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国民スポーツ大会(国スポ、旧国民体育大会)の廃止を含む見直し論が強まっています。
村井嘉浩全国知事会会長(宮城県知事)が「廃止も一つの考え方」(8日)と口火を切って以降、各県知事が見直しの必要性を表明しています。
見直し論の主な論拠は、「経費は何百億円という単位」(平井伸治鳥取県知事)という財政負担の重さです。村井氏は近く知事会としての提言をまとめる意向を示しています。
国スポは廃止すべきです。ただしその理由は、財政問題よりむしろ、見直し論者が全く触れていない国民体育大会の歴史的役割のためです。それは、国体が象徴天皇制を定着させる上で大きな役割を果たしてきた、今も果たしている、ということです。
国体の前身は、戦前の天皇制政府による明治神宮国民体育大会です。それが敗戦後国民体育大会と名を変え、1946年、「戦後復興・再建の士気高揚もかねて」(坂本孝治郎著『象徴天皇がやって来る 戦後巡幸・国民体育大会・護国神社』平凡社1988年)、第1回大会が京都市を中心に近畿地方一円で開催されました。
翌47年、第2回大会(石川県)の開会式(10月30日)に天皇裕仁が初めて出席しました。
「開会式では、2万人の観衆によってGHQ占領下で禁止されていた「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱が行われた」(坂上康博著『昭和天皇とスポーツ』吉川弘文館2016年)のです。
48年の第3回大会で天皇杯・皇后杯が「下賜」され、49年の第4回大会から天皇・皇后が開会式に出席することが恒例化され今日に至っています(写真左は第4回大会の天皇裕仁と良子皇后、写真中は昨年の鹿児島国体の天皇徳仁と雅子皇后)。
こうした国体と天皇の関係は何を意味しているでしょうか。
「この元来非政治的なスポーツ・イヴェント(国体)は、「国民統合の象徴」という象徴天皇制の正統性を周期的に客観化する、重要な制度的イヴェントの位置を占めるようになった」
「1950年以後、春の全国植樹祭、秋の国民体育大会と、地方で催される儀式やイヴェントに、<両陛下お揃いで>出席する形式が制度化され展開されてゆく。…また各宮殿下の担ぎ出しも各競技団体が試みることとなり、ここに国民体育大会は、言わば皇族の降臨する庭として、また、象徴天皇を推戴するする儀式としての性格を一方で濃厚に帯び始めることになった」(坂本孝治郎氏、前掲書)
近年、自衛隊が国体への関りを強め、自衛隊の広告塔であるブルー・インパルスが、2014年の長崎大会に続いて昨年の鹿児島大会でも開会式に飛行しました(写真右)。
「見直し」論が今後どう展開するかは分かりませんが、上記のような天皇制との密接な関係にある国スポは廃止すべきです。そして市民のスポーツの権利を保障する施策を検討すべきです。
その結果、なんらかの新たなスポーツ大会が行われるとしても、その開会式には天皇・皇后は出席させない、天皇杯・皇后杯もない、天皇制との関りを一切もたない真に市民のスポーツ大会にする必要があります。