アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「取り消し」また延期!翁長氏の重大な背信行為

2015年09月29日 | 沖縄・翁長知事

   

 翁長沖縄県知事が国連のスピーチ(21日)で「辺野古埋立承認取り消し」に一言も触れないばかりか、本体工事が強行されることを示唆する発言を行ったことは、「重大な疑問」だと指摘しましたが(24日当ブログ)、その懸念がこんなに早く、しかもあきれた形で現実になろとは思いませんでした。

 28日の記者会見で翁長氏は、これまでの方針(防衛局からの「意見聴取」)を百八十度転換して政府・沖縄防衛局から「聴聞」を行うことにし、「承認取り消し」は早くて「来月中旬以降」に先延ばしすることを表明しました。安倍政権へのさらなる譲歩、いや屈服であり、新基地建設に反対する県民・国民への明白な背信行為だと言わねばなりません。(写真左は琉球新報動画より)

 「意見聴取」と「聴聞」には大きな違いがあります。「聴聞」は、県が国(防衛局)を行政手続法上、「審査請求・不服申し立て」ができる「私人」と同様に扱うことを意味します。そうなれば3月の岩礁破砕の時と同じように、たとえ「承認取り消し」がされても、政府(防衛局)が政府(今回は国交相)に「不服申し立て」を行い、都合のいい「回答」を引き出して「取り消し」を無効にする、というのが安倍政権の戦略です。翁長氏はそれに自ら乗ってしまったのです。「政府は、取り消し後に不服を申し立てられる『私人』の立場に、県の“お墨付き”を得たと歓迎している」(29日付沖縄タイムス)のはそのためです。

 政府の辺野古埋立申請が「私人」としての行為などでないことは明白です。行政法の専門家も、「国による埋立申請は国固有の資格で行われたものであり、私人の資格で行われたものではない。・・・軍事基地建設のために私人が埋立を申請することなどあり得ない。・・・防衛局は国交大臣に対して審査請求や執行停止申し立てをすることはできない」(武田真一郎成蹊大教授、23日付沖縄タイムス)と明確に指摘しています。

 翁長氏自身、これまで「法自体が、審査する立場にある国が、別の国の機関から申し立てをうけることを想定していないので、沖縄防衛局は申請人としての性質を持たない」(3月27日付「知事コメント」)と言ってきました。それをなぜこの期に及んで転換したのか。

 28日の記者会見で、翁長氏に代わって竹下顧問弁護士は、「行政手続法の適用除外という認識は撤回しないが、手続き的なところでこれ以上もめるよりは、実体的な中身で問題を判断してもらうべきだと考えた」と答えました(29日付琉球新報「一問一答」)。「認識は撤回しない」といいながら、政府に口実を与える。これは「あらゆる手段で阻止する考えは変わらない」と言いながら何一つ有効な手段はとらないで工事の既成事実をすすめるのと同じ、翁長氏の一貫した手法です。

 「聴聞の手続きを踏んでいないことを瑕疵と指摘され、門前払いとなる事態を避けることを重視した」(29日付沖縄タイムス)との論評もありますが、これもはまったく理屈に合いません。行政手続法の「審査請求・不服申し立て」によって、「取り消し」の是非を裁判にかけることを避け「門前払い」しようとしているのが安倍政権です。今回の翁長氏の方針転換はその「門前払い」に口実を与えるものであり、けっしてその逆ではありません。

 同日の記者会見で見過ごせないのは、聴聞(10月7日)までに政府が本体工事に着手した場合でも取り消しは行わないのか、との質問に翁長氏がこう答えたことです。
 「政治的な判断では横目でにらみながら、今日までのいきさつの中で判断する
 聴聞の時間稼ぎの間に本体工事を強行されても、「取り消し」を実行するとは言わないのです。これは本体工事強行の事実上の黙認にほかなりません。

 会見で記者から「県民から(翁長氏に対する)疑心暗鬼の気持ちが出ると思う」と言われた翁長氏はこう答えました。「信頼関係から心配されているとは思っていない」。
 自分が何をやっても、県民は「信頼関係」があるから疑うことはない、自分について来るというです。なんという傲慢・不遜でしょう。「翁長支持」の県民もメディアも、足元を見られているのです。

 写真家の石川文洋さんは翁長氏に対し、「すぐに取り消して徹底的に闘うという姿勢を全国に示さなくてはいけない」「裁判に期待するのではなく、運動を盛り上げて解決することを目指すべきだ」(29日付琉球新報)と指摘しています。
 その通りです。翁長氏が安倍政権と秘密協議(議事録もない)を続けた(これからも続ける)のも、突然方針転換をして政府の土俵に乗るのも、すべて、翁長氏が県民・国民の側に立って安倍政権と正面から闘う意思がないことに根源があります。
 翁長氏が知事就任後、1度も辺野古の現場に足を運んでいないことも、けっして無関係ではありません。


安倍会見にみる大手メディアの腐敗

2015年09月26日 | メディア

   

 安倍首相が無投票で自民党総裁に再選された24日、午後6時から記者会見が行われました。わずか30分弱の中継(NHK)でしたが、そこに映し出されたのは、戦争法案を強行した安倍首相の姑息で傲慢な姿勢と、その安倍政権に飼いならされたような大手メディアの腐敗した姿でした。

 安倍氏は会見の5日前に強行した戦争法制(安保法制)について一言も言及しませんでした。代わって強調したのが、「国民総生産600兆円」「新たな三本の矢」「1億総活躍社会」など歯の浮く空疎な言葉の羅列でした。

 55年前の1960年、岸信介首相は日米安保改定の条約案を強行採決(5月19日)しました。国民の反対運動はその後さらに盛り上がり、岸はついに退陣に追い込まれました(6月19日)。岸のあとを継いだ池田勇人が打ち出したのが「所得倍増」です。池田はこう言いました。「安保騒動で暗くなった人心を所得倍増計画で明るくきりかえてしまう、これがチェンジ・オブ・ペースであり、本当の人心一新だ」(自民党総裁選に向けた声明)。

 安保強行を祖父に倣った安倍氏が、次は国民の批判をかわすための「きりかえ」を池田に倣おうとしていることは明白です。自民党の姑息で傲慢な手法は半世紀前とまったく同じです。違うのは、岸と池田がやったことを安倍氏は1人でやろうとしていることです。

 そんな安倍戦略が見え見えの記者会見に、大手メディアはどう臨んだか。

 ①開口一番、「就任おめでとうございます」

 質疑の冒頭、平河(自民党)クラブを代表した幹事社(テレビ東京)が開口一番発した言葉は、「まずは(自民党次期総裁)就任おめでとうございます」。
 記者は外交辞令のつもりで言ったのかもしれませんが、記者クラブを代表した質問の第1声が「おめでとうございます」とはあきれてしまいます。権力を監視すべきメディアとしての自覚のかけらもみられません。

 ②戦争法制(安保法制)についての質問は皆無

 約15分の質疑応答(中継の限り)で、記者からは戦争法制についての質問はまったくありませんでした。いったいどういうことでしょうか。もしかして、翌日(25日)も国会の事実上閉幕で首相会見が予定されているから、戦争法についてはそっちに回せばいい、などと考えたとすれば、大間違いです。
 この会見は、戦争法制強行成立後の最初の首相会見です。この日も国会の外には多くの市民が詰めかけました(写真右)。国民の今の最大関心事は戦争法制(安保法制)です。「三本の矢」ではありません。その肝心な問題は棚上げし、「人事」や「経済」に質問を集中させるのは、国民の「知る権利」に背き、安倍首相の戦略に加担するものと言わざるをえません。

 ③質問を記者クラブに限定した暴挙

 幹事社の代表質問から他の記者の質問に移るとき、司会者(おそらく自民党広報)が言いました。「これから平河クラブに限って質問を受け付けます」。

 首相会見で質問を記者クラブに限定するとはとんでもないことです。取材の自由、知る権利の重大な侵害であり、けっして許されることではありません。制限した自民党はもちろん、それを唯々諾々と了承した記者クラブも同罪です。

 大手メディア各社が加盟している日本新聞協会は、記者クラブ制度への批判が高まる中、「記者クラブに関する見解」(2002年1月17日)を発表しました。その中でこう述べています。
 「記者クラブは、公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務を負っています
 「記者クラブは『開かれた存在』であるべきです
 「記者会見参加者をクラブの構成員に一律に限定するのは適当ではありません。より開かれた会見を、それぞれの記者クラブに合わせて追求していくべきです。公的機関が主催する会見は、当然のことながら、報道に携わる者すべてに開かれたものであるべきです

 質問を平河クラブに限定した今回の首相会見が、この新聞協会の「見解」に照らしてもまったく不当であることは明らかです。

 戦争法制に反対する主権者の運動が大きく展開し、さらに広がろうとしている今、大手メディアは安倍政権のメディア取り込み戦略にひれ伏すのか、それとも主権者・国民の側に立って「報道の自由」「知る権利」を守り、権力を監視する本分に立ち返るか。根底からきびしく問われています。


翁長知事「国連演説・会見」の2つの重大疑問

2015年09月24日 | 沖縄・翁長知事

   

 翁長沖縄県知事が国連人権理事会(ジュネーブ)で「演説」(9月21日)と記者会見(21、22日)を行って、辺野古新基地建設を強行しようとしている安倍政権の暴挙を「告発」したことは、意味のあることです。

 しかし、翁長氏の演説や会見の内容には重大な疑問点があります。今後の辺野古新基地阻止や沖縄の「自立」「独立」へ向けた運動にかかわってくる問題であり、見過ごすことはできません。

 ①「承認取り消し」には言及せず、「工事強行」を示唆したのはなぜか。

 翁長氏は「演説」で辺野古新基地について、「あらゆる手段を使って新基地建設を止める覚悟」だと述べました。これでは1年前の知事選での発言と変わりません。
 今の焦点は翁長氏がいつ埋立承認を取り消すかです。ところが演説には「承認取り消し」の言葉はまったくありませんでした。なぜ世界に向かって「私は帰国後ただちに承認を取り消す」と言わなかったのでしょうか。

 その一方、演説後の記者会見(21日)で翁長氏はこう述べました。「辺野古で強引に工事が進む可能性があるので世界中の人に見てもらいたい」(23日付琉球新報)
 22日の記者会見でもこう述べています。「工事を続行する様子の映像を皆さんの関係するところに送ってもらい(たい)」(同琉球新報)。
 さらに、「これから10年間工事が続く」(24日付沖縄タイムス)とも。

 まるで政府が埋め立て工事を強行する(それを事実上許す)ことを前提にしているようではありませんか。埋立工事に対する翁長氏の基本姿勢を疑わせるものです。

 ②翁長氏の「自己決定権」とは何なのか。

 演説で翁長氏が「沖縄の人々は自己決定権や人権がないがしろにされている」と述べたことが注目され評価されています。基地問題は人権の問題でもあると捉えるのは当然のことです。保守陣営はいざ知らず、革新陣営はこれまでもそう捉えてきています。
 問題は翁長氏の言う「自己決定権」とは何かということです。

 演説は英語で行われ、そこでは「self-determination」という言葉が使われました。元国連人権理事会諮問委員会委員の坂元茂樹氏は、この言葉の訳は「自己決定権」より「自決権」の方が適切だと指摘しています(22日の「報道ステーション」)。「自決権」にはたんなる自治権という意味だけでなく、民族の独立した決定権という意味を含むからです。翁長演説を聞いた世界の人たちの多くも、民族(先住民)の「自決権」と解釈したのではないでしょうか。

 なぜなら国連には「先住民族の権利に関する国連宣言」があり、国連自由権規約委員会は日本政府に対し、「アイヌの人々及び琉球・沖縄の人々を先住民と国内法で明確に認めるべき」との勧告(2008年10月)を出しているからです。
 「沖縄の人々の権利」とは「先住民として土地や資源を保全し、利用する権利」(島袋純氏、21日付沖縄タイムス)とみるのが「国際基準」なのです。

 しかし翁長氏が配布した「日本語訳」は「自決権」ではなく「自己決定権」でした。なぜか。

 翁長氏がジュネーブへ立つ直前の17日、沖縄自民党県連の具志孝助幹事長らは翁長氏を訪ね、「国連人権理事会でのスピーチで、名護市辺野古の新基地建設の反対を『琉球人・先住民』の権利として主張しないよう要請」(18日付沖縄タイムス)しました。

 この自民党の要請に対し、翁長氏はどう答えたか。

 「翁長知事は『基本的な考えは(自民と)違わない。基地問題で先住民ということに触れたことはない』と理解を示した。・・・翁長知事は要請に対し、自身も基地問題を先住民として発言したことはないとする一方で『人権理事会は世界の一人一人の人権や地方自治について話し合う場所。その意味で、今日までの私の(過重な)基地負担の発言を集約してスピーチしたい』と述べた」(18日付沖縄タイムス)

 翁長氏がいう「自己決定権」は「先住民」として「自決権」ではありません。せいぜい「地方自治」です。この違いはきわめて大きく、翁長氏の演説は国際的に誤解を与えるものと言わねばなりません。

 国際的な誤解だけではありません。沖縄においても、「そもそも自己決定権という言い方は・・・本来的に民族的自決権という意味を内包している」「翁長演説における沖縄の自己決定権確立というアピールは、特に被抑圧民族との連帯につながるという意味で、今後の反響が期待される」(比屋根照夫琉大名誉教授、23日付沖縄タイムス)と曲解されています。翁長氏は自分が唱える「自己決定権」の真意を明確にする必要があります。


いまこそ日米軍事同盟=安保条約の廃棄を語ろう

2015年09月22日 | 戦争・安倍政権

   

 戦争法案強行後にこんな論評がありました。「なぜ、安保法案が必要なのか、あるいはなぜ安保法案は不要なのか。この点、両陣営ともやや抽象的な水準にとどまっている感は否めない。来夏の参院選に、安保法案の行く末を記憶しておくためにも、確固とした理性の言葉が欲しい」(西田亮介東京工業大准教授、19日付中国新聞)。

 集団的自衛権を行使する戦争法案は憲法違反、という反対意見もれっきとした「理性の言葉」だと思いますが、国会論戦やその後のメディア、識者の論説・論評で、具体的で肝心な問題が欠落していることは否定できません。

 それは日米軍事同盟=安保条約そのものの是非です。

 安倍政権が戦争法案を強行し、米政府がそれを望んだ理由は、いうまでもなく「日米同盟の強化」です。ところが、法案に反対する陣営から、その根源である日米軍事同盟=安保条約そのものの危険性を指摘しその廃棄を主張したものは(私が見る限り)1つもありません。これは驚くべきことです。

 例えば朝日新聞は、「日本の安全に資するのか」と題した社説(18日付)で、「日米同盟を考えるうえでも、法案の問題は大きい」としながら、その存続を前提にし、「難しい判断と主体性が問われる」というだけです。

 琉球新報の「平和の道すじ 国民的議論を」という社説(20日付)も、「そもそも軍事同盟にたよることが真に有効なのか」と問い掛けながら、「安全保障のジレンマ」の問題にしてしまい、軍事同盟の無効性・廃棄には言及していません。

 加藤典洋氏(文芸評論家)は、「この先にくる争点は、もはや対米従属からの脱却、これしかない」「いまや対米自立をはからなければ、こうなるほかないというのが、今回の強行採決の私たちへの教訓」(22日付琉球新報)と明快に指摘しながら、その対米従属の根源である日米軍事同盟には一言も触れていません。

 戦争法案の根源は日米軍事同盟です。日米軍事同盟=安保条約を存続させたままで、憲法9条を守ることができるのか、対米従属から脱却することができるのか。
 いまこそその議論が必要なのではないでしょうか。

 参院特別委で採決が強行された17日夜、国会前の抗議集会で、憲法学者の樋口陽一さんが怒りのマイクを握りました(写真右)。
 樋口さんは以前、亡くなった井上ひさしさん(写真中)と対談し、両氏は「日本国憲法のもとで日本が歩むべき道」についてこう述べました。

 井上さん「第二次世界大戦中さえ敵でも味方でもない、中立的立場を命がけで演じた国があった(井上さんが例にあげたのはスウェーデンとスペイン―引用者)というのは感動的ですし、日本国憲法のもとで武力を放棄している日本がこれから進むべき道を暗示してくれているように思えるんですが」
 樋口さん「冷戦の幕が閉じると同時に、国連はアメリカの一極支配になって当事者として動き始めた。そのため中立的な立場をとれる国がいなくなるのです。・・・そういう現実を前に、(安保理常任理事国と違って)これまで武器輸出もしなかったし、核兵器も持っていない日本が中立的な立場を堅持する道があるのではないか。いまの井上提案はそういう話ではないですか」
 井上さん日本国憲法を生きる、という意味ではそんな選択だってあり得るんではないかという気がします。社会がどう変わろうとも、人間と人間、あるいは国と国の戦いが止むことはないでしょう。そのとき、お互いの言い分を聞いてあげて、どっちが正しいとは絶対に言わずに、人間ってダメだな、不幸だなと言いながら、血が流れたら拭きましょう、ケガ人が出たら病院へ運びましょう、という役割を果たしていく国になれないものなのか」(1993年5月6日の対談、『「日本国憲法」を読み直す』より)

 日米軍事同盟=安保条約を廃棄し、どの国とも軍事同盟を結ばない、非同盟・中立の日本を思い描いてみましょう。それこそが 「日本国憲法を生きる」ことであり、日本とアジアと世界の平和へ向かって進む道ではないでしょうか。


たたかいの継続・発展へ・・・加藤周一さんの遺訓

2015年09月19日 | 戦争・安倍政権

   

 ついに戦争法が成立してしまいました。明白な憲法違反の法律が強行採決された点でも、集団的自衛権でアメリカの戦争に巻き込まれる点でも、国民の多数の反対を踏みにじった主権在民蹂躙の点でも、まさに歴史に残る暴挙です。

 同時にしかし、たたかいはこれからです。来年の参院選挙を1つのヤマ場に、戦争法案廃棄へ、さらには真の主権在民社会の実現へ向けた新たなたたかいが、今日から始まります。

  戦争法案が強行採決された前日の新聞(16日付中国新聞=共同)に、「9条の会」を立ち上げたメンバーの1人、沢地久枝さんの「平和守る遺志と歩む」と題した寄稿が載りました。
 この中で沢地さんは、「今、私たちに知恵と希望をもたらす」として、同じく「9条の会」の呼びかけ人だった加藤周一さん(2008年12月死去=写真)の「亡くなる1年前の言葉」を紹介しています。

<「長丁場であることを意識して運動をやる。長く活発にやる」。改憲しようという勢力の政治的方向は、「福祉の縮小、対外的な戦争の容認」であり相互に関連していることから目をそらさない。 「一緒にできるだけのことをしましょう。一緒にできることは限りなくたくさんあるのです」>

 加藤さんの言葉をもっとかみしめたくて、手もとの著書を繰り直しました。
 加藤さんは第1次安倍政権が今と同じく「集団的自衛権行使」を掲げて憲法9条改悪を図ろうとしていた2006年12月、都内の大学で講演し、こう述べました(『私にとっての二〇世紀』より)。

 「平和憲法を変えるということは・・・日本の軍備を強化する、それとともに米国との軍事同盟を強化するという二面があります。その結果として、海外派兵がもっとも強く出てくるだろうと思います。だから、非常に大きな政策の転換を意味します

  「軍隊を強化すれば、あるいは軍事同盟を強化すれば、それだけでも人権の制限がもっと強くなると思います。・・・戦争は必ず人権破壊の方向に進みます。破壊されるのは、日本の内部でもそうですが、海外派兵によって日本の外でもそういうことが起きると思うのです

 「戦争の方に向かうということは国民の洗脳を伴うのです。どう洗脳するかというと、人権の尊重を下げるということを必ず伴うのです

 加藤さんは、「憲法の精神」は平和主義(9条)と人権尊重(11条)が「二つの中心」だといいます。だからそれは切り離すことができない、切り離してはいけない、と。沢地さんが紹介した言葉に通じます。

 9条を守るたたかいは、誰が、どうすすめていくか。

 「戦争をしたくないという意志を通そうとすれば、どうすれば、それが可能か・・・それが『老人と学生の未来』の話なんです

 「老人」(会社を退職した層)と学生には共通点がある、と加藤さんはいいます。何ものにも縛られない「自由な精神」です。

 「私が提案したいのは、学生さんと老人とは結託すれば実に面白い事でもって、日本の社会は危機を脱することが出来ると思う
 「老人と学生の同盟、二つの自由な精神の共同・協力は、強力になりうるだろう

 他者(集団)の圧力の屈しないで、自分の頭で考え、自分の意思で行動する。そんな「自由な精神の共同・協力」を広げていきましょう。「老人と学生の同盟」から、子を持つお母さんたち、働くお父さんたち、高校生たちも含めた「同盟」へ。「一緒にできることは限りなくたくさんある」はずですから。


軍部(自衛隊)の暴走に拍車かける戦争法案

2015年09月17日 | 戦争・安倍政権

   

 安倍政権・自民党が戦争法案の強行採決を狙った16日、横浜で地方公聴会が行われましたが、与党推薦の公述人は、なんと海上自衛隊元海将(前呉地方総監)の伊藤俊幸氏(写真左)でした。

 伊藤氏が現在も自衛隊に所属しているかどうかは分かりませんが、少なくとも今春まで呉地方総監であったことは確かです。実質的に現役自衛隊幹部と変わりはありません。
 参院規則では公述人は「利害関係者及び学識経験者」(第67条)となっています。自衛隊幹部が戦争法案の「利害関係者」とは本音丸出し。国会質問で答弁に立つならともかく、自衛隊幹部が公聴会で公述するなど前代未聞です。
 最後の公聴会の公述人が海自(元)幹部だったことは、この法案の正体を象徴的に示しているのではないでしょうか

 戦争法案の国会審議と並走するように、「シビリアンコントロール」を無視した軍部(自衛隊)の暴走が相次いで露呈しています。

 「中国海軍対策などで日米が一体で運用していることが明らかになった最新型の潜水艦音響監視システム(SOSUS)について、防衛省海上幕僚監部が歴代防衛相(旧防衛庁長官を含む)を選別し、一部には何の説明もしていなかったことが15日、防衛省、海上自衛隊への取材で分かった」(15日共同配信)

 海幕は「日米安保体制の最高機密」(同)のシステムについて、「信頼できそうにない大臣、短命そうな大臣」には「存在すら説明していなかった」、説明した首相や防衛相も、「資料は回収された」(同)というのです。

 信じられない実態です。自衛隊法上、「直接指揮監督する」と規定されている防衛相に対し、軍部が人物を選別し、気に入らない大臣には重要システムの存在すら知らせないというのです。

 自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長(写真中)は昨年12月17、18日訪米し、米軍高官らに対し、「(安保関連法案は)与党の(総選挙)勝利により来年(2015年)夏までには終了すると考えている」「集団的自衛権の行使が可能となった場合は米軍と自衛隊との協力関係はより深化するものと考える」などと述べていた会議録が、日本共産党によって暴露されました(9月2日の参院特別委員会)

 河野統幕議長は、辺野古新基地について、「方針に変更はない。安倍政権は強力に推進するであろう」と米軍に言明し、オスプレイについても「不安全性をあおるのは一部の活動家だけである」などと述べていました。

 国会でまだ法案が審議もされていない段階で、さらには安倍首相がアメリカで言明するよりずっと以前の段階での、軍部同士の「約束」です。
 これについて河野議長は「ノーコメント」。中谷元・防衛相はその存在を否定しました。中谷防衛相も、そして参院でいま戦争法案強行の先兵を務めている自民党・佐藤正久特別委筆頭理事(写真右)も、自衛隊出身です。

 この国は、すでに表も裏も、文民統制どころか軍部統制が広く深く進行しているようです。しかしその実態は秘密保護法によって覆い隠されています。
 自衛隊と米軍の一体化(自衛隊の米軍従属化)を一気に強化する戦争法案が成立すれば、自衛隊の力が陰に陽にさらにいっそう強まるのは必至です。

 軍部(自衛隊)の独走・暴走に歯止めをかけるためにも、戦争法案は絶対に廃案(廃棄)にしなければなりません。


「国の意見聴取」は不要、翁長氏は直ちに「取り消し」を

2015年09月15日 | 沖縄・翁長知事

   

 「翁長知事はやっと辺野古埋立承認を取り消した」。14日のニュースでそう思った人は少なくないでしょう。しかし事実はそうではありません。
 翁長氏は「同日手続きを始め、沖縄防衛局に意見聴取を行う通知を届けた。意見聴取は28日に開き、内容を精査して10月中旬ごろに取り消す予定」(15日付琉球新報)。これから防衛局(国)の意見を聞き、取り消すとしてもさらに約1カ月先だというのです。

 菅官房長官は14日の記者会見でも「工事は続ける」と公言しており、10月はじめにも本工事開始との見方がでています。翁長氏がさらに「取り消し」を先送りしたこの「約1カ月」は致命的な時間になる恐れがあります。

 国からの「意見聴取」など必要ありません。県もこれまでそう言ってきたはずです。それをこの期に及んで覆し、政府にさらに埋立作業進行の時間を与えようするのはなぜなのか。きわめて不可解です。

 翁長氏は14日の会見でこう述べました。「国に対する承認の取り消しについては、行政手続法は適用されないと解されるが、今回の不利益処分については行政手続法の趣旨に鑑み、意見聴取を行うことが適当と判断した」(会見中継から)
 意味不明です。「行政手続法は適用されない」が「行政手続法の趣旨に鑑み」行う??いったいその「趣旨」とは何?翁長氏はそれについては一言も説明していません(質問しない記者団も記者団ですが)。
 翁長氏はまさに、「必要ないと解釈した意見聴取を行うとした」(本田博利元愛媛大教授、15日付琉球新報)のです。
 
 ことし3月、国による岩礁破砕で、県が防衛局に「作業停止」を指示したのに対し、防衛局は農水相に停止指示の執行停止を申し立てました。これに対し、県は「国」は「私人」ではなく、同じ政府内で申し立てを行うのは不当だと主張しました。そして3月27日、翁長知事名で国に「意見書」を提出しました。そこではこう述べています。

 「この申立制度(行政手続法にもとづく申立―引用者)は、国民に対して広く行政庁に対する不服申し立ての途を開くことを目的としており、国自体が不服申し立てを行うことが予定されていない。さらに法自体が、審査する立場にある国が、別の国の機関から申し立てを受けることを想定していないので、沖縄防衛局は申請人としての性質を持たない。・・・そもそも県の手続きに不服があるなら、地方自治法第245条の8にある、代執行で行うべきである」(3月28日付琉球新報)

 これこそが「行政手続法の趣旨」ではありませんか。そしてこの限りでは多くの専門家も支持する妥当な見解です。なのになぜ肝心なときにその主張を曲げ、「必要ない」とする「意見聴取(聴聞)」をあえて行い、時間を経過させようとするのでしょうか。

 翁長氏(県)が説明しない中、「司法や第三者(だれのこと?―引用者)が国を『私人』と認定した場合、県が意見聴取(聴聞)の手続きを怠ったとされる恐れがあり、聴聞に準じて『意見聴取』することを決めた」(15日付沖縄タイムス)という不可解な記事がありますが、司法がそれを問題にするなら、堂々と司法の場で争えばいいではありませんか。

 いずれにしても、最終的に裁判になることは避けられません。そうである以上、1日も早く司法の場でたたかうべきです。支持率低迷の安倍政権はそれを恐れています。県民・国民の反対世論はさらに大きくなるでしょう。
 時間が経過すればするほど、辺野古新基地阻止は不利になります。工事の既成事実化がすすみ、司法が「行政行為の瑕疵の治癒」(仲宗根勇・元裁判官、3月2日付琉球新報)を判断する危険性が大きくなるからです。

 繰り返しますが、これまでの県の主張に照らしても、多くの専門家の見解によっても、国からの「意見聴取」など必要ありません。翁長氏は一刻も早く、正式に、埋立承認を取り消さねばなりません。


翁長知事は戦争法案への賛否を明らかにせよ

2015年09月12日 | 沖縄・翁長知事

   

 「安保法案成立のメドが立つまでは、辺野古埋立承認の取り消しはしない」-そんな“密約”があったのではないか、と思わざるをえない展開です。

 翁長知事は「週明け」に承認取り消しを表明する意向だと報じられています。「週明け」とは、安倍政権が国会で安保法案(戦争法案)を採決・成立させようとしている、まさにその週のはじまりです。すでに地方公聴会の日程も決まり、参院での採決は17日か18日とみられています。戦争法案成立のメドは立った、と安倍政権は胸をなでおろしています。
 翁長氏の「承認取り消し」は、まさにそのタイミングで行われるのです。

 “密約”の確たる証拠は出ていませんが、明らかなのは、翁長氏が戦争法案に反対していないことです。
 県議会で見解を質問されても、自ら答弁することを避け、町田知事公室長に答弁させました。その答弁を聞く限り、「丁寧な説明」が必要だとは言うものの、法案自体には反対しない、いや事実上賛成しています。(6月27日付当ブログ参照http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20150627

 そしてもう1つ明らかなことは、この1カ月(計5回)の「集中協議」の中で、戦争法案についてはただの1回も触れられていないことです。

 翁長氏は自ら言葉で戦争法案への賛否を明らかにしないで責任を回避しているのです。この事態を放置することは許されません。

 13万人が国会を包囲した8月30日の全国行動に呼応して行われた「沖縄大行動」のスローガンは、「戦争法案廃案!辺野古新基地建設断念!安倍政権退陣!」でした。「戦争法案はよくよく見ていくと沖縄の歴史の問題と直接関係している」(高良鉄美集会実行委員長)のです。辺野古新基地反対と戦争法案反対は一体です。

 ところが、「辺野古新基地反対」の先頭に立っているはずの翁長氏が、戦争法案に反対しない、あるいは賛成とは、いったいどういうことでしょうか。
 「辺野古新基地反対」といいながら、なぜ戦争法案には反対しないのか。翁長氏は見解を明確にしなければなりません。

 仮に安倍政権が戦争法案を強行したとしても、もちろん国民のたたかいは終わるわけではありません。次は成立した戦争法を廃止するたたかいであり、その重要な機会の1つが来年の参院選です。
 日本共産党や社民党、社大党などの県政与党と労働団体などでつくる参院選候補者選考委員会は、先に「基本政策」を発表しました。その第1番に、「安保法案の廃案(廃棄)を目指す」(8月22日付琉球新報)と明記しています。

 翁長氏は県政与党の「戦争法案廃案(廃棄)」の参院政策に賛成なのか反対なのか、明確にしなければなりません。
 また、県政与党が引き続き翁長氏を先頭に「オール沖縄」で参院選をたたかうというなら、翁長氏にはっきりと戦争法案反対(廃棄)の立場に立たせる必要があります。それが県民・有権者に対する責任ではないでしょうか。

 翁長氏が14日に「承認取り消し」を表明したとしても、「移設阻止のために有益に使うことのできた一カ月を無駄にした」(ピーター・カズニック氏、11日付沖縄タイムス)責任は免れません。そしてその一カ月こそは、支持率低下で窮地に陥っていた安倍政権が戦争法案強行のメドをつけた1カ月だったのです。

  辺野古新基地阻止と戦争法(案)廃止を一体でたたかっていくために、戦争法(案)に対する翁長氏の賛否・見解を県民・国民の前に明らかにすることが急務です。


「難民問題」と日本の戦後と戦争法案

2015年09月10日 | 戦争・安倍政権

   

 数十万のシリア難民が欧州に移動している問題を、私たち日本人が「対岸の火事」と傍観することは許されません。

①あまりにも少ない日本の難民認定(受け入れ)

 ドイツが今年1月から8月末までに41万人余の難民を受け入れているのに対し、日本は昨年5000件の難民申請に対し認定はわずかに11件。シリア難民は60件の申請で認定はたった3件にすぎません。難民支援に背を向ける日本政府の姿勢・政策を転換させることが急務です。
 しかし「難民受け入れ」は、けっして「国際貢献」などという上から目線の課題ではありません。われわれ日本人自身の問題です。なぜか。

②ドイツはなぜ大量の難民を受け入れるのか―日本とドイツの違いの根源

 「難民問題」に対する日本の姿勢を自己点検するために、ドイツがなぜ大量の難民を受け入れているかを知ることは重要です。
 ドイツが難民を受け入れるのは、それが憲法(基本法、1949年制定)に明記された原則だからです。
 ドイツ憲法は「政治的に迫害される者は、庇護権を享有する」(第16条第2項)と明記しています。難民救済はこの憲法の規定に基づいて行なわれているのです。
 ではなぜこうした原則がドイツ憲法に盛り込まれることになったのか。

 「ナチスによるユダヤ人迫害のため、何十万というユダヤ人が難民化したことを悔いて、戦後のドイツ人が、このような憲法原則を定めた」、あるいは「憲法制定会議に集まった議員たちの多くが、ナチスの支配を逃れて自ら難民としてフランス、イギリスなどの保護をうけた経験をもち、その恩恵のお返しとして、難民保護を憲法上に定めよう、と訴えた」(本間浩氏『難民問題とは何か』)。ドイツの難民支援の根底には、ナチスによる戦争の「加害責任」あるいは「被害体験」の自覚があるのです。

 それはドイツがどういう形で戦後を迎えたかという問題と関連しています。先の大戦の「戦争犯罪」を裁いたのは、ドイツのニュルンベルク裁判と日本の東京裁判です。同じ敗戦国の裁判でありながら、両者には大きな違いがありました。

 「ニュルンベルク裁判がナチスの、自国民を含むユダヤ人に対する非人道的行為を犯罪として処罰したことと同じ文脈で考えれば、日本が当時自国民であった植民地の人々にたいして犯した非人道的行為をも『人道にたいする罪』として処罰すべきであった。しかし東京裁判はそれを回避した」(荒井信一氏『戦争責任論』)

 「人道に対する罪」を裁いたニュルンベルク裁判と違って、東京裁判はそれをまったく追及しなかったのです。これは昭和天皇や岸信介らの戦争責任を免罪したことと並ぶ東京裁判の大きな欠陥です。
 ドイツと違って「人道に対する罪」を裁かないまま今日に至っていることが、日本政府の、そして私たち日本国民の、難民に対する傍観者的姿勢の根底にあるといえるのではないでしょうか。

③日本人がいまなすべき最大の「難民支援」は、戦争法案の阻止

 そんな日本でも、紛争地で難民支援に身を賭して奮闘している日本人は少なくありません。緒方貞子さん(元国連難民高等弁務官)もその1人です。緒方さんはかつて、「難民つくらぬ世界へ」と題した講演(1995年5月)で、「何を日本に期待するか」として、こう述べました。

 「ルワンダ難民のいるザイールのゴマのキャンプに自衛隊が派遣されました。・・・三カ月の間、医療、給水、衛生、火山の観測をしていただきました。現地の人たちには、感銘を与え・・・非常に評価されました」「平和国家として五〇年生きてきた日本人が、人道問題で活動できないわけはないと思うのです」(『難民をつくらぬ世界へ』)

 平和憲法にもとづく「人道活動」こそ、日本に求められている難民救済の国際活動だというのです。紛争地域で評価・歓迎されているそうした平和・人道活動を放棄し、武器を手に国際紛争に軍事介入する国になろうとしているのが、安倍政権の戦争(安保)法案にほかなりません。難民を生み出している元凶であるアメリカの目下の「同盟軍」として。
 戦争法案を絶対に阻止すること。それがいま私たち日本人ができる、しなければならない最大の「難民支援」ではないでしょうか。

 「21世紀へ向けての難民問題は、世界の人道問題であり、さらに世界の政治・安全保障につながる大問題です。こうした人道問題を日本の方々が内外一体化させて、難民問題を取っかかりにして、世界的な協力態勢というものを、これから真に打ち立てていただきたい。それが、日夜、世界的な難民問題に対応している私の心からのお願いでございます」(緒方さん、前出)


これ以上翁長知事の“逃亡”を許してはならない

2015年09月08日 | 沖縄・翁長知事

   

 「終わってみれば、安保法制、原発再稼働、戦後70年談話などの重要課題を一つずつ処理していく時間稼ぎのために辺野古を利用したとしか思えない内容である」(8日付沖縄タイムス社説)

 7日“決裂”した安倍政権と翁長知事の「1カ月集中協議」の総括です。この通りです。そしてこうなることは目に見えていました。いまさら、という論説ですが、驚いたのはその「集中協議」に対する翁長氏のコメントです。
 7日の「協議」後の記者会見で、「集中協議」の評価を聞かれた翁長氏はこう答えました。
 「それは良かったんじゃないか。一致できないところもよく分かった。言葉だけの話というのもよく分かったし。その意味から言うと、いい意味でも悪い意味でも、話し合いをしたということは良かったと思う」(8日付琉球新報「一問一答」)

 「1カ月集中協議」なるものの実態が今や天下周知となったにもかかわらず、「良かった」とは・・・。開いた口がふさがりません。安倍首相の戦略にすすんで乗り、「政権、危機回避に成功」(佐藤学沖国大教授、8日付沖縄タイムス)に手を貸した自らの政治責任にほうかむりするものと言わねばなりません。

 さらに驚くべきは、「知事としては工事が再開されれば埋め立て承認を取り消す」のかという質問に対する翁長氏の答えです。
 「だからみんなすぐそれを聞くが、間違いなく私は沖縄県民の意思を体して、そしてまたこの第三者委員会、最大限尊重するということで今日まで来ているので、あらゆる手段を使って阻止させていただくということでご理解をいただきたいと思う」(同琉球新報)

 この期に及んでまだ「取り消し」を明言しない。「最大限尊重」「あらゆる手段」・・・そんな虚言をいつまで聞かせるつもりでしょうか。
 安倍政権にここまでコケにされながら、なお「取り消し」を明言しないのは、“敵前逃亡”に等しいと言わねばなりません。翁長氏は「取り消し」の即時言明を求める県内外の世論からいつまで逃げるつもりでしょうか。

 翁長氏の新たな“逃げ道”づくりとして見過ごせないのが、「県民投票」と「県知事選」です。
 「関係者によると県民投票は早ければ11月ごろの実施が検討されている。ただ条例制定が必要となるとして、来年以降にずれ込むとの見立てもある」(8日付琉球新報)
 「県民投票は新基地建設阻止という知事の重要政策について『信を問う』性質もあり、県民投票が近づいてから取り消すべきだとの意見もある」(同琉球新報)

 「県民投票」を口実に、来年まで「取り消し」を引き延ばすことまで検討されているというのです。冗談ではありません。
 そもそも「県民投票」など必要ありません。「沖縄県民の83%が辺野古移設反対です」。これは「島ぐるみ会議」などが全国の新聞に掲載した意見広告です。これまでの世論調査や各種選挙で、民意はもうこれ以上ないほど明白なのです。その民意に立って、これまでたたかいを進めてきたのではありませんか。今は民意を確かめる段階ではなく、その民意通り、翁長氏に埋め立て承認撤回・取り消しを実行させる段階です。時計の針を逆に回させてはなりません。

 さらに悪質なのが、「県民投票に併せて翁長知事が辞職し・・・自身の政治手法に対する信任を問うため、知事選を実施する案も浮上している」(同琉球新報)ことです。
 知事就任から10カ月。メッキは剥げかけ、翁長氏に対する批判の声が徐々に表面化してきています。そこでこの際、もう一度知事選をやって、批判の声をかき消そう、これまでのすべてを「信任を得た」ということにしよう、どうせ対立候補など立てられるはずがない、共産党や社民党を含め「オール沖縄」が支持することは間違いない、選挙結果は火を見るより明らかだ・・・そんな思惑が透けて見えます。

 翁長氏のあれやこれやの時間稼ぎ、棚上げ、責任回避、公約不履行、県民世論懐柔を、もうこれ以上許してはなりません。