの権力取材についてです。

 女性記者から福田氏によるセクハラ被害を訴えられた時、テレビ朝日はそれを報道もせず、福田氏・財務省に抗議もせずに握りつぶしました。「二次被害が心配された」(篠塚浩報道局長の19日の会見)からだといいますが、それだけでしょうか。

 日本民間放送労働組合連合会が18日出した「声明」は、「放送現場で働く多くの女性は、取材先や制作現場内での関係悪化を恐れ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されても、うまく受け流すことを暗に求められてきた」(21日付朝日新聞)と指摘しています。

 テレ朝の当初の握りつぶしも、「取材先との関係悪化」を恐れたことが理由の1つだったとみて間違いないでしょう。財務省(官僚トップの次官)とコトを構えれば今後の取材、とりわけ個別取材がやりにくくなる、という心配です(テレ朝以外にも福田氏からセクハラを受けた記者がいながらいまだに”沈黙”しているメディアがある可能性もあります)。

 政治家や「高級」官僚に対する個別取材(個別の会食などを含む)は、公式会見では述べられない「事実」を聞き出す、いわゆる「オフレコ取材」として日本のメディアの常とう手段になっています。今回の問題をめぐる論評・コメントでも、この取材方法に対する問題提起は見当たりません。

 しかし、私はこうした「権力に対するオフレコ取材」は見直すべきだと考えます。ただし、念のために付言すれば、こうした取材方法がセクハラを生んだという意味では決してありません。セクハラはセクハラ独自の問題です。また、この取材方法は個々の記者の問題ではなく、メディア=報道各社の社としての方針、あるいはメディア界の「慣習・伝統」の問題です。
 見直すべきだと考える主な理由は次の通りです。

     国家権力(閣僚、政治家、官僚)とメディア(記者)の癒着を生みやすい。

 ②    その具体化として、「オフレコ情報」をもらう代わりに何らかの「見返り」(報道・追及の手控えなど)を与える「ギブ・アンド・テイク」の関係に陥りやすい(今回のテレ朝の初期の対応はこの一種)。

 ③    公私混同(仕事としての取材・被取材と仕事を離れた私的生活の混同)を生じやすい。

     本来、公式の会見で明らかにされるべき事実・情報が隠ぺいされ、メディア側も「スクープ」狙いでそれを黙認することで、記者会見を形骸化する(とくに警察情報はそれが常態化している)。

 ⑤    現場の取材記者への過重な負担(本来の記者活動の制約や私生活の犠牲)

 こうしたメディア(記者)との個別的関係を巧みに利用したのが、田中角栄元首相でした。「オフレコ取材」の1つとして、「夜討ち朝駆け」がありますが、田中は私邸に記者用の部屋を設け、食事を出すなどして番記者を手なずけました。田中派番の記者が同派の大番頭・金丸信(元防衛庁長官)邸を「朝駆け」したときのことをこう述懐しています。

 「一人で金丸邸を訪ねた。…お手伝いさんが玄関脇の部屋に案内してくれた。そこにはすでに五、六人の田中派担当の記者がテーブルを囲んで座っていた。…椅子に座って出されたお茶をすすっていると…そのうちに温かいソバが出てきた。朝食を用意してくれていたようだ」(田中良紹・元TBSディレクター『裏支配―今明かされる田中角栄の真実』廣済堂出版)

 「オフレコ取材」は権力が隠そうとしている「事実」を掘り起こすためだと善意に考えている記者も少なくないでしょう。しかし、それには逆に大きな危険がはらまれていることを見落とすことはできません。

 「本来ジャーナリズムは、情報源を明らかにして報道するのが原則である。…情報源を隠すことで情報操作を容易にしてしまう。政治家をはじめ社会的な有力者が、匿名による観測気球的な発言で世論やライバルの反応を探り、問題になっても発言不明の形で責任追及を免れる。政治家や官僚が好きなオフレコ会見も、責任は取らずに発言の効果だけを利用できるもので、悪用されている。無責任なジャーナリズムほど匿名報道に傾く、というぐらいに考えてよい」(原寿雄・元共同通信編集主幹『ジャーナリズムの可能性』岩波新書)

 「オフレコ取材」と深く関連している「記者クラブ制度」、「番記者制度」も見直すべきです。

 真のスクープは、他社を出し抜いて権力に接近することではなく、地道な調査報道によって「権力の監視役」としての使命を果たす中でこそ生まれます。
 かつて竹下登政権を退陣に追い込んだ、日本のメディア史上特筆すべきリクルート事件のスクープ(1988年、朝日新聞)は、神奈川県警が捜査を放棄した未公開株譲渡問題を「自分たちで追及しよう」と始めた朝日新聞横浜支局の調査報道が生んだものでした。

 現場の記者の熱意とエネルギーは、時間を度外視した権力への個別的接近・オフレコ取材ではなく、調査報道や、「権力を監視する記者」としての自己研鑽(問題意識を深める勉強など)にこそ振り向けられるべきではないでしょうか。


安倍首相に助け舟を出す「ジャーナリスト」たち

2017年08月05日 | 安倍政権とメディア

     

 共同通信の世論調査では安倍改造内閣の支持率が8・6㌽上昇して44・4%になったとか(不支持率は9・9㌽減の43・2%)。悪い予想が当たってしまいました。
 前回のブログで述べたように、この責任の大半は劣化した日本のメディアにあります。

 同時に、「政治評論家」としてテレビに出演する一方、安倍首相と陰に陽に「密談」を交わし、政権に助け舟を出している「ジャーナリスト」と称される人物たちの存在も見逃せません。
 ここでは、田原総一朗氏と田崎史郎時事通信社特別解説委員(写真右)を取り上げます。

 稲田朋美氏が安倍氏に防衛相の辞表を提出して約2時間後の28日正午すぎ、田原氏は首相官邸で約1時間半、安倍氏と昼食をともにしながら2人だけで会談しました。
 前日に田原氏と菅官房長官が会い、田原氏が菅氏に何やら「提言」したことを安倍氏が聞きつけ、安倍氏の方から田原氏を官邸に招いたと言われています。

 会談の直後の”ぶらさがり”で田原氏は、安倍氏に「政治生命をかけた冒険をしないか」と話したと明かしました(写真中)。その中身は、「話したらぶち壊れちゃうので言えない」(19日テレビ朝日「モーニングショー」)としており、明らかになっていません。田原氏が安倍氏とのサシの会談で「進言」するのは今回が初めてではありません。

 一方、田崎氏は「夜の料亭・レストラン」で頻繁に安倍氏と会食しています。最近では安倍氏が閉会中審査に出席すると急に方針転換した7月13日の夜、東京・紀尾井町のレストランで島田敏男NHK解説副委員長らとともに安倍氏を囲んでいます。

 テレビのワイドショーをかけもちして安倍政権の方針を解説(代弁)することが多い田崎氏ですが、内閣改造が行われた3日も朝から「モーニングショー」(テレビ朝日)に出て、改造内閣を「仕事師内閣」と持ち上げました(写真右)。

 その日夕、組閣後に記者会見した安倍氏は、改造内閣を「仕事人内閣」と命名しました。安倍氏と田崎氏のネーミングの一致は、はたして偶然でしょうか。

 加計学園疑惑の告発に踏み切った前川喜平前文科省次官は、日本記者クラブでの会見(6月23日)で、「今回の問題で認識を新たにしたのは、国家権力とメディアの関係だ」とし、個人攻撃を行った読売新聞を批判するとともに、「報道番組を見ると、コメンテーターの中には官邸の擁護しかしないという方がいる」と政権を擁護する「コメンテーター」の存在を指摘し、「メディアまで(国家権力に)私物化されると、日本の民主主義は死んでしまう」と述べました。

 ジャーナリズムの原点は言うまでもなく市民の立場に立って権力を監視することです。首相に乞われて「秘策」を提言したり、政権を擁護・代弁するコメントをふりまく人物が、「ジャーナリスト」の名に値しないことは明らかです。


「安倍内閣改造」報道に狂奔するメディアの劣化

2017年08月03日 | 安倍政権とメディア

     

 第3次安倍再々改造内閣がきょう3日午後発足します。
 加計学園疑惑の中心人物である萩生田光一官房副長官の党幹事長代行抜擢(閣僚未経験者としては異例)に象徴されるように、一連の疑惑・不祥事に対する反省のかけらも見られない改造内閣です。

 見過ごせないのは、今回の内閣改造をめぐる一連のメディア報道です。
 新聞各紙もテレビも、1日以降、改造内閣の顔ぶれの事前報道(予測)に狂奔してきました。その報道にいったいどんな意味があるのでしょうか。

 そもそも内閣改造は、首相による閣僚の首のすげ替えにほかならず、首相が変わらない以上、さらには政権党が変わらない限り、何の意味もありません。意味があるのは、入閣を待望している自民党議員たちにとってだけです。

 しかも今回の内閣改造の狙いが、目先をかえて世論の追及(加計・森友疑惑、南スーダン日報隠蔽など)をかわし、内閣支持率の下落に歯止めをかけようとする安倍首相の姑息な思惑にあることはあまりにも明白です。

 これに対しメディアは、改造の3日も前から、誰が次の大臣になるかの報道に終始してきました。このかん加計・森友、日報隠し疑惑は紙面の表舞台から消えました。
 そして野田聖子氏の起用が決まるとこれを「サプライズ人事」ともてはやし(自民党内のたらい回しの何がサプライズ?)、全体を「安定感を重視した顔ぶれ」(3日付共同配信)などと持ち上げました。まさに安倍氏の思惑通りではありませんか。

 もっとも問題なのは、閣僚の人選や自民党内の派閥の動向に終始するこうした報道は、大臣の顔ぶれが変われば「政治」が変わるかのような幻想をふりまき、「政策」ではなく「政局」に目を向ける「劇場型政治」を助長するものだということです。これは日本の「政治」の後進性であり、それに手を貸しているのがメディアの劣化です。

 いまメディアが報道しなければならないのは、そしてわれわれが目を向けるべきは、加計・森友疑惑、日報隠蔽疑惑とともに、安倍政権がこのかん(前回の改造以降)行ってきた、トランプ政権との日米軍事同盟強化、共謀罪法強行、辺野古新基地建設工事強行など、安倍政権の政策の根本ではないでしょうか。

 内閣改造後、安倍政権の支持率がどう変わるか分かりませんが、もし下落に歯止めがかかるとすれば、一連のメディア報道がそれに大きく寄与したことは間違いないでしょう。
 


「共謀罪」を先取りする安倍政権(沖縄防衛局)の報道圧力

2017年07月24日 | 安倍政権とメディア

     

 「本土」ではまったく報道されていませんが、安倍政権(防衛省)による言語道断の報道干渉・圧力が、沖縄で起こっています。「共謀罪」法適用の危険もあり、ことは重大です。

 経過はこうです(琉球新報=以下新報、沖縄タイムス=以下タイムスの報道から)。

 7月14日 新報とタイムスが、安倍政権が進めている辺野古新基地建設の護岸工事現場付近でサンゴが破壊される恐れがあるとの記事を、市民団体提供の写真とともに掲載(写真左は新報)。

 7月19日 新報とタイムスが、米軍北部訓練場(東村、国頭村)に新設されたヘリパッドで、オスプレイの離着陸によって芝生が焦げている実態を、「読者提供」の写真とともに掲載(写真中は新報)。

 7月20日 沖縄防衛局が上記の報道(2枚の写真)について、「臨時制限区域内、提供施設区域内で不法に撮影されたもので大変遺憾」「報じるにあたっては情報が不法行為で得られたものではないかを精査し、適切な措置をとることを要望する」とする文書を、県政記者クラブ加盟各社に送付

 7月21日 タイムスが「読者の知る権利にかなうものと判断し報道した」とする自社のコメントを掲載。

 7月22日 新報が普久原均編集局長名で「指摘の写真はいずれも…読者・県民に伝えるべき重要な情報だと判断した。…危険性には十分配慮しつつ、今後も報道していく」との談話を掲載。

 沖縄防衛局の行為には多くの問題があります。

 ① 防衛局がクレームをつけた2枚の写真は、新報、タイムス両紙が反論している通り、辺野古新基地建設やヘリパッドの現状を伝える貴重な情報であり、報道は当然。それを防衛局が「遺憾」とするのは、「報道の自由」「国民の知る権利」に対する国家権力(安倍政権・防衛省)の露骨な攻撃である。

 ② 防衛局「文書」が「報じるにあたっては…」などというのは、今度の報道にまで口をはさむものであり、報道・メディアに対するあからさまな干渉・圧力である。

 ③ そもそも沖縄の米軍基地は米軍が「銃剣とブルドーザー」で暴力的に奪ったものである。そのうえさらに日米両政府は県民の反対を無視して新基地を造ろうとしている。その安倍政権が沖縄の市民活動(写真撮影)、報道にクレームをつけ圧力をかけるなど盗人猛々しいにもほどがある。

 ④ 防衛局「文書」が「不法に撮影された」というのは、日米安保条約・日米地位協定に基づく基地内立ち入り禁止のことと思われるが(写真右はキャンプ・シュワブのフェンスの「立ち入り禁止」掲示)、「報道の自由」「国民の知る権利」は日本国憲法に基づく基本的権利である。どちらが優先されるべきかは言うまでもない。防衛局「文書」は憲法よりも日米安保・地位協定を上におく安倍政権の反憲法・対米従属姿勢を露わにしたものである。

 ⑤ 「共謀罪」法は「277の罪」が対象とされるが、その中には「刑事特別法―軍用物の損壊等」が含まれている。安倍政権が今回の写真撮影・報道に「共謀罪」を適用し(あるいは適用の脅しをかけ)、市民の活動と報道を抑圧する(あるいは自粛させる)危険性がある。

 新報、タイムスが防衛局に反論し、今後も読者・県民の立場に立った報道を続けると言明していることはきわめて正当であり、断固支持します。(ただ、普久原編集局長の談話にある「危険性には十分配慮しつつ」がどういう意味なのか、注視したいと思います)

 同時に、これは言うまでもなく両紙だけの問題ではありません。防衛局が「文書」を県政クラブ加盟各社に送付したことに端的に示されているように、両紙をやり玉に挙げることによって沖縄のメディア全体に脅し・圧力をかけるのが防衛局の狙いです。
 県政記者クラブは自らの問題として、共同して、防衛局の不当な干渉・圧力に抗議し、「抗議声明」を発表すべきです。

 さらに言うまでもなく、これは沖縄だけの問題ではありません。全国紙はじめ「本土」メディアはこの問題を報道すべきです。そして、「本土」の私たちも安倍政権(防衛省)に対し抗議・批判の声を挙げねばなりません。


メディアは前川前次官の警鐘を正面から受け止めよ

2017年06月27日 | 安倍政権とメディア

     

 前川喜平前文科省次官は23日日本記者クラブで2回目の記者会見を行い、「加計学園文書」の信ぴょう性をあらためて証言しましたが、同時に、「メディアと権力の関係」について警鐘を鳴らしました。
 加計問題同様、いやむしろそれ以上に重要な発言でしたが、詳しく報道されませんでした。接した限りの情報を集めて再録します。

<今回の問題で認識を新たにしたのは、国家権力とメディアの関係だ。(「出会い系バー」にかよっていたという)私に対する個人攻撃だと思われる記事が読売新聞に掲載された。不愉快な話で、背後に何があったのか。個人的には、官邸の関与があったと考えている。
 私に最初にインタビューを行ったのはNHKだが、その映像はなぜか放送されないままだ。
 報道番組を見ると、コメンテーターの中には官邸の擁護しかしないという方がいる。
 日本の国家権力とメディアの関係に非常に不安を覚える。国民の視点から問い直す必要性がある。メディア内で自浄作用が生じることも強く期待したい。
 第四の権力と言われるメディアまで(国に)私物化されると、日本の民主主義は死んでしまう。その入り口にわれわれは立っているのではないかという危機感を持っている。>

 報道(「週刊報道LIFE」)によれば、前川氏はさらに会見で、「読売」の記事が出る前に、加計問題の「キーパーソン」(前川氏)である和泉洋人首相補補佐官から「会って話す気はないか」と言ってきたことを明かしました。和泉氏が前川氏の会見を事前に抑えようとしてが前川氏がそれを拒否したため、「読売」の記事が出た、というのが前川氏が「官邸の関与があった」という根拠のようです。

 きわめて注目すべき発言です。事実、前川氏を個人攻撃した記事のほかにも、憲法「改正」案について「読売新聞を熟読してほしい」(5月9日の参院予算委員会)と安倍首相が言い放ったように、読売と安倍首相(国家権力)の癒着は目に余ります。
 前川氏に言われるまでもなく、メディアには自己検証と自浄作用が求められています。

 ところが、この前川会見に対するメディアの扱いはきわめて冷淡でした。

 読売新聞は2面3段で扱いましたが、メディア批判部分は(当然)まったく触れていません。NHKも一切無視しました。
 加計問題は概して大きく扱う朝日新聞が、この日の前川会見は社会面3段という小さな扱いで、メディア批判部分はNHKについて5行載せただけでした。
 共同通信はメディア批判部分を30数行配信しましたが、掲載した中国新聞や琉球新報はこの部分はいずれもベタ扱いでした。
 毎日新聞も第2社会面3段の目立たない扱いでした。ただ、毎日が前川氏の指摘に対するNHKのコメントを載せたのは注目されました。NHK広報は、「個別の番組編集や取材過程について回答は差し控える」とした上で、「NHKの独自取材によるものも含め随時伝えている」と述べたといいます。(新聞はいずれも広島版)

 読売、産経、NHKなどの安倍政権(国家権力)との癒着は顕著ですが、それはもちろんこれら右派メディアだけの問題ではありません。前川氏を個人攻撃した読売の記事が、前川氏の指摘通り「官邸の関与」によるものであれば、それは安倍政権の本質にかかわり、日本の民主主義、報道の自由・権利にとっても重大問題です。メディアは真相を追求して明らかにする必要があります。

 先に「総理記者会見」の実態について述べましたが(20日のブログ参照 http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20170620)、メディアが権力との関係で自己点検・検証し、抜本的に改革しなければならない問題は山積しています。

 「日本の民主主義が死んでしまう入り口に立っている」という前川氏の危機感に同感です。
 


あの異常国会の後の首相会見がたった23分か

2017年06月20日 | 安倍政権とメディア

    

 厚顔無恥とはまさにこのこと。19日夕の安倍首相の記者会見です。

 強行採決以上の「中間報告」なる禁じ手を使っておいて「十分審議できなかった」とはよくも言えるもの。「反省している」と言いながら実は野党を「印象操作」と攻撃する開き直り。「政策とは関係ない議論」とは自らの「森友・加計疑惑」=行政の私物化を隠ぺいする口実…。挙げればきりがありません。

 そもそもこの男にまともな「反省」や議論を望むのが無理な話です。蓮舫氏は「総理のために開く会見は意味がない」(19日の記者会見)と言いました。しかしそうではありません。問題は、記者会見が「総理のため」のものになったことにあります。すなわち記者会見のあり方を抜本的に改める必要があるのです。

 首相会見が始まったのは午後6時ちょうど。はじめに安倍氏の発言が17分間。それから記者との質疑応答に入りましたが、6時40分にはきっかり終了。つまり、安倍氏の゛独演会”を除けば、実質的な記者会見はわずか23分しかなかったのです。

 最後まで内容が不明確なまま成立が強行された「共謀罪」法。内閣府と文科省の言い分が食い違い官邸主導で真相隠しが行われた加計学園疑惑。これだけをとっても異常な国会でした。「国会は死んだのかもしれない」(高村薫氏)と言われるゆえんです。

 その国会が閉会した直後の首相会見です。国会では明らかにならなかったことを記者が国民に代わって追及しなければなりません。テーマは山ほどあったはず。ところがその会見が実質23分。まったく話になりません。

 しかも「23分」の中身がまた問題です。はじめに幹事社から2人(毎日新聞、TBS)が大雑把な質問をし、その後は質問希望者が挙手をし、司会者が指名するのですが、これが曲者です。なぜなら、指名する司会は官邸(安倍政権)が行っているのですから。

 案の定、この日指名された記者4人のうち、ロイター(外交問題)を除けば、NHK(公文書管理)、日経(成長戦略)、社名を名乗らない男性(北方領土)はいずれも安倍氏にとって痛くもかゆくもない質問ばかり。安倍氏に宣伝の場を与えてやったようなものです。朝日新聞や東京新聞、ましてフリーの記者はまったく指名されませんでした。
 加計疑惑の文書をめぐってこのかん菅官房長官の記者会見で執拗に質問していた記者たちも、発言の機会は与えられませんでした。

 時間といい、運営方法といい、この首相会見は異常です。まさに「総理のための会見」として仕組まれたものです。
 今回だけではありません。首相会見はだいたい同じような時間・運営方法で行われています。こうしてテレビ中継する首相会見が「総理のための会見」になっていることが、安倍内閣の虚構の「高支持率」の1つの要因になっていると言っても過言ではないでしょう。
 
 これを抜本的に改める必要があります。
 時間については、質問希望者がいなくなるまで行うべきです。少なくとも1~2時間の質疑時間は確保すべきです。
 会見の司会(質問者の指名)は官邸(政権)ではなく、記者クラブが行うべきです。

 現在時間も運営も官邸主導になっているのは、会見自体が「官邸主催」になっているためだと思われます。それを抜本的に改め、会見は「記者クラブ主催」にすべきです。
 首相会見を「総理のための会見」ではなく、「国民のための会見」にするのは国民に対するメディアの責務です。
 日本新聞協会、新聞労連の姿勢と責任が問われます。


「出所・入手経路不明」で報道・内部告発に圧力をかける安倍政権

2017年06月06日 | 安倍政権とメディア

     

 5日の衆院決算行政監視委員会で、野党側が加計学園をめぐる文科省内のメール再調査を要求したのに対し、松野博一文科相は「出所や入手経路が明らかにされておらず、改めて調査を行うことは考えていない」と述べ、安倍首相も「松野大臣が答弁した通り」とこれを追認しました。

 前川喜平前文科省次官や安倍昭恵氏らの証人喚問、関係文書の調査を一貫して拒否し続けている安倍政権ですが、「出所・入手経路不明」を口実にしていることはとりわけ見過ごすことができません。

 「出所・入手経路不明」発言はこの日の松野氏や安倍氏に限らず、菅官房長官も定例会見で再三行っています。
 また安倍首相は、「共謀罪法案」に関連して、米政府が日本政府に大量監視システム(エックスキースコア)を提供した機密文書が暴露されたことに対しても、「出所不明の文書にコメントするのは差し控えたい」(5月29日の参院本会議答弁)と、文書の「出所」を口実に答弁を避けました。

 「出所・入手経路が不明」だから調査しない、答弁しない、とはどういうことでしょうか。調査・答弁してほしければ、「出所・入手経路」すなわち問題文書を誰からどのように入手したのかを明らかにせよ、ということです。これはメディアと内部告発者に対する国家権力の露骨な圧力と言わねばなりません。

 加計学園をめぐる一連の内部文書が明らかになった発端は、朝日新聞のスクープですが、情報源を秘匿・死守するのはメディアの基本的な使命です。調査報道によって入手した資料の「出所・入手経路」は明らかにできるはずがありません。明らかにしないのがメディアの責任です。安倍政権の「出所・入手経路」発言はそうしたメディアに対する圧力・攻撃であり、同時に政権に都合の悪い調査報道の萎縮を狙ったものと言えるでしょう。

 また、文科省内のメールが相次いで明るみに出ているのは、心ある文科省職員による内部告発だと思われます。その「出所」を示せというのは、内部告発者を特定し追及しようとする安倍政権の強権的姿勢を示すものです。

 内部告発は国民の利益に叶う行為であり、告発者は法律で保護されることになっています。
 公益通報者保護法(2006年4月施行)は第1条で、「公益通報者の保護を図るとともに…もって国民生活の安定及び社会経済の健全な発展に資することを目的とする」としています。また、保護される内部告発者は民間企業の労働者に限らず、「行政機関」の職員すなわち公務員も含むと明記されています(第1、2条)。

 内部告発者を特定して追及しようとする安倍政権は、この公益通報者保護法を踏みにじるものと言えるでしょう。

 また、前川氏が記者会見などで証言したことも一種の内部告発であり、それに対し菅官房長官らが関係のないことで前川氏への個人攻撃を繰り返していることも、内部告発者の保護に反することは明白です。

 加計・森友問題は、「安倍首相の意向」という形での行政の私物化であるとともに、国民に真実を知らせない、そのためにメディアや内部告発者へ圧力をかける、萎縮・自粛を狙うという点で、機密保護法、「共謀罪」法案と同根の、国家権力による国民支配の問題でもあると言わねばなりません。