アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記247・人は「死んだら終わり」か

2023年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム
  25日は乗客106人と運転士1人が死亡した尼崎JR脱線事故から18年だった。その日の京都新聞夕刊に、事故で次男の芳国さん(当時35歳、美容師)を失った沖剛さん(86)の記事が載った。(写真は沖さんと芳国さんの肖像画)

 事故の前年に長男が病気で亡くなっており、事故の翌年には妻も病死した。突然一人取り残された沖さん、「死のうと思ったことも何度もあった」という。

< そんな時、芳国さんの美容師仲間やかつての常連客から届いた手紙が、ぽっかりとあいた心の穴を埋めた。(兵庫県)三田市出身で千葉県船橋市に住むパート野口麻衣子さん(44)は、高校時代に芳国さんによく髪を切ってもらっていた。過去の経験から男性に不信感があったが、芳国さんは信頼して話ができる貴重な存在だった。「穏やかにフフッと笑う、聞き上手で共感力の高い方。心の回復の支えになってくれた」
 野口さんは葬儀に参列後、剛さんに手紙を書いたのをきっかけに交流が開始。今年は芳国さんの誕生日に剛さんに電話をかけた。「忘れていない人がいるよ、と伝えたかった。お父さんにはいつまでも元気でいてほしい」と話す。>

 この記事になぜ引かれたかというと、「人は死んだらどうなるのだろうか」という疑問に1つのヒントが示されているような気がしたからだ。

 僧侶で看護師の玉置妙憂氏は、「生命の行方」(死んだらどうなるか)について、「だいたい次の五つのどれかに当てはまる」という(4月3日付京都新聞)。

①肉体的な生命で完結する(この世だけ。死んだら終わり。何もなし)。
②死後の生命の永生を信じる(あの世がある。天国や極楽浄土で幸せに暮らす)。
③形を変えて存在する(輪廻転生。魂は続くが、形は変わる)。
④自己の生命を子どもや孫に託す(DNAで永遠に続く)。
⑤永遠の生命(天、宇宙、自然、神、仏など)に融合する。 

 これまで①だと信じて疑わなかった。しかし、それではいかにも寂しい、と思うようになった。かといって、②~⑤から1つ選ぶこともできない。一長一短がある。

 そう思っている中で、沖さんの記事を読んだ。
 突然の事故で自分も家族はじめ周囲も予期せぬ死を迎えねばならなかった芳国さん。だが、芳国さんが生きた証は確実に受け継がれ、残った人々を励まし続けている。これは「生命」が継承されている、ということではないだろうか。
 大切なヒントを与えてくれた記事だった。考え続けたいと思う。

【週間ファイル】

入管法改悪案が自民、公明、維新、国民4党の賛成で衆院委可決(28日)
GX脱炭素電源法案(束ね法案)が自民、公明、維新、国民4党の賛成で衆院本会議可決(27日)
韓国・尹錫悦大統領がワシントンで日韓米の軍事協力を強調(26日)
防衛省・自衛隊が沖縄・先島諸島に地対空誘導弾パトリオット(PAC3 )配備強行。玉城デニー知事が理解(25日)
…重要な出来事が続いた1週間だった。悪法が与野党一体で十分な審議もせず通るのは、軍事国家・ファシズムの特徴。

【今週のことば】

 辛淑玉さん…「ニュース女子」(旧DHCテレビ制作)のヘイト訴訟が、初回口頭弁論から5年を超えて最高裁で勝訴確定(26日付)

「判決は正直とてもうれしい。ただ、長かったし苦しかった。…私に対する名誉毀損で勝っただけで、沖縄差別と基地反対運動に対する弾圧に勝ったわけではない。…自分が払った犠牲に比べれば小さな一歩でも、この結果が勝ち取れたことは差別やレイシズム(人種差別)を食い止める次の一歩につながる。勝って終わりではなく、スタートだ」(28日付沖縄タイムス)
「国家の敵と一度標的にされると、負けたらもっとひどいことになると思っていた。勝たなくてはいけない裁判だった。…誰かが何かをしてくれる国ではない。討ち死にした多くの人もいる。闘い続けるのが私の次の課題」(28日付琉球新報)
…辛さんは闘いつづける。

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「4・28」に対する“3つの立場”が意味するもの

2023年04月29日 | 沖縄と日米安保・自衛隊
   

 71年前の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約が発効しました(調印は51年9月8日)。この日に対しては、3つの立場があります。

 第1は、この日を日本が「主権を回復した日」として祝う立場です。日本政府(歴代自民党政権)の立場で、日米安保(軍事同盟)体制を賛美し、その維持・強化を図る政治的意図です。

 それを露骨に表したのが安倍晋三元首相でした。安倍元首相は2013年4月28日、「主権回復の日」として政府主催の式典を東京で強行。ここに明仁天皇・美智子皇后(当時)を出席させ、自ら「天皇陛下万歳」を唱えました(写真左・中)。

 第2は、この日を「屈辱の日」とする沖縄の人々の立場です。
 日米両政府は、天皇裕仁の「沖縄メッセージ」を受け、サ条約によって沖縄を切り離し、引き続きアメリカの統治下に置きました。これによって沖縄は、日本国憲法から排除され、軍事植民地状態が続きました。沖縄の人々が「屈辱」と捉えるゆえんです。安倍元首相が政府式典を強行した日、沖縄では「「屈辱の日」沖縄大会」が開催されました(写真右)。

 私はこれまで、以上の2つの立場が鋭く対立していると考えていました。しかし、沖縄にはもう1つの立場があります。第1の立場と対立しながら、「屈辱の日」という捉え方をも批判する立場です。
 その考え・思想を明確に示したのが、27日付沖縄タイムスに掲載された渡名喜守太氏(沖縄国際大非常勤講師)の論稿です。要旨はこうです(抜粋)。

< 「4・28」を「屈辱の日」と呼ぶメンタリティーの根底にあるのは同じ日本人、同胞でありながら切り離すとは薄情だという、日本に対してすがりつこうとする心情である。近代沖縄で行われた同化政策の結果、自己を日本人(民族)と誤解して日本を「祖国」と思い込み、「屈辱の日」としてきた。

 一般の沖縄人のみならず政治家・役人・教師・知識人・運動のリーダーら指導者たちの日本人意識、言い方を変えれば日本に対する同胞との錯覚、日本人になろうとする意識は根深いものがある。

 沖縄は常に日本の防波堤として犠牲にされ、取引材料として切り捨てられ、搾取の対象とされてきた。文化も言語も否定され、今でも沖縄人は差別の対象である。

 この国の未来にどのような光明があるのだろうか。この国にしがみついてどのような明るい展望があるというのだろうか。沖縄にとっては絶望的な未来しかないだろう。このような息苦しさを感じている沖縄人は少なくないだろう。
 にもかかわらず、沖縄のリーダーたちは息苦しさの中で生きている沖縄人の救いになっていないのである。>

 「屈辱の日」と呼ぶ根底に「日本にすがりつこうとする心情」がある人がどのくらいいるのか、私にはわかりません。しかし、上記第2の立場の人がそういう人々ばかりでないことは確かでしょう。

 例えば、28日付琉球新報の社説は、沖縄戦で「捨て石」とされ、今も辺野古新基地建設など基地を押し付けられている沖縄の実態を指摘したうえで、「今に続く苦難の歴史を忘れてはならないという意思に基づき、県民は4月28日を「屈辱の日」として記憶しているのである」と書いています。

 興味深いのは、28日付の沖縄タイムスです。タイムスも社説で「4・28」を取り上げました。しかし、新報の社説がタイトルも「4・28「屈辱の日」」としたのとは対照的に、タイムスの社説のタイトルは「きょう「4・28」」で、本文中にも「屈辱」の文字は1つもありません。ただし、同紙も1面の記事ではきょうは「屈辱の日」だと書いています。タイムスの紙面は「4・28」をめぐる沖縄の人々の複雑・多様な思いを反映しているように思えます。

 渡名喜氏の主張の眼目は、「沖縄人としての自己決定権行使」の必要性です。そして論稿では触れていませんが、その先に沖縄(琉球)の「独立」が想定されているでしょう。
 その主張・思想がどう広がっていくのか、それは沖縄の人々が決めることです。

 重要なのは、新報の社説もタイムスの社説も、結論は同じだったことです。
「米軍、自衛隊の基地機能の強化を沖縄で進めている。この軍備強化は県民が求める基地負担軽減に逆行する。再び沖縄を盾にするつもりなのか」(琉球新報)
「戦争が起こることを防ぐこと、東アジアの軍縮を進めること。この困難な作業を通して、その先に、沖縄の未来を展望したい」(沖縄タイムス)。

 「4・28」にあたって私たち「本土」の日本人に必要なことは、沖縄を再び戦場にしてはならない、そのために日米安保条約(軍事同盟)の下で強化されている軍拡・沖縄のミサイル基地化を絶対に阻止しなければならない、という決意を新たにすることでしょう。

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「首相に解散権」は天皇の政治利用

2023年04月27日 | 天皇制と政権
  
 

 地方選後半が終わり、「解散・総選挙」が取り沙汰されるようになりました。岸田文雄首相は24日、「今、衆院解散・総選挙は考えていない」と述べ、メディアは大きく報じました。
 
 道理に合わないことも慣習化すれば批判されることなく常態化する例は珍しくありません。「解散は首相の専権事項・伝家の宝刀」という言葉とともに流布している「首相に解散権」という俗説はその典型です。ことは国政の根幹にかかわる問題だけに、見過ごすことはできません。

 憲法が「衆議院解散」について触れているのは2個所しかありません。

 1つは、第69条「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、または信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」。
 この条項に基づく解散が、いわゆる「69条解散」です。

 もう1つは、第7条「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う」の第3項「衆議院を解散すること」です。
 この条項に基づく解散が、いわゆる「7条解散」です。

 「解散権は首相にある」という俗説の“根拠”はこの憲法7条第3項です。

 しかし、条文から明らかなように、7条は「天皇の国事行為」についての規定であり、内閣は「助言と承認」をするとされているにすぎません。首相が自らの判断(党利党略の政治判断)で解散することが「助言と承認」の枠を超えていことは明白です。

 憲法学説でも、解散は7条では不可能であり69条によってのみ可能であるとする「69条限定説」があります。ただこれは学説上少数派とされています。

 しかし、「7条解散」を合憲とする立場でも、「内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は不当である」(芦部信義著『憲法』)というのが通説です。
 時の政権による解散・総選挙はすべて「党利党略」に基づくものであり、憲法学会の通説からみても「解散は首相の専権事項」などといって首相にフリーハンドの「解散権」があるとするのは憲法蹂躙と言わねばなりません。

 現憲法下でこれまで25回解散が行われています。このうち「69条解散」は4回しかありません(1948年、53年、80年、93年)。直近の30年間に行われた9回の解散は全て「7条解散」です。

 故安倍晋三元首相は、『回顧録』で、自分が行った2度の解散(2014年11月、17年9月)を「長期政権を築いた」原動力として誇示しているそうです(25日付京都新聞、私は『回顧録』を読んでいません)。

 百歩譲って「7条解散」が合憲だとしても、それが「天皇の国事行為」を利用した政権の政治行為であることは誰も否定できないでしょう。
 衆議院解散とは、立法府第1院の議員を失職させる(首を斬る)ことです。これを行政府の長にすぎない首相が自由に行えることは、三権分立の蹂躙も甚だしく、独裁政権に道を開くものと言わねばなりません。安倍晋三氏が誇示するはずです。

 この内閣の横暴が批判も受けずまかり通っているのは、「天皇の国事行為」という隠れ蓑があるからです。ここに、時の政権による「天皇の政治利用」の実態があります。

 「(象徴)天皇制」は、国家権力にとって支配強化のために利用する意義がある一方、市民にとっては民主主義を蹂躙する害悪以外の何ものでもありません。「7条解散」はそのことを示す代表的なものです。
 

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注目すべきブラジル大統領のウクライナ和平案

2023年04月25日 | 国家と戦争
   

 ブラジルのルラ大統領が先にウクライナ戦争和平案を提唱しました。これに対し、ウクライナ、アメリカ両国政府は直ちに反発し、日本のメディアではほとんどまともに報道さえしませんでした。しかし、ルラ氏の主張はきわめて正当なもので、注目し検討すべきです。

 20日付朝日新聞デジタルによれば、ルラ氏は15日、中国訪問後にメディアなどの取材に対しこう述べました。

米国は戦争を助長するのではなく、平和についての話し合いを始めるべきだ。戦争を止める責任はプーチン大統領だけでなくゼレンスキー大統領にもある

 ブラジルはロシアによるウクライナ侵攻については「国際法違反」と断じ、国連の非難決議にも賛成票を投じました。その一方、ルラ氏は、「戦争への「中立」姿勢を維持しようとする他のグローバルサウスの国々とともに、交渉による戦争終結を主張」(20日付朝日新聞デジタル)しています。

 ルラ氏は、欧米による経済制裁やウクライナへの武器供与に強く反対し、「戦争を長期化させているのは武器供与が原因の一つだ」(同)と述べています。

 「ブラジル日報」デジタル版(2月25日付)によれば、ルラ氏はすでに2月の時点で和平案を提示。プーチン大統領はそれを検討したといいます。

「ルーラ大統領の提案とは、ウクライナ侵攻に関して中立を保っている国々が「平和グループ」を結成し、当事者両国に停戦を申し出るというものだ。この案はルーラ大統領が1月にドイツのショルツ首相、2月に米国のバイデン大統領と会談した時にも提案したが、冷たい態度で接された」(同「ブラジル日報」)

 NHK「国際報道2023」(19日)でも、「平和グループ」による調停というルラ氏の和平案が報じられました。それによると、ルラ氏が想定している「平和グループ」は、ブラジルのほか、中国、インド、インドネシアなどが含まれるといいます。

 こうしたルラ氏の和平案に対し、アメリカのカービー戦略広報調査官は、「ロシアと中国のプロパガンダを鵜呑みにしている」と一蹴しました。

 限られた断片的報道から分かるルラ氏の主張・和平案の要点は、①アメリカなどの武器供与が戦争を長期化させている②グローバルサウスといわれる「中立」の国々が停戦を調停する③停戦の責任はプーチン大統領だけでなくゼレンスキー大統領にもある―というものです。きわめて妥当ではないでしょうか。

 ウクライナやアメリカは、中国が提示した和平案(2月24日発表)に対しても直ちに拒否しました。内容に不満・批判があるなら、協議の中で主張し、一致点を見いだすべきです。
 しかし、ウクライナ、アメリカ両政府は、ブラジルや中国の和平案を拒否するだけで、自ら和平案を示すことはありません。ゼレンスキー氏は「徹底抗戦」を唱え続け、バイデン大統領は武器供与でそれをあおっています。

 最も重要なことは、これ以上双方に犠牲者を出さないことです。そのために1日も早く停戦協議を開始することです。ブラジルや中国の和平案はその入口・たたき台に十分なりえるのではないでしょうか。

 注目されるのは、5月19日から広島で行われるG7サミットにブラジルがインドやベトナムなどとともに招待されていることです。

 この場でルラ氏がどのような主張をするのか。それに対しG7各国、そしてインドやベトナムのグローバルサウスがどう反応するのか。メディアはどう報じるのか。ウクライナ戦争の停戦・和平に対するそれぞれの姿勢が浮き彫りになる可能性があります。

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「4・24阪神教育闘争」の今日的教訓は何か

2023年04月24日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本
   

 75年前の4月24日、「朝鮮人学校閉鎖命令」に抗議する在日朝鮮人ら約1万5000人が兵庫県庁に詰めかけ、その撤回を要求しました。これに対しGHQ(神戸基地司令官メイア代将)は「非常事態宣言」を発し、米軍と日本の警察が一体となって徹底的な弾圧を行いました。「4・24阪神教育闘争」です。

 2日後の4月26日、大阪の3万人集会が武力弾圧され、金太一少年(当時16歳)が警察に射殺されました(4.26大阪教育闘争事件、写真中)。

 在日朝鮮人の民族教育弾圧・人権蹂躙に対するこの闘争は、日本の植民地支配、そして天皇制とも深くかかわっており、日本人がけっして忘れてはならない歴史的な事件です。
 同時にそれは、安倍晋三政権によって強化された朝鮮人学校差別(無償化制度からの排除等,、写真右)につながるきわめて今日的な問題です。(2021年4月24日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20210424)

 ここではさらに別の視点から、「4.24」の今日的意味を考えます。

 「4.24阪神教育闘争」から60年後の2008年4月24日、『戦後在日朝鮮人の民族教育擁護闘争―「4・24阪神教育闘争」60周年を記念して―』(発行・在日朝鮮人兵庫県民族教育対策委員会)が上梓されました(写真左)。その中に、「朝鮮学校事件に関する調査団の声明」(1948年5月16日)が収録されています。

 調査団は、布施辰治氏(自由法曹団)ら8人の日本人法曹関係者、文化人、労組代表によって構成されました。

 「声明」は、「問題の根本は在日朝鮮人居留者に、朝鮮人教師と朝鮮語教科書による彼等の自主的な民主教育を許すか否かにある」と指摘したうえで、こう結んでいます。

「両国(朝鮮と日本―私)人民の融和について理解をもつ代わりに、事態の真因を隠蔽し、「朝鮮人の治安破壊」を国民大衆に印象づけようとする当局の離間的態度は、平和的な将来の両国人の関係に危険な暗影を投ずるものである。かつこれを利用して昨今、顕著となりつつある警察国家再現の条件とする傾向は、民主日本にとって由々しき暗影を投ずるものといわねばならない。…ことは軍と朝鮮人の学校事件でなく日本人民の問題であり、そして世界の平和と関連する重大な問題である」


 この指摘がいかに正鵠を射ていたか、その後の経過を振りかえってみましょう。

 1949・7・5  下山事件
    7・15  三鷹事件
 1950・6・25  朝鮮戦争勃発
    7・18  「アカハタ」無期限発行停止
    8・10  警察予備隊令公布
 1951・9・8  サンフランシスコ「講和」条約・日米安保条約調印
 1952・4・28  同条約発効
    7・21  破壊活動防止法公布
    7・31  警察予備隊を保安隊に改組
 1954・6・9  自衛隊発足

 調査団の「声明」が警鐘を鳴らした通り、「4・24」はその後の「警察国家再現」さらには「軍事国家再現」の入口であり、それは「事態の真因を隠蔽」した「朝鮮人の治安破壊」というデマが「国民大衆に印象づけ」られた下で強行されたものでした。

 それから70余年。「北朝鮮のミサイル」「北朝鮮の挑発」という「事態の真因」(アメリカの極東戦略と日米軍事同盟)を隠蔽したプロパガンダが自民党政権とメディアによって繰り返され、それを口実に自衛隊増強と日米軍事同盟深化(米軍との一体化)、戦争国家化が急速に強行されています。

 朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)・在日朝鮮人への偏見・差別を払拭し、事実に基づいて友好関係を作り上げていくことが、朝鮮半島と日本、世界の平和に通じ,、日本の戦争国家化をくい止める。それが「4・24阪神教育闘争」から日本人がくみとるべき今日的教訓ではないでしょうか。

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日曜日記246・もっと増やしたい「キャンサーギフト」

2023年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム
   『ボーダー―移民と難民』(2022年)などの著書があるノンフィクション作家の佐々涼子さんが、ラジオ深夜便(9日)で自らの闘病生活を語った。

 大学卒業直後に結婚しいったん「専業主婦」となったが、39歳で一念発起しライターを志して専門学校へ。2012年に『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』で開高健ノンフィクション賞を受賞。旺盛な執筆活動を続けている最中の2022年11月、悪性脳腫瘍(がん)を発症し大手術。後遺症で手が不自由になりリハビリ中だ。

「自分が大病して、もしかしてそんなに長く生きられないかもしれないと分かって、みかんの美味しさ、富士山の美しさに感謝した。子や孫がいて、自分がどんなに幸せか分かった。
 手術でいろんな機能を失って、障害者として生きることがどんなに大変か分かった。
 幸せな人生とは何なのか。それが私に与えられた大きな宿題。それをいつか書きたい。それまでは死にません」

 佐々さんの話を聞いて、「キャンサーギフト」という言葉がすぐ浮かんできた。

 1年半前の同じラジオ深夜便で、植物写真家でエッセイストの杣田美野里(そまだ・みのり)さんのインタビューを聞いた(2021年10月15日)。

 家族で北海道・礼文島に移住していた杣田さんは、インタビューの5年前に末期の肺がんを告知された。苦しい闘病生活を励ましたのは、礼文の草花だった。杣田さんがとりわけ好きだったのが、この地でしか見られないレブンアツモリソウだった(写真)。

 礼文の植物写真にエッセイをつけて『キャンサーギフト 礼文の花降る丘へ』(北海道新聞社2021年8月)を著した。その中にこうある。

キャンサーギフトという言葉があります。「がんになったからこそ受け取れるもの」という意味です。…がん患者であることは、けっして幸せなことではありません。でも、命の期限を知り、いろいろなことを諦めたその後で、当たり前と感じていたものが輝きを増すことがあるのだと思います。
 そのほんの小さなギフトたちは、形は違っていても、誰にでもきっと降りてきます。これが、私の見つけたキャンサーギフトの正体です

 インタビュー収録から間もなく、杣田さんは永眠された。

 杣田さんの話を聞き、同書を読んだのは、大腸がんの手術から1カ月後だった。不安な前途に光が射した気がした。

 それから1年半。「宗教」について考えたい、学びたいことが1つの動機で京都に移った。それは「死」の恐怖から逃れるためだが、人生について、人間について新たな問題意識を開いてくれた。

 これが私への「キャンサーギフト」だろう。せっかくもらった「ギフト」、大切にしよう。佐々さんのように「それを書くまで死なない」と言えるほど強くないが、死ぬまでいろんな「ギフト」を増やしたい。

【週間ファイル】

自民・世耕参院幹事長「学術会議改正案のめないなら民間組織に」(21日の記者会見)…権力者の露骨で醜悪な脅迫

韓国・釜山で「福島第一原発汚染水投棄阻止市民大会」(20日)…ハンギョレ新聞が大きく報じ、日本のメディアは無視

故ジャニー喜多川氏の性加害について、NHK・林理恵メディア総局長「きちんと発信している」(19日の記者会見)…事実に反する言い訳は墓穴を掘る

【今週のことば】

 白木敦士氏(琉球大准教授)―故ジャニー喜多川氏の性加害事件について

「疑惑を放置することの最大の弊害は、子どもたちに対し、性暴力の被害者になった場合に、声を上げても無駄であると、諦めの気持ちを植え付けることにある。…
 日本社会が直視しない限り、性暴力は生き延び続ける。ジャニーズ文化の中で育った私たち大人にとって、その直視は苦痛を伴う。覚悟が問われているのは、ジャニーズ事務所だけではない。私たち大人は、何を恐れているのか」(18日付琉球新報)

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監視カメラが日常化する新たな危険

2023年04月22日 | 監視社会と政治

   

 事件が起こるたびに容疑者特定の「決め手」としてテレビ画面に何度も映し出されるのが監視カメラ(「防犯カメラ」)の映像です。岸田文雄首相に爆発物が投げられた事件(15日)でも、木村隆二容疑者の行動が和歌山駅の監視カメラから追跡的に公開されました(写真)。

 監視カメラは、まるで事件解決の正義のツールであるかのように日常化されていますが、これはきわめて危険な状況です。なぜなら、その本質は、市民の日常生活を無差別に監視・記録し、警察や検察が必要な時にいつでも利用することができる国家権力による市民支配のツールに他ならないからです。

 監視カメラを「防犯カメラ」と言い換え、メディアがそれを常用していることは、その実態を覆い隠すものです。

 日弁連が「監視カメラに対する法的規制に関する意見書」を出したのは2012年1月19日。すでに11年以上前です。

 「意見書」は、「犯罪の発生を前提とせず、不特定多数人の肖像を、個人識別可能な精度で、連続して撮影し、録画ないし配信を行う「監視カメラ」の増加は、プライバシー権等の保障の観点から看過できない」とし、①設置場所に関する基準②設置装置の機能に関する基準③設置者の運用基準④捜査機関の運用基準―の4つの基準の明確化・法的規制と、それを監督する第三者機関の設置を要求しました。

 しかしその主張・要求は実現することなく、国家権力の狙いとそれに同調するメディアによって、監視カメラの無原則的設置・使用が広がっています。重大なのは、市民・市民団体の側からもそれに対する警戒・批判の声が鳴りを潜めている(と思われる)ことです。

 今回の「爆発物事件」に関連して、ある「専門家」が「AIを使えば聴衆をもっと厳密にチェックすることができる」と言っていましたが(16日の日テレ「バンキシャ」)、AIを監視カメラに応用すれば「監視社会」はかつてなく深刻なものになるでしょう。

 さらに憂慮されるのは、岸田政権が閣議決定した「軍拡(安保)3文書」の下で、「監視カメラ」の設置と運用が市民社会を根底から変質させる恐れがあることです。

 今回も含め、事件のたびに流されるカメラ映像には、市民・市民団体が「提供」したものが含まれています。それは「事件捜査」「犯罪抑止」への協力という「善意」かもしれませんが、客観的には国家権力による市民監視に手を貸していることになります。それが市民による相互監視・相互告発の社会につながっていく危険性はきわめて大きいと言わねばなりません。

「軍拡3文書」の「国家安全保障戦略」が目論んでいるのは、「国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる」戦争国家です。その戦略に監視カメラが位置づけられれば、アジア・太平洋戦争において戦時国家を支えた「隣組」による相互監視の今日版となる怖れがあります。

 監視カメラを削減・撤去することが現実には不可能であるなら、少なくとも日弁連が要求した「4つの基準」を今こそ明確に制定することが喫緊の課題です。

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軍事が生活に浸透する危険―与那国は日本の先触れ

2023年04月20日 | 沖縄と日米安保・自衛隊
   

 12日の琉球新報に、「自衛隊配備 揺れる沖縄の離島」と題した報道写真家・石川文洋氏のルポが掲載されました(共同配信)。政府・防衛省がミサイル基地化を進めている石垣島と与那国島のルポです。与那国のルポはこう結ばれていました。

「与那国島では15年2月、自衛隊配備の賛否を問う住民投票が行われ、賛成多数で自衛隊招致が決まった。(中略)
 自衛隊配備に伴う交付金で、ごみ処理場ができた。現在の人口約1650人のうち、自衛隊員と家族が計250人いる。自衛隊の家族が、町の式典などに参加することを喜ぶ人もいる。
 配備反対の中心だった70代の男性も「自衛隊や家族が定着すると反対の声を大きくする雰囲気ではなくなった」と話した。
 与那国島では、自衛隊の駐屯地反対の看板やビラは見られなかった」(石川文洋氏、12日付琉球新報。写真左は与那国島の自衛隊レーダー=石川氏撮影)

 経済的に困難な状態に置いておいて「交付金」で釣るのは政府(国家権力)の常套手段ですが、石川氏のリポートが伝える与那国の状況にはそれとは質を異にする危険性があると思います。

 その危険性の意味を、沖縄の作家・田仲康博氏(元国際基督教大教授)の論稿から考えます。

「「戦前回帰」とはいっても、本土と沖縄では異なる風景が見えてくる。…国家権力は知らず知らずのうちにわたしたちの風景に忍び寄り、わたしたちの言葉と身体を萎縮させる。異議申し立ての声がどこにも届かないという空気が醸成され、人々の間に拡散されていくとき、失われるものはまず言葉だ。(中略)
 あきらめが広がることで「言葉が停止する」状況が広がっていく。言い換えると、聞く耳を持たない権力の前で、人びとはしだいに発話すること自体をやめていく。そうした状況を冨山(一郎)は「尋問空間」と呼ぶ。…なにをしても無駄だと思わせる「尋問空間」においては、圧倒的な受動性が状況を支配していく」(田仲康博「「戦後ゼロ年」の沖縄から」、「世界」5月号所収)

 「反対の声を大きくする雰囲気ではなくなった」「反対の看板やビラは見られなかった」という与那国島の風景は、まさに「尋問空間」のそれではないでしょうか(写真中・右はかつて与那国にあった横断幕)。

 そうだとすれば、与那国・沖縄に「なにをしても無駄だと思わせる…圧倒的な受動性」をもたらしているのは、日米軍事同盟(安保条約体制)の犠牲をとりわけ沖縄に集中させている自民党政権(国家権力)であり、その構造的差別を見て見ぬふりしている、あるいは見ようとさえしていない「本土」日本人にその責任があることを銘記する必要があります。

 そして言うまでもなく、「尋問空間」の危険・恐怖は与那国・沖縄だけの問題ではありません。

 岸田政権が閣議決定(2022年12月16日)した「軍拡(安保)3文書」の中心「国家安全保障戦略」は、冒頭の「策定の趣旨」でこう書いています。

有事と平時の境目はますます曖昧になってきている。…軍事と非軍事の分野の境目も曖昧になっている。…国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。…国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えことが不可欠である」

 「軍事と非軍事の境目を曖昧」にし、軍事に対する「国民の決意」「自発的かつ主体的な参画」を作り出す。それが「国家安全保障戦略」の眼目です。
 自衛隊の家族ぐるみの配備によって軍隊・軍事を市民生活に浸透させ、「尋問空間」をつくりだしている与那国・沖縄の実態は、「国家安全保障戦略」が目指す軍事国家日本の先触れに他なりません。

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学術会議任命拒否と統一教会と安倍晋三元首相

2023年04月18日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 岸田文雄政権が目論む日本学術会議法改悪に対し、日本のノーベル賞受賞者ら8人が連名で「熟慮を求める」声明を発表していましたが(2月19日)、世界のノーベル賞受賞者61人がこれを「全面的に支持する」共同声明を出したと、梶田隆章学術会議会長が17日の総会で明らかにしました。

 学術会議法改悪策動の発端は、2020年10月1日の菅義偉政権による「6人の任命拒否」です。学術会議はこれに抗議し、任命拒否の理由を明らかにするよう一貫して求めていますが、政府は今にいたるも口を閉ざしています。

 会員任命を拒否された6人の中には、政府の政策を批判したこともない「宗教哲学」専門の芦名定道氏も含まれており、なぜこの6人が拒否されたのかナゾになっています。

 そんな中で注目されるのが、学術会議の会員で任命拒否・法改悪を一貫して批判している高山佳奈氏(京都大法科大学院教授)の論稿です。

「芦名教授を排除する意味がわからない。本人もわからないと言っている。考えた末の筆者の仮説は、「旧統一教会にとって最も不都合な者が拒否された」である。芦名教授の研究は旧統一教会の主張と全く相いれない。加藤(陽子)教授の歴史認識も、宇野(重規)教授の思想史研究もだ。民主主義科学者協会法律部会(岡田正則、小澤隆一、松宮孝明の3氏が所属)の取り組みは、旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の立場に真っ向から反している。この仮説は推測に基づくものにすぎないが、こじつけではない」(「「日本学術会議法」改正案批判―任命拒否理由を示さず何を改革するのか」、「世界」5月号所収)

 統一教会は一貫して学術会議を敵視・攻撃してきました。
 東京新聞(11日付「こちら特報部」)によれば、勝共連合の機関紙「思想新聞」は1985年8月25日付で「蝕まれる『日本学術会議』」「反体制的」と記し「早く潰してしまうことが肝要だ」という関係者のコメントを掲載。その後も繰り返し攻撃してきました。

 統一教会が学術会議を目の敵にする背景について、ジャーナリストの鈴木エイト氏は、「教団側は世界平和教授アカデミーという組織で文化人を取り込んだが、なびかなかったのが学術会議の人たち。面白くない存在だった」と指摘しています(同上東京新聞)

 高山氏の「仮説」はきわめて真実に近いと思われます。

 加えて、私も「仮説」を提示します。それは、「任命拒否」の黒幕(実質的に拒否した人物)は、菅前首相ではなく、安倍晋三元首相だということです。

 その根拠は、「任命拒否」の経過にあります。2年半前を振りかえると、こうでした。

 2020年8月31日 学術会議が内閣府に105人の推薦名簿を提出
   9月5日ごろ 内閣府が法制局に、官邸が会員補充に難色を示した2018年の政府解釈の明確化を再確認
       16日 菅政権発足
       24日 内閣府が決裁文書を起草
       28日 菅首相が文書を決裁

 この経過から言えることは、菅氏が首相に就任する前から内閣府は「任命拒否」に向けて法制局と詰めを行っており、菅氏が首相に就任して8日後に起草された「決裁文書」には6人の名前はなかったということです。菅氏は記者会見(同年10月9日)で、学術会議が提出した推薦名簿を自分は「見ていない」とも述べています(2020年10月13日のブログ参照)。 

 菅氏が首相になったときは、前任の安倍晋三氏によってすでに「任命拒否」は決まっていた、と考えるのが自然ではないでしょうか。

 統一教会と安倍晋三氏。その黒い関係は、「任命拒否」という前代未聞の法律違反行為による学術会議攻撃にも影を落としています。

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盗聴大国・アメリカ、謝罪もせずウソ重ねる

2023年04月17日 | 日米安保体制と平和・民主主義
   

 米紙ニューヨーク・タイムズが8日報じたアメリカの機密文書流出問題。メディアは「犯人」とその手口に集中した報道を繰り返しています。しかし、それは問題の核心から目を逸らす米政府の思惑に迎合するものです。

 問題の核心は、米政府が性懲りもなく他国への盗聴(通信傍受)を繰り返していること。そしてこの明確な主権侵害が発覚しても一言の謝罪もせず開き直っていることです。

 流出した機密文署には、韓国・大統領府の盗聴内容が含まれていました。

「文書にはユン・ソクヨル(尹錫悦)大統領がバイデン大統領から直接電話を受け、(ウクライナへの)兵器供与に関し何らかの圧力をかけられることを危惧していたことが記されていた」(11日付沖縄タイムス=共同電)

「4月9日付ニューヨーク・タイムズは、流出文書の内容を引用して「韓国国家安保室は3月初めにウクライナに砲弾を援助してほしいとする米側の要求に苦悩している」と伝えた」(15日付ハンギョレ新聞日本語電子版、写真中・右は同紙より)

 韓国政府は「文書の相当数が偽造されたもの」(11日)と影響の鎮静化に躍起になっていますが、会話を盗聴された国家安保室長と外交秘書官は「3月に突如辞任」(同ハンギョレ新聞)しています。

 これはまさに、「米国が同盟国をスパイしている実態が浮かぶ」(12日付京都新聞=共同)ものにほかなりません。

 米政府による他国の盗聴が露見したのは今回が初めてではありません。

▶ 1976年10月 米中央情報局(CIA)が韓国大統領府を盗聴していたとワシントン・ポスト紙が暴露。

▶ 2013年6月 米国家安全保障局(NSA)元職員のエドワード・スノーデン氏が、米政府が38カ国の在米公館を盗聴していたと暴露。

▶ 2016年 「ウィキリークス」が「2008年、NSAがパン・ギムン国連事務総長(当時)とドイツのメルケル首相(当時)の対話を盗聴した」と明らかにした(11日付ハンギョレ新聞)

 2013年にスノーデン氏が暴露した盗聴については、各国から抗議の声が上がりました。

「ドイツやフランス、ブラジルなどは…「容認できない行為」だとして強く抗議した。特にメルケル首相は2013年にベルギーで開かれた欧州連合(EU)首脳会議で「友人の間で盗聴はありえないこと」だと公の場で抗議した」(11日付ハンギョレ新聞)

 2013年といえば、ウクライナで「マイダン革命(クーデター)」が起こる前年です。オバマ大統領(当時)は同クーデターへの米政府の関与を公式に認めましたが、それにも盗聴が絡んでいた可能性が考えられます。

 メルケル首相は「いかなる状況においても友を内偵する行為は許されない」と記者団に述べ(2013年10月)、ドイツ政府はエマーソン米大使を呼んで直接抗議もしました。しかし、「米国はついに謝罪しなかった」(15日付ハンギョレ新聞)のです。

 そして、「オバマ大統領はメルケル首相に電話をかけ「現在は盗聴しておらず、今後もそのようなことはないだろう」…と述べ」(同)ました。しかし、それが真っ赤なウソだったことが、今回の文書流出で明らかになりました。

 アメリカは他国を盗聴する主権侵害の常習犯であり、謝罪のひとつもしない確信犯です。この一事をとっても、アメリカの言う「民主主義」がいかにまやかしであるかは歴然としています。

 そして岸田政権がこのアメリカの明白な民主主義蹂躙を一言も批判しない、コメントすらしないことに、日米安保条約における対米従属ぶりがくっきり表れています。少なくとも、日本の首相官邸は盗聴されていないのか、明確にただすべきです。

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