安倍首相は28日の施政方針演説で、「しきしまの大和心のおおしさはことある時ぞあらわれにける」という明治天皇(写真中)の歌を引用しました。
これについて日本共産党の志位和夫委員長は、「日露戦争のさなかに詠まれ、戦意高揚のために使われた歌だ」「これを自らの施政方針演説の中に位置づけたことは、日本国憲法の平和主義に真っ向から反するものだ」(29日付「しんぶん赤旗」)と批判しました。
「平和主義に反する」のは明白ですが、問題はそれだけではありません。
「しきしまの大和心」といえば、有名なのが江戸時代の国学者・本居宣長の次の歌です。「しきしまの大和心を人とはば朝日に匂ふ山櫻花」
「宣長のいうところの大和心は要するに…神皇の大道に服従し奉るものである。そうして、この道は国体にやどり存するものである。ここに国体とこの道と大和心は三にして一に帰すべきものである」(山田孝雄著『櫻史』講談社学術文庫)
天皇睦仁(明治天皇)の念頭に宣長の歌があったことは間違いないでしょう。
明治以降も宣長の「大和心」は天皇を奉じる旗印にされました。特攻隊(皇軍)の4つの部隊名、「敷島」「大和」「朝日」「山櫻」は宣長の歌からとったものといわれています。
さらに、「大和心」は「大和魂」と同義ですが、幕末に「大和魂」を強調したのは吉田松陰でした。松陰の「大和魂」は、「万世一系」の「国体」論、さらに朝鮮侵略と一体でした。
「松陰においては国体論によって朝鮮侵略が理念化され、それは皇国の構想全体のなかで中心的な位置を占めることになった。そして『幽因録』(1854年)ではいち早く、武備をととのえ、蝦夷・カムチャッカなどを奪い、琉球を諭して朝鮮をしたがえ、満州・台湾・ルソンに進取の勢いを示すべきだと、激しい海外雄飛の構想が打ち上げられた」(尹健次氏『日本国民論』筑摩書房)
安倍首相はこれまでの国会演説で吉田松陰を2回引用しています。今回も明治天皇の歌で「大和心(魂)」を強調することによって、3回目の松陰思想の引用を行ったともいえるでしょう。
一方、今回の安倍施政方針の特徴の1つは、「日韓関係」について一言も言及しなかったことです。そのことについて韓国のハンギョレ新聞は29日の社説でこう指摘しています。
「施政演説で韓日関係についてまったく言及しなかった。韓日の軋轢が日帝強制占領期の慰安婦や強制徴用などの過去の問題で、そして最近では日本哨戒機の低空威嚇飛行などの軍事分野にまで拡大している厳重な現実を意図的に無視したのだ。両国の関係を改善するよりも、現在の不和と対立をそのまま放置するという意図に見える。安倍首相の無責任な態度に深い遺憾を表わさざるをえない」(29日付ハンギョレ新聞・日本語電子版)
安倍首相が「慰安婦」(戦時性奴隷)や「強制徴用」問題で「対立をそのまま放置する」ということは、日本の植民地支配の加害責任にほうかむりし、居直り続けるということです。それは「無責任」であるだけでなく、侵略戦争・植民地支配の歴史に対する無反省(肯定)を示すものです。
安倍首相が、朝鮮半島侵略のための日露戦争を鼓舞した明治天皇の歌を引用し、皇国史観と侵略戦争の精神となった「大和心」を強調したことと、帝国日本の朝鮮植民地支配による「戦時性奴隷」「強制徴用」に対して居直り姿勢を示したことは、けっして無関係ではありません。
安倍施政方針演説には、さらに本質的な「天皇の政治利用」がありました。
※<下>は2月2日(土)に書きます。