アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

安倍施政方針演説における「天皇の政治利用」<上>「大和心」

2019年01月31日 | 天皇制と安倍政権

     

 安倍首相は28日の施政方針演説で、「しきしまの大和心のおおしさはことある時ぞあらわれにける」という明治天皇(写真中)の歌を引用しました。
 これについて日本共産党の志位和夫委員長は、「日露戦争のさなかに詠まれ、戦意高揚のために使われた歌だ」「これを自らの施政方針演説の中に位置づけたことは、日本国憲法の平和主義に真っ向から反するものだ」(29日付「しんぶん赤旗」)と批判しました。

  「平和主義に反する」のは明白ですが、問題はそれだけではありません。

 「しきしまの大和心」といえば、有名なのが江戸時代の国学者・本居宣長の次の歌です。「しきしまの大和心を人とはば朝日に匂ふ山櫻花」

 「宣長のいうところの大和心は要するに…神皇の大道に服従し奉るものである。そうして、この道は国体にやどり存するものである。ここに国体この道大和心は三にして一に帰すべきものである」(山田孝雄著『櫻史』講談社学術文庫)

 天皇睦仁(明治天皇)の念頭に宣長の歌があったことは間違いないでしょう。

 明治以降も宣長の「大和心」は天皇を奉じる旗印にされました。特攻隊(皇軍)の4つの部隊名、「敷島」「大和」「朝日」「山櫻」は宣長の歌からとったものといわれています。

 さらに、「大和心」は「大和魂」と同義ですが、幕末に「大和魂」を強調したのは吉田松陰でした。松陰の「大和魂」は、「万世一系」の「国体」論、さらに朝鮮侵略と一体でした。

 「松陰においては国体論によって朝鮮侵略が理念化され、それは皇国の構想全体のなかで中心的な位置を占めることになった。そして『幽因録』(1854年)ではいち早く、武備をととのえ、蝦夷・カムチャッカなどを奪い、琉球を諭して朝鮮をしたがえ、満州・台湾・ルソンに進取の勢いを示すべきだと、激しい海外雄飛の構想が打ち上げられた」(尹健次氏『日本国民論』筑摩書房)

 安倍首相はこれまでの国会演説で吉田松陰を2回引用しています。今回も明治天皇の歌で「大和心(魂)」を強調することによって、3回目の松陰思想の引用を行ったともいえるでしょう。

 一方、今回の安倍施政方針の特徴の1つは、「日韓関係」について一言も言及しなかったことです。そのことについて韓国のハンギョレ新聞は29日の社説でこう指摘しています。

 「施政演説で韓日関係についてまったく言及しなかった。韓日の軋轢が日帝強制占領期の慰安婦や強制徴用などの過去の問題で、そして最近では日本哨戒機の低空威嚇飛行などの軍事分野にまで拡大している厳重な現実を意図的に無視したのだ。両国の関係を改善するよりも、現在の不和と対立をそのまま放置するという意図に見える。安倍首相の無責任な態度に深い遺憾を表わさざるをえない」(29日付ハンギョレ新聞・日本語電子版)

 安倍首相が「慰安婦」(戦時性奴隷)や「強制徴用」問題で「対立をそのまま放置する」ということは、日本の植民地支配の加害責任にほうかむりし、居直り続けるということです。それは「無責任」であるだけでなく、侵略戦争・植民地支配の歴史に対する無反省(肯定)を示すものです。

 安倍首相が、朝鮮半島侵略のための日露戦争を鼓舞した明治天皇の歌を引用し、皇国史観と侵略戦争の精神となった「大和心」を強調したことと、帝国日本の朝鮮植民地支配による「戦時性奴隷」「強制徴用」に対して居直り姿勢を示したことは、けっして無関係ではありません。

 安倍施政方針演説には、さらに本質的な「天皇の政治利用」がありました。

 ※<下>は2月2日(土)に書きます。


これで「憲法学者の声明」と言えるのか

2019年01月29日 | 沖縄と日米安保

     

 日本の憲法学者131人が24日、「辺野古新基地建設の強行に反対する声明」を出しました。この問題で憲法学者有志が声明を出すのは初めてだといいます。

 琉球新報は社説(28日付)で、「安倍晋三政権の強権に直面する沖縄にとって、学問的見地からの心強い味方を得た」と歓迎しました。しかしこの「声明」は、果たしてそうした評価に値するものでしょうか。

  「声明」は冒頭で、「安倍政権による辺野古新基地建設強行は『基本的人権の尊重』『平和主義』『民主主義』『地方自治』という、日本国憲法の重要な原理を侵害、空洞化するものである」「民主主義や地方自治のあり方が問われているという点においては日本国民全体の問題である」と述べています。

 すでに周知のこととはいえ、この限りでは妥当な指摘です。しかし、「声明」には重大な2つの欠陥(欠落)があります。

 第1に、日米安保条約=日米軍事同盟にまったく触れていないことです。

 「声明」はA4判で3枚半とこの種のものとしてはかなり長い解説的な文章ですが、その長文の中に「日米安保(条約)」「日米(軍事)同盟」という言葉は1つもありません。

  かろうじてそれに該当すると思われるのは、「そもそも日本が『主権国家』だというのであれば、外国の軍隊が常時、日本に駐留すること自体が極めて異常な事態であることを認識する必要がある」という部分です。しかし逆に、ここまで言いながらなぜ「日米安保条約」に言及しないのでしょうか。あえて「日米安保=軍事同盟」という言葉(問題)を避けていると思えてなりません。

  その一方で「声明」には、「朝鮮戦争や冷戦など、悪化する国際情勢の中、日本に新しい基地が必要だと判断した米軍は…」というくだりがあります。まるで日米安保を肯定しているかのような、きわめて不適切な表現です。

  第2の重大欠陥は、宮古、石垣など八重山諸島への自衛隊配備(基地)強化の問題が、これまた一言も触れられていないことです。

  もしも「これは辺野古新基地反対の声明だから…」という理由で言及しなかったとすれば、たいへんな認識間違いです。「辺野古新基地」と離島の「自衛隊配備・基地強化」は、沖縄の「基地負担」の増大という点でも、また米軍と自衛隊の一体化(基地の共同使用を含め)という点でも、一体不可分の関係です。「辺野古新基地に反対」なら当然、「自衛隊配備・基地強化」にも反対を表明しなければなりません。

  そもそも、日米安保条約(軍事同盟)と自衛隊は、いずれも憲法違反の存在です。ところが、歴代自民党政権と、大政翼賛化した「野党」、そして国家権力に迎合するメディアによって、いずれもその本質が隠ぺいされ、世論調査では「高支持率」を得ています。

  沖縄における「反基地」のたたかいにおいても、日米安保を支持・賛美する翁長雄志前知事、玉城デニー現知事の下で、日米安保問題は一貫して棚上げ(現状肯定)され、自衛隊配備・基地強化は容認されてきています。

  こうした状況を許し、なおも沈黙している「学者・知識人」、とりわけ憲法学者の責任はきわめて大きいと言わねばなりません。

  憲法学者の声明であれば、なによりも、日米安保条約と自衛隊の違憲性を明確に指摘すべきです。それによって「反基地・平和」のたたかいに正しい指針を示すべきです。
 それこそが、「憲法研究者の社会的役割」(「声明」)ではないでしょうか。


「女性皇族排除」批判の落とし穴

2019年01月28日 | 国家と文化・芸術・スポーツ

     

 安倍政権は5月1日に行われる「皇位継承」の儀式の1つ「剣璽等継承の儀」(写真左は前回)に女性皇族の参列を認めないことを決めました(17日)。これに対し朝日新聞は<皇位継承儀式 「女性排除」の時代錯誤>と題した23日付の社説で、「社会常識から乖離・逆行」するものと批判しました。

  女性皇族の排除は明確な女性差別であり、批判は当然です。しかし、朝日社説の「批判」には重大な欠陥があります。それは朝日に限らず、「女性皇族排除」を批判するいわゆる“リベラル”に共通する欠陥といえます。

  第1に、「女性皇族排除」の根本原因を回避していることです。この問題の根本は現在の皇室典範(第1条)が皇位継承を「男系男子」に限定していることです。これが憲法(第14条)の「法の下の平等」「男女平等」に反していることは明白です。
 「継承の儀」から女性皇族を排除したことに対する批判は、この皇室典範の憲法違反に向けられなければなりません。言い換えれば、「象徴天皇制」が女性差別の上に成り立っている問題に批判の矛先を向ける必要があります。

 ところが朝日の社説は、「女性・女系天皇を認めるか否かをめぐっては長年の論争があり、慎重な姿勢をとるのはわからなくはない。だがその話と参列を許さないこととは次元が異なる話だ」として、逆に根本問題の棚上げを主張しています。

  女性皇族排除を「妥当」とする天皇主義者の八木秀次麗沢大教授は、「(継承の儀の)本質は皇位継承に関するものである以上、継承資格を持たない女性皇族は出席する必要がない。…女性皇族の出席を検討するのであれば、先に男系男子に限った皇位継承の在り方を議論するのが筋だ」(18日付共同配信)と述べていますが、これは”右”からの正論です。

  第2に、朝日社説は、「『国民の総意』に基づく天皇であるために、憲法原則にかない、多くが納得できる姿をめざして議論を深めなければならない」と結んでいます。

  同じく「女性皇族排除」を批判する河西秀哉名古屋大大学院准教授は、「『剣璽等継承の儀』は国事行為で国民の行事でもある。女性であることを理由に参列が認められないということは、21世紀の社会では考えられない」(18日付共同配信)と述べています。

  共通しているのは、皇位継承の儀式は「国民の総意」に基づく「国民の行事」なのだから女性皇族も参列させるべきだ、という主張です。この前提は根本的に間違っています。

  「剣璽等継承の儀」は「三種の神器」のうち「剣」と「璽(勾玉=まがたま)」を引き継ぐもので(「鏡」は伊勢神宮に安置)、皇室神道の最も重要な儀式です。しかも、天皇の代替わりにそれを行うことは旧皇室典範(第10条)に明記されていたことです。敗戦によって旧皇室典範は廃止され、新たな皇室典範ができましたが、それには「神器の継承」は一言も入っていません。「剣璽等継承の儀」の法的根拠は何もないのです(政府が「皇室経済法第7条」を持ち出すのは詭弁以外の何物でもありません)

  それを「国事行為」として強行することは、政教分離の原則に反する点でも、戦前の天皇主権の皇室典範への復帰というでも、明々白々な憲法違反です。「国民の行事」であろうはずがありません。

  「国民の総意」による「国民の行事」なのだから女性皇族の参列も認めるべきだという主張は、この明白な憲法違反を隠ぺいし、その「宗教儀式」を「国民」に浸透させるきわめて危険は役割を果たすものと言わねばなりません。

  憲法に反するのは「剣璽等継承の儀」だけではありません。首相はじめ「3権の長」を見下しながら天皇が「おことば」を述べる「退位礼正殿の儀」「即位後朝見の儀」も主権在民に反する儀式であり、「国事行為」として行われることは絶対に容認できません。批判はここにこそ向けられるべきです。


日曜日記37・大坂なおみ選手・「成人雑誌」撤去・現役朝高生の声

2019年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

☆大坂なおみ選手への拍手に「国籍」はいらない

  日ごろテニスの試合はそんなに熱心に観ないが、26日の全豪オープンの決勝戦には始めから終わりまで釘付けになった。優勝した大坂なおみ選手はもちろん、幾多の試練を乗り越えてカムバックし、絶体絶命のピンチをしのいだ準優勝のクビトバ選手にも大きな拍手を送りたい。感動をありがとう。

  技術的なことはよくわからないが、思うようにならない場面も耐えて自分のテニスを貫いた大坂選手の精神的な成長には目を見張った。

  さまざまな感動の中で、唯一残念だったのは、中継したNHKアナウンサーが「日本人として初の世界ランク1位」「日本の誇り」などと「日本人」を乱発したことだ。言うまでもなく、大坂選手は「日本」を代表してプレーしているわけではない。お父さんの出身のカリブ海・ハイチでも大坂選手は大の人気者だ。

  大坂選手の快挙、大坂選手への拍手に「国籍」はいらない。

  大坂選手に限らず、スポーツ選手の活躍にことさら「日本人」をつけナショナリズムを煽るのは、アスリートに対する冒とくだ。もしかしたら安倍首相は「大坂選手に国民栄誉賞を」などといってまたまた人気取りを図ろうとするかもしれない。スポーツの政治利用は許せない。

 ☆「成人雑誌」の扱いをやめるのはいいけれど

  22日のNHKニュースによると、セブンイレブンとローソンが「成人向け雑誌」の取り扱いを止めると決めたそうだ。コンビニ店員としてやむをえず雑誌コーナーに並べるが、目に余る。女性蔑視・差別の典型の1つであり、店頭からの撤去は大賛成だ。

  ただ、問題はその理由だ。ニュースによれば、「コンビニに女性客が増えた」ことと「東京オリ・パラを前にして」だという。つまり、女性に不快感を与え、外国人には見せられないことが分かっていながら、これまで続けていたということだ。女性の人権より利益(客寄せ)を優先してきたわけだ。

  この国は政府も企業も、国際的な指摘・批判がなければ明らかな差別・人権侵害も改めようとしない。いや、安倍政権は国連の人権機関から何度も勧告を受けながら、朝鮮学校を高校無償化から排除する差別を改めようとしていない。店頭の「成人向け雑誌」のように目に見えない差別・人権侵害は、いくら指摘されてもほうかむりだ。

 ☆現役朝高生の声を聴こう

  高校無償化から排除されている朝鮮学校の生徒たちの声が、月刊誌「イオ」最新号(2月号)に掲載されている。血の出るような心の叫びだ。その中の1つを転記する。

 <そそがれる冷たい視線に耐えながら行う、高校無償化制度からの朝鮮学校除外に反対する街頭宣伝。広島朝鮮初中高級学校では毎月19日に定期的に行っている。高級部1年のときに初めて参加した街頭宣伝で一生忘れることのできない出来事があった。

 それは、目の前で私たちが配ったビラを丸めて捨てられたという経験だ。その瞬間、複雑な気持ちになった。痛くて、苦しくて、悔しくて、許せない。そして単純に「何で?」という気持ちが沸き起こった。「平和都市」と言われる広島の地でこのような差別が行われている。そんな事実から目を背けて、この差別に屈しても良いのか?

 12年間、朝鮮学校で学んだ私は考えた。根拠のない理由で私たちの存在が否定され、これまでの教育が否定されている。この日本社会で私たちは朝鮮人の存在が認められ、堂々と胸を張って生きていける日がくるまで、そして共存できる日が来るまで負けることなく最後まで声を上げ続ける。(広島朝鮮初中高級学校3年生)>

 「この日本社会」で差別に鈍感なのは、いや、差別しているのは、安倍政権だけではない。


米軍降下訓練、伊江島ならいいのか

2019年01月26日 | 沖縄・平和・基地

     

 24日付の沖縄タイムス1面は<嘉手納 米が降下訓練 地元反発 恒常化懸念>の見出しで、米軍が23日嘉手納基地でパラシュート降下訓練を行ったことを報じました(写真左)。

 同じく社会面では、<降下訓練に住民反発>の見出しで、「周囲には学校や保育園もあるのに、このままなし崩し的に基地機能が強化されないか心配だ」「風向きによっては兵士やパラシュートが住宅地に落ちてくることもありうる。降下訓練はやめてほしい」など嘉手納基地周辺住民の不安と怒りの声を載せています。

  一方、玉城デニー知事は同じ23日、在沖米軍トップのスミス四軍調整官と会談し、「降下訓練は伊江島で実施することで日米が合意していることを踏まえ『降下訓練は日米特別行動委員会(SACO)最終報告の内容によって実施されるべきだ。嘉手納はあくまで例外な場合に限ると認識している』として嘉手納で訓練をしないよう求めた」(24日付沖縄タイムス)といいます(写真中は24日付琉球新報)。

  おかしくないですか?

 パラシュート降下訓練は言うまでもなく「基地強化」であり、「住宅地に落ちてくる」こともある危険なものです。基地周辺住民の不安・怒りは当然です。
 しかし、嘉手納で危険なものは、伊江島(写真右)でも危険なのではないでしょうか。

  ところが玉城知事や沖縄タイムスは、降下訓練が嘉手納基地で行われたことを批判し、日米間の「合意」通り伊江島でやれと言っているのです。嘉手納はダメだけど伊江島ならいい? これは危険なパラシュート訓練・基地強化を伊江島へ押し付けていることに他ならないのではないでしょうか。

  伊江島ではこれまでも米軍のパラシュート訓練の事故が頻発しています。
 「(2018年10月)18日午後2時45分ごろ、米軍伊江島補助飛行場でパラシュート降下訓練中だった米兵2人がフェンス外の未耕作地に降下した。…これまでも米兵や車両などが民間地に落下する事故が何度も起きている」(2018年10月18日、琉球新報電子版)

  嘉手納基地周辺住民が米軍の爆音被害に苦しめられていることは周知の事実ですが、伊江島も米軍の騒音が激化しています。

  「米軍伊江島補助飛行場に隣接する伊江村西崎区で、昨年12月に測定された90デシベル以上の騒音回数が40回に上ったことが15日、分かった。…昨年12月5日に同飛行場で運用が始まった強襲揚陸艦の飛行甲板を模した着陸帯『LHDデッキ』の影響とみられる」(1月16日付琉球新報)

  玉城知事は「SACO」最終報告(1996年12月2日)の合意通り伊江島でやれと言います。しかしそもそも「SACO」は、「これの発足と引きかえに村山首相自身による署名代行(法的手続きの開始)が約束された」(新崎盛暉著『沖縄現代史 新版』岩波新書)もの、すなわち沖縄の土地を米軍が強制的に使用するためのカムフラージュとして設置されたものです。

 そして、「最終報告には、中間報告にはなかった普天間飛行場に関わる付属文書が添えられていた。そこでは(普天間基地返還の―引用者)条件が具体化され、『沖縄本島の東海岸沖』に『海上施設』を建設するとされていた」(櫻澤誠著『沖縄現代史』中公新書)のです。「辺野古問題」の始まりです。

 このような「SACO」最終報告をタテに、降下訓練は嘉手納ではなく伊江島で行えというのは、沖縄の基地負担を無くしていく方向にまったく逆行していると言わざるをえません。

 しかもここにうかがえるのは、嘉手納(本島)はダメだが伊江島(離島)ならいいという離島軽視あるいは離島差別です。

 この問題だけではありません。石垣、宮古、与那国への自衛隊配備・基地強化が、本島の「辺野古新基地阻止」と一体のものとして取り組まれているとは言い難い実態の背景には、自衛隊の本質の軽視とともに、離島軽視・差別が根底にあるのではないでしょうか。

 「SACO」最終報告が出る約10カ月前(1996年1月30日)、沖縄県(大田昌秀県政)は日本政府に「基地返還アクションプログラム」を提示しました。それは2015年までにすべての米軍基地を撤去し土地を返還させるというプランでした。
 「沖縄県による米軍基地撤去の具体的なプラン提出は、日米両政府には衝撃」(櫻澤氏、前掲書)であり、それが「SACO」最終合意の欺瞞的な「一部返還」につながりました。

 いまこそ沖縄は「基地返還アクションプログラム」に立ち返り、本島、離島問わず全基地撤去の旗を掲げるべきではないでしょうか。そして本島と離島が共同して自衛隊基地強化を阻止すべきではないでしょうか。「本土」の私たちも自分の問題としてそれに連帯していく必要があるのは言うまでもありません。




天皇はなぜ大相撲を観戦するのか

2019年01月24日 | 天皇・天皇制

     

 明仁天皇と美智子皇后は20日、大相撲を観戦し、NHKはこれを「平成最後の天覧相撲」と大々的に報道しました。
 天皇・皇后が趣味(私的行為)で大相撲などスポーツを観戦するのは本来自由のはずですが、実際は、明確な政治的意図(政治利用)をもって行われています。とりわけ大相撲と天皇制は切っても切れない関係にあります。

  大相撲と天皇制の深い関係は、明仁天皇の父・裕仁天皇(昭和天皇)の時から作られました。明仁天皇の大相撲観戦は今回が23回目(NHK報道)ですが、裕仁のそれは戦後(1955~87年)だけで44回に及びました(坂上康博・一橋大教授著『昭和天皇とスポーツ』吉川弘文館。写真中は戦後初めて大相撲を観戦する裕仁=同著より)。

  裕仁に「相撲の精神」を教えたのは、中学生時代の教育掛として「倫理」(「帝王学」)を担当した国粋主義者の杉浦重剛でした。
 杉浦は、「我が国の遊技にして、外国に類例無きものは、相撲を以って最も著るしと為す。故に世人之を日本の国技と称す」「我が古来の相撲道の如く飽くまで公明正大の心を以てせば、始めて大に大和民族の体力と併せて、精神をも練磨するの助けとなるべきなり」(杉浦「倫理御進講草案」、坂上氏前掲書より)として、「相撲道」による「大和民族」の「体力と精神の練磨」を裕仁に教え込みました。

  こうした杉浦の「相撲観」は、戦前・戦中、相撲が「国策」としてナショナリズム・軍国主義高揚の道具とされる基盤になりました。

 「ナショナリズムの高揚が相撲人気の活況と連動するという現象は、明治末期と共通するが、昭和十年代の相撲ブームの場合には、それが単なる社会現象としてではなく、『国策』の一環として演出されたものという性格を強く併せ持っていた」(新田一郎著『相撲の歴史』講談社学術文庫)

 裕仁の下で大相撲は天皇制との関係をさらに深めていきました。
 例えば、現在の土俵の屋根は伊勢神宮と同じ神明造でが、それまでの入母屋造(法隆寺金堂など)から伊勢神宮と同じ造りに変わったのは、裕仁が観戦した1933年の夏場所からです。
 「天皇とのより強い結びつきを示し、国技の地位を盤石にする意図がなかったとは言えまい。そのために、皇室ゆかりの伊勢神宮の形にならったということは十分に考えられる」(内館牧子著『女はなぜ土俵にあがれないのか』幻冬舎新書)。

 大相撲と天皇制の強い結びつきを示すもう1つの道具が「天皇賜杯」です(写真右)。
 大相撲の優勝力士に「賜杯」が渡されるようになったのは、裕仁が1926年に観戦した際、相撲協会に渡した金(「御下賜金」)で「賜杯」が製作されたのが始まりです。
 戦後1947~48年にかけて、さまざまなスポーツの日本選手権に「天皇杯」が「下賜」されますが、その先駆けが大相撲の「天皇賜杯」です。

 戦後、天皇・皇后による各種のスポーツ観戦(開会式出席)が政策的に行われるようになりました。1949年の「国民体育大会」出席がその端緒です。
 「国民体育大会は、天皇・皇后が出席することによって、単なるスポーツイヴェントではなく、『象徴天皇制の正当性を周期的に客観化する、重要な制度的イヴェント』(坂本孝治郎著『象徴天皇がやってくる』平凡社)へと変化した。また、戦前からつづく六大学野球や大相撲、競馬だけでなく、各種目計17にも及ぶ日本選手権大会などが、毎年、天皇杯をめざして開催され、また、天皇が大相撲やプロ野球などを観戦するという新たな状況も、それと同様の効果をもつとみていいだろう」(坂上氏、前掲書)

  各種競技の「天皇杯・皇后杯」、そして天皇・皇后の試合観戦は、戦争責任を棚上げして「象徴天皇」となった裕仁天皇の「正当性」を「周期的に客観化する」政治目的で制度化されたものです。
 明仁天皇・美智子皇后の大相撲観戦はそれを引き継いだものに他なりません。


靖国神社での南京大虐殺抗議に対する「見せしめ弾圧」を許してはならない

2019年01月22日 | 安倍政権と民主主義

 昨年12月12日に靖国神社で帝国日本の南京大虐殺を抗議した外国人(香港人)が逮捕された、というニュースは記憶にありましたが、まさか今に至るも勾留され続けているとは、うかつにも知りませんでした。(写真は抗議行動のもよう。18日付東京新聞より)

  「12・12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会」の声明(1月21日)で事態の深刻さ、その意味、そして私たち「日本人」の責任を再認識しました。

  この問題は、いわゆる「ゴーン事件」でも指摘されている「人質司法」の問題でもありますが、それだけではありません。「声明」はこう指摘しています。

  「今回2人に対して加えられている逮捕、起訴、長期勾留という事態は、まさにアジアの人びとが、靖国神社において公然と抗議行動をおこなったことに対する「見せしめ弾圧」であったと言わざるを得ない。この強硬な姿勢が、安倍政権においてより顕著になっている歴史修正主義、国家主義の強権的姿勢と無関係であるはずがない
 「私たちは、この日本社会に暮らすものとして、彼らの行為が提起したことの意味を受け止めながら、剥奪され続けている2人の人権を回復し、彼らを被告人として3月から開始される裁判闘争を、香港の友人たちとともに支えていきたいと考える」

  不当逮捕・勾留されている厳敏華さん(郭紹傑さんの抗議行動を市民記者として撮影していて郭さんとともに逮捕)は勾留理由開示手続きで、「今回の勾留に対して『日本は文明、民主、自由の国。東アジアの中で一番、自由が認められている国だと信じて来たのに』と落胆を口にした」(18日付東京新聞)といいます。

  この問題は、
①    南京大虐殺、侵略戦争、植民地支配の歴史認識に対する攻撃
②    表現の自由、抗議行動の自由、報道の自由に対する侵害
③    「人質司法」による人権侵害
という3重の問題を私たちに突きつけています。

 これを対岸視して傍観することは絶対に許されません。これはまさに「見せしめ」であり、国家権力に抗う「日本市民」に対する安倍政権の攻撃です。問われているのは、主権者として「この日本社会に暮らす」私たちです。

 ☆ 「12・12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会」の声明、および支援先は次の通りです。

靖国神社での抗議行動は正当だ!
東京地裁は直ちに2名の勾留を解け!
公判闘争を支援しよう!

 2018年12月12日、靖国神社外苑で、2人の香港人の男女が「建造物侵入」の容疑で逮捕された。

 男性は、「南京大虐殺を忘れるな 日本の虐殺の責任を追及する」と書かれた横断幕を広げ、日本軍国主義、南京大虐殺、靖国神社A級戦犯合祀に対する批判のアピールを行った。女性は、男性の抗議行動をビデオで撮影していた。抗議を開始してまもなく、靖国神社の神門付近にいた守衛がやめるように言ってきたので、男性が立ち去ろうとしたところ、複数の守衛が2人を取り押さえ、警視庁に引き渡した。

 2人はそのまま逮捕・勾留され、さらには12月26日に起訴されてしまった。その身柄は今なお警察署の「代用監獄」に留め置かれている。1月15日の弁護団による保釈申請に対しても裁判所はこれを却下。2人はすでに1ヶ月以上も勾留され続けているのだ。

 「人質司法」といわれる日本の刑事司法のありかたは、内外から多くの批判を浴びている。今回2人は、「正当な理由なく靖国神社の敷地内に侵入した」建造物侵入という罪状で起訴された。だが、外苑は誰でも自由に出入りできる場所だ。仮に有罪となったとしても微罪であるのに、今回2人に対して加えられている逮捕、起訴、長期勾留という事態は、まさにアジアの人びとが、靖国神社において公然と抗議行動をおこなったことに対する「見せしめ弾圧」であったと言わざるを得ない。この強硬な姿勢が、安倍政権においてより顕著になっている歴史修正主義、国家主義の強権的姿勢と無関係であるはずがない。

 抗議のアピールが行われた12月12日という日付は、1937年12月13日の日本軍による「南京陥落」の前日である。この日を前後しておこった、日本軍による膨大な中国市民の虐殺=「南京大虐殺」の歴史的事実を、日本の右派および右翼政治家は一貫して矮小化し、実質的に否定しようとしてきた。また香港は、アジア・太平洋戦争のさなか、3年8ヶ月にわたって、日本の軍政下に置かれた地である。日本政府は、戦後一貫して侵略戦争被害者への謝罪も補償もしないばかりか、歴史的事実を転倒させ、東アジアの平和を求める動きに逆行し続けてきた。このような日本政府のあり方を、中国やアジアの民衆が強く糾弾するのはまったく当然のことである。男性は、歴史問題に関する自らの意思の表現として、この象徴的な場所で抗議行動を行ったのだ。それが靖国神社に立ち入った「正当な理由」でなくて何であろうか。

 また、逮捕された女性は、市民記者として、男性の抗議行動を記録していた。それが、男性と共謀の上「侵入」したとして罪に問われたのである。これは明らかに、報道の自由に対する不当な介入でもあると言わなければならない。

 私たちは、この日本社会に暮らすものとして、彼らの行為が提起したことの意味を受け止めながら、剥奪され続けている2人の人権を回復し、彼らを被告人として3月から開始される裁判闘争を、香港の友人たちとともに支えていきたいと考える。

 本事件に関する注目と司法権力への監視を。3月公判への傍聴支援を。そして2人の裁判闘争を支えていくためのあらゆる支援とカンパを訴えます。 (2019年1月21日)

 12.12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会

 〒105-0004 東京都港区新橋2-8-16 石田ビル5階 救援連絡センター気付
 mail: miseshime@protonmail.com替口座:現在口座開設準備中
 暫定措置として、「12・12靖国抗議弾圧救援」と指定のうえ、救援連絡センターに送金してくださって大丈夫です。郵便振替 00100-3-105440 救援連絡センター

 ★ 法廷期日:3月7日(木)10:00〜、3月19日(火)10:00〜 ともに、東京地裁429号法廷

 

 


毒ガス兵器の加害の歴史は終わっていない

2019年01月21日 | 戦争の加害責任

     

 「嘉手納基地PFOS汚染」の見出しで、沖縄タイムス(10日付)は米軍嘉手納基地が残留性有害物質のPFOS(ピーホス)やPFOA(ピーホア)の高濃度(米基準の最大1億倍)が見つかったと報じました。
 「日本では普天間飛行場、横田基地が同様に汚染されていることが本紙報道で発覚しているが、米軍は事実関係を認めず、基地内の立ち入り調査も拒否している」(10日付沖縄タイムス)

 米軍の有害物質垂れ流しは言語道断ですが、それは米軍だけの問題ではありません。

 先の侵略戦争で、天皇制帝国日本は中国各地で国際法違反の毒ガス兵器(イベリットなど)を使用し、敗戦とともにそれを現地の地中や井戸の中に投棄しました。その毒ガスによる被害が今現在も中国の人びとを苦しめ続けています。 

 遺棄された旧日本軍の毒ガス兵器は、中国市民に甚大な被害を与えているだけでなく、その処理において大きな問題を抱えています。「遺棄毒ガス中国人被害者を支援する会」の最新の「ニュース」(NO17)はこう報じています。

 「遺棄毒ガスについては、遺棄国に処理の義務があります(化学兵器禁止条約)。後先を考えず、国際法違反がバレないようにと、日本軍は記録も残さず遺棄してきました。どこに遺棄してきたか今となってはよくわかりません。日本は未発見の毒ガスを探す努力はまったくしていません。敗戦時の毒ガス所持部隊の撤退路を調査するなどして探す努力をすべきです。 

 さらに、今処理している毒ガスの廃棄物は、どう処理してもその中にヒ素が混入しています。ヒ素の毒性は永遠に持続します。南京近郊などで処理済みの廃棄物を中国政府は『日本に持ち帰れ』と言っています。当然のことです。 

 国際基準では、ヒ素は環境の中に出してはいけないことになっています。密閉容器に入れ、永久管理しなければなりません。このヒ素入りの廃棄物を日本政府は、ドイツの処理業者(「K+S社」)にまかせているのです。日本政府はこれで『最終処理』と発表しています。これでよいのでしょうか。ドイツの地元では、降ってわいたような話にびっくりしています。

 原発事故の後始末が問題になっています。トイレのないマンションともいわれています。それと同様のことがヒ素化合物の処理についてもいえます。しかも放射線とちがってヒ素には半減期はありません」(同会「ニュースNO17」)

 国際法違反の毒ガス製造・使用・遺棄の加害の事実を、どれだけの「日本国民」が知っているでしょうか。

 旧帝国陸軍の毒ガス兵器の多くは広島県の大久野島で製造されました。現地には「記念館」も建てられていますが(写真中、右)、大久野島は今や「毒ガスの島」よりも「ウサギの島」として有名になり、行政もそれを売りに観光客集めに努めています。
 同じ広島でも、原爆ドーム・資料館の注目度、メディアの扱いと雲泥の差があります。「被害の歴史」と「加害の歴史」への向き合い方の違いは歴然です。

 毒ガス兵器は第1次世界大戦からドイツ軍や連合軍によって使用されましたが、「毒ガスが初めて本格使用された」とされるベルギーのイーベル(「イベリット」の語源だそうです)」を訪れた中国新聞の森田裕美記者は、こうレポートしています。

 「この地では現在も工事現場などから年間約200㌧の不発弾が見つかり、負傷者も出ているという。うち3分の1は毒ガス弾だ。…勝つためならと国家に総動員され、大量殺りくも是とした100年前の総力戦は、第2次世界大戦に通じる。遠い昔の欧州の悲劇と遠ざけるのではなく、自分と地続きの出来事として捉え直す必要がある」(2018年12月24日付中国新聞) 

 「天皇の軍隊」の毒ガス兵器の加害の歴史は終わっていません。大量に遺棄した中国はじめ日本国内にも被害は出ています(茨城県・神栖など)。 
 被害者への治療・補償、遺棄物の処理など具体的な対策とともに、加害の歴史を記憶し、次代に伝えねばなりません。




日曜日記36・なぜ三浦大知なのか・驚愕の世論調査結果・加藤彰彦さん

2019年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 ☆なぜ三浦大知なのか

  明仁天皇の「在位30年記念式典」(2月24日)で、天皇が沖縄のハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪問した際(1975年)に作った琉歌に美智子皇后が曲をつけた「歌声の響」が歌われる。天皇・皇后がいかにも沖縄に寄り添っているかのようにみせる演出だ。この日は奇しくも辺野古新基地に対する県民投票の日と重なる。きわめて政治的な光景だ。

  天皇・皇后の歌を歌うのは三浦大知だ。なぜ三浦大知なのだろうか。三浦が沖縄県出身だからと言われている。それだけだろうか。三浦の父親は自衛官だ(「ウィキペディア」)。そのことが選考にあたってまったく考慮されなかったと言えるだろうか。

  沖縄はいま、辺野古とともに、石垣・宮古など八重山諸島への自衛隊配備・基地建設、自衛隊と米軍の一体化が大きな問題になっている。天皇・皇后が作ったその沖縄の歌を天皇賛美の式典で歌う歌手の父親が自衛官。偶然だとしても、安倍政権にとってはあまりにも時宜に叶った“偶然”ではないだろうか。

 ☆驚愕の世論調査結果

  メディア各社が行う「世論調査」の結果は信用していない。質問の仕方しだいで数字は大きく変わる。そもそも「世論」は無責任なものだ。
 だが、14日の中国新聞に載った共同通信社の世論調査(12、13両日実施)の結果には驚いた。安倍内閣の「支持」が「不支持」を上回り、しかも前回調査より上昇している、ことではない。

 「韓国の元徴用工訴訟判決を巡り、賠償問題は解決済みとして判決に抗議している日本政府の対応を支持する」が80・9%、「支持しない」は11・3%。80%は圧倒的な数字だ(「政府の勤労統計は信用できない」の回答でさえ78%だった)。

  対朝鮮・韓国となるとそろって安倍政権を支持する日本のメディア、そしてすべての政党(2015年の「日韓慰安婦合意」の支持がそれを証明している)。その翼賛体制を考えると驚くには及ばないかもしれない。ちょうど「日米安保条約支持」の世論調査結果に近い数字だ。

  しかし、日本と朝鮮半島の戦前戦後の歴史を知っていれば、そして日本の植民地支配の犯罪性に対する罪の意識が「日本国民」に少しでもあれば、この問題で安倍政権を支持することは到底できないはずだ。にもかかわらず「80・9%」。やはり冷静ではいられない。

 ☆加藤彰彦さんの「暮らしのノート」最終号

  元沖縄大学長の加藤彰彦さん(77歳、ペンネーム野本三吉)が毎月発行していた個人誌「暮らしのノート」が今月号(NO・66)で終了した。

 沖縄から横浜に帰って地域で様々な活動を行う一方、沖縄の問題とりわけ「子どもの貧困」問題に継続的に取り組み、横浜と沖縄を何度も往復している。
 地域とともに生きる。それが加藤さんの信条でありライフワークだ。数年前から目を患い本を読むのも不自由だが(それが「暮らしのノート」を終了した主な理由)、地域の活動は継続するという。

  初めてお会いしたのは沖縄大の学長室だった。もう6年前になる。波乱万丈の人生と沖縄への深い思い、初対面の私にも親しく真剣に話してくださった人柄、そして「地域」を基盤とした思考・思想の深さに敬服した。

  「暮らしのノート」最終号の最終ページにはこう書かれている。

 「自分が住んでいる地域の中で、時代の動き、社会のあり方などを考え、学び合う場と関係をつくりたいと思っています。年を重ねたぼくらの世代が本気にならないと、今の状況は変わらないと思っています」
 「またどこかでお会いしましょう。それまで硬い固い握手を。いのちあればまた他日」

 


元号「平成」は閣議決定前に天皇に報告されていた!

2019年01月19日 | 天皇制と安倍政権

     

 17日付の朝日新聞は「元号を考える」シリーズの「識者インタビュー」として、横田耕一九大名誉教授と百地章国士舘大特任教授のインタビューを掲載しました。この中で、たいへんな事実が述べられています。

  日本会議や神道政治連盟の政策委員でもある百地氏は、「あくまでも天皇と元号は一体のものであるという考えですか」との質問にこう答えています。

  「平成への改元の際、政府は新元号を閣議決定直前に天皇陛下に伝えたとされている。当時の政府の対応は評価しているが、本来は首相が天皇に直接内奏するのが望ましい」

  一方、横田氏は、「新元号を閣議決定前に新天皇に伝えるべきだとの意見もあります」との質問にこう答えています。

  「前回は内閣官房副長官が宮内庁長官に電話し、新元号を事前に伝えたと当時の政府高官が証言している。…『天皇の元号』の名残の表れだ。天皇の国政関与を禁じた憲法上も大きな問題があり、繰り返すべきではない」

  両氏の発言から明らかなことは、「平成」という元号は閣議決定される前に天皇明仁に“報告”されていたということです。天皇制賛成派・反対派を代表する両氏の発言であり、事実とみて間違いないでしょう。

  これはたいへんなことです。百地氏が主張する「天皇と元号は一体」を証明するものであり、横田氏の指摘通り明確な憲法違反です。国政への関与を禁じた憲法第4条に反するだけでなく、天皇を内閣の上に置き元首扱いする点でも憲法違反は明白です。
 「国民」には「新元号制定過程は秘中の秘」などと言いながら、天皇と内閣が共謀して「主権者・国民」に隠れて憲法違反を犯していたわけです。その憲法違反で汚れた「平成」という汚れた元号を、「国民」は30年間使ってきた(使わされてきた)ことになります。

  さらに重大なのは、天皇への”報告“はたんなる報告では終わらないということです。

 衛藤晨一首相補佐官らは昨年8月6日、菅官房長官に「新元号は新天皇による公布を」と要請しましたが、これに百地氏は同席していました(2018年8月7日付朝日新聞)。衛藤氏や百地氏らの要請の「背景には、新元号の閣議決定前に新天皇の内諾である『聴許』を得るべきだとの考え方がある」(同朝日新聞)のです。

  天皇への事前報告はたんなる報告ではなく、「天皇の内諾である『聴許』」を得るものです。事前報告を受けた天皇が、その元号は望ましくないと言えば、内閣が天皇の意に沿わない元号を決めることは100%ありえないでしょう。すなわち、「事前報告」で「天皇の内諾」を得るとは、実質的には天皇が新元号を決めるということです。先に「『改元』の重大疑惑・最終的に決めるのは天皇ではないのか」(1月8日のブログ)と書きましたが、その疑惑は事実である可能性がきわめて大きいと言わねばなりません。

 百地氏は先のインタビューで、続けてこう述べています。

 「今回は安倍晋三首相が新元号を正式決定する臨時閣議前に宮中に参内し、天皇陛下だけでなく、新天皇に即位する皇太子さまにもお伝えすべきだ

 明確は憲法違反の要求であり、言語道断です。
 安倍首相の内奏(これ自体、天皇主権の名残であり、憲法上疑義があります)はもちろん、前回のような「宮内庁長官への電話」も含め、天皇(および次期天皇)への新元号の「事前報告」=「内諾」=事実上の天皇決定を、絶対に許してはいけません。