翁長沖縄県知事が国連のスピーチ(21日)で「辺野古埋立承認取り消し」に一言も触れないばかりか、本体工事が強行されることを示唆する発言を行ったことは、「重大な疑問」だと指摘しましたが(24日当ブログ)、その懸念がこんなに早く、しかもあきれた形で現実になろとは思いませんでした。
28日の記者会見で翁長氏は、これまでの方針(防衛局からの「意見聴取」)を百八十度転換して政府・沖縄防衛局から「聴聞」を行うことにし、「承認取り消し」は早くて「来月中旬以降」に先延ばしすることを表明しました。安倍政権へのさらなる譲歩、いや屈服であり、新基地建設に反対する県民・国民への明白な背信行為だと言わねばなりません。(写真左は琉球新報動画より)
「意見聴取」と「聴聞」には大きな違いがあります。「聴聞」は、県が国(防衛局)を行政手続法上、「審査請求・不服申し立て」ができる「私人」と同様に扱うことを意味します。そうなれば3月の岩礁破砕の時と同じように、たとえ「承認取り消し」がされても、政府(防衛局)が政府(今回は国交相)に「不服申し立て」を行い、都合のいい「回答」を引き出して「取り消し」を無効にする、というのが安倍政権の戦略です。翁長氏はそれに自ら乗ってしまったのです。「政府は、取り消し後に不服を申し立てられる『私人』の立場に、県の“お墨付き”を得たと歓迎している」(29日付沖縄タイムス)のはそのためです。
政府の辺野古埋立申請が「私人」としての行為などでないことは明白です。行政法の専門家も、「国による埋立申請は国固有の資格で行われたものであり、私人の資格で行われたものではない。・・・軍事基地建設のために私人が埋立を申請することなどあり得ない。・・・防衛局は国交大臣に対して審査請求や執行停止申し立てをすることはできない」(武田真一郎成蹊大教授、23日付沖縄タイムス)と明確に指摘しています。
翁長氏自身、これまで「法自体が、審査する立場にある国が、別の国の機関から申し立てをうけることを想定していないので、沖縄防衛局は申請人としての性質を持たない」(3月27日付「知事コメント」)と言ってきました。それをなぜこの期に及んで転換したのか。
28日の記者会見で、翁長氏に代わって竹下顧問弁護士は、「行政手続法の適用除外という認識は撤回しないが、手続き的なところでこれ以上もめるよりは、実体的な中身で問題を判断してもらうべきだと考えた」と答えました(29日付琉球新報「一問一答」)。「認識は撤回しない」といいながら、政府に口実を与える。これは「あらゆる手段で阻止する考えは変わらない」と言いながら何一つ有効な手段はとらないで工事の既成事実をすすめるのと同じ、翁長氏の一貫した手法です。
「聴聞の手続きを踏んでいないことを瑕疵と指摘され、門前払いとなる事態を避けることを重視した」(29日付沖縄タイムス)との論評もありますが、これもはまったく理屈に合いません。行政手続法の「審査請求・不服申し立て」によって、「取り消し」の是非を裁判にかけることを避け「門前払い」しようとしているのが安倍政権です。今回の翁長氏の方針転換はその「門前払い」に口実を与えるものであり、けっしてその逆ではありません。
同日の記者会見で見過ごせないのは、聴聞(10月7日)までに政府が本体工事に着手した場合でも取り消しは行わないのか、との質問に翁長氏がこう答えたことです。
「政治的な判断では横目でにらみながら、今日までのいきさつの中で判断する」
聴聞の時間稼ぎの間に本体工事を強行されても、「取り消し」を実行するとは言わないのです。これは本体工事強行の事実上の黙認にほかなりません。
会見で記者から「県民から(翁長氏に対する)疑心暗鬼の気持ちが出ると思う」と言われた翁長氏はこう答えました。「信頼関係から心配されているとは思っていない」。
自分が何をやっても、県民は「信頼関係」があるから疑うことはない、自分について来るというです。なんという傲慢・不遜でしょう。「翁長支持」の県民もメディアも、足元を見られているのです。
写真家の石川文洋さんは翁長氏に対し、「すぐに取り消して徹底的に闘うという姿勢を全国に示さなくてはいけない」「裁判に期待するのではなく、運動を盛り上げて解決することを目指すべきだ」(29日付琉球新報)と指摘しています。
その通りです。翁長氏が安倍政権と秘密協議(議事録もない)を続けた(これからも続ける)のも、突然方針転換をして政府の土俵に乗るのも、すべて、翁長氏が県民・国民の側に立って安倍政権と正面から闘う意思がないことに根源があります。
翁長氏が知事就任後、1度も辺野古の現場に足を運んでいないことも、けっして無関係ではありません。