アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

元号とトランプ大統領と徳仁天皇

2019年05月30日 | 天皇制と日米安保・自衛隊

     

 トランプ大統領の今回の来日は、安倍首相との“親密性”、日米軍事同盟の強化をアピールする政治的パフォーマンスの連続でしたが、その中で注目されたのが元号(令和)の度重なる使用でした。

 26日、大相撲の千秋楽を観戦し、表彰式で「米大統領杯」を渡したトランプ氏は、表彰状をこう読み上げました。
 「あなたの栄えある優勝をここにたたえます。令和元年5月26日、アメリカ大統領ドナルドJトランプ」(写真左)

  さらに、27日夜の徳仁天皇主催の宮中晩餐会では、トランプ氏はこうスピーチしました。
 「日本の新しい元号は『令和』で、美しい調和を意味する。この言葉は『万葉集』と呼ばれる日本古来の和歌集に由来していると聞いている。万葉集の古い和歌を日本の子どもたちに受け継いできたように私たちの同盟も受け継がれなければならない」(写真中)
 元号=天皇制と日米同盟をリンクさせた象徴的なスピーチでした。

  元号の普及を図る勢力をこの上なく喜ばせるトランプ氏の相次ぐ「令和」のリップサービス。それは、日米首脳会談(27日)の冒頭で、「令和の時代にも日米同盟の絆が強固だと鮮明に内外に示すものとしたい」と述べた安倍首相の意図にぴったり沿うものです。
 私は大相撲の表彰状の言葉も、宮中晩餐会でのスピーチも、ゴーストライターは安倍政権ではないかと推測しますが、その真偽はともかく、いずれも安倍氏の狙いが忖度されていることは確かです。

 トランプ大統領を徳仁天皇就任後初の「国賓」として招き、「天皇の新時代」と「日米同盟の強化」をリンクさせようとする安倍首相の狙いは、元号(令和)の度重なる強調に象徴的に表れていたといえるでしょう。

 ところがここで、おそらく安倍氏は予想していなかったであろう事態が起こりました。それは、トランプ氏とは逆に、当の徳仁天皇は晩餐会スピーチで元号をまったく使わずすべて西暦で表記したことです。

 徳仁天皇は「アメリカと皇室との交流」を振り返るなどして合計7回年次を示しましたが、それはすべて西暦でした。もし元号を使おうとすれば、安政、昭和、平成の3つを使うことになり、もちろんトランプ氏にはちんぷんかんぷんです。「トランプ大統領歓迎のあいさつ」で西暦を使うのは当然のマナーであり常識です。

 天皇制の象徴である元号を懸命に流布しようとしている安倍政権の狙いとは裏腹に、それは世界の中で日本にしかない、日本でしか通用しないきわめて特異で閉鎖的な政治的紀年法であることを、天皇みずから示したと言えるのではないでしょうか。

<お知らせ 『象徴天皇制を考えるⅡ』ご予約案内>

 『「象徴天皇制」を考えるⅡ その過去、現在、そして未来』を自費出版します。
 前回(2017年11月)出版したものの続編で、17年6月から今年5月7日までの「アリの一言」の中から天皇制に関するものを拾いました(前書きと資料1点=明仁天皇の生前退位ビデオメッセージ)。印刷部数の目安のため、以下の要項で予約を募集します。

〇本の体裁=B6判、モノクロ、ソフトカバー、233ページ(1テーマ見開き、計110テーマ)
〇価格=1冊1000円(送料込み)
〇本の発送=7月上~中旬予定
〇代金のお支払い=振込先を本に同封しますので、お手元に届いた後にお振込みください(2冊以上の場合は1000円×冊数)
〇予約締切=ご予約は6月6日で締め切ります。予約数以上に印刷しますので、後日のご購読お申し込みも可能です(部数のある限り)
〇予約お申込み=件名に「本予約」とお書きのうえ、お名前、ご住所(お送り先)郵便番号、部数を以下のEメールアドレスにご送信ください。
 Eメールアドレス:satoru-kihara@alto.ocn.ne.jp

 全くつたない内容ですが、何かの参考になれば幸いです。よろしくお願いいたします。


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徳仁天皇は「晩餐会スピーチ」で何を語ったか

2019年05月28日 | 天皇制と日米安保・自衛隊

     

 徳仁天皇は27日午前、就任後初の「国賓」であるトランプ米大統領と会見したのに続き、同日夜、宮中晩餐会であいさつしました。初の「公式あいさつ」となったこのスピーチは、きわめて政治性が強く、重大な問題点を含むものでした(発言の引用はすべて宮内庁HPより)。

 第1の問題は、祖父・裕仁(昭和天皇)の戦争責任の隠ぺい・風化を図ったことです。

 徳仁天皇は「アメリカと皇室との交流」として、昭和天皇・香淳皇后のアラスカ立ち寄り(1971年)、同天皇・皇后の訪米(1975年)、上皇・上皇后(明仁・美智子)の皇太子時代の公式訪米(1960年)、明仁天皇即位後の国賓としての訪米(1994年)を次々挙げ、「歓待を受けた」「手厚くおもてなしいただいた」と強調しました。

 これはきわめて一面的で身勝手な「アメリカと皇室」の関係と言わねばなりません。

 徳仁天皇自身が述べているように、裕仁は1970年代までアメリカの地を踏むことができませんでした。その代わりに1960年(安保条約改定の年)に皇太子である明仁が訪米したのです。
 裕仁はなぜアメリカに行けなかったのか。いうまでもなく自身の戦争責任のためです。「戦犯・裕仁」に対する当時の欧米の怒りは当然ながらきわめて強く、「初の外国訪問」となったヨーロッパで生卵などを投げつけられる”歓迎“を受けました。

 もちろんアメリカも例外ではありませんでした。たとえば、敗戦直前の「ギャラップ調査」では、アメリカ国民の33%が裕仁を「処刑」すべきだとし、「終身刑」11%、「追放」9%などと合わせて約70%が裕仁を「戦犯」と断じていました(1945年6月29日付ワシントンポスト紙。『天皇の昭和史』新日本新書より)

 明仁皇太子の“代理訪米”による地ならしで、裕仁はようやく1975年に訪米を実現しますが、その帰国直後の記者会見(1975年10月31日)で、自身の戦争責任について聞かれ、裕仁の口から出たのが「そういう言葉の綾については、私は文学方面を研究していないのでわからない」という恥知らずな暴言でした

 「アメリカと皇室」の関係を語るなら、裕仁の戦争責任は避けて通れません。しかし徳仁天皇は祖父・裕仁や父・明仁がいかに「歓迎」されたかを強調しただけでした。これは裕仁の戦争責任の隠ぺいと風化を一貫して追求してきた明仁上皇の路線を忠実に引き継ぐものです。

 徳仁天皇「晩餐会スピーチ」の第2の問題は、日米同盟を賛美しその強化を求めたことです。

 天皇は日米関係を「日米和親条約」(1854年)から切り出し、「極めて親しい隣国」で「強い友情の絆で結ばれて」いるとし、「特に近年、両国の関係が…幅広い分野で深みを増していることを喜ばしく思う」「日米両国が困難な時に互いに助け合える関係にあることは大変心強」いとしたうえで、「揺るぎない絆を更に深め…ていくことを切に願って」いると結びました。

 この発言は、政治用語である「同盟」という言葉を直接使うことは注意深く避けながら、安保条約による日米同盟を賛美し、そのいっそうの強化を「願っ」たものに他なりません。

 徳仁天皇のスピーチを受けたトランプ氏が、「貴重な同盟関係」「万葉集のように日米の同盟関係を子どもたちに引き継ごう」などと「同盟」を多用し、その強化を求めたことは、徳仁天皇への応答であり、天皇と米大統領による日米同盟礼賛の二重奏といえるでしょう。

 この2つの問題―裕仁の戦争責任の隠ぺいと日米同盟の強化―の根は1つです。
 安保条約による日米軍事同盟は、裕仁が自身の戦争責任の追及を避け、天皇制を維持するために、11回に及ぶマッカーサーとの会談や「天皇メッセージ」などで自ら積極的に働きかけて実現した対米従属の同盟関係に他ならないからです。

 トランプ米大統領を前に行った徳仁天皇の初の公式スピーチは、(象徴)天皇制と日米同盟の関係をまさに象徴的に示したものといえるでしょう。


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トランプ氏はなぜ自衛隊艦船を視察するのか

2019年05月27日 | 天皇制と日米安保・自衛隊

     

 25日来日したトランプ米大統領は、26日朝から安倍首相とゴルフに興じ、夕方は大相撲を観戦して「米大統領杯」を渡し、夕食は炉端焼きと、パフォーマンスを繰り返しています。
 そんなパフォーマンスの中でも、27日の徳仁天皇との会談以外に、異例なのが28日帰国前の自衛隊護衛艦「かが」の視察です。「国賓」として訪れた米大統領が自衛隊の艦船に乗るなど前代未聞です。
 「(大統領の)護衛艦の訪問は官邸がずっとやりたかったことだ」(「関係者」の声として26日の日テレ「バンキシャ」が報道)といいます。その狙いはどこにあるのでしょうか。

 「かが」は「長さ248m、幅38m、基準排水量1万9950㌧」、海自最大の「いずも」型護衛艦です(海上自衛隊HP)。「いずも」とともに空母への改修が予定されています。そうなれば、米製最新型ステルス戦闘機F35Bの離発着が可能になります。

 安倍首相はトランプ氏にF35B100機をはじめ147機の米製戦闘機の購入を約束しました。契約金額(対外有償軍事援助)は今年度7013億円。その額はアメリカの対日貿易赤字とほぼ同額です(同「バンキシャ」)。

 安倍首相がトランプ氏の要求に唯々諾々と応えて購入を約束した巨額の兵器の象徴がF35Bであり、そのために空母に改修する「かが」だというわけです。

 しかし、トランプ氏の自衛隊艦船視察の意味はそれにとどまりません。

 「同(安倍政権)高官によると、トランプ氏は28日、米海軍横須賀基地を視察する。また、米艦上で米兵向けに演説し、『地域の侵略行為に対する抑止力としての日米同盟の重要性や、日米パートナー関係が地球規模に及んでいることなどを訴える』としている」(24日付産経新聞)

 「かが」乗艦はこの横須賀基地視察の一環です。すなわち、トランプ氏の海自護衛艦「かが」乗艦は、日米軍事同盟が「地球規模に及んでいる」ことを示すものであり、日米間の「緊密な防衛協力関係を発信する」(24日付産経新聞社説)ものにほかなりません。

  トランプ氏は先にイランとの「核合意」を一方的に破棄し、中東への艦隊派遣を強化。イランとの軍事的緊張が極度に高まり、中東地域ではトランプ政権の軍事圧力に対する批判が強まっています(写真右)。

  まさにその最中での日本訪問。そして日米軍事同盟のアピール。自衛隊艦船への乗艦。イランはじめ中東、世界の人々からは軍事的圧力を強めているアメリカと日本が一心同体に映るのは必至です。それは朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も同じでしょう。

 こうした日米軍事同盟(日米安保)の危険な実態のアピールが、「新天皇の即位を祝う」というベールに包まれて行われるのです。ここに、象徴天皇制の政治的利用、日米同盟と天皇制の緊密な関係があることを注視しなければなりません。

 

 


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日曜日記51・虐待死と「子どもの権利条約」・裁判員と死刑制度

2019年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 ☆虐待死と「子どもの権利条約」

 子どもの虐待死が後を絶たない。表面化するのは文字通り氷山の一角だろう。命を落とさないまでも日常の虐待でどれだけの子どもが死の苦しみにあえいでいることか…。
 これは、われわれ大人全員に突きつけられている緊急・最大の問題だ。
 虐待・いじめ防止法などでは何も変わらない。国家権力の強化は解決に逆行する。何が必要なのだろうか。

 沖縄民間教育研究所の機関紙「共育者」最新号(第20号)は、「心愛さん(小4)をどうして救えなかったのか」という長堂登志子所長の論考とともに、教育評論家・大田堯氏(2018年12月23日逝去。私と同郷、広島県三原市出身)の論考を掲載している(「子どものしあわせ」3月号からの転載)。
 タイトルは、「来るべき生命尊重最優先の世紀を拓く―日々のこどもたちとのつきあいの中に、子どもの権利条約の精神を生かそう―」 

 「子どもの権利条約は、この地球上で、今の大人たちと明日の大人である子どもたちとが、どうつきあうか、毎日の道理にあった正しい関り合いとはどういうものかを提示したものです。…(同条約が締結国に求めている)『子どもの最善の利益』の核心には、その子その子のかけがえのない<生命>―最大限可能な限り、その存在の確保(第6条)ということがあるのです。まさしく、地球生命系の生きたシンボルであるかけがえのない子どもの命を保障することから、私たち一人ひとりに、“もう一つの生き方”の勇気ある選択を求めているのです」

  児童虐待問題は、地球生命系という視点から、われわれ大人の生き方が問われている問題だ。「子どもの権利条約」をもう一度学び直そうと思う。

 ☆裁判員と死刑制度

  21日で裁判員制度開始から10年がたった。共同通信は裁判員経験者にアンケートし、「経験して良かった」98%、「制度を続けるべきだ」84%などの結果を報じたが、経験者にアンケートすればこんな数字が出ても不思議はない。また、意味もない。 目を向けねばならいのは、候補者に選ばれながら辞退した人が67%にのぼり、その数字が年々増加している現実だ。

 ところで、共同通信のアンケートの中に驚くべき結果があった。「死刑判決に裁判員がかかわった方がよい」が51%におよんだことだ。これは本当だろうか?

 私は制度発足前から、裁判員制度には反対だ。理由はいくつもあるが、最大の理由は日本に死刑制度があることだ。死刑とは国家による殺人にほかならない。裁判には冤罪がつきものなだけ、死刑制度の危険性と罪は大きい。死刑制度がある中での裁判員制度は、「一般市民」を「国家による殺人」に巻き込み共犯者にすることだ。

 ところが裁判員経験者の半数以上はそれを肯定しているという。これはきわめて深刻な実態だ。死刑制度を温存しつつ裁判員制度を導入した勢力の思惑通りと言えるかもしれない。この思想・人権感覚が社会にまん延すれば、どんな世の中になるか、背筋が寒くなる。

 どうしても裁判員制度を続けたいというなら、最低限、日本の非民主性を象徴する死刑制度を直ちに廃止すべきだ。


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東京五輪・お祭り騒ぎの陰で“死の建設現場”

2019年05月25日 | 五輪とメディア・政治...

     

 「2020年東京五輪の準備状況を監督する国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会と大会組織委員会などとの第8回合同会議が21日、東京都内で始まり、調整委のコーツ委員長は冒頭のあいさつで、競技会場建設について『称賛すべき準備状況』と述べた」(21日配信共同通信)

 はたしてそうでしょうか。

 < 五輪「建設環境に問題」 労組の国際組織 改善求め文書
   月に28日労働 頭上に資材  やめた男性「命いくつあっても…」 >

 この見出しで朝日新聞(16日付)は、東京五輪関連施設建設現場の苛酷で無法な実態を報じました。

 「2020年東京五輪・パラリンピックをめぐり、関連施設の建設現場の労働環境に様々な問題があるとして、労働組合の国際組織が大会組織委員会や東京都、日本スポーツ振興センター(JSC)に改善を求める報告書を送った。『惨事にならないようすぐに対策をとるべきだ』としている」(同朝日新聞)

 この「労組の国際組織」は国際建設林業労働組合連盟(BWI)。約130カ国・地域が加盟し、リオや平昌など過去の五輪でも労働状況の改善を訴えてきました。

 「BWIは16年から東京大会の労働環境について調査。今年2月には、新国立競技場や選手村の建設現場で働く労働者ら約40人から聞き取りをした。報告書では、月に26日や28日働いている例がある▽つるされた資材の下で作業をしている▽通報窓口が機能していない、などの問題点を指摘。『頭上をコンクリートがブラブラしている状態で怖い』といった現場の声にも触れ、組織委や都、JSCに対し、建設現場のBWIとの共同査察を提案した」(同)

 毎日新聞(17日付)には、「BWIの報告書の主な指摘」として次のような内容が載っています。

 ・聞き取り調査をした作業員のほぼ半数が雇用契約でなく、請負契約のため、法的な保護が手薄
 ・選手村で28日間、新国立競技場で月26日間、勤務した作業員がいた
 ・作業員の中には安全器具を自腹で購入した者がいた
 ・薄暗い中での作業の改善を求める労組からの通報をJSCが受理しなかった
 ・外国人技能実習生に資材運搬など単純作業ばかりを強いる

 「昨年10月、20代の大工の男性は、選手村の工事現場に初めて入って驚いた。頭上30㍍ほどに、コンクリートの巨大な板がぶら下がっていた(労働安全衛生法違反―引用者)という。…『落ちたら下敷きになる』。恐怖心がこみ上げた。…当時、工事が1カ月遅れていたといい、『14日間で』と頼まれた仕事を9日間で仕上げるようにも言われた。
 結局、男性と同僚たちは選手村の仕事を1カ月でやめた。『命がいくつあっても足りない』と男性は言う。『ほかの職人も「できない」と言うべきだが、たてつくと次の仕事がもらえなくなるから言えない』」(同上朝日新聞)

 さらに重大なのは、こうした実態を隠すための情報統制が強化されていることです。

 「BWIは、過度な情報統制にも言及した。17年に新国立競技場の建設工事に従事していた建設会社の男性社員が自殺した後、建設現場では写真を撮ることも禁じられ、問題があっても労働者が証拠を集めることもできないと指摘。労働者は、報復で失職することを恐れ、問題提起もできず、『問題が覆い隠される可能性がある』と懸念を示した」(同)

 大会組織委(会長・森喜朗元首相)も東京都(小池百合子知事)もJSCも、BWIの報告・提案に対し、いまだに何の応答もしていません。

 福島東電原発事故・放射能の「アンダー・コントロール」という安倍首相の大ウソで始まり、誘致をめぐる贈収賄疑惑も晴れぬまま、「国威発揚」「政権浮揚」「新天皇お披露目」「3・11隠ぺい」「自衛隊アピール」など数々の政治的思惑のため、無理に無理をかさねて突っ走っている東京五輪。その陰で建設労働者の人権を踏みにじり(とりわけ外国人労働者)、生命を危険にさらしている実態があることを、日本人は知らねばなりません。

 社会的弱者の人権蹂躙・差別・犠牲から目をそらし、その実態を知ろうともせず、政府(国家)とメディアのキャンペーンに踊らされ、お祭り騒ぎに興じる国民性から、日本人は脱却しなければなりません。


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天皇即位・参議院の「賀詞」から消えたもの

2019年05月23日 | 天皇制と憲法

     

 参議院は15日、衆議院(9日)に続いて徳仁天皇の即位を祝う「賀詞」を全会一致で採択しました。参議院が「衆議院のカーボンコピー」と言われるゆえんです。
 ところが、今回の「賀詞」に関しては、衆議院のコピーではなかったようです。両院の「賀詞」(全文)を較べてみましょう。

 <衆議院の「賀詞」>(2019年5月9日)

 天皇陛下におかせられましては  この度  風薫るよき日に  御即位になりましたことは  まことに慶賀に堪えないところであります。天皇皇后両陛下のいよいよの御清祥と  令和の御代の末永き弥栄をお祈り申し上げます。ここに衆議院は国民を代表して謹んで慶祝の意を表します。

 <参議院の「賀詞」>(2019年5月15日)

 天皇陛下におかせられましては  風薫るよき日に  御即位されましたことは  まことに歓喜に堪えないところであります。天皇皇后両陛下が御清祥であられ  令和の時代が悠久の歴史に新たな希望と光を添えるものとなりますよう  心からお祈り申し上げます。ここに参議院は  国民を代表して院議をもって謹んで慶祝の意を表します。

 ほとんど同じに見えますが、はっきり違うところがあります。「令和の御代の末永き弥栄」(衆院)と「令和の時代が悠久の歴史に新たな希望と光を添える」(参院)の個所、端的に言えば「令和の御代」と「令和の時代」の違いです。

 この違いの意味はけっして小さくありません。なぜなら、「御代」とは「天皇・皇帝・大王などの治世を敬っていう語」(「大辞林」三省堂)だからです。
 衆院の「賀詞」が「令和の御代」とうたったのは、自ら「国権の最高機関」(憲法41条)の地位を投げ捨て、天皇を元首扱いするもので、「主権在民」の憲法原則の明白な蹂躙です。

 参院の「賀詞」で「御代」が消えたことは、当然とはいえ、重要な変化です。その変化は偶然の産物とは思えません。なぜなら、衆院「賀詞」の段階で日本共産党が「御代」にクレームをつけていたからです(クレームをつけながら「御代」が盛り込まれた案に賛成した共産党の見識と責任が改めて問われます)。自民党は不本意ながら「御代」を「時代」に変えたのでしょうが、立法府(参院)としては最後の一線で踏みとどまったといえるでしょう。

 もっとも、「令和」という元号にそもそも“天皇の世”という意味があるともいえ、その解釈に立てば「令和の御代」も「令和の時代」も違いはないということになります(それが自民党が妥協した理由かもしれません)。しかしやはり、「御代」と公言するかどうかの違いは小さくないと思います。

 そこで想起されるのが安倍晋三首相の「即位後朝見の儀」(1日)での「国民代表の辞」です。安倍氏は、「令和の御代の平安と、皇室の弥栄をお祈り申し上げます」と述べ、「令和」が“天皇の治世”であると公然と言い放ったのです。首相としての責任と資格が厳しく問われます。

 行政府の長である首相に続いて、立法府の第1院である衆議院が決議で「御代」と言い、それが全会一致で採択された事実。それが現行憲法に照らしてどういう意味を持つのか、「象徴天皇制」の本質とともにあらためて問い直す必要があります。


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日米同盟の修復・強化と天皇の政治活動・利用

2019年05月21日 | 天皇制と日米安保・自衛隊

     

 25日来日するトランプ米大統領と安倍首相の首脳会談(27日)について、共同通信配信記事は、「日米共同声明見送りへ」と伝えました。「貿易交渉と北朝鮮対応で日米の立場に隔たりがあるため」(19日付地方各紙)です。「隔たり」は日米軍事同盟のほころびの一端といえるでしょう。

  そのほころびを覆い隠し繕うために、トランプ滞在中、大相撲観戦など数々の演出が計画されています。その中心がトランプ氏と徳仁天皇の会見・会談です。
 天皇の言動は何でも賛美する日本のメディアが、トランプ氏との会談を持ち上げるのは必至です。まして、徳仁天皇にとっては就任後初の「国賓」であり、メディアの礼賛は目に見えています。

 日米軍事同盟のほころびを繕い、さらに強化するための天皇と大統領の会談。これこそ天皇(制)の政治利用でなくてなんでしょうか。

  それは今回だけではありません。
 トランプ氏は2017年11月5日、就任後初めて来日し、翌6日に明仁天皇(当時)と会談しました(写真中、右)。そのもようはこう報じられました。

 「宮内庁によると、大統領は今回の訪問について『すべてうまくいっています。安倍晋三首相とは北朝鮮問題、防衛協力、通商問題など様々な問題について充実した意見交換を行っています。現在日米関係はかつてなく良好です』と話し、陛下は『それを聞いて喜ばしく思います。両国はかつて戦争した歴史がありますが、その後の友好関係、米国からの支援により今日の日本があるのだと思います』と話したという」(2017年11月7日付朝日新聞)

 トランプ氏は天皇に日米同盟関係が「かつてなく良好」だと報告し、明仁天皇は「それを聞いて喜ばしい」とエールを送ったのです。天皇のきわめて重大な政治的発言です。

 トランプ氏が言う安倍氏との会談で一致した「北朝鮮問題」とは、「すべての選択肢がテーブルの上にある」として武力行使も辞さないとした対朝鮮敵視の姿勢です。
 また「防衛協力」とは、トランプ氏が強硬に米国製兵器の売り込みを図ったのに対し、安倍氏がそれを唯々諾々と受け入れて巨額の米国製兵器の購入を約束したことです。

 明仁天皇の発言はたんなる政治的発言ではなく、こうした「北朝鮮問題」「防衛協力」について天皇が安倍氏とトランプ氏に賛意を示したものであり、二重三重に重大です。

 天皇と日米同盟の関係は、徳仁氏の祖父である天皇裕仁が、自己保身と「国体(天皇制)護持」のために沖縄をアメリカに差し出した「沖縄メッセージ」(1947年9月20日)に始まり、日米安保条約締結(1951年9月8日調印)へ向けた裕仁の暗躍など、切っても切れない関係です。

 明仁氏は皇太子時代から父・裕仁を踏襲し、日米同盟の維持・強化に努めてきました。徳仁氏もまたそうした祖父や父の跡を継ごうとしています。

 天皇の日米軍事同盟への関与は、憲法が禁じる政治関与であることはもちろん、憲法の平和主義にも逆行するものであり、絶対に許すことはできません。


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白鵬の「日本国籍取得」と天皇制

2019年05月20日 | 天皇制と差別・人権・民主主義

     

 大相撲夏場所をケガで休場している横綱・白鵬(本名=ムンフバト・ダバジャルガル)は、モンゴル政府に国籍離脱を申請しています。現役引退後は親方となって大相撲の発展に貢献したいと考えていますが、日本相撲協会が外国籍の親方を認めていないからです。親方になるにはモンゴル籍を離れ日本に帰化するしかないという苦渋の決断です。

  この問題での白鵬の苦悩は長く、国籍変更に強く反対していた実父が昨春亡くなる直前にそれを容認したことから、今回の離脱申請に至ったといわれています。

 「日本国籍」でないと親方になれない。きわめて不当な差別・人権侵害です。こうした国籍による差別(民族差別)は、大相撲だけではありません。

 就労の点だけをみても、「公権力行使」の公務員(国家公務員一般職など)、日本学術会議会員、さらに消防士などが、外国籍を排除しています。いわゆる「国籍条項」です。就労だけでなく、参政権(国政選挙権・被選挙権、政治献金など)も外国籍の人は認められていません。

 こうした実態が日本国憲法の「法の下の平等」(第14条)に違反していることは明白です。また、国際人権規約(1979年発効)や人種差別撤廃条約(1996年)にも反しており、日本の国際的後進性を象徴的に示すものです。

 この「国籍条項」による差別を典型的に受けているのが、在日朝鮮人です。

 白鵬の事例は、在日朝鮮人に対する日本の政策的差別と共通点があります。

 白鵬は横綱在位10年、史上最多42回の優勝が示す通り、暴行・八百長事件などで人気が低落していた大相撲を文字通り支えてきました。白鵬だけでなくモンゴル勢をはじめ外国出身の力士がいなければ、今日の大相撲はなかったと言っても過言ではないでしょう。

 相撲人気を維持するためには外国籍力士を利用しながら、彼らが親方になろうとすると「国籍条項」で差別して排除する。日本相撲協会のやり方は、戦前・戦中、労働力・戦力確保のために植民支配していた朝鮮人を強制徴用しておいて、戦争が終わる(敗戦)と、「日本国籍」をはく奪し諸権利を奪った日本政府の仕打ちに通じます。

 その根底には「天皇制」という共通項があります。

 在日朝鮮人・台湾人を公式に「外国人」としたのはサンフランシスコ講和条約(1951年9月8日調印、52年4月28日発効)ですが、その前に、敗戦後まもなく実質的に在日朝鮮人・台湾人から「日本国籍」を奪う措置がとられました。それが「外国人登録令」(1947年5月2日)です。そこには「台湾人及び朝鮮人は、当分の間、これを外国人とみなす」と明記されていました。

 「外国人登録令」は天皇裕仁の「勅令」として発せられました。史上最後の「勅令」です。日付で明らかなように、日本国憲法が発効する前日に発せられたもので、「法の下の平等」はじめ基本的人権の尊重をうたった憲法が発効する直前に、天皇の名によって在日朝鮮人・台湾人を「外国人」にして諸権利を奪うという、きわめて狡猾な天皇制政府の暴挙です。これが今日に続く「国籍条項」による在日外国人差別の原点です。

 日本はそうやって「日本国籍」を奪っておきながら、在日朝鮮人の民族教育を攻撃し(今日の高校無償化からの排除、補助金の停止など)、教育・思想的な同化政策をとっています。一方、大相撲では、千秋楽における白鵬の「万歳三唱」や「三本締め」に対し協会が「大相撲の伝統に反する」として警告処分にしました。その背景に大相撲の「国技」思想、神道・天皇制との深い関係があります。差別しておきながら「同化・皇民化」を求める。これも共通点です。

 そもそも日本は「国籍」において、諸外国の「生地主義(属地主義)」と違って「血統主義(属人主義)」をとっていますが、そこには「単一民族」思想があり、天皇制の影が大きく投影しています。

 大相撲はじめ「国籍条項」による在日外国人に対するさまざまな差別の根底に天皇制があることを「日本人」は銘記する必要があります。


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日曜日記50・ブレーキとアクセル・「加害者ではなかったか」・靖国抗議見せしめ弾圧

2019年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

☆ブレーキとアクセルの踏み間違い

 高齢者運転の自動車事故は他人事ではない。被害者はもちろん、わずかな不注意で加害者になれば、一瞬で人生が暗転する。高齢者事故の多くは「ブレーキとアクセルの踏み間違い」と報じられる。この言葉を何度聞かされたことだろう。

 自動車業界、そして政府(国交省、経産省)は、「ブレーキとアクセルの踏み間違い」にいったいどのような対策をとってきたのか。抜本的な対策はとられていない。今日の科学・技術を駆使すれば「踏み間違い」を車体の構造的に防止することは不可能ではないはずだ。

 公共交通を次々に廃止し、自動車がなくては生活できない「自動車社会」をつくりだして自動車業界をぼろもうけさせておきながら、頻発する事故への対策はとらない。自動車業界と政府の癒着・責任放棄は言語道断だ。人はいくら注意してもミスを犯す。それを防止し、影響を最小限に抑えるのが企業の社会的責任であり、政府の義務ではないのか。

 自動車企業は「史上最高〇兆円の利益」と浮かれたり、内紛に明け暮れている場合ではない。政府はリニアモーターカーにうつつを抜かしているときではない。ただちに全力を挙げて、「ブレーキとアクセルの踏み間違い」への抜本的な対策を取るべきだ。

 ☆「加害者ではなかったか」の問いかけ

  ハンセン病の国家賠償訴訟で画期的な勝訴を勝ち取った熊本地裁判決(2001年)。その原告(元患者)弁護団長で、いまは同家族訴訟の弁護を務めている徳田靖之弁護士が、5月12日放送のEテレ「こころの時代」で話していた。
 学生時代から底辺の生活にあえぐ人々に接し、自らの立ち位置を常に見つめながら、原告(元患者ら)に寄り添い、政府とたたかってきた素晴らしい弁護士だ。

 徳田さんは熊本判決の2年後に起こった「ホテル宿泊拒否事件」を例に、「差別をつくっているのは国だが、直接の加害者は隣近所の一般市民だ」として、こう語った。

 「一般市民が自分たちの加害性をどれだけ認識できるかがカギを握っている。自分はハンセン病をどう考えてきたか、どうかかわってきたか、何か知ろうとしてきたのか。『自分は加害者ではなかったか?』『あなたは加害者ではなかったですか?』。その問いかけがとても大切です」

 ☆靖国抗議見せしめ弾圧事件と私たち

 「人質司法」として日産・ゴーン元会長の長期勾留が報じられることは多いが、私たちが「ゴーン問題」と同様に、いや、それ以上に知らねばならない不当な長期勾留がある。

 日本帝国陸軍による南京大虐殺のメモリアルデー(1937年12月13日)前日の昨年12月12日、靖国神社外苑で、「南京大虐殺を忘れるな 日本の虐殺の責任を追及する」と書かれた横断幕を掲げて抗議活動を行った香港人男性と、それを取材していた香港人女性記者が不当逮捕された事件だ。
 2人は不当逮捕から5カ月以上たった今も勾留されている。しかし、この事件自体、そしてその後の経過を知る日本人は少ないだろう。日本のメディアが無視しているからだ。

 2人の逮捕・起訴はたんに不当なだけではない。彼らはわれわれ日本人が本来やらねばならない抗議活動を、われわれに代わってやってくれたのだ。それに対し、日本の国家権力は2人を逮捕・起訴することによって、南京大虐殺の史実を隠ぺいし、抗議活動を抑止しようとした。明らかな見せしめ弾圧事件であり、国家権力の狙いは日本の「一般市民」の支配だ。

 メディアのせいにして「知らない」「知らなかった」ではすまされない。われわれは自らに問いかける必要がある。「自分はこの事件を知ろうとしたのか、南京大虐殺の歴史を知ろうとしてきたのか。自分は加害者ではないか?」


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丸山議員に対する「辞職勧告決議案」は正当か

2019年05月18日 | 差別・人権

     

 野党6党派は16日、丸山穂高衆院議員に対する「議員辞職勧告決議案」を衆議院に提出しました。「国会全体の権威と品位を著しく汚した」「わが国の国是である平和主義に反し」た、という理由です。

 メディアも「平和国家・日本の国会議員として失格である。速やかに議員を辞職すべきだ」(15日付朝日新聞社説)、「議員として許容される範囲をあまりに逸脱した発言だ。もはや国会に籍を置くべきではなかろう」(15日付毎日新聞社説)などと、辞職を勧告しています。

 これに対し丸山氏はツイッターで、「言論府が自らの首を絞める行為に等しい」(16日付共同配信記事)とし、議員を続けると表明しています。

 丸山氏の「戦争しないとどうしようもなくないですか」(11日、国後島で元島民の訪問団長に)などの発言が、許すことのできない暴言であることは言うまでもありません。その責任は厳しく追及されなければなりません。

 しかし、そのことと、それを理由にした議員辞職勧告は別の問題です。明確に区別して考えねばなりません。

 辞職勧告に関しては、決議案を提出した6党派や「朝日」「毎日」などのメディアの論調よりも、丸山氏の主張の方に正当性があると言わざるをえません。なぜなら、今回の辞職勧告決議案は、国会議員の発言の内容を問題にし、それが議員として失格だと断じるものだからです。

 これまで国会に提出された「辞職勧告決議案」はいずれも、贈収賄や政治資金規正法違反などで逮捕・起訴されたり有罪判決が下された場合に提出されました。刑事事件にかかわる実際の行為がその理由だったのです。しかし今回は、そうした行為ではなく、議員の発言(言論)の内容で議員を辞職させようとするものです。
 これは議員の思想・信条の自由、言論の自由に対する重大な侵害であり弾圧です。戦後の憲政史上大きな汚点を残すものと言わねばなりません。

 「国会全体の権威と品位を著しく汚した」とは抽象的ですが、その意味するところを、日本共産党の志位和夫委員長は16日の記者会見でこう述べています。

 「志位氏は、丸山氏の発言は…戦争の放棄を定めた憲法9条と、閣僚や国会議員などの憲法擁護尊重義務を定めた憲法99条に反する『二重の憲法違反』の『最悪の発言』であり、『まったく国会議員の資格はない』と指摘しました」(17日付「しんぶん赤旗」

 丸山氏の発言の内容が「二重の憲法違反」だから「国会議員の資格はない」というのです。これはきわめて重大で危険な主張です。

 確かに丸山氏の発言は9条など憲法の「平和主義」に反しています。その低劣さ、荒唐無稽さは尋常ではありません。しかし、憲法の平和主義に反している国会議員は丸山氏だけではありません。

 日米安保条約、自衛隊はともに9条などの憲法の「平和主義」違反です。9条に反する発言をする議員は国会議員の資格がないというなら、日米安保・自衛隊を容認・賛美する発言を行う国会議員はみんな国会議員の資格がないということになり、国会に議員はいなくなります。

 憲法99条は確かに、「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と規定しています。
 しかしその意味は、「権力行使者が憲法に違反する行為を行うときには、これに制裁を科するのは容易ではない。だからこそ、権力行使者の憲法尊重擁護義務を明文で宣言し、注意を喚起しておく必要があると考えられているのである」(高橋和之著『立憲主義と日本国憲法』有斐閣)と解されています。

 また、「立法の担い手である国会議員は、憲法を尊重擁護することを前提として各種の法律を策定しなければならない」(志田陽子著『表現者のための憲法入門』武蔵野美術大学出版局)。さらに、「国会議員など国政上の実質的判断権限を認められている者は、その判断権限の行使に際して憲法に従うことが要求される」(安西文雄九州大教授『憲法学読本』共著・有斐閣)などの指摘(解釈)も合わせると、99条の憲法尊重擁護義務は、あくまでも国会議員の立法活動という権限行使の行為について課せられているものであり、けっして議員の思想・信条、言論を縛るものではありません。

 仮に、国会議員の言論活動の内容がすべて憲法に沿うものでなければならないとするなら、「憲法改正」を毎年党大会で確認している自民党の国会議員は全員議員辞職すべきだということになります。

 また、2004年の党大会で綱領を変えるまで憲法(第1章)に反する「天皇制廃止・共和政」を掲げていた日本共産党の国会議員も、「国会議員の資格」はなかったということになるではありませんか。

 国会議員(政党)の思想・信条、言論活動を権力(「国会決議」もその一種)で縛ることはできません。縛ってはいけません。それはもちろん、現行憲法に対する批判、憲法改正の主張も含めてです。そうでなければ政治(憲法も含め)や社会の進歩・発展はありません。それが戦前・戦中の苦い教訓ではなかったでしょうか。
 議員や政党の主張、政策の是非は自由で活発な言論活動の中で判断され淘汰されていくべきです。

 繰り返しますが、丸山氏の暴言と、それを理由にした議員辞職勧告は別の問題です。暴言を吐いた人物だからといって、その正当な主張まで抹殺することは許されません。


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