アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「国スポ見直し」論の盲点・天皇制との密接な関係

2024年04月22日 | 天皇制と政治・社会
   

 国民スポーツ大会(国スポ、旧国民体育大会)の廃止を含む見直し論が強まっています。
 村井嘉浩全国知事会会長(宮城県知事)が「廃止も一つの考え方」(8日)と口火を切って以降、各県知事が見直しの必要性を表明しています。

 見直し論の主な論拠は、「経費は何百億円という単位」(平井伸治鳥取県知事)という財政負担の重さです。村井氏は近く知事会としての提言をまとめる意向を示しています。

 国スポは廃止すべきです。ただしその理由は、財政問題よりむしろ、見直し論者が全く触れていない国民体育大会の歴史的役割のためです。それは、国体が象徴天皇制を定着させる上で大きな役割を果たしてきた、今も果たしている、ということです。

 国体の前身は、戦前の天皇制政府による明治神宮国民体育大会です。それが敗戦後国民体育大会と名を変え、1946年、「戦後復興・再建の士気高揚もかねて」(坂本孝治郎著『象徴天皇がやって来る 戦後巡幸・国民体育大会・護国神社』平凡社1988年)、第1回大会が京都市を中心に近畿地方一円で開催されました。

 翌47年、第2回大会(石川県)の開会式(10月30日)に天皇裕仁が初めて出席しました。

「開会式では、2万人の観衆によってGHQ占領下で禁止されていた「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱が行われた」(坂上康博著『昭和天皇とスポーツ』吉川弘文館2016年)のです。

 48年の第3回大会で天皇杯・皇后杯が「下賜」され、49年の第4回大会から天皇・皇后が開会式に出席することが恒例化され今日に至っています(写真左は第4回大会の天皇裕仁と良子皇后、写真中は昨年の鹿児島国体の天皇徳仁と雅子皇后)。

 こうした国体と天皇の関係は何を意味しているでしょうか。

「この元来非政治的なスポーツ・イヴェント(国体)は、「国民統合の象徴」という象徴天皇制の正統性を周期的に客観化する、重要な制度的イヴェントの位置を占めるようになった」
「1950年以後、春の全国植樹祭、秋の国民体育大会と、地方で催される儀式やイヴェントに、<両陛下お揃いで>出席する形式が制度化され展開されてゆく。…また各宮殿下の担ぎ出しも各競技団体が試みることとなり、ここに国民体育大会は、言わば皇族の降臨する庭として、また、象徴天皇を推戴するする儀式としての性格を一方で濃厚に帯び始めることになった」(坂本孝治郎氏、前掲書)

 近年、自衛隊が国体への関りを強め、自衛隊の広告塔であるブルー・インパルスが、2014年の長崎大会に続いて昨年の鹿児島大会でも開会式に飛行しました(写真右)。

 「見直し」論が今後どう展開するかは分かりませんが、上記のような天皇制との密接な関係にある国スポは廃止すべきです。そして市民のスポーツの権利を保障する施策を検討すべきです。
 その結果、なんらかの新たなスポーツ大会が行われるとしても、その開会式には天皇・皇后は出席させない、天皇杯・皇后杯もない、天皇制との関りを一切もたない真に市民のスポーツ大会にする必要があります。

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「安倍元首相が元号案を事前伝達」は何が問題か

2024年03月26日 | 天皇制と政治・社会
   

 共同通信は24日付で、安倍晋三元首相が元号(「令和」)を閣議決定する前に徳仁皇太子(現天皇)に6つの案を提示し、「令和に力点を置いて説明していたことが分かった」と報じました。京都新聞はこれを1面と5面(解説)で掲載しました。

 記事の内容はほとんど当時(2019年3月)報じられていたことで、このブログでも問題点を考察しました(2019年4月1日、3日のブログ参照)。今回の記事は共同通信の情報公開請求などによってそれが裏付けられたものです。見過ごすことができない重大な問題がいくつもあります。

 第1に、天皇・皇太子への政治報告は明確な憲法違反です。

 記事は安倍氏が19年3月29日に皇太子に会って「元号6案」を示したことを取り上げていますが、実は安倍氏は皇太子に先立って明仁天皇(当時)にも会って元号案を事前説明しています(写真左)。

 共同記事によれば、この日首相官邸では「(元号)検討状況の報告ならば、天皇の政治的関与を禁じた憲法に抵触しない」との認識を共有したといいますが、それは政府の勝手な解釈です。

 首相が天皇に政治報告することを「内奏」といいます。「内奏は戦前以来、天皇の政治行為の重要な要素を構成しており、戦後象徴天皇制においても内奏が残ったことは、長期にわたる保守政権下、昭和天皇の政治力を残存させることにな(った)」(後藤致人愛知学院大教授著『内奏―天皇と政治の近現代』中公新書、2010年)のです。
 それは裕仁から明仁、そして現在の徳仁天皇まで継続されています。

 「内奏」の内容は完全非公開です。この場で天皇と首相の間でどうような会話・協議がなされたのか、なされるのか、メディアも主権者「国民」も全く知らされません。天皇の政治関与を禁じた憲法第4条1項に明確に違反する日本の政治・国家体制の闇です。

 今回の場合、皇太子は間もなく天皇に即位することが確定しており、皇太子への説明も「内奏」と同じ問題を有します(写真中)。

 第2に、安倍氏の元号事前説明は、ウルトラ右翼・日本会議の圧力によるものだったということです。

 当時も、「『一世一元』制を重視する保守層は、5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される前の新元号公表を懸念しており、首相はこうした声に配慮した」(2019年3月28日付産経新聞、写真右)と報じられていました。

 今回、記事は「日本会議は「遺憾の意」を示す見解を公表。…新元号公布に当たり皇太子さまへの報告を強く要望した」として圧力をかけたのが日本会議だったと断じています。

 安倍氏の悪政はあらゆる分野に及びましたが、その背後に日本会議の存在があったことが、今回のことで改めて明らかになったといえます。

 第3に、安倍氏が首相は「天皇の臣」だと明言・誇示していることです。

 記事によれば、死去後に刊行された『安倍晋三回顧録』で安倍氏は、「(日本会議らの)反発を収めるため保守議員や神社本庁を回り「大切なのは天皇の臣である首相が天皇陛下や皇太子さまの元に行き、元号についてお伺いを立てることだ」と説得したと述懐」しています。

 首相が「天皇の臣」であり「お伺いを立てる」とはまさに大日本帝国憲法の思想・規定に他なりません。「内奏」とともに、ここに現代日本の政治・国家体制・「象徴」天皇制の実態が表れています(ちなみに吉田茂が「臣・茂」、中曽根康弘も「臣・康弘」と自ら称していました)。

 日本は大日本帝国憲法の天皇制から本質的に変わっていないのです。それが目につかないのは、密室・水面下に隠されていることと、メディアが天皇制タブーや自らの天皇制賛美によってそれを暴露・追及する意思も力もないからに他なりません。

 そもそも「元号」自体が天皇制の下で「国民」を統治するためのツールであることも含め、今回その一端が露呈した天皇と政治権力の関係を徹底追及しなければなりません。

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「災害弱者」に必要な「やさしい日本語」と“元号の壁”

2024年01月24日 | 天皇制と政治・社会
  

 21日のNHKスペシャル「能登半島地震 いのちの危機どう防ぐ」で、高齢者、子ども、障害者とともに「災害弱者」として取り上げられたのが日本に住む外国人でした。

 日系ブラジル人のタチバナさんは地震当日の警報から聴き取れた日本語は「ツナミ」だけだったといいます。外国人に必要な情報が伝わらない「言葉の壁」です。

「能登町の小木中学校にはベトナムやインドネシアの技能実習生約100人が避難していたが、英語や日本語で会話ができず言葉の壁があった。インターネットが不通で翻訳機能も使えない。…ITに頼らない手段が必要と実感した」(20日付京都新聞夕刊=共同)

 災害時に外国人に必要な情報が届かない「言葉の壁」はもちろん今に始まったことではありません。それが広く認識されたのは阪神大震災(1995年)で、それをきっかけに「やさしい日本語」の普及が図られるようになりました。

 22日付琉球新報に「愛媛新聞提供」の<広がる「やさしい日本語」>という記事が載りました。「やさしい日本語」とは、普段使っている日本語を簡単で分かりやすい言い方に直して使う取り組みです。
 たとえば、「地震」は「地面が揺れる」、「大雨」は「たくさん雨が降る」、「避難所」は「災害が起きたときに逃げるところ」(同記事より)という具合です。

 記事は能登半島地震を意識して掲載されたものではないようですが、タイムリーで有用な記事です。「やさしい日本語」は災害時だけでなく、外国人との共生が必須となっている日常社会に不可欠です。

 しかし、この記事には重要な問題が欠落しています。それは、「言葉の壁」の典型の1つで「やさしい日本語」への言い換えが必須の「日本語」について(故意かどうか)一言も触れられていないことです。それは「元号」です。

 「元号」はいうまでもなく天皇制を支える日本独特のもので、外国人には不可解きわまりなく、日常の行政情報や役所手続きなどで外国人を悩ませています。もちろんその不便さは外国人だけではありません。
 私は以前の居住地(広島県福山市)で「日本語学級」の講習を受けたとき、「やさしい日本語」として「元号」を西暦に言い換える必要性を教わりました。

 役所や企業の文書では「元号」が当たり前のように使われていますが、その使用はけっして法的義務ではありません。政府(国家権力)が使用を推奨(指導)しているだけです。

 「西暦表記を求める会」という市民グループがこのほど「元号レッドカード」を作ったという記事がありました(2023年11月27日付東京新聞。写真)。役所などで元号での記入を求められた時にこのカードを見せるのです。

「表は「私は西暦で記入します」という宣言。公的機関から元号を使うよう言われても、ただの「お願い」だと説いている。裏は元号表記を巡る不可思議を列挙。年の途中でも改元で変わる。国外向け文書には使わない。日本で暮らす外国人が増えている中で必要か―などだ」(同記事)

 同会の石田嘉幸事務局長(写真右)は、「改元のたびにリセットされては暦の連続性がない。元号で未来の年を記しても、存在しない年になることもある。あまりに不合理だ。カードを通じ、これからの社会の年表記を考える対話を生みたい」と述べています(同記事)。

 「言葉の壁」で外国人を「災害弱者」にしないためにも、外国人との共生が必要な日常生活のためにも、そして差別社会の元凶である天皇制を廃止するためにも、元号は廃止する必要があります。

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「文化・芸能人」の顔はどっちを向いているのか―叙勲・園遊会

2023年11月04日 | 天皇制と政治・社会
   

 毎年春と秋に行われる叙勲・褒章と園遊会は、象徴天皇制を支える今日の皇民化政策だと先日書きました(10月20日のブログ参照)。それを証明するような受章者や招待者のコメントが今回も見られました(以下敬称略)。

東野圭吾(作家)(紫綬褒章) 「これまでにおまえが辿ってきた道は間違っていない、という励ましと受け取らせていただきます」(2日付地方各紙=共同配信)

久石譲(作曲家)(旭日小綬章) 「名誉ある勲章を受章いたしました。心から感謝します」「私にとって、大きな励ましです」(3日付共同配信)

三浦友和(俳優)(旭日小綬章) 「大変光栄に存じます。古希を過ぎ、これから俳優としてどう生きるか迷いのある中、励ましの光をいただいた気持ちです」(3日付共同配信)

松任谷由実(シンガーソングライター)(2日の園遊会で天皇に声を掛けられ)「いま締めくくりのツアーの最中でして、身を挺して喜んでいただけるよう頑張りたいと思っております」(3日のNHK ニュース=写真左)

加藤一二三(将棋棋士)、西川きよし(漫才師)(園遊会で天皇・皇后と歓談)

 これらの「文化・芸能人」に共通しているのは、勲章・褒章の受章あるいは天皇主催の園遊会に招かれたことを「名誉」とし、それによってこれまでの歩みの「正しさ」を確信し、今後の「励みに」したいと述べていることです。

 すなわち彼・彼女らにとっては、天皇を頂点とする国家に褒められることが仕事の評価基準なのです。それでいいのでしょうか。
 文化・芸能・芸術はいったい誰のものなのか。庶民・民衆のものではないのか。彼・彼女らはいったい誰に顔を向けて仕事をしているのか。根本的な違和感と不信を禁じ得ません。

 日本は国家(時の政権)に異議申し立てをすることが少ない「国民性」だと言われますが、その大きな原因は勲章・褒章、園遊会招待などを通じて全国津々浦々、あらゆる職業・階層に天皇制の網がかけられていることにあると、あらため痛感します。

 ところで、2日の園遊会の記事に興味深い記述がありました。
「新型コロナ対策として…皇室の方々が歩く道筋に並ぶ人々にはマスクの着用に協力を求めた」(2日付朝日新聞デジタル)

 「協力を求めた」といっても断ることができないのは自明です。マスクを着けるか否かは個人の自由です。にもかかわらず、皇族が歩く道筋に並ぶ者には事実上強制的にマスクを着けさせたのです。それは皇族を特権階級と扱う身分差別にほかなりません。

 日本は天皇・皇族を頂点とする階層社会であり、園遊会とはその天皇・皇族の権威を可視化させる場に他ならないことが図らずも露呈したと言えるでしょう。

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褒章・勲章と園遊会―巧妙に天皇制の網

2023年10月20日 | 天皇制と政治・社会
   

 谷村新司さんの死去(8日)には驚きました。青春時代から今日まで数々の名曲が身近にありました。また一つの時代が終わった、という感慨の中で、「谷村、お前もか」という思いにかられることがありました。彼も紫綬褒章を受章していた(2015年)というテロップが流れたのです。

 紫綬褒章は6つの褒章の1つ。綬(ひも)の色によって、他に紅綬、緑綬、黄綬、藍綬、紺綬があります。
 褒章は勲章制度の一種です。近代勲章制度は1875年、明治天皇の詔勅によって始まりました。「勲章はその創設期から、国家にとって功績のあった人間を国家が選び、天皇が与えるもの、いいかえれば「大日本帝国」の統治者・天皇を守る人々をつくるためのものであった」(栗原俊雄著『勲章 知られざる素顔』岩波新書2011年)のです。

 その本質は今日も変わっていません。政府の「栄典制度の在り方に関する懇談会報告書」(2001年)は、勲章制度は「天皇と国民を結ぶ役割を果たしている」と明記しています(写真左は天皇に謁見する褒章受章者ら)。

 文化・スポーツ・芸能分野の著名人には広く紫綬褒章が与えられています。日頃は「民主的」なことを言っていても、自分が褒章・勲章を受けるとなれば態度が一変する例は珍しくありません。

 たとえば、2022年春に紫綬褒章を受けた作家の島田雅彦氏は、「これまでの私の態度に対する励ましだと、ありがたく受け止めたい」「褒章をもらうことで『私は怪しい者ではない』と証明することになるのではないか」(28日付沖縄タイムス=共同)と喜々として語っています。

 褒章・勲章と並んで文化・スポーツ・芸能人を天皇制に取り込む年中行事が、春と秋に皇居で行われる園遊会です。

 その年活躍した選手やタレントたちが一列に並び、天皇を先頭にやってくる皇族の面々を待ち受け言葉を交わす(謁見する)。相も変わらぬ光景ですが、メディアによって毎回確実に全国に流されます。

 宮内庁は18日、11月2日に行われる「秋の園遊会」の「招待者」を発表しました。シンガーソングライターの松任谷由実氏、将棋の加藤一二三氏ら約1400人です。京都新聞(19日付)には「京滋の招待者名簿」が載っていますが、京都新聞社社長主筆も含まれています。

 園遊会の前身は、明治政府が始めた「観菊会」(第1回は1880年11月18日)と「観桜会」(同1881年4月26日)です。発案者は井上馨(外務卿)。「井上は、天皇皇后が出御し立食パーティーを行う観菊会・観桜会…に外交官を招待することを企図した」(西川誠著『明治天皇の大日本帝国』講談社学術文庫2018年)。条約改正のために天皇の権威を高めることを狙ったのです。

 戦争で中断した観菊会・観桜会が園遊会として復活したのは1953年11月。「日本再軍備以降の天皇(制)利用は、1953年のイギリスのエリザベス女王の戴冠式に皇太子(明仁現上皇―私)を送ることから始まった」(牛島秀彦著『昭和天皇と日本人』河出文庫1989年)。その年に始まったのが園遊会です。

 褒章・勲章と園遊会は、国家権力が著名人たちを、そして彼らを通じて「国民」全体を天皇制に取り込み、支配強化を図るための2大アイテムです。

 明治憲法下と違い戦後の憲法下では天皇が公然と君臨する姿は表面化しませんが、国家権力はメディアを操りながら、巧妙に全国津々浦々に天皇制の網をかけています。それが日本の差別体制を下支えし、“お上にたてつかない”「国民」を作り出していることを銘記しなければなりません。


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手話と皇族―メディアが触れない歴史

2023年09月26日 | 天皇制と政治・社会
   

 聴覚障がい者を描いたテレビドラマが盛んです。民放の「silent」が評判になりましたが、目立つのはNHKです。BSで好評だった「しずかちゃんとパパ」(吉岡里帆主演、写真左)の地上波放送が先日終了しました。冬には「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」(草彅剛主演)が始まります。
 ドラマが聴覚障がい者への理解を深める契機になればいいことです。「しずかちゃん―」は秀作で感動しました。

 しかし、ブームともいえるこの傾向を、手放しで歓迎することができません。2つ気になることがあります。

 1つは、日本の手話の重要な歴史が捨象されていることです。それは、国家が国民を戦争へ動員するため「国語」の普及が図られ、「国語」ではない手話が禁止された歴史です。

 日本に最初のろう学校(京都)ができたのは1878年。以来、全国のろう学校で手話による職業教育が行われてきました。しかし1933年(「満州事変」の2年後)、文部大臣は手話を禁じ、「口話」を教えるよう指示しました。

 全日本ろうあ連盟の久松三二(みつじ)事務局長は、「当時は手話を使うと手をたたかれる体罰もあった。手話は、ろうの親子や子どもたちの間でひっそりと受け継がれていった」と振り返ります。そしてこう指摘します。

日本語を「国語」と呼ぶことで、多言語、多文化、多民族への理解に壁をつくってしまった。日本では欧米と比べても「国語」以外の言語へのアレルギーが強く、アイヌや琉球の言葉が保護されてこなかったように、手話も長らく言語だと思われてこなかった

 ろう者が手話を公に取り戻したのは90年代になってからです。(以上の歴史は2021年10月31日付朝日新聞デジタルより)

 「しずかちゃん―」の中でも、「パパ」が小さいころ「手話が禁止されていた」という回想場面がありました(総合8月22日放送)。しかし、それが国家権力による戦争遂行政策の一環であったことは触れられませんでした。

 もう1つの問題は、聴覚障がい者ドラマのブームが、皇族がさかんに手話を使い、そのニュースが頻繁に流されている中で起こっていることです。

 秋篠宮の次女・佳子氏が聴覚障がい者のイベントに出席して手話であいさつする場面は頻繁に報道されています(写真中)。佳子氏だけでなく、母親の紀子氏も先日のベトナム訪問の中、障がい者施設で手話を使っている様子が紹介されました(写真右)。

 彼女らは“個人的”な関心・善意で行っているつもりかもしれませんが、それはれっきとした皇族としての公的活動です。それをNHKはじめメディアに報道させているのは政府・宮内庁です。

 皇族が障がい者に寄り添っている姿を強調し報道させることは、天皇制維持・強化の常套手段です。典型的な例として想起されるのは、大正天皇(嘉仁)の妻・貞明皇后(節子=さだこ、裕仁の母)がハンセン病対策の象徴とされた(されている)ことです(2022年7月8日のブログ参照)。

 たんに皇族のイメージアップを図るだけではありません。前述の手話禁止は天皇制政府による侵略戦争遂行策の一環として行われたものであり、その最大の責任者が佳子氏の曽祖父・裕仁であったことは言うまでもありません。

 曾祖父による手話禁止を、ひ孫が払拭しようとし、メディアがそれに手を貸している、とさえ思える状況です。しかし、裕仁の戦争責任、天皇制政府による手話禁止・弾圧の歴史を消し去ることはできません。


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首相の「夫人同伴」とジェンダー

2023年07月21日 | 天皇制と政治・社会
  
 
 岸田文雄首相は先のNATO(北大西洋条約機構)首脳会議出席(11、12日)に裕子夫人を同伴しました。今回に限らず、外遊に夫人を伴うことは少なくありません(写真左)。日本だけではありませんが、この悪しき慣習はやめるべきです。その理由はいくつもあります。

 第1に、「夫人同伴」は天皇制(君主制)の模倣だからです。

 「夫人同伴」がいつから、どういう経緯で始まったのか、詳細は分かりませんが、ウィキペディアには、「首脳が外国訪問に妻を伴うのは、かつて王侯が遠方へ出かける際には必ず妃を伴った習慣の名残である」とあります。

 日本の「皇室外交」において、天皇や皇太子は基本的に皇后、皇太子妃を同伴します(写真中)。

 主権在民の社会で、「国家」の代表とされる首相が天皇制の慣習に倣うのはきわめて不適切です。

 第2に、甚だしい政治の公私混同だからです。

 言うまでもなく、首相夫人(いわゆるファーストレディ)は選挙で選ばれた人ではありません。公務員でもありません。その人物が首相の配偶者であるという属性で「国家」を代表するかのように振る舞う権限はなく、公私混同も甚だしいと言わねばなりません。

 首相の息子を「秘書官」にして首相官邸に入れることが問題になりましたが、外遊への「夫人同伴」もそれと同じ問題性を持っています。

 第3に、公費(市民の税金)の無駄遣いだからです。

 「夫人」の海外渡航・滞在費用はすべて公費(税金)です。
 それだけではありません。「首相夫人」には複数の省庁から派遣された官僚が専属担当としてつきます。安倍晋三元首相の昭恵夫人には5人の担当官僚がつき、「森友学園」疑惑で問題になりました。専属官僚ももちろん公費負担です。

 第4に、強調する必要があるのは、典型的なジェンダー差別だということです。

 首相が女性の国では男性のパートナーが同行することが希にありますが、圧倒的に「夫人同伴」です。

 夫人が一歩下がって首相に同行する姿は、典型的な「内助の功」の図であり、家父長制度の残滓といえます。

 これは、第1の「天皇制の模倣」と表裏一体の問題です。天皇・皇太子が皇后・皇太子妃を従える姿は、家父長制度そのものであり、「男系男子」の世襲制である天皇制の本質です。

 首相の「夫人同伴」はその天皇制に倣って、男尊女卑の家父長制を表象したものです。ジェンダー差別の解消が焦眉の課題になっているとき、けっして容認できるものではありません。それが無意識の慣習になっているだけにいっそう危険です。直ちにやめるべきです。

 

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上皇訪問時、同志社大で上階カーテンが閉められた

2023年06月30日 | 天皇制と政治・社会
  

 明仁上皇・美智子上皇后は5月14日に「私的」に京都を訪れ、翌15日、皇室ゆかりの大聖寺(京都市上京区)に行きました(写真右=朝日新聞デジタルより)。
 その際、同寺に隣接する同志社大学(植木朝子学長)で、上皇を見下ろす高さにある教室のカーテンが一斉に閉められていたことが、29日付の京都新聞で分かりました(写真左。写真中はカーテンがすべて下ろされた同志社大の教室)。

「近くの烏丸通沿いには大勢の市民が集まっていた。一方、同志社大の建物では、同寺を見下ろせる教室のカーテンが閉められた。「正午~午後3時 カーテンには触らないでください」との張り紙もあった」(同紙)

「20代の男子学生は、カーテンを開けようとした別の学生が警備員に制止される姿を目にした。「なぜこんな規制をするのか。ご夫妻を見下ろすことが無礼なのだろうか」と疑問が募った」(同)

  京都新聞の取材に対し、同志社大は、「警察から警備上の要請があり、対応した」とし、詳細については「(回答を)差し控える」としました。

 要請した京都府警は、「個別のことは言えない。警護対象者の安全確保に必要な措置はしている」と「理由を明かさなかった」といいます。

 京都新聞は、「天皇や皇族の行幸啓などを巡っては、かつて高い場所から見下ろす行為が「不敬」だとして禁じられた時代があった」とし、今回はそれとは違うという論調ですが、はたしてそうでしょうか。

 京都府警は「警備上の要請」だとし、同志社大もそれに応じたとしていますが、単なる「警備」とは言えないでしょう。首相はじめ他の「要人」が各地を訪問するときに沿道のカーテンを下ろさせるでしょうか。対象が上皇・上皇后であったための特別措置であったことは明らかです。

 さらに、上皇らを見下ろす高さの教室のカーテンを下ろさせたことに、「不敬」の意識がなかったと言えるでしょうか。学生が「見下ろすことが無礼なのだろうか」という疑問を持ったのは当然でしょう。

 見過ごすことができないのは、同志社大学の対応です。京都新聞の報道によれば、同大学は府警の要請に唯々諾々と応じ、京都新聞の取材に対し「詳細は控える」とまともに答えていません。

 警察から「見下ろす位置の教室のカーテンはすべて閉めろ」と言われれば、上皇に対する特別措置だと気づいて断るべきでしょう。大学は学問の自治・真理探究・人権尊重の場なのですから。同志社大は今回の経過を真摯に検証し反省すべきです。

 皇族の「行幸啓」に際して差別的な過剰警護が行われるのは、決して過去の時代の話ではありません。

 全米図書賞を受賞(2020年)した柳美里氏の『JR上野駅公園口』。その主要なテーマは「山狩り」です。皇族が上野公園を「巡行」するたびに「清掃」と称して行われるホームレス排除です。
 柳氏は2006年に「山狩り」の事実を知り、3回にわたってその事実を確認したと単行本の「あとがき」(2014年2月)に書いています。

 天皇を頂点とする「万世一系」の皇族が国家の中で特権的な地位を占める天皇制は、すべての差別の温床であり元凶です。それを日常的に意識することは多くないかもしれませんが、ことあるごとにその本質は表面化します。今回の「カーテン」もその1つです。
 無意識のうちに忍び込む(忍び込ませる)天皇制の差別性を看過することはできません。


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元号は外国人との共生社会の障害

2023年05月01日 | 天皇制と政治・社会
   

 4月29日は国が決めた「昭和の日」でした。その由来は天皇裕仁の誕生日です。戦争責任にほおかむりしたまま死去した裕仁の誕生日を「祝う」ことを国家が法律で決めているとんでもない日です。

 またそこには、「昭和の日」と命名することによって、天皇制の象徴である元号の定着・普及を図ろうとする政治的思惑があります。

 さらに、元号には見逃すことができない重大な弊害があります。

 共同通信の調査によると、県庁所在地と政令指定都市の約8割が「災害時の避難指示などを多言語で発信」し、約6割が「災害時の情報提供に関して、外国人にも分かりやすいよう、難解な用語を言い換える「やさしい日本語」を導入」しています(4月2日付京都新聞)。

 外国人にとって「難解な用語」の代表が元号です。「やさしい日本語」では年表記は元号ではなく西暦を使うよう指示されています。以前参加した日本語学校の研修でもそれが強調されました。

 すなわち元号は、外国人との共生社会においてきわめて大きな障害となっているのです。

 それだけではありません。

 そもそも「一世一元制」は明治天皇制政府が1868年に制定したものですが、その意味は、「国民が天皇と結びつけないでは時間を意識し表現することができず、したがって天皇から一日もはなれていられないようにした」(井上清著『元号制批判』明石書店1989年)ことです。
元号制は、国家神道、天皇と結びつけた祝祭日制度、教育勅語による教育、「日の丸」「君が代」の強制、皇国史観の強要等々と一体となり、日本国民を天皇の臣民として強力無比に統合」(同)する手段でした。

 現憲法下において、自民党政権が市民の反対を押し切って「元号法」制定を強行(1979年)した狙いも本質的に変わりません。

 元号が流布している日本社会で外国人が暮らすことは、無意識のうちに「天皇の臣民」とされている、すなわち現代における「皇民化」政策と言って過言ではないでしょう。

 自民党はさらに、「明治の日を実現するための議員連盟」なるものをつくり、睦仁天皇(明治天皇)の誕生日である11月3日を「文化の日」から「明治の日」に改称することを企てています。この議連に、馬場伸幸衆院議員(日本維新の会代表)、前原誠司衆院議員(国民民主党代表代行)も中心メンバーとして加わっていることが注目されます(2022年4月29日のブログ参照)。

 余談ですが、「昭和の日」に続いて「明治の日」を目論んでいる天皇制護持勢力が、「大正の日」を言わないのは興味深いところです。

 厚労省が4月27日に発表した人口推計では、日本に暮らす外国人は現在総人口の2・2%(2020年)ですが、50年後には10・8%に増加します。外国人との共生は時代の趨勢であり、好ましいことです。
 その共生社会を、外国人の生活と人権が保障される社会にするためにも、元号の廃止は必須の課題です。

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「皇民化」象徴するハンセン病療養所「御歌碑」

2023年01月30日 | 天皇制と政治・社会
  
 

 毎年行われている宮中行事「歌会始」の政治性、天皇制との関係については先にみましたが(1月19日のブログ)、短歌による「皇民化」を象徴するのが、全国14のハンセン病療養所に建てられている「御歌碑(みうたひ)」なるものです(写真左は沖縄・愛楽園、中は岡山・邑久光明園のもの)。

「つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて」

 療養所に行けない私に代わって患者の友となって慰めてくれ、という意です。作者は天皇嘉仁(大正天皇)の妻、貞明皇后節子(さだこ、1884~1951)。建てられたいきさつはこうです。

「1930年、貞明皇后は手許金24万8000円を全国の療養所に寄附した。この一部をもとに翌年らい予防協会(初代会長は渋沢栄一―私)が設立され、貞明皇后の誕生日6月25日は「らい予防デー」と定められた。さらに1932年11月10日に冒頭の歌を詠み、貞明皇后は「救らい」の象徴となっていく。11月10日は「お恵みの日」とされ、ハンセン病療養所は限りなく「皇恩」がもたらされる場、というイメージが作られていった」(吉川由紀沖縄国際大講師「皇室とつれづれの碑」、『入門沖縄のハンセン病問題』ハンセン病問題ネットワーク沖縄編・なんよう文庫2009年所収。写真左も)

 この歌には曲が付けられ(1934年)、「国旗掲揚」の際などに歌われたといいます。作曲は山田耕筰。

 在日2世のシンガー・ソングラーター、沢知恵さん(写真右)は、牧師だった父に連れられ幼い時から大島青松園(香川)に行き、その後も入所者たちと親交を重ねてきました。東京藝大や岡山大大学院で音楽学を専攻。コンサート活動のかたわら全国の療養所を回り、そこで歌われている「園歌」を研究し、『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』(岩波ブックレット2022年、写真中も)を著しました。

 沢さんは、全国の「園歌」と貞明皇后の「御歌」、そして「君が代」の関係をこう指摘しています。

「各療養所の式典や集会では、冒頭に≪君が代≫と≪つれづれの≫がつづけてうたわれ、最後に園歌がうたわれました。「国歌―御歌―園歌」というピラミッド構図が見て取れます。≪君が代≫は父なる天皇を、≪つれづれの≫は母なる皇后を賛美するうたでした。≪つれづれの≫は、各療養所でうたわれた園歌をまとめあげる共通の「大園歌」としてうたわれ、社会の隅に追いやられたハンセン病患者たちに、天皇を頂点とする「一大家族」の国民意識を植えつける機能を果たしたのです」(沢知恵著『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史』)

 「御歌」によってハンセン病患者に植え付けられた「一大家族」という「国民意識」。それは隔離を強制した国家への怒りとの「二重意識」を形成することになりました。

「国の強制隔離に対して憤りながら、一方で皇室を賛美し、「国のおかげで生きている」と真顔でいう人もいました。矛盾ともとれるそのような態度に戸惑いながら、いつしか私は、どの思いも真実ではないかと受け止めるようになりました。むしろ、そのような「二重意識」をもたせられるにいたった権力構造と政治的文脈を思い、その責任が問われないことへのもどかしさと痛みを感じずにはいられません。これはハンセン病だけでなく、沖縄や在日コリアンなど他のマイノリティーの問題にもあてはまる歴史的現実です」(沢氏、同前)

 「つれづれ」の歌碑は今も全国の療養所に建てられているほか、貞明皇后の誕生日の「らい予防デー」は、その日を含む1週間を「ハンセン病を正しく理解する週間」とすることによって今日に引き継がれています。

 天皇制による「一大家族」という「国民意識」、さらに国家への批判を宥和する「二重意識」の形成は、すべてのマイノリティーに対する差別を生み固定化するものであり、日本の最大の問題です。

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