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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

皇室と日赤・「国民統合の装置」として

2025年05月16日 | 天皇制と政治・社会
  
 雅子皇后は13日、明治神宮会館で行われた全国赤十字大会に日本赤十字社の名誉総裁として出席しました。名誉副総裁の秋篠宮妃紀子、常陸宮妃華子、三笠宮家信子、高円宮妃久子の各氏も出席しました(写真左・中=朝日新聞デジタルより)。

 名誉総裁には歴代皇后が就任するほか、女性皇族の多くが副総裁に就くなど、日本赤十字社(以下、日赤)と皇室の関係はきわめて深いものがあります。天皇の長女・愛子氏の「就職」先も日赤です。

 日赤と皇室とりわけ女性皇族の関係はなぜ深いのか。同社ホームページの「歴史・沿革」にその説明はありません。しかし、その歴史をたどれば、そこには決して無視・軽視できない重要な問題があります。

 ★西南戦争と「天皇の赤子」

 赤十字の前身は西南戦争(1877年)に際して結成された「博愛社」(1887年に赤十字社に改称)です。HPにも「西南戦争の負傷者救護のため、佐野常民、大給恒が博愛社を設立」とあります。その出発点から、日赤と皇室は深い関係にありました。

「日本の赤十字事業の際立った性格は皇后ならびに皇室の恩眷(おんけん)であった。…佐野常民と大給恒が(西南戦争の征討総督だった)有栖川熾仁親王に提出した請願のなかで博愛社の設立を「朝廷ノ寛仁ノ御趣意(を)…感化スルノ一端トモ可相成」と訴えている。
 まさに天皇や皇后、ひいては皇室の「慈愛」「仁愛」は、彼ら・彼女らが戦時・平時の赤十字事業に直接関わることで実体化し、国民は「天皇陛下ノ赤子」「皇家ノ赤子」であるという自覚を広く世上に促すことになる。この文脈で、博愛社と日赤の発展は、近代日本における報国恤兵(ほうこくじゅっぺい=国に報い兵を慰める)と博愛慈善という国民統合のあり方に大きな影響を与えることになる」(小菅信子・山梨学院大教授著『日本赤十字社と皇室 博愛か報国か』吉川弘文館、2021年)

 西南戦争の最中に皇室は博愛社に金1000円を下賜。1877年9月には東伏見宮嘉彰親王が総長に就任し、以後、歴代の総長(日赤に改称後は総裁)には皇族が就任することになりました。

 ★昭憲皇太后(明治天皇妃)の役割

 日赤の事業にとりわけ関心を寄せ物心両面でその活動を支えたのは、昭憲皇太后でした。
 HPにも「1912年・昭憲皇太后から国際赤十字に基金下賜、昭憲皇太后基金 "Empress Shoken Fund"誕生」とあります。
 日赤の社章は、佐野常民が昭憲皇太后に会った際に皇太后が頭にさしていた簪(かんざし)の模様(桐竹鳳凰)だとされています。

「昭憲皇太后は皇室にあって赤十字活動に最も関心を寄せた女性であった。…昭憲皇太后は、皇室の女性による災害救護と戦時慰問の嚆矢であり、博愛慈善と報国恤兵を表象する人物であった」(小菅氏前掲書)

 ★15年戦争と日赤

 1931年の中国侵略以降、日赤は「天皇ノ赤子」としての国民を統合する役割を担います。学校では修身や国語の時間に「赤十字精神」が教えられました。

「学童たちにとって、赤十字とは国家そのものであった。赤十字とはいまや天皇であり皇后であり皇室であり、そして皇軍であった。実際には日本赤十字社の博愛慈善はほぼ崩壊し、報国恤兵のほうが突出してきたと言えよう」(小菅氏前掲書)

 小菅信子氏は前掲書をこう結んでいます。

「皇室と赤十字社のつながりは今なお強い。他方、我々と日赤のつながりも強い。…私のような一国民から、あるいは一看護師から皇后そして皇室をつなぐものが日赤だといえよう。それは戦前から戦後そして今日まで変わらない。国民統合の装置としての日赤はきわめて身近で、かつ独特である」

 この「身近で、かつ独特」な「国民統合の装置」である日赤が、今後、「報国恤兵」の装置となる恐れがないと言えるでしょうか。むしろその危険性は強まっているのではないでしょうか。それは、象徴天皇制がもつ危険性と言って過言ではありません。(写真右は市内に張り巡らされている日赤ポスター)



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牛島「辞世の句」賛美した中谷防衛相答弁の核心は何か

2025年04月21日 | 天皇制と政治・社会
  

 中谷元防衛相は18日の衆院安全保障委員会で、沖縄戦に住民を巻き込み甚大な犠牲者を出した牛島満第32軍司令官の「辞世の句」を、自衛隊がホームページに再掲載した(1月1日)ことを追及され、「平和を願う歌」だと開き直りました(牛島の「辞世の句」問題については1月7日のブログ参照)。

 これを琉球新報は19日付1面トップと社会面、20日付の社説で、沖縄タイムスも20日付の1面トップと社会面で追及しています。

 琉球新報の社説は「文民統制は機能するのか」のタイトルで、「現職の防衛相から日本軍の司令部の言動を美化・称揚する認識が飛び出したことは、文民統制機能不全と言うべき危うい事態だ。…日本軍との連続性を否定しようとしない自衛隊の姿勢と、戦前回帰をとがめない防衛トップの認識を見過ごすわけにはいかない」と指摘しています。

 また識者からも、「(沖縄戦の)犠牲者の視点がなく、沖縄を戦場にした反省が全く感じられない」(「ノーモア沖縄戦命どぅ宝の会」共同代表・具志堅隆松氏、20日付沖縄タイム)など厳しい追及の声が上がっています。

 これらの指摘はもちろん正当です。しかし、今回の中谷答弁の核心は「文民統制機能不全」や「沖縄戦の反省が全くない」だけでなく、むしろ別次元のものだと考えます。

 それは中谷氏が、「私が注目するのは最後の句で『皇国の春に甦らなむ』ということだ」(19日付琉球新報)とし、それを「これからの平和をしっかりと願う歌」(同)だと肯定していることです。

「皇国」とはいうまでもなく日本が天皇の国だということです。中谷氏は「皇国の春」を願った牛島の句は「これからの平和」を願った句だと言っているのであり、それはすなわち中谷氏が日本を「皇国」と考えていることにほかなりません。簡潔に言えば、「日本は天皇の国だ」と言っているのです。「自衛隊の戦前回帰をとがめない」どころか、自衛隊出身の中谷氏自らが戦前の皇国史観にしがみついているのです。

 これが中谷答弁の核心であり、最大の問題点です。

 かつて森喜朗首相(当時)は「日本は天皇を中心とする神の国だ」と公言して首相の座から滑り落ちました(2000年)。中谷氏の答弁はこれに匹敵するものと言えるでしょう。

 「皇国」発言が憲法の主権在民を真っ向から否定するものであることは言うまでもなく、この一事をもって中谷氏が防衛相のみならず閣僚として、あるいは国会議員として失格であることは明白です。即刻罷免すべきです。

 ところで、18日の衆院安保委員会で中谷答弁を引き出したのは日本共産党の赤嶺政賢議員ですが、19日付、20日付の「しんぶん赤旗」電子版は、この問題をまったく報じていません。どうしたことでしょうか。問題軽視も甚だしいと言わねばなりません。

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桜と軍国主義と天皇制―軽視できない関係

2025年03月26日 | 天皇制と政治・社会
  

 「桜前線」が報道される季節になりました。日本の「国花」は菊と桜の2つとされています。菊は皇室の紋章です。パスポートの表紙にも菊の紋章が印刷されています。

 では桜はどうでしょうか。桜も天皇制と深い関係があります。

桜と「大和心と国体」…国文学者・山田孝雄(1875~1958)の『櫻史』(1941年、90年に講談社学術文庫)によれば、桜は「古事記伝」を著した本居宣長(1730~1801)と「深い由縁」があり、宣長は桜を「大和心と国体と一体」のものとみなしました。

桜と軍歌…1931 年からのアジア・太平洋戦争において、軍歌は戦意高揚の有力な手段となりましたが、歌詞には「桜」が数多く出てきます。代表的な軍歌である「同期の桜」(1939年、作詞・西城八十、作曲・大村能章)や「若鷲の歌」(1943年、作詞・西城八十、作曲・古関裕而)などがそうです。

桜と特攻隊…戦争末期の1944年に海軍が製造した特攻機の名前が「桜花」。比叡山の山頂には「桜花」の基地がありました。

 歌人の水原紫苑氏は、「桜と軍国主義」の関係をこう指摘しています。

「「花は桜木、人は武士」という、散華をよしとする暴力的な価値観は、そのまま近代の軍隊に移され、桜は軍国の花となった」(『桜は本当に美しいのか』平凡社新書2014年)

「同期の桜」の1番の歌詞はこうです。「貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょう国のため」

 こうした「桜と軍国主義」の関係は、敗戦によって清算されたでしょうか。否、です。

桜と自衛隊…自衛隊の旗は政令などで決められていますが、その基調は「桜」です。「幕僚長旗や指揮官旗の場合、桜星が概ね相当階級を示しており、桜星4つが幕僚長たる将を、桜星3つが将を、桜星2つが将補クラスを、そして海上自衛隊では、桜星1つが代将たる1等海佐をそれぞれ表している」(ウィキペディア)
 米軍との一体化をさらに強めるため24日発足した「統合作戦司令部」の旗も「桜星」です(写真中)。
 
桜と靖国神社…桜の開花宣言は各地の標準木によって判断されますが、首都圏の標準木があるのは、天皇制軍国主義の象徴である靖国神社です(写真右)。
 「同期の桜」の5番の歌詞はこうです。「貴様と俺とは同期の桜 離れ離れに取ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう」

桜と現代歌謡…近年の歌謡曲・Jポップスにも「桜」をうたったものが数多くあります。その1つに、「桜の花よ泣きなさい」(2007年、作詞・荒木とよひさ、作曲・三木たかし、歌・黛ジュンなど)があります。これは2005年に荒木とよひさ氏と三木たかし氏がそろって紫綬褒章を受章したのを記念して作られたものです(2月13日のNHKラジオ深夜便)。

 「桜」が天皇を頂点とする「国家」に奉仕する、身を捧げる(散華する)「臣民」の化身としてイメージされ、軍国主義を象徴する花となる―昨今の政治社会情勢をみれば、それはけっして奇想天外な悪夢とは言えないでしょう。

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オウム事件と天皇制・「死刑は平成のうちに」の意味

2025年03月22日 | 天皇制と政治・社会
  

 オウム真理教による地下鉄サリン事件から20日で30年。メディアは特集を組み、一様に「風化させない」ことを訴えました。

 しかし、事件の「風化」を促進することにもなった重大な問題を検証することはなされていません。松本智津夫元死刑囚(教祖名・麻原彰晃)はじめ13人の死刑執行が、2018年7月2回に分けて(7月6日に7人、同26日に6人)一挙に強行されたという事実と、その背景です。

 この死刑は当時から、「異例の同時執行」(2018年7月7日付朝日新聞)といわれました。今回、共同通信の記事で、当時の法務省幹部が「(死刑は)平成のうちにとの考えはあった」と明かしています(18日付京都新聞夕刊、写真右)。

 「平成のうちに」

 これは当時から報道されていたキーワードです。
「『オウム事件は、平成を象徴する事件。平成のうちに終わらせるべきだ』。ある法務省幹部はこう語った」(18年7月7日付朝日新聞)
「最も重要な要素は『改元』だった。…ある政府関係者は『皇室会議(17年12月1日)以降、時計の針は動き始めた。平成に起きた最大の事件は平成のうちに区切りを付けるというのが命題となった』と明かす」(18年7月7日付毎日新聞)

 天皇明仁(当時)が異例(憲法違反)のテレビ・ビデオメッセージで「生前退位」を表明したのが2016年8月8日。翌17年12月1日の皇室会議で、明仁天皇の退位が19年4月30日、徳仁皇太子の即位が翌5月1日と決まりました。

 これによってオウムの死刑執行の「時計の針が動き始め」、「平成のうちに」として異例の大量同時執行となったのです。

 これには2つの重大な意味があります。

 第1に、天皇制の政治利用です。

 そもそも死刑自体、「国家による殺人」であり、世界的に廃止(不執行による事実上の廃止)が広がっている中、日本はそれを存続させている異常な国家です。そして死刑によってオウム事件は十分検証することなく葬り去られようとしています。

 その死刑の同時大量執行という前代未聞の暴挙が、「改元」という天皇制最大の行事を利用して行われたのです。

 第2に、逆にオウム事件を利用した「改元」・天皇制・皇国史観の普及です。

 元号は元祖の中国ではすでに廃止されているにもかかわらず、日本では残存している(させている)天皇制の根幹です。天皇の代替わりごとに元号が変わる「一世一元」は江戸時代末期の慶応から明治に改元されて以降の制度ですが、天皇の代替わりで日本中の政治・経済・社会が一変するとする皇国史観の要です。

 百歩譲って天皇主権の大日本帝国憲法下では元号に意味があったとしても、主権在民の現行憲法下で元号に戦前と同じ機能をもたせている元号制は明確に憲法の趣旨に反しています。

 日常生活上も不便な元号の形骸化が進んでいる今日、「平成のうちに」として強行されたオウムの死刑執行は、自民党政府(国家権力)がオウムを利用して元号・天皇制の普及を図ったものと言って過言ではありません。

 そして重大なのは、「平成のうちに」が持つこうした重大性を、当時も今も、メディアはまったく問題にしていないことです。

 オウム事件を風化させないというとき、異常な死刑執行の事実と、それにかかわる天皇制の問題性に目を向けないわけにはいきません。

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「近現代天皇制を考える集会」2つの〝ハプニング”

2025年02月13日 | 天皇制と政治・社会
 

 「建国記念の日」の11日、「近現代天皇制を考える学術集会」が京都大学で行われました(主催・京都大学人文科学研究所)。

 「神武天皇即位」などというまやかし(神話)を口実に天皇主義・国家主義の定着を図ってつくられた「祝日」に、「近現代天皇制を考える」集会が開かれる意義はきわめて大きいものがあります。

 集会では、▷高木博志・京都大教授「「万世一系」の創出―天皇陵と大嘗祭」▷原武史・明治学院大名誉教授「『昭和天皇拝謁記』を通して見た昭和天皇像」▷駒込武・京都大教授「台湾にとって天皇制とは何かを考える」の講演と質疑が行われました。

 それぞれ示唆に富んだ講演でした(『昭和天皇拝謁記』については12月17、18日のブログ参照)。その内容については別途検討します。ここでは会場で起こった2つの〝ハプニング゛について書きます。

 1つは、高木氏の講演の途中、会場の最後方から突然大きな声がしました。5~6人(と思われた)のグループが「京大は人骨事件の責任をとれ」「近現代天皇制を問うなら人骨事件について説明せよ」などと叫んだのです。(京都大の「盗骨」問題については2023年9月25日、11月30日のブログ参照)。

 グループは会場前でビラを配っていた「天皇制とアイヌ民族抑圧に反対する有志」と思われます。講演の「妨害」に対して会場の参加者から厳しい批判の声があちこちで上がり、2~3分でグループは退場しました。

 もう1つは、質疑応答の時間、原氏が「高校生から長文の質問というか意見が寄せられた」と質問用紙を読み上げた時、その「高校生」が立ち上がり意見を述べ始めたのです。

 男子「高校生」は、「ここに来ている人はほとんど共和制を支持しているようだけで、なぜ天皇制がいけないのですか?」という趣旨の意見を述べ、しばし壇上の講演者らとの〝論争゛となりました。約5分が経過したころ会場から「議事進行」を求める声が上がり、「高校生」は着席しました。

 2人(グループ)の行為はいずれも集会のプログラムから外れたもので、円滑な進行からは問題があります。講演の妨害は許されません。しかし、提起された問題はいずれも重要です。広い会場で声を上げるのは勇気が要ったでしょう。とりわけあの場では圧倒的に少数派であることを承知で立ち上がった「高校生」には、散会後参加者からもにこやかに声が掛けられていました。

 この2つの出来事には、ハプニングで片付けられない問題が含まれているように思えます。

 歴史を学ぶことは言うまでもなく極めて重要です。とりわけ「近現代天皇制」の歴史を学ぶことは日本人にとって必須課題です。

 ただその歴史は、現在進行形の人権問題と切り離せるものではありませんし、切り離してはいけません。また、天皇制廃止を主張するなら、天皇制を支持している人びと、あるいは天皇制に「関心がない」という人びと、とりわけ若者たちとどう議論の接点をつくっていくかを考える必要があります。
 2つの〝ハプニング゛はそのことを示唆しているのではないでしょうか。

 会場の京大時計台百周年記念ホールはかなり広かったですが、8割がた埋まっていました。これも驚きでした。こんなにも天皇制に関心がある人がいるのかと(多くは中高年でしたが)。これは〝ハプニング“ではない一筋の希望です。

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佐渡金山と皇室と三菱

2024年09月13日 | 天皇制と政治・社会
   

 佐渡金山を訪れ、認識を新たにしたことがあります。それは金山と皇室と三菱のただならぬ関係です。

 朝鮮人労働者に関する「新たな展示」がある「相川郷土博物館」は、元は皇室財産を管理する「御料局佐渡市庁」でした。博物館の入口には、「史跡 佐渡金銀山遺跡 御料局佐渡市庁跡」の石柱が建っています(写真中)。博物館の鬼瓦は「菊の紋章」です。

 博物館に掲示されている年表によれば、江戸時代に採掘が始まった佐渡金山は、1889年に宮内省御料局に移管し、皇室財産となりました。

 それを機に、翌1890年に「高任機械選鉱場」が稼働するなど鉱山の近代化が進み、採掘量が飛躍的に増大しました。

 ところが、7年後の1896年、金山は三菱合資会社に払い下げられ民営化しました(写真左は相川郷土博物館に並んで展示されている「菊の紋章」と三菱の紋章の鬼瓦)。

 払い下げの経過について博物館の年表はこう記述しています。

「佐渡・生野の両鉱山は、貨幣素材の金銀を産出する鉱山であり、黒字経営の優良鉱山であった。しかし、今後の経費負担や、民間企業の成長などもあり、さまざまな調査・議論を経て民間への払い下げが決定した

 払い下げを実現したのは、三菱の創業者・岩崎彌太郎の長男で3代目社長の岩崎久彌でした。三菱は「久彌の時代に日本各地の20カ所以上の金・銀・銅山を取得」(博物館の年表)しました。

 宮内省はただ払い下げただけではありません。同時に「恩賜金7万円」を相川町に下賜しました。「恩賜金」は「大規模事業の資金として活用」(同年表)されました。そして、「恩賜金への感謝を忘れないように、記念式典が現在も鉱山祭りの初日に開催されている」(同)といいます。

 また博物館では、「開館以来、皇室の方がたが大勢ご来館」として、皇太子夫妻(現上皇夫妻)の来館(1956、81年)のもようが展示されています(写真右)。

 「佐渡金山」は三菱に膨大な利益をもたらしました。

「三菱期の総産出量は、金33㌧990㌔グラム、銀444㌧677㌔グラム、銅3859㌧297㌔グラムに及びます。仮に、金Ⅰ㌔グラムを500万円とすれば、1㌧は50億円となります」(竹内康人著『佐渡鉱山と朝鮮人労働』岩波ブックレット2022年)

 日本政府・新潟県は佐渡金山の世界遺産登録申請にあたって「江戸時代まで」を対象にしました。「きらりうむ佐渡」などの展示もその時代に特化しています。それは朝鮮半島植民地支配時代を避けて批判をかわすためですが、もう1つの狙いがありそうです。竹内康人氏はこう指摘します。

「観光での江戸期の金生産の強調は、近代での三菱の利益を覆い隠すかのようです」(竹内氏前掲書)

 ひるがえって、金山が1889年~96年まで皇室財産だったことを想起すれば、金山による膨大な利益は皇室にも入ったと考えられます。それはどのくらいだったのか、その利益(皇室資産)はその後どう扱われて今日に至っているのか、明らかにされる必要があります。

 それにしても、そのような文字通り金の山がわずか7年で皇室財産から三菱に払い下げられた(しかも「恩賜金」付きで)のはなぜか。詳しい経緯は不明です。明治政府(宮内省)と三菱の間でどのような交渉があったのか。

 朝鮮人労働者の強制動員・強制労働によって生み出された佐渡金山の膨大な利益が、今日の三菱の土台をつくりました。その三菱は現在国内最大の兵器産業であり国策企業です。
 三菱は明治以降、時の政権と、あるいは皇室と、どのような関係をつくってきたのか。
 
 政府が「江戸時代」に限定しようとしているのは、朝鮮人労働者の強制動員・強制労働の責任を回避するだけでなく、金山と皇室と三菱のただならぬ関係を隠ぺいする意図もあるのではないでしょうか。



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「国スポ見直し」論の盲点・天皇制との密接な関係

2024年04月22日 | 天皇制と政治・社会
   

 国民スポーツ大会(国スポ、旧国民体育大会)の廃止を含む見直し論が強まっています。
 村井嘉浩全国知事会会長(宮城県知事)が「廃止も一つの考え方」(8日)と口火を切って以降、各県知事が見直しの必要性を表明しています。

 見直し論の主な論拠は、「経費は何百億円という単位」(平井伸治鳥取県知事)という財政負担の重さです。村井氏は近く知事会としての提言をまとめる意向を示しています。

 国スポは廃止すべきです。ただしその理由は、財政問題よりむしろ、見直し論者が全く触れていない国民体育大会の歴史的役割のためです。それは、国体が象徴天皇制を定着させる上で大きな役割を果たしてきた、今も果たしている、ということです。

 国体の前身は、戦前の天皇制政府による明治神宮国民体育大会です。それが敗戦後国民体育大会と名を変え、1946年、「戦後復興・再建の士気高揚もかねて」(坂本孝治郎著『象徴天皇がやって来る 戦後巡幸・国民体育大会・護国神社』平凡社1988年)、第1回大会が京都市を中心に近畿地方一円で開催されました。

 翌47年、第2回大会(石川県)の開会式(10月30日)に天皇裕仁が初めて出席しました。

「開会式では、2万人の観衆によってGHQ占領下で禁止されていた「日の丸」の掲揚と「君が代」の斉唱が行われた」(坂上康博著『昭和天皇とスポーツ』吉川弘文館2016年)のです。

 48年の第3回大会で天皇杯・皇后杯が「下賜」され、49年の第4回大会から天皇・皇后が開会式に出席することが恒例化され今日に至っています(写真左は第4回大会の天皇裕仁と良子皇后、写真中は昨年の鹿児島国体の天皇徳仁と雅子皇后)。

 こうした国体と天皇の関係は何を意味しているでしょうか。

「この元来非政治的なスポーツ・イヴェント(国体)は、「国民統合の象徴」という象徴天皇制の正統性を周期的に客観化する、重要な制度的イヴェントの位置を占めるようになった」
「1950年以後、春の全国植樹祭、秋の国民体育大会と、地方で催される儀式やイヴェントに、<両陛下お揃いで>出席する形式が制度化され展開されてゆく。…また各宮殿下の担ぎ出しも各競技団体が試みることとなり、ここに国民体育大会は、言わば皇族の降臨する庭として、また、象徴天皇を推戴するする儀式としての性格を一方で濃厚に帯び始めることになった」(坂本孝治郎氏、前掲書)

 近年、自衛隊が国体への関りを強め、自衛隊の広告塔であるブルー・インパルスが、2014年の長崎大会に続いて昨年の鹿児島大会でも開会式に飛行しました(写真右)。

 「見直し」論が今後どう展開するかは分かりませんが、上記のような天皇制との密接な関係にある国スポは廃止すべきです。そして市民のスポーツの権利を保障する施策を検討すべきです。
 その結果、なんらかの新たなスポーツ大会が行われるとしても、その開会式には天皇・皇后は出席させない、天皇杯・皇后杯もない、天皇制との関りを一切もたない真に市民のスポーツ大会にする必要があります。

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「安倍元首相が元号案を事前伝達」は何が問題か

2024年03月26日 | 天皇制と政治・社会
   

 共同通信は24日付で、安倍晋三元首相が元号(「令和」)を閣議決定する前に徳仁皇太子(現天皇)に6つの案を提示し、「令和に力点を置いて説明していたことが分かった」と報じました。京都新聞はこれを1面と5面(解説)で掲載しました。

 記事の内容はほとんど当時(2019年3月)報じられていたことで、このブログでも問題点を考察しました(2019年4月1日、3日のブログ参照)。今回の記事は共同通信の情報公開請求などによってそれが裏付けられたものです。見過ごすことができない重大な問題がいくつもあります。

 第1に、天皇・皇太子への政治報告は明確な憲法違反です。

 記事は安倍氏が19年3月29日に皇太子に会って「元号6案」を示したことを取り上げていますが、実は安倍氏は皇太子に先立って明仁天皇(当時)にも会って元号案を事前説明しています(写真左)。

 共同記事によれば、この日首相官邸では「(元号)検討状況の報告ならば、天皇の政治的関与を禁じた憲法に抵触しない」との認識を共有したといいますが、それは政府の勝手な解釈です。

 首相が天皇に政治報告することを「内奏」といいます。「内奏は戦前以来、天皇の政治行為の重要な要素を構成しており、戦後象徴天皇制においても内奏が残ったことは、長期にわたる保守政権下、昭和天皇の政治力を残存させることにな(った)」(後藤致人愛知学院大教授著『内奏―天皇と政治の近現代』中公新書、2010年)のです。
 それは裕仁から明仁、そして現在の徳仁天皇まで継続されています。

 「内奏」の内容は完全非公開です。この場で天皇と首相の間でどうような会話・協議がなされたのか、なされるのか、メディアも主権者「国民」も全く知らされません。天皇の政治関与を禁じた憲法第4条1項に明確に違反する日本の政治・国家体制の闇です。

 今回の場合、皇太子は間もなく天皇に即位することが確定しており、皇太子への説明も「内奏」と同じ問題を有します(写真中)。

 第2に、安倍氏の元号事前説明は、ウルトラ右翼・日本会議の圧力によるものだったということです。

 当時も、「『一世一元』制を重視する保守層は、5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される前の新元号公表を懸念しており、首相はこうした声に配慮した」(2019年3月28日付産経新聞、写真右)と報じられていました。

 今回、記事は「日本会議は「遺憾の意」を示す見解を公表。…新元号公布に当たり皇太子さまへの報告を強く要望した」として圧力をかけたのが日本会議だったと断じています。

 安倍氏の悪政はあらゆる分野に及びましたが、その背後に日本会議の存在があったことが、今回のことで改めて明らかになったといえます。

 第3に、安倍氏が首相は「天皇の臣」だと明言・誇示していることです。

 記事によれば、死去後に刊行された『安倍晋三回顧録』で安倍氏は、「(日本会議らの)反発を収めるため保守議員や神社本庁を回り「大切なのは天皇の臣である首相が天皇陛下や皇太子さまの元に行き、元号についてお伺いを立てることだ」と説得したと述懐」しています。

 首相が「天皇の臣」であり「お伺いを立てる」とはまさに大日本帝国憲法の思想・規定に他なりません。「内奏」とともに、ここに現代日本の政治・国家体制・「象徴」天皇制の実態が表れています(ちなみに吉田茂が「臣・茂」、中曽根康弘も「臣・康弘」と自ら称していました)。

 日本は大日本帝国憲法の天皇制から本質的に変わっていないのです。それが目につかないのは、密室・水面下に隠されていることと、メディアが天皇制タブーや自らの天皇制賛美によってそれを暴露・追及する意思も力もないからに他なりません。

 そもそも「元号」自体が天皇制の下で「国民」を統治するためのツールであることも含め、今回その一端が露呈した天皇と政治権力の関係を徹底追及しなければなりません。

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「災害弱者」に必要な「やさしい日本語」と“元号の壁”

2024年01月24日 | 天皇制と政治・社会
  

 21日のNHKスペシャル「能登半島地震 いのちの危機どう防ぐ」で、高齢者、子ども、障害者とともに「災害弱者」として取り上げられたのが日本に住む外国人でした。

 日系ブラジル人のタチバナさんは地震当日の警報から聴き取れた日本語は「ツナミ」だけだったといいます。外国人に必要な情報が伝わらない「言葉の壁」です。

「能登町の小木中学校にはベトナムやインドネシアの技能実習生約100人が避難していたが、英語や日本語で会話ができず言葉の壁があった。インターネットが不通で翻訳機能も使えない。…ITに頼らない手段が必要と実感した」(20日付京都新聞夕刊=共同)

 災害時に外国人に必要な情報が届かない「言葉の壁」はもちろん今に始まったことではありません。それが広く認識されたのは阪神大震災(1995年)で、それをきっかけに「やさしい日本語」の普及が図られるようになりました。

 22日付琉球新報に「愛媛新聞提供」の<広がる「やさしい日本語」>という記事が載りました。「やさしい日本語」とは、普段使っている日本語を簡単で分かりやすい言い方に直して使う取り組みです。
 たとえば、「地震」は「地面が揺れる」、「大雨」は「たくさん雨が降る」、「避難所」は「災害が起きたときに逃げるところ」(同記事より)という具合です。

 記事は能登半島地震を意識して掲載されたものではないようですが、タイムリーで有用な記事です。「やさしい日本語」は災害時だけでなく、外国人との共生が必須となっている日常社会に不可欠です。

 しかし、この記事には重要な問題が欠落しています。それは、「言葉の壁」の典型の1つで「やさしい日本語」への言い換えが必須の「日本語」について(故意かどうか)一言も触れられていないことです。それは「元号」です。

 「元号」はいうまでもなく天皇制を支える日本独特のもので、外国人には不可解きわまりなく、日常の行政情報や役所手続きなどで外国人を悩ませています。もちろんその不便さは外国人だけではありません。
 私は以前の居住地(広島県福山市)で「日本語学級」の講習を受けたとき、「やさしい日本語」として「元号」を西暦に言い換える必要性を教わりました。

 役所や企業の文書では「元号」が当たり前のように使われていますが、その使用はけっして法的義務ではありません。政府(国家権力)が使用を推奨(指導)しているだけです。

 「西暦表記を求める会」という市民グループがこのほど「元号レッドカード」を作ったという記事がありました(2023年11月27日付東京新聞。写真)。役所などで元号での記入を求められた時にこのカードを見せるのです。

「表は「私は西暦で記入します」という宣言。公的機関から元号を使うよう言われても、ただの「お願い」だと説いている。裏は元号表記を巡る不可思議を列挙。年の途中でも改元で変わる。国外向け文書には使わない。日本で暮らす外国人が増えている中で必要か―などだ」(同記事)

 同会の石田嘉幸事務局長(写真右)は、「改元のたびにリセットされては暦の連続性がない。元号で未来の年を記しても、存在しない年になることもある。あまりに不合理だ。カードを通じ、これからの社会の年表記を考える対話を生みたい」と述べています(同記事)。

 「言葉の壁」で外国人を「災害弱者」にしないためにも、外国人との共生が必要な日常生活のためにも、そして差別社会の元凶である天皇制を廃止するためにも、元号は廃止する必要があります。

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「文化・芸能人」の顔はどっちを向いているのか―叙勲・園遊会

2023年11月04日 | 天皇制と政治・社会
   

 毎年春と秋に行われる叙勲・褒章と園遊会は、象徴天皇制を支える今日の皇民化政策だと先日書きました(10月20日のブログ参照)。それを証明するような受章者や招待者のコメントが今回も見られました(以下敬称略)。

東野圭吾(作家)(紫綬褒章) 「これまでにおまえが辿ってきた道は間違っていない、という励ましと受け取らせていただきます」(2日付地方各紙=共同配信)

久石譲(作曲家)(旭日小綬章) 「名誉ある勲章を受章いたしました。心から感謝します」「私にとって、大きな励ましです」(3日付共同配信)

三浦友和(俳優)(旭日小綬章) 「大変光栄に存じます。古希を過ぎ、これから俳優としてどう生きるか迷いのある中、励ましの光をいただいた気持ちです」(3日付共同配信)

松任谷由実(シンガーソングライター)(2日の園遊会で天皇に声を掛けられ)「いま締めくくりのツアーの最中でして、身を挺して喜んでいただけるよう頑張りたいと思っております」(3日のNHK ニュース=写真左)

加藤一二三(将棋棋士)、西川きよし(漫才師)(園遊会で天皇・皇后と歓談)

 これらの「文化・芸能人」に共通しているのは、勲章・褒章の受章あるいは天皇主催の園遊会に招かれたことを「名誉」とし、それによってこれまでの歩みの「正しさ」を確信し、今後の「励みに」したいと述べていることです。

 すなわち彼・彼女らにとっては、天皇を頂点とする国家に褒められることが仕事の評価基準なのです。それでいいのでしょうか。
 文化・芸能・芸術はいったい誰のものなのか。庶民・民衆のものではないのか。彼・彼女らはいったい誰に顔を向けて仕事をしているのか。根本的な違和感と不信を禁じ得ません。

 日本は国家(時の政権)に異議申し立てをすることが少ない「国民性」だと言われますが、その大きな原因は勲章・褒章、園遊会招待などを通じて全国津々浦々、あらゆる職業・階層に天皇制の網がかけられていることにあると、あらため痛感します。

 ところで、2日の園遊会の記事に興味深い記述がありました。
「新型コロナ対策として…皇室の方々が歩く道筋に並ぶ人々にはマスクの着用に協力を求めた」(2日付朝日新聞デジタル)

 「協力を求めた」といっても断ることができないのは自明です。マスクを着けるか否かは個人の自由です。にもかかわらず、皇族が歩く道筋に並ぶ者には事実上強制的にマスクを着けさせたのです。それは皇族を特権階級と扱う身分差別にほかなりません。

 日本は天皇・皇族を頂点とする階層社会であり、園遊会とはその天皇・皇族の権威を可視化させる場に他ならないことが図らずも露呈したと言えるでしょう。

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